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プロフィール
コメント数 3957
性別 男性
年齢 53歳

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1.  犯罪王リコ
禁酒法時代はギャングの時代、実世界で抗争が繰り返されれば、映画の世界にもギャング映画の時代となってくる。タイムリーなネタが描かれている訳で、いつの時代も皆さん、敏感というか、まあ、お好きですなあ。 であると同時に、トーキーの長編映画が登場し、広まっていった時代。トーキー初期の作品、と言ってよいと思うのですが、この作品を見ていると、いかにもトーキーならでは、と言った感じで、意識的に「オフの音声」が取り入れらているようです。「画面外からの音声」だけではなく、例えば会話シーンで、語り手は向こうを向いていて口元が画面に映っておらず、聞き手の方の表情が画面に捉えられていたりして。音があってこそ可能となる、同時並行の表現。新技術が登場すれば早速、それを駆使した新しい世界の探索が始まり、またさまざまな形で繰り返されていく、っちゅうことでしょうか。 一方で、影を用いた間接的な描写など、画面上の多重性みたいなものもあって、サイレント時代の残り香のようなものも感じさせたり。 物語はと言うと、チンピラ風情の主人公がギャングの一味に加わり、暴走気味の行動で頭角を現していくけれど、その先には破滅が待ち受けている、という、ベタと言えばベタなお話で、それを80分で駆け抜ける。主演のエドワード・G・ロビンソンが、見るからにワルそう、と言っても狡猾タイプではなく、「ちょっと(かなり?)勘違いしてるヤツ」といった風情で、役にマッチしています。たぶん、こういうヤツが実際の世界でも少なからず、いたんだろうなあ、と。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-11-24 07:54:36)《新規》
2.  バンブルビー
これは、子供向けの映画・・・という言い方をすると、映画のことも子供のこともバカにしているように聞こえるので、「子供の目線を持った映画」とでも言えばいいのかな。 主人公の女の子には、「父親を亡くした」という設定が与えられ、鬱屈したような日々を送っているのだけど、メチャメチャ不幸っていう描かれ方でもなくって。母親が付き合い始めたのはヘラヘラしたイヤな男、だけどヘラヘラしているだけで別に悪い人という訳でもなさそう。主人公の弟もなんだかイケ好かないけれど、まあ、きょうだいなんて多かれ少なかれそんなもんでしょう。誰が悪いってこともなく、再婚に向けて動き始めた家族の中で、何となく溶け込めない、居心地の悪さ。 はたまた、バイト先でも失敗をやらかし、自分をバカにしたような周囲の視線。イヤなヤツばかり。 不幸は不幸なんだけど、あくまで日常感に裏打ちされていて、そういった辺りが、「子供の目線」を感じるところ。誕生日だからとボロ車くれる知り合いのオッサンがいたり、声かけてくれる男の子がいたり、実は結構恵まれてるんじゃないの、とも思えるけれど、それらを主人公から取り上げるほど残酷な設定は、この映画では採用しません。あくまで日常レベルの、誰もが多かれ少なかれ感じているような、鬱屈の日々。しかしオッサン、車一台タダであげるのは気前良すぎで、せめて便所掃除くらいさせりゃいいのに。 便所掃除は免除とは言え、ボロ車ゆえメンテは大仕事、その一生懸命さが分身の術(?)でコミカルに表現されますが、このボロ車が実は宇宙からきたロボット生命体(という表現で良いのか?)バンブルビーであって、少女との交流が描かれる、、、というのが物語のメイン。 映画を見ていくと、母親の彼氏も主人公の弟も結構いいところがあったりして、基本的に「悪い人間」は登場しません。そりゃまあ、ヤな奴ってのはいますけど、極悪なのはあくまで人間ではなく敵のロボット。バンブルビーを捕まえようとする軍人も、悪人ではなくひたすら杓子定規な人。杓子定規であるがゆえに主人公たちを圧迫する、子供から見た学校の先生のイメージですかね。 この映画の魅力はやっぱり、バンブルビーの細かい仕草。これも子供っぽさがあって、愛嬌を感じさせます。最初に地球で姿を現した際の、木漏れ日の中のその姿、存在感にはちょいとドキリとさせられますが、軍に追われ、追い詰められた坑道前でさらに敵のロボットの襲撃を受け、目まぐるしく舞台を変えての戦いの中で発声装置を破壊されてしまう。そのおかげと言うべきか、以降話せなくなったバンブルビーはその愛嬌ある仕草でもって、我々を魅了してくれます。一部、ラジオ放送で流れる歌の歌詞で意思表示するギャグのおまけつき。 この冒頭の戦闘でも、舞い上がり、転げ落ち、結局元の坑道前で決着がつくのですが、一連の成り行きを軍人(ジョン・シナ)は目撃しているはずなのに、その後もバンブルビーを追い続けるのが、やっぱり大人の融通の利かなさ。ただし、その想いは別のところにあるのかも知れない、という含みも持たせています。 「子供の目線」ということで言うと、主人公の女の子と、彼女を支える男の子との関係。いや、さすがにそこまで子供というような年齢でもないとは思うんですけど、あくまで「ほっぺにチュー」くらいまで。このウブな感じ、むずがゆさ。これで、いいんだと思う。美男美女とはちょっと違うけれどそれでも二人、イイ顔してるなあ、と。 この二人がベタベタしてない一方で、機械であるバンブルビーとのスキンシップみたいなものは描かれていて、頭を撫でられたり、ラストでは顔に手をあてる、抱擁しあう。 壁にレーガン大統領の写真が掲げられている?と思ったら、どうも舞台は80年代らしく、でもそれが押しつけがましい表現にはなっていない(懐古趣味に陥っていない)のが、基本的には好感持てます。でももうあと少しだけ、80年代らしさが織り込まれていてもよかったかも? 思わんでもないけど、「子供の目線」からは、そんなことはどうでもいいのかも知れませぬ。ところどころ、実物は見たこと無いけど知ってるよ、という80年代らしいアイテム(ビデオテープとか)が登場。『遊星からの物体X』のポスターは、果たして80年代を代表するアイテムなのか否か? クライマックスのロボット対決も、派手に繰り広げてはいるけれどあくまで少数同士の戦いに留め、インフレを起こすことなく丁寧に描いているのが、これも好感持てます。インフレでも別にいいんですけど、真のクライマックスをエモーショナルなラストシーンへ持ってこようと思えば、これは賢明な描き方と言えるのでは。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-11-04 10:24:29)
3.  拝啓天皇陛下様 《ネタバレ》 
いや、ほんと、そうなんですよ。人生において、いろんな人と逢ったり別れたりってのを繰り返すんですけれども、何か妙なクサレ縁みたいなのがあって、ふと気が付くと、何だか知らんがコイツとの付き合いって、かれこれ長いよなあ、ってなヤツがいたりする。何度離れても、なぜかまた出会って、つかず離れず、まさか、こんな長い付き合いになるとは。。。 長門裕之演じる「ムネさん」の視線から描かれる、戦前の軍隊時代からの友人・ヤマショー。これって、友人って言って、いいのかな。とにかく、クサレ縁です。そのヤマショーを、渥美清が演じていて、キャラ的にも、寅さんの原型のような。 しかし寅さんほどには「都合よく」デフォルメされたキャラではなく、もっと普通に庶民的。普通に純粋。ただそれが、いささか度を超しているもんで、いろいろと騒動を起こすのですが、二年兵になれば「普通に」初年兵をイビるし、「普通に」女郎買いもするし、盗みですらノホホンとやらかしてしまう。しかもそれを「徴発だ」などと澄まして言ってのけたり(そのヤマショーに対して、日本人が「日本人に対して」やるのはけしからん、と怒るムネさんもまた、庶民的なのだけど)、その庶民的であるが故の罪深さ、みたいなものも背負った存在として、ヤマショーは描かれています。 衣食住に困らないというただそれだけの理由で、理不尽な軍隊生活を耐え、いやそれどころか離れたがらず、そして、かつて世話になった上官への思慕を抱き続け、天皇陛下を敬い続ける、純朴な男。戦争が終わり、世の中が変わって、日本人が変わっていっても、この男は変わらない。 こういう国民の純朴さを利用して、当時の日本という国は、無謀な戦争に突入したのではなかったか、、、などと言うと、「国民は被害者でした」で済むのかよ、という声も出るのかも知れませんが、ただ純朴であることの罪深さと、その純朴さを利用する罪深さとは、ともに忘れちゃいけないんだと思う。しかし、多かれ少なかれ、それらは忘れ去られてしまう。「忘れる」ということの罪深さ。ヤマショーはニコニコしながら、しかし「変わらない」ことで、「忘れる」ということを暗に批判する存在ともなっています。 時代が変わり場所が変われど、当たり前のように再会できるヤマショー。しかしある日突然、二度と会えなくなる存在になってしまう。このまま彼を忘れていいのか、戦争を忘れていいのか、というラスト。コミカルでありつつシニカルであったこの作品が、最後に見せる哀しみです。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-09-29 17:47:14)
4.  ハーダー・ゼイ・カム 《ネタバレ》 
音楽での成功を夢見た青年が、例によって例のごとく大人の事情に道を阻まれ、例によって例のごとく破滅の道を歩んでいく。終盤は警官隊だか軍隊だかとの銃撃戦が展開されたりもするけれど、「隊」と呼べるほどの人数でもなく、えらくスケールが小さい。 そんな映画のどこが面白いんだよ、と言われると、確かに通常であれば、これと言って語られることもないまま埋もれていく無数の低予算映画の一本に終わっていたかも知れません。もし主人公が志したのが、「音楽」で無ければ。これがジャマイカの映画で無ければ。その「音楽」が、レゲエで無ければ。 とか言っても、私、レゲエという音楽については何も知らないもんで、映画を見て「ああ、なるほどこんな感じか」と思い、正直、映画を見終われば特に聴こうとも思わない(失礼!)んですけど、見てる間は、なんだか、その気になってくる。その気にさせられる。それだけのパワーは、備わった作品になっています。 映画自体はかなり、粗削り。やっぱりカメラを手にして、さあ映画を作るぞ、となったら、撮ったり切ったり繋いだり、いろいろとイジリたくなるのが人間のサガなのでしょうか。こういう粗削りな映画の作りは、エネルギッシュな魅力がある反面、雑然とした感じもします。この映画の場合は、南国ジャマイカが舞台ということで、その雑然とした感じが、映画の雰囲気にマッチしていたりもして。主人公がやってくる首都キングストンは、都会と言っても「近代化されている」というより、とにかく人が多く、雑然とした街。多くの人たちの生き様が渦巻く街。主人公は到着早々、生き馬の目を抜く都市生活のキビしさの洗礼を受けたり。 その雑然とした雰囲気の映画を、レゲエ音楽という軸が一本、貫いているのだけど、それだけではなく、教会の場面なんかに見られる「ジャマイカあるある」(なのかどうか知らんけど、たぶん)みたいな描写が、もう一つの重要な軸になっています。興奮しまくった牧師さんの暴走気味の説教に、信者さんたちもノリノリ大興奮。こういうシーンが、長々と取り入れられたりしていて。 終盤、カメラの前で銃を手にポーズをとる主人公の姿が、やたらとサマになってる。 作品の中で描かれる世界には、社会の矛盾や皮肉も織り込まれるとは言え、それを声高に批判するのではなく、その世界の中を太く短くカッコよく生きようぜ、ってなノリで、どこまでも突っ走っていきます。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-09-29 09:15:56)
5.  ハード・キル 《ネタバレ》 
廃工場みたいなところを舞台に、迫りくる敵との攻防戦が描かれる。と来れば、たいていハズレ無しというか(知らんけど)、ちょっとテンション上がっちゃいます。雰囲気的には、「はい、この工場の中だったら、自由に撮影していいですよ。ただし、くれぐれも近所の方々にはご迷惑をおかけしないように」って感じですかね。知らんけど。 廃工場みたい、と言いながら、場所によっては水蒸気の煙が上がり(←いかにも工場らしいイメージ、ですね)、その気になれば電気も使えるらしい。だけどボロっちい感じはいかにも廃工場で、このサビれた雰囲気の中、いつ果てるともな戦いが繰り広げられる。 ただこの作品、正直、今ひとつの印象。 背景がよくわからないまま、とっとと攻防戦がおっぱじまり、戦いの物語の中で徐々に真相が明らかになっていく、というのがこのテの映画の定番でもあり理想でもあるかと思いますが、そしてこの作品も概ねそれを踏襲しているのですが、いかんせん、その「背景」というヤツの、セリフによる説明が多すぎて。そこまでストレートに説明をしてもらうほどのものでもなく、なんだかまどろっこしい。 その「背景」というヤツ、正直、敵の狙いとかはある意味どうでもよくって(そう言って語弊があるなら、敵の狙いなんてのはおよそ何でもよくって)、例えば、せっかくかのブルース・ウィリスにご出演願って、父と娘の物語を取り入れるんだったら、その関係性をもっと描かなくていいんだろうか。このミッションを受けるにあたって主人公が仲間をさそったのなら、彼らの友情なり何なり、もうちょっと掘り下げなくってよかったんだろうか(でないと、「裏切り」の意外性もサッパリ活きてこない)。敵方も、「ああ、おねーさんがいるなあ」とは思うもののそれ以外はこれといって特徴もなく。 ホントはコレ、もうちょっと面白くなる作品だったんじゃないのかなあ。 しかし、銃撃戦はたっぷりと盛り込まれていて、そこは楽しめます。あまりこだわりなく銃撃戦自体が好きな人なら。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-08-11 08:56:55)
6.  ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録
我々を熱狂させる芸術作品は、作者も熱狂のうちにそれを作り上げたと思いがちだけど、実際は冷静な推敲作業のもとにそれは作り上げられるのだ、とかいう意味の文章をどこかで読んだ気がします。その意味では、最たるものの一つが「映画製作」で、到底、一人の人間が勢いだけで作れるものではなく、一種のプロジェクト運営の側面がある訳で。 ところがこのドキュメンタリを見ていると、大勢の人間と莫大な投資が関わるが故に、「うまくいかなくなった映画製作」ほどオソロしいものは無い、ということがよくわかります。熱狂、というより、底なしの狂気。まさに、闇の奥。 ってか、コッポラというヒトに映画作らせるのが、そもそも危険、ということで。この危険人物が、周囲を巻き込んで(あるいは周囲に巻き込まれて)危険領域に足を踏み込んでいく様が、この作品に捉えらえています。最近はともかく、この頃のコッポラというと、映画で一発当ててはそれをつぎ込んだ次の作品で興行的に大コケして経済的に追い詰められる、ってなイメージがありましたが(?)、そりゃこんなコトばっかりやってたら、そうなるわなあ、と。 『地獄の黙示録』という作品が何ゆえ、魅力があるのかは、このドキュメンタリを見てもよくわからないけれど、何ゆえああいうイビツな作品になってしまったかは、感じ取ることができます。作品の魅力と完成度とは、必ずしも正比例しないんですね。このドキュメンタリが作られた段階ではまだ『特別完全版』は公開されておらず、本編には無かった「はず」のシーンが幾つも登場します。その『特別完全版』は盛り込まれたエピソードの多さ、羅列感がカフカの作品を思わせ、本来は、カフカの長編小説同様に「終わることのない迷宮」だったんじゃないか、とも思えてくる。しかし、事業としての映画は、「完成」はともかく「完結」させないといけない中、もつれたアリアドネの糸をほどくのではなく、その迷宮にスタッフ、役者ともども、入り込んでいってしまう。 ベトナムでの撮影はできないということで、選ばれた撮影場所が、フィリピン。軍隊の協力は取り付けたものの、内戦状態なもんで、撮影に使うヘリが出動してしまう。『地獄の黙示録』という映画自体はフィクションとは言え、登場するヘリは、まさに現在進行形で「戦争中」のもの、なんですね。オープンセットは作り物であっても、台風による破壊は、本物。カーツ大佐の規格外ぶりも本物で、誰の云う事も聞かないマーロン・ブランドは、まさに「企画外」の存在、制御不能。 そして、現場に広がるドラッグの使用。そりゃ、あかんでしょ。 当時を振り返るインタビューに登場するジョン・ミリアス、ジョージ・ルーカス、そしてコッポラ本人。前者2人の余裕(「闇の奥」に足を踏み入れる前に引き返せた余裕?)と比べ、コッポラには未だに「あかん人」のニオイがプンプンと。 この人を先頭に、迷宮に足を踏み入れ、制御不能の一歩寸前か、もしかしたら絶賛制御不能中、という中で、完成と言っちゃってよいかどうかはともかく一応の完結をみた『地獄の黙示録』。結局、この作品の魅力が何だったのかと言うと、もはや「闇鍋の魅力」としか言いようが無い気もしますが、鍋に入れてみたいもの、不本意ながら入ってしまったものが、ゴッタ煮となって、それでもなぜか食えるものに仕上げられている、という奇跡。こんな奇蹟は二度と起きないんじゃないか、という、まさに究極の闇鍋の一杯、ですよ、これは。 このドキュメンタリ映画の元になっているフィルムは、ロケに同行したコッポラの妻が撮りためた記録映像が使われている、ということで、もし最初からドキュメンタリ映画を撮るつもりだったら、また別の撮り方があったのかも知れませんが、とは言え、これ、面白い。映画の裏側ってのはやっぱり気になるし、それが特にこの奇妙な作品の裏側だとなお一層。それを90分あまりにまとめ、テンポよく見せてくれて、興味が尽きません。 たぶん、このドキュメンタリは、コッポラ自身には作れないと思う!
[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-21 08:32:36)
7.  バリー・シール/アメリカをはめた男
実在の人物に取材した映画、ってことなんですが、まあどうにも、胡散臭い、ウソ臭い。当時の社会情勢などが作中にそのまま取り入れられ、何ならもっとリアリティを感じても良さそうなところが、かえってそれが胡散臭かったりして。しかしこうやって見ると、当時の情勢そのものが、いかにも胡散臭い時代だったんだな、と。 この作品、なんとなく、お伽噺のテイストですね。一種のホラ吹き男爵譚。これを、演じてる本人も、見ている我々も、違和感なく演じられるのは、やっぱりこの人しかいないでしょう。と言う訳で、「トム・クルーズ/アメリカがハマってしまった男」。これはバリー・シールなる人物を描いた作品なのか、それともバリー・シールを楽しそうに演じるトム・クルーズを描いた映画なのか。見てると、パイロット役が演じられるだけでもうどんな役でもOK、楽しくて仕方なかったのでは?と思えてきます。 という軽いノリ。 そういう、ウソかホントかよくわからんエピソードが次々に並べられて(大筋ではホントなんだろうけど・・・もはやどっちでもいい)、まとまったストーリーらしいものもなく、それが短いショットの連続で紙芝居のように描かれます。テンポがいい、のは確かですが、味気無くもあったりして、「今のシーンはあともう少しだけ、カメラを長く回してもらえたら」などとも思っちゃう。だけど、満足する前に敢えて止める、というのも、一つの節度、とは言えるのかも。 とか言うようなことを、これといって考えていなさそうに「見える」ところが、この作品の特徴でしょうか。 クルマが爆発するシーンとか、あるいは爆発しないシーンとか。いいですよね。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-11-25 06:08:20)
8.  パッセンジャー(2016) 《ネタバレ》 
映画に出てくるヒーローというものは、ヒーローらしくあって欲しいし、ヒーローってのはどこか陰があった方がいい。しかしこれを突き詰めていくと、いっそ陰があり過ぎてアンチヒーロー化した、要はダメ男の映画ってのもたまには見たくなってくる。 さてそのダメ男を演じるのがクリス・プラットでよいのかと言うと、いや、もっと見るからにダメダメであってもらえたら、さらにはそのダメ男が最終的にヒロインを、そして我々を惹きこんでくれたら、とは思うのですが、これは製作サイドとしても大きなリスクがある訳で。最悪、多くの人には嫌悪感しか残さない可能性も出てくる。だもんで、クリス・プラット。一種の保険ですね。多少はグダグダになって見せるけれど、好感度はそれなりに保ち、安心感はあります。その分、予定調和的となり、作品の意外性や迫力が低下することは否めませんが、安全第一、安心第一、ってところでしょうか。 トラブルにより、宇宙旅行の人工冬眠から、一人の男が目覚めてしまう。目的地までのあと90年、クルーも他の乗客も起きてこない、だだっ広い最新鋭の宇宙船の中で一人ぼっちの状態。まさに、アレですね、明日から大変な仕事が待ってるのにどういう訳か夜中に目が覚めてしまい、家族はみなスヤスヤ眠ってるのに自分はちっとも眠れず気が焦るばかり、朝はまだまだ来ないし・・・というあの状態を、壮大なSF映画に。 こういう状態に置かれると、精神的な危機を迎えてオカしくなってしまう、というのは、シャイニングを見てもわかる通り。いや、ジャック・ニコルソンは最初からオカしい奴だろ、とスティーブン・キングが怒るのだけど、とにかく、クリス・プラットですら参ってしまう。シャイニングがガランとしたホテルを描き出したように、この作品でも、未来的で豪華、だけど空虚な宇宙船内部のしっかりと描き出して見せます。限られた空間が舞台となっていながら、見てて飽きることはありません。 で、よりによってこのダメ男が、眠れるオーロラ姫を起こしちまう。なるほど、主演二人がそもそも好感度高いので、ラブラブになってくれたらそれはそれで良し、安定感がある分、その後に待ち受ける破局のインパクトが大きくなる、という効果はあるかも知れません。 閉鎖空間で、一人で起きてるのもツラいけど、起きてる二人の間が険悪なのは、もっとツラい。そりゃそうだ。ははは。際立つ閉塞感が、たまらない。 で、その後、宇宙船の異常が進み、クルーの一人が起きてきたりして、物語が加速し始める。クライマックスの危機が、ごめん、何か大変そうな状況なのはわかるけど、宇宙船のどこがどういう状態で何がボーボー燃えているのやら、もうひとつよくわからない。勢いだけで見せられている気がしてきますが、盛り上がることは盛り上がります。 最後、使える冬眠ポッドは一名分。ヒロインを眠りにつかせ、主人公は孤独に残る、というのが綺麗な終わり方だけど、たぶん、この人、1年後にはまた彼女を起こしちゃって続編映画が始まってしまうので、まったく解決にならないのでしょう。 この作品は、それとは別の幕引きをしてみせる。人生ってのは外因的なものに左右されそれは時に不本意かもしれないけれど、重要なのはその人生をどう生きて何を残すかだ、というメッセージ。 ラストシーンは明らかに、そんなのあり得ないでしょ、という光景がそこに現れます。あくまでファンタジー、ということですね。あるいはお伽噺と言っていいかもしれない。理屈ではない、フワッとした浮遊感みたいなものが、後に残ります。 ところで、この作品に登場する二人の男女には、金銭的にはやはり「男<女」の格差があって、こういう部分から宇宙版タイタニックとか言われたりするんでしょうが、そんな事言われたら、もしかして氷山がタイタニックにぶつかるように仕向けたのは、実はジャックの仕業だったのか?とか思っちゃったり。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-10-01 07:40:18)(良:1票)
9.  ハッピー・デス・デイ 2U 《ネタバレ》 
冒頭のユニバーサルのロゴ、前作ではタイムリープをイメージした仕掛けになっていたので、今回も何かやらなきゃー、っていうことなんでしょう、どうやら並行宇宙をイメージしたようなデザイン。いや~、いろいろ気を遣ってるんですねえ。 その後、物語が開始すると、ん? 一瞬、一作目と同じ「誕生日(18日の月曜)の朝」が舞台か、と思っちゃったんですが、ツリー(主人公)が、「一作目が解決した」という意識を持ってこの朝を迎えている訳がない。要するにコレ、一作目の「ラストシーン」と完全に対応しているんですね。つまり、翌日。皆、月曜の朝と同じ服装だから紛らわしいんですが、そう言われてみりゃ、ツリーは前の晩、自宅に帰らずカーター(主人公の彼氏)の寮に泊まったし、ライアン(パツキン野郎)も寮の部屋に帰れずクルマの中で寝たので(2作目の冒頭)、着替えられなかったワケ。まあ、もともと、すでに1作目で、冒頭の月曜とラストの火曜のシーンをシンクロさせた面白さが演出されていたのでした。 しかし、さすがにこれは、1作目を直前に見ておかないと、なかなかついていけません・・・。 もっとも、この2作目では、まるで、1作目なんて改めて見直さなくてもいいよと言わんばかりに、主人公の1作目のあらすじを惜しげも無く早口で語らせたりしていて、この思い切りの良さ、ちょっと笑ってしまいました。 さてさて、そもそも前作は前作で一発アイデアとして完結しており、続編なんて無理だし不要でしょ、と思っちゃう。そう思っちゃうけれど、それでも現に2作目が存在する以上、気にはなる。そう思いながら見る以上、「ほら、やっぱり続編作るなんて無理があった」で片づけるのもさすがに芸がないかな、とも思っちゃう。思っちゃうけど。 やっぱりある程度、苦しい感じ、あります。考え過ぎ、というヤツかもしれません。また事件があって、フーダニットの興味を取り入れて。いいんだけど、多少ごちゃごちゃしていて、強引な印象も。 だけど、それでも本作、続編として(それも、いかにも作りづらそうな続編としては)、最良の部類に入るんじゃないかと思います。 さまざまにアイデアが凝らされていて。前作を踏襲しつつも、しっかり変化球。しかも、バカ映画のくせにお涙頂戴路線に挑戦、という厚かましさ。こういうエモーショナルな部分も演出のアイデアで意外に盛り上げます。が、やや「頭で考えた」感、無きにしもあらずで、感動にまでは至りませんが。。。 それよりも、ここで一緒に事態を解決しようと奔走する仲間たち、主人公以外は時間を繰り返している訳ではないので本人にとっては何が何やら、のはずなんだけど、それでも一生懸命なその姿。こちらの方が、感動的と言えるかもしれません。 ライアンの分身が現れたりする映画最初の方のエピソードは、必要だか何なんだか、よくわからんけれど、あのナゾの装置に「昨夜、何かエネルギー的にスゴいことが起きたらしい」ってのが実は伏線になっていて、映画のクライマックスともリンクしている。 正直、1作目と比較してしまうと1作目の方に軍配を上げたいところですが、2作目は2作目で心憎い作品になっていて、別に無理に点数差をつけることもないかな、と。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-09-16 06:37:58)
10.  花嫁の父 《ネタバレ》 
娘を嫁に送り出す父の姿。と言っても小津作品とは違い、ややコミカルにデフォルメされて描かれてますが、さだまさしの「親父の一番長い日」ほど極端ではありません。 ところどころでクスリと失笑まじりの笑いを引きおこす親父の姿、しかしあの悪夢にうなされる場面なんてのは、笑えるシーンではあるのですが、なかなかの恐怖も味わわせてくれます。かなり、コワいです。 やがて結婚式となり、人々が集まってきて、群衆シーンと言う程では無いにしても、画面に動きが出てくる。で、式が終わってみんないなくなり、しみじみ。 ってのは、いつの時代もどこの国でも、同じなんですねえ。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2023-06-24 06:43:31)
11.  パラサイト 《ネタバレ》 
要するにこの映画が何を言っているかというと、生徒から見たら学校の先生ってのはホント、得体の知れない人たちだ、ということでして。何せ学校の先生ってのは、いつ何をキッカケに怒り出すやら、訳がわからんもんね。どうやら先生たちのみに通じる価値観みたいなものがあるらしい。いやあくまで「生徒から見たら」、って事ですけれども。 特に体育教師ってのは、得体が知れない。ましてやその教師がターミネーターそっくりだったりなんかしたら、もう。。。 不良生徒からすれば、先生たちは勿論の事、他の生徒たちだって充分、得体が知れない。信用できるのは、一緒にヤクをやる、仲間だけ。この映画、そういうオハナシ。 しかしさらに映画の先を見ていくと、一緒にヤクをやってる連中だって結局、信用できないことがわかってくる。よくできたオハナシです。いや、映画の製作者にそういう意図があったかどうかは知りませんが、よくできた映画は結果的によくできたオハナシになる、ということですね。 走って逃げろと教師に言われたイライジャ・ウッドは、クライマックスにおいて走って逃げることになる。「攻撃は最大の防御」か、それとも「防御は最大の攻撃」か。 『スクリーム』みたいな一種のパロディというか(同じ脚本家ですしね)、作品自身のジャンルに対する自己言及が取り入れられていて、「盗まれた町」が再三、言及されるのですが、登場人物たちは『遊星からの物体X』のことをもっと気にしなくてよいのだろうか?と心配になってくる。案の定、クライマックスには『物体X』的な危機が待ち受けるのですが、ああいうハリボテではなく、ちゃんと動くヤツが襲ってくるのが嬉しいではありませんか。クライマックスにおけるプールを舞台とした一連のシーンは、出色だと思います。この作品、前回観たのはずいぶん前ですが、このシーンは強く印象に残ってて、また嬉しくなっちゃいました。
[インターネット(字幕)] 8点(2023-03-19 17:30:32)
12.  パリは燃えているか
乱暴な感想ですが、こういう映画、やっぱりこの「約3時間」という長さが、いいなあ、と思っちゃいます。描いても描いても描き切れない、という、この長さ。 で、また、この「市街戦」というやつに、惹かれてしまう。日常であるはずの街の風景が、戦場と化す。大規模な破壊シーンなどは出てきませんけど、パリでのロケ撮影をこれだけやったのだから、やっぱり大したもの。かつて戦場となったこの街、あわや灰燼となり果てかねなかったこの街で、その戦いを描いて見せる。街の歴史、歴史を抱えた街。その歴史があってこそ、今の街がある。 不足を言えばキリがないだろうけれど、充分に堪能させられる、約3時間でした。 とは言えやっぱり、セリフは各国語でやって欲しかったなあ。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2023-01-29 20:40:04)
13.  パージ:エクスペリメント 《ネタバレ》 
どういう作品かよく知らずに見始めて、またこれまで同様にパージが描かれるシリーズの一本か、ぐらいに思ってたらそうではなくって、時代は遡ってパージ制度導入の頃が描かれてます。社会の分断が人々を自衛に走らせ、過度な自衛がまた社会を分断する、というこのシリーズ、未来のディストピアを描いたつもりが、予想以上に早く、現在の現実社会が映画に追いついてきてしまったので、映画の方から時間を巻き戻して現実社会への批判を正面衝突させよう、ってことなんでしょうか。 もはやパージでも何でもなく、ただの殺し合い。殺し合う人々と、それをモニタ越しに観察する人々との間の分断は、もはやひとつのシステムとなり、分断は結束に繋がることなく、新たな分断を呼び起こす。 しかしこの作品の前日譚たる設定、なんだか作品の枷となってしまってて、批判臭こそ漂えど、作品の限界を感じさせもします。いっそシリーズから独立した別作品にしちゃった方がよかったのでは。後のシリーズに繋がる内容、つまりパージ法がこの後導入されることは作品の縛りになってて、ラストでは絶対に「革命」なんか起きっこないことが、わかっちゃってるもんね。いや、実際にラストで「革命」が起きるかどうかではなく、起きるかも、と思わせるだけで充分。希望があればこそ絶望があり、絶望があるからこそ希望がある。 それはそれとして、無法状態の一夜、それがおしなべて暗い画面の中に、時に光を交えながら描かれます。雰囲気はいい、かもしれない。でも、この暗さの中で、アクションはいささかゴチャゴチャし過ぎ、ちと見にくい。終盤の階段での乱闘は、ちょっと良かったけど。 登場人物の配置なんかも魅力的な部分はあるのですが、やや消化不良かと。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-11-20 20:59:01)
14.  旗本退屈男 謎の決闘状 《ネタバレ》 
いったいこのオハナシのどこが「謎の決闘状」なんだろう、というのが最大の謎なんですが、それはともかく、女性ばかりが犠牲となる謎の連続毒殺事件、その謎を追うのが市川右太衛門演じる旗本退屈男こと、早乙女主水之介。妙に自信満々の顔と堂々たる態度、なんですがどうしてこうも頼りなく見えてしまうんでしょうか(笑)。いや、実際は頼りになるんですけれども。 例によって、将軍綱吉のバカ殿ぶり、というものが物語の背景にあるわけですが、そういう世の乱れにつけ込む悪党どもの暗躍を、天下御免の向こう傷が許すわけには行かぬ。 事件の謎を追い、どこにでもやたら都合良く現れる旗本退屈男、その流れるような殺陣は、さすが、と思わせるものの、なんとなく最低限の動きだけで敵を蹴散らかす(ように見せかける)省エネ殺法のようにも見えてくるのですが、とにもかくにも、快刀乱麻を断つかのごとく、無事に事件を解決してしまうのでした。いや、さすが。あまり納得はいかないけど。
[インターネット(邦画)] 6点(2022-08-06 22:17:42)
15.  パシフィック・リム:アップライジング
なんか、「レジェンダリーピクチャーズは中国資本に買収されました」というのが、ひしひしと伝わってくる作品ですね。一応は東京とか富士山とかも出てくるけれど、ロケ撮影する気なんてサラサラ無し、書き割りCG。中国からしたら、日本なんて所詮、商売道具の一つでしかないんですなあ。 日本には富士山以外にも素晴らしい山々が存在するにも関わらず、それをアピールできずにステレオタイプ化させてしまったのは、日本人の責任かもしれない。。。 もっとも、中国を含め東アジア圏の市場を意識しつつも、中国に対する面従腹背的なものを作品の中に感じてしまうのは、気のせいかどうか? それはともかく。前作はそれなりにヒドかった(ただし苦笑して済ませられるレベル)のが、続編ではいくらか修正されるかと思ったら、なかなかそうもいかないようで。冒頭、格差社会の問題でも絡めてくるのかと思ったらそうでもなく、その点は理屈っぽくならなくて良かったとも言えるけど、少女を主人公にして過去の因縁を絡めるのかと思ったら、これすらも不発、そもそも彼女の存在感自体がこんなに低いままで、いいんだろうか。 クライマックスでは東京の街を舞台に大騒動をやらかすにしても、一連の事件はというと、なんだかエラく小粒で、さっぱり興が乗りません。危機感が無いにもほどがある。 主人公をロボットに乗せて操縦させればそれでいい、ってもんではなくって、例えばその戦いを外部から見つめる視点、危機感を含めた感情を受け持つ視点、ってのがあってもよいような気が。
[インターネット(字幕)] 3点(2022-07-30 17:52:00)
16.  博徒解散式
『解散式』(67年)とは一応、直接の繋がりは無い、ということになってるんでしょうけれど、博徒シリーズの名を借りた「解散式シリーズ続編」と言ってもよさそうな。昔気質のヤクザが、新しい勢力に押し潰されていく姿を描いている点は共通しており、丹波哲郎が何のために出てきたのかワカランところまで、同じ。いや、何のためであろうと、こういうサブストーリーが活きてるところが、深作欣二らしいと言ってよいかどうか、とにかく作品の魅力の一つとなってます。 それに比べると、死んでも放置されて誰も構ってくれない室田日出男の扱いの悪さ。 かつて連想ゲームとかのテレビ番組に渡辺文雄が張り切って出演してるのを見てた時には、まさかこんなワルい人だとは思わなかったのですが、いやはや今回もあくどいのなんの、意地悪いのなんの(←あくまで役の上の話)。そんな彼に、時代遅れの鶴田浩二とその舎弟たちが、次第に追い込まれていく、無力さ。 終盤の殴り込みの場面も、過去に行われた派手な殴り込みシーンを回想として交えつつ、それと対比するように地味な描かれ方となってます。鶴田浩二と渡辺文雄との間に交わされる長い会話は、殴り込みというイメージには程遠く、もはや男と男が意地や名誉を賭けて対決するような時代ではなくなった、ということか。 虚しさだけが、残ります。
[インターネット(邦画)] 7点(2022-06-07 23:10:49)
17.  バトルフィールド・アース
体も態度もデカいパワハラ管理職に、非力そうな新入社員が立ち向かう、ってな感じの作品。 ラジー賞と言えばコレ、まさにキング・オブ・ラジーとも言うべき作品なもんで、余程ハジけた作品なんじゃないか、と別の期待をしてしまうのですが、さすがにそこまでの作品じゃあない、かなあ、と。 宇宙人はちゃんとワルそうだし、強そうだし、アタマ悪そうだし、基本は押さえてます。地球人より出番が多いような気がする点は、ちょっと変わってますかね。いや、だいぶ変わってますかね。 この荒唐無稽さを、最後まで貫き通したのは、多少呆れはするものの、痛快でもあります。 ただ、宇宙人がデカいのはいいけれど、それならそれで、もう少しちゃんとデカさを印象づける撮り方って、できなかったもんなんでしょうか。スターウォーズを見れば誰だって、チューバッカ=デカい、という印象を持つと思うのですが、この作品を見終わっても、ああトラボルタでかかったな、という印象は残らない・・・
[インターネット(字幕)] 6点(2022-05-29 20:38:17)
18.  花と嵐とギャング
ギャング、というよりは、チンピラども、が集まって銀行強盗をはたらく前半。何とか大金を強奪するも、その金を持ち逃げされてしまい、後半はその大金の行方を追って、チンピラどもそれぞれが好き勝手に動き始める。 いや、もはや勝手バラバラに行動する様子を描くのが目的で、お金のことなんか、もうどうでもよさそうな。 洒落てるというのか、テキトーというのか。 前半の強盗のシーン、直前にパラパラと雨が降り出す場面がやたらカッコいい。雨はやがて雷雨となり、雷鳴が響く中での強盗。いいねえ。 後半の争奪戦は、緊迫感を孕みつつも、なんとなくユーモラスでもありますが、「緊迫感+ユーモア」の最たるモノは、やはり、「清川虹子の顔」につきますかねえ。コワいけど面白い、ってか。失礼!
[インターネット(邦画)] 6点(2022-05-26 22:26:27)
19.  ハイキック・エンジェルス
というワケで、かつてアクション女優と言えば志穂美悦子さん、でしたが、彼女のいわば「妹たち」、とでも言いますか、いや「娘たち」かな。ま、まさか「孫娘たち」・・・ああ、何ということを。 まあともかく、彼女の後継者とも言うべき素敵なお嬢さんたちが、これでもかと格闘アクションを見せてくれます。なんか、癒やされますねえ。なんででしょうねえ。 ってのはいいんですが、さすがにこれだけ中身がスカスカなのも、ちとツラい。いやストーリーがスカスカなのはまだいいとしても(ダメだけど)、その無いも同然のストーリーを、ただ追いかけるだけ、というのはいささか工夫が無い。小道具なりセットなりに、何か印象に残るものを盛り込めなかったか。もうちょっとハッタリやコケオドシがあってもよくはなかったか。 一部、強すぎるほどの光が画面に採り入れられているのは、そういう表れなのかも知れないけれど、これは単に見苦しいだけ。 青野楓さんはクールな役柄ですが、正直、顔立ちと役柄がマッチしていない印象。と言って、このアクションがデキる女優さんを新たに探してくるのはいささか困難だと思われますので、脚本の方を彼女の雰囲気に合わせて手を加えるのもアリだったかも。それにしても驚異の足の長さ。子安さんとのシバキ合いは、見ごたえあります。 そういえば青野楓さんと宮原華音さんが一緒にジムをされてるとかで、動画をアップされてますねえ。というわけで対決の続きは、Webで。
[インターネット(邦画)] 5点(2022-05-17 22:25:33)
20.  バグド
昨日はドン・ドーラーのそれはそれはヒドい作品を見てしまったので、ちょっと口直しに。 って、それで見るのがコレでは、全然口直しにならないみたいですが、そこはそれ、昔から「トロマをもってトロマを制す」「トロマを喰らわば皿まで」とか言うじゃないですか。トロマムシ三太夫。なんちゃって。 (・・・・・・。) まあ、これも相当に安い、有り体に言えばヒドい、作品なんですけれど、昨日見た作品と違って、ちゃんと映画を感じさせるシーンってのが、あるのです(というか、最初から最後まで何一つ映画を感じさせない、という方が実は驚くべき事なのかも知れないけれど)。 自分の体で人体実験みたいな事をして、体に変調をきたしてしまった博士が、話しをしてるんだけど薄暗くて顔がよく見えない、なんて場面とか。こういうの、ちょっと『ザ・フライ』っぽいじゃないですか。「っぽい」と言っても程度がイロイロありますけどね。 コレ、数十センチに巨大化したコオロギが襲ってくる、というオハナシですが、なにせコオロギと言えば昆虫界最強、とも言われている生物ですからね(?)。だんだん騒ぎが大きくなっていき、最終的には籠城モノへと発展していく過程などは、1970年代あたりのパニック映画の語法。充分、嬉しくなっちゃいます。昆虫のデカさを競うコンテストの前フリがちゃんと物語に活かされてるのが、これまたアホらしくも感心させられたり。 ラストは微妙にヘンな欲を出してヘンな終わり方になっちゃったのが、イマイチ締まらない感じで残念、お陰でここで我に返りましたが(笑)、これでラストをうまく締めてくれてたら、もういくらでも褒め言葉を差し上げたくなっちゃうような作品(ホントに褒めるかどうかはともかく、気持ちの上では)でした。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-05-15 16:16:45)
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