2. 望み
《ネタバレ》 平穏無事に暮らしていた四人家族が、長男が怪我でサッカーを辞めてしまったことをきっかけに悪い友達と付き合い始め、そして事件に巻き込まれ、その家族の運命も狂ってしまうというストーリー。 行方不明になった息子が、殺人に関わって犯罪者として見つかるか、それとも殺されて被害者として見つかるかで、家族の心情も揺れ動く。 最終的に息子は遺体となって見つかります。しかしそこに至るまでの家族の動揺、マスコミや周囲の好奇の目と衆人環視、そして周りの人の態度の変化はなんとも息苦しく、見ていて辛い思いしかありません。 息子が被害者となって遺体で見つかったことでそんな歪んだ状況が一変します。被害者であったことで誤解は解け家族も平穏な生活に戻ることができましたが、結局「犯罪者でも生きていて欲しい」という思いと「被害者として死んでいて欲しい」という思いはどちらが正しいんでしょうか。母親が最後、週刊誌記者に自分の考えを語っていましたが、私も考えてしまいました。実際は世の中は「加害者だから生きてる」とか「被害者だから死んでる」なんて単純なことでは無いだろうし、ここまで綺麗に話が落ち着くことなんて稀でしょう。死んでいて加害者だったということもあるだろうし、生きていて被害者だったということもあると思いますが、それだとまだ周りの好奇の目は残り、ここまで綺麗な終わり方は出来なかったかもしれません。 結局答えは出ないな。 あと、やはり私はマスコミが嫌いなようです。映画なので少し極端に描写してるとはいえ、個人宅に毎日のように押しかけ、落書きや卵を投げつけられるなどの嫌がらせをされている家を目の前にしてなおも取材攻勢をかけるそのやり方。大嫌いだ。 ただの勝手な推測ですが、息子の容疑が晴れた後も、あのマスコミたちは後で謝罪など一切しないのでしょうね。週刊誌記者も、生きていても死んでいてもインタビューする、などと言っていたくせに、ワイドショー的に扱えなくなるや否やインタビューをキャンセルするという。どこかの誰かのセリフでは無いですが、マスコミや記者なんて結局物事を「面白おかしく」したいだけなんですかね。自分のとこの雑誌や新聞の売り上げ、TVなら視聴率が大事なことは分かりますが、そのために偏向的な報道をするというスタンスはやはり理解できない。ジャーナリズムについて、久しぶりに考えさせられた作品です。 [インターネット(邦画)] 7点(2021-06-17 00:37:05) |