641. 魔女っこ姉妹のヨヨとネネ
《ネタバレ》 脚本がダメです。 『ヨヨとネネ』って言いながらネネが殆ど活躍しないですし(ビジュアル的にむしろネネの方に動いて欲しかったのよね・・・)、ヨヨの寸法がいきなり伸びる理由が判りませんし、人物が整理されていなくてクライマックスに回りくどい展開をさせるためだけに設定されたキャラ達という感じで。このファンタジーにわざわざあんなゴチャゴチャとややこしいクライマックスが必要でしたか? そして最大の難点、「え? なんでいきなり細田キャラなの?」。お父さんは『サマーウォーズ』とか『おおかみこども』とかの登場人物ですよね? 脚本的に細田作品(や宮崎作品)からの影響がデカいのもアレなのですが、デザインごと細田作品な状態はそれでいいのか?と(物語的には超微妙作『豆富小僧』にもよく似ておりましたが)。 にしても、シネマスコープの画面に展開するファンタジーアニメの世界は素晴らしくて。 色彩豊かな魔法の世界、生命を与えられて動きまわるキャラクター達。できれば現実社会とのリンク作ではなくて魔法世界を中心にした物語にして欲しかった気もします。 ヨヨの成長の物語は多分に『魔女の宅急便』を思わせはしますが、生死と人の心とを学んでゆく過程を素直に受け入れられました。 また、音楽が大変に素晴らしくてメチャカッコいいメインタイトル曲で泣けるという「音楽で泣けた珍しい映画」だったりするのですが、何故かサントラが今のところ発売されていないのが謎だったりします。 ダメなところが多い作品ではあります。でも、ダメって棄ててしまうには忍びない、あまりに愛おしい要素がタップリな世界、なので偏愛的評価を。 [映画館(邦画)] 7点(2014-01-06 20:16:01) |
642. ペタル ダンス
《ネタバレ》 VODで鑑賞。 映画やドラマの人間関係の描き方って実のところ独特で、それは登場人物の個性を印象付けるためだったり、ドラマティックに物語を組み立ててゆくためだったり。でも実際の人と人との距離ってこんな感じだよね、って思わせる映画。 人は基本、孤独で。だから生きるには他の人との繋がりが大切だけれど、近付くべき距離、踏み込める領域、その微妙な間隔を計って(他人の領域に土足で上がり込むような無神経な人間でもない限り)生きていて。 この映画は、その距離感を絶妙な描写で浮かび上がらせます。 フレームに入っている人、フレームの外側にいる人、フレームの中の人同士の距離、特定の人物がフレームイン、フレームアウトするタイミング、何気なく撮られているようでいてカメラは4人の登場人物の間に存在する距離とバランスをきっちり計算して描いています。 海辺に等間隔に離れて置かれた4人に波が押し寄せてお互いの距離が縮まる、その象徴的な瞬間をよくも見事に捉えたもので。 映画内では特に何も起こらないのですが、風に乗れず、逆風を受けた時、何が大切なのかをそっとささやくような、心に染みる作品でした。 [インターネット(字幕)] 8点(2013-12-30 22:09:09)(良:1票) |
643. ゼロ・グラビティ
《ネタバレ》 子宮とか胎児とか(へその緒付き)生命の誕生とか、せっかくそういう事を得意気に書いてやろうと思ったのに、既に町山さんがパンフで書かれていてガッカリだ(笑) なので違うアプローチ。 シリアスな物語であり、かつ短い上映時間の中に芸術性がきっちり折り込まれている映画なのですが(再生の物語をサンドラ姐さんが好演しております)、同時にアトラクション映画としても非常にポイントが高い作品になっています。 『宇宙戦争』でトライポッドの攻撃から車で逃げるシーンや『スター・ウォーズEP3』冒頭のコルサント上空の戦闘シーン、あるいは『クローバー・フィールド』の手持ちカメラが捉えた日常と非日常が完全に繋がったシーン、それらを更に超える映像的な高揚感がこの映画には溢れています。要は「それ一体どうなってるの?」ってすっごい長回しがあったりするわけで。 キュアロン監督の『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』でカメラが鏡の中の空間を出入りしたように、今作でもカメラは自在に動き回り、更に3Dと立体音響によってスクリーンと客席との隔たりを限りなく減らし観客を作品空間へと誘います。 91分間、座席にしがみついて目は画面に釘付け、それはもはや映画というカテゴリを超えてアトラクション感覚。実はお正月映画らしい見世物映画。 なので、なるべく大きなスクリーン、いい音響の劇場で見る事をお薦めします。いや、音響はいい悪いはともかく大ゲサなくらいウーファーぶいぶい言わせてるようなハコが好ましいです。そういう作りの映画なので。 「IMAXのいちばん前の席で見て正解!」(木場ですが。川崎のいちばん前はスクリーン近過ぎてお薦めできませぬ)みたいな、私のようなバカも大満足の逸品でございました。 [映画館(字幕)] 10点(2013-12-13 22:00:22)(良:2票) |
644. ペコロスの母に会いに行く
《ネタバレ》 母の波乱に満ちた時期を演じた原田貴和子の存在感が光る作品でした。理不尽な物事に対して立ち向かう強い女が後半に見せる弱さ、その儚く脆い感じが美しく。 また、フレームの中にフレームを作って被写体を切り取ったり、重なるランタンの光の中に捉えたりと印象的な映像に溢れていて。 だけど、映画自体に対しては作り物めいた、これは何か微妙に違うのではないか?という違和感を抱き続けた感じで。 それは単純に、実際に認知症を患った親の介護を経験したという、そのフィルターを通して見てしまったがゆえ、ではあると思うのですが。 介護や認知症の問題について鋭く斬り込んだ映画でないのは確かです。歳を重ねるに従って重みを増す生の姿を描いた、それこそ「生きねば」な物語。 けれど反復するように羅列されるボケエピソードに「現実には存在しなさそうな面白い人々」が重ねられてゆくほどに(ほら、ハゲのイコンとしての竹中直人をそのまま使うでしょ)「特異な他人事」っぽい世界が構築されていくようで、結果的にここだけで閉じてしまうようで。 もちろんそこには普遍的な「時代を生きた生」がありますが、これからリアルにそこに立ち向かってゆかねばならない人々に対して示すものからはちょっとズレた感じがするんですよね。これはこれ、それはそれ。そんな感じ。 あと、原爆~赤線~友人の死という事で見ていて『この世界の片隅に』を連想しちゃったんですけれど、それは、まあ、たまたまかな。 [映画館(邦画)] 6点(2013-12-11 21:49:21)(良:1票) |
645. 47RONIN
《ネタバレ》 メンド臭いんでcocoに書いた文を引用。 渋谷で『47RONIN』。時代劇ファンタジーとしてワリと楽しめた。これはこれで。「日本人として~」なんて文句言うほどご立派な日本人の自我がある訳でもないしねw キアヌがあまり目立たないのが難点。凛子&コウちゃんが良いね。 つまり「お前ら最近国内のガキか年寄り向けの安い映画ばっかで、戦争映画も怪獣映画も時代劇ファンタジーも撮れなくなっちゃってるから俺らが作ってやんよ!」ってハリウッドが親切心出して作ってくれたのが『硫黄島からの手紙』であり『パシフィック・リム』であり『47RONIN』なんだよ。 【補足】 まあ、そこそこなんですけどね、じゃあ最近これより面白い国産時代劇ファンタジーってあった?っていう。『忍 SHINOBI』とか『GOEMON』とか『カムイ外伝』とか? キアヌと端役以外は日本人キャストばかりで(みんな英語喋ってるけど)意外とちゃんと作ってる感があります。 安定とか保守性とかを象徴するために画面をシンメトリーにしたり、勢力を青と赤に色分けしたり。 そして何と言ってもその精神性を決して馬鹿にしてるわけじゃない作り方ですしね。 「親切心」ってのはもちろん皮肉だけど、これを楽しめないと言うのならば、むしろこういうのをこういう形でしか見られない現状を嘆くべきなんじゃない? [映画館(字幕)] 6点(2013-12-08 14:55:30) |
646. もらとりあむタマ子
《ネタバレ》 父が写真を見て笑いだすシーン、その写真が一体どんなものであったのかはもうちょっと後になって明らかになるわけで、こちらは映画を遡って思い返す事で父の笑いの意味を理解できるのですね。 そこに焼き付いたのは無愛想で横着でだらしなくて無表情なタマ子が、外に出るため、状況を変えるために作った精一杯の笑顔。 ただ食べて食べて食べて続いてゆく日常。そのユルさと、心地よさと、そしてそれじゃダメだって意識と。 家では勝手気まま(に見える)なタマ子が外では卑屈になったり、心を許した人間に対しては饒舌になったり。胸に色々抱え込んでいる様子が伝わってきて、短い上映時間の中に細かく織り込まれた「生」が楽しく切なく溢れ出します。 エピソードを演技を上手にすくい取り、タマ子の何気ない日々が等身大の存在を形作り、1つ1つを思い返すごとに人間タマ子が見えてきて、どんどん愛おしい映画になってゆきます。 前田敦子がとても魅力的にタマ子という個性を創造していて、女優としての彼女にとってとても貴重な一編として刻まれたのではないかと思います。 見終わった後からじわじわと染みてくる印象深い一編でした。 [映画館(邦画)] 8点(2013-12-04 21:24:36)(良:1票) |
647. ハーフ・デイズ
《ネタバレ》 CATVのVODで料金が安かったので。鑑賞環境、どれを選んだらいいのやら。 ひと組の男女のあるひとつの選択によって人生が大きく分岐する、その両方を同時進行的に描いた物語。 1つがラブストーリー、1つがサスペンスと全く違ったカタチへと転じてゆくのですが、最終的にそれが同時進行で描かれてゆく意味があまり無い上に、どちらのエピソードもちっとも面白くないという困った状態。 ブルックリンとマンハッタン、選択別にグリーンとイエローに色分けされて描かれてゆきますが、まずその色分けが露骨過ぎてしまって。服装は元より、背景や小物等、画面内に無理矢理その色を登場させ続ける事でどちらを描いているのか判りやすくして、ってそれはテクニックと呼べるレベル以前のもの。サスペンス編なんかは追われているのだから、目立つ黄色いTシャツは着替えた方がいいわけですが。 終わりの方で双方の色が混じる事で、その分岐の終焉を告げてはおりますが、じゃあ、そこで双方のエピソードが共通するカタチを成した意味がどれだけあるの?というとなんだかとても心許ないモノしか無いように思えるんですよね。ただオチを繋げただけって感じ。 ラブストーリー編は独立記念日を実家で過ごし、家族の人間関係が描かれ、退屈ながらもドラマがある分マシ。サスペンス編の方はもうタクシーの中で拾った携帯から生まれる流れになんの説得力も無いので馬鹿馬鹿しいと思ってしまうレベル。最初の時点で主人公の携帯の扱いに全く納得できないので、以降ひたすら馬鹿なカップルを見てるだけって感じ。 そもそも、エピソードによる思考や行動の差によって2つのエピソードで同じ人間に見えないんですが。 もう、明らかにアイディア倒れ。綿密な構成のシナリオで魅せるような事がある訳でもなく、ダラダラと2つの選択のラインが交互に描かれてゆくだけ。ラスト以外にリンクするのは夜の花火とベッドシーンくらいのもんで。もっと相互に作用する仕掛けでもあれば面白かったと思うのですが。 [インターネット(字幕)] 4点(2013-11-29 21:30:17) |
648. パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海
《ネタバレ》 内容的には前作が「なんじゃこりゃ」って状態だったので、今回は予め覚悟できてた感じで。 今回もまた神々の子の話なのにアメリカローカルです。「魔の海」って言ったってフロリダ沖でのお話し。地球の危機、人類の危機って言いながら、ごくごく狭い範囲で戦ってまーす、って状態は相変わらず。 ただ、今回の方が神様っぷりは激しく薄まりましたが、ファンタジー色は濃くなった感じ。ポセイドンのもう一人の子や、森を守る木に転生した少女、機械仕掛けの牛、海馬等々、視覚的に刺激を受ける要素が多くて退屈はしませんでした。タクシーのところはちょっと『ハリー・ポッター』の空飛ぶ車やバスを思い出しましたが。 でも、やっぱり色々出た後での今更感は拭えないんですよね。魔法のアイテムを手に入れるために旅に出る、そのアイテムを奪い合う、もう何度も何度も繰り返されてきた物語。 それにクライマックスのクロノス復活部分、もう一刻を争う状況なのにそれを忘れて再会を喜んでたら復活しちゃいましたっていうマヌケなパターン、ああいうのはもう無しにして欲しいところです。いや、クロノスが復活しないとクライマックス丸々飛んじゃうんですけど。 あと、パーシーが前作にも増して主人公の顔してないジミな感じになっちゃって。お前さんが英雄役でいいのかいな?敵やライバルの方がカッコいいじゃん、みたいな。 ここから更なる続きが見たい!ってほどのモノではなくて、前作も見たからなんとなく惰性で見ました、って状態ではあるのですが、予め作品の器のサイズを認識していれば、そう失望することもない、といったところでした。 もっともこの映画に(原作に、ではなくて)続きがあるとは思いませんでしたが。『ダレン・シャン』や『ライラ』『エラゴン』なんかの仲間入りかと思ってましたわ・・・。 [映画館(字幕)] 5点(2013-11-21 22:26:54)(良:2票) |
649. トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part 2
《ネタバレ》 ヴァンパイアと人狼との三角関係、ラブラブ描写の「うふふあはは」が本体で、戦いの部分はオマケみたいなシリーズの完結編、ですがさすがに最終作後半部分だけあって、やっとこさ敵が具体的に動き出します。かなり遅かった気がしますが。 遂にヴァンパイア化したベラの特殊能力を見せたり、ヴァンパイアと人との間に生まれた子をめぐって迫る危機が不安感を煽ったり、おお、この延々ヌルさを見せ続けたシリーズもいよいよ「うふふあはは」を捨て、ホラーアクション大作としての盛り上がりを見せる時が来たか!と。 そのクライマックスの闘いは凄絶で、ヴァンパイアと人狼が入り乱れ、敵対するヴァンパイア達双方の首が次々と斬り落とされ、これまで親しんできたキャラが次々と最期を迎え、これで完結編に相応しい終わりを迎えるのだな、と思ったら・・・椅子から滑り落ちそうな脱力系のオチを用意して下さいまして、あー、そうそう、あくまでヌルくてナンボでございましたね・・・って。 でもまあ、その「実際には存在しなかった戦闘」を映像化してみせてくれた訳ですから、一応、娯楽映画としての「気合い」はこもっていたワケですし、みんな幸せに暮らしました、ってところに収まる事こそがこれまでのヌルさから言っても相応しいのでしょうし。アリスと敵の親分さんとの間のアレが納得できるのかどうかは深く考えるとちょっと疑問だったりもしますが。 それはアリなのかって感じのジェイコブのハッピーエンドフラグはともかくとして、ベラとエドワードが幸せになれて良かったんじゃないでしょうかね。身分の差、民族の差を越えて愛しあい結ばれた二人の物語、って事でこれって古典的な話だったんだねぇ、と。 私、なんだかんだ言っても、このシリーズ、ツッコミを入れつつ楽しんでましたが、日本ではトンと人気が出なくてシリーズを重ねるごとにどんどん劇場のランクが落ちていったのが淋しかったかな・・・ [映画館(字幕)] 6点(2013-11-21 21:37:00) |
650. サプライズ(2011)
《ネタバレ》 「もしもスプラッター映画のヒロインがまるで女ランボーか女ジョン・マクレーンみたいな存在だったら?」ってオハナシ。 そのアイディアのために殺人鬼は複数にしなくちゃならないわ、陰謀が渦巻いていて予定が狂っていく過程を描かなくちゃならないわ、加害者も被害者も頭悪くて弱くなくちゃならないわで、ホラーとしては腰砕けまくってます。 殺人が起きた直後の部屋にまだ犯人が潜んでいる恐れを誰も抱かず(悲鳴を聞いてすぐ駆けつけたというのに)、犠牲者は都合良く頭の悪い行動を取って単身殺されに赴き、殺人犯は誰か?というのは映画の中程でほぼ明らかにされ、殺人犯達の肉体的、精神的な脆さが描かれ、それはもうコメディに片足つっこんでしまっている状態。もう非常にヌルいわけです。 ただ、ヒロインが殺人犯に立ち向かってゆくシチュエーション、イケイケ(死語)な強さは楽しめました。ぎゃーぎゃーと大騒ぎな連中の中で一人冷静に行動し、敵を一人一人血祭りにあげてゆくという反撃ホラーは、初代『エルム街の悪夢』のクライマックスでのフレディとヒロインとの闘いを拡大したような感じでワクワク。 あれで、もう少し殺人犯達に強さと神秘性があればもっと良かったのですが、むしろヒロインよりも弱い普通の人達です、って明かされちゃってますからねぇ。脚本にもっとヒロインの強さを際立たせるような工夫が欲しかったなぁ。 あと、ヒロインが仕掛けたアレがああいう形でしか作用しなかったのは残念でした。あれじゃ見てて気持ち良くないものね。 殺人鬼が動物の仮面を被っている意味が一切なかったり、母親の指輪のエピソードが意味がありそうで結局なんの意味も無かったり、なんか欠点とツッコミどころが多い映画なのですが、ホラー映画としてはともかくバカ映画としてはそれなりに面白かったんじゃないかと思います。 [映画館(字幕)] 6点(2013-11-21 06:49:44) |
651. 悪の法則
《ネタバレ》 その「黒幕」が統べるように「七つの大罪」の一つ一つをまとったような存在として頂点に君臨し、それはまるで悪魔の具象化とも言えます。その影響や誘惑を受けた者がそれぞれに様々な形で罪を犯し、それが各々の破滅に繋がってゆく、そしてそれを予言するかのような象徴的なセリフの数々。そう考えるとこの映画、どうも宗教的な説教クサいシロモノって感じがします。 この世に悪魔ってモノが存在するのならば、それはやはり人の中から生まれるものですよ、発端はごく小さな選択であっても誤りは誤りであって、過程にいかなる分岐を持とうとも、到達する結果は最初の誤りが導くものですよ、自らの欲望は他者の欲望と決して調和する事なく果てなき諍いを生むのですよ、まあ、そんな映画。 作品世界はなんていうかハリウッド版『もう誰も愛さない』、あるいはセリフいっぱい版北野映画、もしくは残虐版テレンス・マリック映画みたいなもんで。 描かれる事自体はごくごく単純で特に難解ってわけではなくて、元々あまり物語のディティールなんかは伝えようとしていないように思います。 ひたすら鬱々とした展開が続くのですが、その魔性とか残虐性とかに何らかの抗い難い魅力があるのか?というとそうでもなくて、ただひたすらにグロテスクな生(或いは性)と死とがあるばかりで、それはリドリー・スコットって人のカラーなのでしょうかねぇ。『ハンニバル』や『ブラックホーク・ダウン』『プロメテウス』にも通じる、即物的描写が生み出す露悪趣味っぷりに辟易。主人公が受け取ったDVDの中身のように「見せない事で伝える残虐さ」もありはしますが、ならばそのスタイルを通しても良かったんじゃないかと。せっかく長々とセリフで説明しているのですから、それをわざわざ具体的に映像でトレースするのは悪趣味としか思えません。 大量の象徴的&説明的セリフに埋められる事によって逆に映画に生まれる隙間、その密度の無さを「独特の空気感」とか表現するよりは(元々そこまでのセンスを最近のリドリーが持っている気はしないんですよね)、なんか退屈なモン見たって言っちゃった方が私としては自分に正直かな。 見終わって「これからの人生、決して長くはないのだからなるべくならもうこういう映画は見たくないなぁ」としみじみ思わせてくれる作品ではありました。 [映画館(字幕)] 4点(2013-11-18 23:04:47)(良:1票) |
652. グランド・イリュージョン
《ネタバレ》 事前の知識が殆ど無い状態だったので、どういう映画なのか知らず、映画を見ている間も何が起こるのか、どういう展開をするのか、全く先が読めないまま翻弄され続け。一切ダレる事なく、次から次へと転がってゆく意外な展開を楽しませて頂きました。 マジックを素材にして、マジックに騙され翻弄されてゆく人々の姿を通して、観客は映画のマジックに騙され翻弄されてゆくという入れ子細工構造だったりします。 見終わってみるとツッコミどころはいっぱいありそうな気がしますが(実は事前に、あるいは他で事が起きている最中に行動を起こしたのでした、って解説してみせるけど、じゃあ、その後始末はどうしたの? バレないようにするにはあのまま放置ってわけにはいかないでしょ?)、モーガン・フリーマンの生き様みたいに、そこにあんまりこだわっちゃうのは不粋ってモンでしょうね。 明らかにVFXで、実際のマジックではそれって表現できないでしょ?みたいな演出もありましたけど。 日本にもマジシャンから転じて種明かしをネタにしているような輩も居りますが、そういう不粋で悪趣味なヤツの鼻を明かしてみせるところ、スカッとしました。モーガン・フリーマンに比べると、マイケル・ケインはちょっと可哀想かな。 最終目的のアレがファンタジーしちゃってて、意味がなんかよく判りませんでしたけど、多分大して意味はないのでしょうね。4人にとってはそこに到達する事自体に意味があったんじゃないかな。 主役級の存在なのに最後までつかみどころのない4人がひたすらカッコいい、中身なんて無に等しいけど、それで十分な見世物映画って感じでした。 [映画館(字幕)] 7点(2013-11-14 21:45:20)(良:2票) |
653. 清須会議
《ネタバレ》 多分、歴史上の人物にそれなりの知識があれば楽しめるのだと思います。大して知識のない、そして登場する人物に全く自分なりのイメージを持っていない浅学な私にとってこれはテンポの悪い間延びした退屈な会話劇。 役者に頼り過ぎなのではないかなぁ、とは思います。三谷作品お馴染みのメンバーが醸す(ハズの)独特の「味」に期待し過ぎちゃいませんか、って。 タイトル以前の、戦についてはひたすら絵巻で見せる部分以外は特に魅せる映像があるわけではありませんし、軽妙にも重厚にも寄らずになんだか中途半端な状態が続くような感じ。 大体、それぞれの役者さん達の面白味は、それぞれいつもの人物というかキャラが出たところで醸されるような気がして、映画上の人物像を創造しているというよりは、その人が演じている事による面白味を味わう、つまりかくし芸大会みたいな印象があります。 場内が最もウケたところはゲスト的に他映画のキャラが登場したところなわけで、つまりはそういうオールスターかくし芸大会ノリを期待してたり、それを狙ってたりもするのかなぁ、って。まるで「コレ面白いでしょ?」ってノリで作ってるみたい。 私としてはここに登場する人物の誰にも心を寄せる事ができず、手前勝手な人々の混乱劇(まあ、三谷作品がいつもそうであるように)として最後まで流れに乗る事はできませんでした。 ただでさえヘボい映写のTOHOシネマズ渋谷で更に室内の暗い画面が多いために平板で見辛い映像の連続する状態で、たまに屋外の明るいシーンになると目と脳が安心するという、視覚的ストレスの多い映画でもあって。 人がいっぱい出てきてわーっと騒いで、っていつものパターンを、でもキレイにまとめてる感じは毎回しないんですよね。この人の作品って物語よりも細かい断片にこそ命があって、それを大量に網羅してこそ、って感じなのかな。それも今回は間延びした対話によってスポイルされているように思いましたが。 とにかくこの人の映画、毎度長過ぎ。映画ってお芝居みたいに舞台と客席とが同じ時間を共有して緊張感を保ってる状態とは違いますからねぇ。今日、上映中に30人くらいトイレに立ってましたよ・・・ [映画館(邦画)] 4点(2013-11-12 20:35:14)(良:1票) |
654. 42~世界を変えた男~
《ネタバレ》 「かつて実際にあった感動的なお話し」で閉じてる気がするんですよね。今もなお存在している差別に繋がってない感じ。 差別を描いてきて最後にそこで終わるか、と。まるでかつて差別がありました、でもあの一発のホームランによってその歴史は終わったのです、とでも言いたげな。 まさかあのいかにもな感動的スローモーションワールドで終わっちゃうとは夢にも思わず、エンディングに突入しちゃって唖然、全然食い足らないんですけど!って思ってしまって。 八方美人的な作りの映画の中で、ぽろりぽろりとこぼれ落ちてしまっていると思ったものも。あのホテルの一件の後、結局選手達はどうして、そしてあのホテルはどうなったの? 結局最後まで特に役に立った感じはしなかった、あの頼りなげな監督を引き入れる描写があんなに必要だったの? 大体、この映画の中で最も感動できるのは、映画が終わって最後に彼の偉業を讃えた文字が流れるところだったりして。「文字」で感動を伝えられたのならば、じゃあ「映画」は一体そこまで何をやっていたのだろう、と。その文字のための映像だったのかなぁ。 今もなおネットにはあの監督よりも酷い差別の言葉が大量に並んでるわけじゃないですか。人は歴史からなーんにも学ばない。で、そこに少しでもガツンと拳を振り下ろせるような映画だったか?っていうと、そんな事は無くて、なんだかサラリサラリとキレイなばかりの映画だったような気がしてしまいました。 [映画館(字幕)] 6点(2013-11-10 15:08:55)(良:1票) |
655. 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語
《ネタバレ》 まあ、つまり『ビューティフル・ドリーマー』なんですけど。 その世界、あえて『まど☆マギ』で正統派魔法少女モノをやってみました、っていう冒頭部分の違和感、だけど意識下でほむらが望んだソレは、みんなが見たかったソレなのかもしれません。アンソロジーものが悉く幸せで明るい魔法少女を描いているように。 つまり、あの世界に閉じ込めているのはほむらの意思であると同時にそういうヌルさを望むファンの意思でもあるようで。 いよいよメタものとしての色が強くなった映画新作は、そう考えると後半の徹底的な世界の破壊と明確な偽りの世界への再生がやたら皮肉に満ちたものに見えてきます。 まどかの幸せを心から願ったはずのほむらの気持ちは、しかしここに来て世界を包むエゴの塊へと置換され、これまでの物語の全てがほむらのエゴに内包された存在に過ぎなかった、キャラ達を翻弄する真因と思われたインキュベーターですらも抗えず支配された憐れな存在へと堕してしまうこの到達点は、前作の極端な、でも「どうにも納得のゆかないハッピーエンド」を更に超越してゆきます。 それに失望や絶望を抱いた方が健全なのかもしれません。ほむらの選択によるオチ(エンドクレジット後の映像まで含んで)を「最高に幸せなバッドエンド」として感じてしまえたとするならば、それは色々とこじらせているようなカンジで。これは観客に突き付けられたリトマス試験紙みたいなものとでもいうのでしょうか。 個人的にはそれに納得できてしまいましたし、とても心地よかったりもしたわけですが・・・ マミさんと劇団イヌカレーいっぱいだったしね。 [映画館(邦画)] 7点(2013-11-06 21:46:41)(良:1票) |
656. ゴースト・エージェント/R.I.P.D.
《ネタバレ》 「その2つの作品が混じったような映画」という前イメージから期待する(あるいはあまり期待しない)作品、そのままなので、納得して劇場を後にするという。 物語的にも登場人物の魅力も、予告編から予想される以上のモノはあまり見せてもらえない感じです。 っていうかライアン・レイノルズはパッとしないかな。もう少しハジケちゃってていいと思うのですが、ジェフ・ブリッジスとケヴィン・ベーコンの前では霞んでも仕方ないってところですかねぇ。 そのベテランとてジェフはまだコメディ演技を見せていて面白いのですが(帽子や女性の足首、そしてコヨーテに対するこだわりっぷりが笑わせてくれます)、ケヴィンは最近のお馴染み悪役ケヴィンまんまですし。 キャラ的に面白かったのは有無を言わさぬ姿勢でこの映画の最上位に君臨する上司役メアリー=ルイーズ・パーカーですか。あらゆる点でそこそこなこの映画の中にあってビジュアルといい演技といい、その個性が際立っておりました。 それから映画自体はコメディなのですが、愛妻を残して逝ってしまったというところが物語の重さを生む原因になっていて、それが最終的に完全に救済されるところまでいっていないのがちょっとひっかかりました。 ゴーストはモトは人間なのでそーんなにバリエーションがあるわけではなく、敵役としては今一つ魅力に欠けました。バトルシーンそのものは面白いのですが。 良かったのはクライマックスのVFXですね。襲い掛かる渦巻、どんどんと崩れてゆくビル群、その間を縫って爆走する車。結構ハデなスペクタクル映像。 何か物足らない、もう少し色々と見せて欲しいところでサックリ終わるファーストフードみたいな映画、多くを望まず、ただその時間だけそこそこ楽しめればそれでいい、心にそんな余裕がある人向けっていう映画でした。3D料金まで含めてフルプライス2000円以上を払うだけの価値があるか?っていうと、それはさすがに・・・なのですが。 [映画館(字幕)] 6点(2013-11-05 22:27:42)(良:1票) |
657. 2ガンズ
《ネタバレ》 デンゼルもマークもA級とB級の間をフラフラしてるような感じで、この映画もまたそんなニオイを漂わせたそこそこな映画。 出だしからしばしは快調です。銀行強盗を計画する二人、この二人が実は、ってところから、物語は真相の上に更に真相を重ねてどんどんとひっくり返ってゆく状態。見ているこちらは予想外の展開に翻弄されてゆきます。 だけど、そんな物語のトリッキーな細工に気を取られ過ぎちゃったのか、一向にドラマは見えてきません。麻薬捜査官と軍人、それぞれの設定のみが先行してしまっていて、その人物が当然持ち得るべき背景は全く存在していないかのような希薄さ。 それぞれの個性は描かれても、それが職業やそれまでの経歴にはあまり繋がってないんですよね。何かハンパなバディものといった風情。 後半になると強引な展開が目立ち、もうひとヒネリありそうに見えたのに終了しちゃう人物もいて、なんだか雑な印象。 その混沌とした状況に一気にケリをつける方法も締りのない演出や編集のせいか、笑えないコメディみたいな事になっています。あんなスカスカした空間での対峙じゃ本当ならサックリと誰が死んでもおかしくないし。 悪人しか登場しない映画で、それは主役のデンゼルやマークにしても同様。炎上させたカフェや撃たれた獣医に対するフォローが無いのがスッキリせず、死者は大量、なのでラストでめでたしめでたしになられてもねぇ、って。 とりあえず慌ただしい脚本と主役二人の芸達者っぷりによって全く退屈する事は無いのですが。 [映画館(字幕)] 6点(2013-11-05 21:36:31)(良:1票) |
658. キャリー(2013)
《ネタバレ》 監督はデ・パルマ版よりもキングの原作に近いと言っておりましたが、実際には原作の再映画化ではなくてデ・パルマ版のリメイクですね。 原作は今の流行りをずっと昔に先取りしたかのようなモキュメンタリー風の構成なのですが映画の構成はデ・パルマ版まんまですし、名前はあくまでキャリエッタではなくキャリーですし。 となると旧作との比較という感じになってしまって(間違い探し程度の差という状態)、ごくごく一部を除くと旧作に遙かに及ばないリメイクといった状態。 旧作より良かった点は、1つはスーの改心の過程。旧作はスーの心が掴めず、キャリーにプロムを譲るまでの流れが唐突な感じだったのに対して、今作ではもう少しスーに寄る事で過程が見えています。 もう1つはいじめっ子カップルの車との対決シーン。旧作は唐突に対決シーンが始まりますが(前のシーンからの繋がりが不自然)、今作では二人とキャリーとの行動の流れを追った上での対決となります。 で、評価できる点はその程度。 演出はデ・パルマのような個性を望むべくもなく、クロエは最初からプロムまで見た目の印象が特に変わりません。生徒の多くが旧作に比べて劣化状態、音楽も旧作のような美しい旋律を聴く事はできません。 と、どうしても旧作との比較状態になってしまうのですが、今作の価値というのが感じられないのがつらいのですよね。元が元なだけにそれでもそこそこ見られる映画になっているものの、あえてリメイクしただけの価値あるモノが見当たらないんですよね。 旧作は怖くない、むしろ切なく哀しいホラーでしたが、これはそこも薄味になっちゃった感じ。 っていうか、クロエは肩幅広くて、肩とか二の腕とか逞しくて、超能力なんて使わなくても腕力でいじめっ子に十分勝てそうな感じなんですけど。 [試写会(字幕)] 5点(2013-10-23 23:23:29) |
659. ウォーム・ボディーズ
《ネタバレ》 素材こそゾンビものですがあくまで恋愛映画ですね。 設定自体は思ってた以上にゾンビワールドです。世界はウィルスに侵されゾンビに支配され、一部の生き残った人々が高い壁を築いて立て籠もるという(『進撃の巨人』とか『パシフィック・リム』とか『ワールド・ウォーZ』とか外敵避けのデカい壁が流行りですな)。 しかしゾンビになっちゃった青年のモノローグから始まるこの映画、系譜はむしろシネクイント系公園通りオシャレ映画な、ほら『(500)日のサマー』とか『ルビー・スパークス』とか、あの辺な感じ。もっともシネクイントは古くは『ギャラクシークエスト』から最近では『宇宙人ポール』『キャビン』なんかも上映するところなので、その極が合体したようなこれこそシネクイントに相応しいタイトルかもしれません。 ゾンビは孤独の象徴。主人公が回想する空港での幸せな人々の姿、でもみんな携帯やらゲーム機やらを見つめていてちっとも幸せそうには見えないところが、つまりはそういう事で。それぞれの孤独がゾンビっていうコミュニケーションの取れない存在へと反映されて。 そして、その孤独を壊すものとしての愛。愛の魔法が孤独の病を治すというファンタジーだったりするんですよね。主人公がヒロインに出会って人間らしさを取り戻してゆく、その過程がじわじわと染みるように描かれて。 ラスト、二人の前で人を隔てるものの象徴だった壁が壊される映像の、その楽天的な希望に満ちた感じがゾンビものなクセして爽やかで良いです。 途中、不穏な存在となりそうなゾンビ仲間やヒロインの友人が、実は二人を善き方向へと導いてゆくのでした、ってところもホカホカ系な感じで。 ヒロインの友人役アナリー・ティプトンが『ラブ・アゲイン』のベビーシッター役に次いで好印象でした。 残虐なシーンも無いですしゾンビもユルい存在ですしゾンビ映画としては地雷な感じがしますが、私は心温まるラブファンタジーとしてかなり好印象を抱きました。 [映画館(字幕)] 8点(2013-10-16 22:44:04)(良:2票) |
660. クロニクル
《ネタバレ》 超能力が題材になっているのですが、SF映画というよりはよく出来た青春映画って感じです。 男3人組がバカをやらかす前半は『グローイング・アップ』や『ポーキーズ』なんかの学園ものの系譜に入りそうで(スカートめくりもありますしね)、だけど中盤以降のシリアスな展開は破滅型の青春を描いた痛い物語。そうそう、これぞ超辛口な『超能力学園Z』・・・と言ったら台無しですか。 主人公の辿る道が自業自得なのが痛いんですよね。根暗で内向的な主人公がリア充な従兄と優等生と仲良くなって、でも2人と対比して浮かび上がるのは卑屈な、常識や社会性の欠如した人間性。 特殊な能力を持った3人の、その力の認識の違いがそれを示します。面白半分に人を殺しかける主人公と、すかさず人命救助に動く優等生。主人公は自分がしでかした事に対して行動せず傍観し、責任の大きさすらも感じていない様子。もうこの時点で人間性の違いがハッキリ出ています。 元々はあの荒んだ家庭環境に問題があったのかもしれません。ですがその後の自己を決して省みず、他者に対して壁を作り孤立し牙を剥く、それはもう彼自身の問題。 有頂天から一転、転落の途を辿る事になるのが童貞喪失失敗エピソードだっていうのが本当に痛い、痛いヤツで身につまされます。 自滅していった主人公の生と死を見つめて自分の道を歩み出すいとこの姿こそが、この映画の本質なのかもしれません。 超能力シーンはワリとチャチなのはご愛嬌(ぶらーんって吊ってまーすって状態ですしね)。 超能力という特異な素材を用いて普遍的な青春の苦悩や挫折や成長を描いた秀作でした。 [映画館(字幕)] 7点(2013-10-16 22:00:48) |