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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2589
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  メッセージ
人類が、“ただなんとなく”明確な「希望」を見い出せなくなって久しい。 つい昨日も、英国でまたテロ事件が起きた。不安と脅威に怯え、「対話」する勇気を持つことが出来ない愚か者たちによる蛮行が後を絶たない。  時の流れに縛り付けられ、今この瞬間にも訪れるかもしれない得体の知れない恐怖に、全人類は焦り、怯え続けている。このまま希望を見出だせない人類には、進化はなく、必然的に未来も無くなってしまうだろう。  このSF映画は、そんな今この瞬間の人類全体に対しての警鐘と救済を等しく描き出す。  「言語」とは、「思考」の具現化であり、即ち未知なる言語との邂逅と会得は、それまで想像すらもし得なかったまったく新しい思考を繰り広げられるようになるということ。 そしてそれが、人類が長らく縛り付けられていた「時間」という概念を超越する手段になる、という科学的空想。  突然現れた“前後ろ”のない来訪者が、時間の概念が存在しない「円」で表された言語を人類に提示する。 荒唐無稽ではある。 幻想的かつ錯綜的な表現も手伝って、非現実的に美しい映画世界はファンタジーのようにも見える。 だけれども、これは紛れもない“SF”の傑作であると思う。 科学的に説明尽くせることがSFではない。科学的に説明できないことの空想こそがSFであり、その追求こそが「科学」なのだ。  来訪者によって与えられた「武器」=「言語」を、全人類に先駆けて受け取った主人公は、自らの運命とその意味を即座に理解し、受け入れる。 それは、“進化をしていない”人類にとっては、あまりに過酷で、残酷で、受け入れ難い運命かもしれないけれど、彼女を通じて、その進化の意味の一端を理解した我々は、感動的な充足感に呑み込まれる。  ふと、自分自身のことを顧みてみる。 自分の子が生まれて早くも6年の月日が経とうとしている。二人の子に恵まれ、幸福な日々を過ごしていると思う。 ただ、この6年間ずうっと心の片隅で押し黙るように抱え続けてきたことがある。 それは、幸運にもかけがえのない大切な存在を抱えるということは、同時に、それを失ってしまうかもしれないという恐怖を抱えるということでもあるということ。 それは、悲観的だとか、不謹慎だということではなく、必然的な事実であろう。 その恐怖を否定することは、同時に存在する幸福をも否定することであり、決して逃れることはできない。  この映画の主人公が、「言語」を理解したと同時に解したことは、そういう人生における普遍的な真理だ。  大切なものを失ってしまう悲しみよりも、その大切なものに出会えなかったことを想像する方が、何倍も、いや何万倍も悲しい。 SF映画の新たな傑作を目の当たりにして、涙が止まらなかった。
[映画館(字幕)] 10点(2017-05-20 23:01:38)(良:2票)
2.  めぐりあう時間たち
この作品が描き出すテーマは人間にとって物凄く深遠であり、同時に極めて身近なものである。それはすなわち「欲望」、人間として本質的なそれである。多くの人間、いやすべての人間が欲望を消化するために生き、欲望を抑えながら生きている。ほとんどの場合、欲望を抑えて生きている人が多いのが現状かもしれない。この映画で描かれる3人の女性像、彼女たちの生き様は欲望に対する狂おしいまでの自分自身の解放によるものだったと言える。欲望のままに生きることができればどんなに幸福だろうと、多くの人は思う。しかし、欲望に対し自分を解放することは、これほどまでに苦しく、エネルギーが必要だということを今作は訴えかけてくる。時間軸の異なる3人の女性のある一日の人生をひとつの時間枠に捉えることに成功した脚本が見事の一言に尽きる。
10点(2004-01-30 21:50:48)
3.  メリー・ポピンズ
実はミュージカル映画が好きである。 「好きな映画のジャンルは?」と聞かれて、何を置いてもそう答えるわけではないが、ミュージカルシーンを観ていると、自分の想定以上に、高揚していることに気付くことが多い。  その「高揚感」は、遠い昔から自分の中に刷り込まれているような気がする。 人生で初めて観たミュージカル映画が、この「メリー・ポピンズ」だった。そして、それはイコール人生で初めて観た実写映画と言えるのだろうと思う。 幼少時、自宅にあったこの映画がダビングされたVHSを、他のディズニー作品やジブリ作品と同様に、何度も何度も繰り返し観た。  当然ながら小さい頃は、この映画のストーリーの意味なんてまったく分かっていなかったろうと思う。 やんちゃな姉弟の前に現れた不可思議な教育係が、世にも不思議な体験をさせてくれる映画という認識に過ぎなかった。ただひたすらに楽しくて、ワクワクしながら観ていた。もちろん、それで良かったと思う。   そうして自分自身が成長していく過程で、ふいに観たくなり、何度か今作を観返した。 その度に、小さい頃は知らなかった世界観や人間模様を感じ、映画としての面白味がどんどん深まった。  自分の子供の誕生を数ヶ月後に控えたこのタイミングで、再び「メリー・ポピンズ」を観た。 またこれまでには生まれなかった感動を覚えた。  この映画は、メリー・ポピンズの魔法に彩られたファンタジーだけれど、その中心には親と子の普遍的な心のふれあいが存在する。その主軸が、この映画を決して古びさせない要因だと思う。  本当に素晴らしい映画だ。この映画を何度も何度も観られる環境で育ててくれた両親に感謝したい。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2003-10-21 12:20:22)
4.  女神の見えざる手 《ネタバレ》 
“ロビー活動”という政治活動自体に対する認識が、僕自身はもちろん、日本の一般社会においてはまだまだ薄いことは明らかで、その活動を専門的に請け負う“ロイビスト”と称される職業があることもよく知らなかったことは否定できない。 ただだからこそ、そのロイビスト業界と、その中で辣腕をふるう天才ロイビストを主人公にした本作は、とても興味深く、エキサイティングだった。  「勝利」に対して努めて冷徹で、職務に対して極めてソリッドな主人公をジェシカ・チャステインが抜群の存在感で演じている。 冷ややかな美貌を携え、最小限の感情表現しか見せないその佇まいは、この主人公のキャラクター性にまさしく合致しており、見事に役柄に憑依していたと思える。 完全無欠の主人公像ではあったが、彼女が時折垣間見せる僅かな感情や、確実に存在する人間的な脆さや一寸の隙が、とても丁寧に描写されており、ジェシカ・チャステインはその感情の機微も含めて素晴らしい塩梅で演じきっていた。  銃規制法案を巡るキャンペーン活動をストーリーの軸として、現在のアメリカ社会における様々な立場の人間たちの思惑が入り交じるストーリーテリングも、深刻な社会的課題と、個々の人間の本質を浮き彫りにしていく巧い脚本だった。 個人的な見解として銃規制そのものは「正義」だと思うけれど、劇中でも描き出されるように、銃によって“結果的”に守られた安心や命があることも事実として存在している。 アメリカという良くも悪くも多様性が極まる社会環境においては、一つ一つの環境や個人の人生観によって、物事の価値観が180度食い違うことも必然だろう。  そんな難しい社会環境において、では何を「正義」とし、何を「悪」と断ずるべきかということを、本作の主人公は最後の最後、変わらない冷徹な眼差しで真っ直ぐに伝える。  勝利という唯一無二の目的を達成するために、敵も味方も含めて周囲の人間総てに対して「真意」を隠し通す主人公は、多くの疑念や困惑、そして憎しみを生み出していく。 でも、そんな彼女もシーンの端々で、一瞬の人間臭さを見せる。終始冷徹で自信と確信に満ちた目線で周囲の人間と社会そのものを睨みつける主人公だけれど、その一瞬に垣間見せる目線は一転して酷く弱々しく、また優しく見える。 そんな彼女の根幹的な部分に見え隠れする人間らしさこそが、最終的には彼女自身を救った要因だったようにも思えた。   ラスト10分、積み重ねたキャリアを放棄してしまうことよりも、必要な“休暇”のために、自らの“偽証”を本当の奥の手として秘め続けたロイビストの矜持に震える。 そしてストーリー上では何も明示されていないけれど、彼女自身にもこの仕事に人生を捧げる理由や過去が存在していたようにも感じられ、その敢えて描き切らないストーリーテリングの在り方も素晴らしいと思った。  おそらくは1年余の“休暇”を終え、外に出た主人公が目にした相手は誰だったのか。 本作に登場したすべての人物に加えて、描き出されていない人物すらも、その対象として想像できる。 ジェシカ・チャステインの読み取りきれない眼差しによる何とも巧いラストカットにまた震える。
[インターネット(字幕)] 9点(2024-01-07 01:18:40)
5.  夫婦善哉
日曜日の正午、あまりに眠たくて2歳の娘の世話を妻に任せて、居間のソファで居眠り。ふと目が覚めると2時間以上寝てしまっており、ちょうど帰宅した妻に呆れられた。 眠気が治まらぬまま反省しつつ、再び外出する妻をソファに寝転んだまま送り出した後、この映画を観始めた。 この作品における映画体験としては、何ともいいタイミングだったと思う。   お椀二杯で一人前の“夫婦善哉”のように、詰まるところ“良い夫婦”というものは、二人揃ってようやく一人前になるものなのかもしれない。 この映画に登場する“夫婦”の男女は、二人ともどうあっても結局のところ一人では行きていけない。 森繁久彌演じる柳吉は、どこからどう見ても大店のどら息子であり、駄目男ぶりが甚だしい。 淡島千景演じる蝶子も、しっかり者の人気芸者ではあるけれど、最後の最後まで柳吉無しで生きてはいけない駄目女だ。  駄目男と駄目女が連れ添い、愚にもつかないすったもんだを延々と繰り返す映画である。特筆する程のストーリー的な面白味もあるとは言えない。 しかし、この映画が多くの日本人に愛されている映画であろうことは容易に理解できる。  やはり魅力的なのは、駄目男と駄目女の主人公夫婦に他ならない。 つくづく愚かな二人なのだけれども、どうしたって彼らのことを憎めるわけがない。 その理由は明らかで、この二人の姿こそ、世の中のすべての男女が持ち得る愛すべき愚かさだからだ。 どんな男も柳吉のようになろうし、どんな女も蝶子のようになり得る。 この映画を観た多くの人が、「馬鹿」と蔑みつつも、どこかこの二人の“寄り添い”に憧れを抱いてしまうのだと思う。  中盤、何度目か知らないが愛する男が再び自分の元に帰ってきて、女は心から喜ぶ。 お互い軽い悪態をつきあいつつ、女は真っ昼間なのに部屋のカーテンを閉める。 男は勘弁しろよという表情だが、実のところまんざらでもなさそうだ。 森繁久彌、淡島千景、二人の名優の一挙手一投足を含め、このシーンの総てが可愛過ぎる。   さて、僕自身、決して甲斐性があるわけではないので、せめてこの映画の夫婦のように愛らしい二人で居続けたいものだと思う。 「頼りにしてまっせ」を連発しつつ。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-08-25 23:42:24)
6.  メアリー&マックス
数日前、とあるラジオ番組のポッドキャストを聞いていて、このクレイアニメ映画の存在を初めて知った。 今年はアニメ映画自体をあまり観ていなかったので、俄然興味はかき立てられ、早速レンタルした。 そのポッドキャストを聞いていなければ、この映画のパッケージを目にしたとしてもスルーし続けていたことだろう。 自分の人生にとって必要な「情報」は、色んなところに溢れていて、常にそれらを拾っていくためのアンテナを広げていかなければ、人生において大いに損をしてしまう。ということを、この素晴らしい映画を観終わって思った。  ポッドキャストでは少々重いテーマを扱った大人向けのアニメ映画ということだった。 確かに描かれる世界観は時に重苦しく、「人生」を生きるにあたっての様々な“障壁”について深く考えさせられる。 きっと子供が観ても理解出来ない部分は多いだろうと思う。 ただし、分からないなりにも本質的な部分で伝わるものはたぶんあるだろうし、辛辣な世界観ではあるが、ある程度の分別が付き始めた子供であるならば鑑賞し、子供なりの思いを膨らませてもいいのだろうと思った。  きっと世界中のほとんどすべての人間が、この映画の主人公たちと同じようなことで悩み苦しんでいる。 すなわち、自分自身を好きになることができないことによる行き詰まりだ。  その解決に明確な答えなどなく、手段や方向は人間の数だけ無数にあるのだろう。 世界には幸福も不幸もまんべんなくあって、自分に与えられたそれらを他者と比べて、劣等感や優越感に浸っても意味が無い。 ただただ与えられた一本道を歩んでいくしかないし、そうであれば自分自身で自分なりの“よろこび”を見つけていくしかない。  この特徴的なクレイアニメは、そういうことの大切さを辛辣さと可愛らしさを共存させた世界観の中で、雄弁に語ってくれている。  孤独の中でふいに繋がり合ったふたり。年齢と距離を越えて、長い時間の中でひっそりと支え合ったことは、決して偶然が呼んだラッキーなどではなく、ふたりの人間がそれぞれの意思によってしっかりと選びとった宝物のような絆だったのだと、愛くるしいラストシーンに涙を滲ませながら思った。
[DVD(吹替)] 9点(2011-12-01 17:04:33)
7.  メゾン・ド・ヒミコ
ゲイのための老人ホーム“メゾン・ド・ヒミコ”。それはとても、映画で描くにふさわしい素材ではないかと思う。独特の楽天性、普遍的に抱える劣等感や哀しみ、そういうゲイならではの感情が、「老人」という要素の介入によって殊更に、切なく広がってくる。 そしてそのベースの上に、主要キャラクター3人の複雑な人間関係が、巧みに入り混じり、今までにない一風変わった人間ドラマを構築している。 物語の中心である、柴咲コウ、オダギリジョー、田中泯の演技がそれぞれ良く、各々が難しいキャラクターを違和感なく息づかせていると思う。 とりまく空気は、どこまでも淋しげで、哀しいのに、なぜかじんわりと温かくなる映画だ。
[DVD(字幕)] 9点(2006-03-03 03:38:00)
8.  メカニック(2011)
ジェイソン・ステイサムという俳優が、もはや映画史において“クラシック”と化している「アクションスター映画」の主演を張れる現在唯一の存在だということを、今年に入って初めて観た彼の主演作の幾作かを見て認識しなおしている。  ストーリーが薄い大味アクションと揶揄されようが、他の燦然たる名作と比較し蔑まれようが、自分を含め幅広い世代の世界中の男たちが、「そういう映画」を見て映画ファンになった事実は否定出来ないし、やっぱり面白いものは面白い! そういう意味で、この時代だからこそジェイソン・ステイサムという俳優の立ち位置は貴重だし、映画ファンとして嬉しく思う。  そんな彼が毎度のごとくアウトローな一流の殺し屋として登場する今作。 ストーリー展開は当たり前のように強引で、細かいところを見れば粗は尽きないが、そんなことはどうでもいい。これはきっぱり面白いと思う。 流石はあの大味名作アクション映画の代表格である「コン・エアー」を撮ったサイモン・ウエストだなと思った。  超一流の殺し屋が主人公のアクション映画は大量にあるが、まず今作が面白いのはその“殺し方の美学”だ。 ただ単に確実に殺すのではなく、出来る限り誰かに殺されたことすらも分からない方法で殺すという主人公のスタンスが面白い。 綿密な設計図のような計画表を立てて実行する様は、まさに熟練の“メカニック”を彷彿とさせ、殺し屋映画としてのオリジナリティをとても高めている要素だと思う。 まあその優れたオリジナリティの部分が、弟子を迎えてから以降、弟子の荒削り感に同調するようにあからさまに脱線していってしまうのには眉をひそめたが……。  最終的には、殺し屋という職業に付いてまわるであろう本質的な非情さや孤独感などもしっかりと描かれており、アクションというよりも描かれるドラマ自体がとても印象的な作品に仕上がっている。  新時代のアクションスターによるとても面白味があるアクション映画であると思う。
[DVD(字幕)] 8点(2012-02-23 23:57:13)(良:1票)
9.  めがね
「何が自由か、知っている」 このコピーを見た時、まだ作品を観ていないのに、なぜだか「なんてこの映画を捉えた巧いフレーズだろうか」と思った。 「かもめ食堂」の監督が描き出す新しい映画世界が、きっと「自由」というものの本質をさらっと表現しているのだろうということは、かなり容易に想像ができたからだ。  そしてそれは想像通りに、美しく、美味しそうな描写の中で、淡々と何気なく伝えられていた。  「自由」というものを得るために、必要なのは時間を過ごすためのトランクではなく、その本質を見ようとする「意識」だ。 何もしない時間を、楽しむということは、コツがいる。 個人としての自分を、本当の意味で自立させなければ、本当に自由な時間というもを過ごすことはできない。 そしてそれは、大きな勇気と、経験が要る。  おだやかな時間の描写の中で、この映画は、そういう人間として生きていく上での本質的な「強さ」とその意味を伝えてくる。  ストーリー性が無い分、「かごめ食堂」よりも一層に映画としての面白味は、ゆっくりとじわりじわりと染み込むように伝ってくる。  並ぶテーブル、古めかしいかき氷機、当たり前に広がる曇り空、そういう何の変哲もないワンカットごとに、「情感」が溢れるこの映画の価値は、紛れもなく本物だと思う。
[映画館(邦画)] 8点(2007-11-25 14:05:08)
10.  メン・イン・ブラック2
こういう映画にダラダラと長い講釈は必要なく、ただそのノリに身を任せるまま楽しめればそれ以上のことはない。満足☆
8点(2004-01-18 01:54:06)
11.  メメント
まさに確信的なストーリー展開には見事なまでのサスペンスフルで、その難解さに引き込まれっぱなしだった。過剰なまでに狙ったストーリーだけに再度観る面白さはないが、初見でのインパクトが絶大であることは間違いない。ストーリーに見合った映像感覚も秀逸で映画としての完成度は極めて高い。
[映画館(字幕)] 8点(2003-12-21 17:39:55)
12.  めぐり逢えたら 《ネタバレ》 
1990年代から映画をたくさん見始めた年代の者にとって、トム・ハンクスとメグ・ライアンという俳優は「絶対的」な存在であると言って間違いない。 そんな二人のもっとも幸福な共演作こそが、この「めぐり逢えたら」だということは、この映画を観ていようが観ていまいが、映画ファンにとっては常識であろう。  今作の直後、2年連続アカデミー主演男優賞を受賞したトム・ハンクスは、コメディ出身のナンバーワン俳優としての片鱗を存分に見せつける。息子役の子役とのやり取りは“父子もの”として、映画史上に残る絶品だと思う。  ただし、このラブコメ映画において、何よりも素晴らしいのは、やはりメグ・ライアンだ。 90年代、“ラブコメの女王”として、男女問わず世界中の映画ファンと虜にした彼女のキュートさは、その存在感そのものが映画史に残る“宝物”だと思える。  彼女がこの作品で演じる“アニー”というキャラクターは、決して清廉潔白な女性ではない。 あまりに自分本位で、身勝手な愚かな女である。 「なんてクソ女なんだ!」と心の片隅では感じているはずなのに、観客のほとんどは、無意識的にそれを無視して全力で彼女の盲目的な恋の成就を願ってしまっている。 ハリウッドにメグ・ライアン以上の名女優は数多いるが、おそらく彼女以外のどの女優が“アニー”を演じたとしても、これ以上の成功は見込めなかったと思う。  この映画の中で、主演の二人が邂逅するシーンは、たった3つだが、この二人の共演でなければ、この映画の幸福感は導き出されなかっただろう。  振り返れば振り返るほど、なんて自分勝手な映画なんだと思う。 しかし、「恋」とはそもそも自分勝手なものであり、映画くらいはその自分勝手を貫き通した愛すべき人たちの姿を見たいと、世界中の人が思っている。だから、この映画は世界中に愛されている。   P.S.メグ・ライアンに一方的な婚約破棄を言い渡される誠実で可哀想過ぎる男を演じたのは、ビル・プルマン。 彼はこの3年後、アメリカ合衆国大統領としてエイリアンを迎え撃つ。 攻め込んできたエイリアンはいの一番に“あのエンパイア・ステート・ビル”をぶっ壊すので、彼にとってはいささか胸のすく思いだったはずだが、彼はそんな私情をまったく挟まず、自ら戦闘機に乗り込みエイリアンを追っ払う。 「やっぱりあの大統領は信頼できるぜ!」と、映画ファンならではの妄想が加速する。
[インターネット(字幕)] 8点(2003-10-30 17:29:18)
13.  メン・イン・ブラック
1500年前地球は宇宙の中心と考えられていた 500年前まで地球は平ら 15分前まで君は宇宙人を信じていなかった 常識なんて儚いものさ  という台詞は、トミー・リー・ジョーンズが新人エージェントしてウィル・スミスをスカウトするシーンで発せされる。 とても良い台詞で、想定以上にハチャメチャなテンションで描かれたこの映画が、頭のいい人たちによって目論見通りに作られた作品だということが垣間見える。  最新作のパート3を劇場で観たばかりで、おそらく最新作を観た多くの人が同じように思ったことだろうが、第一作目である今作を無性に観たくなり、TSUTAYAを巡り借りてきた。  久しぶりに観ると、この映画が、スピルバーグを筆頭にエンターテイメントとしてのSFの何たるかを熟知している人たちによって、表面的に伝わる娯楽性以上に”しっかり”と作られていることがよく分かった。  主演俳優二人の絶妙なバランスも含め、いろいろな要素がとても絶妙な塩梅で合致した幸福なエンターテイメントだと思う。 
[映画館(字幕)] 8点(2003-10-29 14:14:49)
14.  名探偵ピカチュウ
日曜日の昼下がり、インドア派(出不精とも言う)の小1の息子と映画鑑賞をすることが多くなってきた。 親としては、好奇心旺盛に外に出かけたがってほしいとも思うが、映画ファンとしてはもちろん嬉しい。 外に出るばかりが好奇心旺盛ではなかろうし、アニメや映画を観たがることだって無論立派な「好奇心」だろう。  とはいえ、放っておくとこれまた同じアニメ映画ばかりを観る我が息子(それはそれで悪いことではないけれど)。「スポンジ・ボブ」の映画を知らぬ間に5回以上観ていたのには驚いた。 もう年齢的に実写映画もイケるんじゃないかと思案し、自分自身も未鑑賞だったこのハリウッド版ポケモン映画をチョイス。 現在配信中のTVシリーズも毎週楽しみにしていて、目下ポケモンブーム真っ只中の彼にとっては、丁度いいエンタメ作品なのではないかと思った。実際、良好なハリウッド映画初体験になったのではないかと思う。  自分の子ども時代にも既に「ポケモン」は存在していたけれど、僕自身は全くと言っていい門外漢で、“ピカチュウ”以外のモンスター名も、子どもたちがハマっているのを横目で見ながら最近ようやくその幾つかを認識しだした程度だ。 ただ今作のエンターテイメント映画としてのクオリティーは、正直想像よりもずっと高く、ハリウッドのファミリームービーとして充分に及第点だったと思う。  ちょっと驚くくらいに、フルCGを駆使した映像的クオリティーは高品質だった。そして何と言っても、体毛のモフモフ感がたまらないピカチュウが可愛すぎた。 動物的なアニメキャラクターの実写化って大体失敗するものだけれど、ピカチュウをはじめとする今作のキャラクターたちは、リアル化によって気持ち悪くなることはなく、同時にアニメーション時のキャラクター造形も崩さない極めて絶妙なクリエイトに成功していると思う。  そんな可愛らしいピカチュウが、その風貌に反して“おじさん”の声で話すというアイデアも結果的には中々良かった。 最初に「ライアン・レイノルズがピカチュウを演じる」と聞いたときは、「なんだそりゃ」と一笑に付したけれど、今作のテーマに直結するその設定は、ストーリー的な整合性もあり、娯楽性も高めていたと思える。 今回は6歳児との鑑賞のため必然的に日本語吹き替え版で観たので、ライアン・レイノルズのピカチュウ役は楽しめなかったのだけれど、日本語版の西島秀俊も、殊の外ピカチュウ役を楽しんで演じていて良かった。  さて、次は何を観ようかな。子どもと一緒に観るための映画を考えるのもまた楽し。
[インターネット(吹替)] 7点(2021-07-12 23:19:34)
15.  メン・イン・ブラック3
まず、“パート2”の公開からもう既に10年も経っているということに、色々な意味で唖然としてしまう。 先日、“パート1”がテレビ放映されているのをチラリと見たが、ウィル・スミスもトミー・リー・ジョーンズも当然ながら若い。逆に、久方ぶりに二人揃った今作を見て、両者に対して「老けたな~」と第一声を上げてしまったことは否めない。 特にトミー・リー・ジョーンズはすっかり"爺様”なので、あの年格好で極秘組織の現役エージェントという役所でアクションを繰り広げる様には、さすがに「無理」を感じた。 まあ、そのことを考慮した今回のストーリーテリングだったことは明らかだろう。  それで、今作自体の出来映えが如何なものかと問われれば、充分に「満足」という言葉と使って差し支えない仕上がりだったと思う。 ただしその満足感には、そもそもこの「MIB」というエンターテイメントのファンであるという前提は必要だ。  前二作を観ていなかったり、観ていてもその面白味に浸れなかった人は、観る必要はない。 そう断言してしまって良いのは、もはやこの映画の雰囲気やテンションそれらすべてを包括した世界観自体が、このエンターテイメントが持つ独自の「味」として定着してしまっているからだ。 僕自身、もう15年も前になるらしいが、第一作目の「MIB」を観た時は、想定外に馬鹿げたタイプのテンションに面食らってしまい、正直「面白くなかった」という感想を持っていた。 しかし、その後見返すにつれ、この映画の“味わい方”がじわじわと分かってきた経緯がある。  そういう面を鑑みても、この映画はやっぱり"変わっている”と思うと同時に、卓越したエンターテイメントであるということを改めて思い知った。  これ以上の続編は明らかに蛇足になってしまうので止めた方が良いと思う。 しかし、今作については、大いに強引で大雑把ではあるけれど、主人公二人の関係性を時空を超えた宇宙意思をもって強固に繋ぎ止めたという意味で、ファンにとっては想定外に感慨深い作品に仕上がっている。  10年ぶりの“パート3”により、この娯楽映画の「味」は改めて明確に定義づけられたように思う。  P.S.無類の「タイムパラドックス映画」好きにとっては、この顛末を見せられては、問答無用に「降参」するしかない。
[映画館(字幕)] 7点(2012-05-30 00:00:19)(良:2票)
16.  名探偵ポワロ 死との約束<TVM>
遺跡発掘現場にて会した“訳ありの一族”。周囲から忌み嫌われる夫人が殺される。 アガサ・クリスティの原作のみならず、もはやミステリーそのものの大定番の舞台設定の中で、物語は展開していく。  はっきり言うと、用意された「真相」も、“定番”であることは否定できない。 並のミステリーであれば、“オチ”の正体を薄々感じさせるストーリーなど、退屈過ぎ馬鹿らしくて追っていられない。 ただこれがアガサ・クリスティの「名探偵ポワロ」である以上、“退屈”なんてものは存在しない。  何となく真相は見えつつも、デヴィッド・スーシェ扮するポワロの推理劇に身を任せることを厭わない。予定調和の中に身を置くことに、むしろ心地良ささえ感じる。  砂漠の灼熱の中で突如発生した謎が、陽炎のように大きく膨らみ、名探偵により束の間の実体を見せ、去っていく。 アガサ・クリスティらしい叙情的なミステリーに、安心して没頭させられる。   P.S.「ハムナムトラ」シリーズのジョン・ハナーが出演しており、明らかに「砂漠の遺跡発掘現場」という舞台設定を意識したキャスティングにほくそ笑んだ。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-09-21 13:28:21)
17.  名探偵ポワロ 第三の女<TVM>
「第三の女」と聞くと、いかにも謎に満ちあふれた女の存在をイメージしてしまうが、実際に描かれる設定は、ルームシェアをする若い女性たちの中の”3番目”の女に、同じアパートに住む老婆の殺人疑惑が生じるというもの。  ミステリーのとっかかりはとてもミニマムだ。しかし、名探偵エルキュール・ポワロが事件に絡み合う人間模様を追求していくにつれ、過去のトラウマ、莫大な遺産相続と人間の隠された思惑が拡大していき、「真相」が謎の中に入り込んでいく。  このところ3作品連続して英国のテレビ映画シリーズ版“ポワロ”を観ているが、やっぱりとにもかくにも、デヴィッド・スーシェのポワロぶりが抜群だ。  デヴィッド・スーシェが演じるポワロの存在感が凄いのは、事件を解き明かしていく様、事件を解き明かした後の様に、何とも言えない愁いを携えているところだと思う。 物語においてメインに描かれるのはもちろん「事件」だが、決してそれに映画全体が支配されるわけではなく、要所を主人公である名探偵がしっかりと押さえている。それを成しているのが、デヴィッド・スーシェの存在感だと思う。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-09-16 12:21:16)(良:1票)
18.  めまい(1958)
往年のサスペンス映画やスリラー映画は、どんなに名作であっても総じて“テンポの悪さ”を感じてしまう。 最新作品の展開の早さやそれに伴う“衝撃性”が、そういった過去の名作を礎にして生まれていることを考えれば、一概に否定することはもちろん出来ない。けれど、率直に楽しむことが出来ないことも否めない。  アルフレッド・ヒッチコックの「名作」の誉れ高い映画も何作品か観てきたが、そういった印象はやはりあり、今作についても同様にシンプルなカタルシスは得られなかった。 しかし、流石は映画史に残る巨星の作品である。一度観れば終わりという単純な衝撃性に頼らない、映画作品としての深みを併せ持っている。  高所恐怖症により職務中に同僚を死なせてしまった元刑事が、学生時代の知人から彼の妻の監視を依頼されることから、ストーリーは展開していく。  「めまい」というタイトルが暗示する通りに、映画全体が主人公の主観的な歪みや屈折によって捉えられ、その巧みな展開力が観客をスリリングな映画世界へ引きずり込んでいく。 他のヒッチコック作品とくらべると、幾分かストーリー自体が入り組んでいて、結末も含めて非常に特異な映画なのだと思う。  ラストの顛末はあっけにとられてしまったが、よくよく振り返り、結局どこまでが現実で、どこからが主人公が陥った妄想なのかということを考えていくと、未だ見えていないこの映画の持つ本質が見え隠れしてきた。  また観直す機会があれば、新たな心象を得られるだろうと思う。そう思わせることが、良い映画監督の良い映画ということなのだろうと思う。   P.S.この時代の映画としては尺が長くて、展開が遅い分殊更に長く感じてしまった。あと主演のジェームズ・スチュアートが、あまり格好良くないというか、主人公のキャラクター性に対して、少々愚鈍で老け過ぎている印象を持った。その点が、主人公に対して感情移入できなかった要因とも言える。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-05-06 16:08:54)(良:1票)
19.  メジャーリーグ2
前作の二番煎じという感は拭えないけど、新しいキャラクターによりコメディ要素は上がっていて、観ていて楽しいことに変わりはない。
7点(2003-09-29 11:29:43)
20.  メジャーリーグ
こういう映画はいかに観客を盛り上げれるかが重要である。その点で今作は秀でている。細かく丁寧に描かれた映画ではないけど、観る者の高揚感を高めるツボをおさえているから観ていて楽しいし、細かいところは気にならない。先日、邦画の「ミスタールーキー」を観たけど、そのツボをおさえていないから粗が目立って仕方なかった。
7点(2003-09-29 11:26:06)
0160.62%
1592.28%
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41716.60%
52439.39%
637114.33%
752620.32%
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