61. チャーリーズ・エンジェル(2000)
《ネタバレ》 “CHARLIE'S ANGELS”『チャーリーの天使たち』複数形です3人組です。 女の子たちがコスプレしてスパイ活動し、悪い男をなぎ倒し、イイ男を誘惑する。女の子だけのチームものの元祖かもしれません(※詳しくないので想像です)。そんな人気テレビドラマ('76~)のリメイク映画です。 リメイク作品ですが、当時はまだまだオリジナル作品も元気で、CGであれもこれも表現できるとハリウッドが活気のあった時代。ネタ切れ感で惰性で創られた作品というより“今の時代だから出来る往年の名作のリメイク”と言った意味合いが強かったかと思います。 …まぁ、この先10年以上も名作リメイクばっかりの時代が続いてしまうんですが… 3人のエンジェルは当時の“時の人”でしたね。盤石の人気のキャメロンに、子役時代が懐かしいドリュー、最近良く観るルーシーと、彼女たちが選ばれた理由も納得です。オリジナルは全員白人だったのを、白・白・黄に。日中アジア市場を狙って(だと思う)ルーシーを入れてますね。あくまで勘違いニッポンですが… ワイヤーアクションでフワ~~~っと飛び上がって足伸ばしたら敵に当たる。スローモーションでくる~~んと回転して敵を倒す。痛みが感じられないアクションの、ゆるフワ作品ですが、女子ウケは良かったです。 例えばセーラームーンも、戦闘が迫力あるとかでなく、日常のほのぼの感と、変装してゴージャスな大人の世界に足を踏み入れるドキドキ感がメインで、彼女たちが華麗に戦うまでの前置きを楽しむ作品です。本作はそこがよく解ってた作品だったと思います。私はちょっと物足りなかったけど… [映画館(字幕)] 5点(2024-09-01 12:46:15) |
62. ジュラシック・パークIII
《ネタバレ》 これ3D映画だったっけ?ブラキオサウルスの顔アップや、最後のプテラノドンの飛行カットに3D映画らしさが感じられたんだけど…だとしたらこの映画のウリは“本物そのままの恐竜が、臨場感満点の3D映像で迫ってくる”だったのかも知れません。覚えてないけど。 完全にアトラクション映画になってしまったシリーズ第3弾。恐竜人気上位ランカーは前作まででほぼ出尽くした感じで、洗濯板アンキロサウルスと、見掛け倒しのケラトサウルスが登場しています。そして活躍不足だったプテラノドンを前面に出してきました。 映画としてまだまだウリが弱いと思ったのか、なんとティラノより強い恐竜を出してきました。あのスピノサウルスです!…知らねー。 私たち世代にとって、ティラノ=最強は揺るぎない事実です。「恐竜の王さま・ティラノサウルス」兄が持っていた恐竜大百科にもそう書いてました。そのティラノがタイマン勝負で負けるなんて…こんな後乗せサクサク感満点の、陸戦用百式改みたいな、ボクが考えた最強恐竜みたいなの(実在はするみたいです)出されても、どう反応して良いのか困ります。 ラプトルの発声器、プテラノドンの鳥カゴと観ごたえのあるシーンも幾つか。前作からヒロイン(かな?)がウザいのを継承。 やっとの思いで海岸に出たら米軍がズラリと並んでるのは、映画というよりアトラクションの終わり方だよなぁ。上映時間は前作のサイトB編とほぼ同じで、適度に疲れない長さでした。 [映画館(字幕)] 5点(2024-08-31 17:22:50) |
63. ヴィジット
《ネタバレ》 “The Visit”『滞在』 夜中に吐きながら歩き回るお婆さん。『夜9:30を過ぎたら大人しく寝なきゃダメ!』なんて前フリが活きているから、次の晩はどんな怖いものを観せてくれるんだろう?なんて期待してしまうし、その期待にしっかり応えてくれたお婆さん…じゃなくて映画でした。 床下の鬼ごっこ。初見時は怖さ満点だったけど、何回か観ていると、とてもお茶目なイタズラ好きのお婆さんに観えてきます。ほのぼのした次の瞬間に驚きを残すの、巧いよなぁ。老婆+お尻丸出しなんて組み合わせ、凡人には思い付かない、シャマランの持ち味全開に思えました。 シャマラン作品らしく後半に仕掛けがありますが、本作はこの仕掛けから逆算して組み立てられた作品のように思います。このネット社会で、お互い顔も知らない状況にしていますが、結構自然だったと思います。パソコンのカメラは壊しても、ビデオ撮影はOKだから、気が付きにくい風にしています。仕掛けが解っている2回目も(仮に途中で仕掛けに気が付いても)、それはそれで観方が変わって楽しめました。 祖父母と孫の初めての交流。日中の穏やかな時間が、観方を変えると、孫たちをもてなそうと精一杯頑張る祖父母に観えて健気です。日中にも徐々に顔を出してしまう異常行動。祖母は本当の娘をシンモフィテリア星に送ってしまった=カバンに詰めて井戸に沈めて溺死させているので、正常なときに娘のことを聞かれると壊れます。ベッカはその反応を15年前の母への気持ちと勘違いしてます。それでも、何とか一週間、良い祖父母を演じようとしています。孫たちも、徐々に異常に気がついていても、出されたご飯やお菓子をペロリと食べてるのが可愛い。 この老夫婦の目的は、4人でシンモフィテリアに行く(井戸で心中する)ことのようです。そのため、祖父母は地下に隠していたけど、ステイシー(訪ねてきた知り合いの女性)はブラブラさせていたんですね。 孫たちと心温まる完璧な一週間を過ごしたのは、正常時の妻クレアのトラウマを克服させるためだったんでしょう。 登場人物全員がトラウマを抱えているようです。祖父にしても、恐らく工場で白いものが見えてクビになって仮装パーティに行けなかったとかでしょうか? 終盤に姉弟が自分の力でトラウマを克服するのも一本の映画として上手いと思います。映画の最後にあれほど悩んでいた父の映像を入れ、更に賛否両論(?)の『弟が ぜひにと言うので』がサイコーでした。鏡を見てメイクできるベッカと、おむつの汚さと死の恐怖を歌えるタイラー。結論として弟くんカワイイ。 もう監督=M・ナイト・シャマランというだけで、ある意味見る前から“最後にオチがある”ってネタバレしています。そんなレッテルを貼られているので、観る前からオチを見破ろうと予想しながら観るし、そのオチが期待以上だったか以下かで、評価されている部分が強いのかなと思います。 でも、本作の老婆の裂けたズボンとか、想像したこともない映像を観せてくれて、原作ものやリメイクものが多い中、オリジナル作品で勝負していて、近年どんどん長くなっている上映時間も短くスパッとまとめられる。作品にムラはありますが、もっと評価されて良い監督だと思います。なので点数ちょっと甘め。 [DVD(字幕)] 8点(2024-08-31 16:11:40) |
64. 若い人(1962)
《ネタバレ》 華やかな女子校が舞台です。こんなところに足が長くて爽やかな石原裕次郎をポトリと落とせば、そりゃあモテモテでしょう。でも当時の生徒の、顔立ちの幼いこと。中学生か下手したら小学生に観えます。そんな中、江波恵子の目鼻立ちの整い具合が群を抜いています。当時吉永小百合は17歳。 テストの裏に、メンデルやら相合い傘や先生のイラストと共に『愛と憎しみは双生児である』とある。野上弥生子の言葉を引用する辺り、学のある子なのが解る。江波恵子が橋本に提出した歴史の答案。自分が私生児であること、父が誰か解らないこと。『私は母を愛している。それと同じように母を憎んでいる。』と、また聖母マリアを引き合いに出し『神様の父を欲するより、人間の父を欲する』と自分の心情を赤裸々に書いている。 江波恵子には、父親という本来自分に必要な存在が、もともと欠けている自覚があるんだろう。恋愛対象として間崎を求めるとともに、未だ見ぬ父親像までも求めていたんだろう。『先生がどっか行っちゃう、先生どこにも行っちゃイヤだ、私だけの先生でなきゃイヤだ!』泥酔した母親の、女の部分があまりに強烈で恐ろしい。母として恵子と2人で間崎のアパートを訪ねたときとのギャップ。娼婦の母親の生き方を幼少期から見てきた見た恵子が、母を愛し母を憎む理由がこれでもかと伝わる。 若い人は4回も映画化された作品。この'62年版は、間崎が喧嘩に巻き込まれたあとの展開が原作とは異なるようで、マイルドで爽やかな終わり方をしているようだ。清純な吉永小百合のイメージに合わせたのかな?間崎が「橋本先生が好きだ」と言ってからの、恵子の心の変化が急カーブな感じ。 [CS・衛星(邦画)] 5点(2024-08-27 23:38:01) |
65. アダムス・ファミリー2
《ネタバレ》 “Addams Family Values”『アダムス家の(代々受け継がれてきた)価値観』 モロにアメリカ現地人が好みそうな味だった前作から、同じ材料・同じ風味を活かしつつ、日本人の口にも合う作品に仕上がっています。1にドハマリした人には、万人受けする2は物足りないかも?私の場合オースティンパワーズがそんな感じでした。 前作で感じたイマイチ乗り切れない感は、恐らく、長い歴史を持つ原作の持ち味を活かした結果、その文化に触れていない私たち日本人が感じた、置いてけぼり感に思えます。2ではそこが上手い具合に、原作に引っ張られること無く、映画のキャラの独り歩きが成功したんじゃないかな?って思えます。 マイケル・ジャクソンネタを2回も入れてきたり、お利口さんのお手本・サマーキャンプの気持ち悪さを笑ったり、有色人種や障害者差別をぶった斬りしたり…サウンド・オブ・ミュージックやディズニーを朝から晩まで観せられる拷問なんて、前作の笑いとはガラッと毛色が違います。笑いのセンスが'89年から始まったザ・シンプソンズにとても似ています。アメリカ・ローカルではなく、世界でもウケているアメリカ発のコメディをしっかり研究して、作品の中に落とし込んでいるように感じました。 あの無表情なウェンディーが、キャンプの拷問に恐怖する様子は、お笑いネタとしてウマいなぁと思うし、引きつった笑顔を作る演技は、T2のシュワちゃんの笑顔並みに素晴らしい。クリスティーナ・リッチ13歳でコレ出来るのが凄い。 だけどこのファミリーに明るい笑いは諸刃の剣です。次作があったとしたら、きっとマンネリ感とコレジャナイ感たっぷりになっていった事でしょう。 [DVD(字幕)] 7点(2024-08-27 20:32:05) |
66. ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク
《ネタバレ》 “The Lost World: Jurassic Park”『失われた世界:~』。コナン・ドイルの同名小説から命名されたそう。M・クライトンの原作小説はあるけど、映画と同時制作だったため内容は異なる(※末尾に“2”が付く。あらすじ見ると全然違ってて驚いた)。あと、タイトルに“World”が入ってて、後の作品との区別がややこしい。 公開当時は『また大画面で生きた恐竜が観られる』ってだけで、劇場に足を運ぶ価値を感じるかどうか?でした。でも前評判で運悪く?『ホラー映画並みに残酷描写が多すぎる』なんて言われていたみたい。小さい子と観ようとしたママンの友人から、運良くチケットを貰いました。 客足が伸びないために起死回生を図ったのか、ティラノが街でバスを襲う映像も『大ヒット公開中』のテレビCMで流してしまいました。…この、街で恐竜が暴れるシーンは本作最大の隠し玉で、劇場で観た人をアッと驚かせる目的だったはず。私が知る限り最悪のネタバレCMの一つじゃないでしょうか。 前作は、恐竜遊園地で起きるハプニングでしたが、本作は放置された恐竜牧場へ調査に行く話&恐竜狩り。ステゴサウルス初登場や、頭突きのパキケファロサウルスの解説にはワクワクしましたが…。 なにせ登場人物が自分勝手な人ばかりで、自分がどの立場で観たら良いのか解らない。恐竜狩りは可哀想にも思えるけど、ハンターの寝込みを襲って恐竜を逃がす&ティラノの子どもの治療は、やり過ぎ。主人公側が自然保護活動グループみたいになってしまって、自己満の理論を押し付けられているようで、入っていけない。自分理論は押し付けるのに、良い人エディの死にはアッサリしてるのも鼻につく。マルコムたち調査チームと自然保護活動家は別グループにしたほうが良かったかと。自然保護、意味不明な女(サラ)の行動、黒人の娘と、近年ハリウッドで蔓延しているポリコレの原型が観えます。 話にメリハリがなく、画的に前作と代わり映えのないサイトB編が解決するまでが約90分。そこから残り40分がサンディエゴ編。キングコングをリスペクトした内容でしょうけど、トータル129分なのに、凄く間延びした長~~い映画に感じました。でもコレ、CMで観てなかったら印象違ったかも知れません。 犬を食べられ驚く夫婦。ゴジラがどうしたと叫ぶニッポン人。サンディエゴ編は一転してコメディ色が強く出てきます。CGがまだ珍しい時代。ティラノが街で暴れる映像は見応えありましたが、マルコムたちの目的が“子供を親に返す”という、そんな人道的な意図が恐竜に伝わるのか疑問。まぁキングコング同様、ティラノが殺されるのも後味悪いとは思うけど。遺伝子操作して勝手に恐竜造って、島からティラノ勝手に連れ出して、最後勝手に島に帰す。人間のワガママさが良く出てました。 最後の最後に翼竜プテラノドン登場。おぉ、美しい…。前作で観たいと思った映像は、ほぼ全て観られました。…ここから先、よく4作品も創ったものです。 [映画館(字幕)] 5点(2024-08-25 11:02:03) |
67. モロッコ
《ネタバレ》 “Morocco”北アフリカの国名。原作は“Amy Jolly”という舞台劇だそう。悪魔の手毬唄で、結構な時間を割いて流されていたんで気になっていた映画です。日本初の日本語字幕付きトーキー映画として、歴史的価値が高いです。 一人の女は片道切符で遠く最果ての街・モロッコまで流れ流れた酒場の歌手。そこに居た、故郷を捨てて外人部隊に身を置く一人の男。こりゃ失楽園ですねぇ。日本ならド演歌だけど、このお洒落さ。二人とも平和な街には居場所がなかったんですね。 アミー「あなたを好きになりそう」トム「10年早く会いたかった」。女はこれから先の未来を見ようとし、男は変えられなかった過去を見る。好き同士のこの気持ちのズレ。 最果てのモロッコから、外人部隊も歌手の仕事も捨てて、貨物列車でヨーロッパへの逃避行。そんな落ちぶれる一方の人生にアミーを引っ張り込むのではなく、大富豪との人生の再出発のため身を引くトム。目いっぱい神経を逆なでする目的のルージュの伝言。でもね、アミーはあの高価な宝石をテーブルに出しっぱなしで部屋を後にしてるのよ。アミーは全てを捨てる覚悟が決まってたのよ。 遠近感を狂わせる異国情緒溢れる門と、その先に無限に広がる砂漠。死を覚悟しているトムと、手ぶらで、ヒールさえ脱ぎ捨てて、その後をついて行くアミー。砂漠に飲まれていく人影。未来を手放した二人の物語は、やっぱり失楽園ですかね。 安定した生活と、ちょっとお金持ちになりたい欲を持った、私たち平凡な庶民と違って、手に入れた全てを捨てて、愛だけを選んだアミーの生き様に、少しだけ惹かれたりもします。 [DVD(字幕)] 6点(2024-08-24 00:56:03) |
68. ジュラシック・パーク
《ネタバレ》 “Jurassic Park”『ジュラ紀遊園地』。 この当時、私たちの身近なCGといえば、ようやくバーチャファイターが誕生し、ポリゴンのカクカクしたキャラに驚いていた時代、映画はさらに革新的な映像を生み出していました。ターミネーター2の液体金属描写には驚きましたが、まさかCGとアニマトリクスで、まるで生きているような恐竜そのものが創れるなんて、思いもしませんでした。懐中電灯に照らされたTレックスの瞳孔が収縮した瞬間、人類はどんな映像でも創り出せる領域に達しました。 私が子供の頃の恐竜は、トカゲやワニの祖先として、ゴジラのように直立して、二本の足で尻尾を引きずって歩くものと思われていました。この映画の時代、鳥の祖先として頭を前に突き出し、尻尾を立てた、鳥のような姿勢で、軽快に走る姿はとても美しく、恐竜の研究も、10年そこらで大幅に進んだことを感じさせくれました。また琥珀に飲まれた蚊の血液から…というのも凄くリアリティを感じました。デジカメで撮った膨大な画像や映像データが、爪の先くらいのマイクロSDカードに入ってしまう不思議さと同じくらいのリアリティ。時代が進めば本当に実現出来るんじゃないかな。 本作は一番最初のCG恐竜映画にして、観たい恐竜映像のほぼ全てが詰め込まれていたと思います。まるで生きている恐竜を観る驚き。あれから30年以上経っていますが、その後どんなに進んだ技術で創られた恐竜映像でも、本作のインパクトを超えるものは、今のところ創る事が出来てませんよね。敢えて足りない部分を言えば、本作に登場していない、ステゴサウルスとかプテラノドンなんかを観てみたいかな?くらいでしょうか?他には…あまり思いつきません。 当初は、超有名なティラノサウルスより、聞いたことない小型のヴェロキラプトルの方が目立ってた事に疑問を感じてましたが、今思うと、ティラノがずっとメインだと、ストーリーも大味になってたかなって思います。建物に入ったラプトルが足の爪でカンカンとリズムを取る(?)のが妙に生々しく感じました。 それでも最後はキング・オブ・恐竜・ティラノで〆る所がニクイです。そう、観客は小さい頃に夢中になった恐竜を観に来てるんだから。やっぱ最後はティラノでなくちゃ。 体感型映画だけに、ストーリーはオマケに感じていましたが、子ども嫌いのグラント博士の心境の変化に注目です。最初化石の発掘をつじて、会うことのない恐竜に思いを馳せ、ラプトルの爪の化石を大事に持っています。その後パークに来て、自然に逆らって人間が創り出した恐竜を目にし、ラプトルの爪に価値を感じなくなり、捨ててしまいます。冒険が終わり、グラントは満面の笑みをエリーに向けます。神によって人間が創ることを許された生命こそ、いまグラントが両手に抱えている“子供”なんですね。見事です。 [地上波(吹替)] 9点(2024-08-21 23:41:41)(良:1票) |
69. アダムス・ファミリー(1991)
《ネタバレ》 “The Addams Family”『アダムス一家』。ホンダ・オデッセイのCMで何度も観た人たち、何度も聞いた曲(※このCM、モーティシアと執事だけ本物だったって今回知ったわ…軽くショック)。きっと私たち世代には凄い知名度ですが、どれくらい流行っていたんでしょうかね?ロードショーでよくやってたと思いますが、私は今回が初視聴となります。アメリカのコメディって独特のクセがあるので、スーっとハマれば何よりですが、馴染んでくるまで時間がかかるんですよね。 1作目なのに登場人物とかの説明は無し。聖歌隊に熱湯?のようなものを掛けるオープニング。リンゴを咥えたパグズリーにボウガンを撃つウェンズデー…結果は描かれない。悪質なジョークなのか?聖歌隊は死んだのか?バグズリーは不死身なのか?この世界観の予備知識が無いから、私は彼らファミリーが妖怪か何かかと思っていましたよ。だってハンドくんとか出てくるし、門は勝手に閉まるし、シロクマの敷物は足かじるし… うぅ~~~~ん、全然馴染んでこない。笑いのツボが私とズレている。でも、無表情なウェンズデーと、意味不明な笑いを浮かべているフェスターの表情はイイネ。ウェンズデーのこの色白・無感情キャラって、'90年代の日本のアニメに多大な影響を与えたと思います。綾波レイにホシノ・ルリに土萠ほたるに…クセの強い味付けを、日本人好みにして馴染ませる技術。そういうの日本のクリエイターって上手ですよね。スパイスの効いたインドのカレーを日本の国民食カレーライスに変えてしまう技術と一緒かもしれませんね。 血みどろの学芸会でちょっとクスリとしました。だってジョバババババーーーって、血が出続けてるんだもの。 その後のテンションは低空飛行でしたが、どういう訳か、モーティシアが拷問器具で締め上げられているところで、突然、急に、この一家が愛おしく思えてしまいました。どうしてこのシーンで?って、自分でも意味が判りません。あと15分ほどで終わるというこのタイミングで『もう1回最初から観てもいいな』って思えたんです。 次に観たとき、心から楽しめるか判りませんが、最初観るときの、感性が馴染まなくての苦戦はしないでしょう。ひとまず2も観てみます。 [DVD(字幕)] 6点(2024-08-20 23:09:04) |
70. 姿三四郎(1943)
《ネタバレ》 黒澤明・初監督作品。私が観たのは79分版です。原作小説の連載からおよそ半年後に公開。1年後の再上映の際に、約18分ぶんがカットされていたそう。検閲で引っ掛かったシーンがカットされたのかな?なんて思ってましたが、戦争中の節電目的のため、上映時間を80分以下に短縮しなければいけなかったというのが、実際のところのようです。シーン同士の繋ぎ目的で入る文字の説明が、何とも盛り上がりを欠いてくれます。ここに説明文が入っている仕様なので、恐らくGHQの上映禁止が解除された'52年版なんでしょうか? 三四郎が強敵たちを倒し、最強の柔道家になっていく様子が描かれます。柔道と柔術の闘い。他流派との試合ということもあり、後のジャッキー・チェンのカンフー映画に通ずるものを感じましたが、そんなノリで楽しんでいい映画だと思います。 でも、私たちの格闘技の目が肥えてしまったのか、本作の柔道家も柔術家も、観ていてそんなに強そうにはみえません。相手が軽々と吹っ飛んでいく演出のせいもありますが、登場人物が“強い柔術家を演じている役者”から抜け出せていません。 時代劇(チャンバラ)や西部劇(撃ち合い)は、色んな人の手で、色んなパターンが練りに練られて、見得の切り方やカメラワークに工夫が重ねられ、熟成されていきました。そのため俳優が刀や銃の達人でなくても、格好良くみせる手法が確立していたんでしょう。でも柔道や格闘技は、まだ映画の題材として取り上げられていなかった時代というのもあり、誤魔化しが効きにくいのかも知れませんね。 それでも、短時間だったというのもあるけど、飽きずに楽しく観られました。 [DVD(邦画)] 6点(2024-08-19 23:35:16) |
71. 史上最大の作戦
《ネタバレ》 “The Longest Day( Must Have An End.)”ロンメル元帥が上陸作戦が行われる日を称して『一番長い日になるだろう』といった言葉から。また『(どんなに)長い一日(にも、必ず終わりは来る。)』って、ことわざの一部でもあるようです。連合国軍の大規模反攻作戦で、第二次世界大戦のターニングポイントになった、ノルマンディ上陸作戦の映画化です。 この時代、第二次大戦を扱った映画が多数創られていますが、米英独仏の各国豪華俳優陣の共演、米英独それぞれのパートをそれぞれの国の監督が撮影、軍の協力で予算以上の大規模な撮影を可能にしたなど、上映時間の長さもあって、まさに当時の戦争映画の集大成のような作品です。 落下傘が教会に引っ掛かって死んだふりしてやり過ごした兵隊、味方識別のクリケットの悲劇、塀を挟んですれ違う敵味方、たった2機の戦闘機で出撃、自宅を艦砲射撃されて歓喜するフランス人などなど、史実・創作入り混じって、当時の戦争映画らしい大小の珍エピソードがいっぱい出てきます。 圧巻は自由フランス軍のスウォード・ビーチ攻略戦の長回し空撮。行軍に合わせた着弾と爆発のタイミングが絶妙。カメラが180°回転し、橋を渡った兵士を追う機銃掃射。丘の上からも降りてくる兵士。独軍の要塞と化したカジノビルの屋上までを収める。今の目で観てもかなりの臨場感が感じられます。 当時の戦争映画は反戦色がほとんど無く、西部劇同様の娯楽色のほうが強かったんでしょう。殺し合いをしているのに痛みは感じにくいです。また題材も“軍隊同士が戦場で戦闘する”のがメインで、そこに住む武器を持たない市民が犠牲になる様子はほぼ描かれません。 昔はたくさん創られていた、戦闘シーンの格好良さがウリの戦争映画。映画界にも軍(スポンサー)にも、お互いにWIN-WINの関係だったんでしょうね。 [ビデオ(字幕)] 6点(2024-08-18 20:59:57) |
72. 機動警察パトレイバー
《ネタバレ》 漫画、OVA、そして映画とそれぞれ微妙に違う世界を展開する、メディアミックス作品のパトレイバーですが、私の中では一番最初に触れた漫画版がオリジナル扱いです。なので、OVAでイングラムをアルフォンスと呼ぶも、おタケさんじゃなく香貫花なのも、違和感を感じてました。 劇場版は“押井監督版パトレイバー”のカラーが強烈に出ていて、「面白いんだけど、なんかパトレイバーと違う」って感じていましたね。ゆうきまさみの漫画版は、少年サンデーの連載作品だったためか、'80年代後半作品らしく、サラッと爽やかスタイリッシュで無国籍なんだけど、押井さんが手を加えると、'70年代後半のジメッと汗臭い四畳半アパートな昭和感が丸出しになるんですね。うる星やつらのアニメ版後半と同じ味付け。あ、こっちも少年サンデーだ。 オープニングでいきなり自衛隊が撃ちまくります。パトレイバーは日本の少し未来の話ということで、リアリティを欠く派手な戦闘アクションは描けない縛りがある中、演習中の暴走事故とは、良い目の付け所です。暴走レイバーとの格闘を除き、静かな展開が続きますが、最後の方舟で大暴れ&零式VS98式の戦闘は、ロボットアクションが観たい層も大満足でしょう。 パソコンが一般家庭に普及した、ウインドウズ95が出る6年も前に、OS書き換えやらコンピューターウイルスやらを、娯楽映画に持ち込んで、ある程度解りやすく噛み砕いて観せてます。無人のレイバーが暴れるという、見た目に分かり易い危機だけでなく、犯人である帆場の死後も、目論見通り大暴走に向かっていく、コンピュータープログラムの怖さ、力では止められない恐怖も表現して観せたのは見事です。 バビロンプロジェクトの広報映像とかの、初期も初期のCGが時代を感じさせます。でもこんな時代にコンピューター犯罪を取り扱った先取り感。意志を持ったコンピュータとかでなく、あくまで人が打ち込んだプログラムによる犯行というのは、本作が初だろうか? この劇場版1は久しぶりに観ました。シリーズの主人公・野明のキャラが、思った以上に漫画チックだったんだなぁと。押井版の落ちついた世界観を考えると、ちょっと子供子供してて鬱陶しく感じてしまった。 本作ではバタバタと動き回って“活躍”する遊馬たち特車二課とは対象的に、帆場の足跡を追う松井刑事たちが、東京の古い町並みが壊されていく様子を静かに映し出します。動の中に静を持ち込む。本作以降の押井監督がよく用いる手法(※OVAでは実験的にやってた)ですが、動の遊馬と静の松井刑事とで分けたことで、物語の勢いを邪魔してなくて良いですね。以降の押井監督作品は、この静の部分が増えていきますが、本作くらいのさじ加減が一番バランスが良かったんじゃないでしょうか? [ビデオ(邦画)] 7点(2024-08-17 19:37:30) |
73. 永遠の0
《ネタバレ》 私が小学生の時、教室で読んでいい漫画ってのがあって、『はだしのゲン』とか太平洋戦争を描いた漫画が数冊ありました。アジア各国で悪逆非道を行う日本軍。“御国(天皇・国家)のため”に無駄に死なされた神風特攻隊。特攻の命令を出す悪そうな上官と、悔し涙を流しながら出撃する隊員のイメージが印象に残ってます。私たちは自分で考える前に、そういう“教育”を受けてきた世代です。 本作は特攻を美化するでも、卑下するでもなく、当時の軍部の方針とかも描かず、あくまで当事者である若者たち=特攻隊員の目線で描かれています。現代の若者・まだ26歳の健太郎が、当時26歳で命を落とした自分の祖父の、気持ちや行動を探求していく構図が面白いです。 特攻と自爆テロの違い。健太郎の友達が考えるように、熱狂的愛国者が“御国のために”と誇りを持って、ヒロイズムに浸って特攻したのか? 合コンを抜け、改札に向かう普段着の健太郎。周りはみんなスーツ。命令されなくてもおんなじ格好してるのが、日本人らしい。戦時中も日本人は、みんなおんなじ方向向いてたんだろうな、って。 宮部教官に可を貰い、一日でも早く特攻に出撃したい予備学生たち。彼らは悲惨な戦争に自暴自棄になったのではなく、自分が国のために何が出来るかを考えたうえで、特攻を望んだように観えました。家族の住む本土に迫る、目の前の米軍艦隊。その足を止める手段としての特攻。予備学生は国を戦火から守るために、出撃を望んでたんでしょう。でも宮部はその先の、戦争に負けた後を見据えていたんでしょうね。 宮部が最後に特攻を選んだのは、自分の代わりに、日本の未来を創る若者たちが死んでいくのに、耐えられなかったからでしょう。でも搭乗機52型の不調が、宮部の望みを叶えてくれました。「生まれ変わってでも、必ず君と清子の元に戻ってきます。」 「妻と娘のために生きて帰りたい。」この言葉は、あの時代“妻と娘を愛している”と同じ意味だと、井崎は言いました。 あの時代に彼ら若者が使った“国のため”という言葉は、今の時代の“家族のため”と同義語だったんじゃないかと思えます。 早田ひな選手の「鹿児島の特攻資料館に行ってみたい」発言がネットで話題になっています。実際に見た結果、どんな感想を持つかは彼女の自由だし、感想を公表する必要もないことですが、まだ24歳の若い子が、自分の目で観て自分で考えようという想いが、とても素晴らしいことだと思います。 彼ら特攻隊員が守ろうとした“国”には、きっと私たち=未来の子孫たちも含まれるのでしょうね。そんな事を考えた、今年の終戦記念日でした。 [地上波(邦画)] 8点(2024-08-17 16:27:21) |
74. 歩いても 歩いても
《ネタバレ》 『結婚できない男』観てたなぁ。あのコンビが再婚夫婦役で出ているのがなんか嬉しい。ドラマでは気の強い役だった夏川が、阿部の実家で、借りてきた猫のようにしてるのが面白い。 名の知れた俳優が出てなければ、まるで帰省のドキュメントを観ているようです。お盆って、その地方の独自色(イベント感)が出過ぎるから避けたんでしょうかね?兄の命日をお盆の少しあとにしたことで、どこにでもありそうな夏の帰省が描かれます。昆虫採集とか打ち上げ&手持ち花火、ラムネ、生ビール、浴衣、夏祭りといった、定番の夏の記号は入れてこない。枝豆ご飯にとうもろこしの天ぷら。それだけで夏。美味しそう。 うなぎを食べている最中、お吸い物の肝を取るおじいちゃんが箸チュパチュパ…潔癖っぽいけど、立ち位置を理解しているあつしが黙ってるのが、ぽいなぁ。 「ちょっと休憩…」常に気が張って、ずっとストッキング脱げないゆかり。あつしも靴下履いたまま。両親はもちろん、姉夫婦一家は子供も婿さんまでも裸足。良多も実家なのに靴下履いたまま。数デニールの絶妙な距離感表現。 “二人の思い出の曲は?”と言われてレコードを掛ける母。良多の「これよく歌ってたね」に箸が早くなる父。普段ジャズを聞き、カラオケで『昴』を歌う父が、30年も前に不倫相手に歌ってた『ブルー・ライト・ヨコハマ』。「来年もまた、顔を見せてくださいね」母が15年経っても良雄くんを呼び続ける理由。 歳を重ねて開いてしまった父との距離。おそらく今まで見ようとしてこなかった、母の生々しい人間性。人間だから当然と言えば当然なんだけど、子供にとっては人のまえに母であり父であり。なんだよね。 実家を離れたから、両親が老いたからこそ見えてくるものって、あるよね。母を車に乗せることもなく、父とサッカーを観に行くこともなく過ぎてしまった、一緒に居られる時間。 墓参りのあと、姉夫婦が住む実家に寄らず、まっすぐ帰ったのかなぁ?良多、免許取って車買ったんだな。信夫の勧めていたRV買わされたのかな。顔くらい出したのかな?親が居るのと居ないのとで、実家の存在意義って変わるよね。 父「次は正月か」何だかんだ言うけど、子供の顔見たいんだよね。 [DVD(邦画)] 8点(2024-08-17 13:41:04) |
75. キャプテン・スーパーマーケット
《ネタバレ》 “ARMY OF DARKNESS”『闇の軍団』。タイトルから『死霊のはらわた』シリーズの続編感を抜いてきています。でも始まってしまえば思いっきり続編です。イントロダクションが前作と微妙に違うのもお約束で、今回チョイ役の恋人リンダが、人気女優ブリジット・フォンダになってます。 一度聞いたら忘れられない邦題が魅力的です。アッシュがSマートの店員だから…ってだけ。でも私が観たのはディレクターズ・カット版で、エンディングが違ってました。劇場公開版だと最後の舞台がSマート内で、なんか納得。 表情豊かなブルース・キャンベルの顔を観てるだけで笑えます。アッシュを襲う小人たちがブルース・キャンベル。身体が2つに枝分かれしたブルース・キャンベルと、彼の顔芸をお腹いっぱい堪能できます。 一方でホラー要素は相当薄まっていて、一作目が血がドッパドパの大出血サービスだったのが、本作ではほとんど流血がありません。敵も血の出ないガイコツ軍団だし、ホラーが苦手な子供でも楽しめそうな、中世を舞台にしたアクション・コメディとなってます。 ただね、30年前のアメリカの“ドタバタ・アニメ実写版”のノリなので、このクドくて濃い笑いのツボに、好き嫌いが分かれそう。当時から『日本じゃ一般ウケしないジャンル』のコメディだったと思います。このジャンルの完成形&世間一般の認知度が高い作品が、ジム・キャリーのマスクかもしれません。私もこの手の笑いは、当時は苦手なジャンルでしたが、今は懐かしさも感じられて、結構嫌いじゃないです。大笑いする感じじゃないけど、中世セットや敵の軍団のお金の掛かりようと、CG登場前の特撮のチープさが味わい深い。 [DVD(字幕)] 5点(2024-08-16 12:14:07) |
76. アミスタッド
《ネタバレ》 “Amistad”邦題まま。劇中登場する奴隷船の名前だけど、意味は『友情』や『親交』だそうです…ブラックユーモアが過ぎる。笑えん。 スピルバーグ監督作品なのに12年もレビューがないんだ、へぇぇ~。 奴隷たちの反乱。及びその後の裁判を取り上げた映画です。黒人を同じ人間として扱わない、奴隷船での非人道行為。映像で観るテコラ号での惨劇はかなりショッキングです。この映像を観て、文明が進んだこの時代に産まれて、本当に良かったと安堵するとともに、奴隷貿易などの被害に遭わなかった日本という国に、日本人として産まれたことも感謝です。 と、この映画の黒人目線で考えてみましたが、皆さんはどんな立場でこの映画を観ていたでしょうか?どうしても白人側で観てしまう気がします。登場人物のプライベートはほぼ語られませんが、舞台がほぼアメリカなため、アメリカ側に立って観てしまうのかな。あとシンケの過去も少ししか出てこず、ほぼ捕まるところから始まります。ライオンのエピソードやら妻との馴れ初めを描いていたら、それこそ3時間半超えの超大作になってしまったでしょうけど、バランス上どうしても白人側に感情移入しやすくなっていると思えました。 テコラ号の積荷目録を突き付けるところや、最初の裁判で勝訴する所。シンケが自由を求めて叫びだす流れは、法廷映画としてとても居見応えがありました。でも最高裁のアダムスの演説は、どうもフワッとしか響きませんでした。アメリカ人の弁護士が、アメリカ人の陪審員の心を動かすのが目的だから、アレで良いんだろうけど、なんかアメリカのウチワのお話みたいに思えます。 史実に基づいているとは言え、どうもアメリカが「昔から“理解ある白人”も居たんだぜ?」って言ってるように観えてしまいます。主要人物が自由になりたい黒人と、自由を与えたい白人ばかりだからでしょうか? 奴隷制度は白人が黒人に対して“のみ”行われた訳じゃないことも語られてましたが、こちらもアメリカが「当時は殆どの組織が奴隷を使ってたんだぜ?」って言っているようにも思えます。悪いのは白人じゃなく、そういう時代だったんだと? シンドラーはナチの党員でした。ミュンヘンのアブナーは報復する側でした。この映画も、時代がまだ奴隷を使っていたなら、奴隷を開放したい側だけでなく、使いたい側の正当性・当時の価値観も観せてもらいたかったです。 [DVD(字幕)] 5点(2024-08-12 22:58:46) |
77. スペースバンパイア
《ネタバレ》 “LIFEFORCE”『生命力≒精気』。血ではなく精気を吸い取るので、字幕でも吸血鬼ならぬ“吸精鬼”となってます。でも原作は邦題と同じ“The Space Vampires”でした。映画に詳しくない上司(58)は、エマ・ストーンもグウィネス・パルトロウも知らないけれど、マチルダ・メイは知っていました。世代によっては、そんな身近な映画なんですよ、スペースバンパイアは。 劇場公開のとき『ハリウッド最新SF映画特集』みたいな番組が、ゴールデンタイムに放送されてました。そこでさんざん流されてたのが、ミイラ化した警備員が解剖医の精気を吸い取る有名なシーンと、解剖台から起き上がって警備員の生気を吸い取るマチルダ・メイのシーン。ここが何度も放送されていた記憶があります(※映像のインパクトが強かったため、記憶に誤差が生じている可能性アリ)。 ゴールデンタイムにおっぱい。マチルダ・メイの巨大なおっぱい。19歳の美しいおっぱいが、何度も何度も何度も流されてました。テレビ局の策略に見事にハマり、当時のお父さんたちは最新SFXの凄さを観てるフリして、おっぱいに釘付けだったことでしょう。私も「ハリウッドって色んな意味でスゲェ…」って思って観てました。 ふぅ…さて、何でしたっけ?そうスペースバンパイアね。マチルダ・メイと同じく印象深いのがカッコいいテーマソングです。宇宙空間に漂うスペースシャトルがカッコ良かったなぁ。当時の私は後半のゾンビだらけのロンドンの映像が怖くて怖くて…。バンパイアがターゲットを襲う所は大丈夫でも、誰彼構わず襲われるのが苦手で、自分があの場に居たらと思うと、怖かったんですね。あとは…あんまり覚えてないや。 先日偶然、中古DVDを見つけて、ついつい買ってしまいました。『無修正版』だって?あぁ、いわゆる“ヘア”が出てました。当時のはモザイクが掛かってたんでしょうかね?テーマソングはやっぱりカッコいいけど、スペースシャトル、あんな平べったかったなぁ?ハレー彗星ショボいな。でも宇宙船チャーチルの内部はお金掛かってます。何か他の映画のセット流用かなぁ? 吸精鬼が入ってるクリスタルをどうやって開けようか悩んでたのに、次のシーンではベッドで寝てるマチルダ・メイ。けっこう適当な映画なのを、マチルダ・メイのおっぱいが全部ひっくり返します。寝てても起きててもカタチの変わらないおっぱい。でも、エロさより美しさが勝るんですよね。マチルダ・メイもゆっくり動くから、おっぱいが揺れないので、あまりエロさを感じないのかもしれません。 ロンドンのゾンビ化は、警備員の生気を吸い取られた解剖医同様、2時間の命の吸精鬼たちなんですね。今見てもなかなか怖いです。でもそれより、TNGのピカード艦長(パトリック・スチュワート)が女声でカールセンとキスするところのほうが怖くて、目を背けたくなりました。 [地上波(吹替)] 5点(2024-08-11 14:25:18) |
78. 炎のランナー
《ネタバレ》 2024年パリ・オリンピック開催中に、1924パリ・オリンピックの映画を観る…いやいつでも観られる映画より歴史的瞬間のほう観ろよ!って思いつつ、映画観ちゃうんだなこれが… “Chariots of Fire”『炎の戦車』。戦車というのはベン・ハーに出てくる競争用の馬車です。『我が炎の戦車(Chariot of Fire)を持て』という詩をモトに、イングランドの国歌の一つ『エルサレム』の歌詞の一部になっています。エルサレムは、1919年当時の愛国心高揚の歌だそうです。 有名なヴァンゲリスのテーマソングが美しい。このサントラのカセットテープ持ってましたよ。私の中でオリンピックの音楽といえば、この『タイトルズ』と'84ロスオリンピックの『ファンファーレ』です。ロスの方はジョン・ウィリアムズ作曲だったのか。だから、自分好みな音楽だったのかなぁ? さて、映画の背景を見ると、公開は'81年。前年'80年はモスクワ・オリンピックがありましたが、ソ連のアフガン侵攻を受けて。西側諸国の大量ボイコットがありました。日本もアメリカも、この映画の製作国のイギリスも不参加でした。その前の'76年モントリオールも、南アのアパルトヘイトを理由にアフリカ諸国がボイコット。その前の'72ミュンヘン・オリンピックでは映画にもなった事件が。平和の祭典がどんどん、国家間の政治問題に利用されていた時代だったんですね。そして'84年が西側の雄アメリカで開催のオリンピックです。盛り上げなきゃいけません。それでこの映画です。 映画の舞台を'24年にしたのは、製作国イギリスが、第一次大戦の大きな傷跡から立ち直ったキッカケとなった大会だったからでしょうか。駅でハロルドが、勲章を付けた負傷兵が荷物運びをしているのに驚くシーンが印象的です。 炎のランナーといえば、海辺を走るオープニングの、純粋に走ることを楽しんでいる選手たちの美しさ。この映像に、この映画の伝えたいことが全部詰まっているように思えました。この映像は、インドア派の私でも気分が高まりますよ。公開当時モスクワのボイコットで辛い思いをしたアスリートたちも、再び闘志が湧き上がったことでしょう。そしてその闘志をぶつける舞台は、3年後のロス・オリンピック。この地味で美しいオリンピック映画はアカデミー作品賞を受賞します。アメリカも後押ししたんですね。娯楽超大作のレイダースに受賞させるより、3年後のロス・オリンピック。 ナイキとかスポンサーが全面に出てて、スケボーとかブレイキンとか娯楽要素の強い新しい競技が出てきて、いろんな人種の人がいろんな国に所属して出場し、日常生活とセットでタレントのような取り上げられ方の現代のアスリートたち。 中東の宗教問題、人種問題、東西冷戦に翻弄されつつも、ショー・ビジネスと宣伝広告の媒体となっていき、代理戦争の如く国家の威信を背負って競技に挑んだ'80年代のアスリートたち。 自身の肉体・精神の競技を象徴するように、無地の白いシャツ。シンプルな国旗のワッペンを胸に、裸足で海岸を走る100年前のアスリートたち。 舞台の100年前と、この映画が制作された43年前との、時代の変化を感じますね。 [ビデオ(字幕)] 6点(2024-08-11 12:57:55) |
79. 菊次郎の夏
《ネタバレ》 所々雑なんだけど、後半のたけし軍団のお笑いがクドいんだけど、心に残る映画です。音楽の影響が大きいかな。そして夏の景色。プール、神社祭り、トウモロコシ畑、海、川、キャンプ。日本人にはテッパンの夏の景色が目白押し。公開時は、特にノスタルジックな雰囲気で押してる映画じゃないんだけど、今では'99年の景色さえ、どことなく懐かしくなってしまいました。 私はてっきり、坊主が菊次郎なんだと思っていましたが、映画を観る前に雑誌か何かでおじさんが菊次郎だと知りました。…これって重大なネタバレなような気がしていました。だって最後の「菊次郎だよバカヤロー」って、タイトルのネタバラシですよね?最後の最後で、今まで名前が出なかったおじさん=菊次郎だって解る。観客は子どもの夏の思い出映画だと思って観ていたけど、おじさんが他人の子どもと過ごした夏の映画だったのかぁっ!…って、当初イメージをガラッとひっくり返して、どこか納得する事が出来たんです。 でも、それするにも下校時の友達との会話で、坊主=正男だって解ってしまいます。消去法でおじさん=菊次郎になってしまいます。最後まで徹底して“おじさん”と“坊主”で通していたら、名前を言うときの効果は大きくなっていたかもしれません。公開前にシックス・センスを研究出来ていれば…なんて、鬼の首を取ったように書いた後で、特典映像の劇場版予告を観ると、開始35秒で「おじちゃ~ん、おじちゃんの名前何ていうの?」「菊次郎だよバカヤロー」って言っちゃってる。ネタバラシでもミスリードでもなかったのかぁ~~ 正男の行き先が豊橋だと知ったから、菊次郎の母の場所に近いから、妻(岸本加世子)は菊次郎について行かせたのかな。ほとんど母親代わりな奥さん。 この夏、正男と菊次郎は、幼少期に自分を捨てた母親に会いに行きます。声を掛けることもなく、遠くから見つめるだけの再会。悲しい思いを胸に優しいおじさん達とのキャンプ「一緒に遊びましょう?子供が可哀想です。」 結婚して新しい人生を歩いている正男の母親。老人ホームで友達の居ない寂しい老後を送る菊次郎の母親。まさかこの夏、自分が捨てた子供が、遠くから会いに来ていたなんて。もしそれを知ったら、お母さんきっと胸がギュッとなるでしょうね。もし会ってしまったら、きっと謝るしか出来なかったでしょうね。 「またお母さん探しに行こうな!」今回会えなかったから、また次回会いに行ける。 きっと次回なんて無いんだけれど、子供にとって母親は、何年過ぎてもずっと母親。 余談だけど、この子、どことなく安住純一郎アナに似てません?少し前の『情報7daysニュースキャスター』で、後年、滑舌の悪くなったたけしのコメントを、きちんと拾ってフォローする安住アナのコンビネーションが、年老いた菊次郎と成長した正男に観えてしまって… [DVD(邦画)] 6点(2024-08-09 23:15:47)(良:1票) |
80. オースティン・パワーズ ゴールドメンバー
《ネタバレ》 “Austin Powers in Goldmember”『金の陰茎』。 オープニングが本当のスパイ映画(!?)みたいで格好良くて、トムにケビンにスピルバーグ!“こんな映画にこんな人が!”って、この映画のためにあるような言葉ですね。ブリトニーとの意味わかんないビンタ合戦も楽しかったよ。欧米のセレブはみんなこのシリーズが大好きなんだね。いやもう、オープニングでお腹いっぱいですよ。 公開時に劇場で観て、地上波放送の際、久しぶりに観ました。それから暫くしてDVD買って観てて、およそ10年に1回ペースで3回観てるんですが、いやはや、内容全然覚えてませんでした。豪華なオープニングと定番の影絵とか下品なジョークはチラチラ覚えてましたが、シリーズの中で一番記憶に残らない作品でした。マイケル・マクドナルドも出てこないし。 3作目にしてお父さんが出てくる、しかも大物俳優。と言えばインディシリーズを連想します。ナイジェルをオースティンと同じタイプのの上位互換にしたのは、失敗に思いました。インディはアクティブな息子とインドアな父の掛け合いが面白かったけど、本作ではずっとボケ役だったオースティンが、ナイジェルの前だとパワーダウンしてツッコミに回ってます。オースティン・パワーズは、マイク・マイヤーズ演じるオースティンやイーブルらが、周りを引っ掻き回してこその面白さだったと思います。 イーブルにしても、息子のスコットが悪のボスとして覚醒します。それはそれで面白い展開だけど、スコットじゃシリーズは続けられないなって、思いました。もっとも、オースティンとイーブルの出生の秘密から、シリーズ最終作として創られたんでしょう。それでもネタ切れかマンネリ防止か、中途半端に'70年代を舞台にしたのも残念。舞台は最後まで'60年代と現代で、何とか工夫してほしかった気もします。 この映画観て笑ったら、速攻で内容忘れて、忘れた頃にまた観て笑えれば何より。そんな映画です。 [映画館(字幕)] 6点(2024-08-07 22:38:30) |