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Qfwfqさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 170
性別 男性
年齢 43歳
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21.  デジモンアドベンチャー 《ネタバレ》 
20分ぐらいの短編ですがこれ、子供の頃見たら高確率でトラウマになっていたかと。DVDに収録してある劇場二本目の「僕らのウォーゲーム」にも驚かされたが、作者の衝動という意味では、おそらくデジモンとの始めての接触を扱ったこの劇場一本目の方がより危なっかしい。あんなに可愛らしかったデジモンがあっという間に成長し、敵と対峙した際にはその凶暴性を解放するというプロセスの前に無力を晒さざるを得ない兄妹。妹はその恐怖に泣きじゃくり、兄は純粋な力に対して憧れに近い感情を覚える。自分たちの力ではどうにも出来ないものを初めて認識する(してしまった)ことを契機とする、成長/喪失についての物語として非常に良くできた作品だと思う。そうそう、ラヴェルのボレロの使い方もユニーク。
[DVD(邦画)] 8点(2007-03-28 13:17:35)
22.  クレーヴの奥方(1999)
普通に考えれば、何故この世紀末(公開されたのが1999年)にこんな化石的メロドラマが作られたのかと首を傾げざるを得ない。原作は17世紀の小説で、現代に時代を設定しているものの倫理観だけはそのままなので、その貞操観念には苦笑を禁じえないだろう。また感情移入が望めないだけでなく、現代に設定する事で「エデンより彼方に」のような懐古調メロドラマにすらなりえず、さらにこの映画は盛り上がりが予想されるシーンを字幕のみでスルーしちゃう。画面にはキアラ・マストロヤンニが演じるクレーヴ夫人と、その親類や夫、あるいはシスター役のレオノール・シルヴェイラが座りながら/歩きながら会話をするシーンばかりが映る。オリヴェイラ翁よ、そこまでやるか。映画にストーリーという要素が欠かせないのは事実。だがストーリーだけが映画内時間の主役である必要はない。オリヴェイラはストーリーによる映画の起伏を拒否する。メロドラマという形式からここまで自由になった映画は空前絶後ではないか。ある評論家の小津安二郎評に「何を考え、何を言ったかではなく、何かを考え、何かを言うことにまつわる諸々の不自由を突き詰め、考え、そして言うことそのものをめぐっての映画を撮り続けた」とあるが、この賛辞の多くがまさにオリヴェイラにも当てはまり、そこからさらに邁進していくだろう。というのもオリヴェイラの偉大な同世代(ジャック・ベッケル、ジョセフ・ロージー、小津、マキノ・・・・等など)は皆死んでしまったが、オリヴェイラはまだ生きてますんで。オリヴェイラこそは映画史の生きた化石、最長老、八百比丘尼なのである。映画史が1世紀分丸ごと生きた映画監督の名を刻む瞬間はもう近い。 【追記】本当に刻んじゃいました(笑)
[映画館(字幕)] 10点(2007-03-22 21:28:54)(良:1票)
23.  デジャヴ(2006) 《ネタバレ》 
面白い、文句なし!全編是映画って感じの画面が冒頭の船爆破のシークエンスから途切れることなく持続され、目が離せなかった。特に冒頭の空撮は何度でも見たい。川を入れた多様なロングショットや、その川の周辺を囲うパトカーや警官の配置、というかこの冒頭に限らずこの映画全体としてとにかく(場所にしても人にしても)配置が見事だった。あの、タイムスリップ装置がある施設での人物配置なんてまさにいい例で、捨てキャラが一人もいない。特に黒人の研究員の表情やアクションの入れ方の上手さなんて凄いと思う。そして過去を写すスクリーン上には美しいクレアがいる。最初に彼女が振り返るシーンの素晴らしさは、ただ女優自身が綺麗なのではなく、それ以前に美しい遺体として登場するという前段の演出をしっかりとこなしたからこその表情でもあり、あのシーンで完全に武装解除されてしまったせいか、それ以降内容はどうでもよくなり目の前に繰り広げられる過去と現在の交錯に一喜一憂するしかなかった。ラストもそうなるだろうな、と思いつつトニー・スコットの演出の的確さはそれを新鮮なものとして画面上に投げかけるので「よかったねえええ」とアホみたいに感動するしかなく。いやー面白かった。「ドミノ」はまさに驚きの一言だったが「デジャヴ」はなんというか、トニー・スコットという監督のまとめ的な映画だろうと思う。そして何より大人の映画だろう。必見。
[映画館(字幕)] 9点(2007-03-18 01:10:50)(良:1票)
24.  ヴェルクマイスター・ハーモニー 《ネタバレ》 
秩序の回復とか調律の不快という言葉、巨大クジラと"プリンス"、不穏な群集。かたや、世界の法則を回復せよ、カリスマという巨木、後半登場する武装した集団。後者は黒沢清の「カリスマ」だが、両者の構造は非常に似ている。発表された時期もほぼ同じ(ヴェルクマイスター:2000年、カリスマ1999年)。まあ、どっちが優れているかという比較は置いといて、「ヴェルクマイスター・ハーモニー」はアートへの志向性が強い作品ではある。実際かなりユニークな作品で、ガス・ヴァン・サントの2000年以降の変貌にも一役買っているところがある。酒場での人間プラネタリウムに始まり、クジラを乗せたトラックの不気味な登場、そして圧巻である広場の群集と焚き火。この街を支配するシステムの循環がすでに異常をきたしている事がありありと映し出され、さらにクジラと"プリンス"による外乱が、そのシステムをある一点に収束させ、やがてクライマックスの暴動へと繋がる。この手の映画はかなり好きなのだけど、なんか「トゥモロー・ワールド」っぽくて中々入り込めず・・・志の高さはこっちの方が断然上だろうが。それにしても、計算され尽くした長回しというのは画面の中に規律を(暴動でさえ)作りだすが、それは映画の主題と対を成してしまわないか。肝心の音も弱い気がした。がっ、この映画は面白い!それは間違いない。映画館で見なかった事が悔やまれる。この人の新作(なんか、いわくつきらしい)や、ヴェルクマイスターのプロトタイプ的作品で上映時間7時間オーバーの「サタンタンゴ」(米アマゾンでDVDあり。信じられん)も是非観てみたい。ちなみに、【エスねこ】さんの上記の脚色を結構真に受けて鑑賞したのでビックリしました、ある意味で(笑)
[ビデオ(字幕)] 9点(2007-02-21 14:05:35)(良:2票)
25.  魂萌え! 《ネタバレ》 
まさに「人生は戦場だ!」を信条に生きる事となる風吹ジュン演じる女の戦いの記録とも言える一篇。成瀬巳喜男の「あらくれ」を髣髴とさせる風吹ジュンの爆発的突発的なエモーションに打ちのめされてしまった。暗闇の映画館の中で厳しくスクリーンを見つめるクライマックスの野心に満ち溢れた眼差し(その先で写されるのは何と「ひまわり」、これはずるい!笑)を獲得するまでのプロセスをダイナミックに演出した阪本順治も見事だが、その阪本順治に「女性映画」を撮らせたプロデューサーも素晴らしい選択をしたと思う。登場する人物は皆生き生きしており、また作品の随所で吹く風が彼らの表情に厚みを与えている。傑作。だと思うけど、「トカレフ」なんかと比べると、少しまとまり過ぎた感があるかも。
[映画館(邦画)] 8点(2007-02-18 20:13:04)
26.  荒野のガンマン 《ネタバレ》 
色々と問題のある映画だとは思うが、この処女作ならではのタガの外れ様は圧倒的だった。冒頭の首を括る拷問とか、主人公の誤射により死んでしまう少年の登場シーンなど、インパクトの強い画面構成が印象的で、この映画自体そういうインパクトだけで繋いだような感じがする。それが作品のバランスの悪さとなるのだろうが、本能的とも言っていい求心力に何故だか惹かれてしまった。「ガルシアの首」と正反対の展開も面白い。ところで「ガルシアの首」って、見るたびに「あぁ~」って唸るしかない映画なので困る。何なんだあの映画は本当に。で、こういう映画を処女作として撮るような人間が「ガルシアの首」のような映画を撮れるんだなあ、と変に納得してしまった。あと、強盗した金で南部に軍隊を作ろうと意気込むあのおっさんの倒錯的なキャラクターは凄い。
[DVD(字幕)] 9点(2007-02-14 16:43:33)
27.  ピーター・フォークの ビッグ・トラブル
カサヴェテスとは波長が合わない。というのは作品についてではなく、鑑賞機会についてである。何故かカサヴェテスの映画を借りると、その時に限って忙しく、結局見れずに返却というパターンが多い。彼の作品は総じて上映時間が長いのも原因の一つ(ちなみに、アントニオーニも何故か全然見る事ができない)。というわけで短い部類に入る「ビッグ・トラブル」をレンタルして意地で鑑賞、で、これがまたカサヴェテスの遺作でありしかも本人的には気に入っていないらしいのだが、いやいや、全然おもろいです。後半、思いっきり路線変更してるが、遺作にしてこの逸脱ぶり。しまいには最後にわけわからんパーティが・・・で、これがまた楽しくて。普通に撮ってるように見えて、全然普通でない。特に顔面のクローズアップが、なんというか、良い。うまく言えないが、要するにこの映画はビッグ・トラブル、極めて映画的なビッグ・トラブルなんだと思う。 【追記】自分で書いててなんだが、何書いてんのか意味わかんねー(笑)何だよ、映画的なビッグ・トラブルって・・・・・
[DVD(字幕)] 9点(2007-02-01 23:23:32)
28.  ダーウィンの悪夢
なるほど、こりゃあ地獄だ。ヴィクトリア湖の生態系をぶち壊した巨大魚ナイルパーチの、腐った肉片が付着した骨を天日干しているシーン(地面は魚の油でグチャグチャ、魚には大量の蛆・ハエがたかる。そこで働く人々は腐乱により発生するガスで目をやられ、服もボロボロ。それでも仕事がある分、まだマシだと話す。)が強烈。ヘコむとか、そういった感情を突き抜けて「もう、どうでもいいや」という開き直りの念だけが残る。同時にこんな映画を撮った奴は相当なバカだと思った。貧困や政情不安が蔓延る社会を、とにかく生々しく、言い換えれば贅沢に、それがこういう映画に対する唯一の有効性であるかのごとく(しかもそれらを包むグローバリゼーションの功罪をふんだんに匂わせつつ)、そしてそれが誠実な態度であるかのようにタンザニアの現状(らしきもの)を捉えるカメラ。まあ当然、あえて「地獄」だけを見せてるんだろうが、そうしたドキュメンタリーにおける虚構性と安易に戯れる様はかなり見苦しい。この映像を撮っている奴らを対象とした方がよっぽど面白いドキュメンタリーになるに違いない。タンザニアの歌を歌った娼婦が殺されたと知った時に、彼らが見せたであろうしたり顔とかさ(笑)
[映画館(字幕)] 4点(2007-01-18 21:08:15)
29.  硫黄島からの手紙 《ネタバレ》 
硫黄島よりスリバチ山が印象的。「父親たちの星条旗」では外側が、「硫黄島の手紙」は内側が主要な舞台となる(だから、「硫黄島~」を見たら必ず「父親たち~」も見なければならない。逆も然りだが・・・)。スリバチ山の内部で展開される攻防の様子は見ごたえ十分なのだが、何よりも迷路のように作られた洞穴での非戦闘時の様子が心に残る。手紙を書く視線とオフの声、戦闘前の渡辺謙による万歳三唱、弾に当たらないよう腹に巻かれる縁起物(名前ど忘れ・・・)の哀しさ、伊原剛と米兵捕虜との対話、玉砕前にラジオから流れる歌声・・・あと例外的ではあるが中村獅童が洞穴で結局捕虜として捕まってしまうシーンの可笑しさ。これらの見事な叙情性は「父親たち~」ではほとんど見られることはなく(だからといって「父親たち~」を見ない理由は・・・って、しつこいか)、「硫黄島からの手紙」におけるスリバチ山の内部という、絶対的な「暗」の中でわずかに照らされる光となる。日本兵(日本人)に対してこれ程真摯に向かい合ったイーストウッド、そしてそれに見事に応えた日本の俳優たち。それらが最終的に優れたアメリカ映画へと昇華されたということ。ていうか、褒めることしか見当たらない(笑)のだが、「父親たち~」の方がやっぱり上かなと思う。それはイーストウッドのいまだ衰えぬ野心を、直接触れたら凍傷になってしまう冷たさを、「父親たち~」は持っていたように思うからである。あの、海辺で米兵たちが戯れるラストシーンの浮遊した感じなんかでも、いまだに言葉にする事が出来ない。それに比べれば「硫黄島からの手紙」は上記のように褒めることができる分、安全な感じがするのは否めない。
[映画館(字幕)] 9点(2007-01-11 23:35:36)
30.  召使 《ネタバレ》 
主人-召使の関係が、あるきっかけで逆転してしまうという、ありがちなストーリーではあるが、この映画の最後では主人-召使という関係すら消え失せてしまう。ジョセフ・ロージーの映画は、まず画面を覆う暴力的な雰囲気に圧倒される。とても同じ空気を吸っているとは思えない、突き刺さるように陰鬱な場所にしかし登場人物たちは抗う事を忘れて誘われていく。「召使」におけるその陰鬱な場所はあの屋敷であり、縦横無尽な撮影の為に作られたかのような室内の、グロテスクとしか言いようのない空間、そしてそれを分断する幾つものドアが、とにかくドアが怖い。こんな恐ろしい屋敷にダーク・ボガードみたいな奴を雇っちゃマズい。その上彼の相方であるサラ・マイルズの畸形的な性的魅力が加わる。唯一地味な存在であるウェンディ・クレイグがどんだけジェームズ・フォックスを引きとめようとも無理というものだ。しまいには彼女も負の連鎖に巻き込まれる(しかも自分から)。確かに、余りに救いのない展開には思わず辟易してしまうのだけど、人物が次第に主体性を失っていくプロセス、というより場所が彼らを次第に侵食していくプロセスは何度でも見たいと思わせる。
[ビデオ(字幕)] 10点(2007-01-09 21:00:08)
31.  武士の一分
花が咲いてたら「花が咲いてる」と言い、蛙が鳴けば「蛙が鳴いてる」と言う。暑いからと襖を開けた途端に、セミを鳴かせてみたり。壇れいが口づけするにも理由が要りやがる。しまいには盲目になった木村拓哉の目の前の庭で光るホタルに対し、壇れいに「ホタルはまだ出てない」と言わせてしまう。あるいは、市井の人々を描くという事を、慎ましさであったりささやかな生活へと安易に変換させる態度。それらが、何の視点も持たない画面が、まるで巨匠・山田洋次の得意技であるかのごとく、歯切れの悪いカット割りで次々と展開される。仮にそれらに目をつぶったとしても木村拓哉のクローズアップで行われる心理描写のウザさは如何ともしがたく、月9か何かで「ちょ、待てよ!」と言ってるキムタクの方がまだテレビだけに安心して見ることができる。時代劇映画が、山田洋次という別に一流でも何でもない監督によって、こういう形でずるずると延命させられているのを目の当たりにするのは何とも耐え難い。
[映画館(邦画)] 3点(2007-01-07 02:37:43)(良:3票)
32.  百年恋歌
三話構成で、三つの別の時代が描かれ、それぞれで主役となる男女のカップルは同じ役者が演じる。この三話にはストーリー的なつながりはないものの、ホウ・シャオシェンの、映画監督としての約20年の歩みというか、変遷に沿っている構成である。つまり、最後の現代篇がホウ監督の最前線ということになるだろうか。が、最後の現代篇は、なんか、よくわからない。一話目のような幸福感もなく、二話目のような官能的な画作りもなく、ただただ青白く重苦しくて、観終わった後の失語状態がシャレにならなかった。「ミレニアム・マンボ」でもそうだったが、ホウ監督の扱う現代は、どうしようもなくしんどい雰囲気が漂っていて、観ながら眉間にシワを寄せてしまう。なんとかして、ホウ・シャオシェン的なものを探したいのだが、それを見つける事すらできないことへの苛立ちもつのる。だがホウ監督がダメになったとは思えない。実際、「百年恋歌」の第一部は、あの「恋恋風塵」や「風櫃の少年」を凌ぐほどの密度だし、二話目だって「フラワーズ・オブ・シャンハイ」を想起させる。ということで、必見なのは間違いない。何よりスー・チーの佇まいが半端ではないのです。一話目のスー・チーの可愛さといったら・・・何なんだあれは、可愛すぎて反則だよ。と、それは置いても(置けないが)、ホウ・シャオシェンはやっぱり断固支持。とりあえず「ナイルの娘」と「憂鬱な楽園」を見ておこう。
[映画館(字幕)] 9点(2006-12-27 19:29:56)
33.  ありがとう (2006)
生きていることが既に奇跡であるとすれば、生存を持続させる全ての事柄もまた奇跡だろう。だから何も奇跡を特別視することはないのかもしれない。だが、この映画のメインストリームである持続する奇跡、そしてそれが起こらないという疑念すら生じさせない力強さ、これらが実話という事象を飛び越えて、ドライヤーの「奇跡」に接近してしまうという事態を目の当たりにして、ただ言葉を失いひたすら感動するしかないのは何故だろうか。何の気なしに観に行ってここまで打ちのめされるとは思わなんだ。素っ気無く通過されてもおかしくない、「シネコン映画」の一つとして数え上げられるには余りにも惜しい。「ありがとう」は、紛れもなく映画作家による現代映画である。赤井秀和の「ニコッ」とした笑顔の素晴らしさ、薬師丸ひろ子の髪を梳くときの表情、そして田中好子の愛すべきキャラクター。是非もう一度観たいですね。
[映画館(字幕)] 9点(2006-12-27 14:21:22)(良:1票)
34.  トゥモロー・ワールド 《ネタバレ》 
なかなかの力作だった。長回しもそうだが、とにかく窓を使いたいらしく、窓の奥では暴徒が暴れていたり(暴れるから暴徒か・・・)、陰謀が進行していたりと、空間における奥行きのみならず世界観の厚みも効果的に表されていた。ただ、見せすぎである。この監督が好きなタルコフスキーも、とにかく見せるのが好きだ。見せることはそんなに重要か。フレーム内に何でもかんでも入れてしまう姿勢はどうかと思う。確かに冒頭のワンカットにせよ、ラストの銃撃戦にせよ、まあ驚きはするけれども、厳密さに欠けている(プロットを描いた画面に過ぎない)と思った。キーがお腹を出すシーン、マイケル・ケインが最期に妻と話すシーン等の見せ場も同様。しかしこの映画は音が良いと思った。画面の外から聞こえる祈りの声や移民たちが喋る字幕に映らない言葉、ラストの赤ん坊の泣き声なんかも素晴らしい。森の中の風のざわめき、鳥の鳴き声、またこの時代からすれば古い時代の音楽であるロックも。総合的には話の面白さもあり、十分に楽しめた。真っ直ぐな映画だと思う(ジュリアン・ムーアのあっけなさには苦笑だったが)。ところでこの終末観、特に最後で船が出る辺り黒沢清の「回路」が頭をよぎったが、この映画の予算で「回路」を作り直したら、「トゥモローワールド」100本分の価値が・・・なんていっても仕方ないか。
[映画館(字幕)] 8点(2006-12-04 00:21:54)
35.  アウトロー(1976)
ツバ汚っ!しかも黒っ!いくらアウトローだからって、ビーフジャーキー喰らい過ぎです。だが、この映画は相当素晴らしい。段々仲間が増えていく過程なんて見ているだけでワクワクするし(インディアンの女子が最高)、イーストウッドのギラギラ振りも相当なもの。ソンドラ・ロックが、清純そうに見えながらしっかりイーストウッドを誘惑しているところも面白い。場面としては中盤の川流しのくだりが堪らない。帽子をかぶったおばあちゃんのカッコよさ、南北の歌を歌い分ける漕ぎ手のオッサンの軽薄ぶり、イーストウッドの一発の銃弾でピンチを簡単に切り抜けてしまうというオチも効いている。「サンダーボルト」のジェフ・ブリッジスを想起させずにはいられないサム・ボトムズの繊細な表情の変化も良かったなー。見所のみで構成された実に豊かな画面の中を生き生きと動く人物、体内には映画の血が流れているとしか考えられない。中でも最も濃い血を持つであろうクリント・イーストウッドが監督した、傑作としか言いようがない作品。
[DVD(字幕)] 9点(2006-11-24 22:45:27)
36.  まわり道 《ネタバレ》 
ヴェンダースの作品特有のまなざしである、いわゆる天使の視点は、「まわり道」においては見受けられない。曇天の空撮から始まり、リュディガー・フォーグラーが窓を割る時のあの音、そして拳から流れる血、これらは小説を書けない作家の過剰な自意識というよりは、作品全体を包み込む否定――「まわり道」の原題は「間違った動き」という意味のドイツ語である――として画面に焼き付いている。ロードムービーとして想起されるような典型事象は、「まわり道」では発生しないだろうし、発生してもそこには必ず「~ない」という否定が絡まりつく。どうやらドイツという場所が悪さをしている。旅というのは端的にいえば移動に他ならないが、リュディガー・フォーグラーの移動は旅へと再変換できないような不可逆性を前提としており、彼が途中で出会う人たちとの関係性の変化がそれを物語る。ドイツを巣食う地霊は、人物から旅がもたらすセンチメンタリズムを奪い、純粋な移動(ただし、間違った動き)へと人物を導く。やがてリュディガー・フォーグラーは出会った人々と別れ、ツークシュピッツェ山頂へと登り、そこで奇跡を待つも、結局何も起こらなかったと述懐する。そんな彼を突き放すように登場する真っ赤な「FALSCHE BEWEGUNG」という題字。隙のない暗さの連打がまず圧倒的なのだが、その暗さを画面として表出するヴェンダースのセンスにはウットリする。痛々しい終わり方ではあるが、曇り空の無い高所で途方にくれるリュディガー・フォーグラーを捉えたラストショットは、ヴェンダースのあの天使の視点だったように思う。
[映画館(字幕)] 9点(2006-11-22 20:11:47)
37.  Mの物語
この映画を見終えたなら、間違いなくこの映画が「Mの物語」などというタイトルではなく、「マリーとジュリアンの物語」だと了解できる。配給会社の方は、「リヴェットの映画=長い」の重圧に押しつぶされ、最後まで鑑賞できなかったのだろう。こんなタイトルになってしまった為(?)、レンタル屋ではエロティック洋画(「エマニュエル夫人」みたいなやつ)のコーナーに並ぶのが常であり、またそのタイトルゆえに並んでいても全く違和感がないという現状。ま、確かにエマニュエル・ベアールは裸体を惜しげもなくサラしているのだが、それよりもこの映画ではベアールがカワイイと感じる瞬間が何度もある。ジュリアンの元恋人の存在に嫉妬するところなんか特にそうなのだが、その元恋人の残した衣類を着散らかす場面や、猫と戯れる場面(ジュリアン氏も負けてないが)等、それまで自分が抱いていたベアール像(=官能の人)を大きく変えた。と、こんな記述だけだとそれこそ「Mの物語」でいいじゃん、となってしまうので軌道修正するが、この映画はヘンである。そのため、ラストの雨月物語にはグッときたが、数々の夢のシーン、邸の中心にすえられた巨大ゼンマイ時計、マダムXという唐突な存在、それらを何の疑いもなく包み込む空間等、掴みきれない部分が錯綜するので、軌道修正は難しい。結局この映画は「マリーとジュリアンの物語」であるかどうか、はっきり言ってよくわからない。が、この映画を見終えたなら・・・
[DVD(字幕)] 9点(2006-11-09 21:05:22)
38.  父親たちの星条旗
「ミスティック・リバー」を観た後の脱力感、とんでもないものを見せられた後の、どこに発散するべきか何と言い表せばいいのか分からない時に感じる無力さへの苛立ちが突き抜けて、ただその映画を「見た」という事実だけが残るという感覚。もしかしたら、見てすらいなかったのかもしれない。「ミリオンダラー・ベイビー」で徹底的に打ちのめされた時に味わった感覚とは何か違う、この何ともいえない感覚を「父親たちの星条旗」は持っているように思う。イーストウッドは多分、まったく新しい視点を発明したんじゃないのか。パンフで蓮實重彦が書いていた、有名性と無名性をめぐる関係の新たな形式、というのもあるだろうが、そんな簡単にすっぽりと収まるだろうか、少なくとも自分には納められない。「父親たちの星条旗」は現代映画への重過ぎる宿題だろう。
[映画館(字幕)] 10点(2006-11-04 22:47:57)(良:1票)
39.  16ブロック 《ネタバレ》 
ブルース・ウィリスの腹に注目。ベルトの上に贅肉が乗っかっちゃってる・・・。これを見た瞬間、この映画は面白いに違いないと思った。彼と、彼の「元」同僚たちは、その存在だけで20年にも及ぶキャリアと汚職にまみれた暗部を映し出す。彼らからニューヨークという場所の一端を感じ取れる。また同時にニューヨークは彼らをごく自然に画面の中へと収めているように思う。屋上、室内、地下と毛細血管のように張り巡らされた建築物の間と、息の詰まりそうな程溢れかえる人、人、人の間で行われる追走劇。街の細部を知り尽くした彼らの押しと引きのリズム構築の見事さ。そして圧巻はやはりバスでのやり取りだろう。まんまと逃げるブルース・ウィリスとブチ切れるデヴィット・モースという最良の構図を迎えるまでの時間の密度はかなり凄い。「護送される奴が、実はイイ奴」という不変のパターンにも見事にやられる。最初はよーしゃべるウザったい奴だと思っていたが、中国人のおっさんのところで着替えをした辺りから涙腺を緩めるようなことばっかりしやがって・・・負けました。女っ気がほとんどないのが不入りの一因か?妹、良かったんだけどね・・・
[映画館(字幕)] 8点(2006-11-04 04:31:05)(良:2票)
40.  マッチポイント
やたらと顔を出す現代絵画とオペラ、そして変則的「罪と罰」といった小賢しさや、登場する人物も含めたこの映画を形作る浅くて薄っぺらなオブジェが、ストーリー以前に映画のいかがわしい雰囲気を見事に成立させている。ロンドンを底とした鋳型にはめ込まれる典型的なブルジョワ家族、魅力的な女優志望の女、そして元テニスプレーヤーで野心に満ちた(そうでもないか)主人公、彼らは自分の役柄を逸脱する事はない。観客を試すようないやらしい面を持っているとも言えるが、冴え渡った演出の巧みさに唸らされること間違いなし。スカーレット・ヨハンソンのファーストショットは堪らないでございますよ。
[映画館(字幕)] 8点(2006-10-25 11:16:07)
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