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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  007/ノー・タイム・トゥ・ダイ 《ネタバレ》 
ダニエル・クレイグの、そして“ジェームズ・ボンド”の“青い瞳”が、今作では特に印象的に映し出される。 その瞳は、時に怒りを滲ませ、時に強い決意を表し、そして時に愛する人を慈しんでいた。 “ブルーアイズ”こそが、ダニエル・クレイグが演じたジェームズ・ボンドの象徴であり、アイデンティティだった。  2005年に新ジェームズ・ボンドに、ダニエル・クレイグのキャスティングが発表された際には、金髪で青い瞳という従来の“ボンド像”からかけ離れたその彼の風貌に対して批判が殺到したらしい。 ただ、その固執されたイメージからの乖離、古い時代性からの脱却こそが、この俳優を起用した最も大きな狙いだったのだろう。 クレイグ版007第一作「カジノ・ロワイヤル」から足掛け15年経った今、改めてこのキャスティングは大英断だったと言えると思うし、少なくとも僕にとっては、この無骨で厳しい主演俳優こそが「007」だった。   そのダニエル・クレイグ版007の最新作にして、最終作。パンデミックによる1年半以上の公開延期を経て、ようやく日の目を見た今作は、自分の想定以上に印象的な映画作品として、心に残り続ける作品となった。 初回鑑賞後、あまりにも衝撃的でエモーショナルな今作の顛末を思いながら、しばらく思考をまとめることができなかった。 その間、頭の中では、ビリー・アイリッシュが歌唱する今作の主題歌が繰り返し流れ続けていた。 自分が思っていた以上に、ダニエル・クレイグが演じたジェームズ・ボンドと、彼の「007」シリーズが特別であったことを思い知った。 気持ちの高ぶりが収まらず、居ても立っても居られなくなり、今作の感想を綴る前に、クレイグ版007の過去4作すべてを再鑑賞することにした。  過去4作を見返すと、改めてこのシリーズが、それ以前の過去の「007」シリーズとは一線を画する革新的なアプローチの連続であったことを痛感する。 それは主演俳優のビジュアルなどに留まらない。作品世界そのものに対する是非、ジェームズ・ボンドというキャラクターに対する解釈、そしてそれらが今この現代社会に存在した場合に求められる視点と価値観、そういうことをシリーズ通じて真摯に追求し、挑戦し続けていた。 その象徴であり、顕著な結果が、ダニエル・クレイグという俳優が演じた荒々しく、生々しく、故に極めて“人間らしい”ジェームズ・ボンドだったのだと思う。   今作も含めた5作品において、ジェームズ・ボンドは傷つき続け、悲しみ続けてきた。そしてその「傷跡」は、決して単作で消え去ることは無く、シリーズを通じてしっかりと残り続けてきた。 そのさまは、時に悲壮感に溢れ、重々しいけれど、それは、ジェームズ・ボンドという架空のキャラクターが「人生」を得たことの証明だったと思える。  「人生」を得たからこそ、人間には、必ずその“終わり”が訪れる。 今作のタイトル「NO TIME TO DIE」が表すものは、即ち「今は死ぬ時ではない、けれど、いずれ死に相応しい時が訪れる」ということだったと思う。  シリーズ第2作「慰めの報酬」で、ボンドは敵から『手を触れる相手がみな死んでしまう』と罵られる。 彼はその事実と真理を誰よりも深く噛み締め、苦悩し続けていたのだろう。 自分が存在し続ける限り、トラブルは起き続け、大切な人はみな死んでいく。  かつての敵の台詞が全く直接的な意味合いで伏線となり、ジェームズ・ボンドはあまりにも厳しく悲しい顛末を迎える。 ただ、そこにあったのは必ずしも「悲劇」ではなかったと思う。 苦しみと悲しみの果てにようやく得た本当の「愛」。それを守り通すために、彼は自らの苦悩の螺旋を断ち切る。「死ぬにはいい日だ」と言わんばかりに、これまでで最も穏やかな表情で、その時を迎える。 それはやはり、「悲劇」なんかではなく、闘い続けてきた男に相応しい「解放」の瞬間だった。  過去4作を観終えた後、再びこの最終作を鑑賞し、その悲しみと慈愛にむせび泣いた。 寂しいけれど、今はダニエル・クレイグ版「007」をリアルタイムで映画館で観られた世代であったことを幸福に思う。   “007”は去った。でも、これで彼が消え去ってしまうわけではない。 彼が守り通した世界、そして大切な人たちによって、彼の存在は語り継がれ、残り続ける。 そう彼の名は、「Bond, James Bond」
[映画館(字幕)] 10点(2021-10-03 20:26:34)(良:1票)
2.  ダーティハリー
サンフランシスコの深い青空を背景にして、ライフルの漆黒の銃身が伸びる。遠く照準の先には、真っ青なプールに映える黄色い水着を着た美女。冷淡な凶弾は音もなく美女を襲いあっさりとその命を奪う。 オープニングクレジットと共にサングラスをかけた“スター俳優”が颯爽と事件現場に現れ、映画が始まる。  冒頭数分間のこのシークエンスで、一気に映画の世界に引き込まれた。 「凄い映画だ」ということは、その時点で確信できた。そして、今この瞬間までこの映画を"未経験”だったことを後悔した。  あまりに有名なハードボイルド映画の「傑作」であることはもちろん知っていたけれど、今この時代に初めて観て、これほどまでに心底「格好良い」とあらゆる意味で思える映画だとは思わなかった。 全編に渡るカメラワークの格好良さ、音楽の格好良さ、台詞回しの格好良さ、そして何と言っても“クリント・イーストウッドの格好良さ”もうそれに尽きる。 世代的にクリント・イーストウッドという映画人に対して、“ベテラン名俳優”そして“名匠映画監督”としての認識が大部分を占めるので、“スター俳優”としての馴染みが実際無かった。 時を越えてようやく、クリント・イーストウッドという稀代のスター俳優に邂逅できた気分だ。  映画史に残る「傑作」故に、この映画の価値と見所は多岐に渡ると思う。 時代に楔を打つバイオレンス性、正義と法の矛盾に対しての憤り、娯楽映画における警察像の変遷、この映画を観たのは初めてだが、おそらく観る程に新しい発見があり面白味が深まるだろうと思える。  でも、個人的に何よりも重要視したいことは、やはり主人公の魅力に尽きると思う。 演じた主演俳優の時代を越える格好良さ、そして彼が演じたキャラクターの映画史上に残るアイコン性。 登場した瞬間に、当然の如く「ああ、ダーティハリーだ!」と初めて見る者にすら思わせるその強烈な個性。  この映画の主人公に、クリント・イーストウッドという俳優が起用されたのは、決して既定路線ではなく、様々な巡り合わせが重なった上でのことらしい。 だからこそ、その「誕生」は映画史にとって奇跡的なことだったと思う。
[CS・衛星(吹替)] 10点(2012-11-11 01:12:40)(良:1票)
3.  ダンサー・イン・ザ・ダーク
あくまでも徹底的な悲劇に私の心は揺らぎっぱなしだった。基本的に悲劇は苦手だし好きではないのだけれど、この映画が描くものはもはや好きとか嫌いとかそういうレベルではない。辛い現実を覆い隠そうとするかのような濃厚な幻想でのダンスシーン。哀しいまでに躍動的に歌い踊るその姿は、誰が何と言おうとも私は「幸福」そのものだと言いたい。幻想であろうと何であろうと、彼女が生きぬいたその様は、「悲劇」さえも越えた深い深い「幸福」だったに違いない。
[映画館(字幕)] 10点(2003-12-12 01:34:50)(良:1票)
4.  ターミネーター2/特別編
基本的なストーリー展開にはほとんど差異はないが、細かなCG描写などが加わり若干ではあるが面白味は増している。T-1000が格子を通り抜けるが、持っていた銃が引っかかるとかそういう小ネタ的な追加シーンが楽しい。
10点(2003-11-16 11:58:05)
5.  ダンボ(1941)
ディズニー映画の中でも特に子供向けに位置されてそうなこの「ダンボ」だけど、実際は今作ほど大人向けな幅広いディズニー映画はないように思う。ストーリーは幼稚なように見えて「まわりと違うことを負に思わずそれを生かす」という実に現代的なテーマであるし、随所に芸術的にレベルの高い演出が多い。特にダンボが酒に酔ってピンクの像が踊りまわるシーンなどは、非常に独創的でシュールであった。
[ビデオ(吹替)] 10点(2003-10-11 16:12:25)
6.  大誘拐 RAINBOW KIDS
夏の訪れを感じる豪雨の中、山間の自動車道を走っていた昼下がり、この映画を思い出す。 それなりに沢山の映画を観てきたが、ふと思い出したならば、もう無性に観たくなるという作品が幾つかある。 岡本喜八監督のこの娯楽映画は、そういう映画の確固たる一つだと思う。   日本が誇る娯楽映画の大巨星、岡本喜八が描き出したこの数奇な誘拐劇は、映画としての痛快さや爽快さを大胆に散りばめた上で、真っ直ぐに「娯楽」という要素を極めている。 主演女優の偉大さからストーリー展開の巧みさまで、特筆すべき点は多々あるが、この映画の場合、台詞回しを覚えてしまう程、何度観ても心底面白いその「愛着感」こそが、最大の価値だと思う。   「ああ、今日もお山が綺麗や」  映画のラスト、この物語に登場する総てのキャラクターと、この映画を愛する総て観客を魅了した“主人公”がそう言い、締める。  これから先も、夏の山の美しさを感じる度に、この日本娯楽映画史上の最高傑作を、幾度も観たくなることだろう。
[CS・衛星(邦画)] 10点(2003-09-29 12:06:30)
7.  ターミネーター2
怒涛のアクションシーンや秀逸なVFXもさることながら、この映画に漂う金属的で無機質な世界観はとても見事だと思う。このような統一された世界観を作り出すことができるのが優秀な監督の手腕だと思う。名セリフ、心に残るラストシーン、この映画が残したものは映画史に残る偉大なエンターテイメント性だった。
10点(2003-09-29 01:45:58)
8.  ターミネーター
最新作「新起動」を観る前に、オリジナルを“おさらい”しておかなければ!と思いたち、相当久しぶりに1984年の第一作を鑑賞。  改めて観返してみると、記憶に無いシーンが随分と多かった。続編である「T2」は散々繰り返し観たものだが、よくよく考えてみればこの第一作目は、子供の頃に観たきりだったかもしれない。 そして、忘却してしまっているというよりも、民放のテレビ放映版を観たことしかなかったため、大部分がカットされていた可能性が高いようだ。 そういうこともあり、僕自身が3歳の頃の映画を殊更フレッシュに楽しむことができた。  エンターテイメント性の高い「T2」に比べて、この第一作目が“疎遠”になっていた理由は明らかだ。 それは、少年時代にこの映画を初めて観た時の“恐怖心”に対してのトラウマが確実に残っていたからだと思う。 今、大人になって観返してみても、ラストの恐怖感と緊迫感は物凄い。それこそ、30年前の映画であることを忘れさせるくらいにフレッシュで、ただただ面白い。  “無名のボディービルダー”を感情を持たない殺人マシーンに配し、その肉体を剥ぎ取られてもなお執拗に追わせることにより、類まれな「恐怖」という娯楽性を生み出したこの映画の「発明」は、あらゆる意味で映画的価値に溢れている。  ただ逃げ惑うだけのウェイトレスだったヒロインが、クライマックスでは自らを助けにきた未来の戦士に対して「立ちなさい!」と叱咤する。 それはまさに、ヒロインが自らの運命を受け入れ、“未来”に向けて覚醒した瞬間だった。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2003-09-29 01:38:57)
9.  タイトル、拒絶
東京のど真ん中の、猥雑で、ありとあらゆる欲望に塗れた薄汚れた雑居ビルの風俗店の一室で、切なく蠢く女性たちの感情が、乱暴なまでに生々しくべっとりと描きつけられる。 その様は、果たして阿鼻叫喚の地獄絵図のように進展していくけれど、このような人間模様は、きっとこの街のそこかしこで当たり前のように繰り広げられていることに過ぎないのだろう。  格差是正だとか、ジェンダーレスだとか、サステナビリティだとか、美辞麗句を並び立てることがこの社会は大好きだけれど、実際のこの世界は、女性が一人生きていくにはあまりにも息苦しくて、あまりにも醜い。  出張風俗店の息苦しい待機部屋を燃やしたって、憎い男性店長を刺したって、たとえこの街がドカンと爆発したって、明るい未来なんて見えるはずもない。 モラハラやDVに耐え忍んで、ほんの小さな愛にしがみついてみたところで、その次の曲がり角では理不尽で卑劣な暴力の餌食になるかもしれない。  なんて過酷。なんて醜悪。  それでも、それなのにだ、雑居ビルの屋上から見える狭い空の燃えるような夕焼けを見て、思わずお腹がすいてくる。なんて切ないんだろう。なんて悲しいんだろう。   「伊藤沙莉」目当てで鑑賞して、やっぱり伊藤沙莉が素晴らしかった。 あの絶妙なビジュアル、表情の作り方、そして声質、この女優の演技とそのたたずまいは、文字通りに味わい深く、どんなに他愛もないシーンであっても観ていて飽くことがない。  そして伊藤沙莉演じる主人公を翻弄し続ける風俗嬢の面々を演じた女優たちもみな素晴らしかった。 ベテラン嬢を演じた片岡礼子以外は、本作の撮影時点ではそれほど名の通っていない若手女優ばかりだったと思うが、表情や立ち振る舞いの実在感がことごとくリアルで、殆どデリヘル店の一室で展開されるこの映画の小さな空間を見事に彩っていたと思う。(特に劇中バチバチにやり合う恒松祐里と佐津川愛美は、この一年間の朝ドラ出演で知った女優だっただけに、そのギャップが印象的だった)   自分のしょうもない人生にドラマなんて期待しないし、そんなものにタイトルを付けるなんて反吐が出る。 無記名の大学ノートに、日々の“つらみ”をただ刻みつけるかのように、無理やり笑って、無理やり泣いて、ゴミ溜めのような今日を、彼女たちは生きていく。 そんな決して綺麗事ではない女性たちの生き様が、時にどうしもようなく、美しい。
[インターネット(邦画)] 9点(2022-12-10 00:08:01)
10.  ダンケルク(2017)
耳をつんざく爆撃音、ぶつかり合う鉄の質感、あらゆるものが燃え焦げついた臭いが漂ってくるような生々しい空気感。 映画が始まったその瞬間から、「戦場」に放り込まれる。 凄い。と、冒頭から思わず感嘆をもらさずにはいられなかった。 これほどまでに、最初から最後まで“IMAX”で観ることの価値を感じ続けた映画は記憶にない。 この「体感」は極めて意義深い。  第二次世界大戦初期、ドイツ軍に包囲された連合軍は、フランスはダンケルクの海岸に追い詰められる。  この映画は撤退を余儀なくされた連合軍兵たちの「敗走」の様をこれでもかと描きつける。 登場する人物の前後のドラマを一切描かず、無慈悲な戦場での過酷な「敗走」のみをひたすらに映し出すことで、「戦争」を表したこの映画の豪胆さに何より感服する。  映画史には世界中のありとあらゆる戦争を描いた数多の「戦争映画」が存在する。 その数の分、一口で「戦争映画」と言っても、映画表現の“手法”と“目的”は様々だ。 「プライベート・ライアン」のようにリアルな戦闘シーンを究めた作品もあれば、「地獄の黙示録」のように戦場で苛まれた人間の心の闇を果てしなく掘り下げた作品もある。またはチャップリンの「独裁者」のように風刺と情感を込めて、強く反戦を訴えた作品もあろう。  「ダンケルク」は、戦場の「体感」を究めた戦争映画である。 ただ、だからと言ってこの映画が、戦争の「リアル」を描き抜いた映画かというと、それは少し違う。  “本物主義者”のクリストファー・ノーラン監督により、今作も例に違わず極限までCGによる映像処理は避けられている。 本物の空、本物の海、本物の飛行機、本物の船、本物の人間によってすべての映画世界は映し出されている。 それにより、観客はまさに極限まで「本物」に近い“感覚”を味わうことができる。  ただしそれは「リアル」ではない。言い表し方が難しく語弊があるかもしれないが、クリストファー・ノーランは、リアリティを追求するために「本物」を求めているわけではないと思う。 それは、映画という表現方法で「何か」を伝える上で、必ずしもリアリティの追求が「正解」ではないことを、この偏屈な映画監督は知っているからだ。  「現実」に起こったことをありのままに表すよりも、より効果的に伝えるべきテーマを観客に表現する方法は確実にあり、それを導き出すために、本物の素材を使い、スクリーン上で目に映るモノのリアリティを高めるという試み。 その一連のプロセスこそが「映画」をつくることだと、クリストファー・ノーランは信じて疑わない。  そのつくり手の「信念」がこの「戦争映画」には溢れ出ている。 だからこそ、ただただ「敗走」を繰り返すという、あまりに無骨でストーリー性に乏しい映画であるにも関わらず、圧倒的に「面白い」。
[映画館(字幕)] 9点(2017-09-22 23:57:42)
11.  007/スカイフォール 《ネタバレ》 
良い意味で非常に「懐古的」な作品に仕上がっていることは間違いない。 今作では、時代の流れと共に「スパイ」という役割の時代錯誤感が問われ、存在そのものが追いやられる立場となるというストーリーが描かれる。 そして、今一度「スパイ」という存在の意義と必要性、そして“格好良さ”を「007」シリーズが培ってきたパターンを存分に生かして見せてくれている。  シリーズファンに対してのサービス精神が旺盛な分、往年の過去シリーズ作品の幾つかを観ていないと、面白味が半減してしまう部分が多々あることは否めない。(特に「ゴールドフィンガー」の鑑賞は必須!) アストンマーチンの“赤いボタン”などは、往年のシリーズファンにとっては最高のプレゼントだったに違いない。  そういった全体的にとても懐古的な「007」らしい映画世界は、ジェームズ・ボンドというキャラクターが、「成熟」しつつあるという表現と直結しているように思えた。 このダニエル・クレイグ版「007」シリーズの最大の醍醐味は、ジェームズ・ボンドという絶対的主人公の“未成熟さ”にあると思っている。 一流のスパイと称されるにはあまりに未成熟な故、この新シリーズにおけるジェームズ・ボンドは、あらゆるものを「喪失」してきた。この最新作においても、結果として彼はあまりに“大きなもの”を失ってしまう。 その「不完全さ」が、良い意味でも悪い意味でも「007らしくない」という評価を生んだことは明らかだろう。  ただ、今作ではそんな主人公ジェームズ・ボンドが、徐々に「007」らしさを見せ始める。それは即ち世界最高の諜報部員に相応しい「余裕」が垣間見えてくるということだ。 主人公に徐々に備わってきた「007」らしさ、それはまさに数々の過酷な「喪失」からの「誕生」であり、そこから「成熟」に至るプロセスこそが人気シリーズを「リブート」することの最大の価値だということを高らかに物語っているように思えた。  史上最高齢の“ボンドガール”との別れに惜別の念を感じつつも、新M、新Q、そして新マニー・ペニーの相次ぐ新登場には、もう問答無用にニヤニヤしながらエンドロールを迎えるしかなかった。  さあて、喪失からの誕生、そして成熟までの準備は整った。次作では、ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドの“集大成”を見せつけてほしい。
[映画館(字幕)] 9点(2012-12-06 12:26:34)(良:1票)
12.  第十七捕虜収容所
サスペンス、スリル、可笑しさ、爽快感……映画の娯楽性を彩る要素は多々あるけれど、ビリー・ワイルダーの映画には、そのすべてが詰まっている。 捕虜収容所での“スパイ探し”を描いたこの変わった趣向の戦争映画には、想像以上に娯楽性を高める様々な要素がバランスよく入り交じっていて、それぞれの要素が見事に主張し合っている。  第二次世界大戦中の捕虜収容所を描いた映画と言えば、有名過ぎるのはやはり「大脱走」だろう。ドイツ軍管理下の捕虜収容所からの脱走を図る捕虜たちの群像劇を描いたプロットは、今作との類似を大いに感じる。 大名作として誉れ高いのは「大脱走」の方だと思うが、制作年数は今作の方が圧倒的に早いので、ヒントを得た部分は大いにあるのだろうと思う。 そして、個人的には圧倒的に今作の方が面白かった。  ナチスドイツ管理下の捕虜収容所というイメージ的には陰惨極まる舞台設定において、決して不自然ではない映画的娯楽を展開させる巧さに、ビリー・ワイルダーという映画人の偉大さを改めて感じずにはいられない。  そして、スリルやコメディの娯楽性の裏には、しっかりと悲愴な環境下で生き抜く人間たちのドラマと戦争による混沌も見えてくる。 そうすると、収容所内の人間たちの少々仰々しい感情表現も、生き抜くための一つの“手段”に思えてきた。  映画は終始薄汚れた捕虜収容所内で展開され、派手さは皆無だと言っていい。しかし、噛めば噛むほど様々な味覚が存在を主張し、そのどれもが深まっていく。 週末の深夜、巧い映画とはこういうものだということを改めて知った。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-04-22 23:44:07)(良:1票)
13.  007/慰めの報酬
ダニエル・クレイグが“ジェームズ・ボンド”に扮する新007シリーズの第二作目。 前作「カジノ・ロワイヤル」の完成度がとても高かったので、必然的に続編への期待は高まっていた。 そしてもって、今作「慰めの報酬」も極めて完成度の高いエンターテイメントだった。「賞賛」に値する。  やはり、ダニエル・クレイグが良い。 ショーン・コネリーやロジャー・ムーアが演じた往年の「007シリーズ」に愛着がある世代にとっては、無骨でスマートさがないクレイブのボンド像は、お気に召さないという評価も聞く。 が、敢えて「未完成」のジェームズ・ボンドを描き直し、そこにダニエル・クレイグというワイルドさと危うさを秘めた俳優を配したことは、一つの趣向として圧倒的に正しい。  そして、そこにはこれまでのシリーズにはなかったシリアスさとリアリティがある。  「殺しのライセンス」というものが実際にあったとして、それを与えられる者に絶対的に必要なことは、「自らの感情をひたすらに抑えつける」ということだろう。 ただし、そんなことが端から出来る人間などいるわけがない。たとえいたとしても、そんな人間は“ヒーロー”として決して魅力的でないと思う。  “ライセンス”を与えられ、そこに求められる“絶対性”を極限の状態で徐々に越えていくプロセスこそ、クレイブが演じるこの“007”シリーズの醍醐味であり、これまでのシリーズにはない魅力だと思う。
[映画館(字幕)] 9点(2009-01-25 02:49:03)
14.  ダークナイト(2008) 《ネタバレ》 
前作「バットマン ビギンズ」で、“バットマン”という周知のヒーローを、全く新たな「黒色」で塗り替えたクリストファー・ノーラン。 同監督が引き続き指揮を執った新シリーズの続編は、バットマンというヒーロー像に留まらず、“ヒーロー映画”そのものを洗練された「黒色」で塗りつぶし、新たな造形を浮き上がらせてみせたと思う。  バットマンというヒーローの誕生秘話を、決して派手な娯楽性に走らず、ビジュアルとインサイドの両面で濃密に描き出した「ビギンズ」は、見事な映画だった。 バットマンというと、大富豪が自らの莫大な資産を使って夜な夜なコウモリ男のコスチュームでヒーロー業を繰り広げるというどこか安直な印象がかつてはあったが、同作の誕生によりそのイメージは一新され、悲哀に溢れたダークヒーローへと進化したと思う。  今作では、このヒーロー特有の“ダークさ”を、更に進化させ、ついにはヒーローのレッテルすら剥奪されてしまう。ヒーロー映画としては、もはや「斬新」と言わざるを得ない。  その映画としての衝撃を成功へと至らしめた最大の要因は、悪役を演じた俳優の功績に他ならない。  ヒーロー映画においては、悪役を演じる俳優の重要性は、主演俳優のそれを遥かに凌ぐ。 かつての「バットマン(1989)」で、悪役ジョーカーを演じたジャック・ニコルソンが、主演のマイケル・キートンを抑え付けたように、今作は、同じくジョーカーを演じたヒース・レジャーの存在なしには考えられない。 そして、このジョーカーという役に限れば、ヒース・レジャーのパフォーマンスは、ジャック・ニコルソンの比ではなく、遥かに凌ぐ。  バットマンの存在性と表裏一体に描かれるジョーカーの異常性は、今作のまさに核心であり、それを120%表現したヒース・レジャーは圧倒的だった。  文字通りのマッドピエロの狂言回しによって、極限まで追いつめられたヒーローの選んだ宿命。  この顛末を、「娯楽」が最優先されるべきヒーロー映画でやり遂げられたのは、クリストファー・ノーランという鬼才監督と、早過ぎる死によって伝説と化した若き名優ヒース・レジャーの奇跡的なコラボレーションに他ならないと思う。  これから先、ジョーカーという役に限られることなく、映画俳優としての功績で、大名優ジャック・ニコルソンを超える可能性を秘めていた俳優の死は、あまりに残念だ。
[映画館(字幕)] 9点(2008-09-01 14:13:30)
15.  太陽がいっぱい
周知の評価の通り、ラストが素晴らしい。主人公リプレーが一瞬の満足感の末得たものは何だったのか?思惑と異なりすべてが転覆してしまったことを知らないラストの笑顔が何とも愚かしく切ない。しかし、彼は決して何も失ってはいない。なぜなら彼には元々何も無かったからだ。そう思うと、「太陽がいっぱいだ」とつぶやいたあの一瞬こそ彼があらゆる罪を犯してでも得たかったものであり、その瞬間で彼の本望は遂げられたのかもしれない。 何と言ってもアラン・ドロンの美貌とその裏に垣間見せる屈折した感情を抱えた存在感がスゴイ。こういう俳優のことをスターと呼ぶのだとしみじみ思った。今の常識からするとサスペンスとしてのストーリーは安易であるが、偽り、交錯する人間の感情が実にサスペンスフルだ。名作の名にふさわしい傑作。
9点(2004-10-03 13:05:09)(良:1票)
16.  タイタニック(1997)
公開当時は、個人的にディカプリオを毛嫌いしていたせいもあって配役に不満があったのだけれど、それでも2回劇場に足を運ばせ、2回目においても時間の長さを感じさせなかったこの映画のエンターテイメント性は物凄く大きい。今になって思えば、ディカプリオほどあの役にハマる俳優もおらず、相手役のケイト・ウィンスレットにしてもキャラクターに合った配役であったと思う。実際に豪華客船を作って見せた空前絶後の壮大さは、そのまま映画の大きさに反映され、近年における「名作」の名にふさわしい作品に仕上がったと思う。
9点(2003-10-30 17:25:43)
17.  ダイ・ハード
日々進化していく電気製品のように時がたつとともに風化していくのが多くのアクション映画の宿命であるがこの映画は忘れられることはないだろう。高所恐怖症、離婚の危機、しがない一刑事がなりゆきのままに血まみれになって悪党と対決するという非ヒーローぶりが今作の最大の魅力であり、ブルース・ウィリスを大スターに押し上げた最大要因である。
9点(2003-09-27 18:58:38)
18.  タリーと私の秘密の時間 《ネタバレ》 
長女7歳、長男4歳を持ち、共働きの妻とともに、“子育て”をしてきたつもりの父親(自分)にとっては、問答無用に身につまされる作品だったことを、先ずは認めなければなるまい。  日本語タイトルに「時間」という言葉が使われているが、子を育てる、つまりは「親」という立場で生活を送ることにおいて、母親と父親ではまさに「時間」という概念の在り方と、体感が全く異なるのだと思う。 それくらいに、子育てにおける母親と父親の負担は、アンバランスだ。 僕自身そうなのだが、恐らく世界中の殆どの“父親”は、そのことを半分気がついてはいるけれど、目を伏せ、耳をふさぎ、気がつかないふりをしている。  この映画は、シャーリーズ・セロン演じる主人公の母親と、とある“ナイトシッター”との交流を描く物語だ。 日本では殆ど聞き馴染みがないが、“ナイトシッター”とは文字通り母親の就寝時間に乳幼児の見守りと世話をしてくれるベビーシッターとのことで、欧米ではポピュラーになりつつあるらしい。  ナイトシッターの“タリー”は、毎晩22時過ぎに訪れる。そのため、今作は必然的に「夜」のシーンが圧倒的に多い。 だがしかし、この映画の各シーンは、「夜」であるという“意識”を意図的に避けるかのように、明るく、温かく、色鮮やかに映し出される。 したがって、観客は知らず知らずのうちに、育児ノイローゼで疲弊した主人公の心労が、“タリー”の存在によって癒やされ、回復していっているものだと、疑う余地もないくらいに……“刷り込まれる”。 結果、観客にも、主人公本人にすら、夜を夜と感じさせないことが、逆説的にこの物語が孕む普遍的な深刻さと問題の重さを表していた。  監督は、「JUNO/ジュノ」、「ヤング≒アダルト」のジェイソン・ライトマン。両作とも脚本を担ったディアブロ・コディとの三度のタッグによる作品世界の安定感は抜群で、ストーリーテリングは勿論のこと、映画作りが流石に巧かった。 序盤から、“上手な映画”の心地よさを堪能することができた。  そしてなんと言っても、シャーリーズ・セロン姐さんの、演技力、存在感、役作り、それらすべてをひっくるめた「女優力」が相変わらず物凄い。 彼女は、3人目の子を妊娠・出産する母親役を演じるにあたり、約20kg増量したという。 前作が昨年公開の大傑作アクション映画の「アトミック・ブロンド」だっただけに、その“体格差”に只々愕然とせざるを得ないし、見事すぎる程に体を仕上げ、全く異なる女性像を体現しきった様には、感嘆するしかない。   驚きの顛末と共に描き出された「真相」の正体が、あまりにも普遍的でありふれた課題だったからこそ、この映画表すテーマ性は非常にヘヴィーだ。 親になり、子育てという営みに向き合う以上、きっとこの課題が丸々解消されるなんてことはあり得ない。 ただし、それを分かち合い、共有することはできる。  閉鎖的なヘッドホンを外し、隣り合ってイヤホンを共有するだけで、たぶん大抵のことはうまくいく。ということを心に刻み、ひたすらに猛省&猛省。
[映画館(字幕)] 8点(2018-10-25 20:37:17)
19.  007/スペクター 《ネタバレ》 
フランス女優レア・セドゥーの腰つきがたまらない。イタリア女優モニカ・ベルッチの未亡人ぶりが艶々しい。 劇場鑑賞を終えて、余韻に浸りながら今作を振り返った時、先ず第一に脳裏に浮かんできたものは、“ボンド・ガール”たちの“曲線美”だった。 非常に欲情的な感想が先行してしまっているようだが、これこそが「007」というシリーズが培ってきた娯楽性の在るべき姿だと僕は思う。   前作「スカイフォール」は、50年以上に渡る大人気シリーズの中でも屈指の傑作だった。 特に、現在の“ジェームズ・ボンド”であるダニエル・クレイグ版で「007」にハマった者としては、シリーズ最高傑作と言って間違いなかった。 それ故に、最新作である今作「スペクター」に対する期待は最高値に上がっていた。 ただ同時に、シリーズの中でも極めて“異質”なストーリーテリングと物語の帰着を見せた「スカイフォール」の続編として、どうストーリーを紡ぐのか一抹の不安も確かにあった。  結果としては、当然ながら大傑作だった前作を超えてはいない。 そして、特に今作においては最も肝となるべき悪役の設定の弱さをはじめとして、映画としての完成度においてもマイナス要因が多かったことは否めない。 しかしながら、この映画の、“異質な大傑作の続編”としての在り方、そして“ダニエル・クレイグ版007の集大成”としての在り方は、決して間違っていなかったと思える。   前作「スカイフォール」は傑作だが、ジュディ・デンチがシリーズ最高齢のボンド・ガールとして存在していたこともあり、エロティシズムという点では伸びなかった。 もちろんそれは正当な娯楽性を廃した狙い通りの作風だったのだが、今作はその反動的に、王道的な娯楽性を並べている。 地上、上空、雪上、水上を縦横無尽に駆け巡り、美女の心を鷲掴みにして、「007」という活劇の王道を見せつける。 そういう点では、今作は前作を踏まえての“アンサー”であり、“対”となる作品なのだとも思える。   ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドとなって4作目にして集大成である今作。 そこにあったのは、まさに裸一貫から培ってきた新たなジェームズ・ボンド像がついに完成した様であり、しかるべき道程を経て辿り着いた「原点回帰」という娯楽に対する崇高な美学だった。  ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドは、シリーズを通してあまりに多くのものを喪失してきた。 それは悲壮を胸に秘め続けたあまりに過酷な成熟への道筋だったと思う。 しかし、ついに今作において、彼はすべてを守り切る。 まさにそれは集大成に相応しく、“ジェームズ・ボンド”というキャラクターの一つの完成形だったと思うのだ。
[映画館(字幕)] 8点(2015-12-06 22:57:49)
20.  大脱出(2013)
シルベスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガー、この二人が正真正銘の「競演」を果たした。 その映画的価値が身に染み入るように分かる世代の映画ファンにとって、この“大雑把”な映画を卑下する要素など微塵も見つけることが出来ない。  ストーリーが穴だらけ?当たり前じゃないか! 御都合主義のオンパレード?当たり前じゃないか!! 設定自体に整合性がない?当たり前じゃないか!!! 映画そのものが大味過ぎる?当たり前じゃないか!!!!  それが、頂点を極めたこの二人だけ許された唯一無二の“娯楽性”なんだよ!なめんなよ!  それにしても、監獄の「正体」をモロバレしちまっている国内のプロモーションには怒りを通り越して呆れしかない。なんだってそんな決断に至るのだ。理解不能……。
[映画館(字幕)] 8点(2014-01-23 23:55:09)(良:1票)
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