1. デビルマン
最初にこの作品が気になったのは、新聞の新作映画欄である。余りはっきり書かない新聞が、これ程はっきりと否定のニュアンスで書いたのも珍しい。これは尋常でない何かがある。「デビルマン」か、覚えて置こう。暫くして、いくつかの映画評価サイトで見事なまでに最悪と書かれている。そうか、最悪なのか。最悪と言われれば行くしかない。うかうかしていると上映が打ち切られてしまう。糞映画ファンの俺にとって糞映画を劇場で見る稀有なチャンスである。小雨の降りしきる中、この映画の否定をするために見に行くことに葛藤を覚えながらも映画館に急いだ。その日は客席からしていつもとは違う。ガラガラの客席が何かを暗示しているようにも見えた。結局、席は全く埋まらないまま本編に突入。凄い、聞きしに勝る凄さだ。内容の無さに耐えられず、ただでさえ少ない観客がぽつぽつと帰っていく。こんな都会でサバイバルゲームをするとは思わなかった。「糞映画」と「襲い掛かる睡魔」という2匹の悪魔との闘いだ。そして、最後まで戦って憔悴した俺の目に映った光景は、一目散に退散する者、寝たまま起きない者、そしてのろのろと立ち上がり、足取りも重く出口へ向かう者(注:一様に殺気立っている)。これが俺の劇場で見た全てである。さて、肝心の批評だが、一言言いたい。いや、一言では言い尽くせない。目眩がした。タチの悪い目眩だ。シベ超の洗礼を受けたこの俺がこれほどダメージを受けるとは。「シベ超」や「北京原人」のような製作者らが勘違いしたまま暴走した映画とは異質の存在。いや、むしろ“確信犯”ではないのかと疑わせる悪意。芯が無いというか味がしないというか、そもそも製作者のやる気すら疑う。棒読みの俳優意味も無く小林幸子へたれたCG支離滅裂なストーリー他何もかもダメ。デビルマンを期待して観に行ったであろうファンからすれば犯罪行為に近いのではないか。そもそも優れた原作を更に膨らませるのは監督の役割であろうに。ここで唐突に昔勉強した或る数式が頭に浮かんだ。Ⅹ × 0=0・・・これはⅩにどんな数を入れても成り立つ。要は原作がⅩであり、仮に原作Ⅹに∞を入れても、監督の力量&やる気が0なら出来栄えは0だ。要はこの作品がそれなのである。当然得点は・・・と、ある考えが浮かんだ。結論。潔く0点として殿堂入りさせてしまうのも癪だ。俺の精一杯の抗議の意思を込めて1点とする。【祝!日本版ラジー賞受賞!】 1点(2004-11-06 23:29:54)(笑:1票) (良:7票) |