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1.  クレイマー、クレイマー 《ネタバレ》 
お父さんとお母さんどっちが好き?と人に訊かれたら、私は迷うことなくお母さん!と答える子どもだった。父は毎日仕事で忙しく、顔を合わす機会も母と比べると極端に少なかったからだ。おまけにあの頃の父は、照れくささからなのか父親としての威厳を保つためなのか、わが子と親密なコミュニケーションをとるのが途轍もなく下手くそな人だった。そんな父の書斎の本棚にこの映画のパンフレットが大切に収められているのを見たのは、たしか小学生の頃だ。それ以来何度かテレビ放映を観逃しているうちに、私はいつしかお涙頂戴映画には拒絶反応を示すような生意気な十代になった。つまりこの映画は私にとって観る価値のないものとなったのだ。それ以来レンタルビデオ屋に行っても何百回と当たり前に素通りしてきた本作のDVDを、先日なぜか仕事場で貰うという奇妙な機会に恵まれた。そして観た。やはりお涙頂戴映画だった。私は泣いた。ダスティン・ホフマンにでもメリル・ストリープにでも可愛い金髪の子役にでもなく、この映画のパンフレットを東京の映画館から後生大事に持ち帰っただろう若き日の父に、泣いた。父は今も健在だ。だが父に似て親密なコミュニケーションをとるのが途轍もなく下手くそな人間に育った私は、このことを当の父には話せずにいる。父と子の関係なんて、たぶんそんなもんだ。だけどどれだけ照れくさくでもそれでも、そこにはちゃんと愛がある。お父さんとお母さんどっちが好き?と人に訊かれたあの頃、少しくらいは迷っておけばよかったなと、大人になった私はなんだかバカみたいだけれどそんなことを思った。
[DVD(字幕)] 7点(2010-07-22 17:23:29)(良:3票)
2.  空気人形 《ネタバレ》 
吉野弘の詩「生命は」に併せて是枝裕和監督が描くのは、心を宿した空気人形と、心を持つがゆえに空っぽな人間たちの姿だ。詩が謳うように、生命はその内にあらかじめ欠如を抱き、かつ自分自身では完結できない不十分な存在だ。その欠如を満たしうるのは、花に訪れる虻や風、つまりは他者だ。だが、空気人形の持ち主である中年男は頑なに「他者」を拒む。はなから面倒な心など持たない道具だからこそ彼女を選び、そして文字通りの自慰行為により、空っぽを満たそうとする。過食症を患う若い女も、若さを失う恐怖に憑かれた中年女も、同様だ。失った妻と幼い娘の密かな思い出(映画『リトル・マーメイド』)を自分も識ることで、耐え難い欠如を満たそうとする父親もそうだ。彼らは自らの心が抱える欠如を他者が満たすなどとは、ゆめゆめ思わない。他者を拒絶し、不毛な自家受粉に励むばかりだ。そんな中、件の詩を彼女に教えた老人だけが、空気人形を価値ある他者として受け入れる。彼は、心ない子どもが「冷たい」からと無下に払いのけた、体温を持たぬ彼女のその手を評し、「手が冷たい人は心が温かい」と告げる。その言葉にほほえむ空気人形と彼は、その瞬間、まさに互いに幸福な他者として向きあう。そして奇跡のようにそれぞれの心を満たしあう。一方で、愛する男と息を吹き込みあう空気人形。美しい愛の行為が悲劇に転じるのは、男が真に求める「他者」が彼女ではなく、写真の中の女、だからなのだろう。空気人形は代用品であるがゆえ、彼を満たす幸福な試みに失敗するのだ。彼女はそれでもなお誰かのための他者となるべく、最期の吐息で蒲公英の綿毛を吹き飛ばす。過食症の女は部屋の窓を開け、こと切れた彼女の亡骸を見つける。そしてゴミ捨て場で光を纏うこの美しき他者に、ようやくその心を震わせるのだ。空気人形に扮したペ・ドゥナが兎にも角にもすばらしい。白痴美めいたダッチワイフとしての表層を纏いながらも彼女が繊細に体現するのは、まさに人間の内なる心の普遍的なその有り様だ。無機質なビニールの質感で表情を覆われた冒頭から、心を宿すがゆえ生き生きとした笑顔をこぼすまでに至る中盤、そして一転、心を宿すがゆえ心の抱え持つ空洞に呑み込まれ次第に笑顔を失っていく終盤へと、是枝は注意深く彼女の心とその移ろいを捉え続ける。心を宿した空気人形と人間、両者に一体どれだけの違いがあるだろうか、と。
[DVD(邦画)] 8点(2010-04-09 23:57:50)
3.  ぐるりのこと。 《ネタバレ》 
処女作『二十才の微熱』から一貫してゲイを主人公に作品を撮り続けてきた橋口亮輔監督だが、『渚のシンドバッド』の浜崎あゆみや『ハッシュ!』の片岡礼子のように、主人公のかたわらには常に、自身も心の奥底に何らかの傷を抱えた女たちが、それでもか弱い彼らを護り支える女神のように毅然と立っていた気がする。彼女らは時に自らの自由や可能性を犠牲にしてまで、弱者たる主人公たちを力強く庇護する存在としてそこにいた。『ハッシュ!』を観た時、魅力的な映画とは思いつつ、ふと、どこかしら共感しがたいものを感じた。それは片岡礼子演じる孤独な朝子に、それでもいつか生涯の伴侶と巡り会うかもしれない可能性を軽率に唾棄させてしまう(それがたとえ本人の強い意志でむしろ彼女自身から強引に持ちかける提案として描かれてはいても)ことへの違和感だった。彼女の存在意義が、主体となるゲイのカップルにとってある種都合のいい、母なる女神として、そこに置かれてしまっているように思えたのだ。ゲイであるどうこうは、このさいどうでもいい。『ぐるりのこと。』でリリー・フランキー扮する夫もまた、ゲイではないが、橋口がこれまで描いてきた心やさしくも不甲斐ない男性像をそのままに踏襲している。だがここで彼が描くのは一転、糸が切れたように力尽きてしまった出来損ないの女神と、そんな彼女を今度は自分が支え返そうとする男の、その姿なのだ。橋口が初めて、か弱い男を庇うヒーローとしてのヒロインではなく、傷を負った一人の生身の女を腰を据えて見つめようとした本作には、だからこそとても大きな意味がある。少なくとも私にはそう思える。そして橋口映画史上もっとも弱々しくカッコ悪いそんな女性像を託された木村多江が、その意味に、見事に温かい血を通わせている。癇癪を起こし泣きじゃくる妻と、そんな彼女にそっと洟をかませる夫。これほどみっともなく、けれどこれほどに美しいラブシーンを、私は他に知らない。夫婦とは何なのだろう。共に生きるとはどういうことなのだろう。それは支えあうこと、そして見つめあうこと、時には横たわり同じ天井を見上げること、足でそっと蹴りあい手をつなぐこと。たったそれだけのことなんだと映画は語りかける。金屏風の前でささやかな記念写真を撮る前も後も、それこそ病める時も健やかなる時も、彼女たちはただシンプルにけれど力強く、夫婦なのだと。
[DVD(邦画)] 9点(2010-01-28 15:26:50)
4.  クワイエットルームにようこそ 《ネタバレ》 
かつて爽やかで健康的なアイドルとしてTENKAをとった内田有紀を「鬱陶しい女」役に起用する底意地の悪い松尾スズキに対し、正々堂々真っ向から受けて立つ内田有紀が頼もしい。おかしな連中ばかりの入院患者たち。その中で主人公明日香は自分と同じ頭のまともな人間を二人、嗅ぎ当てる。正常であることを証明するように退院していく栗田と、拒食症の少女ミキだ。栗田は、退院記念にみんなから貰った寄せ書きや連絡先は病院を出たら全て捨てる、と明日香に打ち明ける。「シャバに戻るっていうことはそういうことよ」それが健康に退院する彼女にとっての暗黙のルールなのだろう。それでも(頭のまともな)あなただけは別だとメールアドレスを書いたメモを渡す栗田に、明日香は喜ぶ。携帯電話を持ち込めない病院では役に立たないメールアドレス。自分も栗田のように退院してシャバに戻った時に初めて意味をなすそれは、明日香にとってお守りのようなものだ。だが、自分たちだけがまともだと信じる明日香がやがて嫌でも気づかされるのは、共に残ったミキがふと見せる異常、そして目をそらし続けた自分自身の異常。「触るなバケモノ!」明日香がミキに投げつけてしまうその言葉は、自分自身にはね返る。ようやく鬱陶しいバケモノである自分を認め、長い闘いのはてに退院する明日香。彼女は栗田がしたようにミキに連絡先を渡したりはしない。ミキもまた寄せ書きに「1時間以内に捨てないと、この色紙は爆発します。」と冗談めかして書く。そんな二人の別れに私はふと一抹のさびしさを感じる。病院を出た明日香はミキのメッセージ通り色紙をゴミ箱に捨てる。「シャバに戻るっていうことはそういうことよ」そう教えながら、その場所に残る者とのつながりを完全には捨てきれなかった栗田。彼女が明日香と入れ替わるように病院に舞い戻るのはまさに当然の帰結なのだ。一方トンネルを抜けて清々しく「お守り」を風に飛ばす明日香は健康そのものだ。彼女がクワイエットルームに帰ることはおそらくもうないだろう。それでは、と思う。明日香の発した「バケモノ」の言葉が今度は観ているこちら側にはね返ってくる。それではミキとの別れをさびしく感じたお前はどうなんだ?life-is-happyを謳うハッピーエンドの裏側で、そんな自問自答がひたひたと語りかけてくる。クワイエットルームにようこそ。つくづく恐ろしいタイトルだ。松尾スズキはやはり底意地が悪い。
[DVD(邦画)] 5点(2009-11-24 21:06:38)
5.  グミ・チョコレート・パイン 《ネタバレ》 
この映画はダサい。けれどその輝くばかりのダサさ爆発こそがまさに描かれる1986年という時代そのものでもある。ふがいない少年たちと80年代型美少女を徹底的にカッコ悪く描くケラリーノ監督は、確信犯だ。『ビーバップハイスクール』や『ウォーターボーイズ』みたいなカタルシスなんてこの映画にはないと冒頭で宣言するとおり、彼は物語が青春映画らしい熱をおびかけるそのたびにいちいち水をさす。たとえばヒロイン美甘子を侮辱するクラスメイトに飛びかからんとする主人公賢三の一世一代の怒りの鉄拳は、勢い余った拍子に行動を起こす前に蹴つまずき、不発のまま人体模型と共に砕かれる。あるいはそれに続く学校を去る美甘子を追う場面でも、賢三のその一直線な情熱は間の悪い写真屋や自転車のアクシデントによって脱力的に二度三度と中断され、阻まれてしまう。そうして照れ隠しのようにドラマチックな定石をことごとく避けた上でやっとこさっとこ描かれる別れのシーンは、けれどありきたりな飾りを排したその愚直さゆえ逆にストレートにしみじみと胸に迫る。『ニューシネマパラダイス』と自嘲する8mmのシーンもまた然りだろう。そんな中、賢三と美甘子のたった一度きりのデートのシークエンスだけはひたすら真摯に描かれるというのがなんとも心憎い。夜明けの色にすら気づかず夢中で語り合う二人。暁の空の下、人生はグミ・チョコレート・パインだと笑いながらチョコレートの数だけ進んでいく美甘子とジャンケンにすら勝てず足踏み状態の賢三は、彼らの未来の姿でもある。ラスト、死んでオナニーできなくなるのはイヤだ!というプリミティブかつアホ丸出しな雄叫びを上げて生き続けていく道を選ぶ1986年の賢三。バカバカしくもリリカルなその疾走はまたもやここぞという時に蹴つまずく。それを見つめる2007年の賢三もまた、チョコレートの歩数のその先で死を選んだ美甘子の背中には未だ遠くおよばぬままだ。けれどそんな賢三の姿を一体だれが笑えるだろうか。2、30年も生きねえよ、と若さのままにうそぶいていた彼が、それでも生き続ける人生。それが彼の答えだ。やさしくおだやかなその表情は、私たちに静かに物語る。このくだらない人生にも、それでもちゃんと生きる意味はあるのだ、と。人生七転八倒!
[DVD(邦画)] 9点(2009-09-28 19:20:40)(良:1票)
6.  牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件(188分版) 《ネタバレ》 
映画とは暗闇の中で光を映写することだ。しかし『クーリンチェ少年殺人事件』は光よりもまず先に闇に重点を置く。それは、あまたの映画で見受けられる闇として描かれた光ではなく、視覚的情報を遮断するまでの真実の闇だ。暗闇の中に映し出される暗闇。そんな完き闇の中だからこそ、少年の持つ懐中電灯の光源だけが弱々しくけれどはっきりと、浮き上がる。この映画を映画館で観ることができないのは本当に不幸なことだ。楊徳昌監督は、あまりに不確かなこの世界の輪郭をそれでも不遜になぞろうとするのではなく、まぎれもなくそこにある空気そのものをありのままに写し撮ることで、世界を描こうとする。そのスタンスは、ヒロインとして登場する少女の描写にも適用されている。彼女がどんな少女で何を考えているのか、映画は一切の説明を加えない。登場人物によって語られる彼女に関する曖昧な情報だけが時に錯綜はしても、その真偽を確かめる手だては一切ない。少女は、不確かな世界同様に不確かなままそこに立ち、少年をただ見つめ返す。そこには、この不確かな世界を生きることの不安が常に漂っている。ブラスバンドの演奏の中で少年は少女に愛を宣言する。音楽にかき消されぬよう彼が声を強めた次の瞬間、響き渡っていた楽器の演奏がはたと止む。「きみを守る!」その声は、ふいにおとずれた静寂に一直線に放たれ、悲痛な叫びとなって世界にこだまする。けれどその切実な叫びは、彼女に届きようがない。「私はこの世界と同じ。だれにも変えることなんかできない。」少年は少女のその言葉に抗い反撃するかのように、憎むべき世界にナイフを突き立てるのだ。この世界は絶望に覆われている。それは60年代の台湾に限ったことではないだろう。少年は絶望の中で世界と対決すべくひたすら藻掻き、少女は絶望への抵抗を断念することで世界と折り合いをつけ、それぞれがそれぞれのやり方で生き延びようとする。どちらが正しいわけでも間違っているわけでもない。それは彼らにとってどちらも等しく、のっぴきならないこの現実を生きぬくための手段なのである。母を雇う金持ちの家の少年に身をゆだねる少女は、穢く汚れているのだろうか。決してそうではない。そこには絶望があるだけだ。そんな彼らの魂は、本当は限りなく等しい。だからこそ少年がナイフを片手に立ちつくし、少女が崩れ落ちる時、我々はこの世界の、暗闇の、絶望の、その深さを思い知るのだ。
[レーザーディスク(字幕)] 10点(2009-08-29 11:01:49)
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