1. スター・ウォーズ/最後のジェダイ
《ネタバレ》 「自分が好きだったスターウォーズは今後もう二度と作られることは無いのだ」・・・この『最後のジェダイ』を見終わったときに感じたのは、ある種の寂しさを伴ったこのような感慨でした。 僕の理解では、ルーカス時代の6つのスターウォーズに関しては多かれ少なかれ「おとぎ話」、もっと言ってしまうと「神話」的な要素が相当程度含まれていると思います。それも「フォースをフックとした善と悪の闘争」の神話としてです。 「神話」が物語の大枠ですから、そこに登場する人物たちも当然「神話的」、「伝説的」とならざるを得ません。900年間も指導者の立場にあったジェダイマスター・ヨーダ、彼を筆頭にしたジェダイの英雄たち、圧倒的な悪であるダース・シディアスと彼が率いる帝国軍、善と悪の間を揺れ動く「選ばれた者」としてのアナキン=ダース・ベイダー、そしてそんな「血統」を受け継いだルークとレイア・・・いずれも人間の体臭を感じさせない、「神話的」という表現に恥じない特権的な人物たちです。そして「フォース」もまた、そんな「神話的」な彼らにのみ使うことを許された特権的なものであり、必然的にそこで描かれる「善と悪」の葛藤も、どこか浮世離れした抽象的なものとなっていました。 この『最後のジェダイ』では、過去のスターウォーズにはあったそんな「神話性」や「特権性」がことごとく打ち破られているように僕には見えました。戦争の英雄たちよりも無名のレジスタンスたちにフォーカスするその手法、泥臭いレジスタンスたちの奮闘とその失敗、「神話」からは程遠い俗世的なカジノのシーン、貧乏くさい旧同盟軍の施設、あっさり退場するスノーク、堂々としたジェダイぶりからは程遠いルークの姿、子供っぽさの抜けないカイロ=レン、そして何ら「神話的な」バックグラウンドを持たなかった「何者でもない」レイ・・・過去の作品の「大柄さ」「神話性」からすると、これらのスケールの小ささは全てスターウォーズとしては「禁じ手」と言い切ってしまっても良いでしょう。そしてこれらの「禁じ手」は、過去のスターウォーズの枠組みを破壊するために、製作者側によって意図的に選ばれたものだと僕は感じました。 これだけの「過去の破壊」を通して目指されているのは、個人的には「今の自分たちに合った『善と悪』の物語」ではないかと思います。 例えばエピソード4~6が制作された当時(及びその後しばらくの間)は、そこで語られる大柄な「善と悪」の葛藤が観客にリアルなものとして共有されていたのではないかと思います。だからこそ、見る者はそんな大きな「善と悪」の物語を理解し、それに対してワクワクできたのだと思います。 しかしそんな「大柄な」物語は、残念ながらより混沌とした状況である現代では、もはや生き生きとしたものとして共有しにくいものとなっていると思います。登場人物皆が皆、まるで等身大の自分たちであるかのように泥臭く試行錯誤し時には失敗し、「何が善で何が悪か」を手探りで見つけようとしているようにも見えるこの『最後のジェダイ』は、そんな今の時代の「善と悪」、そしてその先にある「希望」のありようにとてもふさわしいように見えます。 そのような『最後のジェダイ』の方向性を最もよく体現しているのが、作中のルークではないかと思いました。過去の偉大なジェダイ達とは違って、その姿はどこか頼りなさそうですが、最終的には彼自身もまた、苦労の末にようやく、「持てるものを次の世代に受け継ぐ」という、自分の取るべき道を見出したようです。 そんな「旧世代」の彼が、「新世代の主人公たち」がいる別の惑星に「実体としては」存在しなかったのは極めて象徴的です。もはや彼は「生身を伴った」主人公ではなく、従ってその「舞台」にも立っていない(立つことはできない)・・・新しい時代を迎えるにあたり、ルークはこの作品で退場すべき必然性を持った人物だったのかもしれません。 そんな彼がフォースと一体になっていく時に、どこかほっとしたような、懐かしいようなまなざしで見つめる「二つの太陽」は、そんなルーク(そして旧作を愛するオールドファン)に対する製作者側のせめてもの「はなむけ」ではなかったかと、個人的には思います。 [映画館(字幕)] 9点(2018-02-07 01:14:52) |
2. スター・ウォーズ/フォースの覚醒
《ネタバレ》 それなりにスターウォーズを追いかけて来た一人のファンとしては、主要製作者としてルーカスの名前がクレジットされていない本作に対して、多少とも懐疑的・・・と言うより「本当にこの映画はきちんと『スターウォーズになっている』のだろうか」という不安な気持ちを持って本作の鑑賞に臨んだのですが、幸いなことにこの不安は、個人的には杞憂に終わりました。過去の6作と比べると当然より現代的にスタイリッシュになっている部分はあるものの、目の前の映画は、僕にとっては間違いなくスターウォーズでした。 僕がそう感じたのは、ハン・ソロやチューバッカにレイア、そして懐かしいドロイドたちといった見知った面子が出てきてるからといったこまごまとした部分だけによるのではなく、このシリーズ全体を貫く、フォースという要素をフックとした「善と悪の葛藤」が、この一作にして既にしっかりと語られているように見えたからです。 それを前提としてまず強く印象に残ったのが、この作品は単なるファンサービスというレベルに留まらない次元で、明確な意思を持って第4作「新たなる希望」になぞらえられているということでした。つまり、例えばファルコン号のレーザー砲の照準装置や同船内のモンスター・チェスのテーブルを登場させたり、シーンの構図や展開の所々にEp4を彷彿させるものを差し挟むといった、旧来のファンの心を快くくすぐるレベルに留まらず、そもそもの話の大まかな流れ自体が、Ep4を強く思い起こさせるものになっていると思うのです。 この部分を、一人のSWファンとして好意的に、作品の物語に即して捉えるなら、それは「歴史は繰り返す」ということがこの事によって描かれているのではないかということです。この作品においては、銀河は再び動揺の時代を迎えています。そしてそのような動揺の時に、まさしく再び「新たなる希望」が生まれつつある・・・このEp7でその様子を描くにあたって、過去にあった「新たなる希望」の誕生の時(すなわちEp4)が、運命とも予言ともつかない形で二重写しに重ねられているのではないかと、見ていてそう思いました。 しかし、大まかな話の流れはEp4に則っているように見えつつ、細かな部分では当然のことながらEp4とは大きく相違しています。 一番大きな違いは、ジェダイ側も暗黒面の側も、双方の戦士の状態がひどく不安定であるという点です。カイロ・レンは早々にそのマスクを外して「光の側にまた戻るかもしれない」と危惧しますし、一方のレイは、終盤の「覚醒」の時に至って、暗黒面の力に身を委ねたのではないかと見間違える程に闘争心をむき出しにしてレンを圧倒します。そしてレン(その正体はハンの息子であるベン・ソロ)の指導に失敗したと思われるルークは自ら表舞台から身を引き、ヨーダやオビ=ワンに見られたような自信も感じさせず、どうやら指導者としての自分の力量に疑問を感じている様子です。 この作品における、このようなある種の「不安定さ」の表現は、恐らく製作者側の明確な意図であるだろうと僕は思っています。ヨーダ率いるジェダイ騎士団、あるいは皇帝ダース・シディアス率いる銀河帝国という、明確な「善や悪」が存在した過去の6作とは違い、このEp7の舞台で前提となっているのは「善も悪も戦い尽くし、過去の秩序が崩壊した=新たに秩序を作り直していく世界」です。そしてその秩序の立ち上げの段階において、「新たなる希望」であるレイも、暗黒面に堕ちたレンも、そして新たな指導者としてのルークも、皆がみな「手探り」の状態なのだろうと思います。 光の側にせよ闇の側にせよ、それらに関わる人物たちの「当事者」としての生々しい「不安定さ」が、僕自身はこの作品の欠点ではなくむしろ「持ち味」であるように見えて、とても魅力的でした。またこの「手探りの不安定さ」がどのような方向に転んでいくのかという点が、今後の展開において重要になるのではないかと僕には思われて、非常に楽しみになりました。 全体としては、過去6作からの「継承」と、それに留まらない「新機軸」が、しっかり見られる作品となっていたと思います。 [映画館(字幕)] 8点(2016-01-03 02:25:32)(良:2票) |
3. スカイ・クロラ The Sky Crawlers
《ネタバレ》 押井作品に関しては、『天使のたまご』は見ているものの『ビューティフル・ドリーマー』は見ていないという中途半端なフォローしかしていませんので、この作品にコメントをするのもおこがましいとは思うのですが、あくまで「この作品を見た限りにおいて感じたこと」として、レビューをさせてもらいたいと思います。 まず個人的な感想として、「明らかにこれまでの押井作品と比べて、前進しようとする『意志』は強く感じられる」と思いました。誰しも「日々の生活の『ループ感』」と言うのは、程度の大小こそあれ感じることだとは思うのですが、「それを耐えられるようになってこそ大人なんだ」という風にばっさりと切り捨てるのではなく、ドン・キホーテ的な無益さを承知の上で「そうではない」とはっきり言っているところに、押井監督の「真剣さ」といったものを感じました。この点に関しては、僕は何も言うつもりはありませんし、無条件で敬意を表したいと思います。 しかし僕が気になるのは、そういう「ループ感」に捉われている人々の描写と言うのが、あまりにも「その状況に耽溺しすぎている」という風に見えてしまい、それがまた劇中BGMの切なさも相まって何とも甘美に感じられてしまう点です。具体的に言うなら、前~中盤のそういう「状況に捉われた」描写が、「結局は何をやっても負け戦になる」という前提になっているように見えてしまい、それゆえに終盤のあの展開に否応なく「敗者の美学」みたいな、何か危険な「甘さ」のようなものが付いて回るように見えてしまうのです。 ここからは完全に(未経験な若輩者である)僕のわがままになってしまうのですが、せめて映画の中では(と言うより現実をはるかに飛び越える可能性もある映画の中だからこそ)、そういう「甘美さ」を抜きにして、「敗者になること」を前提とした勝ち目の無いものではなく、せめて拮抗しているか、あるいはそういう「勝ち負け」をポンと飛び越した状況を経た上で、「人間性の勝利」みたいなものが垣間見える瞬間を見てみたいのです・・・と言うより、今現在の僕の個人的な嗜好として、製作者自身も「何とかそういう方向を手放さずに格闘する」ような作品をより多く見てみたいと思います。 (とは言え、こういう種類の「甘さ」と言うのは、僕が見てきた数少ない押井作品の数々(とりわけ『天使のたまご』)の中からも感じられた、言ってみれば「押井作品の持ち味」と言っても良いものなのかもしれませんが・・・) そういう意味では、この作品は僕にとって「決して駄作ではないが、かといって無条件に礼賛するのも危険な作品である」という位置づけになります。 しかしそうは言いながらもこういう「甘美さ」には、個人的に抗いがたい魅力を感じますし、また最後まで見てみれば、この作品が決してそういう風に「耽溺する」つもりで終わっているわけではない事も窺えます。従って僕自身は、この映画に備わる「甘美さ」に関しては、ごくたまに味わう高級なお酒みたいなものとして捉える事にし、ラストに存在する「前進する意志」だけを、極力心に留めておきたいと思いました。 そういう「前進する意志」という意味において、ラストでスイトが煙草を吸わなかったシーンが大変力強く印象に残ります。それまでの「日々のルーティン」から意識的に抜け出し「煙草を吸わなくなった」上司として、この後新たにカンナミの後任に就いた人物に対して、彼女が一体何を言おうとするのか、想像したくなります。 [ブルーレイ(邦画)] 8点(2010-08-17 00:30:53)(良:3票) |
4. スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐
《ネタバレ》 「陳腐なところや書き込みの足りないところなどが多々あるが、それでもスターウォーズ・ファンである自分にとっては、基本的にはこのEP3という作品は”キズは多々あるものの『基本的には』宝石である”」というのが、初見当時の僕のこの作品に対する基本的なスタンスでした。そこから月日が経った今の自分からはもはやかけ離れた感想となっている、と一言だけしておきたいと思います。 最近見直して、アナキンがオビワンに対して、並々ならぬ配慮や熱情を吐露しているところが印象深く感じました。それは「私の運命は彼(オビワン)と共にある」という意味合いのセリフを、数回は話しているという点や、またオビワンに対して(恐らく内面には自己否定すれすれの自己犠牲感も手伝っていたであろうとは言え)、ジェダイ騎士としての自分が取るべき道を基準とした心情(=自分はこれまで傲慢で感謝の足りない態度を示し続けていた)の吐露を、極めて率直に行っていた事からも窺えると思います。暗黒面に堕ちる直前まで彼が真摯に葛藤し続けた事の証左として、僕自身の中で極めて鮮烈に印象付けられつつある部分です。 そしてこの作品に存在する問題は、この自己犠牲感を引き換えとした「義務への奉仕」と、それに対する根源的な「自分自身の奥底に燻ぶる気持ち」との根深い葛藤にあるのだと、最近になって改めて思い至った次第です。 並み以上のジェダイ騎士からしても雲の上の存在であるヨーダからは、下手をすれば説教にも響きかねない助言を投げかけられる事にもある程度納得できたかもしれませんが、自分が長年接してきて、かつ信頼も寄せていたオビワンからもそのような説教じみた助言を与えられた時、アナキンにはどこか煮え切らない、もう一歩親身になった事を言ってほしいという気持ちが残らなかったとも言い切れないと、今は思うのです。そしてこのEP3の悲劇性は、長い目で見ればヨーダやオビワンの言うことは圧倒的に正しく、その一方でどこにも片づけることのできないアナキンの葛藤も決して無視されるべきではなかったという、この解決の図りにくい二項対立にあったのではないかと、今は強く感じます。 こうして見ると、ジョージ・ルーカスは「ハリウッド的大作映画」というガチガチに固まった枠の中で、彼の考える最善の方法で自分の信じることを、このEP3という器の中に盛りきったのではないかと、最近では思います。 [映画館(吹替)] 10点(2005-07-15 18:49:05) |
5. ストーカー(1979)
話の内容にはついて行けないところがとても多かったのですが、登場人物達の精神状況には何となく共感できる様な気がします。何よりあのなめる様なカメラの移動と、本当に美しい映像が印象的でした。ただ、ラストのあのシーンは僕には理解できませんでしたが・・・ 8点(2002-10-29 21:28:16) |
6. スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃
《ネタバレ》 この夏にいよいよ公開される『シスの復讐』に備えて、久しぶりに見返してみたのですが、全く自分でも思いがけないほどに面白く見ることができました。映画館での感動と衝撃がよみがえったと言っても良いほどです。 さて今回見返して、やはり過去の三部作との強い関連を改めて感じました(既に多くのレビューが投稿されているので、僕がこれから指摘する点なども、ファンの方には先刻承知の事ばかりでしょうが、その点はどうか許してください)。ナブーでの朝に、アナキンがテラスから湖を眺める時の彼の姿勢などは、明らかに旧三部作のベイダーの姿に重なります。そして特に強く感じたのが、全体的にこの新三部作が旧三部作の「ネガ」になっているという事です。 旧作との関連を楽しみつつ鑑賞するというこの点は、物語内の時系列が逆転した形で製作が開始されるという、極めて異例な道を辿っているこの『スターウォーズ』だからこそ味わえる魅力だとも言えるでしょうが、その一方でこの先に続くであろう物語の内容を、観客にある程度予測させてしまうという弱点もあります。 しかしこの弱点も、恐らく『スターウォーズ』ならではのやり方で克服されるのではないかと、僕は思って(と言うか期待して)います。そもそも「暗黒面」というのは、全てを思いのままに予言(ひいては支配)しようとする欲望と強く結びついているのであり、その予言を可能にするのは、自分でも制御できない「憎しみ」であり、「悪」の力ではないかと僕は思います。そして「自分でわかっていてもその力に身をゆだねてしまう」という事は、恐らくEp3のアナキンも強く感じるはずだと思うのです。 言ってみれば、「どうなるかわかっている」のは、観客とアナキンの共有事項ではないかと僕は思っています。後はその「わかっている」事をいかに描くかが重要だと思うのですが、僕はEp3においては、それは「わかっているが故に悲劇的になるしかない」という風に描かれるのではないかと感じています。 こうなっては、いやが上にもEp3がいかなる「悲劇」となるのか、強い期待を抑え切れません。それはともかく、このEp2も、単独で見て十分鑑賞に耐える傑作であり、またEp3へ接続するという大役をきっちり果たしていると僕は思います。 [DVD(字幕)] 9点(2002-07-17 18:11:03) |
7. スティング
最高!!言うことはありません。あと、確か清水圭が「ブラッド・ピットは若い頃のロバート・レッドフォードに似ている」と言っていましたが、それを確認できてよかったです。確かに似ていると思いました(この映画のR・レッドフォードは「ガッチリしたブラピ」といった感じでした)。 8点(2002-03-25 17:51:16) |
8. スリーピー・ホロウ
面白かったです。恐くはありませんでしたが、純粋にエンタメとして一定水準に達しているのではないでしょうか。僕は見て損はしませんでした。月並みなコメントになりそうなのでこのへんで。 7点(2002-03-21 18:40:33) |
9. スター・ウォーズ/ジェダイの復讐
前作ほどの波乱があるわけでは無いのですが、僕はやはり大好きです。ラストは、冷静に考えれば「あの程度で本当に帝国が滅んでしまうのか?」と言う疑問も湧いてしまうのですが、僕は別にあれでいいです(笑)。ベイダーとルークのやり取りは感動的ですし。 8点(2002-03-07 00:56:08) |
10. スター・ウォーズ/帝国の逆襲
僕としては、スターウォーズ・シリーズの中ではこれが一番好きです。とにかく面白かった。ルークは確かにカッコ良いのですが、僕にはこのエピソードに限ると完全にダースベイダーの存在感に押されている様に見えました。 9点(2002-03-07 00:43:24) |
11. スター・ウォーズ
SFX技術が進んだ現在からみると、確かにショボいところも目立つかもしれませんが、それでもやはり面白いと思います。個人的なことを書かせてもらうと、僕はCGはあまり好きではなく、返ってこういう手作り感覚の漂う人間臭いSFの方に惹かれます。 7点(2002-03-07 00:33:36) |
12. スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス
これもやはり近々公開のEp3のために、久しぶりに見返してみたのですが、まさか一番最初に見たときより面白く見ることができるとは予想していませんでした(ちなみに前の採点は6点でした)。以前は安易と感じられたストーリー展開も、今回はそれ程気にはなりませんでした。今では、このEp1の陰の薄さは、作品作りのまずさより以上に、物語の設定自体がその様な「薄さ」を強いたためではなかったかと思っています。 そもそもこの新三部作では、いかに共和国に暗黒面のとばりが落ちて行くかが描かれていると思うのですが(もちろん新三部作の中心的な主題は、アナキンの「変貌」にありますが)、そういう暗黒面の陰謀は、すぐにそれとわかる形で進める訳には行きません。分離の恐れが強まっているとは言え、共和国も一応は機能している中で陰謀を成功させるには、やはり水面下的な巧妙さが必要とされるでしょう 言ってみれば、この作品の陰の薄さは、映画的な劇的展開を見せるような陰謀は「陰謀」にならないという制約のゆえではなかったかと僕は思っています。もちろんヨーダを中心としたジェダイの面々は、この争いの背後に暗黒面の陰を感じますが、しかし一体どこからどこまでが仕組まれたことなのかまではわかりません。 今から思うと、最初に見た時に感じられた全体的な「薄さ」は、この陰謀の見え具合の薄さによっていたのかもしれません。昔はそれを「この作品の欠点」と見ていましたが、今ではそれもこの作品の持ち味の一つとして感じることができます。ところどころでじわりとその姿を垣間見させる暗黒面の陰の不気味さを、今回は楽しむことができました(とは言えこの様な見方は、一スターウォーズ・ファンの好意的な見方の一つでしかありません。中にはこの薄さを、あくまで作品の弱点と見る方もいらっしゃるでしょうし、それを否定するつもりは一切ありません)。 もちろん新三部作には、旧三部作には見られないような「傷」が散見されます(個人的には、ジェダイの資質が血液中の共生生物の多寡によって数値化されるという設定が、だいぶ興ざめでした。必要の無い設定だったのではと思われてなりません)。しかし僕自身は、以上の理由で十分この作品も楽しむことができました。ちなみに殺陣は、今回見直してみても相変わらず見事だと感じました。 [ビデオ(字幕)] 7点(2002-02-14 23:54:05)(良:1票) |
13. スワロウテイル
<決定的ネタバレあり>僕はこの映画をファンタジーの一種として楽しみました。「金」がもたらす栄光もファンタジーであれば、その「金」から逃れるのもファンタジーでしかないのかもしれません。しかしそれでも僕は、「円盗」たちのコミュニティ「あおぞら」に強い憧れを抱いてしまいます。ラストでグリコとアゲハたちが金を燃やすシーンには本当に感動しました(所詮そんなことは現実には不可能だとわかっていましたが、それでも、いやだからこそかもしれません)。 9点(2002-02-11 19:52:07) |