1. 恐怖ノ黒電波
《ネタバレ》 原題のBinaは建物とかビルの意味、英題はアンテナであってそれぞれ別の所に着目しているが、日本向けには「電波」で正解かも知れない。 ホラー映画というより社会派映画のようで、同時期の「返校 言葉が消えた日」(2019)を思わせる。世評などでは現在のトルコで進む情報統制に直接関連付ける傾向もあるが、この映画はトルコで2つの映画祭に出品されて一般公開もされているので、この映画自体は特に弾圧されてはいないようである。監督インタビューによれば、この映画での政府とメディアの関係は、現代の先進国では企業とメディアの間でも生じているとのことだったので、あまり批判対象を限定せず、なるべく広い視野で見ることが求められているらしい。 疑問点として、この映画に出るのがテレビ・ラジオ・新聞といったオールドメディアだけで、いわば古典的な情報統制のイメージなのはなぜかということがある。現実のトルコ政府が問題視しているのは主にソーシャルメディアだろうが、インターネットやモバイル通信が全く出ないのでは現代に通じる問題として受け取りにくい。しかしこれは逆に、現代の具体的な問題提起というより一般論として警鐘を鳴らす体にするために、あえてジョージ・オーウェルを思わせる時代がかった世界にしたと取るのが普通かも知れない。これも同時期の「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(2019)に通じるものがあり、世界的に同時並行で全体主義への恐怖が語られていたことになる。 内容に関して、見た目としてはホラーっぽいところもあるが、超常現象というより実在の脅威を象徴的に映像化したダークファンタジーのようである。個々の場面がいちいち長いが、台詞はあるので話の意味は大体わかる。冗長ではないかと思いながらも、「深夜公報」への期待感もあって一応見ていられた(期待外れだったが)。黒液体にはこれからの社会に適合しない者を排除する機能が備わっていたようで、毎日外で働いて美容に気を使う単身女性や、いわゆる家父長制的な支配に抵抗する女性が排除されていたのは実際の現地事情の反映と思われる。 映像面では、寒々しい風景や特徴的な構図や突然の異界感など、どこかで見たようなものもあるが悪くない。テレビモニターなど古くさい表現に見えるところがあるのも「1984年」のような雰囲気を出すためかと思っておく。映像的には結構印象のいい映画だった。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-09-14 10:31:16) |
2. 恐怖ノ白魔人
《ネタバレ》 松竹配給の「恐怖ノ」シリーズだが、今回は邦題の「白魔人」がちゃんと実態に即している(白い)。年齢の関係からか布団に潜りたい欲求があったらしい。股間の造形には少し感心した。 原題の「Aux yeux des vivants」は若干意味不明だが、要は映画の最後の一言がこれのようだった。 当初は陰惨な場面から始まるが、その後はのどかな田園風景が心を和ませる。これからクソガキ3人組の冒険ファンタジーとか、夏休みの思い出を作る物語が始まりそうな雰囲気があり、これはもしかして3人とも生き残るのかと思ったらそうでもなかった。しかし終盤ではまた花火を上げてしみじみした家族ドラマの風情になったりして、これは一体何の映画だったのかと思わせる。 一方で白魔人の場面は残虐で悲惨なのでファミリー向けとも思えない。性質の異なる2つの流れが並行する変な構成かと思ったが、これは最後に家族愛のある一家と、家族を欲しても得られない男との対比を際立たせる意図とは思われる。どちらかというと家族を欲していた男の悲哀を描くのが映画としての本筋かも知れないが、個人的には別に共感もしなかった。 そのほか背景設定に関して、例えば「ランボー」(1982)のような帰還兵の問題や、化学兵器に関わる事件がフランスでもあったのかと思ったが、実際どうなのか確認できなかった。どちらかというと化学兵器より劣化ウラン弾のイメージに近いだろうが、そのように世界のどこかで起きたことをネタにして、何らかの社会批判を込めたようでもあったがよくわからない。 いろいろ微妙なところはあるが、娯楽性の面では面白くなくもない映画だった。 その他、廃校とか廃病院でなく廃映画撮影所を隠れ家にしていたことや、「人生は映画だ」というのは制作側の映画愛の表現か。またクソガキ2人の家で見ていた白黒映画は多分「蜂女の恐怖」(1959米)である。この手の映画を愛するスタッフがいたらしいが人にお勧めするようなものでもない。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-09-14 10:31:11) |
3. 恐怖ノ黒鉄扉
《ネタバレ》 69分しかないとわかっていても、もういいからみな死んで早く終われと思っていた。点数は2点くらいかと思っていたが、終盤になって話の意味がわかって急に評価を上げた。中間部のほとんどはどうでもいいが、最初と最後がつながって効果を出している映画だった。どうしようもない俗悪映画のようでもちゃんと最後まで見なければならないということだ。 [以下説明] 英題にはApril Foolsと書いてあるが、実際は4/1ではなく12/28の「幼子殉教者の祝日」(聖イノセンテの日)を題材にしている。スペインではこの日がエイプリルフールのように嘘や悪ふざけの許される日だそうで、人型の紙を他人の背中に貼ってはやし立てるとか、他愛ない嘘で人を騙すなどして「イノセンテ~!」と言って笑う習慣があるとのことだった。この映画では、この日の悪ふざけが度を越して死者が出た事件が全ての発端だったという設定だが、人型の紙がこの日を象徴することはスペイン系の観客でないとわからないので、あまり世界向けとはいえない映画である。 また原題のLos inocentesとは “イノセンテな人々” という意味である。スペイン語のinocenteは英語のinnocentに当たる言葉で、形容詞としては「無罪の」「無実の」「悪意のない」「無邪気な」「純真な」「お人よしの」といった意味であり、また名詞として子ども・幼児を指すこともある。12/28の祝日名には名詞としての「幼子」が出ているが、原題の方は登場人物が形容詞の意味に当てはまる人々であることを意味している。こういうことも英語やラテン系言語以外の話者にはわかりにくいと思われる。 視聴時には当然ながら日本語字幕を見ていたが、原語の台詞でこのイノセンテが多用されていることに終盤で気づいた。「引っかかった、引っかかった、ホントにバカだね」のイノセンテは12/28の他愛ない悪ふざけのレベルだが、過去の事件に関して「奴らに悪気はなかった」と言った箇所でもこの言葉を使っていて、また最後の「私、何もしてない」でも「無実」という意味で言っていた(Soy inocenteか)。さまざまな意味のイノセンテにこだわった映画のようである。 これにより全体的には、ガキのやらかす凶悪犯罪を「無邪気な」おふざけとして「無罪」にしてしまう現代社会への皮肉を込めていたと取れるので、日本的感覚でいえば少年法関連の映画ということになる。ガキと違って世間一般の常識はちゃんとわかった大人が、あえて "こんなクソガキ連中は全員死刑だ" と無邪気に放言してみせた感じの映画になっていた。 ただしラストの出来事は、悪意がなければ警察が無実の人間を射殺してもいいのか、という別方向からの指摘のようでもある。なかなか考えた映画だと思った。 [DVD(字幕)] 6点(2024-09-14 10:31:08) |
4. 恐怖ノ黒洋館
《ネタバレ》 ホラーとしては、家の雰囲気や出来事に不気味さはある。しかしその辺に掲示した警句がいちいち現実化するとか、「男でも女でもない」ものが正体不明だといった個別の趣向は、物語に直接関係ないこけ脅しだったようでもある。 森のケモノに関してはストーリー上の存在意義もあったようで、終盤でドアの隙間から邪悪な目が覗いた場面はわずかながら本当に怖かった。また本編の最後に暗転したところで、黒いバックに母親の姿だけが残ったのも印象的だった。 物語としては親子の関係を扱っている。今回の件で、息子は外部とのつながりも使ってそれなりに対処できたようだが、母親の方が息子も信仰も失った後の孤独は他人事ながら切なかった。死者の魂が残っても、生者と心が通じないのではどうにもならない。 ところで全体のテーマは宗教に関することだったらしい。現地の教団は、昔の新聞では「Angel Cult」と書いてあり、集団自殺事件を起こしたとんでもないカルト教団かと思い込んでいたら、外部情報によれば死んだのは父親だけだったらしい(記事のMember'sも単数)。主人公宅が変な造形物であふれていたのもカルトだからでなく、主人公が収集したものを母親がまとめて入手したからということになる。人を集めて奇跡を起こしてみせるとか、閉鎖的なコミュニティとかはいかにも新興宗教的で怪しいが、監督の話によれば意外にも、カルトというより宗教一般(主にカトリック)を問題にしていたらしい。 宗教の意義と弊害は社会面・個人面でそれぞれあるだろうが、この映画では信仰があったために家族が解体する一方、信仰をなくしたことで母親が絶望的な孤独に陥った、という両面が出ていたように取れる。教団のいう「DESPAIR IS THE AFFLICTION OF THE GODLESS」は、母親に関しては正しかったということかも知れない。 その他のことに関して、家を売りに出した不動産屋はトロントに実在したもののようで変に現実味がある。また警備保障のサイトにつなぐと監視カメラ映像が見られるなど、古い屋敷のイメージを裏切る現代性が出ていたのは面白かった。 登場人物では、「アンナ」は真夜中の電話にもちゃんと応対する寛容で冷静な人物のようだったが、これは(元?)恋人とか友人というより医師としての職業意識からだったかも知れない。かつて宗教が果たしていた役割の一部を今は精神医療が担っていると言いたいのではないか。「アンナ」が天使だったということだ。 [DVD(字幕)] 7点(2024-09-14 10:31:04) |
5. 恐怖ノ黒電話
《ネタバレ》 地味な印象だった。サイコスリラーかと思うと心霊系に見えるところもあったが、どうせ結局全部が妄想だろうと思っていたらそうでもなく、過去からの電話という前提は最後まで通したようでもある。それで全部辻褄が合うのかわからないが考えても仕方ないということにする。 なお途中と最後に出た "Bobby Shaftoe's gone to sea" という歌はイギリス民謡(マザーグースの一曲)らしいが、どういうニュアンスでこれを出したのかも不明だった。海で死んでもう帰って来るなという意味か、生まれ変わったら結婚してやるということか。 ちなみに主人公の住所だった「Falansterio, Puerta de Tierra」とはアメリカ領プエルトリコの首都サン・フアンにある公営の集合住宅である。1937年に建設され、現在はアメリカの歴史遺産(国家歴史登録財)になっているそうなので古くて当然である。場所がプエルトリコということで屋外ではラテン系の風景も少し見えていたが、物語上の必然性があったかは不明だった。 [DVD(字幕)] 5点(2024-09-14 10:30:59) |
6. 忌怪島/きかいじま
《ネタバレ》 ホラー映画として怖いところはない。話の前提として、科学技術と心霊は「真逆にある世界」ではないということらしいがだから何だという感じである。いろいろ理解困難なところが多いが、要は島一つをまるごとデータ化して作ったVR世界が「あの世とこの世」の出入口になってしまったということか。鳥居はどっち側のものかとか、この人物はこの時点でどっちにいるのかといった謎解きの仕掛けがあるかも知れないが、どうせわからないので考えるのは放棄した。 ただ少なくとも島の名前が「境島」なのは2つの世界の境界という意味と思われる。最後に2人(+1人)がフェリーで出て行ったのは、国内他地域の言い方だと補陀落渡海のようなものだろうが、撮影地の言葉でいえばネリヤカナヤに向かっていたのであって、それは死後の世界または理想郷(死んだ父親のいる場所/主人公の望むべき世界)なのかとは思った。 その上でさらにホラー要素として撮影地で実際に伝わる呪いの伝承をからめた形だが、複数要素の接合によってまとまりのない印象になっているのは前作などと同様だった。当然ながら物語として共感できるものもない。 その他個人的な感覚として、何とはいわないが非常に嫌な感じの成分が全編にわたって含まれている気がしたが、あくまで個人的な感覚なので他の人々が何とも思わなければどうせ意味はない。 登場人物に関しては、最初に伊藤歩さんが重要人物っぽく出たので期待したがすぐ顔が見えなくなってしまった。村シリーズのレギュラーだった「秋奈」は突撃YouTuberを卒業してしまったらしい。個人的には見どころが多くなかった。 [インターネット(邦画)] 3点(2024-01-06 10:14:49) |
7. 禁じられた歌声
《ネタバレ》 アフリカのマリ共和国にある世界遺産の町トンブクトゥを舞台にした映画である。撮影は郊外も含めて、現地に比較的近い隣国モーリタニア国内で行われたとのことで、監督はそのモーリタニアの生まれだそうである。 歴史的には2012年からの「マリ北部紛争」で武装集団が現地を支配下に置いた時期のことであり(※図書紹介「アルカイダから古文書を守った図書館員」)、この映画でも武装集団の構成員の出自や信仰の程度、及び支配言語がフランス語だった地域にアラビア語が入り込もうとする様子が見えている。またこの紛争には外来勢力のほか国内遊牧民の集団も関わっていたが、その遊牧民の個々の人を敵視すべきでないとの雰囲気も出ていたかも知れない(主人公一家と運転手)。 宗教の関連では、この映画の立場として信仰それ自体は否定していない(モーリタニア・イスラム共和国政府が協力しているので当然)。姦通での石打ち刑はあったが極端に残酷な場面はなく、主に音楽・サッカーの禁止や服装制限など、自由度の高い社会なら普通に理不尽に思われることを見せている。基本的には原理主義を批判しているのだろうが、ほかに結婚の強制など女性関係の問題が出ているのは西側自由世界へのアピール狙いのようでもある。 前掲書によれば「ここは1000年も前からイスラムの都」であり、「敬虔なイスラムの伝統」と「芸術と科学に彩られた文化」が併存して来た土地だったが、歴史上は「開かれた寛容な時代のあとには不寛容と抑圧」も度々あったとのことだった。この映画の出来事も、そういう歴史の延長上にあることを表現していれば厚みも出ただろうが製作上無理か。 その他雑記として、このあと2013年にはフランスが現地に軍事介入して原状を回復したとのことで、この映画でも最後に正義の軍隊が登場して人々を救うのかと思ったが出なかった。最近はこの周辺へのフランスの関与も弱まってきたようで、2022年にはマリ、2023年には隣国ニジェールから駐留仏軍を引上げ、一方でマリと隣国ブルキナファソではロシア勢力(ワグネル)の浸透を許しているとのことだった。 なお武装集団の車の後部にわざとらしくTOYOTAと大書されていたのは、1980年代の「トヨタ戦争」などでトヨタ車が各種武装勢力に愛用されてきたことの反映と思われる。優れた民生品が軍事転用されることに無策との批判かも知れないが、劇中の武装集団は具体名を出さないのに(旗だけ)トヨタだけ名指しで糾弾しているように見えるのは、何かトヨタに悪意でもあるのかと思った。 [インターネット(字幕)] 5点(2023-11-25 15:37:48) |
8. 漁港の肉子ちゃん
《ネタバレ》 人に勧められたので見たが、勧めたくなる気持ちはわかった気がする。子どもの生育過程に必要なものを惜しみなく提供する人物像と、自分の存在を肯定できた子どもの姿に反感を覚えそうな人々は見ない方がいい。 事前に絵面を見た限りでは、こんな人物が近くにいれば煩わしい(暑苦しい)だろうとしか思わなかったが、実際は意外に嫌悪を感じさせないキャラクターができている。また映画紹介を読むと社会性が強そうで敬遠したくなるが、見れば意外に嫌味を感じない。暗い場面や寒そうな場面もあるが基本は陽性の物語であって、ちゃんと笑わせて泣かせる作りになっているのはさすがと思わせる。登場人物は年齢性別境遇が自分と違うので直接共感する立場にはないが、問答無用で感情を動かされるものがある。 またアニメらしいファンタジックな作りで可笑しみを出しているのは楽しめる。かつて死ぬ気で働いたという仕事が奇怪なキノコの収穫だったのは子どもの想像の世界だからということか。またその辺の生物とか神社が言葉を発するのも文学少女的な性格の表れかと思うが、あからさまに人の声を当ててしゃべらせていたのが変でユーモラスに感じられる。お嬢様風の同級生の自宅が領主貴族の居館のようだったのはふざけすぎだ(笑)。 主人公の少女は小学5年生の割に達観したところがあり、これは遺伝的資質のせいかも知れないが反面教師が側にいたからとも思われる。またその反面教師の人徳のせいか、頼れる人物のいる生活環境ができていたのも救われる。親はなくても愛はある、ということも含めて、不遇なようでも実は幸運のもとに生まれた子どもだと思っていいかも知れない。 最後の出来事はどう評すべきか困るものもあるが、少なくとも事前にちゃんと祝いの品が用意されていたという点は感動的で、これは神様の特別な計らいだったと取れる。劇中人物の好みそうな品で2人を祝福しようと企んだらしく、エロ神社といわれていた理由は説明されていなかったが、特に女性を贔屓する神様だったからだと思っておく。 [インターネット(邦画)] 8点(2023-10-14 17:01:44) |
9. きさらぎ駅
《ネタバレ》 今どきまた「きさらぎ駅」など持ち出して来たかと思ったが、話によれば今でも人気の都市伝説として扱われているとのことで、舞台とされた遠州鉄道でも迷惑がらず営業に生かしているらしい。郊外の撮影は別の鉄道会社の駅を使ったそうだが(上田電鉄別所線八木沢駅)、遠州鉄道に関しては政令指定都市の都市内交通の印象を出していて、新浜松駅近くの超高層ビルも見えていた。 もともと単純な話なので、この映画でも原話の各種要素をほとんど取り入れた上で登場人物も増やしている。それでも単純すぎて映画にならないので、後半を探求心旺盛な大学生による実地検証パートにしてサイズを倍加している。都市伝説の真否を探るなど民俗学でやることかと思うが、「異世界エレベーター」という別の話と組み合わせての解釈は、民俗学というより都市伝説自体の愛好者だからこその発想と思われる。実際そういう学生も多いだろうという気はする。 物語としては、最後に少し捻ったところはあるが軽い感じで、エンドロール後の追加場面も含めてあまり深みは感じない。しかし難解ならいいわけでもないので、劇場公開映画として多くの人々が楽しめるようまとめたのは制作側の見識と思われる。 なお原話のイメージと全く違うのは現地がほとんど昼間だったことだが、これはどうせ異世界だからどうでもいいということなのか。一回目は映像を青くしてお手軽な異界感を出していたが、二回目になるとそれはなく、一方で場面ごとに天気が全く違ったりして、これは同じような風景を二度見せないこだわりがあったのだと思っておく。 キャストに関して、恒松祐里という人は今どきこんな映画で映画初主演だそうで、「くちびるに歌を」(2015)などは主演でなかったのかと改めて思った(本当の主演が誰だか忘れた)。本田望結という人は個人的には久しぶりに見たが、2004年生まれなので原話の発祥と同年ということになる。また「牛首村」(2021)で見た莉子という人も出演していたが、あまり可愛く見える場面がないのは残念だ(地は可愛い人だ)。 永江監督に関しては、「真・鮫島事件」(2020)に続くネット発祥怪談の映画であり、本当にこういうのが好きでやっているように見える。ちなみに助監督は「廣瀬萌恵里」といういかにも若そうな名前の人で、主人公と似たような趣味だから手伝ったのかと勝手に思ったら違うようだった。美大を出て少し経ったくらいの人らしい。 [インターネット(邦画)] 5点(2023-01-07 13:37:38) |
10. 金門島にかける橋
《ネタバレ》 1958年の「金門砲戦」を題材にして、当時国交のあった中華民国の映画会社と日活が共同製作した映画である。 ちょっと深刻味のある恋愛ドラマ程度かと思って見ていたが、「中華民國國軍」が協力しただけあって意外に戦闘場面の扱いが大きい。高雄から金門島に向かう艦船は結構な大艦隊のように見えたが、そこへ中共軍の砲撃や航空攻撃があって、やたらに水柱が立ったりして登場人物が危険にさらされていた。ちなみに5隻くらいいた背負い式の単装砲の戦闘艦は、アメリカに貸与されたベンソン級かグリーヴス級の駆逐艦かと思った。 本筋の恋愛物語については微妙だったというしかない。日本側ヒロイン役の芦川いづみという人は個人的に馴染みがなかったが、笑顔の口元に可愛らしさのある人だと思った。中華民国側ヒロインは怖い顔の場面が多かったが、脚がすらりとしてきれいなのはさすがと思った。 当時の国際情勢を背景にした映画のため、当然ながら現在とは世界観が違っている。中華民国側の人物が日本語を話すのは日本統治時代の影響かと思えばそうでもなく、ヒロインの養父は戦時中に日本と戦った大陸出身者だった。また島の人々が自分らを「中国人」と言う場面があったのは、中華民国=中国だったので当然としても、現在のような台湾アイデンティティとは無縁な世界と思わせる。それは金門島という場所柄(台湾省でなく福建省)からしても当然か。 戦って故郷を取り返したいと願う人物に対し、戦争以外の方法は考えられないのか、と主人公が言ったのは戦後日本的な平和主義だろうが、実際はその後年数を経て両岸の往来も容易になったので、結果的に主人公の願いが実現したとはいえる。しかし現実問題として平和を願えば平和になるわけでもなく、次にまた何かあった時は日本も他人事としては見ていられないという気にはなる。 その他の事項として、劇中出た「そうじゅうせつ」とは重要行事らしいが何なのかと思ったら、中華民国の建国記念日である「双十節」だとわかったのは少し勉強になった。 またこの映画とは別に少し前、日本の高校のマーチングバンドが台湾に招かれて大歓迎されたという記事をネットメディアで見た気がしていたが、これも実はこの記念日のゲストとして参加したのだそうで(2022/10/10)、日本と台湾の友情のかけ橋として期待されていたらしい。何か大昔の映画を見たような気がしていたが、現在にちゃんとつながったのが意外で少し感動した。 [インターネット(邦画)] 5点(2022-12-03 12:00:47) |
11. 吸血怪獣 チュパカブラ
《ネタバレ》 配給会社によればグロテスク・ホラーだそうだ。チュパカブラとは南米で有名なUMAらしい。 原題は「チュパカブラの夜に」であって、午後に始まり翌日の朝で終わるが、その間の一晩に壮絶な殺し合いがあって登場キャラクターがほとんど死滅する。動物の死骸とか緑色の吐瀉物とかシチュー状の血液とか人体損壊とか内臓を焼いて食う(肝臓か)とか汚い・グロい場面が多いので、苦手な人は見ない方がいい。 話としては人間同士が延々と殺し合うだけで怪物は脇役のようでもあり、そこに貧相な殺人鬼まで絡んで来るのでまとまりなく見える。しかし本筋に見える家族間抗争と怪物が全く関係ないわけでもなく、さらに例えば今回帰省した男が、怪物の出現を含めた全ての発端に関わっていたと思うべきではないかという気もしたが、考えるための材料が揃っているかいないかわからないので面倒臭い。実際それほど暇でないので未解明で放棄する。 なおチュパカブラは最初の目撃例が90年代でわりと新しいものらしいが、この映画の時代設定は現代というより近代のように見える。あえて昔の話にした意図もわからないが、昔はこの程度のことはよくあった、という雰囲気は出ていたかも知れない。今はないともいえないだろうが。 その他の事項について、 ・エスニック調のテーマ曲が特徴的だが、軽薄なBGMがうるさいところがある。 ・チュパカブラは昭和の仮面ライダーに出た怪人のようで、着ぐるみの人間が中腰になってケモノらしく見せようとするのが間抜けくさい。 ・唐突に出た殺人鬼は役名が「Velho do Saco」(袋の老人)になっている。これはもともと悪い子を袋に入れてさらって行く怪人のことで、英語でいうブギーマンと同様に、聞き分けのない子を親が脅す際に使う言葉のようだが、それをこの映画では下世話な感じでリアル化してみせたらしい。本筋と関係あったのかはわからない。 ・動物の死骸が目立つ映画だが、エンドロールでは“撮影中に動物を虐待したり怪我をさせたりすることはありませんでした”(Nenhum animal foi maltratado ou ferido durante as filmagens)と書いてあり、本当はどうだったか別として一応気を使ったようには見せている。カエルは殺されなかったので無事かも知れない。 [インターネット(字幕)] 4点(2022-08-27 10:07:07) |
12. 君のためのタイムリープ
《ネタバレ》 邦題の「タイムリープ」からすると時をかける少女かと思うが、台詞によれば「ターミネーター」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だそうで、全体的には後者に近いが邦題の「君のための」は前者のイメージである。2017年で38歳の男が20年前の高校時代に戻る話になっている。 原題の「帶我去月球」(Take Me to the Moon)は張雨生というシンガーソングライター(1966~1997)の楽曲名で、劇中年代もこの人物が事故で死去した年に合わせている。仮にその事故がなければ映画のストーリーは成り立たなくなるが、それでも主人公が無理に警告しようとした姿に結構心を打たれたことからすれば、当時の若者にはこれがかなり衝撃的な事件であって(日本でいえば尾崎豊?)、観客の心情にも訴える場面だったのかと逆に思わされた。 ほかにも当時の社会描写らしいものが多く、登場人物と同じ30代末期にかかる人々が、自分の青春時代を回顧する映画かも知れない(よくあるタイプの)。 物語としては主人公の男が、自分の恋した相手が死ななくて済むよう過去を改変する話である。最初はとにかく死なないことだけ考えていたが、結果的には単に死なないだけでなく、相手の人生が輝く未来が実現でき、ついでに自分の未来も輝かそうと決意したということか?? よくわかっていないが悪くない話ではあった。 日本との関係では、冒頭いきなり日本語で始まるのは「悲情城市」か「海角七号」かと思わされる。1997年時点では日本の存在感が変に大きく、それはかつて文化面でも日本が台湾をリードしていたということだろうが、ラストの段階ではすでに台湾が台湾自身の安室奈美恵を生み出しており、若くして没したアーティストの後を引き継いでいたらしい。エンドクレジットに「特別感謝 魏德聖」とあったことから想像すれば、日本から受け入れたものと、台湾が生み出したものの融合が表現されていたとも取れる。 出演者として、宋芸樺 Vivian Sungという人は今どきまだ高校生役なのかと思ったが、18~35歳を幅広くカバーできる役者という意味なら変ではない。高校時代と現在が同じ演者なのは「私の少女時代」よりも著しい改善点といえる。今回は歌がうまいので感心した。 また「まるで男」と言われていた「小八」役は、「屍憶」で童顔が印象的だった嚴正嵐 Vera Yenという人である。中学生にも見える容貌だが弁護士志望という役柄は悪くない。今回はバンドでドラムを叩いていたのが目を引いた。年齢不詳のユニークな女優(兼シンガーソングライター)のようで好きだ。 [インターネット(字幕)] 6点(2022-04-30 13:59:22) |
13. 今日もわれ大空にあり
《ネタバレ》 戦時中は海軍航空隊にいたという古澤憲吾監督が、「青島要塞爆撃命令」(1963)に続いて撮った飛行機映画である。時代的には「ゴジラ」(1954)で鮮烈デビューした(ただしミニチュア特撮)航空自衛隊のF-86戦闘機が早くも引退の時期にかかり、新鋭のF-104戦闘機に主力の座を譲ろうとしていた頃の話である。 実際にF-104が出るのは序盤と最後くらいのもので、ほとんどはF-86ばかりだが、円谷特撮ではなく実機映像が基本なので迫力がある。ほかに隊長機・訓練機としてT-33練習機も見えており、また極端に古風な黄色いプロペラ機が出ていたのは、戦前から世界的に使われていたT-6練習機というものらしかった。 本編は序盤からブルーインパルスなみ(乗員は多分本物)の曲技飛行で始まるので見とれてしまう。しかし劇中の隊員があまりに放埓でいい加減な連中で、こんな映画を許容する航空自衛隊は大らかなものだと思わされる。途中の訓練では何を訓練していたのかよくわからず、最後だけ必然性もなく無理やりな緊迫場面で盛り上げていたが、結局単なる根性論で終わったようなのは残念感があった。あるいはこれが「勇猛果敢・支離滅裂」といわれる航空自衛隊気質の表現だったのか(違うか)。 ドラマとしてはパイロットの人間模様も入れていたが、恋の結末に関しては全く納得できない。キャストとしては夏木陽介+星由里子で順当だとしても、こんなパワハラ気質+男尊女卑の旧人類で大丈夫なのかと花嫁が心配になる。結婚式ではとんでもない大失言をしていたが、本人は失言とも思っていないだろうからどうしようもない。 まあこの時代の大衆娯楽映画としてはこれで普通なのだろうが、それよりF-86映像が満載という点が最大の価値ではある。ラストの場面では、F-86の限界をこえて高く上昇するF-104が新しい時代を表現していたようで、お勤めを終える飛行機も人もお疲れ様でしたと言いたくはなった。 ほか個別事項としては主に最年少の三尉との関係で、自分で自分を縛らず自由になれということが語られていたようで、日記をやめろという端的なアドバイスは新鮮な気がした。また隊長の戦時中の話は残念なことだったが、その娘が父親を大事にしろと言われていたのはちょっと泣かせる場面だった。ちなみにどうでもいいことだが、農家の庭にニワトリがいるのはいいとして、屋内にまで1羽入り込んでいたのは気にしないのが普通なのか。 [雑記] 劇中飛行隊が九州まで遠出した場面では、途中で日本各地の空撮映像を見せていたが、その中で見えた「若戸大橋」(北九州市)は、この映画と同年の東宝映画「宇宙大怪獣ドゴラ」(夏木陽介主演)で怪獣に破壊されてしまっていた。その映画にもF-86が出演している。 [DVD(邦画)] 6点(2022-01-01 10:53:42) |
14. 吸血鬼ノスフェラトゥ(1922)
《ネタバレ》 まず題名は、今となっては使い古された感のあるドラキュラよりも得体の知れない不気味さがある。またその語義の「不死者」というのも、「吸血鬼」よりかえって根源的なものの表現に思われる。ちなみにうちに取ってあった91.7.23の新聞の切抜きによると、ルーマニアで一度埋葬された71歳の男が蘇生して運よく掘り返してもらったが、自宅に帰ったところ家族が恐れて家から締め出されたという出来事があった(ロイター=共同)。ルーマニアでは89年まで独裁者のチャウシェスク政権が続いていたが、その間の社会主義体制下でもずっと不死者というものが恐れられていたのかと当時思った。 本編に関して、自分が見たのは「アメリカンバージョン」だそうだが(64分)、全体的には原作を大まかに簡略化したようではある。 たまたま新型コロナウイルス感染症の流行下で見たわけだが、この映画も終盤が感染症映画のようになっていたのは意外だった。しかし外国から来た船が災厄をもたらすということ自体、原作段階でも疫病のイメージだったかも知れないと思わされるものはある。吸血鬼の犠牲者がまた吸血鬼になるというなら感染症にも似ているわけだが、この映画ではそういう伝染性の設定は特になかったらしい。 なおネズミが棺から湧いて出ていたのは面白かった。今ならコウモリが宿主という設定でも通用しそうだ。 映像面では、伯爵の姿がなかったところに現れてからまた消える、といった特殊効果を見ると、映画の歴史の初期からこういうことが試みられてきたのだとは思わされる。しかし技術的な制約があるのは仕方ないにしても、昼夜の区別がわからないのはさすがに困った。伯爵が出た場面は全部夜だったのだろうが、ほとんど真昼間にしか見えないのは開き直りのようでもある。日中に棺を自分で抱えて歩く姿は格好悪かった。 ホラーとしても正直それほど怖いところはなかったが、ドアを開けたら廊下に立っていたのと、向かいの建物の窓際にいた場面は少し気味悪い。こっちが気づく前から相手はずっと見ていた、という状況は怖いかも知れない(例:部屋の中でネコがどこにいるかと探していたら向こうは最初からこっちを見ていたなど)。ほか参考文献によれば終盤にエロい場面があるとのことだったが、実際はそのように見えなくもないという程度だった(そんなところを触るなとは言いたくなった)。 現代人の立場で褒めるにはちょっと厳しい映画だったが、名匠の作とのことで最低限の敬意を表した点数にしておく。なお主人公の妻がネコを構っていた場面は和んだ。 [DVD(字幕)] 5点(2021-09-11 09:34:59) |
15. きばいやんせ!私
《ネタバレ》 九州最南端の南大隅町にある「御崎祭り」を題材にして、祭りの再興と、主人公である不倫女子アナの再出発を重ねた映画である。 冒頭の「大怪獣ガメラ」は笑った(「小さき勇者たち ~ガメラ~」(2006))が、あとは笑わせたいのか何したいのかわからない地味な雰囲気で進行する。抑制的に見えるのはいいとして、かなりの時間にわたってどの登場人物にも共感できない状態が続くのはつらい。中盤の展開もいい加減な印象だったが、そもそも女子アナの心情など思いやる気にもならず、最後の心機一転も当該個人の問題なので自分として喜ばしいとも思えなかった。 地元振興という面からいえば、劇中の安いTV番組など大した役にも立たないだろうと思っていたが、実は地元民もその程度の認識だったようで、結果的には和牛日本一の方が重く扱われていた。また自称映画プロデューサーの顛末を見れば、TVだけでなく映画なども当てにはできず、さらにいえばこの映画自体に関しても、一応まともに完成はしたが本質は同じと取れる。要は、TV番組や映画など何かのきっかけくらいにはなるかも知れないが、本当に大事なのは人間の底力だ、と言いたかったのなら確かにそうだと納得できる(主人公のドラマとしても同様)。よくある地域おこし映画のようでいながら、上辺を飾らず本音を通した点ではいい映画だった。 個別の場面では「責める価値もない」という突き放した言葉が出たところが好きだ。豚舎が臭いという正直な台詞も綺麗事排除でいいことだが、しかしそもそも外部の人間をやたらに入れるなとは言いたくなった。 出演者としては夏帆が出ているから見たわけだが、劇中人物としては最後まで嫌な奴だったので見た意味がない。一方で太賀という役者は、最初の場面ではこんな男だったか?と思ったが、最終的には外見的にも性格的にも人が違ったように見えたのが面白い。要は序盤の軽薄で上滑りする感じの態度は彼なりの防御姿勢の表現だったようで、個人的にはここが人物描写での見所だった。 なお南大隅町は食堂経営者役の愛華みれという人の出身地だそうである。自分も昔、佐多岬まで行こうとしたが遠いので途中で断念した覚えがあるが、映画の時点でもまだ現地にはコンビニもないとの話が出ていた。ただ少なくとも2021年現在では大手チェーンの店舗もあるようなので、東九州自動車道のおかげか何かで交通の便はよくなっているのかも知れない。 [インターネット(邦画)] 4点(2021-08-21 08:48:27)(良:1票) |
16. 今日も嫌がらせ弁当
《ネタバレ》 高校生のために弁当を作り続ける映画は「パパのお弁当は世界一」(2017)も見たので、個人的にはまたこれかという印象だった。しかしこの映画も原作者に当たる人物の体験をもとにしており、映画としては二番煎じでも全く別の話ということになる。劇中に出ていた弁当を本当に一生懸命作っていた人がいたというだけで和まされるものがあり、嫌がらせというよりも、ふざけたことを大真面目にやってみせるのが好きな人物が娘にじゃれついていたようでもある。ちなみにこの後に「461個のおべんとう」(2020)というのもあったようで、なぜか弁当映画が乱立している。 八丈島は実際に原作者の居住地とのことで、彩度が高めの明るい色調で島の風景を見せている。特に説明はなかったが、結構しつこく八丈小島(今は無人島)を映しており、また「八丈島のキョン」(特定外来生物)らしきものも出ていた。船は主に東海汽船の「橘丸」が見えていたが、ほか何気に青ヶ島行きの「あおがしま丸」も映っていた。 ストーリー的なことは実はよくわからなかった。キャラ弁なるものに関して否定と肯定が繰り返される展開に見えたが、弁当だけでは本当に嫌がらせになってしまいそうなところ、それとは別に心を通わせる機会を持ったことで真意が伝わったと思えばいいか。 またシングルファーザーの存在も半端な気がした。途中段階では一人親が孤独に頑張ることの限界を語っていたようだったが、その上でのご対面は、この先母親が助言者からパートナーの立場に発展していく予感の表現か、または人生まだまだ何が起こるかわからないという程度の緩い期待感か(なぜか娘の就職先の近所にいた)、あるいは単なるサービスカットのようなものか。少々困惑するラストだった。 特に絶賛する気にはならなかったが、実物をもとにしたという独創的な弁当を見て笑っているだけでも一定の面白さがある映画ではあった。なおネット上に原作者の顔写真も出ていたが、なるほどこういう感じの人がやっていたのかと納得した。 出演者に関して、芳根京子という人は今どき高校生役かとは思ったが、もともと可憐なタイプなので高校生に見えなくもない。また友人筆頭役の山谷花純さんは、「劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-」(2018)で頭を丸刈りにしてから、少し髪が伸びてベリーショートの状態だったのがなかなかキュートで面白かった。 [インターネット(邦画)] 5点(2021-04-03 10:50:45) |
17. 恐怖と戦慄の美女<TVM>
《ネタバレ》 原題によれば恐怖の3部作である。邦題の美女とは3部作全てで主演しているカレン・ブラックという人のことで、原作は全て作家のリチャード・マシスン(地球最後の男/アイ・アム・レジェンドなど)である。 以下個別に書く。 【ジュリー】 外見は地味だが中身は違うと妄想するとか、隠されたものを自分は見抜けると思い上がってしっぺ返しをくらう話とすればわからなくはないが、ドラマとしての展開が唐突過ぎて説明不足である。序盤のわざとらしいチラ見せはいいとして、ほかに何か変な超能力でも使ったということなのか。アメリカ社会に隠れ住む魔物(witchか吸血鬼か)の魔力のせいだとすれば単純なヒトコワ系でもないのかも知れない。 【ミリセントとテレーズ】 オチが早いうちにわかってしまうが、結末に呪いが絡んで来るのが若干の工夫か。相手の持ち物を人形に入れて針を刺す、というのは日本でも親しまれている手法と思ったら、もとはブードゥーの魔術ということらしい。個人的には妹の容姿に嫌悪を催した(近場にいる実在の人物を思い出した)ので、妹を嫌う姉の気持ちはわかったとはいえる。ただし26歳というのは無理があるのではないか(演者は当時35歳)。 【アメリア】 呪いの人形が襲って来るだけの話で、最後がどうなるかは宣伝写真で思い切りネタバレしている。人形は顔にインパクトがあるが、骨董屋で発見したというには小奇麗な造形物だった。国内向け解説ではこれもブードゥーの呪いと書いてあるが、ズーニ族というのは実在のアメリカ先住民ではないか(民族差別だ)。ドラマ的には母娘の関係破綻というのはわかるとして、最後が何でこうなるかは不明だった。主人公は人形を気に入って何気に抱っこしたりしていたので、最初からそういう素質はあったらしい。 前の2つは最後のオチで勝負の小話だが、現世的な怖さだけでなく、超自然的な要素が微妙に入っているのが半端な感じだった。また最終話は「チャイルド・プレイ」という映画の元ネタかと噂になっているようで、これがこの3部作の最大の見所になっているらしい。 主演の人が地味だったり凶悪だったり様々な顔を見せるという企画だったようだが、個人的にはあまり好きになれない3部作だった。昔のTVドラマということもあるだろうが少々かったるい印象である。主演の人も外見的に好みでない。 [DVD(字幕)] 4点(2021-01-23 08:59:09) |
18. 奇々怪々譚 醒めない悪夢の物語
《ネタバレ》 全8話のオムニバスホラーである。以下個別に書く。 ①年取ってこうなったら怖いかとは思った。物悲しい。 ②オチ付きの小噺。ヒトコワ系だけかと思っていたら違った。 ③東京の安い一軒家は事故物件だろうという安易な予想が覆される。集合住宅に住めない理由はそれだったかと納得させるオチ。怪しい声がいい。 ④ラストは面白くないがそれほど悪くない。確かに、ユーズド商品として売っている古本など、こういう経過で市場に出たものではないかと思うことはあった。 ⑤第5話に至って初めて女性の俳優が出る。私事になるが、実は女性専用とされる掲示板サイトを時々見ることがあり(書いてはいない)、そこで「生霊を飛ばす」という表現が時々使われるので、そういう話かと思ったがそうでもない。その女性専用サイトには明らかに男が入り込んでいて嫌われているが(おれは書かない)、わざわざ女子だけの中へ紛れ込もうとする男の心情に通じるもののあるオチかとは思った。ただし面白くはない。 ⑥コーヒーを含めた総称として「お茶」ということは自分もあるので、その点だけは彼氏に共感した。それより彼女が発言しようとする顔に結構注目してしまう。表情に影が差していたのが輝きに転じるのもいい。これは結構好きだ。 ⑦川ゾンビと川テトラポッドと川河童(普通に河童)が語られる。何を探しているかわからない男が出たので、むかし読んだ夢に関わる非常に嫌な感じの怪談を思い出したがそれとは違っていた。二段階のひっくり返しは悪くなく、「めっちゃ恥ずかしい」の隣で時が止まったような男の顔も悪くない。これもいい方。 ⑧普通に怪談。 見ていると変な方向に発想が飛ぶが、結果的には違っていたという感じの意外性はある。また音の使い方が特徴的と思うところもある。いかにも低予算だが面白いところもあり、時々ある低劣オムニバスホラーよりはよかった。 なお各話冒頭の「こんな悪夢を見た」は、どちらかというと夏目漱石「夢十夜」の「こんな夢を見た」から直接取ったものではないかと思った(8話しかないが)。最初から夢オチ宣言かと思ったが、副題で「醒めない」とすることで現実との連続性を確保する微妙な戦術らしい。 [インターネット(邦画)] 5点(2021-01-09 13:52:55) |
19. 吸血ゾンビ
《ネタバレ》 今のゾンビよりも本来の姿に近いものらしい。原題のplagueは疫病を思わせるがウイルス性ではなく、ちゃんとブードゥーなるものの儀式で一体ずつ作っていく形になっている。邦題の「吸血」は実際にはないが、呪いをかけるのに血液を使うところはあり、また墓から出るのが吸血鬼ドラキュラのイメージではあるかも知れない。 なるほどと思ったのはゾンビの製造に実利的な目的があったらしいことである。安価な労働力と思ったとすれば悪徳資本家というしかないが、しかしあらかじめ持っている人形の数しかゾンビが作れないのでは限界がある。また目をつけた美女を自分のものにするために人形を使っていたらしいのは資源の無駄というか悪趣味というしかない。 物語としては、一応ちゃんと作っているようだが何となく回りくどく、終盤の展開も手が込んでいるようだが若干面倒くさい。しかし今回のヒーロー役らしい老教授の場面では、娘の尻をどけようとするとか皿洗いとか少し笑わせるところもあり、また墓を暴いた場面で警官も一緒になってのビックリ感は少し印象的だった。最後は教授の娘が若い医師の後妻に入りそうな雰囲気もあったので、どさくさ紛れに親友の夫を横取りしてしまう物語のようでもあった。 登場人物としては、次回作の「蛇女の脅怖」(1963)にも出るジャクリーン・ピアース嬢が可憐な感じで心に残る。顔は青くなっても瞳は大きいままで可愛いゾンビだった。 ほか勉強になったのは、イギリスのコーンウォールという地方が錫(Sn)の産地だったということで、2006年には「コーンウォールと西デヴォンの鉱山景観」がユネスコの世界遺産に登録されている。劇中年代としては自動車もなく電気も通じていないようだったので19世紀のうちかと思うが、その頃すでに鉱山の衰退期に入っていたことを採掘場の廃墟が象徴していたようでもあった。 もう一つ余談として、ここに書く必然性はないが毎度思うのは、最初から火葬にする風習がある場所ならこの手のゾンビも吸血鬼も問題化しないだろうということである。キリスト教の神は全能なので、死体があろうがなかろうが復活させてもらえると思っては駄目なのか。 [DVD(字幕)] 5点(2020-11-21 14:20:18) |
20. 京城学校:消えた少女たち
《ネタバレ》 戦前の日本統治下での女子寄宿学校の話である。邦題は原題の直訳らしい。 題名によれば場所は京城だが、実際はほとんどが山中の学校で展開する。禁断の園のような場所に制服の美少女??たちがいて、いわゆる“少女の肢体”的なものも見えるが演者はほとんど20代だろうから特にロリコンじみてはいない。いわゆる百合要素もあるがグロ場面も結構ある。 部分的にはホラーっぽく見えるが実際はホラーでもなく、主に中盤から提示される謎をめぐるサスペンス展開になるが、最後はまたぶっ飛んだ感じで終わってしまう。発想としてはありきたりで驚きも何もないが、しかし古い洋風の学校を舞台にした陰惨なサスペンスの雰囲気は悪くない。映像面では、白と赤の対比に隠微で重層的な意味が込められていたように見えた(性的かつ侮日)。 ほかにこの映画で何か言いたいことがあるのかはよくわからなかった。まずは人類史上最も残酷といわれる植民地支配の非道を暴いたようではあるが、出来事があまりに荒唐無稽で非現実的なため告発にも糾弾にもなっておらず、単にいつでもどこでも便利に使える悪役としての日本が出ていると思ってもそれまでである。ちなみに劇中の軍人は日本語が得意でなかったようで、実は日本人でなく現地出身者だったと思っておく(朴正煕元大統領のような)。 その一方、なぜか劇中人物の間では東京に行きたがる風潮があったらしく、なんで憎むべき日本へわざわざ来たがるかと思うわけだが、校長に関していえば“ウンザリする朝鮮を抜け出したい”というのが本音だったようである。これがいわゆる「ヘル朝鮮」(헬조선)のことだとすれば、昔の話のようでも実は現代の自国の問題に触れた映画だったとも取れる。 主人公と親友は東京というより海に行きたかったようだが、実際は近場の池で間に合わせていたのが閉塞感の表現とすれば切ない。最後に2人で家へ帰ろうと言っていたのは地元回帰というより諦念の現れなのか、また過去の少女が英語の歌を聞きたがっていたのは本来もっと広い世界への憧れがあったようでもあるが、外国映画なので読み取りがなかなか難しい。 キャストに関して、主演のパク・ボヨン(朴宝英)という人は、日本人の立場からも親しみやすい可愛さがあって嫌いでない。ただし1990年生まれとのことで、この映画の時点では少女ともいえないのを童顔でごまかしていたようである。またその親友役のパク・ソダム(朴素談)という人は現地風の個性的な容貌だが、最近では「パラサイト 半地下の家族」(2019)にも出たようで存在感のある女優らしい。 [DVD(字幕)] 6点(2020-04-25 08:54:30)(良:1票) |