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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1001.  ドライヴ(2011)
ポーカーフェイスの主人公。彼の冷静な表情を映し出した後、その静かな目線の先に意外な“事”が起きている。 その特徴的な演出が作中幾度か挟み込まれていて、それは、この映画において終始“胸騒ぎ”を覚える要因となった。 “胸騒ぎ”を最後まで拭いされない映画だったが、言いようも無い居心地の良さも同時に感じる。この映画は、そういうとても奇妙な映画だったと思う。  ストーリーは極めてシンプルだ。 自動車の修理工であり、映画のカースタントマンであり、犯罪の“逃し屋”を裏家業とする孤独な主人公が、或る人妻に恋をして、刑務所帰りの彼女の夫のトラブルに巻き込まれ、ギャングと対峙する羽目になるという。 シンプルというよりも、映画のメインストーリーとするにはあまりに陳腐なプロットと言える。  しかし、この奇妙な映画の“売り”は、そんな陳腐なストーリーそのものではない。  本名も含めて、その素性が結局最後まで明らかにされない謎に満ちた主人公の男。 彼の抱えた心の「闇」、そしてそんな彼に訪れた一寸の幸福の邂逅。 斜陽に照らされたアスファルトを走り出す描写に溢れた一瞬の輝き、それこそがこの映画の文字通りのハイライトであり、その限られたシーンに個々人の思いを込められるかどうかで、この映画の賛否は大いに揺らぐように思う。  主人公が経てきた人生を映し出す描写はまったくない。 しかし、この男は、過去においてすでに人生における「最悪」を経験してしまっているのだろう。 この映画で描き出される主人公の孤独と激情には、それを物語る記憶の断片が垣間見えたように思えた。  彼が、この映画で描かれる物語の先を生き抜いたのかどうかなんてことは、もはや関係ない。 彼は、「最悪」の闇の中で、突如として僅かな“輝き”を見られた。 この映画が描き出したかったことは、ただそれだけだったのではないかと思う。   インフォメーションには、「疾走する純愛」と記されてあった。そのコピー自体は間違ってはいないと思う。 しかし、決して浅はかなカップル向け映画などではない。 隣の席の人間のことを気にすることなく、座席の手すりにでもしっかり掴まっていなければならない。 でなければ、きっと振り落とされて、怪我をする。
[映画館(字幕)] 8点(2012-05-27 00:43:33)(笑:1票) (良:1票)
1002.  銀河ヒッチハイク・ガイド(2005)
「天地創造」の真理に何の変哲も無い“一般ピープル”が触れるという物語の設定は、藤子・F・不二雄のSF短編漫画を彷彿とさせる。 惑星の崩壊と再生という大スペクタクルが、SF的観点と哲学的思想を巡り巡って、一人の男の言動に集約されるという顛末は、個人的に非常に興味をそそられる題材で、知らず知らずに異様な映画世界に引き込まれていた。  レンタルショップをぶらりと巡って、タイトルを聞いたことも無かった今作を、製作年も誰が出演しているかも確かめぬまま、“衝動借り”した。 「ロスト・イン・スペース」的なスペース・コメディものだという認識で観始めて、概ねその想定は外れてはいなかったが、想像以上にシュールな展開には少々面食らった。 馴染み難い異質なコメディが怒濤の如く羅列されるため、序盤から中盤に至るまで、映画の世界観に入りきれなかった部分があることは否めない。 ノリ自体は嫌いではないが、この映画が伝える“真理”が掴みきれず、戸惑ってしまったというのが正直なところだろう。  しかし、壮大な宇宙哲学的な要素を踏まえて、ストーリーが想定に反して次第にディープに深まってくいくのを目の当たりにして、この映画の存在性そのものに対して興味が深まってきた。 何がどう導き出されるのかということにようやく焦点が定まり、「結論」に至るまで映画世界を堪能することが出来た。  大いなる宇宙意思の中であまりに小さい生命体が無数に存在していて、すべての生命体の行く末はその宇宙意思に委ねられているように見える。けれど、突き詰めてみれば、結局は或る一つの生命体の意思によって宇宙意思そのものの行方が変わっていくという無限のロジック。 即ち、その「問い」に「答え」などは存在せず、「問い」と「答え」のどちらが先かも定かにはならない。 ただ、だからこそどんなに小さな生命体であっても生存していく“意味”があって、その事実こそが最も素晴らしいことだという…………。  多分に独りよがりな要素や、“テキトー”で“チープ”な部分も多い映画だった。 でも、そういう永遠に答えが出ないことをつらつらと頭の片隅で考えつつ、生きていく事自体がほんの少し楽しくなるという、へんてこりんな映画であることは間違いないと思う。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-05-15 00:16:53)(良:2票)
1003.  ある戦慄
日曜深夜の都会の地下鉄、自身の人生に対して様々な不満や不安や葛藤を抱えた人々が偶然に乗り合わせる。それはどこにでもある日常の風景だろう。 そこに、単純な「粗暴」という言葉ではおさまらない、気が違っているとしか言いようがないチンピラ二人組が乗り込んできて、乗客たちそれぞれに傍若無人な行為を繰り返していく。 その行為は、「暴力」という範疇までには及ばないけれど、あまりに悪辣で乗客たちを精神的に追い込む。  最初のうちはチンピラたちの蛮行そのものに対して憤りを感じ、気分が悪くなる。しかし、次第に気分の悪さの対象が遷移し始める。 チンピラたちの行為に被害を被る乗客たちの生々しい人間性が露になってきて、気を滅入らせてくる。  この映画は1960年代のニューヨークを舞台にしているが、この地下鉄の一車両で描かれているものは、どの時代のどの国のどの街でも存在し得るであろう人間同士の歪みである。 その場に居合わせているのがごく普通の人間だからこそ、少しずつ表面化していく“戦慄”があまりにおぞましい。  「どこにいたんだ?」 退役後の大層な野心を述べていたにも関わらず、地下鉄車内に突如発生した「出来事(incident)」に対して結局何もしなかった同僚に対して、チンピラに唯一立ち向かった田舎者の軍人が、虫の息でぽつりと言う。  他の乗客たちは、すべてが解決した後も死人のように呆然と押し黙ったまま、とぼとぼと地下鉄を降りていく。 “戦慄”とは、突然現れた悪魔のようなチンピラたちなどではなく、彼らによって浮かび上がらされたすべての人間に巣食う屈折した心理そのものであること知らしめ、彼らと同様に自分自身があの車両に同席していたならと考えると、絶妙な後味の悪さに襲われる。  とても胸糞が悪くなる映画だった。その胸糞の悪さは、そのまま自分を含めこの映画を観ているすべての人間たちが内包している要素であり、そのことが殊更に胸糞悪さを助長する。 観ているままに居心地の悪さを終始感じ続けなければならない映画だが、それは人間の“澱み”や“歪み”を如実に表している証明であろう。故に傑作であることは間違いない。
[DVD(字幕)] 8点(2012-05-13 23:36:00)(良:1票)
1004.  SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム
12年前か13年前、高校の文化祭で12人の友人たちと体育館のステージの上で歌って踊った。 ふいにその時の写真を見てみると、思わず苦笑いをしてしまうけれど、どうしたって忘れられるわけがない思い出だ。 あの過ぎ去った時間は、やはり自分にとって大切な“輝き”なのだと思う。  前作「SR サイタマノラッパー」とストーリーのプロット自体は殆ど同じで、主人公の性別を男から女に変えただけの“二番煎じ”と言えなくはない。 しかし、僕はこの続編に一作目には無かった抑えきれないエモーションを感じずにはいられなかった。  この映画で描かれた主人公たちの過ぎ去った“輝き”と自分自身のそれとがオーバーラップしたことは、その大きな要因だろう。 けれど、決してそれだけではなかったと思う。  借金返済、失恋、堕胎、傷心、喪失……20代後半の彼女たちが抱える問題は様々で、この映画の中でそれらの問題が総て解決されるわけではない。 むしろ、殆どの問題を丸々それぞれが抱えたまま、映画は幕を閉じる。  しかし、少なくとも彼女たちは、如何なる時も自分たちが“何か”を決断し、実行しなければ、この先を生きていくことが出来ないということをよく知っている。 そのそれぞれの姿は、決して美しくも格好良くもないけれど、根本的に幼稚な「男」に対して圧倒的に“オトナ”で、故にとても凛々しく見えた。   ほころびは非常に多く、決して完璧な映画ではない。故に鑑賞直後の評価は“充分満足”した上で8点とした。 しかし、気がつくと「シュッ、シュッ、シュッ~♪」と口ずさみ、YouTubeで「B-hack」のPVを繰り返し観ていた。 「ああ、これはやはり“特別”だ」と自ら思い知り、点数をつけ直した。   エンドロール、主人公はリリック書き直した曲をヘッドフォンで聞きながら、母校をはさむ川沿いを歩いていく。 その姿には、かつて確かにあった“輝き”を懐かしみつつも、経てきた時間の距離を認め、“今の自分”を認める強さを感じた。  “ハートのロイヤルストレートフラッシュ”が出揃うハズがないことを彼女たちはとうに知っている。 でもだからと言って立ち止まっていい理由にはならないし、立ち止まってなどいられない。 本編のラストカットに映し出されるままに、傷つき、小さく輝き、彼女たちは“何でもない道”を少し胸を張って歩いていく。
[DVD(邦画)] 10点(2012-05-13 23:31:09)(良:2票)
1005.  スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団
想像以上に“可愛らしい映画”だった。  もっと単純に「オタク魂」に突っ走っただけの映画だと思っていたが、主人公のへなちょこ野郎の恋模様と、彼を取り巻く友人たちの人間模様が、とてもファニーに映し出されていて、それだけで充分に愛着を持てた。  “憧れの君”は、決して美人ではないけれど、主人公が問答無用に惹かれる魅力は醸し出されていたし、三角関係となる中国系女子高生の彼女もキュートだった。 また、主人公のルームメイトのゲイを演じたキーラン・カルキンが素晴らしく良かった。風貌から溢れる絶妙な“澱み”が抜群だった。実兄の近況も気になるところだが、今後役に恵まれれば良い性格俳優になっていくような気がする。  この映画には真っ当な美男美女は登場しないけれど、そういった一人一人のキャラクターの印象度の高さが、最大の魅力だったのかもしれない。  “売り”であるテレビゲーム感を存分に踏襲したバトルシーンは、やはり楽しい。 特に、"邪悪な元カレ”第一号のインド人の登場シーンのインパクトが良かった。 歌って踊るインド映画の世界観をしっかりと組み込み、この映画に相応しいテンションを与えていると思う。  残念なのは、そのバトルシーンが徐々に尻つぼみ気味になってしまうこと。 7人の元カレキャラはそれぞれ良い存在感を醸し出してはいるのだが、一人目のインド人キャラの“濃さ”を越えられなかった印象が残った。 ストーリー展開についても、同様のバトルシーンが羅列するだけと言えばそれだけの話なので、110分超えの尺は長過ぎたと思う。90分以内におさえて、もう少しテンポを上げれば、主軸に描かれる音楽の勢いも際立ったと思う。  難点は少なくないが、こういう本気でふざけた映画は嫌いじゃない。
[DVD(字幕)] 7点(2012-05-07 23:35:24)
1006.  スリーデイズ
最後の最後まで言いようの無い緊張感が続く映画だった。 ただしそれは、脱獄によって夫と妻そして幼い息子が逃げおおせるかどうかという作品のイントロダクションに明示されたことに対してではなかった。 それでは、真犯人は誰なのか?というミステリーが描き出されるのかというと、それも無い。 もちろんそれらも上質なサスペンスフルな展開の中できちんと描き出される要素ではある。 しかし、終始もっとも緊張を強いられた焦点、それは、拭いされない「疑心」に対するものだった。  本当に妻は罪を犯していないのか。  心から妻を愛している夫は、あらゆる不利な証拠の中で彼女の無実を信じている。 だが同時に、明確にならない「真相」に対して一抹の不安を感じ続けていることも事実。 むしろ、万が一にも存在するかもしれない“望まない真相”が、導き出されてしまうことを避け続けている節も見え隠れする。 刑務所での面会時、妻の身を心から案じる一方で、少し異様な感じもするほど食い入るような目つきで彼女を見つめる夫の表情からは、無意識レベルで押し隠している疑心と、それに伴う彼の心の混乱と葛藤が絶妙に表れていた。  予告編やイントロダクションのテキストからは、脱獄と逃亡、そこからの真相究明が描かれる娯楽映画だと思っていたが、その想定は大いに覆された。 メインで描かれるだろうと思われていた脱獄シーンが、映画の最終盤にきてようやく始まることが如実に表しているように、この映画は単純な脱獄映画などではない。 脱獄を画策するに至った夫と、無実の罪で投獄された妻、彼らの息子、そしてこの家族と事件に関わる群像における濃密な人間ドラマだったのだ。  観客に対しては「真相」に対して断片的な答えは示されるものの、すべての決着には至らない。  ついにすべてを終えた夫は、果たして「真相」に辿り着けたのか。 映画は、ラッセル・クロウ演じる主人公の微妙な表情を映し出して終える。 そこには、満足感や達成感もあれば、混乱と葛藤がより深まっているようにも見える。 彼の心理の行方こそが、この映画が描き出す最大のサスペンスだったのだと、最後の最後まで続いた緊張感の末に思い知った。
[DVD(字幕)] 8点(2012-05-05 00:03:51)(良:1票)
1007.  暗戦/デッドエンド
何とも言えない後味を残す香港映画だった。 突っ込みどころは多く、ところどころチープに感じる描写も目につく。でも、エンドロールが過ぎ去って「終劇」の大文字が掲げられた頃には、不思議な印象深さと愛着を伴っていることに気付いた。  冒頭、アンディ・ラウ演じる余命宣告された謎の男が、物憂げに何やら企てている。 まず、その余命宣告のシーンがあまりにあっさりしていてただの“診察”にしか見えないことが、何ともチープで掴みきれない。 男が一体何者なのかも判別つかぬまま、ストーリーは突き進み、敏腕刑事との「ゲーム開始」となる。 もう一人の主人公と言えるこの刑事のキャラクターがこれまた掴みきれない。顔つきからして、シリアスなのかコメディアンなのか特定できない。 どうやら元特殊部隊出身で、今は「交渉人」を担当しているらしい。どんなキャリアだよ!と思ってしまう。  一つ言えることは、この主人公二人のキャラクターは掴みきれないままなのだけれど、いつの間にか両者とも好きになってしまうということだ。 とにかく気がつけば、彼らの言動に目が離せなくなっていた。  そうしてストーリーは、二人の男の知能戦&心理戦がいつの間にか繰り広げられ、いつしか互いの立場を超えた男同士の「友情」が、強引だけれど妙に叙情的な雰囲気の中で描き出される。  こう書くといかにも陳腐な話のように聞こえ、実際そうであることを否定はできない。 しかし、「面白くない」とはどうしても言い切れず、むしろ、もしかしてめちゃくちゃ良い映画なんじゃないかと思えてくる。  もしも、場末のミニシアターなんかで観ていたならば、もっと印象強い映画体験に成っていたかもしれないとも思う。  ジョニー・トーの映画はまだ二作品しか観ていないが、どうやら一筋縄ではいかない映画監督であることは間違いないらしい。
[DVD(字幕)] 7点(2012-05-03 01:37:49)(良:1票)
1008.  マチェーテ
“いかつい”なんて形容ではあまりに言葉足らずの風貌の主人公が、巨大なナタを振り回す冒頭のバイオレンスシーン10分。そして、そうそうたる濃い過ぎるキャストが勢揃いのラストの大乱闘シーン10分。 この映画は、その合計20分だけで充分!というかそれ以外の部分は、よそ見して酒でも飲んでりゃあイイ。  当たり前のことだが、この映画において、完成度の低さに目くじらを立てること程愚かなことはない。 今作監督のロバート・ロドリゲスと、その盟友クエンティン・タランティーノ、ハリウッドきっての“悪ガキ”監督が企てた“グラインドハウス”映画の中で登場する実在しない映画の予告編から生まれた今作が、まともに完成していると思うことがそもそも間違い。「完成度」など存在すらするわけがない。 大部分を占める“クソ映画”的展開の中で、時折垣間見せるハイテンションシーンに馬鹿みたいに高揚することが出来ればそれで充分なのだ………とは思う。  とは思うからこそ、想定外の不満を感じた。それは、思ったよりもずっとキレイにまとまってしまっていることだ。 先述したように冒頭やラストは、それなりに荒れていてハチャメチャな様が見ていて楽しい。が、その他の部分が思ったよりも“暴走”していない。 そもそもストーリーなんてあってないようなものなのだから、整合性なんて無視して“ぐでんぐでん”な映画世界を見せてほしかったと思う。  その期待はずれの真っ当さが、目新しさを生まず、映画全体のテンポを悪くさせ、テンションが上がり切らなかった原因だろう。 主人公はもっとはっきりとした無頼漢であってほしかったし、豪華スター勢揃いの悪役陣ももっと振り切ったキャラクターで良かった。 そして、個人的に大好きなミシェル・ロドリゲス姐さんと、ジェシカ・アルバ嬢には、もっともっとセクシーシーンがあるべきだと思った……。  まあそれでもね、正義のダニー・トレホと悪党のスティーヴン・セガールというまさかの一騎打ちが観られるだけで、やはり充分な映画だろう。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-05-03 00:43:29)(良:1票)
1009.  アウトレイジ(2010)
タランティーノばりに馬鹿馬鹿しい映画だなと思った。勿論褒めている。 ヤクザが雁首付き合って罵り合い、殺し合い、血みどろになる。ただそれだけの映画だと言って良い。 それだけで面白いのだから良いのだと、映画作品そのものが堂々と居直っているように見えた。  “タランティーノばり”と言ったが、この映画が彼の映画を模倣しているという意味ではもちろんない。 それはむしろ逆で、映画オタクであるクエンティン・タランティーノが愛し憧れた日本映画の姿が、この映画に久方ぶりに現れたと言った方が正しい。 つまりは、世界中の映画ファンが“観たい日本映画”とは、体裁ばかりに無駄に大金を投じて中身がスカスカの恋愛映画やSF映画などではなく、“切った張った”の血みどろ映画であるということに他ならない。 この映画は、「ヤクザ映画」というかつて日本の娯楽映画のメインストリームに確かに存在し、日本が世界に対して、アニメ映画と怪獣映画以外で勝負し得た確固たるエンターテイメントの“再構築”だと思う。  「全員悪人」というか、「全員愚か者」と断言できるキャラクターを、そうそうたる俳優陣がそれぞれ抜群の存在感をもって演じている。 彼らのパフォーマンスは皆過剰なまでに仰々しく、決して今の時代において「リアル」なんてことは言えない。 ただその演出は間違いなく正しく、非現実感も含めこれこそが「ヤクザ映画」におけるエンターテイメントだということを高らかに宣言しているようだった。 そういう明確な意志を持って、総愚か者を演じたキャスト全員が素晴らしかったと思う。 また鈴木慶一によるスタイリッシュだがどこか冷酷なまでの軽薄さを感じる音楽も良かった。  それらすべてを導き出した北野武という映画監督は、やはり映画に愛されているのだなと感じた。昨今、ありとあらゆるお笑い芸人がこぞって映画監督に“腰掛けている”が、彼らとは映画に対するスタンスから何から総てにおいて明らかに次元が違うということを改めて思い知った。  “こういう映画”として殆ど文句のつけようは無い。が、敢えて言わせてもらうならば、 椎名桔平の最期酷過ぎるよ、バカヤロー!コノヤロー!続編も期待大だよ、コノヤロー!
[DVD(邦画)] 9点(2012-05-01 00:02:13)(良:5票)
1010.  トゥモロー・ワールド
或る深夜。寝室から愛娘の泣き声が聞こえる。夜毎の夜泣きは楽ではないが、それは彼女が“生きている”ということの一つの「証明」のようにも思えて、とても安心する。 自分に子供が生まれ、明確な「恐怖」として感じるようになったことがある。 それは、幼い命が育たないということに対する恐怖だ。 日々のニュースの中では、毎日のように、何らかの理由であまりに短い“生”の時間を終えなければならなかった幼い命に関する事故や事件が伝えられる。 その度に、悲しみや憤りとともに、恐怖を感じる。  幼い生命が育たないということは、人類にとって、いや生物全体にとって、最大の恐怖なのだと思う。 このSF映画は、そういう人類という生物が直面するかもしれない絶対的な恐怖を壮絶に映し出している。  18年間、新生児が誕生していない近未来。 映画は、クライヴ・オーウェン演じる主人公が立ち寄ったコーヒーショップから出た直後に突如爆破されるシーンから始まる。 このファーストカットが驚くべきロングテイク(長回し)で映し出され、一気にこの映画の世界観の中に放り込まれた。  この映画ではとにかくロングテイクが多用されており、壮絶な襲撃や市街戦を描いたアクションシーンまでもが目を見まがう程の完璧なロングテイクで徹底的に描き出されている。 それにより観ている側は、この悲劇的な未来世界の中で問答無用に息づかせられ、荒涼とした世界の空気感と荒んだ人間たちの感情までもがひしひしと伝わってくる。  ストーリーの設定や展開は、よくある近未来世界を描いたその他の映画と変わりはない。 しかし、突き詰められた映像構造と、生命とそれが育つことの価値に対する真摯なスタンスにより、他にはないリアリティを生み出している。  一つの小さな生命を救うために数多くの生命が犠牲になっていくこと。それが何故正しいのか? この映画では何事においても明確な理由や答えは最後まで示されはしないが、現在の人類が今一度立ち返るべき根本的な価値観と在り方、それを考えるべき機会が示されていると思う。  幼い生命が育つという本来当たり前であるべき事象。それが成立するための条件が、「平和」ということだというのならば、やはりそれを願わずにはいられない。 「シャンティ シャンティ シャンティ」
[DVD(字幕)] 9点(2012-04-30 11:19:00)(良:2票)
1011.  ブリッツ
雑多な映画だ。いや、はっきりと「雑」と言ってしまって良いだろう。  極めて粗暴ながら警察を「天職」だと言い切るジェイソン・ステイサム演じる主人公が、警察官ばかりを狙う連続殺人鬼を追う。 ストーリーとして、至極単純明快でありながら、実際どういう映画かと言われれば説明しづらい。 というか、説明なんて面倒だから、とりあず観て、文句なり賞賛なり勝手にのたまってくれと言いたくなる。  この何だか“掴みきれない”原因は、登場するキャラクターたちの言動とか生き方が、揃いも揃って場当たり的で計算しなさ過ぎていることだと思う。 正義も悪党も皆、ただただ己のやりたいように動いていくので、その言動に対する善悪の判断以前に、「え?それでいいの?」と戸惑いが先行してしまう。  そういう部分から端を発する映画全体に漂う“違和感”が、この映画のオリジナリティとも言え、最大の突っ込みどころであると同時に、最も面白い部分とも言える。  また荒っぽい主人公が正反対のゲイの上司と志を共有していく関係性や、狡猾なのかただのイカレ野郎なのか判別し難い殺人鬼など、それぞれの人間描写はなかなか個性的でユニークだった。  今や“アクション映画スター”という肩書きの世界的トップランナーであるジェイソン・ステイサムの最新作だけに、結構な大作なんだろうと鑑賞し始めたが、想像以上に英国内向けの限定的な作品だったと言える。  そのことが、肩すかしや戸惑いに繋がってしまうかどうかは微妙なところだが、たぶん多くの人の想定外に「変な映画」であることは間違いないと思う。
[DVD(字幕)] 6点(2012-04-30 10:49:51)
1012.  レスラー
冒頭、カメラは主人公の背中を延々と追い、そのうらぶれた様を映し出す。 そこからは、ただこの男が惨めな生活に追いやられているという状況説明だけでなく、プロレスラーとして確実にあった過去の栄光を雄弁に物語ると共に、彼が今なおリングに上がり、そこで少なからずの尊敬と敬愛を受けているということがしっかりと伝わってくる。 そういう描写の後に、ミッキー・ロークの表情が映し出された瞬間、「ああ、この人はかつてのスターレスラーだ」とリアルな存在感を持って納得させられる。 この冒頭数分間の主人公描写の時点で、この映画の成功は間違いないと確信した。  イントロダクションからは、かつてのスーパースターの復活を描いたサクセスストーリーのような印象も受けるが、今作は決してそのような綺麗な映画ではない。 主人公の風貌そのままに、汚れ、くたびれ、傷だらけの映画だ。 「満身創痍」という言葉が相応し過ぎる映画世界、そしてミッキー・ローク演じる主人公の「大馬鹿野郎」としか言いようがない生き様に対して決して共感は出来ない。 ただしかし、引き込まれ、目が離せなくなる。  プロレスに生き続けた老ファイターが、遂に最後までリングにしか居場所を見出せなかったと言えば聞こえは良い。 しかし、そこに映し出されているのは、愚かで、切ない一人の男の姿であり、この映画が描こうとしたことはまさにそういう人間の根本的な無様さだ。  “現実”の死を厭わず恐らく最後になるであろうリングに立つ男の姿に涙が溢れるわけではなかった。 唯一残された「居場所」、そこに立つまでの男の全ての言動が、哀しく切ない。 この映画に描かれていることも、描かれていないことも、この男の人生そのものに涙が溢れた。  リング上で闘い続けるということが、逆接的に立ち向かうべき己の人生から逃げ続けたこととイコールになる悲哀。 ただし、それが不幸だろうが幸福だろうが、決して他人はその人生を否定も肯定も出来ない。 その価値を計れるのは、紛れもないその人生を生きた本人しかいない。  「生きる」ということの普遍的な厳しさと、だからこそ垣間見える人間の煌めきが心を揺さぶる。これはそういう映画だ。
[DVD(字幕)] 9点(2012-04-30 10:41:31)(良:2票)
1013.  50/50 フィフティ・フィフティ(2011)
27歳の若さで癌を宣告される主人公。生存確率は50%(インターネット調べ)。 もちろん物語の主軸は主人公の“闘病”だが、この映画が凄いところは、決して病そのものを悲劇とそれに伴う安直な感動を描いているわけではないということだ。  この映画に描かれていたことは、“癌患者初心者”の主人公の姿であり、人生において初めての「経験」における苦しみや葛藤、それについての感動だった。  主人公が癌患者の初心者であれば、主人公の親友は“癌患者の親友の初心者”、母親は“癌患者の母親の初心者”、恋人は“癌患者の恋人の初心者”、そして新米セラピストは“癌患者のセラピストの初心者”なのだ。 一人の男の岐路に立ち会った“初心者”同士が、それぞれに思い悩み、失敗し、傷つき、正解などない行き筋を模索する。  癌に限らず、重い病気を患ってしまうことはそりゃあ大変だし、それが生死に直結するとあらばそりゃあ悲しい。 しかし、生存確率を示されようが、余命を宣告されようが、「死」に至るまでその人が生きていかなければならないことに変わりはないだろう。 ならば、「癌」という新たな“特徴”を持って生きていくしかないし、逆に言えばただそれだけのことなのだ。 それは口で言うには簡単で行動として表すにはとても難しいことだけれど、この映画では、そういうことがセス・ローゲン演じる主人公の親友(悪友)の言動により表現されていた。 この物語自体が、セス・ローゲンの実体験からよるものだとのことで、彼の演じたキャラクター性には、軽薄さと下品さの裏に分厚い説得力が備わっていたと思う。  誰しも、初めて経験することには、大いに戸惑い、大いに悩む。 この映画は、そのあまりに普遍的なことを、癌というこちらも普遍的に重いテーマに対して真摯に向き合って描き出し、そして見事に笑い飛ばしている。
[映画館(字幕)] 8点(2012-04-29 00:53:33)(良:2票)
1014.  ベティ・サイズモア
レネー・ゼルウィガー、この決して真っ当な美女ではない女優が何故にハリウッドで大成したのか。あまり彼女の出演映画を観ていなかった自分にとっては少々疑問だった。しかし、その“理由”がこの映画には溢れている。 プロットとキャラクターの人物設定だけを読めば、あまりに“イタ過ぎる”主人公を、この主演女優はとても愛らしく魅力的に体現し、息づかせている。  主人公の言動は、身も蓋もない言い方をしてしまえば、あまりのことに精神を病みイタイ暴走をしてしまっているに過ぎない。 普通に考えればドン引きしてしまいそうな言動なのだけれど、そうなってしまった理由はどうであれ、自分の“望み”に対して真っすぐに突き進む彼女の姿は、とても魅力的に触れ合っていく人々を虜にしていく。 口封じのために彼女を追跡していたモーガン・フリーマン同様に、気がつけば観ている自分も彼女に恋をしてしまっていた。  主題歌の「ケセラセラ」が表すように、人生はなるようになる。 ただそのためには、「自分」という人間を他の誰でもない自分自身が認めることが出来なければならない。 人間の弱さや脆さに裏打ちされた確かな“強さ”。この映画には、愛すべきコメディの中にそういった人間の根底にある「価値」がしっかりと存在していた。   映画には様々なジャンルがあり、それぞれに様々な感情が盛り込まれるが、唯一“コメディ”というジャンルが、その一つの中にあらゆる映画的感情を盛り込めるものであるということを、この映画は証明している。素晴らしい。
[DVD(字幕)] 8点(2012-04-28 10:45:16)
1015.  黒部の太陽
汚れ、命を賭し、憎しみ、喜び、混濁する感情を蔓延しながら、穴を掘り突き進む男たち。 使命、理想、信念、金銭、利潤……それぞれがこの仕事に取り組んでいる理由は様々だが、それらすべてに共通しているものは、男たちのギラギラとした「欲望」であると思えた。 やはり“穴”に突っ込んでいくのは男の役割で、良い意味でも、悪い意味でも、男にしか出来ない仕事だなあと感じた。  どういう理由か知らないけれど、プロダクションの意向で今作はビデオ・DVD化されていないらしい。 今回は、NHKで放送された「特別編」なるものを観たわけだが、どうやら1時間以上短縮されているダイジェストとも言える「編集版」だったようだ。どうりで、人間描写の所々で唐突さを感じたわけだ。 三船敏郎、石原裕次郎という二大スターの競演が色濃い作品だったが、キャスト一覧を見る限り、他にも著名な俳優が多数出演しており、オリジナル版はもう少し群像劇が濃い作品だったのだろう。  時代的なものなのか、登場する人物たちの言動に少なからず違和感は覚える。それがリアルかそうではないは別にして、少々偏った思想が見え隠れすることも否めない。 そういった部分も、エンターテイメントとして楽しみきれなかった原因だと思う。 が、それは時代を超えてきた映画を観る上での必然であり、そういう違和感もまた映画を観る上での面白味だと思う。  今すぐに195分もあるオリジナル版を再度見直したいとはさすがに思わないが、実在の巨大ダム建築におけるドキュメント要素だけとっても価値はある作品だと思う。 歴史的大事業に臨んだ人間たちのドラマ性が、より溢れているであろうオリジナル版のDVD化は必要だと思う。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2012-04-24 14:03:46)
1016.  ももへの手紙
しまなみ海道を原付で何度か渡ったことがある。海風がとても気持ちよく、風景は抜群に良い。 しまなみ海道を原付で通行する際、橋の部分では自動車専用道路の測道を通行し、各島々に入ってからは、一端島内の一般道に下りて海岸線をぐるりと回ってから、再び橋の部分から自動車道に戻る仕組みになっている。 この映画のクライマックスでは、その細かな部分もきちんと描写されていた。 他にも映画全編に渡り瀬戸内の島の普遍的な“生活感”を描き出せていたことは素晴らしかったと思う。  その一方で、ストーリーそのものは大したものではない。 妖怪たちとの不思議な交流も含めて、どこかで見たことがあるようなありがちな世界観だった。 妖怪たちの造形と動きはユニークだけれど、キャラクター性そのものに目新しいインパクトは無く、存在感の薄さが気になった。 アニメ映画として、妖怪たちのこのキャラクターの薄さは非常に残念な部分だったと思う。  妖怪たちのキャラクターの薄さに対して、ヒロインはとても魅力的だった。 傷心し、身も心も渇ききった少女が、同じく心傷ついている母親と共に瀬戸内の島に移り住む。 少女にとっては「異世界」とも言える新しい生活環境の中で、戸惑いつつも、異形のものの“雫”に触れ、降雨に濡れ、さざ波を感じながら涙を流し、次第に“潤い”を取り戻していく姿は、まさしく文字通りに“瑞々しさ”を感じた。  この映画を彩る様々な要素は、とても有り触れたもので、それが物足りなさにも繋がっていることは否めない。 ただ、その普遍的な世界観伝える感動が、シンプルに響いてくることも事実で、観賞後にはヒロインと同様に心の潤いを覚えた。
[映画館(邦画)] 6点(2012-04-24 14:01:45)
1017.  第十七捕虜収容所
サスペンス、スリル、可笑しさ、爽快感……映画の娯楽性を彩る要素は多々あるけれど、ビリー・ワイルダーの映画には、そのすべてが詰まっている。 捕虜収容所での“スパイ探し”を描いたこの変わった趣向の戦争映画には、想像以上に娯楽性を高める様々な要素がバランスよく入り交じっていて、それぞれの要素が見事に主張し合っている。  第二次世界大戦中の捕虜収容所を描いた映画と言えば、有名過ぎるのはやはり「大脱走」だろう。ドイツ軍管理下の捕虜収容所からの脱走を図る捕虜たちの群像劇を描いたプロットは、今作との類似を大いに感じる。 大名作として誉れ高いのは「大脱走」の方だと思うが、制作年数は今作の方が圧倒的に早いので、ヒントを得た部分は大いにあるのだろうと思う。 そして、個人的には圧倒的に今作の方が面白かった。  ナチスドイツ管理下の捕虜収容所というイメージ的には陰惨極まる舞台設定において、決して不自然ではない映画的娯楽を展開させる巧さに、ビリー・ワイルダーという映画人の偉大さを改めて感じずにはいられない。  そして、スリルやコメディの娯楽性の裏には、しっかりと悲愴な環境下で生き抜く人間たちのドラマと戦争による混沌も見えてくる。 そうすると、収容所内の人間たちの少々仰々しい感情表現も、生き抜くための一つの“手段”に思えてきた。  映画は終始薄汚れた捕虜収容所内で展開され、派手さは皆無だと言っていい。しかし、噛めば噛むほど様々な味覚が存在を主張し、そのどれもが深まっていく。 週末の深夜、巧い映画とはこういうものだということを改めて知った。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-04-23 23:36:10)(良:1票)
1018.  コンテイジョン 《ネタバレ》 
突如として発生した高致死率の新種ウィルスが瞬く間に世界中に広がっていく恐怖を描いた映画。 というイントロダクションを聞いて真っ先に連想してしまうのは、やはり「アウトブレイク」だ。「アウトブレイク」が、殺人ウィルスそのものの猛威とそれに対峙する主人公のヒーロー性を描いたエンターテイメント作品だったのに対し、今作はプロットこそ似通っているが世界観のテイストはまったく異なった映画に仕上がっている。  リアリティを追求していると言えば確かにそうだが、必ずしもすべての描写が「リアル」というわけではなく、随所に非現実的だったり、作為的に誇張されている部分もあったように思う。 思うに、この作品が描いているものは、未知なるウィルスそのものの恐怖ではなく、その“感染”による“パニック”に対応しきれないであろう全世界の社会体制自体の脆弱さ、そしてそこに“巣食う”人間そのものの恐怖だったのだと思う。  映画の冒頭数分で死に至ってしまうグウィネス・パルトロウの描写を皮切りに、文字通り死が伝染する様は恐ろしい。 しかし、それ以上に、ジュード・ロウが演じたような人間から発される作為的な「情報」によって伝染していく個々の人間のパニックが何よりも恐ろしく、結局彼のような人間の存在を治めきれない現代社会の「現実感」に非常に脅威を覚えた。  アカデミー賞クラスのビッグネームを揃えたキャスティングによる群像劇には、流石に迫力はあった。 その一方で、個々の人物描写が希薄に映ったり、そもそも物語が中途半端であるという批判も分からないではない。 リアリズムに振れるにしろ、エンターテイメントに振れるにしろ、もう少し踏み込んだ展開があれば、もっと印象的に化けた映画になっていたようにも思う。  ただ、この映画で描かれるまさに「今そこにある危機」を紡ぐにあたって、この物語の中だけで完結していない半端さは、逆に問題意識を巡らすための余白を生んでいると言え良かったのではないかと思う。 そういう意味では、いつもスティーブン・ソダーバーグ監督作品に感じる、“何だか物足りない”感じが、意図的にか偶然かは分からないけれど効果的に反映されている映画であると思った。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-04-23 23:34:40)(良:2票)
1019.  バトルシップ(2012)
上映後の映画館から見るからにヲタク系の中年男性二人組がニタニタと嬉しそうに出てきた。 その様を見て、自分自身がニタニタと嬉しそうにしていたことに気付いた。 振り返るまでもなく、全編に渡って粗や突っ込みどころは満載の映画だ。しかし、それらを寛容させ、むしろそういう“ほつれ具合”さえこの映画の立ち位置からすれば避けられない要素に思えてくる。 端的に言えば、ものすごく真っ当なブロックバスター映画だということに他ならない。  鉛筆書きで簡単に遊べる同名の“パズルゲーム”が原案だということ、そして、圧倒的な兵力のエイリアンに対峙するのがたった3隻の駆逐艦だという設定、今作のイントロダクションから知り得たその二つの要素を聞いた時点で、色んな意味で「無理」を感じた。 少なくとも、この二つの要素に対しては、いくら粗を感じたとしても突っ込むことすら許されないのだろうと諦観していた。 しかし今作において最も驚かされたことは、とても単純な一つの設定でこれらの要素を整合性をもって解消していることだ。 世界侵略を図るエイリアンに対峙する地球側の戦力が3隻の駆逐艦のみであるということの必然性、これだけの大製作費を投じながらしっかりと原案とするパズルゲームの要素を反映している真っ当さ。 全編に渡り馬鹿馬鹿しいほど大味な映画ではあるが、そういうエンターテイメントに対するある種の真摯さが、この作品の価値を保っていると思った。  実際はそれほど出演シーンは多くないのだろうと高をくくっていた浅野忠信は、意外にも準主役級の役柄を勤め上げており、徐々に「スタートレック」ばりに主人公とのバディ感を醸し出していく展開が嬉しかった。  主人公のぐだぐだな人生模様から失笑を禁じ得ないサッカーの日米戦に転じていくオープニングを観ていた段階では、この先の“航海”に不信感しか覚えなかった。 しかし、愛すべき豪快さに溢れたクライマックスを経て、能天気なエンディングが映し出された頃には、この2時間余りの馬鹿馬鹿しい映画体験に対して心から愛着を持ってしまっていることに気付く。  無い方が逆に不自然に思えるエンドロール後のシークエンスを見届けて、ニタニタと映画館を後にする。 やっぱりそのスタンスこそが、この映画においては一番正しい。
[映画館(字幕)] 8点(2012-04-22 23:36:36)(良:2票)
1020.  アンノウン(2011) 《ネタバレ》 
殆ど予備知識無く鑑賞を始めたので、冒頭から滲み出ているサスペンスフルな空気感にすんなりと引き込まれ、二転三転する展開を堪能しながら最後まで楽しむことが出来たことは間違いない。 サスペンスアクションとして、サスペンスの緊張感とアクションの高揚感がバランス良く配置されており、鑑賞直後の満足感は当初の想定よりも随分と高かったと言える。  ただし、観賞後数分間でちょっと振り返ってみると、粗という粗がポロポロと出てきてしまうことは否めない。  よく考えると映画全編に渡って言えることだが、「実は一流の○○○」だったというには、そもそもの言動がずさん過ぎて陳腐だ。 まず目的のために徹底した偽りを謀るとはいえ、目的地への移動中に至るまでその偽りを貫く必要があるのだろうか。これは明らかに観客を欺くためだけの演出であり、人間描写上の必要性はないと思う。 そんでもって、空港のタクシー乗り場で最も重要な鞄を置き忘れるって、どんだけうっかり屋さんなんだという話だ。これも結局、ストーリーとしての一つの目的を設置するためだけの設定であり、極めて安直だ。 他にも、一流ならば乗り込んだ先の言語で世間話くらいは出来るようにしとけよ!とか、ふいの自動車事故とはいえ簡単に気を失い過ぎだろ!咄嗟に飛び降りるとかそれくらいしようよ!とか一流の組織のメンバーのくせいに素人の女の子にやられてどうすんだ!とかとか……、一度突っ込み出したら止まらなくなってきそうだが、とにかくよくよく考えると用意されていたオチに対して整合性が無さ過ぎる要素に溢れてしまっている。  ストーリーのアイデア自体は、オリジナリティが高いとは言い難いけれども充分に面白味に長けている。それが興味を最後まで持続させる最大の要因だとも思う。 しかし、このアイデアであれば、ラストの顛末でもっとどぎつく踏み込むことができたなら、数多の粗を振り切って余りある映画に仕上がっていたかもしれないなと思う。リーアム・ニーソンのクライマックスの表情は観る者を惑わせる緊張感が含まれていて良かったけれど……。  まあそこまで完璧なクオリティーを求めるべき類いの映画ではないと思うし、観ている間と観終わった瞬間に満足していたならそれで充分だと思う。  と同時に、画面から溢れ出る上質な色調と巧い俳優陣の演技によって、もの凄く質の高い映画に“見えるだけ”に、やはり残念に思う。
[DVD(字幕)] 6点(2012-04-15 19:19:23)(良:2票)
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