861. 座頭市関所破り
冒頭、行きずりの男から手紙を託されたり、はたまた宿で女性と相部屋になってしまう座頭市。こういったエピソードがうまく絡み合っていき、剣豪風のライバルも1~2名ほど登場したりして、なんだかよく出来たオハナシのような気はするものの、その割にはピンと来なくって。 大映の「準主役級俳優の層の薄さ」みたいなものが、こういう映画ではどうも悪い方に出てしまいますね。座頭市以外がなかなか目立たない。あまり大映のイメージが無い平幹二朗がライバル格だけど、端正で行儀よく、そしてイマイチ目立たない。 そんな中で、上田吉二郎のダミ声が唯一、存在感を示していますが、このヒトも、大映映画だったらやはり、ガメラ対ギャオスの方が光ってましたかねえ。 ついでに、何のために出てきたのかワカランけれどとりあえずそれなりに目立ってしまっているのが、「青火がパーッ、ボヤがポーッ」でお馴染み、ダイラケ師匠。ただしストーリーにはあまり絡まない、単なる賑やかし。 という訳で、せっかくのよくできたオナハシの割には、どうもチグハグな印象。ラストの殺陣も、もう一息盛り上がるかと思ったらいきなり終わっちゃうので、なーんか、不完全燃焼。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2020-08-31 21:02:45) |
862. ワイルドカード(2014)
ジェイソン・ステイサムがワイルドスピードに出演したから、とりあえず彼の出演作に「ワイルド〇〇」と邦題つけて売り出すことにしたのか、と思ったら、さにあらず、本作は原題そのまんま。主人公の名前がワイルド、なんですね。 で、彼が主演だからバリバリの格闘映画なんだろう、と思ったら、これが微妙。中盤はバクチ映画になっちゃう。確かにカードの映画、だから、ワイルドカード、ってか。何だか騙されたような。 そりゃま、あくまでジェイソン・ステイサムですから、戦えば、やたら強いんですけどね。ただ、あまり戦わない。というか、この主人公、イマイチ何もしない。いや、彼が何もしないというより、周囲の人物の方はエキセントリック過ぎるのかも知れない。彼も敵に囲まれて危機に陥れば、己が肉体(プラス、ちょっとした小物)を武器に敵を蹴散らすけれども、女のアソコを銃でどうした、とか、男のアソコを植木バサミでどうする、とか、そんな話にはついていけず、またバクチの世界に戻ってしまう。 どんなカードが出てくるか、それを待つだけ。運の方が、勝手に彼のもとを訪れたり、また去って行ったりして、結局は何も変わらない。 冒頭のエピソードにおける、狂言を依頼するハゲ親父の方が、よほど行動的かもしれない。 という、主人公のグダグダ感と、グダグダな主人公がいつ「行動」を起こすのか、ってのがいかにもハードボイルドで、そういや、ジェイソン・ステイサムのこの「何も考えていません」という顔立ちこそがまさにハードボイルド顔、という気もしてきます。 結局、彼にせよ、彼につきまとう金持ちに兄ちゃんにせよ、どうしようもない日常は、どうしようもなく続いていってしまうのだけど、そんな中にもちょっとした転機が起こり得る、というその転機を切り取ってみせた、なかなかユニークな作品でした。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2020-08-30 06:36:02) |
863. ミッドナイト・イン・パリ
《ネタバレ》 冒頭、パリの街がいくつものショットで描かれていて、つまり、空間的な積み重ねとしてパリが描かれるのですけれども、これはパリという街の一面でしかなくって。物語の中で主人公がタイムスリップ(?)して、1920年代のパリに集っていた文人・芸術家だちと出会うことで、パリの街が時間的な積み重ねとしても描かれます。 街が持つ多層性。それは、街の今の姿と、街が辿ってきた歴史。 レイチェル・マクアダムス演じる、主人公のフィアンセってのが、顔は可愛らしく、体はエロっぽく、性格は鬱陶しい、という、三拍子そろった存在で、身近にはあまりいて欲しくないけれど、ハリウッド映画にはヒロインとしてぜひ登場して欲しいタイプ。主人公はこの映画の物語を経験し、結局は彼女と別れることになって。 そして、この街の歴史を知るパリ娘と結ばれることを匂わせて、映画は幕を閉じます。一見、忘れられたような過去でも、現在のどこかに必ずその余韻が残っていて、こういう娘っ子の中に息づいている、それがパリの街。 主人公自身も「くだらない」ハリウッド映画の脚本を書く生活から、パリへの移住を決意した今後は、この街で文学を目指すのかもしれない。 浅はかなハリウッドよ、さらば。 という、何だか、結果的には「ニューヨークの映画作家ウッディ・アレンが例によって例のごとくハリウッドにイヤミを言う映画」になってしまった感もありますが、ま、そうでなくては。シャレた感じで、イヤミを言いつつ、古き良き文化の香りを謳い上げる。それがまた、シャレてるんです。 しかし、1920年代のパリというと、音楽はコール・ポーター、となるんですか、ねえ・・・例えば「フランス6人組」とかではなくって。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2020-08-29 17:29:17) |
864. 水戸黄門 助さん格さん大暴れ
本作はちょっと意表をついて、若き日の助さん格さんが黄門様と知り合って弟子入り(?)するオハナシ。ラストを見てると、ここからまたシリーズが始まっていきそうな感じもあるのですが、後が続かなかったようで、結果的には、月形黄門様シリーズの番外編みたいな位置づけ、でしょうかね。 助さん、格さんはそれぞれ松方弘樹、北大路欣也が演じていて、若さ爆発、元気溌剌、息の合ったコンビぶり。見方によってはちょっと、昨今流行りのBLモノか?とも思えてくるのですが、もちろん、そんなススんだ映画ではありません。 藩の登用試験におけるカンニング騒動など、単細胞のふたりがタイトル通り大暴れする映画ですが、それを支えるべく、あちこちのシーンでエキストラを大量に動員したりして、東映時代劇らしいスペクタクル感も感じさせます。 さらにはミュージカル仕立てのシーンまであったりして、娯楽要素には事欠きません。 それにしても、月形龍之介演じる黄門様、普段は優しく、時に厳しく、まさにバツグンの包容力で、これぞまさに理想の上司像ナンバーワン。かどうかは知りませんが、若き助さん格さんとのやりとりには、なかなか味わい深いものがあります。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2020-08-29 10:01:22) |
865. さいはての用心棒
映像が安っぽいとか何とかいう以前に、カットが切り替わるたびに映像の色温度が激変したりして、見てて途轍もなくイヤな予感がしてくるのですが、まあ、その割には、面白い。いや、それでもなお、面白いんです。 南北戦争を背景に、陰謀劇みたいなのが描かれていて、例によってジュリアーノ・ジェンマ演じる主人公が大活躍するワケですが、彼のアクションスターとしての身のこなしはやはり、さすが、と言えるものがあります。持ち前の運動神経で、中盤の乱闘シーンでは宙返りなんぞも披露して、ここまでくると完全に浮世離れしておりますが、ジェンマだからこそ許されるのです。 マカロニウェスタン恒例(?)の見せ場のひとつに、主人公が敵につかまってリンチにされる、ってのがありますが、本作ではなんと、炎天下に放置されてメダマを目玉焼きにされてしまう、という奇抜な拷問が登場。顔に変な網をかけられての放置プレイ、ジェンマの端正な顔立ちが、顔にかけられた網のせいで「オマエ一体誰なんだ?」と言いたくなるブサイク顔になっていて、これは必見と言えましょう。 クライマックス、彼は果たして北軍と南軍の激突を阻止できるのか、そして陰謀の行方は。ジェンマの協力者となるジイサンの存在も忘れ難く、なかなかの盛り上がりを見せます。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2020-08-29 09:31:29) |
866. フォードvsフェラーリ
タイトルは『フォードvsフェラーリ』であって、実際に題材もそうなんですけれども、でも何かちょっと違う。 高級車フェラーリに大衆車フォードが挑む、という図式だけど、では一種の「下克上」かというと、むしろ正反対。資本力ではフォードの方が圧倒的で、金に飽かせてル・マンに乗り込んでくる。 主人公のひとりであるマット・デイモンはまだしも、もうひとりの主人公であるクリスチャン・ベールはカツカツの生活を送っていて、このフォードとフェラーリとの対決の物語において、当然、中心的な存在になるのであろうとは予想されるものの、いくら物語が進めども、いつまで経っても蚊帳の外。本人が偏屈なこともあって、なかなかこの対決に絡めず、見てる我々もヤキモキする。 だから、これは、クリスチャン・ベール演じるケン・マイルズにとっての、「下克上」の物語。 いくつかのレースを経て、クライマックスである本番のル・マンが近づいてきても、「さあ、いよいよ!」などと煽るような演出も無く、むしろ淡々と開始しちゃうのですが、それは逆に言うと、迫真のレースシーンの演出に自信があってこそ、とも言えるでしょう。いざレースが始まったら、その緊迫感に、目が釘付け。 レース会場でもヘリで移動したりと、何かと派手なフォード2世。打倒フェラーリに向け、フォード側のチームとしてレースを戦う主人公ふたりだけど、本当に彼らを理解する者は、本当にレースを愛する者は、一体誰なのか。 この映画には、夕日や夕暮れのシーンが、再三登場します。もともと“黄昏”の映画なんですね。で、ラストはケン・マイルズの家の前。そういやこの芝生の前でかつて、ふたりは取っ組み合いしたんだっけ、などと思うと、観ている我々もどこか、懐かしさのようなものを感じてしまう。 夕日。 [DVD(字幕)] 7点(2020-08-24 20:38:37) |
867. 2分の1の魔法
まずはこの、溢れ出んばかりのサービス精神に、ありがとうと言いたいですね。 伏線の回収、などというと安っぽいけれど、劇中に示される様々なモチーフが、思わぬ場面、思わぬ形で再登場して嵌るべきところにピタリとハマり、驚きや感動を呼び起こす。100分少々の作品に対していささか詰め込み過ぎて、オハナシがどんどん進められてしまい、もうちょっと余白とかタメとかがあってもよいのでは、とも思わなくはないですけどね。ただ、基本的にはここで再現されているのはRPG的な世界、だから展開がやや機械的になるのも仕方ないですかね。というよりここでは、ガサツで大胆な兄貴に対する、臆病で決断力に乏しい弟(主人公)、という対比があって、この本作の展開の早さから我々は「兄貴になかなかついていけない弟の気持ち」を共有することにもなります。 大体、「魔法で亡き父を蘇らせるチャンスは明日の日没まで」というタイムリミットだけでも充分に物語になり得るのに、「魔法不足で今は下半身しか蘇ってません」というヒネリ、どうやったらこんなコト思いつくんですかね。この下半身だけの父親の存在ってのがとにかくナゾで、本人はどういう状態で何を考えているのか(そもそも意志があるのか)最後までワケがわかんない存在なんですけれども、とにかくユーモラス。周囲の目をごまかすためにダミーの上半身を付けられてさらに動作がカオスとなり、笑いを呼びますが、一方で下半身だけあればダンスはできちゃって、親子共演と相成る感動も。 この作品の世界では様々な外見の登場人物が普通に入り混じって暮らしており、「外見での差別」という問題は解決(あるいは保留)されている世界なのですが、母親が付き合う男、つまり将来の父となるやも知れぬ男は、下半身が馬になっていて、主人公家族とは異質な存在。この男には無い「2本足の下半身」のみが復活するという設定は、ユーモラスでありつつも、何となく引っかかりも感じさせます。 そしてだからこそ、この将来の父も、必然的にストーリーに大きく絡んでくることになります。彼は旅に出た兄弟をこれ見よがしに心配して見せたりはしないけれど、彼らの冒険に振り回されることが、家族の一員になるための通過儀礼ともなっています。兄のポンコツ車のバンパーは簡単に外れてしまい、兄のガサツさを示す一方で、別の場面では将来の父に対する道標にもなる。1つのモチーフが複数の意味を帯びる瞬間。 あるいはポンコツ車の中に大量にある違反キップもまた、兄のガサツさの表れだけど、たくさんのそれが撒き散らされるシーンでは、何だかポンコツ車の涙のようにも見えて。 その他、様々なモチーフが様々な形で再現し、映画を彩るのだけど、そんな中でも、テーマは単純に「家族愛」というものを、ストレートに描き切っています。いや、「家族愛」と一言で言えば単純だけど、実は「家族愛」には多様な側面があるのだ、という事が、ここでは見事に描かれています。 優柔不断な弟が最後に見せる決断。この決断があってこそ、彼が、そして我々が、垣間見ることを許される、美しい瞬間・・・ [映画館(吹替)] 9点(2020-08-23 12:28:34) |
868. 霊幻道士
後続作品の人気に、やや呑まれた感はありますが、一応、本家本元キョンシー映画。 先代の墓を掘り返したことから巻き起こるキョンシー騒動と、オバケの姑娘(というにはやや年増か。「美人」と「ブサイク」の中間の、「なんかエロい」という領域のオバケ)に憑りつかれるオハナシとが、脈絡なく同時並行で描かれて、それをオモシロいと感じるか、散漫と感じるか。わたしゃ、好きなんですけどね、こういうの。 それまでキョンシーなんて、日本に住む我々にはまるで馴染みがなかったけど、独特のコスチューム(?)に、「息を止めれば見つからない」とか「餅米が苦手」とか、ワケわからんけどとてもわかりやすいルールを提示して、非常に親しみを湧かせてくれます。 オバケ映画とカンフー映画を融合して、終盤は2つの物語が(噛み合わないまま)クライマックスに突入。キョンシーの親玉みたいなヤツとの死闘は、ちょっと『スパルタンX』なども思い起こさせて、サモ・ハンの息がかかっていることが関係しているのか、どうなのか。 そういや、親玉キョンシーのエラの張った顔立ちを見ていると、ベニー・ユキーデを彷彿とさせるような、させないような。 何にせよ、このクライマックスの死闘の「しつこさ」みたいなものが、しっかりとカンフー映画魂を感じさせてくれます。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2020-08-22 05:06:02) |
869. 女王蜂(1978)
《ネタバレ》 市川崑&石坂浩二の金田一シリーズ4作目になる訳ですが、ここまでが、犬神家の一族・悪魔の手毬唄・獄門島と、どれもこれも一種の見立て殺人モノなもんで、私も子どもの頃には、「金田一モノって、もしかして全部同じパターンなのか?」とか思ってたりもしたんですけど、この4作目『女王蜂』ではちょっと趣向が変わって。 見立てらしい見立ては無く、アヤシイ脅迫状が届くだけの、正直、映画化するにはちょっと地味な作品。特定のローカルな地域を舞台を限定せず、作中で舞台がアチコチ移動するのがまた、雰囲気を出しにくいところでもあります(ついでに言うと、原作では事件の発端となるのが月琴「島」だけど、映画では月琴「の里」と変更されて、これまた雰囲気が掴みにくい。さらには中盤の舞台を京都に変更しており、ちょっと移動し過ぎの感も)。 さて、多彩な登場人物の中で、犯人は一体誰なのか。 ってったって、約3名ほどの方は、過去の3作品で〇〇役をすでに演じたヒトたちなので、まさかまたこのヒトたちが〇〇ということはあるまい。いや、その裏をかいて、実はまた〇〇なのではないか・・・とかいう深読み・浅読みも、ご自由に。 ラストの真相が明らかになる場面は二段構成になっていて、これはちょっと原作に近いのだけど、原作では最後の惨劇の後で真相が語られ、ミステリとしては工夫っちゃあ工夫だけど、何となく、死人に口無しの欠席裁判めいたイヤな感じもあって。その点、本作の方が、疑問を感じる余地のないスッキリした真相の提示になってます。だけど、その分、終盤が蛇足めいてしまったのが皮肉なところ。 それにしてもこの映画、ミステリ作品としては、どうなんでしょうねえ。奇抜な映像表現で遊びまくる一方、肝心の事件や人物関係の描写があまり丁寧ではなく、作り手もあまり「推理」というものには興味が無かったのではないか、と。さらに言えば、単に、加藤武をまた登場させたかっただけなのではないか、と。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2020-08-17 20:56:35) |
870. ワイルド・スピード
《ネタバレ》 このシリーズも第1作からはかけ離れた世界観に突入していて、思えば遠くへきたもんだ、と、ため息のひとつも出るのですが、久しぶりに第1作に戻って復習しておこうかと。 で、今更気づいたんですが、てっきりこのシリーズのタイトルは「Fast & Furious」だと思いこんでいたところ、第1作の冒頭を見ると、FastにもFuriousにも、それぞれ「The」が付いているではないですか。今まで、「Fast≒Furious」みたいなニュアンスのように捉えていたけど、実は「Fast⇔Furious」と捉えるべきだったのか? とか言っても、そのことと映画の内容との関連は、サッパリわからんので(汗)、何でもいいんですけどね。 この第1作目、クルマ愛が全編に漲りまくっていて、正直、クルマに疎い私にはついていけない世界なんですが、映画を楽しめるか否かとは関係なし。曲芸のようなカーアクションの羅列に走っている最近のシリーズ作(もちろん嫌いでは無い)とは違って、ガチンコ感のあるカーアクションが楽しめます。 何より、第1作ということもあって、ポール・ウォーカーとヴィン・ディーゼルとの出会いが描かれており、このシリーズにはめずらしく、ちゃんとストーリーがある(笑)。潜入捜査モノでありながら、そこにまつわるドキドキ感があまり感じられないのは惜しいところですが、それはあくまで、物語がふたりの関係性に焦点をあてているから。もちろん、「潜入捜査&カーアクション」という路線は、『フェラーリの鷹』を思い出させてそれだけでもうれしくなってくるのですが、ああいうムダなクラッシュを連発する映画とは路線を変えたことが、長く続くシリーズとなった秘訣でしょうか(いや、『フェラーリの鷹』は殿堂入り、別格の作品ですけどね)。 踏切を飛び越えるシーン、続いてヴィン・ディーゼルのクルマが宙を舞うシーンは、第1作にして、シリーズ中屈指のシーンだと思います。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2020-08-15 14:23:04) |
871. チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話〜
最初の方で、天海祐希がダンスの基本形をやって見せるシーンがあって、その一つがラインダンス! これは貴重。泣く子も黙る元男役トップさんの彼女も、初舞台ではラインダンスをやってた(やらされてた)ハズで、もしかしてコレ、初舞台以来だったりして。 それはともかく(本当にどうでもいい)。 もともとサブタイトルで「全米制覇」を謳っちゃってるもんで、結末を先に明かしている、というのもある一方、若い女優たちがそれに見合うパフォーマンスを見せられるのか、というのもあって。だもんで、練習シーンの本気モードを見ていると、役の中の彼女たちを応援しているのか、役を演じる彼女たちを応援しているのか、両者入り混じったような気分になってきます。途中の大会のシーンではあえてダンスを省略し、クライマックスの全米大会で一気にパフォーマンスを見せ切るのが、心憎いです。 正直、最近の芸能界におけるナントカ48とかナントカ46だとかいうグループを見ても、オジサンには誰が誰やら区別がつかないのですが、本作はそういうオジサンにも配慮してくれたのか(?)、登場人物たちそれぞれに印象に残るエピソードを挟み込み、うまく描き分けています。 随所に挿入されるギャグも、間の取り方でなかなか笑わせてくれるし。 彼女たちの成長物語と思わせて、実は先生の成長物語でもあった、というのが、ダメ押しのサービス。 まさかこのタイトルの映画で、こんなに感動させられるとは、思わなかったよ。 [地上波(邦画)] 8点(2020-08-14 17:09:04) |
872. ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
『破』でそれなりに盛り上がってきたものを、続く本作では「それはともかく、はい、14年後」とか言ってご破算にしてしまうあたりに、エヴァンゲリオンという作品の本性を見せられた気が。 登場人物の風貌を見る限り、14年という歳月を感じさせるものは殆どありませんが、内容的には14万光年くらいはかけ離れてしまった印象で、でもまあ正直、『破』の続きが気になってた訳でも何でもないので、文句はございません、はい。 という訳で、今まで以上に、ワカッタようなワカランようなよくわからないオハナシが展開されて、その分、映像面では最もやりたい放題、最も見応えのある作品になっている、気もするのですが、ワカランもんはワカラン訳で、映像を楽しむしかない。 中間部は、同性愛的な雰囲気も若干漂わせて、しっとりとしており、派手な爆発シーンだけが見せ場じゃないよ、というのが伝わってきます。 最後は「つづく」とか言ってるけど。本当に「続き」なんでしょうな? [CS・衛星(邦画)] 6点(2020-08-14 16:24:00) |
873. blank13
《ネタバレ》 監督は売れっ子俳優の斎藤工(クレジットは本名の「齊藤工」)。70分ほどの小品で、テーマもやや地味ですが、奇を衒うことのない手堅い演出で、好感が持てます。 監督本人が兄、高橋一生が弟の役で、父親はふたりが子供の頃に借金を残して失踪。13年ぶりに消息が判明するが、病で余命いくばくもない状態。父の失踪以来、母親が懸命に働いてふたりを育て上げ、またふたりも子どもの頃から苦労を重ねてきたもんで、兄は父親のことが許せない。一方の弟は、父に遊んでもらった幼少時の記憶から、完全に父を見限ることができず、病院へ見舞いに行く。父親役のリリー・フランキーと高橋一生が病院の屋上で語り合うシーンの、微妙な距離感などは、齊藤演出の腕の見せ所。全編にわたってテクニックをひけらかすのではなく、要所要所で拘りを見せてくれます。 幼少時の回想シーンで、母親の自転車が車にぶつかる場面では、変にカットを割らずに事故の瞬間を投げ出すように描き、日常に突然現れる恐怖を印象的に描いています。 父親はやがて他界し、映画後半は父親の葬儀が描かれるのですが、父親の破天荒な生涯を表そうというのか、ちょっとコミカルな味付けとなっていて、ただそれだけに、居心地の悪さみたいなものも感じさせます。ダメな父親だったけど、こんないい面があった、あんないい面があった。一方で、でも父を決して許せない、という兄もそこにいて。 しかし、何を言ってもこれが最後、間もなく父は、荼毘に付される。 映画の冒頭で、「火葬とは」云々とかいうテロップが出て、正直、こういう映画の開始はちょっと警戒しちゃうんですけれども、映画の最後は火葬の場面となり、一方で、葬儀にも火葬場にも姿を現さなかった母親は、夫の唯一の形見なのかもしれないタバコを吸っていて、すべてが煙となって消えていく。冒頭のテロップにもちゃんと繋がって、映画を締めくくります。 [地上波(邦画)] 8点(2020-08-13 15:12:06) |
874. スクール・オブ・ロック
罪のない映画。いや、罪深く無いことは無いような気もするけど。まあ、硬いコトは抜きにして。 と言いたいところだけど、やっぱり、なあ。 主人公が身分を偽って、教師として名門小学校に潜りこみ、子供たちとロックバンドを組んで活き活きとしたクラスにしちゃう、というんですけれども。 子供たちに対しては「キミは才能がある!」の一点張り。実際、たまたま才能のある子供たちが多かったみたいなので運が良かったけど、もうちょっと子供たちの表情なり成長する姿なりをしっかり描いてもよかったのでは。なのに、何かというと、ジャック・ブラックの「顔芸」に頼ってしまう、安易な構成。まあ、彼が芸達者なことは、大変よくわかりましたけれども。 音楽の才能のある子はいいけど、才能の無い子はというと、今度は「裏方として才能がある」とか言っておだてて、その気にさせてしまう。 経営学を名乗るインチキ指南書とかに、こういうのが「指導者としての良い例」などと掲載されていそうな気がしてくる。そのくらい、インチキくさくって、感動にも笑いにも教訓にも繋がりません。登場人物全員がナットクしてハッピーエンド、なんだけど、わたしゃあんまりナットクいきませぬ。 もともとインチキな主人公に、インチキでもってドラマを引っ張らせ続け、最後までインチキなまま走らせてしまった印象。「真実がインチキを追い越す瞬間」というものを、本当は見たかったのだけど。 [CS・衛星(吹替)] 5点(2020-08-13 14:07:34)(良:1票) |
875. リベンジ・リスト
妻をチンピラに殺害され、しかも警察はいったんは犯人の身柄を押さえるも、なぜか釈放してしまう。 で、主人公は自らの手で復讐を果たすことを誓う。という、もうさんざん手垢のついたようなオハナシ、なんですけれども。 この主人公を演じているのがジョン・トラヴォルタで、事件に巻き込まれるまでは普通のおじさん。と言ってもなかなか、トラヴォルタが普通のおじさんに見えるワケもなく。もしかしてミスキャストか? との心配はご無用。やがて、普通のおじさんでも何でもないということがわかってきて、しかも事件も単なるチンピラの強盗などではなかったこともわかってきて。 そう、まさにトラヴォルタによる、トラヴォルタのための復讐アクション映画。気の合う相棒とともに、巨悪に立ち向かって暴れまくります。この相棒の存在が、本作の面白いところ。復讐モノと言えば普通は主人公の孤独な戦い、その孤独ゆえの抒情性なりサスペンスなりが見どころなんでしょうけれど、本作にはそんな気の利いたモノはなくって。おっさん2人を配置して暴れさせることで、アクションに動きや新しい視点が与えられているのがむしろ、本作の見どころになってます。ラストの意外性も、「こんな意外性の出し方があったのか」という、意外な意外性。なんのこっちゃ。 本作で一番気になったのは、トラヴォルタの額の生え際の微妙な感じ。キダ・タロ―先生並みにカツラっぽくって・・・ [地上波(吹替)] 7点(2020-08-12 16:57:46) |
876. オレの獲物はビンラディン
《ネタバレ》 片や『マシンガン・プリーチャー』なんていう映画があって、一方でこういう作品があるのを見ると、つくづくアメリカには色んな人がいるんだなあ、と。この実在の人物ふたりを比較してよいものだかどうなんだか、いや比較しちゃダメでしょ、とも思うのですが、なにせ、「スケールがデカい」と言っても色んなタイプがある訳で。 しかし本作、実話だ何だと言ってみたところで、その実話を突き動かしているのが、主人公のおっちゃんの「妄想」なもんだから、もう何でもあり。 妄想があれば、何でもできる。って猪木も言ってなかったっけ? 言ってない? で、本作に驚かされるのは、現実を追いかけていたはずの映画が、気が付いたら現実を追い抜いてしまっている、ってコト。妄想が現実を作り出し、現実が映画を作り出し、映画が金を作り出し、金がさらに妄想を現実化させてしまう、というシステム。ああ、続編、できちゃうんだろうか。でもしょうがない、観てしまった我々も、共犯者なんだから。くそ~ニコラス・ケイジめ。 にしてもまあ、見事なまでに憎めないのが、このオジサン。同時多発テロ以降、何から何まで、本来なら到底笑いごとにはならないはずのものが、なぜかこうやってコメディ映画になってしまう。オジサン、恐るべし。 そして、アメリカ、恐るべし。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2020-08-12 16:20:03) |
877. 新・ガンヒルの決斗
グレゴリー・ペックとチビッ子との凸凹コンビぶりを楽しむんだったら、『オーメン』より断然、コチラですよね。まあ、『オーメン』にそういう期待を持つ人もあまりいないかも知れませんが。 グレゴリー・ペックって、結構背が高くって、さらにそれなりに歳食って貫録も出てきたもんだから、若い頃のスマートな印象が影を潜めて、ちょっとイカツいオッサンのイメージ(白鯨のエイハブ船長役なんかも、ホントはこのくらいの貫録が出てからやって欲しかった)。でこのオッサンが、ふらりと現れた少女を、手玉にとったり、とられたり。馬から降ろすのに、女の子の片腕を持ってヒョイとつるし上げてみせる、これが何だか楽しくって。大人のゴツさの前には、子供の小ささ・軽さはまるで、無重力の世界に生きているかのよう。 こういう光景を見たらもう、二人がホントの親子かどうかなんて、どうでもよくなってしまう(そりゃまあ、どうせ、役の上での話ですし、ねえ・・・)。 かつて自分を裏切った男の姿を求めて、ガンヒルの街に向かう主人公と、彼をつけ狙うチンピラ3人組。チンピラどもがケシカランことをやれば、主人公もなかなか意地の悪い仕返しをやって見せたりして。 単純な勧善懲悪ではなく、主人公がちょっとした曲者として描かれていて、でもやっぱり、明るく楽しい西部劇。70年代に入って、西部劇人気も陰りが出てきた頃なんでしょうけれども、作品の中にはちゃんと、黄金期の西部劇に負けず劣らず雄大な景色が広がっており、「らしさ」が堪能できます。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2020-08-12 15:53:26) |
878. ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
年上の女性や勝気な女性にイジメられてみたいマゾな気持ちが8割くらい、それでも女性を守りたい気持ちが2割くらい。といったところでしょうか。昨今の男性の願望としては、まあ、標準的なものでしょうね(・・・?) 「序」がイマイチ見どころに乏しい作品だったのに比べると、ようやく物語に起伏が生じ、映像にも見応えが出てきて。正直、細かいところは何が何やら・・・ではあるんですけど(スミマセン、歳なもんで)、物語にエンジンさえかかれば、私のようなオジサンも含めて、観る者をグイグイ引っ張ってくれます。 やはり頑固で理不尽なオヤジくらい、物語に貢献する存在は、なかなかありません。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2020-08-10 18:06:06) |
879. ザ・ドライバー
《ネタバレ》 とにかく不愛想な映画でして。登場人物には誰も名前が与えられておらず、タイトルの「ザ・ドライバー」ってのも、これすなわち主人公の役名。登場人物は皆、単なる“駒”扱い。 で、ライアン・オニール演じる「ザ・ドライバー」が、夜の街を走りまくる。他の車が避けるのはまだしも、何だか柱までもが彼の車を避けるみたいに、魔法のごとくスイスイと飛ばしまくる。車さえあれば、もはや不可能なし。 まあ、あまりカーチェイス映画という期待を持ちすぎると、さほどクラッシュシーンがある訳でもないので、肩透かし、という事になりかねませんが、そういう派手さよりも、本作の魅力は、シブさ。夜の雰囲気。 正直、久しぶりに観てみて、アレ、昼間のシーンも結構あったんだなあ、と、意外にも感じたんですけどね。そのくらい、夜のイメージが強い映画、なんです。もっとも、主人公をつけ狙う刑事の役がブルース・ダーンで、これがまあ、頼りないというか、何というか。一見、主人公のクールさに対して、不釣り合い、なんですけどね。でもこれが、ラストシーンではピタリとハマる、まさにハマり役中のハマリ役。 そしてもちろん、イザベル・アジャーニの妖しい魅力も、忘れられません。帽子が似合いすぎ。 終盤のカーチェイス、運転するライアン・オニールの横で、助手席に黙って座っている彼女に、ついつい視線が釘付けになってしまい、スミマセン、このシーンでライアン・オニールがどんな表情で運転しているのか、私はまだ確認できたタメシがありません。何にせよ、二人並んで、言葉も交わさず感情もあらわにせず、激しさと静けさが同居したような不思議なカーチェイスシーンになっていて、妙に印象的。その彼女も最後には悲鳴を上げて、チェイスは終わりを告げるのですが。 で、ラストシーン。ここに至るまでの、主人公とは対極のような下世話な印象のブルース・ダーンが、ここでは何だかやたらカッコいい。登場人物たち全員が、物語における“駒”に徹していて、徹したが故のカッコよさ、とも言えるでしょうか。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2020-08-10 17:41:07) |
880. 血染の代紋
《ネタバレ》 バラック小屋が立ち並ぶ臨海地帯に目をつけ、住民たちを立ち退かせようと狙う経済ヤクザ。その地上げというヤな仕事を任されてしまうのが、菅原文太演じる弱小組の組長で、板挟みとなる彼の苦悩が描かれる訳ですが。 彼の右腕とも言うべき待田京介(親がバラック街に住んでおり、さらに板挟みに)、あくどいライバル組組長に渡辺文雄、と、これだけでも充分に役者がそろっているようにも思うのですが、さらに文太の幼馴染みの梅宮辰夫、文太の兄貴分の鶴田浩二、バラック街にふらりとやってきたプロレタリアートの仙人みたいな長門勇、と、何本かの映画に分けられそうなネタが贅沢に押し込まれていて、これはもう欲張り過ぎでしょう。 そこまで欲張って、多数登場させたキャラたちを、物語は、これでもかと抹殺していきます。本当に容赦がない。実録路線映画を彷彿とさせる暴力的な演出が光ります。 結局、最後にすべてを飲み込み、最後に勝つのは、「経済」という怪物、なのでした。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2020-08-09 14:47:31) |