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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2589
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  2001年宇宙の旅
観客に意味が伝わらなければ、どんなに崇高なテーマを持っていたとしてもその映画は駄作であると思う。今作もその類に極めて近いことは確かであろう。しかし、尊大なラストシーン、あの瞬間に私は震えるような、何かが目覚めるようなひらめきを感じた。かたっくるしく難解なストーリーのすべてが一気に脳裏に流れ込むような衝撃を感じたとしか言うほかない。この伝説的映画が真の傑作かどうか、一度しか観ていない私には判断できない。ただ、もしかしたら人間の想像力と創造力の限りない深遠まで近づいた映画なのではないか、そんな気がするのは確かである。
[DVD(字幕)] 10点(2003-12-17 14:21:29)
2.  ニュー・シネマ・パラダイス
何というか、映画ってやっぱりこんなに素晴らしいものなんだ、ということを再認識させてくれる映画だった。世界中のすべての人達の娯楽であり、希望であった映画という産物をいつまでも大切にしていかなければならないし、それぞれの想いをもって観続けていかなければならないと思う。叙情感を誘う展開から紡ぎ出されたラストシーンは、もう言葉にならなかった。映画はもちろん感動的であったが、同時に、映画を好きで良かったという感動がとても大きくて涙が止まらなかった。
10点(2003-10-31 12:22:37)
3.  庭から昇ったロケット雲
志半ばで退役し、農夫となった元宇宙飛行士が、自ら作り上げた“ロケット”で宇宙への夢を追い続ける物語。  まったく。こういう映画を見過ごしそうになるから、おそろしい。  農場の納屋でコツコツと作ったお手製ロケットで、単身宇宙へ飛び立つ。 ストーリー自体はあまりに荒唐無稽で、現実味はないかもしれない。 ただ、観点を変えれば、「映画が荒唐無稽で何が悪い」ということ。  愛すべき家族に支えられ、自分の夢を実現させていく主人公の様は、決して人間として完璧で、力強いというわけではないのだけれど、観る者に正真正銘の「勇気」を与えてくれる。  この作品は、必ずしも「夢」に対する綺麗ごとばかりを描き連ねてはいない。 父親の自殺という過去、権力の妨害、金銭的な障壁、家族間での確執……、多くの人が人生の局面で味わう苦渋をしっかりと描いている。  ただし、その代わりに、「美しいもの」はきっちり美しく描いている。  冒頭のシーンから一貫して、丁寧に美しく映し出される「空」がそれを如実に物語っていると思う。 「空」は、宇宙を夢見る主人公にとって、常に目線の先にあるものだ。 その広大さ、美しさ、をワンカット、ワンカットで描き出す素晴らしさ。それを見た瞬間に、「ああ、これは良い映画だ」と感じた。   クライマックス、再挑戦のロケットが空高くのぼっていく。 それをすべての人たちが、喜びと、興奮で仰ぎ見る。  僕は、感動して、涙が出た。それ以上に何が必要か。
[DVD(字幕)] 9点(2008-12-30 11:27:36)
4.  日本沈没(2006)
「日本の超大作映画」というだけで、「駄作」とほとんど決めつけても決して行き過ぎではない「確率」というものは確かにある。が、しかし!この映画は、多くのそういう映画とは一線を画す見事なスペクタクル映画だったと思う。 オリジナル作品も数年前に観ていたが、明らかにそれを超える出来栄えだった。リメイク作品としては非常に珍しい。 この映画は迫力のVFXが最大の売りである少し古風な言い方をすれば「特撮映画」である。実際ストーリーなど二の次でも構わない(いや別にストーリーも悪くはなかったが)。 崩壊していく日本列島を描き出した「特撮」に確固たる感情の揺れを覚え、涙が溢れた。それだけで、この映画の価値は高い。 日本映画の「特撮」はようやく「感動」を紡ぎ出せるレベルに達した。いや“戻った”と言うべきか。
[映画館(字幕)] 9点(2006-08-01 22:29:47)(良:1票)
5.  ニューオーリンズ・トライアル 《ネタバレ》 
ジョン・グリシャムといえば法廷サスペンスをおいて他に無いが、今作は彼の原作映画の中では随一の傑作に仕上がっている。ジーン・ハックマン、ダスティン・ホフマンという超大物俳優を対する役柄に配しながら多面的な社会派サスペンスがバランス良くテンポ良く展開される。今作の優れたところは、その対立にひとりの陪審員(ジョン・キューザック)の思惑が加わり、彼と彼の相棒(レイチェル・ワイズ)の大いなる企てを主軸に据えて革新的な心理戦が展開されることであろう。陪審員のひとりとして潜り込んだキューザックが陪審員の心理、しいては裁判全体の流れを促していくくだりに息を呑む。大御所両名の存在感と演技力は流石に抜群で、極めて上質なサスペンス映画に昇華している。
9点(2004-02-01 21:58:57)
6.  日本で一番悪い奴ら
いやいやいやいや、まったく笑えない!なのに、笑えて笑えて、困る!! 実際の警察不祥事事件をモチーフにしたこの犯罪映画は、想像以上に胸クソが悪くて、想像以上に面白くて、とても困った映画だった。  こういう“感覚”を、日本の映画ファンが体感する機会は少ない。 その理由は明確で単純だ。こういう映画があまりにも少ないからだ。 現代社会において実際に巻き起こった事件、事故、スキャンダルを映画の「題材」とすることはあっても、それらを真正面から捉えた上で“エンターテイメント化”する文化的土壌が、この国の映画業界には備わっていない。 その昔は、そういうことをまかり通すだけの肥えた土壌があったのかもしれないけれど、今はすっかり痩せ衰えていると言わざるを得ない。 それは何も映画業界だけの問題ではないだろう。この国の文化的な民度とリテラシーそものもが矮小化し、弱体化してしまい、許容し得る度量がないのだ。  そんな中で、今作と、これを描いた白石和彌という映画監督は、明らかに特異な存在と言えよう。 事実を事実として捉えた上で、「娯楽映画」としての暴力性、可笑しさ、エロさ、猥雑さ、それらすべてをひっくるめたエンターテイメント性から逃げない姿勢が先ず素晴らしい。  日本の映画業界と比較し、映画文化の土壌が肥えているハリウッドでは、作品の善し悪しは別にしてこの手の映画作品で溢れている。 マーティン・スコセッシの映画などはその頂点の一つであろう。決して過言ではなく、今作は、かの巨匠の作品の空気感を彷彿とさせた。近年の作品で言えば、序盤の主人公が悪徳メンターと交流するシーンをはじめ、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」に映画的な展開と性質がすごくよく似ていると思えた。  看過できない社会性と、直視しづらいほどの毒性、そして観る者を釘付けにするエンターテイメント性の混在。 それはまさに映画的「快楽」であり、日本でもこういう映画が作られるようになったことがとにかく嬉しい。   公開当時から観たい作品の筆頭であったが、劇場鑑賞の機会を逃したまま、期待値が高まるあまり鑑賞のタイミングを掴みそこねてきた。 ようやく鑑賞に至った動機は、この国の映画ファンにとってあまりに悲しい「ピエール瀧の逮捕」だった。 ピエール瀧が俳優としての類まれな存在感と価値を爆発させた最大のきっかけこそ、白石和彌監督の「凶悪(2013)」だったと思う。 今作においても、彼は序盤の少ない登場シーンで、前述の悪徳メンター役を嬉々として見事に演じ切っている。  無論、彼が犯した罪を擁護する気持ちは毛頭ない。一報を聞いたとき、一ファンとして、憤りと悲しみで打ちひしがれそうになった。 「作品に罪はない」という意見は概ね正しいと思うが、それがイコール「作品の価値が下がらない」ということではない。ピエール瀧の逮捕後に今作を観て、少なからず彼の演技を訝しく観てしまったことは否めなかったし、それはたとえ“過去作”であっても、この映画にとって決して小さくないマイナス要因だった。  ただそれでも、この映画がエネルギーに満ち溢れた良作であることは揺るがないし、今作に限らず、一人の演者の罪によって作品自体が蔑まされたり、日の目を見ないなんてことは間違っていると思う。 詰まるところ、重要なのは我々受け手一人ひとりの「意識」のあり方なのだ。 先に呈したこの国全体の文化的リテラシーの低下にも関わることだけれど、この社会の文化意識そものもがもっと成熟しなければならない。 その上で、「現実」と「作品」との境界線をきちんと認識し、個々人が適切な判断と評価をするべきだ。 そうでなければ、アグレッシブでオリジナリティに溢れた創造活動などできるわけもなく、結果本当に面白い映画なんて生まれるはずもない。  これからも、今作のように「現実」を「娯楽」で笑い飛ばすような映画が生まれ続けてくれることを切に願う。
[インターネット(邦画)] 8点(2019-03-17 11:48:18)(良:1票)
7.  日本のいちばん長い日(1967)
「畑中もうよせ それが未練というものだ」 「未練」という言葉を突きつけられ、絶句する黒沢年男演じる畑中少佐の表情が、愚かで、悲しい。 彼らが信じて譲らなかったものの“正体”は、一体何だったのだろうか。 いや、果たして、“正体”なんてものは、そもそも存在したのだろうか。今となっては、甚だ疑問である。  ともかく、愚かにも始められ、愚かさに愚かさを重ね続けて、取り返しのつかない事態に陥った「戦争」を、“国”という愚かさの中枢にいた人達が終わらせようとする。 それは、どれだけ恭しく宣おうとも、どれだけ高らかに宣言しようとも、決して「偉業」とは表すことのできないこの国の「始末」のつけ方だった。  ただし、だ。 いかにも知った風に、「愚かだ」と断罪めいた思いを抱けるのは、我々が戦後70年の現在に生きているからに過ぎない。 愚かしさも、虚しさも、それがあの時代に唯一許された価値観だったことを、こういう映画を通じて、思い知らなければならないと思う。 「愚かだ」というのは、あくまでも戦後の価値観であり、あの時代に生きた彼らに、その価値観に辿り着くための術はほぼ無かったのだろう。  辿るしか無い帝国崩壊の道筋。その真ん中を往く彼らは皆、終始“脂汗”を顔面に滲ませている。 暑く、重苦しい1945年の夏の日。 その一部始終を語る仲代達矢の渇いたナレーションが、虚無感を助長する。  暑い夏の日から70年。 日本は、日本人は、何が変わり、何が変われていないのか。 今一度、この国のすべての人が考えるべき時なのではないか。
[DVD(邦画)] 8点(2016-10-23 19:32:29)(良:1票)
8.  2010年
本当は、昨年(2009年)の年末に今作のBDをレンタルしていた。しかし、目前に迫る2010年を前にして、「この映画は年が明けてから観るべきだろう」と思い、晴れて2010年になり、レンタルをし直して初鑑賞に至る。  実に深い面白味を備えた上質なSF映画だと思う。 もちろん、「2001年宇宙の旅」の「続編」と位置づけられている以上、その歴史的大名作との比較は避けられず、そのまま比べたとするならば、「浅い」という結論は否定できない。 ただし、それは仕方がない。これまた映画史に残る鬼才監督スタンリー・キューブリックが残した「2001年~」は、人類という種のはじまりと極限、そしてそれら全てを含めた宇宙自体の深淵を追求した、あまりに「常識的ではない」映画だからだ。  その“お化け映画”に敢えて挑み、真っ当なSFとしての一つの結論を導き出してみせた様は、充分に評価できるし、映画単体としてのレベルも非常に高い。  特に、謎と荘厳さに満ち溢れた宇宙空間の描写は圧巻。。 「静寂」という宇宙の根本的な恐怖と美しさを、存分に感じさせ、思わず息を呑む。  「2001年宇宙の旅は」まだ一回しか観たことが無い。物凄い映画だということは理解しているつもりだが、実のところ、あの映画の本質を100%理解しているかと言われれば、極めて自信がない。 ただ、今作を観ることで、その分厚く濃密な殻が幾分割れやすくなったような気がする。  おそらくは今作と同じ理由で2001年に観て以来のあの映画に、再び挑戦してみようと思った。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2010-01-07 01:06:16)
9.  虹の女神 Rainbow Song
淡い光の中で、様々な人間たちがそれぞれの思いをありのままに繰り広げる。 こういう映画は、僕自身が映画を見始め、映画を志した頃に好んでよく見たタイプの映画で、好きだし、弱い。 加えて主人公たちも、映画を撮り、フィルムを遺すのだから、もう個人的には“オテアゲ”状態である。  だが、とても良い映画だったと思う。  とても近くにいた人の大切な想いを、その人が遠く離れてしまってからようやく気付く。いや、ほんとうはとっくに気付いていたのかもしれない。でも、近いからこそ、無意識に気付かないふりをしてしまっていた。 プロットとすればよくあるタイプではある。でも、やわらかい光に溢れた映像美の中に、時にシニカルに、時におかしさを含めながら、切なく描き出す。そういうキレイ事だけで留まらない映画の表現的な巧さが光っている。  ヒロインの上野樹里や、その盲目の妹を演じる蒼井優が、当然の如く巧くて、本来もっと主人公として際立つべき市原隼人が(若い二人の女優に)食われすぎている感はあるが、不器用で切ない人間模様を瑞々しさと安定感をもって表現されていたと思う。  この映画は、美しい光に溢れ、“虹の女神”なんていかにもキレイなタイトルがついてはいるが、主人公たちも含め登場する人間たちは、決して“完璧”なんかではない。 優柔不断だし、屈折しているし、虚栄的だったり、臆病者だったりする。 でも、そういうことが人間として当然だし、だからこそ垣間見えてくる“輝き”とその“美しさ”というものをこの映画は認め、映し出す。 失わずに済むものなら、それにこしたことはない。しかし、必ずしもそういうわけにはいかないのが、人間というもの。 そういった人間の根本的な部分での、「儚さ」と「美しさ」を描く作品だった。 
[映画館(邦画)] 8点(2006-11-05 17:50:48)
10.  ニュー・シネマ・パラダイス/3時間完全オリジナル版
確かに、蛇足。その一言。
[DVD(字幕)] 8点(2003-10-31 12:35:04)(良:2票)
11.  ニキータ
アンヌ・パリローの凶暴的かつ切ない演技が強烈なインパクトとして残った。荒々しいが映画の核となる純真さは「レオン」に繋がるものを大いに感じる。ジャン・ユーグ・アングラード、チェッキー・カリョ、ジャン・レノとフランスを代表するキャスト陣の演技が盛り立てる。やはりリュック・ペッソンの映画にはヨーロッパが似合う。
8点(2003-10-14 14:03:36)
12.  日本のいちばん長い日(2015)
“彼ら”は、あの大戦中、何を信じていたのか、そして何を信じさせられていたのか。  あの日、あの時、この国の上層に座位していた幾人かによる喧々諤々の日々のその同日に、一体何万人の人々が命を落とし続けていたのか。  そう考えると、この作品で描かれるドラマの総てが、甚だ滑稽で、愚かしく思えてならない。 戦争を始めた人たちが、取り返しのつかない余りに悲劇的な代償を経て、戦争を終わらせようとする。 まったく、馬鹿馬鹿しい。 当事者の内の一体何人が、己の愚かしさを感じていたのだろうか。  この映画に登場する人物たちの対峙と葛藤が熱を帯びていくほどに、その同じ瞬間に失われていった膨大な命の数を思い、虚無感に襲われた。  この映画は、終戦までの四ヶ月間を描いている。つまりは、既に大戦の勝敗は決し、各地の戦闘は悲劇的に激化し、民間人も含め最も多くの命が失われた期間であろう。 にも関わらず、今作では戦争自体の描写や、実際に命が失われていることに対しての描写が、極めて希薄だ。 オリジナル作品を観ていないので、これが本来の狙い通りなのかどうか分からないが、“この日々”が戦争の真っ只中であることを、この映画の製作者も、この映画の登場人物たちも忘れてしまっているように見え、違和感を覚えた。  色々なことを考えさせられる映画であったことは間違いない。戦後70年のタイミングで今作がリメイクされた意味は確実にあったと思う。ただし、映画作品としての出来栄えとしては、岡本喜八版のオリジナル作品を観てみなければ何とも言えないように思う。  描き方そのものの是非は一旦置いておいて、今作の演者たちは皆素晴らしかったと思う。 特に昭和天皇を演じた本木雅弘は、非常に難しい役どころを真摯に演じきっている。 昭和天皇の存在感が際立つことがまた是非の対象になるのだろうけれど、本木雅弘の演技自体は賞賛されるべきものだったと思える。  その一方で、もう少し脇役や端役に存在感を与えて欲しかった。 宮廷侍従や女中、放送技師たちの“声”をしっかりと描くことが出来ていれば、もっと深い味わいが生まれていたと思う。   日本陸軍は、戦争を始め、それを遂行し、最後まで止めようとしなかった“暴走者”として描かれる。 実際、陸軍の愚かな暴走が、戦争という悲劇を無闇に拡大させていったことは間違いなく、その罪は大きい。 しかし、戦争という“大罪”における罪悪のすべてを陸軍を筆頭とする当時の日本の中枢に押し付けることも違うのではないかと思う。  妄信的に何かを信じ、戦争を始めてしまったのは、日本という国そのものだ。 “彼ら”という代名詞は、あの時代この国に生きた総ての人達を含んでいるのだと思う。
[映画館(邦画)] 7点(2015-08-17 16:53:14)
13.  2046
目の前に広がる靄をひたすら掴んでいくような映画だった。散文的で分かりにくいと言えば確かにそうだろうし、誰もが納得のいく映画では決してないだろう。私自身、附に落ちない点は大いにある。しかし、脚本を持たない監督が描き出す映画世界が、真っ当な筋道を立てて展開されるわけは毛頭なく、それが劇中小説、前作からの続編的要素、SF的な世界観をもって成立させようとするのだから、そこに混沌が生じるのは至極当然のことだ。そして、その作品自体の混沌が、トニー・レオン演じる作家の記憶の渦へと巧い具合にリンクしているとも言える。中途半端に描かれる小説内の未来世界など、明らかに“完成”しているとは言い難い映画であるが、その“未完成さ”がウォン・カーウァイ独自の予定調和を完全に逸脱した映画づくりによる妙なのだろう。
7点(2004-11-07 05:20:29)
14.  28日後...
細菌が広まり、凶暴性のみが全面に現れる人間に埋め尽くされていくという設定は非常に斬新で緊迫感と恐怖感に溢れている。ダニー・ボイル監督ということで、下手にパニック描写のみを強調した偏った作品にならず、人間の心理葛藤と恐怖感を巧みに引き出している。独特の爽快感を持ったラストシーンも印象的。
7点(2004-02-06 19:09:50)
15.  22年目の告白 -私が殺人犯です-
オリジナルの韓国映画「殺人の告白」は3年前に鑑賞済み。 入江悠監督によるこの日本版リメイクは、オリジナル作品の悪しき部分を是正して、日本でリメイクすることの意義を加味することは出来ている。 ただし、同時にオリジナルと比較しての圧倒的な“物足りなさ”も感じさせ、確実なブラッシュアップを果たしているからこそ、日本映画としての「限界」を感じさせる何とも皮肉な仕上がりになっていると思う。  オリジナル作品の最大のマイナス要因は、ストーリーテリングのテイストと乖離した演出過剰なアクションシーンの羅列だった。 観客をアッと言わせ得るサスペンス性に溢れた物語構造こそが醍醐味の作品であるにも関わらず、ただただ「蛇足」と言わざるを得ない荒唐無稽なアクションの連続が、著しく興ざめだった。  その点、このリメイク作においては、無意味なアクションシーンは極力廃して、ストーリーのサスペンス構築に注力することが出来ている。 更には、日本社会における「凶悪殺人事件」と「時効」の因果関係を時代性に合わせてストーリーに反映させ、この20年余りの間に国内で起こった数々のリアルな「事件」の要素も巧みに絡ませつつ、今この国でこの題材のサスペンス映画を作ることの「意義」をプラスすることも出来ていると思う。  そういう意味では、この日本版リメイクは一定の「成功」を果たしていると言えるだろう。 少なくとも、単なる韓国映画の焼き直しではない仕上がりに対してリメイクの「意義」を感じることが出来る。  元々、オリジナルの韓国映画自体が完成度の高い作品とは言い難いものだったので、この日本版の「勝利!」と断言したいところなのだが、実際はそう言い切れない悩ましさが残る。 冒頭にも記した通り、何だか映画として圧倒的に「物足りない」のだ。  映画作品としての完成度は、日本版の方が優れていると思う。 しかし、「殺人の告白」と「22年目の告白」、結局どちらの作品が映画として「面白かったか?」と問われれば、僕は悩んだ挙句に韓国映画の方を推すだろう。  では、何が違うのか? 端的に言ってしまえば、演者たちの「実在感」とそれに伴うインパクトの優劣だと思う。 オリジナル作品の韓国人俳優たちの存在感が「リアル」だったというわけではない。ただ、荒唐無稽なストーリーをまかり通す説得力が、核となるメインキャラクターのそれぞれに備わっていた。 一方で、日本版の俳優たちは、それぞれが熱のこもった“いい演技”をしていたとは思うけれど、総じて「非現実的」に見えてしまい、それが映画世界全体の薄さに繋がってしまっているように思う。  俳優力の差とは言いたくはないが、どの韓国映画を観ても、韓国人俳優たちの「実在感」は、主役級から脇役、端役に至るまで総じて高く、それだけで強烈なインパクトを観客に与えてくれる。 その要因は、「演技」における技術的なことばかりではないのかもしれないけれど、日本人俳優たちは今一度「役づくり」の部分から「演技」の在り方を見直していくべきなのではなかろうかと思えてならない。
[インターネット(邦画)] 6点(2017-11-12 23:43:51)
16.  西の魔女が死んだ
大切な人の死に面した時、「ああしておけばよかった」「あんなことしなければよかった」と後悔しないことなんてないと思う。 その後悔は、時に自己嫌悪に陥るほどに大きくなり、自身を苦しめる。 でも、もし「西の魔女」からのようなメッセージが届いたなら、どれほど救われることだろう。 ラスト、そのあたたかさに涙が溢れた。  映画作品としては、決して完成度が高い作品とは言い難い。 原作は未読だけれど、おそらく、文体で表現された世界観を充分に表現出来ているとは言えないだろうと思う。 それはこの物語が、あまりに繊細で理屈ではない人間同士の心の交じり合いを描いたものだからだ。 映画を観ていて、そのテーマ性自体は伝わってきたけれど、映像表現や演技がそれを伝え切れているかというと、疑問は残った。  “おばあちゃん”を演じたサチ・パーカーが、女優シャーリー・マクレーンの娘だということを、今作の観賞後に知った。 先日、「アパートの鍵貸します」を初めて観て、若かりし日のシャーリー・マクレーンの魅力に触れたところだった。親日家の彼女が、娘の名前に「サチコ」とつけたということを思い出した。  面白い偶然に何だか感動し、この奇遇は、母と娘と孫娘の関係を描いたこの映画にふさわしいようにも思えた。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2010-08-27 12:17:34)(良:1票)
17.  2012(2009)
ディザスタームービーが好きである。災害による極限状態の中での群像劇における感動が好きなんだと思う。 今作のローランド・エメリッヒ監督作「インデペンデンス・デイ」は宇宙人襲来を軸にしたSF映画であったが、描かれるパニックの中での群像劇が見事で、大好きな映画だ。  エメリッヒ監督作品の良いところは、莫大な予算をかけつつも醸し出される良い意味での「B級映画」的な軽妙な“ノリ”にあると思う。 「アメリカ万歳!」「英雄万歳!」という安直なテイストの全肯定こそ、この娯楽映画監督の最大の売りだろう。  今作においても、「世界の滅亡」という最大のディザスター(災害)の中で、彼らしい軽妙さは健在で、絶大な映像力で世界の終末を描き切った様には、問答無用の迫力があったと思う。  ただし、絶対的な”終末”を描く中において、やや爽快感には欠けていたとも思う。 その最大の要因として、“ヒーローの不在”が挙げられる。 ジョン・キューザック演じる主人公の父親は、家族を救うために超人的な活躍と運の良さを見せるが、そのキャラクター自体に魅力がないというか愛着が持てない。 この手の群像映画には、脇役キャラクターの妙も欠かせないところだが、それぞれのキャラクターに今ひとつパワーがないことも、映画としての爽快感の無さに繋がっていると思う。  ディザスタームービーとしての醍醐味やお約束はくまなく押さえ、充分に見応えのある娯楽映画と言える。 しかし、「好き」な映画として認識されるには、もう一つ”好感度”が足りなかったようだ。 
[映画館(字幕)] 6点(2009-11-25 12:53:32)(良:2票)
18.  ニライカナイからの手紙
「手紙」には、とてもあたたかく、切ない“チカラ”があると思う。時間を超え、人々の元に留まり続けることができる。 現代人の範疇にもれず、僕も滅多に手紙なんて書かない。でも、たまたま今日、手紙を書く機会があった。口頭では伝えきれない心の中心の想いに、どうしようもなく胸が熱くなる。書き進める度に涙が溢れる。 手紙はその存在価値を見失われようとしている。しかし、やはり手紙はなくならないだろう。人間に“本当に伝えたい想い”がある限り、その素晴らしい伝達方法として、在り続けるだろう。 タイトルからストーリーについてのおおよその予想はつくと思う。そして、予想の通りの映画であろう。ただだからと言って、この映画が伝えるまっすぐなあたたかい想いが色あせることは決してないだろう。
[DVD(字幕)] 6点(2006-02-22 14:55:38)
19.  ニック・オブ・タイム
あまりに普通のキャラクターに、この主人公は本当にジョニー・デップかと思う。確かに個性が無かった分、デップが出演する意味はなかったかもしれない。しかし、映画的には時間制限を全面に押し出した緊迫感のあるサスペンスに仕上がっていると思う。全体的にB級テイストであるが、下手にきっちり作るよりは味わいがあったと思う。
6点(2003-10-29 14:19:53)
20.  日本沈没(1973)
映像的なものや設定に突っ込みたくなる部分はあるにはあるけど、この映画の場合、全体の熱気が物凄いため違和感無くのめりこむことができる。災害映画はいろいろあるけど、なんたって今作では日本が沈むっていうだから、否応にも熱くなるしかない。
[DVD(邦画)] 6点(2003-10-17 14:34:21)
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