1. ミュンヘン
《ネタバレ》 この映画で良かったところは「正義が至るところにあった」ことでした。もちろん神さまも至るところにいて、皆が皆、神の名を口にしています。そして言っているそばから脳天を銃で撃たれます。人の数だけ正義はあることがハッキリ示されているだけでも満足でした。 パレスチナが悪い。いいやユダヤ人も悪い。パレスチナを二枚舌でちらつかせたイギリスのせいだ。アメリカも胡散臭い。それに無関心な人たちも悪い。世の中は悪人だらけ。完全な善人なんているんでしょうか。完全な悪人だって疑問です。世の中や社会が恐ろしいところは、自分たちに不利益をもたらすものを悪として「自分たちは正しい」と言い張るところです。でも、同時に自らの悪にも気付いていて、その感情を内面で押さえつけるために、限りないほど悪を叩き続けます。 他者を批判をすることが自身の肯定へと繋がらないことは、わかり過ぎるほどわかっているのに、それでもなお、どこからか悪を探し出してきては潰し、また潰す。テロの連鎖に終わりが見えないのも、歩み寄りの姿勢や他者の配慮に欠けている結果でしょう。本当に大切なのは悪を見つけて叩くことではなく、お互いの妥協点を見つけるために協議をし続けることです。強引に納得させることでもない、相手のアラを見つけて「やっぱり俺は正しいんだ」と悦に入ることでもないです。 そのような視点がないと、この映画には納得できません。「けっきょくどっちもどっち。両方悪いんでしょ」なんて言ってしまうのは論外。自分が相手だったらどう考え、どう思うのか。相部屋することになってしまった、ユダヤの暗殺部隊とイスラムのテロリスト。ラジオのチャンネルをお互いに切り替えては自分の優位性を示そうとする。劇場で観れば滑稽なこの行動と同じことを、僕らが普段やっていることに、いったい何人の人が気付いているのでしょう。 映画の終盤、チームは私的な復讐を終え、メンバー全員にチームの存在そのものへの疑問符が見られたころ、ミュンヘン事件のテロリストと同じ顔になっています。爆弾を作るメンバーと、自分が狙われていると思い一心不乱に部屋の爆弾を探す主人公、そのコントラストと、終演間際のニューヨーク世界貿易センタービル、それがこの映画そのものかもしれませんね。 [映画館(字幕)] 9点(2006-02-08 22:16:57)(良:2票) |