21. マグノリア
《ネタバレ》 “Magnolia”『木蓮』。なんだろう?花言葉は“忍耐”とかでした。エイミー・マンの歌が格好良くて、当時アルバム買って聞きまくりましたね。主人公たちの問題がどんどん膨らんでいき、この先どうなるんだろう?どうやって解決&収束するんだろう??…と期待が最高潮に高まったところで、カエルの雨…!何だこりゃ?こんだけ期待煽っといて、こんな終わり方って、あるかい?夢オチと同レベルの酷い終わり方だ。客を馬鹿にしてるわ。記憶から消し去ってやりたい。4点! 数年後、たまたまTVで放送されてて、スタンリーはトイレ行きたいと言い、フランクがインタビューで責められてる辺り…あれ?彼らはどうなって行くんだっけ?内容まだらに忘れてたんだわ。最後にカエルが降ってくるのは覚えてるけど…?? 主人公たちの問題がどんどん膨らんでいき、この先どうなるんだろう?どうやって解決&収束するんだろう??…と、私の記憶力の悪さから再び期待が最高潮に達していきました。あれ?観ている間ずっと楽しめてるってことは、これは良い映画なのでは?即DVD買いました。本作は2度目の鑑賞で好きになった、初めての映画かもしれません。で、結局どうなったのか?子どもたちが過去の呪縛から開放される映画でした。劇中3組(+1組)の親子がでてきます。病人のパートリッジ一家と、司会者のゲイター一家は直接は結びつきませんが、クイズ番組の制作がパートリッジ・プロダクションで繋がってました。 フランクは母を捨てた父を憎み、今は男の片思い(=一方的な愛)を金にする怪しいセミナー講師をしています。苦しんで死んで行く父に会うことが出来て、憎しみを全部ぶつけて涙を流します。でも父は液体モルヒネで意識がありません。息子の赦しが聞こえてません。 クラウディアは父に性的虐待(母親がすぐに察したので事実だったんでしょう)を受け、今は売春婦をしています。妻に過去を告白した父は、自殺さえ出来ませんでした。撃ったTVが漏電してた(+雨+気絶)ので、家が全焼したか感電死したかもしれません。どっちにしろ苦しんで孤独に死んでいくんでしょう。 ドニーは親に金づるにされ『元天才クイズ少年』の過去だけが付いて回っています。今はスタンリーが父親の金づるとして同じ道を進んでいます。敗退で積み上げたものを失った父。「僕に優しくして」「…寝ろ」スタンリー自身に救いがないように思えますが、ドニーと違い親の呪縛から開放されたのが救いでしょう。歯科矯正のため金を盗んだドニーは、矯正する必要がなくなり、彼の一方的な愛は終わりました。 もう(+1組)の親子。クローゼットで白人夫が死んでた黒人女性(他重婚してた)。犯人と思わしき息子のウジ虫と、その息子(孫)のラッパー少年。母親は黙秘することで息子を守ります。ラッパー少年は警官の銃を拾い父を守ります。母は息子に逃げ延びてほしくて、子は父に射殺でなく逮捕されてほしかったんでしょう。最初少年は川に銃を捨てたんだと思いましたが、恐らくカエルのいる池に捨ててきたんでしょうね。その後オーバードースのリンダから金を盗み、ついでに救急車を呼んで救います。でも少年は「俺は預言者、ウジ虫どもは踏みとどまって苦汁を飲め♪」この歌は父であり、死ねなかったリンダのことでしょう。 財産目的で結婚し、影でアールをさんざん裏切っていたリンダ。今はアールを愛するようになったけど、アールは死の間際さえ息子(の母=元妻)を一番に思っていたことを悟りました。リンダの一方的な愛でした。液体モルヒネでアールを苦しみから開放し、自分も死ぬことにします。結果リンダは生き残り、これから憎んでいたフランクと面会します。液体モルヒネを投与したのが、リンダ自身でなくフィルなのが、アールを愛していたので自分じゃ出来なかったとも、勝手に息子に連絡したフィルへの復讐とも取れましたが、そもそもリンダは投与の資格がないからできないのかも?フィルは看護師だから投与したら死ぬことを知っていた(泣いてた)んだし。 一番幸せなのは銃を無くしたジムでしょうか。銃も出てきて、一方的な愛だったのが実って…毎朝毎晩お祈りしてるジムは神の子です。 何の罪もなく、親との辛い過去もないフィルは、きっと傍観者。映画を観ている私の代わりなんでしょう。 『過去を捨てたと思っても 過去は追ってくる』善人が必ず幸せになれるわけじゃない。改心して懺悔や告白をしても許されるわけじゃない。でも罪は消えないし業は背負って生きていかなきゃいけない。せめてカエルの雨のあと、親の身勝手を押し付けられた可哀想な子どもたちが、少しでも幸せに向かって歩き出せたら…涙で目を腫らしたフランクと、クラウディアの疲れ切った笑顔から、そんな希望を観せる結末に思えました。 [ビデオ(字幕)] 9点(2024-10-14 13:40:40) |
22. 少林寺木人拳
《ネタバレ》 “Shaolin Wooden Men(少林木人巷)”『少林の木製人間(少林・木人の路)』。中国に(嵩山)少林寺がありますが、そこ発祥の拳法は少林拳。少林寺拳法は日本で創られた武術です。子供の頃は一緒だと思ってました。 ジャッキーのカンフー映画ブームの中で、拳精と並んで異彩を放つ本作。鎖に手足を繋がれた木人の存在がシュールでファンタスティックでした。本作が日本で最初に公開されたジャッキー主演映画だそうで、テレビで流れた回数は少なかったと思うんですが、無感情で怖可愛い木人と、勢いある日本版の主題歌のインパクトが強く、“ジャッキーを語る際に欠かせない名作”ポジションだったと思います。 久々の鑑賞。童顔一重のジャッキーが初期作品なのを感じさせます。功夫の源流とされる少林寺が舞台だけに、五獣拳、蛇拳、酔拳と、多彩な拳法の達人が出てきて賑やかです。オープニングの五獣拳の組手、真っ暗な舞台にロウソクと文字だけと、そんなにお金掛かってないのに良い雰囲気が出てます。当時のカメラとフィルムが成せる技ですね。続いて、ウルトラマンの切り絵オープニングを連想させるような、木人のシルエット…あぁ、可愛い。小刻みにプルプルしてる。真ん丸なお手々のアップ(右手?)に続き、おんなじカタチの逆の手のアップ(左手かなぁ?)、あぁ愛おしい。 そんな木人の可愛らしさから、ジャッキーらしいコミカルな映画だったと思っていたんですが、龍拳並みに真面目な復讐劇でした。少林寺で厳しい特訓をして、尼さんから善の拳を、罪人ファユーから邪の拳を学ぶ。相乗効果で強くなってる反面、急所攻撃に躊躇するなど師によって違う教えに葛藤が出てしまうのも面白い。更に管長から無敵の拳を学ぶという、少年ジャンプ黄金パターンですね。少林寺の癒しキャラ、酔拳の師匠からもちょっぴり学んでますが、真面目な復讐劇にコミカルな酔拳は合わないとの判断でしょうかね? 洞窟に幽閉されてるファユー。両腕が下ろせない位置で鎖に繋がれるという、かなり酷い扱いを受けていますが、饅頭を食べるときとか修行で竹を動かすときとか、けっこう自由に腕を動かしています。どういうカラクリか伸縮自在の鎖なんですね。このネビュラチェーンみたいな謎技術は、きっと木人を動かす鎖と同じ技術が使われてるんでしょう。恐るべし少林寺の鎖技術。まさにミラクル。ユーガッザ ミラクル。奇跡を起こーせー 今その腕ーでー♪ [地上波(吹替)] 6点(2024-10-13 10:13:39) |
23. マルタイの女
《ネタバレ》 伊丹監督10作目にして最後の作品。伊丹作品としてスタンダードだった前作『スーパーの女』。私は面白かったんですが、監督は不満だったんでしょうか?本作では遂にキラータイトルの『〇〇の女』シリーズにまで、大幅なテコ入れをしてきた印象です。当時大人気の脚本家・三谷幸喜を起用して、恐らくはマンネリ打破を狙ったんでしょう。三谷作品が産んだ時の人・西村雅彦の起用も納得。伊丹&三谷のコラボ作品のようですね。それが巧くマッチしていたかと言うと、正直失敗だったと思います。 宮本信子の『〇〇の女』と言えば、彼女自身がその世界のベテランとして登場し、我々に色んなハウツーを教えるというのがパターンです。本作の場合、彼女が『マルタイ』を守る側(刑事)を演じるのがセオリーでしたが、そこを崩してきました。あと敵の組織・真理の羊の上層部、教祖なり幹部の、人間臭い欲にまみれた素顔が、イマイチ観えてこないのも今までのパターンとは違いました。そんなところが過去の『~の女』とは違う印象を受けます。 彼女の、一見トップレスのようなクレオパトラの衣装は、当時ワイドショーでも結構話題になっていたと思います。映画界で一斉を風靡したあの宮本信子が、あの年齢で、ここまで体を張って話題を創っている姿に、ちょっと必死さを感じてしまったのは事実です。伊丹監督も、夫を支える妻の信子夫人も、必死にもがいていたんでしょう。このクレオパトラ衣装の場面が思いのほか長く、その間は肝心の物語が進みません。そのなかで立花刑事のエキストラ出演&アドリブ暴走と、本筋とは無関係な遊びを入れてくる辺り、いつもの伊丹映画のノリではありません。 敵側を暴力団ではなく、宗教団体にしたのも、当時のテレビはオウムの特番をやれば数字が取れる時代だったので、オウムを仄めかすワードを多数入れたんでしょうか。マルサ2も新興宗教が敵で、かなり深く切り込んだ印象を受けましたが、本作はあそこまでの切れ味がなく、オウムっぽい組織が敵という話題性優先のように感じました。そして最後、証言のシーンを入れなかったのは、逆効果だったと思います。宮本信子が警察の守る側の役だったら、あんな終わり方もアリですが、本作では守られる側。証言台で何を話すかも、それに対する教団や警察の動きなんかも、観る側が期待したシーンだったと思いますが… 見所といえば、本作ではビワコが津川雅彦演じる真行寺と不倫していて、そのネタが教団にバレてしまいます。彼は脅迫に来たヤクザを撃ち殺し、自殺してしまいます。これがビワコが見た夢なのか、実際の出来事かはボカされています。伊丹監督の不倫スキャンダルが出ていた最中ですから、真行寺は伊丹監督自身で、相手を撃ち殺したのは、脅迫には屈しないという、監督なりの宣戦布告だったんだと受け止めました。 最後はどうして映画館で『マルタイの女』を観ている警視総監のコメントにしたんでしょうか?こういう演出は、そう、『タンポポ』がそうでした。映画館で役所広司演じるヤクザ風の男が、私達に語り掛けるところから映画が始まりましたね。 タンポポは監督2作品目ですし、何よりこのマルタイが、監督が自身最後の作品として創ったとは思っていません。でも、何と言うか、この演出で、図らずしも伊丹さんの創ってきた、映画の世界の輪が閉じたような、そんな結末に思えました。 [CS・衛星(邦画)] 4点(2024-10-10 22:40:39)(良:1票) |
24. スパイダーマン3
《ネタバレ》 “Spider-Man 3”邦題まま。三部作として創られた完結編です。 過去2作品で見慣れた登場人物たちの、安定した掛け合いが気持ち良い。やっぱ新聞社とピーターの大家さん達とのやり取りが面白い。新キャラ・エディにグウェンも作品世界にすぐ馴染んでたわ。ただね、マルコがベン伯父さんを殺したって設定が今更出てきて、そこは後付け感が…。2の最後で3のヴィランはハリーのゴブリンだなって思ってたところ、サンドマンを出したもんだから、ピーターが戦う理由が必要と考えたのかもしれない。それが効果的だったかどうか?更にヴェノムまで出てきて驚いたわ。ヴェノムって映画の主役やってたのは知ってたから、相当人気のあるキャラだと思うけど、まさか最終作の後半に出てくるとは思わなかったわ。 整理すると本作は敵が多く、メインのサンドマン&ヴェノムに、ハリーゴブリン。ブラック・スパイダーマンとしてピーター自身の葛藤も描いているから、実質4体もの敵キャラが登場。これがきちんと整理できていたかというと、どうかなぁ? 序盤はマルコ/サンドマンの家族構成や誕生に時間を割いたのに、終盤は単なるモンスターとして中ボス化し、途中からポッと出てきたヴェノムがボスキャラ・ポジションになってしまった。そもそも、ヴェノムってもっと見せ場を作れるヴィランだったんじゃないかな。本作がシリーズ最後だから入れましたって感じで、ちょっともったいない気がしたなぁ。サンドマンだけで良かったんじゃないかなぁ? ハリーが最後味方になるのはアツい展開だけど、敵対→記憶喪失→記憶回復→共闘→最後。と忙しい。ってか周りに振り回されて可哀想に思える。記憶を失ったハリーを見たピーターが“あれ?このままイケんじゃね?”ってしたり顔に見えて…けっきょく、一番記憶に残るのは“調子こいた主人公”だ。街の人気者だと浮かれるピーターにスパイダーマン。ブラック化して腰振って踊りまくるピーターの滑稽さと勘違いっぷりが痛々しかった。 アクションは素晴らしい。キャラも素晴らしい。でも時間配分が内容に見合わない。1のときに思った「長いなぁ」って感じはなかったけど、なにか物足りなさを感じてしまった。 [DVD(字幕)] 5点(2024-10-08 22:35:21) |
25. ファイナル・カウントダウン
《ネタバレ》 “The Final Countdown”『最終秒読み段階』。原子力空母が嵐に飲まれて、真珠湾攻撃直前にタイムスリップする…こんな突飛なSF映画に、最新鋭の空母と戦闘機を惜しげもなく登場させるアメリカ海軍の懐の深さよ。 “アメリカ海軍の宣伝映画”とも言われていますが、これはこれで大成功だったんじゃないでしょうか?この当時の軍用機って、スーパーカーやガンダムのモビルスーツと同じくらい、強さと速さの魅力に溢れていたんですよ。本作は当時少年たちに大人気だったFー14の魅力を余す所なく観せてくれてます。それもドクロマークが印象的なVF-84ジョリーロジャースのトムキャット。着艦時のギアの出方、細かい尾翼の動き。桁違いの空戦能力。零戦が遅すぎて可変翼は開きっぱなし。なのに敢えて閉じたり開いたりして観せるサービス精神。攻撃も零戦の機関砲の「バババババ!」と違いガトリング砲は「ヴウーーーー!!」って怖い音するし。戦闘中のF-14は資料映像の寄せ集めでなく、きちんと機体ナンバー202と203の2機なのがお金掛かってる。 サービス精神は他の機にも活きていて、E-2ホークアイのレドームきちんと回ってるのが確認できるし、偵察機はマニアックなRF-8クルセイダー。旧型機A-7コルセアで緊急着艦の実演。あの海域で必要か疑問だけどKA-6イントルーダーの空中給油まで観せてくれる。パールハーバー基地には退役したばかりのA-5ヴィジランティをチラッと駐機。…まぁ解る人だけ解ってくれれば。 ニミッツ級の内部も結構細かく出てきます。ブリッジや格納庫はもちろん、食堂やら娯楽室、放送室まで。こんなの3隻(当時。今は10隻)も持ってるアメリカの、軍事力の誇示ですね。東西冷戦下だけにソ連の漁船(スパイ)も出てきますが“そんなに見たけりゃ、映画で好きなだけ観やがれ!”って感じでしょうか? 『宣伝部分は解った。じゃあ映画はオマケか?』と言われると、そんな事もなく、タイムトラベル“if”物としてきちんと面白いです。少しずつ置かれた状況が見えてくる上層部と、断片的にしか情報が入らず、第三次世界大戦の勃発と誤解する下士官。未知の兵器に驚く上院議員と日本兵。 帝国軍の機動艦隊を見つけてからの、上層部のタイムパラドックス議論も想像を膨らませます。アメリカにとって、真珠湾攻撃は“合衆国史上、唯一の屈辱(※後に9.11テロが加わる)”でした。突飛な事態で、思っても見なかった雪辱を果たすチャンスが訪れた。面白いですね。 イーランド艦長の決断は終始悩みつつも、一貫して「我々は、もしアメリカが攻撃を受けたら、過去や未来に関係なく、国を守るのが任務だ」でした。 実際の最終決戦が起きないことに物足りなさを感じるかもしれませんが、もし戦闘が起きても、ニミッツの一方的な勝利で終わるのは観るまでもありません。そして、まだ真珠湾攻撃を仕掛けていない帝国艦隊を、一方的に奇襲攻撃で撃退するというのは、パールハーバーの屈辱の上塗りになります。艦長の未来に帰る決断は、映画的に間違ってなかったと思います。 最後のSF映画らしいオチもいいです。40年の時を超えて愛犬チャーリーと再会するスコット。タイムパラドックス議論で「一度起きた事実は変えられない」と考えていたオーウェンスが、オープニングで、自分の体験した過去と同じく、やっぱりラスキーをニミッツに派遣したのも納得でした。そして過去の戦史を研究していたオーウェンスと野心家のスコットが、軍事産業タイドマン社を創って、歴史を変えること無く、陰ながらアメリカの防衛に尽力してきたんですね。 [地上波(吹替)] 7点(2024-10-07 14:38:11) |
26. ファイナル・デスティネーション
《ネタバレ》 “FINAL DESTINATION”『最終目的地』。空港でアレックスのスーツケースに付けられる荷物タグに書いてます。『FINAL DESTINATION CDG(シャルル・ド・ゴール空港) PARIS,FRANCE』 後にシリーズ化され、『死のピタゴラスイッチ』なんて言われるようになりますが、実はピタゴラスイッチ放送開始前の本作。この当時のホラー映画って、ジェイソンみたいな殺人鬼物は出尽くした感があり、コメディや宇宙生物(CGが見どころ)と融合した変化球だったり、呪いや幽霊でゾッとする恐さ表現(出血少なめ)にシフトしていた感があります。そんな時代に本作は、グロい死に様を前面に出した、かなりド直球なホラーの成功作でした。 公開時の予告でテリーがバスに轢かれるあまりに突然っぷりに『あ、これ怖そう…』と思わせた作品。なのでビビリの私は劇場で観る勇気がなかったですね。 序盤の空港から飛行機事故までの一連の流れが出色の出来です。雷雨の中の離陸、巨大な飛行機の先端の剥げ具合、飛行機ドア横の傷と舐めたネジ、翼の煤け具合…空旅が苦手な人は、こんな些細な情報を自分から拾って『この飛行機大丈夫か?』って思ってしまうんですよね。 そこに追い打ちをかける不安要素。変な宗教家、墜落死を連想させるジョン・デンバー('97年死去)、たまたま開いたページがダイアナ妃の事故写真(パリ)、空港作業車の車体番号が666(ありえん)…不吉のフルコースですね。ちなみに出発前、アレックスがお守りとして敢えて付けてた荷物タグはJFK(空港)のものでした。ママに外されたけど。 飛行機墜落をアレックスの予知夢として、乗客視点で観せる演出も墜落の恐さ満点です。炎に巻かれ皮膚がパチパチと焼ける音、全身焼かれてもまだ生きてる様子が生々しく、肺が熱風で満たされる苦しさを感じました。実際の事故は遠影で小さく観せるのも旨い演出ですね(でも流石に、空港ロビーのガラスは砕けないだろう)。劇中では架空のヴォレー航空になっていますが、事故の経緯は'96年のTWA800便墜落事故をベースとしていて、なるほどリアルです。 トッドの父の逆恨み、ルートン先生がラリー先生を先行させたことで心を病むところとかも人間臭いですね。アレックスがクレアの写真とエロ本を見比べて何かを感じてるところもいい。事故直後、クレアだけ空港に迎えが来ない時の寂しそうな表情も良かった。クレアの部屋にエッフェル塔の置物が幾つかあって、お土産で貰ったのか、自分で買ったのか、彼女のパリへの思いもちょっぴり感じられました。トッドの兄やクリスタとブレイクの学校のマドンナ・コンビ。ずっとフランス語のラリー先生。飛行機に赤ちゃんと障害者。チョイ役もきちんキャラが立ってます。 最後は試写会の不評から半年後に撮り直したというエンディング(こういう事してしまうのが、ハリウッドの凄さだよね)で、タイトル回収…でも悪夢は続くよってホラーらしい終わり方。 うわ、メインのホラー部分について何も書けなかったな。けど『良いホラー映画観たなぁ』って満足感に満たされました。 [ビデオ(字幕)] 8点(2024-10-07 11:41:51) |
27. スパイダーマン2
《ネタバレ》 “SPIDER-MAN 2”大文字か小文字か、悩ましいところです… 前作で「…面白いけど長いなー」って感じましたが、本作は普通に面白かったです。上映時間は長くなっていますが、前作で感じた、重たいメインディッシュの連続感はなく、話の組み立て方にメリハリがあったと思います。 スパイダーマンの独特の動き。前作ではどうも、スローモーションを活用した体捌きが、マトリックスのインパクトに引っ張られたんだろうなぁって印象でしたが、今回きちんと蜘蛛っぽい(=スパイダーマンらしい)動きに磨きがかかってきた印象です。特殊能力が消える&引退を考える。というのはヒーロー物の定番ですね。そんな定番をサム・ライミは、このスパイダーマン・シリーズに上手に落とし込んでいます。 あと監督が好きなコメディ要素も若干増えてます。デイリービューグル新聞社の個性的な面々のやり取りが微笑ましく、なんかず~~っと観てられます。秘書?のブラントが意味深ですが、原作ではピーターの初恋人だったんですね。 懐かしい“スパイダーマンのテーマ”。'67年版スパイダーマンのアニメが存在しない世界で、前作ではエンドロールに入れてましたが、本作では劇中、路上ミュージシャンが歌ってます。思い切った演出ですが、本作はスパイダーマンの決定版だと思っているので、なんか納得してしまうんですよね。 今回多くの人に正体がバレます。電車のNY市民は彼の正体を見なかったことにし、体を張ってスパイダーマンを守ろうとするシーンは胸が熱くなります。そしてMJは彼の正体に納得し、ハリーは驚愕します。続きが気になる展開です。 敵はドクター・オクトパス。アームの中心に太ったオッサンが居るビジュアルは、見た目的に中ボス感が漂うんですが、3部作の真ん中として『次の敵はもっと凄いぞ!?』って割り切ってる感じがして、案外納得してしまいました。そして映画の最後に次の敵が…おぉ、そう来たか!って、凄くテンション上がりました。続き物の真ん中って、あんまり『この続きは次作で!』パターンを入れすぎると、満足感が減って消化不良を起こすんですが、こと本作の終わり方は、適度な満足感と、続きが気になる度合いのブレンディングが巧かったと思います。 最後、川に沈んで大惨事を防げるって理由がイマイチわかりませんでした。どうして??あと、結婚式当日のドタキャンは、ウエディングドレスで駆け出す画的なインパクト(使い古しではあるけど)は良かったけど、特段欠点のない婚約者ジョンに説明もなく、MJが一方的に逃げただけなので、MJ嫌いな人はますます嫌いになったでしょうね…2作続けてノーブラで頑張ってるのに。 [DVD(字幕)] 7点(2024-10-06 11:35:52) |
28. ロサンゼルス
《ネタバレ》 “Death Wish II”だけど『狼よさらば2』にしなかったんですね。8年後の続編ということもあり、配給は“前作のファン<<新規の観客”って考えたんでしょうか?私が中学生の頃に放送されて、たぶんクラスの多くが観てました。『ロサンゼルス=若い娘の可哀想なレイプシーンのある映画』として、インパクトが凄かったです。 娘のシーンの記憶はあるけど家政婦さんのシーンの記憶はあまりないので、たぶん大幅にカットされていたんでしょう。前作があるとは知らなかったので、まだあどけないキャロルは中高生の役だと思っていました。後から『狼よ~』を観て、まさか結婚する年齢だったなんて…って衝撃でした。 キャロルについてちょっと掘り下げると、前作ではジャックと結婚してキャロル・トビーに。キャスリーン・トーラン('50生、当時24歳)が演じていました。本作ではキャロル・カージーになっていたので、ジャックとは離婚してたんですね。ロビン・リン・シャーウッド ('52生、当時30歳!)が演じています。2人は実年齢2歳しか違わないので、ロビンの見た目年齢が恐ろしく若いということが、今回解りました。 4年前、“アマチュア警官”として9人を殺害し、ニューヨークを追い出されたカージーが、シカゴからロスに居を移し、精神病院に入る娘を見守りながら過ごしてます。…前作のカージーの心理状態を考えると、ガールフレンドを作ってるのはどうかと思いますが、ジル(ブロンソンが溺愛する奥さん)だったら仕方ない。ジルが出るたび復讐劇のテンポにブレーキが掛かりますが、仕方ないんです。 このブロンソン&ジルのラブラブ共演って、きっとイーストウッド&ソンドラに影響与えてると思います。カージーのガールフレンドがジル(ジェリ)だから、ジェリをレイプするわけに行かないから、家政婦ロザリオが一番酷い目に遭うんですね。 オチョア刑事の再登場は嬉しかったです。相変わらずくしゃみしてるし。ロス市警から協力を求められたNY市警。4年前カージーの犯行と知っていて逃がしたんだから、カージーがロス市警に捕まってバレたら困る。だからオチョアに説得に向かわせる。って設定はとても面白いですね。続編としてオチョアを出す上手い口実です。オチョアの、管轄をまたいでの捜査やバスの尾行。この辺『フレンチ・コネクション』シリーズを参考にしてるのかな?って思いました。 今回カージーは手当たり次第ギャングを襲うのではなく、ターゲットを絞って復讐します。そのためカタルシスはあるんですが、前作で感じたリアリティは少し減ってしまいました。 [地上波(吹替)] 6点(2024-10-06 10:23:11) |
29. スパイダーマン(2002)
《ネタバレ》 “Spider-Man”邦題まま。小さいころ東映のヒーロー物でやってましたね。そのためスーパーマンと並んで馴染み深いヒーローでした。 サム・ライミと言えばB級ホラー映画監督のイメージが強いのに、こんなメジャーなアメコミ・ヒーロー物を、それも巨額な制作費を掛けて撮るなんて!と当時驚いたものです。…そう言えば同じB級ホラー監督だったピーター・ジャクソンも、同じような時期に超大作の監督に抜擢されてますね。ハリウッドがそんな動きをしていた時期だったんでしょうか? ひ弱な苛められっ子のピーター・パーカーが新種の蜘蛛に噛まれ、超能力を手にし、謎のヒーロー・スパイダーマンとして成長していく。サム・ライミ監督なのに、奇をてらわない、とてもオーソドックスな展開に驚きました。原作は知りませんが、あの有名なスパイダーマンの映画化として、ディープなファンも、にわかファンも、一般人も、みんな納得して受け入れられる作品だったと思います。 叔父の死、片思いのMJとの関係。親友ハリーとその父とMJの複雑に入り組んだ気持ちと関係。グリーン・ゴブリン=ノーマンの心の葛藤を、本作の一貫したテーマである『大いなる力には、大いなる責任が伴う』を絡め、一本の映画に上手くまとめていると思います。 MJのキルスティン・ダンストに批評があるようですが、スパイダーマンとのキスシーンや、ピーターに女優でなくカフェで働いてるのがバレた時の表情なんか、私はとても好きです。 さて、エピソードのどの部分も、スパイダーマンを創るに当たり必要な要素に思えるし、上映時間も長すぎない。だけど何故か個人的にダレてしまいます。初めて観たとき「…面白いけど長いなー」と感じ、恐らく6回目くらいの今回の視聴も、やっぱり同じ感想を持ってしまいました。上映時間は決して長くないのに、不思議。恐らく『トラブル発生→スパイダーマンが解決』のエピソードの積み重ねの、一つ一つがそれなりにボリュームがあって、つど満足してしまうから、それが積み重なって、全体を通したとき、過剰な満腹感になってるかな?って。 クドクドと自己分析すると、“オズコープ社の平和の祭典”からの、グリーン・ゴブリンによる“新聞社襲撃”あたりからクライマックスに流れていっても充分満足だったところ、MJとのキスを挟んでの“火災現場の戦い”。これだけ派手な戦いでもクライマックスにならず、叔母さんとハリーとMJとの関係を深堀りしての“ロープウェーでの決戦”で、やっとクライマックス。個人的に映画2本分くらいの情報量で、言い換えるとフルコース2回分の満腹感に感じてしまいました。 良い映画、面白い映画と認めていても、どうにも苦手ってあるものですね。このスパイダーマン辺りから、クライマックスの連続で、満足感でなく満腹感(お腹苦しい)を感じる映画が増えてきたと思います。 [映画館(字幕)] 6点(2024-10-05 18:24:00) |
30. ナバロンの嵐
《ネタバレ》 “Force 10 From Navarone”『ナバロンから第10部隊へ』…とかかなぁ?バーンズビー中佐率いる特殊部隊『フォース10』は、橋を爆破する任務を任されていて、そこにマロリーとミラーのナバロン島メンバーが、旧知のスパイ・ニコライ暗殺任務で、ユーゴスラビアに同行する…と。 今回ナバロン島全く関係ないです。マロリー版ジャック・ライアンシリーズみたいな感じだけど、シリーズ・タイトルにずっと『レッドオクトーバー』を付けてるような感じですかね。そもそもニコライなんて居たっけ?『~要塞』の、アンナの上官?キャストも全とっかえで混乱しますが、映画自体が前作から17年経ってて、ビデオもない時代だし、当時の人は多分誰も気にしないでしょう。 オープニングで前作の要塞爆破シーンが入ってます。巨砲が海に落ちるシーンは新カットかな? 多分ですね、この映画が、私が最後まで観た、一番最初の洋画だったと記憶しています。当時8歳で、ゴールデン洋画劇場で放送されてて('82年4月だって)、普段だと寝かされる時間でしたが、最後まで黙認してくれてました。たぶん父がこの映画を観たかったんでしょうね。 怖がりな子どもで、撃たれた血とかは大丈夫でしたが、パルチザンのマスクの二人が怖くてねー。もしマスクを取る場面なんてあったら、そこでリタイアしてたかもしれません。この火傷の跡のある、無しは、要塞のアンナの背中のオマージュですね。 ドイツ軍がモロに戦隊モノとかの悪の組織な印象で、ワイヤーカッターで首斬られるのとかも、アレは悪い奴らだからって平気でしたね。8歳児強し。 ディア・ハンターと同じ'78年の戦争映画にしては、戦場描写がのんびりしているように思います。まるで'60年代の戦争映画な印象。当時はリアル志向とかニューシネマとか、観終わってズシンと来る映画が多かったからか、きっと制作陣も意図的に“戦争を舞台とした古き良き明るい冒険活劇”にしたんでしょう。 ストーリーは全然覚えてませんでしたが、フォース10がバタバタやられて、最後バーンズビーだけになってしまうのも思いきった決断。きっと特殊部隊の映画ではなく冒険映画なんだって、バランスを取るための措置でしょう。白人だらけのユーゴでの潜入任務なのに偶然にも黒人ウィーバーが入るのも、ハラハラ要素として面白いです。マリッツァやレスコバー、マスクの2人も、映画の意外要素として掻き回してくれました。 ダム爆破から崩壊までの間と、脱出を諦めたマロリーとバーンズビーが、やっぱり駆け出すところとか、成功したあと、絶望的な孤立無援状態でも、明るく前向きに脱出について話し合ってる終わり方とか、とても心地よいです。映画観終わって「あぁ面白かった!」って思える終わり方って、やっぱ良いですね。 [地上波(吹替)] 7点(2024-10-05 16:41:22) |
31. キング・コング(2005)
《ネタバレ》 “KING KONG”と大文字になりました。 '76年版は現代劇として制作されていましたが、本作は'33年版オリジナルを、時代そのままに踏襲しています。 この辺りからでしょうか、ハリウッドが送り出す大作映画が、美麗なCGがウリなだけのリメイク作品やシリーズものばっかりになってきて、個人的にちょっと、食傷気味になってきたんですよ…。本作もそんなイメージで、美麗なCG以外のウリが、'76年版と違ってオリジナルのリメイク…くらいなんですよね。 でもけっこう高評価の作品のようですので、そういう意見もあるんだぁ~程度に読み流してください。 33年当時のニューヨークの街の再現度。オリジナルキャストの名前を出すお遊び。不気味な巨大昆虫。静まり返った公園の池で滑って遊ぶコングとアンなど、良かったシーンは結構あります。…ほとんどCGしか褒めてませんが。 エンパイヤステートビルの創り込みは、'33年版のビルの再現度の高さを再認識させてくれました。 ジュラシック・パークで見慣れたCG恐竜ですが、キングコングの恐竜はどこかヌメヌメした印象で、制作チームが違うと表現方法も変わるんだなって、勉強になりました。そしてオリジナルでは割愛されたらしい、巨大昆虫が気持ち悪いです。とても気持ち悪いです。次々襲われる船員。あんな島で、あんな虫に殺されるのは勘弁してほしいですね。 オリジナルと違い、アンとコングが相思相愛となっていて、この辺'76年版の影響かなぁ?'76年版を見慣れた私には、こちらの方がしっくりします。でも言い方を変えると、恐竜や昆虫以外、あまり代わり映えのない内容だなぁ…って思ってしまいました。 アンを握ったままジャングルを疾走するコングに、アンが潰れたり頚椎損傷しないか心配になりました。当時USJのアトラクションでも作ろうしたんでしょうか?そんなスピード感演出でしたね。(※アトラクションあったみたいです) プロントサウルスがゴロゴロと坂を転げ落ちるシーンは、まるでAIが造った、動く肉の塊の映像みたいです。そもそも、あのシーンの必要性が判りません。ラプトルみたいな肉食恐竜も一緒に走ってますが、別に踏まれる危険を犯して並走しなくても、一番足の遅いプロントサウルスを捕食すれば良いだけでは?って、冷めた目で観てしまいました。こちらもアトラクション化を意識しての演出かな? 一番の欠点は、上映時間が長いんですよ。オリジナルが100分のキングコングに188分も掛けるのは、時間管理と映像の取捨選択が下手だからだと思います。 例えば船の衝突の場面。見張りのジミーが前方に壁を見つけて叫ぶ。で船長が壁を目視して機関停止を命じるまで、何と20秒も掛かってます。長すぎです。壁を見つけてから座礁するまで4分近く使ってます。時間取りすぎです。キングコングを観に来たお客さんは、貨物船の座礁なんて、別にじっくり観たい訳じゃないんです。きっと他の監督なら30秒で終わらせたでしょう。 キングコングの前で起死回生のパントマイムするアンは予想外の動きで可愛いんですが、序盤の舞台で踊る映像は酷いもので、放り投げた帽子のキャッチは観客の背中や別カット割りで誤魔化す。アンが倒れ込むアクションすら別カット。何か「役者が頑張ってないなぁ」って印象を持ちました。 ジミー少年と育ての親ヘイズにも時間を割いていますが、2人で本の解釈を語り合う場面って必要?どんな裏設定でも構わないけど、2人のシーンは全カットしても全く問題なかったですね。 コングの最後を見たデナムの「美女が野獣を死なせたんだ」のセリフ。これオリジナルではコングの片想いだったから、意味があったと思うんですよ。相思相愛にしちゃった本作では、やっぱり飛行機がとどめを刺したって事になると思います。デナムは知らないけど、本作のアンは体張ってコング守ろうとしたし。 良いシーンもあったし、CGはお金掛かって綺麗。本作の出来に腹は立ちませんが、もう50分短ければ、もう1点追加しても良かったです。 個人的な見解ですが、ピーター・ジャクソンって何故か大御所感がありますが、ブレインデッドのカルト的高評価で、実力以上の仕事を任されてしまった感が拭えません。彼をメジャーに押し上げたロード・オブ・ザ・リングって、あれだけメジャーな原作で、上映時間と制作時間、制作費と宣伝費を掛けたら、誰が創っても、アレくらいはゴージャスになるような気がします。そんな流れで、メジャーなオリジナルがあって、同じように時間と費用を掛けた本作。その後はまたロード・オブ・シリーズの尻尾のホビット…身の丈にあった上映時間と制作費の、オリジナル作品を観てみたいものです。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2024-10-02 18:51:41) |
32. 狼よさらば
《ネタバレ》 “Death Wish”『死を望む』≒死ねや。テレビ放映されたロサンゼルス→スーパーマグナムを観てから、シリーズものだと知り、本作を借りて観たと記憶しています。街の処刑人として、どんどん過激になっていくポール・カージーでしたが、一番最初はこんなにも大人しい、いわゆる普通の人のリアルなドラマだったことに驚きました。単独作品として秀逸です。 最初の武器は靴下に詰めた硬貨。実行する前に手が震え、撃退に成功したけど走って逃げ帰って、震える手でブランデーを飲み、成功を喜ぶように靴下を振り回して、硬貨をばら撒いてしまう。初めて銃を撃ったときも、家の電気も付けず、後悔の言葉をつぶやき、トイレに嘔吐する。この感情の波の極端さが現実っぽく“自分がポール・カージーの立場だったら”って“if”を体感させてくれます。 追う側のオチョア刑事も印象深く、パワハラチックな部下の使い方と、細かくも抜け目ない、真綿で首を絞めるように執拗な捜査で、じわじわとカージーが追い詰められるのが見て取れてスリル満点です。 オチョアがずっと鼻炎に悩まされてるのが『この設定…いる?』と思える反面、オチョアという人物が、とてもリアルに思えました。 家族の仇に出会えないのもまたリアルに思えます。カージーがこれだけ活躍しても、ニューヨークでは家族の仇に偶然にも出会えないくらい、犯罪者が多いって表現でもあるでしょう。ですが何よりカージーは直接的な復讐を目的としていません。彼自身が犯人を目撃していないのと、あんなになってしまった娘に犯人像を聞くわけにも行かない。そもそも“直接犯人を殺して、めでたしめでたし”って類の物語ではありません。 警察に正体がバレたカージー。最後のギャングに銃を構えさせようとするところは、ここを死に場所としたかったのかな。 到着したばかりのシカゴの駅で、さっそくゴロツキ共を目撃した時のカージーが、指で銃を構えるところ、めちゃくちゃカッコイイですよね。 このシーン、私には『この街にもぶっ殺していいクズが居たわ』って喜びに、目がキラキラしてるように観えました。 実はカージー自身が、ゴロツキを殺したい快楽殺人者として、もう精神が崩壊していたんじゃないでしょうかね? [ビデオ(字幕)] 8点(2024-10-02 09:06:41) |
33. キング・コング(1933)
《ネタバレ》 “King Kong”『コングの王』…としときましょうか。なんかコングって、ゴリラとか猿とかの意味かと思ったら、クーパー監督の創った新しい言葉のようです。もっとも91年も前に創られた言葉なので、キングコング=巨大な類人猿として、世界中で認知されていると思います。 オープニングのキャストクレジットのあとに“AND KING KONG (THE EIGHTH WONDER OF THE WORLD)”『世界八番目の不思議』とあります。髑髏島にはキングコング以外にも恐竜や巨大なヘビが出てきて、これらも充分にワンダーな存在です。世界がまだまだ謎に包まれている感が感じられて、なんだかワクワクしますね。 島に向かう船上で、デナムが美女と野獣のドレスを纏ったアンを撮影。何かを見上げ、驚き、恐怖して、目をそらし、叫ぶ。それを見学していたジャックが真顔で「何を見せるつもりだ?」アンもジャックたち船員も、この先に待ち受ける恐怖を知りません。もうこのシーンで、デナムが撮ろうとしているモノの巨大さと恐ろしさが伝わります。そして実際のキングコングと遭遇した時のアン。両腕を縛られ、大声で叫び、身をよじって逃げようとするアン。船上の演技の恐怖と、本当の恐怖の対比が巧く出てました。 恐竜とかの出ない'76年版は、小さい頃からテレビで流れていて観ていますが、オリジナルは今回が初めて。“コングの造形や特撮技術の素晴らしさ”については、皆さんのレビューをご参照頂くとして、“アンとコングの関係”について書いてみます。 意外だったのは、コングが命がけで執拗に追いかけた美女・アンにとって、コングは最後まで恐怖の対象だったことです。 アンを恐竜から守ったり、デリケートに(言い換えればエロく)衣装を脱がしたりと、私のイメージ通りの心優しいコングなんですが、アンは終始、コングを恐れていましたね。恐竜から守られたときも、ニューヨークで見世物として縛られたコングを見たときも、アンはコングに愛情に類する感情を見せません。飛行機に撃たれ、経験したことのない痛みに死を覚悟したコングが、一度アンを抱き上げ、すぐに優しく降ろし、お別れの意味だろうか軽く撫でる。ここでさえ、コングの最後の時でさえ、アンはコングを見ていません(そう観える)。この時代に制作陣は、これだけ表情豊かなモンスターを産み出したのに、対する美女アンには、意図的にコングに心を開かない演出を選んだことが、ショックでした。 でもだからこそ、最後の「美貌が野獣を仕留めたんだ」が活きてきますね。キングコングってモンスターは、男の性欲の象徴だったんじゃないでしょうか?だから変な話、コングが数あるビルの中から一番高いエンパイヤステートビルを選んだのは、恐らくアレですよ、あのビルが、一番雄々しくいきり立ってるからですよ、きっと。すみません。 アレだけ愛しても、守っても、追いかけても、決して振り向いてくれない美女アン。女の美しさの虜になったら、キングコングでさえ命を落とす。そんな、美女を見れば一目惚れしてしまう、世の全ての男への、教訓なんじゃないでしょうか? [DVD(字幕)] 7点(2024-10-01 21:01:17) |
34. 真昼の決闘
《ネタバレ》 “High Noon”『正午』。私の中でベスト・オブ・西部劇が本作かもしれません。午前10時35分から始まるこの作品は、上映時間と劇中時間がほぼ一緒のリアルタイム作品。その設定は今でも通用するくらい斬新で、とても72年も前の映画とは思えないほど、スタイリッシュです。 ケインはその日、若くて美しいエイミーと結婚式を挙げていて、新しい人生の門出の日として、幸せの絶頂でした。そこから僅か1時間ほどで、ケインが長年に渡って築き上げてきたもの全てを失っていきます。街の人からの協力を得られず、ジワジワと不利な状況に追い込まれるケインと、ミラーの乗った汽車の到着をのんびりと待つ3悪党。同じ時間が経過しているのに、受け取る人間の状況で、時間は残酷にも、退屈にもなるんですね。 一度は街を逃げ出した彼が、再び戻ってきてしまったのは、責任感と正義感からでしょう。一方でケインによって守られる対象の街の人々というのは、決して正義の側とは言えません。中には“稼げた”ミラー時代の復活を望む者も居ました。前回は協力したのに、今回は協力しない者。当然のように協力を申し出たのに、他に協力者が居ないと解ると怖気づく者。街を支配するのが正義でも悪でも、結果を受け入れるのみで、自ら変えようとしない人々。この辺、西部劇という私があまり得手でないジャンルと言えども、普遍的な集団の心理と、進んで積極的な行動をしない類の人間の生々しさを感じさせました。 もしケインが街に戻らずに逃げていたら、どうなっていたでしょうか?ミラーたちの目的が復讐であれば、街に居ないからと諦めたりせず、執拗に追いかけられるかもしれません。正義の行動だったのに、コソコソと隠れて生きていかなければいけない。そう考えると、やはりあの街で決着をつけるほか、選択肢はなかったのかもしれませんね。 [DVD(字幕)] 10点(2024-09-29 23:34:54)(良:1票) |
35. 椿三十郎(1962)
《ネタバレ》 「椿…三十郎。もうそろそろ四十郎ですが…」用心棒の続編だったのか。三十郎がどんな人物か解っているから話が早い。神社で若侍が集まった辺りから“面白そうなことが始まった”って思ったんだろうな。一匹狼の三十郎に、ひよっこ侍が九人揃って付いてくる様子が何とも微笑ましい。 この面子に呑気な睦田婦人と娘が加わって、緩い空気が作品全体を覆う。椿を使った合図で盛り上がる母娘と対象的に、苛々して屏風の字をなぞる三十郎と、その苛々を察しておろおろする若侍たちが面白い。 神社で菊井の手下多数を、次々と叩き切る迫力満点の殺陣はあったけど、まるで現代の若者そのままの若侍たちと、陸田母娘のゆるふわな会話が、緊張感を和やかに解きほぐす。終盤も討ち入りの緊張感よりも小川を流れる大量の白い椿の美しさに、お伽話を観ているような気分にさせてくれた。 さぁ、有名なあの場面はどこに出てくるのか?私は序盤で出るものだと予想していたけど、最後でした。和やかな雰囲気の作品の終盤、三十郎と室戸の緊張感溢れる対峙のからの、一閃。抜刀から一瞬の決着。おびただしい量の赤い血が噴き出す過剰とも言える演出が、日本映画の新しいかたちを作る。 最後の最後で凄いものを観せたため、血の場面ばかりが取り上げられるけど、大量の赤い血は、大量の白い椿の対比として入れたんだと思う。本作が娯楽映画の傑作として今でも語られるのは、決して奇抜さだけの作品ではなく、映画全体の緩急の付け方の巧みさにあるんじゃないかな。 [DVD(邦画)] 9点(2024-09-23 23:07:50)(良:2票) |
36. カーズ2
《ネタバレ》 “Cars 2”邦題まま。基本的に一度観た作品でも、改めて再視聴したうえでレビューを書くってマイルールがあるんですが、本作は観返す予定がないのと、多分もう観ないので、13年前の記憶を頼りに書きます。そのため記憶違いなんかも多々あるかもしれませんが、ご容赦を~。 (※万一観返したら、再レビューか追記しますね。) 安定して良作を生み出す一大ブランドになっていたピクサー。そのピクサーが、トイ・ストーリー以外で唯一、続編制作に手を出したのがこのカーズでした。その後は他作品もシリーズ化してますが、この当時は、相当自信を持って創り出したんだなって思って、劇場に足を運びましたよ。 いきなりスパイ物でした。悪者にスクラップにされた諜報員に血の気が引きました。え?これって、カーズの世界だと、惨殺死体だよね?子ども向け作品なのに。キューブ状にされたリーランドをモロに観せる感覚に、とても気持ち悪さを感じました。制作陣はキャラクターを“モノ”と考えてるんだって。 車なのにワイヤー張って宙を舞ったり、ウォシュレット(車なのに何を洗うんだ?)使ったり。まぁテレビカメラとか建物とか、人間の世界にあるものは大抵存在する世界だけど、そこはふんわりさせとかなきゃ。 そして(このへん記憶曖昧だけど)最後の方、メーターがジェットで空を飛んで、ミサイルとかマシンガンとか撃ってた気がするんですよ。一作目の中で、確かにそんなシーンがあったけど、あれは妄想だったはず。飛行機も存在する世界なのに、車が空を飛ぶ。もう彼らが車である必要性が全く感じられません。スパイ物がやりたいなら、車でなく擬人化した銃や武器がやれば良いのでは?って思いながら観ていました。 最悪なのが、メーターがお漏らししたとかで笑われるところ。メーターはアタマが弱い人って設定だから、そんな事があっても仕方ない(※確か濡れ衣だった)んだけど、漏らしたメーターを見て、マックイーンが「お前のせいで恥ずかしい思いをした」的な態度を取ったところが、もう観てられなかったです。メーターは初めて出来た君の親友じゃなかったの?みんなに笑われてる親友を庇うでなく、慰めるでもなく、そんな態度取るの?って。 最初から最後まで、スゴく思ってたのと違う作品でした。エンディングのポリリズムは、可愛らしい世界観と合っていて良かったです。でももしかしたら、他国版では違うエンディング曲なのなのかなぁ? [映画館(字幕)] 2点(2024-09-23 14:30:04) |
37. カーズ クロスロード
《ネタバレ》 “Cars 3”シンプルです。日本では2の評判が悪かったんでしょうか?3を付けずに副題クロスロード(岐路)を付加しています。 ディズニーの、大人も楽しめる子ども向け作品って先入観で、素直な気持ちで観ていました。 気がつけば一作目('06)から11年。アイルトン・セナもF-1デビューから大御所として亡くなるまで11年でした。レーサーとしては引退も近い年数です。ただカーズの世界では見た目が変わらないので、いつまでも当時のままのマックイーンの印象なんですよね…。1ではキングやチックがいかにもな前時代デザインで、上手に世代間の違いが表現できていましたが、本作のストームが新型なのは解るけど、マックイーンを旧型と認識するのがね。でも言い換えると、いつまでも若いつもりで居る私自身を見ている気分でした。 子ども向け作品だから、最後はマックイーン勝って終わるだろうと思っていたら、最終調整で不穏な空気に「ん?」と思いつつ、レース後半の展開は予想外で、あぁ、そうなんだ。その道を選ぶんだ。ってなりました。砂浜でのトレーニング、サンダーホロウの優勝。クルーズが主役の物語を、マックイーン視点で観せたんですね。そしてマックイーンに、初めて会った時のドックの気持ちを追体験させる。シリーズの締めくくりとして、とても綺麗です。 まぁただ、選手交代は、そんなルールが有るなら、事前に他の選手で交代劇を観せといても良いのに。とは思いましたが… クルーズの見た目年齢がよく解らなくて、会話から幼少期にマックイーンのレースを観てたそうだから、まだ10代なのかな?でも大富豪スターリングがトレーナーに雇ってて、本人もけっこう自信満々に指導してたので、やっぱり年齢不詳です。モト車がフェラーリとかフェアレディZとからしいけど、サリー(ポルシェ)のような女性らしい色気(フォルム)が無いんですよね。女性にしては見た目ガッシリした感じで、黙っていたら性別不明な彼女。解説読んだらヒスパニック系とか…あぁポリコレの波が云々… [DVD(字幕)] 6点(2024-09-23 13:51:41) |
38. フレンチ・コネクション2
《ネタバレ》 “French Connection II”…ですってよ。 同僚への誤射、大物の取り逃がしと、前作はモヤモヤするカタチで終わりました。でも私は、敢えてあの終わり方をしたところに、あの作品のリアリティを感じていました。あのモヤモヤ事件の続きです。シャルニエを追ってマルセイユまで飛ぶポパイ…って、あの前作の硬派なリアリティ路線を考えると、随分と映画チックなシナリオですね。 捜査に参加させてもらえず、良かれと思ったスタンドプレイは裏目に出てしまい、酒のんでブラブラするしかないポパイ。映画の大部分を占める拉致監禁からの麻薬漬けの拷問。開放されてからの薬物を抜く孤独な戦い。あんな屈強なポパイでも泣き言を言うところに、薬物の怖さがしっかり出ていました。う~ん…私アレルギー持ちなんですが、花粉症で目が痒いのに目薬打たせてくれない、そんな苦しみでしょうかね?そんなモンじゃない?まぁ、想像を絶する苦しみでしょうね。 前作はゴミゴミした街と走り回る刑事でしたが、ここまでポパイ個人にクローズアップした映画になってしまって、ホントガラッと雰囲気が変わってます。 最後はポパイ、やりたい放題の大暴れ。ガソリン撒くわ、銃を撃つわで、マフィア共に10倍返しです。スパッと終わってスカッとします。前作がスカッとしなくてモヤモヤした終わり方だから、こんな続編が創られたのかなぁ?なんて思ってしまいます。 この続編の必要性はイマイチわかりませんが、最後勝たないと終われない、そんな、負けず嫌いとかの力が働いたんでしょうかね?初めてロッキー2を観たときもそんな感じしたんだよな、たしか。 [地上波(吹替)] 5点(2024-09-22 23:16:52) |
39. 夏目アラタの結婚
《ネタバレ》 この映画面白いのかなぁ?と思ったため、漫画サイトで2巻分くらい読んでみました。 これは面白い話ですねぇ、アラタと真珠の駆け引き、探り合い、疑いあいが面白くって、どんどん先が気になる原作でした。あまり読み進めてしまうと、せっかくお金を払って映画観るんだからと、漫画を中断して観に行きました。 漫画と比べて、結構詰め込んだ感はありましたが、何を入れて何を削るかの適度な引き算が上手く働いていたのと、丁寧な説明(心の声とか、名前が出た人物の画を入れるとか)があるので、説明不足感はありませんでした。一方で、アラタ側の心理がメインで、原作では時々垣間見えた真珠のホンネが観えにくくなっていました。心理合戦がワンサイド描写なためか、“死刑囚だから絶対に出てくることはない安心感があるのに、それを覆す真珠の怖さ”描写に、あまり時間を裂けなかったのかなと思いました。黒島結菜の真珠は可愛い:怖いが7:3くらいです。 僅かな情報から真珠が桃ちゃんに手紙を出し(怖い)、ガラス越しに対面(怖い)する場面。アラタの好みの桃ちゃんを模写する真珠(怖い)。ガラスに映る桃ちゃんと真珠を重ねる撮り方(怖い)がとても巧いです。でも桃ちゃんとのその後が尻切れだったりは、一本の映画として勿体ないようにも思いました。もしかしたら円盤の特典映像に入ってるのかもですが、せっかく良いシーンなのになぁと思いました。 原作既読の部分以外は、概ねナルホドと納得できました。殺人の経緯などもう少し説明が欲しいのと、疑問に感じた点もありましたし、被害者家族の心情を考えると、どうなんだ?って思う部分も多いけど、彼女の秘密と裁判の行方は私の想像を超えるもので、よくこんな事思いつくなぁと感心してしまいました。 [映画館(邦画)] 6点(2024-09-22 22:33:31) |
40. ジュラシック・ワールド/新たなる支配者
《ネタバレ》 “Jurassic World: Dominion”『~:(土地の)所有権』。『支配権』という意味もあるけど、人類と恐竜の棲み分けという意味でコッチかな?と…別に望んだわけじゃないけど、パークから数えて6作品目。シリーズも29年に渡り、いよいよ完結しますよとなると、何かこう、感慨深いですね。全くこんなシリーズ化なんて望んじゃいなかったんですが。でも1作目の3博士が集まるとなると、やっぱり観たくなってしまいます。 人間の暮らす街中に普通に恐竜が居る日常。この非日常感はなかなか興味深かったです。恐竜が映るショートムービーをパッパと続けざまに観るのは面白いですね。あの屋敷から逃げた恐竜たちにしては、短期間で随分と増えて、驚異的なスピードで生息地を世界中に広げてますが、こんなヤバい状況で人間が普通に生活しようとしてるのが、却って面白かったです。 あと、私の知ってた恐竜、ディメトロドン(あんな地下に住んでるの?背びれで日光浴するんじゃないの?)と、イグアノドン(どこよ?あぁ、アレがそうなの?昔の2足歩行の想像図とだいぶん違う…)が出てくれたことは、嬉しかったです。 困ったことに今回のメインはバッタです。ハイブリッド恐竜もどうかと思ってましたが、いきなりバッタ。太古の時代にあんなのも居たかも知れないけど、大きい昆虫は気持ち悪いですね。ジュラシックシリーズで気持ち悪い虫を観るなんて思ってませんでした。私も小さい頃は虫に触れたけど、体長5cmほどのトノサマバッタの脚力は凄まじかった記憶があります。劇中のバッタのサイズ(30cmくらい?)だと、人間の手なんてバッタのキックで粉々になると思います。それ素手で掴んじゃうんだもんな… シナリオはちょっと酷くて、パークの3博士を集めてしまえ。で、ワールドの3人と御対面させよう。ホントこんなノリで、アベンジャーズなんかで最近流行ってる全員集合を、このシリーズでもやってみた。って印象でした。彼らが一か所に集められても、ご覧の通り挨拶して、あとは恐竜から逃げるだけ。もうこの段階では、彼らの経験やスキルが活かされるわけじゃないですし。 彼ら6人が一本の映画に出てさえいれば、別にパーク組&ワールド組それぞれが冒険して、最後の方でチラッと集合するだけでも、良かったんでないかい?あんなゾロゾロと…オマケに、たまたま6人が白人だから、ポリコレに配慮して、正義の側に黒人の男女と黄色人種(あんたかい!)も入れましたって感じ。ワールド以降、悪人しか死んでないので、生死の掛かった緊張感はほぼ無いです。 DNAの研究で蘇った太古の恐竜たちが、現代の地球で人間や動物と、勝手に共存していくって終わり方は、割と好きです。だけど『最後だから、許す』って部分もありました。それなのに、今後更に続編(リバース?)が創られるような感じになってるみたいで、随分と欲張りだなって思ってます。恐竜映画が続くのは歓迎だけど、ジュラシック・シリーズは、ここで終わりにしましょうよ。 [DVD(字幕)] 4点(2024-09-19 22:38:31) |