101. 血のバケツ
《ネタバレ》 妻投稿■えー、下の方にこの映画の魅力を全て書かれてしまったのですが(笑)、この映画を見てふと思ったのが、「いい白黒映画って絶対カラーじゃ再現できないな」という事。この映画がまさにそう。あの白い石膏のシュールさは絶対モノクロじゃないと生きない。主人公の個展が開かれている時、白い石膏像が並べられ、それを画面が舐めるように映すシーンでは不覚にもゲラゲラ笑ってしまった。もう、悪趣味な趣向に大喜びする8歳か9歳くらいに誰でも感じたと思う「うひひひひひ」という背徳的な笑いを久しぶりに感じた気がする。お人形さんがモノクロ世界で際立ちまくっていて、白というものがここまで悪趣味な色だとは思わなかった。■内容も、下の方とかぶるんだけど、限られたセットの中で展開されるストーリーは、よくコンセプトとして語られる「へいさかん」とやらよりも「井の中の蛙」的な困った焦燥感に満ちていて、際立って真っ白なんだけど、モノクロのなかの白でしかないお人形さんの顔とあわせて結構観客個人個人に覚えのあるものを突きつけていると思う。私ももう少しいろんな事を勉強しなくちゃ。 [ビデオ(字幕)] 8点(2010-06-28 07:06:01)(良:1票) |
102. 家族ゲーム
妻投稿■1960年代以前の古い日本家屋の社会では、もし息子が障害者になったら座敷牢に放り込んで世間の目にさらさない事が多かったようだ。しかし1970年代以降マンションや公営団地に人が住むようになり、その真っ白な壁と幾何学的な未来都市は、こういうドロドロとした村社会や世間体といったしがらみのない新しい住空間に見え、当時の人々は一般に言われる「快適さ」とは違った意味の「快適さ」を期待したんだと思う。■でもギリギリ昭和世代(1987年生まれ)の私の友達の障害者は親に「お前は本当の○○ちゃんない」とか存在を否定された人は多い。確かに村八分とかはなくなったんだけど、その分マンションのコンクリート構造は、ありのままの家族を見ようとせず、それぞれが「こうあるべき」という家族の虚像(というより妄想)を相手に押し付けあうという、昔から結構水面下にあったものを一気に明らかにしてしまった。この映画はそれを松田優作に発露させたんだ…(と「超正統派的知ったかぶり」をしてみました)。■でもこういうマンション街って今高齢化地帯になって徐々に廃墟になっていくんですよね。今じゃどこにでもある「歴史民俗博物館」の最後の展示ブースに「高度経済成長期のマンション」の再現模型があって、映画の中の家族も過去の俗物になってきたんだなと思う。社会も「格差」とかいうのが広まって、「家族を持つ」という事が凄く贅沢になってきた(「家族」が一種のブランド化してきた(笑))。■じゃあ、そう偉そうなことを言う私の家族はどんな感じなのか。もう、性的虐待で出産したダチの赤ちゃんをルームメイト(全員そろいもそろって発達障害者)全員で育てる感じ。「恋愛より前に子育て」という事で、「スカベンジャー(腐肉食系男子)」という言葉もあるくらい。一番だめじゃん(^_^;(笑)) ■21世紀はどんな「家族ゲーム」が作られるのかな? [ビデオ(邦画)] 7点(2010-06-21 06:34:46) |
103. ロリータ(1997)
《ネタバレ》 妻投稿■何でこれが自治体の図書館にあるわけ(-_-;)? ブースで見る私も私だけど(笑)■それはともかく男の人の悲しい性というか(笑) 中学時代のトキメキを体から排除しきれないのは男も女も同じ。だから、主人公の親父の気持ちもある程度わからなくはないんですよ。ただ「ときめく」とはいいんだけど、「勘違いはするな」って事。■私はこの映画、リアルを映しているのではなく、完全に主人公の親父の妄想を投影していると思います。だって、野郎が女の子に萌える気持ちは理解できても、女の子があの親父に興味を持つ理由がわからないもん。一緒になるシーンもなんか象徴的で、「相手を満足させないとどうなるか分からない」と女の子が怯えているようにも見えます(うまく拒否できないのは明らかに共依存気味なあの母親のせいだと思います)。■まあ、何というか、相手がどんなに嫌がっても、変態野郎のめでた過ぎる頭はそれを認知しないんだろうな。勉強になりました。 [ビデオ(字幕)] 7点(2010-06-19 07:51:07) |
104. ヘアスプレー(2007)
《ネタバレ》 妻投稿■この映画のメッセージは「差別反対」ではなく「差別上等!!」の映画だと思う。歌って踊って全てを解決するシーン…があるが、実は歌って踊るという行為を音楽の時間や会社研修の朝礼以外で自分からやるという事は「内面の自己完結化」が出来ていないと不可能な事だ。そのシークエンスを娘さんから、お母さん(ジョン・トラボルタ(^_^;))から、その両方の眼差しで見せてくれるこの映画。■「あなたに生きる権利と幸せになる権利がある…なんてこと社会の誰も言ってはくれないよ」と私はお母さんに言われた事があるけど、だからこそ、真面目な意味で「自己完結」はとても大切な事だ。自分の心で自分の体を動かすこと。他人の下賤なまなざしの為ではなく、自分が好きだから体を動かすこと。歌って踊る事は実は重要な意味なんだと、深いメッセージを楽しく送ってくる映画。 [DVD(字幕)] 8点(2010-06-15 07:38:43) |
105. 大統領のカウントダウン
《ネタバレ》 妻投稿■プロパンガス…じゃなくてプロパガンダ映画…というのは予想していたけど、ここまでストレートにやられると、実はこれギャグなんじゃないかと思うんですよ。しかもこれ、実際人が何百人も死んでいる事件を下敷きにしているんですよね。遺族の方とか絶対抗議していると思う。「抗議されても作らなければいけない映画」というのはあるんだろうけど(例えそれがテロとの戦いを唄う映画だとしても)、だったらもう少し真摯な気持ちで作るべき。ウサマ・ビン・ラディンの登場に噴いてしまう私みたいな感想を多くの人が持ってしまう映画は、遺族に対して失礼じゃないか?■もしこれが許されるのならこういう映画もありなんだと思う。以下私の妄想■■某国の豚みたいな独裁者が日本人を誘拐し、入れ替わりに偽物の日本人を富士山の見える場所にある宗教施設に派遣。そこには毛むくじゃらの教祖が待っていて、日本破壊の為に豚独裁者と手を組む。そして東京に毒ガスがまかれ、大勢の死傷者が出る。主人公は知り合いの弁護士家族が姿を消したのをきっかけに単身捜査に乗り出す。そして某国に乗り込み、豚顔独裁者を倒し、救出した拉致被害者の女の子と恋に落ちる。しばらくして、富士の教団施設も自衛隊のアパッチヘリで攻撃され、テロップに「我々はカルト宗教と敵性外国人に勝たなければならない!! the end」■■私はこういう映画を見たらケラケラ笑って勢いで8点くらいつけるだろう。でもこういう映画で下敷きにされた事件の遺族は、こういうギャグ映画をどういう気持ちで見るんだろうか。 [DVD(字幕)] 3点(2010-06-15 06:17:53) |
106. かいじゅうたちのいるところ
《ネタバレ》 妻投稿■「かいじゅうたちのいるところ」は大好きな絵本だ。しかしそれを2時間映画にする事は最低だ。絵本は基本的に映画とは違う時間が流れている。特に「かいじゅうたちのいるところ」や「おしいれの冒険」を24みたいにリアルタイムで映像化したとして、たとえ子供たちが異世界に迷い込んだ時間が2時間だとしても、映像化されたものを大人の視点で見たところで10分くらいにもならないはずだ。■それを数学で表わしてみると、現実世界ではy=ax、y=出来事、x=時間、a=あなたの行動になる。でもこの数式は絵本でふっと迷い込んだ異世界では成立しない。こういう世界はy=aw/xという数式が成立すると思う。この場合w=「あなたにとって重要な思い出場面の時間」だと思う。つまり、出来事yが同じでも、異世界ではそれをつかさどる時間軸はとても短い瞬間であるはずなのだ。■その異次元変異を舐めているから、大人たちは物語を「2時間映画」にまとめるために、安っぽい「商業映画的感動」を挿入する羽目になると思う。■でも「映画化」ではなく「映像化」なら私も大賛成。そういう点では(絨毯の草のシーンとか)素晴らしい点はいくつも見つけられる気がする。※注意:この数式は旦那の中学校の教科書の折れ線グラフを参考に友達と適当につくりました。私は養護しか出ていないので(10歳までは「てにをは」や100円玉2つで200円になる事さえ碌に知らなかった)、あんまり参考にしないで下さいませ。 [DVD(吹替)] 5点(2010-05-24 23:59:32) |
107. ピーター・パン(1953)
《ネタバレ》 妻投稿■こ、これがマイケル・ジャクソンが行きたかった世界かー。彼が死んで間もないころ、「ネバーランド」ってなんだろうと思ってみました。この映画を見てわかりました。彼は「子供たちにサービスするスター」ではなく、「子供の仲間に入れて欲しいスター」なんですね~。■これは私の勝手な妄想なんだけど、ピーターパンって凄いお金持ちで、南の島と海賊船と反重力推進システムを持っていて、フック船長もインディアンも彼に雇われて子供たちを誘拐したんじゃないかと思います。ティンカーベルはピーターパンの「魔法」に掛けられた元俗世間の女の子ではないでしょうか…■で、果たしてピーターパンは何でウェンディたちに巨額の費用をかけて冒険世界にいざなったのか? 子供たちに夢を与えるため? いえいえ、自分が子供たちと冒険したいからです。ウェンディに対するあの嫉妬がその事を裏付けているのではないかと思います。■つまりこの物語は、マイケル…じゃなくてピーターパンが持てる財力を全て投じて子供時代を取り戻そうとする切実かつ切羽詰まった物語なのです。でもそれがいい。「子供に夢を与える」なんて動機よりよっぽど有機的規格外野菜みたいないかがわしさがあって、私は物語に楽しみながらノレます。 [ビデオ(吹替)] 8点(2010-05-24 23:44:23) |
108. カールじいさんの空飛ぶ家
《ネタバレ》 妻投稿■例の冒頭の15分くらいの場面。旦那にはきつかったんじゃないかなーと思います。私HIVなんでね(^_^;)爺さんみたいな悲しみを旦那に背負わせる可能性結構ありますね(笑)■で、冒頭の15分のシーンと家を背負っていくシーン…結構リンクしていると思う。「晴れ晴れとした冒険が出来るはずだったのに何で家を背負う羽目になったんだ―」というカール爺さんの表情は、「私の人生はこうじゃないから不幸なんだー」という、人間にありがちな思考を現わしている。あの探検家もジャングルで同じような思いを抱いて夢に固執し続けていたんでしょうね。■まったく同じようなこの2人、片や「夢の為には人間を傷つけていい」という思考で略奪に走る探検家と、「新しい夢を見つけて」というメッセージとともに大空に再び飛び上がる爺ちゃんとの対比がこの映画のメッセージだと思うんですよ。恋人が死んでも子供が不条理な暴力で殺されても、人間はいつか映画の後半のカール爺さんみたいに飛びあがれると私は信じたい。当然旦那もね。・・・・・と旦那に言ったら、「あなたもね」。 [DVD(吹替)] 9点(2010-05-24 22:57:45) |
109. アマデウス
《ネタバレ》 妻投稿■これアニメじゃなかったんかい!!!!パッケージに騙された!!!■それはともかく、「シベリア超特急」が「映画を見る人」ではなく「映画が好きな人」に対して、ソファの向こうからくまさんの手袋人形で語りかけるような映画なら、この映画は「映画を見る人」ではない「映画が好きな人」に対して、暗い部屋で懐中電灯を下からかざして語りかけるような映画だ。■この映画を見ている人は、モーツアルトに同情するにしろサエトリに同情するにしろ、自分たちを「凡人」「普通の人」という定義で見ているのだろう。私はモーツアルト派だった。モーツアルトみたいなアスペ的人(アスペ=天才という意味に取らないでね)が私の周りにうようよいて、なんとなくモーツアルトの曲の良さは理解できない私でも、モーツアルトが自分のこだわりに忠実なだけなのになんで周りが良くも悪くもやいやい言うのかがわからない気持ちがわかる気がするからだ。■しかーし、私の「映画に対する理解」とやらも、旦那(彼もアスペだが「天才」ではなく凡人にすらなれない「不良品」)の感想、一言で打ち砕かれた。「凡人だって同じように嫉妬されているかもよ(笑)」。旦那は「不良品」<「凡人」<「天才」あるいはその逆というヘゲモニーを頭の中で成立させているわけではない。「何が天才」で、「何が平凡」かは、多数派である「凡人」が決める権利がある事は間違いないからだ。■ここで映画の情景に戻ろう。近世ヨーロッパなんだけど、共○主義独特の無機質な情景。蝋燭の不気味な光。これって単に「リアル」を追い求めた結果なんだろうか。実は「私は凡人でこの世界の多数派」だと思っている観客は、映画の中で知らないうちに自分らが「凡人ではない」という少数世界に迷い込んでいるのではないか? 私は少なくとも迷い込んでいた。だからとっても怖かった。 [レーザーディスク(字幕)] 8点(2010-05-24 22:13:29)(良:2票) |
110. 少女ヘジャル
《ネタバレ》 妻投稿■知的障害者の私にとって怖いのは「差別される事」ではなくて「そんな人いない」とみなされる事だ。この映画は差別を描いてはいないし、ユーゴスラビアのような民族浄化も描いていない。■トルコのような民主主義国で準先進国、代々木にジャーミーまである国でなんでそんな事が起こるのか。多様性とか共通前提とかそういう方面の問題で何か行き詰った時、もっとも効果を発揮するのは、問題の当事者で一番弱い人の存在を「なかった事」にして秩序を維持するという方法論。これって進んだ社会でも結構行われている。それが出来ない人間は「KY」と呼ばれるわけだし、私自身こうした方法論を100%「あってはならない」とは思わない。ましてや中東と欧州の間にあり、共産主義と原理主義をはねのけて近代化に成功したトルコでは、アタチュルク主義でまとまるしかなく、クルド人を「山岳トルコ人」と呼ぶのも一番妥当な方法論ではあるのだろう。■でも、この映画はこうした問題を背景にしながらも、言いたい事は「『あって良い事』と『あってはならない事』を区別することなどはっきりいって無駄だが、『やっていい事』と『やってはならない事』の分別はつけるべきだ」という単純な事なんだろう。しかし映画はこの倫理に関しては一人の判事に対する眼差しを時に厳しく向ける事で、観客自身にも強く訴えかけている。日本人だったら「トルコってクルド人いじめてやーね」という反応になるが、トルコの人々がこの映画を見たとき、映画を作った女性監督とスクリーン越しに対峙する羽目になるんじゃないかと思う。いや、本当は私を含む日本人を含めた世界中の人が対峙するべきなのだ。■もう一度言う。この映画は「差別」を描いたものではない。 [DVD(字幕)] 8点(2010-05-12 01:12:38) |
111. 名探偵コナン 天空の難破船
《ネタバレ》 妻投稿■「相棒」の影響を受けていますよね。ハイジャックで騒がすだけ騒がしといて目的が別にあるとか、人質と犯人が二転三転するとか。動機が仏像泥棒というのが、いかにも「相棒」に出てくるコソ泥って感じです。■とりあえず映画における疑問…。①ヘビスモの女性スタッフは結局感染していなかったのに、何で倒れちゃったの?②犯人は明石海峡大橋に飛行船をぶつけて、何をしたかったんだ?③犯人、あれ、死んでますよね。あんだけの高さから海に落ちたら・・・④あの奈良の少年はなんだったんだ?…てかあの奈良の刑事も何なんだ?■とまあ、いろいろ挙げたけど、最近のコナン映画では7点は堅いと私の中では思います。 [映画館(邦画)] 7点(2010-05-02 21:14:28) |
112. 映画 忍たま乱太郎(1996)
妻投稿■乱太郎にしては結構シリアスなシーンあり(人が撃たれるとか)。ギャグ漫画ほど映画化の際シリアスなシーンが際立つ。 [地上波(吹替)] 6点(2010-04-26 10:27:03) |
113. 名探偵コナン 14番目の標的
《ネタバレ》 妻投稿■真新しい設定がない朴訥な作品と評価されやすいこの作品。でも改めて再見してみると、場面の会話部分が後の作品と加えて非常に高度なものになっているのがわかる。小五郎や恵理の過去だけではなく、目暮警部がジョギングしていたり、毛利夫婦の父親、母親的部分を垣間見せるレストランのシーン(ワインをたしなむ小五郎の一面)など、コナンの世界のキャラクターを掘り下げているシーンが多い。さらにワインやヘリコプター、モノレール、米花市の東京周辺の新興都市的な特徴のある空中風景(街並みフェチの私としてはかなり萌え萌え)など、様々なアイテムを丁寧に描写し、おかげで終わってからは「ま、こんなもんでしょう」と言いつつも、実は映画の最中はかなりの臨場感と空気を楽しんでしまえる作品なのだ。この後の作品はそういった意味では場面場面の濃度が下がってしまって残念なのだが、これはきっと「子供が楽しめる」と言う事を「簡単でギャグシーンが多い」と勘違いしてしまったからなのではないだろうか。でも知能が低くてもちゃんと理解が出来るのなら、みんな難しい話を楽しみたいと思っているんだよ(笑) [インターネット(字幕)] 8点(2010-04-26 10:16:16) |
114. 名探偵コナン 10年後の異邦人<OVA>
妻投稿■歩美さんの感じが無人惑星サヴァイヴに似てると思ったら、声優同じか(笑) [インターネット(字幕)] 5点(2010-04-26 10:04:57) |
115. 二十四の瞳(1954)
《ネタバレ》 妻投稿:図書館で鑑賞■自分の家族や自分より年下の人たちが、国家や社会の事情で死んでいく。この状況に対して個人に残された道は2つしかない。■1つは「自分の大切な人が、強い人間の事情で殺されたり暴力をふるわれたり強姦されたりという事は人間世界の摂理として至極当然」と考え、何を奪われ続けても自分の命を奪われるまでは大切な人たちの為に戦い続けるという選択。これ、私の旦那がどっちかというとそのタイプだ。私の旦那は妻である私を含めてどちらかというと所謂池沼の仲間が多く、社会に「運動」という形で何かを主張要求するタイプではないが、「自分たちが殺されたり殴られたりしても文句を言う資格はない」という現実を背負う覚悟を決めた野郎だ。■もう1つはひたすらその不条理を憂い泣き続けるという大石先生タイプ。これはこの映画を見ていただければわかるであろう。■まあ、グループわけは非常に極端であって、実際その当事者はその折衷で生きて行く場合が多いという事は当然として、旦那タイプは悲しみから、大石先生は「現実を背負う事」からある意味「逃げた」とも言える。そしてどちらのタイプが正しいのか、強いのかを判定するのは「家族や年下の大切な人」が不条理に死んでいく悲しみを経験していない市民だったりする。■そしてこういう結論を出す私が一番卑怯なのだとも思うが、「救いのない現実」の前には、絶対旦那タイプと大石先生タイプの両方が必要なのだと思う。その両方あってこそ「陰惨な現実」の果てに「優」を見いだせるのではないかな。片方だけだったら「呪」「卍(の逆バージョン)」になっちゃう。■とにかく、この映画は現代では「戦争はこんなにかわいそーだよー」という「反戦映画」になっちゃうが、1954年当時(ゴジラが初めて現れた年だ!!)は、きっと別の意味が成立していたはず。戦争が終わって9年(殺人の時効は15年)、きっと当時は「これは反戦映画?」と裁定する余裕さえなかったんじゃないかな。 [レーザーディスク(邦画)] 9点(2010-04-11 14:56:40) |
116. 少林少女
《ネタバレ》 妻投稿■日本に初めて来た外国人がホテルのテレビで字幕なしで何となく見る映画…だというのなら納得できる。「なんか凄いのやってるねえ」「わけわからんがウケル」という感じで友達とネタにするのは楽しそうだ。だから5点はあげられる。■しかしこれ以上の点を入れるのは(あくまで私自身のみに関して言えばデス)愚か以外の何でもないだろう。しかし旦那と友達はやたら凝視して「パンチラがあれば8点付けられる」「服が破れたら9点」とかほざいていた。テポドンの先にくっつけてムスタンリから飛ばすぞゴルア。 [DVD(邦画)] 3点(2010-04-07 23:03:17) |
117. 死国
《ネタバレ》 妻投稿■ゴジラやガメラやウルトラマンにも見捨てられた四国。徳島県生まれの私としては是非とも四国4県民総ゾンビ化および禁畿と厨国と窮州による総封じ込め作戦vs巨大ゾンビの出現でやってもらいたかった。「はははははは、見ろ、本州がごみのようだ」的ノリで。それが人間による幽霊の殺人死体遺棄で終わっちゃった。うははははは、見ろ、幽霊がゴミのようだ。 [DVD(邦画)] 3点(2010-03-27 20:50:11)(笑:1票) |
118. DRAGONBALL EVOLUTION
妻投稿■ダチの実家で彼女の弟と鑑賞しました。えー、まあ、シネコンで予告編を見たときからこのサイトのWR入りの予想はしちましたけどね。ドラゴンボールって凄い人気だし、それを実写化するとなると北斗の拳化は避けられないでしょう■追記:クレヨンしんちゃんやドラえもん、コナン、るろ剣は大好きなのに、ドラゴンボールとガンダムとエヴァンゲイオンとワンピースを全く知らない旦那だったら、中国風の女の子の胸に8点くらいは付けかねないと思う。危険だ。■ブルマがオペラ座のヒロインってさまざまな意味で間違っているでしょう。ふぃぎゃー。でも5点。 [DVD(字幕)] 5点(2010-03-27 20:26:12) |
119. ショーシャンクの空に
《ネタバレ》 妻投稿■「娑婆は怖い」「刑務所なら生きられる」というシーンがあるんですけど、これ凄くリアルなんですよね。今の日本の刑務所って、所謂池沼さん(私もだ!!!)が多くて、世の中で生きていけないから刑務所で生きて行くしかない人が30円盗んだり火のついた雑誌を交番に持って行って、実刑判決を出してもらっている状況です。彼らにとって、暴力や強制労働や性的虐待で一方的にやられ放題な娑婆より、刑務所の中がよっぽど安全なんですよ(そういえば南米ベネズエラでも娑婆より安全な刑務所に看守に金払って家族を呼んでいる犯罪者がいるって話も聞きます)。■この問題は「当たり前」がよく理解出来ない障害者が「当たり前に保護されず酷い目にあう」というある意味当たり前の摂理の結果なんだと思いますし、私自身健常者さんの世界で生きて行く事に罪悪感が全くないわけではないですが、ただこれだけは言っておきたいのは「こういう問題がリアルに存在する中で、明らかに不自然に馬鹿な看守から金を奪って逃げるという結末はないのではないか」という事です。この結末を「道義的」だの「道徳的」だのという理由で非難するつもりは毛頭ありません。ただ「あり得ない」と言いたいわけです。それが同時代の「フォレスト・ガンプ」みたいなファンタジーだったり、「夜逃げ屋本舗」や「プリズン・ブレイク」みたいなノリだったりしたならわからなくはないのですが、これは「希望を持て」という映画なのでしょう。で、その「希望」がこれ…(--〆)これじゃあ、「希望を持て」ではなくて「妄想し続けろ」って事ですよね(笑)■この映画、所詮は冤罪で刑務所にぶち込まれる事がなくて、刑務所の外に温かい家族がいる人に「希望」が何かわかったような気にさせるだけの映画だと思います。 [DVD(吹替)] 1点(2010-03-22 02:15:48)(良:1票) |
120. ドラえもん のび太の宇宙小戦争
《ネタバレ》 妻投稿■2011年11月8日再投稿■ハイール・ヒトラーや北朝鮮や前のリビアや中国でどういうことが起こっているのか。それを私が何となくイメージが出来るのはこの映画のおかげなんです。しかも、こうした題材(一日中蛍に監視される、肖像画が国民を監視する、独裁者の見せしめのために死刑にされるといった現実的に世界で存在する部類の恐怖)を「人形のダンスパーティーに参加する」「おもちゃの戦車で悪者退治に乗り込む」というくるみ割り人形みたいなおとぎ話と矛盾なく融合させてしまう作り手のセンス! 私の子供時代そうだったんですけど、男の子のロボット戦争ごっこと女の子のお人形ごっこが友達の家で合体した時は、めちゃくちゃ面白かった記憶があります。そうした楽しい記憶を、悪魔や魔女みたいな絵本の中の怖い悪役ではなく、現代政治史実に確かに存在した「独裁者」と対決させる(つまり大人の「こくさいせいじがく」とも合体させる)事で仕立て上げられた「現代のおとぎ話」が宇宙小戦争なんだと思います。■しかもこの映画が作られた1985年なんて日本の周りは全部独裁国家で、民主主義国はほかにアメリカとヨーロッパの端っこくらいしかなかった時代です。そんな時代にこういうおとぎ話が出来ちゃうなんて、ドラえもん侮りがたしです。■ラストシーンは運に頼った部分もあるけど、そもそも個人の英雄行為で独裁国家が壊れるなんて自体が嘘なのであって(そういう物語を作って自身が次の独裁者になるやつとかも現実にいるし)、監視の目の中を必死で走り回って地下室に眠っているのび太君やロコロコ、恐怖に打ち勝ったスネ夫といった名もなき勇者が少年時代のメロディの中に現れるシーンにこそこの映画の価値があるのだと私は思います。大好きな映画。 [レーザーディスク(邦画)] 10点(2010-03-18 00:25:25) |