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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1282
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  ザ・ミソジニー 《ネタバレ》 
ホラーだが別に怖くない(映像効果も安っぽい)のはいいとして、前作よりさらにわけのわからない映画だったのが腹立たしい。舞台挨拶で監督が、人生かけて考え続ける映画になることもなくはない、という意味のことを言っていたようだがそこまでの気力も熱意もない。映画の台詞でも、全部わかったら生かしておかないというのがあったのでわからなくていいことにする。  わからないなりに見たと思ったことを書くと、全体的には劇中現実の中に劇作家の仮想現実を入れ込んで、またその内部で劇中劇と、劇中人物が幻想で体験する物語が展開する複雑な構成のようだった。各物語の境界が判然とせず重なる箇所もあったりして、実際に何が起こっていたのかはわからない。出演者は重層的な物語の中で何役も務めていたようで、役としての関連性はあるのだろうが混乱させられる。服装による区別は比較的わかりやすいとして、ほかに劇中人物の年齢の違いを演技で表現したところもあった。 物語の流れを作る要素としては、劇作家の創作活動/一人をめぐる二人の争い/母と娘の関係/ヨーロッパ中世の魔女と現代の魔女/アメリカ帝国主義と戦う超ファシズムの団体(笑)といったものかと思った。また女性が背負う宿命の観念が根底にあったようで、こういったものによって題名の内容を表現しているのだろうが理解不能で何ともいえない。 なお天国はないとしても地獄はあるといった感覚は前作とも共通のようだったが、今回は性別による違いがあるという設定だったらしい。穴が不気味だとかあまり突っ込むと障りがありそうで触れたくない。  ところで劇作家がやっていたのは脚本の制作だったようで、できた台本で稽古するというより主役が参加して実演しながら作っていく形かと思った。役者の感覚を取り入れようとしたところもあり、また役者の実体験に基づく述懐をそのまま書こうという発想は実話怪談本的でもある。出演者はそれぞれに個性的で演技も印象的だった。 ちなみに個人的にはアメリカと戦う話が面白かった。思想としては前作のボリシェヴィズムに対するファシズムかも知れないが内容不明なのでいいとして、戦時中にアメリカに対抗できる「呪いの兵器」を日本が開発しようとしたというのは実現しなかったのが残念だ。ただし「巫蠱の毒」などというと本来は大陸系だろうから、もっと強力なものが日本以外で開発されると恐ろしい。
[インターネット(邦画)] 5点(2024-06-22 10:35:08)
2.  ザ・デッド インディア 《ネタバレ》 
「ゾンビ大陸 アフリカン」(2010)の兄弟監督が撮った続編とのことだが、登場人物の違う独立の話なので無関係に見られる。劇中世界は同じだが時間的には少し後のようで、アフリカで噛まれたインド人が国に帰って感染を広める形になっている。 ロードムービー風なのも前作同様で、今回は主人公がインド北西部のラジャスタン州から南方のムンバイまで500kmくらい移動する。風景は全体的に乾燥気味で、現地の名物的なものとしてスリムなサルが出ていたが、これはオナガザルの一種「ハヌマンラングール」と思われる。最後の砦はどこなのか不明だった。 ゾンビの性質は前作と同じなので、不意をつかれるとか集団に囲まれるのを避ければいいわけだが、それでも毎度エンジンのかかりが悪いなどで無理にスリリングな感じを出している。場所がインドというだけで、単純なゾンビ映画としてあまり特徴的なものはない。  場所柄を生かした趣向としては、インド古来の考え方から輪廻転生と業、因果応報といったものを取り入れたらしい。登場人物の話を聞いてもすっきりわかった気はしなかったが、若干面白かったのはゾンビを転生形態の一つとしていたことで、これは仏教でいえば「六道」にもう一つ「ゾンビ道」を加えるようなものかと思った。ゾンビに魂があるのかないのか不明だったが、前の人間とは別の魂(前世がサルとか)が入り込んでいるということならあるかも知れない。 また生埋めになったのは「共にいられるよう」という意味だと思うが、その元になった物語がそもそも意味不明だったのは困る。少し真面目に探したが、「ジャータカ」の関係で本当に生埋めエピソードがあるのかどうかは確認できなかった。劇中の話の通りであれば3人はいなくなるわけだが、みなでどこかへ転生するのか、あるいは即身仏になったとかいうことか(参考映画「湯殿山麓呪い村」1984)。少年は今回で成仏してしまいそうだったが、主人公は駄目だろうから次回以降に頑張ってもらいたい。 そういうことで、アメリカ人が東洋の輪廻転生の世界に取り込まれてしまった話かと勝手に思った。わけのわからない映画だが基本は好意的なので点数は悪くしない。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-03-23 16:12:54)
3.  裁かれるは善人のみ 《ネタバレ》 
撮影地はムルマンスク州のコラ半島とのことで、北極圏の海や山や街の映像が印象深い。この点でも非常に価値ある映画に思われる。 邦題の付け方からすると単純に、善なる庶民を虐げる権力は悪だ、と日本人に思わせたかったようだがそれほど簡単な話でもなく、そもそも誰が善人なのかわからない。主人公が妻と友人を失ったのは単なる自業自得のようでもあり、また正義の味方然とした都会の弁護士と、被害者に見える妻にも倫理違反があって、登場人物がみな程度の差はあれ善悪両方を備えていた。男は女を殺すという台詞があったが、その女が弱い男を殺すと脅していたのは性別関係なく荒れた社会ということらしい。 その社会に関していえば、ド田舎の古い体質が地方ボスをのさばらせている、という感想になりそうだがそういう地方レベルの話でもない。ここの国では帝政時代、キリスト教の神様のもとで政治権力と教会がともに国家を支える体制ができていて、その体制が現代において蘇りつつあることが表現されていたように思われる。寓意としてはクジラ=Leviathan=国家だろうが、これが原題であることからすれば映画のテーマは国家であって、劇中の町はいわば国全体の縮図ということになる。 神父様が主人公に話した旧約聖書の「ヨブ記」の話は、国家による統治の道具として宗教が使われてきたことを思わせる。実際に、主人公宅の跡地に教会が建ったのは神様が主人公から家を取り上げた形だが、そのような理不尽も受け入れて耐えれば長生きできるはずという皮肉な話ができている。冒頭クレジットにはロシア連邦文化省が資金を出した(「2014文化年」)と書いてあるが現体制には批判的で挑発的に見えるので、どういうつもりで政府が支援したのか不明な映画になっていた。  ところで主人公の息子を友人夫婦が引き取る動機について、友人妻は「分からない」と言っていたが、これは政治権力や神様などとは無関係に、素朴な民衆の心にこそ善が宿るという意味なのか。その後の「家族みたいなもの」という発言は、家族の紐帯を嫌う現代の西側自由世界の価値観には合わないだろうがそれはそれとして、とりあえず何がどうなろうとも、多くの庶民に本来備わった倫理や良心を守っていかなければならないというメッセージだと個人的には受け取った。 なお主教の説教の中で「善意による行いだと説き伏せようとする者がいる…倫理の根幹を壊す者にどうして自由を説くことができようか」(字幕)という部分を切り取れば普遍性のある言葉になっていると思った。善意と自由を振りかざして倫理の根幹を破壊しようとする者はどこにでもいる。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-12-30 16:45:49)
4.  サルバドル/遥かなる日々 《ネタバレ》 
中米エルサルバドルといえば2021年9月にビットコインを法定通貨にしたことで有名である(その後どうなったか知らない)。また2023年7月公開の米映画の評判に乗って、ピンク色の「バービー棺桶」を売り出した葬儀屋が同国内にあったとのことで(ガーディアン・AP通信→ハフポスト日本版)、そういう今風のことも話題になる国らしい。 映画としては昔の映画というしかなく、これを現在の目でどう見ればいいのか困る。初見時に印象的だったのは何といっても強姦→射殺の場面で、これは当時は過激と思われていたかも知れないが、その他世界には制作側の残虐嗜好を恥ずかしげもなく観客と共有したがる映画などもあるわけで、今となってはこの程度だと何とも思わなくなっている。何かと自由な世界というしかない。 主人公には言いたいことはあったらしいがどうすればいいかの考えはなく、単に言いたいことを言うだけの鬱憤晴らしか自己満足のようでもある。レーガンは悪者になっていたが、実際はそのレーガンの時代に東西対立が解消されて結果的に紛争も終息したわけで、その後は現地でも軍政から民政に移行する一方、劇中の革命組織も合法政党に衣替えして大統領も出している。現在は不法移民による人口流出や犯罪組織の拡大などもあって皆が幸せなわけでは全くないだろうが、少なくとも内戦時代よりはましと想像される。 人間ドラマとしてもあまり感情的に深入りする気にならないが、特に主人公の友人である報道カメラマンが感動要素として扱われていたのは素直に受け取れない。写真が人の心を動かすものだとしても、どういう状況で何を撮ったかわからない写真に適当にキャプションを付ける場合もあり、またそれ自体は事実でも使い方によって情報操作の道具でしかなくなることもある(湾岸戦争の水鳥など)。報道写真がもてはやされたのも昔のことのようで、劇中人物のように写真に人生をかけるのが喜びというタイプでもない限り、一般人として特に共感できるものはなかった。 ただアメリカは別に正義でも何でもないという主張は今日でも当然意味を持つ。後半で主人公が軍人や大使館員?(CIAだったらしい)に述べたのは監督の本音とのことだが、これ自体は普通に共感できる内容だった。この監督も今は陰謀論者のように思われているらしいが、今後とも自分の方向性を通していってもらうよう期待する。 なお皮肉ばかり書いたが、主人公が十字を切ったのを見て後の人々も一緒にやったのはいい場面だった。
[DVD(字幕)] 5点(2023-09-02 15:31:59)
5.  三大怪獣地球最大の決戦 《ネタバレ》 
三大怪獣+1が活躍する楽しい怪獣映画である。 洋上で船が襲われた時に、最初はクジラか何かが来たと見せておいて、実は後にゴジラがいたというのはフェイント感を出していた。またその後の横浜で夜空にキーンという音だけがして、やがてラドン(影絵)が見えて来た場面はなかなか迫力がある。今回初登場のキングギドラは、初回は卵のようなものに入って地球に来たことを再認識させられたが、一度は横浜→東京まで行っていながら(また東京タワーが壊れた)その後にちゃんと富士山麓の決戦場に出向いて来るのが筋書き通りの印象だった。 出現時点では一応恐ろしい存在のように見えても怪獣バトルが始まるとコメディになってしまう。ゴジラはやんちゃな悪ガキでラドンも同類、モスラはいい子(東京タワーを壊したこともあるが)というキャラクターになっていて、ゴジラがモスラにいろいろ言われてフン、バーカという顔をしていたのは笑った。真面目なモスラが地球生物の共通利害を説いたことで、結果的にゴジラとラドンも共感したかのような展開だったが、実際はモスラが一方的にやられていたのに腹を立てて加勢しただけのようで、モスラほど真面目な連中でもないと思われる。なおモスラは、防衛大臣が口にした核兵器の使用を回避するため尽力した形になっている。 ラドンはどちらかというと非力なイメージだったが、この映画ではゴジラを手ひどくやっつけていたのはなかなかやるなと思わせる。また一番弱そうなモスラの糸が意外に強力で、古風な表現でいえば「ほうほうのてい」でキングギドラが逃げていったのがざあまみろだった。  ドラマ部分では主人公兄妹の馴れ合い感が可笑しいのと、金星人が何事にも動じることなく「わたくしは金星人です」で通す人物設定に好感が持たれた。ラストの趣向は知らないで見たが、まるきりローマの休日だったので正直感動した(「ローマです」と言うかと思った)。 その他の話として、鉄筋コンクリートの大阪城や名古屋城ならともかく、現存天守の国宝松本城が全壊しないで済んだのは幸いだった。今回は松本市内での撮影もあり、映像中で女鳥羽川の橋(中の橋)の向こうに看板が見えた果物専門店は、歩行者天国の「なわて通り」(縄手通り、ナワテ通り)で今も営業していて、映像では店頭に天津甘栗が見えたが、今は観光客向けにフルーツのスムージーなども出しているそうである。昔の映画でもちゃんと現代につながっている。
[ブルーレイ(邦画)] 6点(2023-08-05 14:10:05)
6.  三大怪獣グルメ 《ネタバレ》 
バカ映画の巨匠・河崎実監督のバカ映画である。公開日が2020/06/06とのことで、本当にこの時期に劇場公開したのかと思うが、疫病の不安の中で見れば気晴らしになったかと思われる。 歴史的にみた三大怪獣といえば「三大怪獣 地球最大の決戦」(1964)のゴジラ・ラドン・モスラだろうが、海鮮丼という前提なら「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」(1970)の3怪獣のうち、カメが食えないのでタコにしたように取れる。また公式サイトによれば、もともと円谷英二監督が戦前に企画していたタコ映画の構想に触発されたとのことで、そのタコに監督本人の「いかレスラー」(2004)、「かにゴールキーパー」(2006)を加えた形になっているともいえる。  バカ映画といってもこのくらいになると特に変なところもなく、ちゃんとしたストーリーを備えた娯楽映画になっている。当初は登場人物の性格付けを不明瞭にしておいて、最終的に誰に肩入れすればいいかがはっきりさせていく形だったのは悪くない。うち悪役は、ラストに至ってもまだ「世界の破滅」を企んでいたのかも知れないが、世間では既に人間がミイラ化するという怪事件が発生しているのに同じようなことを考えるでもなく、どこまでも海産物に固執していたのはもう頭が変になっていたと思うしかない。昭和のTV番組「怪奇大作戦」の第24話を思わせる哀れで恐ろしい(笑)終幕だった。 また題名からすればグルメ映画ということもあり、登場人物それぞれ言葉を飾ったグルメ評論風の賛辞を連ねるのが空々しいが料理自体はまともなものを出している。食物だけでなく、協賛に名前の出ている「有限会社ニイミ洋食器店」(東京都台東区)のキャラクターが大活躍する展開だったのは、「プロを支えるプロの街 かっぱ橋道具街」へのリスペクトも感じられて少し感動した。同じく協賛で「岩下の寿司がり」の岩下食品株式会社(栃木県栃木市)も存在感を出している。  出演者としてはちゃんとアイドルも出ているが、例によって監督本人も顔出ししている(見なくていい)。ほか監督のお知り合いか何かわからない人々が大勢出ていて特にコメントする気にならないが、別映画で見たばかりという関係で一人だけ挙げると、「DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」(1983)のイブキ隊長役の人物が「イブキゲンゴロウ」役で出ていた。ちなみに主演の男に関しては「わかんなくて結構だよ」の表情がよかった(笑った)。
[インターネット(邦画)] 5点(2023-08-05 14:10:03)
7.  サイレント・ランニング 《ネタバレ》 
時代は不明だが、アメリカン航空という会社がまだ存続している未来である。 設定としては地上の自然環境が全て失われてしまった世界のようで、これは昔の未来予想画で描かれていたように、地球全体が都市化されて地表が人工物で覆われたイメージと思われる。ただ2022年現在の感覚でいえば、今はやりのSDGsにも関連項目があるからにはそうなることは当面ない。 ファンタジックな印象のあるSFだが、見た目としては特に宇宙船のデザインが秀逸で、90年代に現実化した人工生態系「バイオスフィア2」を思わせる複数のドームが、軸線の周囲に別角度で設置されている(6個を6角形に)のがいい。こういうものは日本には作れない。 なお技術的な設定はわからないがエネルギー源は原子力だったのか。最後に設置した電球はいつまで保つのかと思うが、これは永遠だと思うのが観客に期待された鑑賞態度と思っておく。  主人公の思いとして、当初は自分が「森」を守る使命を負った特別な存在と思っていたが、結局は自分もその他人類と同類でしかないことを思い知らされたのではないか。同僚を死なせた罪悪感からか、苛立ってカートを暴走させて腐葉土?をぶちまけてしまったり、最後は大事な「森」の面倒さえ見なくなって荒らしてしまい、僚船から連絡があった時点では一瞬ほっとしたのではと思ったりする。またDroneと言われていた連中にとってもいい仲間とはいえず、主人公にとっての同僚3人と似たようなものだったかも知れない。そのような不完全な生物に「森」を任せられないというのは本人も自覚していたと思われる。 最終的な決断としては、地球緑化計画が実現不可能ならもう主人公の役目は終わっているが、次善の策として「森」を無期限で保存するために、いわば最後の責務として1号に後を託した形と思われる。主人公は海に流す瓶に例えていたが、本当に地球の生態系が完全に失われる間際になれば、こういう方舟的なものを残そうとする人間がいても変でないとは思った(共感可能)。 なお主人公の最後の行動には、同僚に対する贖罪の意味も当然あったと思われる。こうならなくて済むように、現実の地球では自然との共生に向けた努力が現に行われているわけである。結果的にはラピュタ風の終幕(こっちが先)と、今となっては古臭く聞こえるテーマ曲もけっこう心に染みたので悪い点はつけられない。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-09-03 10:03:12)
8.  サーチン・フォー・マイ・フューチャー 《ネタバレ》 
同じ監督の「七子の妖気」(2012)に続けて見た。今回は山形県の庄内地域を中心に撮影しており、地元の地方銀行が支援する形になっていたらしい。ちなみに田園に孤立するタワーマンションは庄内ではなく内陸地方の上山市にあるが、山形駅からわざわざここに行くのは「ミクに近づいた」どころかかえって遠くなっている。 上記「七子…」はいかにもマイナー映画だったが、今回は時間も少し長く、2015年の第9回「田辺・弁慶映画祭」で受賞もしたとのことである。その映画祭自体がマイナーなようでもあるが、“インディペンデント映画の登竜門”として扱われていたのは間違いなく、一つ前の第8回では「ひとまずすすめ」「天使の欲望」「独裁者、古賀。」「ファンタズム」といった、見たことのある映画が多く出品されていたことに改めて気づいた。第10回の「ポエトリーエンジェル」も見たことがある。  物語としては、要は主人公の男が同行者に引率されて元彼女を探す話だが、同姓同名の人物がいたりして少し意外感のある展開ではある。主人公には全く共感できないが、それまでの閉塞状態から抜けて視界が一気に開けたところまでで終わりになり、取ってつけたようなハッピーエンドでなかったのは悪くない。主人公が探していた元彼女の名前が題名と関係づけられていたことは、エンドクレジットの漢字を見るとわかる。 劇中で主人公が見た単館系映画というのは上記「七子…」だったようで、それを「お客様」の目からすればクソ映画だと主人公がけなしていたのは、そういいたくなることの意味はわかる。しかしそこで同行者が、そういうことしか言えないのはつまらない奴だ(意訳)と主人公を評していたのには共感した。映画限定の話とすれば内輪ネタのようでもあるが、悪いところでなくいいところに目をつけろというのは、人間の生き方全般に広げて考えてもその通りだと思うものはある。  登場人物としては、主人公の男はどうでもいいとして(見なくていい)、同行者の劇中監督(演・山本真由美)の方は、視界が一気に開けたところで目に入った人物として非常に魅力的に見えた(少々わざとらしいが)。また個人的には、百間堀端とナイトスポット白ばらにいた「もう一人のミク」(演・近藤奈保妃)も好きだ(少し惚れた)。ほかエンドクレジットの「スペシャルサポーター」として、上記「七子…」に妖怪役で出演していたユウコさん(チャンベビユウコ)の名前が見えたのは嬉しい。
[インターネット(邦画)] 5点(2022-03-19 09:57:02)
9.  The Room 《ネタバレ》 
あまりにも平凡な題名なので検索すると同名映画が複数出てしまう。 恋人同士の2つの部屋をSkypeでつないだ会話が中心になるが、この頃はまだそういうのが珍しかったのかと思ったらそうでもないようで、独創性の面で特に評価できるわけでもないらしい。最初にいわゆるファウンド・フッテージである旨の説明が入るので、映画で見えているのは就寝中を含め、全て誰かが撮っていた/見ていた映像ということになる。  ドラマの面では、男女4人の愛憎関係でいろいろあったようだがあまり突っ込んで考える気にならない。途中までは映画紹介に書かれた通り単なるサイコホラーかとも思ったが、明らかに異常な出来事も起きるのでただでは済まない雰囲気もある。最後はそれなりのオチが付くので肩透かしに終わることはないが、結果的にはよくあるオムニバスホラーの一編のようでもあった。 個別の場面では、心霊ホラー的な怖がらせもあったがそれほど怖くもなく、あからさまなドッキリの場面があったのは趣味が悪い(笑った)。なお部屋に鏡(姿見)があって部屋の一部がずっと映っていたが、何らかの演出に使われていたかはわからなかった。  キャストに関しては、宣伝写真の通り伊藤歩さんが大映しになる場面が多い(全身像もある)。劇中人物としては面倒くさい感じで、こんなのと親密になりたいとも思わなかったが、見た目としては甘えた表情も嫉妬も激情も憤怒も戦慄も全部含めて可愛く見えるのはさすがである。とにかく圧倒的な伊藤歩映画だったというのが個人的には最大の効用であって、それだけ書けば他は何も書かなくてよかった。
[DVD(邦画)] 4点(2021-07-10 08:42:48)
10.  最上の命医 2017<TVM> 《ネタバレ》 
同名漫画を原作とする連続TVドラマ(2011年、10回)の後に、単発のドラマスペシャルとして2016、2017、2019の3回放送されたものの一つである。天才的な発想と技術を持った若手の小児外科医が主人公になっている。 深刻なドラマながら安っぽい展開やマンガ的人物も見えるのはTVドラマなので仕方ない。子ども相手なことや昨今の風潮もあり、失敗すれば身の破滅ということから「最上の命医は地獄に堕ちる」という言葉が真に迫る雰囲気は出ていた。  全体的には2話分をあわせて二部構成にしたように見える。第一部はTVドラマ「14才の母」(2006)のような話だが、低年齢出産と同時に致命的な病気への対応を迫られて、その上に悪天候で防災ヘリも飛べず、医療機器も不足する中で何とか乗り切るといった離れ業を見せており、これはさすがに話を作り過ぎに見えた。その場で手伝わされた地元住民の男は、血を見ると気絶するタイプでなくて幸いだった。 第二部は、全体テーマだったらしい「無限の樹形図」を強く印象づける話になっている。これからまだ多くの子どもを救えるはずの58歳の医師を助けようとする展開であり、見ている自分などは今さら何の役にも立たないので助けられるまでもなく死ねばいい的に皮肉な受け取り方をしてしまったが、まあ若い人ならこれを見てその気になって、自分も生きているうちに誰かに何かを伝えたいと思ってもらいたい。今回のエピソードに出たとおり必ずしも医療分野に限定されることではないはずである。 ちなみに、そもそも全盲の人はスマホを使えるのかと思ったが、サポート機能で使えるようユニバーサルデザイン的に作ってあるらしい。  キャストとしては、比嘉愛未さんは以前からのつなぎ的な登場だったようで、序盤で出て来たときは見とれてしまったが、あとはほとんど出番がなかったのは残念だ。 第一部の主役は若手(当時16歳くらい)の桃果という人で、賢そうだがきつい顔や皮肉な表情と、終盤の柔らかい笑顔の対比を見せている。とにかく第一部はこの人の熱演が印象的だった。 第二部では志田未来さんが重要人物である。「14才の母」(主演・志田未来)との関係で出たのかと思ったが、別に本人が出産する役でもなく、第一部の主人公を側面支援しているかのような印象だった。この人の演じる人物が自分の人生を肯定してみせる場面は感動的だったが、それにしても可愛い人だ。 そのようなことで、個人的には豪華キャストのドラマだった。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-05-29 10:22:35)
11.  ザ・トゥルー・コスト ~ファストファッション 真の代償~ 《ネタバレ》 
いわゆるファストファッションが世界に及ぼす負の影響に関するドキュメンタリーである。序盤でブランドロゴを見せる場面では、ZARA(スペイン)、H&M(スウェーデン)の次にUNIQLOが出ており、これが実際の世界的な順位であるらしい。 この業界が悪い面で注目されるきっかけになったのは、2013.4.24にバングラデシュでラナ・プラザというビルが倒壊し、中の縫製工場にいた多数の労働者が死傷した事件と思われる。この映画では、サプライチェーンの中で低コスト大量生産のしわ寄せが集中する現場の労働者のほか、大規模な環境汚染や現地政府からの圧力と弾圧、またマスメディアによる意識操作も扱われている。「中流階級の衰退」といった構造的な問題にも若干触れて、最終的には現状の経済システムを変えていこうと人々に呼びかける映画になっている。 期待すべき事例としては「ピープル・ツリー」というフェアトレードの専門ブランド(日本にも拠点あり)を紹介している。  個別の場面では、バングラデシュの労働者がインタビューで途中までは元気よく話していたが、ラナ・プラザのところで感情を抑えられなくなってしまったのが心に残った。当然ながらどんな国の人々にも普通の人の情はあるわけだが、それがあると感じられないのがグローバル企業だという表現になっている。またテキサスの綿花生産者が、本人にとってのオーガニック・コットンが「重要」から「必然」になった契機を説明した場面は、編集が作為的かも知れないが印象的ではあった。 個人的感覚としては作中に出たような、物欲まみれで実店舗のセールに殺到する消費者像というのがいまの日本にそのまま当てはまる気はしない。しかしかなり前からの風潮として、低価格は絶対正義であって高いものを買わされるのはバカ、と言われ続けてきた気も確かにする。別にこの映画を見て世界を変えてやると息巻くわけでもないが、せめて自分の行動くらいは一般人の良心に従って制御していきたいものだとは思った。  なお自分がこの映画を見たきっかけは、2021.4.8にファーストリテイリングの会長兼社長が記者会見で、綿花に関わる強制労働についての質問に対し“政治的なことにはノーコメント”という趣旨の発言をして批判されていたことである。それ自体には突っ込まないとして(映画の範疇を超える)、関連する意見として“現地の人々の仕事をなくしていいのか”とか“もっと現実を直視しろ”といったような業界寄りの声も出ていたようだったが、この映画ではそういった反論を一応前提にした上での提言をあえてする形になっている。
[DVD(字幕)] 5点(2021-05-08 08:54:07)
12.  ザ・ライフルマン 《ネタバレ》 
ラトビアの作家アレクサンドルス・グリーンス(1895-1941)の小説を原作にした歴史映画である。原作者自身の従軍体験が反映されているそうだが、本人は第二次大戦時にソビエト政権に殺害されてこの本も禁書になっていたとのことで、それを作中の時代から100年後に初めて映画化したという意義があるらしい。 邦題の由来は、第一次世界大戦時のロシア帝国時代にラトビアで編成され、後にその多くがロシア赤軍に加わったラトビア・ライフル兵部隊(Latvian Riflemen / Latviešu strēlnieki)で、ソビエト時代の記念像が首都リガに建っている(むかし見たことがあるが今もあるらしい)。映画はバルト海に近いスロカ(Sloka、墓地と記念碑あり)での戦いに始まり、死の島(Nāves sala)、「クリスマスの戦い」(Christmas Battles / Ziemassvētku kaujas)、「ツェーシスの戦い」(Battle of Cēsis / Cēsu kaujas)の各戦闘を追っていく形になっている。 ストーリーとしては、母親をドイツ軍に殺された主人公がライフル兵部隊に志願してドイツと戦ったが、ロシア帝国には裏切られ、その後に参加した赤軍にも裏切られて、最後に加わった新編成のラトビア国軍で、真にラトビア人のために戦ったということになっている。歴史的には、終盤のツェーシスの戦い(1919年6月)でドイツ勢力を敗北させたことでラトビア(とエストニア)の独立が固まったらしいが、この映画で見る限り、亡霊の軍隊の加勢まで得てやっと勝てたかのような印象だった。  主人公はまだ16歳で従軍し、最初は軍隊に向いてないのではと思わせるところもあったが、最後は新生ラトビア軍の新兵のために、最前線で身をもって(OJTで)教官役を果たすまでになる。ラトビア国軍は「子供と脱走兵と難民※」の軍隊だと言われていた通り、本当に子どもばかりで痛々しく、志願者の母親が嘆いていたのも大変ごもっともなことだった。 ※字幕の「難民」は外国人ではなく、当初の主人公と同じように家を失った地元民の意味と思われる。 かなり悲惨な戦いだったが一応の事情をいえば、ラトビア人がまとまって作った国はそれまで存在したことがなく(エストニア人と一緒くたにドイツ人支配→ロシア支配)、この時初めてラトビアという国の枠組ができたのであり、その後の独立国の時代とソビエト連邦構成共和国の時代を経て、再び現在の独立国につながった元がこの時だったということである。ラトビアを愛する人々の立場では、こんな悲惨な戦争をしてまで作った国をこれからも大事に守っていこう、というのが本来の受取り方と思われる。 そうは思っても、さすがにこんなガキ連中に鉄砲を持たせるのはやめておけ、と言いたくはなったので、部外者としてどう思うべきか微妙な感じの映画ではあった。あるいはこの映画自体が、現代の普通の感覚を微妙に反映させておこうとしたのかとも思った。  具体的な場面としては、冬の戦闘では積雪はあまりないようだったが、敵陣の土盛りが凍結して滑るため、銃剣の先で足場を作っていたのは原作者の実体験かも知れない。またエンドロールの背景では、映画でも参考にした当時の写真が出ていたようで、この時代の記憶を映像として後世に伝える意味はあったらしい。ほかどうでもいいことだが、序盤で母親が主人公を撫でていたのは犬の扱いのようだった。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2021-03-06 09:10:00)
13.  ザ・プラネット 《ネタバレ》 
アルゼンチンのフェルナンド・カブサッキというギタリストのアルバムに、18人の映像作家がアニメーションをつけたものとのことである。「アルゼンチン音響派」というものを代表する人物だそうだが、特に何かそういう派閥があるというよりは、現代アルゼンチン音楽の新しい動きを担う人々という意味らしい。最近では2020年1月(入国制限の前)に来日公演したそうで、日本でも一定の人気があることになる。 映画としてみればオムニバスともいえるが、CDをプレーヤーにかける/外す実写映像が入っているため映像作品としては不純な印象で、要はアルバムのPVなのかと思わせる。音楽はフォルクローレとかではなくギターも入ったインストゥルメンタルの曲集で、ジャンル的にはよくわからないが、環境音楽のようなのもあり普通に楽曲として聞けるのもある。 映像面では、まとめていえばアニメーションだろうが手法はそれぞれ自由にやっているようで、静止画中心のものや実写を使っているものもある。純粋に抽象的なものは多くなく、具象的だが意味不明というのが目立つ気がするが、後半になるとストーリー性のあるエピソードも出る。せっかくなので少し褒めるところを探すと、個人的には三頭怪人と三頭バエの話で、描かれているもの自体は汚らしいが色調が好きだ。またスーパーガールの宅急便はイヌの最期が悲哀感を出していた。 いま見てそれほど斬新さを感じるものでもなかったが、音楽と合わせて息抜き程度に見ればそれなりかとは思った。明らかに性的な表現があるので子どもには見せられない。
[DVD(字幕なし「原語」)] 3点(2020-12-05 08:29:56)
14.  365日のシンプルライフ 《ネタバレ》 
自伝というかドキュメンタリー調のようだが、積雪のある時期にわざわざ全裸で倉庫へ走るなどはいかにも作為的である(前日は倉庫から全裸で帰ったということか)。全体的にストーリー性が弱いので退屈に耐えながら見たが、最後には少し和ませる仕掛けがなくもなかった(祖母に似た感じだったような)。男連中の顔などは見なくていいが、上から目線の従弟のど素人っぽい顔には笑った。また風景映像の印象は悪くなく、背景音楽の北欧ジャズもいい雰囲気だった。  実験の内容に関しては、日本でいう高度成長期でもなかろうに、モノがあるほど幸せと思う人間など今どきどれだけいるかと思うわけで、前提からしてちょっと違うのではと思わせるものはある。そもそも実験を始めたきっかけがそれなら結局どうすればいいかは最初から見えており、弟や友人などの好意もさんざん当てにしておいて、結局何が一番大事なのかというのもありきたりな結論というしかない。ただ公式サイトによれば、公開時には「多数の“実験”フォロワーが生まれ」たとのことで、別に主人公と同じ結論を得る必要はないわけなので、真似してみること自体はいいかも知れない。 個人的に真似する気はないが思ったこととしては、自分としては今あるものを全部捨てて家を空にしてから墓に入りたいという願望が昔からあるので、それが終活の大きな課題になることは改めて認識した。その一方で映画に関することでいえば、動画配信サービスなどで見て終わりにしておけばいいものを、形あるものとして手元に置きたくなってDVDなり何なりを買ってしまうということがある(最近の例では「地獄少女」)ので、そういう欲求を抑えるのが生きている間の課題かとは思った。  なお真似するにしても全裸になる必要まではないだろうが、ちなみにフィンランド人はサウナに入った後に全裸のまま外に出て湖に飛び込んだりする人々だそうで、全裸で走るのにも抵抗がなかった可能性はなくもない。以前にNOKIAの日本支社長が、社内のサウナに入ってから屋上で涼むのが周囲のビルから丸見えになるので日本人社員が困ったという話を読んだこともある。映画と関係ないが。
[インターネット(字幕)] 5点(2020-08-01 08:49:48)
15.  サイレン FORBIDDEN SIREN 《ネタバレ》 
背景設定としては15世紀の出来事を発端にして、1976年の事件と29年後(2005年)の今回の事件がつながっていたことになっており、いわば八つ墓明神の祟りのようなものが一貫していたらしい。「赤い服の少女」の赤い服は、むかし疫病(天然痘)の患者が着せられたものかと思ったが関係ないか。また赤と疫病からは「赤死病の仮面」を連想するがだから何だということはない。ちなみに海底ケーブルの切断というのは確かに不気味だ(2003年、伊豆半島沖の初島)。  内容としては、最初から薄っぺらいので真面目に見ようとする気が失せる。南の島(設定は伊豆諸島付近だが撮影は八丈島)で、陽光がさしていながら陰のある雰囲気を出そうとしたようでもあるが、変な外国人居住区とか変な住民、変な像、変な儀式など上っ面だけ適当に作った感じなのは気が抜ける。煙草の銘柄がKYONだとかいうのは全く面白くない。 観客を飽きさせないよう見せ場をつないでいるようではあるが、何かあるのかと見せておいて結局何もなく肩透かしだとか、光過敏性発作を起こしそうな場面(DVDの最初に警告が出る)が延々と続いてだれるなど、それほど感心されられるところはない。最後に意外な展開もあるが、「まさに奇跡」と言い訳したり、こじつけじみた説明でごまかしたりするのでうまく騙されたという気もしない。 ただ光の明滅とか大音響など刺激的な作りなのは特徴的かも知れない。鉄塔の場面では、台詞がかすむほどのサイレンに代わって大仰な背景音楽が鳴り続ける中、空が赤くなっているのが見えたという趣向は悪くなかった。 そういうことで別に恨みはないが、好意的ではないので低い点にしておく。  なおキャストとしては、主演の市川由衣という人は19歳くらいで可愛く見えるが、今回また変な役をやっている高橋真唯(当時)も、この人らしい個性的な可愛さを見せている。ほかは可愛くない。
[DVD(邦画)] 3点(2020-07-25 08:25:41)
16.  ザ・ゴーレム 《ネタバレ》 
17世紀のリトアニアの話ということになっている。 リトアニアでユダヤ人といえば第二次大戦時の杉原千畝氏が有名だろうが、それ以前からリトアニアにはユダヤ人が多く住んでいたということらしい。ただし昔と今では境界線が違っており、この映画に出ているのが現在のリトアニア共和国とは限らない。隣村の連中がスラブ系の名前だったので、今でいえばベラルーシ共和国かも知れないが、ちなみに撮影場所はウクライナの首都キエフ付近だそうである(大して違わない)。台詞が英語なのは面白くないが、イディッシュ語を使えともいえないのでいいことにする。 なお年代が1673年と特定されている意味はわからないが、今でいうウクライナで起きた「フメリニツキーの乱」(1648~1657)や、これに続く戦乱(~1667)を通じてユダヤ人の虐殺が多発し、周辺のユダヤ人社会に甚大な被害が及んだ直後の時期ということではあるらしい。また冒頭に出たプラハの事件(伝説だろうが1600年頃の想定?)からの時間差による設定という意味もあったかも知れない。  考証的にどうかはわからないが、この映画では森林と農牧地が広がる場所にシナゴーグのある村があり、キリスト教徒の住む隣村からは離れているが何かのきっかけで迫害され、場合によっては滅ぼされる、といった雰囲気は感じられた(これがポグロムのイメージか)。隣村に呪いをかけたと疑われていながら、実は「治療師」などは結構当てにされていたようでもある。 何か社会的なテーマのようなものがあったとすれば、例えば“神の領域を侵せば全てが滅びる”といったことなら少し汎用性のあるメッセージにはなる(nuclearでもbiologicalでも)。また、この世の出来事は全て神の意志であって、自分の不幸を神への不信や他者への憎悪に変えてはならないというようでもあったが、これは実際のユダヤの教えもそうだということか。 ゴーレムに関しては、この映画で子どもの姿にしたのは結果的に悪くなかった。「冷酷な怪物」であっても、実はこの世に自分と母親の存在しかない子どもそのままのようでもある。母親のことだけをひたすら思い、最後は全てを母親に委ねたかのような姿は哀れだったが、母親の方もこれで亡き子への思いを断ち切ったということらしく、意外に切ない終幕になっていた。 なおゴーレム役の子役は子どもらしく華奢に見えるが、顎の細い顔がクールな印象を出している。男児を愛する性向のある人々には好かれそうだ。
[インターネット(字幕)] 7点(2020-07-11 08:26:39)
17.  ザ・コンクエスト シベリア大戦記 《ネタバレ》 
1713~1716年頃のシベリアの話である。原題のТоболとは、当時のロシアがシベリア統治の拠点にしていた都市トボリスクТобольскを指しているらしい(正確には川の名前)。 映画宣伝では、スウェーデン・ロシア・ジュンガル(モンゴル系)・清国という強国同士の対決のように書いてあるが、実際は悪辣な清国の策謀のせいでロシアとジュンガルの間で戦いがあったというだけである。場所はほとんどトボリスクと前線の要塞なので壮大なスケールというほどではないが、それでもヨーロッパとアジアを一度に視野に入れた歴史物というのはロシアならではといえる。 どうせ適当に作った話だろうと思っていたら、実在の人物がかなり出ていたらしいのは意外だった。この映画は単なる娯楽大作に見えるが、これとは別に原作小説もあるようで、本来はもっと本格的な歴史劇だったのかも知れない。登場するロシア人にもスウェーデン人にも地誌関係の人物がいたのは、ロシアの東方進出が活発化していく時代の表現のようでもある(よくわからないが)。  物語的には、若いロシア人とスウェーデン人のダブル主人公にそれぞれヒロインがいて、特に序盤ではラブコメかと思わせる場面もある。中盤以降は要塞での戦いになるが、いったん丸く収まったと思わせておいて、終盤ではまた激戦になるので気が抜けない。戦いが中心の映画ではあるが、やはり人の生きる喜びは戦場では得られない、というのが一応最後の結論だったようである。 戦闘場面では、砲弾が直接人に命中するとか、本物の馬だとすれば心配になるような刺激的な場面もあって驚かされた。また要塞に関しては、近代的な星形要塞(四稜郭+1)の実物を映画のために作ったように見える。虎口の向かいにある稜堡を敵に奪われて、互いに大砲で撃ち合うというのが意外な展開だった。ちなみにジュンガル側の現地指揮官はカザフ人の役者とのことである。  登場人物では、最も有名なのは当時の皇帝ピョートル1世だろうが、その妻も次代の皇帝エカチェリーナ1世である(2世でなく)。 サンクト・ペテルブルクの最初の場面が造船所だったのはこの時代らしいと思ったが、そこで材木に斧をふるってわめいていたオヤジがピョートル本人だったというのは笑った。現場に出て自分でやってみるのが好きな人物だったはずなのでこれ自体は変ではないが、どうも基本的に茶化され気味だったようで、その後も人間味のある専制君主になっていたのは面白かった。 ほかロシア人とスウェーデン人の2人のヒロインにはけっこう和まされた。ロシア人ヒロインの「器は持ってきて」が好きだ。  [雑記]ロシア人が皆で気勢を上げる際にはウラー(Ура!)と言うのが普通だろうが、この映画でビバ(Виват!)と言っていたのは、ピョートル1世の西欧化(西欧かぶれ)の一環としてそのように言わされていたということらしい。これも若干の滑稽感を出していたかも知れない。
[インターネット(字幕)] 7点(2020-06-20 10:26:12)
18.  サマー・ヴェンデッタ 《ネタバレ》 
森でキャンプをしていた若い男女が殺されていくタイプの映画である。一応は1960年にフィンランドで起こった「ボドム湖殺人事件」(未解決)を題材にしている。 実際の現場はそれほど人里離れた場所ではなく、首都ヘルシンキ近郊の行楽地のような場所らしいが、この映画では深い森の中ということになっている。映像的には湖水に面した岩塊のロケーションが印象的で、これこそフィンランドらしい景観と思ったが、実際の撮影地はエストニアだったという話もある。 時代に関しては、序盤で出た家庭の古臭さが昭和30年代の表現かと思っていると、実際はかなり年数が経った時点で事件を再現する形になっているのが後に判明する。ただし現代というよりは少し前の、携帯もカーナビもパワーウィンドウも?なかった時代と思うのが妥当ではないか。今でいえばリベンジポルノ(リベンジではないが)のような話題も出ていたが、ネット上の画像ではなく実物の写真のことだったと思われる。  登場人物4人が現場に行った動機としては「事件を再現して検証」するためだと説明されているが、そういう変な小理屈をいうよりも、日本でいえば若い連中が心霊スポットに行きたがるようなものと思えば簡単である。ただ実はそれほど単純でもなく、女子2人・男2人の共通目的とそれぞれ個別の思惑もあって結構複雑な状態になっている。 ストーリーの面では、実際の事件の真相に関する複数説を融合させたように見える。途中で意外な展開が2回あるが、1回目でどうなるかは何と予告編でネタバレしているので2回目が本番と思うしかない。しかし残念ながら1回目も2回目も真相がありきたりで驚きがなく現実味も感じられない。 どうも話の中身が軽く、またそもそもの事件も地元で有名なだけで、例えば津山三十人殺しほどのインパクトがあるわけでもない。映像面ではそれなりの映画に見えているので悪くはいえない気はするが、面白いともいえないので人には全く勧められない。  なお主人公の女子は地味な風貌に見えたが、実は意外に豊満な体型だったのがかなり目についた。ただしそれが目的で見るほどの映画ではなく、見れば途中で非常に気になるという程度のことである。これも無意味にエロいのではなく、厳格な父親との関係で意味があったのかも知れないがよくわからなかった。
[DVD(字幕)] 3点(2020-05-23 09:27:29)
19.  さよなら、クロ 《ネタバレ》 
時代設定としては映画館の場面と劇中で流れる曲から前半が1967~68年、後半が1976年ということになる。映像的にはそれなりに昔っぽい風景で、これで考証的に正しいのかはわからないが、60年代と70年代で微妙な差を出しているようではあった。ちなみに鉄道は、長野市から松本市と別の方向に行く長野電鉄だったようである。 原作は読んでいないが、劇中教員が素行不良の生徒の人格を貶めるような発言をして、それで当人らが騒ぐわけでもなく率直に受け止めていたのを見ると、そういう時代だったということもあるだろうが、さすが進学校らしく物のわかった連中とも取れる。また先人の名言で「質問もしなければ批判もしない」は笑った(全くその通りだ)。  話としては犬の物語かと思ったが、犬自体が何か特別なことをするわけでもなく、ただそこにいてやがて死んだだけのように見える。しかしそのように、動物が無心にその生涯を全うしようとするのがいわば生命の基本の表現であり、それは人にとっても同じだろうというなら一つの考え方である。 また、犬が病気で死んでも寿命のうちと思えばそれまでのところ、あえて手術して数か月間?(生徒の顔ぶれが同じ)延命し、死んでしまったあとは人間並みに葬式まで挙げていたのはやりすぎ感がある。しかしこれは人も動物も同じく生き物だということを表現するために、人をケモノのように描写するのでなく、逆に動物を人間同様に扱ってみせたということかも知れない。 冒頭で名前が並ぶ愛護団体もそういう面で推薦していたのかも知れないが、ただ問題は、この犬がそれほどの思いを寄せられるに至った事情が素直に納得できるよう作られていないことである(単に長期間学校に住んでいただけ?)。ほかにも劇中人物の行動や展開に作為的・不自然・説明不足な点が多く、どこまで原作通りなのかわからないが、どうも映画化の段階で無理があったのではという気がした。  キャストとしては、何といっても伊藤歩さんが可憐で好きだ(高校時代は可愛い)。劇中では変な男にキスされずに済んでよかったが、犬に口をなめられるのはいいとはいえない。また三輪明日美嬢は今回個性を抑えて普通の友人役に徹している。秋定里穂さんはキャスト配列順では下の方だが、終盤になると重要人物グループの一角に位置づけられていたのが意外だった。「ウォーターボーイズ」(2001)では女子高生役だったが、今回は普通に大人の女性の顔を見せている。
[DVD(邦画)] 4点(2020-05-03 20:29:15)
20.  櫻の園 -さくらのその- (2008) 《ネタバレ》 
[2020/4/12視聴] 1990年の旧作の続編のようなもので、前回が1980年代とすれば20年くらい後である。この映画の学校でも過去に毎年「桜の園」を上演していたが、平成9年(1997)に停止され、それを11年後(2008)に再開したのが今回の物語ということになる。季節の面でも今回は4月14日の前日?から始まり、桜が散った後の情景も加えて、最後を6月で終わりにしていたのが旧作の後という印象を強めている。 ちなみに部員の姉の差し入れとか(今回はシュークリーム)、終盤のツーショットなどが旧作との連続性を感じさせる。ほか序盤で学園ホラーっぽいところがあったのは個人的に好きだ。  前回からの流れでいえば演劇の上演は学校の伝統だったはずだが、劇中の教頭の考えはそうではなく、生徒が学校の決まりに従う校風の方を伝統と思っていたらしい。そのような前時代的な(前々時代くらいか)規制に主人公一派が従わず、“あきらめないことが生きる価値”(上戸彩の歌)という感覚で上演を実現させ、新しい伝統(=校風)を作ったという前向きな物語ができている。全体的に軽い印象はあるが、旧作の古風な話を同時代の若者が受け入れやすいよう作り変えたということなら意味はわかる。 最後はかなり都合のいい結末で、教頭のそれらしい言葉も適当に格好つけただけのようで意味不明だったが、要は時代が変わって自分も老いたことを自ら認識したというなら悪くない。もう変われなくなった者は去り、前に進んでいける人間に後を託すべきということだ。 ちなみに演劇の出演メンバーが、自分の役の台詞を使って上演に向けた決意を語った場面は何気に感動的だった。旧作よりもかえってこの映画の方が、元になった戯曲も読んでみるかという気にさせるところがある。  ところで旧作とはっきり印象が違うのは美少女を揃えていることで、大島優子嬢を含めたカワイイ系女子には和まされる。製作委員会のオスカープロモーションから主演の福田沙紀、舞台監督役の武井咲のほかにも著名女優を特別出演で出しており、前回とは映画の作り方自体が違うということらしい。 主演の福田沙紀という人は若干きつい雰囲気だが(一応かわいい)、役柄との関係ではいい感じを出している。また前回の主人公に相当する役の寺島咲という人は、美少女と言い切るには微妙な容貌なのも旧作に似ているが、終盤の自撮りの場面では目の覚めるような美男に変わる一方で倒錯的な可愛さを見せていた。
[DVD(邦画)] 6点(2020-04-18 08:58:03)
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