1. ゴジラ(1954)
《ネタバレ》 「ゴジラ」(1954年)とは、芹沢大助という人間の物語である。 ……というのが自分の持論だったのですが、此度再鑑賞してみても、やはりその持論は揺らぐ事が無かったです。 そもそも本作のストーリーラインって、剽窃や盗作と言って良いぐらいに「原子怪獣現わる」(1953年)そのままだったりする訳ですが、そんな中で最も独自性を感じさせるのが芹沢大助の存在なんですよね。 一応は主人公と呼べるはずの尾形秀人の影が薄いというか、出番が少ない事も、そう感じさせる一因。 自分としては「芹沢が主人公であり、尾形は主人公の最期を看取ってくれる存在」と、そう考えてしまうくらいに、芹沢博士のキャラクターは魅力的だったと思います。 とはいえ、そんな「隻眼の天才科学者」に魅了されるだけの映画って訳ではなく「芹沢博士が登場していない場面」あるいは「ゴジラが登場していない場面」も、しっかり面白い辺りが、本作が傑作たる所以ですよね。 後者に関しては特に重要であり「怪獣が出てこない場面でも面白い怪獣映画」と感じさせるのって、本当に凄い事なんじゃないでしょうか。 世に怪獣映画は数あれど、その大半は「怪獣が出てくる場面は力が入っていて面白いけど、出てこない場面は退屈」って品だったりしますからね。 本作に関してはゴジラを「原爆の象徴」「戦争の恐怖を思い出させる存在」として描いたのが大正解であり「ゴジラに怯える人々」や「何とかしてゴジラに対処しようとする人々」を描いた人間パートも抜群に面白いというのが、怪獣映画の歴史の中でも画期的な部分だったように思えます。 空襲の記憶が鮮明な時期に撮影された影響ゆえに、逃げ惑う人々の演技にリアリティが有るって点も「怪獣」という突飛な存在に実在感を与えているし、ゴジラの襲来によって「井戸が使えなくなる」という描写にも、恐ろしさを感じましたね。 後々のゴジラ映画とは異なり、ゴジラの熱線が「熱い」というより「冷たい」印象を受ける音であった点も、非常に印象深いです。 その他、ゴジラの存在を公表すべきと主張する「強い女性」的なキャラクターが登場しているのも興味深いとか、劇中に「美女とゴジラ」という看板があるのは、キングコングへのオマージュな気がするとか、語りたい事柄は沢山有るのですが…… やっぱり、この映画の一番の語り所と言えばもう、芹沢博士の最期を措いて他に無いです。 別れ際、かつての婚約者と、その恋人に掛ける「幸福に暮らせよ」という台詞も悲しいし、単なる自己犠牲の美しさだけでなく「芹沢博士は、人間を信じられなかった。だから禁断の新兵器もろとも自分も死ぬ道を選んだ」という哀愁も描いているのが、たまらないんですよね。 彼はゴジラに勝利した英雄であると同時に、人類に絶望して自殺した敗北者でもある。 この構図は実に悲劇的だし、それほどに人間を信じられなかった彼が、それでも愛していた女性と、その恋人に対しては「幸福に暮らして欲しい」と願って死んでいった事にも、切なさを感じます。 ゴジラを倒した後、マスコミが嬉しそうに伝える「この感激、この喜び、ついに勝ちました!」「若い世紀の科学者、芹沢博士は遂に勝ったのであります」という言葉に、なんと空しい勝利なんだと思える辺りも、皮肉な味わいが有って好きですね。 ゴジラの保護を訴えていた山根先生が「もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかに……」と教訓的な台詞を吐き、敬礼で終わるラストシーンも、勿論良いんだけど…… 自分としては、マスコミの白々しい「勝利宣言」に合わせる形で、人々が敬礼を行う場面で終わっていたとしても、それはそれで名作に仕上がっていたんじゃないかって、そんな風に思えました。 [インターネット(邦画)] 9点(2024-11-13 15:00:17)(良:2票) |
2. ゴジラ-1.0
《ネタバレ》 ゴジラ映画の最高傑作。 ……なんて言い出すと、ほんの一年前の自分に「最高傑作は初代に決まってるだろ」とツッコまれそうなんですが、本当にそう評したくなるような逸品だったんだから、参っちゃいますね。 まずは何を置いても、主人公の敷島浩一というキャラクターが素晴らしい。 基本的に自分は「悲劇に酔ってる」って感じの主人公は苦手なんですが、本作の敷島は「悲劇に溺れてる」人物であり、その溺れ方が圧巻で、観ていて惹き付けられてしまうんです。 どんなに自分が不幸であっても、赤ん坊を預けられたら見捨てられないという善性の描写も丁寧であり、自然と感情移入出来る。 本当にベタですが「どうか幸せになって欲しい」と、心から応援したくなる存在でした。 思えば初代ゴジラが芹沢大助という人間の物語であったように、本作は敷島浩一という人間の物語だった訳で、その辺りの「初代ゴジラを徹底的に研究し、魅力を理解した上で、それを越えるような映画を撮ってみせた」って事も、観ていて心地良かったです。 特に、有名な「ゴジラのテーマ」の使い方が初代と同じであり「ゴジラに立ち向かう人類の曲」として流れる演出なんて、もう最高。 山崎貴は天才というだけでなく「ゴジラを愛してる人」なんだと、そう確信させられました。 脇役陣も魅力的であり、自分としては「隣のおばさん」こと澄子さんが、特にお気に入り。 憎んでたはずの敷島に「とっときの白米」を渡してやる場面も良かったし「あの子に重湯作るのに使いな」という台詞が、終盤で敷島が澄子さんに託す手紙にて「明子のために使って下さい」と大金を同封してる場面に繋がる脚本も、素晴らしいの一言。 幼子を救うという善意が、大人達の心を優しく繋いでみせたという流れ、本当に大好きです。 戦えなかった兵器の代表格である震電に、戦わなかった兵士の敷島が乗る展開も熱いし、敷島が死なせた兵士達の写真束の中に、明子に似た娘を抱いてる兵士の写真があるという(そこまでやるか……)って描写も、本作の面白さを高めていますね。 整備士の橘さんが足を引き摺る仕草を印象的に描いておき、彼が再登場する場面で「足を引き摺って歩く男の足元」を映すカメラワークになって、顔を見せるより先に(橘さんだ!)と観客に覚らせる辺りも、実に良い。 終盤で敷島が特攻死せずに生き延びたと知った時の橘さんの表情も、印象深いです。 「本当は生きたいと願ってた奴の命を救う」という形で、宿願を果たせた訳だし、憎かった敷島の命を救う事で、橘さんの戦争もようやく終わったんだなと感じられる、忘れ難い名場面でした。 一応、欠点らしき部分も挙げておくと「ヒロインである典子の黒い痣」や「最後にゴジラが再生していく場面」など、せっかくのハッピーエンドに影を残す終わり方をした点が挙げられそうですが…… 「黒い痣」に関しては、ゴジラが原爆の象徴である以上「たとえ生き残ったとしても、重い影を背負って生きなければいけない」と示す為に必要だった気もするし、初代より前の時間軸の話である以上、この映画世界にも芹沢博士が存在して、復活したゴジラと相対し「ゴジラを殺せるのは、オキシジェン・デストロイヤーだけである」と証明してみせたのではないかとも考えられるしで、決定的な瑕とは思えませんでしたね。 他にも、小説版にて文章で描かれた「震電から眺める家の一つ一つに、明子がいて、典子がいて、敷島がいて、日々の暮らしを営んでいる」「これをゴジラに破壊させる訳にはいけない」と敷島が決意を新たにする場面を、台詞に頼らず映像だけで描いてるのが凄いとか「録音した声をゴジラの同族の声と思わせて呼び寄せる作戦」は、ゴジラの元ネタである「原子怪獣現わる」(1953年)の更なる元ネタの「霧笛」(1951年)を彷彿とさせるとか、本当、この映画について語ると、止まらなくなっちゃいますね。 邦画でありながらアカデミー受賞作であり、作品賞や脚本賞を取っても驚かないくらいの出来栄えだったのですが、本作が受賞したのは「視覚効果賞」であったというのも、味わい深いものがあります。 それは怪獣映画にとって、最高の勲章。 逃げ惑う人々を踏み潰し、家屋も容赦無く破壊するゴジラの存在感が、圧倒的でしたからね。 人を殺すのも、家を壊すのも、それを実際に見せるのは大変だからって「見せずに想像させる」演出に逃げがちな部分を、全力で描いてみせた作り手の姿勢が、本当に素晴らしかったです。 「いるはずのない怪獣が、スクリーンの中に確かに存在してると感じさせる」という意味合いにおいて、本作は最高のゴジラ映画である以上に「最高の怪獣映画」なのだと、強く思えました。 [映画館(邦画)] 10点(2024-06-03 23:49:22)(良:6票) |
3. 映画ドラえもん のび太の地球交響楽
《ネタバレ》 音楽を嫌いだった少年が、音楽を好きになるまでを描いた映画。 「冒険」を主題にしたドラ映画が多かった中、本作では「音楽」が主題になっているという、それだけでも斬新さを感じますね。 映画の強みとは映像だけでなく、音にもあるのだと実感させられたし、漫画という媒体の原作では生み出せない「映画ドラえもん」ならではの魅力を生み出す事にも成功してるのだから、大いに感動。 実にシリーズ18作目(スタドラを含めたら20作目、旧アニメ版も含めたら40作以上)でありながら、未開拓の分野に切り込んでみせた作り手の発想力と冒険心に、熱い拍手を送りたいです。 そんな本作で一番心に残ったのは、クライマックスの場面。 地球上の音楽全てを結集させて敵を打ち払うという、とても盛り上がる場面なのですが、そんな中で、さり気無く「戦場でハーモニカを吹く兵士」という一コマを挟んでいるんですよね。 恐らくは傷付いた戦友の為、束の間の安らぎを与えてるという、その姿を刹那的に描く演出には、本当にグッと来ちゃいました。 主人公であるのび太達は、平和な日本で暮らしているけど、地球には戦争をしている人達もいる。 そして、そんな場所でも人々は音楽を奏でているという、正に「地球交響楽」を体現した場面であり、文句無しで素晴らしかったです。 序盤にて、のび太が風呂場で笛の練習していたお陰で地球が救われたとか、脚本の伏線回収も鮮やかだったし、ゲストキャラクターも魅力的。 ロボットの語源になったというカレル・チャペックから拝借して、ゲストロボを「チャペック」と名付けるセンスにも、ニヤリとさせられましたね。 幼女のミッカちゃんも可愛らしく「のほほんメガネ」と呼んで小馬鹿にしていた相手を、最後の最後に「のび太お兄ちゃん」と呼ぶツンデレ表現なんかも、幼い女の子ならではの魅力があって、良かったです。 主人公のび太と同世代の女の子ではない、妹のような幼女だからこその可愛さが、上手く描けていたと思います。 そんなミッカちゃんとの別れの場面を直接描かず、エンディングの一枚絵でのび太に抱き着く姿や、皆から貰ったプレゼントを部屋に飾ってる描写などで、断片的に伝えて想像力を刺激する形になっているのも、非常に御洒落。 今井監督って「新恐竜」でもピー助との二度目の別れをさり気無く描いてみせていたし、こういった「さり気無い描き方で、大きな感動を生み出す」という手法が、本当に上手いですよね。 「十八番」や「職人芸」と言って良い領域に達してると思います。 「中盤でジャイスネ主役になる場面は、ちょっと浮いてるし、観ていてダレる」「ゲストキャラも多過ぎるし、個々に見せ場を与えようとして散漫になっているので、ミッカちゃんとチャペックの二人に焦点を絞っても良かったのでは?」等々、不満点も有るには有るんですが…… 主題歌も大好きなVaundyだし、映画にも合ってる曲だったしで、満足度の方が高かったですね。 そうして、最後の「おまけ映像」には、心から興奮。 満を持しての寺本監督復帰作で「新・夢幻三剣士」の可能性が高いだなんて、期待するなという方が無理な話です。 また一年後に、スクリーンでドラ映画を満喫出来る。 そんな幸せを噛み締めながら、劇場を後にする帰り道まで、楽しく過ごせた一本でした。 [映画館(邦画)] 8点(2024-03-01 21:29:24)(良:1票) |
4. グリーンブック
《ネタバレ》 ピーター・ファレリー監督が、こんな真面目な映画を撮ったのかぁ……と、その事に吃驚。 「白人」「黒人」「差別」といった属性を備えた品なんだけど、単純に「白人が黒人を救う物語」って訳でもないのが面白いですね。 主人公のトニーは白人だけどイタリア系であり、劇中にて「イタ公」と差別される側でもあるんです。 そもそも黒人のドクはトニーの雇い主であり、困窮してたトニーを雇って救ってあげた側という大前提があるんだから、非常にバランスが良い。 史実では単なる雇用関係に過ぎなかった二人を、無二の親友になったかのように描く事への批判もあるようですが…… 映画の観客に過ぎない自分としては、この両者のキャラ設定は絶妙だったと思います。 その他にも「二人が旅立つまでが長い」とか「ドクが同性愛者であるという要素は、あまり活かせてない」とか、欠点らしき物も幾つか思い浮かぶんだけど「主人公であるトニーの境遇を説明する為には、止むを得ない」「実話ネタなんだから、同性愛者と示しておく必要があった」と、ちゃんと疑問に対する答えは見つかる為、さほど気になりませんでしたね。 むしろ、他のファレリー監督作の映画と比べても欠点は少ない方だと思うし、非常に出来の良い、優等生的な映画だと感じました。 そんな本作の中でも特に好きなのは、トニーが初めてドクのピアノ演奏を聴いて、虜になる場面。 実際に演奏が見事だったから、観客の自分としてもトニーの感動とシンクロ出来たし、その後すぐドク当人に「感動したよ」って伝えたりする訳ではなく、家族への手紙で「ドクは天才だ」と絶賛してるという、その遠回しな表現が、また心地良いんですよね。 そういった積み重ねがあるからこそ、本人に直接「アンタのピアノは凄ぇんだよ、アンタにしか弾けない」とトニーが訴える場面も、より感動的に響くという形。 他にも、コンサートスタッフに「クロなら、どんなピアノでも弾ける」と言われ、トニーが激昂する場面。 運転中、二人で音楽談義する場面。 ドクが初めてフライドチキンを食べて、二人で笑顔になる場面も素晴らしいし、二人が親友になるまでが、非常に丁寧に、説得力を持って描かれていたと思います。 脚本や演出の上手さという意味では「拳銃」の使い方も、本当に見事。 「銃を持ってるというハッタリ」の伏線が「本当に銃を持ってる」という形で回収される鮮やかさときたら、もう脱帽するしかないです。 この拳銃の発砲シーンって「酒場で札束を見せたがゆえに、ドクが殺されてしまうバッドエンド」を予感させておき、そんな悲劇を銃声で吹き飛ばす形にもなってるのが、実に痛快なんですよね。 ともすれば一方的な「黒人って可哀想」映画になりかねない中で、ドクを襲おうとした黒人達って場面を挟む事により「黒人は常に被害者という訳ではなく、加害者とも成り得る」と示す効果まであるんだから、二重三重に意味のある、忘れ難い名場面です。 それはその後の、親切な警官に助けてもらう場面も、また然り。 「南部にも良い人はいる」「警官にも良い人はいる」という、当たり前の事を当たり前に描いてくれる配慮が、本作を万人が楽しめる傑作たらしめていると感じました。 本来ドクにとっては屈辱なはずの「黒人が白人の為に車を運転する」という行いで、トニーを助けてあげる終盤の展開も良かったし…… 最後に、トニーの妻には「手紙」の秘密がバレていたと示す終わり方も、非常に御洒落でしたね。 それまで出番は少なめだった「トニーの妻」というキャラクターが「素敵な手紙をありがとう」という一言により、一気に魅力的になったんだから凄い。 良質な脚本と、良質な演出を味わえる好例として、映画好きな人だけでなく、映画作りをする人達にも、是非観て欲しいって思えるような…… そんな、素敵な一本でありました。 [ブルーレイ(吹替)] 8点(2024-02-17 13:21:33)(良:4票) |
5. あなたが寝てる間に・・・
《ネタバレ》 家族を求めていた主人公が、家族を得るまでを描いた物語。 その点、あまりラブコメらしくないというか…… 「恋人を求め、恋人を得るまでを描いた」という普通のラブコメ映画とは、一線を画すものがありますね。 何せ彼氏役のジャックが登場するのが、本編開始後30分くらいになってからというんだから、徹底しています。 最後のプロポーズ場面でも、ジャック単独ではなく家族同伴で行ってるくらいだし、本作のハッピーエンドとは「素敵な恋人が出来た事」ではなく「素敵な家族が出来た事」なのだと伝わってきました。 そんな本作の特長としては、やはり主演のサンドラ・ブロックの魅力が挙げられると思います。 冷静に考えたら、こんな美女が「恋人のいない孤独な女性」を演じるって、かなり無理があるはずなのに、映画を観てる間はそう感じさせないんだから凄い。 シカゴの地下鉄で改札嬢として働き、毎朝見かける客に恋してるって設定なのですが、その姿が本当に健気で、応援したくなっちゃうんですよね。 憧れの彼に「メリークリスマス」と言ってもらえたのに、上手い返事が出来ずに落ち込んじゃう様なんてもう、実にキュート。 主人公のルーシーが嘘を吐き、ジャックの家族を騙してる形なのに、全然「嫌な女」とは思えなかったし、無理のある設定を主演女優の魅力で補ってみせているんだから、本当に見事でした。 脚本も中々凝っており、特に大家の息子のジョーは良いキャラしてたというか、物語の中での使い方が上手かった気がしますね。 彼が得意気に「ルーシーと付き合ってる」と言い出した時、観客としては(なんて図々しい)と感じるんだけど、良く考えたらルーシーも同じような嘘を吐いてるんだと気が付かせる形になってるんです。 だからこそ、終盤で罪悪感ゆえにルーシーが結婚式を破綻させちゃう流れにも、自然と納得出来ちゃう。 ある意味、ルーシーには一番お似合いというか、似た者同士な二人であり、終盤で二人がハグを交わし「良い友達」という関係性に収まるオチには、ほのぼのさせられました。 難点としては……駅でピーターを突き落とした二人がどうなったのか、謎のままなのでスッキリしない事。 そして「寝てる間に婚約者が出来て、それを弟に奪われた」って形になるピーターが哀れで、ハッピーエンドに影を落としている事が挙げられそうですね。 優しい作風の品なのだから、最後も「主人公は幸せになりました」というだけでなく「皆が幸せになりました」という形の方が似合ったんじゃないかなって、そんな風に思えました。 [DVD(吹替)] 6点(2023-12-26 02:32:31)(良:2票) |
6. メリーに首ったけ
《ネタバレ》 破天荒なラブコメ作品。 この頃のファレリー兄弟作が好きな人にとっては、後の作品は「良い子ぶってる」と思えるだろうし「これぞファレリー兄弟の真骨頂」と本作を賛美する人の気持ちも、分かるような気はしますが…… 自分としては「後の飛躍を感じさせる、粗削りな初期作品」って印象でしたね。 決して嫌いではないけど、完成度は低かった気がします。 主人公のテッドが小説家志望とか、冒頭に出てきたルイーズの存在とか、色んな設定やキャラを活かしきれていない気がするし、あれもこれもと面白そうな要素を詰め込んだ結果、粗が目立つ形になってるのが、良くも悪くもアマチュア的。 序盤の「ナニをチャックに挟んでしまった」展開も痛々し過ぎて笑えないし、最後の終わり方も唐突過ぎて(雑だなぁ)と感じちゃいます。 自分は本作を何度か観返してるんだけど、その度に序盤で(うわ、痛そう)と引いちゃうし、最後には(すっごい雑な終わり方)と呆れてるんだから、これはもう筋金入りというか、この二点に関してだけは、とことん自分に合わないポイントなんでしょうね。 でもまぁ、やっぱり嫌いじゃないというか……むしろ好きな映画なんです、これ。 そもそも監督がファレリー兄弟で、主演がキャメロン・ディアスとベン・スティラーという自分好みな布陣なんだから、嫌いになれという方が無理な話。 メリーに言い寄る男共を多数用意して、群像劇として描いてるにも関わらず、主人公のテッド以外が酷い奴揃いで「誰がメリーと結ばれるか」みたいなドキドキ感が無い(ブレット・ファーヴは例外的に聖人として描かれてるけど、実在人物である彼がメリーと結ばれるはず無いと観客は分かっちゃう)辺りとか、映画としては致命的な欠点だと思うけど…… ベン・スティラーという名優がテッドを演じ(こいつとメリーが結ばれなきゃ駄目だ)と思わせてくれるお陰で、その辺も気にならなかったです。 あと、一番大事なポイントとして「作中で色んな男に言い寄られるくらいに、メリーは良い女である」って事に、しっかり説得力があったのも素晴らしいですね。 これはもう脚本とか演出以上に、キャメロン・ディアスという存在ありきの、力業みたいなもんだと思います。 「ヘアジェル」で髪が逆立ったメリーの姿を、下品にし過ぎず、可哀想にもし過ぎずに(この子、可愛いな)と笑える形で演じられるのって、彼女だけじゃなかろうかって思えたくらい。 それから、本作って下品なギャグが目立つけど、実は凄く道徳的な話でもあると思うんですよね。 メリーの弟のウォーレンに関しても、知的障碍者である以上、映画としては「天使のように良い子」として描かれるのがお約束なのに、本作では全然そんな事無いんです。 テッドの顔に釣り針を引っかけても「僕じゃない、テッドが悪いんだ」と言ったりして、むしろ嫌な奴というか、悪い子として描いてる。 でも、最終的にはテッドに心を開いて、耳に触れられても怒らない場面を見せたりして、可愛いとこあるじゃないかって思わせたりもする。 つまり「基本的には悪い子だけど、それなりに可愛気もある」という、非常にリアルなバランスなんですね。 その辺り「障碍者だからといって、特別扱いはしない」「障碍者は皆して善人だなんて、そんなの馬鹿げてる」っていう作り手のスタンスが窺えて、自分としては好ましく思えました。 誠実なテッドがメリーと結ばれ、嘘ついて彼女に言い寄ってたパット達は振られちゃうのも、如何にも道徳的というか、童話的。 「好きな映画が一緒」って事に浪漫を感じる身としては、本当は好きな映画でもないのに騙してメリーに言い寄るパットって場面が一番抵抗あったし、その後の顛末にも大満足。 やっぱり、映画オタクとしては、映画の好き嫌いでは嘘ついて欲しくないです。 最後は人が撃たれて、悲劇的な幕切れのはずなのに、エンドロールでは皆で唄って賑やかに終わるのも、何だかアンバランスな魅力があって良い。 ファレリー兄弟の映画って、観た後は大体明るく楽しい気持ちになれるんだけど…… それは本作に関しても、例外ではなかったです。 [ブルーレイ(吹替)] 6点(2023-12-20 10:49:39)(良:2票) |
7. メイズ・ランナー 最期の迷宮
《ネタバレ》 やっぱりゾンビ映画。 2の時点で分かってた事ではあるんだけど、3では更にゾンビ濃度が高まってるんですよね。 それも、ただ単に「ゾンビ好きに媚びる為にゾンビを出しました」って訳でもなく、その要素を劇中で活かし「主人公の親友ニュートがゾンビ化してしまい、殺してくれと訴えてくる」って展開になるんだから、お見事です。 物語としては本作が一番盛り上がるし、最終章に相応しい内容だったと思います。 冒頭から「走行中の列車を襲撃し、仲間を救出しようとする主人公達」って見せ場が用意されているのも、嬉しい限り。 他にも「高所からプールにダイブ」とか「バスをクレーンで釣り上げる」とか、要所要所で見せ場があるし、作り手の誠意を感じます。 これに関しては、単純に観ていて面白いっていうよりは(あぁ、ちゃんと観客を楽しませようとしてるんだな……)と思えてきて、安心させられるって類の長所ですね。 「そんなのは、娯楽映画として当たり前の事だ」って考える人もいるでしょうけど、それが出来ていない映画だって沢山ある訳だし、自分としては評価したいです。 そんな訳で、1→2→3と順当に成長してきた、シリーズ最高傑作と称えたい気持ちもあるんですが…… 素直に褒めきれない部分も多かったりして、そこは残念。 まず、上述のニュートに関しても、3単体では「主人公の相棒であり、大切な親友」として描かれてるけど、1と2では全然そんな事は無くて「仲間その1」でしかなかった訳だから、ちょっと唐突なんですよね。 3で急に仲良くなったような形ではなく、1から親友として描いていたら、その劇的な死も更に盛り上がったはずなので、実に惜しい。 これに関しては「1のチャックに比べたら、3のニュートの方が退場のさせ方は上手くなってる」と褒める事も出来そうだし、判断が難しいです。 あとは「実は生きていたギャリー」って展開で、これはもう、申し訳無いけど失敗してると思います。 そりゃあギャリーのファンなら嬉しいかも知れないけど、どう考えても「死んだと思ってたキャラが、実は生きていた」というサプライズ展開やりたかっただけって感じであり、必然性も無いし、ギャリーという存在を活かしきれてもいないんですよね。 宿敵だった主人公のトーマスにも「頑張れ」と声かけたりして、いつのまにか普通に信頼出来る仲間みたいになってるし、劇的な和解イベントも無し。 ギャリーを串刺しにした張本人のミンホに対しても「誰にでも間違いはある」で済ませちゃうんだから、大いに拍子抜け。 これならギャリーではなく、本作から登場した新キャラって事にしても、充分成立したと思います。 他にも「ヒロインのテレサまで、ニュートのおまけみたいに死んじゃうのが可哀想」とか「結局、世界がウイルスから救われたかどうかも分からない」っていう曖昧さとか、欠点を論えばキリが無いんだけど…… 「友達でいてくれて、ありがとう」という最後のニュートの手紙は、中々グッと来るものがあったし、三部作を完走して良かったと、そう思えましたね。 またトーマスやニュート達に会いたくなったら、1から3まで観返したくなる。 なんだかんだで愛着が湧いちゃう、憎めない友達のような映画でした。 [DVD(吹替)] 5点(2023-11-28 18:55:38)(良:1票) |
8. メイズ・ランナー2 砂漠の迷宮
《ネタバレ》 まさかのゾンビ映画。 一本の映画の中で「実はホラー映画でした」と中盤で判明する例なら、これまでにも何度か体験済みですが「三部作の2からゾンビ映画になる」ってパターンは、流石に初体験です。 これ、前作のファンにとっては辛いというか「ゾンビなんて良いから、迷路で探検して欲しい」って気持ちになって、失望しちゃったかも知れませんね。 でも、自分みたいに「ゾンビ映画が好き」「そもそも1の時点で、迷路が主体の映画ではなかったと思う」ってタイプにとっては、このサプライズ展開、かなり良かったです。 「近未来が舞台の、ティーンズゾンビ映画」って時点で貴重だと思うし、そういうものだと割り切って観れば、中々目新しい魅力があるんですよね。 序盤にて、主人公達が収容施設から逃げ出す展開になるのも、脱獄物としての面白さがあって、これまた自分好み。 廃墟と化した都市の描写なども、低予算映画では中々拝めないような絵面で良かったです。 三部作を一気見して気付いた事なんですが、このシリーズって「全体の完成度はイマイチだけど、ちゃんと観客を喜ばせるような見せ場は用意してある」って特徴があり、本作も例外ではなかったって辺りも、嬉しいポイント。 特に「ゾンビと争ってる最中に、ガラスの床を割って高所から落として倒す」って場面は、かなりお気に入りですね。 これまで色んなゾンビ映画を観てきたけど、こういう倒し方もあるんだなぁって感心しちゃいました。 仲間内で最も強くて頼もしい存在だったミンホが、最後に連れ去られ「囚われのお姫様」ポジションになってしまう事。 そして、影の薄いヒロインのテレサが敵組織の内通者となる事も、程好いサプライズ展開って感じであり、良かったと思います。 序盤にて(施設内に監視カメラとか無いの?)と思っていたら、脱走した後に各所に監視カメラがあると発覚し(いや、主人公達の部屋にも設置しとけよ)とツッコまされたりとか、作り込みの甘さは否めないけど…… そういった諸々込みで、割と楽しめちゃいましたね。 シリーズ中でも異端の品であり、真っ当なファンなら反発しちゃうかも知れない、本作品。 だけど、天邪鬼な自分としては、こういう映画って結構好きです。 [DVD(吹替)] 6点(2023-11-28 18:50:40)(良:2票) |
9. メイズ・ランナー
《ネタバレ》 三部作を完走した上で、再鑑賞。 2以降の展開に「迷路、関係無いじゃん」とツッコまされた訳ですが、実は1の途中から既に関係無くなってるんですよね、これ。 そもそも主人公のトーマスが「ランナー」になった時には、既に迷路は全体図を把握されており、閉じ込められた皆に希望を持たせる為に、リーダー達が「まだ踏破していない」と他の面々を騙してただけと判明するんだから、もう吃驚です。 若者達が迷路に閉じ込められた理由も、結局は「実験の為」という在来な代物だったし、新薬開発の為に本当にこんな大仕掛けが必要だったのかと、甚だ疑問が残るし…… 正直、あまり褒められた出来栄えの映画ではないと思います。 ただ、原作小説は人気シリーズとの事で、言われてみれば本作って「人気のある原作を映画化した結果、微妙な出来栄えになってしまった」っていう典型のような品なんですよね。 登場人物も、それぞれにファンが生まれていそうな魅力は感じられたのですが、いかんせん映画の尺の中では描写が足りず、中途半端に終わってしまったという印象。 例えば、金髪のニュートなんかは如何にも良い奴っぽくて、これは主人公の相棒になって活躍するんだろうなと思わせる存在感があったのに、目立った活躍なんか全くしないで「仲間その1」っていうポジションのまま終わってしまうんです。 ヒロインのテレサも、典型的な「紅一点が必要だから用意してみました」というだけの存在であり、見せ場なんて皆無。 ニュートにせよテレサにせよ、2以降では役目が与えられているキャラだけに、この1での扱いの悪さは勿体無かったです。 ラストにて、憎まれ役のギャリーが涙ながらに「迷路はオレの家だ、皆の家だ」と訴えても、そんな愛着を抱くに至る経緯が描かれてないから、心に響かないし…… 最年少のチャックの死をクライマックスに据えるなら、事前に主人公とチャックの交流を濃い目に描いておくべきだったと思うしで、やはり全体的に拙いというか、未熟な印象が強いです。 一応、良かった点も挙げておくなら「狭い迷路の中で、化け物に襲われる恐ろしさ」というホラー映画な魅力は、しっかり描けている事。 「迷路の道が閉じるって特性を活かして、化け物を倒す」「手近な位置から順番に仕舞っていく扉に追いつくように走り、窮地を脱する」などの、迷路という舞台設定を活かしたアクションが描かれていた事は、評価に値すると思います。 後は、病に犯され正気を失った仲間を迷路に押し込む件なんかは「蠅の王」的な狂気を感じさせて、中々良かったんじゃないかと。 個人的には、ヒロインのテレサをもっと活かし「男だけの園に女の子が送られてきた事により、奪い合いになる」っていう「アナタハンの女王」的な展開にしても良かったんじゃないかって、初見の際には、そう思えたんですが…… そんな道は選ばず、健全な雰囲気で纏めた辺りも、今となっては長所に感じられますね。 適度な怖さ、適度なエグさを楽しめるという意味では、ティーンズ向け映画として成功してるのかも知れません。 [DVD(吹替)] 5点(2023-11-28 18:42:40)(良:1票) |
10. 魔法にかけられて
《ネタバレ》 主人公が現実世界からファンタジー世界に行くのではなく、その逆というのが斬新ですね。 導入部も「お馴染みのディズニーの城の中に入り込む」という形で凝ってるし、とても丁寧な、考え込まれた作りの品だったと思います。 世間の評価が高く、傑作とされているのも納得。 ……ただ、観る前にハードルを高くし過ぎたせいか(期待値ほどではなかった)という印象を受けたりもして、そこは残念。 決定的に駄目な部分があるって訳じゃないんだけど、なんか細かい部分で(んっ?)と気になっちゃう事が多いんですよね。 例えば「一緒に楽しく掃除した仲のはずなのに、虫が鳥に食べられちゃう場面」なんかは、可哀想過ぎて好きになれないですし。 主人公のジゼルはファンタジー世界の超能力をそのまま現実世界に持ち込んでる形なのに、リスのピップは現実世界では喋れなくなるというのも(何で?)と思えちゃいました。 あと、これは「細かい部分」じゃなく、ラブコメとして割と重要な部分かも知れませんが…… 彼氏役のロバートがジゼルに惹かれていくのは分かるんだけど、ジゼルがロバートを好きになる過程が曖昧で、二人の恋路を応援したい気持ちになれなかったんですよね。 これ、主人公がロバートだったなら「ヒロインが主人公を好きになる過程は、描かれずとも問題無い」「主人公目線で描かれた話なのだから、きっと見えないところでヒロインなりの好きになる事情があったのだろう」と納得出来たんですけど、実際はジゼル主視点で作られてる訳だから、どうにも物足りないんです。 そもそも二人とも「結婚するはずだったエドワード王子がいる」「プロポーズするはずだった恋人のナンシーがいる」って設定にしたのがマズかったんじゃないかと。 障害のある恋の方が燃えるってのは分かりますが、障害を設定した以上は、それを越えるだけの説得力が欲しくなるんですよね。 劇中の二人に「この世で一番強い魔法」「真実の愛のキス」が出来るほどの絆が描かれていたかと考えたら、甚だ疑問。 そんな二人のせいで「余り物」となったエドワード王子とナンシーが結ばれる流れも、あまりにも都合が良過ぎたように思えます。 でもまぁ、全体的には「楽しい雰囲気の、良い映画」だったので、それなりに満足。 特に、ジゼルが公園で歌う場面なんかは、観ていて嬉しくなっちゃいましたね。 異世界の人々とも、音楽があれば分かり合えるという展開が、実に自分好み。 本作をミュージカル映画と考えるなら、この公園の場面が一番良かったと思います。 ジゼルが語る「斧を振り回して狼を追いかける赤ずきん」は、是非映像でも見たかったなぁって思えたし、そういう小ネタが全体に散りばめられているのも、大きな魅力。 自分としては、クライマックスで女王がドラゴンと化し「キング・コング」のオマージュ的展開になる辺りが、一番面白かったですね。 どうやら他にも色んなディズニー作品のパロネタが散りばめられているようなので、もっとディズニー作品に詳しければ、より楽しめたかも知れません。 [ブルーレイ(吹替)] 6点(2023-11-03 18:53:46) |
11. キートンの蒸気船
《ネタバレ》 喜劇王キートンのフィルモグラフィーの中で、最も有名な場面。 それが本作の「建物が倒れてくるけど、窓枠の部分にスッポリ収まり無傷なキートン」になると思われます。 「それはつまり、コレが彼の最高傑作って事なのか」と言われたら、自分としては異議を唱えたくなるんだけど…… そう認識されても仕方無いくらいの傑作である事は、間違いないですね。 とにかくもう、キートン自ら監督したという後半部分の「ハリケーンに襲われた町」の描写は圧巻であり、良くもまぁこんな世界を描き出せたものだと、感心するばかり。 キートンの魅力といえば、当人のアクロバティックな動きが真っ先に挙げられるけど、この人って自分以外の「舞台の作り方」も、本当に上手いんですよね。 自分は三大喜劇王の中でキートンが一番好きであり「王」というよりは「喜劇の神様」って表現が似合うんじゃないかとさえ思ってるんですが…… その理由としては「映画の中に独自の世界を作り上げる事。そして、その世界を壊す事に関しては、キートンに並び得る者は存在しないから」ってのが挙げられるくらいです。 本作に関しても、その力量は如何無く発揮されており「ハリケーンに襲われた町」という特殊な舞台ならではの面白さと、巨大な建造物を破壊していくカタルシスとが、たっぷり描かれていたと思います。 冒頭部分で言及した「窓枠にスッポリ収まったキートン」の場面も凄いけど、個人的には「家が飛んできて潰されたかと思いきや、普通にドアを開けて中から出てくるキートン」って場面も、同じくらいお気に入りですね。 ここ、本当に「朝起きて、出かける為にドアを開けた」くらいの気軽さで、暴風雨なんて起こってないとばかりに平然と出てくるのがもう、たまんないです。 特異な状況ゆえの「普通の事を普通にやってる可笑しさ」を、これほど見事に表現出来るのは、正にキートンだからこそ。 クライマックスでは「水没する檻の中から父親を救い出す」って見せ場も用意されているし、主人公とヒロインが結婚する未来を「溺れた牧師を助けた」という形で示唆するのも、オシャレな終わり方でしたね。 そんな神掛かり的な後半に比べると、キートン監督ではない前半部分に関しては、凡庸な出来栄えに思えたりもするんですが…… 「不器用ながらも息子を大切に想ってる父親」の存在など、魅力的な脇役も揃っているので、決定的な不満点って程では無かったです。 捕まった父を留置場から脱出させるべく、キートンがアレコレ画策する場面なんかは「刑務所モノ」「脱獄モノ」が好きな身としては、心躍るものがありましたし。 それだけでも「キートンが監督していない部分にも、確かに価値は有った」と言える気がします。 それと、本作の前半部分には、もう一つ興味深い場面があるんですよね。 美男子であるキートンが、どう見ても似合ってないチョビ髭を付けて登場し、それを剃る展開になる。 これってつまり「チャップリンのような口髭を付けた姿から、本来のキートンらしい姿に変身する」って形になってる訳で、非常に寓意的なものを感じます。 本作の監督であるチャールズ・F・ライズナーは、数々のチャップリン映画で助監督を務めた人っていうのも、何だか意味深。 そもそもキートンって、ロイドやチャップリンに比べると商業面では劣等生であり、本作でも多大な赤字を記録してたりするもんだから、周囲から「ロイドのような映画を撮るべき」「チャップリンのようなキャラクターを演じるべき」って要求されていたフシがあるんですよね。 「大学生」(1927年)や「結婚狂」(1929年)なんかは、それが顕著。 つまり、本作における「チョビ髭を剃る」シークエンスも、キートンなりの皮肉なユーモアが籠められていたんじゃないでしょうか。 映画を観てる自分としても「バスター・キートンはバスター・キートンであり、決して他の喜劇王と同じではない」という事を、確かに感じましたからね。 それは本作の後半部分、紛れもない「キートン映画」の魅力によって、力強く証明されていると思います。 [DVD(字幕)] 8点(2023-10-24 23:20:54)(良:1票) |
12. ロイドの要心無用
《ネタバレ》 主人公の役名は「THE BOY」ヒロインの役名は「THE GIRL」と表記される冒頭場面にて、何だかほのぼのしちゃいましたね。 劇中で給与明細を受け取る場面では、氏名の欄に「ハロルド・ロイド」と書かれている訳だし、完全に無名な存在ではないにせよ「この作品の主人公とヒロインは、誰しもが成り得るような等身大の存在」というメッセージ性が感じられました。 旅立ちの駅にて「主人公は近々絞首刑にされる囚人」と思わせるミスリードとか、最後の「水溜りに思えたのは実はタール(?)で、靴も靴下も脱げ落ちてしまう」ってオチとか、今観るとシュールで分かり難い場面もあったりするんだけど…… そんなのは希少な例で、基本的には「誰でも笑える、楽しめる映画」であった事も、嬉しい限り。 キートンやチャップリンを含めた三大喜劇王の中で、ロイドが最も「知的でオシャレな映画」を提供する人ってイメージが有るんですが、そういうタイプの映画って、どうしても「分かる人にだけ分かれば良い」的な、作り手の傲慢さが滲み出ちゃうものなんですよね。 でも、本作に関してはそうじゃなく、大衆向けの娯楽映画として分かり易く作ってある。 この辺りがロイドがカルト化せずに、多くの人に愛された所以なんだと思います。 個人的には「家賃を回収しに来た大家さんから隠れる為、壁に掛かったコートの中に隠れる」場面や「そこの50ドル札、どなたが落としたんです?」の件なんかが、特にお気に入り。 基本的にはドジな主人公なんだけど、所々で頭が良いとこを見せるってバランスが絶妙だし、それをサラッと見せちゃうから嫌味さが無いんですよね。 自らを追う警官の影に気が付き、咄嗟に通りすがりの車に捕まって姿を消してみせる場面なんかも、怪盗か何かに思えちゃうくらい鮮やか。 そういったキートン的なアクロバティックな魅力も有るし、かと思えば「ヒロインへのプレゼントを買う為、昼食代が無くなってしまう場面」では、チャップリン的な悲惨なユーモアと哀愁も醸し出してるしで、ロイドは両者の良いとこ取りしてるというか、どちらもこなせちゃう優等生的な存在であった事を証明する形になってるのも、興味深い。 それは「総合力では両者に比肩する」という一方で「それぞれの得意分野では、キートンとチャップリンに及ばなかった」という事でもあり、それゆえにロイドは、両者ほど強烈なカリスマには成り得なかったのかも知れません。 そんな「優等生な喜劇王」を代表する「時計の針にブラ下がる場面」に関しては、もう文句無しの素晴らしさ。 序盤にて、主人公が遅刻を誤魔化す為に時計の針を動かすのが伏線になってるし「何故、時計の針にブラ下がる事になったのか(何故ビルを登る事になったのか)」という脚本の流れも自然だしで、クライマックスに至るまでの構成が丁寧だから、観ていて気持ち良いんですよね。 こういった派手な見せ場のある映画って「○○という見せ場に持っていく為、無理やりストーリーを構築する」ってパターンが多いんだけど、本作は見せ場への繋ぎ方が完璧なんです。 名作と呼ばれる所以は、案外その辺りの「見せ場の場面以外も、丁寧に作っている事」に有るんじゃないかって、そんな風に思えました。 ちなみに、命懸けのスタントと評される事も多い上記の場面なのですが、実際はビルの屋上に作られたセットで演技しており、時計の針から落ちても大丈夫だったりしたんですよね。 これに関しては「なぁんだ」とガッカリしちゃう人もいるかも知れないけど…… 「命懸けのスタントを行わずとも、そう見せる手腕が凄い」って事なんだと思います。 映画とは、そもそも「観客に夢を与える嘘」を作る事に本質が有るんじゃないかと考える身としては、実際に命懸けのスタントを行ったのと同じくらい「命懸けのスタントを行ってるように見せた」ロイドは凄かったんだと、そう主張したいところ。 ビル登りの件に関しては「次の階までの辛抱」と、少しずつ目標を達成していけば、いつのまにか屋上に到着しちゃうオチが寓話的で素晴らしいとか、ロイドは過去作の撮影中の事故で右手の指を失ってるので(失った本数や箇所に関しては諸説有り)良く見ると左手を軸にして摑まってる場面が多いとか、色んな観方で楽しめちゃう辺りも良いですね。 自分としては、中盤で母親のような老婆に「そんな事をして、落ちたら大怪我しますよ」と窘められ、困ったように笑ってみせるロイドの顔が、何とも言えず好きです。 実に百年前の映画となりますが、今観ても楽しめるという…… 正に、時代を越えた傑作。 喜劇王の代表作に相応しい一本だと思います。 [DVD(字幕)] 9点(2023-10-19 11:39:46)(良:1票) |
13. プロジェクトA2/史上最大の標的
《ネタバレ》 世の中には「単品として考えれば悪くないけど、あの○○の続編と考えると物足りない」って映画が沢山あるんですが、本作もその一つと言えそうですね。 何せ本作ってば、冒頭にて前作「プロジェクトA」の名場面を流しており、そっちの方が本編より面白かったりするんです。 これはもう、実に残酷。 冒頭にはサモ・ハンも、ユン・ピョウもいて画面が華やかなのに、いざ本編がスタートしたら彼らは出てこないんだから、落胆するなという方が無理な話です。 そんな「続編ならではの欠点」が、劇中で散見される形になってるのも辛いですね。 例えば「敵のアジトに乗り込み、多勢に無勢で負けちゃったドラゴンを沿岸警備隊が助けに来てくれる場面」なんかも、それ単体で考えれば悪くないんだけど…… 前作では敵のアジトで大暴れし、ドラゴンが一人で犯人を捕まえた流れがあっただけに(あれ? 今度は負けちゃったの?)って、拍子抜けしちゃうんです。 前作で良い味を出してた「大口」が続けて登場しているんだけど、サッパリ目立たなくて活躍しないというのも、寂しい限り。 自分は前作の感想にて「終盤で、唐突に大口が準主役級の扱いになるのは不自然」と指摘しているのだから、徹底して脇役な本作の方が、自然といえば自然なんだけど…… やはり、責任を取って欲しいというか、一度は活躍させて観客に愛着を持たせた以上、最後まで愛されるように、大事に扱って欲しかったです。 それと、前作でハロルド・ロイドの「要心無用」(1923年)をパロってみせたように、本作ではバスター・キートンの「蒸気船」(1928年)をパロっている訳だけど、それも成功してるとは言い難いんですよね。 前作では「時計の針にしがみつくだけでなく、そこから落下してみせる」という形で、元ネタを越えるほどの迫力を出していたのに、本作では元ネタと殆ど同じで「看板が倒れてくるけど、丁度枠の部分にジャッキーが収まる形になって助かった」というだけなんです。 しかも元ネタの「蒸気船」では、キートンは立ったまま位置を動いておらず、それゆえに「たまたま窓枠の中に収まって助かった」という可笑しみが生まれているんだけど、本作のジャッキーは看板が倒れてくる際に、咄嗟に位置をズラして大丈夫なよう調整しちゃっている訳で、これは如何にも拙い。 どうせ動くなら、バレないように微かに動く形ではなく、もっとダイナミックに動いて「動かないキートンと、動くジャッキー」という形で、元ネタとは違った面白さを打ち出すべきだったと思います。 あるいは、劇中で「神様、感謝」と言っている「神様」とは、喜劇の神様であるバスター・キートンの事を指しており「ドラゴンは『蒸気船』を観ていたお陰で、咄嗟に位置調整してキートンのように助かる事が出来た」って展開なのかとも思えるんですが…… 劇中の時代設定は「蒸気船」が公開される前のはずなので、この解釈は無理があるんですね。残念。 何だか不満点ばかり長々と述べちゃいましたが、良かった点も挙げておくなら…… ・前作より「刑事物」としての純度は高まっており、署長に就任した主人公が腐敗した警察署を改革していく流れは、中々痛快。 ・「レバーペースト」の機械に囚われた主人公が脱出する件は、記憶に残るだけのインパクトが有る。 ・サン親分の仇を取ろうとしてた海賊達が、主人公に助けられ和解するオチは、人情譚としての魅力があって良い。 ・刑事物と歴史物とキートンが大好きなジャッキーが、それらの要素を盛りに盛った「オタク映画」と考えれば、何だか微笑ましい。 と、そのくらいになるでしょうか。 あと、これは良かった部分なのか、それとも悪かった部分なのかと判断に迷う要素もあって、それが「悪役であるチンの存在」と「時代劇らしく辛亥革命を絡めている事」ですね。 前者に関しては、ドラゴンと手錠で繋がれ一緒に逃げる場面などから(あれ? もしかして二人が和解するオチ?)と思われたのに、結局は単なる悪役のまま終わったのがスッキリしないし、後者に関しても、映画の中で活かしきれていなかった気がします。 この辺り「手錠での逃走シーンがあるからこそ、悪役にも愛嬌が生まれた」「主人公が安易に革命に加担せず、警察官として人々を守る道を選ぶ場面は良かった」って具合に、褒める事も出来そうなので、判断が難しい。 本作は試写会で流れたバージョンと、今観る事が出来る完成版とでは中盤の展開が異なっており、試写会バージョンでは「チンの悪辣さ」「革命軍の出番」が増す形になっているようなので…… そちらを観る事が叶ったなら、また印象も変わってくるかも知れません。 [DVD(吹替)] 6点(2023-10-11 09:44:43)(良:1票) |
14. プロジェクトA
《ネタバレ》 映画史に残る大傑作。 ジャッキーの自伝に曰く「少林寺や彷徨う戦士達を主人公にしなくても、格闘時代劇が作れる事を証明した」点が画期的との事で、言われてみれば本作の主人公って、現代の刑事物にも通じる「正義感溢れる警官」として描かれてるんですよね。 だからこそ、現代の観客にとっても感情移入し易いし、時代を越えた普遍性が有る。 そもそも中国(&香港)においては「官は悪、侠は善」(役人は庶民をいじめる悪役であり、御上に逆らう無頼漢が庶民の味方)という作劇上の伝統があった訳で、警官を主役に据えてる時点で、本作が斬新な映画であった事が窺えます。 その一方で「警察なんて辞めてやるぜ!」と啖呵を切ってバッジを投げ捨てる場面など、ちゃんと「理不尽な役人に逆らうアウトローな主人公」としての魅力も描いてるのが凄い。 当時の人々や「権力者側を善玉として描くのを嫌がる人」でも受け入れ易いよう作ってある訳で、この辺りのバランス感覚が、本当に見事。 「王道を裏切らずに、斬新な事をやってる」という形であり、これって理想的な「時代の先取り」の仕方だと思います。 自転車を駆使してのアクション(自分は「ノック」の件が特にお気に入り)も素晴らしいし、今や語り草になってる「時計台からの落下」シーンも、迫力満点。 後者に関しては、怯えるジャッキーを叱咤激励する形でサモ・ハンが監督しているとの事で、あの場面ではジャッキーが「監督」ではなく、単なる「役者」そして「スタントマン」に立ち返っているという意味でも、趣深い魅力がありますね。 「あの画には全く演技がなく、全て真剣だった」とジャッキーが語る通り、本当に限界を越えて手から力が抜けて(もう、だめだ)と思いながら落下したとの事で、作り物ではない「本物」の迫力が感じられるのも納得。 ただ、そんな名場面にも唯一の瑕が有り「時間が巻き戻ったかのように、違う落ち方を二度見せている」のが不自然なのですが…… これに関しては、劇中で「大口」役を演じたマースが、念の為に一度ジャッキーの代役として落下しているという裏話が影響していそうなんですよね。 つまり、ジャッキーが彼に敬意を表して、彼のスタント場面も無理やり本編に挿入した結果、不自然な形になったのではないかと推測出来るんですか、真相や如何に。 上述の「大口」への敬意の表れが、終盤の展開に影響してるように思える辺りも、ちょっと気になります。 本作のラスボスであるサン親分って、ジャッキーとサモ・ハンとユン・ピョウが三人掛かりで立ち向かうような強敵だったのに、何故か大口がトドメを刺す形になっているんです。 最後の漂流シーンでも、三大スターを押しのけて大口が一番目立っているし…… 大口が当初から準主役だった訳でもなく、脇役に過ぎなかった事を考えると、この「急に何かが変わったかのような優遇っぷり」は、如何にも不自然。 これも、時計台落下という危険なスタントをこなした大口に対する、ジャッキー監督からの「ご褒美」だったんじゃないかと、そんな風に妄想しちゃいますね。 でもまぁ、そういった難点があったとしても、本作が傑作である事は、疑う余地が無いです。 冒頭、ジャッキーが自転車を柵に突っ込ませる場面で、もう面白くって「これから凄い映画が始まる」って予感で、ワクワクしますし。 酒場での乱闘シーンなど、音楽の使い方も上手かったです。 沿岸警備隊が復活し「これより、プロジェクトAを決行致します」と告げる場面も恰好良くって、もしかしたらココが一番の名場面じゃないかと思えたくらい。 サモ・ハン演じるフェイとドラゴンが再会する件で、自然な流れで食事してジャンケンする場面など、短い尺で「二人は旧知の仲」と納得させる演出なんかも、流石だなぁと唸っちゃいますね。 この辺りは、実際に少年時代からの付き合いである二人だからこその、阿吽の呼吸を感じました。 京劇出身な二人らしい一幕もあったりするし、色んなジャッキー映画の中でも「サモ・ハンとの絆」が、最も良い具合に作用したのが本作だったように思えます。 他にも「時計台落下はハロルド・ロイドから、逃走シーンはバスター・キートンから影響を受けている」とか、この映画について語り出すと、止まらなくなっちゃいますね。 映画の評価なんて移ろい易いものであり「子供の頃に好きだった映画が、今観るとつまらなくて幻滅しちゃう」とか、逆に「子供の頃は退屈だった映画が、名作だと気付かされる」とか、色んなパターンがある訳ですが…… 本作に関しては「子供の頃も、大人になった今でも、大好きな映画」だと、胸を張って言えそうです。 [DVD(吹替)] 9点(2023-10-10 10:00:19)(良:3票) |
15. スリーデイズ
《ネタバレ》 久し振りに再見し、細かい部分まで「すべて彼女のために」(2008年)をそのまま再現してるんだと感心させられた一方で、物語の根幹に関わる部分を大きく改変してるって事にも気が付き、驚かされましたね。 自分は最初に本作を鑑賞し、その何年後かに「すべて彼女のために」を観賞し、此度感想を書く為に二本連続で観てみたという形なのですが…… 最初に観た時より衝撃が大きかったし、それに伴って、本作に対する評価も更に高まったように思えます。 何せ本作ってば、主人公が妻への疑いを捨て切れていないんです。 一応台詞では「妻を信じる」というスタンスだし、疑いを持ってるだなんて、それこそ自分の邪推に過ぎないのかも知れませんが、一途に妻を信じていた「すべて彼女のために」の主人公に比べると、見るからに様子が違うんですよね。 でも、それによって妻への愛が弱々しく感じられるなんて事は無く「たとえ妻が殺人を犯したとしても、それでも妻を愛する」という意思の強さが感じられる形になっているんだから、本当に見事。 「すべて彼女のために」は「妻を一途に信じ抜く男」を描いたのに対し、本作では「妻に疑惑を抱きつつも、それでも愛する男」を描いたのかな、と思えました。 だからこそ、同じストーリーの映画なのに「違った味わい」「独自の魅力」が生み出されている訳で、この辺りは本当に上手い。 「ドン・キホーテ」から影響を受けて「理性を捨てた方が人は強くなれる」と言い出す場面とか「狂人となっても、絶望に生きるよりはマシ」と覚悟を決める場面とか、この主人公は愛ゆえに狂気の暴走を果たす事になると、序盤の段階で示してるのも良いですね。 「すべて彼女のために」では、中盤以降の主人公の暴走っぷりに驚かされ、多少引いちゃう気持ちになったりもしたんだけど…… その点、本作は主人公に肩入れし易いし、過激な選択に至るまでの説得力も増していた気がします。 物語の途中で出会う「ママ友」ならぬ「親友(おやとも)」な女性の活かし方も上手い。 「すべて彼女のために」では主人公とのロマンスを予感させ「その気になれば他の女性と幸せになる事も出来るが、それでも妻を選ぶ主人公」って示すだけの存在だったと思うんですが、本作は彼女に他の役目も与えているんですよね。 いざという時に備え、息子のルークを預ける場面を挟み、主人公の「もしかしたら、自分は助からないかも知れない」という悲壮感を高めるのに成功してる。 こういうリメイク映画における「既存の人物の重要性を高める改変」っていうのは、観ていて本当に嬉しくなっちゃうし、もう大好物です。 他にも「あえて偽の証拠を残しておき、警察の捜査を欺く」という罠を用いる事によって、主人公の有能さが増している事。 妻に嫌疑が掛かった殺人事件の真犯人が誰か、観客に教えてくれる事なんかも、嬉しい改変。 これらの改変部分に関しては「余計な事をした」「何でもかんでも説明し過ぎて、野暮な作りになった」と感じる人もいるんでしょうけど、自分としては正解だったと思いますね。 あれだけ用意周到に計画を立てていた主人公が、証拠を燃やしもせずにゴミ箱に捨てて警察に見つかっちゃうってのは違和感あったし、殺人事件の真相についても、明確に描いておいた方が、スッキリとした後味になるんじゃないかと。 そんな具合に、色々と改変している一方で「すべて彼女のために」でも印象的だった、不仲だった父との別れ際のハグについては、ほぼそのまま情感たっぷりに描いてくれてるのも、実に嬉しい配慮。 主人公の妻は美女で、息子は美少年っていう辺りも、殆どそのまま再現しており、感心させられましたね。 そのままの方が良い箇所に関しては、そのまま。 そして変えるべき箇所に関しては、思い切って変えるという采配が絶妙でした。 本作「スリーデイズ」は傑作であり、これ単品で鑑賞しても、文句無しに楽しめるのですが…… 「すべて彼女のために」とセットで鑑賞すれば「リメイクの妙味」「新たに映画を作り直すという意義」についても感じ取る事が出来るんじゃないかって、そんな風に思えましたね。 娯楽作品としても、リメイク映画の理想形としても、オススメしたい一本です。 [DVD(吹替)] 8点(2023-09-28 21:29:31)(良:3票) |
16. すべて彼女のために
《ネタバレ》 「脱獄は簡単だが、その後が大変だ」という台詞が印象的。 この台詞が序盤で語られる場面だけでも充分にインパクトがあったのですが、映画の終わりにも再び繰り返されるというんだから、何だか徹底していましたね。 脱獄に成功した主人公達の未来を示唆する台詞であり、この映画を象徴する台詞でもあったように思えます。 とはいえ、その簡単なはずの「脱獄」も充分に困難である事が劇中で描かれており、だからこそ(逃げ続けるのは、コレ以上に大変なのか……)と思える終わり方になっているのが見事。 脱獄に成功し、ハッピーエンドと呼べる終わり方のはずなのに、まだまだ前途多難である事を示唆される。 でも、それまでに描かれてきた主人公の力強さを思えば、そんな困難も必ず乗り越えられるはず……と、希望を失わずに前向きな着地を果たすバランスは、かなり好みです。 そんな具合に、中々の佳作と呼べる品なのですが、難点としてはやはり「主人公の妻が無罪かどうか、最後まで謎のまま」って事が挙げられるでしょうか。 主人公は一貫して無罪を信じている訳だし、物語の展開としても「そんなの、どっちでも構わない」って話ではあるんですが、やっぱり観客としては気になっちゃうんですよね。 仮に有罪であれば「それでも主人公は妻の無罪を信じ、殺人を犯すほどに暴走してしまった」という切なさが生まれただろうし、無罪であればハッピーエンド感が増したであろうし、答えを明かさないままというのが勿体無く思えてしまうんです。 意味深な場面を挟み「どちらでも観客の好きなように解釈して良いよ」って思わせるような形でもなく、何か「妻が有罪なのか無罪なのか、答えを出すのを忘れてた」って感じられる構成だったのも痛い。 ここは素直に「妻は無罪である」と示す場面を挟んでも良かったと思います。 あと、コレは観客側の自分が悪いんでしょうけど、今回久し振りに鑑賞し(あれ? 主人公が殺す相手って、因縁とか全く無い麻薬の売人だったの?)って驚いて、ガッカリもしちゃったんですよね。 「序盤に主人公を騙して金を奪い取った相手から、復讐がてら大量の利息込みで金を奪い返す」って展開だと記憶していたんですが、実際はそういったストーリーの繋がりは無く、勝手に美化して記憶しちゃってたみたい。 その場合、序盤で主人公を騙した奴らに何の仕返しもしないまま終わっちゃうのかって不満も生まれるし…… この辺りは、思い出補正の恐ろしさというか「一度観た映画を、何年振りかに観返して評価する」事の難しさのようなものを感じました。 でもまぁ、そういった諸々込みで考えても、やっぱり「良い映画」「面白い映画」でしたね。 単純に、妻が美人で息子が可愛いってだけでも、主人公を応援したくなるような魅力がありましたし。 脱獄計画で大変な中でも、幼い息子を公園に連れて行って遊んであげたりする場面とか、ちゃんと主人公が「良い奴」だって事を示す描写があるのも嬉しかったです。 劇中で妻のリザが困惑していたように、ともすれば観客としても(この主人公、やり過ぎ)(いくら愛する妻の為とはいえ、流石に応援出来ない)って気持ちになってもおかしくなかったのに、そこをギリギリで踏み止まる形になっていましたからね。 空港に指名手配の写真が届く前に、間一髪で間に合った場面とか、そこで観客に(あぁ、良かった……)と安堵させる為にも、主人公を完全に「暴走する狂人」としては描かず、感情移入出来る余地を残しておいたのは、正解だったと思います。 警察側も数多くの証拠を掴んでいるし、後の「スリーデイズ」(2010年)に比べると、主人公達がいずれ逮捕される可能性も高そうな本作品。 それでも、きっと彼らなら大丈夫だと思えるし、そう思いたくなるという…… ビターなチョコレートのような、程好い余韻を味わえる映画でした。 [DVD(字幕)] 7点(2023-09-28 21:24:50)(良:1票) |
17. タキシード(2002)
《ネタバレ》 映画の利点の一つとして「本当は凄くない人を、凄いように見せられる」という事が挙げられると思います。 それが本作の場合は、全くの逆というか…… 「本当に凄いアクション俳優」の代名詞的存在であるジャッキーに「本当は凄くないのに、タキシードのお陰で超人になる主人公」を演じさせてる訳だから、トンデモない映画ですよね。 本末転倒というか「これならジャッキー主演でなくとも良いのでは?」と思える形になっており、褒めるのが難しいです。 そもそも「主人公は凡人であり、特殊なタキシードのお陰で超人になれた」っていう設定、ジャッキーとは相性が悪いと思うんですよね。 公開当時の米国人ならいざ知らず、日本に住んでる自分としては「ジャッキーが凄い奴」である事は分かり切ってる訳で、本作にて「ジャッキーは凄くないよ、凄いのは着てるタキシードなんだよ」ってストーリーを展開されても、全く説得力を感じない。 作り手側も流石にマズイと思ったのか「タキシードを着ると強くなる」ってだけでなく「声帯を変える事も出来る」「銃を組み立てるような精密動作も出来る」といった性能も付け足されてるんだけど、それが成功したとは言い難いかと。 こういう設定の映画である以上、観客には「このタキシードを着てみたい」って思わせる必要があるはずなんですが、本作に対しては全然そんな気持ちになれませんでしたからね。 色んなジャッキー映画を観て「ジャッキー・チェンになりたい」と思った事が何度もある身としては、これは如何にも寂しい。 もっと「タキシードを着て超人になる事の利点」「強くなる事の爽快感」「色んな事が出来るようになる快感」を、しっかり描くべきだったと思います。 一応、所々でジャッキーがアクションを披露してくれてるので、退屈まではしなかった事。 「九割は服でモテる(胸を指差して)あとの一割は、この中」「僕はファンを無視する有名人が嫌いだ」などの台詞は、中々オシャレで好みだった事。 最後はタキシードを着た者同士の対決になる事や、タキシードの特性(煙草を咥えられたら、自然に火を点けてしまう)を利用して勝つ脚本などは、王道の魅力があった事などを考えると「つまんない映画」「嫌いな映画」って程ではないんですが…… 誉め言葉よりも、文句の方がスラスラ書けちゃう映画なのは確かだったりするので、困っちゃいますね。 最後の大袈裟な告白が失敗に終わるとか、ツンデレっぽいヒロインと結ばれるオチになるとか、その辺も「良かった箇所」と呼べそうではあるんだけど…… それらに対しても「告白の為とはいえ、自転車に乗ってた人が殴られたりして可哀想なので笑えない」「最終的に結ばれるのであれば、彼女の出番を増やしてヒロインとしての魅力を描いておくべきだった」なんて具合に、次々と不満やら文句やらが浮かんできちゃうんです。 この映画を褒めたい自分と、文句を言いたい自分とが戦った結果、後者が判定勝ちしちゃった感じ。 残念ながら、自分には合わない「タキシード」だったみたいです。 [DVD(吹替)] 4点(2023-09-11 23:17:16)(良:1票) |
18. ダブル・ミッション
《ネタバレ》 「アジアの鷹」シリーズの一本……という訳ではなさそうですね、残念ながら。 冒頭にて往年のジャッキー作品の映像が流れるし、中でも「プロジェクト・イーグル」(1991年)の映像が数多く引用されている為、つい続編かと考えたくなるんですが、主人公の性格が違い過ぎるし「ライジング・ドラゴン」(2012年)とも繋がらない。 じゃあ「タキシード」(2002年)の続編なのかといえば、これまた無理があるし、ちゃんと独立した作品なのだと思われます。 そんな訳で「前作では○○だったのに、今作では××になってる」なんて思う事も無く、純粋に一本の映画として評価出来る品なのですが…… 「面白いかどうか」で言うと、ちょっと厳しいです。 まず、クライマックスの戦いを自宅の中で済ませてるのがスケール小さくて拍子抜けだし、長女のファレンが父親について「絶対戻ってくる」「このまま放っとくはずない」と言っていたのに、その父親が結局登場しないまま終わったりで、作り込みが甘いんですよね。 ヒロイン(?)のジリアンに関しても、芸術家設定が全然活かされていないし、主人公がスパイと知った後の態度が冷た過ぎて、最後にアッサリ復縁するのが不自然なんです。 「物語の中で必要じゃないのに、面白そうだと思った属性をアレもコレもと詰め込み過ぎてしまった」という形であり、悪い意味でアマチュアっぽい作風だったと思います。 でも「好きか嫌いか」で考えれば、間違いなく好きな映画だったりするので…… 褒めようと思えば、いくらでも褒められちゃうんですよね、これ。 凄腕のスパイが、普通の主婦が毎日こなしてる「子育て」に翻弄されちゃうって基本軸も、ベタだけど王道な魅力がありますし。 それに何といっても、主人公と交流して懐いていく、三人の子供達が可愛らしい。 思春期で反抗しがちな長女のファレンに、やんちゃ少年なイアン、幼く純真無垢なノーラと、三人ともキャラが立ってるんですよね。 ファレンと「屋根友」になる場面、イアンがスパイに憧れて家出する場面、ノーラが砂糖を食べて暴れ回る場面といった具合に、それぞれに印象的な見せ場があるのも良い。 母親であるジリアンの影が薄い事も併せて考えると、本作は、あくまでも「主人公と三人の子供達の物語」って事なんだと思います。 梯子に自転車など、道具を駆使したアクションが随所で挟まれるのもジャッキー映画らしい魅力があったし「作中でプールが出てきたら、ちゃんとそこに人が落ちる」って作りなのも、安心感がありましたね。 ファッションに拘るラスボスに向かって、イアンが「だっさい服だな」と言い放ちムッとさせる場面とか、悪役にも程好い愛嬌が備わってるのも良い。 憎たらしい悪役を倒してスカッとする、勧善懲悪な魅力を目指すのではなく、悪役でも憎めないような、優しい世界を崩さないバランスに仕上げてあり、観ていて心地良かったです。 面白い映画っていうよりは、優しい映画という…… そんな言葉が似合いそうな一品でした。 [DVD(吹替)] 6点(2023-09-06 10:08:44)(良:1票) |
19. ウォーター・ホース
《ネタバレ》 ネッシー映画って、何故かネッシーを「人を襲い、食い殺す化け物」として描いた品が多いんですよね。 「怒りの湖底怪獣/ネッシーの大逆襲」(1982年)然り「ジュラシック・レイク」(2007年)も、また然り。 にも拘わらず、本作ではネッシーを「人間の友達」として描いているんだから、それだけでもう、嬉しくなっちゃいます。 数少ないネッシー映画の中で、最も有名なのが本作だと思うし、自分としても一番好きなネッシー映画となりそう。 そんな訳で「これぞネッシー映画の決定版」と大いに褒めたいところなんですけど、ここで思わぬ落とし穴。 実は本作における「ネッシー」には「クルーソー」という独自の名前が付けられており、それがちょっとこう……微妙にピントずれちゃってる感じなんですよね。 観ている側としては「ネッシー」と思ってるのに、劇中人物達は「クルーソー」あるいは「モンスター」と呼んでいる。 これに関しては、多少不自然になってもアンガス少年が「ネッシー」と名付けて、それが何時の間にか世間にも流布してしまったとか、そういう流れにした方が良かったのでは? なんて、つい思っちゃいました。 元々あったウォーター・ホース伝説と組み合わせ「実はネッシーの正体とは、ウォーター・ホースなのである」って展開にしたのは悪くないんですけど、どうにも取っ散らかり過ぎなんですよね。 作中で色んな呼び名、色んな属性が当てはめられてるせいで、愛着が湧き難くなってしまった気がします。 あと、クルーソーと別れる場面にて、アンガス少年に「お前は一番の友達だよ」と言わせるなら、もっと事前に両者の交流を描いて欲しかったです。 クルーソーとの絆に関しては、贔屓目に見ても「可愛がってたペット」くらいにしか思えなかったし「場面単体で考えたら悪くないんだけど、伏線が足りないから感動出来ない」って形になってるのが、本当に残念。 戦死した父の存在をドラマに絡め「もう二度と会えない存在である父とクルーソーを、それでも愛し続ける主人公」「クルーソーとの別れによって、ようやく主人公は父とも本当のお別れが出来た」という描き方にしたのも、個人的には微妙というか…… ちゃんとクルーソー(ネッシー)との絆一本で映画にして欲しかったというのが、正直な気持ちです。 とはいえ、総合的に考えると好きな映画だし、良かったと思える部分の方が、ずっと多かったですね。 冒頭にて、色んなネッシー写真で目にした「湖畔の古城」が姿を見せる場面だけでもグッと来ちゃったし、クルーソーの頭には角があるしで、ネッシー好きとしては、それだけでも満足。 写真を偽造している連中の、すぐ傍で本物が泳いでる場面なんかも、皮肉なユーモアがあって良い。 「ネス湖に怪物なんていない」と主張する、世間の代表とも言うべき母親の前に、クルーソーが姿を現す場面をクライマックスに据えてるのも、もう大正解。 ネッシー好きにとっての悲願とは「ネッシーを否定する人物に、本物を見せてやる事」だと思うし、それを映画の中で叶えてくれるんだから、本当に嬉しかったです。 ネッシーに乗ってネス湖を泳ぐという、幻想的な場面も素晴らしいですね。 これまで自分が観てきた映画の中でも、最も活き活きとして美しいネッシーが、ネス湖を縦横無尽に泳ぎ回るという、その姿を拝ませてもらえただけでも(良いもん見たなぁ……)って、しみじみ感じられました。 2023年現在、自分の口から「ネッシーは実在する」と言えば、それは嘘になってしまうと思います。 それと同様に「この映画は面白い」って言ってしまうと、それも嘘になっちゃいそうなんですが…… 夢の有る映画である事は、間違い無いと思います。 [DVD(吹替)] 7点(2023-08-29 12:13:13)(良:1票) |
20. チェイサー(2017)
《ネタバレ》 ノンストップな追跡劇が面白い……と言いたいとこなんだけど、ちょっと微妙でしたね。 奇を衒った作りではなく「誘拐犯を追いかけ、子供を取り戻す主人公」というシンプルなストーリーだし、時間も94分と短めに纏まっているし、主演はハリー・ベリーだしで、褒めたくなる要素は一杯なんだけど、肝心の「映画としての面白さ」が足りてない。 どうして楽しめなかったんだろうと考えてみたんですが、本作に関しては「骨太でシンプルな作り」という、本来なら長所となるべき部分が、仇となってしまったのかも知れません。 誘拐犯の正体は驚きのあの人とか、実は深い目的があったとか、そういう訳でもないし、本当に「主人公VS誘拐犯」ってだけの話ですからね。 序盤に主人公がウェイトレスとして働く場面を、結構な尺を取って描いており、これは伏線なのかな(揉めてた客が再登場して主人公を助けてくれるとか、あるいは誘拐犯の一味とか)と思っていたら、全然関係無かったっていうのも、観ていてズッコけちゃいましたし。 中盤にて、主人公の車が燃料切れを起こしちゃうのも、何だか象徴的。 「ネタが無いので、仕方無く燃料切れにして引き延ばしました」としか思えない展開であり、そこで車だけじゃなく、映画自体も息切れしちゃってた気がします。 尺稼ぎが露骨というか、この映画には、94分でも長過ぎたんじゃないかと。 とはいえ最初に述べた通り、自分としては「褒めたくなる」「好きなタイプ」の品だったので、以下は良かった点を。 まず、冒頭で「息子の成長を見守る母」の姿を描き、母子の絆をしっかり感じさせるのは嬉しかったですね。 こういう映画である以上、そういう描写は必要不可欠だし、やって当たり前だろって話ではあるんですが…… 「当たり前の事を、ちゃんとやってくれてる安心感」が得られるっていうのは、立派な長所だと思います。 警察が全然活躍しないで、主人公が孤軍奮闘して息子を救うって展開に、しっかり説得力があったのも良い。 この場合の説得力っていうのは「警察に任せた方が息子が助かる確率は高いのに、自力で何とかしちゃうのは説得力に欠ける」とか、そういう現実的な代物ではなく、作劇として「主人公は警察に任せておけずに、自力で息子を救おうとする」っていう、主人公の心の描き方としての説得力ですね。 警察署にて、行方不明になったまま帰らない子供達のポスターを見つめ「我が子は決して、こんな風にはさせない」「何もせず待ってるだけなんて、耐えられない」と考える流れには、自然に感情移入出来ましたし。 正しい道じゃないかも知れないけど、観客として「それで良い」「そうするのが正解」「頑張って欲しい」と思える道を選ぶ主人公っていうのは、やっぱり魅力的です。 [ブルーレイ(吹替)] 5点(2023-08-22 00:43:15)(良:1票) |