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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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601.  ブラック・レイン
劇中、タイトルである「Black Rain」というキーワードを台詞の中で発する人物が、「若山富三郎」であるということに今回の再鑑賞で初めて気付いて、自分自身がこの名作を“ちゃんと”観られていなかったということと、リドリー・スコットは流石に「わかっている」ということを、思い知った。  今作といえば何と言っても伝説的俳優である松田優作の「遺作」として、彼の鬼気迫るまさに伝説的な演技があまりに強く印象に残る。 そして、亡き高倉健が、日本が誇るスター俳優として、ハリウッドスターのマイケル・ダグラスに対して一歩も引かぬ存在感を“魅せつけた”作品でもある。  とういわけで、日本の映画ファンとしてはどうしても、マイケル・ダグラスとアンディ・ガルシアという両ハリウッドスターに対する、高倉健、松田優作という日本映画史に燦然と残る両名優の存在に目がいきがちである。 しかしながら、 今回改めて観直してみると、前述の大親分役の若山富三郎を筆頭に、警視役の神山繁、用心棒役の安岡力也、その他ヤクザ役の國村隼、内田裕也、ガッツ石松、島木譲二……日本の俳優陣はみな強い個性を放っていて、素晴らしい脇役ぶり、端役ぶりを見せてくれている。 彼らの存在感こそが、外国映画が日本を描く際に生じる“違和感”を最小限に抑え込んでいるとも言えると思う。  はっきり言って得体のしれなかったであろう日本の俳優陣を的確に演出したリドリー・スコット監督は「流石」の一言に尽きるが、この映画の場合、彼らのキャスティングに成功した日本側のエージェントも「最高」の仕事をしたと思えてならない。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2015-10-06 14:52:28)(良:1票)
602.  ドラッグ・ウォー 毒戦
映画ファンとしては恥ずべきことだが、監督作品50本以上という香港の名匠ジョニー・トーの映画世界に触れてまだ日が浅い。 鑑賞数は今作でまだ3作目。実は、まだまだこの監督の世界観の本質が掴みきれていない。 ただ、共通することは、三度とも「この映画は面白いのか?面白くなかったのか?」というとても基本的な鑑賞直後の判別がつかなかったことと、それに伴う“ざわつき”みたいなものが心にジワリと残るという独特な後味だった。 つまるところ、これほどまでに“一筋縄ではいかない”作品を作り続ける映画監督もなかなかいないということだ。  今作も、まさに“独特”。 ストーリーの概要は、“麻薬を取り締まる公安警察と麻薬密売組織との攻防”であり、題材としてはハリウッドをはじめとして世界中で作り続けられている普遍的なものと言えるだろう。 が、描き出す人と、描き出される国が違うとこうも“異質”な映画になるものかと、唖然としてしまうくらいにこの映画のオリジナリティは際立つ。  何と言っても、キャラクター描写が異質だ。 通常の娯楽映画であれば絶対にあるはずの登場人物同士の“関係性”が、意識的に排除されている。 代わりに、個々のキャラクターにおける生々しい人間性が、まさに飾り気のないありのままの姿として強く描き出される。 決して綺麗事ではないその様は、不格好で、愚かしく、汚らしいが、それ故に「人間」を正直に描き出しているとも感じられ、潔い。   前述の通り、鑑賞直後は“どういう映画”を見せられたのか理解が追いつかないくらいに戸惑い、果たして自分はこの映画が面白かったのかどうなのか判別がつかなかった。 そして、一晩よくよく映画世界を振り返ってみて、数々の印象的なシーンがフラッシュバックされると共にようやく確信する。  「ああ、面白かったな」と。  この独特な面白さはまさに麻薬的だ。危険で刺激的な感覚はきっとクセになる。“中毒者”になってしまうのにそう時間はかからないだろう。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-10-06 14:51:39)
603.  恋人までの距離(ディスタンス)
この映画を観た誰しもは、“美しすぎる一夜”は、美しいままの「思い出」にすべきだと、考えることだろう。 この映画の主人公の男女も、ちゃんとした“大人”なので、一時の“甘美”に溺れることなく、「朝」の訪れとともにちゃんと一旦断ち切って、それぞれの旅路に戻っていく……一応は。  そのまま付き合って、結婚しても、きっとこんなにも幸福な夜は二度と味わえないことはきっと二人共分かっている。 それでも「再会」の約束をせずにはとてもいられなかった。 失望することが分かりきっている選択をすることは、愚かなことなのだろう。 けれど、その愚かで、滑稽な様こそが、「恋愛」であり、結局人間にとって、それ以上に優先されるモチベーションなんて有りはしないのだと思える。  僕自身は現在結婚5年目で、まだまだ酸いも甘いも経験値としては序の口程度だろう。 ただ、もしこの映画の二人のような美しすぎる思い出の夜があったとして、その綺麗なままの思い出を、時に辛辣な現実と比較して、ただただ「今」を悲観することほど不幸なことはないと思う。 そんな一夜を過ごせたならば、その思い出を抱えて、二人、たとえ罵り合い続けてでも共に生きたほうが、やっぱり幸せなのではないかと思える。   見知らぬ外国人夫婦の日常的に繰り広げられているのだろう喧嘩がきっかけで、この映画の二人は出会う。 それは、この二人に向けての何かの暗示なのかもしれない。 それでも、冷静を装った“大人”を理由にただ離れることなんて出来ない。 それが恋愛、それが人間、残酷で、だからこそ眩い。   ふいに出会った愛しい人と、夜通しを歩き通したことによる疲労感と多幸感の中でまどろみに沈んでいくラストシーンのヒロイン。 目覚めた時、彼女は何を思い、どういう人生を歩んでいくのか。  20年前の公開時にこの映画を観たならば、この後の彼らの人生に思いを巡らせつつ、気になってやきもきしたことだろう。 それはそれでこの恋愛映画の醍醐味だったことだろうと思う。  しかし、幸か不幸か、2015年のタイミングで今作を初鑑賞した僕は、彼らの人生をあと映画2作品に渡って確認することができる。 “美しくすぎる一夜”の後、残酷な時の流れを経て、一体二人の何が変わり、何が変わらなかったのか。 それを確かめることは、とても恐ろしくもあるが、やはり楽しみでならない。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2015-10-06 14:50:29)
604.  みんなのいえ
お試し契約中の某動画配信サービスのラインナップの中に今作があった。 この映画は劇場公開時に映画館で鑑賞済で、それまでの三谷幸喜作品らしくない間延びした展開が期待にそぐわなくて「失敗作」というレッテルを貼り付けたままになっていた。 普通ならそんな映画を観返そうなんて思わないのだけれど、自分自身がまさに「家」を建てているこのタイミングでは流石に興味を引かれ、再鑑賞に至った。  やはり間延びして、冗長な部分は全編通してあり、決して優れたコメディ映画ではないが、三谷幸喜自身も自分が家を建てた時の経験を元に作った喜劇だけあって、“実情”に迫った可笑しみは散りばめられていたことに改めて気づいた。  一軒家を実際に建てつつ行われた撮影も効果的で、“棟上げ”シーンで登場人物たちが表す高揚感などは、それを目の当たりにしているからこその自然な感情が表れていたと思う。  無知な僕は、自身の地鎮祭での鍬入れ式の際に、他の人が発していた「えい!えい!」という掛け声を半笑いのまますっ飛ばしてしまい、後々後悔する羽目になってしまった。 ああ、あと数ヶ月早くこの映画を再鑑賞していれば良かった。
[映画館(邦画)] 6点(2015-09-27 22:25:09)
605.  FRANK -フランク-(2014)
才能の誕生も精神の喪失も、その発端に必ずしも明確な理由や環境があるわけではないと思う。 誰しも、自分自身の才能に期待し、模索し、絶望した経験が少なからずあるだろう。  凡庸で薄っぺらな主人公が、一人の天才と出会ってしまったことで、求めたもの、失ったもの、そして得られてものはなんだったのだろうか。 凡庸と天才が出会うことで、それまで保たれていた琴線は途切れ、痛々しい悲しみが生まれる。 でも、その痛みと悲しみは、両者にとって必要なことだったのだと思える。  もし出会わなければ、凡庸はいつまでも夢見るだけの愚か者であり続けただろうし、天才もまた安全安心ではあるけれど極めて歪な鳥籠の中で永遠に羽を繕い続けていただろう。 いずれにしても両者はそのうちに破綻し、取り返しの付かない悲劇を生んでいたかもしれない。  最終的に凡庸は、自分の存在の意味と居場所を思い知り、天才の元を去っていく。 その様は非常に物悲しい。 けれど、それは互いにとって本当に必要な物を得られた瞬間だったのではないか。  それは彼らにとって必要な心の旅路だったのだろう。   作中ずうっと奇妙なお面を被り続けて“FRANK”という天才を演じたのは、マイケル・ファスベンダー。 この俳優も風貌に似合わず厳しい役柄ばかりを演じ続けている。 この人もかなりキテいる“役者馬鹿”なんだと思う。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2015-09-25 20:54:01)(良:1票)
606.  テロ,ライブ 《ネタバレ》 
ラジオ番組の生放送を通じて、テロリストの“要求”に対峙する一人のアナウンサーを描いたサスペンス・スリラー。 というイントロダクションの時点で充分に面白味に溢れ、韓国映画ならではの骨太なエンターテイメントを見せてくるのだろうと想定できた。  が、その“想定”は大いに覆された。 この映画のストーリーテリングは、分かりやすいエンターテイメント性を超えて、観る者を“困惑”させてしまうほどのある意味においての“リアリティ”を追求している。 それは、映画という非現実世界を超越して描き出されたこの社会の“本質”だったように思える。  結論から言ってしまえば、この社会は欲と欺瞞に満ち溢れていて、それが巨大になればなるほどまかり通っているという現実を、この映画は突きつけてくる。 世界は嘘で塗り固められていて、大衆はそれを見て見ぬふりをして受け入れてしまっている。 辛辣に描き出される社会の本質、圧倒的な後味の悪さが、新しく、潔い。   やはり、韓国映画は巧い。 冒頭、分かりやすいまでにやさぐれたラジオパーソナリティーとして登場する主人公が、突如自分の目の前で巻き起こった大事件を機に、流れるように野心みなぎるキャスターの姿へと変貌していく。 その描写は、まさに彼の人生における時流の変化が如実に表されていて、巧みに引き込んでくる。  映画世界内の時間と実際の映画の尺をほぼ同調させた“ライブ感”と、それに合わせた登場人物たちの台詞テンポも抜群だった。 そして、ありがちなシチュエーション・スリラーと思わせつつ、ラストで一気に観客を“想定”の外に連れ出してしまう展開は見事だと思う。   午前9時からのラジオ番組をいつものように気だるく進めていた主人公が、たった数時間後に、そういった現実社会に対する“虚無感”に打ちのめされ、文字通りに“凋落”していく。 そのあまりに絶望的な様に、言葉を失ってしまった。  格差社会が生み出した怨恨、権力者たちの傲慢と裏切り、愛する者の死、この映画が描き出す絶望はどれも重い。 ただ個人的には、演出としてはあまりにさりげなく表された“射殺命令をした声の主”に対し最も重い絶望感を覚えた。酷いや……。
[DVD(字幕)] 9点(2015-09-25 20:20:42)(良:1票)
607.  キングスマン
“英国王”もとい“英国紳士”然としたコリン・ファースが、いかにもスパイ映画風の魅力的なギミックを駆使して小悪党どもを小気味よく打ちのめす。 この白眉のアクションシーンをはじめ、映し出される映像の娯楽性は極めて高く、楽しい。  この映画が、マシュー・ボーンという英国出身の新人監督のデビュー作というのであれば、娯楽映画史におけるエポックメイキング的な作品として手放しで評価できたのかもしれない。 しかし、そういうわけにはいかない。マシュー・ボーンという名前はもはや大きくなり過ぎている。 「キック・アス」で大出世を果たし、「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」を成功に導いた今最も最新作が期待される映画監督の一人となった彼の最新作として、「駄作」と言わざるをえない。  ハリウッドの超大作のしがらみに疲れた映画監督が、その鬱憤を晴らすかのように母国で自由に作った“悪ノリ”映画なのだと思う。 “ジョーク”として笑い飛ばす映画なのだろうし、そのブラックでキツいジョークの部分は確かに笑えた。 “悪ノリ”が過ぎる映画は、時に傑作になり得る。「キック・アス」はその顕著な例だろう。  でもね、悪ノリが過ぎるからと言って、ストーリーテリングそのものの雑さが許されるわけではないと思う。ストーリーが雑な映画は、当然ながら傑作にはなり得ず、きっぱり駄作だと思うのだ。  コリン・ファースの“退場”の仕方があまりに雑だったり、主人公が“キングスマン”として認められるための最終試験の顛末はおざなりだし、大体他のキングスマンは何をしているんだといったように諸々の設定があまりに大雑把で腑に落ちない。 主人公が裏切り者を出し抜くくだりや、そこから始まるクライマックスの“面白げ”な雰囲気も、引いて見てしまうと特段の新鮮味はなく、ただのマスターベーションに見えてしまう。  悪ノリの中で暗に国際的な批判精神を盛り込んでいるからこそ、ストーリーの些細な部分が引っかかってしまい、非常に気持ち悪かったのだと思う。  世間的には好評の様子でどうやら世界的にも大ヒットしているようなので、続編の製作は既に確定しているのだろう。 根本的な悪ノリ自体は決して嫌いではないので、次作はストーリー的にも練り込んだ問答無用の悪ノリスパイ映画に仕上げてほしいものだ。
[映画館(字幕)] 4点(2015-09-25 16:28:10)(良:1票)
608.  イコライザー
実は“殺人マシーン”だった主人公が、憎き悪党と真向かい、直接的に、淡々と、「宣戦布告」する。 それを演じるデンゼル・ワシントンの“目”がヤバい。“ヤバい”とはいかにもチープな表現だが、本当にヤバいのだから仕方がない。 正義の鉄槌を振るうことを心に決めた主人公のその“目”は、完全に異常者のそれであり、主演俳優のその表情を観ることこそが、この映画を観る価値だと断じてしまっても過言ではない。  何かしらの過去を背負いつつ、平穏に暮らす主人公が、突如として復讐鬼と化すというこの手のジャンルムービーは昨今目立つように思う。 いわゆるビジランテ(=自警団)ものが流行らざるを得ないのは、真っ当な正義が存在しないこの社会の病理性の表れだろうか。 誰も守ってくれない。誰も裁いてくれない。誰も怒ってくれない。 ならば自ら鉄槌を振るうほかないではないか。 という悲鳴がそこかしこから聞こえてくるようだ。  と、まあ、そんな悲観的な考察は抜きにして、流行りのジャンルムービーの中でもこの映画のクオリティーの高さは確かなものだと思う。  やはり魅力的なのは、デンゼル・ワシントン演じる主人公のキャラクター性だろう。 日々眠れぬ夜を近所のダイナーで過ごす主人公、観客としては当然ながら彼の正体がいかなるものかということを大体知っているわけだが、それでも物静かなこの男が、文字通りの殺人マシーンへと変貌する様は娯楽性に溢れている。 それは、この映画のストーリー自体がこの先どう転じていくのかという娯楽性とも合致し、楽しい。  過去に捨て去ったはずの血塗られた仕事を再開することで、自分の生きる価値を改めて見出し、みるみる活き活きとしていく主人公の様は、実は笑えない。  ただ、そういう役を演じるデンゼル・ワシントンはいつも大体「最高」である。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-09-24 23:27:21)(良:2票)
609.  交渉人 真下正義 《ネタバレ》 
テレビシリーズから通しての「踊る~」ファンであっても、やはりあの“真下”単独主演映画というのにはいささかの懸念があった。まあそれでも、劇場に足を運ばせるのだから、この製作サイドは相変わらず(良い意味で)金儲けがうまいなあ~と思った。  で、本編についてであるが、率直に言って純粋に満足できる内容であろう。 脚本的には随所にご都合主義的なところが気になったり、時間の経過とともに寒々しさが際立つギャグシーンも鼻につくところだが、これまでのシリーズの雰囲気はある程度残しつつも、ストーリーの展開的には“決別”し、一つの独立したパニックアクションに仕上げたと思う。  同シリーズではこれまでも過去の名作映画のオマージュ的な要素が楽しみの一つであったが、今作はまさに現代版「新幹線大爆破」であった。交渉人真下を軸に据えながら、列車の衝突を回避すべく活躍する鉄道マン、地上での捜査班&狙撃班らの“協力”は娯楽性に溢れていたと思う。 主人公の真下正義よりも、捜査班の寺島進、狙撃班の高杉亘、爆破処理班の松重豊らそれぞれの現場リーダーが存在感たっぷりに描かれていたことが成功の要因だろう。  そして「新幹線大爆破」の主犯が高倉健という存在感溢れるものだったのに対し、今作の犯人は結局最後の最後まで姿を現さないという“ゴースト性”も実に現代的であり、アレはアレでありだと思った。  わりと何回でも楽しく観られる映画である。
[映画館(字幕)] 7点(2015-09-16 15:19:27)
610.  THE 有頂天ホテル
今でこそ数々の映像作品にその活躍の場が広い三谷幸喜だが、やはりホームは舞台劇。ステージ上で展開されるような限られた空間を生かし描いた喜劇にこそ、彼の「笑い」に対する創造性が生かされることはもはや周知の事実であろう。そう一般に言う「グランドホテル形式」こそ三谷幸喜の独壇場なわけだ。ならば、その言葉自体を生んだ名作「グランドホテル」そのものをパロディ化した今作はが面白くないわけがない。 盛りに盛られた三谷流の“笑い”の伏線の数々に、問答無用に“豪華”なキャスト陣がそれぞれ絡み合い、爆笑を通り越してもはや「見事」と言うほか無い。 年越しを目前にして、様々なタイプの人間たちが集い、それぞれの悩みや葛藤を解消していく。笑いと同時に、素晴らしいドラマ性も含んだ映画世界は、愛すべき幸福に溢れていると思う。 ただ残念なのは、この年の瀬を描いた映画が、年明けの二週間後に公開となったこと。やはり、数日でも年末を含んで公開して欲しかったと思う。そして、リアルな年の瀬、もしくは正月に観たかった。
[映画館(字幕)] 8点(2015-09-16 15:18:27)
611.  ジュマンジ
今となっては続編が出なかったのが不思議に思えるくらい良く出来た娯楽映画だった。ドラえもんの道具ばりの不思議スゴロクがパニックを起こす様がとても迫力があって小気味良く面白い。何十年もその不思議スゴロクの中のジャングルに閉じ込められていたという無茶苦茶な人生を送った主人公もロビン・ウイリアムスだからこそのハマり役だったと思う。なんとなく気持ち悪い全体的な雰囲気も良かった。公開時の評価はあまり良くなかったが、秀逸なエンターテイメント性に優れた傑作だと思う。    (追記) 名優ロビン・ウィリアムスが世を去ってはや一年。個人的には彼の主演映画の中で最も大好きな映画を何回目かの再鑑賞。 20年前に劇場鑑賞して以降、幾度となく観てきたが、変わらず安定した「娯楽」を観る者に与えてくれる愛すべき映画だと思う。  公開当時は、最新のVFXを最大の売りにした作品だったはずで、普通そういう映画は時間の経過とともに劣化していくものだが、この映画は違う。 当然、ビジュアル的には現在の最新技術による精巧なVFXと比較すれば大いに見劣る。 それでも今作が娯楽映画として劣化していない要因は、やはり一にも二にも主演俳優の存在感に尽きる。 ロビン・ウィリアムスによるロビン・ウィリアムスらしい“最適な”オーバーアクトこそが、この映画の最大の娯楽性だろう。  20年という月日が経ち、技術的には劣化したと言えるビジュアルももはや味わい深さを伴ってきてる。 今はなき名優の記憶は、今後さらにこの映画の中でも価値を深めていくことだろう。 僕はこの先も何度もこの娯楽映画を観て、変わらず「あー面白かった」とシンプルな感想を発し続けると思う。
[映画館(字幕)] 9点(2015-09-12 00:44:55)
612.  ラヂオの時間
三谷幸喜の「監督作」としては、この映画が殆ど唯一の“傑作”と言える作品だと思う。 劇場公開時も楽しく鑑賞したことを覚えているが、随分と久しぶりに観直してみても、色褪せず“楽しい”と思えることが、この映画が本当に優れた「喜劇」だからだろう。  この映画は、ものづくりの現場に総じて共通するであろうジレンマと愚かさ、そして何にも代え難い素晴らしさを可笑しみの中で表現しきった傑作だ。   “喜劇作家”である三谷幸喜が、迷走を続けて久しい。 その理由は明らかで、世間的な成功に伴って与えられた潤沢な資金と多大な重圧によって、この気の弱い脚本家は、無闇矢鱈にオールスターキャストを揃え、大風呂敷を広げれば広げていく程に、明確な「失敗」を続けている。  “オールスターキャスト”という言葉は、そのキャストのそれぞれがベストパフォーマンスを見せて初めて価値があるものだと思う。 そういう意味で、この映画は本当の意味で“オールスターキャスト”だと言える。  唐沢寿明、鈴木京香、西村雅彦らメインキャストは勿論良いが、この映画の場合それよりも脇役のハマりぶりが最高だ。 今回特に印象に残ったのは、井上順と布施明。それぞれいかにも業界人らしい憎らしいほどに飄々として軽薄なキャラクターを演じているのだが、両者とも一寸垣間見せる“暗さ”が実にリアルだった。(布施明によるあのエンディング曲は反則だ)   この映画や、「12人の優しい日本人」で顕著なように、この作家の真骨頂は舞台の領域が狭ければ狭いほど発揮される。今一度、原点に立ち返ってくれないかと切に願う
[映画館(邦画)] 9点(2015-09-10 23:44:56)
613.  M:i:III 《ネタバレ》 
映画を始めとする作劇上の用語に「マクガフィン」という言葉がある。 何かしらの物語を構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる仕掛けの一つ。登場人物たちにとっては重要なものだが、作品の構造から言えば他のものに置き換えが可能で重要なものではないものの総称である。(Wikipedia他調べ)  この人気スパイ映画シリーズ第三弾は、この手の映画の常套手段である“マクガフィン”を、敢えてただの“マクガフィン”としてのみ存在させることで、スパイ映画の王道を踏んでいる。 初見時はその企みに対して、ただ単にベタなだけに見えてしまい、マクガフィンの正体が説明されないことに対しても納得がいかず、不満足に繋がってしまっていた。 だが、改めて見返してみると、敢えてストーリーに膨らみを持たせず、むしろ薄っぺらなものにした製作陣の意図が明らかになった。  この映画はストーリーの妙を楽しむものではなく、スパイ映画らしい豊富なガジェットや作戦の裏側をつぶさに見せることによる娯楽性を楽しむべき映画なのだ。  そういう意味では、往年の映画を愛するJ・J・エイブラムスらしい映画愛に溢れた作品だとも思える。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2015-08-31 22:37:08)(良:1票)
614.  M:I-2
スパイ・アクション大作の待望の続編としてその年の最大の話題作だった今作。 いつもは一人きりで映画館に足を運ぶのが常だが、今作は珍しく地元の友人と連れ立って観に行った。 が、結果は散々。多大な期待に対してあまりに酷い出来栄えに、鑑賞途中から辟易してしまった。 隣の友人も同様だったらしく、中盤辺りからから居眠りをする始末。友人の寝息が退屈感に拍車をかけて、殊更に集中できなかった。以来、映画を友達と観に行くことは殆どなくなった。  失敗の最大の要因は、「ミッション:インポッシブル」という作品と「監督」の食い合せの悪さだったと思う。 ジョン・ウー監督の独特なアクション演出が、この手のスパイ・アクションにはあまりにも合わなかったのだ。 「ブロークン・アロー」「フェイス/オフ」でのハリウッド進出が大成功したジョン・ウーは、当時最ももてはやされた監督の一人だったと思う。 僕自身、ジョン・ウー監督の映画は好きで、今作も勿論期待したけれど、まあものの見事に失敗している。 何よりも“手際の良さ”が重要視されるべきスパイ・アクションにおいて、スローモーションの多用や、大袈裟なアクションがモットーのジョン・ウーのアクション演出は、あまりに冗長で、ストーリー上の緊張感に即していなかった。 ヒロインが一刻を争う瀕死の状態の最中で、バイクを乗り回した挙句、ダラダラとタイマンを張ろうとするスパイがどこにいるんだという話だ。  またスパイ映画の王道的存在である今作において、それらしい描写が無かったことも致命的だったと思う。 スパイ映画らしい最新兵器やガジェットは皆無だったし、お決まりの“マスクネタ”も一辺倒に多用しすぎていて、工夫が乏しかった。  今回改めて観直してみて、やはりこの映画は「ミッション:インポッシブル」である必要がなかったなと思う。 トム・クルーズも、ジョン・ウーと組んでみたかったのは分かるが、きっと別の企画にすべきだったと後悔したことだろう。  思えば、ジョン・ウーの「迷走」もこの作品から始まっている。 監督、俳優、観客、誰にとってもあまり幸福な映画ではなかったと思う。
[映画館(字幕)] 3点(2015-08-26 19:49:34)(良:1票)
615.  ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 《ネタバレ》 
予告編をはじめとするプロモーション映像で散々映し出されていた“あのアクションシーン”が、冒頭でいきなり展開され、それが今作の贅沢な“つかみネタ”であったことを知った時、「やっぱこの人は馬鹿だ」と思った。「トム・クルーズは、本物の映画馬鹿だ」と。  シリーズ最高傑作だった前作「ゴースト・プロトコル」同様に、今作においても何よりも賞賛すべき対象は、“トム・クルーズ”その人をおいて他にない。 前作から4年の月日を経て、今年(2015年)53歳になるハリウッドスターが、今回も全力で走りまくり、跳びまくり、潜りまくり、闘いまくる。 映像的なマジックは多分にあるのかもしれないが、それでも、五十路を優に超えて“半裸”で全力疾走は、なかなか出来るものではない。 ただ走るだけならそりゃ出来るかもしれないが、5作にもおよぶスパイアクション映画の絶対的な主人公として、相も変わらず“格好良く”疾走する様に、もはや尊敬せずにはいられない。  ここ数年のトム・クルーズの“仕事ぶり”には、特に目を見張るものがある。 主演映画、製作映画のほぼ総てが確実に見応えのある作品に仕上がっている。 その理由は明らかで、冒頭に記した通り、この人の“映画馬鹿”ぶりに益々拍車がかかっているからに他ならない。 おそらく他の誰よりも、沢山の映画を観て、沢山の脚本を読んで、自らの目で才能に優れた監督や俳優を見出し、自分の主演作に最高の陣営を揃え続けているからだ。 そして、その最高のスタッフ、キャストに応えるために、彼は主演する自分自身の鍛錬と挑戦を惜しまない。 他の誰よりも、トム・クルーズは、トム・クルーズを格好良く見せる方法を知っていて、それを実践している。 その在り方は、映画スターとして、プロデューサーとして、本当に素晴らしいことだと思える。   さて「ミッション:インポッシブル」シリーズ5作目となる今作。前作に負けず劣らずアクション映画として傑作だと思う。 前作ほどのアクションシーンにおいてビジュアル的な派手さや新しさはない。その代わりに、お決まりの王道的展開を真正面から堂々と描き切り、最高の品質でブラッシュアップしている。 時に気品さえ感じる骨太なアクションシーンの連続は、とても見応えがあり、ただただ楽しい。  そういう意味では、冒頭の派手なアクションシーンはある種前作のテイストを引き継いだ“サービス”であり、それと同時に「こっから先は私の趣向でやらせていただく」という監督のプライドと自信の表明だったように思えた。  ヒロインに抜擢されたスウェーデンの女優レベッカ・ファーガソンも最高。謎めいた二重スパイ役を魅力的に演じきっていた。 かつての愛妻ニコール・キッドマンを見初めた頃から発揮し続けられるトム・クルーズの“審美眼”の確かさにも頭が下がる。  この誰よりも自分が大好きな努力家のハリウッドスターは、まだまだ続編を製作する意欲に溢れているに違いない。その資格は充分にあるし、期待せずにはいられない。   そんな満足感を携えつつ、仕事帰りのレイトショーを観終えた。 そして、スーツの襟を正し、スパイ気分で少し慎重に周囲に目を配りながら映画館を後にした。
[映画館(字幕)] 9点(2015-08-22 00:27:40)(良:2票)
616.  永遠の0
「私たちだけが特別なのではない」 映画のラスト、夏八木勲演じる主人公の祖父が秘めた真実を語り終えた後にそう付け加える。  特攻の美化だ、右傾化だなんだと、原作者の人間性も手伝って賛否の激しい作品であるが、結局この物語が最も伝えてくることは、その夏八木勲の台詞に込められていると思う。  軍人も、民間人も含めて、激動の時代を生きたこの国の総ての人たちが、悲しみも、怒りもひっくるめた「物語」を秘めて、その後の時代を何事もなかったように、耐え、忍んで生きてきたという事実。 この映画で綴られる物語はもちろんフィクションであるが、あの時代を生き、命を継いだ人たちがいたことは紛れもない事実であり、そのそれぞれの物語に対して否定も肯定もないと思う。  「戦争」においては、正義も不義もないことと同様に、それに関わった人間の行為においても、善悪の判別をつけることなど出来ない。 この物語において、生存者の“証言”によって異なる人物像が伝えられるくだりは、そのことをよく表している。  「戦争」は否定されるべきものだと思う。 しかし、ただただ一方的に偏った意見を聞き入れ、そのまま否定することも、安直で、それもまた危険なことだと思う。  あの時代を生き抜き、命を継いでくれた人たちそれぞれが語る言葉の意味を、今の時代の僕たちは今一度知り、考えていかなければならないのだと思う。   原作の時点で賛否の激しい作品ではあったが、個人的にはそれほど偏った思想を感じることはなく、むしろ生存者の証言という要素を軸にした中立的な物語だと思った。また戦争という悲しみを孕んだ物語ではあるが、構成として娯楽性の高い作品だとも思った。 「証言」を軸にした物語構成は、人気バラエティ番組「探偵ナイトスクープ」を手がけた放送作家らしい作品だとも思う。  山崎貴監督は、彼自身の最大の武器であるVFXを存分に活かして、このベストセラー作品の映画化を成功させている。 主題ともいえる“零戦”が飛び交う交戦シーンの迫力とクオリティーの高さは、間違いなく国内最高レベルであり、この作品に相応しい映像としての説得力を備えられていた。 それは、凡庸なドラマパートの演出力を補って余りある総合的な演出効果だったと思う。  キャストにおいては、“証言者”である老人たちを演じたベテラン俳優陣が皆さすがの味わい深い演技を見せてくれる。 ただここはやはり、主演俳優である岡田准一の熱演を特筆したい。 人々の記憶の中にのみ残るある意味人物像が定まらないキャラクターを、熱く、真摯に演じきって見せたと思う。 この俳優には、所属事務所の枠を越えて、今後もっと幅広い役柄を演じていってほしいと思う。   ついに特攻に赴く時、エンジンの不調を察知した主人公は一寸安堵のような表情を浮かべる。 やはり彼は、どんな心情であっても、どんなに無様であったとしても、最後まで生き残る道を模索していたのだと思う。  戦後70年。実際に、生きて、残った命の価値と、彼らが継いでくれた命の意味を、改めてよく考えていきたい。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-08-17 23:03:56)
617.  ミッション:インポッシブル
20年前のこのスパイ・アクション映画は、もはやオールディー的な味わいを醸し出し始めている。 公開当時は、最新のアクション映画として、主演俳優の格好良さを含めてそれなりに満足はしたものの、スパイ映画としてのストーリーテリングにやや物足りなさを感じた。  ただ今回シリーズ最新作の公開を前に改めて観直してみると、娯楽映画としての味わい深さを随所に感じることが出来た。 それは、20年という時を経ても色褪せない普遍的な“巧さ”によるところが大きく、それは即ち今作の監督であるブライアン・デ・パルマの流石の手腕によるものであることを、今更ながらに思い知った。  初見時は、僕自身の映画に対する知識量が少なかったこともあり、キャスティングの巧さを今ひとつ感じられていなかったが、映画冒頭から登場する主人公チームの面々が豪華だ。 そしてのその豪華チームがいきなり初っ端から全滅するわけだから、ストーリーテリング的にもやはり巧い。その後の展開も、このキャスティングの妙を生かしつつ、スパイ映画としての王道的展開をしっかりと踏んでいる。  デ・パルマ監督らしく、カメラワークも当然安定しており、アクションシーンの見せ場もただ派手さだけを追求するわけではなく、緊張感と新鮮味を併せ持っている。 名匠による映画づくりの“確かさ”が、全編にわたって反映されている。  そして、この映画が成功し今なお人気シリーズとして続編が作り続けられている最たる要因は、やはりトム・クルーズの主演俳優として、またプロデューサーとしての存在感の大きさに尽きる。 この第一作時の彼はもちろん若く格好良い。ただそれよりも、20年の月日を経ても主人公としての立ち位置を揺るがすこと無く、格好良くあり続けていることは尊敬に値する。プロデューサーとしてシリーズの商品価値を上げ続けていることも、素晴らしいことだと思える。  シリーズ最新作の鑑賞が益々楽しみになった。
[映画館(字幕)] 8点(2015-08-16 00:00:51)
618.  激動の昭和史 沖縄決戦
“沖縄軍の戦死者10万” “沖縄県民の死者15万”  太平洋戦争末期、「沖縄」という地で失われた命の数がラストのシークエンスで大写しにされる。 その膨大な数が表す通り、この映画は最初から最後まで延々と、愚かさと絶望の中で続いた「死」を容赦なく映し出し続ける。 「地獄絵図」という比喩表現そのものの光景に対して、憤りを通り越した虚無感に襲われ、ただただ涙が溢れ、逃げ場を見失う。  ただ、「これが現実」という絶望的な悲劇の中で、同時に強く印象に残ったことは、それでも残った命の存在とその意味だった。 「死」の中で残った数少ない「生」の描写こそ、このあまりにも絶望的な映画において、監督が手繰った希望だったのではないか。  敗色濃厚というよりも敗戦が必然の中で葛藤し続けた高級参謀然り、息子を亡くしそれでも表向きにはひょうきんに従軍し続けた散髪屋然り、最後は強引に生き残ることを命じられたひめゆり学徒隊の少女たち然り、息絶えた母親の背で泣き続ける赤ん坊然り、そしておびただしい数の屍の中を歩き続けた孤児の少女然り。 あの時、彼の地で生き延び、後の時代に継いだ命の価値と、命を継がれた者たちの“声”を真摯に受け止め続けることの意味をこの累々とした死を描きつけた映画は物語っているのだと思う。  彼らの死と、継がれた命が語る「事実」を、総ての人々は今一度知らなければならない。   この重く、辛く、だからこそ誰しも一度は観なければならない映画を描きぬいたのは、岡本喜八監督。 この映画はドキュメント要素が強く、普通ならばただただ淡々と暗く悲しい事実に対して、一方的に耐え忍ぶように観なければならない映画に仕上がっていたことだろう。  しかし、娯楽映画に秀でた大巨匠だからこそのあまりに巧い演出力が光る。 悲壮と絶望が渦巻く戦禍において、敢えてユーモラスなキャラクターやシニカルな台詞回しを適所に配し、的確な可笑しみを効果的に加味している。それにより映画的な抑揚が生まれると共に、現実の悲劇性はより深まっている。 その演出方法は、岡本喜八という大巨匠の映画監督としての意地と誇りの表れのように思えた。   繰り返しになるが、重く、辛い映画であることは間違いない。 でも、この映画は決して説教臭くもなければ、何かしらの思想を強要するものでもなく、娯楽文化としての「映画」という表現の中で、しっかりとその意味と価値を表している。 そのことが、本当に素晴らしいと思う。
[CS・衛星(邦画)] 10点(2015-08-15 20:49:40)(良:1票)
619.  LUCY ルーシー
まず、リュック・ベッソンは、主演女優のキャスティングにおいて、いまやハリウッドのトップスターであるスカーレット・ヨハンソンをよく口説き落とせたなと思う。 フランス資本単独になっていることから察するに、それほど製作資金を集められたわけではないだろうが、この監督の良い意味での“女たらしぶり”は健在といったところか。  リュック・ベッソンが“魔法”を失って久しい。 「グラン・ブルー」「レオン」の頃の彼の映画がもたらす世界観はとうの昔に消え去っている。 “かつて”彼の映画の大ファンだった僕自身も、近年は諦観の構えで観始めることが通例となっていた。 今作においても、もちろんその構えは変わらず、ハードルを下げきって鑑賞に至った。“EuropaCorp”のクレジットがそれに拍車をかけた。  はっきり言って、“トンデモ映画”であることは間違いない。 “運良く”ハマらなければ、酷評は避けられないのだろう。 けれど、幸運にも僕はこの映画が面白かった。  その幸運の要因としては、やはり僕自身がリュック・ベッソン作品のファンであったことが大きい。 特に、世間では批判の方が多かった1997年のSF映画「フィフス・エレメント」をどこか彷彿とさせる世界観が、あの映画が大好きな僕の琴線をくすぐったのかもしれない。  パラミシア的な能力を覚醒させるヒロイン像は、ビジュアルやキャラクター性も含めて、まさに「フィフス・エレメント」でミラ・ジョヴォヴィッチが演じた“リールー”の系譜だろう。 それは完全にこの監督の嗜好で、成長がないと言ってしまえばそれまでだけれど、僕自身の嗜好も同じなのだから否定するわけにはいかない。  クライマックスにおける“血迷い感”すら覚える強引な大風呂敷の広げ方も、「フィフス・エレメント」の“トンデモぶり”と類似している。 勿論そこに論理的な整合性なんて無いに等しいのだけれど、そういう荒唐無稽なストーリーテリングと世界観が唯一許されるのも、SF映画の特性と言えると思う。 そして、リュック・ベッソンのSF映画はこうでなくちゃとも思える。  一方、こちらも何故出演に至ったのか経緯がよく分からないが、韓国映画界の名優チェ・ミンシクの悪役ぶりも光る。アジアが誇る名優の無駄に贅沢な狂気は、スタンスフィールド的(レオン)な悪役像で、この趣向もファンとしては嬉しかった。  決して良い映画ではないが、映画として「好き」と言わざるをえないのだから、仕方がない。  猿人“ルーシー”とスカーレット・ヨハンソンの邂逅シーンには、よくもまこれほどまで美しく「進化」してくれたものだと、壮大なる時の流れに感謝をせずにはいられなかった。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-08-13 15:29:13)
620.  バケモノの子
細田守のアニメーションは、夏がよく似合う。 夏休みが始まったばかりの日曜日の初回上映に観に行って、案の定親子連れや子供同士の観客が多かった。僕自身はいつもの様に一人での鑑賞だったけれど、少しばかり夏休み気分を分けてもらうことができた。  自分自身、ここまで四年間、子を育ててみてつくづく感じることだが、子はもちろん親によって育てられるが、同様に親も子によって育てられるものだと思う。 子は育つ。親も育つ。両者は互いに関わりあい、離れつつ、結びつきつつ、共に生きていく。 “人間”の子と“バケモノ”の親による「親子関係」は、どこまでいっても擬似的なのかもしれないけれど、そういう育ち育てられるという関係性が分かりやすく表現されていたと思う。  特に、主人公の少年時代を描いた前半は、極めてアニメ的な愛らしさと活劇性に溢れていて秀逸だった。 前作に続いての起用となった宮崎あおいの声が、少年時代の主人公のキャラクター性に合致していて、この主人公の言動を見ているだけで楽しいアニメーションに仕上がっていたと思う。  アニメ映画としてのクオリティーは申し分ない。きっと万人が楽しむことが出来る作品だろうと思える。 ただし、だ。“細田守の映画”として、過去作並のインパクトがあったかというと、正直そこは首を横に振らざるをえない。  今作を観終えてみると、やはり“前作”の特別感が際立ってくる。 同じく、異型の存在と親子関係を描いた前作「おおかみこどもの雨と雪」が傑作過ぎたのだと思う。 「おおかみこども〜」が深く踏み込み描きぬいた世界観と比べると、今作の物語はどうしてもありきたりで浅はかに思えてしまう。  主人公が成長した後半は、バケモノの世界と人間の世界が絡み物語のフィールドは広がっている筈なのに、ストーリー的な可能性は狭まり、残念ながら作品そのものの質が下降していくようだった。 主人公の人間世界への復帰のくだりが少々都合良すぎたり、後半になって登場するヒロインの存在価値が今ひとつ希薄だったことが、その要因だろう。  無闇に直接的な人間世界への介入を描くこと無く、「サマーウォーズ」のような創造的な世界観の広がりを見せて欲しかったと思う。   とはいえ、そういった「難癖」は細田守という人が、宮﨑駿去りし後の国内のアニメ映画界の頂上に存在し得る映画監督だからこそのものである。まったく我ながら映画ファンというものは欲深いものだ。
[映画館(邦画)] 6点(2015-08-13 15:28:53)
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