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1.  パッチギ! 《ネタバレ》 
井筒監督がここで描くのは単なる暴力ではなく、あくまでコミュニケーションの一形態としての喧嘩だ。たとえ不毛ではあっても、血気盛んなアンソンたちにとって喧嘩上等はある種の身体言語であり、彼らなりのせいいっぱいの自己表現なのだ。アンソンの弟分チェドキが主人公康介に打ち明けるように、本当はそれが怖かったとしてもだ。だからこの映画が描くアクションは、一つのこらずそんな彼らの「生きる」そのことに直結している。生きるということはつまり、この困難な世界にそれでも頭突き=パッチギをかますべく立ち向かう、そのことにほかならないだろう。時に流血するほど過激にエスカレートする彼らだが、その姿が一方でどこか清々しいのは、解りあえず敵として立ちはだかる憎き相手もしかし自分と等しく生きるべき人間なのだということを、当たり前のこととして野蛮なはずの彼らが知っているからだ。人間はそれでも等しく人間なのだ、と。この映画が終始一貫ひたすらに語ろうとするのは、つまりそれだ。友情を誓いあったチェドキの葬儀の席で「お前は日本人だから」と遺族に糾弾される康介。一人涙にくれ、橋の欄干で大切なギターを叩き割る彼の姿は、朝鮮部落のみすぼらしいあばら家の、チェドキの棺も入らぬ小さなその入り口を、泣きながら懸命に叩き割るアンソンの姿にぴたりと重なる。日本人であることと朝鮮人であることが、同じ大切な友人を失ったこの二人の等しい悲しみすら別次元に分断してしまう現実。それぞれにその厄介な現実にどうしようもなく打ちひしがれる二人は、けれどそれでも同じように傷つき、そして同じように涙をこぼすのだ。そんな中、急速に浮き上がってくるのは、アンソンとの子を身籠る桃子の存在だ。ライオンと豹のあいの子レオポンをしきりに見たがった彼女の出産は、まさにこの物語の軸となる。そうしてイムジン河の「分断」から「融合」としてのレオポンへと、堰を切ったように雪崩込んでいく大団円。それぞれの熱くほとばしる血潮が一つの心臓へと巡っていくように、桃子の腹に宿る生命めがけて、映画はいつしか漲る力強さで確かな鼓動を脈打ちだす。それは日本人だからでも朝鮮人だからでもなく、人間がただ人間として生まれ来る上で等しく奏でる、逞しく尊いその心音だ。井筒はそうして、生きることを、生き抜くことを、つまりはパッチギることを、惜しみなく、ただひたすらに祝福するのだ。
[映画館(邦画)] 9点(2010-03-14 00:45:30)(良:3票)
2.  母なる証明 《ネタバレ》 
『猿の手』という有名なイギリスの小説がある。三つの願いごとを叶える猿の手を譲り受けた夫妻に起こる奇怪な出来事を描いた恐怖譚だ。夫妻は一つ目の願いで猿の手に大金を無心するが、皮肉にも最愛の息子が事故死し、その見舞金を受け取る形で願いが叶う。嘆き悲しむ夫妻が死んだ息子を生き返らせるという悪魔的な願いを二つ目に唱えると、ある晩、だれかが彼らの家のドアをノックする。次第に気違いじみた激しさで叩かれる扉。尋常ではないその気配にも関わらず母は息子の帰宅に喜び勇みドアを開けようとするが、危険を察知した父が咄嗟に三つ目の願い事を唱えるとノックの音がはたと止むという話だ。等しく息子を愛しながらも、違いを見せる母性と父性。母の愛は時に理屈も常軌も逸し、子のためならば悪魔にその魂を売ることすら厭わない。ある意味愚かで、けれどそれゆえにその愛は底無しに深い。『殺人の追憶』で見せた骨太でアクの強い作風はそのままにポン・ジュノが本作で執拗に捉えるのもまた、そんな鬼気迫る母の愛だ。息子トジュンの無実を晴らすため憑かれたように突き進んでいく母。トジュンの友人でありながら協力と引き換えに金銭を要求する信用ならないジンテに、それでも縋るようになけなしの金を握らせる母のその姿は、まるで我が身の肉を削ぎ悪魔に差し出すかのようだ。やがて彼女が対峙するのは『猿の手』に喩えるならばドアの向こう側の見知らぬ邪悪な息子だ。一心に母を求める無垢なノックに為す術なく扉を開くその時、まさに彼女は息子の帰宅と引き換えに悪魔と地獄の契りをかわすのだ。無能な刑事が用意するスケープゴートの如き真犯人が、トジュンと同じく知的障害をもつ青年だという皮肉は、あまりにも痛烈だ。不運な青年には父も、そして彼のため悪魔に魂を売る母も、いない。生贄となる彼のため慟哭するトジュンの母。やりきれないのは彼女の涙が、子をもつ「母」としてのそれでもあるということだ。もはや彼女に出来るのは、記憶を消す鍼を内腿に打つことだけだ。悪夢の荒野で彼女が見せる滑稽で愚かで常軌を逸したダンスはまさに、滑稽で愚かで常軌を逸した、けれど底無しに深い、母性そのものだ。鍼を打ち同世代の「母」たちの気違いじみたダンスに再び加わる彼女は、そうして狂ったように踊り続けるしかないのだ。
[映画館(字幕)] 8点(2009-11-14 23:15:29)(良:3票)
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