2. SOMEWHERE
《ネタバレ》 車がブーンと走ってぐるっと廻ってまた戻ってきて・・・という冒頭の長回し。この時のカメラ、片側が切れててフレームがオープンになっているので、車が走ってる途中で画面から消えてしまう訳です。この不安定さ、不確実さ。ぐるぐる回ってそのうちピョーンと外側に飛び出していなくなってしまうかもと、ちょっとドキドキしながら見守る数分間は、決して長くは感じられなかった。作り手としては退屈やルーティンの隠喩だったかもしれず(たぶんそうでしょう)、となれば自分の観方が外れているんですが。でも、これが映画の面白さだと思う。そのものが持つ「意味」以上の「意味」を放ってしまうテクストの豊饒さこそが、自分にとって映画の魅力なのです。 そんな訳で、この作品は全篇にわたってそうした「多彩な語り」が散見され心地よかった。何気ないシーンの一つひとつが観る者に様々な感慨をもたらす、余韻と余白に満ちた画作り。こういうの作れちゃうってやっぱりソフィア・コッポラという人は才能あるのだなぁと思う。 まぁ、そうは言っても「セレブ男の孤独の行方」という題材を、どこまで上手いこと料理できてたのかは疑問。泣いて心情を吐露しても高級車を乗り捨てても、この主人公に実存の深み重みは見えない。 なんか、酒と女の日々っていう主人公の日常が、あんまり現実感がなくてキレイなんですよね。生臭くない。ポールダンスなんかぜんぜんエロくない(苦笑)。この感じはヨーロッパ映画みたいで、思えばこの人の作品ってみんなそうかもしれない。すごく冷めた目線。世界を対象化して眺めている感じがする。 娘が対象化されているのはトーゼンで(主人公は父親なので)、目の前に現れたり消えたり、氷上で妖精のようだったりドレス姿で大人の女のようだったり、主人公の日常生活とこれまで纏ってきた価値観を揺さぶる「外部」であるのは、物語の定石で新しくはないんだけど。エル・ファニングの個性がそれ以上の効果を出しているので、とてもスペシャルな時空間を創り上げていて、映画を観る喜びに浸れた。ところが、娘と一緒に過ごす男のほうも「外部」的な気がしたのです。なんかヨソヨソしいというか表層的というか。だいたいスティーブン・ドーフがあんなにカッコいいって驚きだし(苦笑)。そういうところが「物語」としてはどーなのかなぁと思ったりもしたのだけど、ま、最終的には「SOMEWHERE」はそーゆー作品なのだ、それでいーのだってバカボンのパパ風に納得しました。なんとも言えず風合いが良いので。 [DVD(字幕)] 8点(2017-07-26 00:42:33)(良:1票) |