1. この世界の片隅に(2016)
《ネタバレ》 妻投稿■ 私は安倍首相が集団的自衛権を容認する憲法解釈をしようが9条改正しようが、日本が再び太平洋戦争と同じ惨禍に見舞われることはないと思う(もし世界戦争に巻き込まれるとしたら今の憲法のあるなし関係ないだろう)。でもクロ現の貧困女子高生がまさしく非国民みたいに(政治家も悪乗りして)日本中から集中攻撃され、憲兵隊気取りの活動家の恫喝にビビってはだしのゲンが閉架となり、「人工透析患者は日本にとってよくないから殺せ」という報道従事者のブログを半分位の人間が支持している現状を見れば、(戦争をリアルでは知らないから何とも言えないが)「ひょっとしたら今の日本は(徴兵制がブラック企業に変わっただけで)もうとっくの昔に戦前に戻っているんじゃないか」という気分になることがある。そういう意味ではこの映画は“自業自得”な「火垂るの墓」と比較して、今の日本人にウケ易い「模範的な戦時下の人たち」の物語にも見える。多分すずさんの逞しさを社会弱者を説教するのに使う人間もきっと出てくるだろう。 でもそんな私のクソみたいな考えをよそに、すずさんはとても楽しそうだ。結婚から食事を作る場面まで…。憲兵隊に長時間説教される場面。今の時代の人間なら「私は諜報なんてしていない」という自分の記憶の方を疑いだすだろう。でも彼女たちはそれを笑ってしまうのだ。食事の場面もジブリとは対極的に食事かクソ不味そうだ。しかし映画を見終わったあとに最初に私が食べた茶碗いっぱいのご飯。それが物凄くご馳走に見えた。こんな昭和20年を舞台にした映画(普通なら飯食う気もなくす)は初めてだ。 でもそんなすずさんですら壊れる事件が唐突に起こる。それでも日常が回っていき、そして戦争が終わったとき、娘を失った義理の姉もすずさんも号泣するのだ。戦争が理不尽で無意味なものだという現実が終わってみて初めて襲ってくる。胸が締め付けられる場面だ。そして原爆の描写。あれを見てからYouTubeで流れているロシアの隕石落下の瞬間を見るのが怖くなった。そのくらいの戦慄の演出。すずの両親が死に妹も原爆症に冒されているという現実を後から知る場面。感情表現ではなくシークエンスだけで観客をすずさんと一緒に呆然(絶望)とさせる。 そこにあのラストを持って来るのだ。右腕を失い、家族と自分の大切な個(絵描き)を奪われたすずさん。そのすずさんの右手は存在しないにも関わらず一人の戦災孤児の少女の手を取る。この演出は時限爆弾を生き残ったすずさんを全面肯定するものだ。おそらくその少女は「マイマイ新子と千年の魔法」のような平和な昭和30年の風景で楽しい思春期を過ごすのだろう。すずさんが立派な反戦家ではなく世界の片隅にいるほわほわな女の子だからこそ、このエンディングの絵は今を生きる人を肯定するものとなるのだろう。人生は誰かの正義や思想の為に否定されていいものではない。この映画は左右(右の人も反戦の人は多い)思想の「模範」である事を拒否し、人間の人生を肯定すること(義姉の生き方も肯定されていた)から戦争を描いた作品なのだ。 DVDを見ての追記■■■■■■■■ 北朝鮮の核兵器が落ちてきたとき。私が住む田舎には落ちては来ないだろうが…あんな光と地響きに遭遇し、遠くに見えるキノコ雲を見るんだろうか。 [映画館(邦画)] 10点(2017-01-14 01:36:03)(良:5票) |
2. コマンドー
《ネタバレ》 妻投稿■これは皆さんがおっしゃられているように、リアリティに突っ込むよりは、何も考えないでシュワちゃんの筋肉とマッチョゴリラの大暴れを見る映画だ。それは警備員の「身長190㎝、筋肉モリモリマッチョマンの変態だ」という台詞でわかる。■だけど、この映画「観客に何も考えさせないでシュワちゃんの大暴れを楽しませる」ために、脚本や演出が物凄い計算されているんだと思う。例えば、エンリケスを飛行機で始末して、車輪から地上にダイブ、そして時計を合わせて、シンディを協力させてサリーを追跡するシークエンス。このシーンでシュワちゃんは何も考えていないようにデカい体をズンズンさせながらサリーを追跡するんだけど、どうすればあの筋肉バカが大活躍できるかという事を監督や脚本家はよく考えているのがよくわかる、素晴らしい流れだ。つまり、この映画は「強引で無茶苦茶な筋肉アクションを出すために徹底した計算と洗練された演出をしている」のだ。矛盾しているようだけど、山川純一の漫画を見れば、私の言いたいことがわかっていただけると思う。そして、メイトリクスやベネットなどの名台詞である。■「観客に何も考えさせない単純娯楽筋肉映画」と称して、実際何もアイデアを考えていないのは製作者という作品が多い中、このコマンドーは「観客にシュワのゴリラ筋肉アクションを見せる為」いろんなアイデアを出しまくった名作だから愛されているのだと思う。■ただ、悪党に利用されただけの哀れで愚かな敵を皆殺しというのはかわいそうなので、-3点。ここは私の好みの問題である。■アッー [ビデオ(吹替)] 7点(2014-07-25 18:15:56) |
3. 絞死刑
《ネタバレ》 妻投稿■加害者の身勝手な妄想(自分が不幸であるのが強姦殺人の事由という論理)には全く賛同出来ず、ラストは「こいつ死ねよ」と思ってしまった。でもその「こいつ死ねよ」という感情が実行されてしまうのが死刑制度なわけであって・・・。■この映画は殺人被害者遺族の感情を持ち出してはいない。遺族だったら殺人者は残虐な方法でぶっ殺されてほしいと考えるのは至極当然だ。遺族の方の世界からは平常も正常も奪われてしまっているのだから・・・。だがそうではなくて、この映画は私みたいに「こいつ死ねよ」という感情を持っている一般市民自身に作られた映画なのだ。■私はある女性に対する誘拐殺人犯が友人の協力で作ったブログを見たことがあって、犯人の身勝手な論理に吐き気がした。死ねばいいと思った。でも、犯人に対して「死ね」というような私みたいな一般市民の何百のコメントを見ていると、その感情やコメントは正しいし当然だし、間違っていないのだが、少なくとも怖いと感じた。■映画ではそうした私たちの「死ね」という感情を滑稽に描ききっている。その形として「死刑執行後に記憶喪失になった人間を誰もが『死ね』というような人間に戻して死刑にする」というコンセプトはよく考えたなあと思う。このコンセプトは遺族の方からすればどうでもいい次元だが、私たちごときには考えさせられてしまう問題である。遺族の方の報復感情が当然だからといって、私たちが「死ね」というのは、死刑を運用するのは正しいのだろうか。被害者遺族と一緒に「殺せ」を連呼すること「だけ」が、「唯一」の被害者への殺人行為を憎む手段なら、人間は終わりだ。■この映画の問いが直ちに「死刑廃止すべき」に繋がるのなら、「遺族自身に報復を押し付けるべき」という考えになっちゃうから、一概には言えないんだけど、でも身内を殺されたこともない日本人が、自らの残虐性に無頓着なまま死刑を支持しているのではという一種の風刺が、この映画には確実にあると思う。 [レーザーディスク(邦画)] 9点(2011-07-09 16:29:46) |
4. ゴルゴ13(1973)
《ネタバレ》 妻投稿■ゴルゴの姿はどう見てもパロディなのに(女を助けないで隠れているシーンはそこはかとなくシュールで爆笑してしまった)、演出はかなり上手く、最後まで飽きずに見れてしまった。 [ビデオ(邦画)] 7点(2010-11-29 00:19:01) |
5. 告発の行方
《ネタバレ》 妻投稿■洗面器を用意して吐きながら見ていました。■私は前のバイト先の上司にやられた事があるが、社会に出て仕事をするという事は常にそういうリスクと向かい合わなければいけないと言う事。レイプされないようにするには男性上司と絶対に二人っきりにならない事しかないが、社会人として働く以上それは不可能だろう。職場のオフィスに「仕事の話がある」と呼び出されたら、行かないわけにはいかないし、そこで体力のある男上司がのしかかってきたら、「殺されないためにはどうすればいいか」を考えなくてはいけない。レイプはどんなに悲しく苦しい事であっても、客観的にみれば私が「リスク」と「社会人としての常識」を天秤にかけた賭けに負けたという事でしかないのだ。■私みたいに知能指数が低く、相手に責任を取らせる事はまず期待できない友達たちは、みんなそういう自己保護の権利と社会人としての義務の折衷に矛盾を抱えながら毎日働いている。そういう視点から見ると、主人公の女の人の行動はバクダッドまでとはいかないがヨハネスブルグに行くようなものだ。いくら「悪いのは100%男」と言っても、男性社会において女性が生きると言う事は、外務省の「退避を勧告します」まではいかないが「渡航の延期をお勧めします」という世界で生きる事なのだと思う。私は申し訳ないがあの検事さんの考え、主人公の権利を、私自身にさえ認める事も出来ていないので、あの主人公に認める事は出来ない。そういう意味で私は前時代的な日本社会の擁護者だと言う事は自覚している。■長いレイプシーンに一言。私の友達で強姦妊娠出産した女の子が言った言葉がある(7歳程度の指数故に原文から少し改訂)。「私がレイプされている時の気持ちは怖い、悲しいというのよりも、大好きな家族や友達の為に、何とかして殺されないで、生きないとと言う事。行為自体は汚くても私はそういう崇高な目的の為に頑張った。赤ちゃんはそうやって頑張った私へのコウノトリのプレゼントなのだから、赤ちゃんは汚くない」←難しい問題だし、同じ苦しみの人全てに適応されるわけではないあくまで彼女自身の彼女自身のみに対する考えだ。でも映画のなかの連中(および世間)が、淫乱だの誘っているだの言っている間に、ざっと3世紀ぐらい進んだ考えを見つけだしているのだ。そういう「必死さ」の表現がアカデミー賞を取っただけにあったと思う。私はそれが凄くうれしい。 [DVD(字幕)] 7点(2010-09-06 00:16:22) |
6. コレクター(1965)
《ネタバレ》 妻投稿■昨今のワイドショーみたいに主人公の異常さを際立たせるわけでも、「今の世の中はどうなっちゃったの?」という問題提起をするわけでもない。旦那に「ぶっちゃけた話、主人公を応援していたでしょ」と聞くと「あの男が『僕は君とわかりあいたいからあんなことやこんなことはしない』と上品ぶるまでは」と素直に言っていたあたり、「道端のかわいい女の子をクロロホルムで誘拐してあんなことやこんなこと」という「健全な」男性諸君の妄想を極めて忠実に映像化したものだと思う。■しかし、その後どんな下水な凌辱劇が待っているのかと思いきや、主人公は女の子に優しく接する。しかしその「優しさ」が怖い。私が知る限り「優しさ」と言うものをここまで怖く描いた映画はない。主人公の「異常さ」よりも「優しさ」といった通常は素晴らしいとされる感情をここまで怖く描いたこの映画の勝利だろう。■そういえば現実世界でも(私自身の経験値にすぎないが)女を強姦する上司って凄く優しい。自分が強姦している女の子をまるで運命共同体のような言い方で接してくる。女の子はその支配下において加害者の愛情(愛玩)を受け入れる義務がある。しかしそれでも加害者は満足出来ない。暴力で勝ち取った愛情など信用できないからだ。■さすがに監禁や強姦は極端だろうが、それでも相手をピンで止めるような「優しさ」は日常生活の至る所で見られる。気を付けないと。 [ビデオ(字幕)] 10点(2010-08-13 01:04:57)(良:1票) |
7. 光州5・18
《ネタバレ》 妻投稿■よくツタ屋で「戦争の狂気」という題目で売られている映画。私はこういう分野の映画には2種類あると思っていて、1種類目は「ジョニー・マッドドッグ」や「ホテル・ルワンダ」みたいに、私が映画を見て、「遠い世界で行われる人間の狂気を知って恐怖を感じた気になって」、「まあああいう国に行かなければいいや」と夕食を続けるタイプの映画。もう1種類目は「狂気」というものを感じさせない割には「こういう事が目の前で起こったらどうしよう」という生理的恐怖を感じさせる映画。私にとってこの映画は後者のタイプだ。■突然軍隊がやってきて市民を無差別に殴り殺す。パンツ一丁でトラックに乗せられる。政治的にはいろいろあったけど経済的には日本と同じシークエンスを経ている(つまり風景がちょっと前の日本と似ている)世界でこういう事が本当にあると言うのが言いようのない暴力の恐怖をストレートに伝えて行く。この映画の上手いところは「何でそんな事が起こったのか」「人間の狂気」「戦争の狂気」なんて鼻から論じるつもりがない事。もう「何で?」なんて関係なく殴られ殺される。その点が「暴力の理由なんて後から理由づけされるもの」という歴然たる戦慄を上手くあらわしていると思う。■後半市民軍が結成され、解放区が作られてワイワイガヤガヤやっている風景や、そうした団結が軍隊の圧倒的力の前には脆くも潰されてしまうという無惨すぎるラストは、「暴力」「軍隊」と言うものの本質をストレートにぶつけていると思う。軍隊や自衛隊は主権国家なら必要かもしれない。でもその本質はああなんだから、ちゃんと国民は管理しなきゃね。 [DVD(字幕)] 7点(2010-08-05 04:11:45)(良:1票) |
8. コンゴ
《ネタバレ》 妻投稿■平均点ワーストランキングに出てくる映画では私にとって貴重なジンバブエ・ドル映画。コンゴ(民主共和国の方)ではホテル・ルワンダがギャグに見えるくらいの残虐行為と無秩序が国土を覆っていて、でもこれを糾弾すると映画やテレビが”抜本的理由”で成り立たなくなっちゃうから(「コルタン」や「タンタル」をフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でググって下さい)、85年版ゴジラが東宝映画館のある銀座を火の海にしないというのと同じ馬鹿馬鹿しい理由で、メディアにはほとんど取り上げられない。だから私にとって、「コンゴ」という題名は、ゲリラの資金源になっているテレビリモコンをカチカチやりながら「コンゴって酷い国なんだね」と言う私自身のとんでもない矛盾(これはホテル・ルワンダでホアキン・フェニックスの言っていた「矛盾」より数倍悪質だと思う)を暴きだしてくれる映画のはずだった。■でも、映画に出てきたのはゲリラではなく、ゴリラだった。「仮面の恐怖王」という江戸川乱歩作品で、小林少年をゴリラのきぐるみで追いかけまわして喜んでいる怪人二十面相もどきが喜びそうな映画だ。■でもアフリカ問題ってどうなんだろう。ソマリアは海賊が悪い。ジンバブエとスーダンは援助している中国が悪い。で、コンゴの山賊は誰が援助しているんだろう。まあ、これはパソコンで「みんなのシネマレビュー」を日本人が楽しめている時点で答えは出ているんだけど、ま、そこは置いといてゴリラにいっちゃいましょう(大慌て)。 そういえば1995年はまだコンゴはザイールだったっけ。 [ビデオ(字幕)] 3点(2010-06-30 02:34:54) |
9. コドモのコドモ
《ネタバレ》 妻投稿■■ミリオンダラーベイビーでも書いたけど、私の知的障害仲間で性的虐待で出産したダチがいるし、私自身11歳くらいの知能ながらレイプ被害の経験がある。個人的に「性」の問題をタブー視するほど人間世界は平和とはとても思えないので、こういうテーマを扱う事に関しては共感できるし、映画ってのは脚色や美化をするものだから(観客がそうじゃないと思う事の方が怖いと思う)、重いテーマが脚本家によって純粋ドラマからドロドロドラマにまで広がるのはむしろ大歓迎だ■■が、それでも私はこの映画を許す気にはなれない。理由は「くっつきっこ」の一点だ。赤ちゃんを「ジュブナイル」のテトラや「のびたの恐竜」のピー助みたいなポジションにしたい都合上、「性の意味を知らないでやっちゃった」という脚本にしたかったのはわかる。だが、実際は7歳だろうと8歳だろうと「性」の意味がよくわからない知的障害者だろうと、性器を触られたりひっつけたりされる事はPTSDや解離性障害などという形で、大人になってからも一生「生存」「幸福」「希望」の概念が根本からひっくり返されるくらいの生傷を心に負う事になる。ガキだろうと砂利だろうと絶対に一個の人間が「くっつきっこ」なんて自分からやるはずがない。これは美化や脚色ではなく題材に対する悪質な「ナメている」だと思うし、「小学生の禁断の性愛」を描いていた方が何百倍もマシだと思う。■■とりわけこの映画は「命の大切さ」を描く話らしい。私個人は「命の大切さ」を共通前提の存在として無邪気に信じると大変なことになると思うけど、でもどうしてもそういうテーマを描きたいなら、上記の「くっつきっこ」は本末転倒だろう。どうも最近「命の大切さ」を描く話だと「タブー」を扱う事が許される空気があるようだが、「タブー」は多くの場合「命の大切さ」が通用しないからタブーなのだ。脚色や美化の仕方を間違えると、相反する矛盾を描いた作品ゆえにとんでもない間違いを引き起こすいい例だと思う。 [DVD(邦画)] 2点(2010-01-02 05:16:03)(良:1票) |
10. こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE
《ネタバレ》 妻投稿■勝鬨橋のシーンが「逮捕しちゃうぞ」の映画版と全く同じだ!!■ところで少年ジャンプの映画って長続きしないし、ヒットしないという傾向が強いと言われるが、それはそもそも30分アニメからして主人公の置かれている世界が、「努力、ライバル、友情」の名のもとに凄まじい世界だからだ。主人公は人間離れしているし、街がぶっ飛ぶ荒事は当然だし、もはや映画化不要。観客は30分アニメの映画版には「非日常の中の非日常」を期待しているのであり、ドラえもんやクレヨンしんちゃん、江戸川コナンが犯罪組織や悪の侵略者を相手に、「漫画の中の日常」が消滅しかねないカタストロフを演じる事、その中で30分の日常では見られない一面や生存を垣間見せる事を期待しているんだと思う。両津がミサイルの上で「うわー」と喚いても、ピラニアやワニ、マリアに追いかけられて絶叫する両津と変わらない。「飛行機に突っ込んでも生きているんだから葛飾で爆発させても大丈夫じゃん」と思ってしまうしね。■ところで葛飾区には地下鉄なんて走っていないでしょ。 [地上波(邦画)] 4点(2009-12-02 02:20:58) |
11. ゴジラVSメカゴジラ
《ネタバレ》 妻投稿■図書館で鑑賞(今日は怪獣シャワーですね)■さて、平成初期のゴジラVSシリーズをよりにもよって「お子様映画」ではなく「大人映画」と見てしまうのは多分私の幼さなんだと思います。そのうえで断言すれば、世間で評価されている平成ガメラシリーズは「人間が支配している現実世界」に非日常的怪獣が偶発的にぶつかってきているのに対し、ゴジラVSシリーズが描いているのはそもそも「世界を支配しているのは実は人間ではない」世界なんだと思うんですよね。つまり「世界を支配しようとする人間とそれに対抗しようとする怪獣との戦争(と思い込んでいるのは人間だけだけど)」を描いているのだから、プロパガンダ戦争映画みたいに(リアリティの名前の下に)人間メインばっかりに描く必要はなく、だからVSゴジラは「怪獣の目線」カメラで怪獣が街を闊歩する様子が演出されていると思います。つまり「怪獣プロレス」は描きたいものズバリなわけです。■そうした趣旨で描かれているシリーズなわけだから、いつかは人間が怪獣目線で本格的に戦う兵器が出るのではと思っていたけど(スーパーXやメカキングギドラにその前兆はあった)、本作と次回作のモゲラがそうだったんじゃないでしょうか。■映画では人間と怪獣の戦争だけど、両者の武器である科学vs破壊が火花を散らす一方、母性と生物的同族保護本能が両者を結び付けるなど、なかなか一筋縄ではいかない脚本もあり、リアルで濃厚だけど人間視点から見たためにある意味善悪二元論に陥っている平成ガメラや、少年ジャンプもどきみたいな「努力、友情」という人間の感情ばかりメインにしているミレニアムシリーズとは違った良さをたたえている作品ではないかと思うのですが、どうでしょうか■音楽が凄い好き。 [ビデオ(邦画)] 8点(2009-09-29 20:05:39)(良:1票) |
12. ゴジラVSキングギドラ
《ネタバレ》 妻投稿■ごめんなさい。投稿者数50人で平均点5.00点という奇跡とも言うべきシンメトリーを私が壊してしまいます。■それはともかく、この映画のキーワードはズバリ「1991年」。私がまだ6歳だったころお母さんと映画館で見て、最近見直しました。この時代は冷戦が終わり、バブル真っ盛りで未来志向の時代。この映画もビオランテまで確実にあった黒とこげ茶色に非常口の緑を加えた「昭和的映画世界色」が一気に廃されています。司令部のデザインも前衛的だし、暗闇のシーンが多かった前二作と違って昼間のシーンを多くして、ゴジラ1984では真っ暗な中に立ちはだかっているだけだった新宿副都心の未来さを際立たせています。未来人のネタや過去や未来に縦横無尽に飛ぶストーリー、キングギドラまで未来志向にしてしまうあたりには、「ゴジラというSFを使い、どれだけ映像の世界で未来を描けるか」に果敢に挑戦した作品だと言え、2009年の今見れば合成や映像技術にダサさも見えますが、このダサさも「懐かしさ」と「未来」が複雑に融合した独特の味を見せてくれています。VSシリーズではビオランテと並んで凝ったストーリーですが、ビオランテとは対極にある方向性を見せていると思います。ゴジラザウルスがタイムスリップする際にわざとらしい感動的な光のオーブを見せるのではなく、CGで浮き上がったゴジラザウルスの形が細かいパーツごとに消えていくのと交互に見せる演出はかなり秀逸。キングギドラとゴジラが交互に敵味方になったり、人類の科学力故に主人公の苦肉の決断がよりシッチャカメッチャカな事態を生みだす堂々巡りともいえるお話は、ゴジラのメッセージを「未来」という絵具で表現した結果ではないかと思います。 [DVD(邦画)] 8点(2009-06-01 22:23:38)(良:1票) |
13. GODZILLA ゴジラ(1998)
《ネタバレ》 妻投稿。■模倣というのは単なるパクリではなく、オリジナルに対する勉強とそれに対抗できる自分の解釈が模倣者には求められるのだと私は思う。その点からすると私はこの映画を支持できる。少なくとも監督は日本の怪獣というものは人間が上を見上げるものだということを理解しているからだ。■その上で解釈を変えてみた・・つまりゴジラの頭と人間の頭を結ぶ直線と地面との角度を、日本版の30度未満から、80度以上に変えてみたのだ。ゴジラがイグアナになったのも、この解釈の違いから来ている。あまり速度の出ない直立二足歩行の日本版だったら、80度90度の位置から人間が見上げる描写を描くにはかなり無理のあるものになっただろう。しかしティラノサウルス型になったことで、「人間の持つ巨大生物に対する畏怖」の描写に新たな要素が加わったのではないかと私は思った。■本作はアメリカの核実験に対する反省が表現されていないと非難されているが、怪獣映画を作るには軍隊の協力を得ないと作るのは難しいので、ストレートには表現できないという妥協はあると思う。それでも人を襲うためでも侵略のためでもなく、魚をとるためにマンホールから悠々と現れるその姿は現実のホホジロザメやライオンを見るときに感じる畏怖詠嘆が表現されていると思うし、それを米軍が発砲して全部がめちゃめちゃになる場面はそれなりにメッセージ性があるのではと思う。■ただラストのジュラシックパークとロストワールドには萎えた。 [DVD(吹替)] 9点(2009-04-14 20:09:02)(良:1票) |
14. コラテラル
《ネタバレ》 妻投稿です。旦那と会話しながら観ました。■■■■旦那:「トムクルーズどこに出てるの?」私:「黒人じゃないほうよ」■私:「うわー、人が降ってきたよ!」旦那:「上で何があったんだろう」私:「この豚は60億人の中のたった1人だって」旦那:「そんな当たり前の事言われてもわかんねえよ■私:「なんかパソコン壊しちゃったからパシリされてるよ?」旦那:「自分でやればいいのに」私:「そうだよね・・ゴルゴ13だったらさりげなくやるよね」旦那:「ほら案の定大騒ぎになっちゃった」■私:「あれ? ニホンオオカミってまだ生き残っていたっけ?」旦那:「絶滅したよ。でもここはアメリカだから普通のオオカミじゃない?」■旦那:「なんか白髪が黒人にお説教している」私:「そういう奴って多いよね。他人を酷い目にあわせておいて、お前がああだからこんな目にあうんだって言うやつ」■旦那:「おおー事故っちゃった」私:「殺し屋が逃げていくー。実は弱虫なんだね」旦那:「あれ? なんか黒人の女の人を殺そうとしているみたいだよ」■旦那:「うおおおお、白髪がくる、白髪が来る、白髪が来る」■私:「撃った? 撃たれた?」旦那:「白髪が負けたらしい」私:「殺し屋って言っても大したことはないねえ」旦那:「地下鉄に置いていっちゃうんだ。これじゃあ、あの黒人殺人罪で捕まるよ?」私:「黒人の女のひと検事だから大丈夫じゃん!」旦那:「あ、朝になった」私:「考えてみればこの映画、夜の数時間の話なんだね」■私:「この映画と私が小学校で今度読み聞かせる絵本『でてきて おひさま』とどっちが感動した?」旦那:「俺はこの映画かな。この映画、結構教訓になるよ。機会ばかりみて言い訳しないで、信念を持って行動せよって!」私:「私は絵本のほうかな。私は逆に、言いわけばっかで信念を持って行動できない人間に平和で平凡な生活は送れないと思う(つまりタクシーの運ちゃんは殺し屋にとやかく言われる筋合いはない)し、信念よりも『朝太陽の下で生きたい』がためにおひさまのいる山に行く動物さんのほうが立派だと思うよ。『当たり前がわからない人間は当たり前を要求するな』と戦っているんだよ!」旦那:「でも引きこもりのおひさまを空に出すのって、『太陽よ!少し近づいているので離れてくれ』という某サル踊りヒーローより難しいからね」私:「あれ、うちら、何のレビュー書いていたっけ汗」 [地上波(邦画)] 7点(2009-03-05 06:50:03)(笑:1票) |
15. 恋人はスナイパー 劇場版
妻投稿。こういうお涙ちょうだい翻弄映画は「最後どうなるか」「最後どういう結論を出すか」だろう。それを曖昧にしてしまうこの映画ははっきりいってクソだ。これが制作陣の「4を出そうかな、でも視聴率や収入次第でやめようかな・・・どっちでもいいようにしないと」という結論でそうなっているのなら、これは映画と観客を馬鹿にしているとしか思えない。もう2度と映画という舞台に出てくるな。 [地上波(邦画)] 0点(2009-02-28 14:52:12) |
16. ゴジラ(1984)
《ネタバレ》 1954年から30年たち、高度経済成長でかつての悲惨な戦争を忘却したかのように発展する東京にゴジラ出現。笑い、楽しみ、毎日を懸命に生きていた日常が破壊される大勢の人の絶望と、1人の人間の苦悩と勇気がリンクし、それが戦争の悲しみと痛みというメッセージに繋がっていく秀逸なオリジナルをどうリメイクするかを楽しみに見ていた。先代の映画で表現された破壊シーンから感じられる戦争の不気味さと恐ろしさを、西新宿のビルでどう再現するか期待していた。きっと巨大なビルが蝋燭のように燃え上がる姿は、その下にいる人間から見て、いや日本人から見て怖い・・恐ろしい絵図になるかもしれないと具体的想像までしていた・・・・。何でそれが武田鉄矢になるんだ? [ビデオ(邦画)] 4点(2009-01-14 03:03:12) |
17. ゴーストシップ
冒頭のあれが怖くて、おばけも殺人も怖くなくなりました。見る価値はない。 [地上波(吹替)] 3点(2008-12-13 04:25:46) |
18. 皇帝ペンギン
《ネタバレ》 某DVD屋さんで「皇帝ペンギンをお願いします」「はい、わかりました」で意気揚々と家に帰って見たら意外にも下ネタや卑猥なギャグが連発。みなさんのレビューを見て何かおかしいと思って(気付かなかったのか)パッケージを見たら「童貞ペンギン」。想像してください「・・・・・・・」その時の僕の気持は南極に立ち尽くす雄ペンギンの姿でした。ただこの「童貞」と「皇帝」の2作品を見て思った事は、動物の営みを人間がどう解釈するかは自由だということ。見方を変えれば下ネタにも感動物語にもなる。映画というものは「出来事(現実架空問わず)に意味を与える」エゴという名の芸術なんだと僕は思う。実際のところペンギンは鳥類だから子育てなんて愛情でなく本能だと思うが、動きまわるペンギンを玩具にとったフィクションの感動物語とすれば、映像といい「奇跡の海」に通じる不条理な世界で不条理ながらも一途に突っ走る登場人物の姿を垣間見れる物語といい、悪くはないと僕は思う。 [DVD(吹替)] 8点(2008-10-24 23:09:21) |
19. ゴジラ(1954)
《ネタバレ》 これほど怖く、悲しい怪獣映画はあっただろうか。逃げまどい焼き殺される人間たち。その背後にうごめくまっ黒な影。惨状を前に、科学者としての良心に苦しむ芹沢博士と、彼が人類のために下した悲劇的な決断。そして断末魔の悲しい咆哮をあげて消えていくゴジラ。骨になり消えてしまったゴジラをよそに無邪気に喜ぶ船上の人々。全てが戦争に対する恐怖、怒り、そして悲しみを見事に表現している。ラスト、喜ぶ人々をよそに「あれが最後のゴジラだとは思わない」とつぶやく山根博士は、戦争の忘却に警鈴を鳴らしていると解釈できるし、最後の敬礼シーンは戦争で殺された全ての人々にこの映画を捧げるという意味なのだろう。この映画は素晴らしいエンターテイメントであると同時に現代未来の人類に贈られた強いメッセージである。 [地上波(邦画)] 10点(2008-01-31 01:35:25)(良:1票) |
20. ゴジラ FINAL WARS
この映画は怪獣が出ているシーンより人間が出ているシーンの方が面白かった数少ないというより類を見ない映画。メカギラスの時でさえあった破壊のカタルシスが全くない。いつの間にか大爆発で町が味気のないCG廃墟になっている暴挙。そんなところで戦われてもしらけるだけだし、見たまんまのめり込んでしまう私でさえ、ぶっちゃけ巨大生物が戦っているというよりスタジオで戦っているという気さえしてきた。間違いなく怠慢だし、怪獣映画として見るなら間違いなく0点だ。が・・・・ゴードン大佐・・・誰が何と言おうとゴードン大佐である。ゴードン大佐とカルト宗教連中みたいなX星人、そいつらに洗脳された人間連中がある意味において素晴らしく、怪獣ではなく人間に6点を捧げたい。そしてゴードン大佐はゴジラと戦わないで、バルタン星人あたりと戦ってください。たぶん脚本上、あなたには彼らが一番対戦相手として合っています。あとミュータント育成所の制服、悪趣味です。あれは正直どこの独裁国家なのかと思いましたよ。 [DVD(吹替)] 6点(2008-01-27 00:38:29) |