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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1282
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  コーカサスの虜 《ネタバレ》 
原作は当然読んだことがない。時代設定を第一次チェチェン紛争時に移したとのことだが、撮影場所は主にチェチェン共和国の隣のダゲスタン共和国だそうで、地形や自然環境は似たようなものと思われる。 1990年代のはずだが、捕虜のいた山岳集落はまるきり前近代の暮らしに見える。また近場の町はダゲスタンのデルベントという都市で撮影したとのことで、映画ではそこに軍隊も駐留している想定だったらしい。紛争が起きたとはいえ、それまで同じ体制下でみな普通に暮らしてきていたことから、人の行き来もコミュニケーションにも不便はなく、敵味方の間に明瞭な境界のない微妙な状態のようだった。  ドラマとしては主に、敵味方の観念を越えて人間同士がわかりあえるかの問題かと思った。少女と若い男の交流もあったが、ほか特に親子の情が重く扱われていたように見える。 少女の父親の最後の行動は、若い男の母親の「信じていいですね」への答えだったと思われる。およそ約束というものが全て守られる保証はないにしても、少なくとも双方の切実な利害をかけた約束を守る律儀さはあったようで、特にこの場合は母親と父親の立場でした約束だったために守られたのかも知れない。ただし敵側についた子を射殺する親もいたわけなので、親子の情は同じはずでも敵味方の観念が勝つ場面もあったということらしい。 なお終盤でヘリが飛んで行ったのは、これは反戦映画です!! というお手軽でわかりやすいアピールのようで感心しなかった。しかしやる気のなさそうだった司令官が母親の情にほだされて決意したのだとすれば、母親の情が敵味方の両方を動かしたという皮肉な結末だったとはいえる。  その他、夢に出てくれないというのは面白い発想だが意味不明だった。生きた人間同士であってもいつかまた会えるとは限らないわけで、とにかく本人が憶えていることの方が大事ではないか。年上の男は殺した敵を忘れていたが、若い男は敵味方で人を区別しなかったので、敵味方関係なく憶えていさえすれば、本人が必要とした時に夢に出て来るのではと個人的には思った。 また若い男が少女にくれたモビールはなかなかうまくできていた。少女が窓際に飾ったのを父親も咎めたりはしなかったので、こういうのを愛でる感覚も敵味方を越えていたらしい。
[DVD(字幕)] 6点(2024-10-19 20:33:03)
2.  コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~ 《ネタバレ》 
平和国家として大人気の中米コスタリカを扱ったドキュメンタリーである。外国映画なので最初から最後まで空想的平和主義で通すわけでもなく、平和を目指した努力を現実的な面からも説明している。なお90分版と57分版があるうち90分版を見たが、反戦平和を語りたいだけなら57分の短縮版で間に合うと思われる。 実態として「コスタリカの非武装は米軍の庇護のおかげ」という見解もあるようだが(ナレーションで言っていた)、確かに中米の小国がそれぞれ強力な軍隊を持つ必要などない気もしなくはない。特に中南米など軍隊が内政の不安定要因でしかないとすれば、廃止した方がいいという発想自体は理解できる。その上で周辺地域の国際環境が許すと思えば、強い決意をもって採用しうる方法かも知れない。 現実問題としては集団安全保障や国際社会への働きかけで自国の立場を保全してきたとのことだが、特にアメリカのせいで平和主義が脅かされたことは何度かあったようで、その都度自らの才覚で切り抜けてきた実績があるらしい。また自国の安全保障のあり方をモデルとして他国に提案するとか、中米の平和に貢献する具体的な活動も行ったと紹介されていた(1987ノーベル平和賞)。 映画の最後に安全保障上の根本的な脅威として、コスタリカの対極にある「永久戦争国家」たるアメリカの存在を、アイゼンハワーの退任演説を引き合いに出して指摘していた。確かに危ない国だ。  軍隊の廃止のほか、「中産階級」の重要性についても車の両輪的に強調していた印象がある。1948年の内戦後の社会改革に関して、当時の指導者が「中産階級革命」と表現したというのは少し感動的だった。 中間層が厚ければ社会が安定して民主主義も良好に機能するはずであり、そのために軍隊を廃止する一方で、社会保障や教育に力を入れた福祉国家を作ってきたところが、90年代からの「いわゆる新自由主義」や「グローバリゼーション」による格差拡大で中産階級の存在が脅かされ、社会の根幹までが危うくなっているとの指摘がなされていた。これは多くの国にとって他人事でない、まさにグローバルな問題提起と思われる。  その他の事項として、(アメリカばかりに依存せず)欧州やアジアから開発援助を受けたという場面で日章旗とTOYOTAの看板が映ったので、こんなのをいちいち見せなくていいという気分だった。またその直後に東洋の某大国がサッカースタジアムを寄贈したと説明が出て、このために台湾と断交したわけだなと言いたくなった。 ほか無名の語り手の中で「コスタリカ人も先の見通しは立てる」と言った人物がいたのは、本人の見た目の雰囲気もあって少し笑った。地元民のようでも英語で話していたのはグローバル化に対応できている人と思われる。また終盤では、家族や友人だけでなく近所の知らない人々なども含めて身内同然であって、みながこの国をつくって助け合う仲間だ、と言う人物が出ていたが、こういう人がいるのはまともな社会かも知れないと思った。
[DVD(字幕)] 5点(2024-06-15 10:39:53)
3.  ゴジラ-1.0 《ネタバレ》 
最初はトカゲゴジラかと思ったら後でちゃんとゴジラ型ゴジラになっていたが、振りや表情がクサすぎて演技過剰に見える。映像面では重巡洋艦の主砲射撃と敢闘精神、また大正時代の峯風型から戦争末期の丁型まで揃えた駆逐艦が見どころで、震電も本物っぽい感じで飛んでいた。ちなみにゴジラが2万トンというのは高雄の倍くらいということだ。  ドラマとしては安手だが一定のメッセージ性はある。「この国」(身内や知人その他自分のいる社会を構成する人々)を守るための戦いは誰かがしなければならないことであり、自己都合で去るのは止めないが、自ら志をもって行くのを止めることもできない。ただし死ぬと決まった出撃ではなく、必ず生きて帰る前提だ、といったこと自体は理解できる。 ただしタイミングとして今それを言うかという感じではある。映画の設定としては戦争直後でも、いま製作するからにはいまに通じるテーマがあるだろうと思うわけだが、公開時点の国際環境のもとでは、極東有事の際は「米軍も当てにできない」から日本人が率先して戦おう!というような、勇ましいが不穏な空気を醸している。アカデミー賞の受賞は、そうなったら頑張って戦ってね笑というアメリカからの激励ではないか(どうせ武器だけ買わされる)。時事性の面では最悪だったというしかない。 なお時代を遡ることで反核色を消すつもりかと思っていたが、核兵器との関連付けは一応残してある。ただしそれは初代ゴジラの先行映画「原子怪獣現わる」(1953米)からのことであってアメリカでも常識の範囲内である。放射線量を測って首を振る場面は旧作にもあったが、この映画のは形ばかりで心がない。  ほかに「日本政府も…当てにできない」から民間主導というのは意味不明である。何か意図があったにしても最低限、金の出所がわからなければ納得できない(実はアメリカにやらされていたとか)。また「情報統制はこの国のお家芸だ」と言っていたのは別に「この国」(日本国家)限定のことではないだろうが、昔の人は視野が狭いということなら仕方ない。 最後にゴジラが生き返りそうになっていたのは、50周年で一度終わった邦画ゴジラに関し、今回の延長上でまたシリーズを始めるための仕切り直しだったという意味か。最後の病室で、浜辺美波さんの首筋をこれ見よがしに映していたのは意図があったようだが、そういうことまで好意的に受け取るのは完全に無理である(浜辺美波さん=沢口靖子か)。 全体として、視覚効果は現代風だがマイナス要因が多いのであまりいい点はつけられない。
[インターネット(邦画)] 6点(2024-05-25 21:12:00)(良:1票)
4.  ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 《ネタバレ》 
あまり真剣に見るものではないが、どうせ昭和の怪獣映画だと思えばそれなりに見ていられる。 エビとガの登場にはあまり必然性が感じられないが、劇場パンフレットに書かれた「陸海空の三大怪獣」というコンセプトで数を揃えた形らしい。新顔のエビラはハサミに大小があるが、小さい方で人間を串刺しにして食っていたので使い分けがあるようだ。終盤モスラが飛来した場面では、ゴジラとの間で何らかのコミュニケーションがあったように見えたが、劇場予告ではここでモスラが「来ちゃダメッ」と言っていたことになっていて女性的なイメージが持たれている。 場所が南洋の島なので当時の日本各地の風景を見られるわけではなく(ロケ地の海岸は別として)そういう面白がり方はできない。しかし最後に島が崩壊して沈下する場面は迫力があって、この辺はさすが日本特撮だと思った。  政治的な主張としては、大学生の反戦・反核は当時の定番として、悪の秘密結社のような敵はどういう団体だったのか不明瞭だが、呼称に「赤」が入ることから当時の東側陣営に連なる組織と思うしかない。「革命」という言葉を特別視していたようだったが、本来の革命というのは民衆が圧政に耐えかねて、または外部勢力の扇動で起こすものであって、劇中でやっていた核開発の延長上にあるものではないだろうと言いたくなる。しかし当初は革命の美名のもとに発足しながら、この頃には核兵器で世界平和を脅かす存在になっていた東側勢力を皮肉ったとも取れなくはなく、戦後の東西対立の中でゴジラを「中立」の立場に置こうという考え方だったかも知れない。 登場人物としては、水野久美さんはこの時期になってまたこんな村娘役かと思うがそこはプロである。露出の多い服装で藪や岩場を動いて傷だらけにならなかったかと思うが余計なお世話か。小美人は前と違う双子が出演して同じ声質でのハーモニーを聴かせている。外見は「謎の円盤UFO」(1970~英)のエリス中尉風だった(どことなく未来的)。
[DVD(邦画)] 5点(2024-02-24 20:13:05)
5.  コンパートメントNo.6 《ネタバレ》 
寝台列車でモスクワからムルマンスクへ行く映画で、列車内外の冬の風景やムルマンスクの都市景観らしいものも見える。映画評では「世界の見方が変わるような映画」と言われていたが個人的には何も変わらなかった。 原作付きの映画だそうだが、短縮のためか説明不足になっている気がする。主人公には特に共感できないので同室の男に関していえば、最初は粗野なだけに見えて実はけっこう愛嬌のある奴だったが、精神年齢的にはガキのようでもある。これはここの国民がこれで普通というよりも、この男個人として人格形成の過程に特殊事情があったのではと思わせる。しかし男の出自をはっきり示すものはなかったようで、ペトロザヴォーツクのガガーリンは何だったのか、住所交換を嫌うのはなぜかといったことが不明点として残る。 ただ少なくとも食堂車から戻ってからの主人公は男にとっての母親のようで、その後の行動はいわば愛する母への献身なのかと思った。いわば不良少年と母親の関係とすれば男女のラブストーリーではなかったことになる。男が言った「みんな死ねばいい」は絶望の表現だろうが(ガキっぽいが)、その心は主人公も共有できていたかも知れない。ラストで車内に陽がさして来たのは悪くなかった。 点数は普通につければ無難に5点くらいだろうが、製作国4つの中に個人的に嫌悪する国が入っているので採点放棄で0点とする。映画に罪はないだろうが感情問題ということで。 ついでに書くと自己紹介で名前を言われたのにアロハと答える奴の無神経さを憎む。隣国であるのにЛёхаが人名ということも知らないのか。
[インターネット(字幕)] 0点(2023-12-30 16:45:47)
6.  コタンの口笛 《ネタバレ》 
撮影場所は主に千歳市内(支笏湖を含む)とのことで、ほかごく一部を札幌と白老で撮っている。劇中で「今じゃもうありもしないアイヌの風習を見せて」観光団体を呼んでいたという白老には、現在では立派な民族文化の拠点施設ができて多くの来場者を集めているらしい。 現代の出来事として、2021.3.12に日本テレビの番組でアイヌに対する侮蔑的発言があって問題になったが、この映画ではその言葉がそのまま台詞になっており、実際にそういう言い方はあったということがわかる。劇中発言によると当時の社会は前よりましになったとのことだが、それでもなお差別があることの背景には、差別者の個人的問題(劣等感の裏返し、ただし中学生レベル)以外に、世代の違いのせいで前時代の差別感情から逃れられない場合があることが示されていた。ほか民族差別とは直接関係なく、古い世代の権威主義に対する若い世代の反発が表現された場面もあった。 一方で社会制度については特に問題視されていたようでもなく、当然ながら義務教育は万人に対して普通に行われ、また失業保険といった社会保障も全国民に共通になっている。鮭を獲るのが密漁扱いだったことに関しては、先住民の権利を国家が奪ったと解釈されるのが普通??だろうが、これも社会の構成員が等しく共通ルールに従うことの表現とも取れる。まだ人々の間に差別意識は残っていても、社会制度はフラットなものができているとの認識だったようで、個人的感覚としても先日たまたま見た中米グアテマラの先住民の映画に比べれば、日本は極めてまともだと思わされた。 物語上のポイントになっていたのは、登場人物の中で最も強圧的で横暴な人間が何と主人公姉弟の親戚だったことである。集団の全体が善または悪なのではなく、集団内にも善や悪の個人がいて、さらにいえば個人の内部にも善悪が混在して時代により変化もしていく。そのような認識のもとで、殊更に集団間の憎悪を煽り分断を拡大するようなことをせず、次第に改善されつつある社会において「一人ひとりが強く生きる」ことの方が大事だ、というのが結論だったらしい。そういう考え方が現代においてどのように評価されるのかわからないが、個人的には普通に共感できる話ができていた。 なお監督としては、戦後の時代において「広い世界の中の日本の立場におきかえる事の出来る」テーマがこの物語にはあるとの考えだったそうだが、これは現代でも基本的に変わらないと思われる。終わることのない圧迫に耐えながら、劇中姉弟のように諦めない姿勢を貫くことが大事ということで、劇中の美術教員の言葉を日本全体として受け止めるべきだということになる。  その他個人的な見解としては台詞がほとんど東京言葉のため、特に若年層などはアイヌか和人かという以前にそもそも地方民とは思えない。その中で主人公姉弟はまだしも純粋で真直ぐな人物像ができていたが、この二人を迫害する同級生の底意地の悪い発言や口調はまるで地方民を侮蔑する都会人のようで極めて不快に感じられ、本来のテーマとは別に地方民としての共感を誘う映画になっていた。ちなみに主人公姉弟の母は秋田県由利郡本荘町(当時)の出身だったとのことで、その良き地方民の資質が姉弟にも受け継がれていたものと想像される。
[DVD(邦画)] 6点(2023-08-26 10:52:10)
7.  哭悲/THE SADNESS 《ネタバレ》 
「哭声」という映画と似た名前だが1時間近く短いので、その点では見るのが楽だ。 残虐場面を見せることに特化した映画のようで、あらかじめその方面に関心のある観客が見て何らかの感慨が得られるかの問題になり、基本は間口の狭い映画ということになる。笑える要素もないので全く洒落にならない。 対象外の立場から突っ込むと、まず感染者から涙が出ていたのは設定上の説明があったらしいが、見ていた限りでは黒目が変になる病気なので涙が出るのかとしか思われず、結果として題名の意味も不明になっていた。また人間誰しも残虐性があるという話で製作姿勢を正当化していたが、見ている側としてはお前らと一緒にするなというのが率直な感想だった。ただ確かに、残虐行為を好んでする人間が同様の扱いを受けて当然と思うのは普通の感覚であり、その点で中年変態男が復活不可能なまでの打撃を受けていたのは痛快だった。ゾンビでないとすれば復活しないのかも知れないが。 ちなみにエンドロールで台北市、新北市などの各部局が多数協力していたが、国家をコケにして悪意だけをまき散らす映画を公的機関が平気で支援するのは鷹揚な国だと感心する。台湾映画ということで一応見たわけだが(「哭声」のついでということもあるが)、国の名前で見るのも大概にしておくかと思わせる映画ではあった。自由な社会で結構なことだ。 [2024/7/13変更] 最初は2点くらい付けたが半端だったので0にする。一般庶民が一生懸命守っている良心を踏みにじって嘲笑するがごとき制作態度であり、西洋でいわれる悪魔というものが実在するとすれば、そういうものを宿す映画として作ったのかと思った。こんなのを作っていて台湾は大丈夫なのか。
[インターネット(字幕)] 0点(2023-05-20 10:57:08)(良:1票)
8.  哭声/コクソン 《ネタバレ》 
ソウルなどの大都会ではない地方の町や集落、森林や山の風景が美的に映像化されている。場所は実在の全羅南道谷城郡とのことで、郡内に「谷城邑」という町があり、その町の中に谷城警察署(中央路161)や谷城愛病院(谷城路761)というのもある(派出所は不明)。 ホラーとして終始不穏な雰囲気は出ているが、特に前半では娯楽映画に不可欠な?コメディ要素がちゃんとくるめてあるのが可笑しい。登場人物では「目撃者」がなかなかいい感じで、石を投げて来る場面は好きだ。また祈祷師の儀式はダイナミックで迫力があったが、その後のゾンビは出ない方がよかった。  物語としては何が起きていたのかわからない。世評によるとキリスト教の知識がなければ気づかないことが多いようで、基本は間口の狭い映画ということになるか。自分としては手の穴くらいはわかったが、「ヨブ記」についてはアメリカのホラー映画で出ていたにもかかわらず、そこまで頭が回らなかった。 宗教関係には突っ込まないとして、一つ思ったのは一連の事件が登場人物のうちの誰かのせいだと思い込んでいていいのかということだった。王朝時代の宮廷で呪いのかけ合いをしている状況ならともかく、現代の祈祷師でも病気平癒などの祈願をする際に、近隣の誰かが絶対呪いをかけているとまでは思わないのではないか。表面的な事象だけでなく、背景に何らかの動きがあるとすればそれも含めた全体像を捉えなければまともな答えは出ない気がする。 しかし一般論としてはそのように思っても結局何もわからないので、邦画によくあった独りよがりな難解ホラーのようなものと思って投げてしまいたくなる。監督はこの映画が「混沌、混乱、疑惑」を描写していると言ったらしいがそれでわかった気になるわけでもなく、残念ながら個人的には見えないものの多い世界が映されていたと思うしかない。全体的な印象は決して悪くなかったが、結果として好意的な評価はできない映画だった。残念だ。 なお一連の事件を全部キノコのせいだったことにしてしまうと映画にならないわけだが、これが現実世界の話ならそれだけで全部説明がつく(つけられてしまう)とはいえる。この映画に関して、自分は報道だけ見てキノコは危ないと思っていた現実世界の人間の立場だったと思っておく。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-05-20 10:57:06)
9.  こねこ 《ネタバレ》 
ネコだらけの映画である。主人公ネコの子猫らしい動きに和まされ、うちの♂♀もこんなだったかと思い出す。子猫の時期などほんの一瞬なわけだが、しかしそれなりに年を経てもなおその存在自体に愛嬌を感じさせるのがネコというものである。ラストの哀愁漂う場面で、下のネコが上のネコにネコパンチをくらわせていたのは笑った。 劇中時期は12月で、積雪はそれほどないようだが寒さは相当のものだろうと思われる。飼いネコでも昔は家を自由に出入りさせていたのは日本だけではなかったようで、行方不明のネコを呼んで歩くとか張り紙を貼るとかいう行動様式は、日本でいえば「うちのタマ知りませんか」という言葉を思い出す。 劇中ネコが街の人々に厚遇されていたのはネコ映画なので当然としても、やはりネコを愛する人々はどこにでもいるという気にはさせられる。満ち足りた一家でも孤独な男の家でも、それぞれにネコが人の心を和ませるからこそ、ネズミ退治の役目を超えてネコが世界で必要とされているわけである。人がネコ(や犬その他)に対して優しい気持ちを持てるようにするためにも、まずは人間社会の平和が保たれていなければと思わされる。 ネコ以外で特徴的なこととして、クラシカルな背景音楽が流れていると思ったら劇中音楽だったという場面が多かった。夫は音楽家で妻は設計士だったらしい。  ほか人間社会のことに関して、ペルシャ猫につけた「10万」という値段は、たまたま持っていた紙幣2枚で済んだのをみるとそれほど高額でもなかったと思われる。この頃は急激なインフレが起きていたとのことで、1998年には1/1000のデノミが行われている。 また夜に街灯が消えるという父親の発言が否定されていたのは意味不明だったが、これも時代の変化を表現したエピソードだったのか。昔はどうだったか知らないが、現代の大都会では深夜も明かりが絶えることがなく、日頃から早く寝ろと言われている子どもらもちゃんとそれを知っていたというのは、どちらかというと社会の自由化や解放感の表現かも知れない。今の世の中何が起こるかわからないという台詞(字幕)もあったが、世界が変わっていくのは当然として、できればいい方へ変わってもらいたいわけだがそうとも限らない。
[DVD(字幕)] 6点(2022-08-06 09:41:02)
10.  52Hzのラヴソング 《ネタバレ》 
ダンスはなく歌が主体のミュージカル映画になっている。主な出演者は役者ではなく歌が本職のようで、台詞よりも歌で語らせて物語を進めていく趣向らしい。視覚効果もあってか色彩豊かでファンタジックな劇中世界ができている。 内容的にはバレンタインデー(2/14)のラブストーリーになっており、全部数えて6組12人の幸せな日を描いている。同性婚の2人が里子を迎えたのは今回のタイミングに合わせた形だったらしい。  基本はラブコメ的に気楽に見ればいいのだろうが、作り物感のせいでいま一つ乗れないでいるうちに、晴れやかなはずの合同結婚式が変に心騒ぐ場面になっていて冷めてしまう。主人公の一人である公務員にとっては落ち込む一方のイベントだったらしく、せめて法的に認められない同性婚を祝福させようとして市長に花束を渡したのかも知れないが、そこで一輪返されたのは、他人より自分を心配しろと言われたようでさらに落ち込んだということか。 多くの登場人物が物語を通じてプラス方向に動くのに対し、この公務員と彼氏の関係は最初からマイナス続きで、最後はもうこれは駄目だと思わせるところまで落ちていく。それでいて最後に逆転する形式だったのは、うまく同調できれば大感動なのだろうが、終盤の展開に納得感が全くないので勝手にしろと突き放したくなった。それ以外はまあお幸せにという気分にはさせられた。  なお合同結婚式で台北市長が、産めよ増やせよ的な発言を平気な顔でしていたのは危なっかしいので気が気でなかった。日本ならこの手の発言をした政治家などメディアに総叩きされるだろうが、ただこの柯文哲市長は実際に自由な発言で失言王のように言われた人物らしく、それを前提にしたブラックジョークのようなものと思えばいいか。 ほか登場人物としては、同じ監督の「海角七号」(2008)の出演者が大挙出ていて見た顔が多い。劇中で最も普通に可愛く見えるのはレストランの若手スタッフだったが、この人が海角のひねくれ少女の成人した姿だったのは感動した(昔から可愛かったが)。また「セデック・バレ」(2011)の主役が渋い顔で出て来て、今回もちゃんと歌を歌っていたのも感動的だった。 ちなみに台北なんてクソ食らえとかギターを叩きつけるぞとかいう脈絡のない台詞は、海角のセルフパロディなので笑った。また花屋の店主(小心花店的老闆娘)が年齢をごまかしていたのも可笑しい。この人が歌ったネコの歌(トゲの歌)は結構よかった。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-04-23 11:47:32)
11.  この街に心揺れて 《ネタバレ》 
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅名は大橋頭駅だが、地名としては河港のある「大稻埕」(だいとうてい)という地域の「迪化街」(てきかがい)とのことで、レトロな洋風建築と近所づきあいの残る古い市街地のようだった。なお邦題は雰囲気で適当に付けてあるので気にしなくて構わない。 物語的にはもう若いともいえなくなってきた男女のラブストーリーだが、特徴的だったのは原題と英題のとおり、恋物語に数学を結びつけたことである。相手の男は数学者だが視野の狭い専門バカでもなく、一見無関係な技術や数理に即して人間界の真理を語る特性というか能力があったらしい。最終的に重要だったのは「オイラーの等式」なるもので、これは文系の立場からすると忌避感を催す言葉だが、要はそれ自体が一見無関係な全く別のものをつないで調和させている点で、「縁」を象徴するものと意味づけたのがこの映画としての工夫らしかった。 ちなみに主要人物のほかに、世間の男女間をやたらに繋ごうとする変な若い男が出ていたが、これはシリーズ全体に関わる存在のようで、今回限りでは意味不明だがとりあえず大目に見ておく。  ところで別に台湾映画に詳しいわけではないが、どうも他の映画で見た要素が多く使われていた気がする。なぜか日本人が出るのは「海角七号」(2008)など、幼時の記憶は「トップガイ」(2014)、外国在住で帰郷を迷うのは「幸福路のチー」(2017)を思わせたが、これはいちいち真似しているというよりも、向こうでよくあるパターンだということか。ラストが空港だったのも、少し前に「風が踊る」(1981)を見たばかりだったのでまたこれかと思わされたが、今回なりの決着の付け方としては悪くなかった。 ほか個別の場面で結構いいところがあり、「女性が不機嫌なときは…」というのは先人の知恵を思わせる(魯肉飯5杯食いたい)。また家系が敵同士?だというのをロメジュリで茶化したのは、些細なことでも創意の働く基礎的なレベルの高さを感じさせる。即興でキラキラ星の変奏を連弾していたところでは、こんな特技があるとは聞いてなかったので反則だと思ったが、このあたりから主人公も可愛く見えて来た。 主人公男女以外では男の叔母が感じのいい人物で、甥が物事を数学で語ろうとするのに対し、歴史を語ることで対抗していたのは笑った。「肝心な時に決断しないと…」というのはその通りだ。向こうの人はちゃんとわかっている。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-08 14:05:59)
12.  ゴジラの逆襲 《ネタバレ》 
全体的に大阪と北海道の二部構成のようなのは少し変な印象がある。それ自体はいいとしても、最初に怪獣がいた場所は空撮映像からすると伊豆諸島の利島近くの鵜渡根島に見えたが(設定上は紀伊半島沖などか)、そこからわざわざ主人公の会社のある大阪に怪獣が来て、さらに支社のある北海道にまで来たのは、登場人物を怪獣が追いかけているようでかなり変だった。 また細かいことだが、料亭「弥生」での宴会の場面は必然性が弱い気がする。元同僚と主人公の顔合わせのためだとしても、主人公の婚約者が所在なさげにしているのは気の毒だと思ったが、同時開催の会社の宴会も酌婦がいたりして女性には居心地が悪そうだった。そこへ漁船沈没の急報が来ていたが、酒を飲んでしまっては飛行機を飛ばせないではないか…と思ったら結局は翌朝から出ていた。 なお大阪の警察が府警でなく市警だったのは、自衛隊を防衛隊というような架空の組織の意味かと思ったが、実際に昭和30年までは市の警察というのがあったらしい。制服に大阪市のみおつくしマークがついていた。  怪獣の出る場面では、せっかくのゴジラも前回のような得体の知れない恐ろしさが感じられず、やはり今回は怪獣バトルの方で見せる趣向だったと思うしかない。怪獣の動きが素早いのは撮影速度を間違えたからだとの話が伝わっているが、劇中の説明で「甚だ敏捷」と言っていたのとは整合しており、かえって新鮮な印象だった。日本では10年ぶりくらいの灯火管制で大都会が息をひそめたところで、夜空に照明弾が浮く映像は少し印象的だった。 怪獣映画としてはあまり取り柄もないようだが、人情ドラマの方を少し見てやるかという気にはなる。水産会社の社長が、缶詰工場を失って打ちひしがれるでもなく「必ず立ち直ってみせる」と言っていたのは頼もしい。戦後復興を担ってきた企業人はさすがと思わせる。また「花婿さん」に関してベタに泣かせようとする展開は今どきちょっとまともに受け取る気にはならなかったが、この男がプレゼントの相談をした時に、主人公の婚約者が見せた表情は非常に印象的だった。「金持ちのお嬢さん」にしても嫌味のない人物で、これから主人公とともに会社を盛り立てていってもらいたいと素直に思った。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-05-22 09:25:17)(良:1票)
13.  幸福路のチー
題名の「幸福路」とは戦後に拡大した台北大都市圏にある通りの名前だそうで、ストリートビューで見てみるとけっこう賑やかな街らしい。 自分としては全体的に「おもひでぽろぽろ」(1991)のイメージかと思ったが、台湾現代史が背景になっているため重みがあり、また「先住民族」(字幕)やアメリカ人とのハーフといった登場人物の多様性も出している。1975年頃は台湾にも米軍がいたということだ。 簡単に海外へ移住するなどは基礎的な行動力が日本人と違うのか、または国境のハードルを低く感じているのかと思ったが、結局最後は主人公も自分の生きるべき国を改めて選ぶ機会が生じたようだった。  物語に関しては、幸福とは何かという問題提起に始まり、当初は食う・寝るだけだったのが時代の変化や主人公の成長で変わっていく。本人としては王子様→悪と戦う→社会正義と発想が展開したらしいが早々に挫折し、苦しまぎれにアメリカに渡ってみたが満足のいく結果でもない。アジア人なら誰でもいいのだろうという発言はかなり攻撃的だったが、これは主人公の方こそ白人なら誰でもいい(王子様だから)と思っていたことの裏返しではないか。意外にも最後まで残ったこだわりが王子様だったようである。 迷っていたが最後には、かつてお姫様のように思っていた親友の現在の姿に感化され、不惑を前にして、自分として最も根源的と思えるものを選んだようだった。離婚したら両親が悲しむと夫には言われたが、実際はそうでもなかったらしく、本人も自分の決断に確信が持てたようなのは他人事ながら嬉しい。 ただしこれは終着点ではなく新たな出発点であって、まだまだ主人公には先がある。ラストは「悲情城市」ほど暗澹とした感じではなかったが(最後は2014年頃)、これから世界がどう動くのかわからない不透明さはやはりある。しかし主人公もその都度自分の目で見て考えて、自分なりの幸福を一生追求し続けろという年長者の教えを自分のものにしていたようだった。  登場人物の中では、洋風美女の親友が和み系の人で好きだ。角を立てずに丸く収めようとする穏やかな人物のようだったが、その娘はあくまで筋を通そうとする強気の人物だったらしい。また幼い息子が姉を描いた絵には笑わされた。 ほかガッチャマンの絵や「永遠的朋友」といった子ども同士の素朴な友情、また家族同士が見せる自然な感情には少し泣かされた。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2021-04-17 08:50:43)(良:1票)
14.  ゴースト・ブライド 《ネタバレ》 
ロシア製のホラー映画で、同じ監督のものとしてはこの後の「黒人魚」(2018)も見たことがある。 まず特徴的なのは、写真を撮ると魂を吸い取られるという昔の俗信を使ったことである。日本でも同じ理由で写真を嫌う人々が昔はいたと思うが、劇中のロシアではこれを使って死者の魂を保存するという、いわばポジティブな発想になっている。その実行過程で、死者のまぶたに瞳を描くのは日本ではギャグにしかならないが、劇中の古そうな写真を見るとたしかに不気味ではある。 最初のうちは期待しながら見ていたが、どうも疑問点が多いのは問題だ。「銀板」に魂を定着させたのは近代科学の成果としても、生きたまま棺に入れるのは科学と無関係な別の伝統的呪法に見える。現代の儀式になるともう写真撮影は不要だったので、発端で保存の機能を果たしただけだったらしい。もともと「古代スラブ民族」の雰囲気を出した土俗ホラーだったところに近代的なネタを組み合わせたが、すり合わせが不十分なようでもあった。 また呪いが現代に伝わった過程について一応説明はあったようだが、個人的には最初の事件(19世紀前半か)と「曽祖父」「お母様」の関係がわかった気がせず、部屋に籠っていた「曾祖母」と出歩いていた白い婆は同じものかもわからなかった。そのほか何かと不明・不可解・不明瞭な点が多く、邦画でよくある独り善がりの難解ホラーのようだった。 そもそもあまり怖くもないが、白い婆の立ち姿などは悪くない。「目を閉じて息を止める」という対処法も悪くないので、そういう怪異との共存を日常的に強いられてきた家族の苦衷がもっとしっかり感じられるとよかった。なお花嫁に性交経験のないのが必須というのでは、現代ではいずれ破綻するのが目に見えていたわけだが、劇中家族の立場としては今回一応の決着がついたということらしい。  登場人物について、新婚の男の名前(Vanya)は字幕でなぜかヴァンヤと書いてあるが、カタカナ表記だとワーニャと書くのが普通である(イワンの愛称)。ちなみにナスチャはアナスタシアの愛称らしい。そのナスチャ役のヴィクトリア・アガラコヴァという人は、前記「黒人魚」でも主演しているが、この映画でも非常に可愛い表情を見せたりして好きになって来た(国内向けの宣伝写真は最悪だが)。
[インターネット(字幕)] 5点(2021-02-06 11:17:51)
15.  この世界の(さらにいくつもの)片隅に 《ネタバレ》 
原作との関係ではいわば完全版ということになる。主に、前作でほとんど捨象されていたリンさんのエピソードを全面的に加え、夫婦それぞれの過去を見せることで対称性のある物語を再現している。今回はリンドウの青が色彩的に目について、すずさんのタンポポのイメージ(黄色)と対照的に感じられた。またすずさんも今回はより大人の女性としての姿を見せている(こんなにエロいとは思わなかった)。ちなみに、これだけ長尺でもまだ省略されているエピソードがある(ミヨセンセーノハゲアタマなど) 前作を含む映画版の特徴として、原作で読者の読み込みに任せていたところをわかりやすく示すということをしているが、ただこの新作版で伯父夫婦の語った周作の過去などは、適当に想像しておけば済むことなのでやりすぎだ。また原作に出た事物を別のところで出している例もあるが、「愛はいずこにも宿る」(「どこにでも宿る愛」)という言葉に関しては、個人的感覚では結果的に得られた感慨として扱うべきものであり、途中で安手の格言のように語らせたのは残念だ。 その他前作になかった点として、広島に救援活動に行った人々(伯父や知多さん)のその後の健康状態に触れた場面もあった。また「狸御殿」の様子(顔)をいかにもそれらしく描いていたのは笑った。  なお前作と共通だが、原作で終盤にあった「記憶の器」という言葉を、映画では「笑顔の容れ物」に変えていたのに今回気づいた。真意は多分同じと思うが、原作段階では亡くなった人々の記憶を背負って生きる義務を自ら課すという悲壮感のようなものも感じたのに対し、これを変えることで、亡き人々を暗い記憶の中に封じ込めるのでなく、あえてこの世に祝福されていた存在として記憶にとどめようとする意志が明瞭になっていた気がする。残った人々もこれからできる限りの笑顔で生きていこうとするのだろうし、エンディングで水玉模様の服を作る絵からもそのように信じることができた。 現実問題として、みんなが笑って暮らせるわけではないのは当然のことである。しかし時代や場所や境遇の差はあるにせよ、人というのは誰しも常に笑いを求めているのではないかという気もする。日常的な暮らしの中の笑いというのは、いわゆる普通の幸せの実体をなすものではないかという気もして、自分としてもそういうところをないがしろにしてはいないか、と反省されられた(態度を少し改めることにした)。今回は戦争と無関係に個人レベルのことだけ考えてしまったが、そこがこの物語の持つ力ということだ。 完全版とはいえ全面肯定でもないので満点にはしないが、ちなみにコミックレビューの方は10点にしてあるので、それが本来の点数である。
[ブルーレイ(邦画)] 9点(2021-01-02 10:26:08)(良:1票)
16.  コワイ女 《ネタバレ》 
題名を全体テーマにした3話オムニバスのホラーである。以下個別に書く。  【カタカタ】 バケモノの顔を見て最初はコメディかと思ったが、その後は特に笑えない。ラストは意外だったが別に驚くようなものでもない。かなり前に一度見た時のメモには「女子高生には全く見えない」と書いてあったが、そんなことを記録して何の役に立つかと今回思った。 なお個人的には中越典子さんを見ているのが好きなのでその点はよかった。色っぽい場面は特にないが脚はきれいに見えた。 【鋼】 かなり独創的。上の口と下の口という言い方があるが、下だけで上も兼ねているようなものか、または下だけあれば上など飾りですということか。中身はドロドロだとか針を飛ばして来るなど、荒唐無稽に見えても意外に現実に基づいた戯画化を意図したようでもある。 女優の菜葉菜という人の公式プロフィールでは出演作で『「鋼」ヒロイン』と紹介されているが、ヒロインであるのに最後まで顔を見せないのはひどい。と思ったら写真の顔が本人だったらしい(かわいく写っている)。下半身だけでのキャスティングでもないだろうが、かなり適役の体型であることはわかる。特に序盤で動きがかなりハードなので、こんな所から転げ落ちて本当に怪我をしたのではと心配になった。エンディングでは涼やかな衣装で踊りながら何度も回転していたが、目が回って倒れる直前でカットされているのは笑った。 【うけつぐもの】 「監修 清水崇」と出る。真面目な話なのはわかるが意味はわからない。 愛する者が自分を裏切って去ることを主人公が恐れていたのだとすれば、直前の離婚が影響していた可能性はある。また娘は対象外だった(2代続けて)ことからも、息子に対する近親愛とか小児性愛的な感情はあったかも知れない。しかしそれにしても今この段階でこういう行動に出ることに説得力がないわけだが、それを要は呪いのせいだということで正当化しているのか。オムニバスの1エピソードとして甘く見ていたので見落としがあるかも知れないが、ちょっと納得しかねる話ではあった。 なおホラーの作り方として、出来事の顛末を全部見せずに切り上げるのは嫌いでない。また主演の目黒真希という人はなかなか魅力的な女優さんだった。  以上、全体的にはそれほどでもなかったが、顔の見えない菜葉菜さんのためにもそれなりの点をつけておく。ちなみにこの人がちゃんと顔出ししている映画も見たことはある。
[DVD(邦画)] 5点(2020-12-26 15:29:53)
17.  コンテイジョン 《ネタバレ》 
何となく始まって何となく終わってしまう映画だった。別にハリウッド的大活劇を期待したわけではないので悪くはないが、正直言って退屈だった。 大筋としては現実味のある展開だったが、現時点で世界的に起きている感染拡大よりさらに深刻な事態ではあったらしい。略奪や暴動が起きるのはアメリカでは普通のこととして、日本人の感覚で完全に予想外だったのは、看護師の組合がストライキをするということだった。また対策に当たる公的機関としては、もはや日本人にも馴染みになったCDCとWHOが出ていたが、うちWHOが製薬会社と癒着していると誹謗されていたのは結局デマだった?ようで、やはり信頼できる国際機関がないと困るということだ。 ほか細かい点としては、妻と話せるかと夫が尋ねた場面は“実感がわかない”ことの表現としてユニークだった(あるいは気が動転して初めから話を聞いていなかったとか?)。また登場人物では、CDCでサルの身代わりになった人が見せた穏やかで愛嬌のある顔が好きだ。父親にとってはさぞ可愛い娘だったろう。  ところで一般庶民のする感染症対策としては、人との接触を避ける、握手しない、病気なら家にいる、頻繁に手を洗うといった常識的なことが語られていた程度だったが、ほかに重要だったのは「テレビやネットの噂」を信じて不安を募らせるなという点かも知れない。利己的な動機で人々の不安を煽る連中はどこにでもいて、やがて死滅するわけでもなく社会に巣食ったまま、ウイルスのように生き延びていくというのが一つの問題提起だったように思われる。 現在の日本でも、情報発信者にどういう思惑があるか(誰の得か)を想像しながら聞くのは必須と思わされる状況だが、加えて、どうもメディアが触れようとしない/逸らす部分があるらしいのは困ったことである。しかしとりあえず一般庶民の立場では、それぞれが感染しない・させない行動を習慣化して、災害だけでなく感染症にも強い社会を作っていくのが大事と思うしかない。日本人にはその素質が備わっている(ブタの血のついた手を服で拭いてから人と握手する調理師は日本にはいない)。その上で、弘化三年に肥後の海辺に出現したという「アマビエ」の絵でも見て和んでいるのがいい。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2020-03-23 20:29:03)(良:1票)
18.  コープスパーティー Book of Shadows 《ネタバレ》 
前回の時点で続編は見ないと宣言しておいてから結局見るのは阿呆というしかない。 内容的には前回の延長戦のようで、仲間を助けに行く話なら少しは人道的になるかと思ったが、死ぬ人間は死ぬと早々に宣告されてしまうのでは来た意味もない。新登場の猟奇殺人者は前回の用務員に相当するものとして、ほかにいわゆるピノコとか魔導書のようなのを動員して無理に話を盛ったようだが、それにしても最後の締めがありきたりで意外性も何も感じない。ちなみにエンドロールの後にも何もない。 友情とか愛情とか「強くなりたい」とか一応の人間ドラマを作ったようでもあるが、どうせ惨殺されて観客を喜ばすためのキャラクターが何をやっても茶番でしかなく、逆にそういう人の心をせせら笑って踏みにじるのが目的に見える。中学生向け映画にまともに物言うのも大人気ないが、もし騒乱や災害などで社会秩序が失われる事態になった場合、劇中の猟奇殺人者のような連中(中高生)がそこら中に湧いて出るだろうから、何より治安維持が最重要だという社会的メッセージを勝手に読み取った。 なお今回もS県A市が撮影協力しているが、この手の俗悪映画で名前を売って観光推進とは恐れ入る(※個人の感想)。「みんな!エスパーだよ!」(2015)くらいならまだしも笑って済ませられたが。  ほかキャストに関して、前田希美さんは引き続きこの人ならではの役を務めているが、その姉役で出た石森虹花(欅坂46)という人が、妹役よりも年下で童顔というのはどういうキャスティングなのか。演者の年齢では前田希美(93)>生駒里奈(95)>石森虹花(97)のはずで、今回最も変だと思ったのはここだった。
[DVD(邦画)] 2点(2020-01-04 09:29:37)
19.  獄門島(2016)<TVM> 《ネタバレ》 
NHK BSプレミアムで放送されたドラマである。冒頭の場面で、これは今までと違う金田一耕助だといきなり宣言したように見える。 ただしその後は意外にも、復員放送とか靴の傷といった原作の要素を細かく拾いながら、ミステリー部分を中心に手際よくまとめたドラマになっている。映像面で美的に感じられる場面も多く、これはこれで悪くないのではと思っていた。 しかし終盤に至るとまた意外にも、それまでおとなしくしていた制作側が態度を一変させたかのように見える。金田一と和尚の対決場面では、原作にある要素をちゃんと使いながら、刺激を何倍にも増幅させて痛快感と説得力を出しており、ここは正直圧倒された。金田一本人が気○がいのように笑うのにつられてこっちも爆笑してしまった。 またここで見せた金田一の隠れた側面が、ラストで出た戦争についての述懐にもつながっていたように思われる。全てを掴み切れた気はしないが、人命の空しさに関わる虚無感のようなものがあったようで、戦争体験が金田一の人物像に大きく影を落としていたらしいのは前の映画にもない独自の趣向に見えた。 原作自体があまり面白い話と思っていなかったので事前の期待との差が著しい。旧作映画のファンには受け入れられない面もあるかも知れないが、何のこだわりもない立場としては、これが原作付きドラマの鑑だと断言してやる。 ちなみに早苗さんへの思いを込めた場面もちゃんとあって切ない。  以下は個別事項として、登場人物では警部が有能そうで威厳のある立派な人で、この人物との関係性が金田一の真価を際立たせている。また鵜飼という男が、最後には金田一の戦友のように見えていたのは意外で面白い。ほか完全に捨象されていたのが「勝野」の存在で、1977年版で都合よく使われたのであえて外したとも取れるが、逆にいえばいなくてもいい人物だったということである(ネコは出ていた)。 キャストについて、仲里依紗嬢は個性的過ぎるので早苗さん役としてはどうかと思ったが、実際見れば可憐で健気な姿を見せており、この人の少女時代を少し思い出した。ほか熟女系の人々は今回あまり目立っておらず、代わりに三人娘が見どころともいえるが出演時間が短い。吉田まどかさん(花子)はまだしも最初の場面でものすごく可愛い顔を見せていたが(死に顔も結構かわいい)、秋月成美さん(雪枝)などどこがこの人なのか全くわからない有様だった。 最後に撮影場所に関しては、どうも瀬戸内海にしては海が広く、また山がちな小島にしては網元屋敷など広々として平たい場所に見える。祈祷師の言った「山が割れ…」の表現ということなのか「道遊の割戸」も映っていたが、見たことのある者からすれば原作と全然違う場所なのが明白であり(佐渡市相川銀山町)、要はエンドクレジットに出ていた佐渡と柏崎で撮影していたわけである。最初と最後で島のように見えていたのは小佐渡山地の北端あたりかと想像しておく。
[DVD(邦画)] 8点(2019-11-23 13:58:39)
20.  獄門島(1977) 《ネタバレ》 
ミステリーとしていいか悪いかは評価できないが、物語としては原作段階から納得できないものがあった。殺人の動機付けもそうだが、特にわざわざ見立ての手間をかけることの意義が感じられない。原作では楽屋ネタのようなことを書いて開き直っていたようだったが。 そういう原作由来の点は仕方ないとして、この映画では一部改変により動機の面で説得力を増しているといえなくはないが、四国八十八ヶ所など取ってつけた感もあり、時間的にも141分もあって最後まで見るのが正直つらくなる。最後に投身した人物が、見えない大きな力に動かされていた、と語っていたのが言い訳じみた感じに聞こえ、かえってこれは適当な翻案だと制作側も認めていたのではと思わされた。 ただ唯一、雀の五七五は極めて強引だがユニークな趣向で笑わされた。  出演者に関しては、男は見なくていいとして女優陣は多彩なようだが、個人的好みの関係もあってあまり心に残るものはない。重要人物の早苗さんという人は、原作ではあからさまに「かわいかった」と書いてあるので可愛くなければ困るわけだが、この頃の大原麗子という人は、可愛くないとは言わないがそれほどイメージ通りでもない。 また浅野ゆう子嬢は、当時の若手としては人気があったはずだが、この映画ではとんでもない役どころでかつあまり印象に残らない。この頃の姿なら同年の「惑星大戦争」(1977)、少し年増状態なら同じ監督の「八つ墓村」(1996)を見た方がいい(見なくてもいい)。ほかに坂口良子という人も出ているが、自分とは世代が違うので特に愛着を感じていないのと、劇中人物としては昭和(戦後)っぽいのであまり好きにはなれなかった。 結局、いい印象として最後に残ったのは雀の五七五だけだった。
[DVD(邦画)] 4点(2019-11-23 13:58:36)
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