661. コンゴ
たぶん、クライトンの原作はもう少し賢そうに書かれてあるのでしょう。中央アフリカの政情不安と豊富な鉱物資源、部族ごとに習慣が違う原住民たちなど…。それを小学生向けに映画化した作品です。<R-10向き>。 [CS・衛星(字幕)] 2点(2012-01-21 00:41:15) |
662. ボウリング・フォー・コロンバイン
《ネタバレ》 銃を所持していることがあの国の社会を歪めている原因ではなく、銃が必要という意識を煽るマスコミや政府の扇動が問題であると説く。日本と違って現在進行形で戦争や紛争に関わる国では民意の統合はとても重要な政策で、銃社会はその副産物という理屈。マイケル・ムーアなりの演出があったとしても、体制側の扇動への警告としては、申し分の無いメッセージでした。カナダの人が家に鍵を掛けない習慣を持っていることは驚きでした。日本は平和な国だと思っていましたが鍵はかける。(もしかして、私が住んでいる都市部だけ?) カナダは日本より、さらに精神的に無防備でも許される空気なんですかね。最近は個人情報への過剰な警報や、習い事をさせると必ず送迎する親が目に付きますが、この警戒心の強まりも、何か大きな方向へ国民を扇動する一環なのかもしれない、なんてことが思い浮かびました。 9/11で亡くなった方の数と、過去にあの国が関わった戦争や紛争で亡くなった相手国側の一般市民の数の対比は驚く資料でした。でも、Kマートに被害者を連れて行くやり方は反則ですね。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2012-01-19 23:20:49) |
663. さまよう魂たち
《ネタバレ》 ぬるくって風邪をひきそうです。女医がMJフォックスを信頼する根拠とか、MJフォックスの周りで殺人が起こる理由とか、たいして描写されずにどんでん返し的扱いで大暴れする殺人鬼おばちゃんとか、無駄にへんてこりんなFBI捜査官とか。説明せずに流しているエピソードや、伏線も無く種明かしされるような展開が多すぎる。コメディとして楽しめってことなのか? 霊体と実体の接触も法則がある訳では無く、シーンごとの都合で組み立てている。何となくそれらしい企画を外面だけでまとめたような作品でした。こんなテイストは嫌いです。墓場の軍曹だけは楽しませてもらいましたが、マシンガンは反則。あくまで罵詈雑言だけで勝負して欲しかったです。 [CS・衛星(字幕)] 3点(2012-01-19 22:47:34)(良:1票) |
664. ロリータ(1997)
《ネタバレ》 キューブリック版を観た直後だからか、ロリータ役の少女が魅力的に見えなかった。そのおかげで、偏執的な愛情を注ぐ男というテーマは浮かび上がって見えました。でも、今度は主人公の情熱が遠くなって、共感しにくい。ロリータを連れ去った男に対する怒りがあれほど大きかったのは、別れの原因を作ったからというだけではなく、奴が同族だからでしょう。「俺とロリータの関係を分かっているお前が連れ去るのか!」ってことです。そこで感じたのは、対象との年齢差を除けば普通の片思いの恋愛感情と同じということ。主人公が哀れに見えるのはそんな理由でしょう。だからって、同情はしませんが。でも、ロリータを連れ去った男は金に任せて色々なことをしていたようなので、細々とロリ趣味に沈潜する主人公とは方向性が違っていましたね。どっちが正しいロリコンなんですか? 言葉の定義が良く分かってないかもしれない。実は本作で最も嫌悪を感じたのは、机の鍵を壊して他人の日記を読むおばちゃんの独占欲でした。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2012-01-18 22:14:03) |
665. 輪廻(2005)
《ネタバレ》 優香の演技がしっかりしていて感心でした。あのおっさんがどう転んで優香のような可愛い女性に生まれ変わるのかは謎です。別にどうでもいいんだけど。転生した魂が前世の業を背負っているのは輪廻の正しい解釈なのだと思いますが、前世の記憶が無い者をいたぶるのは趣味が悪いですね。不運を前世のせいにして片づける占い師と同じ理屈です。優香が生まれ変わったら、また香里奈や椎名桔平の生まれ変わりを殺しに行くんですかね。坊さんみたいことを言いますが、輪廻って復讐の手段では無く、来世に「生」を繋ぐ希望みたいなものであって欲しいと思った次第です。真面目にストーリーに注文を付ける類いの作品では無いような気もしますが…。 [CS・衛星(邦画)] 5点(2012-01-18 22:05:49)(良:2票) |
666. 孤高のメス
《ネタバレ》 とても良かったです。愚直なほどストレートに医療従事者のあるべき姿を描いていると思います。タイトルの「孤高」とは志の高さや維持という意味で、決して難解な記号では無い。でも、その実践は簡単ではない。「医師であり続けることは、医師になるより何十倍も難しい」。いや、友人が何人も浪人してましたから医師になるのもけっこう難しいと思いますよ。でも、志を持ち続けることは難しさの質が違うのだと思います。それは、お頭の優劣ではなくその人の性格や人格の話ですね。別れの涙を怒った顔でこらえる夏川結衣が強く響きました。彼女に負けじと涙を我慢しながらの鑑賞でした。負けました。それにしても、中越典子とのお見合いを飄々と袖にするとわ。あんな「孤高」は見習いたくない。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2012-01-16 20:00:40)(笑:1票) (良:1票) |
667. ソナチネ(1993)
《ネタバレ》 一般市民を海に沈めて殺しているような輩が、沖縄の自然の中で人間性を取り戻しても何も感じません。嘘くさい。正確に言うと人間性を取り戻したのではなく、脅す相手や敵対する者がいない場所では普通の人という程度ですが、環境が彼らをヤクザ者にしたというような無責任な描写がとても不快でした。 [CS・衛星(邦画)] 2点(2012-01-16 19:59:10) |
668. の・ようなもの
《ネタバレ》 森田監督の追悼放送で鑑賞。2回目である。不思議な映画で、特になにも言っていない。日常会話にちょっと捻りを効かせた程度のシナリオ。でもそれが狙いだったことは明白。タイトルから主語を外しているのは、そこに明確な形を持たないものを入れる為だと思う。たとえば本作の製作年度。「1981年の・ようなもの」と言われ、当時を思い浮かべると、なんとなく頷ける。あるいは「青春の・ようなもの」とか。高度成長が終わりを告げ、80年代に入った初頭の空気感の・ようなものは伝えていると思う。これが面白いかと問われると、現代の視線からはさほどでもないのだけど、例えば「青春の蹉跌」に見られたような気だるい青春像から一歩進んだ時代を象徴していた作品だと思う。それを映像化した森田氏は、時代を代表する旗手になる勢いを確かに持っていた。「ナウい」だとか「ラビット関根」とか、ちょっと気恥ずかしくなる言葉やネーミングに当時を思い出す。それにしても、秋吉久美子の可愛いさに改めて驚いた。 [映画館(邦画)] 5点(2012-01-14 22:46:27) |
669. カッコーの巣の上で
これは若いときに観て魂を揺さぶられた一本です。冷静に検証するなら、偶然と蓋然を上手くミックスさせてマクマーフィを危険な精神異常者という立場へ追い込んで行く展開が上手です。彼が他の患者と違っていたのは、主体的に物事を進める態度です。上手く機能すれば最も称賛される能力であり、美徳とも言える。でも、あの種の病院では評価されないどころか、疎んじられて蓋をされる。それが悔しく映ります。最悪の相性が看護師長のおばちゃん。自分が敷いたルールしか認めない偏狭と、それが患者たちの為と信じる傲慢な正義感を持っている。ビリーの自殺は彼女の方針の結果。憎ったらしい。あれがオスカー級の憎らしさです。あのおばちゃんは私の近くにも何人か被る人がいるからか、彼女の首を絞める「ジャック・ニコルソン」を応援してしまった。私が危険人物ですね。おばちゃんはマニュアル的には何も間違っていないんだと思う。だから、ビリーの自殺にも、マクマーフィの処置にも、泰然としていられる。例えば病院関係者が本作を観たら、おばちゃんに共感するんだろうか…? はっきり言って、この作品における自由意思は敗北しています。でも、マクマーフィの遺志を継いだチーフが豊かな自然へ走り去るラストカットは、問題意識を残しつつ鑑賞者を慰める上手い締め方でした。精神病理の治療に関する知識が無いので、ロボトミー手術の信憑性に疑問符を付けてしまう。やや強引かな、と。そこが1点のマイナスです。 [映画館(字幕)] 9点(2012-01-14 22:42:06) |
670. 夜の大捜査線
《ネタバレ》 いまだに良く分からないのが米国白人社会の黒人に対する差別意識の内実。表面上は、そんなものは無いという装い。最近の映画を観ていても、白人と黒人は仲良くやっている。でも、米国に留学した友人の話を聞くと、黒人と云うより黄色を含む有色人種に対する差別的態度は残っていると言う。南北戦争は1861-1865年、リンカーンによる奴隷解放宣言は1862年、そして、本作の製作年度が1967年。つまりこの作品は、南北戦争の終結からちょうど100年後に製作された。今から45年前である。本作の見どころははっきり言って「差別表現」だと思う。南部の警官や住人たちの黒人に対するあからさまな差別態度や言葉の端々に挿入されるに差別的な言い回し。それが絶え間なく続く。現代の学校や会社における「イジメ」とは違い、白人たちが発する「自分たちより劣った種類の人間」といった表現に隔世の感が強い。身の程を知らない者に「お仕置き」してあげるって口調だ。南北戦争から100年も経過しているのだから、世代も3つ以上は変わっているはず。なぜそんな習慣が続くのか。綿花農園で多くの黒人が働いているシーンを見て、「農園労働者=奴隷」的な空気が差別風習を残している理由じゃないかと思った。ラストシーン、警察署長と黒人刑事は本作の中で初めて笑顔を交わして別れる。でも、あれは本当に分かり合ったとか、差別が無くなったということじゃない。あくまで個人的に「こいつは見どころがある」くらいの関係です。同時に、根強い差別観はそんなところから溶かして行く以外に手段が無いとも取れるエンディングでした。約30年ぶりの鑑賞でした。サスペンスとしての出来栄えは特筆するほどではないが、これは歴史的な意義を持つ作品だと思います。余談ですが、初見は地上波放送で、某家電メーカーの提供で深夜に「ノーカット・CMなし・字幕放送」という形態で放送していました。CSやレンタルが無い時代に、とても有難かった記憶があります。 [地上波(字幕)] 6点(2012-01-14 14:52:11) |
671. 狂った果実(1956)
う~ん、特になにも感じなかったです。時代が変わったってことでしょう。50年以上前の作品だけど、たぶん30年前に観ていても、感じるものは無かった気がする。旬が短い映画だったんじゃないだろうか。中平康監督の絵作りにはセンスを感じるが、登場人物たちの行動にはリアリティが感じられない。彼らの階層がごく限られた富裕層というのもリアリティ欠如に繋がる要因。後に不倫大王になる津川雅彦のウブさに笑ってしまった。そう、誰でもその日までは童貞なんです。本作の北原三枝さんは榮倉奈々に似ている、って順序が逆か。榮倉奈々が似ている。 [CS・衛星(邦画)] 4点(2012-01-14 00:51:28) |
672. ディア・ドクター
《ネタバレ》 医者という職業は人の命を預かるのだから、他の仕事より時間をかけて仕込まれる。学費も高い。それを考えると資格を持たない者が医療に携わるなんてありえない。万一のことが起こったときには「殺人罪」だろう。でも、本作のロケーションが必要としている医者の資質って、ブラック・ジャックじゃ無いことも確かだ。資格のある者が彼のようにできれば一番良いのだが、本作は行政に直訴しているのではなく、あの偽医者をあなたはどう思うか、という映画なんだよね。彼は正直だった。瑛太に言った台詞に嘘は無いと思う。実弾が飛んで来て打ち返している間にそうなってしまった。だから、彼には医師としての強い使命感があった訳ではない。気胸の空気を抜く為に胸に針を刺したときなどは、怖くて逃げようとしていたものね。でも、そこでは逃げずに母娘の最後の時間を作るために逃げた。とてもヒューマンなトンズラでした。違法行為だと否定するのは簡単だけど、一概に否定しにくい。ということで、この作品に対する姿勢はとても難しい。確実に言えるのは、自分が世話になっている医者が偽者だと分かったら私はたぶん怒るけど、偽者と知らずに処方された薬で病気を治していたら感謝しているってこと。これはそういう映画だ。すでにご指摘の方もいらっしゃいますが、「ブラック・ジャック」にソックリな話があります。そちらは年配の偽医者が正規の医者になるために医学部に入学するシーンで終わっていました。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2012-01-14 00:33:07)(良:1票) |
673. クロサワ映画
《ネタバレ》 地上波のテレビをほとんど見ない自分は、森三中の面々を始め実名出演されている芸人さんたちの芸風を知りません。その意味ではこの作品のメッセージを受け取れているのかは自信ありません。でも、とても良かったです。切なさが。誰か名のある人か、もしかしたらこのサイトでどなたかが書いていた言葉かもしれないけど(加齢記憶力不安)、「人を笑わせることと、人に笑われることは正反対に違う」。その言葉を実感したうえで、「女芸人」という仕事に付きまとう虚実と、それをすべて飲み込んで「恋愛」に向かおうとする主人公の健気に胸が詰まりました。フェイク・ドキュメンタリー的な手法をとっていますが、かなり実像に近いんじゃないだろうか。人を「笑わせる」ことが好きで始めたはずなのに、メディア側の仕込みで「笑われる」ことにも甘んじなければならない立場とか、「笑いを取る」という意味でそのあたりの感覚や境界が麻痺して行くような日常とか。笑いの裏側を描くことが物語になるのは、やはり芸人たちが平素から「笑い」に拘りを持って際どい生き方をしているからなんだと、改めて分かった気がします。作品を深刻にしないために、エンドロールでさらにフェイク色を加えてますが、そんなことする必要は無かったように思いました。たまには、盛大に感動の主人公を演じても良いんじゃないの。余談ですが、私が地上波をほとんど見ないのは本作の「どっきり」みたいな映像を見るのが嫌いだからです。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2012-01-13 01:31:14)(良:1票) |
674. 次郎長三国志 第四部 勢揃い清水港
《ネタバレ》 一家が旅から清水港に帰ってきて、個性豊かな面々がやっと一堂に会する第四部。旅立ったときには3人だった子分も客分を入れると10人近くまで増えていて、こういうシチュエーションには無性にワクワクする。本作の物語を転がすのは三五郎・石松コンビ。計算高い奴とまったく計算できない純情バカの二人は、お互いの欠点を補うように機能する。そんな野郎同士の関係がこのシリーズの醍醐味だろうか。三五郎・石松の不始末を引き受ける次郎長さん。その姿勢に一家全員が結束を固めたように見えたところに大政さんの決め台詞。「生まれた時は別々でも、死ぬときゃあ一緒と、誓おうじゃあーねえか」。・・・ジーン。あぁ単純だ、俺。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2012-01-13 00:25:07) |
675. 次郎長三国志 第三部 次郎長と石松
《ネタバレ》 前半は石松と三五郎とお仲の三角関係。お仲さんは峰不二子みたいな役柄だけど、酔った姿が可愛いんだわ。一家全員で牢獄に入れられて、そこのヌシみたいなおっさんに睨まれても余裕しゃくしゃく。時間を空けずに第三部までを観ていると、いきなり立派になった感じだけどね。だんだんと仲間が増えて来て「次は勢揃いだ」って期待を持たしたエンディング。ここまで観たら、そりゃあ次も観ます。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2012-01-13 00:05:55) |
676. 次郎長三国志 第二部 次郎長初旅
《ネタバレ》 旅に出た次郎長一家。昔の兄弟分の家に厄介になるが、そこが金欠で博打にも負けて踏んだり蹴ったり。サラシだけの裸の旅立ちになるのだけど、見送る兄弟分にその格好のまま「お世話になりました」と一同丁寧な挨拶を交わすところがとても可笑しかった。「仲間と一緒なら裸でも寒くない」ってことなんですね。本作は冒頭で大五郎、喧嘩の仲裁の流れから仙右衛門が一家に加わり、そしてエンディングで石松が登場します。この石松さんの存在感にぶったまげましたよ。大したシーンでも無いのに、吃音演技とその表情から目が離せない。若き日の森繁久彌です、ってこの時すでに40歳なんですね。私が物心ついたときにはすでに爺さん役専業だったので新鮮でした。 [CS・衛星(邦画)] 5点(2012-01-12 23:36:59) |
677. ロリータ(1962)
《ネタバレ》 キューブリックの作品で初めてコメディテイストに接しました。公開当時の役者の年齢を計算すると、おっさん53歳、ロリータ16歳。その差37歳。それは、確かに親子以上の歳の差だ。(ちなみに、ロリータの母親40歳) でも、本作のロリータは相当に大人びていて特に背徳的な印象を覚えなかった。いわゆる「ロリコン」的な見せ方にするのならば、あと4・5歳は若い少女を持ってこないと焦点がズレるように思われる。私が面白かったのは、その気になっている熟女とそれを毛嫌いしている主人公のやり取り。熟女があっさり交通事故で死んで、キューブリック作品にもご都合主義があるのかと驚いたけど、その後の朗らかなルンルンムードの音楽が確信犯のご都合主義だと胸を張っているようで大笑い。もし、私の前にあの母娘が現れてどちらかを選べと言われたら、私もロリータですよ。周囲の視線は気にするだろうけど。だから、笑いながらも中年オヤジの色ボケに切ないものを感じましたとさ。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2012-01-10 02:00:37)(良:3票) |
678. ブリキの太鼓
《ネタバレ》 ポーランドの近代史は不案内ですが、本作を観る限りは一次大戦でドイツの属国のような形で共闘し、二次大戦でもナチスに傾倒する人が多くいたようで、同じことを繰り返したんだと思います。つまり、その間のポーランドは成長していなかった。オスカルが成長を止めたのは大人たちの醜悪を嫌悪したからですが、同時にポーランドという国への揶揄ですね。成長しない国では、成長することに意味がない。二次大戦後、オスカルが再び成長を始めるのは、もういい加減に前に進まない訳にはいかない諦観が当時の国家状況に被っていたのでしょう。劇中、オスカルの大人びた子供の視線が捉える周囲の大人たちのだらしなさ。ナマものがナマナマしく描かれる生理的嫌悪感。牛の頭部に詰まったウナギが凄いインパクトです。それら気持ち悪いものすべてが、あの国をダメにしていた元凶だという壮大な皮肉映画と解釈しました。当時のポーランドから遠く離れた時間と場所に暮らす人が、気分を悪くしながら観ることに意義があるのかどうか…。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2012-01-10 01:25:21)(良:1票) |
679. フライトナイト/恐怖の夜
《ネタバレ》 久しぶりに劇場で由緒正しいB級を観たって気分です。これ、25年ほど前のオリジナルも劇場で観ていて、つい先日観直したばかりだったので比べ易いんだけど、オリジナルにあったコメディテイストが低減され、シリアス色が強調されています。序盤のストレスが溜まる煮え切らない展開はオリジナルと同じですが、早々に隣人(=ヴァンパイア)の正体が割れてアクションムービーの趣きが強くなる。主人公がヴァンパイアとの決戦に臨んで武装を固めるあたりはテンションが上がります。助っ人に来る「舞台役者としてのヴァンパイア・ハンター」がただのまがい物では無く、両親を同じヴァンパイアに殺された過去を持っている事がアレンジとしては効果的だったと思います。ヴァンパイアの虜になった主人公の彼女が、主人公の目の前で憎きヴァンパイアとキスしたり血を吸い合ったりします。そのシーンはオリジナルにもありますが、シリアスに展開している本作の方がSM的なテイストが募ってかなり強烈な見え方になっています。涙を流しながらその悔しさをバネにヴァンパイアへ向かう主人公の特攻は力強かった。本作の「B級」とは世界観に偏りがあることです。狭い地域で多くの人が行方不明になれば警察が黙っているはずがありません。主人公の家が燃やされた段階で、ヴァンパイアはお縄になるのが普通です。入院した母や壊れた車、道路の血痕などは明確な事件性の証拠のはず。でも、本作では誰も見向きもせず、主人公の周りだけで物語が進行します。そのいい加減さに目をつむるのがB級映画の鑑賞態度。ホラーという意味では、私はこれっぽっちも怖くないんですが、スプラッタと程良いCGと若者の一途さと控えめなお色気を楽しみました。 [映画館(字幕)] 5点(2012-01-08 01:34:34)(良:1票) |
680. 突撃(1957)
《ネタバレ》 反戦映画とは思わなかったですね。国によって違いはあるのでしょうが、軍隊という組織の「軍隊的な性質」を批判した映画という印象です。私は戦場へ出たことが無いから実情は分りませんが、戦争映画の兵隊さんたちが銃弾や砲弾が飛び交う最前線で「突撃」できることが不思議でした。やっぱり本当は恐くて突撃なんかしたくないんですね。本作を観て少し安心しました。でも、戦場では「突撃」命令に背くと色々と面倒が起こる。本作はその面倒を描いた映画。結局は芋づる式に軍隊の偉い人たちの無理強いという構造が改めて明らかになって行く訳だが、上官を批判することを断固として認めない組織だから本当に面倒。カーク・ダグラス大佐の弁護も虚しく、見せしめに殺される兵士たちの気の毒な描写には救いが無い。ラストシーン。そんな殺伐とした場所に身を置いて硬く凝り固まった兵隊さんの心身を、美しい乙女の歌声が解きほぐす。歌の上手下手の話ではない。「状況」によって堰き止められていた涙が流れる。戦争ではありませんが、自分も同種の涙を流しことがあるので気持ちが分かりました。あれは、やせ我慢の決壊ですね。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2012-01-07 06:23:26)(良:2票) |