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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2589
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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621.  THE ICEMAN 氷の処刑人
実在した“殺し屋”を描いた映画であることは聞いていたが、想像よりもずっと重く、冷ややかな映画だった。 組織の殺し屋として生きた男を主人公にしたハードボイルド映画を想像していたけれど、映し出されたものは、呪われた「運命」と、己が密かに育んできた「狂気」に翻弄された一人の男の悲し過ぎる「慚愧」そのものだった。タイトルから受ける印象を遥かに凌駕する“冷たい”映画世界に打ちのめされた。  主人公が辿った人生とその末路は、組織に利用されいいように使われた故に見えるが、実際はそうではない。 組織の歯車に組み込まれたことは、ただのきっかけに過ぎない。 元来、この男が培ってきた内に秘めた「狂気」そのものが、すべての顛末を引き起こしたと言える。 そして、それを誰よりも理解しているのは、他の誰でもなくこの男自身であり、悲しい。  己の運命を呪い、己の狂気を呪い、それでも彼が生き続けられたのは、紛れもなく愛する家族があったから。 もし愛する人と出会うことなどなく、家族など端から存在しなければ、この男はもっと分かりやすく冷淡な“殺人者”として短い人生を全う出来たのかもしれない。  ただ運命はそれを許さず、“愛する者の悲しみ”という彼にとっての「最悪」を与えることによって、この男の“業”を際立たせた。 その「最悪」を何とか避けようともがき苦しむ終盤の主人公の姿は、あまりに悲愴感に溢れている。  それでも、この映画で描きつけられる「業苦」は、主人公にとって必要なものだったと思える。   何を置いても主演のマイケル・シャノンが素晴らしい。 殆ど出演作は観たことはなかったが、昨年の「マン・オブ・スティール」でのゾッド将軍役は記憶に新しいところ。 あまりに印象的な風貌は一度見たら忘れられないが、今作では、その風貌と体躯を存分に生かして、一目で異質感溢れる主人公を見事に演じ切っている。  そんな主人公の最愛の妻を演じるのはウィノナ・ライダー。 このところ時に驚くくらいの小さな役での出演が続いていたが、一時のスキャンダルに塗れた低迷期を抜け、女優としての円熟味を見せてくれていることは、中学生時代に自室にポスターを貼っていた長年のファンとしては嬉しい限りだ。   副題を含めた微妙なタイトルが、何となくB級感を醸し出しているが、良質な掘り出し物だと思う。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2014-10-13 15:29:08)(良:1票)
622.  パララックス・ビュー
この映画、冒頭からラストまであらゆる場面でキョトンとしてしまう。「え…?」という絶句に近い反応をしてしまうシーンが連なる。 それは決して安直に奇をてらっているというわけではなく、娯楽映画の予定調和がひたすらに崩されていくことに対しての違和感だと思う。 でもそれこそが、逆接的に「現実」と直結しているように感じられ、ぞわぞわと恐怖感が沸き上がってくる。  「俺たちに明日はない」のウォーレン・ベイティが、野心的でアウトローな記者を演じていて、この主人公が辿る運命の描かれ方には、まさに“アメリカン・ニューシネマ”のムーヴメントの中で生まれた作品らしい辛辣な味わい深さを感じた。  とても“変な映画”であることは間違いないので、ちょっとでもそりが合わなければ、まったく入り込めない類いの作品だと思う。 そもそも主人公の「動機」は何だったのだろうか。 陰謀に対する記者としての使命感か正義感か功名心か、はたまた元恋人(らしい)を殺されたことに対する怒りか、悲しみか。その心情は結局最後まで明確にならぬまま終幕する。  混沌とする主人公と目線を同じくして、観客も陰謀の渦に放り込まれ、そのまま放置された感覚を覚えた。 迫っているようで、迫っていない。迫っていないようで、迫っている。真実は近づいては離れていくの繰り返し。更には、すべては主人公の妄想という可能性も捨てさせない映画的なウマさも孕んでいる。  結局、映画として面白いのか面白くないのかも判別を付け辛いが、総てを突き放すようなラストシーンは「見事」と言わざるを得ない。   本編中盤で映し出される「適性テスト」の映像の錯綜、正体が見えない巨悪の不穏、そういったえも言われぬ心地の悪さを終始覚える。ただ一方では、70年代のアメリカの建築美や様式美が印象的に残る。映画としての完成度以上に、カルト的な魅力が詰まった作品だった。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2014-09-17 00:12:57)
623.  スノーピアサー
韓国が誇る名匠ポン・ジュノの世界進出作品として、期待は高く、是が非でも映画館で観たかったのだけれど、地方の映画館では公開されず悔しい思いをした。ヒットに伴う順次公開を望んでいたのだが、どうやら興行成績的にも振るわなかったようで……。 思ったよりも良い評判も耳にすることがなかったので、失敗作なのかと危惧もしていたけれど、いざ観てみれば何のことはない、しっかりと面白かった。というよりも、しっかりと“変な映画”だった。流石、ポン・ジュノである。  SF映画としても、サバイバル映画としても、“ほころび”は多いが、それを補って余りあるポン・ジュノ監督らしい独特の“痛み”が全面に押し出されたエモーショナルなディストピア映画に仕上がっていたと思う。  舞台は近未来、進退窮まった地球温暖化を食い止めるために或る化学薬品が世界中に散布され、結果地球全土が雪と氷に覆われてしまった世界。生き残った僅かな人類は、永久的に世界中を巡り続ける列車“スノーピアサー”に乗り込み何とか生き延びている……。 という舞台設定は、何とも荒唐無稽で漫画的だ。それもそのはず原作はフランスのグラフィックノベルなのだから当然のことだろう。 原作は勿論未読だけれど、フランス産のSFグラフィックノベルの退廃感と絶望感は、この監督の作風に良い塩梅で合致したのではないかと想像できる。  列車の最後尾から先頭車両へ向かう闘いの中で、主人公が目の当たりにした“真実”の絶望と虚無は、そのまま現実世界の“真実”と重なり合い、とても心苦しく、おぞましい。  あまりに絶望的な真実を突きつけられた主人公は、そのまま虚無の深淵に陥りそうになる。 しかし、ぎりぎりのところで留まり、“希望”を繋ぎ止めようとする。 その様は確かに安直で、真実を携え生き続けてきた者から見れば、愚かにすら見えたろう。 ただ、「素敵だね」と、嘲笑を携えつつ発した最期の一言には、一抹の安堵感も垣間見れた。  どの場面においても突っ込みどころは多く、咀嚼し切れない“異物感”は終始感じる。 その“異物感”こそが、文字通りに地獄のような世界を生き続ける人間たちの殆ど崩壊しかけている精神を描き出したことの証明だとも思える。  それにしても、アカデミー賞女優ティルダ・スウィントンは、ほんとうに汚れることも老いることも惜しまない女優だな。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2014-08-24 23:59:59)
624.  脳男
日本の大作映画特有の不細工なエンターテイメントなんだろうとスルーを決め込んでいたのだが、ドハマリ中の“二階堂ふみ”目当てに鑑賞。 粗や難点は多いけれど、それを補って余りある娯楽性に溢れいていた。江戸川乱歩賞受賞作が原作らしく、想像以上にエキセントリックな物語の世界観は見応えがあった。(二階堂ふみの畜生ぶりも、想像以上にエキセントリックだった!)  原作は未読だが、映画化にあたり生み出されたオリジナルのキャラクター設定が効いていたと思う。 悪役の性別を男性から女性に変えるなんて、普通は失敗しがちなんだけれど、今作に限ってはそれが功を奏し、主人公である“脳男”との合わせ鏡としての対比が際立っていた。  そして何と言っても、主演の生田斗真のパフォーマンスは素晴らしかった。 絞り込まれた肉体と、無機質且つ美しい無表情は、“脳男”という「異質」を表現するに相応しく、彼以上の適役は居なかったろうと思わせる。 一瞬の微笑から再び深い無表情へと移り変わるラストカットは見事だった。  全体的なテンポの悪さと少々あざと過ぎる演出には改善の余地があるとは思うが、メリハリの効いたアクションシーンと、思わず目を背けたくなる程ハードな残酷描写には、日本映画らしからぬ迫力があった。  というわけで、国内の娯楽大作映画としては近年で随一の出来映えと言っても過言ではなく、大いに楽しめたことは間違いない。  個人的には、二階堂ふみと太田莉菜の“糸引きディープキス”が見られただけでも、この映画の価値は揺るがない!
[CS・衛星(邦画)] 8点(2014-08-15 00:50:15)(良:2票)
625.  月曜日のユカ
主演女優のとろけるように柔らかで、愛らしく淫靡な唇に終始釘付けになる。  きっと誰が観ても明らかだろうけれど、この映画の見どころは女優「加賀まりこ」そのものだ。 ストーリーなんて追わなくても構わない。ただひたすらにこの女優の神がかり的な(いや、悪魔的なというべきか)可愛らしさに狂うべき作品だと思う。  “小悪魔”なんて形容はよく使われるけれど、この映画を観た後では、その形容はこの時代の加賀まりこのみに与えられるべきものだとすら思える。 そう妄信的に断言出来る程に、主人公ユカのすべての仕草が、恐ろしくなるくらいに可愛らしく、惹き付けられる。  一種のアイドル映画と言えなくもないが、その範疇にはとてもおさまり切らないインモラルな空気感は唯一無二。 観客が何を求めるかを見通すかのように、ひたすらに加賀まりこ演じるユカの表情のみを映し続けるカメラワークも見事だ。 何分間もの間、表情のアップだけでシーンを成立させてしまう“見映え”には、美貌に対しての欲情を凌駕して、ただただ惚けてしまう。  もしウッディ・アレンがこの時代の加賀まりこに出会っていたならば、きっと“ミューズ”の一人として、彼女の映画を撮り続けたことだろう。という妄想をして、思わずニヤリとした。  余談だが、加藤武が初老のパトロン役で出演しているのだが、この人この時代にそんな歳の俳優だっけ?と違和感を覚えていた。ちょっと確認してみると、当時35歳。おい、老け過ぎだろ。
[インターネット(字幕)] 8点(2014-07-06 13:05:43)
626.  X-MEN:フューチャー&パスト 《ネタバレ》 
“マイノリティー”として生まれ生きることの意味と意義。それに伴う苦悩と苦闘。 その全世界的、全歴史的において普遍的な“苦しみ”を根底に敷き、一貫して描き抜いてきたこの世界観において、分かりやすい高揚感などはそもそも存在し得ない。 なぜならば、そこには明確な「敵」や「悪」が存在するわけではないからだ。  目に見えるすべてのものは、敵にもなり得るし、味方にもなり得る。 自分自身と、己に対峙する他者を寛容し、希望を見出せるかどうか。 それはまさに、ウルヴァリンやマグニートーをはじめこのシリーズに登場するすべての“X-MEN”が苦悩の末に辿り着いた真理だったろう。  そしてそれは、ミュータントではない我々「人間」が最も戒めなければならない最大にして永遠の“テーマ”であるということを、この最新作は強く訴えかけている。  主人公であるウルヴァリンの活躍が殆ど無いこと、明確に魅力的な悪役が存在しないこと、センチネルのただただ絶望的に無慈悲な強さ……今作は、高揚感やカタルシスを意図的に排除している。 その代わりに、差別による狂乱と恐怖の中で敢えて“銃を置く”という「選択」が、大いなる勇気と希望を生み出すということを、驚くほど愚直に描き出している。 その最も重要なシーンでさえ、ウルヴァリンは川底に沈んでいるし、プロフェッサーは瓦礫に埋もれている。 ヒーローが活躍する華々しさなどまるでない。  繰り返される歴史上の悲しみにおいて、本当に必要なものはヒーローではなかった。 必要だったものは、最も厳しい局面において、最良の未来を選び取ることができる「勇気」そのもの。 この高揚感に欠けたアメコミ映画が14年かけて描いてきたことは、そういうことだったのだろう。  チャールズとエリック、そしてローガン、彼らの長い長い苦闘がついに報われ、苦悩が払拭されたラストシーンは、多幸感に溢れている。 タイムパラドックスを主軸においたストーリー展開は少々強引だけれど、ウルヴァリンの悲しみをすべて打ち消す、大胆で慈愛に溢れたこの大団円を見せられては、何も言えない。  このシリーズに、これほどまで愛着を持てるようになるとは思わなかった。 今一度、好きになれなかった第一作「X-メン」から観直してみよう。自分の評価が大いに転じることは、もはや明らかだろう。
[映画館(字幕)] 8点(2014-06-02 23:43:08)(良:3票)
627.  REDリターンズ
大ヒットした前作は、個人的には“消化不良”だった部分が多く、分かりやす過ぎる程に魅力的なコンテンツに反して、不評を禁じ得なかった。 そもそもグラフィックノベルが原作なのだから、現実味なんて微塵も意識せずに、もっと“マンガ的”に最後の最後まで突っ走れば良いのに……と惜しんだことをよく覚えている。  そんなわけで、それほど期待もしていなかった続編だったが、この想定外の面白さは、劇場で観なかったことを後悔させる程だ。 前作で感じた消化不良感を見事に解消してくれていることが嬉しい。 アクションシーンも、コメディシーンも、この映画のコンテンツに相応しく振り切れていて、本来見たかった“娯楽性”をしっかりと見せてくれている。  ストーリー自体は、前作と同様に、“取って付けた”という表現が相応しいほどに薄っぺらい。 ただし、この映画に関しては、ストーリーなんて正直どうでもいいと思える。“それっぽい”展開をその場しのぎの説得力だけで繰り広げてくれれば充分だ。 何故ならば、このコンテンツは、それを補って余りあるキャストの魅力で支えられているからだ。  ブルース・ウィリス&ジョン・マルコヴィッチのハゲ親父コンビの安定感と存在感は抜群。 ヘレン・ミレンのガンアクションは相変わらず“ズル過ぎる”し、この大女優にあの“女王”ネタをヤらせるのは、更に“反則”だ。 キャリン・ゼタ=ジョーンズ姐さんのロシア将校には萌えずにはいられない。(彼女の顛末は大いに不満だが……) そして、アンソニー・ホプキンスに最凶のマッドサイエンティストを演じさせるという、これまた反則的に間違いない恐怖感。 そりゃあ面白くなるに決まっている。  でも、今作の娯楽性を高めたハイライトは、そんな豪華絢爛なキャスト陣をある意味従えて強く印象づけた“ヒロイン”の存在感だ。 前作に引き続きメアリー=ルイーズ・パーカー演じるこの“地味”なヒロインが見せる想定外のハジけっぷりこそが、今作の最大の娯楽性であったと思う。  前作の素地があったからこそ深まったこの続編の面白さだと思うが、一気にこのシリーズのキャラクターたちを好きになってしまったことは嬉しい誤算だ。 きっとこの愛着はシリーズが続く程深まる類いのものだろう。ブルース・ウィリスをはじめまだまだしぶとそうな爺さま、婆さまたちの続投を期待したい。
[インターネット(字幕)] 8点(2014-05-10 01:21:24)(良:1票)
628.  サイド・エフェクト
「セックスと嘘とビデオテープ(1989)」で鮮烈なデビューを果たし、そのままハリウッドの頂点まで駆け上がった俊英スティーヴン・ソダーバーグ。 群雄割拠のハリウッドの中でも一際その天才ぶりを発揮し続けてきた映画監督の“一応の”「引退作品」という名目の今作は、集大成と呼ぶに相応しい作品精度の高さを感じると同時に、デビュー作との不思議なリンクも感じる映画に仕上がっている。  「サイド・エフェクト」という名のこの映画は、現代人の生活の中ではもはや切り離すことが出来ない「薬」にまつわる“あらゆる意味”での「サイド・エフェクト=副作用」を浮き彫りにする。 「薬」とそれに伴う「副作用」をスケープゴートにして描き出されるものは、現代社会そのものの病理性と、そこに救う人々の屈折した精神だった。  映画の序盤は、映し出される映画の世界観がなんだか薄ぼんやりとしている印象を受ける。 一体に何を主軸に描こうとしているのか掴みきれず、そのフォーカスの合わない感じに、居心地の悪さを覚えた。 しかし、それがある展開に伴い突如として転じる。みるみるフォーカスが合っていき、核心にピントが合っていく。   「偽り」を嫌う人は多い。何も偽ることなく生きていけるのであれば、それにこしたことはない。ただし、そういうわけにもいかないのが人生というもの。 自覚・無自覚はあるにせよ、誰だって、多かれ少なかれ何かを偽って生きているのではないかと思う。 もはや現代社会においては、それらは一方的に否定することすら不可能だ。 それこそ、常にセルフカウンセリングをして、理想と現実に対して折り合いをつけていくしかないのだろう。  そういう、この世界の“日常”に蔓延する思惑と疑心、野心と欲望、その諸々の病理渦巻く上質なサスペンスだと思う。   キーパーソンを演じるキャサリン・ゼタ=ジョーンズの美貌と艶が最高。 ルーニー・マーラの悪女ぶりも恐ろしい。 彼女たちに人生を揺さぶられまくるジュード・ロウとチャニング・テイタムに痛く同情してしまうと共に、男など本当に無力だなと思えてならなかった。   スティーヴン・ソダーバーグの卓越した映画術に感嘆した。この映画監督の才能を再認識し、その映画世界に陶酔した。 これが最後?信じないけどね。 
[DVD(字幕)] 8点(2014-03-24 23:17:02)
629.  キャプテン・フィリップス
あらゆる側面において、真っ当な映画だったと思う。  実話を元に描いているとはいえ、これほどまでに徹底的に描くべきことをきちんと描ける映画はそれ程多くない。    先ずはこの映画の主演にトム・ハンクスをキャスティングした真っ当さ。  ヒーロー役が似合う華やかなスター俳優などを起用してしまったならば、分かりやすい娯楽性は高まるだろうが、この映画が求めるべきリアリティは著しく損なわれてしまったことだろう。 (勿論、この名優に華がないというわけではない) 絶体絶命の危機の中で、この主人公が見せるリーダーシップと勇気と智恵、そして執拗に突きつけられる恐怖感、そういったものを決して大袈裟すぎない絶妙なバランスで表現できる俳優は、やはりトム・ハンクスを置いて他にいなかったろうと思う。    次にソマリア海賊を演じた無名俳優たちのリアリティを追求した真っ当さ。  本当にソマリア出身の人材を見出し、主要キャストに配したことは、この映画の類い稀な説得力と成り得ている。  特に海賊側のリーダーを演じたバーカッド・アブディの存在感は抜群だった。風貌から喋り方に至るまで、映画におけるその支配力は時に名優トム・ハンクスをも凌駕していたと思う。    そして、ポール・グリーンダグラス監督による演出の真っ当さ。  元々、抑制の利いたリアルな描写が巧い監督ではあるが、今作でもその演出力は際立っている。  もっとエンターテイメントに走ったり、船長と海賊両者のバッググラウンドをドラマティックに描き出すことも容易だった筈だ。  しかしそれをせず、ひたすらに実際に起こったであろう描写のみを連ねた構成は、映画として極めて潔く、特筆すべき緊迫感を終始観る者に与え続ける。    その潔さは、今この瞬間も起こり得ている事実を描いているということへの責任と覚悟の表れだと思える。  無政府状態のソマリア、世界中の人々に荒らされた漁場、行き場を失った漁民たち……。  劣悪な環境の中で叩き起こされ、“彼ら”は海賊行為に駆り出される。  最初から彼らに「後退」という選択肢は無かったのだろう。  勿論、海賊行為を続ける彼らに対して肯定も同情もするつもりはない。    ただ、米国海軍の圧倒的な兵力の前に、完全敗北を喫した海賊のリーダーからは、茫然自失の中に一寸の安堵感が垣間見えた気がした。 
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2014-03-21 01:39:03)(良:1票)
630.  アメリカン・ハッスル
「詐欺師映画」として見たならば、ストーリーテリングは正直弱い。特にラストの顛末などはもっと手際の良い展開で、小気味良く見せるべきだったと思う。 しかし、実在の詐欺師と実際の事件を元にしているが、この映画は決して真っ当な詐欺師映画ではないのだと思う。  この映画の主題は、心の屈折を抱えた人間たちの人間模様であり、滑稽で愚かで愛おしい愛憎劇だ。 それであれば、“騙し合い”を主軸にしたストーリーの小気味良さなんて二の次で、手際の良さを敢えてハズして、「人間」ならではのまどろっこしい“関わり合い”が終始繰り広げられるのも納得出来る。  クリスチャン・ベール扮する詐欺師が、丹念に“自家製”のカツラを仕上げる様から始まるこの映画は、登場するキャラクターの全員が誰かを欺こうとしている。 ただし、その最たる対象は他の誰でもない自分自身であるように見えた。主要キャラクターの四者が四様に虚栄を張り、自らを欺いている。 その姿は滑稽で愚かに見えるけれど、きっと世界中の誰しもがそういう“偽り”を抱えているのだと思えた。  そして、こういう屈折した人間模様を撮らせたら、今やデヴィッド・O・ラッセルの右に出る映画監督はいない。 近年の彼の作品に出演し、その才能を引き出されたスター俳優たちの競演はもはや「オールスター」と言って過言でなかろう。  その上、ロバード・デ・ニーロが彼の十八番的な役柄登場するのだからたまらない。 考えてみれば、クリスチャン・ベールは、今もっとも“デ・ニーロ・アプローチ”に秀でた俳優と言え、彼が本物のロバート・デ・ニーロと対峙するシーンは映画世界内の設定を超越して感慨深い。  軽薄で愚かなFBI捜査官を演じたブラッドリー・クーパーも、出演作を重ねるごとに俳優としての安定感が備わってきていることは明らか。 Wヒロインとして対立するエイミー・アダムスとジェニファー・ローレンスの女優同士のせめぎ合いもサイコーだった。  ストーリーテリングの弱さを補って余りある文字通りの「競演」は、おそらく繰り返し噛み砕く程に味が深くなるだろう。
[映画館(字幕)] 8点(2014-02-13 00:23:45)(良:1票)
631.  大脱出(2013)
シルベスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガー、この二人が正真正銘の「競演」を果たした。 その映画的価値が身に染み入るように分かる世代の映画ファンにとって、この“大雑把”な映画を卑下する要素など微塵も見つけることが出来ない。  ストーリーが穴だらけ?当たり前じゃないか! 御都合主義のオンパレード?当たり前じゃないか!! 設定自体に整合性がない?当たり前じゃないか!!! 映画そのものが大味過ぎる?当たり前じゃないか!!!!  それが、頂点を極めたこの二人だけ許された唯一無二の“娯楽性”なんだよ!なめんなよ!  それにしても、監獄の「正体」をモロバレしちまっている国内のプロモーションには怒りを通り越して呆れしかない。なんだってそんな決断に至るのだ。理解不能……。
[映画館(字幕)] 8点(2014-01-23 23:55:09)(良:1票)
632.  世界にひとつのプレイブック
想像以上に愛らしい映画だった。 年の瀬、描かれる映画世界の時候的にも、本質的なテーマ的にも、この頃合いに観るに相応しい映画であったことを幸運に思う。  人は人により傷つく。ならば人との関わりなんて持ちたくないと思いがちだけれども、その傷を癒すのも、また人との関わり合いだ。 面倒で、大変なことだけれど、その繰り返しがなければ、生きてはいけない。 その人間ならではの弱さと脆さ、愛すべき滑稽さを雄弁に語る映画だったと思う。  物語はそれぞれに心に傷を負い、精神をこじらせた男と女を軸に描き出される。 この映画が巧いのは、“こじらせている”のは決してこの主人公たちばかりではないということ。 彼らを取り巻く家族や友人、街の人々も、それぞれが心に何らかの問題を抱え、時にそれを仕舞い込み、時にそれを吐き出しつつ、生きている。 それは即ち、決して主人公の二人が特異なわけではなく、世の中全体が抱える普遍的な病理性なのだ。  ほんの少し切り口を変えたなら、容易にもっと悲劇的なお話にもなるだろう。 しかし、この映画は、その社会全体が抱える心の闇を豪快に笑い飛ばしている。 それはとても勇敢で、幸福なアプローチであると思う。  アカデミー賞の俳優部門のすべてにノミネートされるに相応しく、俳優たちの演技はそれぞれ素晴らしい。 その中でもやはり特筆すべきは、主演女優賞を勝ち取ったジェニファー・ローレンスだろう。 この若い女優の存在感には、この映画が持つ愛らしさと繊細さと勇敢さのすべてが満ち溢れていて、あまりに魅力的だった。 彼女がこの先さらにどのようなキャリアを辿っていくのか、映画ファンとして楽しみでならない。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-12-30 14:20:35)
633.  ワイルド・スピード/EURO MISSION 《ネタバレ》 
この娯楽映画シリーズのファンとしては、相応しいタイミングでこの最新作を見ることができたと思う。それは、とても嬉しいことでもあり、あまりにも悲しいことでもあった。  今年の夏に、シリーズ中で唯一観られていなかった「3」見たばかりだった。 シリーズのファンなら周知の通り、“東京”を舞台に描かれる「3」は、シリーズの番外編的なニュアンスが強く、レギュラーキャストは殆ど登場しない。 そして、その中で唯一主要キャストとして登場する“ハン”の悲劇的な末路が描かれている。「3」を観た段階では、なぜ彼が独り東京に流れ着き、ヤクザ相手の危険な仕事に手を染めているのかの説明もなく理解し難い部分があった。  が、それを裏打ちするエピソードが、この最新作では描かれている。  “或る人物”の突然の登場に驚愕するエンドクレジット後のシーンからも明らかな通り、今作は、いささか変則的に繋がっていた「3」をシリーズの本流に結びつけ、次作に向けての新展開への起点となるシリーズの中でも非常に重要な作品に仕上がっていた。  シリーズも6作目となり、正直「一見さんお断り」な状況になっていることは否めないけれど、「EURO MISSION」という軽薄な邦題にミスリードされて、劇場鑑賞を見送ってしまったことをファンとしては甚だ悔しく思う。  ハン&ジゼルの悲しい運命に対して、想定外に胸を締め付けられたことは、この娯楽映画シリーズが少しずつ培ってきた“チーム感”の結晶とも言え、ますますド派手になっているアクションシーン以上の付加価値だったと思う。  あと、タイミング的には、「エージェント・マロリー」も今年観たばかりだったので、ジーナ・カラーノのナイスなキャスティングも嬉しかった。復活したミシェル・ロドリゲス嬢との“肉弾戦”は白眉だった。   そして、2013年11月30日、ポール・ウォーカーの突然の訃報。 そのあまりに悲しくショッキングな出来事が、この映画シリーズに与える影響は当然計り知れない。 映画スターの死が、その人の周囲の人間は勿論のこと、世界中の映画ファンに悲しみを与えるということを改めて思い知った。  心より冥福を祈りたい。 ただ、叶うことなら、撮影中だったシリーズ最新作「7」の完成を待って、彼の最期の姿を心に焼きつけたい。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-12-23 14:59:00)(良:1票)
634.  オーメン(1976)
よりによって妻子が実家に泊まり誰もいないひとりぼっちの夜に、この有名過ぎるホラー映画を観なければならなかった一週間レンタルの最終日。 ホラー映画に限ってはまだまだ“ビギナー”なので、どうなることかとビクビクしながら観すすめたが、流石はホラーというジャンルを超えた「名作」の呼び名に相応しく、“しっかり”と面白かった。  “恐ろしい”映画であることは言わずもがなだが、描き出される物語をどう「解釈」するかによって、この映画の“恐ろしさ”は大いに様変わりすると思う。  映画が伝える雰囲気のまま、悪魔の申し子“ダミアン”の禍々しさに恐怖することも勿論正しかろう。 一方で僕は、この映画が伝える「恐怖」のもう一つの側面に震えた。  それは即ち、この映画において、ダミアンは「実は何もしていない」という事実だ。  描き出される“おぞましさ”の殆どは、彼を崇める悪魔崇拝者の言動によるものであり、主人公のグレゴリー・ペックらを襲う恐怖の正体も、神にしろ悪魔にしろ狂信者たちの煽動によって導かれたものに過ぎないのではないかということ。  ラストの顛末に明らかなように、端から見れば、主人公の姿は完全に気が狂った父親にしか見えず、この映画が描く本当の恐怖は、「悪魔」の存在などではなく、人間が元来持っている不安定さとそれに伴う危うさそのものであることに気付かされる。  ジェリー・ゴールドスミスの荘厳な調べに誘われて、深く暗い「恐怖」というエンターテイメントを堪能した夜だった。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-12-03 01:01:37)(良:2票)
635.  ベルリンファイル 《ネタバレ》 
洗練されたアバンタイトル、迫力と説得力に満ちたアクションシーン、俳優たちの優れた実在感。「スパイ映画」としての娯楽性を十二分に備え、しっかりと面白い映画世界に対して、“いつものように”羨望の眼差しを向けざるを得ない。 決して実績を積んでいるわけではない殆ど「新人」とカテゴライズされる若手監督が、これほどまでに“確かな”エンターテイメント作品を撮り上げてしまうのだから、相も変わらない韓国映画界の充実ぶりには、羨ましくて、よだれが出そうだ。  北朝鮮の諜報員である主人公が緊張感を携えて自宅へ戻る様をスタイリッシュに描いた冒頭のアバンタイトルを観た時点で、この映画が一定レベルのクオリティーを備えていることは明らかだった。 また一人、韓国映画界に世界レベルの「才能」持った映画監督が登場したことを認めざるを得ず、リュ・スンワン監督は、すぐにでもハリウッドで通用する映画が撮れるとすら思える。  卓越した映画世界に息づく俳優たちも、揃いも揃って良い。  主演のハ・ジョンウは、独特の素朴な風貌と内に秘めた危うさが、いい塩梅の雰囲気を醸し出し、得体の知れない「北側」のスパイを抜群の説得力もって演じていた。  もはや韓国を代表するベテラン俳優であるハン・ソッキュは、「南側」の諜報員として主人公と対峙し、やはり抜群の存在感を見せていた。彼の出世作でもある「シュリ」で演じたキャラクターの延長線上に今作のキャラクターを被せてみると、また違うドラマ性が見えてきて興味深かった。  主人公の妻を演じるのは、みんな大好きチョン・ジヒョン。ご多分に漏れず、「猟奇的な彼女」以来の彼女のファンだが、これまでの出演作とはまた違う表情を見せ、薄幸ではあるが芯の強い美女を好演していたと思う。  個人的に最も印象的だったのは、悪役のリュ・スンボムとうい俳優。登場時は軽薄なチンピラ風情で、完全にやられ役だと思えたが、ストーリーが進むにつれて、まあイヤな感じの悪役に進化していった。クライマックスのある展開など、彼がこの映画に一つのインパクトを与えていることは間違いないと思う。  韓国映画らしく、血なまぐさく、シリアスな展開も踏まえて、ラストはしっかり高揚させてくれる。 こういう映画的なセンスの高さは、やっぱり羨ましい。  なお、“ウラジオストク”の位置が曖昧な人は、鑑賞前にGoogleマップを確認しておくことをお勧めする。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-11-27 00:15:43)
636.  ふがいない僕は空を見た
見るともなく空を見ながら、川沿いを自転車で行く主人公の高校生を見て、自分自身の高校生の頃を思い出した。同じように、何となく空を見上げて、自転車で川沿いの家路を辿った。 勿論、僕は、コスプレ好きの人妻と不倫をしていたわけでもないし、文字通りの飢えを感じるほど貧困に窮したわけでもなく、ただただ普通の男子高校生だった。 それでも、悩みやそれに伴う鬱積は確実にあって、それらに対して何の解決策も持たない自分自身に、悲観しつつ、呆れつつ、日々を過ごした。  俯瞰して見れば、この映画の主人公の高校生は、結局のところ、何一つ自分で解決したわけではない。 すべては彼に関わる“大人”が、決断し、導き、見守り、彼を生かしたのだ。 当の本人は、傷心と攻撃にただただ打ちひしがれ、閉じこもり、幸福にもまわりの人間に助けられて、再び立ち上がることが出来たに過ぎない。 そして、ふと空を見上げて、なんだか成長したような気分になっているに過ぎないのだ。   ……でもね。それでいいのだと、強く思う。   この映画で描かれるようなちょっとヘビーな境遇であろうとなかろうと、16~17歳の高校生に出来得ることなどたかが知れている。 むしろ、「何も出来ない」と言ってしまっていい。  唯一出来ることがあるとすれば、それは、主人公の母親が言う通りにただ「生きる」ということだけだ。 ささやかでどうでもいいことの方が多いのだろうけれど、絶え間ない悩みと鬱積に対して、ただひたらすらにうじうじともがき苦しみ、時間の経過とまわりの人間の助力によってそれらが自然に雲散霧消するのを待つ。  そして、空でも見つつ、自分で自分を慰めて、その先を生きていく。それでいいのだ。  この映画の作り手は、「現実」に対してドライな観点を終始保ちつつ、同時に普遍的な慈愛をもって、決して劇的ではない人間模様を落ち着いて描いていると思った。   すべての人間が生きていいく上で必ず意識する「生」と「性」。 それらは常に対のものとして、人生に喜びと苦しみを平等に与える。 その美しさとおぞましさを、何の変哲も無い普通の人々の群像の中で繊細に描き出してみせたこの映画の在り方は、とても正しい。 
[DVD(邦画)] 8点(2013-11-05 23:59:20)(良:1票)
637.  悪の教典 《ネタバレ》 
生まれながらのサイコパスである英語教師が、ふとしたきっかけで本性を解放させ、担任するクラスの高校生たちを片っ端からショットガンで撃ち殺していくという、不謹慎極まりない映画である。 某トップアイドルのようにこの映画を観て激怒する人も多いのだろうけれど、それと同等以上に、この映画の「娯楽性」を堪能してしまう人も多いだろうと思う。  はじめのうちは、聖人君子の仮面を被った殺人鬼の教師が、生徒たちを何のためらいもなく、あたかも出席を取るように殺していく様に当然激しいおぞましさと嫌悪感を覚える。 しかし、彼の“鼻歌”に乗せられるように、次第にそのおぞましさがクセになり、一方的な殺戮をどこか楽しんでしまっている自分に気付く。 瞬間、自己嫌悪に陥り、「不謹慎」という言葉を持ち出してその感情を抑えようとするけれど、そんな言葉など意味がないという結論に行き着く。  非常にショッキングな映画であることは間違いないけれど、この映画のスタンスは見紛うことなくエンターテイメントであり、何の問題提起があるわけでもなく、ただただ主人公“ハスミン”の「狂気」を楽しむしかない映画なのだと思う。 主人公の人間性を疑うなんてことは完全にナンセンスなことで、ジェイソンやフレディ・クルーガーら名だたるホラー映画スターと同様に、“ハスミン”という新しい“モンスター”のキャラクターと恐怖を楽しむほかない。  というわけで、これまでの日本映画にはありそうでなかった、高い娯楽性を備えたバイオレンスホラー映画に仕上がっている。 この手の映画を作り出すにあたっては、国内には三池崇史以上の人材がいないことは明らかで、題材に相応しいバイオレンス描写を的確に導き出していると思う。  そして、何と言ってもこの映画の質を一段も二段も上積みしている要因は、伊藤英明の存在に他ならない。 キャラクター性の強い殺人鬼を嬉々として演じ上げた様は見事だったと言うしかない。 表裏のない真っすぐなキャラクターを演じることが多いこの俳優に、完全なる「裏」を演じさせてみて、凄まじい存在感を引き出したことは、監督にとっても俳優にとっても幸福なことだったと思う。  ラストは壮絶な死に様が見られるのかと思いきや……そうですかそうですか。 それじゃあ、更に暴走に拍車がかかった“ハスミン”の「二時限目」を期待しております。
[ブルーレイ(邦画)] 8点(2013-11-03 01:17:54)(良:1票)
638.  キャリー(1976)
無類の“ホラー映画嫌い”なので、映画史上に残る超有名作品でありながら、ずうっと敬遠してきた作品の一つだった。 ただ、三十路を越えていい大人の映画ファンが、「怖い」からといって問答無用に毛嫌いするのもいかがなものかと思い始めていた。 そんな折、劇場で間もなく公開されるリメイク版の予告を観て、ちょっと気になったので、今作のジャケットを“初めて”手に取った。 「あー主演はシシー・スペイセクなんだ」とか「え、デ・パルマ監督作なの!?」と、おおよそ映画ファンらしくない無知ぶりを露呈しつつ、初鑑賞に至った。  率直な感想としてまず感じたことは、「これはホラー映画なのか?」という疑問。 恐ろしい部分は確かに恐ろしいけれど、それよりも哀しい少女の哀しい青春映画ということに対してのインパクトの方がずっと大きかった。  ただ普通でいたかった少女が、あらゆる不遇の中でもがき苦しみ、ほんの一瞬垣間見た光の眩い美しさと、即座に閉ざされる果てしない悲劇。 「恐怖」によるインパクトはあくまで装飾的なものであり、主人公の少女のめくるめく悲哀に胸が締め付けられたことは、本当に想定外のことだった。  その映画世界にはやはり巨匠ブライアン・デ・パルマ監督の多彩なカメラワークによる映画術が光る。 おぞましい場面はどこまでもおぞましく、一転して美しい場面はどこまでも美しい。 その映像的なギャップは、少女の心象風景そのものをまさに映し出していて、「流石」の一言に尽きる。  そして何と言っても主人公“キャリー”を演じたシシー・スペイセクが素晴らしい。 不遇の鬱積にまみれた序盤の姿では、大衆から拒絶されるにある意味相応しい“歪さ”をこの上なく体現し、一転、光を追い求め彼女の人生における最高の「舞台」に駆け上がる姿は、目を疑う美しさに溢れている。 そしてクライマックスにおける“悲劇的大解放”に伴う怒りと憎しみと豚の血にまみれたあの姿!  映画としては、展開的に唐突で説明不足な部分は多々あるのだけれど、この主演女優の奇跡的な表現力が、そのすべてを打ち消しているとさえ思えた。  どの映画も突き詰めればそうなのだろうけれど、この映画は特にどういう「解釈」をするかどうかで賛否は大いに分かれる作品だと思う。 また数多の知識を踏まえて繰り返し観る程に、その解釈に深みが生まれ、味わい深くなる作品だとも思う。
[DVD(字幕)] 8点(2013-10-27 01:17:15)
639.  凶悪
恐ろしい映画だったと思う。  自分はこの映画に登場する“彼ら”ではなく、“彼ら”に関わった人間でもないという無意識の立ち位置による屈折した「愉悦」を知らぬ間に敷き詰め、この映画に「娯楽」を感じている自分の意識に気付いたとき、この映画の「凶悪」というタイトルの真意を垣間見た気がし、ゾッとした。  描かれる事件と犯罪が「真実」であることを念頭において観ているわけだから、映し出される凄惨な描写に対して「痛み」や「悲しみ」を感じなければならないという“建前”を意識しているにも関わらず、ピエール瀧(=須藤)の爆発的な残虐性に何故か高揚し、リリー・フランキー(=先生)のおぞましいまでの狂気に引き込まれてしまう。 実在の被害者に対して後ろめたい気持ちを多分に感じつつも、描きつけられる「凶悪」が次に何を見せるのか、どこか期待をしてしまい、その都度「不謹慎」という言葉をぬぐい去ることに苦労した。  「あなた こんな狂った事件追っかけて 楽しかったんでしょう?」  終盤、主人公の妻のこの台詞により自分の中で見え隠れしていた感情が突如丸裸にされる。 見て見ぬ振りをしていた自分自身の深層心理がふいに明るみに放り出されたような気がして、主人公と同様に「やめろ!」と叫びたくなった。  「映画」である以上、いくらノンフィクションが原作だとはいえ、脚色されている部分は大いにあるだろう。 ピエール瀧が度々発する「ぶっこんじゃお」というあまりに印象的な台詞や、リリー・フランキーの脱帽するしかない「怪演」など、映画的な面白さが加味されている要素は多く、それはまさにこの作品が映画として優れている点でもあると思う。 俳優たちの表現はことごとく素晴らしい。一つ一つのシーンも綿密な計算と明確な意思をもって構築されており、見事だったと思う。  ただ敢えて苦言を呈するならば、もう少し「編集」の巧さがあれば、同様の深いテーマを孕んだまま、もっと“面白い”映画に仕上がっていたようにも思う。 もし同じ題材で、というかこの監督と俳優が撮った同じ映像素材を、世界的な映画巧者が編集したならば、例えばアカデミー賞をも席巻するような名実ともに質の高い映画になりそうな気さえする。  ま、そんなのは一映画ファンの身勝手な妄想であり、実際どうでもいいことだ。 こういう本当の意味で骨太な映画が、もっと沢山国内で製作されることを願いたい。
[映画館(邦画)] 8点(2013-10-26 17:12:34)
640.  Wの悲劇
流行の中で生まれては消える“アイドル”という“生き方”の数だけ、アイドル映画というものは存在する。 “演じる”ということにおいては素人に毛が生えた程度の人間が主演を張るわけだから、当然駄作も多い。 しかし、すべてのアイドル映画は、アイドルである彼女たち彼らたちの生き様そのものであり、その存在のみで充分過ぎる価値がある。 そして、中には今作のような紛れもない傑作も確実にあって、その価値は、アイドルファン、映画ファンはもちろん、その時代と大衆にとって計り知れないものになると思う。  或るトップ劇団で「女優」として生きる女たちの間で巻き起こるスキャンダルを、現実と舞台劇の境界を巧みに交えて描く今作。 名だたるキャスト陣がそれぞれにおいて印象的な存在感を見せる。 が、この作品が紛れもない“アイドル映画”である以上、その映画世界を支配するのは唯一人。 「薬師丸ひろ子」という存在に他ならない。  今作で演じた主人公と同様に、この年に二十歳になった稀代のアイドルにとって、この映画は、最後のアイドル映画と言え、アイドルそのものからの「卒業」を意味していると思う。  そのことを如実に表すかのように、この映画は、アイドル薬師丸ひろ子の「処女喪失」から始まる。 そこから初体験の夜を経て、朝もやの帰路につく冒頭のシーンがとても印象的だ。 何気ないオープニングシーンとして描かれてはいるが、そこには幾ばくかの満足感を大いに超える喪失感に溢れていて、薬師丸ひろ子が「アイドル」というレッテルを捨て去り、「女優」として生きていく「覚悟」が満ちている。  それは、主人公自身が女優を目指す道程の「覚悟」と完全にリンクし、明らかなフィクションの世界が、“薬師丸ひろ子”という存在を通じてリアルに結びついてくる。 更には、映画世界内で描かれる現実と舞台劇もがオーバーラップし、二層、三層の世界が陽炎のように重なり合って行く。  僕自身は、薬師丸ひろ子という稀代のアイドルにリアルタイムで熱狂した世代ではなけれど、時代を席巻したアイドルのフィナーレを飾るに相応しい、巧みで情熱に溢れた映画であることは間違いない。  もちろん、「角川」のアイドル映画らしく、時代と剛胆さに伴う“ほころび”は多い。 しかし、その“ほころび”こそが、アイドル映画に絶対不可欠な要素であり、完璧ではないからこそ、完璧な映画だと言えると思う。
[インターネット(字幕)] 8点(2013-10-11 17:43:36)
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