Menu
 > レビュワー
 > なんのかんの さんの口コミ一覧。4ページ目
なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2336
性別

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順12345678
投稿日付順12345678
変更日付順12345678
>> カレンダー表示
>> 通常表示
61.  ハイヒール(1991) 《ネタバレ》 
ちょっとした人物の絡みが、どんどん人の関係を広げていってしまう横滑りの感覚が面白い。手話通訳の女性が容疑者として三人目に並んで座ってたり。一番のギャグは手話通訳で犯罪自白を表現するとこね。グレートマザーに敗北し、吸収されていく娘の話ととればいいのか。なにやってもかなわない。自分の罪まで吸い取られていってしまう、って。母が見てると思うと緊張して笑ったりしてしまう(ニュースの時)、なんてのもあった。でもそう決めちゃうと、その向こうで監督が「わーい、引っかかった引っかかった」って笑ってるような気もして落ち着かない。もう一ひねりあるようなオレンジ色の世界。とりわけブルーを背景にしていると、あの色は不気味なんです。オカマの歌に合わせて客たちが身振りをするとこなんかも実にヘン。キャスティングにビビ・アンデルソンの名が出てたが、どこにいたんだ。まさか判事の老母? 『秋のソナタ』への言及もあったなあ。母と娘の葛藤の映画ということで。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-13 10:31:48)
62.  花嫁の父 《ネタバレ》 
結婚式に至るまでの小ネタでつなげただけの家庭喜劇なんだけど、大らかな味わいが残る。やってることは伊丹映画と同じような視点なのに、この大らかさがどこから来るのか。時代がいいのか、特殊なもの・ユニークなものをピンセットでつまむように排除してある、その徹底ぶりか。WASPの社交世界の上澄みだけを、きれいに掬い取っている。そういうとこで現在からはいくらでも批判は出来るだろうが、コメディとしての充実ぶりには文句が言えない。恋人はあれかこれかと親父が想像していくあたりからすぐに引き込まれ、初めてバックリー君を窓越しに眺めて「あちゃー」となる展開。「妻が浮かれとる」などモノローグも的確。以後も調子が崩れず、バージンロードを巡る悪夢を抱きながら、娘には“頼り甲斐”を見せなければならない「父はつらいよ」の一幕もいいし、娘の晴れ姿を追いかけて混雑する家の中を駆け巡るあたりの滑稽な・しかし父の情愛の香り立つ描写まで、見惚れてしまった。いかにも平均的な家庭像を作ったのだろうが、母親がJ・ベネットなのね。たまたま私が知ってる映画がそうなだけかも知れないけど、あの人「妖婦」の印象が強かったので、この人でいいの? と思ってしまった。見てる分には気にならなかったけど。ああそうか、E・テイラーって別に妖婦役者ではなかったが、ちょっと突付けばあっさり淫蕩の側に転がるのではないかという気配を、上品さの中に秘めていた(私生活とは関係なく)。かえって普通の人を演じているときに、その裏にある妖しさで魅力を出した女優だった。ここで母子を演じたときにJ・ベネットの遺伝子を受け継いでしまったのではないか。映画ではそういう非科学的な遺伝がときに起こるのではないか。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-01-05 10:32:51)
63.  二十日鼠と人間(1992) 《ネタバレ》 
映画の評価に原作の力が入ってくるのはある程度仕方なく、原作がいいとやっぱいい。少なくとも原作を殺してない、ってだけで評価していい。スタインベックの映画化では『怒りの葡萄』『エデンの東』の二大名作があるけど、話としてはこれが好き。なんか山本周五郎の「さぶ」思い出したりして。登場するみなが夢や憧れを持ちながら孤独に沈んでいて、自分の孤独な夢を守るために互いに傷つけ合ってしまう。ここで行われる殺しには、憎しみはない。老犬を殺させるキャンディ、仔犬を殺してしまうレニー、女を殺してしまうのも、鼠の死骸の延長上で、そしてリンチの前に友を殺してしまうジョージ。レニーと生きることを許さない社会、自分の中のレニー的なものを分離させないと生活していけない社会、そのやりきれなさ。アメリカ南部って心の傷がよく似合う。レニーが一度仔犬を連れてきたふりしてジョージをからかうあたり、あとになって思い出すとしみじみしちゃう。常にジョージの顔色をうかがっていたレニーに向こう(夢の家の方角)を向かせ、二人の視線が互いでなく、はるかかなたで重なるラスト。
[映画館(字幕)] 7点(2011-12-28 12:15:52)(良:2票)
64.  ハネムーン・イン・ベガス 《ネタバレ》 
ニコラス・ケイジのコメディってけっこういいんだ。あの人の困惑顔ってサイレント時代のコメディにも通じたものを持っている。優柔不断の男が勇気を出す、って設定がそうなんだな。スカイダイバーたちの間での彼のおどおどした表情が傑作。パラシュートの引くひもの順番を黄色・赤、黄色・赤と心に刻み込もうとしていると、間際になって「それは逆だ」と言われて、さらに「ジョークジョーク」といなされる。おいおい、最初に言ったほうがジョークなの、今の逆だって言ったのがジョークなの、とパニックになっている間にもみなはどんどん降下していってしまう、なんてギャグが一番好き。あとは敵役を憎めなく設定することも大事。亡妻の想い出を引きずりつつ、ハワイの観光めぐりをするJ・カーン、作戦とは言えけなげである。ま、これはポーカーでカモに一度勝たせる手口と同じようなものなんだけど。プレスリーナンバーが背景に使われている面白味は、もひとつピンと来ない世代でした、私。
[映画館(字幕)] 7点(2011-12-08 10:11:15)
65.  伴奏者
フランス映画はヴィシー政権のおかげで陰影のある時代を持つことが出来た。このヒロイン、伴奏者として「何かを選ぶことを放棄した人生」を選んだわけ。ヴィシー政権を背景にすると、そのうつろさがよく似合う。邦画だったら、尽くしぬく芸道ものになりそうな設定を、そうはならない。歌手のほうは少しの卑屈さもなく堂々とこの時代をうまく渡り歩いていく。ヴィシーフランスの下からロンドンへ、さらにアメリカへと、そのつどうまくジャンプしていく。踏み台にされる夫。顔のシーンの多い映画でしたね。私にとってはフランス映画の苦手な部分が凝縮されたような作品でした。オペラ歌手とその伴奏者の話なのに、音楽の基本テーマはベートーベンの第1弦楽四重奏の第2楽章。初期の四重奏が映画に使われるのは珍しい。
[映画館(字幕)] 5点(2011-10-29 12:29:16)
66.  ハモンハモン
登場するすべての男女に愛の線を引くことが出来る。しかもみな自分の愛のみを基準に行動するから、秩序から渾沌へと導かれていく。スペインである。ファーストシーン、なんだろうこれ、教会の釣鐘のタマかなあ、ひびが入ってるなあ、などと思ってたら、牛のタマであった。これは後に巨大なパンツのたて看板と対になって(この監督の次回作は『ゴールデン・ボール』って嘘みたい)。最初は肝っ玉母さんと溺愛ママの対比で、なんか「もう分かった」って話かと思っていたら、だんだんヘンになってくる。情熱の国。S・サンドレッリの、自分の仕掛けに溺れていってしまうあたりが分かりやすい軸となって、あとはみなヘン。A・ガリエナは女の家の親分。娘三人に娼婦たちも雇って、轢かれたペットの豚を丸焼きにして食べちゃうたくましさ。情熱の国だが、乾ききっている。ハムで戦う男。ゆっくりとやってくる羊の群れ。リアリズムに撤するとかえってヘンテコリンになっていく風土なの。
[映画館(字幕)] 7点(2011-10-23 12:10:31)(良:1票)
67.  パリところどころ 《ネタバレ》 
1。サン=ドニ街。おどおどした青年と堂々とした娼婦との空間。見つめる先祖(父?)の肖像。ピーター・ローレの感じ。真正面から撮る食事(スパゲッティ)のシーンが特徴的。2。北駅。長回しの試み。途中エレベーターの闇でつないでたけど。朝の支度と並行する夫婦喧嘩。謎のなくなった夫に対して、行きずりの男は謎だらけ。3。サンジェルマン。アメリカ娘と、メキシコ大使の息子を名乗る男と、ホンモノとのうつろい。メキシコに去ったはずの男が…というお笑いつき。4。エトワール広場。これが一番面白かった。まず広場の解説から始まって、やたら車道を渡らなければならない仕組み。そして主人公の出勤が一通り描かれて、これが大事。そして運命の日。列車の中で靴を踏まれてからリズムが狂う。変人に絡まれて傘で倒してしまう。ずれると常に赤信号になっている歩道を渡っての出勤となり、そして…と、彼の小心ぶりをメデる話になっていく。弱点を肯定する精神と言うか、いかにもフランスなコント。切り口を楽しめる。最後、傘が女性と絡まって紳士的に挨拶するエンディングまで粋である。5。モンパルナス。二人の鉄板をばんばん叩く男に速達を間違えて出したと思った女の悲劇。これもコント。かえって彼女の正直さが浮かぶ趣向。中断される叙情的なメロディ。6。ラ=ミュエット。耳栓を詰めて家庭内の音が消える少年の世界。猫をかわいがっているような、いじめているような。母が階段落ちても気がつかないって話。どれも社会規模に拡大しない小さな世界をスケッチしてきれいにまとめている。フランス的ってそういうことなんだな。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-12 10:24:30)
68.  はじけ鳳仙花 わが筑豊わが朝鮮
登場する女性画家、朝鮮人の代わりに発言するんだ、という気負いが強く感じられ、これって一種の思い上がりじゃないか、と最初のうちは引き気味に観てた。でも画家を離れてくると、画の力に引きずられて、のめりこんでいく。朝鮮人坑夫を怒鳴る日本人の顔のシーンで、突然また画家が現われる。加害者としての日本人の顔がどうしても描けない、と悩むんだな、ここが面白い。どうしても決まりきったデフォルメになってしまい満足できない、デフォルメを抑えると今度は「人のいい日本人」の顔になってしまう。自分の顔を鏡で見ながらいろいろ口を歪めたりしてみるのだが、納得の顔が出てこない。「加害者」の顔は地の顔と連続していない、という発見。環境が与えてしまうものなのだ、というギリギリの性善説が見えてくる。ふだんは加害者の顔になれない人間が、立場によって加害者の顔にされてしまっている。否定的な告発の絵の底に見えてきた性善なる人間。おそらくこの画家は曼荼羅図のようなエロスの世界や、空の星を吐き続ける竜の絵など、肯定的な画のほうに真骨頂があるのだろう。というか、世の中を肯定的に捉えることと否定的に捉えることとは反対の方向へ延びていくものではなく、縄を綯うように一方向へ延びていくものなのだ。その星の画を見せてて、ふっと画家の手が伸びてきて星を描き加えるとこなどハッとさせる。冒頭では骨の画を描いていたその手なのだ。過去帳に書かれた「某鮮人」というのに、生々しい残酷を感じた。ラストの指紋のスライドが重なる美しさ、社会を離れて指紋をそれだけ眺めれば、それはただの模様なのだ。
[映画館(邦画)] 7点(2011-09-28 10:03:12)
69.  バス停留所 《ネタバレ》 
このカウボーイの「世間知らずの田舎の純朴青年」カリカチュアを、どこまで受け入れられるかが評価の分かれ目でしょうな。コメディとは言えいささか過剰気味で、迷惑なジコチュー男として引いてしまうところもあり、微妙。ときにハチャメチャやってるジム・キャリーに見えてしまった。対比はクッキリしていて、カントリーソングと酒場女の歌。モンタナの牧場の夢とハリウッドの夢。童貞男の一途と経験豊富女のいなし。そこらが噛み合ってくるとイキイキいしてくる。リンカーンの演説を寝床のモンローに語りかけるのが笑えた。中盤のロデオ大会が映像として活気づき、映画の一番の見せ場である終盤のバスストップでのしみじみした味わいへの、いい踏み台になっている。あわてて防寒具を着て殴り合いを見物する女主人の安定感が終幕の芯になっており、人情劇の一場を支えていた。雪の効果が絶大で、それは恋と自意識にノボセ上がった男を冷やす雪であり、また女にとっては「ふしだら」な過去をすすいでくれる雪。親友バージが勘所のシーンではずっとギターを伴奏に奏でているのもおかしい。ドラマとしてはバージが若い二人に遠慮して去っていくのもわかるんだけど、あの二人の今後を思うと、まだ二転三転ありそうなんだから、落ち着くまでときどき背後でギターを鳴らすために残っていてほしい、と現実ならばそう進言する。ロデオの場で「彼がイカれている」ということを伝えるのに、モンローは頭の横で指をくるくる回す。クルクルパーってのはアメリカから来たのか! 日本古来の表現じゃなかったのか!
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-09-18 12:17:17)
70.  春との旅
どうも仲代達矢が漁をしていた海の男に見えない。いまでは地方でも老人がああいうインテリめいた眼鏡をかけていても自然なのかも知れないし、しゃべり方なんかも一生懸命第一次産業従事者めいた語り口をしてはいるんだけど、カップ酒よりもコーヒーが似合ってしまう。当人は初めてコーヒーを飲むと言っても、実はいつも書斎でコーヒーを飲んでいそう。リア王になるべき人が老漁師のふりをしてるみたい。まして足を引きずって歩くと、映画史的に『炎上』でのインテリ学生を思い起こしてしまう。この主人公の設定が面白いのは「甘えたじいさん」を、どことなく肯定的に捉えているところだ。孫のお荷物になりたくないと家を飛び出した主人公は、一見「毅然として」いるようでいて、実は親族に甘えられると思っているその「可愛げ」がポイントだろう。「毅然」が苦手な私としては、このじいさんの甘えぶりが頼もしかった。孫に心配かけて本人はいつもモリモリ食ってる。でも仲代だと、本質が「毅然として」いて、それに「甘え」のメッキが掛けられているように見えてしまう。これに出た役者でなら、大滝秀治のほうが良かったんじゃないか。全体、良作ではあるが、なにかNHKが祝日にでも放送する単発ドラマ的な「コクの薄い良作感」が漂う。
[DVD(邦画)] 6点(2011-09-10 10:17:17)
71.  バンド・ワゴン(1953)
エンタテイメントの決意表明のような映画で、芸が芸術より優位にあるという宣言。ミュージカル映画というジャンルが煮詰まってきてて、次の手が難しくなっていた時期だ。実際、翌年の『略奪された七人の花嫁』あたりから別の方向を探り出し、その延長線上にロバート・ワイズのミュージカルが出てくる。本作が、一番ミュージカル映画が無理なくイキイキ出来た時代の、最後に生まれた傑作だろう。行き止まりは覚悟の上で、あえて踏みとどまった者の栄誉が輝いている。自分をコケにしかねない役柄をこなし、その路線に殉じるような姿勢を見せたアステアが立派。冒頭で落ち目を強調し(顔を隠して登場するのは『トップ・ハット』で新聞で顔隠して登場したのの回想)、しかし靴を磨くことによって活力を取り戻す段取りに、希代のタップダンサーへの敬意が感じられる。そもそもこの映画全編が彼への敬意で貫かれていて、自虐ネタの痛々しさなど感じさせない。ラストの「ザッツ・エンタテイメント」はエンタテイメント讃歌であるが、同時にアステアへの敬意と感謝のセレモニーであり、ウキウキさせることに眼目があった前半での同ナンバーと違い、ここでは儀式の改まった感じが伴っている。表彰されるものを中心に主要メンバーがただ立っている記念写真のような構図に泣かされる。そして全編に渡ってダンスの素晴らしさ。ハードボイルドパロディの洒落っ気にはニコニコさせられ(ただギャングどもが酒場に入っていくオットセイ歩きのあたりは、モダンダンスとして純粋に興奮する)、あと夜の公園のダンスの優美なこと。並んで歩いていたのがごく自然にクルリと回るともうダンスに入っている。カメラも近づいたり離れたりしながら一緒に踊っているような動き。そしてそのダンスからまたごく自然に馬車に乗り込む動作につながって、馬車が動き出す。ダンスの練習をしたとリアリズムで捉える次元から、二人の恋の発生を表現したと捉える次元までが、重層的に畳み込まれていて、映画における表現の豊かさとはこういうものでなければならない、とつくづく思わされる。
[映画館(字幕)] 9点(2011-08-13 10:20:54)(良:2票)
72.  パーマネント野ばら 《ネタバレ》 
いろいろ男女問題を抱えた町の人々をおとなしいヒロインが観察していく、って設定かと思っていたら、彼女が一番問題を抱えてたってことがだんだん分かってくる話。あけすけに感情を披瀝する風土のなかでの、秘めた一途な恋が明らかになってくる。映画観終わってみると、その設定だけに寄りかかってて、あとの描写が少し雑だった気もするが(男を引っ掛けるオバサンや電柱倒すオトーサン)、一応まとまったものを観たという気分にはなる。高知県というと『祭りの準備』を思い出すが、あれでもなんか男たちはぶらぶらしてた(原田芳雄が絶品だったなあ)、そういう風土なんだ。そして女たちはパーマ屋で「教育上問題のある」談話をしている。漁師町の風土。男も女も、大人も子どもも、みんなよく怪我をする。活発な風土というか、暴力的風土。車で突っ込んだり車から飛び降りたり。頭より体が先に動く風土。そういう風土の中で、ヒロインのみ、じっと頭だけで過去の恋に沈澱している。子どもを母親に任せたまま「恋人」とトンネルで会ってたり、ただ一人、風土に反してしっとりとした恋愛に生きている。その痛々しさがしだいに分かってくるあたりが味わい。子どもが走り寄ったラストで、彼女は夢のような恋愛から、母親としての自覚に目覚めるのか。この荒々しい風土のなかで生きていけるかなあ。
[DVD(邦画)] 6点(2011-07-18 13:03:06)(良:1票)
73.  巴里の女性 《ネタバレ》 
うまくいかない世の中、みなで傷つけ合ってそれで寂しがってる。マンジュー君も寂しい。ヒロインも、友人に婚約発表の雑誌見せられてフフンと強がってみせたりして、哀しい。また父の反対・母の反対が悲劇を進行させていく要因になっている。でラストで寛容を説くわけなんだけど、この時代の潮流なのか、このころの映画は何でもかんでも寛容を説きたがってる。革命やら世界大戦やらの動乱の反動で理想主義の時代だった、ってことだけかもしれないけど、映画というもののそもそもの寛容性・何でも取り込んでしまうフトコロの広さにこじつけてしまいたい気持ちもちょっとある。青年が着飾ったヒロインの絵を描くんだけど、カンヴァスには昔の質素な彼女が描かれていく、なんてとこが憎い。こんな生活いや、と言いながら窓から投げた首飾りを拾いにいくなんてシーンの残酷さ(犬がついて走ってる)などドキッとさせられる。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-16 12:25:11)(良:1票)
74.  ハード・プレイ
カタギの暮らしを出来そうもない連中って、どうして映画の中だと魅力的なのだろう。それでいてサギの専門家にもなれないところでちゃんと道徳的帳尻を合わせている。ほとんど表には出てこないけど「白人と黒人の正しい出会い」いうようなテーマが映画の底に潜んでいて、それが感じ良い。ふわふわと生きている男たち、ちゃんと働けといってる女だって、「Qで始まる食べ物は」とか馬鹿なこと一心に記憶してクイズで一旗揚げようとしている。何も生産しない人ばかりがいて球を突いているだけ、それでも人生は人生。ウツロを抱えたまま友情でくくっていくあたりが味わい。偉いのはバスケシーンを出来るだけ役者本人にやらせていることで、シュートもカットで切らない。全然画面の弾みが違う。
[映画館(字幕)] 6点(2011-07-01 10:27:06)
75.  巴里のアメリカ人
レスリー・キャロンって、いかにもアメリカの子役がそのまま大きくなったって感じだなあ、と思ってたんだけど、この人フランス出身なのね、一番合ってた『リリー』も、舞台はフランスだったんだ。そう思って見ると、にんじん、って感じもある。で、本作で一番ロマンチックなナンバーは、セーヌ河畔での二人のダンス。彼女は白と黒の衣装。冒頭でカラフルなイメージを出していたのでこの白黒が映え、それがそのままラストのパーティの予告にもなっていた。ラストの長い幻想シーンは、白黒のパーティの後で色彩の氾濫となる趣向で、贅を尽くしたという感じだが、立ちすくむ人やテーブルの女などにライトを下から当てたりして、ヨーロッパ的な陰影をかもそうとしている、ときに神経症的。バレーとタップの共演ってのは、アステア時代にも試みられているが、アメリカに根強いヨーロッパコンプレックスから来るのだろうか。ケリーのステッキ持ったタップとキャロンの爪先立ちバレーとの脚の掛け合いに堪能。そして鏡も使った色彩の洪水の果てに、また凱旋門の白黒の画に(赤い花の記憶を残して)戻っていくという趣向で、この映画はモノクロとカラフルの対比で押し切った。タップ好きとしては、子どもたちにいろんなステップを披露するとこ。上半身をダラーんと脱力させていかにも気がなさそうにトットットッとやるのなんか好きだなあ。アダムの部屋でタップ踏んだときは、ドアの敷居なんかもさりげなく使ってた。このアダムの仏頂面が、ケリーのニヤケ笑い(失礼!)と対比されるいいスパイスになっていて、スワンダフルに入る前、事態のややこしさを知った彼がハッピーな二人に挟まれて一人憂鬱にタバコに火をつけるのを繰り返してるあたりがおかしい。「そのしつこさに魅力が追いついてないの」とキッパリ言われても、しつこさに徹すれば最後はハッピーエンドになれるんだな。覚えとこう。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-06-25 10:05:46)
76.  バリー・リンドン 《ネタバレ》 
よく映画の宣伝で「感動のあまり席を立てませんでした」ってのがあるが、そうそうあるもんじゃない。私の人生では2回だけ。キートンの二本立て(『セブンチャンス』と『蒸気船』)観たとき「もっかいもっかい」と半日映画館から出られなくなったのと、あとこれ。こっちは幸い最終上映で観てたので、掃除のおばさんに追い出されたが、そうでなかったらこっちも映画館から出られなくなったに違いない。人の世の愚かしさとそれゆえの厳粛さを描いて完璧だと思った。一つ一つの画も完璧と言わざるを得ず、観終わった途端にもう一度ひたりたくなった。監督は「ナポレオン」を撮りたかったそうだが、成り上がって没落していく物語としてはもうこれが完成しているのだから、気合いが抜けてしまったのだろう。いちいちの感動シーンについて記すのは面倒なので省く。第三者の眼で語られ、視点は誰にも加担せず、誰も結論めいたことを言わない(ただ文章が出るだけ)。しかしここには地球上に一時期存在した人類という種族の典型が精密に記録された、しかもその愚かな人類はなんと美しい世界を織り成してきたことだろうか。この作品では美が愚かさと必死で拮抗している。母親や家庭教師など、脇役の顔の選択も見事だ。そして音楽。バリーの運命が大きく変わるときに流れ込んでくるヘンデル、それと対になるようなレディ・リンドンのテーマとしてのシューベルト、どちらも的確。完璧という言葉は軽々に使いたくないが、この映画の美にかけた執念には、その言葉を使って褒め称えるより仕方あるまい。
[映画館(字幕)] 10点(2011-06-23 10:04:39)(良:2票)
77.  バッフィ/ザ・バンパイア・キラー
最初のうち、エスカレーターを真上から見下ろしたシーンなんか「もしかすると拾い物かも」と思ったんだけど、だんだん緊張は薄らぎ、駄目でしたね。ホラーコメディって、どこか逃げ腰になってるとこありません? 心底怖がらせるのが難しいもんだから、くすぐり笑いに逃げてしまっているというか。怖がらせるのって失敗すると笑いと紙一重なもんだから、「いや実は最初っから笑わせるつもりだったのだよ」と、ズルしてる感じがある。怖がらせるのが難しい時代になったってことはあるでしょう。本当に守らねばならないものってのが不確かになって、つまり本作だと、バンパイア集団と釣り合わされるものが、高校のダンスパーティになってしまうわけね。そこがコメディなんだよ、と製作者側には言い分があろうが、本気で「怖さ」に挑戦してほしいな。作品を選ばずどんな映画にも登場してくるドナルド・サザーランドの盲目的映画愛を見習ってほしい。
[映画館(字幕)] 5点(2011-06-19 10:37:56)
78.  ハート・ロッカー
普段は不必要に爆弾が爆発するアメリカ映画で、「爆発させない」人を描いている。とにかくずっとピリピリしていて、物語を語るというより、そのピリピリした日常を追体験する映画として優れていた。なぜイラクにアメリカ兵がいることになったのか、とか、爆弾を仕込む側の言い分にはまったく触れてないが、兵士の視線に徹して戦争を見る立場を取った以上、それでいいと思う。イラク戦争はベトナムの反復やってる、と思いがちだったが、いろいろ違いはあるのだな。装備は進歩した。ほとんど宇宙服にまで膨らんだ。それだけ土地の空気からは隔絶されてもいるのだろう。暑さにしても、あっちのジャングルの湿度とこっちの砂漠の湿度の違いは、体感で大きく違うだろうし、そこから来る不安の質も変わってくる。ジャングルのどこにベトコンが潜んでいるか分からない不安に対して、こちらは都市で周囲から無表情に見守られ続ける不安がある。ときにカメラで撮られている。見られ続けていることの居心地の悪い不安、どんな厚手の防護服でも防げない視線にさらされること、これがイラクのアメリカ人の立場なんだ。いいとこばっか描いてるな、とは思うが、少なくとも戦争の大義を主張してはいない。そんなもの探しても見つからないだろうが。
[DVD(字幕)] 7点(2011-06-16 12:15:08)
79.  反逆児(1961) 《ネタバレ》 
ヤマトタケルや義経にも通じる「一族に使い捨てにされるりりしい若者」という日本古来の悲劇の伝統、と錦ちゃん側から見ると古典劇的な設定なんだが、ドラマの展開の軸はどちらかというと女たちの心理ドラマで、だから杉村春子・岩崎加根子ら新劇俳優のほうが生き生き演じている。だいたい「忠臣蔵」でも、大石は旧劇系、吉良は新劇系という配役になるもので、複雑な心理を演じるとなると新劇系に託される。だからこれは時代劇ではあるけれど新劇なので、するとラストの介錯の刀がためらうあたりの大時代な演出はシッカリ浮いてしまう。いっそ女のドラマと割り切った作りにしてしまえばスッキリしただろう(ま、ポスターのトップは錦之助でなければならなかったんだろうが)。杉村・岩崎に加えて桜町弘子も、あの時代の「コマとして使われる女の悲劇」を演じていた。グレートマザーに滅ぼされていく若者を「反逆児」とわざわざ持ち上げなくても良かろう。このタイトルは「反逆児になれなかった坊ちゃんの悲劇」の略なのか。錦ちゃんて、悲憤慷慨する場面で歯を剥くといつも笑ってるように見えるので昔は戸惑ったが、慣れてくるとその笑ったような怒ったような不思議な表情が「なるほど、屈折した悲憤慷慨なんだなあ」と味わえるようになったものだ。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2011-05-18 12:14:35)(良:1票)
80.  パッション・ダモーレ 《ネタバレ》 
うーん、物語ですなあ。こういうのはいいなあ。決闘の後で、主人公がヒロインの発作を伝染されるところは、感動した。これアメリカだったら、二枚目の災難に絞った徹底した喜劇にするだろうし、日本だったら「オカメでも心は素直」という人情噺にするだろうし、フランスだったら心の機微をシャレて描くだろう。そもそも良識ある普通の国ではブスの映画で本物のブスは登場させず、ホッペタにそばかすを散らせばブスと思って見て下さいという映画上の約束事に則って描いていくものだ。でもここはイタリア、残酷なる凝視の国、ブスをリアリズムで描く。醜いだけでなく、そのひがみ根性というのか、優しい言葉をかけられるのを期待して自己批判したりするヤな女を、白日のもとに描いていく。男も、同情や憐れみから愛になったってんじゃなく、ほんと嫌ってたんだけど、運命というのか、心のこだわりの感情もある程度まで進むと結局「愛」と違いがなくなってしまうってことなのか。嫌な女だなあ、と観客に思わせといて、そして実際そうなのだけど、でもそんな彼女にも30年の孤独があったわけで、それを思えば、男一人の一生を台無しにしたけど幸せな最期だったのかも知れず、そしてそういう巡り合わせは、もう幸せ・不幸せという基準以外のとこで主人公の男にも何らかの納得を与えていたんだろう。人生ってこんなもんかも知れんなあ。おーこわ。
[映画館(字幕)] 8点(2011-05-05 12:18:57)
000.00%
100.00%
200.00%
320.09%
4331.41%
52279.72%
691439.13%
773931.64%
834314.68%
9682.91%
10100.43%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS