2221. 猿の惑星:創世記(ジェネシス)
子供を誘わなかった事をとっても後悔(子供たちはカミさんと、『れっしゃナンバーワン大集合』とやらへ)。本作、これぞまさに大人から子供まで皆楽しめる映画。もちろんこれは、「子供向けの内容だけどよく出来ているので大人も楽しめる」という意味ではなく、「大人向けの内容だけどよく出来ているので子供も楽しめる」という意味。大体、まったくと言ってよいほど残酷描写を入れなかった(人が死ぬ描写自体、殆ど無い)ってのがスバラシイし、自信の表れでもあると思う。そりゃま、「主人公だけはおサルと理解し合える」ってな辺り、いささか甘いオハナシではあると思うし、例えば『リンク』なんて映画が実際のチンパンジーを使って撮影することでかえって「何を考えているかわからない」無表情の不気味さがあった事を思うと、今回のCGおサルの表情は雄弁すぎるとも思えるのだけど・・・だがしかし、これらの要素が有ればこそ、クライマックスの金門橋での攻防戦で、これが、おサルと人間、ともに死力を尽くした闘争で手に汗握るシーンとなっており、まあ平たく言えば「どっちもガンバレ」的に大いに盛り上がるのですな。全く違和感を生じさせないCG描写も、これは大したもの。CGのための映像、ではなく、人物を撮るための自然な光の中に、見事にCGを溶け込ませています。主人公の個人レベルのオハナシが、クライマックスでどんどん広がりを見せていくあたりも、70年代のパニック映画を彷彿とさせて、ホント、この映画の正々堂々の勝負ぶりには惚れ惚れしました。変にツジツマを合わせようとしてくれるな、観客のアラ探しを恐れるな、とことんパニックを盛り上げてくれ!と願いながら観てましたよ、そしてその願いを、この映画はかなえてくれましたよ。と言う訳で、ティム・バートンの例のリメイクも一種の先祖がえりの面はあったけど(原作小説に近付いたという意味で)、かつてのパニック映画へ見事に回帰して見せた本作にこそ、軍配が上がる。ま、比べるまでもないか。ティム・バートン、とんだ赤っ恥ですな。 [映画館(字幕)] 9点(2011-11-05 17:07:38)(良:2票) |
2222. ジャンボ・墜落/ザ・サバイバー
《ネタバレ》 うわ~。あちゃ~。不用意なコト書くと他の映画のネタバレにもなっちゃうので書きにくいのですが・・・すでにこんな作品が作られていたとなると、例の、名前がMで始まる監督の、タイトルに数字がつくお馴染みの映画、あの映画の立場って一体・・・。これ以上詳しくは書けませんが(これで充分だってか)、いやなかなか秀逸な映画ではないでしょうか(冷汗)。冒頭、いきなりのジャンボ墜落シーン、これがなかなか気合いが入ったダイナミックなものなのですが、「墜落した」というより「離陸前に事故った」ようにしか見えないのがやや難点か。その後、物語は、オカルトテイストを交えたアヤシゲな展開へ。ここはあまり意味を求めず、アヤシゲな雰囲気を楽しみましょう。ラストには驚きの連続があなたを待っています(大げさに言えば、ですが)。 ところで、この作品のDVDの字幕、なんか変なんですが(文章も変だし、表示のタイミングもイマイチ)、中でも意味不明なのが、飛行機から回収した機器を調査するシーンでの、「高速増殖炉は?」ってな字幕。どうやら、×FBR(fast breeder reactor:高速増殖炉)⇒○FDR(flight data recorder:フライトデータレコーダー)だと思われます。私はヒアリング能力がゼロなので、翻訳を誤ったのか、それとも元々セリフ自体が誤っていたのか、不明です。すみません。 [DVD(字幕)] 7点(2011-11-05 16:29:17) |
2223. 刑事コロンボ/パイルD-3の壁<TVM>
《ネタバレ》 ピーター・フォーク監督作品。まあ、その方面にあまり深入りしなかったのはコレを観る限り正解だったかな・・・? 犯人は例によって最初からわかっているのだけど、普通の“倒叙モノ”とは一味違う。犯行自体は我々に明らかになっておらず、むしろ犯人の策略が物語の中で密かに展開されていき、ラストでその狙いが明らかになるところがミソ。とは言え観てて大体は読めちゃうので、そういう意味ではやっぱり“倒叙モノ”の一種かもね。犯人の目論む完全犯罪は、コロンボと思考を完全に同一化することによって成立する、という非常に危険な綱渡り(コロンボが予想通りに動いてくれないと失敗してしまう)。しかし思考があまりにも完全に一致してしまったため、当然ながら犯行の狙い自体もコロンボの感知するところとなり、あっさり御用。コロンボ恒例の「見込み捜査」がこの上もなく有効に機能してしまうという、なんとも八百長クサい展開なのでした。だからコロンボって苦手なんだよなあ、との思いを新たにしてしまう(金曜ロードショーで水野さんが「さあ来週は皆さんお待ちかね、刑事コロンボの登場です」と言うたび、ガッカリしてたんだよなあ・・・)。ところで↓ラスト近く、タイヤがパンクするシーンを「意味が無い」と批判されている方がいるのを拝見して「なるほどそういう感想もあるのか」と、これはちょっとした発見でした。私はむしろこのシーンが本作で唯一(?)オモシロく感じた見せ場だったもんで(いかにも監督が楽しんで撮りそうな、サスペンス的カマシだなあ、と)。人の感じ方は千差万別ですな。 [CS・衛星(吹替)] 5点(2011-10-29 16:05:09) |
2224. ギルバート・グレイプ
《ネタバレ》 舞台は北欧からアメリカの片田舎に移れど、はたまたイングマル(=弟としての存在)とギルバート(=兄としての存在)はかなり異なるキャラではあるけど、やっぱりこれは『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』の変奏曲、のように思えてくる。やや受け手の存在である主人公、彼を取り巻くいっぷう変わった人々。彼らが日々同じような奇行(?)を繰り返すことで、変化の無い日常が描かれる。しかしそこには少しずつ変化が刻まれていく。例えばハンバーガーチェーン店がやってくる、という変化だけでも、何だか愉しかったりする(変化の無い日常自体が愉しく描かれていた『マイ・ライフ~』で、変化というものが時にヤなもの、切ないものとして捉えられていたのとは趣きが異なりますが、主人公が成長過程であるか、成長していよいよ飛び立とうとしているか、の差から来るものなのかも)。で、小さいが様々なギルバートの経験が描かれていく中で、ある大きな転機が発生する。保護すべき存在であった弟アーニーを感情に任せて殴ってしまう。いやそれよりも、アーニーが独立した存在としてその感情を受け止めてしまう。そして、太り過ぎて動けない母が、息子の為とか云う理由からではなく、自らの意思で階段を上る。日常における“奇跡”って、そんなもんなのではないでしょうか。ここでふと、屋根修理オジサンがある日屋根を下りて川に入るエピソードを思い出す。大きな、極めて大きな転機の象徴。そして母の死とは、息子にとって旅立ちの時。イングマル君は“火”を制御できず不本意ながら火事を起こしてしまったが(母号泣でしたね、ははは)、ギルバートは決然と、母のため、自分たちのために、“火”を放つ。・・・と言う訳で、本来なら独立した作品をこうやってあまり(強引に)結び付けて観るべきではないのかも知れませんが、何だかグッときてしまうのです。あと、どちらの主人公も将来、尻に敷かれそうな気が。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2011-10-24 23:07:57) |
2225. トランスポーター3 アンリミテッド
《ネタバレ》 トラポン第3作。マンネリ街道をひた走りバイオレンス版寅さんと化した本シリーズの、今回のマドンナ役は、皆さんお待ちかねの激安オンナ(って誰も知らんけど)。ブツに手を出すなんぞ運び屋にあるまじき行為、しかもそのブツがこんな有毒生物みたいなオネーチャンだなんて。これはある意味、巨人セーム・シュルトと戦うくらいスゴイことなのであって、ああ、さすがはフランク、と感心してしまうのでした。もっとも、大巨人の方は今回はやや不完全燃焼であったけど(「だからサミーの試合はツマラナイんだよっ!!」by 石井館長)。さらに今回、フランクが凄いのは、実は意外にも頭が良いことが発覚するのです。ダムに沈む自動車、その危機からの奇跡の脱出!! いったいどうしたらこんなスバラシイ方法での脱出を思いつくのか。というより、いったいナンボほどタイヤの空気圧を高くしていたのか。アホ過ぎ。じゃなかった、賢すぎ。そして「線路を走る列車の上を走る自動車」というガキンチョセンスあふれるクライマックス。マンネリと言われようが何だろうが、魅せるところは魅せる。これぞトラポンの真骨頂。ところで、今回の目玉ギミックは「クルマから15m離れると爆発しちゃう」ってコトですが・・・この主人公にとってはむしろ「クルマの15m以内に近付いたら爆発する」の方がツラそうですね。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2011-10-24 21:58:00)(良:1票) |
2226. 荒野の用心棒
この映画、何度か観てると観るたびに強くする思い、それは「これは黒澤明の『用心棒』とは全く異なる作品である」ということ。いやあ我ながらコワイですよね、どっからどう見ても明らかにパクリなのにね。しかしこの肌触りの違い。単にユーモアの有無とかだけじゃなくて、語り口そのものの違い。考えようによっては、本作の問題点とは「無断でパクッた」ということよりも、「同じ物語でもオレならもっと上手く映画にするね」という挑戦に受け取られかねない点にある、とも。実際、『用心棒』と比べると、本作の方がより直接的・時系列的な描写を避け、巧みな構成を取り込んでいるように思います。この点が、本作の無愛想な印象ともなっている訳ですが。と言う訳で、物語のオモシロさという長距離力、シチュエーションのユニークさという短距離力に、さらに構成の巧みさという中距離力が加わり、ここに最強の娯楽作品が誕生したのであります(まあパクリってのは当然マズイんだけど、無断で作っちゃったお陰で自由な取捨選択による再構成が可能だった、という面もあるかも知れんわな)。……ま、少なくとも「刀vsピストル、本当に強いのはやっぱりピストルだった!!」というアホな内容にならなかったのは本作にとって良かったと思います。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2011-10-23 09:04:35) |
2227. RED/レッド(2010)
この映画がやりたかったことって、要するに『昭和歌謡大全集』なのか? まあ何にせよ、オッチャンオバチャンの暴走ぶりが眼目なのだけど、いくらオッチャンオバチャンと言っても所詮はスターさんの寄せ集め、オーラが漏れ出てしまい、オッチャンオバチャン本来の“素朴ないい味”を出すことはできない(うーむ、何だか価値観の軸が完全に反転してしまっているけど)。と言う訳で、ロケットランチャーおばちゃんが、この映画の頂点でした。ボーグナインは眉毛が白くなって善人顔になってしまってるしなあ。と言う訳で、どっちかというと本作、「あの人は今」的な企画モノになっちゃってますかね。「雑なストーリーを丁寧に撮る」というアプローチ自体は好調で、しっかりと楽しませてもらいましたが。それにしても、ブルース・ハゲウィリスが帽子を目深にかぶっていると、妖怪人間ベムにそっくりだと思う。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2011-10-23 08:11:01) |
2228. 理由(1995)
《ネタバレ》 最高。ブラボー。笑わせていただきました(もちろん嘲笑ではなく)。バカバカしいけど楽しめる、“新本格”型社会派サスペンス。こういうネタって、冗談で「こんな内容の作品があったらスゴイよね」とか考えるだけであれば、思いつく人はナンボでもいるかも知れないけど、本当にこうやってモットモらしく伏線を張ってみたりして作品化しちゃうのがスバラシイ。ミステリとして成立させてしまっている。いやそれよりも、前半をしっかりと“社会派エンターテインメント”として成立させてしまっているのが、図々しくてさらにスバラシイです。ショーン・コネリー、「妙に優秀な黒人の若者に手を差し伸べる」というテーマはこの後『小説家を見つけたら』でも取り組んでる訳ですが、彼としては本作の役の方が(つまり飄々として頭カラッポな感じ)、ピッタリですね。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2011-10-23 06:51:02) |
2229. 大殺陣
《ネタバレ》 リアリティ重視路線と、この“大殺陣”なるコケオドシのタイトルとは、なかなか両立しづらいもんでして、実際、クライマックスの大立ち回りは、必ずしも効果的とは言えず、ほとんど収拾のつかないカオスと化しています。ほとんど『トランザム7000VS激突パトカー軍団』並みのカオスですよ、これは。と言う訳で、効果的であろうがなかろうが見どころには違いなく、よくぞこれだけのカオスを演出したものだ、と感心します(と、何でも褒めておく)。本作は、クライマックスに至るまでの物語も、単なる「主人公+その他大勢」ではなく、幾層にも編まれた群像劇になっていて、時代劇でありながら、まるで社会派の様相を呈しております。ここが本作のユニークなところでもあり、派手なタイトルの割に地味な印象を与える点でもあるのですが・・・。でまあ、何かとやりきれないエピソードが続いていく訳ですが、壮絶なクライマックスの後、平幹二朗がテロ完遂の役を買って出るというラストには、うーん私も、唐突な感じを受けました。何故、最後だけこんなサワヤカな作風にしてしまったのか。彼すらも“失敗”することでむしろ何かもっと大きな怒り、やりきれなさが“完成”するように思ったのだけど。しかも彼が向かっていくシーン、時代劇セットの向こうの方に近代建築が写ってしまっているように見えたのだけど・・・? [CS・衛星(邦画)] 7点(2011-10-13 23:16:07) |
2230. デビルズ・ゾーン
ワー懐かしい。何の気なしにDVD借りて観てみたら、子供の頃にテレビで見たヤツやんか(まさかこんな80年代感覚あふれるナウいタイトルだったとは・・・)。懐かしさのあまり、ついつい甘い点数にしがちなところを、ここはグッとこらえて厳しい点数をつけるようなこらえ性も無く、しかし幸いにも、改めて観て非常にオモシロイ作品である事が確認できたので、堂々と甘い点をつけちゃう。そう、これは“蝋人形の館”ならぬ、“マネキン人形の館”。これってオリジナリティあるのかね。さあ。でも『アイ・アム・レジェンド』には影響を与えているんじゃなかろうか(1%くらい。いや1ppmくらい)。このマネキン人形の不気味さ。それ以上に、映画全体を貫く、ワケの判らなさ。いや意味不明という事ではなくて、一体、このマネキン・ネタだけでどこまで連れて行かれるのやら、という意味でのワケ判らなさ、不安感。まず最初の犠牲者。襲われた男の恐怖に苛まれるカットと、変なマネキン人形のカットとの反復により恐怖をあおり立て(ているらしい。のでここは怖がって観て下さい)、ついに男が絶命したところで、カメラがゆっくりと室内を見まわす。ひとつの部屋の中に居る襲う者と襲われる者が切れ切れのショットで捉えられていたものが、この瞬間、連続したショットで繋ぎ合わされようとする、そのゾッとする感覚、いやスバラシイです。その後も映画は独特の一人合点な迷走を続け、アホらしいと呆れるもよし、いっちょお付き合いして怖がってみるもよし。生きたまま女性がマネキン化されていくシーンの怖さとアホラシさ、マネキンたちが妙に派手な照明に彩られている悪趣味な感じとアホラシさ、これらは子供の頃に観て以来、非常に印象に残っております。ワケがわからないって、最強ですね、ホント。この作品、おススメ!! [DVD(字幕)] 9点(2011-10-13 22:41:29)(良:1票) |
2231. ナチュラル
さほどパワーがあるようにも見えないレッドフォードが異常にデカいホームランを打つ、というだけでも十分に不気味なのだけど、彼をレギュラーに入れんがためのストーリーの都合上、他の選手が意図も簡単に死んでしまったり、はたまた、異常なまでに、あげまん効果・さげまん効果がテキメンだったりと、まあ、やりたい放題。「野球をナメとんか」とお怒りの方もおられるとは思いますが、しかし、“野球”にだからこそ託せる夢もあるのです。こういうハチャメチャさを受け止める包容力。そして作品の方も、ひたすら夢を描かんがために、様々な工夫を凝らし、密度の濃いファンタジーとなっています。で、まあ、こういう作品を支えているのって、やっぱし、レッドフォードのいかにも「何も考えて無さそうな顔」、なんですよねえ。これって貴重。そして彼は物語の、そして風景の一部となり、夢を夢として封印すべく映画は唐突に終わる。いいじゃないですか。ちなみにわたしゃ、バットが折れるシーンが一番泣けます。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2011-10-04 23:34:08) |
2232. バトルクリーク・ブロー
うちの子供たちはジャッキーのファンらしい(よくわからんが)ので、本作ですらも熱心に観てます。傍で見てて、さすが、と感心するけど、何に感心しているのかは自分でもよくわからない・・・。あるいはむしろ、この映画のヌルさが、子供にとってはコワ過ぎず、ちょうどよく楽しめるのかも。でも私も別に、そんなヒドい作品とは思ってなくて(ヒドくない訳じゃないけど)、実は『燃えよドラゴン』よりもマシな映画なのでは、とも思います(あちらは神サマが出演している殿堂入りクラスの作品なので、比較自体が無意味ですが)。そして、ジャッキーが目指しているのは“新ブルース・リー”ではなくて、あくまでサイレント映画のスラップスティックであることが、この映画を見てもよくわかります。だから、子供でも楽しめる。これホント。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2011-10-02 08:28:11)(良:1票) |
2233. 紀元前1万年
この作品を「紀元前1万円」と呼びたい。スペクタクル映画一本で一万円とは確かに安過ぎるけど、自腹を切るにはちょっと痛い。そういう、値頃感を含めてのリスペクトを示しているのです。しかっし、エメリッヒ、さすがです。何と言ってもこの、気持ちの強さよ。こういう映画を作るためなら、バカと思われることなど何とも思っちゃいない。何しろ宇宙人、怪獣、氷河期と、様々な敵と戦ってきた男。「バカと思われる危険性」というのもこれらに劣るとも勝らぬ強敵であるけれど、今回も堂々と打ち破って見せてくれました。“CG”という心強い味方さえいれば、どんな逆境も乗り越えられる。いや実際、よくできたCGです。CGをフル活用する以上、マンモー(マナクではなくマンモーと呼ぼう)はたくさん登場させねばならぬ、群衆はさらにテンコ盛り出さねばならぬ、これを画面に収めるには、相当高い視点からの映像が必要だなあ、と。かえって欠如してしまったスケール感がこれまた愉しい作品。喜び過ぎってか。 [地上波(吹替)] 7点(2011-10-02 07:54:31)(笑:1票) (良:1票) |
2234. 脱出(1972)
《ネタバレ》 ストーリーだけを見てしまうと、いまいち煮え切らないサスペンスもどき、というコトになってしまいそうなこの映画、しかし、撮影ロケーションの素晴らしさによって、充分な魅力を放つ作品となってます。観てると何となく、ブアマン監督が「この岩の形が素晴らしい! よしここで撮影だ!」とか嬉しそうに言ってる光景が目に浮かぶよう。「この急流を滑り降りる撮影をしよう! せいぜい岩に頭を打たないように気を付けたまえ!」とか言って4人の俳優の顔が青ざめている光景が目に浮かぶよう。おそらくは実際、過酷な撮影であったのでしょうなあ。ヒゲのないバート・レイノルズに、ヒゲのあるジョン・ヴォイト。野性味あふれるレイノルズに対し、ジョン・ヴォイト演じるエドは、普通の家庭の父親であり、理性的な人間。しかしその彼が、異常な事態の中で、タガが外れていく姿がこの映画では描かれますが、最後には、ダムの底に消えゆく自然とともに、すべての「異常」は水底に葬られることとなり、各々が心なり体なりに傷をかかえつつ、日常に戻っていく。ラスト近くで保安官と交わす会話が印象的なんですが、このイイ味出してる保安官を演じているのが実は原作者というのも、またさらに意味深。また、エドの息子役はブアマン監督の息子ですが、本作の“ダム建設で消えゆく自然”というテーマは、息子ごと『エメラルド・フォレスト』に引き継がれます。父親であるエドのパッとしない態度にご不満の方は、コチラの作品もどうぞ。 ・・・ところでキミは、財津一郎の“キビシーッ”のポーズで死ねるか? [DVD(字幕)] 8点(2011-10-01 16:42:46)(笑:2票) |
2235. パーフェクト・ワールド
ラスト近くにハロウィンネタを持ってきたところが憎い。じゃなくてもう、ズルい。くそーそうきたか、中盤の展開を、最後にそう持ってくるか。そんなの感動せずにはおれないではないか。ズル過ぎ、ヒキョーだぞ。ウチの幼稚園の娘は最後の30分くらいしか観てないのに、泣いてるしなあ。父ちゃん、もうワケわからん。ケヴィン・コスナー演じる男、それなりにイイ奴ではあるけれど、所詮は殺人者。いや、脚本家の立場からすりゃ、彼に殺人を犯させず、もっと好人物に描くことの方が簡単なワケだけど、敢えて殺人者として描く。なぜならその事は、少年と彼との友情の障害とはならないから。友情は善悪を超える、という信念が、ここにある。“完全な世界”とは、“完全な人間だけが住む世界”のことではなくて、むしろ“あらゆる人間が存在しうる世界”。その不完全な人間たちが互いに補い合って、“完全な世界”が形作られる。うーん、何だか、ハメられたような感動なのだけど、悪い気はしないね。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2011-09-28 22:45:54) |
2236. ゲッタウェイ(1972)
《ネタバレ》 ふと思ったのですが、本作の前年に作られた『わらの犬』も、“妻を守り切れなかった男”の物語でしたね。本作にもまた、“妻を守り切れなかった”二人の男が登場します。『わらの犬』では他の事件が契機となってダメ男が暴走したのに対し、本作では二人とも、決して暴走することもなく、妻の過去に悶々とするばかり。そのうちの一人である、マックィーン演じる主人公の巻き起こすアクションが、本作の中心ではあるのですが、それはあくまで生き延びるための手段であって、あくまで沈着冷静。破壊衝動などによるものでは無く、よって気持ちの整理もつかない。それが、様々な危機を乗り越えていく中で、隠れたゴミ箱の中からゴミ収集車に放り込まれ、ゴミまみれになってみて、何かようやく懊悩をツキぬけたような。で、ラスト、ヒーローは栄光に包まれるでもなく、ドハデに死を迎えるでもなく、ただ静かに去っていく。寂しい。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2011-09-26 23:26:23) |
2237. 地獄門
平安時代を舞台にした絢爛豪華な映像に対して、オハナシの方は、ストーカー男が人妻にちょっかいをかけるという、あまりスケール感の無いもの。そのストーカー男の一途で青臭い役柄を、貫禄ありまくりの長谷川一夫が目をひん剥いて渾身の演技でやってるもんだから、これはこれでインパクトありますけどね。そういう意味でクライマックスは確かに圧巻なんだけど、ラストにおける2人の男のやりとりは、ちょっとくどいんじゃなかろうか。語りつくしてしまった感があり、余韻を損なったかも。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2011-09-26 22:35:21) |
2238. 鮮血の美学
製作ショーン・S・カニンガムに、監督がウェス・クレイヴン(しかもエンドクレジットをぼんやり眺めてりゃ、スティーヴ・マイナーなんて名前まで出てくる)、これが80年代だったら、まるでホラー映画界が総力を挙げて作ったような作品か、となりそうな顔ぶれですが、いかんせん製作72年。みな無名。と言う訳で、いかにもグラインドハウスな香りも高い、クズ映画です。でもクズとは言え、この到底隠しおおせないチープさの中で、しばしば現れる確かな構図に、後の才能の開花を見るような見ないような。内容的には、二人のオネーチャンが変態どもにとっつかまって、変態的にいたぶられて・・・という、まあ変態映画ですが、単なる変態映画に終わらないのが、後半の意外な展開(予想外、というより、まさかこんな予想が当たるとは思わなかった、という意外性)。単なる変態映画じゃないとは言っても、要するに二重の変態映画ですね。この映画、元ネタはベルイマンの『処女の泉』だという説がありますが、この後半については、むしろ『ホーム・アローン』を思い出させるものが。全然違うけど。あと、映画冒頭で「実話に基づく」とか言ってるけど、そんな訳あるか!と言いたくなるのは、内容の残酷性とかについてじゃなくて・・・・・・そんな偶然、あるかい!!(どんな偶然かは、観てのお楽しみ) [DVD(字幕)] 6点(2011-09-25 13:53:24)(良:1票) |
2239. ミッシング(1982)
突然ですが、わたしゃ“心霊写真”なるものが大嫌いでして、まあ信じないのは当然としても、あのアホらしさというものには、どうにもこうにも我慢できない。死者の怨霊が、カメラとみりゃ「ねえ写して写して」って割り込んでくるってか。コワいでしょ、ってか。アホ過ぎる。超自然の存在であるべきユーレイたるものが、そんなにミーハーで、そんなにワカリやすくって、そんなに陳腐で、どうすんのよ。と、まあ関係ない話題から始めたのも要するに、この映画のコワさ、キモチ悪さ、といったものが、一味も二味も違うからでして。自分は今、一体どういう状況に置かれているのか。尋常ならざる状況であることだけは判るのだけど。間欠的に発砲される銃の音。川を流れてくる死体。さらには、何故か道を走る馬。床に無造作に並べられた無数の死体に圧倒され、ふと上を見上げるとそこにも死体が累々と横たわっている、という不気味さ。個人では太刀打ちできない何か巨大な存在が、チラチラと横顔を見せつつも、はっきりと正体を現さず、ただ辺りを取り囲んでいる。で、この状況に置かれた、二人の主人公、すなわち、拉致され行方不明となった男の、妻と父は、あくまで“日常的”な存在。二人の交流なり衝突なり、といったものが描かれるとき、彼らはあくまで、我々と同じ普通の日常人でしかないことを感じさせるのだけど、その彼らが、夫を、息子を捜しだすという“信念”によって、状況に立ち向かっていく姿、そこに感動を覚えずには居られません。いやまあ、「実話モノ」に弱いってのもあるんですけど・・・(今回はイヴ・モンタンではなく)ジャック・レモンとシシー・スペイセクという配役の上手さもありますね。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2011-09-19 23:20:18) |
2240. 十一人の侍
『十三人の刺客』と『七人の侍』を足して2で割ると、ああ確かに(13+7)÷2=11人。ハイ、計算間違い。いや何にせよ、タイトルと言い、敵を待ち伏せる展開と言い、クライマックスの豪雨といい、『七人の侍』と敢えて共通点を持たせることによって、作品のベクトルの違いが、より強く印象付けられます。どっちかというと、“忠臣蔵”からあらゆる潤いを取り去って、ひたすら殺伐とした作品としたような感じ(僅かに残された潤いも、すべて作品の中で取り去られる)。集まった侍たちは、個性豊かに描き分けられることなく、単色に染められ(互いにやたらと名前を呼び合う点だけが、唯一の存在主張)、いわば“消耗品”として、戦いの中に命を散らせて行く。要するに、テロリスト。いやホント、殺伐としてますなあ。 [CS・衛星(邦画)] 9点(2011-09-18 07:58:02) |