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1.  ストーカー(2002) 《ネタバレ》 
家庭を築く事とは、社会から独立する事である。その代償として幸せな時空間を得られる。父は家族を養う為に働き、母は子を育てる。子を守る為なら親は何でもするだろう。サイが子供と玩具の話をした後、父親は子供に「知らない人と話しちゃダメって言っただろう。」と言う。家族は世間一般に対して用心深い。つまり、家族とは社会と対峙する集団であり、社会と真逆の存在なのである。社会が厳しいとすれば、家族は優しい。大にして家族にこそ真の幸せが存在する。しかし、この幸せで孤立した小集団にも崩壊の危機を迎えることがある。不倫という名の危機である。”あの美しい母親、可愛い子供を裏切り、あの父親は不倫した。しかし、母親は不倫していると知ってからも父親を問いただそうとしない。”この事態にサイは苛立ちを覚えた。確かにサイが苛立ちを覚えるのも分かる。というより、サイは正しいと思う。間違っていない。ここで、私の脳裏に、ふとある疑問が浮かんだ。正しい事が常に最善であるのかという疑問である。我々は小さな頃から家庭教育、学校教育により正義と言うものを教えられた。社会は法律と言う名に基づき、はみ出し者を処罰する。こういう教育制度、社会制度の元では、不倫は完全なる悪にしか見えない。しかし、要はどこまで許すかの問題だと思う。社会の場合は対象者が全ての人なので裁判制度でもって個別に対応している。全ては判事の決断に委ねらる。一方、家庭の場合は個人間の問題になる。ここで起きた問題は当事者間の問題であり、この映画の母親のように不倫を見てみぬ振りをする事だってできるのである。それも家族を何とか維持する為の立派な一つの考え方なのである。サイにはその柔軟さがなかった。自分の中の正義の概念だけで物事を判断してしまっていた。この世には常に悪の概念が存在する。これとどうやって折り合いを付けてゆくかに、その人の生き方や考え方が出るのだろう。理不尽な事も多々ある社会では、正しい事に執着すると、大変なはみ出し者になる。こういうステレオタイプの人は、世の中に対して怒りを覚えたり、減滅したりすることが多く、時にサイのように犯罪者になってしまう。だけど、せっかくこの世に生を受けたからには、これはダメだと思う。もっと柔軟に物事を見てゆかなければ、素敵な人生は送れない。以上より、価値観の相違の受容について深く考えさせられた映画。
[映画館(字幕)] 6点(2005-02-01 13:26:51)
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