2. 若草の頃
実在した家族をモデルにしただけあって、各キャラクターが立ちまくってます。「こいつは主人公の魅力を引き立てるための将棋の駒だな」というキャラクターなどほとんどいません。若草物語に父親(これがまたいい役者さんなんだ)をプラスさせたとでもいうべき家族描写の微笑ましさが素晴らしい。当時7歳のマーガレット・オブライエンが、スープをサジですくっては「あぐ!」すくっては「あぐ!」とやるシーンは一撃必殺の可愛らしさです^^ 基本のドラマパートがこれだけしっかりしているので、ミュージカルがそれほど好きではないよという方がご覧になっても、十分に楽しめると思います。 路面電車のシーンがこの時代にしては恐ろしく画期的。というのもミュージカルと言うのは普通は「主人公が突然歌いだすことにより、一時的に周りの世界を置き去りにする」ものですが、ここでは全く逆に周りのみんなが歌いだす事により、主人公の方が(精神的な)置いてきぼりを食らう。一人寂しく螺旋階段(おろおろ感を出すミザンセヌ)を登る主人公。…と、彼氏が走ってくる!次の瞬間「ハイ、ここからは私が場の支配者よ」とばかりにサッと歌いだすジュディ。同時にまたサッと周りがジュディを祝福する側に切り替わる。このセンスが本当に素晴らしい。 2017.10.24 パーティーが終わった後、薄暗がりの中でジュディが隣人ボーイに唄いかける瞬間は凄まじく心地良いのだがそれもそのはず、ここでのミュージカルへの入り方は全ミュージカル史上でもトップレベルの入り方になっている。あの瞬間、男の方が女に観惚れている感じだが、しかしそのたったの数分前までは立場は逆だったのだ。パーティーが終わった直後の時点では明らかに女の方が一方的に男に夢中なだけであり、男の方はそれほどでも無さ気である。しかしここから長回し&照明が絶妙なコンビネーションを見せる。両者の間に漂う‟恋の制空権”が徐々にシフトしていくのだ。ある何らかの瞬間をきっかけにとかではなく徐々にという所がミソ。女が男に「照明を消すのを手伝って」と頼む。隣人ボーイはそれを快諾して照明を一つ一つ消していくのだが、この時の照明が本当に上手い。一気にではなく少~しずつ少~しずつ暗くなっていく。この家はジュディの家であり隣人ボーイにとっては敵地なのだからして、場の空気がボーイにとっては徐々に心細くなっていく。同時に両者の距離感が徐々に縮まっていく。さらに奥の手というか、他人の家の照明に不慣れなボーイが時々線の捻り位置を戸惑うのを女が教えて‟あげる”のである。このような過程を得て恋の制空権が本当にちょび~っとずつ男方から女方へとシフトしていく。ここでさらに第二の奥の手、階段の高低差を使った演出がズバッとハマる。女が男を見下ろし男は女を見上げる。この時点で観ている我々の立場としては「あ、これはもう恋の制空権が男側から女側へとガタ~ンと傾いたと思っていいんだよね? いいんだよね?」みたいな微妙な感じになっている。なにしろ恋の制空権のシフトのちょび~っとずつ具合があまりに上手すぎるために「ここらでぼちぼちはっきりした‟一押し”が欲しいなあ」という感じになっているわけだ。そのまさに「今だ!」というときにジュディが歌い始まるのである。「今の君の素晴らしさを何と表現しようか、え~と…」みたいな感じになっている男に対して女が「はいはい、しょうがないわね、あんたの言いたいことはこうでしょ」という感じで歌って‟あげる”のである。もうお分かりだろう。そう。このミュージカルの入り方というのは「はい、みなさん、お待たせしました~!もうここを持ってはっきりと恋の制空権が男側から女側へとシフトしたと思っていただいて結構ですよ~」という製作者からの我々への公認のGOサインを兼ねた入り方になっているのだ。そしてそれが「そうだと思いたいなあ」という状態でいる我々の願望をこの上なく心地良いタイミングで後押ししてくれるものなのでこれ程までの心地良さを感じることが出来るのだ。本当にセンスの良い入り方とはこういう入り方の事を言うのである。しかし本当に長回しの効果が絶大なシーンだ。実は私は世に存在する長回しシーンのまず8割方は嫌いなのだ。「なんちゅう芸の無い使い方じゃ。長回しが元々持っている特性をただそのまま使ったっていうだけやんけ。ある意味、『ほら見てください!星形のプリン型を使ってプリンを作ったらなんと!星形のプリンが出来ちゃいましたよ~!』とか言っとるようなものやんけ…」と呆れるものが多いし、眠たくなってくるものも多い。しかしここのシーンは別格である。 後半(秋パート)のミュージカルシーンで階段を上手く使って家族全体の沸点が徐々に下がっていく様子を表現したシーンも秀逸。この映画はミュージカルの見本ですな。 [DVD(字幕)] 9点(2013-12-14 12:22:15)(良:1票) |