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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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241.  テリファイド 《ネタバレ》 
場所はブエノスアイレスだそうだが都心ではなく南米風にも見えず、戸建てが並ぶ郊外の緑豊かな住宅地である。日本でいえば呪怨の家で、事故物件住みます中高年のようなことをやっている印象だった。若い女性は出ないので、そういう面での彩りはない。 ホラーとして特に独創的に見えるところはなく、怖さを突き詰めようとした感じもないがまあ悪くない。看板娘的な存在のはずの裸体のものは、見えたり見えなかったりする設定のためか意外に出番が少なかったが、少し離れたところから見えると言ったとたんに迫って来たのは、見たな~という感じで悪くない。物静かなゾンビ少年も悪くなかった。  出来事の原因に関しては、偉そうな博士が何か適当に説明していたが荒唐無稽で聞く気にならない。こんな説明ならなくていい。 それより個人的には初老の男の意見として、見なかったふりして放置するのがいい、と述べたところに共感した。しかしその男が後で目をやられていたのは、見ようとしないのなら目など不要だろう、という皮肉な意味だったかも知れない。また主人公らしき男が、見えていたものを見えなくした(隠した)ことを微妙な関係の女性に咎められていたが(連れ子は見たくないという意味?)、その後に一度逃げてからまた戻っていたのは、もう見えないふりをせず、正面から対決しようと決心したということか。 どうも見える/見えない、あるいは見る/見ないの対比にこだわった映画にも見えたが、少なくとも自分には意味不明瞭なまま終わってしまった。とりあえずヤバいものはやはり見ないことにするのが基本ではないかとは思うが、見ないでいると致命的な結果に至ることもあるとすれば一般論ではなかなか語れない。ちなみに怖いのが嫌ならこの映画は見なくていい。  全体としては、悪くないとはいえるが意味不明なところもあり、絶賛するほどではないが嫌いでもないので悪くない点にしておく。なおハリウッドでリメイクされる予定はどうなったか知らないが、それとは別にこれ自体の続編も準備中らしい。今作のラストから直接つながる形になるそうで、そういえば最初から続きを予感させる背景音楽のようではあった。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-11-28 08:52:07)
242.  トゥルース・オブ・ウォー 《ネタバレ》 
1982年のフォークランド紛争の映画で、原題の「神のみぞ知るアルゼンチン兵士」は無名戦士の墓碑に書かれた言葉を意味している。なお主人公は1963年生まれとのことで、現在なら50代後半になっている。 配給元は派手な戦争映画として宣伝したいようだが、戦争映画としての効用はほとんどない。シュペール・エタンダール攻撃機もエグゾセ対艦ミサイルも駆逐艦シェフィールドも見えず、アルゼンチン巡洋艦ヘネラル・ベルグラーノが撃沈されたことだけ言葉で説明している。少人数の陸軍兵が中心だが、変なところで無駄に発砲して無益な殺生をしているようにしか見えない。 後半は戦後の人間ドラマになり、復員兵の苦しみと遺族の憤りが描かれているが、最後は適当に納得してハッピーエンド風で切り上げるのが軽薄な印象を出している。なお全体として静かな雰囲気の映画だが、それは戦闘場面に金をかけられないのと、当時は国民自身が戦争を叫んで盛り上がっていたことを捨象したからだと思われる。  ところで当時の記憶は不正確だが、歴史的な主張はともかくこの時点では、アルゼンチン側が勝手な都合で一方的に侵略戦争をしかけたようにしか見えなかった。独裁政権の思惑に乗せられて、国民自身が嬉々として志願して負けて帰って傷ついたと泣いているなどアルゼンチン国民はバカではないか、というのが当時の率直な印象である。主人公が「独裁政権と同じ扱いにされてる」と嘆いていたが、自分としても全くそのように思っていた。違うのか。 この映画の立場では、昔のことは独裁政権のせいで国民は専ら被害者という扱いらしく、確かに意に反して従軍した人々がいたなら気の毒だ。しかし、遺族感情を慮って死者の名誉を回復するまではいいとしても、島をわがものにしない限り死者は浮かばれない、というように取れる台詞が入っていたのは共感できるものではない。こんなことを繰り返してはならないと訴えるより、彼らの死を無駄にしてはならない(次はもっとうまくやる)というようなものではないか。少なくとも日本でいう反戦映画では全くなく、逆に国民を新たな戦争に駆り立てかねない映画になっている。 結果的には2010年代以降、現地政府がこの問題を蒸し返そうとしている政治的な動きを反映した国策映画かと思った。植民地主義を糾弾する体なら何をやってもいいことにはならない。自分としては毅然と対応したイギリスの立場を今も支持している。
[DVD(字幕)] 2点(2020-11-28 08:52:05)
243.  蛇女の脅怖 《ネタバレ》 
知っている者にとっては有名な蛇女の映画である。昔の日本では、この映画や前作の「吸血ゾンビ」(1962)が「怪獣ゴルゴ」(1961)などと並ぶ特撮映画の扱いで怪獣図鑑に掲載されていた。自分としてはこの映画の説明を読んで初めて「ボルネオ」という地名を覚えた気がするが、かつてのイギリス植民地とすれば現在はマレーシア領になっている地域のことのようで、劇中の不気味な東洋人も役名がMalayになっていた。  前作に続いてまたコーンウォールの話であり、さすがイギリスの隅の方だけあって何が出るかわからない不気味な地方という印象が出ている。撮影も同じ場所とのことで、酒場とか墓地とか邸宅など見覚えのある風景が出るほか、名前を知っているとか墓を掘り返すとか火事になるとか似たような展開も見える。急造映画のためか前作よりも単調な物語のようだが、ただし原題には雌雄の別がないので、最初は不気味な東洋人が蛇男のように思わせておいて実は意外な正体だった、という意外性はあったかも知れない。 また、自分のせいかも知れないが意味がよくわからない場面もあり、客間で楽器を弾いた場面で父親が激怒した理由は何度見てもわからない。酒場の主人が夫妻の飲物に入れたのが何かも不明だったが、結果的に悪意があってのことではなかったようで、これは睡眠薬でゆっくり寝せようとしたのだと思っておく。なお、いくらヘビでも冷気に当たっただけで死んでしまうというのも何なので、ここでは活動力だけを失って、その後に火事で焼け死んだと解釈しておく。 ほか前作もそうだったが、イギリス社会の「旦那」と庶民の区別が窺われる映画ではあった。  キャストに関しても、巡査→酒場の主人など前作と同じ役者が出ている。個人的には、前作でも印象に残ったジャクリーン・ピアース嬢が最大の見どころで、特に楽器を弾く場面の表情が非常に魅惑的なので惚れてしまった。 また人間以外では、哀れっぽく鳴くネコが助かってよかった(制作側に忘れられたのではないかと思った)。
[DVD(字幕)] 4点(2020-11-21 14:20:20)
244.  吸血ゾンビ 《ネタバレ》 
今のゾンビよりも本来の姿に近いものらしい。原題のplagueは疫病を思わせるがウイルス性ではなく、ちゃんとブードゥーなるものの儀式で一体ずつ作っていく形になっている。邦題の「吸血」は実際にはないが、呪いをかけるのに血液を使うところはあり、また墓から出るのが吸血鬼ドラキュラのイメージではあるかも知れない。 なるほどと思ったのはゾンビの製造に実利的な目的があったらしいことである。安価な労働力と思ったとすれば悪徳資本家というしかないが、しかしあらかじめ持っている人形の数しかゾンビが作れないのでは限界がある。また目をつけた美女を自分のものにするために人形を使っていたらしいのは資源の無駄というか悪趣味というしかない。  物語としては、一応ちゃんと作っているようだが何となく回りくどく、終盤の展開も手が込んでいるようだが若干面倒くさい。しかし今回のヒーロー役らしい老教授の場面では、娘の尻をどけようとするとか皿洗いとか少し笑わせるところもあり、また墓を暴いた場面で警官も一緒になってのビックリ感は少し印象的だった。最後は教授の娘が若い医師の後妻に入りそうな雰囲気もあったので、どさくさ紛れに親友の夫を横取りしてしまう物語のようでもあった。 登場人物としては、次回作の「蛇女の脅怖」(1963)にも出るジャクリーン・ピアース嬢が可憐な感じで心に残る。顔は青くなっても瞳は大きいままで可愛いゾンビだった。  ほか勉強になったのは、イギリスのコーンウォールという地方が錫(Sn)の産地だったということで、2006年には「コーンウォールと西デヴォンの鉱山景観」がユネスコの世界遺産に登録されている。劇中年代としては自動車もなく電気も通じていないようだったので19世紀のうちかと思うが、その頃すでに鉱山の衰退期に入っていたことを採掘場の廃墟が象徴していたようでもあった。 もう一つ余談として、ここに書く必然性はないが毎度思うのは、最初から火葬にする風習がある場所ならこの手のゾンビも吸血鬼も問題化しないだろうということである。キリスト教の神は全能なので、死体があろうがなかろうが復活させてもらえると思っては駄目なのか。
[DVD(字幕)] 5点(2020-11-21 14:20:18)
245.  悲情城市 《ネタバレ》 
最初が日本語で始まるが、その後も日本の言葉や漢字の日本語読みが結構聞こえる。ヒロインも「にいさん」のような呼び名を常用しており、また主人公の林文清のことは「きよしさん」と呼んでいた。そもそも兄妹の名前からして日本語読みできるよう付けられており、生家がかなり親日的だったと想像される。 主人公の生家である林家は財力のある在地の有力者のようだが(日本人の感覚ではヤクザに分類?)、ヒロインの実家である呉家もお堅い旧家か何からしく、子弟の教育水準も高かったようである。戦前は、林家は日本(というより統治体制か)に反発し、逆に呉家は親和的だったようだが、その違いが何か対立を生んでいたわけでもない。戦争では1人が帰還せず、戦後は大陸の密輸業者とのトラブルや共産主義者の弾圧で家族が失われ、先行きは明るくなかったようだが特にはっきりした見通しもなく終わる。結局何がいいたいのかと考えさせられてしまうが、監督インタビューを見たところでは、それまで隠されてきたこの時期のことを人々が改めて回顧するという意義はあったらしい。昔を知らない世代にも、当時の社会の有様を伝えるものになっていたと思われる。 またこの映画ができたのは、1987年に台湾で起きた大きな政治的変化のおかげとのことだが、その変化は単に映画製作の好機というだけでなく、現在の民主的な政治体制につながる歴史的な大事件のはずである。この映画は大陸側の勢力に一方的に支配される形で終わったが、今の台湾がこれからどうなるかは今いる人々が自らの意思で決めるべきことであり、それを改めて認識させる映画だとは思わされた。日本人にとっては他国の問題だが、かなり気になることではある。  登場人物に関して、まず序盤で出た静子さんは上品なお嬢さんだったが、こんなカワイイ系美女が当時の日本にいたか??という意味でも目を引いた。ヒロインの寛美さん(寛美ちゃん)の方は少し地味かと思ったが、よく見れば清楚で優しげで可愛らしい人である。男連中が政治談議をしている脇で、清さんと一緒に「蘿蕾莱」を聴く場面には和まされた。控え目で古風に見える女性だったが、主人公も悪気の全くない温和な男で、この2人が作った穏やかな家庭のはかなさが切ない映画ではあった。 ちなみに筆談の字幕が無声映画のようで、過去を回顧する映画にふさわしい雰囲気を出していたかも知れない。
[DVD(字幕)] 8点(2020-11-14 09:25:43)(良:1票)
246.  北京の55日 《ネタバレ》 
冒頭いきなりそれらしく作った城壁や街並みに驚かされるが、その後も巨大な楼閣が炎上して崩壊するなど、こんなものを実物でよく作ったものだと思わされる。壁に「殺」「焼」と大書されていたりするのが殺伐とした雰囲気を出していたが、ほかにも火薬箱に「容易起火」と書いた紙が貼ってあるなどアメリカ人には読めないわけだ。なお清国人を斬首するのに辮髪を掴んでいたのは使い勝手がよさそうだった。  当時の列強の政策自体はほめられたことではないとして、アメリカだけは別に領土的野心はなかったのだとアピールしていたようである。また清国側が民衆運動を都合よく使って示威行動なり破壊活動をさせていたのを見ると、こういうのは昔からあったのだと改めて思わされるが、その制御を誤ると権力が滅ぶというのが最後の西太后の述懐だったらしい。 列強側は11か国といいながら、アメリカ映画なので米英中心なのは当然として、意外に日本もアメリカ寄りで目立つ場所にいる。これは史実というより第二次大戦後の日本の立ち位置の反映かも知れないが、単なる子分というだけでもなく、いきり立つアメリカを宥めて協調を促したように見える場面もあった。敵の警備兵をカラテで倒したのも日本人ではないか。アメリカ人が英独仏伊には各国語で呼びかけておいて、日本語だけ出て来なかったのはナメられているような気もしたが、けっこう親日的というか変になれなれしい映画には見えた。 基本的には、日頃は利害が対立していても有事には協力していこう(アメリカ主導で)という映画だったようで、昔の日本も孤立して世界と戦うばかりでなく、ちゃんと他国と連携しようとしていた時代もあったというのは悪くない。今はそういうお仲間をどれだけ作れるかが問題だろうが、現実問題としてアメリカを当てにしていればいいわけでもなく、まあ前途多難だというしかない。  登場人物では、﨟󠄀たけたロシア婦人が一応ヒロインだったようだが、それはともかく自分としては、昔の夏帆を思わせる可憐な少女が救われてもらいたいとだけ思いながら見ていた。主人公の少佐に対して部下の軍曹や神父までが、この子にまともに向き合え、と強要していたのは笑った。この少女が幸せになりさえすれば、あとは大清帝国がどうなろうがハッピーエンドということだ。 そのようなことで、結果的にはそれなりに面白い娯楽映画だった。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2020-11-14 09:25:40)
247.  大阪少女 《ネタバレ》 
監督は本来バイオレンス映画を得意とするとのことで、DVDでも過激な映像が含まれている旨のテロップが最初に出る。場所はいわゆるディープな大阪ということらしく、屋外映像では主に西成区が映っていたように見える。山王2丁目あたりとすれば飛田新地に近く、あいりん地区からも遠くない。 物語としては、現地社会に適応しながら成長してきた少女が、祖母に任された家賃の徴収業務と、それに関わって起きたちょっとした出来事(現地では普通にある?)を通じて、社会性と人間性を向上させた話らしい。中学に入ってから1年後とすれば中学2年生ということになる。  最初のうちは主人公の過激な言動が小気味よかったが、次第にこれはやりすぎではないかと思うようになる。「今日から暴力は卒業です」と言っておいて特に変化がないように見えたのは、そもそも何をもって暴力というかの基準が違うということか。ただ人間のクズでもなく滞納もしない相手には、暴言だけで暴行はしないというくらいの違いはあったらしい。 相手構わず凄味をきかせるやり方は、本人がどうみても「お嬢ちゃん」だから通用していただけのことで、相手によってはかなり危なっかしい場面もあり、最後は祖母の人脈と人徳で守られたことを本人も思い知ったと思われる。それでも最後まで口が悪いままだったのは、これが本人のいわばベースラインだったのかも知れない。現地では本当にこれで普通なのか。 ちなみに劇中描写が現地事情をそのまま反映していると思うわけでもないが、もしかすると昔気質の極道の気風(「ゼニカネだけで動いたらあかん」)を解しない外来後発の勢力が波乱要因になることはあるのかと思った。人でなし連中をいきなり埋却処分したのは正直笑った。  全体としてはそれほど大感動というようなものでもなかったが、ただし主人公が、あまりに人情味がなさすぎたかと気にしていたところで、いきなり取り返しのつかない事態になってしまい、さすがに少しこたえたようだったのは若干泣かせる場面になっている。 そのほか単純に面白かったのは、「妄想ノーベル文学賞受賞作家の妄想の娘」(役名)がポルノ小説家のところにも出たことだった。意味は不明だが、個人の妄想が実体化して独立的に活動し始めたということか。それなら「ポルノ小説家の妄想女性」も実体化させればいいだろうがと思った。
[DVD(邦画)] 6点(2020-11-07 08:56:55)(良:1票)
248.  はらはらなのか。 《ネタバレ》 
監督の酒井麻衣という人は、映画と音楽のコラボレーションによる映画祭「MOOSIC LAB」に出品した「いいにおいのする映画」(2015)で各賞を受賞して注目された人物らしい。ちなみに同じ音楽祭の出品作としては、個人的に加藤綾佳監督「おんなのこきらい」(2014)、松本花奈監督「脱脱脱脱17」(2016)を見たことがある。 この映画はその映画祭と関係ないらしいが、やはり映画×音楽のコラボ風のようで複数のミュージシャンが出演・演奏している。また物語の中心になる劇中劇は、実際にこの映画の主演女優が2015年に主演した演劇とのことだが、その舞台の演出家もこの映画に脚本協力するとともに本人役で出演している。ちなみに主演女優もいわば本人役ということになるらしい。  内容としては役者の道を目指す少女の物語になっており、ポスタービジュアルの印象ではコメディかと思うが実は笑えない真剣ドラマである。ただ突然始まるミュージカル風の場面はコミカルで、また主人公の見ている幻影を現実に紛れ込ませるのがファンタジックではある。 解説によると子役から俳優へ移行する過程の話だそうで、演技することの意味を主人公が悟るのと、母親の不在を満たすのが最後に重なる展開だったらしい。子どもの頃なら妄想や願望でしかなかったものを、仮想的に実現する場として演劇を位置付けるようになったということか。ほかに個人的感覚としては、役者になるための基礎条件として、本人が役者になると頭から決めてかかっている必要があることが表現されているかと思った。 見ている側は12歳の少女でも役者志望でもなく、共感しにくい題材だったのは仕方ないが、結構深みのある映画ではあった。なおラストの場面が「心で見たい世界」を舞台の上で見るという意味だとすれば、いきなり異次元世界に入り込んだ印象だったのはわかりにくかった。  キャストとしては、主演女優は満13歳になった直後くらいの撮影だったようで、最初は心許ないかと思ったが実はそうでもなく、主人公の心の変化を表現できていたようで感心した。また松井玲奈という人は大人のおねえさん役で惹かれたが、13年前の場面も13歳くらいらしく可愛く見える。ほか先輩役の吉田凜音という人は、「女子の事件は大抵、トイレで起こるのだ。」(2015)と似たような服装で出るのでまたこれかと思わされるが、まだ若いのに顔に迫力があるのは特徴的だった。ギターで歌う場面もある。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-11-07 08:56:52)
249.  ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像 《ネタバレ》 
この監督の映画は3作目になる。美術商の映画としては、ほかに邦画の「嘘八百」(2017)と「文福茶釜」(2018)を見たことがあるが(両方とも関西の話)、それほどの殺伐感はこの映画にはない。ネット上のレビューを見ても評判のいい映画のようだったが、個人的には残念ながら同じように感じられなかった。 まず、老人と孫が出るからには世代間継承がテーマかとは思ったが、自分としてはその孫が全く信用できなかった。才覚があって行動力もあってモバイル機器が使えるにしても、それだけでは日本でいう転売ヤーのようになるだけではないか。このガキに後を任せたところで、うまくやれば1千万円台で売れる資産をゲットしたとしか思わないだろうが。 また、せっかくキリスト教の救世主が真顔で何か言いたげな様子を見せておきながら、「個人よりも全体」という言葉が結末に生かされないのは落胆した。自分のためより家族(子孫)のためというだけでは、富を一族で独占しようとする富豪や権力者と同じではないか。美術商という前提はあったにせよ、私利私欲を越えた公の価値が美術品にあるという認識に最後まで至らなかったのは非常に残念だ。 要は、例えば公共の美術館に匿名で寄付すればよかったわけで、店じまいを機に主人公が商売人の立場を捨てて、優れた芸術作品を公共の財産にしたというなら最後の仕事にふさわしい。それが主人公最後の自己変革となり、またその姿を見せれば孫の人格向上にも役立ったはずだが、そのようにできないのが商売人の性という意味なのか、あるいはそもそもフィンランドには公の観念がないということなのか。 ほか個別の点として、終盤の殴り込みはやりすぎだ。また死去は唐突だったが、「ヤコブへの手紙」(2009)ほどの必然性は感じられなかった。  [2021/2/20変更] この監督の映画だから、この国の映画だから誠意をもって見なければ、と思っていたのが馬鹿らしくなってきたのでやめにした。半端な感動を提供する薄っぺらいドラマだというのが正直な感想だったと書いておく。あるいは女性を苦しめる時代錯誤の老人はさっさと世を去れというメッセージとすれば文句はいえない。何にせよ点数は落とす。
[DVD(字幕)] 3点(2020-10-31 08:55:07)
250.  アイロ 北欧ラップランドの小さなトナカイ 《ネタバレ》 
トナカイ映画である。場所はラップランドだが、国としてはフィンランドのほかノルウェーも出ていたようで(フィヨルドが見える)、季節によって国境を跨ぐ移動だったらしい。トナカイのほかにも周囲に住む各種の動物を見せている。 ポスタービジュアルが安っぽく見えるので期待していなかったが、本編は映像が圧倒的に美しい。四季の自然景観は当然として、特に生き物の動態が印象的に撮られている。トナカイの群れが歩くのと並行して撮った場面は、個人的には船団に付き添って飛ぶ航空機からの映像のように感じられた。またオオカミが走る場面は、低空で侵入する軍用機の編隊のようで恐ろしげに見えた。なお日本には野生のオオカミがいないわけなので、代わりに自分としては「もののけ姫」(1997)を思い出した(牙を見せていた)。  制作にあたっては、一年くらいかけて現地の野生動物を撮りまくってから切り貼りしたのだろうと思うが、細切れの映像をつないで動物の表情を出しているのは巧妙な編集に見えた。なお主人公の若いトナカイが最初から最後まで同じ個体だったかはわからない。 ナレーションを入れてドラマのようのものを作るのは、あまり人の感情に寄せるとウソっぽくなって見ていられなくなるが、この映画では他の動物との友情関係などは少しやり過ぎに見えたものの、動物の生態に沿った部分はそれほど違和感がない。ホッキョクギツネの若いオスがずっと配偶者が得られず焦っていたのは、個体数が減っていることの反映のようだった。 オオカミ以外に危ない相手だったのはクズリという奴で、木の上から獲物を狙うのは本来の習性らしい。悪役らしく邪悪な顔をしてみせる場面もあったが(こっちを見ていた)、直後にユーモラスな行動をしたりして、特定の動物を悪者にしない配慮をみせていた。ちなみにクズリは和名だが英名は「ウルヴァリン」のようで、手(前足)に生えている爪も見えた。 ほかレミングが2回くらい出ていたが、擬人化もされず単なる食い物扱いなのは哀れだった。また人間は姿が見えなかったが(そもそも人口希薄だろうが)その存在が若干の圧迫感を出しており、森林伐採?の場面では、機械の全貌が見えずに火星人が攻めて来たような印象を出していた。こういうのもうまく作っている。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-10-31 08:55:05)
251.  オリ・マキの人生で最も幸せな日 《ネタバレ》 
オリ・マキという言葉は人名には見えないが、「オッリ」と書けばフィンランド人風であり、実際に皆さんオッリと発音している。またマキはカウリスマキのマキである。個人的に知らなかったが実在のボクサーとのことで、劇中の試合後も実績を出して名を残しており、コッコラのパン屋(Kokkolan leipuri)というのも本当のニックネームらしい。 今どき白黒映画だったのは意味不明だが、そのせいか登場人物の顔が印象的な映画になっている。また子どもらの演出がけっこう面白かった(激突!)。ほか思ったのは、フィンランド人にとってはサウナが最強の減量方法らしいことである。湖のほとりに小屋を建てるのが本来の形と思われる。  劇中の試合が当時どれほど期待を集めたかはわからないが、この映画では国威発揚というよりビジネスの面が強調されている。記録映画とか長身モデルとかスポンサーの機嫌取りとかで本来のペースを乱されるのが問題なのかと思っていたが、そこで唐突に「恋をしてる」というのが前面に出たので何だこれはと思ってしまう。 彼女とは最初からそれなりの関係ができていたようなので、今はとりあえず試合に集中すればいいだろうがこのバカがと思ったが、どうやら主人公としては絶対譲れない優先順位があったらしい。一番大事なことをまず押さえ、次に周囲の環境を整えて準備に注力し、その上で当日やることをやれば負けて悔いても悪びれないようで、試合後の撮影場面で見せたのが本来の顔ということらしかった。打ちのめされたのは興行主であって主人公ではないということだ。 なお凧の場面は、集中状態での適度な息抜き方法を心得ていたということか、あるいはプロポーズの結果を受けた喜びが少しはみ出してしまったのか。  人物について、主人公役と婚約者役は本物と同じボスニア湾岸のコッコラ市出身の役者らしいが、それが最優先のキャスティングとも思えない。主人公は低身長で衒いのない人柄で嫌味がなく、また婚約者も痩身美形ではないが愛嬌があって人柄が顔に出ている。終盤のバスの場面では、この人物が主人公を全肯定して根底を支える存在であり、主人公が現場を抜け出したのも、そうすることにそれだけの価値があったことを納得させられた。ちなみにエンドクレジットには「Old happy couple in harbor/Olli and Raija Mäki」と書いてあった。 物語として面白いともいえないが、結果的にじわっと来るタイプの映画だった(かなり来た)。正直主人公が羨ましい。
[インターネット(字幕)] 8点(2020-10-31 08:55:02)
252.  もみの家 《ネタバレ》 
「真白の恋」(2015)と同じ監督・脚本家の富山県映画第二弾である。場所は有名な砺波平野の散居村で、2018年5月から翌年4月までの四季それぞれの景観を映している(桜は富山市)。冬の撮影では、ボタ雪のようなのが降って一面白くなり、車にも結構な雪が積もった日をうまく使えたように見えた。ちなみにイオンが田舎の象徴という世間の常識?が映画にまで出て来たのは笑った。 全体の筋立てとしては極めて普通だが、それでしっかり心に染みる映画ができており、泣かせどころではちゃんと泣かされる。「大泣きした」という台詞のところは、社交辞令を解しない(解したくない)主人公の態度も影響したかと思わされた。また終盤の立会いも予想の範囲だが、見ればかなり心に迫る場面になっている。 ほか非常に好ましく思ったのは、序盤で少し波乱があった以外は過度に波風を立てず、穏やかに話が進むことだった。主人公が東京で凄惨な虐めに遭っていたわけでもなく、厳粛な場で騒ぎを起こして何かをぶち壊すわけでもない。いわば大人の映画に思われる。  テーマの関係では、逃げるが勝ち~無駄だから~増やしていけばいい、という一連の台詞が、「うまく言えない」どころか的確に真理をついているので感心した。多くの人が関係する組織や団体では逃げられない場合もあるが、個人レベルなら自由度も高く、また人それぞれにできることとできないこともあるわけなので、この映画のような一時待避所も役に立つということらしい。何かと戦って突破していくのでなく、自分が生きられるところを選びながら進んでいく生き方もあるということかと思った。 また世代交代に関して語られていたことは、個人的には「東京物語」(1953)の現代的な補足のように思った。  キャストについて、主演の南沙良という人は注目の新進女優らしいが、ヤンキー娘役の中田青渚(せいな)という人も「写真甲子園 0.5秒の夏」(2017)や「ミスミソウ」(2018)で見たことがある。金澤美穂さんはちょっと年上の役になっていて、ふてくされた顔をして時々暴れる役かと思ったら、その辺の普通の女子っぽい緩んだ表情なども見せていた。この人の関係では、主人公の別れの場面で横を向いている演出が面白かった。 なおエンドロールに「佐々木すみ江さんへ 感謝を込めて」という言葉が出ていたが、まだ撮影期間中だったと思われる2019/2/17に逝去されたらしい。いわば尻尾まで詰まった役者人生だったようである。
[DVD(邦画)] 8点(2020-10-24 08:29:21)(良:1票)
253.  オーライ 《ネタバレ》 
監督・脚本の安田真奈という人は「幸福のスイッチ」(2006)で名前を見たことがあるが、この映画はそれ以前の、現・パナソニック(当時・松下電器産業)の社員だった時代のものである。当時はまだ主要キャストとそれほど違わない年齢だったはずだが、その後は子育て期間を経て今も監督・脚本業を続けているとのことで、最近の作としては、小芝風花さん主演の近大マグロのドラマ「TUNAガール」(2019)というのがあるらしい(Netflixで見られるとのこと)。  この映画は20年前の低予算映画になるが、前記の映画と比べてもまだ習作のように見える。個人的感覚としては、まずは映画の紹介文に書かれていた主人公の現状が映像からは感じ取りにくかった。また他者の心をしっかり受け止めず、適当に流してしまったことへの罪悪感のようなものも出ていたようだがちょっと半端な気もした。 しかし終盤の燃えかすの場面で、主人公がその瞬間の思いのままに今なすべきことを実行し、そこから最後の題名の意味につながっていく流れは悪くなかった。また劇中芸術家の作品が、木で暖かみを出すという当初の手法から、金属(燃えない)でも同じように感じさせる形に変わっていたのは、作家の芯になるものを残しながら表現技法の幅を広げたという意味だろうから、この人物が2年間で確実に前を向いて進んできたことの証拠かとは思った。クリエーターの人は、何もないところからまた新しく作るからクリエーターなわけである。  キャストについては、監督が奈良県出身とのことで役者も関西方面が多かったらしく、主要人物4人のうち男2人は、自分としてもこの頃の他の関西映画で見たことがあったようである。女性2人に関しては、芸術家役の人が可憐で折れそうだが色気もある美女なのはなかなかよかった。また主人公(春日結)役の三嶋幸恵という人は、役者なので当然作ったところはあっただろうが、いわば素材を生かした料理法という感じで、ポスターのイメージとも違う実物の存在感に非常に惹かれるものがあった(惚れた)。男はどうでもいいとして、女性を魅力的に見せてくれる映画だったかとは思った。 そのほか関西映画らしい?可笑しみとして、電話での妹の態度には少し笑わされた。
[DVD(邦画)] 5点(2020-10-24 08:29:17)
254.  犬鳴村 恐怖回避ばーじょん 劇場版 《ネタバレ》 
本編を見てからなので期待感は全くない。 冒頭の説明通り、ホラー場面に手を加えて怖くないようにしたものらしく、コメントでドッキリを予告するとかキラキラの装飾とか、「イラストで表現します」と書いておいて「いらすとや」風の絵を実写に被せるといった加工をしている。怖さの緩和以外にも、観客が見落としそうな一瞬の映像を親切に指摘するといったこともしているが、しかし見所には全部コメントが付くだろうと思い込んでいると、序盤で立小便かと一瞬思わせる場面などはかえって見落としてしまいそうだ。ほか「応援タイム」というのもあったが観客の全員が沈黙していただろうと想像される。  ドラマ部分は変更がないようだが、しかしこんなふざけたホラーにしておいて、全体を真面目な顔で見ることなど初見の観客に可能なのかどうか。せっかくの物語を背景音楽やコメントが明らかにぶち壊しているところがある(主に2か所)。 逆に本編を見た者としては全編突っ込み入れまくりにして笑わせてもらった方がよかったが、ドラマ部分はほとんど加工がないのでそういう見方もできなくなっている。わずかに可笑しいのは「こんにちは、いぬです!」「失敗しちゃった笑」「ここは便所ちゃうで~」「電話かけたいねん」くらいのもので、これなら公式のギャグPVでも見た方がよほど笑える(鷹の爪コラボなど)。 一応全部見た結果として、これはやっつけ仕事ではないのかと正直思った。  なお同じ映画を繰り返して見た形なので、本体部分に関して改めて思ったことを書くと、 ○祖父宅から見えた山霧はいい感じ。祖父は全部わかっているが思いを押し込めている。 ○帽子の男は昔風だが渋味があってクールな奴だ。 ○海でなくて湖だという件は本編段階からあるとぼけた場面で、こういうのは「呪怨」以来のこの監督の持ち味である。 ○エンドロールの背景で空から現地へ迫る映像は迫力がある(行くな)。 ○主題歌がかなり心を打つ。これで鑑賞後の感情が支配されてしまう。 そのほか人物の関係で、奥菜恵の出演場面には注意喚起のコメントがついていたが、それ以外にも例えばファン向けに「三吉彩花ちゃんでたー!」と書いて盛り上げるとか、「宮野陽名ちゃんはSeventeen専属モデル。この頃まだ15歳!」とか紹介を入れるとよかったはずだ。ちなみに突撃バカ役の大谷凜香という人は、しつこいコメントのせいで小便娘ということがますます強く印象付けられてしまっていた。
[インターネット(邦画)] 1点(2020-10-17 08:22:35)(良:2票)
255.  犬鳴村 《ネタバレ》 
地元PRに使えるネタではないはずだが、現地の自治体が実名を出して特別協力していたのはかなり驚いた。県警名と車のナンバーも実在であるのに電力会社だけ架空になっているが、ちなみに現実の犬鳴ダムは県営である。 ストーリーはかなり説明不足に見えるので、欠落部分を勝手に補うと次のようになる。 ***** 村人は昔から周辺住民に忌避され恐れられてきたと想像される。ダム建設なら金と脅しで立ち退かせれば済むはずが、皆殺しにまで至ったのは会社の意向というよりも、この機会に忌まわしいものを一掃したい、という周辺住民の集団意志があったからではないか。その先頭に立った旧家に主人公の母が嫁に来たのは、憎むべき家系の廃滅または乗っ取りの意図が背後にあったと思われる。また今回の事件がきっかけで、それまで知らぬふりをしていた周辺住民も、まるで全てが旧家のせいだったかのように責任転嫁を始めたようだった。 事件のあと、旧家は家庭崩壊を免れたようでもあったが、しかし村人の子孫は確実に社会に紛れ込んでおり、その異能はやがて周辺住民の脅威になっていく恐れもある。そうするとダム建設時の虐殺も、社会の多数派たる周辺住民にとっては一理あったことになるか。あるいは大した脅威でもなかったものを、脅威のように言い立てて差別し迫害した多数派への復讐が始まるということかも知れない。 ***** 家単位で見ると憑物筋の特徴も出ていたようだが、村単位ではネット発祥の怪談「コトリバコ」や、欧州でのポグロム(イェドヴァブネ事件など)を連想させられた。ちなみに実在した犬鳴谷村はこれとは全く違うものであり、上記はこの映画限りでの解釈である。 個別の場面としては、若年女子が股間を黄色くして歩くのが衝撃的だった。白い服に映る映像を振り払おうとする演出も悪くなかったが、終盤のトンネル内の揉め事は早く終わらせろと言いたくなった。なおラストのトンネル映像が本物だったとすれば、ここが一番怖かった。  人物関係では、三吉彩花嬢は長身で美形の医師かと思ったら臨床心理士だそうで、女性っぽさは抑えていたがすらりとした姿には終始見とれていた。ちなみに劇中の子役はこの人の子役時代とは似ていない。また村娘役の宮野陽名という人は撮影当時まだ中学3年生だったとのことで、若いのにプロ根性があるようなのは感心した。ほか突撃バカ役の大谷凜香という人は、「ミスミソウ」(2017)でも悪役だったが今回またひどい役だったので、今後もどうか頑張って演技者として大成してもらいたい。逆さになった一瞬の表情は輝いていた。 [2022/7/23変更] 突っ込みどころの多い映画だが、「牛首村」までのシリーズ3作の中では最も総合的なエンタメホラーになっていて悪くないと思ったので点数を+1にしておく。エンディングの空撮とテーマ曲が心に残る。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-10-17 08:22:32)(良:2票)
256.  シライサン 《ネタバレ》 
小説版は読んでいない。 まず目に関して、失明してもその場では死なず、例えばバケモノだけが見える状態でずっと生きていかねばならなくなって絶望する、という話だったら怖いと思うが、今回はそういう趣向ではなかったらしい。また「〇〇」という言葉を20歳まで憶えていると死ぬ、という都市伝説のように、記憶が自分の意思で制御できないことは恐ろしさにつながるが、この映画ではその点は強調されず、呪いの開始時点を示すにとどまっている。 主人公が考案した対抗手段は独創的なようでもあるが、自分としては既に2011年の別の邦画ホラーで見たことがあり、正直またこれかと思わされただけだった。ただしその映画が、あからさまに観客を巻き込もうとする作りで悪意まで感じられたのに対し、この映画は遠慮気味でかえって意図が不明瞭になっている。エンドクレジットの「脚本…」には気づかない観客がほとんどではないか。 どうもホラーとして徹底せず、あえて怖さを削いでいるような微妙な感覚の映画だったが、ドラマの面では最後まで主人公男女が他人行儀だったのは悪くないと思った。特に男が善良そうで嫌味がないので、せっかく一度はつながったのに切れてしまった、という切ない心情を素直に受け取れなくもなかった。  その他雑記: ○真面目なホラーなら、わざとらしく声を作った小噺など披露しなくていい(怪談師志望か)。何でみんな話し方を真似するのか。 ○黒目がちなバケモノの顔は古代メソポタミアの男女像を思わせる。じっと見ることにどれだけの意味を込めてあるのかわからなかったが、とりあえず観客側も「映画一本分くらい」は気を散らさずにちゃんと見ていろ(エンドロールも)とは言われていたらしい。ちなみに複数のうち1人でも見ていればいいのなら便所には行ける。 ○主人公が読んでいた「民間伝承における死生観」という本のページをよく見ると、「死者の出た家で猫を飼っていた場合…」という同じ文章がなぜか二か所に書いてあるのは不気味だ。気づいてしまうと呪われる。 ○劇中時期が3/11の前後だったことに意味はあるか。あったとしても失敗している。 ○キャストに関して、主演女優は地味に見えるが印象は悪くない。江野沢愛美という人はモデルが本業だろうが今回は全体像でなく顔で見せている。また「地獄少女」(2019)にも出ていた仁村紗和という女優が個性的美女で目を引かれた。谷村美月さんは最後まで生き残る役だった。
[インターネット(邦画)] 5点(2020-10-17 08:22:29)
257.  人面魚 THE DEVIL FISH 《ネタバレ》 
今どき人面魚とは、日本の配給会社も適当な題名を付けるものだと思ったら原題からして人面魚だった。副題の「紅衣小女孩外傳」は「紅い服の少女」というホラーシリーズの「外伝」の意味らしい。この映画でシリーズ3作目のようだが、「紅い服の少女」自体は関係ないのでスピンオフと表現した記事もあった。なお「紅い服の少女」も「人面魚」も現地に実際にある話のようで、うち人面魚に関しては、この映画で見た限り「おいてけ堀」を思わせるものがあったが、ただし焼魚になってから怪をなすのは日本と違う。 基本的な筋立てとしては、かつて善なる神の「虎爺」が封印した大魔神が現代に蘇ったため、主人公の道士が虎爺の力で退治する話になっている。封印の時期を1669年と特定した意味は不明だが、これは鄭成功が台湾最初の漢人政権を建てた時期に、いわば鎮定の一環として土着の魔物を排除したということかも知れない。ちなみに虎爺は「フーイエ」と振り仮名がついているが、日本人としては「とらじい」としか読めない。  ホラー映画としては伝統的怪談、心霊、エクソシズム、アクション、CGでのモンスターバトルといった多彩な要素が含まれている。ストーリーも二本立てのようで、複雑というかまとまりのない印象もあるが、いろいろ盛りだくさんな豪華娯楽大作といえなくはない。 ドラマの面では、家族関係の描写でやや感動的なところがある。特に子が親を思う心情が強調されており、単なる男女の愛でもなく、家族の愛が最後に勝つというのは日本人としては新鮮に感じた。 キャストに関しては、小学生の母親役(徐若瑄/Vivian Hsu)はもうそれなりの年齢だろうが、どんな顔をしていても可愛さが隠せないようでもある。また道士の妻も、超絶美形でもないが個人的に惹かれるものがあり、ラストで美男美女夫婦が揃った場面は何とも眩しく見えた(羨望)。その息子を演じた幼い子役が、感情を懸命に抑えようとしていた演技は泣かせるものがあった。   [2023/5/6追記] シリーズの1・2を見たので補足。2から10年遡った前日談で、内容的には当然つながった形で作ってある。字幕で「魔神」と書かれていたのは1・2の「魔神仔」のことだったらしい。 初見時には全体構造がわかりにくかったが、今回のビビアン・スーは2のシングルマザーに当たる主人公、地下室の少年が「紅い服の少女」に相当し、人面魚は人面蛾に対応するものとして整理できる。また2と同様、主人公のドラマと並行する形で道教寺院の関係者が出るが、今回は魔神と戦う道士一家のドラマに重点が移ったようで、それで主人公のドラマと二本立てに見えたらしい。家族がテーマというのはシリーズ共通のようだった。また主人公に関わる屋内のホラー描写も1・2より手が込んでいる。 日本では3が最初に公開されたので仕方ないが、やはり本来は1・2・3の順に見るべきものだったらしい。結果的にはシリーズ中でこれが最も充実して見えたが、登場人物としても個人的には道士の妻が3作中で最も好きだ。メイリン(美玲)という名前も可愛い。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-10-10 08:58:05)
258.  熱帯魚 《ネタバレ》 
デジタルリストア版というのをBDで見たので映像的には美しい。大人も子どもも一緒になって「ウンチ」で大喜びするなど、本当にしょうもない場面が美的に映されている。ポスタービジュアルで印象的なビル街の熱帯魚はちゃんと動く映像として出て来ていた。 場所に関しては、実在の地名が出るので嘉義県東石郷(漁港がある)だとわかる。人家がときどき浸水するなど本当にあることなのかわからないが、ストーリー上の意味はあったようである。劇中一家の嫁がバンブーダンスのようなもので遊んでいた(微笑ましい)のは現地の風物ということかも知れない。 日本との関係では卒業式の「仰げば尊し」とか、「刺し身」「ワサビ」という言葉が出ていた。また海に潜る場面で流れた曲はどこかで聞いたことがあると思って一生懸命調べたところ、何と昭和歌謡「恋をするなら」(橋幸夫、1964)だった。自分としてもリアルタイムでは全く知らない曲だが、劇中のは台湾のカバーバージョンと思われる。  主人公は高校受験前の中学生男子で、基本的にはコメディなので可笑しい場面が結構ある。誘拐犯一家はあまり物事を詰めて考えたりしない人々のようで、日本人でさえ思ったのは、台湾全土に「中正路」というのが一体どれだけあると思っているのかということである(映像に出たのは嘉義県朴子市)。脅迫電話でメンバー総出演だったのは笑った。 ストーリーとしては最後にどうなるのか予想がつかなかったが、物語的には若い娘が最後にくれた手紙に集約されていたらしい。題名の意味に関しては、例えば“絶対に実現しないと決まったわけではない夢”とでも思えばいいか。夢想(「白日夢」)だけで満足するのでなく、現実に目指すべき夢を持て、というのが青春映画としてのメッセージと思われる。ほかあまり明瞭ではないが、心から願うだけでなく「縁」も大事だと言いたかったかも知れない。 ちなみに主人公の受験に変に肩入れする男がいたのは、妹への贖罪の意味があったらしい。  登場人物としては、片思いの女子が人魚になってにっこりした場面は和んだ。また一家の若い娘(ちょっとお姉さん)がそれほど美少女でもないのは親しみが持てる。ほか一家を仕切っていた中年女性は、「維基百科,自由的百科全書」によれば“標準的な台湾の隣家のおばさん的性格”らしい(やかましい)。「巨蛇娘娘」という漢字言葉が心に残った。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2020-10-10 08:58:01)
259.  黒人魚 《ネタバレ》 
邦題は読み方に困るが、原題は「ルサールカ、死者たちの湖」である。 ルサールカとはロシア限定というよりスラブ系民族に広く伝わる水の精だそうで、例えばドヴォルザーク作曲の歌劇「ルサルカ」はチェコを想定して作られたと思われる。その歌劇でのルサルカはアンデルセンの「人魚姫」のような役回りで、それが英題のmermaidや邦題の「人魚」につながっているが、基本はこの映画のような邪悪な存在と思われているようである。 水の精といっても大昔からいたトロールとか河童とかトトロのようなものとも限らず、死者が化けるものという考え方もあるらしい。この映画に関しては、1853年(ニコライ1世の時代、クリミア戦争開戦の年)に死んだ若い女性がその正体ということになっていた。ちなみに魚の格好はしていない。  そのような設定から、ファンタジーホラーというよりは心霊ホラーの印象が強くなっている。湖だけでは舞台が狭まるためか、広く“水”に関わる場所で活動する設定にしたようだが、水と無関係なドッキリもあったのは意外で笑わされた。また櫛や合わせ鏡はロシアでもオカルト的な意味づけがなされているのかどうか。 ホラー演出の面では、意外に邦画ホラーの感覚そのままで見られる映画になっている。まだ始まらないうちからの予兆や不吉感、音や人影で何かが来ている気配を感じさせるといった場面があり、また真相を知る老人を訪ねてから全ての発端になった場所に突撃し、渾身の策が成功したと思ったらそうでもなくて延長戦に入る、といった展開にも馴染みがある。終盤になると普通にモンスターホラーのようになり、映像効果が安っぽいとか弱点の設定が安易だとかいうこともあったが、全体的には少し前の邦画ホラーを真面目に作り直した感じで結構いい印象だった。 個別の場面としては、姉が弟にした思い出話はそれほど怖くはなかったが、今ではもうわけのわからなくなった昔の記憶としてはいい雰囲気を出している。エンドロールの水死者のイラストも素朴で和んだ。ちなみにヒロインは可愛い感じで結構好きだが、ルサールカももっと可愛い顔で出てくればいいがと思った。  [追記] 自分としては単純なホラーとしてしか見なかったが、他のレビューサイトを見ると(人数が多いので全部読んでいないが)人間ドラマの面で非常に参考になる投稿があった。そのように深読みもできる映画だということだ。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-10-03 08:29:13)
260.  ゆれる人魚 《ネタバレ》 
1980年代のワルシャワの話だそうで、ソビエト連邦を中心とした社会主義体制の終わりが近くなり、ポーランド社会にも大きな変化が生じていた時期のはずである。その時代設定にどういう意味があるかよくわからなかったが、ワルシャワは地味なようでもそれなりに華やかな都会に見え、かろうじてスターリン時代からある「文化科学宮殿」が社会主義の名残に見えた(今もあるが)。 劇中人魚に関しては、原語ではシレーナsyrenaと言っていたようだが、これは古代ギリシャのセイレーン(シレーヌ、サイレン)に由来するもので、もとからの生業である歌を生かして人間社会に入り込んだ形になっている。少女のように見せていながら序盤でいきなり全裸になったのは驚いたが、穴がないならボカシも必要ないわけだ(ヘソもなかった)。下半身が突然に巨大化するのはトーキョーグールのようでもあり、またお手軽な手術で他人と上下を交換するなどかなり適当な感じだが、そこはダークファンタジーだから突っ込むまでもないと思っておく。 なおワルシャワに来たのはヴィスワ川を遡ったのだろうが、海水魚と淡水魚の区別がないのかは疑問点として残った。肺呼吸だと関係ないのか。  全体的な印象としては、まずは人魚姉妹が蠱惑的で、躊躇なく裸体をさらすのに目を引かれる(魚だが)。また前半部分では歌とダンスで聞かせる/見せる場面が結構あり、唐突にミュージカルが始まるのも可笑しい。この調子で最後まで歌って踊って楽しくやってもらえばいいと思っていたが、結果的にはそうでもなかった。 後半になるとグロい場面も多少あり、それはダークファンタジーだからいいとしても、後になるほど陰惨な雰囲気で気分が落ち込んでいく。アンデルセンの「人魚姫」がベースとすれば悲劇で当然なわけだが、見る側として人魚連中に共感できるわけでもなく、ドラマ的に心を打つものがないまま終わったのは残念だった。 個別の点としては、短い効果音をいろいろ入れていたのが面白い。また男を誘惑した場面で焦点が一瞬緩むところは印象的だった。姉妹は違うタイプの人材を並べた形で、個人的には妹(ズウォータZłota)の方に目が行くが、牙を出すと顔の形が変わって見えるのは残念だった。人を食っても何していても人魚は可愛くなければならないのではないか。
[インターネット(字幕)] 5点(2020-10-03 08:29:10)(良:1票)
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