41. ネズラ1964
ネタバレ ガメラシリーズの前に大映が企画した特撮映画「大群獣ネズラ」が、制作途上で悲惨な状態に陥って断念する過程を描いたドラマである。劇中映画会社は「太映(たいえい)株式会社」という名前で、登場人物も実際の関係者を想定していたらしい。気色悪い助監督は後のガメラシリーズを担った湯浅監督に相当するとのことだった。 ネズミが多数出演するが、尻尾が長いので愛玩用ドブネズミの「ファンシーラット」というものと思われる。全部に名前がついていたようで、どこからかペットを借りて集めたと想像される。 ジャンルとしてはドラマだが、劇中映画の特撮映像が入るので特撮映画としての性質もある。ミニチュアの中に本物のネズミを置くだけだが、逃げる人とネズミを合成した映像などはなかなかうまくできていた。ネズミに襲われた電車の中に人影が見えたのはガメラシリーズの例に倣った趣向と思われる。また背景音楽は、TV番組「ウルトラQ」や東宝の変身人間シリーズ(電送人間、ガス人間第一号といったもの)をイメージさせた。 ドラマとしては特にどうということもなく粗筋通りに終わりになるが、途中の経過は実際の出来事をかなり反映させていたようで、最後はこの経験をガメラシリーズにつなぐ形で未来の希望を持たせていた。「回転ジェット」の発想の原点がネズミ花火との説も本当にあるらしい。 なお終盤に再登場した抗議団体のリーダーも、苦情とは別に映画会社を励ます言葉をわざわざ述べていたので、その後はガメラシリーズのファンになったかも知れない。 基本は真面目な映画だが、明らかにふざけているのがテーマ曲である。マッハ文朱氏が歌う主題歌「ネズラマーチ」は昭和のガメラマーチ風、またエンディングテーマ「大群獣ネズラ」は戦隊シリーズやメタルヒーローを意識したもので、迷惑な害獣をヒーロー扱いした歌詞なのが笑わせる。「小さな命」という言葉(「電子戦隊デンジマン」テーマより)をネズミに転用したのは上手い。 キャストは昭和・平成ガメラなど特撮の出演者が何人か出ているが、個人的には若手女優役の小野ひまわりという人が、「小さき勇者たち ガメラ」(2006)の「赤い石を運ぶ少女」役だったのは感激した。また造形作家役がガメラ第1作の少年というのも意外だった。 KADOKAWAも企画協力して大映~角川を中心にしながらも、東宝・東映系も含めた特撮全般に向けた愛が溢れていて、その筋の人間としては嫌いになれない映画だった。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-01-11 13:24:47) |
42. 大怪獣グラガイン
ネタバレ 監督が大学3年の時に撮った自主製作映画だが、全体構成が面白いことと特撮を頑張っていること、及び怪獣映画への愛が感じられたことで悪くないと思った。こんな素人映画が現在まで残ってAmazonプライムビデオで公開されているのもわからなくはない。 ドラマ部分の撮影場所は、博多のカメラ専門店や九州大学が出ていたので福岡市ということになる。劇中の「神ヶ崎市」は製鉄都市とのことで北九州市、大学のある「岩城市」が福岡市に相当するらしい。なお九州大学には工学部と別に芸術工学部というのがあるそうで、なかなかユニークな人材を育成しているようである。 内容としては、ゴジラ型怪獣の襲来から後日談に至る一連の出来事が、レベルに差のある2系統で表現されている。 ①劇中の大学生が学園祭用に制作したフィルム おふざけレベルの演技と特撮(ミニチュア+パペット)、ただし怪獣の動きはけっこう生き物っぽく作ってある。 ②劇中で実際に起きた出来事の描写 普通に素人レベルの演技と頑張った特撮(3DCGなど)、ここはリアルに作ろうとしている。力の入ったビルの倒壊映像と、山中から煙の上がる風景はなかなかいい。怪獣場面はほとんど夜で暗いのでよく見えないが、ディスプレイを明るくするとそれなりにできているのが見える。怪獣の足音とともに車を揺らしていたのもちゃんとできている。 全体構成としては導入部が前記①、本編が②、エンディングがまた①となって、なるほどそういうことだったかという感慨を残す。ドラマ的には、大学生4人は故郷の街(福岡市に相当)を守るために実際やれそうな範囲で奮闘したが、その功績が世間に知られることはなく、せめて①により記録に残した形になっている。怪獣対策の実行役ではなくカメラ担当の記録係を主人公にしたのは、怪獣よりも映像制作の方が重要テーマだったことの表れに思われる。 その他、映像に出た国土地理院の地図はなぜか高知県安芸市の山間部だったが(何で?)、ここはせっかくなので犬鳴トンネル(名所!)の辺の地図を使えなかったか。また夜の車中で、怪獣の足音が迫っているのにバカ話をしているのは本当にバカかと思ったが、これは恐怖を紛らわすためにあえてやっていたらしいことが結果的にわかった。好意的に読み取ってやろうとすることが大事だ。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-01-11 13:24:46)(良:1票) |
43. 銀座カンカン娘
ネタバレ 戦後4年目の映画だが、すでに多くの人々が普通に市民生活をして夜の銀座も栄えている。ただし戦災孤児や生活苦の話も一応あり、そもそも家族構成にも戦争の影響が見えていたかも知れない。カンカン娘というのがどういう意味か説明はなかったが、当時多かったパンパンガールに対する感情を表現したらしい場面はあり、台詞でも「カンカン」「パンパン」の対比がなされていた。 内容としては歌謡映画ということで、ノリのいい題名の歌を聞かせるほかにミュージカル風の場面もあり、正規の合唱曲が出る場面もあったりして各種の歌が入っている。歌以外では著名な落語の師匠が出演して、終幕部分を落語で締めたのは意味がよくわからなかったが、これは現代歌謡+伝統芸能(+映画も?)のコラボレーションによる総合娯楽映画だったのかと結果的に思った。 コメディなので笑わせる場面が多く、大男が日本家屋に入ると物が落ちたり倒れたりする趣向がやたらしつこいので笑った。また女児の言動がユーモラスで「たびたびすみませんねえ」は大笑いした。ポチが「腐ったような犬」というのもひどい言い草だが、映画に出るくらいなので賢い犬と思われる。このポチも雰囲気を和ませる重要キャラクターだった。 物語の面では、主人公が「流し」の経験により芸術に対する考え方を変えていて、これは映画会社が違うが2年後の「カルメン故郷に帰る」(1951)に通じるものがある気もする。また主人公の相手の男が、喧嘩でわざとやられていたのは戦後らしい非暴力の訴えのようでもあるが、ただし一度は強いところも見せていたので、守るべきものを守るために躊躇はないということらしい。 全体的には、これから希望の未来があるとまではいえなくても、前向きにやっていればそれなりに道が開ける、と思わせるような朗らかさのある映画だった。 その他に関して、主人公宅の周辺は畑や林や野道があって一体どこなのかと思う。少し歩けば町らしくなるので東京の周縁部だろうが、これは制作会社の撮影所付近と考えるのが普通のようで、世田谷区の小田急沿線だと思われているらしい。丘の上から家並みが見えて電車の走る場所は、梅ヶ丘駅近くの羽根木公園(当時の通称・根津山)と推定されているようだった。 またどうでもいいことだが、2階と屋外で歌を交わす場面で出ていた「サンタルチア」の替え歌で「何たることぞ、さらば往かん」という歌詞があったのは、後世のオヤジギャグ「なんたるちあサンタルチア」に先駆けた発想かと思った。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-01-04 16:07:08)(良:1票) |
44. 震える舌
ネタバレ 中野良子さんを憧れのおねえさんと思っていた時期があったので、この映画もいつか見るつもりでいながら見ていなかった。この映画の存在で、破傷風は恐ろしい病気だということを昔から擦り込まれた気がしていたが、映画自体は見ないで思い込んでいただけということである。 原作の後書きによれば作家の実体験をもとにしたそうで、登場人物のうち夫/父親が作家本人に相当することになる。 内容的にはホラーらしいところは何もなく、原作通りの家族闘病記である。公開に当たっての宣伝文句では「監督 野村芳太郎が推理映画から新しい恐怖映画へ挑む!」と書いてあり、今風にいえばミステリーからホラー分野に進出したと宣伝したために、ホラーという見方が変に定着してしまったのかと思った。 幼い子が体験するにはあまりに悲惨な場面が多いが、文章に書かれたことを映像化すればこうなるという範囲であって特に映画的な誇張はない。逆に原作では父親が時々幻覚を見ているような記述があり、これを映像化すれば変に超自然的な印象の映画になっただろうが、映画では疲れた父親が見た夢の範囲に収めてある。 物語の展開もかなり原作に忠実で、「小児科がやったにしてはきれいに切れてる」とか、胃の内容物を吸引しようとして詰まったが何とかしたという細かいことまで拾っている。違う点としては母親の精神的危機が強調されていることと、何とか抑えていた父親が最後に取り乱す場面が入れてあり、これで映画的な盛り上げを図ったようだった。 全体的にテーマ性はあまり目立たないが、この映画としては病気をきっかけにして家族のつながりを再確認したということだと思っておく(子はかすがいという意味か)。夫婦それぞれ死力を尽くして戦ったようでいて、本当に病気と対決したのは娘だったと気付いたのがポイントかも知れない。キワモノのような宣伝をしておいて、実際は極めて真面目な映画だった。 なお原作者としては、1970年段階での破傷風治療の記録になればと思ったそうだが、この映画は10年後のため若干ましに見える。現在は救急医療の体制も含め、当然さらに改善されているはずである。 登場人物では、中野良子さんの真摯で冷静な医師役に見とれていた。また子役の人はスタッフが虐待して泣かせたのではなく、本人が自分のなすべきことをわかってやっていたのだろうから感心させられる。よくあんな声を出せるものだと思うが、子を育てる立場の人々なら聞くに堪えないのではないか。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-12-28 19:30:00) |
45. 君よ憤怒(ふんど)の河を渉れ
ネタバレ 中野良子さんが出ているので10年前に一度見たが、時間が長く荒唐無稽な場面ばかりで何を面白がればいいのか全くわからなかった。今回改めて見ると一応面白くなくもなかったが、決着の付け方があまりにも適当な上に「終わりはない」も意味不明で(また逃げる?)、娯楽映画としてはともかく納得のいく話ではない。 ドラマの面では特に、いきなり射殺していいほどの悪とは何だったのか説明がついていない。製薬業者と医師が結託した悪事は悪魔的だろうが、爆弾テロリストの排除まで悪とするなら同調できない。なお黒幕の政治家は韓国に行くと言っていたが、これは当時の軍事政権との関係を思わせるものがあり、反共ということで筋を通す人物だったかも知れない。共産主義勢力からすれば存在自体が悪となる。 世間で問題視されている点に関しては、 ○変な劇伴音楽は、ロードムービー場面のテーマと思っていればそのうち慣れる。しかし病院で突然また流れ始めたのは完全に意図不明だった。 ○クマは、この程度の出演なら着ぐるみでごまかせると思ったのであれば、当時の感覚としては変でないかも知れない。 ○いきなりの飛行機について、牧場主が「死に向かって飛ぶことが必要な時もある」と言ったのは、本人の年代からして戦時中に飛行兵の経験があったのかと思った。そういう人物がやれと励ますのなら大丈夫かという説得力と、大滝秀治氏の顔の説得力もあり、今回はそれほど変には思わなかった。 なお原作との関係では、次々起こる派手な出来事により主人公の内面が変化し、逃亡者としての覚悟が定まっていく様子が映画では見えなくなっているのが問題かと思った。ちなみに原作のヒグマは物語の行方に関わる重要キャラクターとして登場する。また映画では、わかりやすい悪として右翼の政治家を出して来たのが安易な印象で、原作本来の業界+官界の悪という社会派的な意図が薄れてしまっている。 登場人物では中野良子さんの、主人公を助けるために騎馬で駆けつけるヒロイン像が格好いい。濡れ場がいいかどうかは別として、「あなたが好きだから」とか父親に抱きつくとかの直情的な場面は好きだ。なお警察を阻止するために肌を露出したのは、原作でヒグマ除けとして言及された風習(ホパラタ)の応用と思われる。 そのほか、牧場のTVの上にクマの木彫りが置いてあったが、北海道ではどこの家にもこれがあるのか。また情の深い街娼の場面は、立川が基地の街だった頃の風情を出していたようだった。点数は、原作を6点として映画は落としておく。 [インターネット(邦画)] 4点(2024-12-28 19:29:58) |
46. 更けるころ
ネタバレ 夜の路傍の喫煙所で展開する若い男女の会話劇である。二人とも最後まで敬語だったが、「おねえさん」は本当に少し年上のような感じで(背も高い)、男の方は年上に対する敬語、おねえさんは他人行儀の敬語と思われる。 おねえさんは、おねえさんらしく各種経験値で男に差をつけていて、認識レベルも男の上を行っていた感じだった。例えば「普通」に関して、男の方は自分の思う普通を普通というだけだったが、おねえさんは世間でいわれる普通が何かわかった上で、あえて既成の普通を否定していたようである。また寂しいと幸せの同居に関しては、特別な誰かがいなくても自分で自分を幸せにできるはず、という助言かと思った。 男は再会を期待していたようだが、おねえさんはこの男から特に得るものはないだろうから特に来る気もないと思われる。男の方は、仮にこれでお別れだとしても今回教えてもらったこともあり、とりあえず「さよならの質」を上げた結果になったはずだ。おねえさんの方も所見を披歴できて悪い気はしなかったのではないか。基本的に人と出会って話すこと自体は悪くない。 そういうことを一応思ったが、監督本人は深読み不要というようなことを書いていたのであまり突っ込んで考えなくていいらしい。ちなみに登場人物は暑いと言っていたが、夏の夜の空気感が映像からは伝わらない気がした。虫の声はしていた。 [付記]どうでもいいことだが、撮影場所でおねえさんが去った方向に本当にコインランドリーがある。リアルな劇中世界だ。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-12-21 09:42:44) |
47. 駆逐艦雪風
ネタバレ 太平洋戦争で多くの海戦に参加しながら大きな損傷もなく、最後まで生き延びた「幸運艦」である駆逐艦雪風を扱っている。最近の映像化では「ゴジラ-1.0」(2023)の終盤で、作戦を指揮した人々が乗っていたのが雪風だった。 艦船や海戦の場面は実写・記録映像・特撮で表現しているが、特徴的なのは当時の海上自衛隊の護衛艦「ゆきかぜ」DD-102が、そのまま駆逐艦雪風役で出演していることである。艦形や兵装は当然違うが全体的な印象としてはあまり違和感がなく、何より2代目の本物が出ているのだから多少変でも大目に見ようという気にさせられる。 ちなみに軍港の場面は実際に「ゆきかぜ」が所属していた横須賀の長浦港のようで、当時あった他の艦艇の姿も見えていた(砲艦役の特務艇「おきちどり」、第1駆潜隊の4隻など)。 基本的には笑って泣かせる娯楽映画であり、あまり本気の戦争映画として見ない方がいいようだった。主人公は烹炊所の主計兵であって勤務の厳しさも表に出ず、そもそも幸運艦なのであまり悲惨な場面もないわけだが、全体の2/3くらいから死人が出始める。 主人公の変な雪風愛には特に共感できないが、映像面でいえば航走中の「ゆきかぜ」が美しく見える場面があってほれぼれさせられた。艦長の妹は「雪風より美人」と言われていたが、人と船を直接比較できないにしても確かにこの映画の「ゆきかぜ」は、20代前半の岩下志麻に劣らない美形といっても変でない。清楚ともいえるが少し凄味がある。 終幕は若干意味不明瞭だったが、例えば去っていく雪風の姿に艦長の妹の面影を重ねていた、というオチだと勝手に思っておく。ここで艦長も笑って見送ってやろうと言っていたので、主人公も素直にその気になったものと思われる。 全体的に演技・演出の面で変なところもあったりしたが、登場人物にはそれほど悪人もおらず、細かいことにこだわらなければ普通に楽しく見ていられる映画だった。 その他雑記として、敵の幸運艦として有名な空母エンタープライズは、その名前が後世の原子力空母や恒星間宇宙船(スタートレック)、スペースシャトル実験機に受け継がれたが、雪風の名前は護衛艦「ゆきかぜ」のほか、地球防衛軍の宇宙駆逐艦(宇宙戦艦ヤマト)その他に採用されている。ラストで雪風の名は永久に消えないと技術士官が言っていたが、少なくとも現時点ではちゃんと記憶されている。 ※追記:今回これを見たあとで発表があったが(12/10)、2025年には新作映画「雪風 YUKIKAZE」が公開されるとのことだった。プロモーションに加担してしまった感じだが一応期待しておく。がんばれ雪風。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-12-14 13:07:19) |
48. 真珠湾攻撃
ネタバレ U-NEXTで81分のを見た。監督の名前は見たことがあるがどういう人物か知らない(関心がない)。ジャンルについては戦争モノとはいえるかも知れないが、ドラマでもドキュメンタリーでもなくプロパガンダに特化した制作物である。 全体構成としては次のようになっている。 ①架空のキャラ2人が出て、ハワイの日系人の過去と現在、当時の米政府の現状認識と対応姿勢を語る。これで約半分。 なおここでのMr. Cは、アンクルサムと同格だが年長で建国以来の付き合いがあり、開戦前に「海の向こうから警告」していたとのことなので、ChurchillのCによりイギリスのことを指していたのかと思っておく。 ②真珠湾攻撃の映像を見せて、「用意周到な準備と米軍の失態」で攻撃が成功したとしている。 ③死者と家族の写真を見せた上で戦死者を追悼する。 ④独裁者・東条英機の欺瞞を暴く。 ⑤民間防衛など戦時体制の整備について説明している。 ⑥戦死者墓地に時代の違う戦死者2人が出て、アメリカの来し方行く末を語る。 このうち①では日本人移民がハワイの経済発展に貢献したことを説明し、なるほど向こうではこのように認識されていたのかと思わされる。また②では実写と再現フィルムと特撮を使って真珠湾攻撃を再現し、戦艦のミニチュアを爆発させたりもしている。 日本人が違和感を覚える点としては、①で既にプロパガンダ要素が入り込んでいる。ほか特に④で個人名を挙げて貶めるとか、いわゆる大本営発表でもない単なる誤認をいちいちファクトチェックして嘲笑してみせるなどはいかにもガキっぽい。これで喜ぶ連中の程度が知れると逆に見下すのが正しいようだが、この手のネガキャンは最近の選挙でも盛んなようでこういう国民性なのかも知れない。今回これを見て、同時期の「ハワイ・マレー沖海戦」(1942)がいかに品格のある映画だったか改めて認識させられた。 また最後の⑥では、当時の連合国の体制を基盤にして世界平和を目指すという戦後ビジョンを示していたようだが、理性・良識・礼節・信頼・友愛・宗教?などと綺麗事を並べてみせる偽善ぶりには寒気がする。年長の心霊が言ったようにアメリカの戦争が終わることはなく、ここの墓地が拡張されなくても他国で死人の山ができることになる。 なお点数の付け方は迷ったが、戦時宣伝フィルムに映画として付ける点はないという理屈で0にする。ついでに罵詈雑言としてルーズベルトはウンコタレと書いておく(少し控え目)。 [インターネット(字幕)] 0点(2024-12-07 09:03:37) |
49. 太平洋戦争 謎の戦艦陸奥
ネタバレ 先月たまたま横須賀に行った際、JR横須賀駅前の公園に陸奥主砲の砲身と砲弾が保存してあるのを見かけたので、その関係でこの映画も見た。陸奥が横須賀海軍工廠で建造された縁で置いてあるのかも知れない。 陸奥が爆沈した原因としては、火薬の自然発火や人為的なものなど諸説あったらしいが確定したものはない。この映画では最初に「総て創作されたもの」と出るので全部適当に作った話と思えばいいわけだが、現実にこういう事件は乗員の不祥事とされる事例が結構あるので、この映画でも最初からそういうことを匂わせている。 それとは別に、敵対勢力の破壊工作という説が製作の少し前に出ていたためか、この映画も基本はスパイ物のサスペンスということにして、そこに副長とマダムの色恋をからめた形に作ってある。そのせいで、あまり戦争映画として期待しない方がいい映画ができている。 事実と違う点としては特に、ミッドウェー海戦後に内地に留め置かれたのは陸奥ではなく、同型艦の長門の方だったらしい。そもそも当時の国民にとって帝国海軍の象徴は長門・陸奥のペアだろうが、陸奥を主役にした映画としての都合上、長門はいないことにしたようだった。 なお爆沈直前に飛行予科練習生の団体が乗って来たのは事実だったらしい。 社会的主張としては何かいいたいことがあったか不明だが、副長の伯父の「平和のための戦争はありえない」という戦後っぽい台詞が目立つので、これが観客向けメッセージのように取れる。 一方で、この伯父に反発していた副長の考え方は本人の行動に表れていたように見える。水兵同士の喧嘩はいわば制御された暴力によって和解に導き、また赤城で兄が死んだ男やマダムに対しては、他者の立場への共感を促すことで対立を回避しようとしていた。伯父のような観念論でなく、和戦両様の現実的な解決を目指すのが副長の立場だったとすれば、個人的にはそっちの方に共感する。こういうまともな人間から死んでいくのが理不尽という皮肉か。 ほか人物として、軍法会議にかけられそうな男の妹は清楚で感じのいい人だった。他の関係者は最後に全員死亡して真相不明になっていたが、この人はさすがに無事だったろうから、今後は変な思想に関わることなく幸せに生きてもらいたい。ハッピーエンドになりえない映画のせめてもの希望ということで。 [DVD(邦画)] 5点(2024-11-30 13:06:49) |
50. 日本海大海戦 海ゆかば
ネタバレ 先月たまたま横須賀に行った関係で初めて見た。 序盤からいきなり心中未遂が出るので呆れるが、乗艦後も水兵の男色嗜好とか喧嘩沙汰とか艦内いじめなど、専ら卑俗な話題を扱っている。また自殺者を非国民と罵る民衆など、太平洋戦争ネタの反戦映画を日露戦争の場にまで持ち込んだようで、戦いたがるのは男だけ、というかのような表現もあった。海戦本番になれば敵より味方がやられる場面が中心になり、輝かしい戦果に隠れた部分を露わにする、いわば「裏・日本海大海戦」の風情を出している。東宝の「(表・)日本海大海戦」(1969)と補完関係のようだが、だからいいとは特別思わない。 また軍楽隊員を主人公にしたのは特徴的だが必然性は感じない。一曲終わるまでは切らない方針だったのか、一場面がやたらに長いところがある。決戦前夜にそんな里心のつきそうな曲はやらないだろうとか、海戦の最中にラッパを持ち出すなど荒唐無稽な場面も多い。テーマとしては音楽の持つ力とか、芸術と軍事は相容れない?といったことを表現していたかも知れないが不明瞭であり、結局は見どころ多数を用意して、世相にも媚びた娯楽映画で終わったようだった。こういうのが東映映画なのか。 なお最後は、題名が「海ゆかば」という割に主人公が水漬く屍になるわけでもなく、佐世保に帰ればまた痴話喧嘩が再発すると思われる。次の危機は同年9月の爆沈事故だ。 個別場面に関する苦情として、自殺者が運ばれる時に軍楽隊が演奏していたが、何で軍楽隊がここにいるのか、突然呼ばれた遺族には唐突でわけがわからないのではないか。またここでの2曲目は、どちらかというと主人公の恋人とされる人物に向けた曲ではなかったかと思うが、そうだとすれば死者と遺族に対し非礼であり、またそもそも恋人本人がこの曲を知っていたかどうかも怪しい。観客を泣かせさえすれば登場人物の都合はどうでもいいかのようで、泣けるはずの場面が全く泣けなかった。 以下は少しよかった点 ・兵員中心の映画なので艦内の様子が見える。戦闘開始前にこなすべき作業を「軍艦行進曲」の演奏に乗せて紹介していた。 ・出撃前の訓示の時に艦が揺れていたようで、艦長が少しよろめいて踏ん張っていたのは芸が細かい。訓示が終始方言風でユーモラスだった。 ・艦首の紋章が菊なら味方、そうでないのは敵という対比はわかりやすい。敵は悪の帝国のような紋章がついていた。 [インターネット(邦画)] 4点(2024-11-30 13:06:47) |
51. 日本海大海戦
ネタバレ 先月たまたま横須賀に行った関係で改めて見た。 最初に見たのがいつか不明だが、閉塞作戦で「廣瀬中佐」のメロディが流れるとか、「おいどんに惚れちょるからな」など憶えていることが多い。東郷=三船は当然として、上村中将が藤田進、乃木大将が笠智衆というイメージも個人的には定着していて、この映画からかなり擦り込まれたものがあったらしい。 内容的には「運のいい男」から始まり、ツアイスZeissとか下瀬火薬など関連要素が漏れなく盛り込まれ、日本海海戦に関する標準仕様の物語ができた印象がある。ただ自分に関していえば史実より先に、この映画の流れを標準仕様と思い込んでいたようでもあり、製作協力の「三笠保存会」の影響も大きかったかも知れない。ちなみに「坂の上の雲」「海の史劇」もその後に読んだ。 戦後の日本社会では、戦前日本を問答無用で貶める風潮があって辟易させられたが(今もあるが)、この頃はまだ自国の歴史を肯定的に捉える気分が残っていたようで、ナレーションの「わが連合艦隊」という言葉が心地いい。戦争の悲劇の面に関して、主に陸軍の方に振っていたのは全体構成として妥当と思われる。 一方で、敵に対する敬意や人としての尊重、また必ず生きて帰るという広瀬少佐の決意などは現代でも受け取りやすい要素と思われる。兵が無駄に死んだと思えば責任者宅が襲われるのは乃木大将や小村外相の件でもあったことだが、こういう慣行?は国民感情の表現として有意義だったのではと思う。 物語の流れとして、当初は日露戦争の全体像を扱ったようにも見えていたが、日本海海戦の映画であるから奉天会戦や講和交渉などは省略し、最後は東郷元帥の人格を讃えて締めている。この後も第一次大戦や国際連盟などいろいろ経過があったわけだが、この映画としてはアメリカの脅威を指摘した上で「勝ったことを恐れる」と述べ、太平洋戦争の敗北に直接つないだ形に見えた。 そういう後の心配は別にして、この海戦がほぼ完勝だったのは変えようのない事実であり、安心して見ていられる映画ではあった。何かと古風な印象もあるが明治時代の話なのでまあいいことにしておく。 以下個別事項 ・艦船映像はさすが円谷特撮と思わせる。戦艦や装甲巡洋艦といった主な軍艦以外に、駆逐艦が魚雷を発射する大型模型もあって目を引いた。「東郷ターン」のあと、遠方に縦列の敵艦隊、手前に舷側が見える状態で、海面に水柱が上がり始めたのはこの海戦らしい映像だった。 ・上村中将は情けない姿を見せていたが、同様に東郷大将が取り乱す場面もあり、将たる者が背負うものの重さが表現されている。菓子屋のエピソードは印象的だった。奥様も立派な人だ。 ・宮古島の「久松五勇士」の話は当時どれだけ知られていたものか。舟の名前が「尖閣丸」だったのはどこかに喧嘩を売るつもりかと思ったが、この映画の頃はまだ難癖つけられていなかったので、単に昔から尖閣周辺が漁場だったからというだけかも知れない。 ・島根県に流れ着いた死者に関して「縁があったから来た」という発想はよかった。 ・敵艦隊について「大艦隊の航海記録としては歴史に残る」と自分でいえば自画自賛のようだが、海戦後に東郷大将が賞讃したように実際そうだと思われる。途中で結構死人も出ていたらしく、苦労して来たのにいきなり撃滅されてはたまらない。御苦労様というしかない。 ・敵艦の渾名(コードネーム?)のうち個人的には「ゴミ取り権助」が気に入っているが、実物が映像に出て来ないのは残念だ。その代わり、艦名のもとになったモスクワ大公ドミトリーの歴史映画を本国に作ってもらいたいと期待している。向こうではモンゴル勢力を負かした英雄だが、日本は簡単にやられたりしない。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-11-30 13:06:46) |
52. ミテハイケナイ都市伝説 ~闇に葬り去られた人間失格者達~<OV>
ネタバレ 10話オムニバスである。題名からして安手ホラーの印象だが、脚本・監督が「口裂け女2」(2008)と同じなので若干期待される。 【オープニング】 暗いので見えない。 【1 廃人生活】 こういう洒落にならないのは見たくない。 【2 撮ってはいけない写真】 特に面白くない。ボルトカッター(ボルトクリッパ、東邦工機製)で何をどこまで切れるか試している。 【3 殺人マニア】 意味不明だが、富士の樹海などには他殺体も多いと言われていることが背景になっているのか。 【4 占いの村探し】 占い師が日本に何人いるかというのはフェルミ推定の問題のようだが、これは「占い師を占う場所」の需要がどれだけあるかということにつながるのかも知れない。最後が突然終わるが続きは8話で語られる。 ちなみになぜか山梨県にある実在の村の名前が出ていたが、こんな話ではロケ地PRになりそうもない。2013年製作なので、2019年の「山梨キャンプ場女児失踪事件」とは関係ないと思われる。 【5 終電後の帰り道】 単純ヒトコワ、特に裏はなさそうに見える。東京は夜も明るい。 【6 新しいヴォーカル】 これも単純な話だろうが最後のぶった切り方は悪くない。POVで音楽業界の現場感を出しているとはいえる。 【7 生まれつき見えている人】 脚のきれいな生保レディが、個人宅に呼ばれて危ないことになるかと心配したが話の通じる相手で安心した。相手のドライな割切りがいい。 【8 ウィルス女】 特に面白くない。4話の後日談が入っていて、山梨県に行った記者がけっこう誠実な男だったらしいことがわかった。 【9 かごめかごめ】 まだ有名でなかった頃の趣里が、祖母を気遣う感心な女子高生役をやっている。意味不明だが題名からすると、祖母は行方不明の児童を自宅に囲い込んでいたということか。まさか祖母または孫が殺害したのではないだろうと思っておく。 【10 ありふれた嫉妬】 屋上の場面で見ると黒い女も主人公と同じ52番だったようだが、顔つきの違いが激しすぎて素直に同じ人物とは受け取れない。 全体的にヒトコワ系が多いが心霊系もある。題名通りの都市伝説というよりも、都市伝説に発展する前の元ネタのレベルに見える。全体として面白くはなく、話の仕掛けが受け取りにくいところもあるが雰囲気としては嫌いでない。 [DVD(邦画)] 4点(2024-11-23 19:11:47) |
53. はちみつレモネード
ネタバレ 何が起こるかと心配しながら見ていたが、結果としては変に刺激的なところもなく穏やかに展開し、最後は心に染みる(泣かせる)物語ができている。 幼い頃は一対一で母親に向き合っていればよかった娘も、外部の目を気にするようになって母親と溝ができたりもしていたが、それでもレモネードを大事に飲んだのは、根底的なところで母親への思いは変わっていないという意味かも知れない。かつて自分だけが一方的にされていた心配を、母親のために自分がするようになったのは人格的な自立の兆しに思われる。 またエンドクレジットによるとスナックの客2人は娘の友人2人と同じ名字だったようで、つまり主人公が訪ねた生姜の親爺は、人懐こい感じの友人の身内だったのかも知れない。親一人子一人で孤立することもなく、友人を含めて周囲に見守られる環境ができていたようで、その点でもそれほど心配の必要はなかったらしい。 ちなみに個人的な知り合いで、これから一人娘が思春期に入るシングルマザーのことをこの映画で思わされた。これまでは何の疑問もなく母子で密着してきていたが、やがては次第に親離れ子離れが進んでいくことになる。特に義理もないので他人事だが突き放した気分でもいられない。自分も生姜の親爺くらいの立場でありたいとは思った。 出演者に関して、娘の「彩瑛」役の演者(辻千恵)は20代だが、見事に高校生年代の顔になって見える。個人的には夜に母親を迎えた場面のほか、朝に母親を見送る場面の表情が印象的だった。 その他、撮影場所は鳥取県の旧・気高郡気高町である(2004年に鳥取市に編入)。浜村駅や浜村温泉のある場所はもとの気高町の中心街で、映像に出た鍼灸整骨院もスナックもここにある。見えなかったが日本海に近い。なお「カイちゃんスタンプ」とは気高町内の販促スタンプである。 また娘が行った杉谷神社は、温泉街から直線1.5kmくらいなので歩いて行けると思われる(40m程度の尾根を越える)。この神社のある日光地区は名産「日光生姜」の産地とのことで、地形としては南北2kmほどの谷間であり、町に近いが周囲を山で隔てられた小世界になって見える。谷の奥には鷲峰山(921m)が見えていた。また娘が歩いた一本道は、町の方角から谷を横断して神社に至る通り道のようで、このあたりが風景として心に残った。 [インターネット(邦画)] 8点(2024-11-16 09:07:25) |
54. スイング・ステート
ネタバレ まずは題名に目を引かれる。これが映画の名前ということは何か別の意味のある言葉かと思ったら、普通に激戦州のことだったのはかえって意外だった。邦題であえてこの言葉を選んだのは、日本でもアメリカ政治を意識する人々が増えているとの認識と思われる。 映画の中心人物が民主党側で、そもそもアメリカ映画であるからには民主党推しかと思えばそうでもない。都市部の目で農村部を見下すなど、当初はかえって民主党側への皮肉が効いた形かと思ったが、結局は都会の選挙屋などどちらも同類ということになっていた。 物語的には、結末は意外だったが都合良すぎの印象がある。コメディなので笑わされなくはないが、よくあるようにアメリカ人はこれで何が可笑しいのかわからない的なところも多い。ただTV中継の場面で、両候補の選挙屋が境界を越えて揉め出すなどは気心の知れた同士の馴れ合いのようで、いわゆるトムとジェリーが仲よく喧嘩する感じで笑った。また真相がわかってから、敵側の選挙屋が素直に感心していたのはよかった。 社会的な面では、主に「スーパーPAC」でやたらに資金を集めてネガキャンなどに使う問題を扱っていたらしい。また「本当の問題はマスコミが共謀してること」という指摘もされていたが、日本のマスメディアもアメリカに連動しているようなところがあるので関係なくはない。 また地元民の動きに関しては、全国レベルの争いと別に地方独自の課題と解決策がある、という考え方自体は悪くない。しかし善良なはずの住民が、制度の抜け穴を使って選挙屋を騙すのは「一緒に汚くなったら後悔する」という言葉に反しないのかと思った。 なおこの映画は2016年大統領選の結果を受けて製作されたもので、2020年選挙の実態は反映されていないことになる。11/5投開票の2024年選挙はどうなるかと思うが、この映画の時点からもう深刻度が違ってきている気がして笑っていられない。 [雑記1] 序盤で選挙屋がウィキペディアを見ていたが、アメリカでは州ごとに地方制度が違うようで、ウィスコンシンの「町」とは何なのかに関して自分でもウィキペディアで調べたりしたので、選挙屋もそういうことを見ていた可能性がなくはない(好意的に考えれば)。 [雑記2] CNN、Fox News、MSNBCといった実在の放送局が映像に出ていたが、前半に出たNews 3 Nowというのはウィスコンシンにある放送局の番組で、出演したのは当時の本物のキャスターのようだった。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-11-02 20:07:17) |
55. バーバリアンズ セルビアの若きまなざし
ネタバレ 2008年のコソボ共和国独立宣言の時点で、独立された側のセルビア共和国にいた若者を主人公にした映画である。公式サイトのコメントでは、当時「欧米のリベラル派を中心とした文化人によるセルビア人に対するヘイトクライムが確かに存在」し、「セルビアが世界の孤児にされていた」と書いてあるが、この映画自体にそういう説明はないので背景事情ということである。 原題Varvari(Barbarians)に関しては、この映画では地元サッカーチームのサポーターの呼び名がこれだったようで、そうすると主人公を含むこの連中が野蛮人ということになる。一方で冒頭に出ていた文章は、近代の詩人による「野蛮人を待つ」という詩の一部とのことで、これは為政者が外敵の存在に頼って内政を疎かにすることを表現したものらしい。この映画でいえばセルビア政府がコソボ問題により国民の目を内政から逸らそうとしているという意味になるか。 この当時、政府が国民に独立反対デモへの参加を呼びかけたのが事実とすれば、単に国内の不満を逸らすだけでなく普通に対外アピールの意味もあったのではと思うが、それでも結局はサポーター連中が暴動を起こすのと同じ結果になるようだった。主人公の仲間などはデモに参加する気もなくいきなり掠奪を始めていたが、それが当時現地にいた監督の目に見えた実態だったと思っておく。 主人公のドラマとしては、自分が見た限りでは社会がどうこういうより主人公の個人レベルの問題にしか見えない。邦題では「若きまなざし」などと書いて美化しているが、個人的には特に共感できるものはなかった。荒れてますねと言うしかない。 ただ不満のはけ口を方々に求めても徹底せず、解消の手がかりもないのはやはり社会の問題と解すべきか。公式サイトによれば出演者は現地の不良少年から選んだそうだが、主人公役と友人役はこの映画に出た後で映像・演技の道に進んだとのことで、少なくとも配給側としてはそういうことに希望を見出したいようだった。 なお人種差別された黒人選手はわりといい奴だったようで、主人公よりよほど円満な家庭だったらしい。どこの国の出身か不明だが、一応平和で安定的な社会に生まれ育ったようではある。 追記:他のレビューサイトに、主人公の人物像と現実のセルビアに関する非常にいい解釈があってなるほどと思った。人々も国々もVarvariだらけだが、袋叩きにされてもとりあえず前を向いていようという意味だったか。 [DVD(字幕)] 5点(2024-10-19 20:33:04) |
56. コーカサスの虜
ネタバレ 原作は当然読んだことがない。時代設定を第一次チェチェン紛争時に移したとのことだが、撮影場所は主にチェチェン共和国の隣のダゲスタン共和国だそうで、地形や自然環境は似たようなものと思われる。 1990年代のはずだが、捕虜のいた山岳集落はまるきり前近代の暮らしに見える。また近場の町はダゲスタンのデルベントという都市で撮影したとのことで、映画ではそこに軍隊も駐留している想定だったらしい。紛争が起きたとはいえ、それまで同じ体制下でみな普通に暮らしてきていたことから、人の行き来もコミュニケーションにも不便はなく、敵味方の間に明瞭な境界のない微妙な状態のようだった。 ドラマとしては主に、敵味方の観念を越えて人間同士がわかりあえるかの問題かと思った。少女と若い男の交流もあったが、ほか特に親子の情が重く扱われていたように見える。 少女の父親の最後の行動は、若い男の母親の「信じていいですね」への答えだったと思われる。およそ約束というものが全て守られる保証はないにしても、少なくとも双方の切実な利害をかけた約束を守る律儀さはあったようで、特にこの場合は母親と父親の立場でした約束だったために守られたのかも知れない。ただし敵側についた子を射殺する親もいたわけなので、親子の情は同じはずでも敵味方の観念が勝つ場面もあったということらしい。 なお終盤でヘリが飛んで行ったのは、これは反戦映画です!! というお手軽でわかりやすいアピールのようで感心しなかった。しかしやる気のなさそうだった司令官が母親の情にほだされて決意したのだとすれば、母親の情が敵味方の両方を動かしたという皮肉な結末だったとはいえる。 その他、夢に出てくれないというのは面白い発想だが意味不明だった。生きた人間同士であってもいつかまた会えるとは限らないわけで、とにかく本人が憶えていることの方が大事ではないか。年上の男は殺した敵を忘れていたが、若い男は敵味方で人を区別しなかったので、敵味方関係なく憶えていさえすれば、本人が必要とした時に夢に出て来るのではと個人的には思った。 また若い男が少女にくれたモビールはなかなかうまくできていた。少女が窓際に飾ったのを父親も咎めたりはしなかったので、こういうのを愛でる感覚も敵味方を越えていたらしい。 [DVD(字幕)] 6点(2024-10-19 20:33:03) |
57. VIRUS ウィルス:32
ネタバレ 南米ウルグアイ(とアルゼンチン)のホラー映画である。ネコや子どもを残酷な目に遭わせる映画が許せない人は見ない方がいい。 序盤からネコの取扱いがひどいので、これでは一体何をやり出すかわかったものでないと思わされるが、さすがに主人公の娘(8歳)にまでは危害が及ばないだろうと思っているとそのうち安心していられなくなる。エンドロールでは「撮影中に動物を虐待しませんでした」が見当たらなかったのでそもそも気にしていないようでもある。 監督はウルグアイ人で、長編デビュー作「SHOT/ショット」(2010)が評価されて「サイレント・ハウス」(2011米仏)としてリメイクされた実績がある。今回はゾンビホラーとしてのスリリングな展開を目指した形かも知れない。 場所はウルグアイの首都モンテビデオだが、最初と最後に屋外風景が映る以外はほとんど屋内で展開する。舞台になっているのは廃業した大型の屋内総合運動施設(実在したスポーツクラブClub Neptuno、2019営業停止)で、主人公は建物の夜間警備員らしい。施設内の設備やバックヤードを使って場面の変化を出していて、また警備業務ということで監視カメラ映像も活用していた。 ジャンルとしてはゾンビホラーだろうが、実際はゾンビではなく感染した人間である(題名からしてウイルス感染)。人間その他生物への加害直後に32秒間活動停止するのが特徴だが、それほど斬新でもなく単に話を作るための制約というだけに見える。登場人物がこの特性を利用した場面は3か所あり、それぞれ違う目的で使っていた。 個人的にはそれほど面白いとも思わなかったが、一定の娯楽性のある映画ではあった。 個別の点として、まず冒頭からタイトルまでが切れ目なくつながってワンショットに見えるのが目を引く。視点が1階→屋外→2階→屋外と移動していくが、さらに空撮にまでスムーズに移行したのは意外感があった。さすがにどこかで適当に繋いでいるのだろうが、これは上記「SHOT/ショット」以来の監督の個性と思われる。 またエンディングでは「亡き父の思い出に捧ぐ」と書いてあり、こんなホラー映画で故人に喜んでもらえるのかと思ったが、監督としては映画に出る父親(2人のうち主にヒゲオヤジの方?)に実父の人間像を反映させていたのかも知れない(釣りが好きでない、学習したことに忠実など)。やるべきことは断行するができないことはできない、というのも人間性の表現のようだった。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-10-12 13:32:59) |
58. SHOT/ショット
ネタバレ 南米ウルグアイのホラー映画である。映画宣伝では「新たなるP.O.V.の衝撃!」と書いてあるが、劇中人物視点で撮ったという意味のPOVでは必ずしもない。それよりワンシーン・ワンショット(ワンカット)で全編連続の長回しに見えるのが最大の特徴点で、その後にリメイクされて「サイレント・ハウス」(2011米仏)の名前で公開されている。なお原題の「La casa muda」は英題の「The Silent House」と同じ意味だが(単語としてはmuda(mudo)=muteらしい)、邦題のショットというのは映画の撮り方からついた名前ということになる。 ワンショットといっても画面が黒くなる場面で適当に繋いでいた可能性もあるが、確かに終盤まで一連でつながっていたように見える。役者にとっては一幕の舞台劇のようなものかも知れないが、室内だけでなく外で走ったり車に乗ったりするのでカメラは忙しそうだった。鏡に人物を映す場面が多いことや、人物がいったん視界から外れてカメラの後を回って反対側から視界に入る、といった趣向があったのは面白くもなくもない。 話の展開はよくわからなかったが、最後に真相はわかるので途中はどうでもいいかという気もする。完全に幻覚の場面もあったようだが、実際の出来事を変形してみせていたようなところもあり、最後の真相から遡れば大体こういうことかと思わなくもなかった。ホラーとしては家で見た限りそれほど怖くもなかったが、ワンショットの撮影で時間経過とともに主人公の体験を共有しているようで、いわばリアルタイム感という意味で悪くなかったかも知れない。 なお映画冒頭では「実話に基づいたストーリー」と字幕が出ていたが、監督インタビューによると実在の事件ではあるが結果の事実がわかるだけで詳細は発表されておらず、当時の新聞記事も互いに矛盾していたりして真相不明だったため、原語のクレジットでは「実際の出来事にインスピレーションを受けた」(inspirada en hechos reales)と書いたとのことだった。要は映画で文章説明に出ていた程度のことが実話相当の部分であって、真相部分は架空のものだと思っておけばいいらしい。 [DVD(字幕)] 5点(2024-10-12 13:32:54) |
59. ディストピア 灰色の世界
ネタバレ 南米ウルグアイの映画だが、特にウルグアイっぽさを出そうとはしていないらしい。スペイン語は当然わからないがラ・ニーニャはわかった。 内容的には「大惨事」によって人々が色覚を失ってしまい、白黒灰色しか見えなくなった世界の話である。主人公は何らかの理由で色が見えるが、そのほか赤/緑/青限定で一時的に色が見える錠剤があり、これが小道具的に使われている。 そうなった理由についてろくな説明がないのはいいとしても、全体的に何かの総集編かと思うほど情報不足で、登場人物の正体や行動の意味が全く理解できないのは非常に困る。わかったのは男2人が何かの動機で主人公を灯台のある島へ送り届けたことだけで、その他は全くわけのわからない映画だった。 特徴点として、映像的には前半が現地の人々の見るモノクロの世界、途中から主人公の見る総天然色の世界に移行するが、モノクロ部分では誰かが赤/緑/青の錠剤を使った場合にその色だけが見えていた。三原色ならもっと視界全体が赤/緑/青になり、その中で強弱の差が出るだけではと思ったが、緑の場面は樹木の多い山中だったので、赤青の場面より多く緑を見せていたのも納得だった。個人的には序盤で青だけが見える場面がクールに見えた。主人公も目が青かった。 また主人公は目が大きく初期の宮﨑あおい風に見える。鼻を触られて口でポンと音を出すのはこの辺にそういう習慣があるのかわからないが、幼い子と信頼できる大人の関係が見えて和まされる。男2人が父母代わりだったのかも知れない。 全編わけがわからないがいいところもなくはない映画だった。 [以下想像] 主人公が「感染してる」という台詞も意味不明だったが、もしかすると「大惨事」とは世界的な感染症の流行のことであって、それが社会崩壊の原因になり、またワクチンか何かで助かった人々も副反応で色覚を失ったということではないか。主人公は新生児だったのでワクチンか何かを接種されず、そのため色は見えるが感染もしてしまったと取れる。主人公が行った先は例えばもと感染者の隔離場所?で、その後に回復した人々が結果的に色覚を持ったまま暮らしていた??とかかも知れない。 それ以外の世界では、錠剤が利権化しているせいで色覚を取り戻すための試みもなされず、人類は永久に色が見えないままになるということか。そう考えると全体像が少し見えた気はするが、それでも不明な点はまだまだ残る。 [インターネット(字幕)] 4点(2024-09-21 20:40:16) |
60. あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。
ネタバレ 薄っぺらい映画かと思ったらそうでもなくまともに作られている。 そもそも理屈抜きのタイムリープで始まるファンタジー設定であるから、場所設定や戦中描写に現実味があるかなどはそれほど気にならない。原作は中学生を主人公にしたライトノベルなので若い人々が親しめるように書かれていると思われる。 ドラマとしては年少者向けらしい素朴な純愛物語になっている。主演の福原遥という人は、子役時代の「まいんちゃん」というのはリアルタイムでは知らないが、今回見るとなかなか感じのいい人だった。 この映画最大の感動場面は、終盤の「知覧特攻平和会館」を思わせる場所に置かれている(撮影は霞ケ浦の「予科練平和記念館」)。これはストーリーのクライマックスとしてこういう趣向を考えたというよりも、逆に現代の人が知覧に行った経験(=遺影と遺書に泣かされた)をもとにして、そこから遡って物語を作ったという順序かと思った。実際に原作者(鹿児島県出身)もかつて知覧を訪れた影響が大きいと語っている。 人々が平和会館を見学した際には、死者を悼むとともに自分が生きていることに感謝するのが一般的な態度だろうが、さらにこの映画では死者の思いを知るために、時間を遡って当事者に取材して来たかのようでもある。結果として主人公は、男が願った未来としての現在をちゃんと生きるとともに、教師になるという男の夢を受け継いで、自分も未来の世代に貢献しようと決意したようだった。現在から過去を振り返るだけでなく、現在から未来につないでいこうとする映画になっている。 また戦後(前世紀)の常識だと、こういう映画は思想的背景をもって作られるのが普通だと思っていたが、この映画では政治的な色付けがはっきりしないように見える。人が死ぬのに反発するのは主義主張に関わりなく誰でも思う普通のことだが、それで最後に特攻隊は無駄死にだったと貶めて終わらせるわけでもなく、かえってその心を素直に受け取るように努めていた。主人公も最後には、他者のために自分の生命を捨てることもありえなくはない、と思うに至ったらしい。 結果としてこの映画は、左右両極の間にいる多数の人々に向けて、誰もが共通認識として受け取れるように特攻隊を語ろうとしたのかと思った。手紙にあった「人と人が傷つけ合うのではなく、一緒に笑って暮らせる未来を」作るためには、分断と対立ではなく思いを共有できることが大事なのだと思いたい。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-09-21 20:40:14) |