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鱗歌さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 3959
性別 男性
年齢 53歳

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101.  沈黙のテロリスト 《ネタバレ》 
セガールの出演作が片っ端から「沈黙の~」という邦題がつけられるのは、単にレンタルビデオ屋のアイウエオ順配置で固めて並べてもらえるからだろう、くらいに思ってたのですが、一方でこの作品のように、「セガール主演作でなくてもそう見せかけることができる」という二次的な効果もあるんですね。そう見せかけることのメリットは、よくわかりませんけれども。 という訳で、主演はトム・サイズモアであって、セガールは準主役といったところの爆弾処理のオジサン。持ち前の苦み走った顔だちは、プロフェッショナルな雰囲気を漂わせつつ、それでも劇中でこれだけ何度も爆破シーンが登場するのは、やっぱり彼の腕前が大した事ないお陰、なんじゃないかと。 さて、こんな映画に高得点をつけたりすると、「オマエは本気でこの映画が素晴らしいと思ってるのか!」と言われそうですが、いや、そんなワケないじゃないですか。なにせ、こんな邦題つけられちゃう作品ですよ。 とは言え、あくまでコレ、90分ほどにスッキリまとめた、低予算娯楽作品。こういうジャンルなんです。これをダメと言ったら、あの素敵な70年代東映のおバカ作品群が、全滅してしまう・・・。B級のノリ、B級の手腕。この手際の良さ、テンポの良さ。そりゃヘンなところもありますよ、例えば冒頭のセガールが爆弾処理する場面、画面が寄った時と引いた時でタイマー表示がまちまちで、あと何秒で爆発するのかよくわからん。けど、ま、いいじゃないですか。 爆弾魔の役がデニス・ホッパー、というのがいささか心許なく、『スピード』の時のダメダメっぷりが再現されるんじゃないか、と心配になりますが、前述のように、今回は本領を発揮して爆破シーンの連続。規模はともかくそれなりに盛大に吹き上がる炎、爆発に巻き込まれて吹っ飛ばされる人間、このあたりの演出は、最低限の予算で最大限の効果を上げている、と言ってもいいのではないでしょうか。職人芸。 爆弾処理オジサンとして比較的おとなしくしていたセガールも、このまま退場しては沈黙シリーズの名が廃るとばかり(?)、終盤にはセガールアクションを炸裂させます。ちと控えめな印象もありますが、一応はセガールアクション、有難く堪能しましょう。戦いの中、敵の一人がガラスに叩きつけられたあと、遠ざかる悲鳴だけを残して画面から消える。要は高いところから落ちて絶命したんでしょうなあ、という場面を、落下シーンをわざわざ撮ることなく表現してる訳で、一種の手抜きが、演出上のスパイスになっている。この演出を職人芸と言わずして、何と云おうか(・・・だから、手抜きだって)。 セガールが活躍すれど、乗り越えなければならない過去を抱えているのは、トム・サイズモア。だからやっぱり彼こそが、主人公。なのでした。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-27 14:28:38)
102.  回路
よくわからん映画。です。 ホラーなんだから、「わかっちゃいけない」ってことなんでしょう。定番の殺人鬼が定番の凶器を持って襲ってくるとか何とか、恐怖の正体が明示されたタイプの映画には、「身の毛がよだつ」ようなジワジワとした恐怖は無く、あるのはせいぜい、定番のショック描写と、一過性の緊張感。これ、場合によってはギャグにもなってしまう。 この作品では、何が起きているのかは一応示されるものの、殊更にそれを説明しようとはしません。恐怖の正体が「外部」にあって、それが徐々にコチラ側に滲みだしてくるような。怪しいサイトからネット回線に乗って、黄泉の国で溢れた死者が「この世」を侵略し始める、というか、気が付いたら侵略されてしまっている。 ある意味、インターネットなるものが社会を分断し、個人の孤独を深めていく今の世の中の姿を予言した、と言えなくもないけれど、そう言ってしまうと味気ない。たいした「予言」じゃないですもんね。むしろ、広まりつつあったネットというものに対する当時の不安、不気味さに対し、今やネットなんてのは具体的にイメージできる攻撃手段、詐欺手段になってて、いわば「定番の殺人鬼」に近いものになっちゃってる気も。制御は相変わらずできてませんけれども。 最低限、何が起こりつつあるかは示すけど、具体的には説明せず、「何かがあるらしい」というイメージ、つかみどころのない恐怖で映画を埋め尽くします。 ザラついた画面。 ショック描写も排除し、何なら、ホラー映画からクローズアップをどこまで排除できるかに挑戦しているかのような。 こんなよくわからん映画、個人的にはイイなあ、と思いつつ、世の中的には受け入れられんだろ、とも思っちゃうんですが、結構、受け入れられてるようで、嬉しくもあり、気持ち悪くもあり。 作品を貫いているのは「個人の孤独」、いわばネット社会のキーワードみたいなもんですが、一方で、作中、並行して進んでいた2つの物語が交わる「出逢い」ってのもあって、その行きつく先に何故かいる、定番の役所広司。 何者なんですかねえ、この役所広司というヒトは。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-04-27 07:40:51)
103.  新・座頭市物語 《ネタバレ》 
剣もバクチも無類の強さを誇りながら、普段は朴訥とした佇まいで周囲をケムに巻いている、この座頭市というヒト。こういうのが一番の悪人だろう、とか思っちゃうのですが、この第3作はあまりそういうイメージではなく、どうも本気で女性に惚れ、本気でカタギになろうとしているらしい。どう転んだって、勝新が誠実であるようには見えないんですが、それはさておき、そういうオハナシ。 しかし、いろいろと過去の因縁を抱えているもんで、簡単にはカタギになれない。それでもなろうとすれば、結果的には誰かが犠牲となる。こういうヒトは宿命として、決してカタギにはなれないんですね。 割と座頭市の個人的な部分にスポットが当たっていて、かつての師匠なんてのも登場します。まあ、これがロクな師匠じゃなくって。昭和残侠伝シリーズの池部良が親分に恵まれてないようなもんですかね。 この作品ではどちらかと言うと、普段の朴訥とした雰囲気が素の座頭市で、止む無く戦いに臨まざるを得なくなる、という展開。ある意味、まとまりの良い作品になってます。ニヒルさは座頭市よりも、彼をつけ狙う男(須賀不二男)の方に漂っていて、悪役顔が見事にキマってます。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-04-21 09:28:02)
104.  ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録
我々を熱狂させる芸術作品は、作者も熱狂のうちにそれを作り上げたと思いがちだけど、実際は冷静な推敲作業のもとにそれは作り上げられるのだ、とかいう意味の文章をどこかで読んだ気がします。その意味では、最たるものの一つが「映画製作」で、到底、一人の人間が勢いだけで作れるものではなく、一種のプロジェクト運営の側面がある訳で。 ところがこのドキュメンタリを見ていると、大勢の人間と莫大な投資が関わるが故に、「うまくいかなくなった映画製作」ほどオソロしいものは無い、ということがよくわかります。熱狂、というより、底なしの狂気。まさに、闇の奥。 ってか、コッポラというヒトに映画作らせるのが、そもそも危険、ということで。この危険人物が、周囲を巻き込んで(あるいは周囲に巻き込まれて)危険領域に足を踏み込んでいく様が、この作品に捉えらえています。最近はともかく、この頃のコッポラというと、映画で一発当ててはそれをつぎ込んだ次の作品で興行的に大コケして経済的に追い詰められる、ってなイメージがありましたが(?)、そりゃこんなコトばっかりやってたら、そうなるわなあ、と。 『地獄の黙示録』という作品が何ゆえ、魅力があるのかは、このドキュメンタリを見てもよくわからないけれど、何ゆえああいうイビツな作品になってしまったかは、感じ取ることができます。作品の魅力と完成度とは、必ずしも正比例しないんですね。このドキュメンタリが作られた段階ではまだ『特別完全版』は公開されておらず、本編には無かった「はず」のシーンが幾つも登場します。その『特別完全版』は盛り込まれたエピソードの多さ、羅列感がカフカの作品を思わせ、本来は、カフカの長編小説同様に「終わることのない迷宮」だったんじゃないか、とも思えてくる。しかし、事業としての映画は、「完成」はともかく「完結」させないといけない中、もつれたアリアドネの糸をほどくのではなく、その迷宮にスタッフ、役者ともども、入り込んでいってしまう。 ベトナムでの撮影はできないということで、選ばれた撮影場所が、フィリピン。軍隊の協力は取り付けたものの、内戦状態なもんで、撮影に使うヘリが出動してしまう。『地獄の黙示録』という映画自体はフィクションとは言え、登場するヘリは、まさに現在進行形で「戦争中」のもの、なんですね。オープンセットは作り物であっても、台風による破壊は、本物。カーツ大佐の規格外ぶりも本物で、誰の云う事も聞かないマーロン・ブランドは、まさに「企画外」の存在、制御不能。 そして、現場に広がるドラッグの使用。そりゃ、あかんでしょ。 当時を振り返るインタビューに登場するジョン・ミリアス、ジョージ・ルーカス、そしてコッポラ本人。前者2人の余裕(「闇の奥」に足を踏み入れる前に引き返せた余裕?)と比べ、コッポラには未だに「あかん人」のニオイがプンプンと。 この人を先頭に、迷宮に足を踏み入れ、制御不能の一歩寸前か、もしかしたら絶賛制御不能中、という中で、完成と言っちゃってよいかどうかはともかく一応の完結をみた『地獄の黙示録』。結局、この作品の魅力が何だったのかと言うと、もはや「闇鍋の魅力」としか言いようが無い気もしますが、鍋に入れてみたいもの、不本意ながら入ってしまったものが、ゴッタ煮となって、それでもなぜか食えるものに仕上げられている、という奇跡。こんな奇蹟は二度と起きないんじゃないか、という、まさに究極の闇鍋の一杯、ですよ、これは。 このドキュメンタリ映画の元になっているフィルムは、ロケに同行したコッポラの妻が撮りためた記録映像が使われている、ということで、もし最初からドキュメンタリ映画を撮るつもりだったら、また別の撮り方があったのかも知れませんが、とは言え、これ、面白い。映画の裏側ってのはやっぱり気になるし、それが特にこの奇妙な作品の裏側だとなお一層。それを90分あまりにまとめ、テンポよく見せてくれて、興味が尽きません。 たぶん、このドキュメンタリは、コッポラ自身には作れないと思う!
[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-21 08:32:36)
105.  片腕必殺剣 《ネタバレ》 
スタジオでの撮影のシーンが多く、こぢんまりした印象は拭えないものの、一方ではセット撮影ならではの趣きのようなものもあって(香港版「時代劇」らしさ、とでも言いますか)、必ずしもマイナス要素ばかりではありません。雪が降る描写など、実にいい雰囲気。スタジオに作られた川に二羽の白鳥が泳いでたりして、なかなか手が込んでます。 片腕必殺剣、な訳ですから、主人公が片腕になってしまうのですが、他の方も書いておられるようにその経緯があまりにもあんまりなもんで、正直、爆笑してしまうのですが、それでも何でも作品の雰囲気がしっかりしていてブレないもんで、見ながら爆笑しつつも物語をしっかり受け止めてる自分がいる。これが最後まで持続するので(逆に一部のヘンテコなシーンが絶妙なスパイスとなって?)、作品に対する満足感に繋がります。ラストシーンは屋外ロケで、もうちょっと良さそうな撮影場所は無かったのか、とか思っちゃうけれど、中盤の祭りのシーン、特に主人公が因縁ある兄弟弟子たちの様子を茶店から伺うシーンなんてのは、サスペンスもあって実にいい。 主演はもちろん、ジミー・ウォング。彼の出世作ということで、まだ20代前半、若い! 端正な顔立ちにスラリとした体格、スターの片鱗を感じさせます。ただし、無精ヒゲが生えてるとやたらビンボー臭く見えてしまう。。。 『必殺「剣」』とあるように、主に剣劇、ですね。正直、スピーディでアクロバットなアクションが堪能できる映画、という訳にはいかず、発展途上感はあるものの、その点は日本のチャンバラ映画だって大差無く、要は、剣を振り回す動きがもたらす迫力。見応えとしては充分でしょう。殺陣が始まると場違いな音楽が流れ(おもに「春の祭典」、一部「展覧会の絵」)、ああ、香港映画だなあ、と。 右腕を失った悲運の若者、彼の師匠の身に迫る魔の手。敵は妙な形の武器を持ってて、なかなかにセコい攻撃を仕掛けてきます。実にセコい。で、どう考えても片腕のない主人公には最も対処が難しそうな敵のこの攻撃を、主人公はやたらアッサリ破ってしまう。片腕であることのハンデをどう克服して敵の攻撃を打ち破っているのか、神業過ぎてイマイチ判然としませんが、どうやら、敵の攻撃のセコさを事前に知っていさえすれば、打ち破るのは大して難しくないのでは?という気もいたします。ここに、伝説の片腕剣士、いや、ジミー・ウォングの片腕商法は、生まれたのであった・・・。 
[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-14 07:46:49)
106.  ゴーストバスターズ/フローズン・サマー
ハロルド・ライミス亡き今、存命の第1作出演者が元気なうちになるべくシリーズ作を作っておこう、ぐらいのノリの作品で、どうということもないんですけれど、それでいきなり登場するのがウィリアム・アザートンというのが、なかなか意表をついてます(マクレーン家に押しかけたレポーター、じゃなかった、ゴーストバスターズに言いがかりつけてたあのイヤミな役人ですね)。ちなみに第1作を監督したアイヴァン・ライトマンも鬼籍に入り、今作は彼に捧げられてます。 こうやって、製作から40年(!)経っても、話題になり、シリーズ作が作られ、当時の出演者が引っ張り出され、見てる側も懐かしいなあ、と思ったりするのも、それだけ1作目のインパクトが大きかったということなんだろうけれど、過去の資産でやりくりしてるばかりで進歩がない、という気もして。今の若い人たちは過去の作品も今の作品も自由に楽しめて羨ましくもある反面、さて、今の映画の中に、40年後にも話題になり出演者が引っ張り出されるような作品ってあるんだろうか、と思うと、少し気の毒な気もします。いや、その方がむしろ自然、なのかも。 さて本作、ゴーストバスターズの面々も子供からさらに孫の世代になっている訳ですが、冒頭からいきなりゴースト退治で騒動を起こし、どっちかというと周りから顰蹙を買っている。やはりゴーストバスターズたるもの、こうでなくては。CGは多様されますが、カーアクション等のシーンにはどこか、アナログ的な感じもあって。ゴーストの描写なども、そうですね。 かつて、能天気な教授たちが大学をクビになって立ち上げたベンチャー企業だったゴーストバスターズが、ここでは家族経営の零細企業(?)になってますが、この一家が登場するシーンではクローズアップがあまり使われず、カメラは一歩引いて、「家族」を映そうとする。ちょっと微笑ましいですが、テーマとしては血の繋がらない父と娘とのギクシャクした関係、みたいなのもある訳で、そういう部分の描写はちょっと弱いですかね。しかしそれでも何でも、娘が別行動をとり始めると、ゴーストの少女と知り合うサブストーリーが生まれて物語が広がり始める。こういうのがまた、イイじゃないですか。 いや、サブストーリーというほど独立した物語でもないし、メインの物語自体があまりオハナシとして成立してない気もするので、ゴチャゴチャした印象が拭えないですが、とにもかくにも、クライマックスはゴーストバスターズそろい踏み。ま、コレがやりたかったんですよね。いや、メンバー増えも増えたり、何人いるのよ。 1作目へのオマージュ目白押しですが、どちらかというと1作目を改めて見て「予習」してからこの作品を見るよりも、この作品を見た後で1作目を見て「復習」する方が、楽しいんじゃないか、という気がいたします。
[映画館(字幕)] 7点(2024-04-07 21:05:43)
107.  わが青春のアルカディア
劇伴の音楽、ところどころで実際のクラシック音楽も使われていますが(一部加工あり)、冒頭のタイトルの部分でも流れるメインテーマは、クラシック音楽を元にしたパロディ風の音楽で(『ライトスタッフ』とか『勝利への脱出』とかでビル・コンティがやってた、アレですね)、冒頭の一瞬はブラームス交響曲3番の第3楽章かと思わせながら、実はマーラー交響曲5番の第1楽章が元ネタでした、というオチになる。ウム、その手があったか。とは特には思わないけど。 それはともかく。 あまり評判のよろしくない作品のようですが、個人的には割と好きなんですけどね。いや正直、子供の頃はどういう訳かハーロックなるものがどうも苦手で、TVアニメの「宇宙海賊キャプテンハーロック」なんて絶対見ようとしなかったし、銀河鉄道999の映画に毎度出てきては大きな顔してるのもイヤだったのですが、そうやってかつて距離をおいてたお陰で、多少ヘンな映画であっても気にせず楽しめるのかな、とか。内容がムダに重いように思えるそのイビツさも、今、見返せば、作品の一種の個性。作りたいものを作りたいように作ってた、その結果、欠点はあっても独特の魅力が生まれれば、それでいいんじゃないかと。 ハーロックとトチローの出会いが、1000年前の第二次大戦から描かれる、輪廻転生の物語。いまや地球は異星人に支配され、ハーロックはレジスタンス活動に身を投じる。いろいろと出来すぎ、作り過ぎな要素も感じられるけれど、ひたすらヒロイズムを詰め込んで、一種の「真似のできない作品」、には仕上がってます。 アニメーションの緻密さ、ということでは最近の作品には到底かないませんが、それでも、いやそれ故にというべきか、メカニックな動きの見事な描写は、作品の大きな魅力になっています。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-04-07 07:43:32)
108.  ソニック・ザ・ムービー
ゲームのキャラクターでまたもう一発、シリーズ映画作って儲けてみましょ、という以外に何一つ、製作の意図が見いだせない企画のように思われてしまうのですが、何か大それたことを描こうとしなかったお陰で、意外に楽しめる作品になっちゃってます。 地球の危機とか何とかいう大袈裟な事を言わず、ソニックなるCGキャラが、マッドサイエンティストみたいなオッサンに追われるだけ。いや、それすら重要ではなく、それにかこつけて、田舎町の警察官と友情をはぐくむ物語がロードムービー風に描かれます。 どこがどう良かったかと言われると、特に何も思いつかないんですが、何となく、憎めないという・・・。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-03-31 07:58:40)
109.  ジョン・ウィック:パラベラム
いやもうホント、これ、戦い過ぎでしょ(笑)。 内容的には、「戦い」というものに純化されてきているというか、だいぶ抽象化されてきていて、そこは良し悪し。好きな人にはタマランだろうし、そうでない人はちょっとついていけないかも(そんな人はそもそも、見てないか)。 ストーリーなんて、前作の続きと言えば続きだけど、要する前作のオマケに限りなく近くって、ただただ、ジョン・ウィックが命を狙われる。狙われまくって、これじゃあ、大好きなラーメンをお忍びで食べに行くのもままならない・・・。こういうのって普通、続編作るたびに「今回こそ最強の敵」みたいな好敵手をでっち上げるもんでしょ、と思うのですが、そういうのもいなくって・・・いや、マーク・ダカスコスが一応、その役どころなんですね、失礼しました。しかし、その対立軸が物語の中心という訳でもなく。 この作品が抽象的なのは、ジョン・ウィックがプロの殺し屋であり、殺人装置であり、死神であるから。これも普通の作品なら、戦いの前の緊張感、戦いに至る過程、といったものをどう描くかが重要になってくるのでしょうが、そのせいで、プロの殺し屋の筈であるヤツがムダな能書き垂れまくった挙句に相手の逆襲をくらったりする。我々はそれを楽しむ(笑)。ジョン・ウィックはそんなことはしない。躊躇なく相手を斃す。戦いは突然始まり、タメも何もなく機械的に戦いまくり、唐突に戦いが終わる。長回しで演出されるその戦いは、際限なく続き、そのアクションが繰り返しとなって単調になることすらも辞さない。流れる動き、死の舞踏。 一つのシーンでは、ある種の繰り返し(ジョン・ウィックがひたすらガラスに叩き続けられる)が行われることで、その執拗さが浮かび上がり、それが魅力にもなっているのですが、シーンが変われば別の趣向が展開されたりもして、例えばナイフの投げ合いなんて、これ、要は手裏剣ですよね。ニンジャアクションです。果ては、馬上ならぬバイク上のチャンバラ風アクションも。 常に夜の雰囲気、闇の雰囲気をまとった死神たるジョン・ウィックが、砂漠の陽光の中を彷徨うシーン。印象的でした。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-03-31 07:41:52)
110.  ウホッホ探険隊
思えば80年代、つまり私が中高生の頃、邦画なるものにはまるで興味がなく、憧れはアメリカ映画の方にばかり偏っておりました。邦画のことはいっそ、憎んでいた、と言ってもいいくらい。映画雑誌で紹介される邦画の新作と言うと、コミック原作のアイドル主演映画か、地味で低予算で小難しそうな作品ばかり(という風に当時の私は捉えていたんです。すみません)。いわば、邦画の暗黒時代、と思ってた訳です。 で、ある日新聞を見てると、邦画作品が立て続けに途中打ち切りになった、という記事が。その一本が確か、この『ウホッホ探検隊』。タイトルが何だか子供向けの冒険映画みたいで、敬遠されたんだとか何だとか、良作に客が入らず打ち切りに追いやられていく現状を嘆いた記事だったように思いますが、そりゃこんなタイトルで地味そうな内容、客が入ると思う方がおかしいでしょ、というのが当時記事を読んだ時の私の感想。 そんなことを思ったせいで、この映画がずーっと気になってたのも事実だったりして、最近ようやく見たんですけどね(40年近く、引きずってた訳ですな)。うん、これでは、客は入らんよね、やっぱり。 田中邦衛と十朱幸代が夫婦、というのがまず、そりゃないよなあ、と。ってのは大きなお世話ですが、かえってそこに80年代邦画の閉塞感を感じてしまうのが、皮肉。いやまじで、「十朱幸代が演じる奥さん」ってのは、キツいものがあるんだこれが。で、なぜか田中邦衛がモテる役。そんなバカな、と思うけど、なにせタイトルが「ウホッホ探検隊」、ウホッホと聞いて連想できる人はこの邦衛さんしかいないんだから、まあしょうがない。 夫婦には二人の息子。この息子二人のセリフの臭さ、何とかならんもんですかね。これが「森田芳光」印だ、と言われれば、しょうがないけど。 バブルに向かって日本がそれなりに裕福になりつつあって、サラリーマン家庭の息子でもこうやって巨大なラジコン飛行機持ってたりして、でも親父は単身赴任とかで、いろいろと無理してる感じもある。家族の繋がりも何となく希薄になりつつ、それがいいと言う訳でも悪いという訳でもなく。 気だるい雰囲気が、80年代らしさと言えば、らしさ。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-03-30 05:43:41)
111.  CURE キュア 《ネタバレ》 
一連のオウム真理教事件が作品にそのまま投影されている訳ではないにしても、やはり「オウム後」の作品、ということではあるのかなあ、と。 普通に暮らしている(のであろう)一般人が、ある日突然、身近な人間を殺害する。続発する類似事件の要には、得体の知れない一人の若者がいて・・・となると、この若者が周囲の人間をコントロールして、自らが望まない殺人へと駆り立てる、ということのようではあるのですが、どうもそう簡単には割り切れない。若者にコントロールされるというより、日頃は表に出さないが実は心の底に抱えている鬱屈が、若者と接することで表に出てきただけ、という風にも感じられてきます。そういう、各人の心の暗部みたいなものが、孤立して存在しているようで、実は「この時代」というものを介して、互いに繋がっているような。 若者は、警察のお偉いさんに、あんた誰?という言葉を繰り返し投げつける。いや、名前はわかってる、そうじゃなくって、アンタは何者なんだよ、と言うのはつまり、若者が心に入り込めない相手、逆に言えば、時代が共有する暗部に無頓着で、何も気づかず能天気に生きている人。 たまたま、若者に形を変えて現れた「それ」は、若者が退場したとて解決する訳でもなく、形を変えてこの社会に残っていく。 一種の喩え話のような、寓意性を多分に感じさせる作品ですが、具体的に何が何の比喩になっている、というよりもまず、次々に現れる不気味なイメージが、ちゃんと「ホラー」として機能しています。正体が掴めそうで掴みきれない、何か。 水とか、ライターの炎とかいった、根源的なイメージはある種、「お約束」みたいなところがありますが、それにしてもまあ、この映画に出てくる建物のボロいことボロいこと、特に病院の建物はどうしてこんなに汚いイメージなんでしょうか(笑)。いや、実に見事なキタナさ、です。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-03-30 04:37:48)
112.  透明人間現わる
現れないのが透明人間、と、かのピンク・レディーもおっしゃってる訳ですが(いや、阿久悠か)、その「現れないもの」をどうやって表現するか、が映画の見どころ、見せどころ。 そりゃまあ、今の映画がコレと同じことをやっても厳しいものがあって、透明人間が服を脱いでいく場面の、これでもかという合成映像感など、ちょっと目のやり場に困ってしまいます。しかしこれ、昭和24年の作品。映画のクラシカルな雰囲気の中では、こういう手作り感も悪くないもんです。それよりも、戦後早くもこんな特撮映画に取り組んでいることにも驚かされるし、単に「チャチだ」と笑っていられないような、手の込んだ特殊効果にも驚かされます。 透明猫をカメラが追いかける。何もない空間を追いかけてるだけなんですけどね。しかしいかにも、ソレっぽい。姿は見えなくとも、ピアノの鍵盤が押され、モノが倒される。何もいないかと思いきや、足跡だけが点々とついていき、それをカメラが追いかけていく、摩訶不思議な感覚とスピード感。畳みかける演出が、見えないものを見せる。いや、「見せる」以上の、臨場感。 透明人間がタバコを吸えば、周囲に煙が充満し---あれ、そしたら煙が気道の形に浮かび上がるんじゃなかったっけ?(by H.G.ウェルズ)---とにかく、「姿が見えないからこその存在感」みたいなものがあるんですね。 透明人間がモノを持ち上げ、振り回す。ヒモで吊り下げて撮影しているんだろう、とは思うものの、とてもそうは見えない俊敏な動き。いったいどうやって撮影したのか? そういう、見えないものをどうやって表現するか、に対する拘りが、結果的にこの作品を「見せる映画」にしていて、どこかサイレント映画の雰囲気を漂わせています。透明人間が登場していないシーンにすら、そういう雰囲気があって。 どういう訳か、あの隠し戸棚みたいなヤツが、妙に印象的でした。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-03-24 07:03:52)
113.  宇宙人東京に現わる
2年前の『ゴジラ』にはまだ何となく戦後感があったけど、こちらの作品ではそういう雰囲気は無くって。最初の方に出てくる、山形勲演じる松田博士の食卓を囲んだ一家団欒の光景など、だいぶブルジョアジーな感じがいたします。テーブルの中央にはやたら盛大に花が活けられていて、食卓にそれはさすがに邪魔なんじゃないの、と。大きなお世話ですが。 という訳で、大映製のカラー作品。ガメラは直接は出てこないけれど、飛行音だけカメオ出演しており(?)、大映特撮スペクタクルのルーツ、とでも言えそうな。 宇宙人が登場します。タイトル通りです。さて彼らパイラ人の目的は何なのか、それは見てのお楽しみ。ある程度、文明を持った宇宙人なら、それなりに地球人っぽく手足がある姿で描かれそうなもんですが、そういうのを度外視したデザインに設定してきたのが新機軸。ずばり、ヒトデ型。地球で言うところの棘皮動物ですね。5回対称という特殊な体の構造。ヒトデ、ウニ、ナマコなど(ナマコも輪切りにすると5回対称らしい)。基本、なるべく動かず、なるべくエネルギーを使わない生活を送っている。しかし我々人間が属する脊索動物同様、後口動物に属しているので、姿は違えど、人類とパイラ人とは親戚みたいなものなのです。なんのこっちゃ。 いや、あくまで宇宙人であって、ヒトデではないんですね。他人の空似でしたね。クレジットには、「色彩指導」として岡本太郎さんの名前がありますが、パイラ人のデザインなども担当したそうで。中央には巨大な目玉がギョロリ。奇抜でもあり、シンプルでもあり。 宇宙人だのナゾの天体Rだのと、SFスペクタクルな設定の割には、物語の方はいまいち地味で緊張感が無いのですが(物語が、というより、描写がいろいろとおマヌケ。まあ、ユーモアだと解釈しましょう)、それでも後半は映像的にもスペクタクル度が上昇。ミニチュアや合成映像も活用し、これがなかなか完成度が高いんです。洪水の描写もダイナミック。いやこれ、ちゃんとしているシーンと、していないシーンとの落差が、なかなかすごい。 居酒屋「宇宙軒」。いいねえ。繁盛しそうにないけど。
[インターネット(邦画)] 6点(2024-03-17 15:48:20)
114.  復讐の荒野(1950) 《ネタバレ》 
なんだかマカロニチックな邦題ですが(そういや『荒野の復讐』ってのは確かにありましたねえ・・・)、1950年、アンソニー・マン監督作品。西部劇と言いつつ、中身は父娘の愛憎劇。一種のホームドラマでもあります。 頑固ジジイの父親が父親なら、娘も娘。なんというか、リア王の悲劇は娘が3人いたことではなくって、一人でも充分だったんだなあ、と。 娘を演じる主演のバーバラ・スタンウィックが、素晴らしくハマリ役。髪型見てるだけでもイライラしてくる(笑)。いや、彼女だけでなく、登場人物みなそれぞれ、クセあり、インパクトあり。 ストーリー展開は、最初はじっくり、映画の3分の1くらいから、波乱が起こり始めます。なかなかにエゲツない展開。たしかに邦題の「復讐」ってのは、ひとつのキーワードになってます。 終盤、起死回生の父親が張り切るシーンが、印象的。その先には破滅が待ち構えていることを、見ている我々は予感しているだけに、余計に印象を強くします。 ラストは、大団円とは言えないまでも、せめて小団円か、と思わせて、それすらも否定する徹底ぶり。そこまでやるか、と。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-03-16 05:49:44)
115.  クライ・マッチョ
『グラン・トリノ』を見た時の感動、というのは、これがきっと最後の監督・主演作になるだろう、という予感ゆえに感動したのか、それとも感動したがゆえにそのような予感がしたのか。今となっては渾然となってよくわからないのですが、はっきりしているのは、その予感は外れて、間遠になったとは言えその後も、現時点で2本、監督・主演の兼業をこなしている、ということで。なんという映画への情熱とバイタリティ。老人、おそるべし。 この主人公は、煮ても焼いても食えない奴だ、と思ったら、自分で主演やるんですかねえ。頑固者のイメージ。それが、自らの老いた姿とともに、映画の中に焼き付けられています。今回の主人公も、推定年齢200歳くらい(?)のジジイ。カウボーイの生き残り。かつて南北戦争でも戦ったことがある、と言われても驚かないような、そんな人。 この物語の主人公がこれほど年老いている必然性があるのか、と言われるとよくわからないけれど、とにかく、イーストウッドは「今の自分」をさらけだし、「今の自分」を主人公に重ね合わせる。御年、90歳。乗ってたクルマが不調で、車体の下をのぞき込む、そんな仕草だけでも、ゴクロウサマと言いたくなる、そんな光景となっています。 しかししかし、映画たるもの、カメラがあれば、肉体の衰えなど乗り越えた動きのあるシーンも作り出すことができる。ニワトリを追いかけるシーンの張り切りぶりなどは、映画に動きを与えるとともに、どことなくユーモラス。 少年と旅をするロードムービー、のようでいて、実はそんなに旅をしていないような気もするのですが、イーストウッドはとにかく、若い人に何かを伝えたがっている、という雰囲気が伝わってきます。何を伝えたがっているのかというと、このマッチョ教の教祖のような人が、今さらになってではありますが、マッチョだけじゃいかんのよ、と。 というか、チキン(臆病)もマッチョも、紙一重。大事なのは、勇気を持つこと。 などと言ってしまうと安っぽくなるけれど、だからこそ、言うのではなく、それを映画で表現してみせる。体現してみせる。 イーストウッドは例によってカウボーイハットを目深にかぶり、陰になった目元がよく見えないのだけど、帽子を脱いでその目元が露わになると、妙に可愛らしい瞳がそこにあって。 ジイサン、すっかり丸くなった・・・のかねえ。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2024-03-16 04:54:32)(良:1票)
116.  必殺! ブラウン館の怪物たち
バラエティ番組路線に乗っかった、悪評高い第2作。以前に必殺シリーズの映画を続けてテレビ放送してた際にも、こっそり飛ばされてたような気がするんだけど、気のせいか? とは言え、出演者のメンツから想像するほどにはオチャラケでもなく、そちら方面を期待し過ぎると肩透かし、となるのですが、懐かしさもそこそこに。そんな中で、「柏原芳恵」は、いやこれ、スゴイと思う・・・ほんっと久しぶりに、「ぶりっ子」という言葉を思い出しました。完璧も完璧、標本レベルの「ぶりっ子」ですよ、これは。 とかいう事はさておき、笑福亭鶴瓶という人が持っている、笑顔の奥にあるコワさ、みたいなものは、出てましたね。何とも言えぬ、怪人物ぶり。 とかいう事もさておき、この作品、幕末を舞台に、たいして面白くもない物語が続き、クライマックスにおける仕事人たちの討ち入り(?)でようやく盛り上がるかと思いきや、確かにココでたっぷり時間は取っているのだけど、キレのない演出がひたすらグダグダと続き、音楽もグダグダで、かなりツラいものが。 全体的に夜の場面が多く、暗い雰囲気、というのは「必殺仕事人らしさ」でもあるんだろうけれど、かつての大映時代劇のような深みのある暗さじゃなくって、単にロケ撮影等で背景をあまり映したくないから暗い所で撮影しているんじゃないの?という方便にしか見えないのが、これまたツラいところ。 ぜーんぜん関係ないけど、「仕事がすんだら、仕事だぜ」は、名コピーだと思います。ぱちんこ仕事人。
[CS・衛星(邦画)] 2点(2024-03-09 06:01:13)
117.  プリズナーズ・オブ・ゴーストランド
園子温監督とニコラス・ケイジ、禁断のコラボ。いわゆる「まぜるな危険」ってヤツですか。トイレ洗剤とかによく書いてますね。ははは。しかしアレ、そんなネガティブな書き方しなくても、「まぜなきゃ安全」とかでいいのでは、とか思っちゃうんですけどね。 とは言え、過去には事故もありましたから、PL法のもと、消費者の安全配慮、ということで。 では園子温とニコラス・ケイジを混ぜると果たして大変なことが起こるのかどうか、有害ガスでも発生するのかどうか、PL法にひっかかるのかどうか、ということなんですが、、、意外や意外、事前に想像したほどには、メチャクチャなことにはなっておらず。 いや、この内容で「事前に想像したほどではない」って、一体どこまでブッ飛んだなものを想像してたんだ、という話ではあるのですが、でも多分、皆さん同じ意見ではないでしょうか。 支配者側と被支配者側、2つの町を舞台に、アウトロー風のヒーロー(←役名もそのまんま)が活躍する近未来SFのノリ。その舞台となる街が、遊郭風の佇まい、未来と過去が入り混じったデタラメ世界。まさにこれ、「間違ったニッポン」そのもの、ではあるけれど、どうせ架空の町なんだし、何でもアリと言えば何でもアリ。せっかく日本人の監督がハリウッド映画を撮るんだから、他の監督では撮れないものを撮ってやろう、っちゅう事なんですかね。それなりにデタラメでありつつ、それなりにちゃんと風情もあって。この風情というのが遊郭のソレなのか、キャバクラのソレなのかはさておき。 アメリカ側で準備されたのであろう脚本を、監督がどの程度変更したのかあるいはしなかったのか、わかりませんが、この映画の物語にも「共同体」というものへの関心、みたいなものが感じられて、らしいと言えば、らしい。しかしそこにダークヒーローが一匹、紛れ込むもんだから、それなりに妙なオハナシにはなるのですが、かつて銀行強盗の際に遭遇した少年のことが心に引っかかり続けている、という優しさも、そこには盛り込まれて。 もうひとつの町「ゴーストタウン」が、大がかりなオープンセットを組んでいるとは言え、いかにもその辺の空き地で撮影しました、っぽい感じがしてしまって安っぽく見えるのが残念でしたが(撮り方、見せ方で、何とかならんかったもんか・・・)、にもかかわらずラストのカタストロフは、意外に見応えがあったり。 さて。園カントクの次のハリウッドは、あるのでしょうか。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-02-12 17:46:25)
118.  マッハ無限大 《ネタバレ》 
この10年前の『マッハ!!!!!!!!』という作品(本作とは無関係ですが)で世界が驚いたのは、このトニー・ジャーという人の超人的なスタントアクション。だけでななく、仏像のためなら死地に赴こうという、タイ人の信仰心の厚さ、ですかね。いやまあ、要するに、アクションの理由付けなんて、いっそシンプルなもので良い、ということで。 ただし、仏像なり、ゾウなり、ご当地色があると、なお良し、ってなところでしょうか。 クライマックスの爆殺計画は、そりゃムチャクチャでしょ、とは思うのですが、しかしラストシーンで海から浮かび上がってくるあの素晴らしいシーンを見ると、やっぱりこのストーリーで、良かったんでしょう。 ただし、10年前の映画で、CG使わないだのワイヤ使わないだのと宣伝してたことを思うと、本作の安っぽいCGその他、ちょっと目障りに思えてしまいます。 バイク軍団とのエンドレスの死闘(マジでしつこい)とか、見どころは多いんですけどねえ。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-02-04 17:25:48)
119.  燃えよデブゴン
この邦題を考えた人はマジで偉いと思います。後から考えれば「これしかない」という邦題なのですが、これを自分で思いつけと言われても、なかなか、できることではありません。言い得て妙、語感も良く、聞いてしっくり、見て納得。サモハンと言えばデブゴン、どころか、デブゴンってホントはサモハンって言うらしいぜ、ぐらいの定着度合い。この邦題が、日本におけるカンフー映画受容史に一定の影響を与えたことは、間違いない!と思うんですが、どうでしょうか。 とか何とか、力説するほど、内容は大して面白くはないんですけどね。チンピラとのゴタゴタやらしょうもない誘拐事件やら、とりとめのないオハナシに、演出の方もあまりこなれていない印象。ちなみに監督・武術指導もサモハンがやっており、武術指導の方はすでにかなりこなしてますが、映画監督としてはキャリア初期ですね。 せっかくの笑わせどころ(と思われる部分)も、あまり見せ方がうまくないもんで、もう一つピンと来ないんですよね。バナナのくだりもよくわからんし、サングラス買う際のポスターのネタも、もうちょっとうまい見せ方がありそうなもの。 しかし、終盤のタクシーに乗りそびれるあたりからは、絶好調。ようやく映画が活き活きとしてくる。でもって、待ち受ける3人の敵との対決の場所は、倉庫。殺風景ゆえに、かえって盛り上がるところです。 デブゴンと言うからには(本人が自ら名乗った訳ではありませんが・・・)役作りでもう少し体重を増やして欲しかった気もしますが、体形や顔立ちのコミカルさと、キレのあるスピーディな格闘の動きとのギャップ、まあ、充分ではないでしょうか。 チョイ役で、ユン・ピョウの姿も。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2024-02-04 16:49:18)
120.  セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ
ハリウッドの商業主義に大して怒っているらしい、のは確かにらしいんですが、おバカ路線に走ってるもんで、どこまで本気で怒ってるのやらサッパリわからない怪作。ジョン・ウォーターズなりの「照れ」みたいなものもあるんでしょう。 それにしちゃ、おバカ度が足りない気もして、意外に本気だったりして?? ふと脈絡もなく(?)思い出したのが『マイク・ザ・ウィザード』という映画で、マイク・ジトロフなる奇人が、周囲の無理解に耐えているのか無理解に気づいていないのか、孤軍奮闘、ヘンテコな特撮映画を作ってる。それはまるで報われない行為だけど、我々はそれをひっそりと見て、ひっそりと応援し、ひっそりと感動する。 一方、この『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』。仲間集めて徒党組んで、ついでに女優を誘拐したりして。実は、これはこれで、恵まれてるんじゃないの、と。 確かにジョン・ウォーターズ、仲間には恵まれていましたよね。さすがに私には犬のウンコ食ってくれる友人はいませんし。 今回は今回で一応、メチャクチャやってて、いいっちゃあいいんですけど、空回り感もあって。何となく、「映画を見る人たちは自分達に喝采を送るだろう」ということが織り込み済みのようなところがあって、作品としては、迫力不足。
[インターネット(字幕)] 5点(2024-01-21 19:32:27)
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