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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1283
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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61.  裁かれるは善人のみ 《ネタバレ》 
撮影地はムルマンスク州のコラ半島とのことで、北極圏の海や山や街の映像が印象深い。この点でも非常に価値ある映画に思われる。 邦題の付け方からすると単純に、善なる庶民を虐げる権力は悪だ、と日本人に思わせたかったようだがそれほど簡単な話でもなく、そもそも誰が善人なのかわからない。主人公が妻と友人を失ったのは単なる自業自得のようでもあり、また正義の味方然とした都会の弁護士と、被害者に見える妻にも倫理違反があって、登場人物がみな程度の差はあれ善悪両方を備えていた。男は女を殺すという台詞があったが、その女が弱い男を殺すと脅していたのは性別関係なく荒れた社会ということらしい。 その社会に関していえば、ド田舎の古い体質が地方ボスをのさばらせている、という感想になりそうだがそういう地方レベルの話でもない。ここの国では帝政時代、キリスト教の神様のもとで政治権力と教会がともに国家を支える体制ができていて、その体制が現代において蘇りつつあることが表現されていたように思われる。寓意としてはクジラ=Leviathan=国家だろうが、これが原題であることからすれば映画のテーマは国家であって、劇中の町はいわば国全体の縮図ということになる。 神父様が主人公に話した旧約聖書の「ヨブ記」の話は、国家による統治の道具として宗教が使われてきたことを思わせる。実際に、主人公宅の跡地に教会が建ったのは神様が主人公から家を取り上げた形だが、そのような理不尽も受け入れて耐えれば長生きできるはずという皮肉な話ができている。冒頭クレジットにはロシア連邦文化省が資金を出した(「2014文化年」)と書いてあるが現体制には批判的で挑発的に見えるので、どういうつもりで政府が支援したのか不明な映画になっていた。  ところで主人公の息子を友人夫婦が引き取る動機について、友人妻は「分からない」と言っていたが、これは政治権力や神様などとは無関係に、素朴な民衆の心にこそ善が宿るという意味なのか。その後の「家族みたいなもの」という発言は、家族の紐帯を嫌う現代の西側自由世界の価値観には合わないだろうがそれはそれとして、とりあえず何がどうなろうとも、多くの庶民に本来備わった倫理や良心を守っていかなければならないというメッセージだと個人的には受け取った。 なお主教の説教の中で「善意による行いだと説き伏せようとする者がいる…倫理の根幹を壊す者にどうして自由を説くことができようか」(字幕)という部分を切り取れば普遍性のある言葉になっていると思った。善意と自由を振りかざして倫理の根幹を破壊しようとする者はどこにでもいる。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-12-30 16:45:49)
62.  コンパートメントNo.6 《ネタバレ》 
寝台列車でモスクワからムルマンスクへ行く映画で、列車内外の冬の風景やムルマンスクの都市景観らしいものも見える。映画評では「世界の見方が変わるような映画」と言われていたが個人的には何も変わらなかった。 原作付きの映画だそうだが、短縮のためか説明不足になっている気がする。主人公には特に共感できないので同室の男に関していえば、最初は粗野なだけに見えて実はけっこう愛嬌のある奴だったが、精神年齢的にはガキのようでもある。これはここの国民がこれで普通というよりも、この男個人として人格形成の過程に特殊事情があったのではと思わせる。しかし男の出自をはっきり示すものはなかったようで、ペトロザヴォーツクのガガーリンは何だったのか、住所交換を嫌うのはなぜかといったことが不明点として残る。 ただ少なくとも食堂車から戻ってからの主人公は男にとっての母親のようで、その後の行動はいわば愛する母への献身なのかと思った。いわば不良少年と母親の関係とすれば男女のラブストーリーではなかったことになる。男が言った「みんな死ねばいい」は絶望の表現だろうが(ガキっぽいが)、その心は主人公も共有できていたかも知れない。ラストで車内に陽がさして来たのは悪くなかった。 点数は普通につければ無難に5点くらいだろうが、製作国4つの中に個人的に嫌悪する国が入っているので採点放棄で0点とする。映画に罪はないだろうが感情問題ということで。 ついでに書くと自己紹介で名前を言われたのにアロハと答える奴の無神経さを憎む。隣国であるのにЛёхаが人名ということも知らないのか。
[インターネット(字幕)] 0点(2023-12-30 16:45:47)
63.  デッドリー・マンティス 《ネタバレ》 
北極から大カマキリがアメリカに飛んで来て大変なことになったという映画である。日本では「極地からの怪物 大カマキリの脅威」の名前で2013年(多分)にDVDが発売されている。 最初に南極海で火山が噴火したら北極にカマキリが出たというのは、思わせぶりな説明がついていたが意味不明である(バタフライ効果?)。カマキリは水爆実験で巨大化したとかではなく最初から大型のカマキリだったようだが、本物のカマキリとの違いが見えるわけでもなく、要は大きいだけの単なるカマキリである。ただしカマキリのくせに怪獣声で鳴くのは変だった。 造形物はそれなりに作ってあり、飛ぶ時に翅が高速で震えるのはそれらしい映像だった。カマキリの犠牲になった人々はいたが、人が食われるとどれほど悲惨かということは見せていない。ワシントンDCへの襲来場面では、こういうものに虫がとまっていることはありそうだと思わせる場面はあった。  ドラマ的には、ヒロインを間に挟んで男2人の微妙なライバル関係ができるのかと思ったらそうでもなく、おざなりでしょうもないロマンス展開だった(よくあることだが)。なお北極の場面で、この辺には木が生えていないと言った直後の風景映像で樹木が見えるのは間が抜けていた。 また事件の解明の過程で登場人物がやたらに「消去法」を使っていたのは、台詞にあったようにシャーロック・ホームズを真似た推理小説風の展開を目指したのかも知れない。しかしカマキリ映画ならではと思わせる必然性のある趣向でもなく、孤立的なアイデアにとどまっている。 ほか開始早々レーダーによる北米の防空監視体制に関するくどい説明があり、その後に出た「地上監視隊」というのも1958年まで実在した民間防衛組織のようで(Ground Observer Corps、最後に謝辞が出る)、東西冷戦の時代を背景として、北の空からの脅威に備えるべきという広報宣伝の意図があったようでもある。ちなみに現在のNORADは毎年12月にカマキリでなくサンタクロースを追跡しているが、実はこの映画の時点でもすでにやっていたらしい。 真面目に作った特撮映画のようだが単なるカマキリなので面白味がなく、その他の点で特に感心させられることもない。ただしこれが後の東宝怪獣映画のカマキラス(1967年初出)のもとになったのかとは思った。
[DVD(字幕)] 4点(2023-12-09 14:18:15)
64.  先生!口裂け女です! 《ネタバレ》 
前に見た「スマホ拾っただけなのに」(2019)と同じ監督なので、この映画も台湾映画「報告老師!怪怪怪怪物!」(先生!かかか怪物です!)の真似かと思ったが中身は違っていた。実際に題名通りの台詞もあったのは笑ったが、後の方になると「先生」の意味が変わって来る。ジャンルとしてはホラーというよりコメディであって終盤にはアクション場面もある。 口裂け女に関しては、最初はその辺の住民とどこが違うかと思わされるが実は真の口裂け女であって「私、きれい?」の台詞もちゃんとある。もともと口裂け女は三鷹・三軒茶屋・三宮といった「三」のつく場所に出やすいと言われているが、この映画でも主人公は東京都三鷹市に住んでいて、名字がミカミだったのも三上とか三神のつもりだったかも知れない。また走るのが早いので原付では逃げきれないとの伝承があるが、その原付も映画の構成要素として使っている。  物語としては、特に考えもなく悪事に関わっていた高校生が自業自得で危機に陥ったが、先生のおかげで助けられて心を入れ替えた話になっている。序盤はワルぶってイキがるクソガキ連中が苛立たしいが、最終的には微笑ましい青春映画になっていて和まされた。また終盤の戦いでは先生の大活躍がものすごく格好いいので感動した。 主人公の家庭は一人親だったが、ものわかりのいい片親だけでは家庭教育が行き届かなかったクソガキを、先生が強烈な手法で矯正してくれた形になっている。また先生が去った後は姉が年少者を導く存在になったのかも知れない。 今回の件で先生が三鷹を去らねばならなくなったのは寂しいことだが(千葉県木更津市に移転?)、ちゃんと仕置人の仕事は完遂していたようで笑った。今後の活躍を期待したくなるヒーロー映画でもあった。 登場人物としては転校生が愛すべきキャラクターで、主人公の姉もなかなか格好いい姉貴になっている。口裂け女も愛嬌のある人物で大変結構でした。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-12-02 14:34:24)(良:1票)
65.  バトル・オブ・バンガス 《ネタバレ》 
何でロシアがアフリカで戦争するのかと思ったが、実は有名な民間軍事会社ワグネルのプロパガンダ映画とのことだった。背景にはロシアがワグネルを使ってアフリカで影響力を拡大しようとする動きがあり、この映画は2021~22年の中央アフリカ共和国での話だが、最近では2023年4月にスーダンで起きた武力衝突でもワグネルが存在感を見せていた。 原題のツーリストとは新米の主人公に指揮官がつけたコールサインである。当初は観光客のような意味だったらしく、またその後はいつまでも娑婆の気分でプロになり切れない奴というニュアンスも出ていたが、最後は本人が自分なりの意味づけをして終わっていた。なお改名前のコールサインは字幕に「ピオネール」とフリガナをつけた方がよかったかも知れない。  物語としては、劇中時点で予定されていた大統領選挙で元大統領を推す勢力(旧宗主国フランス?)が暗躍し、カトリック教会の神父を使って騒乱を起こそうとしたが、ロシアの民間軍事会社の働きで無事収まって現職大統領が再選され、地元住民に「ありがとうロシア」と言われたという話である。現地の国連軍は役に立たないものとして扱われている。 会社の業務は現地の兵隊を訓練することであって戦争しに行ったのではないが、しかし一方的な攻撃を受けて逃げる気もなく、また武装解除してまで他者の保護を受けるつもりもなく応戦する形になっていた。結果として最初に来たアマチュア武装集団も、次の少しプロっぽい軍隊もほとんど皆殺しで死屍累々の状態にして、ロシア人はスパルタ人のようなものだと敵方に言わせていた(参考映画「300<スリーハンドレッド>」)。また仲間の生命は味方を脅してでも救うといった姿も見せている。 日本でこれを真に受ける人々はあまりいないだろうが本国では入隊勧誘に役立ったりしたのかどうか。単純に映画としての印象はそれほど悪くなかったが、世間の風潮に合わせて点数は低くしておく。  その他、1980年代に隣国で起きた「トヨタ戦争」のように、今でもこの辺ではトヨタ車が多く使われているということなのか、敵味方と民間にもトヨタ車がやたらに目立つ映画だった。またプロパガンダ的に「米国人は民主主義のため、俺たちは正義のため」という台詞(字幕)があったが、これは民主主義自体は正義でも何でもなく(目的でなく手段)、民主主義のためだといえば何でも許されると思うな、というように解しておく。
[インターネット(字幕)] 1点(2023-11-25 15:37:51)
66.  禁じられた歌声 《ネタバレ》 
アフリカのマリ共和国にある世界遺産の町トンブクトゥを舞台にした映画である。撮影は郊外も含めて、現地に比較的近い隣国モーリタニア国内で行われたとのことで、監督はそのモーリタニアの生まれだそうである。 歴史的には2012年からの「マリ北部紛争」で武装集団が現地を支配下に置いた時期のことであり(※図書紹介「アルカイダから古文書を守った図書館員」)、この映画でも武装集団の構成員の出自や信仰の程度、及び支配言語がフランス語だった地域にアラビア語が入り込もうとする様子が見えている。またこの紛争には外来勢力のほか国内遊牧民の集団も関わっていたが、その遊牧民の個々の人を敵視すべきでないとの雰囲気も出ていたかも知れない(主人公一家と運転手)。  宗教の関連では、この映画の立場として信仰それ自体は否定していない(モーリタニア・イスラム共和国政府が協力しているので当然)。姦通での石打ち刑はあったが極端に残酷な場面はなく、主に音楽・サッカーの禁止や服装制限など、自由度の高い社会なら普通に理不尽に思われることを見せている。基本的には原理主義を批判しているのだろうが、ほかに結婚の強制など女性関係の問題が出ているのは西側自由世界へのアピール狙いのようでもある。 前掲書によれば「ここは1000年も前からイスラムの都」であり、「敬虔なイスラムの伝統」と「芸術と科学に彩られた文化」が併存して来た土地だったが、歴史上は「開かれた寛容な時代のあとには不寛容と抑圧」も度々あったとのことだった。この映画の出来事も、そういう歴史の延長上にあることを表現していれば厚みも出ただろうが製作上無理か。  その他雑記として、このあと2013年にはフランスが現地に軍事介入して原状を回復したとのことで、この映画でも最後に正義の軍隊が登場して人々を救うのかと思ったが出なかった。最近はこの周辺へのフランスの関与も弱まってきたようで、2022年にはマリ、2023年には隣国ニジェールから駐留仏軍を引上げ、一方でマリと隣国ブルキナファソではロシア勢力(ワグネル)の浸透を許しているとのことだった。 なお武装集団の車の後部にわざとらしくTOYOTAと大書されていたのは、1980年代の「トヨタ戦争」などでトヨタ車が各種武装勢力に愛用されてきたことの反映と思われる。優れた民生品が軍事転用されることに無策との批判かも知れないが、劇中の武装集団は具体名を出さないのに(旗だけ)トヨタだけ名指しで糾弾しているように見えるのは、何かトヨタに悪意でもあるのかと思った。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-11-25 15:37:48)
67.  シン・仮面ライダー 《ネタバレ》 
今回はオープニングで東映のロゴが出る。仮面ライダーは対象年齢が自分より少し低かったので、リアルタイムではあまり熱心に見ておらず思い入れもそれほどない。 アクション場面では、序盤で崖の上から飛び降りるとか唐突な場面転換などは元の雰囲気が出ているが、その後は映像効果を多用した独自のダイナミックな映像を作っている。最後は単なる取っ組み合いの喧嘩になっていたが意図があってのことと思われる。  敵組織の目的が「人類の幸福探し」であるからには、「幸せって何?」を問う映画かと思ったら「最大幸福」は放棄したとのことだった。昔あった「最小不幸社会」の再現かと思ったが、しかしそれより進んだ現代的感覚として、不幸な人々の救済のためにはその他大勢にどれだけ負担や犠牲を強いても構わないという価値観のようでもある。その上さらにこの映画では、絶望した個人を敵組織が適当に選抜して強大な力を与え、当該個人の趣味嗜好で勝手に幸福を追求させることにより、その他大勢どころか社会全体に破滅的被害が及ぶ恐れが生じていたらしい。いわば不幸最強社会ということで、善なる意図を標榜しながらも、まるで社会の破壊自体が目的になっているかのようなのは嘆かわしい。 出て来た連中はほとんどテロリストだが、うち0号の男だけは本当に人類の幸福を目指していたらしい。しかし政府の男が言ったように「絶望の乗り越え方」は個人により違うのであって、全部まとめて処置すれば問題解決というのは間違っていることになる。最後の戦いで本郷は、社会の破滅を阻止すると同時に個人の救済にも手を貸していて、それが常に可能とも限らないがそういうことを彼は目指したのだと思われる。幸も不幸も人によって処方箋は違うはずだということだが、ちなみに「幸せって何?」に関してはルリルリの話がけっこう本質をついていた。追伸が泣かせる。 もう一つ、この世界で信じられるものがあるとすれば組織でも主義主張でもなく個人の単位でしかないのであって、そのためには誰をどこまで信じるかの見極めが大事と言っていたようでもある。ルリルリと一文字は本郷を信じ、また政府の男らをも個人としては信じようとしていたらしかった。ほか本郷が「自分の心を信じる」と言ったのは、自分がもともと持っていた良心の根底部分をどういう状況下でも失わないと決意したのかと思った。信ずべきもののわからない人類社会で、個人の心の持ち方を提言しようとした映画と取れる。 最終的には本郷の誠実さと一文字の反骨精神をもって戦うヒーロー像が実現し、とりあえず当分このまま戦いが続くらしいが、仮にこれが1年間のTVシリーズだったとすれば、最終回で人工知能が何をするかが問題になるのではないか。ロボット刑事がずっと見ていて人間の行動に関心を持ったりしていたので、その観察結果をもとに人工知能が本郷と同じく自分を変える結末だったらハッピーエンドになるかも知れない。それまでは見るのもつらい戦いになりそうだが、一文字が陽性で打たれ強そうな男なのは救われる。  以下その他雑記: ・全体的にシリアスで笑わせる場面は基本的にないが、大阪でいうとされる「知らんけど」のような台詞を浜辺美波さんが言っていたのは、制作側と若い世代の断絶を自虐的に表現したようで微妙に面白い。古い世代の常識?とされた赤いマフラーはけっこう感動的な使い方をされていた。 ・SHOCKERのSがSUSTAINABLEなのは今っぽいので笑った(偽善的)。浜辺美波さんもここは憶えにくかったのではないか。 ・キカイダーとロボット刑事は、日本語文中の英語を機械的に英語の発音に置き換えればいいと思っていたようで、各国事情に配慮する気のないグローバルな雰囲気を出している。 ・個々の改造人間についてはコウモリ→ウイルス→科学者、パリピ+薬物?といった現代的事象もあるがハチ→女王様はわかりやすい。それぞれの絶望の理由は必ずしも明瞭でなかったが見る側で察してやれということか。三種混合は単なるバカ(哀れな奴)。 ・一文字はかつて仲間を失う経験をして絶望し、自分は孤独が向いていると思い込もうとしていたが、今回の件でまた仲間を求める方向に転換したようで、この男の救済にも本郷が手を貸したことになる。政府の男らは機器類のメンテナンスその他に欠かせない連携先であり(なんと米軍まで動かしていた)、どこまで信じて協力できるか見極める力を一文字は持っている。 ・「シン・ゴジラ」「シン・ウルトラマン」に続いて体臭の話題が出ていたが今回は男だった。ニオイフェチとかは関係なく彼が人間であることの証拠と思われる。
[インターネット(字幕)] 9点(2023-11-11 15:10:57)(良:1票)
68.  シン・感染恐竜 《ネタバレ》 
本編の前後両方に長々とクレジットが出るので人名を見せるための映画なのかと思う。また主要キャストの名前がスタッフの名前にも出ていたりして同好会レベルを思わせる。 監督は毎年こういうクズ映画を量産しているようで、映画間でキャラクターが共通していることもあるらしい。台詞にあった「5Gゾンビ」や「殺人スズメバチ」、また本編の前・中・後に出た魔女風の案内役も同監督の別映画に出ていたものらしいが、今回特に説明もなかったのは観客も常連化しているからと思われる。この映画からは「Ebola Rex Versus Murder Hornets」(2021)に続いたと思われるが、そういうのにどこまでもついていく連中がいるということか。 実感として見れば見るほど損失が累積する映画だったので、こういうのは0点でいいのではと思った。アメリカ映画の最底辺を見た気がする。
[インターネット(字幕)] 0点(2023-11-11 15:10:55)
69.  7BOX セブン・ボックス 《ネタバレ》 
南米パラグアイの映画である。紹介文によれば現地でも大ヒットしたそうで、絶賛するほどでもないが普通に楽しめる。首都アスンシオン(多分)の市場街の込み入った場所感も見どころになっている。 題名は冒険ファンタジーのような印象だが、実際はただの運搬用の木箱である。その箱をめぐって追ったり追われたりのスリリングな展開になるが、主人公やその姉のラブストーリーの始まりという要素もあって和ませる。主人公の幼馴染?はなかなかいいキャラクターだった(うるさいが)。また警察署にいたおネエさんの「恋はこうやって始まるのよ」は説得力があって笑わされた。 特徴点として、ばらばらに出て来た登場人物が実は家族関係や交友関係でつながっていたり、警官も毎回同じ男だったりして非常に狭い世界の印象があるが、これが現地の下町風情の表現だともいえる。相当ヤバい連中もいたが、いざとなれば近所の知り合いが助けてくれることもあったりして、善悪込みの庶民生活が描写されている。 ラストはもう少し素直に盛り上げてくれればと思わなくもなかったが、結構な死人が出た一方で生まれて来る者もあり、今後もこのようにして人々の暮らしが続いていくという意味だったかも知れない。結果的にはエンタメとして楽しめることのほか、庶民の哀歓を表現することにも重点が置かれた映画かと思った。  その他、当時のパラグアイ事情の紹介かと思う点について列記: ・2005年時点で携帯電話がすでに普及していて写真や動画が撮れるものもある。今なら個人の動画を報道機関に提供するのも珍しくはないが、この映画の時点でパラグアイでもその端緒となる事件などがあったのか。人が死ぬ動画をそのままTVで流すのはまずいだろうが。 ・現地通貨グアラニーと米ドルのレートで頭が大混乱する映画だった。パラグアイでは2011年に1/1000のデノミを行う予定だったがなぜか中止になり、今もこういう状態のままらしい。商売敵の妻の所持金1万グアラニーは劇中レートで1.53米ドルでしかなく、現地はよほど物価が安いのかと思ったら、実際に世界的に物価の安い都市とのことだった。 ・窃盗、強盗、営利誘拐(身内も共謀)といった犯罪が多発する。いきなりナイフで刺す物騒な奴もいたが、犯罪者にも家族を養う事情があるといったことも普通に見せている。 ・個人で手押し車の運送業をしている人々は実際に多いのか。商売敵の集団が主人公を追う場面でもみな一台ずつ荷車を押していたのは、戦いに馳せ参じる際に必須の武具のようで面白かった。 ・別に珍しくないかも知れないが外国系住民が普通に商業に従事している。いきなり東洋人が出て来て何かしゃべるが字幕が出ないのでどうでもいいことを言っているのかと思ったら、何を言っているかわからないこと自体を生かした場面もあってなるほどと思った。ちなみに店名は「東洋飲食」(동양음식)とのことで、韓流にこだわらず適当に中華なども出していたのだろうと想像しておく。 ・別に珍しくないかも知れないがネコが4回くらい見えた。実際にネコが多いのか、または監督か誰かの趣味かも知れない。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-11-04 23:39:27)
70.  ガザの美容室 《ネタバレ》 
題名の場所の映画である。屋外が映る場面もあるが基本は店内だけなので舞台劇でも間に合うのではと思われる。来店者10人は全部が客でもなく半分は付添いだったが、途中いろいろあったとはいえ最初に椅子にいた客が最後まで終わらず、他の客を待たせたまま遅々として仕事が進まないのは非常に苛立たしい。密室劇風の想定に寄りかかった都合のいい作りに思われる。  この映画での前提として、まずイスラエルはほとんど視野の外に置いている。劇中のガザ地区はすでにハマスの支配下にあり、後半で戦っていた相手は現地のマフィアであって、つまりパレスチナの内輪の争いということになる。 店内にいた人々の宗教は不明だが、店主はChristineというからにはキリスト教徒、また終盤で祈っていた熱心なイスラム教徒以外も基本はイスラム教徒ということになるか(不明)。異なる宗教もあり信仰の濃淡もあるが、この場では宗教対立もなく平たい関係になっていたようである。また住民の全部がハマス支持でもないようで、登場人物の発言によればハマスの支配は熱心なイスラム教徒の支持によると思われている面もあったようだが、少なくとも劇中の熱心なイスラム教徒は支持しないと言っていた。なお当然かも知れないが神様自体は悪者扱いされていない。 その上での世界観としては、世界には民族や宗教で分かれての争いが絶えないが、新たな対立軸として世界を男女に二分すれば女性側には争いが生じない(話せばわかる)という日本でも親しまれてきた考え方のようで、パレスチナ人も西側自由世界と共通感覚が持てることが表現されている。さらに終盤の出来事からすると、この世に善き男がいるとすれば死ぬ間際の男だけ、というようでもあった。 以上は基本設定の解釈のようなものだが、その上で劇中ドラマや登場人物の心情について語る資質が自分にあるとは思えないので、点数は採点放棄的な意味で中間点の5点にしておく。  その他の点に関して、ロシア人が出て来た事情は不明だが冷静かつ周囲に睨みを効かせられる人物のようで、女性に国政を任せるべきだという話の中でイスラエル関係担当大臣というのは変に納得した。また熱心なイスラム教徒は正直で良心的な人物だった。 ちなみにマフィアが動物園からライオンを盗んだというのは実際にあったことらしい。何か動機はあったのだろうが、この映画としては台詞に出ていた「気まぐれ」というつもりだったかも知れない。若いメスに見えるので、ライオンの女の子も男に虐待されていたという意味のようだ。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-10-28 10:26:37)
71.  迷子の警察音楽隊 《ネタバレ》 
エジプトの人々がイスラエルに来て地元民の世話になる映画である。製作時点より少し昔の話ということで、少なくとも1988年より後の90年代という想定かも知れない。エジプトは1979年にアラブ諸国で初めてイスラエルを承認し、大使館もあったわけだが感情的な反発は残っていたようで、IMDbの公開情報によればこの映画もエジプトでは公開されていないようだった。あくまでイスラエル側からの思いを表現した映画だったことになる。 出演者によれば台詞はないが政治性のある場面が若干あるとのことで、自分の見た限りでは序盤で壁に写真がかかっていた場面のことかと思われる。ここでの写真の人物は、1993年の「オスロ合意」でノーベル平和賞を受賞したが1995年に暗殺されたラビン首相ではないか(自信なし)。この映画ではエジプトを扱っているが、脚本兼監督の考えとしてはパレスチナ人との共存も志向していたのだろうと想像する。出演者はイスラエルの役者だが団長役はなぜかバグダッドの出身、他のアラビア語(多分)を話す役はパレスチナ人だったらしい。  人間ドラマでは、若者の恋愛指南とか作曲上のインスピレーションを得るなど一晩でかなり深めの人的交流ができていたようである。また食堂の店主は、昔の映画体験を通じてそもそもエジプトに憧れのようなものがあったらしく、初対面時にエジプトをEgyptでなくわざわざマスルと言ったり、宿泊の受け入れを決めたりしたのもそのことが動機と思われる。映画人たる監督としては、音楽だけでなく映画も境界を越えて人の心を伝えることを表現したかったかも知れない。 店主の思いとしては、団長との間でオマー・シャリフとその妻のような宗教を乗り越えた愛を願ったのかも知れないが、団長が乗って来ないのでその場にいた若い男で一晩間に合わせたということか。また団長の立場からは、年長者として若い者に任せるべきところは任せた形になっていたかも知れない。さすがに年齢もかなり上で(演者で17歳差)人生の段階も違うという思いはあったようで、個人的にもこの団長には共感させられるものがあった。 その他雑事として、地名の中に出ていたHATIKVAという言葉はイスラエル国歌の題名にもなっているので、日本でも知っている人がなくはない単語と思われる。また全くどうでもいいことだがせっかくイスラエル映画を見たので、終わってからYouTubeでMayim Mayimを聞いていたらやめられなくなった。
[DVD(字幕)] 7点(2023-10-28 10:26:35)
72.  漁港の肉子ちゃん 《ネタバレ》 
人に勧められたので見たが、勧めたくなる気持ちはわかった気がする。子どもの生育過程に必要なものを惜しみなく提供する人物像と、自分の存在を肯定できた子どもの姿に反感を覚えそうな人々は見ない方がいい。 事前に絵面を見た限りでは、こんな人物が近くにいれば煩わしい(暑苦しい)だろうとしか思わなかったが、実際は意外に嫌悪を感じさせないキャラクターができている。また映画紹介を読むと社会性が強そうで敬遠したくなるが、見れば意外に嫌味を感じない。暗い場面や寒そうな場面もあるが基本は陽性の物語であって、ちゃんと笑わせて泣かせる作りになっているのはさすがと思わせる。登場人物は年齢性別境遇が自分と違うので直接共感する立場にはないが、問答無用で感情を動かされるものがある。 またアニメらしいファンタジックな作りで可笑しみを出しているのは楽しめる。かつて死ぬ気で働いたという仕事が奇怪なキノコの収穫だったのは子どもの想像の世界だからということか。またその辺の生物とか神社が言葉を発するのも文学少女的な性格の表れかと思うが、あからさまに人の声を当ててしゃべらせていたのが変でユーモラスに感じられる。お嬢様風の同級生の自宅が領主貴族の居館のようだったのはふざけすぎだ(笑)。 主人公の少女は小学5年生の割に達観したところがあり、これは遺伝的資質のせいかも知れないが反面教師が側にいたからとも思われる。またその反面教師の人徳のせいか、頼れる人物のいる生活環境ができていたのも救われる。親はなくても愛はある、ということも含めて、不遇なようでも実は幸運のもとに生まれた子どもだと思っていいかも知れない。 最後の出来事はどう評すべきか困るものもあるが、少なくとも事前にちゃんと祝いの品が用意されていたという点は感動的で、これは神様の特別な計らいだったと取れる。劇中人物の好みそうな品で2人を祝福しようと企んだらしく、エロ神社といわれていた理由は説明されていなかったが、特に女性を贔屓する神様だったからだと思っておく。
[インターネット(邦画)] 8点(2023-10-14 17:01:44)
73.  霊的ボリシェヴィキ 《ネタバレ》 
序盤で「禁句」を言った奴がいきなり殴られたのは笑った。世間的にはそれほど評判が悪くない映画らしい。 同じ監督の「恐怖」(2009)と似たようなものかと想像していたら姉妹編だそうで、これの方が本来の姿とのことだった。題名は昭和(戦後)に流行した革命志向との関係を予想させるが、この映画自体に回顧趣味はなかったようで、どちらかというと皮肉・揶揄の姿勢と思われる。 題名の意味として、一つは宗教の否定ということが考えられる。劇中集団の基本認識として、「あの世」はないが「化け物」のいる霊界のような場所はあるということのようで、両者の何が違うのかはわからないが、例えば「あの世」というのがキリスト教などの天国、仏教の浄土、あるいはご先祖様のいる場所など民間信仰的なものを含めた安楽の地のことだとすれば、これを宗教的な観念として否定した上でなお「化け物」のいる霊界は存在すると言っていたのかも知れない。いわば天国はないが地獄はあるという考え方のようでもある。 題名の意味としてはもう一つ、「恐怖」に関わることもあったかも知れない。例えば、水害や火災など非業の死の間際に恐怖を感じると、安らかに死ぬことができずに「化け物」のいる霊界(地獄)に行ってしまうということなら、わざと恐怖を感じさせて地獄に送ることもありうるわけで、この点を全体主義下の恐怖政治に関連づけているということか。 ほか登場人物が心霊の正体を「思念」と断じる場面もあったが、これは口調からすると思想統制の一環であってそのまま信ずべきものではないかも知れない。あくまでこの連中の思想はこうだというだけである。  映画の構成としては、廃工場のような場所(業務用大鍋あり)で人々が順に体験談を語る百物語のような趣向になっている。個人的には霊媒師の話が、見た瞬間に後悔するという点でネット発祥の著名な都市伝説を思わせて印象的だった。そこからまた別方向につながっていったのは話を逸らされた感があったが、二次元的に見えるというのは確かにそういう話はある。 物語的には、主人公に何が起こったかをめぐるミステリーのようだったがよくわからない(すり替えられたこと自体はわかる)。登場人物では小柄な運営スタッフの人が何をするかと思ってずっと見ていた。こういう人も昔なら革命の闘士をやっていたかも知れない。 前記「恐怖」と同じく面倒臭くてつき合いきれない印象もあるが、見る所が全くないわけでもなかった。
[インターネット(邦画)] 5点(2023-10-07 14:25:06)(良:1票)
74.  泣く子はいねぇが 《ネタバレ》 
秋田色の濃い映画である。海浜景観に日本海沿岸の風情があり、秋田名物ババヘラアイスも出たのは感動した。地方ではあるがみな現代に生きる日本人であり、必要以上に田舎臭く見せることもないのは秋田出身の監督として当然といえる。 男鹿の「なまはげ」に関して、劇中では「なまはげ保存会→存続の会」会長の男が全体を一人で引っ張っている印象だったが、実際は多数の集落単位で個別に行ってきたものらしい。もともと地元の青年団のような人々がやっていたのだろうから多少の不祥事があっても変でなさそうだと思うが、現実に2007年末の悪質な事件が全国に知れ渡ってしまったことがあり、この映画もそのことが発想の原点にあったかと思われる。行く先々で酒を注がれて飲まねば済まない地域社会の縛りの中で、主人公のような腑抜けが個人的方針を通すのが難しいのは間違いない。  帰郷した主人公を直接責める者はあまりいなかったが、あからさまに攻撃して来たのが会長の男であって、これは主人公のせいというより会長自体の人間性による。「わがんねんだよおめだぢが」と言っていたがわかる能力がないのであって、自分の決めた枠に人間をはめ込む以外の観念がなく、枠から外れた者には容赦なく憎悪を叩きつける。本人は善意と信じているので手に負えず、指導力があると思われて持ち上げられるのでどこまでもリーダー然としつづける。個人的には最悪と思うがこれも人間なのでどうしようもない。 一方の主人公は極めて善良な男だが、眼前の問題にまともに向きあえない人間だったようで、今になって向き合うにしても普通人のレベルとの差が開きすぎている。保育園での姿などはあまりに見苦しく、おめあど死んだ方いいんでねが(…秋田方言になっているか不明)と言いたくなったが、現に生きている人間が簡単に死ねるわけもないのでどうしようもない。序盤に出た「シロクマ効果」との関係でいえば、最後の出来事を経て心が入れ替わる可能性も表現されていたかも知れないが、安易に希望を語る気にもならなかった。 解説によると「父性」がテーマだそうだが主人公があまりに不甲斐なく、とても父性を語る域に達してないようで素直に受け取れないが、しかしそういう感想自体が劇中会長に近いかと思うと何ともいえなくなる。自分としては会長よりは主人公に近い側と感じたのは間違いない…というよりかなり近いかも知れない。結果的に自省させられた映画だった。  ほか周辺人物に関して、「運動会」ビデオを見た兄の発言は不明瞭だが孫を見せたかったと言っていたのか。事件のせいで兄が結婚の機会を逃したとすれば、いわば会長と並ぶ直接の被害者だったことになる。また親友も主人公の任務懈怠のせいで破滅したとすれば被害者だろうが、悪友ながらも最後まで主人公の味方だったらしい。社会にはこういう奴もちゃんといるということで、自分が神様の会長などとは大違いだった。 出演者について、吉岡里帆は個人的に最近見ていなかったが、こういう顔をしてみせる人だったかと改めて思った(顔自体はどんぎつねと同じだろうが)。また序盤だけだったが古川琴音という人も目を引いた。仲野太賀には引き続き期待する。
[インターネット(邦画)] 8点(2023-09-30 10:51:07)
75.  野生のなまはげ 《ネタバレ》 
低予算映画ということを前提としての評判は悪くないらしい。以下は個人の感想ということで。 ナマハゲを含む日本の「来訪神」は2018年にユネスコ無形文化遺産に登録され、ナマハゲの地元秋田県でも人口減少と少子化・高齢化の中で行事の存続に努めているが、その「来訪神」をこの映画のように、家畜や愛玩動物の扱いで「飼う」などという発想は非常な違和感を覚える。同じくユネスコ登録のアマメハギが「ゲゲゲの鬼太郎」に出たりしていることもあり、妖怪の扱いであればかろうじて許容できなくはないが、しかし最低限、人智を超えた存在でなければならないのであって、悪ガキや悪徳業者に翻弄されるなどという展開は著しくイメージを毀損する。秋田での協力は得られなかったと監督が言っていたようだが(宣伝協力として秋田県東京事務所の名前が一応出ていたが)、現に「来訪神」の存続に努めている立場からは協力できかねるということなら当然ありうる。 監督はもともとオオカミなど野生動物と少年の交流を描きたかったという話もあるようだが、その交流の相手をナマハゲに変えたのは、奇を衒ったようだが適切とは思えないというのが個人的見解である。  その他物語については要は夏休みの出会いと別れのドラマだが、笑うところや泣くところは特にない。ただ人が落ちる場面に力が入っていたのがよかったのと、「秋田美人」の登場には感動した。秋田美人役の六串しずかという人(171cm、長身)は盛岡市の出身で、岩手を拠点にモデルなどの活動をしているとのことで本物の秋田美人ではないが、しかし秋田ではないというだけのことで特に問題はない。佐々木希にわざわざ登場してもらう必要はなかった。
[DVD(邦画)] 3点(2023-09-30 10:51:04)
76.  河童のクゥと夏休み 《ネタバレ》 
うちの近所にも昔は河童がいたことになっていたかも知れないが今はいない。個人的にも河童に特に思い入れはない。 この映画の河童は野生動物のような存在らしいが、知能があって人の言葉を話すからには人間としても軽くは扱えない。ただ河童だけでなく犬やカラスも人並みの知能がある設定なので、対等な生き物として扱うべき対象はさらに広いことになる。人智を超えた能力としては言語によらない意思疎通の方法を持ち、さらに人類文明を超越した存在ともつながる立場だったようで、かえって人類の方がそのような世界から疎外された種族ということになる。 劇中河童は現代の文明社会で人間の保護を必要としていたが、子どもながら人格がしっかりしていて自立心もあり、見るからに哀れっぽい存在には描かれていないのがいい。非力そうに見えてちゃんと相撲が強いのも侮れないが、場合によって破壊的な能力を発揮するのはやはり人間として畏怖を感じさせる存在ともいえる。 また自然環境に関する問題意識についてはよくある普通程度の感覚だろうが、この映画では最初を江戸時代まで遡ることで、現代の都市開発だけでなく大規模な水田開発も自然環境に影響を及ぼしたとの認識が示されていた。ちなみに「やんばる」は2021年7月に周辺の他の地域とともにユネスコ世界遺産に登録され、いまだ米軍の訓練場に隣接していながらも、保全の条件は改善されていると思われる。しかしその遺産登録もそれ自体が別に強制力を持つわけでもないようで、何より守ろうとする人間の意思が大事なのだろうが、今後の国際情勢や経済・科学・軍事その他の都合でどう変わるかわからないと思えば、どこまでも人類など信じられないという思いはある。人類社会に上辺の社会正義はあっても良心は存在しないので、劇中河童には何とかうまく生き延びてもらいたい。  物語としては夏休みの出会いと別れということで、これまで特に主体性なく生きてきた少年に自立心が生まれ、初めて心の通じあう他者を認識する機会になったということらしい。ラストで河童と少女はそれぞれ新しい生活環境での暮らしを始めていたが、少年ともまたつながることのできる可能性を残していたのは救われる。 なお製作に当たって遠野市の後援を得たにもかかわらず、物語上は遠野に河童はいないと断言した形になってしまっていたが、座敷童子はいたのでまあいいかともいえる。その座敷童子の歌には少し心を打たれた。他にも心を動かされる場面の多い映画だった。
[DVD(邦画)] 7点(2023-09-30 10:51:02)
77.  ニューオーダー 《ネタバレ》 
メキシコ国家の悪を暴く映画である。映像面や物語構成についてはそれなりに見せているが、残酷な場面があるので一応要注意である(電気棒を尻に挿すなど)。 映画として何を訴えたいかは公式サイトに監督の言葉が一応書かれていて、民衆を顧みない政府をこのままにしておくといずれこうなる、という警告とのことだった。冒頭がショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」で始まるのでロシア革命の民衆蜂起のようなことを予感させるが、結果的に民衆が勝利したとはいえなかったという意味とも取れる。劇中では最初に暴動を起こしておいてから、軍隊がこれを鎮圧する体で新たに抑圧体制を作ったのが「新体制」の意味だったのかも知れないが、そうだとすれば特に目新しさを感じるものではない。題名は刺激的と思ったが期待外れだった。 現実の問題として、メキシコでは以前からの麻薬戦争との関係で、犯罪組織だけでなく警察や軍隊までが虐待・拷問をやってきたということはあるらしい。しかしこの映画のような営利目的の誘拐を、末端はともかく軍として組織的かつ大々的に行うことまで実際あるのか、あるいはやりかねないとアピールする根拠はあるのかどうか。まあ根拠があると地元民が思うなら他国民として否定できるものでもなく、一応何が起きるかわからない世の中とはいえるが、ちなみにメキシコ国家が本当にこれほど恐ろしいならこの映画も公開できない(関係者は生きていられない)だろうから、基本的には安全な環境で批判だけしている状態だろうと思っておく。 なお登場人物のうち「ビクトル」というのは父の友人とされているだけで実際何なのかは不明だったが、公的機関に関わっていて、軍の高官と思われる将軍よりも立場が上に見えたからにはかなりの権力者であるらしい。最後の場面で3人が並んでいたのは「軍」「政」「財」であって、これら勢力が癒着して国を動かしているが、実は「財」が痛めつけられる立場だというのを象徴的に示したのかも知れないと思った。  その他雑談として、メキシコでは公的健康保険の加入者は公立病院で自己負担なしで診療が受けられるそうで、それ自体は社会保障の手厚さを思わせる。ただし医療の質や治安の問題から、経済的に余裕のある人々は自己負担で私立病院を利用するとのことで、そのための民間医療保険に加入することもあるようだった。現地の日本人は私立病院の利用を勧められているようで、庶民向けが明らかに安かろう悪かろうという点に格差が見えているとも取れる。メキシコが世界最悪なわけでもないだろうが。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-09-16 10:03:27)
78.  バトル・オブ・プエブラ 勇者たちの要塞 《ネタバレ》 
1862年の「プエブラの会戦」で、当時無敵のフランス軍を相手にメキシコ軍が勝った話である。単純に見ればメキシコ万歳の愛国映画だが、有名なCielito Lindoは誰も歌わない。残酷な場面があるので一応要注意である。 歴史的背景は調べるのが面倒くさいのでいいとして、この映画を見る上では中央大学のラテンアメリカ研究者によるweb上の記事『「シンコ・デ・マヨ」をめぐって』が参考になった。原題にあるCinco de Mayo(5月5日)がメキシコの記念日というより主にアメリカ各地で開催される祭典の日であること、リンカーンとの関係やこの映画自体の見方について簡潔にまとめてある。 疑問が残るのは、この5月5日に盛り上がるアメリカではなくメキシコで映画化された理由だが、これは全国的には重視されない出来事をメキシコ全体の立場から捉え直し、米国内で存在感を増すラティーノとも意識を共有した上で、今後のいい関係を作っていきたいとの期待の表れかと想像しておく(知らないが)。映画の結末ではメキシコがアメリカに恩を売る形になっていた。  感想としては、戦争映画としての盛り上がりはなくはないが全体の流れが感じにくく、またよくあることだが人物が誰だかわかりにくい(頭髪の多寡で区別できるのはいる)。戦場の場面でも、ソンブレロにポンチョのような格好は地元民として、下が赤色のゆったりした軍装はどこの兵隊かわからなかったが、これはアルジェリアから来たフランス外人部隊だったということか。終盤で脚をもがれた男は顔が判別しにくかったが、これは物語的にいえば中盤で、主人公の友人を馬で裂いて殺した男に復讐した形だったと思われる。 人間ドラマに関しては、主人公が脱走兵というのは意外感があるが、最後はやっと立派な兵士になれたという印象もあまりなく、愛国映画的な外観と整合が取れていたのか不明なようでもある。ただし悲惨な戦いを経験すれば人格が向上するわけでもなく、敵が残酷であるほど同レベルに落ちるだけ、あるいは死ぬだけということなら、愛国の建前は別として現実の反映になっているようではあった。 なお主人公男女に関する最後の締め方は少しよかった。主人公の「フアン」はメキシコの代表的な男の名前だそうで、この名前でメキシコ国民(男)全体を象徴させた形らしい。無名戦士ということでもないが、国のために命を落とした多くの人々の顕彰碑的な意味もある映画かと思った。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-09-16 10:03:25)
79.  いつか輝いていた彼女は 《ネタバレ》 
映画と音楽のコラボレーションによる映画祭「MOOSICLAB 2018」への出品を前提に制作されたもので、当時活動中だったバンド「MINT mate box」がそのままバンドとして出演して主題歌も提供している。またボーカルの人がそのまま劇中の重要人物という設定のため、本人の高校時代の悪業を暴く話になってしまっているのが変である。別に実話でもないだろうが。 監督の前田聖来という人は「女優出身の新鋭監督」と紹介されているが、個人的にはAKB48出演の学園ゾンビドラマ「セーラーゾンビ」(2014)で、演者として強い印象を残したので覚えていた。  まず苦情として登場人物とその名前が把握しにくい。また音量や発声のせいで発言が聞き取りにくいので何を言っているかわからない。35分なので甘く見ていたが、2回見てやっと内容がわかってきた気のする映画だった。 設定としては高校の芸能科とのことで、一般の共感を得ようとするには特殊な世界だが、もともと自意識の強い連中ばかりという理由にはなっている。主人公は地味に見えても実は何かと他人に羨まれる資質に恵まれていたようだったが、結局別方面に行ってしまった原因としてはその場の運のほか、「マホ」との違いは人間のスケールの差?、「詩織」との違いは上昇志向の差という感じか。確かに芸能やスポーツなど高校生の頃に決定的な差が出る世界もあるだろうが、その他普通人は高校時代が不遇だったからといって負け確定とも限らないので、主人公は腐らずに何か新しいことを発見してもらいたい。真面目すぎるのが問題なのか。 なおラストで「なつみ」と「佳那」もその後どうなっていたのか見たかった。「詩織」はクセモノ感が顔に出ていた。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-09-09 10:11:09)
80.  闇の列車、光の旅 《ネタバレ》 
中米ホンジュラスの少女が父親と叔父とともにアメリカに移住するため、グアテマラを通ってメキシコから貨物列車で国境を目指すロード/レールムービーである。よくわからないが父親の後妻?とその娘がすでにニュージャージーにいたようで、途中の危険はあるにしても決行の準備は一応整っていたように思われる。 この一行に、さらにメキシコにいた犯罪組織が絡んで来る展開になっていたが、これは不法移民と犯罪組織が事実上切り離せない問題だということの表現ともいえる。中米地域には若い連中の希望がなく、不法移民するか犯罪組織に入るかの二択であるかのような印象も出していた(実際はその他もいるだろうが)。 移住計画はうまくいかず成功ともいえなかったが、主人公(少女)を中心にしてみれば、結果的にこれでよかったのだと思わせる話ができている。途中の障害になっていたのは警察よりむしろ犯罪組織だったが、このMS-13という実在の組織はロサンゼルスのエルサルバドル移民が作ってアメリカと中米に広く勢力を持つ組織なので、裏切り者の男がメキシコを出ても安全になるわけではなく、それなら本人もここが死に場所と思って納得できたかも知れない。  ところで監督は日系4世だそうだがいかにも日系人という顔でもなく、自分の祖先が移民であることが制作の動機というわけでもなかったようで、たまたま前作の短編で移民問題を扱ったことからの延長らしかった。 この映画では主に移民する側に寄り添うことで観客の素朴な良心による共感を誘う形になっているが、それはそれでいいにしても、この映画の後にアメリカの不法移民はさらに問題が大きくなってしまっている。2021年からの民主党政権下では移住希望者が大挙越境して来るため南部国境州が対応に苦慮する一方、ニューヨークやシカゴといった聖域都市での受入れにも住民の不満が出始めているとの報道もあった(2023.5.15ニューズウィークの記事)。 監督としては、移民問題は普遍的なテーマだといいながらも実は日本にはあまり関係ないだろうと思っていたらしかったが、制作当時の2009年と違い、現在は日本でも他人事といえなくなってきているのは報道等に出ている通りである。この映画を見て主人公を応援してやるばかりでもいられない。
[DVD(字幕)] 5点(2023-09-02 15:32:01)
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