1. ドッグヴィル
《ネタバレ》 どうして観ちゃったんだろう。こんな嫌な、いいや、嫌とも違うな、こんなどうにもならない怒りを覚えるのがわかってたら観なかったのに。トリアー!出てこい!スクリーンの後ろで超然としてねえで!何が人間の醜さだ!弱さだ!アメリカの暴力だ!権力だあ?性欲だあ?嫉妬だあ?猜疑心だあ?偽善だあ?答えがないだあ?バカにするな!この変態野郎!出てこい!誰の手も届かないところで隠れていながら”にんげん”や”せかい”を無表情で描くな!ふざけんな!いや、ふざけろ!はぁ、はぁ、はぁ。観た直後の僕はを文字にするとこんな感じです。映画は凄まじい完成度と言っていいでしょう、たしかに。うわさのセットも役者陣の素晴らしいお芝居も、照明や撮影の繊細さも。観ている側を否が応でも映画の(いや、映画が示してみせる世界観の、か)内側に取り込んでいく映画作家としてのトリアーの技術には舌を巻くしかありません。でも僕は許せないのです、きっとひとりの人間としてのトリアーが。マウスの実験を冷徹に観察するかのような彼の目線が。もちろん彼の目線はしばしば、トムという仮面をかぶって映画のなかにも降りてきているのでしょう。いや、そういうことではないのです。”人間性に対する共感がない”なんて安っぽい批判をするつもりもありません。所詮、人間なんてみんな自分の目線から見たようにしか世界を見つめることが出来ないもんです。いや違うな、自分の言葉の知らなさに苛立つばかりです。素晴らしい。けど許せない。この映画の転がしてみせる世界のあり方には、僕は絶対に組したくない。この世界にはきっともっともっと怒りが満ちあふれているから。それなのにこの映画は誰一人怒りを表さないから。僕はそれが許せないんだと思います。彼の立ち位置が。 0点(2005-01-11 04:13:12)(良:1票) |