501. TOKKO―特攻―
日系アメリカ人が撮ったからどうのといったことはあまり感じられなかったけども、特攻隊の生存者だけでなく特攻を受けた戦艦の生存者の証言映像があるのはインタビュー形式のドキュメンタリーとしての強度を得ている。はたして特攻隊とはなんだったのか。そこに狂気はなかったのか。特攻隊の生存者の一人が言う。天皇がもう少し早く降伏してくれてたらと。今だから言えるのかもしれないし、そう感じる人だからこそ生きて帰ってきたとも言えるかもしれない。つまり、生存者の証言では特攻に狂信めいたものはないのだが、特攻で命を落とした者もそうとは言い切れないってこと。私の祖父は戦死している。私の父は、内心では天皇なんかくそくらえ!と思っていると母から聞いたことがある(ここで言う天皇とは個人ではなく、戦時の概念としての)。でもそれは今生きている父が思うのであって祖父がどう思って死んでいったのかはわからないってこと。だから何もかもがこの映画でわかるわけじゃない。もしかしたら偏った伝え方になっているかもしれない。でも少なくとも証言者は「死にたくない」と思っていた特攻隊員だったのだ。別の生存者が映画終了間際に言う。語り継がなければいけないが、謙虚にしゃべらなきゃならないと。重い言葉だと思った。 [DVD(邦画)] 6点(2009-08-06 15:00:50) |
502. ホタル(2001)
昭和天皇崩御の後に戦友の自殺。夏目漱石の「こころ」の明治天皇崩御と乃木大将の殉死と先生の決断の関係によく似ている。昭和天皇に対する思いと明治天皇に対する思いはおそらく全く違うものだろうけど、ひとつの時代の終焉とともにその時代の象徴するものに殉死するという意味で同じだと思う。この映画は「特攻隊」を題材にしているが、主題は過ぎ去ってゆく時間の中で過去とどう向き合ってゆくのか、どう落とし前をつけてゆくのかということだと思う。「二人でひとつ」という理想的な夫婦のカタチを見せてくれる二人にとっての落とし前のひとつが妻の初恋の人の遺品を家族の元に届けること。21世紀の訪れとともに夫婦の結晶とも言うべき漁船を燃やすのもまた一つの時代の終焉に伴う落とし前。「戦争」や「特攻隊」は向き合うべき過去のひとつに過ぎない。でも、遠い昔にあったらしいことと割り切れちゃいそうな「過去に起こったこと」を描いているのではなく「過去と向き合う今」を描いているからこそ立派な反戦映画にもなっているのだと思う。戦争を語り継ぐのに映画は最適な媒体の一つだと実感する。 [DVD(邦画)] 6点(2009-08-05 19:06:57) |
503. 君を忘れない FLY BOYS,FLY!
キムタクが舞台となる航空基地にゼロ戦に乗って登場。途中アメリカ軍の攻撃を受けたらしく着陸姿勢に入ろうかというところでプスプスと。車輪が出てこない。ここでキムタクが一言。「やっべ」。のけぞったぞ。「やっべ」はないだろ。言葉遣いといい長髪といい、どこまでもキムタクなキムタクを使うならば、いっそのこと「まじっスか」とか「ちょーすげー」とか「てゆーかあ」とか言いながら、整備士は女にしてちょっとロマンスなんか入れたりして最後はグッドラック!と飛び立ってしまえ。いやほんと、それぐらいぶっ飛んでもらわないと違和感が違和感のまま残ってしまう。テレビの人気者で固めたキャストでないと戦争映画を見ないという一部の若者に向けた作品なのだろうか。だとしてもテレビのドラマと同じように消化されるような作りにする必要ってあるのかな。その作りの代表的な部分が「三角関係」なんだけど、どうせ出すんならもっとちゃんと描こうよ。「三角関係」を。中途半端なトレンディドラマだ。 [DVD(邦画)] 1点(2009-08-04 13:00:08) |
504. 俺は、君のためにこそ死ににいく
政治家が脚本と製作総指揮までやっちゃってる映画なんてその時点でダメだろうと思ってもよさそうなもんだけど、この人は政治家の前に作家だったわけで、もしかしてという小さな期待を持って見てみたのだが、いきなり「特攻」の必要性というか言い訳を伊武雅刀がダラダラとやっちゃうもんだからガックリだ。個人の思想・哲学でガチガチに固めたってべつにかまわない。しかし政治家としての彼は一応主張だけは入れてはいるんだけど、作家としての彼はそれなりの平衡感覚をもってこの映画を描こうとする。だから主張の部分も、それを否定する部分もものすごく理屈っぽい。というか政治って理屈が大事なのでそういうことになっちゃうのだろうか。説明のつかないようなことまで説明しようとしている。隊員とそのまわりの人々それぞれにドラマがあることを丁寧に、それでいて誰かをクローズアップせずに見せてゆくのは好ましいのだが、ときたま発せられる言葉だけが妙に目立ってしまうので台無し。インタビューとナレーションと時々再現ドラマだったら良かったかも。 [DVD(邦画)] 3点(2009-08-03 14:42:26) |
505. 双生児
原作からは「双子の成り代わり」というシチュエーションだけを借りただけの全くのオリジナルストーリーなんだけど、正直、原作よりも面白い。しかも乱歩小説の映画化の際にこぞって描こうとする乱歩的世界観を、いくら原作から逸脱しているとは言え、はなから作り出そうとしていないってところが素晴らしい。塚本晋也はメジャー作品であろうが、監督・脚本・撮影・編集をこなすことで思い通りの作品に仕上げてゆく。貧民窟に住む者たちのド派手な衣装もまた監督のアイディアなのだろうか。色彩豊かな衣装が良い意味での荒唐無稽さを出している。「成り代わり」から発するサスペンスを軸にしながら、復讐と愛憎のドラマは見事に純愛へと昇華する。84分か。テンポがいいなあとは思ったけど、凄い。 [DVD(邦画)] 7点(2009-07-31 16:52:40)(良:1票) |
506. 人間椅子(1997)
「倒錯した性癖」が描かれた乱歩「人間椅子」に、「性の倒錯」をモチーフとしたオリジナルストーリーを加えた脚色が巧い。送られた原稿に書かれた内容を知りたいという欲求、送り主は誰なのか知りたいという欲求、倒錯の世界に足を踏み入れた女流作家の行く末を見たいという欲求、、、観客の興味を持続させながらもどうもそんな単純なお話でもなさそうだと思わせる主人の謎めいた動向の差し込み方がまた巧い。だから腹話術だったのか!というカラクリの妙!まさしく乱歩の世界であった。後から考えれば少々ムリのあるお話なのかもしれないが、見事なまでの乱歩的ストーリーに脱帽。残念なのはエロス。裸を見せろとかそういうことじゃない。直接的な描写はむしろ無い方がいい。でも、もっとソソルものが欲しい。「性の倒錯」はお話の上ではあったが画面の上では乏しかった。 [DVD(邦画)] 6点(2009-07-30 15:32:56) |
507. 江戸川乱歩の陰獣
乱歩の作品は大きく2種類に分けられる。元々自身が書きたかった本格推理小説と、なぜだか世間に高評価で受け入れられた変格推理小説に。「陰獣」は性的倒錯や猟奇的犯罪という「変格」的なものを取り入れた本格推理小説である。つまりトリックとトリックが解かれる過程に面白さが詰まっているということ。それがどういうことかというと、映画化に不向きな作品ってこと。それでもこれは面白い。両者共がおそらくは乱歩の分身であろう本格推理小説家と変格推理小説家の対決という構図そのものの面白さをうまく見せている。「変格」的世界観にありがちな薄っぺらさ、安っぽさといったものも、ローアングルと、被写体の手前にモノを置く加藤泰印によって深みを得ている。ムリにインビなる雰囲気を作ろうとしてないのがいい。本格推理小説家をいかにも優等生顔のあおい輝彦としたのは適格だったと思うが、もう少しハードボイルド系にしてみても面白かったかも。 [ビデオ(邦画)] 6点(2009-07-29 14:17:32) |
508. D坂の殺人事件(1998)
乱歩の「D坂の殺人事件」と「心理試験」の合わせ技ではあるがこの作品において殺す者も殺される者も原作二作には登場しない。「D坂の殺人事件」からは団子坂の古本屋で殺人事件があったこと、古本屋の向かいが喫茶店であること、古本屋の並びに蕎麦屋があること、登場人物のSM趣味、ぐらいが抜き出されているだけでストーリーじたいはオリジナルと「心理試験」を巧みに融合させたものである。このオリジナルの部分に名前だけ登場する責め絵師「大江春泥」は乱歩「陰獣」に登場する人物の名を借りたもので、これは乱歩ファンへのサービスでしょうか。本作同様に嶋田久作が明智を務めた前作『屋根裏の散歩者』のアパートの住人も責め絵を描いていましたが、絵は本物の裸よりも艶かしく、とくに本作における真田広之によって描かれる贋作作りの過程は圧巻と言えるほどの艶かしさ。真田は前作の三上同様に怪しい色香を発散しており、このシリーズのキャスティングはなかなかに巧いなと思った。一番怪しさ満開なのは最後にちょっとだけ登場する三輪ひとみの小林少年だが。前作のような無駄なエロシーンや怪しい世界観のための過剰な演出が抑えられているのも好印象。 [ビデオ(邦画)] 6点(2009-07-28 14:07:27) |
509. 屋根裏の散歩者(1992)
乱歩のファンで中でも「屋根裏の散歩者」と「人間椅子」を偏愛するうちのヨメさん曰く、乱歩作品の映画はエロいから嫌い、らしい。たしかに本来上記の二作品はエロティックな香りこそ漂うもののエロティックな描写は無い(「人間椅子」はちょっとあるか・・)。怪しい世界を覗く話ではなく、覗き見る行為自体に怪しさがあるのだ。ただ客寄せなどと安易な考えでエロが付け足され描かれているのではなく、やはり乱歩のイメージとしてエロは外せないというのがあるのかもしれない。それにしたってここまで変態が集まるアパートもないだろう。それにエロシーンがなくてもオールセットと独特の光の使い方をする実相寺ワールドはそれだけでじゅうぶん怪しい。結果として原作に付け足された部分は宮崎ますみの部分も含めて全部蛇足に感じてしまう。三上博史がたまに見られるオーバーアクトがなく、怪しい世界に生きる主人公を好演している。あまりにイメージとかけ離れた嶋田久作の明智小五郎も意外に悪くない。 [ビデオ(邦画)] 5点(2009-07-27 16:26:43) |
510. ユメ十夜
10人の監督がまさしく十人十色に漱石「夢十夜」を描く。 ■「第一夜」顔を極端に暗くする一方で空間を目一杯眩しい光で満たす。斜め構図も幻想世界の構築に貢献している。なんてったって先頭バッターですからこれぐらいの突飛さはあってしかるべしなんだけど、世界観の構築だけで終わってるような。 ■「第二夜」市川崑はモダンなモノクロをベースにサイレント、細かいカット、ストップモーション、パートカラーと手が込んでいる。大御所が「一」「二」と続くんだけど、作品は全く大御所っぽくない。何やったって安定感だけはあるんだけど。 ■「第三夜」夢そのものだけでなく、漱石がその夢を書くところを入れることでオムニバスの一編に終わらない一本の作品として成り立たせている。この夢は元々清水崇監督と相性ぴったし。 ■「第四夜」えらいドラマチック。長く感じた。 ■「第五夜」スプラッターアクションだ。一番強烈な印象を残す。 ■「第六夜」みんな自分流に好き勝手にアレンジしまくってんだけど、ぶっ飛び具合が最も激しいのがコレ。だけど内容は最も忠実だったりする。ワロター! ■「第七夜」アーティスティックなアニメーション。このアーティスティックな部分が鼻につくかつかないかで好みが割れそう。 ■「第八夜」なっ、なんのこっちゃ!こんな話あったか?どえらく改変されてんだろうな。原作読み直したくなってきた。 ■「第九夜」前が前だけにものすごくふつう。ふつうなんだけどなんかやってくれそうなオーラが緒川たまきから発散されている。そこがミステリアス。 ■「第十夜」最後にこれかよ!くだらん!マンガチックにアレンジは全然かまわないがオフザケが過ぎる。 ◆<総評> 監督の順番変えて欲しい。 でもまあ、個性的な監督が一同に介する企画ものは好きです。甘甘の6点。 [DVD(邦画)] 6点(2009-07-24 19:33:54) |
511. 坊っちゃん(1977)
アップ多用なんだけどマンガチックとも言えるキャラクターの魅力こそがキーとなる本作にあっては成功法と言えるかもしれない。「赤シャツ」と「野だいこ」はあまりにハマリすぎ。というか松坂慶子=「マドンナ」にも言えるんだけど、キャラクターと役者の一致はもしかしてこの作品を昔テレビで見たのが印象として残っているだけかも。と、思ってしまうほどにキャスティングは「鉄板」だと思う。松山弁って言うのかな?「ぞなもし」っての。いなかっぺ大将のにゃんこ先生の使ってた方言といっしょですかね。いいなあ。とくに女の人が言うと。でも「ぞなもし」が語尾についてるだけで標準語イントネーションなんだけど、実際はどうなんでしょ。オーソドックスながら原作のユーモア性をよりクローズアップさせた楽しい作品でした。 [ビデオ(邦画)] 6点(2009-07-23 13:16:29) |
512. それから(1985)
藤谷美和子は一番良いときの藤谷美和子で演技じたいは下手っぴなんだけど雰囲気があっていい。小林薫は一生懸命に嫌な男を演じていることが前面に出すぎている。あのロボットみたいなわざとらしい動きはどうにかならんか。松田優作は原作とはイメージがずいぶん違うが作品の世界には合っている。役柄上のおさえた演技も藤谷美和子同様にいい雰囲気を出している。社会の常識だとか倫理といった社会通念から外れることの弊害があっても自分の心に正直に生きようとする主人公に私自身を見る、なんて言うとかっこつけすぎですが、原作は漱石の小説の中で最も大好きな小説です。原作ではその社会通念に押しつぶされようとする圧巻のラストシーンが市電を舞台としていたので、この映画で途中に挟まれる市電内の奇妙な描写はてっきりラストシーンへ向けた伏線とばかり思っていたのですが、そうではなかったことがちょっと残念。「自分に正直に生きる」ことよりも「激しくもしとやかな恋愛」がメインに描かれているような気もするが映画としては正解かもしれない。 [ビデオ(邦画)] 6点(2009-07-22 14:42:01) |
513. こころ(1955)
原作に関して同性愛小説ととらえる向きが(とくに海外で)あるらしいのですが、私自身が読んだかぎりでは全く感ずるところはなかったのですが映像にしてみるとなるほど、たしかにそんな解釈もありだなと思った。主人公と先生の出会いのシーンが最も顕著で、半裸の男が映し出されるというだけでなんとなくそんな空気を感じてしまった。しかしどうもたんに映像の力だけではなく、この映画自体がそっちの思考で作られているっぽいような気もする。先生の回想シーンでも先生と友人の関係は同性愛的描写はなくとも男同士の友情とは一線を画した何かを感じずにはおれない。作品に漂う鬱屈した空気はまるで本人が自分の中に目覚めた気持ちに気付いていないゆえの息苦しさのようだ。最初、原作にはないラストシーンは蛇足にしか思えなかったのだが、同性愛的なものが心の奥底にあったのなら何にも置いて一人蚊帳の外であった妻を最後に登場させたこのラストシーンはなかなかキョーレツな味わいを持っているではないか。ううむ、新藤兼人版も見てみたい。 [DVD(邦画)] 6点(2009-07-21 17:09:40) |
514. クジラの島の少女
《ネタバレ》 何人かの方が触れられていますが、私も『風の谷のナウシカ』を想起しました。伝説の再現という現象もさることながら画的にもそっくり。・・・伝統を守り続けるということは伝統を継承するということであり、伝統とは生活、習慣、行事、全てに伝統はあるわけで、族長は男でなければならないというのはその一部にすぎない。それでもそこに拘る族長はえらく保守的とも思えるが、必要以上に保守的にさせているのが欧米生活の急激な進出とその合理性が持つ力への警戒心なのだろう。男尊女卑的にも見える慣わしではあるが族長自身の孫にあたる主人公の少女に対する愛情の深さはそんじょそこらのおじいちゃんには負けない。この二人の関係が目立たず、しかししっかりと描かれているから少女がおじいちゃんの意思を継ぎたいと思い、無理を承知で懸命に族長を目指す展開に信憑性を持たせている。同時に作品の持つ小難しいメッセージ性よりも癒し系の色合いを濃くしていて好感が持てる。クライマックスのいわゆるナウシカなファンタジーは先進文明下では起こりえない現象としてアリだと思うし、美しい画づらともども感動的でもあったのだが、その後が駆け足にすぎる。ラストの画が映るまでに病院シーンのしんみりした余韻をもう少し味わいたかった。 [DVD(字幕)] 6点(2009-07-17 17:27:44) |
515. 神経衰弱ぎりぎりの女たち
吹き替えアフレコの声によってすでに家を出てしまった男との擬似掛け合いをしながら気持ちの高ぶりを抑えきれなくなる女。あるいはテレビから流れるその吹き替えられた声に正気を取り戻した元愛人。映画、演劇を作品内に潜り込ませるというアルモドバル的展開はこの初期作品でも存分に取り入れられている。現実と虚構の倒錯をコミカルに味付けしてゆく。男の身勝手さによって神経衰弱となり復讐心にとりつかれた元愛人の姿に自分を見る。そこから男に依存しない自分を見出してゆく。ドタバタ喜劇の様相のなかにはっきりと「女の自立」が描かれるのもまたアルモドバル映画の真髄と言えよう。ただこのドタバタの部分が人間関係のこんがらがり具合も相まって、頭の中で整理しながら見なくてはいけない(それほど大層なことでもないが)のに、意外とドタバタが本筋とかけ離れすぎているような気がする。 [DVD(字幕)] 6点(2009-07-16 10:59:48) |
516. プレイス・イン・ザ・ハート
《ネタバレ》 突然の不幸によって路頭に迷う子持ち女が断固として譲れないのが家を売ること。まるで『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのように家と土地に執着を見せる。そういえば舞台も同じ南部だ。これが南部の女なのか。とにかくなんのアテもない絶体絶命の状況をこの南部魂としか言いようのない根拠なき自信をもって乗り越えようとする。そこにおよそこの南部では助けにもならない黒人と障害者が女の南部魂に感化されてか、手に手をとってなんとか乗り越えてみせるのである。大恐慌の時代、南部における黒人、そして障害者、はたまたハリケーン襲来という困難等々と、あまりに揃いすぎの感は拭えず、また予定調和にも過ぎる気がしないでもないのだが、ラストシーンの寓話的な描写によって映画全体が理想郷だったのではと思えて、そうなるとかえって、これは現実ではないよ、現実はこんなに甘くないよと言われているような苦味を感じたりもする。広大な綿畑での作業風景が素晴らしく、朝昼夕の光、そして電灯の下と光への細やかな配慮が効いている。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2009-07-15 14:25:19) |
517. スラムドッグ$ミリオネア
ダニー・ボイルはデビュー作『シャロウ・グレイブ』から一貫してスタイリッシュな映像の中に風刺を色濃く潜ませてきた。その風刺の矛先はいつも人間のエゴである。娯楽と割り切ったような『28日後...』ですらそこは変わらない。エゴへの風刺がそのまま娯楽へと転化されるストーリーだといいのだが、むりやりにエゴへの風刺を入れた『28日後...』には不満が残る。もっと単純に行こうよと。小難しい風刺劇なんていらんよと。そしてこの作品だが、見るまでもなく物語の背景には「貧困」があり、当然そこには人間のエゴが浮き彫りにされているはずである。そう。ムリヤリ入れる必要がないのだ。そのことで実に活き活きとした作品に仕上がった。ダニー・ボイルのスタイリッシュな映像が少年時代の波乱に富んだ人生をリズミカルに見せてゆくことに貢献する。重くなりそうなシーンの連続もスリリングな逃亡と同化することで重さを軽減する。疾走する列車の屋根に立つ少年をとらえた画がそのバックに映される広大な空とともにものすごく印象に残っている。現代のシーンだけで構成される後半からクライマックスにかけてがやや停滞ぎみだが、最後のダンスで盛り返す。インド映画に欠かせないダンスで締めるのは、世界一映画が多く作られ世界一映画が多く楽しまれるインド映画界に対する敬意の印なんだと思う。 [映画館(字幕)] 7点(2009-07-14 11:28:37) |
518. アメリカン・ビューティー
《ネタバレ》 始まってしばらくして不穏な空気を感じた。不穏な空気の原因が最初はわからなかったのだが、両端に夫婦、真ん中に娘が座るダイニングテーブルのシンメトリーな構図を見て確信した。異様なほどの画面の美しさとあまりに完璧すぎてかえって不自然な構図こそが私が感じた不穏な空気の正体であった。これはドライヤーの『ガートルード(ゲアトルーズ)』で感じたものと同種のものだ。ただこの作品はその部分をコメディで濁している。なぜ濁すのか。そこが重要だからだろう。物質主義に彩られカタチだけは立派な家庭の内情はドラッグ、ゲイ、DV、リストラ、不倫等々の諸問題を抱えていた。アメリカンビューティという名のバラの美しい花弁がトゲを覆い隠しているように。人にどう思われるかが重要である登場人物たちは肉体改造に勤しみ、新しいマイホームだけに注力し、整形手術を夢見る。隣人はゲイであることを隠し、娘の友人は遊び人を装う。娘はありのままを盗み見られることで本当の自分を見出してゆく。ラストにはそれぞれの皮が剥ぎ取られてゆき、同時にその副作用が容赦なく飛び込んでくる。そこには大団円的心地よさと何かが終わりを告げたときの寂しさが同居する。つまり素晴らしい終焉があった。 [DVD(字幕)] 7点(2009-07-13 14:34:01)(良:2票) |
519. スコーピオン
カジノで派手に強盗。その金を巡ってのあれやこれ。大好物の展開である。冒頭のCGアニメによるサソリのバトルからも想像できるようにカート・ラッセルとケビン・コスナーのワル二人の対決がメインとなっている。はずなのだが、子持ち女が絡んできたせいでカート・ラッセルが主人公でその敵役がケビン・コスナーという構図で展開される。ところがケビン・コスナーを単なるワルにはできない何かがあるのか、プレスリーの隠し子であるという素晴らしくも馬鹿げた可能性に真実味を持たせて、冷酷非道な悪党に映画の主人公が持つべく哀愁を漂わせてしまうから困ったことになる。敵キャラが主役を食うのは全然オッケーでむしろ大歓迎なのだが、そうじゃなくてこの映画の中の極めて重要なモチーフである「エルビス・プレスリー」を全て敵方のケビンにだけ与えているところに問題がある。だからといって先に書いたように主役はあくまでカート・ラッセルってところがこの映画のどっちつかずな中途半端さを生んでいる。だいたい二人ともむちゃくちゃやってるようで時々人並みの感情を見せたりするからますます中途半端に感じてしまう。エンドロールはサイコーである。 [DVD(字幕)] 5点(2009-07-10 17:52:52) |
520. スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい
《ネタバレ》 けっこう面白かったス。出てくる人間、どいつもこいつも主役になれそう、というか誰が主役かわからんのは確信犯か。誰もが映画の中で我を張りながら殺される駒としての可能性を秘めているのがこの映画の面白いところであり怖いところである。映画はそのことをまずベン・アフレックを使って宣言するのだ。あとはかっこいい女二人組に感情を移入させようが、非情な殺し屋が最後まで残るというお約束を信じようが、いやいやFBIもなかなか見せてくれるような展開だとか思ってみたところで、どこか疑わしくもあり、そしてやっぱり微妙に裏切ってくれるのである。漫画チックにすら見えるかっこいい構図も荒唐無稽なストーリーによく合っている。惜しむらくは狙われているご本人が影が薄く作品内の駒として一人だけ蚊帳の外にいること。それとオチ。カラクリはまあアレでよいとしてもダラダラと描きすぎ。 [DVD(字幕)] 6点(2009-07-09 14:23:30)(良:2票) |