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あにやん‍🌈さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2517
性別
ホームページ http://coco.to/author/aniyan_otakoji
自己紹介 レビューを相当サボってしまってるの、単に面倒になっちゃってるからなんですよね。トシのせいか、色々とメンド臭くなっちゃって。
映画自体、コロナ禍以降そんなに見に行かなくなったのだけど、それでも年に70~80本は見てるワケで(でも今年は50本行かないかな?)、レビュー書けよ自分、って思ってる、でもなんか書かない、みたいな。
これからは今までよりも短文でレビューを上げてゆきたいな、と思う次第であります・・・微妙だけど。.

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1.  告白(2010) 《ネタバレ》 
限りなく美しき中二病映画。およそ陰惨で鬱にしかならないような物語を、さすがの中島監督、とても魅力的な人々の映画として彩ってしまいます。互いに人を見下す人間達が織り成す、復讐心、偏見、いじめ、悪意の物語。いろんな負の感情を持った、人として成長できていない人々(数少ない大人の登場人物も含めて)を憎悪すべき対象とはせず、弱く儚い者として繊細な映像で表現してゆきます。連鎖してゆく悲劇が、流される血が、不気味な風景が、人の弱さをポジティブに見つめたアートのように組みあがって、むしろ私にとっては心地良いものにすら感じられました。それは個人的に、今年は父を亡くし、愛猫を亡くし、遺産相続で肉親といがみ合いという、負のただ中に生きているがゆえなのかもしれませんが。でも、この映画にそんな心地良さを誰でも、たとえ少しでもどこかしらに感じてしまうんじゃないかと思います。負の快感が全編に散りばめてありますから。受け手に負の感情を気付かせ、そこを肯定的に捉えるこの映画、タッチはとても冷たいのに人には暖かいという不思議な感じ。映像表現1つでモノの価値観をガラリと変えてしまえるんだよ、って中島監督の術中に見事にハマってしまったのでした。【追記】お知り合いや映画にうるさい人達から「これは映画じゃない」という批判をよく聞きましたが、mixiやtwitter、ブログでのお兄ちゃんおねえちゃん達の理屈じゃないウケ方、受け止め方を見ると、もう「映画」が終わって「映画じゃない何か」の時代になってもいいんじゃない?「映画」ってカテゴライズに拘るのはいいとして、それを声高に人に押し付ける意味はないんじゃない?って気もしてきます。好事家向けの美術館保存型な「映画」はどっかに残っていく事でしょうしね。
[映画館(邦画)] 10点(2010-06-05 14:31:51)(良:1票)
2.  コララインとボタンの魔女
ああ、もう本当に素晴らしいです。1つ1つのデザインがうっとりするほどに美しく、あるいは醜く、それはまるで「甘美なる悪夢」。扉が1つ開くごとに、幕が1つ開くごとに広がる摩訶不思議な世界にワクワクしっ放し。コマ撮りアニメの作り出す小さく閉ざされた世界は光と闇と色の奥行きを得て、記憶の底に眠る暗いけれども心地良い何かが呼び起こされるような感覚を味わいました。孤独な少女コララインの心象を映す3D世界はあまりに芸術的で、だけどキチンと娯楽映画な一編、文句なしの10点です。
[映画館(吹替)] 10点(2010-02-19 14:41:43)
3.  今夜、世界からこの恋が消えても 《ネタバレ》 
 三木孝浩監督3作品連続公開状態なのだけど、同時に3作品それぞれジャンルは全く異なりながら「記録と記憶の三部作」とも言える共通したテーマを持っているのね。   1本目のこの映画は事故の後遺症で眠ると記憶を無くしてしまう女子高生が毎日日記を付けて毎朝読み返すことで過去を知り日々を更新してゆく物語。失われてしまう記憶を記録で補ってゆくの。  そんな彼女に偽りの彼氏ができて、もちろん毎日知らない人からのスタートになるのだけれど、その日々の積み重ねがやがてかけがえのない記録になっていって、だけど・・・。彼の遺志に従って、彼女の親友と彼の姉は日記を改ざんして彼の存在を彼女の記録から全て消して。だけど彼女の中に残る記憶があって・・・。   原作は『50回目のファースト・キス』の設定から発展させた感は否めないの。絵を描くことで事故後の記憶が潜在的に存在しているってあたりなんか特に。毎日記憶を失ってしまうのにそれを教師と親友以外の周囲に秘密にして高校に通えてしまうという無理っぷり、毎朝記録を読む事で現実を受け入れリセット状態から毎日の生活を更新してゆく無茶っぷり、その辺は冒頭からタネ明かしをして物語上の秘密を彼氏の方だけに置く脚本でねじ伏せてる感じもあるわ。   彼女に楽しい記録だけを残すために死にゆく自分の存在の削除を依頼する、親友のために事実を偽る、弟の存在を消す、そして真実を知らされ記憶の中に存在していない彼氏の死に向き合う。それぞれの辛さが切なく胸に迫ってくる物語、でも監督お馴染みのテクニックによって魅力的なロケーションを背景に(江ノ島!湘南!水族館!花火!みたいな)光と影を駆使した、美しくキラキラしたイメージに包まれた、見終って意外なことに爽やかなラブストーリーって印象が残るの。描かれる悲劇すらも甘美なカンジね。これぞザ・三木孝浩!って映画。   福本莉子さんは『映像研には手を出すな!』みたいなぶっ飛んだ役がいい味出してるのだけど『思い、思われ、ふり、ふられ』やこの作品みたいな正統派ヒロインももちろん良いわよね。  でも今回の大きなカナメだったのは親友・泉役の古川琴音さん。二人の恋をずっと支え続けた彼女が実質的な主役みたいな感じで、泉が抱えた重圧、苦しみや痛みを見事に表現していたわ。彼女は脚本に書かれていた以上のものを表現していたと思うの。『十二人の死にたい子どもたち』でも注目したけれどこれからも期待できる役者さんね。   三木孝浩監督の青春映画が好きで毎回期待してしまうのだけど、この映画も三木監督のキラキラを堪能できる、純度の高い作品だったわ。
[映画館(邦画)] 9点(2022-09-08 16:13:56)
4.  この世界の片隅に(2016) 《ネタバレ》 
 東京国際映画祭で鑑賞。   原作がマンガというフォーマットを最大限に活かした名作だったので、アニメ化には大きな不安を抱いていました。原作は絵の表現がそのまま主人公すずの描く絵と内面の心理描写とに反映され、すずの一人称的世界を構築していたのに対して、アニメは共同作業による三人称世界ですから、原作をそのまま置換する事はできない訳で。後半のある時点からの大きな変化を描く重要な部分を映像で表現するのは無理、その代わりをどうするのか?と。  結論から言えば、完璧ではないけれど、アニメならではの表現を模索していて、それなりに上手くいっていたように思います。少なくとも同じ作者の『夕凪の街 桜の国』の無惨な映画化に比べれば、原作に過剰な思い入れのあるファンでも納得のゆく作品に仕上がっていました。   基本は原作に忠実で、原作の絵柄を丁寧に再現し更に細やかにアニメートさせ、エピソードを上手くすくっています。  精密に描かれた戦中の広島と呉の世界に、声と動きを与えられたすずが生きていて、彼女が巻き起こす笑いが楽しく、それがゆえの後半の痛みも厳しく。  手の描写にこだわるのは原作からすれば当然と言えるのですが、その当然の事をきちんとできているかどうかが重要なわけで。これはとてもきちんと真面目に作られています。   リンのエピソードがかなり割愛されてしまっているのはとても残念なのですが、そこを描くとPGー12指定の映画になりそうな気もしないではなく、仕方ないのかな。  鬼いちゃんと座敷わらしのエピソードはもう少しハッキリと浮かび上がらせて欲しかったですし、ラストの邂逅も淡々とさりげなさ過ぎな気もします。  ですが、魅力的な存在感を放つすずを通してあの時代を暮らした人々の生が輝き、現在に繋がるこの国の人の営みを実感させてくれて見事です。   誠実な作りのアニメ映画、これもまた日本のアニメの力を示しています。どうか多くの人に見て貰いたいです。
[試写会(邦画)] 9点(2016-10-31 23:11:59)(良:3票)
5.  ゴーストバスターズ(2016) 《ネタバレ》 
 大変に気持ち良く見られた映画で。    女性が「女性らしい役割」を求められていない映画であり、だから(観客を含めた)男のために着飾ったキャラもいなければ、優雅さ優美さを求めてもおらず、カッコいいも面白いもお下品も、性差のボーダーを取り払った表現になっていて。  一方で徹底的に男を無能でダメな存在としておちょくっておりますが(旧作のメイン役者達ですらも!)、さんざん「そういう役割」を求められ続けた者の復讐の映画としての気持ち良さがあって。クリヘムはアレですね、昔の映画やドラマで向井真理子さんが吹替えを担当していたタイプのキャラの男版。その徹底した姿勢は旧作のビル・マーレーの役に対する贖罪というか価値観の変化の表明のようにも思えます。  これは単なる変種ではなく時代の要求であると思うのですよ。   旧作のリメイクとして様々な引用をしつつ、今の技術によっていっぱい(それこそ画面からハミ出すほどの)ゴーストを出して、その進化を楽しめるのもポイントでした。美術やVFXなんか旧作の色彩にちゃんと則ってましたしね。リチャード・エドランド風味。   あと、吹替え版と字幕版、両方見ましたが、吹替え版も悪くありません。メイン2人は喋れる芸人ですし、それをプロの声優が固めてる感じで。静ちゃんと鬼奴はアレですがちょいとしか出てきませんし。   今から32年前の3G対決のうち、期せずして『ゴジラ』と『ゴーストバスターズ』が再び対決する事になった訳ですが(『グレムリン』はどうした)、『ゴジラ』は実のところ32年前のアレとさして印象は変わらず、それに比べて『ゴーストバスターズ』はかなり成長したように感じるのは、単に当時期待してた旧作にガッカリしたせいで元々ハードルが低かったから、だけではないと思うんですよね。
[映画館(吹替)] 9点(2016-09-13 21:49:35)
6.  ゴジラ(1954) 《ネタバレ》 
小さい頃、何度かテレビで見たはずですが、覚えていたのはゴジラの出てくるシーンばかりでした(それと、魚の骨と)。メガヌロンはいつ出てくるんだっけ?とか記憶をごちゃつかせつつ(そりゃ「ラドン」だ)、数十年ぶりにじっくりと対面。ワイプとオーバーラップによるやたら落ち着きのない前半の展開と、稚拙な演技の連続は時代を差し引いてもどうなんでしょ?と思いましたが(あと、ギニョールのゴジラがやたらキュートだ)、やがてゴジラのもたらす災いと共に浮かび上がる日本人としての自我に胸が締め付けられる思いがしました。ゴジラは人の邪悪な行為によって生みだされる悪の化身。そして、それを抑圧させるために更なる力を行使しなければならない、終わりなき悲劇の連鎖。被爆国であり、大空襲による破壊を経験した日本人ゆえに生まれた怪物だった訳です。民話性までもが絡んだ、日本の土の匂いのする破壊神。芹沢教授の、連鎖を食い止めるための決意は、当時の日本人の悲痛な思いを反映していました。見終わって、その後のゴジラと怪獣映画を回顧して、どうにも暗い気持ちになりました。この作品を神格化してもゴジラを神聖なものとして扱うのは違うんじゃない?という思い、この作品の精神を辛うじて継承した作品は事もあろうにライバルである「ガメラ 大怪獣空中決戦」ただ一作だったという感じ、そして、これを越える怪獣映画が以降作られていないという現実。亜流ゆえに自由を与えられたガメラと違って、常にここを起点としているゴジラの辿った道の、なんと情けないことか・・・。当時と違って今、日本人は戦争の傷も知らず、原水爆の被害も忘れ、だから現在においてはこの映画の精神も通用しないのでしょうか? そんな事はないでしょう。だって、戦争は今もなお過去の出来事ではなく現実なのですから。
[DVD(邦画)] 9点(2006-06-30 22:01:25)(良:1票)
7.  ゴジラ FINAL WARS 《ネタバレ》 
【とってもネタバレ】「父ちゃん、もうやめて。帰ろう」。まさかこんなラストシーンを迎えるとは・・・。私の記憶にある最古の「映画館で見た映画」は、『ゴジラの息子』か『ガメラ対ギャオス』か『大巨獣ガッパ』。それぞれに少しずつ記憶があって、どれが先なのかは判りませんが「1967年」が原初なようです。さて、今回の映画、一体どんな映画なのやら、ネット上では賛否渦巻いていて、私自身は不安&懐疑9割:期待1割くらいの心持ちで、これがダメな映画なのか、それとも『ファイナル』を飾るに相応しい映画なのかを冷静に見極めようとしていました。でも、ミニラが登場した途端、何故かいろんな記憶や思いが凄い勢いでわーっと心の中に湧き出してきて、涙だだ漏れ。何故よりにもよって”ミニラ”で、なのかは自分でも理解し難い状態ではありましたが。ここにあったのは、東宝が子供達のために送り出してきた東宝特撮映画の総まとめ。ワクワクしたりときめいたり、バカバカしかったりガックリしたり。その全てがここにあります。安っぽい展開も、哀愁を誘う怪獣の媚びも含めて。そして、東宝特撮の血が遺伝子の中に染みついた人間に「その血を受けたお前が、ここから先どう生きるのか」を問うてくる映画なのでした。ここで描かれたのは、私にとって『東宝チャンピオン祭り』の完全なる幕引き。”お前はもう子供じゃない。お前が子供として生きた時代は過ぎた。時代は変わった。”どういう理由からかは判りませんが、ミニラをキーとなる存在に据えた事で、私には強烈に心に突き刺さる映画になったのでした。ラストのミニラの姿は、東宝特撮に育てられ生きてきた「ゴジラの息子たち」の姿の象徴なのかもしれません。あまりに自身の体験に対しての影響が強くて、客観的な評価不可能です。ごめんなさい。
[映画館(邦画)] 9点(2004-12-06 22:20:38)(笑:1票) (良:1票)
8.  コンタクト 《ネタバレ》 
地球外生命体との接触という題材を通して、個人と宇宙とを1つの次元で語った素晴らしい映画でした。クライマックスで「ずでー」ってコケちゃった人も多いでしょうけど。壮大な規模の宇宙描写が少女の瞳の中に集束するオープニングが、この映画の全てを語っていると思うのですが、外に向っているように見えながら、実は人の内なる宇宙を見つめる映画だと思います。愛、夢、後悔、神、信仰、そしてコンタクト=他者との繋がり。エリーは実のところ、他者とのコンタクトが下手くそな人間で、それはエリーの心の中に刻み込んでいる孤独のせい。最愛の父を亡くした事、それは自分の選択によっては防げたかもしれないという後悔。エリーが辿る事になる旅は、心の中への旅でした。そこで最大のトラウマだった、父の姿をした「意志」に諭されるワケです。「お前さんはひとりで育ったワケでもなきゃ、ひとりぼっちでもないよ」って。広大な宇宙に意志が溢れているように、内なる宇宙、心の中にも他の人の意志っていうのが溢れてるんだよ、と。つまりこの映画、宇宙的規模でひとりの女性の心を描きました、という映画だと思うんです。宇宙人話だと思えば女一人の半生記、「見事!やられた~」って感じでした。
[映画館(字幕)] 9点(2003-12-04 00:39:03)
9.  ゴジラvsコング 《ネタバレ》 
 最近の国産ゴジラ、『シン・ゴジラ』といい『アニゴジ』といい『ゴジラSP』といい、なーんかピンと来ないのよね。どれもゴジラ(怪獣)をダシにして描きたい事(押し並べてスノッブなナカミ)を披露するばかり、みたいな。ゴジラ(怪獣)を他のモノに置き換えたって全然構わない程度の扱い。   大体、これまでレビューで何度も何度も何度も書いてきてるけれど、怪獣と人間ドラマは水と油の関係、どっちも両立させようなんてのは無理なのよね。人間ドラマ描いてる間は怪獣をどっかにただ置いておくしかないし(海の中とか怪我して休んでますとかのんびり移動してまーす、みたいな)、怪獣が暴れてる間は人間は為す術なく右往左往して逃げ回るしかなくて。そしてそれでも無理して両立させようとすると超能力で怪獣と繋がってますとか、科学者や兵隊さんなのでいちいち怪獣の前に出ちゃいますとか、こじつけるような設定、展開をさせるしかないのよね。   で、前置きが長くなったけれど今回の映画はかなり割り切ってるのね。あくまで怪獣が主役。人間はドラマなんて抱えてなくて、ただ怪獣を動かすお膳立てをするためだけに登場するの。  もう人間達、かなりいい加減だわ。なんでも判ってるかのような科学者が何人も登場してはしたり顔で解説してくれたりして(あの陰謀論者はだからそこら辺を皮肉ってもいる存在ね)。昭和ゴジラや昭和ガメラの科学者みたいなモノよ。悪役は悪い事してます、って判り易さだしね。毎回悲壮感漂わせてる父ちゃんは今回ただ出てくるだけ。観客から「お前何してん?」ってツッコまれるだけの役。  その上トンデモ科学みたいなのも色々登場して。轟天やスーパーXなみに「それ、どう見ても飛ばないわよ?」みたいなスーパーメカ出てくるし、アレはVSキングギドラと機龍のハイブリッドみたいだし。  更になんかメカの中に入ったら動き出しちゃって悪の秘密基地に到着しちゃうとか、システム止めるにはコレがいちばんとか、あんた達、昭和ガメラのお坊っちゃん達なの? 悪の組織、セキュリティガバガバ?   一方でゴジラとコングはココロ持ってて感情剥き出しで、ふきだしポワンと出して「やっつけろ」「りょうかい」とか会話しだしてもおかしくないくらいだわ。   だからね、今回の映画は昭和、平成、ミレニアムのゴジラにぐーっと寄ってるカンジなのね。前作から続くレジェンダリーチャンピオンまつり感は更に強まったの。とにかく怪獣がどつきあいしてナンボ。でっかい生き物が大スクリーンいっぱいに暴れて壊してみせればそれで十分、それ以外に何が必要?みたいな。アタシの中にある怪獣映画って、そういうモノだし。  街並が怪獣の足で破壊されて、カメラがぐーっと上を向くとビルの間に巨大な怪獣の姿があるって、もう「コレコレ!コレが見たかったの!!」って。斜に構えた映像じゃなくて、日本から絶えて久しい、真正面から怪獣を捉えた怪獣の映画。2021年の技術で表現された昔ながらの怪獣映画。   「バカで結構」こそが『ゴジラVSコング』の矜持、誇りなんじゃないかしら?
[映画館(字幕)] 8点(2021-07-03 17:48:36)(良:4票)
10.  幸福路のチー 《ネタバレ》 
 アニメーションのレベルは日本と比べるべくもない状態ではあるのだけれど、でもそれが全く欠点ではない、独自の個性と色とが濃密な空気となってスクリーンから伝わってくる感じで、その台湾という世界の匂いを堪能したわ。特に背景画の街並からは遠い記憶にある懐かしい匂いが漂ってきそうで。   祖母の葬儀にアメリカから台湾に帰省した女性が、生まれ育った街を通して回顧する少女時代の物語。台湾版『おもひでぽろぽろ』みたいな形容をされたりもするけれど、こちらは背景に台湾という国(あえて「国」という表現を使うわね)が辿った歴史の流れがあって、社会や時代との具体的な接点が描かれていて、そこを生きた、そして生きる人の生がシンプルな絵柄のアニメーションから生々しく伝わってくるのね。  生活ぶりや国民性が興味深く見られて、そんな世界からの普遍的なテーマである女性の自立の難しさ、子供の頃の理想と大人の現実のギャップという等身大の人の姿が描かれて、主人公の存在がとても身近に思えるの。空想の中に登場する王子様達のイメージも含めてね。   個人的には過去シーンで子供達が揃って歌う『ガッチャマン』の歌に自分との意外な接点が感じられてほっこりできたわ。あちらでも昔、放送されてたのね。   主人公の選択には決して幸せなハッピーエンドな世界が待っている訳ではない、父母が辿った以上に大変な未来があるのかもしれないけれど、それでも重ねられてゆく人の生を肯定し祝福する、そんな映画ね。
[映画館(字幕)] 8点(2021-04-07 14:05:49)(良:1票)
11.  孤高のメス 《ネタバレ》 
実生活でも日々、医療に対する疑問や不満というのは抱くもので、これはそこにメスを入れた映画として大変に意味ある作品だと思います。そしてちゃんと面白い映画で。堤真一が、ごくごく抑え目な演技をしてみせますが、そのクールさが魅力的なキャラになっていて。夏川結衣の表情もいつになくいいですし(この人は、コメディをやってこそと思っているのですが、このシリアスな映画でコミカルな面をきっちり見せてくれます)。ただ、柄本明と生瀬勝久の演技は大袈裟過ぎ。映画のトーンをブチ壊し。手術の失敗シーンでのあまりのわざとらしさなんか見てて恥ずかしいレベル。大体、絶対的な悪を設定して、それを駆逐してカタルシスを得るなんて展開だと極端な例になってしまって問題がボヤけてしまいます。質すべき医療の問題がどこにあるのか、脳死判定や生体肝移植、医師の資質から医師不足まであちこちと広げつつもきっちり娯楽性の高い映画になっていた点では評価できるのですが。でも、この映画の影の主役は手術シーンで臓器を作り上げた美術スタッフでしょう。手術シーンとなると、どうしてもグロテスクになってしまう訳で、それはこの映画も同じですが、臓器の「演技」で人を感動させるという離れ業は、美術スタッフ、特殊効果スタッフの努力の賜物としか言い様がありません。ジミめながら良質な社会派エンターテイメントでした。
[映画館(邦画)] 8点(2010-06-20 16:19:53)(良:1票)
12.  幸福(1981) 《ネタバレ》 
市川監督の得意技とは言え、殆どモノクロのように見えるレベルの銀残しがキツ過ぎでない? 事件シーンがあまりに凄惨過ぎてしまって(金田一耕助モノのノリなワケで)、映画の印象を歪めてしまってない? (ついでに併映だった『アモーレの鐘』の存在が意味不明過ぎない?) そういうひっかかりがありはしたのですが、社会の底辺に澱む人々の悲劇のドラマと、その中に仄かに輝く温かさが鮮烈な印象を残す一編でした。メインに据えられた水谷豊、中原理恵、永島敏行という、市川作品らしからぬ当時の若い人々の演技が、映画にサラリとした独特な空気を運んでいて、主題歌などに漂うフジテレビ製作という背景も手伝って、ドロドロと陰鬱になりがちな題材の物語が、見終って爽やかささえ残します。長らく幻の名画状態になっていた(私も公開時に見たっきり)のが勿体ない、市川監督の個性がいかんなく発揮されている映画、市川監督を代表する作品の一つに数えられていい映画だったと思います。
[映画館(邦画)] 8点(2009-11-03 23:18:32)(良:1票)
13.  幸福な食卓 《ネタバレ》 
演出とカメラ、音楽が平凡でありきたりなのが残念ではありますが(また学校の体育館映画か運転免許センターの講習ビデオ風・・・)、役者と脚本はそれを充分に補っていたと思います。家族の崩壊を一歩引いたところから客観的に眺めていた主人公が、自分が悲劇の中心となった時、そこから家族の意味を感じてゆく、ひとりでは越えられない痛みについての映画でした。映画紹介なんかのイメージから家族の崩壊を描いてゆくのかな?と思ったらそれは冒頭2分ほどで全て説明されていて、映画は主にそこからの再生を描く感じで、なので映画が悲劇に寄らず重たくならずに見られました。だからこそ後半で巻き起こる悲劇が物語的にあまりに大きすぎて、映画は家族からも離れてゆき、なんだか違う映画になっちゃうんでないの?という感じになるのですが、その事がきっかけで自分と家族、他人との関係を見つめてゆく流れになるので、結果的にはアリなのでしょう。前記の平凡なカメラ、何故にシネスコ?みたいな違和感も、最後の歩きのシーンに映画の神様が降りてきたような一瞬があったので、終わり良ければ、というところですか。個人的には転校生で恋人になるカレがあまりに私の友人に似てるので笑えてきてしまって仕方ありませんでしたが、それゆえに後半の展開に普通以上に感情移入しちゃったかも。
[映画館(邦画)] 8点(2007-02-03 17:49:39)
14.  コーラスライン
オーディションに集う人々を描いた、ほんの数時間の物語ですが、その中にいろんな人達のいろんなドラマが詰まっていて、ひとりひとりに頑張れや~、と声援を贈りたくなるような映画でした(お前が頑張れ、っってか?)。ミュージカル映画慣れしてるつもりなのに、最初に突然ひとりひとりが気持ちを歌い始めた時には「ぎゃ!」って思いましたけど(ロケによる導入部がフツーの映画風、ですからねぇ)。でも、ほんの数時間の物語だけど、実際の撮影は当然何週間も行ってたワケで、毎日毎日同じ髪型を維持するのは大変だろうなぁ、とか、あの衣裳のレオタード、ちゃんと洗濯してるのかなぁ、とか要らん心配までしてしまう私なのでした。
[映画館(字幕)] 8点(2003-12-03 14:24:20)
15.  恋におちたシェイクスピア 《ネタバレ》 
シェイクスピアをネタにしたコメディ、という印象でした。いかにして彼の作品が生み出されていったかを、結構テキトーな解釈で面白おかしく描き、一方でみんなが困難を乗り越えながら、一つの舞台を作ってゆく群像劇でもあり、よく出来たファンタジーだなぁ、って。黄門様のような、貫禄たっぷりの女王ジュディ・デンチの登場でケリが付くまで、たっぷり映画の面白さを堪能できました。新しい地をぐんぐん進んでゆくグウィネスの姿を見ながら「ああ、創作とはかくも雄弁にして豊潤なり」と満足(大ゲサ)。でも、ちょっと三谷幸喜臭を感じたのは私だけかなぁ。
[映画館(邦画)] 8点(2003-12-03 13:43:35)(良:1票)
16.  獄門島(1977)
『悪魔の手毬唄』から一転、ブルーの海に島影が映えるこの映画は、シリーズ中でも最も明るい色調となり(音楽も明るめ)、軽いタッチの映画になりました。狂い咲く三人娘の描写も煌びやかでなんとなくユーモラスで、その分、モンペ姿の大原麗子は、ちょっとワリ食っちゃった感がありますが。前作からたった4ヶ月で登場したにも関わらず、急ごしらえ感は一切なしの、きっちり作られた一本となりました。原作のイメージからは離れていましたが(テレビの古谷一行版の方がずっと忠実でした)、市川=石坂金田一の楽しさをたっぷり味わえる一編でした。ただ、了沢が「シャア」なモノですから、『ガンダム』以降、この映画を見るたびに「小坊主なのにシャアの声・・・」って。頭の中で了沢に「今はいいのさ全てを忘れて」ってテーマソング付けちゃうし。
[映画館(邦画)] 8点(2003-11-22 13:45:44)
17.  ゴジラ-1.0 《ネタバレ》 
 『ユア・ストーリー』で山崎貴監督許さん!状態なのだけど、それはそれとして『シン・ゴジラ』よりずっと楽しませて頂いたわ。モブ以外は政治家と役人と自衛隊員だけな『シン・ゴジラ』よりも民間人視点で怪獣を描いたこちらの方が好み、それはもう子供の頃から一貫した嗜好だしね。まあ主役は特攻隊の生き残りの復員兵だけれども。   今回のゴジラは基本『もののけ姫』よね。ゴジラは巨大生物と言うよりも化け物、妖怪、もののけ、タタリ神のような感じ。背びれを立てながら海をやってくるその顔、その目は微妙に生物感に欠けていて、大入道とかダイダラボッチみたいなイメージ。戦争を起こす人間に怒る破壊神ね。  一方で怪獣映画にしては妙にたっぷり描かれる生活描写。戦後の焼け跡のミニマムな地点から再スタートする人の営み。  それぞれに戦争を引きずるゴジラと一人の男の、戦争を終わらせるための戦い。怪獣よりも人間に寄った分、エンタメ感は不足気味かもしれないけれどレビューに毎度書いてる「怪獣と人間ドラマは水と油」って難点をそれでも両立させた怪獣映画としてこれまでで最高レベルだったと思うわ。  ドラマ部分の演技や映像の昭和感も時代を映してる感じで良かったと思うのだけどX見てると今風じゃないのが不満らしい人が多くてなかなか難しいわね。アタシには『シン・ゴジラ』のあの大量早口セリフの方がよっぽどヘンに思うのだけど。   で、ここからは難点を。山崎貴監督って節操の無さゆえの問題ってのがいつも付きまとう気がするのね。その最悪の結果が『ユア・ストーリー』ではあるのだけど。  連想される作品はいっぱい。『ジョーズ』『ターミネーター2』『ジュラシック・パーク』『インデペンデンス・デイ』『この世界の片隅に』『ファイナル・デスティネーション』『ダンケルク』。そして『すずめの戸締まり』。これは製作時期的に影響された訳ではなくて今の日本に生きる者が持つ共通の感覚から来てるのかしらね。  今回のゴジラはそれまでの自作の要素がたっぷりで(『三丁目の夕日』や『永遠の0』『アルキメデスの大戦』等々)、そこは上手くいってる面もあるけれど、でも『ヤマト』とはラストで決定的に矛盾するわよね? そういうのが彼の信用ならない部分なのよ。今回、自己犠牲を引っ張りながら最後に否定する、けれどそこまでに滅びの美学的なモノを漂わせちゃいませんか?って。日本大好き!っていうのは従来作から一貫してて、帝国主義や旧日本軍を否定するのは正しいとして、でもみんなで立ち上がってこの日本を守りましょう!みたいなナショナリズムの喚起みたいな面はアタシ的にはイヤなのね。もっと外向いていて欲しいわ。  あと多くの怪獣って歩いて移動するのだから「線」なのだけれども多くの怪獣映画が製作費やら脚本やらの問題で「点」になっていて、この映画はその怪獣映画の歴史の中でもかなりな「点」な映画で、そこが残念ね。   浜辺美波さん、以前からちょっと古風な佇まいのある、それゆえ普遍性を持った稀有な役者さんだと思っていたけれど、今回は時代設定にハマっていて彼女の魅力を生かしていたと思うわ。   でもあれこれと言いたいコトはありつつも大画面に映える骨太な、がっしりした映画を見たって感じがして満足したわ。
[映画館(邦画)] 7点(2023-11-05 10:41:20)
18.  ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 《ネタバレ》 
 ベースが明らかに『三大怪獣 地球最大の決戦』と『怪獣大戦争』でチャンピオンまつり世代歓喜ワールド、だけど初代原理主義もしくはシン・ゴジラ原理主義の人には向いてなさそうよね、コレ。アタシは怪獣映画なんてテーマだのメッセージだのメタファーだのなんてさして重要じゃなくて、怪獣が出てきてドタバタ暴れてナンボだと思ってるんで、まあまあ面白かったわ。   ただ、人間側のドラマは前作に引き続き退屈。怪獣と人間のドラマは水と油、って何度も書いてきてるけれど、今回も混ぜようと無理してて、でも全然なのよね。いちいち怪獣に近づき過ぎだっての。潰されても仕方ないわよ?みたいな状態になってんの、っていうか実際にそうなっちゃうあの人はアレで良かったのかしら? それなりに名前のある役者さんのあの退場っぷり、『ディープブルー』のサミュエル思い出しちゃったわよ。   悪役の中二病全開な怪獣復活テロの理由とか、核の扱い雑過ぎで被曝しまくりでしょ!って状態とか、怪獣による被害描かれなさ過ぎとか、まあ、ツッコミどころだらけで、だけど良くも悪くもそういういい加減さもまた怪獣映画らしい、っちゃらしいのよね。   地球の守護神的な描き方は平成ガメラみたいだし、傷付いて海の底で休んでるところに潜水艇で助けに行っちゃうあたりは昭和ガメラの世界だしで、ガメラファンも満足?   でもやっぱり今の技術で巨大な怪獣がスクリーンいっぱいに暴れてる姿を見るのは気持ちいいのよね。巨大感を意識し過ぎて見辛くなっちゃってはいるのだけど(っていうか一体何が映ってるのかわかんないカットが結構あったわ)、人の力では到底太刀打ちできない畏怖すべき怪獣って存在を迫力いっぱいで見せてくれるのは単純に嬉しいわ。  モスラの美しさ、その役割なんか、よーく判っていらっしゃる、って描き方で(予告編時点ではバトラみたいになっちゃったよー、って嘆いたケド)、それぞれの怪獣のイメージをきっちり守ってみせたレジェンダリーチャンピオンまつりだったわ。  アタシ的にはもっとくだけちゃっても良かったんじゃない?とは思ったけどね。
[映画館(字幕)] 7点(2019-06-03 21:19:39)
19.  恋は雨上がりのように 《ネタバレ》 
 実のところ、コレって(作品を作る側の)おっさん目線で作られた映画よね。鼻に付く、おっさんの自虐的なギャグが散りばめられ、おっさんの夢とか願望とか救われたいキモチとか、そういうのが加齢臭の如く、じわじわと滲み出ていて。安心安定の大泉洋だからこそ、それでも成立しちゃうわけだけれども。  おっさんのアンチ的ポジションに濱田マリを配するあたりも嫌味を最小限に抑えてる感じで、まあ、おっさんのファンタジーですわね。   一方、ヒロインの青春映画としては、挫折と、そこから一歩未来へと踏み出す勇気がまっすぐに描かれていていいカンジです。彼女を取り巻く環境(母との関係や、親友やライバルの存在や)も大切な要素として機能していて。   でも結局、小松菜奈が総て。その表情(基本は仏頂面)と、そのしなやかな立ち居振る舞いと。 彼女の所作、1つ1つが美しくて、だから冒頭で駆けるシーンはマンガ的に作り過ぎな感じで残念ね。そんな加工は不要でしょう。  女優、小松菜奈の美がキッチリと収められているという点で、大変重要な作品。   彼女が動いている、或いは止まっている事で意味が生じる映画。そして、それだけで十分なのでしょう。
[映画館(邦画)] 7点(2018-06-28 22:08:22)
20.  ゴーン・ガール 《ネタバレ》 
 フィンチャーらしく、少々ダラけたところがある感じで、もう少しタイトにできたんじゃないかと思います。  エピローグ部分なんて「まだ続くの?」って感じがして。その続いてゆく中に何か新たな展開があるのかと思いましたが、エピローグはあくまでエピローグの役割を果たすばかりで。1~2シーンでスパッと切ってしまった方がもっと色々な余韻を残せたんじゃないかなぁ。あの効果的なラストカットはあれこれと事後の説明をせずにさっと出した方がより効果的だった気がします(それだとただでさえツッコミが必要な細部のアラに加えて更にツッコミ箇所を増やす事になりますが)。   さて、エイミーは結局、母の描いた『完璧なエイミー』を嫌悪しつつ、一方ではそうあらねばならないという強迫観念に囚われていたのだろうな、と思います。常に理想像があって、その理想像に自分をピッタリとハメ込なければならない、そのためには手段をいとわない。理想像からかけ離れる事の恐怖に比べれば、他は大した問題ではないと。そんなエイミーを作り出したのは本と現実という二面性を創造した母親。   そしてもう1つ、大衆が求める理想像。理想的な夫婦の形、理想的な人間の生活。そこからはみ出すものを徹底的に叩く事で自尊心(と思い込んでいるもの)を維持している人々、それを煽るマスコミ。テレビやネットに触れている人々もまた、常識的、良識的な理想像に縛られて強迫観念から攻撃性を持つという点ではエイミーと同じな訳ですね。口では良識を説きつつ現実はその口とは必ずしも一致していない、でしょ?   つまりこれは、ごくごく当たり前な今の人間、理想的な人間を必死に演じている人々に対するシニカルなお話し。  エイミーみたいな存在が身近にいる可能性の話ではなくて、誰の心の中にも少なからず存在するエイミーの話。  他人の問題じゃなくて自分の問題なんですよ?って、まー、そこに思い至らないといつまで経ったって円満な夫婦関係なんて築けやしないんじゃないんスか? 一生独身であろう私が言うのもナンなんですが。
[映画館(字幕)] 7点(2014-12-14 15:07:25)(良:5票)
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