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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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281.  こねこ 《ネタバレ》 
ネコだらけの映画である。主人公ネコの子猫らしい動きに和まされ、うちの♂♀もこんなだったかと思い出す。子猫の時期などほんの一瞬なわけだが、しかしそれなりに年を経てもなおその存在自体に愛嬌を感じさせるのがネコというものである。ラストの哀愁漂う場面で、下のネコが上のネコにネコパンチをくらわせていたのは笑った。 劇中時期は12月で、積雪はそれほどないようだが寒さは相当のものだろうと思われる。飼いネコでも昔は家を自由に出入りさせていたのは日本だけではなかったようで、行方不明のネコを呼んで歩くとか張り紙を貼るとかいう行動様式は、日本でいえば「うちのタマ知りませんか」という言葉を思い出す。 劇中ネコが街の人々に厚遇されていたのはネコ映画なので当然としても、やはりネコを愛する人々はどこにでもいるという気にはさせられる。満ち足りた一家でも孤独な男の家でも、それぞれにネコが人の心を和ませるからこそ、ネズミ退治の役目を超えてネコが世界で必要とされているわけである。人がネコ(や犬その他)に対して優しい気持ちを持てるようにするためにも、まずは人間社会の平和が保たれていなければと思わされる。 ネコ以外で特徴的なこととして、クラシカルな背景音楽が流れていると思ったら劇中音楽だったという場面が多かった。夫は音楽家で妻は設計士だったらしい。  ほか人間社会のことに関して、ペルシャ猫につけた「10万」という値段は、たまたま持っていた紙幣2枚で済んだのをみるとそれほど高額でもなかったと思われる。この頃は急激なインフレが起きていたとのことで、1998年には1/1000のデノミが行われている。 また夜に街灯が消えるという父親の発言が否定されていたのは意味不明だったが、これも時代の変化を表現したエピソードだったのか。昔はどうだったか知らないが、現代の大都会では深夜も明かりが絶えることがなく、日頃から早く寝ろと言われている子どもらもちゃんとそれを知っていたというのは、どちらかというと社会の自由化や解放感の表現かも知れない。今の世の中何が起こるかわからないという台詞(字幕)もあったが、世界が変わっていくのは当然として、できればいい方へ変わってもらいたいわけだがそうとも限らない。
[DVD(字幕)] 6点(2022-08-06 09:41:02)
282.  亡霊怪猫屋敷 《ネタバレ》 
ホラー映画というよりは、予告編に書いてある「怪談映画」がふさわしい。個人的感覚としてはそれほど怖いところはなく、ネコもそれほど邪悪な感じではなく、気楽に見られる大衆娯楽映画になっている。 劇中年代としては昭和30年代と20年代、さらに江戸時代(17世紀初めか)の三段階で、時間を遡ってからまた帰って来る。江戸時代がカラーなのは意外感もあったが、ここからがメインの物語だという雰囲気も出していた。現代部分も単純な白黒ではなく、青みをかけた深みのある色調なのがいい。  江戸時代パートは有名な鍋島化け猫騒動をもとにしていたようで、大村藩(実在の藩名)という設定は場所が若干ずれているが、殺された若侍の「竜胆寺」という家名はそれらしさを出している。囲碁の勝負で喧嘩するなどは大人気なく、また飼いネコに向かって末代まで祟れと言い聞かすのは荷が重そうで無理があると思った(そもそも人の話を聞いていたように見えない)が、これは原話からしてこういうものだったらしい。なお壁の死体は有名なエドガー・アラン・ポーだった。 悪役の家老が好色なのはお決まりの設定だろうが、若い腰元はともかく若侍の母親(眉を剃ってお歯黒をつけている)から手籠めにしたのは意外感があった。凌辱場面では刺激的な描写を避けていたようだが、帯を解いて着物を脱がすという定番の展開を別の場面で見せていたのは代替措置のようなものか(?)。化け猫の犠牲者が曲芸のような動きをさせられていたのが目についた。 伝統怪談の部分は当然救いのない感じで終わったが、現代に戻ってまた新たな展開があり、終盤は一気に文明世界の話に戻ったようでほっとさせられる。最後の最後にまた新手のネコが出現したのも悪くない。ちなみに悪気のなさそうな看護師の人がやられ役にならなかったのもよかった。  以下は個人的感想として、300年にもわたる呪い疲れでもうネコも人も成仏を望んでいたところ、子孫が来た機会にやっと供養してもらえて感謝したのではないか。最初のうちは、わざわざこんな屋敷に来て療養するなど意味不明と思っていたが、終わってみればちゃんと療養の効果が上がったらしいのは「猫の恩返し」だったのかも知れない。最終的にはネコ嫌いの人もネコ好きになる映画で大変結構だった。
[DVD(邦画)] 6点(2022-08-06 09:41:00)
283.  トコリの橋 《ネタバレ》 
朝鮮戦争中の空母艦載機のパイロットを主人公にした映画で、海軍の協力により発着艦や飛行中の場面は実写が使われている。攻撃の場面は特撮だろうが、結構リアルなのでこれは特撮だと自信をもって言い切れない出来になっている。 登場するのは主にジェット戦闘機のグラマンF9Fパンサー、ヘリコプターのシコルスキーHO3S-1である。F9Fは戦闘機ながら対地攻撃用に使われていたようで、劇中でも題名の橋の攻撃を行っていた。またHO3S-1は救難が主任務とのことで、発着艦の際は常に滞空して待機し、また敵地で孤立した友軍兵の救出に向かったりしていた。 空母に関して、艦橋に34と書いてあるのはCV-34(またはCVA-34)の「オリスカニー」であることを意味するが、劇中では「サボー号」(字幕)という設定になっている。この名前は、かつてアメリカがした戦争での激戦地の名前を空母につける伝統からすれば、太平洋戦争の激戦地だったソロモン諸島の島の名前(Savo Island)と思われる。劇中でこの空母がいたのは冬の日本海だったらしい。 なお「トコリ」は原作者が作った架空の地名とのことだが、少なくとも「リ」は「里」かと思った。場所としては港湾都市の元山の近くのようである。  この時期にも、大戦後期の主力だったエセックス級空母はまだ現役でいるが、既にジェット機やヘリコプターも搭載して時代が急速に変わりつつある印象を出している。少し前まで敵国だった日本も、戦後速やかに友邦になって人々も親和的であり(戦勝国に媚を売っていただけだろうが)、かつてアメリカ人が生命をかけて戦った敵はどこに行ったのかと思わされる。 その中で、本業は弁護士だという主人公は、前の大戦をせっかく生き延びたのに今どきまた戦地に駆り出されてしまっている。妻子を守るために戦うというならまだしも、自国が脅威にさらされている危機感など本国のどこにもなかったとすれば、この主人公が死地に赴くことの理不尽さは確かに感じられる。アメリカのやる戦争で、職業軍人は別としても一般国民が死んでいくことについて深刻な疑問を提起した映画なのかとは思った。「朝鮮にいるから戦う」とは、いなければ戦わずに済んだはずという意味だったか。  ところでアメリカ映画に出る日本人はヘンな連中ばかりというのは常識だが、この映画で特に呆れ果てたのが「御家族風呂」だった。素っ裸で居並んでお辞儀する一家など想像を絶するが、裸を気にしない子どもらが先に仲良くなったという展開は悪くない。戦争があっても人間同士が仲良くできるのはいいことだ。
[DVD(字幕)] 6点(2022-07-02 09:07:10)
284.  シェラ・デ・コブレの幽霊 《ネタバレ》 
邦画「女優霊」(1996)との関係で名前だけが語られて来た幻の映画である。 大人が見れば最恐ホラーともいえないが、泣き声+背景音や幽霊の映像効果などはけっこう恐ろしげであり、また凄味のあるショッキングな場面が印象的だった。「女優霊」脚本の高橋洋氏のように、幼少時に見ればトラウマ級のホラーだったかも知れないとは思った。  ストーリーとしては意外にもミステリー風の作りになっている。怖そうな雰囲気を出す一方、訳あり風の家政婦とか電話線や小瓶といった小道具が単純な心霊ホラーに終わらない予兆を示している。 本来はTVドラマの試作版とのことだが、見ると登場人物のキャラクターが探偵ドラマらしく出来上がっていて、これは確かに連続ドラマの第1話にふさわしいと思わせる。主人公である探偵のところにオカルトじみた相談事が持ち込まれると、オカルトの対極にいるリアリストの探偵助手が仕掛けを疑って判断材料を提供し、それを受けた探偵が、現世的な因果も含めた全体像を解明して決着がつく、というのがシリーズを通じた基本パターンになりそうに見える。 主人公は超自然現象の存在を否定しておらず、むしろ心霊を侮る罪びとを破滅から救おうとしていたらしい。探偵助手も現実主義だからこそということなのか、実際起きたことは起きたものとして受け入れるスタンスだったのは好印象だった。“一番怖いのは人間”とはよく言われるが、それはそうとしても、だからといって心霊の存在が否定されるわけではないというようでもある。 最後はひっくり返った車をそのままにして終わりなどいい加減な締め方で、そもそも事の真相もよくわからなかったが(母親を死なせたのは娘だった?)、まあ次回もあるなら見たいという気にさせる内容ではあった。  登場人物では、今回のヒロイン役である奥様が美形で目を引かれた(脚もきれいに見せている)。また探偵助手の家政婦の人物像が見どころで、最後のやり取りはこのドラマの雰囲気を端的に表現していた。ほか渚の美女は正体不明だったが、これからシリーズの進行とともに主人公との距離が縮まってハッピーエンドに至るのか、あるいは主人公に重大な危機をもたらす存在になるのか(白は心霊のイメージ?)。何にせよドラマ化が実現しなかったのでわからない。 ちなみに冒頭で、墓標に見立てたビルの建つ平べったい都市景観は当時のロサンゼルスの風景だったかも知れない。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-06-25 10:27:50)
285.  私たちの青春、台湾 《ネタバレ》 
台湾を中心に、香港と大陸にわたる若者の社会運動を扱ったドキュメンタリーであり、台湾独立派の学生と、民主主義を実践しようとする大陸からの留学生の2人が主人公になる。2014年の「ひまわり運動」が中間の山場だが、それに続いた香港の運動は成功せず、また主人公2人も個人的な挫折を経験し、劇映画のように都合よくはいかない現実を映して終わりになる。 監督としては、主人公2人が国境を越えた社会運動を広げていく未来を想定していたらしいが、それが挫折したのを自分の挫折とあわせて捉えた結果、監督本人が終盤で第3の主人公のようになっていたのは意外な展開だった。挫折はしても3人の人生はまだ続いていくわけで、その一時期を切り出したこの映画が、それぞれの青春を映していたという形でまとめたらしい。いわゆるほろ苦い青春映画だが、しかし少なくとも台湾にとっての「ひまわり運動」が若者の独りよがりに終わらず、結果として多くの国民がその正しさを確信できたというなら現実的な成果があったといえる。 ほか個別の事項として、「支那」は台湾でどういうニュアンスで使われる言葉なのかが気になった。またネコを閉じ込めた場面は出来すぎのようだが偶然だったのか。性犯罪者の心理を本人に語らせるなどリアルな場面は苦笑した。  ちなみにこの映画は2018年の映画祭「金馬奨」で最優秀ドキュメンタリー賞に選ばれているが、授賞式での監督の発言に反発した大陸側が、翌2019年から映画祭への参加を連続ボイコットしているとのことで、同年からの個人旅行の停止とあわせて民進党政権への圧力と捉えられていたらしい。「ひまわり運動」だけでなく、この映画自体が思い切り実社会に影響を及ぼしたわけだが、それは多分監督の本意でないと思われる。 その他雑談として、「ひまわり運動」の場面で聞こえていた「國際歌」は、これがどういう歌かを知っていれば何だこれはと思わされる。しかし今年3月下旬からの上海ロックダウンで、市民の不満の表現としてこの歌(起て飢えたる者よ)や「義勇軍進行曲」の歌詞が使われたのを当局が問題視し、自宅で鳴らしていた者が警察に連行されるとか、SNS上で閲覧できなくなったという報道があった(2022/5/17ニューズウィーク日本版コラム)。そのように、当初想定と全く違う場面で歌本来の意味が活かされることはあると思えば、この映画での「國際歌」も、純粋に国境を越えた市民の連帯を呼びかけたものと思えなくはない。ちなみに個人的には、政治性はともかくこの歌自体は嫌いでない(歌える)。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-06-11 10:07:12)
286.  君のためのタイムリープ 《ネタバレ》 
邦題の「タイムリープ」からすると時をかける少女かと思うが、台詞によれば「ターミネーター」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だそうで、全体的には後者に近いが邦題の「君のための」は前者のイメージである。2017年で38歳の男が20年前の高校時代に戻る話になっている。 原題の「帶我去月球」(Take Me to the Moon)は張雨生というシンガーソングライター(1966~1997)の楽曲名で、劇中年代もこの人物が事故で死去した年に合わせている。仮にその事故がなければ映画のストーリーは成り立たなくなるが、それでも主人公が無理に警告しようとした姿に結構心を打たれたことからすれば、当時の若者にはこれがかなり衝撃的な事件であって(日本でいえば尾崎豊?)、観客の心情にも訴える場面だったのかと逆に思わされた。 ほかにも当時の社会描写らしいものが多く、登場人物と同じ30代末期にかかる人々が、自分の青春時代を回顧する映画かも知れない(よくあるタイプの)。  物語としては主人公の男が、自分の恋した相手が死ななくて済むよう過去を改変する話である。最初はとにかく死なないことだけ考えていたが、結果的には単に死なないだけでなく、相手の人生が輝く未来が実現でき、ついでに自分の未来も輝かそうと決意したということか?? よくわかっていないが悪くない話ではあった。 日本との関係では、冒頭いきなり日本語で始まるのは「悲情城市」か「海角七号」かと思わされる。1997年時点では日本の存在感が変に大きく、それはかつて文化面でも日本が台湾をリードしていたということだろうが、ラストの段階ではすでに台湾が台湾自身の安室奈美恵を生み出しており、若くして没したアーティストの後を引き継いでいたらしい。エンドクレジットに「特別感謝 魏德聖」とあったことから想像すれば、日本から受け入れたものと、台湾が生み出したものの融合が表現されていたとも取れる。  出演者として、宋芸樺 Vivian Sungという人は今どきまだ高校生役なのかと思ったが、18~35歳を幅広くカバーできる役者という意味なら変ではない。高校時代と現在が同じ演者なのは「私の少女時代」よりも著しい改善点といえる。今回は歌がうまいので感心した。 また「まるで男」と言われていた「小八」役は、「屍憶」で童顔が印象的だった嚴正嵐 Vera Yenという人である。中学生にも見える容貌だが弁護士志望という役柄は悪くない。今回はバンドでドラムを叩いていたのが目を引いた。年齢不詳のユニークな女優(兼シンガーソングライター)のようで好きだ。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-04-30 13:59:22)
287.  1秒先の彼女 《ネタバレ》 
前に見た同じ監督の「ラブ ゴーゴー」(1997)に比べて、映像的な洗練度や娯楽性(大衆性)がさらに向上したように見える。 原題にある「情人節」とは、本来は2/14のValentine's Dayの意味のようだが、近年はなぜか七夕をこれに当てるという風潮があるらしい。前半の「消失的 人 」が消えた人というのはわかるとして、後半の「消失的情 節」の「情節」は、実際にplot、storyといった意味があるようだった。  全体構成としては、前半の郵便局員パートで各種の疑問を提示しておいて、それを後半のバス運転手パートで解いていく形になる。変に日焼けしていたのはUFOに拉致されたせいかという想像が広がらなくもない。 特に前半ではラブコメ風味が強い。こんないかがわしい男を相手にして大丈夫かと心配すべきところだが、本人の言動や表情が微笑ましいというか笑わされるので和む。後半は少ししんみりさせられるものがあり、少女に救われた記憶というのは「ラブ ゴーゴー」のパン屋かと思ったが、今回はちゃんと望みを果たす結末になったようだった。 謎の出来事の真相に関しては、利息という説明はよくわからなかったが、とにかく人によって1日増える場合と減る場合があり、それが主人公男女の運命を変えたということらしい。ただ郵便局員の心変わりの理由が不明瞭なのは残念だった。「大切な記憶」が共有できない寂しさ(男)に対し、「あなたを愛する人がいる」(女)と気づいて応えようとしたということかも知れないが、後者はあまり説得力がない気がしたということである。今回はドラマ的な面で不満が残ったかも知れない。 なお相合傘の下に人名を書く習慣の世界的分布がどうなっているのかは気になった。縦書きできる言語でないと難しいはずだ。  映像面では街の人々が停止していた場面が見どころかと思われる。人形を置いたのかと思ったら、終盤で一斉に動いたのは生きた人間だったことがわかる(犬は違うか)。また浜辺でのおふざけは「熱帯魚」(1995)のようだったが、生きた人間を相手にできないようなのは切ない気分だった。冠水した道を走るバスが千と千尋を、また車内がエヴァンゲリオンを思わせたのがアニメの実写化のようで目を引く。 登場人物としては、郵便局の若手同僚もかなり目立っていたが、何といっても主人公(演・李霈瑜/Patty Lee)が愛嬌があって可愛いので好きだ(かなり好きだ)。この人あってこその映画だった。またヤモリに親和的な態度も悪くなかった。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2022-04-16 08:51:26)(良:1票)
288.  妖婆・死棺の呪い 《ネタバレ》 
邦題は長いが原題は単純にヴィーである。宣材ポスターの真ん中にでっかく「ВИЙ」と書いてあるのが不気味だ。 原作者の出身地と劇中設定、及び撮影場所はウクライナとのことで、原作を読むと劇中の神学校は現在の首都(※注)にあったことになっている。ちなみに神学校の課程は(文法級・)修辞級・哲学級・神学級の順番で進級していく形だったらしい。 主人公が自分はコサックだと言って強がっていたが、原作を読むと村人もみな実際にコサックの民だったようである。村の有力者は役名が「ソートニク」(Sotnik / Сотник、百人隊長または百人長)だが、これはコサックの地区単位の軍指揮官兼行政官のような立場らしい。村人や主人公がいい声で歌ったり踊ったり、また素朴な女声合唱が聞こえたのも地元風ということか。考証的なことはよくわからないが、ウクライナ・コサックということに焦点を当ててご当地色を強く出した映画になっていたのかも知れない。ちなみにヒマワリの花も見えた。 ほか細かい点として酒場のコウノトリ3羽は絵になっていた。また酒場でドアが3つ開いたのは、村人が妖術を使ったのではなく主人公の酩酊状態の表現だったらしい。 ※注:原作和訳「キーエフ」、2022.3.31日本政府発表「キーウ」、ほか「キイフ」「キーフ」「キーイフ」「クィイヴ」  全体的には、日本でいえば60年代の大映の妖怪映画のようなものかと個人的には思った。子どもが見れば結構怖いかも知れないが、基本的にユーモラスな作りなので大人なら笑って見ていられる。いきなり黒ネコが何匹も横切るとか、古典的マジック風に祈祷書から鳥が出るといった趣向は好きだ。 全体が1時間強の中に3日3晩を収めるので、毎晩ほとんどすぐ一番鶏が鳴くのがとぼけた感じである。終盤の妖怪大集合もファンタジックで賑やかで楽しめるが、邦題の妖婆と原題のヴィーが別物だったのは意外だった。最初に壁から湧いて出た異形の連中が、最後は壁に入り切れずに伸びていたのは面白い(ミミズが干からびたイメージ)。 ドラマとしては素っ気ない終わり方だったが、こういうとんでもない事件も記録に残るわけでもなく、やがて人々の記憶も不確かになって日常の中に埋もれていくような雰囲気は出ていた。ラストのクラリネットのメロディが、日本でよくある昔話の結句のようにも聞こえる。日頃から強面で不愛想だったソビエト連邦にしては、万人が楽しめる映画を作ってくれたものだと思った。
[DVD(字幕)] 6点(2022-04-02 09:47:33)
289.  リコーダーのテスト 《ネタバレ》 
長編映画「はちどり」で評価された監督が8年前に撮っていた短編で、今はその映画の前日談のように扱われている。原題は直訳すると「リコーダー 試験」である(そのままだ)。 劇中年代は1988年とのことで、教室に貼られたオリンピックのポスターにマスコットキャラのトラが見えていた。当時はTVでマラソン風景など見ていて、日本と似たような国がすぐ隣にあったのだと初めて気づかされた気がしたが、しかしその後は共感よりも違和感の方が拡大していったというのが、当時から生きている日本人としての素直な印象である。  内容的には家族構成や役割が「はちどり」とかなり似ていて、これが前日談とすると6年後にもまだ同じことをしている懲りない人々(特に姉)という変な印象になってしまうが、「はちどり」がこれのリメイクまたは発展形だと思うのが正しいらしい。父母の言動などから後作よりさらに殺伐とした雰囲気が出ているが、それでも最低限のところでつながりが保たれている家族を描いたように見える。 物語の結末としては、主人公がいろいろ悩んだにも関わらず、学校側にとっては大勢の中の一人でしかなかったのが理不尽だったようでもある。しかし、主人公がリコーダー試験を頑張ろうと思ったそもそもの動機は父母に注目されたいということであって、それは事前にある程度実現されてしまっていたので、発表の結果自体はもうどうでもよかったとも取れる。喧嘩したと思った友人もちゃんと主人公を応援してくれていて、こんな世の中にも救いがなくはないといいたいようでもあった。 なおその友人は裕福な家庭の子だったようだが、主人公とは隔絶した上流階層というわけでもなく、そのうちみんながその程度の暮らしを実現でき、社会全体も優しい方へ動いていくかも知れないという希望が見えていたようでもある。個人的には、日本の高度成長期の始まりを描いた「キューポラのある街」(1962)を思い出したが、国も劇中年代も制作年代も違うので、そういう受け取り方は変かも知れない。  キャストに関しては、主人公は当然「はちどり」とは別の子役だが、けっこう美少女なので学校内で目立ちすぎるのではないか。美少女でないと映画にならないのだろうが。 ほか雑談として、茶碗の米飯をスプーンですくっていたのも「はちどり」と同じだった。箸は何かをつまむためのものという感覚かも知れない。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2022-03-05 09:41:17)
290.  箪笥 《ネタバレ》 
原題の「薔花,紅蓮」とは、19世紀初めの古典小説「薔花紅蓮伝」に出る姉妹の名前である。もとの物語は中朝国境に近い平安道(現・平安北道)の鉄山という場所で、継母のせいで死んだ姉妹の亡霊が官衙に訴えて処罰させる話らしいが、この映画では継母と姉妹という設定だけ借りて別の物語を作っている。姉妹の名前も薔花・紅蓮とは違っているが、ちなみに漢字で書くとスミ:秀美、スヨン:秀妍になるらしい。  内容的には陰惨な心理劇のようなもので、台詞に出ていた「本当の恐怖」から逃れられない残酷な現実が最後に明らかになる。ゾンビとか貞子のようなありきたりなホラー要素はかえって不要ではないかと思ったが、致命的な事故に気づきながら結果的に見過ごしにした人物が罰せられるという、もとの小説にあった勧善懲悪的な(というより懲悪的な)趣向には生かされている。 また映像面や音響面でのこだわりがあったらしいのは悪くない。タイトルバックの花柄模様は古風なだけでなく、いろいろ変なものがこっちを見ているかのような気色悪さがある。屋内の場面は日本風の家屋(外観は別?)にして古い雰囲気を出したとのことで、こういうことなら極端に地味な邦題も生きるという気はした。 最後に真相がわかってみると辻褄が合わないところもなくはなかったが、あまり詰めて考えずに、要は主人公の妄想が展開していく過程だったと思っておけばいいかと個人的には思った。もとの小説は1924年(大正13年)以来何度も映画化されたとのことだが、今回は現代的なホラーに寄せた形で作ったということかも知れない。テーマ曲が最後に物悲しい余韻を残す映画だった。  個別の場面では、序盤で朝になってから怖いことが起きたのはタイミングとして斬新だと思ったが、ここは実は心霊現象でもなく、本人の体調変化を知らせる明け方の悪夢ということか。また終盤で“見ざるの像”(仮称)を壊したのが結果的によかったのかはわからなかった。 登場人物に関しては、特に継母が憎悪を発散する表情や口調が恐ろしく、こういう場面には一生居合わせたくないものだと思わせる。晩餐時の狂気じみた独り語りとか、その後の発作か何かの壮絶な様子など、役者で印象づけられる場面が多かった。 また姉妹も一見愛らしいようでいて、特に姉役が激昂する顔など見ると可愛いとも何ともいえなくなるので困る。ちなみに妹役はこの頃「国民の妹」の扱いだったそうである。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-02-26 09:47:35)
291.  隠し味は愛<TVM> 《ネタバレ》 
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅は中正紀念堂駅とのことで、周辺には駅名の由来になった蔣介石総統を記念する施設があるはずだが映像には出ず、主に「國家戲劇院」という国立劇場(表と裏)が映っていたようだった。また別の回の舞台だった淡水の浜辺の場面などもあるが、ここは「デートのメッカ」だそうである。 今回はシリーズ中で最も娯楽色の薄いエピソードで、邦題から感じるような和み系の映画でもなく、特に女性の怖い顔などは目を逸らしていたくなる。主人公が料理教室を主宰していることから料理映画の性質もあるが、料理映像というより調理方法に託して人間関係を語る趣向になっている。また主人公のグループ4人に関しては、青年期を過ぎようとする人々(少なくとも1人は1982年生まれ)が、少女時代を回顧して現在を再確認する意味もあるようだった。  物語としては正直よくわからなかったが、既婚者同士の不倫未遂を契機として、隙間が生じていた2組の夫婦に変化が生じた話ではあるらしい。なおTVドラマ放送時の「傻瓜與睡美人」という題名は、解説によれば「愚か者と眠り姫」だそうで、うち「睡美人」はそのままSleeping Beautyと読める。 以下解釈例として、まずお姫様の方は愛がないと言われたりもしていたが、これは何が愛なのかわかっていなかったということか。異性に心惹かれるのも愛だろうが、これまで自分を支えてきた祖母や親友や夫を大事に思う心も愛だと気づいたのかも知れない。結果的には淡水の浜辺で再出発し(王子様のキスに上書き?)、新しい愛の物語を始めたのだと思っておく。 また王子様に関しては、これまで自分がしたいことを自分のためにしてきたのを、今回初めて誰かのために何かすることを学んだのかも知れない。それならそれが夫婦の関係修復にも役立つはずだったと思えるが、早々に妻の側が切り捨ててしまったということか。この王子様は金持ちの息子で覇気はないが善良で細かいところによく気のつく男で、これこそ主夫業に向いた男ではなかったかと思うが、夫はそれでよくても妻の側が耐えられなかったかも知れない。仮に妻も夫も同じ上昇志向タイプなら、子を育てる気でもない限り、夫婦でいること自体に意味がなかったとも思われる。 以上により必ずしも話の全部を読み取れた気もせず、また背景事情の設定などに不明瞭・不自然な点もあったが、このシリーズにしては時間が長い分、多くのものを詰めようとした印象の映画ではあった。  その他のこととして、少女時代の回想場面では、さすがに日本のようなルーズソックスは出なかったが、同じ役者のままでスカートの短い制服姿になるのが今回のわずかなギャグ要素かも知れない。ただ特に「玉娟」という人物が、年齢に関わらず昔からこういうイメージだったことの映像的表現といえなくはない。 ほか料理教室の生徒だった低身長女子2人が屈託ない感じなのは安心させられた。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-22 10:31:13)
292.  振り向いたらそこに<TVM> 《ネタバレ》 
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅名は忠孝復興駅だが、舞台になった街は解説によると「東区」とのことで、題名の駅の東側にあるデパート・オフィス・飲食関係などの集積する地域らしい。 原題の「奉子不成婚」とは、かつて皇帝の勅命による結婚を意味した「奉旨成婚」という慣用句から、現代において子ができちゃったために否応なく結婚するのを「奉子成婚」と表現するようになり、そこからさらにこの映画で、できちゃったから結婚するのではないという意味で作った言葉と思われる。英題の“The Thin Blue Lines”は昔の映画の題名に引っかけたのかも知れないが、実際はタイトルのところと劇中で全く別のそれらしいものを見せていた(青でなく赤?)。  映画の紹介文には「おとなのラブコメディ」と書いてあるが、特に前半は大人というよりアダルトなギャグで笑わせる。変に日本関係の事物が多出するのは煩わしい(壁ドンの解説などしなくていい)が、これは原案/監督が台湾で役者・監督をしている日本人だからということか。音楽としてはflumpoolの「証」という曲が使われていた。 物語面では父親の存在が中心テーマになっていたらしい。「奉子成婚」との関係でいえば、世間体はどうでもいいとしても、子どものためには父親が必要だと母親としても思わされ、またその父親も自分なりの覚悟で父親になろうとしているのが見えた段階で成婚に至ったという話かと思った。男の性格付けがカクテル・コーヒーと映画撮影では盛り込み過ぎで整理がついていない印象もなくはなかったが、最後はラブコメにふさわしく幸せ感満載の終幕だったので、結果的に悪くない映画だと思わされた。 個別の場面では終盤の「帰るな」に少し泣かされた。また字幕の「マジですか」を原語でどう書くのか知りたいと思った。  演者としては、主演の蔡淑臻 Janel Tsaiという人は顔や体型からしてヒロインにふさわしい姿を見せていたが、その友人の静香ちゃん(演・范時軒 Amanda Fan)が極端に可愛いので、個人的にはこの人が重要人物だった。ブライズメイド姿がキレイでかわいい。 ほか他のエピソードにも出ていた莫允雯 Christina Mokという人が「明星孕婦」役で、過剰メイクの沢尻エリカのような顔を見せていたのが面白かった。  [2022.4.2追記] 本文には「カクテル・コーヒーと映画撮影では盛り込み過ぎ」と書いたが、これは監督の北村豊晴という人物が、実際に台北で飲食店の経営をしながら映像関係の仕事もしていることの反映と思われる。気づくのが遅れてすいませんでした。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-22 10:31:10)
293.  淡水河の奇跡<TVM>
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅は淡水駅、街の名前も淡水(新北市淡水區)で、台北市から流れて来る淡水河の河口に近い港町である。19世紀には台湾島の主要な貿易港だったとのことだが、この映画ではそういう歴史的なことは関係なく、そもそも街の風景もあまり出ない。主人公の母親が「魚団子」の食堂を経営していたのがかろうじてそれらしい。 なお原題の「鮮肉老爸」は漢字だけ見ると意味不明だが(鮮魚ならまだしも何で肉?)、これは「美少年父さん」というような意味かと思われる。  全体的にはタイムスリップをテーマにしたSFコメディであり、あまり深みを感じさせるものでもないが娯楽映画としてよくできている。コメディらしくそれなりに可笑しいところがあり、序盤ではかなり下品だと思っていたが、プロポーズの背景で歌う場面でまずは失笑させられた。中盤のTV番組やエンディングの楽曲「野性的青春」もふざけている。 映画のジャンルとしてはコメディ/ロマンスとされているが、基本は家族の物語のはずなのでどこがロマンスかと思っていると、終盤の見せ場に至って初めてそういう意味だったのかと納得させられる。途中で一度は邪魔されたキスシーンも、最後にちゃんと実現(情熱的!)していたのは正直感動的だった。ほかにも観客の意表をつくところのある作りだが、個人的にはここが最も意外な展開だった。 なおSF的にいえば、過去を変えたらどうなるかという大問題があったはずだがあえて回避する結末になっていた。  登場人物としては、主人公の彼女(演・方志友 Beatrice Fang)がなかなか可愛いので好きだが、若手の科学者だったようで主人公には向いていない。また主人公の母親(演・苗可麗 Miao Ke-Li)は、Wikipedia(中文)では「淡水公認第一美魔女」と紹介されており、確かに少しカワイイ系の入った美女にも見える。ちょっと体型的に厳しいところもあったが、終盤の見せ場では役どころにふさわしい姿を見せていた。これは同年配の女性が見て心ときめく(羨む)展開だったかも知れない。 ほかどうでもいいことだが、劇中のTV番組に出ていた「命理大師」役は、このシリーズのプロデューサーで7作中2作の監督もしている葉天倫という映画監督である。他の回にも出ていたが、今回も個性的な容貌に合ったしょうもない人物役を芸達者に演じていた。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-15 14:47:48)
294.  西門に降る童話
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅は西門駅、街は西門町という台北有数の繁華街らしい。現在は渋谷にたとえられる若者文化の街らしいが、昔は浅草のような場所だったという話もある。交差点の地面に ”Xi-Men Walker” と書かれていたのは「西門町徒步區」という場所のようだった。 劇中の台詞では、西門町の三大名物といえば映画・金・変人だと言っていたが、うち金と変人はともかく「映画」に関しては、実際に映画の街として知られていた時期があったらしい。そのため劇中でも何かと映画を物語に関連付けようとしていたようだが半端な印象だった。また映画以外にも町の歴史を匂わせるもの(人物)を出していたようだが、日本人が見て自ずとわかるほどのものはなかった。  全体的にはいい雰囲気の映画であって、現代的な都市景観の裏に庶民の住処が混在し、上下の立体感もある劇中世界を見せている。主人公が始めた街頭スタイリスト?の業態も若者の街らしく?面白い。また街区の奥に人知れず「太陽と緑、都会のオアシス」の異世界ができていたのもファンタジックな印象だった。 しかし雰囲気はいいとしても見て単純にわからないことが多い。例えば1999.9.21の建物倒壊は「921大地震」によるものだろうが、それで変人男が今の境遇に至ったという字幕の説明が理解できない。また黒スーツの男が主人公をどう思っていたのか、何をしようとしていたのか結局不明だった。 また物語に関しては題名の「童話」の意味がよくわからないが、感覚的にいえば童話の中に自分が閉じこもって出て来ないのではなく、童話(または幼時の記憶?)を自分の中で大事にしながら現実を生きろということか?? ラストもどうなったのか不明だが、少なくとも親子一組は再出発できたのだろうからハッピーエンドのようではあった。 ほかに登場人物の人間模様も描かれており、それぞれの物語(断片的なものも含め)については連関が見えなかったが、これは各種ばらばらな人間像を詰め込むことで、総体として西門町という場所を表現しようとしたのかとは思った。  登場人物について、特に主人公が小柄で可愛いのは大変結構だった。演者の郭書瑤 Kuo Shu-yauという人は2013年の第50回金馬奨で最優秀新人賞を受賞したとのことだが、10代の頃には“「童顏巨乳」等特色”によってグラビアアイドル的な人気があったようで、この映画でも確かにそういう感じは出ている。映画としてはわけがわからなかったが、この人の印象がよかったので悪い点数はつけられない。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-15 14:47:46)
295.  まごころを両手に 《ネタバレ》 
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。新北投駅に近い「北投温泉」の話とのことだが、ほとんどは主人公の住む旅館内で進行する。 北投温泉というのはもともと日本統治時代に発展したとのことで、主人公の旅館も板敷の廊下に畳敷の部屋で宴会しているなど、まるきり日本風の造りに見える。この温泉街は1970年代まで”色情業”のおかげもあって繁栄したらしいが(それで日本人も多かったのか?)、その全盛期も昔のことになり、今は代わりに健全な温泉街になったということらしい。  邦題は適当に付けてあるが原題は「5つ星の干物女」であり、内容的にも題名にふさわしいコメディになっている。最初から最後まで大笑いというわけでもなく、登場人物がカメラ目線で語る手法もそれほど面白くはないが、評価員が上から何か取る(返す)のが少し可笑しいのと、旅館に「笑いが渦巻く」表現として意味不明な大笑いをしているのは失笑した。奇怪なブタのほかキノコが重要キャラなのも悪くない。 物語の面では、主人公の祖母と昔の日本人との関係がまるで「海角七号」(2008)のようで、生の日本語の台詞が多かったのも似ている。その映画で男女が別れたのは戦後に台湾が日本統治下から離れた時だったのに対し、この映画での1972年は日本が中華民国と断交した年なのも意味ありげだったが、別に政治的なことは関係なかったらしい。日本の男が責任放棄したのは倫理的に大問題ではないかと思ったが、そこはうまく決着をつける一方、別の人物を悪役にしてしまったのは気の毒でもあるが、それも最後は丸く収めた形になっていた。 最後は祖母と主人公だけでなく、ふしだらな関係に見えた男女までもがしあわせ感に浸る終幕だったので、結果的には悪くない映画だと思わされた(結構好きだ)。  登場人物としては、特に葉星辰 Stars Yeh という人が演じた1972年の祖母が可愛い(結構好きだ)。主人公役の柯佳嬿 Alice Koという人は顔だけ見ると美形でクールな印象だが、この映画では可愛いとも断言できないが愛嬌のあるコメディ役者になっている。 ほか人気モデル役で出ていた莫允雯 Christina Mokという人も、本来こんな安いイメージのタレントではなかったらしい。劇中この人気モデルのPR映像は笑いどころがよくわからなかったが、これは本人が出演した新発売のオシャレな魯肉飯(時尚滷肉飯 新上市)のCM映像を、本人の紹介として無造作に転用した想定だったと思えばいいか。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-08 14:06:01)
296.  この街に心揺れて 《ネタバレ》 
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅名は大橋頭駅だが、地名としては河港のある「大稻埕」(だいとうてい)という地域の「迪化街」(てきかがい)とのことで、レトロな洋風建築と近所づきあいの残る古い市街地のようだった。なお邦題は雰囲気で適当に付けてあるので気にしなくて構わない。 物語的にはもう若いともいえなくなってきた男女のラブストーリーだが、特徴的だったのは原題と英題のとおり、恋物語に数学を結びつけたことである。相手の男は数学者だが視野の狭い専門バカでもなく、一見無関係な技術や数理に即して人間界の真理を語る特性というか能力があったらしい。最終的に重要だったのは「オイラーの等式」なるもので、これは文系の立場からすると忌避感を催す言葉だが、要はそれ自体が一見無関係な全く別のものをつないで調和させている点で、「縁」を象徴するものと意味づけたのがこの映画としての工夫らしかった。 ちなみに主要人物のほかに、世間の男女間をやたらに繋ごうとする変な若い男が出ていたが、これはシリーズ全体に関わる存在のようで、今回限りでは意味不明だがとりあえず大目に見ておく。  ところで別に台湾映画に詳しいわけではないが、どうも他の映画で見た要素が多く使われていた気がする。なぜか日本人が出るのは「海角七号」(2008)など、幼時の記憶は「トップガイ」(2014)、外国在住で帰郷を迷うのは「幸福路のチー」(2017)を思わせたが、これはいちいち真似しているというよりも、向こうでよくあるパターンだということか。ラストが空港だったのも、少し前に「風が踊る」(1981)を見たばかりだったのでまたこれかと思わされたが、今回なりの決着の付け方としては悪くなかった。 ほか個別の場面で結構いいところがあり、「女性が不機嫌なときは…」というのは先人の知恵を思わせる(魯肉飯5杯食いたい)。また家系が敵同士?だというのをロメジュリで茶化したのは、些細なことでも創意の働く基礎的なレベルの高さを感じさせる。即興でキラキラ星の変奏を連弾していたところでは、こんな特技があるとは聞いてなかったので反則だと思ったが、このあたりから主人公も可愛く見えて来た。 主人公男女以外では男の叔母が感じのいい人物で、甥が物事を数学で語ろうとするのに対し、歴史を語ることで対抗していたのは笑った。「肝心な時に決断しないと…」というのはその通りだ。向こうの人はちゃんとわかっている。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-08 14:05:59)
297.  今日もわれ大空にあり 《ネタバレ》 
戦時中は海軍航空隊にいたという古澤憲吾監督が、「青島要塞爆撃命令」(1963)に続いて撮った飛行機映画である。時代的には「ゴジラ」(1954)で鮮烈デビューした(ただしミニチュア特撮)航空自衛隊のF-86戦闘機が早くも引退の時期にかかり、新鋭のF-104戦闘機に主力の座を譲ろうとしていた頃の話である。 実際にF-104が出るのは序盤と最後くらいのもので、ほとんどはF-86ばかりだが、円谷特撮ではなく実機映像が基本なので迫力がある。ほかに隊長機・訓練機としてT-33練習機も見えており、また極端に古風な黄色いプロペラ機が出ていたのは、戦前から世界的に使われていたT-6練習機というものらしかった。  本編は序盤からブルーインパルスなみ(乗員は多分本物)の曲技飛行で始まるので見とれてしまう。しかし劇中の隊員があまりに放埓でいい加減な連中で、こんな映画を許容する航空自衛隊は大らかなものだと思わされる。途中の訓練では何を訓練していたのかよくわからず、最後だけ必然性もなく無理やりな緊迫場面で盛り上げていたが、結局単なる根性論で終わったようなのは残念感があった。あるいはこれが「勇猛果敢・支離滅裂」といわれる航空自衛隊気質の表現だったのか(違うか)。 ドラマとしてはパイロットの人間模様も入れていたが、恋の結末に関しては全く納得できない。キャストとしては夏木陽介+星由里子で順当だとしても、こんなパワハラ気質+男尊女卑の旧人類で大丈夫なのかと花嫁が心配になる。結婚式ではとんでもない大失言をしていたが、本人は失言とも思っていないだろうからどうしようもない。 まあこの時代の大衆娯楽映画としてはこれで普通なのだろうが、それよりF-86映像が満載という点が最大の価値ではある。ラストの場面では、F-86の限界をこえて高く上昇するF-104が新しい時代を表現していたようで、お勤めを終える飛行機も人もお疲れ様でしたと言いたくはなった。  ほか個別事項としては主に最年少の三尉との関係で、自分で自分を縛らず自由になれということが語られていたようで、日記をやめろという端的なアドバイスは新鮮な気がした。また隊長の戦時中の話は残念なことだったが、その娘が父親を大事にしろと言われていたのはちょっと泣かせる場面だった。ちなみにどうでもいいことだが、農家の庭にニワトリがいるのはいいとして、屋内にまで1羽入り込んでいたのは気にしないのが普通なのか。 [雑記] 劇中飛行隊が九州まで遠出した場面では、途中で日本各地の空撮映像を見せていたが、その中で見えた「若戸大橋」(北九州市)は、この映画と同年の東宝映画「宇宙大怪獣ドゴラ」(夏木陽介主演)で怪獣に破壊されてしまっていた。その映画にもF-86が出演している。
[DVD(邦画)] 6点(2022-01-01 10:53:42)
298.  トップガン 《ネタバレ》 
2022年に続編が公開予定だそうだがそれとは無関係に、他国の類似映画で「スカイ・イーグル」(2011トルコ)、「TOP GUY トップガイ」(2014台湾)というのを見たついでに本家戦闘機映画として久しぶりに見た。 この映画のいいところは、何といっても今はなきF-14艦上戦闘機が大活躍なことである。グラマン社のニャンコシリーズの最後になってしまったが、後のVF-1 “Valkyrie” のデザイン元になったものでもあり、かつて多くの男子が憧れた飛行機だったことは間違いない。CGに頼れない時代のため実機が飛ぶこと自体に迫力があり、敵と高速ですれ違ったりするのがスリリングに見える。格闘戦中心の映画なので主翼を大きく展開する場面が多いが、後退角を大きくして全体が三角になる場面もあり、またその中間の状態も見えていたようなのは興味深い。なお訓練場面での相手役がA-4だったのはいいとして、本物の敵の「ミグ」(MiG-28?)をF-5が演じていたのは、F-86に対するMiG-15やF-4に対するMiG-21のイメージかも知れないが、F-14の相手としては大小差がありすぎて貧弱に見えた。 話の内容として特に心に残るものはないが、ただ前の方の人々も書かれているように、昔見たときは主人公のライバルが傲慢で嫌な奴だと思っていたところ、今回見ると結構まともな男だったというのは意外だった(首席卒業にふさわしい)。また最後に主人公が最前線での戦いを志向せず「トップガン」での活躍を希望したのは、常にどこかで本物の戦争をしている印象のあったアメリカにしては穏健である。 音楽面では、もともと洋楽にあまり関心はなかったが、"Danger Zone"や"Take My Breath Away"は当時さんざん聴かされたので当然憶えている。  ちなみに最近、続編との関係で話題になっていたのは、この旧作で主人公の私服の背中に日章旗と青天白日滿地紅旗がついていたということだった。これは1963~64にミサイル巡洋艦ガルヴェストンが日本と中華民国を訪問した際の記念物らしく、それならパイロットというより船乗りの持ち物だろうと思ったが(古着屋で買ったのか)、とにかくアメリカの友邦がどこなのかということが当時のハリウッド映画にも反映されていたとはいえる。 それより今回気づいたのはSundownという男のヘルメットが旭日旗デザインに見えたことだったが、これはrising sunではなくて日没だ、という洒落(謙遜?対抗?)だったのか。ミラマーというのはカリフォルニアにあるらしいので西海岸っぽいとはいえる。
[DVD(字幕)] 6点(2021-12-25 11:23:15)
299.  TOP GUY トップガイ 《ネタバレ》 
台湾の空軍パイロットの話である。これより少し前のトルコ映画「スカイ・イーグル」(2011)と似た感じがある。 無名の外国映画の邦題が全く信用できないのは当然として、この映画に関しては英題の “Dream Flight” は正しい(原題の「想飛」も同じ意味か)。半分は訓練学校での話なので、トップを目指すどころかまずは一人前になるため奮闘している印象がある。 戦闘機映画として売る思惑もあるのだろうが、前半ではT-34練習機(プロペラ機)が主役であり、ほかにAT-3練習機(ジェット機)が少し映る程度である。その後は主人公の乗機になった国産戦闘機IDFが前面に出るが、映画宣伝に名前の出ているミラージュ2000は実機が少々、またF-16は申し訳程度の出番だった。  全体構成としては、前半はラブコメ風の青春物語、後半は主人公と妻が夢をかなえるまでの話になっている。病気とか死亡事故とか食器が落ちて割れるとかのありがちな展開もあり、またオズの魔法使いと星の王子様のどっちが大事かわからないといった統一感のなさもあるが、最初から軽目の娯楽映画(男女兼用)と思っていればそれほど問題ない。個別の場面としては、主人公が屋上でシミュレーション飛行する背景にピアノ曲が流れる場面は好きだ。また唐突な「紅の豚」には失笑させられた。 音楽面では主に“Over The Rainbow”が耳に残るが、ほかに序盤のラブコメ部分でChappieというキャラクターの歌「Everyday」(Monday 早起きはいつだって苦手なの...)というのが流れたのがこのパートの雰囲気を反映していた。  ドラマ的には“心の目で見る”というのが一貫していたらしい。終盤のDream Flightは思い切りファンタジックな場面だったが、かえって戦闘機映画の出来損ないなどと言わせない確信犯的な意志が感じられ、結果的には悪くないと思わされた(正直少し泣かされた)。またラストで冒頭と同じ時代の回想場面に戻ったのは、この時から二人の未来が運命づけられたという意味らしく、子ども時代からの素直な空への憧れが感じられたのも悪くない。世間の評判がどうかは別として、個人的感覚としては結構しあわせ感に浸れる映画だったので、少しいい点を付けなくては済まない気分だった(少し長いが)。 なお登場人物では、特に主人公の妹の笑顔にかなり和まされた。主人公には台湾の空を守る任務があるにしても、この家族や妻のためにもとにかく無事でいてもらわなければ困ることになる。要は敵が攻めて来なければいいわけだが。
[インターネット(字幕)] 6点(2021-12-18 10:31:45)
300.  風が踊る 《ネタバレ》 
1981年製作とのことで、街の風景や背景音楽などに(日本でいえば)昭和っぽさがある。基本的にはラブコメ風の映画だった。 撮影場所としては澎湖島、南投県鹿谷郷と台北である。澎湖諸島は亜熱帯と熱帯の境界付近で温暖な気候のはずだが、劇中では寒風の音まで入れて妙に寒々とした印象を出していた。また鹿谷という場所は変に霧が出ていて見通しがきかないと思ったら、主人公男女が子どもらと一緒の場面では日も照っていたりして、これは登場人物の気分の変化も表していたかも知れない。  物語的には自由恋愛を志向したものだそうで、実際そのように見える。相手の男が、当初は辺境の漁村に寂しく住む視覚障害者のように見えていたが、実は正体が全く違っていて視力もすぐに回復した、というのはかなり都合のいい展開に思ったが、このことで男の地位や女の美醜と関係なく、人間の本質的なところに惹かれ合ったことが表現されているらしい。 また途中までは主人公が平気で人を騙すのは困ったやつだと思っていたが、その上に婚約者を捨てて別の男に走るのでは倫理的に大問題ではないかと思っていた。しかし婚約のことは古風な父親に言われていただけで、それよりも「きちんと約束した」方が大事だというのは、古いしきたりに縛られない本人の主体性と誠実さを示している。なお当初、主人公は香港の男と同居しているのかと思ったが、実はそうではなかったと考えられる。 終盤は少し意味が取りにくかったが、男が来るかどうかで結婚自体が左右されるわけではなく、主人公としてはもう心を決めていたということらしい。その上で、旧世代のように結婚に縛られるのか、結婚しても自分として生きられるのかが問われていたのだと思われる。  ほか社会的なことに関していえば、当時の台湾はまだ一党独裁の戒厳令下にあったわけだが、主人公が学校の規律にあえて従わないなどは、社会的な束縛にこだわらない自由な気風があったことの表現かも知れない。主人公が「仰げば尊し」(「靑靑校樹」)に適当な歌詞をつけて子どもらに歌わせていたのは笑った(注:「前途は はるかに、人生は洋々と…」からは元の歌詞でちゃんと歌っていたらしい)。 そのようなこともあって、自分の世代的な感覚からすれば、ほどよいリベラル色の出た映画で悪くないと思った。なお最後の「恭禧發財」は、字幕に書かれた観客向けの言葉というより二人への祝いの言葉ではないかと思ったが(不詳だが)、何にせよ悪くない趣向だった。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2021-12-11 11:04:45)
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