21. 恋人までの距離(ディスタンス)
《ネタバレ》 “Before Sunrise”『日の出まえ』。初対面の男女が、ウィーンの街並みを背景に、一晩中歩いて話して恋をする。ってだけの映画です。事件も起きず、トラブルも起きず、大喧嘩もせず、見逃せないラストのオチもない。そんな映画、何が面白いねん?って思ってしまいますが、このシンプルな映画に、どういう訳か引き込まれました。 この構成って、もしかしたら、『孤独のグルメ』に近い感覚かもしれません。腹が減った男が、飯屋を探して、黙々と飯を食う。ってだけのドラマですね。事件も起きず、トラb…~~~~そんなドラマ、何が面白いねん?って、思っt…~~~どういう訳か引き込まれるんですよねぇ~。 『鉄道の中でジェシーが、意気投合したセリーヌをウィーンの街に連れ出すことに成功しました。』で、この映画の説明は6割がた終了です。あとは、結末と、そこに至る過程くらい? この映画の大部分って、孤独のグルメで言うと、美味しそうな料理を見て『この料理、先日食べたわ、そうそう、この部分が美味しいんだよね』なんて、自分の記憶の中の類似した料理を回想するか、『こういう料理もあるのか、頼んだこと無いけど美味しそう、今度食べよう』って、後学のための参考にするって楽しみ方があると思います。 孤独のグルメの、男が黙々とご飯を食べる映像は、きっと、あまり外食をしない、出された料理を楽しまない人には、恐らくあんまり興味が湧かないジャンルにも思えます。 ご飯はそうでも、恋愛はどうでしょう?きっと多くの人が、異性と思いもよらず会話が弾んで、時間を忘れて話し込んで、相手の事をもっと知りたい、この人に私の事をもっと知ってほしいって、そんな気持ちになった事ってあると思います。 ウィーンの美しい街並みすら背景(モブ)にしてしまうほど。奇妙な占い師や路上詩人を二人を輝かせるイベントにしてしまうほど。飽くこと無き探求心が湧いてきて、あっという間に過ぎていく二人の時間。『そういえば、私も(俺も)、そんな気持ちになったこと、あったなぁ~』なんて思えた人は、きっとジェシーとセリーヌのように、幸せな時間を過ごした事がある人なんでしょう。この映画は、自分の過去のワクワクした気持ちを、ぼんやりと思い出させてくれる映画に思えました。 [DVD(字幕)] 8点(2025-01-21 22:37:49) |
22. それでもボクはやってない
《ネタバレ》 本作は痴漢の冤罪を扱った作品ですが、重きを置いているのは、痴漢ではなく冤罪の方。『やってない』事を証明することが、どれだけ難しい事か。そしてこの事件に関わる多くの人が『やっている』事が前提の対応をしてくる。 乗客の男性、駅員、刑事、留置所の警官、検事、判事。女子中学生が痴漢されたと言えば、周りは徹平が痴漢という“悪”であると決めつけて、正義の行いとして、どんどん徹平の立場を追い込んでいく。この、底なし沼に沈んでいくような怖さから、こちらの胃袋までキュッとしてきます。 希望が現れ、それが消えていく絶望感の演出が、えげつないですね。特に2点、被告に対しても公平で論理的。『正しい判決を出してくれそう』って言える大森判事の、突然の異動。その代わりの室山判事の、被告=有罪であることを最短距離で詰めてくるような恐怖。優しい笑顔で被告をどん底に叩き落す、被告とは住む世界が違う感じの冷徹さを感じました。 裁判官を演じた二人の俳優。一見冷たそうな正名さんに、一見優しそうな小日向さん。それぞれ、パッと見の印象と違う役柄を演じさせたのも巧いですね。 駅員室まで来てくれた目撃者の女性。駅員の杜撰な対応で姿を見失い、母親と親友の粘り強いビラ配りの結果、名乗り出てくれた勇気。証言も記憶も、客観的意見もしっかりしていて、観ていて『あぁ、これで助かった』って思った…にも関わらず。こんな重要で確かな証言が、参考意見程度に流されるなんて、絶望しかありません。 本作の主題は痴漢でなく冤罪の方。なので、真犯人も、真実も解りません。実際、徹平は痴漢をしていないのかは、最後のナレーションの通りだと思うし、須藤弁護士が最後まで担当を降りなかった事から、私たちの目には明らかです。 『十人の真犯人を逃がすとも 一人の無辜を罰するなかれ』優秀な弁護士。親身に動いてくれる親友。同じ冤罪の被告。証人。これだけの後押しがあっても、覆らない判決の恐ろしさ。痴漢の嫌疑をかけられた時点でもう、食肉にされる家畜と同じ運命ですね。 [地上波(邦画)] 9点(2025-01-20 22:43:24)(良:1票) |
23. リトル・プリンセス
《ネタバレ》 “A Little Princess”『貴族の幼い女性』って意味あいの児童文学を、当時のセンスある翻訳家が、解りやすく魅力的な言葉を創って名付けたタイトルが『小公女』。 当時『小公女セーラ』のアニメを、家族揃って毎週観てました。思えばそんな、両親もみんなで観たアニメは、この作品だけかもしれません。暗く悲しいオープニング『花のささやき』。重たい空気と、ささやかな幸せと、終わりのない絶望感。セーラと共にミンチン先生の飼い猫・シーザーが、いつ学園を追い出されるかとヒヤヒヤして観ていました。 以前、他作品のレビューで『創作の“主人公を不幸なシチュエーションに遭わせる感動作”が苦手』って書きましたが、こういう、逆境を跳ね返す作品は大丈夫みたいです。 そんなワケで、思い入れがあるだけに厳しめな評価になりそうですが、これがまた、児童向け映画として良く出来ていました。 うろ覚えですが、アニメとの設定の違いを考えると、セーラはアニメ版より気が強く、言われたら言い返す性格です。ミンチン先生との口論や、ラビニアに魔術を掛けるのを、アニメのセーラがやっているのを想像すると、ちょっと微笑ましいです。ミンチン先生、アメリア先生、ラビニアとロッティが、アニメのイメージのまんまで嬉しかったです。ベッキーが黒人になってるのは、まだポリコレとか言われる以前の映画で、人種の変更はどんな意図があったんでしょうかね?原作でもベッキーは田舎出身の白人のようです。アーメンガードは一目で解りましたが、イメージよりポッチャリでメガネっ子でした。シーザーはさすがにアニメオリジナルか。 舞台をイギリスからアメリカにしたため、ベッキーの人種変更とか、インパクトの大きかった衛兵がセーラを手助けするエピソードが割愛されていました。(※アニメオリジナルだったりして) 「女の子はみんなお姫様」良い言葉です。この言葉に生徒たちだけでなく、ベッキーやアメリア先生(!)までが救われていく展開は、胸がスカッとします。 『お姫様と普通の女の子の違いって、何なの?』とか、『どうしてお姫様だと幸せなの?』とか、現代風に屁理屈こねるのでなく、子供でも『幸せな女の子=お姫様』って解釈できる解りやすさが、夢があって素敵です。 “ I am a princess. All girls are.”宇宙飛行士やアイドル歌手になる夢よりも、そこに至る過程の難しさやドロドロした政治的な内情に目が行ってしまう今の世の中で、このシンプルな事実はとっても大切だと思います。 エンディングに向かっての奇跡とピンチ、スリル。そしてアニメ版以上の急展開。とっても上手くまとまっています。アニメ版が好きだった人は、ミンチン先生、アメリア先生、ラビニアの最後に注目ですが、それぞれ、良いですねぇ。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2025-01-19 13:15:17) |
24. ロッキー2
《ネタバレ》 “Rocky II”あぁ、いまレビュー書いてて思ったけど“2”でなく“Ⅱ”なのって、ロッキーがイタリア人だから、ローマ数字表記のⅡなのね?きっと。 なにか“最後にロッキーが勝つ”って前提の、筋書ありきの映画です。単独の名作ヒューマンドラマの続編であり、ボクシングのアクション映画シリーズへの、橋渡し作品でもあります。 当時の日本ではこの『困難を乗り越え、トレーニングをして、最後は強敵を倒す』ってシンプルなシナリオがウケたんでしょうね。'80年代を席巻した週間少年ジャンプの格闘アクションものの原点が、この作品から感じられます。 そして表現がイチイチ漫画チックです。初見時中学生だった私も、前作が大人のドラマだったのに対し、急に少年漫画っぽくなったなって思っていました。 序盤こそ前作の続編として静かに始まりますが、動物園で告白するのって、前作でガッツォの部下が「エイドリアンとデートなら動物園にでも行けよ」ってからかわれて、ロッキーも怒ってたような?まぁでも、温かくて良いシーンだけどね。 結婚式のシーンも良かったです。ポーリーにミッキー、ガッツォ(!)にグロリア(ペットショップのオーナー)が出席する、主賓が消えたら横の繋がりが全く無くなる結婚式だけど、前作の繋がりが感じられて、私は好きだな。 そして冗談のような悪夢のCM撮影。確かに、ガッツ、輪島、渡嘉敷、内藤…有名ボクサーってバラエティ番組で観る機会が多かったですよね。それ以外のボクサーは、あまり観る機会は無いから、ロッキーのような真面目なタイプのボクサーは、第二の人生の、チャンスを生かせず、人知れず消えていくんでしょう。 ロッキーの度を越した豪遊っぷりは、今後の転落人生を簡単に想像させますし、エイドリアンが妊娠→出産で倒れるのも、ドラマとしてはよくある展開。言葉は悪いけどベタです。絵に描いたような私生活のどん底と、ずっと寝ないで看病するロッキー。当時は涙ぐましく感じましたが、鼻のチューブとか点滴や心電図もないエイドリアンは、ただ寝てるだけに観えて、そんなに危機感を感じません。エイドリアンの「Win…Win!」は、タリアがこの映画で一番可愛いらしく観える名シーンです。ここにトレーニング中の音楽を被せ、ミッキーの掛け声が入るのは、何とも漫画チックな展開です。ロッキーってこんな映画だったっけ? 前作でも生卵飲んだり、冷凍肉叩いたりと珍しいトレーニングがありましたが、今回はニワトリ捕まえたり、鉄ハンマーで鉄板叩いたり、丸太抱えてうさぎ跳び…効果は解らないけど、お金のないロッキーのハングリーさを表すとともに、きっと、当時世界中で流行り掛けてたジャッキーのカンフー映画からもインスピレーションを得たんだろうな。と思いました。 仕上げはロッキー走りにロッキー階段。このジョギングで子供たちが追い掛けてくるのが訳が分からないですね。なぜかアメリカ国旗(続けて万国旗)の並ぶ車道を走るロッキーと子供たち。階段の頃には子供たち凄い数になってます。もう笑うしかないフィーバーっぷりです。この盛り上がりっぷりって、アポロと試合をしたボクサー、ロッキー・バルボアの応援としてでなく、スタローン演じる映画“ロッキー”の主人公が走ってることへの、盛り上がりに思えます。こんな映画だったっけ? 最後の試合は乱打乱打の乱れ打ち。序盤から終盤まで、疲れを知らないハードパンチの打ち合いです。あれだけテンプルにレバーにボディにガンガン強打が当たってるのに、格闘ゲームのキャラみたいにず~~っと全力で打ち合ってます。長期戦こそ前作みたくクリンチが増えるものだと思うけど…。そして最終ラウンドでダブル・ノックアウトって、絵に描いたような漫画展開。直前に観たファーゴより、コッチのがよっぽどコメディに思えます。 [地上波(吹替)] 5点(2025-01-19 00:48:09) |
25. ファーゴ
《ネタバレ》 “Fargo”ノースダコタ州の都市名。でも映画の舞台のほとんどはミネソタ州…え? そしてず~~っと実話ベースだと思っていたけど、フィクション…えぇ?? 最初観たとき、とても生々しい映画に思えました。というのも、出てくる俳優さんがみんなリアルなんです。マクドーマンド、ブシェーミ、ストーメア、メイシー。皆さん素直に美男美女とは言えない俳優さんで、名バイプレイヤーとしてはインパクトは大きいけど、主演俳優としては、ときめかないというか…報道番組でインタビューを受ける、その辺の人のような、そんなどこでも居そうなアメリカ人。って感じが出てます。 殺人のシーンも痛々しくてリアルですね。保安官を殺した後のカーチェイス→スリップ事故→射殺の流れは、逃げる立場での絶望を感じました。でも、フィクションだったなんて今回の再視聴まで知らなかったわ。『ブラックコメディ』に分類されてるのが変だなぁって思っていたけど、そうか、フィクションだったからか。 登場人物がみんな「ヤー?ヤー!」って言ってるの。ミネソタなまり表現らしけど、当時はリアルだなーって観ていました。でも北海道の映画で登場人物みんなが「なまら~だべ?」とかって言ってる感じかもしれない。「実際そんなにヤーヤー言わないから。」ってツッコミながら観るのが正しいのかもしれない。 それでも私には、この映画をコメディとして観る観点は備わってない気がする。次回は“コレはコメディなんだ!”って念を押しながら観るとしよう。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2025-01-18 23:27:20) |
26. アメリカン・グラフィティ2
《ネタバレ》 “More American Graffiti”『もっとアメリカン・グラフィティ(=アメリカの落書き)』。おぉ~なんて素敵なタイトル。'62年のひと夏の夜を描いた前作から、今度は'64年~'67年の4年間の大晦日を舞台に、時代を行ったり来たりして、各登場人物の" その後"を描いています。 '64年はミルナーのドラッグレースと相変わらず変化球な恋。'65年はテリーのベトナム戦争。'66年はデビーのロックとドラッグとヒッピー生活。'67年はスティーブとローリーの結婚生活と学生運動。この4つの時代を行ったり来たりしながらだから、一晩の話の前作に比べ、複雑に思えますが、各時代ごとに撮影カメラを変えて、区別が付くように創られています。 制昨年から『帝国の逆襲』で多忙だったと思われるルーカスに代わり、B・W・L・ノートンなる人物が監督を務めています。グーグル検索するとビル・L・ノートンという監督が出てくるので、同一人物かもしれません。ベトナム戦争のテレビ映画なんかを撮っている人なので、オープニングのヘリの編隊撮影と結び付きそうな気がします。でもあの近接撮影の迫力は、ルーカスっぽいんだよなぁ。恐らくアメリカで撮ったであろうベトナムの戦場ですが、良い映像です。 私自身、アメグラは高校生の頃から観続けた好きな映画で、2があることは薄っすら知っていましたが、あまり評判を聞かなかったので、観るほどの映画じゃないのかなぁ?って思っていました。 それがたまたまDVDを手に入れることが出来まして…これがまた、いい映画なんですね。もっと早くに観ておきたかったって気もしますが、アメグラの初見から30年以上たって、こんな偶然みたいなカタチで、彼らのしっかりとした後日談が観られたのが、何かサプライズ的な嬉しさがありました。 前作の登場人物が次々出てくるのが、同窓会的に嬉しいです。時代設定が4年に分けられているので、“この日・この時・あの時のメンバーが顔を合わせる”といった、テレビのスペシャル特番にあるような不自然さが無く、純粋に『あぁ、あのヒト、こんな仕事してたんだ』って楽しさがありました。ファラオ団のジョーがテリーの戦友だったり、ハリソン・フォード=ファルファが白バイ警官になっていたり。キャロルも大きくなって… 見た目はそのままで、すっかり男らしくなったテリーがカッコ良かったです。前作で彼が行方不明になったテロップに、ちょっと気持ちがモヤモヤしましたが『おぉ、そう来るのか!』って感じでした。30年ぶりにスッキリしたし、観てよかった気分になれましたよ。 ミルナーの最後の観せ方も巧いですね。うねった道を走っていくデュースクーペ、対向車のヘッドライトが、ハラハラさせるんでなく、何故かしんみりします。何ででしょうね?この映画は初めて観るのに、新しいものを観るのでなく、懐かしいものを観る気分にさせてくれるからでしょうか? 大晦日から新年へ。オールド・ラング・サイン(=蛍の光の原曲)の、時代を超えた合唱が、心に沁みます。エンディングのライク・ア・ローリングストーンも良いですね。 '50年代からのオールディーズの有名曲ぞろいだった前作から、'60年代中盤のロック・ポップスのヒット曲満載の本作へ。時代を象徴する音楽の使い方が巧いです。コッチのサントラも欲しくなったわ。 [DVD(字幕)] 8点(2025-01-17 23:27:10) |
27. ロッキー
《ネタバレ》 “ROCKY”邦題まま。ロッキー=ボクシングのアクション映画だと思っていたら、一作目はボクサーの人生を描いたヒューマンドラマでした。ランボー同様、2以降を含むロッキーシリーズとは別に、1作目は単体作品として鑑賞するべき作品ですね。 ビル・コンティの名スコアと共に黒地に白文字でデカデカと流れる『ROCKY』のタイトル。もうテンション爆上がりです。何か普段の力以上のものを出さなきゃいけない時、この『ロッキーのテーマ』は体の中の眠っている力を引き出してくれる気がします。ちなみに私が初めて買ったサントラレコードが、このロッキーでした。 タイトルのあと、ボクシング場のキリストの肖像画と“Resurrection(復活)”の文字が印象深い。 復活。時代はベトナム戦争の敗北の傷跡も癒えない'76。アメリカン・ニューシネマ全盛期で、何だかモヤモヤする映画が多い時代、社会の底辺からアメリカンドリームを掴んだ一人のボクサーの物語が、多くのアメリカ人の共感を生みました。 試合が始まり、余裕しゃくしゃくのアポロに、緊張を隠せないガチガチのロッキー。笑顔でジャブを入れてくるアポロに、目の覚めるようなロッキーの左フックが決まった時、崩れ落ちるアポロと同じ『え??』って気持ちになり、全身が震えました。あぁ、この瞬間アメリカ中が同じ気持ちになったんだ。鬱屈した負け犬根性を打ち砕く一撃を観たんだ。 素晴らしいのはカメラです。アクション映画ならボクサー視点のカットを入れるところでしょうけど、本作ではあくまで観客の視点、中継カメラの視点、第三者の視点で、ロッキーの活躍を観ます。観てる自分がロッキーになるのではなく、自分はあくまでロッキーを観ている側の視点なんです。何度打たれても、何度倒されても立ち上がってくるロッキーに、客観的に勇気をもらえるんですね。ロッキーのファイトを観て、自分の中で諦めていた何かが“復活”する。多くのアメリカ人がそれを感じたんじゃないでしょうか?試合の日が建国200年(=1976年)の1月1日、新しい年の始まりというのも、高揚感を感じさせます。 アポロと戦う幸運を手に入れたロッキーと、散々自分を見下してきたミッキーがマネージャーにしてくれと懇願してくるシーンが秀逸です。「俺にはロッカーもないよ」と嫌味を言ったあと、トイレに籠ってミッキーが帰るのを待つシーン。ドアの開け閉めのバツの悪さ。面と向かっては文句を言えないロッキーの人の好さが伝わります。その後ミッキーを追いかけるセリフの無いシーンも素晴らしい。 内気なオールドミスだったエイドリアンが、ロッキーを受け入れ、どんどん綺麗に、饒舌になっていくのも大好きです。エイドリアンと言えばあの“話しかけてくんな”オーラが出まくってる逆三角メガネの印象が強かったけど、この一作の中だけで凄く綺麗にオシャレになってるんですね。地味なネズミ色の上下から、鮮やかな赤いコートに白いベレー帽。ロッキーにバトカス(犬)をプレゼントして、ロ「こいつ何食べるんだ?」エ「小さい亀よ」。ロッキーが一生懸命考えた亀のエサのジョークより上手い。 そして最後の「エイドリアーン!」のシーン。ロッキーは勝敗よりエイドリアンしか見えてない。控室でじっとしていたエイドリアン。試合会場に行き、湧き上がる場内を「ロッキー!」と叫びながら駆けていくところ。赤いベレー帽を落としても拾うことなくロッキーのモトへ駆けていき(※ポーリーのサポートがナイス)、熱い抱擁とキス。この時、劇中のカメラ&スタッフはもう、勝者アポロの方に向いてるんです。でも私たちは、カメラが観ていないロッキーとエイドリアンを観ている。試合には負けたけど、最終ラウンドまで戦い抜いたロッキーのファイトを、私たちは観た。 この映画を観ると、『私もまだ、頑張れるかな?』って、眠っていた元気と立ち向かう勇気が、いつでも何度でも湧いてくる気がして、本当に大好きな映画です。 [地上波(吹替)] 10点(2025-01-13 23:51:21)(良:1票) |
28. フルメタル・ジャケット
《ネタバレ》 “Full Metal Jacket”『完全 被甲 弾』と訳されています。通常、ライフルの銃弾の先っちょって、柔らかめで砕けやすい鉛で出来てるんですが、そこを真鍮など硬い金属で覆って、装弾のジャム(弾詰まり)を減らし、貫通力を増した、軍用の銃弾の事だそうです。アメリカのどこにでも居る青年たちを、あの訓練所で殺人に特化した海兵隊員に、機械的に造り上げる工程を、軍用の銃弾に例えたタイトルだと思われます。 '80年代後半はベトナム戦争映画ラッシュで、中でもプラトーンと並んで社会的影響の大きかったのが本作です。“ファミコンウォーズのCM”で有名な、あの行進曲(ミリタリーケイデンス)を世間に広めた作品です。そしてもう一つ、漫画とかいろんな作品に影響を与えた“ハートマン軍曹のマシンガントーク”が観られる映画としても有名だと思います。この映画もテレビのロードショーで放送される予定でした。あのハートマン軍曹の卑猥なセリフをどう訳すのか?とても期待していたんですが…突然の番組差し替えでお蔵入りした記憶があります。以降、深夜枠含めて、この作品は民放では放送されてないんじゃないかなぁ? 前半の訓練パートがあまりに秀逸なので、後半のベトナムパートを重点的に観てみましょう。 ベトナム戦争と言えばジャングルとヘリのイメージなんですが、珍しい市街戦を扱っています。廃工場を半壊させてヤシの木を植えて創り上げた市街地の戦場が、独特な雰囲気を醸し出します。またいろんな映画で観慣れた軍用ヘリ、UH-1イロコイでなく、マイナーなHUS-1チョクトーを使っているのも目新しかったです。意味もなく民間人を撃つヘリガンナーも、ネットで有名ですね。 前半は軍隊マーチとジョーカーの心理面を表現した不気味なSEで、人間を内面から変えていく過酷で閉鎖的な訓練パート。パイル二等兵の凄惨な事件から、いきなりナンシー・シナトラのヒット曲『にくい貴方』が掛かり、ベトナム人娼婦がプリプリお尻を振って歩く開放的な画に代わります。戦線の後方の、ダラダラした空気が伝わります。訓練所で殺人の訓練を受けて、人格を造り替えて、行った先が、これです。 最前線では『敵の潜むエリアを目的地まで移動する』という、イマイチ必要性の分からない任務を行っています。安全圏の確保が目的でしょうけど、敵味方の区別がつきにくいベトナム戦争では、どこまで有効だったか解りません。更に行進中、敵の罠にはまり、撃たれてから撃ち返す受け身の戦術なので、味方もどんどん減っていきます。3人の命を奪ったスナイパーの正体は… 本作ではベトナム人娼婦が2回ほど出てきます。アメリカ兵に体を売って生活する娼婦。一方で躊躇なく冷酷にアメリカ兵を撃ち殺すスナイパーの少女。殺人の訓練を受けて、ベトナムまで来て、女を抱いて、女を殺す。この生産性のない活動に何の意味があるのか。 『ミッキーマウス・マーチ』彼らのやっていることは、ミッキーマウスのドタバタアニメと同じくらい、意味の無い事に思えます。 前半も後半も、人の命を奪う一発の銃弾で終わります。前半はパイルことレナードが自らの命を奪う銃弾。後半はスナイパーの少女の命を奪う銃弾です。ジョーカーがレナードの病気除隊を強く進言していたら、あの惨事は起きなかったでしょう。スナイパーのとどめを刺したのはジョーカーですが、ラフターマンの銃撃で、放っておいても彼女は死んだでしょう。どちらもジョーカーが人の命に係わる場面だったけど、どちらも彼が責任を感じる必要はないこと。戦場で自分がまだ生きていることを実感するジョーカー。『Paint It Black』戦場で彼の感覚が塗り潰されていく。 [ビデオ(字幕)] 8点(2025-01-13 22:17:02) |
29. 湯を沸かすほどの熱い愛
《ネタバレ》 私は、創作の“主人公を不幸なシチュエーションに遭わせる感動作”が苦手のようです。こう言う作品が好きで、心に届く方も居ることを考えると、批評的なレビューは避けるべきだとは思うんですが、制作側の「こうすれば主人公がもっと辛くなって、観てる人は泣くだろう」なんて考えてシナリオを創ってることを想像してしまうからでしょうか?苦手なんですね。 問題を突き付けられた際の、解答の意外性に重点を置いた作品に思えた。人の行動は、数学と違って答えは一つじゃないけど、この映画の場合は、どうしてこの答えを選んだのか、理解に苦しむ事が多かった。劇中の“周り(=家族や知人)”が納得しているから、外野の私が口を出すことじゃないんだろうけど、何度か「え?答えソレなの?」って思ってしまうことが多数… 旅行の際「ちゃんと伝えるね」は、自身の病気の事かと思った。まさかの実はあの店員さんが…ここは巧かったと思う。突然のビンタ。母が手話がいつか役に立つ。って習わせたところ。この辺のミスリードと前振りの回収はとても巧い。 あと双葉が実の母親に会いに行って面会を拒否された時、犬の飾りを握り締め、思い出に持って帰るのかと思ったら、エイヤと投げたのが痛快。 安澄への陰湿なイジメ。壁の“笑って”は誰が書いたんだろう?って思って、何かそこから救いにつながるような物語があるかと思ったが、特に触れられることがなかったのがちょっと残念。自分で書いたってこと? 全身絵具だらけな状態で「その(色の)中で、好きなのは?」それいま聞くことか?どうしてそれが安澄の救いになるんだ?? 制服を隠されたことに対し、体操服を脱いだのはびっくりする展開だった。これがもし、安澄がクラス中からいじめられていて、犯人が誰か(視聴者も)見当がつかない状況で、だけど安澄だけは犯人が解っていて、「今は体育の授業じゃないから」と言い返し、本人らを名指しせずに戒めた。って言うなら解るんだけど、あのクラスでは、あの女子3人が犯人なのは明白。だから突然下着姿になったことで、どうして彼女たちが制服を返そうと思ったのかが、私にはピンとこなかった。 「エジプトに行きたい、一生日本しか知らないなんて、人生もったいない」けど、連れて行けない場合どうする? 人間ピラミッドを見せる。約束を全然守れなかった夫に対する、双葉の小言の一つでもあるけど、それに対する答えもズレてる気がしてならない。前段、君江さんがご馳走を作って、さぁ食べようってタイミングで、土下座して自分のワガママを通すのも嫌。まずは君江さんの好意に感謝して、ご馳走食べ終わってからじゃないの?土下座とかするの。こんなダメ夫です。の上塗りに思えた。誕生日のしゃぶしゃぶは神聖で、君江さんのご馳走はなおざり?って、自己中な人に思えてしまった。 みんなが大好きな母ちゃんが死んでしまった。どうする? ウチ銭湯だから、火葬場でなくボイラーで焼いて、お湯沸かしてみんなで温まろう…えぇ~~~!? そもそも、双葉がそれを望んだんだろうか?夫一人の考えでそうしたのか?劇中の家族や知人がその提案を聞いて、誰1人疑問に思わないから丸く収まってるけど、私が参加者の一人であれば、間違いなくドン引きしてるだろう。 ジョニー・デップ主演の名作で似たようなシチュエーションがあるけど、あの映画のように納得いく説明は無いし、そうしなければいけない事情もない。『燃やせばお湯が沸くから、みんなで温まってしまえ』って考えに、『死体も口に入れれば栄養になるんだし、料理して食べてしまおう』ってカニバリズムと同じレベルの気持ち悪さを感じてしまった。 でも、オダギリジョーや宮沢りえと言った、自分の意見を言えるであろうベテラン俳優が出て、このシナリオで納得して演じてるんだから、理解出来る人には理解出来るんだろうな。 [CS・衛星(邦画)] 3点(2025-01-09 23:10:27) |
30. マッド・ハイジ
《ネタバレ》 “Mad Heidi”『怒ったハイジ』。 昨年『アルプスの少女ハイジ』のDVD全巻を手に入れ、3か月掛けて全話視聴しました。更に昨年はアニメ版の生誕50周年記念とのことで、大丸デパートで開催されたハイジ展も観にも行きました。そんなワケで、私の中でプチ・ハイジブームのさなか、本作の存在を知りました。 敵のボス・マイリ大統領がスターシップトゥルーパーズのジョニーリコだった!政府の宣伝番組で『 I am doing my part!』ネタが出てきて、あぁ、そっち系の笑いも入れてくるのねって感心したわ。 予告編でかなり期待が膨らんでしまう作品だったけど、アニメにしか出てこないヨーゼフ出てきたり、ハイジとペーターが子供の頃と違って恋人同士になってたり、ペーターが密造に手を染める展開や、予告で観た処刑までのスピード感があって良かったです。クララ(ちょっとイメージと違うが…)やロッテンマイヤー(字幕ではロットワイラーだった)さんもポンポン出てきて、序盤はハイジの世界観を壊す、意外性が楽しめるバイオレンス作品として楽しめました。 だけども、中盤からほとんどハイジ(原作)が関係なくなり、単なるバイオレンス作品になってしまいます。しかもベースとなるものが、なぜかキルビルのパロディで『バイオレンスと言ったらタランティーノだよね』って聞こえてきそうな、何の工夫もない作品にトーンダウンしていきます。 終盤はグラディエーター&バイオハザード系ホラーになってて、もっとハイジハイジしたネタを期待していたので、中盤以降の普通のバイオレンス・コメディは、ちょっと消化不良に感じました。もしかしたら『ハイジ アルプスの物語(2015年)』を観ていたら、もう少し楽しめたかもしれないですね。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2025-01-09 21:47:31) |
31. ダンケルク(2017)
《ネタバレ》 “Dunkirk”フランスの都市名。以前観た『ウィンストン・チャーチル』が、彼らの撤退戦の補足資料として、多少なりとも活きました。 静かな町の路地。だらだら歩く兵士。降ってくるビラ。突然の銃撃。緊張感が伝わってきます。映画を盛り上げるハンス・ジマーのヒリヒリした音楽。長く続く緊張の連続。同じシチュエーションでもダークナイトのような緊張→緩和がなく、緊張→緊張って感じで、106分と短い映画だけど、観終わったらグッタリしてしまいます。 周り中ドイツ軍に囲まれた状況なんだけど、面白いことにドイツ兵が全然出てこないんですね。ドイツの戦闘機のパイロットとかがチラ観えしたりはありますが、最後のファリアを捕虜にする場面意外、全然出てこない。まぁもし、自分たちを殺す気満々のドイツ兵が出てきたら、緊張の糸がプツリと切れてしまい、多くの人が楽しめない映画になってしまったかもしれませんね。 陸の一週間、海の一日、空の一時間。この3つの時間軸を行ったり来たりします。最初はブツ切りに感じた場面転換も徐々に制作側の意図が伝わり、最後の同時間軸に繋がっていく展開は、巧いなぁって思いました。巧いんだけど「この続きが“今”気になるのに、場面変わってしまった」って事が結構あって、ちょっとストレスに感じました。でも2回目の鑑賞だと、結果にハラハラすることなく、場面場面を味わえるかもしれません。でもなぁ、疲れるから再視聴は、しばらく後でいいなぁ。 [DVD(字幕)] 5点(2025-01-08 21:33:19) |
32. ゼロ・グラビティ
《ネタバレ》 “Gravity”『重力』。なんで“ゼロ”付けたし?会話で「ゼロG」って出てくるけど、改変理由の分からないタイトルになってます。 そんな邦題お構いなしに、映画は最後、湖から這い出て、全身を使って二本の足で立ち上がり、重い体を持ち上げて、安堵を感じながら歩き出すところで、このタイトル回収というスンバラシイ神展開となります。 少し前のマトリックスのレビューで「これ以降、映像革命は未だ起きていないぜ(キリッ」って私書いたけど、この映画が思いっきり映像革命起こしてますね。すみません。冒頭から宇宙ゴミの衝突からライアンの宇宙漂流まで、そこから間髪入れずにコワルスキーが救助して、シャトルに戻るあたりまで、一連の動きをまるでワンカットのように観せています。しかもカメラワークだけでなく、時にはライアンのヘルメットの中にまでカメラが入り、ヘッドアップディスプレイの情報まで私たちに観せる凝りよう。こんな映像観せようってアイデアに素直に感心します。 宇宙遊泳の表現も見事で、ライアンがISSにたどり着いて、ぶかぶかの宇宙服を脱ぎ捨て、細い体が出てきて、安堵の伸びをして、胎児のように丸くなる。無重力としか思えないこんな映像、ホントどうやって撮ったんだ? ソユーズでの脱出で、広がったパラシュートと絡まるロープの表現なんて、適当にやっても誰も解らない所だろうに、凄い計算に基づいて動かしてるんだと思うと頭が下がります。 宇宙ゴミが音もなくISSを破壊する恐怖。音のない宇宙空間の表現として、不安感を煽る音楽を効果音のように使うセンスも素晴らしい。 私は普通の2D字幕版で観ましたが、宇宙空間のふわふわ具合、酸素が減っていく息苦しさ、広い宇宙で自分だけ取り残される心細さ…体感型アトラクションのお手本のような映像表現でした。これ3Dで観ていたら、もっともっと凄かったんでしょうかね? 2013年。今と比べて映画は全然元気でしたが、映画館で観る価値がある映画を創ったことに、大きな意義があったと思います。 [映画館(字幕)] 9点(2025-01-08 20:52:43)(良:1票) |
33. THX-1138
《ネタバレ》 “THX-1138”=主人公の名前です。「テックス」と呼んでるように聞こえます(サックス?そう聞こえるかな…)。…登場人物はみな、ローマ字3つと4桁の数字の組み合わせを持っているようです。機械的ですが個別識別出来るところから、名前とそう変わりなく思えます。 最近ネットで松田聖子や中森明菜の髪型を現代風に変えたものを見ました。素材が良いだけにみんな綺麗でした。さて、今回私が観たものは、CG技術で改良を加えたもののようです。手を加えてないモト作品も観ていると思うけど、違いが思い出せないけど、エレベーター付きのビルが観える街の景色とか、ロボットを組み立てるときの熱で溶けるシーンとか、綺麗になっていると思う。オリジナルは、もっとシンプルで退屈な映像の詰め合わせだったように思います。(うろ覚え) この映画の見所の1つとして、パトカーとバイクのカーチェイスが挙げられると思います。言い換えるとここぐらいしか、解りやすくて娯楽要素のあるシーンは無いですからね。最初観たときは、スピード感が凄く、かなり斬新さを感じたけど、この作品の5年も前に、スピード感&迫力満点の『グランプリ』にルーカスが撮影で参加していて、この時の技法を使ってるんだなって、思えるようになりました。 そして、もう一つの見所、エンディングの夕日。シンプルで退屈な白い世界ばかりから、長いトンネルのカーチェイスを抜けて、その先に、あのでっかい、真っ赤な夕日があるから、オリジナルはインパクトが強かったように思います。でも最新CGで、真っ白で退屈なシーンのあっちこっちに余計な手を加えたため、最後の夕日のインパクトが弱まってしまったようにも思えます。 聖子ちゃんや明菜ちゃんの今風ヘアカットは、芋っぽさが減って洗練されていたけど、オリジナルの情熱は感じられなかった。この映画はそんな内容でした。 本作を始めて観たのは20年ほど前だったと思います。あの時と比べて今回、年齢を重ねたぶん、作品の理解が深まったかと言うと、正直今回もサッパリわからなかったなぁ。そもそもルーカスは才能があるとは言え、26歳の青年が自分の脳内のイメージを、少ない予算で映像化したのが本作であるなら、今の私より、20年前の私の方が、当時のルーカスに年齢が近いぶん、より理解も出来ていたのかもしれません。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2025-01-07 21:56:19) |
34. ダークナイト ライジング
《ネタバレ》 “The Dark Knight Rises”『暗黒の騎士 立ち上がる』…のような意味だと思いますが、この映画のタイトルは最後に出てきます。バットマンの最後の言葉「ヒーローはどこにでもいる」がタイトル回収だとしたら。ゴードンに限らず、ブレイク、セリーナ、名も無き警官たち。“Rises”には『増加する』という意味もあるので、もしかすると『暗闇から騎士(たち)が立ち上がる』って意味かもしれません。“Knights”って複数形じゃないので、単に思い付きですが。 前作でジョーカーを怪演したヒース・レジャーの急逝から、きっと3作目の構想は大幅に変わったと思われますが、あの続きからスムーズに繋がるのか不安もありました。いきなりヒーローものらしくない、結構リアルな、それでいてどこか007チックなハイジャック(?)から始まります。早速掴みはOKでした。前作の銀行強盗といい、現実からファンタジー世界に引き込むのが巧いですよね。 そして前作から8年も経過したことが解り、すっかり隠居したしおしおのブルースと、女の魅力たっぷりなセリーナの登場。本っ当コレ007か?ってくらい、ヒーロー物っぽくない、けど面白い導入部分でした。ベインはジョーカーに比べると魅力は落ちますが、本作のキャットウーマンはかなり魅力的です。お人形のようなアン・ハサウェイに、ゴーグル跳ね上げて猫耳にするなんて、ノーランは日本のヲタクの血でも輸血したんでしょうか?素晴らしい。 3作続けて登場の小悪党スケアクロウも可愛いですが、エンディングに繋がるブレイクの使い方は「そう来たか!」って感心してました。バットマンって孤高のヒーローってイメージがあるので、相棒とか何とかガールとかが一緒に戦うと、バットマンの魅力が薄まるんですよね。でも本作では最後までブレイクとして活躍するので、それぞれの魅力が薄まることなく共闘出来てました。 アルフレッドとブルースの再会。シリーズ物のエンディングとして、最高の部類じゃないでしょうか?アルフレッドとは面識のあるセリーナがまるで気付いてないのも、何か親友同士の秘密っぽくて良いと思います。 [地上波(吹替)] 9点(2025-01-06 22:36:41) |
35. ミッドウェイ(1976)
《ネタバレ》 “Midway”英語で『中間』の意味だけど、ミッドウェー島周辺で起きた日米の『ミッドウェー海戦』を意味する。 連戦連勝の帝国海軍が、この海戦の敗北を契機に、劣勢に追い込まれていく。真珠湾攻撃('41年12月)から僅か半年後の'42年6月のこと。う~ん、我が国はこの状況で'45年まで戦争を続けたんですねぇ… 初見は中学生の頃の、年末の夜中のロードショーだったでしょうか?まだロクに飲めない缶ビールをいたずらしながら、往年の戦争映画を満喫していました。そんなワケで、この映画を観ると年末だなぁ~って気分になれるんです。 当時は気になりませんでしたが、そうとうツギハギだらけな映画だったんですねぇ。実際の戦争フィルムはもちろん、過去の戦争映画のフィルムをパク…借りてきて完成させていたという、トンデモな戦争大作です。振り返ると、本作や『遠すぎた橋』を最後に、オールスタ-キャストの戦争娯楽大作映画って、創られなくなったんじゃないでしょうか?莫大な製作費も、やっぱりオールスターの出演料に消えてしまったんでしょうかね? とはいえ、今のようなYouTubeとかで色々観られる時代と違い、戦時中の貴重なカラーフィルムを、一般の人たちが気軽に観られるという意味では、一本の映画にまとめた意味はあったかもしれません。 日本側から観ると、不運に継ぐ不運が次々と重なり、歴史的大敗北へと繋がっていく様子が痛ましく思えます。映画はアメリカ視点なので、偵察機に艦隊を観られたのに音沙汰なしとか、決死の覚悟で攻撃した空母がボンボン大爆発したりと、事情を知らないアメリカ側としては幸運の連続だったことでしょう。 ただラッキーで終わっては面白くならないので、日本の暗号を解読していたとか、日系人女性と結婚しようとするパイロットとその親の話を織り交ぜたりしていますが…状況説明が多く、それほどドラマチックにはなっていません。 大金をつぎ込んだと思われるオールスターキャストも、ポツポツ出てきてはそれっきりな感じで、キャスト同士が特に物語上で絡むことなく、ツギハギ映画らしいツギハギキャストって感じでした。 [地上波(吹替)] 5点(2025-01-05 21:58:54) |
36. 駅 STATION
《ネタバレ》 大みそか~元旦に架けてのタイミングで観たい映画でした。この度、願い叶っての視聴でしたが、心地よい眠りに落ちてました。。。で、新年に再視聴。 雪深い港町。場末の居酒屋で美人の女将とNHKで紅白観て、八代亜紀の舟歌、そして深夜の初詣…日本人の心にじんわりと沁みますねぇ。でも“演歌”って、遡ると昭和40年代から昭和末期までの、20年ちょっとブームになった、当時の流行歌だったんです。ある程度年齢を重ねた男女の歌。身勝手な男と泣かされる女の、しみったれた関係を歌った、この“日本人の心=演歌”という一大ムーブメントは、この映画の頃がピークだったと思います。この映画は、そんな演歌のイメージビデオのような作品でした。 ロケーションが絶妙でした。日本海・増毛という終着駅が舞台です。そこから船で行く御冬。当時、海路でしか行けない陸の孤島でした。作中、伯父さんが語ったように、御冬は国道231号で陸路が繋がります。便利になった反面、単なる通過点の田舎町になってしまいましたが… 吉松を捕まえる上砂川駅の線路の多さに驚きです。この映画のすぐ後に炭鉱が閉山し廃線。人口も激減し、民家が点在するだけの集落と化しています。今も昔も札幌の街はにぎわってますね。パルコや西11丁目駅が懐かしい。留萌に人が溢れてて、まだ映画館があるのが時代を感じます。 北海道って札幌のようなオリンピックで急発展した都会があって、田舎は田舎のままで懐かしさを感じさせ、寂れた港町に炭鉱に陸の孤島が、まだある。徐々に近代化が進み、失われつつある懐かしい日本の風景。演歌と共に、これぞ日本人の心!ってイメージを創りあげてます。 ストーリーは、刑事ものとして森岡を追う映画かと思いきや、英次の目を通して、その時々の3人(3.5人?)の“女”の生き様を観せる映画でした。でも最初の女二人が映画の尺としては短めで、続く桐子がメインなため、一本の映画としてはバランスが悪い印象を受けます。 元妻・直子。彼女の浮気が原因らしいが、そもそも家庭を顧みない(と思われる)英次に三下り半を突き付けられる。涙を流し、笑顔で敬礼する直子…もうエンディングの画ですよね。夫婦の物語の、エンディングから、この映画は始まります。 犯罪者五郎の妹・すず子。兄思いの彼女を、自分の妹・冬子にだぶらせる。地元に置いてきた冬子が、兄とずっと暮らしてるすず子に似ているのではなく、カッとなる性格という部分が、自分と五郎をだぶらせる。すず子を使い捨てて、アッサリ他の女と一緒になる雪夫の“どのツラ下げて”感。まさに演歌の『弄ばれて捨てられた女』ですね。 そして場末の居酒屋の女将・桐子。帰る場所(家庭)の無い、英次のような男が行き着く場所として、最高の舞台です。歌登出身の桐子が、増毛で居酒屋を始めた理由は不明です。続けてる理由は何となく…でもこんな客が来ない店、当時も続かなかったろうな。英次が立ち寄るためだけに、ポツンと存在する居酒屋。ふつうこんな、独り身の美人女将の店なら、スケベオヤジが居座るか、常連のたまり場になってるか。まぁそんな連中も年越しは家族のモトに帰るんですね。 星座で相性の良さを伝える桐子。御冬神社のお守りを渡す英次。最果ての街から、ぼんやりと新しい人生を歩み出せそうな二人の悲しい結末。この時の、事情を知らない倍賞千恵子の演技の素晴らしさ。前の男が居るタイミングで新しい男が来てしまったバツの悪さから、英次が森岡を知っていることに驚き、森岡から英次(桐子は営林署の人と思ってる)を守ろうとしたところ、森岡の方が撃たれる。全てを察した桐子の「…そういうことか」で終わる二人の新しい人生。 出会い、愛を育み、別れる。三度流れる舟歌の使い方が素晴らしい。終着の増毛から留萌へと向かう汽車(電車か)。見送る人のいない出発。あぁ、日本の心・演歌の世界。 後半、お笑いパートを挟んでくるのが素晴らしい。武田鉄矢との“添い寝”はニヤニヤが止まらなかったです。劇中唯一の英次の心の声『樺太まで聞こえるかと思ったぜ』も、おしとやかな倍賞千恵子のギャップ&不器用な影でそんなコト思ってた健さんのギャップがサイコーでした。 でもね私が一番吹き出しそうになったのは、札幌へ帰る英次を桐子が駅で見送るシーンです。「まだ時間あるぜ」「…じゃね!」のあと、桐子が閉めた出口の扉が、勝手に開くのです!!倍賞千恵子が閉めたけど閉まりきらず、5cmほど隙間のあったアルミサッシの扉が、自然とスーーっと開くんです。その扉から高倉健が「桐ちゃん!」と出ていきます。あぁ扉の裏でスタッフが隠れて開けたのが、映っちゃったんでしょうね。“健さんに扉開けなんて雑用させられない”なんて、スター俳優様の扱い。なんか、凄い時代だったんですね。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2025-01-05 18:45:39) |
37. プラトーン
《ネタバレ》 “Platoon”『小隊』。 裕福な家庭で生まれ、順当に社会のレールに乗った“勝ち組学生”だったクリスが、若気の至りで泥沼のベトナム戦争に首を突っ込み、エリアスとバーンズという性格の極端に異なる二人の軍曹を鑑として成長していく様子が描かれます。 貧しい街の出身者がベトナムで戦っている。彼らは暴力的だったり、自堕落だったり様々ですが、おぼっちゃんで空っぽのクリスにはそんな下地はありません。そんな彼らが同じ軍服を着て“アメリカ兵”をやっています。 このアメリカ兵の小隊は、等身大のアメリカ社会の縮図として描かれます。社会って、きっとどこもそうですが、組織として一律にまとまっている訳でなく、その中にいろんな派閥があって、対抗しあって成り立っています。 小隊のトップはウォルフ中尉だけど、歴戦の分隊長バーンズ曹長が実質取り仕切っていて、オニール軍曹のような腰ぎんちゃくと一大勢力を形成しています。任務に忠実な反面、敵と見なした相手への残虐行為は目に余りますが、ウォルフは見て見ぬふりをするのが、小隊規模の組織らしい醜さを感じさせます。 一方エリアスは、ラーを中心としたドラッグパーティの一員として、オンとオフを分けることで自我を保っています。エリアス自身は優秀な兵士でしたが、彼らの派閥は組織としてはまとまりも熱意も少ない“ぬるい連中≒負け組”なため、任務ではいつも貧乏くじを引かされてます。エリアスの死で結束し掛けますが、バーンズの気迫にビビって何もできなかった連中でした。 二人の影響を受けたクリスは、村を偵察した際、怒りのままに片足の男に銃を向けるのは、バーンズのように常軌を逸した行為だし、レイプされた少女を助けるのは、こんな状況でも理性を失わなかったエリアスのような行いです。善と悪、どちらも自分の内面にありました。 エリアスが死に、バーンズも野放し。ドラッグに溺れて、祖母への手紙さえ書かなくなったクリス。最後の激戦での鬼神のような活躍は、自暴自棄にも観えますが、混乱に乗じてしっかり復讐を遂げます。 それより、激戦のなかで「陣地の上を爆撃しろ」と命じた中隊長。小隊のイザコザや確執なんてお構いなしで、末端の兵士は自分の上に味方の爆弾が降ってくるなんて知らずに、最後まで戦って、敵も味方も綺麗サッパリ吹き飛んだんですね。これが、貧しい街から“小隊”に集められたアメリカ兵の扱いなんですね。 これまで、ただ映画を見ていただけの私が、映画が趣味と呼べるものになったのは、この作品がキッカケでした。 戦争映画がアカデミー賞を取った。これって当時、とても凄い事のように思えていました。アカデミー賞といえば、その年の一番優れた映画が取る賞で、候補になるのは、大人しか観ない社会派映画か、ガンジーとか偉い人を扱った歴史映画が受賞するもので、子供の私にはまだ早い、大人の世界の話…と思っていました。言い換えると、(特に'80年代前半の)アカデミー賞なんて、子供が興味を持つ世界じゃなかったです。 そこに来て、私も何度か観た戦争映画というジャンルが受賞したっていうんだから、こりゃ中学に上がるタイミングで、大人の世界に触れるいい機会なんじゃないか?って、思ったみたいです。 「観たは観たけど、意味解らなかった」なんて事の無いよう、映画雑誌からプラトーンの情報を集めて、この映画の何が凄くてアカデミー賞なんて取ったのかを調べました。前売り券に付いていた販促のドッグタックを握りしめ、公開を待つ毎日。映画の外側の情報だけじゃ飽き足らず、ノベライズも買って、春休み中に読破してしまいました。映画を観てもいないのに、最後の方に出てくる鹿が何を意味するのかとか、そんな結末のイメージも出来て、準備万端で映画を観ました。 昨年も一緒に映画を観た友達4人を連れて、いざ劇場へ。「2回続けて観たい」という私のワガママに友人たちも同意してくれて。まずは同時上映サボテンブラザーズから始まり、本命プラトーン。そしてまたサボテン。ここで友人たちは「疲れたからゲーセンで休む」と言い出したので、私だけプラトーン2周しました。 観終わって友人たちと合流。友人たちとはサボテンの話題ばっかりでしたが、『プラトーンの凄さは、私たちにはちょっと早かったかな?でも私が理解していれば、いいや』なんて思っていました。映画を観て理解したのでなく、いろんな解説やらノベル読んでやっと理解できてるかどうか?なレベルなのにね。そんなワケで、映画を観て考える。製作者の考えを汲み取って、画面に映される以上の広がりを観て、自分なりに消化する。そんな観方はこのプラトーンから始まりました。 [映画館(字幕)] 10点(2025-01-05 17:41:54)(良:1票) |
38. 単騎、千里を走る。
《ネタバレ》 “千里走単騎”邦題まま。タイトルから『健さんが凄い距離を一人で移動する映画かぁ、あぁ、ラリーの奴かなぁ』と思ったんですがそれは別な映画でした。 映画人・高倉健の遺作としての『ぽっぽや』良かったです。そのあとの高倉健の蛇足『ホタル』が駄作だったので、「韓国の次は中国か…」って、不安の方が大きい作品でしたが、思いのほか見応えがあって、静かだけどとても面白かったです。 『単騎、千里を走る。』という三国志演義の関羽の…つまり、演者が仮面をかぶって踊って歌う伝統舞踊の演目の一つだったんですね。 人づきあいが苦手な剛一が、言葉の通じない雲南省で、頭を下げたり誠意を尽くしたり、徐々に目的の舞踊撮影に近づいていく様子がとても見応えがありました。 急な呼び出しでも対応してくれる通訳の女性(最初健さんの頼みを断って冷たいと思った)。日本語が殆ど解らないのに付き添ったガイドの人(最初インチキじゃないか?と怪しいと思った)。面会を許可した刑務所長(This is 中国!って政府人間だと思った)。ヤンヤンを連れ出しを許可してくれた村長(ヤンヤン孤児だから厳しくしてるのかと思った)。 なんかみんな良い人たちで。あちらに住んでる人たちって、ホントはこんな、優しくて、私たちを理解しようと一緒に悩んでくれる、ほのぼのした人たちなのかもな?って思えました。最近、中国に対して友好的な話があまり出てきませんが、この映画に出てくる人たちとは、平和で友好的な隣人関係が持てそうで、そうなると良いなと思います。 さて、日本パートというか、寺島しのぶパートは全部苦手でした。最初の面会(拒否)から、何でもう少し事前に交通整理しとかないねん!って思ってしまった。 そして中国に渡った際も、健一に言うなといわれてたのに、何で言うねん!って。そして剛一の努力を全部ぶち壊しにする健一の“単騎~”の気持ちを言っちゃうし。 最後は訃報は仕方ないにせよ、剛一にとって道半ばのあそこで、遺書読むか?しかも国際電話で!?(※剛一は移動中だし国内と違ってバッテリーの浪費は避けたい) 何かもう、李加民の舞踊が消化試合にように、どうでもよくなってしまって… 一度難関をクリアすると、次回以降その難関はスルー出来るのはちょっと気になりました。ヤンヤンの村の宴会中に鳴る電話…屋根に登らないと通話できないんじゃ?遭難した二人を助けに来た救急車と通訳…あそこは車が通れないからトラクターに乗り換えたんじゃ?簡単に入れるだけでなく観客とかグレードアップしてた刑務所のステージ…でも寂しさ倍増のパーティライトが好きさ! いろいろ書いたけど、あの当時のイメージ通りの健さんを観られて、良い映画でした。 [DVD(字幕)] 7点(2024-12-30 15:51:16) |
39. ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 死霊創世紀
《ネタバレ》 '68年のオリジナルと同じタイトルです。ジョニーの車が'60年代からある縦目のベンツなので、時代設定も当時のままかと思っていました。家もガソリンスタンドも、モノクロのテレビなんかもきっと当時モノなので、恐らく視聴者に『当時の作品をまんまリメイクしたんだな』ってミスリードとして、敢えて’60年代風に、始まってます。 オリジナル以上に感心した部分が、作品から滲み出る、死者を含む人間への敬意と思いやりです。事件は突然起きるので、世の中がどうなっているかまだ把握できてない主人公たち。動けないゾンビにとどめを刺す。リビングに転がる家主の遺体をカーペットでくるむ。ゾンビ映画を観慣れてると「ゾンビ=バンバン殺してOK」ってなりますが、現実に起こったらきっと、彼らのようにするでしょう。 オリジナルは主要メンバーが外部の人間ばかりでしたが、トムの叔父の家にしています。叔父の生前の写真を映したり、ベンが2階に上がるときトムにいとこの死体を見せないよう布をかけるなど、ゾンビと言えど殺しにくい事情を加味しているのは流石です。 オリジナルと本作の一番の違いは、時代に合わせた『強い女性』の登場でしょう。ジョニーに言われっぱなしの、母親の尻に敷かれっぱなしの、行き遅れの、お一人様女子なバーバラ。母が死んで、彼女は今後どう生きればいいか解らなくなっていたんでしょう。だから何度も母の墓にきて…恐らくあの伊達(!)メガネは、現実を直視したくない彼女と世間の防御壁のような存在だったんでしょう。 彼女の願いが叶ってか、世界はゾンビによって“リセット”されました。家族のしがらみ無くなった。守るものは身一つ。なんか私射撃上手い。よし!この世界なら私生きていける!!…なんかこう書くと、異世界転生もの走りにも思えますね。 最後の方で「私たちは彼らと一緒ね」って独り言のあと、ハンターたちに「楽しい?」と聞きます。コレどう考えても彼女自身がこの世界を楽しんでるんです。だってこの映画で“人間”を殺したのって、彼女だけなんですよ。 時代設定のミスリードの話をしましたが、終盤、ベンが地下に籠った時のラジオで、ようやく1989年8月23日と解ります。クラシカルなリメイクホラーと思わせつつ、公開当時の現代に繋げてますね。 警察やハンターが集まる安全地帯には、真面目に治安維持活動してる人たちと、ゾンビをいたぶって楽しんでる連中が混在してますが、コレゾンビに出てきたバイカー=暴走族たちです。 そして彼女が陣地で目覚めたとき、上空をヘリが飛んでますが、あれフライボーイのと同型のベル206なんです。スティーブン「ハリスバーグは半時間前に通過した、~もうすぐジョンズタウンだ」の、あの場所がこの場所だったんですね。※もちろん11年の開きがあるのでパラレルですが。 『ゾンビ』はフランが目覚めるシーンから始まりました。本作はバーバラが目覚めるシーンから『ゾンビ』の世界に繋がっていくんです。よく出来てますねぇ。トム・サビーニのゾンビ愛が詰まってます。 [ビデオ(字幕)] 8点(2024-12-30 13:40:19) |
40. オーメン(1976)
《ネタバレ》 “The Omen”『前兆』。つまりアレでしょうかね?被害者の生前、写真に写った不気味な影でしょうかね?でもオーメン2(Damien: Omen II=オーメンがサブタイに)、3(The Final Conflict=オーメン無くなった)って原題だったことを考えると『悪魔が本領を発揮する前兆』という意味なのかも? 確かに本作のダミアンは自らが悪事を働くのではなく、ダミアンの守護者が災いをもたらしてるみたいだしね。 アラバマ物語('62年)以降、目立った作品に出ていなかった(と思う)グレゴリーペックのヒット作でもありました。ダミアンを演じた子って、その後どんな人生を歩んだんだろう?でも、あの子のあの目が恐怖を感じさせます。舞台がイギリスというのも、近代的なアメリカの都市と違い、当時からレトロ感の演出(=宗教との繋がりの深さ)に一役買っていたと思います。 本作以前のホラーの名作をあまり観ていないので、あくまで想像ですが、この映画以前のホラーの悪魔って、特殊メイクやシルエット状の悪魔々々したイメージだったんじゃないでしょうか?エクソシストでも憑依という形で悪魔が姿を出していますね。 本作では安易な悪魔のイメージを一切出さず、自殺や事故、自然現象に見せて邪魔者を消していくやり方が、一歩進んだ斬新さだったように思います。首吊り、転落死、首ちょんぱ…無残な死を直接観せるのはホラー映画として成立させるための保険だったかもしれませんが、結果的にとてもバランスの良い、怖い映画に仕上がってます。 初見は小学校低学年の頃ですね、曇り空の日曜のお昼、ママンは買い物に出かけたらしく、いつも食べてるケチャップチャーハンと普段食べないブルボンのルマンドが置いてありました。ご飯食べて、ルマンドつまみながら、たまたま午後のロードショーで流れていたこの映画を観てしまいましたよ。自殺する家政婦さんのシーンが怖くて怖くて…だって笑顔で死んでいく彼女の心境って、どんなだろう?って。自分にはどうすることもできない力で殺される恐怖に、すっかり怯えてしまいました。トラウマですね。怖いけど目を離すことが出来ず『お姉ちゃんでいいから早く帰ってきてよぉ~』って願いも空しく、最後まで独りで観てしまいました。エンディングでダミアンを殺せなかった時の絶望感って無かったね。なんか動物を全部数えると666だそうで『これ動物図鑑とかで確かめちゃいけないやつだ、確かめたらきっとダミアンに殺される!』って思ってました。今でこそオーメン余裕で観られますが、ルマンドの紫のパッケージを見ると、休日の曇り空の昼下がりの苦い過去を思い出します。 [地上波(吹替)] 8点(2024-12-29 16:13:07) |