Menu
 > レビュワー
 > dreamer さんの口コミ一覧
dreamerさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 85
性別
自己紹介 映画を観る楽しみ方の一つとして、主演のスター俳優・演技派俳優、渋い脇役俳優などに注目して、胸をワクワクさせながら観るという事があります。このレビューでは、極力、その出演俳優に着目して、映画への限りなき愛も含めてコメントしていきたいと思っています。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  スリーピー・ホロウ 《ネタバレ》 
この映画「スリーピー・ホロウ」は、幻想的でダークでファンタジックなティム・バートンワールド全開のゴシック・ホラーの大傑作だ。  とにかく、幻想的でダークでファンタジックなティム・バートンワールドに魅せられる素敵な映画です。  この「スリーピー・ホロウ」は、ワシントン・アーヴィング原作の「スリーピー・ホローの伝説」の映画化作品で、ティム・バートンが当時、「シザー・ハンズ」、「エド・ウッド」に引き続き、盟友のジョニー・デップとタッグを組んだゴシック・ホラーです。  18世紀のニューヨーク郊外の村、スリーピー・ホロウでは夜な夜な馬に乗って現われては住人の首を掻き切る首なし騎士が人々を恐怖のどん底に陥れていました。  斧を振りかざした首なし騎士が、漆黒の馬にまたがり、闇夜を疾走する場面の絵になる事といったらありません。 村を丸ごと作ってしまったというセットも素晴らしい雰囲気を醸し出していますし、霧が立ち込める不気味な夜は、色彩も美しく、優れて絵画的でもあります。  つまり、この映画はまさしく、現代の映画作家の中で、最も寓話的な作家であるティム・バートン監督によるファンタジーな絵本の世界を映像化したものだと思います。  そして、これらの幻想的でダークな、鳥肌が立つくらいに綺麗で美しい映像を撮影しているのが、何と「ゼロ・グラビティ」、「バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」、「レヴェナント:蘇えりし者」で3年連続でアカデミー賞の最優秀撮影賞を受賞という快挙を成し遂げた、メキシコ出身の天才撮影監督のエマニュエル・ルベツキ。  初めてこの映画を観た時、この撮影は何と凄いのだろうと衝撃を受けた時の記憶が甦り、当時からルベツキの撮影技術が素晴らしかったという事がわかります。  この映画にはかつて、バートン監督が偏愛した1960年代のハマー・フィルム社の"怪奇映画"に対するバートン監督のリスペクト、オマージュに満ち溢れています。  バートン監督は、「当時の怪奇映画は映像的には美しかったが、スタジオ撮影のシーンとロケ撮影のシーンとの間に大きな隔たりがあった。 その隔たりを埋めようとして、セットはもっと現実っぽく、実際の風景は作り物っぽくなるようにした」と語っていて、バートン監督のこの狙いが見事に成功していると思います。  更に、首なし騎士の造形に見られるように、バートン監督が、「シザーハンズ」、「バットマン」、「バットマン・リターンズ」で描いてきた"異形の者"への偏愛も健在で、それまでに磨いてきた映像テクニックを縦横無尽に使い分け、自分の創造性を"さらり"と表現してみせる技を習得した彼は、まさに円熟の境地に達した感があります。  そして、この映画の最大の見どころはやはり、ヘンテコで奇妙な器具をこねくり回して、頑固な程に科学的な捜査を試みるジョニー・デップと村の迷信的な存在である"首なし騎士"との対決です。  科学的な合理性と超自然的な怪談の激突を、頭でっかちな男VS首なし騎士の対決として象徴的に描いているのが面白くてたまりません。  この首なし騎士を演じるクリストファー・ウォーケンの唸り声以外、セリフが全くないにもかかわらず、あの"美しくも怖い顔"で、我々観る者を恐怖のどん底に落とし込む程、怖がらせてくれて見事の一語に尽きます。  デップが古い伝説的な迷信にとり憑かれた村人に囲まれて、ひとり大真面目に捜査を行なう様子はいささか滑稽で、いざという時に臆病風邪を吹かせてしまうというキャラクターにも愛着が持てます。  そして、バートン監督は、我々観る者に謎解きという知的ゲームを与えておきながら、全く考える余裕すら与えない程に衝撃的な首切り殺人や戦慄の映像を畳みかけ、観ている側を完全にパニック状態に陥らせてしまいます。  そして、苦悩する主人公のデップと同様に、我々観る者の、理性を保とうとする機能までも破綻させてしまいます。 この演出技法には全くお手上げで、本当に心憎い監督です、ティム・バートンは。  映画の終盤には、西部劇ばりのワクワクするような、血沸き肉躍る、騎馬チェイスが用意されていて、エンターテインメント性にも満ち溢れていて、カルト的なのに大娯楽映画。  これこそが、まさにバートン監督映画の魅力であり、彼のように鮮やかに自分の趣味とビジネスを両立させている監督は、長いハリウッド映画の歴史の中でも、極めて稀な存在だと思います。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2023-11-16 15:07:54)
2.  スコルピオンの恋まじない 《ネタバレ》 
ウディ・アレン監督がハワード・ホークス、エルンスト・ルビッチ、ビリー・ワイルダー監督への限りなきオマージュを捧げた小粋でお洒落な作品が、「スコルピオンの恋まじない」だ。  毎回、今度はどんな手で来るのかと、我々映画ファンをワクワクさせてくれる、ウディ・アレンの映画------。 この映画「スコルピオンの恋まじない」は、1940年代のハリウッドのスクリューボール・コメディの復活を目論んだ、ウディ・アレンらしい小粋で、お洒落な作品です。  主人公のC・W・ブリッグス(ウディ・アレン)は、昔気質の保険調査員。 そんな彼の前に、超合理主義者のリストラ担当重役のベティ・アン・フィッツジェラルド(ヘレン・ハント)が、立ちはだかります。  水と油、まさに犬猿の仲の二人。 そんな二人がある日、ナイトクラブで胡散臭い催眠術にかけられてしまい、文字通り、"恋の魔法"になっていく-----という、思わずニンマリとしてしまう程、スクリューボールな展開になっていきます。  この二人、顔を合せれば、凄まじい言い争いを始めてしまうのですが、結局、この攻防も二人の仲を高めるためのプロセスであり、スクリューボール・コメディの定石が、この映画にはドンピシャと当てはまります。  この二人の饒舌ともいえるセリフの応酬を見ていると、真っ先に思い出すのが、ハワード・ホークス監督のケーリー・グラントとロザリンド・ラッセル主演の「ヒズ・ガール・フライデー」で、オフィスのレトロな雰囲気や同僚達とのアンサンブルまでよく似ていて、嬉しくなってきます。  ウディ・アレンも公言している通り、この映画はハリウッドの黄金時代の名画の数々へのオマージュが散りばめられていて、映画ファンとしては、ウディ・アレンの映画への限りなき愛に共感し、この映画に陶酔させられてしまいます。  インチキ魔術師の呪文に踊らされて、次々に宝石を盗んでいくブリッグスとベティ・アンですが、これは泥棒カップルの騒動を描いた、ハリウッド黄金期のソフィスティケイテッド・コメディの巨匠エルンスト・ルビッチ監督の「極楽特急」の設定を思わせ、ウディ・アレン監督のセンスの良さを感じます。  ブリックスにかけられる呪文"コンスタンチノープル"は、「極楽特急」でもお洒落なキーワードとして使われているので、思わずニャッとしてしまいます。  また、主人公の仕事が保険会社の調査員というのは、名匠ビリー・ワイルダー監督の「深夜の告白」と同じですし、更にソフト帽にトレンチコートというブリッグスの格好は、ウディ・アレンが敬愛してやまないハンフリー・ボガートが主演した、ハワード・ホークス監督の「三つ数えろ」での私立探偵のスタイルにそっくりで、大いに笑わせてくれます。  このように、ハワード・ホークス、エルンスト・ルビッチ、ビリー・ワイルダー監督といった、巨匠達の映画世界からヒントを頂戴しつつも、きちんとウディ・アレン・テイストに仕立て上げているところが、彼の凄いところだと感心してしまいます。  考えてみると、役者としてのウディ・アレンが、そこに登場するだけで、その映画はウディ・アレン・オリジナルになってしまう凄さ。しかも、過去に彼が好んで演じた、"冴えない神経症の男"といったハマリ役を捨て去って、"デキル男"を溌剌と演じても、全く違和感なく、すんなりと馴染んでしまうから不思議です。  この映画が魅力的なのは、ひとえに偉大な過去の巨匠達に対するウディ・アレンの少年のように純真な、一人の映画ファンとしての心で満ち溢れているからだと思います。  この映画のようにシンプルで、奇をてらう事のない作品は、なかなかないと思うし、映画において、わかりやすさや親しみやすさが、いかに大切な事であるかを痛感させられます。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-06-01 12:00:44)
3.  スケアクロウ 《ネタバレ》 
このジェリー・シャッツバーグ監督の「スケアクロウ」は、1960年代後半から1970年代前半にかけての、いわゆる"アメリカン・ニューシネマ"のひとつの頂点を示す秀作です。  旅をする人間は、アメリカ映画の永遠の登場人物で、この旅する人間を描く事は、アメリカ映画の"永遠のテーマ"でもあり、"ロード・ムービー"と呼ばれていますが、アメリカン・ニューシネマの抬頭以降、このテーマは、何度も繰り返して取り上げられ、純化して来たと言えます。  そして、"孤独な人間同士の結びつき、現代人の抱え込んでいる疎外感"などを描いて、アメリカという国の素顔をのぞかせようとする映画が、続々と製作されていた時代の正しく、この映画は、その思想のひとつの到達点を示す作品になったと思います。  監督のジェリー・シャッツバーグは、スチール・カメラマン出身なだけあって、斬新でスタイリッシュな映像表現を見せてくれます。 まず、映画の冒頭のシーンが見事です。  タンブル・ウイードと言われる枯草の輪が、南カリフォルニアの砂嵐に転んでいきます。 そこに、6年ぶりに出獄したばかりのマックス(ジーン・ハックマン)と、船から下りたばかりのライオン(アル・パチーノ)が偶然に出会い、マッチ一本をきっかけに意気投合します。  この二人の出会いのシーンの演出の素晴らしさで、我々、観る者は、一瞬にして、この"スケアクロウ"という映画的世界へ引き込まれてしまいます。  喧嘩早い粗野な大男のマックスと、人を笑わせる陽気な小男ライオンの、正に弥次喜多道中とでも言うべき旅が始まります。  性格の全く違う二人の男が、友情を抱きながら、カリフォルニアからデトロイトまで旅を続ける事になりますが、ジーン・ハックマンとアル・パチーノというメソッド演技の神髄を知り尽くした二人の名優が、まるで演技競争のようにして、ある意味、人生に敗れた、しがなさ、ダメさを、時にユーモラスに、時に切なく演じて、本物の演技のうまさ、凄さというものを我々、観る者に強烈なインパクトを与えてくれます。  アメリカ大陸を東に横切って、マックスの妹の住むデンバーと、ライオンが5年ぶりに会おうとする妻子の住むデトロイトへ、その間、約3,000km。 そして、最後は、二人で洗車屋を開く予定のピッッバーグへ。  シネ・モビルによる野外でのオール・ロケーション撮影は、敗残者と老人たちの蠢く街々の底辺と、広漠とした大陸の広がりを、ただひたすら淡々と映していきます。  途中の酒場でのドンチャン騒ぎの末に、ぶちこまれる豚小屋ならぬ、刑務農場、これもアメリカの知られざる隠れた一面を見せつけられます。  この映画でのアメリカ大陸横断には、かつての「イージー・ライダー」のような若々しい直線的な気負いというものがありません。 ダメになったアメリカ、しかし、"男同士の無垢な友情が絶望を突き抜けた希望"というものを育み、オプティミズムの明るい光を照射して来ます。  しかし、この映画のラスト近くで、暴力のみに頼るマックスに、笑いで生きる事の意味を教えたライオンが、妻子に裏切られたショックで錯乱しますが、マックスの力強い愛情によって救われます。  そこには、力のみで生きて来た大国アメリカの反省と、それを乗り越えて来た開拓者の自信といったものを考えてしまいます。  "スケアクロウ"とは、案山子の事ですが、「風采の上がらない、みすぼらしい奴」という意味もあり、「そう見られて、馬鹿にされるから、かえっていいんだ」という気負いを捨てた姿を言っているのと共に、「案山子を見てカラスは脅かされるのではなくて、カラスは実は笑っているのだ」、そして笑って馬鹿にして、『だからあいつの畑を襲うのはよそう』と、畑にやって来ないのだという、裏返しの見方が重なっているような気がします。  このように、ジェリー・シャッツバーグ監督の現代を視る眼は、複雑だと思います。 脅しが、本当は笑われているのだと力の空虚な誇示を批判しながらも、やはり、みすぼらしいながら、案山子のタフさを言おうとしているようにも思えます。  この映画を観終えて思う事は、アメリカでは開拓者の時代の昔から、男たちが、東から西へ、北から南へと歩いて行ったわけですが、この映画に描かれた人間たちも良いにつけ、悪しきにつけ、そういう人たちの一種で、当時の荒廃したアメリカも、やはり依然として、開拓者としての友情を求めてやまない社会であり、そして本質的に、男の世界である事をこの映画は描こうとしているんだなと改めて感じました。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2021-05-31 09:38:37)
4.  スウォーム 《ネタバレ》 
「ポセイドン・アドベンチャー」や「タワーリング・インフェルノ」などのパニック映画(アメリカではディザスター映画)の超大作の大物プロデューサーとして鳴らしたアーウィン・アレン。  ところが、この人、プロデューサーだけに専念しておけばいいのに、監督までしたがって、結果はいつも無惨な出来栄えの映画を作ってしまうんですね。 「タワーリング・インフェルノ」の世界的な大ヒットで、まさに人生最高の時を迎え、好調の波に乗ったアレンは、この時期、流行していた動物パニック映画ブームの決定版を目指し、アフリカの蜂の大群が人間を襲うという「スウォーム」というトンデモ映画を監督するんですね。  動物もの、パニックものという二つのジャンルの第一人者であるという自負を持つアレンが、よせばいいのに監督をしたのがこの「スウォーム」で、名作、駄作、珍作となんでも出演することで有名なマイケル・ケインを主役に起用し(この時点で大作感がないですが)、当時、人気のあったキャサリン・ロス、大作に見せかけるためにレジェンド俳優のヘンリー・フォンダやオリヴィア・デ・ハヴィランドら映画史に残る錚々たる面子を筆頭にオールスター・キャストの布陣を敷き、まさか失敗する要素はないかに見えました。 ところが、このこけおどしの超大作(?)はものの見事に、面白くなく、結果、大コケしてしまいました。  敗因を分析してみると、ひとえにアーウィン・アレンの演出力の欠如にあると思います。このタイプの映画は、サスペンスが命とも言える生命線なのに、全然それがないんですね。 この緊張感のなさはただごとではありません。アーウィン・アレンという人は、プロデューサーとしての力量はともかく、監督としては全くダメなんですね。  蜂の大群に遭遇したヘリコプター。パイロットは驚愕し、靄みたいな蜂の群れの中に突っ込むヘリ。 すると、ヘリはみるみる急降下を始め、墜落・爆破・炎上してしまう。この間、緊張感ゼロ。  また、マイケル・ケインとキャサリン・ロスが、レストランの保冷室に逃げ込むシーン。 保冷室の室温は5°Cで、ケインは蜂は低温に弱いから大丈夫だと言う。だが、直前に蜂に刺されているロスは怯える。 しかも、パニックに襲われた男が鍵をかけてしまった。  さあ、残されたケインとロスはどうなる!? -----と思って固唾を呑んで観ていると、なんと場面は変わって病院のベッドに寝ているロスの姿。 ケインは「もう大丈夫だ」なんて言っている。一体、どうやって逃げたんだ!!!(笑)  そして、原子力発電所に何の前触れもなく蜂の大群が現われる。襲われた職員が、間違って何かのスイッチを入れてしまい、原子力発電所は大爆発。 すると、驚いたことに、場面が変わり、TVの画面に犠牲者が三万六千人以上と出る-----もう全編こんな調子であきれてしまいます。  蜂に襲われた列車の転覆にせよ、火炎放射器で蜂を焼き払おうとした隊員が、ビビってそこら中に火を放ち、町中が大火災になる場面にせよ、みんな蜂の脅威というより人災なんですね。 ただし、そこに「いちばん怖いのは人間である」などというメッセージ性を読み取ることは、まったく不可能なんですね。 とにかく、この映画は本国アメリカでも酷評の嵐に見舞われたそうですが、それはそうだと納得してしまいました。
[CS・衛星(字幕)] 3点(2019-04-10 12:13:26)
000.00%
100.00%
200.00%
311.18%
411.18%
544.71%
61011.76%
73338.82%
82023.53%
91416.47%
1022.35%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS