1241. 理由なき反抗
《ネタバレ》 若者たちの反抗を描いた青春映画のパイオニア。ストーリーがありきたりと感じるのはパイオニアの宿命。それだけたくさんの映画がこの作品を模倣したということである。前年、けして泣かないというハリウッドヒーローの公式を覆したジェームス・ディーンがココでもリアルティーンエイジャーを見せつける。ほとんどの者が経験するだろう反抗期、そしてその反抗を正面から受け止めることができない親たち。主要人物3人のそれぞれ異なる家庭環境を描くことで「反抗」はまさに理由なきものとして描かれ、一方で「反抗」の継続、あるいは増幅は理由があるものとして描かれる。3人のなかでもっとも悲しい家庭環境にある者が悲劇を迎える必然がなんともやるせない。 [DVD(字幕)] 7点(2006-05-25 18:59:43)(良:1票) |
1242. 大砂塵
《ネタバレ》 ジョーン・クロフォードの意向により大幅に変更された脚本によって、ニコラス・レイの他の作品同様、これもまたなんとも奇妙な作品に仕上がっている。原題が「Johnny Guitar」とあるにもかかわらず、肝心のジョニーは自慢のガンさばきを女に封印され、恋敵キッドはその運命を女に翻弄され、保安官や町の人々も女の意のままに動くことしか許されない。しかし「西部劇」というジャンルにすでに植えつけられた概念を取り払えばいたって普通に楽しめるもの(ストーリーがシンプル!)だとも思うし、それ以上に、力がものを言う西部開拓時代の終焉をガンマンも無法者も保安官も本来の(西部劇でいつも見せてくれた)姿を見せないことで『シェーン』よりも克明に描かれてしまっている。「鉄道が町に敷かれる」という新しい時代を拒否する女が殺されるとき、男たちはただ傍観するのみ。時代の流れに誰も逆らえないことを悟ったかのように。 [ビデオ(字幕)] 7点(2006-05-24 12:15:45) |
1243. 孤独な場所で
これも『暗黒への転落』に続きボガートのプロダクションが製作していますが、なんでもボガートの意向で元々のサイコスリラーにロマンス色をより濃く反映させたのだそうですが、それゆえに異色な作品となっている。ハリウッドで映画を作るということは、ハリウッドでの映画製作に付きもののあらゆる方面からの意向を無視できないということが前提となる。むやみに受け入れれば監督の持ち味は喪失してしまう。しかしニコラス・レイという人はそんなあらゆる意向を進んで取り入れながらも本筋では自分を貫いているという稀な監督だと思う。だからこの人の作品は言葉は悪いがどこか中途半端なところがあってその中途半端な部分がなぜか魅力的という独特の雰囲気を持っている。これ、ボガートの提案が無ければとんでもなく怖い映画になってたかもしれなく、それはそれで観てみたいが、ロマンス色があるおかげで万人受け映画を最低限クリアしていると思う。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2006-05-23 10:39:18)(良:1票) |
1244. 暗黒への転落
《ネタバレ》 すでに大スターだったボガートが自ら設立したプロダクションによってプロデュースされた作品。しかし従来のハリウッド映画とは明らかに異にする作風は、スターありきの映画に嫌気がさしていたボガートと新進二コラス・レイの映画思想が一致したからだろう。若者が暗黒の世界へと転落してゆく様はそれまでの犯罪映画のようなドンパチアクションではなく、後のトリュフォーの『大人は判ってくれない』を彷彿させるような繊細かつ詩的に描かれる。裁判でのボガートの直接的なメッセージがスター映画を引きずってはいるものの、弁護士ボガートに負けず劣らず検事の応酬に迫力があって全然キャラ負けしていないし、判事の背中の汗を映し出すあたりも芸が細かい。判決を受けた若者が執行の日に連れて行かれるときに後頭部が剃られているのも演出の細やかさを象徴している。 [DVD(字幕)] 7点(2006-05-22 14:21:43) |
1245. パッション(1982年/ジャン=リュック・ゴダール監督)
詩の映像化をしてしまったパラジャーノフの『ざくろの色』に刺激を受けて作ったという本作は、絵画の映像化に挑む映像作家の試行錯誤が描かれる。レンブラントに代表される芸術絵画を俳優を使って再現してゆくが、劇中監督はそこに当てられる光に納得がいかない。これ以上ないというほどの美しい光にもかかわらず。実際のところ、極めて美しい。絵画の中に存在する光、つまりは現実には存在しない光を求め、プロデューサーの要求する「物語」を描こうとしない劇中監督はゴダールでありパラジャーノフである。この作品あたりからソニマージュ(音・音楽によって映像を際立たせる試みと理解してよいのだろうか)が取り入れられたと思うのだが、次作『カルメンという名の女』ほどのインパクトはないものの、非常に印象に残る「音」の使われ方がされている。批評家から始まり、さまざまな作品の引用をし「色」を印象的に使った初期監督時代から今回のソニマージュといい、ゴダールほど映画を探究している人は他にいない。 [ビデオ(字幕)] 7点(2006-05-19 16:45:38) |
1246. さよなら、さよならハリウッド
よくまあ毎回毎回同じようなものを作ってくるなあ。もうそれだけで評価しちゃってもいいくらい感心します。相変わらず病的なねちっこさと過敏で多感なキャラが全開で、とくに元妻とのディナーでのお見事な二重人格ショーの長回しが圧巻。そのときのティア・レオーニのおちついた会話の返しも絶妙。映画界を揶揄したコメディの中でさりげなく恋愛ドラマを見せてゆく。この恋愛ドラマの中に、いつもちょっとした展開にちょこっと現れる「せつなさ」が無いのがチト不満。ニューヨークはいつものアレン映画どおり美しかった。 [DVD(字幕)] 6点(2006-05-18 12:47:20) |
1247. ワンダフルライフ
各々が思い出を語るシーン、これって台本があるんだろうか?自由に語らせている感じ。だって語られる言葉に対する聞き手の共感やささやかな驚きがあまりに自然だから。終始ドキュメンタリータッチでありながら、動きの少ないシーンがほとんどのためカメラはわりとどっしりとかまえられており、そのことによって画面に安心感があり、作品全体を覆う優しい空気の源ともなっているような気がする。一方で小田エリカが葛藤を露に雪を蹴散らすシーンはカメラが大きく揺れることでその心情を表現する。光も特別な場所を効果的に演出している。映画が幸せを再現し、それを観た人々が幸せになり、映画によって人々を幸せにしたことに幸せを見出す。是枝監督の映画とのかかわり方が見えてくる。映画を作ったことないけど、映画作りの醍醐味って観客の人生(その人の記憶)に関われるかもしれないってことなのかもしれない。 [ビデオ(邦画)] 7点(2006-05-17 11:22:18) |
1248. ラストシーン
邦画が元気だった頃とテレビに汚染された今の映画環境を露骨に比較しているが、肝心のこの映画に元気がない。過去の光を知っている主人公はけして今の映画がダメだとは言わず、「ダメかどうかは観客が決めること。自分は一生懸命仕事をこなすだけ。」と言う。その言葉に、今の映画環境に不満を持つ麻生久美子と共にハッとさせられるものの、一観客としてやっぱりこれは面白いとは思えない。「環境よりも、良いものを作ろうとする気持ちの問題」だというのはもっともなんだけど、なぜ劇中で急にスタッフの気持ちが入っていったのかも解りづらい。ほとんどがスタジオ内という設定のせいか陰影に乏しく安っぽい画が続き、かといって外のシーンに開放感もない。台詞が棒読みの人もちらほら。そのせいで女優陣のうまさが際立っていました。 [ビデオ(邦画)] 3点(2006-05-16 14:38:42) |
1249. カミュなんて知らない
『黒い罠』のトップシーンが3分、『ションベンライダー』が6分半、『ザ・プレイヤー』が8分だけど実は2カットをうまく編集してる、あるいは『元禄忠臣蔵』のカット数の少なさなんかを学生たちに語らせながら主要登場人物が次から次へと映し出される本作のトップシーンの長回しが面白い。喫茶店に入れば、ゴダールの『男性・女性』のカフェでの長回しが語られ、「殺人の名場面映画」として『サイコ』や『サムライ』のタイトルが語られ、挙句の果てに大学教授のあだ名が「アッシェンバッハ」だったり妄信的に彼氏を愛する女は「アデル」と呼ばれたりと、映画ファンにはたまらない引用やオマージュに溢れている。しかも映画ファンを喜ばすだけに終わらず、いや、どちらかというと映画ファンを困惑させるように現代社会が「映画」に馴染めない環境であることを露呈させてゆく。「アッシェンバッハ」は美を眺めながらの死を許されずに美が妄想であることを思い知らされ、「アデル」も夢に生きることなく現実に戻ってくる。莫大な映画知識は「オタク」と笑われる。若者特有の「軽さ」、そして現代社会と映画との冷めた関係が描かれる。その中で町を走り抜ける学生たちを上空から捉えたシーンなんかパリを疾走するトリュフォーの画を彷彿させ「若さ」の瑞々しいところが描かれ、映画を通して次第に熱くなってゆく学生たちの描写は、けして「冷め切った」関係ではないことを見せてくれる。いいかげんな自由恋愛が横行するかと思えば、そのことを悔い、涙する女が映される。若者に対する凝り固まった概念を解凍しながらとらえどころのないリアルさを持った青春映画に仕上がっている。ラストの「映画」と「現実」の曖昧な境界線で見せる切りかえしはなかなか圧倒されるものがあった。中盤の中だるみがおしい。 [映画館(邦画)] 6点(2006-05-15 17:56:15)(良:1票) |
1250. ナイト・オン・ザ・プラネット
ジャームッシュの手にかかれば誰だって映画の主人公になれる。人が人に出会う、その前もその後もおそらく他人のままの二人の一回だけの出会い。その一回きりの出会いさえあれば映画ができる。世界中の中から5つの都市が選ばれ、それぞれの場所で、タクシー運転手と客のひとときを切り取る。5つの都市といっても登場する人たちのバックボーンはもっと複雑で、様々な人種が交錯する様はいかにもジャームッシュ映画。ジャームッシュは常に映画の中で様々な国の文化に触れ、文化と文化が自然に、あるいは不自然に溶け合う様を好んで取り入れている。そういう意味ではこの作品は最もジャームッシュらしいと言える。その一方でジャームッシュらしくない部分もある。それは一つ一つのエピソードがひとつのストーリーとして洗練されすぎている点。どのエピソードにもささやかな伏線がありささやかな起承転結がある。脚本が出来すぎなのだ。ここまで完成された5つのショートストーリーを見せられたら、いくらそれが「らしくない」といっても満足度のほうが大きいので個人的にはOKなんですが。彼の作品の中では、映像よりも脚本のうまさというか、話の構成のうまさというのが印象に残る作品。 [ビデオ(字幕)] 7点(2006-05-12 16:09:35) |
1251. ミステリー・トレイン
《ネタバレ》 同じ場所、同じ時間の3つのショートストーリーを紡ぐ。短編集のようでありながら群像劇としても楽しめるという造りになっています。とくに2つ目と3つ目の関係の濃厚さが群像劇っぽくさせているが、この2つの関係性をもう少し希薄にしてくれたほうがジャームッシュらしくて良かったような。3つの中で唯一カップルを描いた1つ目のエピソードは、ストーリー不在の中で見事に二人の関係を見せきったジャームッシュらしいエピソード。会話のズレも間の悪さも、これぞ日常のズレであり間であることを見せている。3つの中で唯一見知らぬ者同士の出会いのある2つ目のエピソードは、3つ目へのアプローチ的な役割を担いながら幽霊の登場によってちゃんと単独のオチをつけている。3つの中で唯一ドラマチックな3つ目のエピソードは、前2つが最初からメンフィスを出ることが予定されていたのとは違い、出る予定は無かったのに前2つに合わせて出てゆく(出てゆかざるをえない)ストーリーにすることでロードムービーとして成立させている。うまいっちゃーうまいね。 [ビデオ(字幕)] 6点(2006-05-11 14:39:07) |
1252. ストレンジャー・ザン・パラダイス
《ネタバレ》 『ダウン・バイ・ロー』にそれほど入ってゆけなかったのはコイツのせいかもしれない。それほどに衝撃的な映画だった。ジャームッシュ作品の中では『デッドマン』と共に大好きな映画。衝撃的といってもお話の展開に劇的なものは無い。登場人物たちの感情の高ぶりすら描かれない。にもかかわらずとてつもなくドラマチックに感じさせてしまうこの映画はやっぱり衝撃的。普通、黒を際立たせて美しさを出すモノクロ画面も、この作品は白を眩いばかりに際立たせているのも衝撃的。現状に漠然と希望を見出せない3人の男女がいくら場所を変えても何も変わらない。だけど特に印象的な言葉を交わすこともなく、ただいっしょにいるだけなのに、だんだんとお互いを思いやってゆく関係になってゆく様は感動的。ラストですれ違わすことで徹底的にドラマチックな現象を起こさせない。それでもそのすれ違いによって優しさが露呈される。そのとき、ささやかな日常に大いに感動する。 [ビデオ(字幕)] 8点(2006-05-10 16:22:57) |
1253. コーヒー&シガレッツ
うん、たしかに面白くない。でも面白い。どっちやねん!と言われても困る。 この映画に登場する人たちにドラマチックな現象は襲ってこない。ただひたすらに人と人が織り成す日常が流れるだけ。それはいつものジャームッシュなんだけど、この作品の日常は究極に単調。その中で人間のおかしさや愛しさ、心情の些細な変化を露にしてゆくこの作品はジャームッシュの真骨頂といえる。ストーリーは面白くない。だってストーリーは無いんだから当然だ。面白いのはストーリー不在の中から日常的に揺れ動く感情の波がぞくぞくと伝わってくること。さらに画面がやっぱりかっこいい。でも、個人的に11篇は多すぎた。なぜ多いと感じたかは、たぶん私自身の問題だ。心に余裕があればもっと楽しめるはず。 [映画館(字幕)] 6点(2006-05-09 18:04:00) |
1254. ブロークン・フラワーズ
お話の設定といい、ジェシカ・ラングといい、ヴェンダースの新作にあまりにも似ているのは偶然なのだろうか。おまけにラストでくるりと回るカメラって、もろヴェンダースだ。といっても作風はまるっきり違う。こちらはヴェンダースよりもはるかに勝っているコメディセンスを擁したジャームッシュ流、、と言いたいところだが、『コーヒー&シガレッツ』でのビル・マーレーが大いに笑わせてくれたようにこの映画の笑いの大半もまたビル・マーレーその人にあったりする。誰かと遭遇することで、あるいは共に行動することで内面に別の何かが生まれるという展開はまさにジャームッシュの展開でありながら↓のお二人さま同様に「らしさ」を感じないのは、主人公があまりに鮮やかに変貌をとげるからだろうか。それともあまりに変貌をとげるに必然の出来事をわかりやすく並べてしまったからだろうか。どちらにしてもこのことでジャームッシュの「らしさ」の根本である「インディーズ」は喪失し「メジャー」な要素を多分に含んだ作品となっているように思った。それでも楽しめたのはやっぱりセンスがいいのかなぁ。 (すぐさま追記)「らしくない」じゃなくて「物足りない」と書かれておりました。失礼。 [映画館(字幕)] 6点(2006-05-08 14:08:01) |
1255. エル・スール
『ミツバチのささやき』同様にスペイン内戦の傷跡を背景とし、少女の成長を描く。窓から差し込む光が、庭のブランコが、道が、木が、家が時間の経過を、そして父と娘の関係の微妙な変化を語ってくれる。それは雄弁であっても常に慎ましく静かに語りかけてくる。情景は前作以上に美しく、そのうえで画面に映るすべてのものがさりげなく何かを語っている。映像で語るとはこういうことなのか!とあらためて驚かされる。さらに画面には映らないもの、「南」の情景までもが頭に浮かぶ。その情景はこの映画を観ている間に変貌してゆき、最後には郷愁すら感じさせてしまう。おとなしいくせしてすごいやつ(映画)なのだ。 [DVD(字幕)] 8点(2006-05-02 13:19:59) |
1256. ミツバチのささやき
スペイン内戦の傷跡は直接的には脱走兵のエピソードとして登場するが、画面は常にその傷跡を映し続けているかのようにどこか寂しげだ。しかし政治的な思想が画面を覆っているかといえばそんなことは全く無く、ただその時代を象徴する風景が映されているだけ。フランケンシュタインの怪物と脱走兵はあきらかに社会に受け入れられずに排除されるべき対象として比喩的な関係で描かれるが、ここでも政治的な思想よりもただただ現実の悲劇性を背景の中に溶け込ませているだけ。その一つ一つの情景にはいろいろな意味があるのかもしれない。でもこんなにも詩的な美しさを見せられたらそんなことはどうでもいいやとさえ思わせる画の数々にうっとりする、そんな見方も許される映画。いや、その見方こそが正しいのかもしれないし、いろいろな意味を感覚的に刺激するパワーをこれらの画が持っているのかもしれない。純真無垢な少女が自らの虚構の世界に怪物を出現させ、自らを傷つける。子供から大人への成長を表現しているのだろうが、そのことがどちらかというと不幸のようにも映る。しかし映画は現実の悲劇性を見せても、けして現実が不幸なものとはとらえていないとも思う。だから深いんだ、この映画は。 [DVD(字幕)] 8点(2006-05-01 17:12:34)(良:2票) |
1257. メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬
トミー・リー・ジョーンズ初監督作『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』はまずなんといってもタイトルがかっこいい(笑)。でも画もかっこいいのだ。アメリカとメキシコの国境を馬に乗って越える3人の男(一人は死体)の画がとにかくかっこいい。観終わった後、『ガルシアの首』を思い出したが、パンフによると監督もこの映画を頭に置いていたらしい。『ガルシアの首』に限らず70年代のアメリカ映画における寡黙なヒーロー像がこの映画には存在する。テキサスの国境沿いの町での生活に空虚なものを感じていたのは越してきたばかりの若い夫婦だけではない。主人公もまた感じていたのだ。約束を守るための無茶な国境越えはきっかけにすぎない。なんでもいいから何かのために命をはる、そこに生きることの喜びを見出してゆく。友人の警官だってそうだ。だから「生きている」ピートを撃てなかった。生きながらに死んでいた男たちが町から離れていくごとに「生」を見出してゆく。そして映画は70年代の映画に回帰してゆく。前半の全くついていけない時間軸のずらし方は不満に残りますが、トミー・リー・ジョーンズの中にある映画の記憶を共有できたような気にさせてくれたこの作品、かなり好きかもしれない。 [映画館(字幕)] 7点(2006-04-28 14:08:06)(良:1票) |
1258. ブロークバック・マウンテン
《ネタバレ》 男と男が愛し合う様を特別なことと捉えず、人が人を純粋に愛する姿として繊細に描いている。だから愛し合う過程で生まれる苦悩に誰もが共感できる。しかしこの作品はただ許されない愛を描いただけの作品ではない。ゲイに対する偏見が今よりもずっと強い時代の話であるが、一番偏見を持っているのが主人公のイニス自身である。つまりこの作品は、父親から偏見を刷り込まれた男の葛藤の物語を描いた作品。世間が許さなかった愛ではなくイニス自身が許さなかった愛の物語。だのにトラウマとの格闘による苦悩が、愛することで生まれる苦悩のように映ってしまっているので、恋愛映画としてのウケが良いようだが、愛し合った後に見る羊の無残な姿の暗示的描写にしても、別れの後の嗚咽にしても、妻という障害が取り払われても愛にこたえない主人公にしても、すべてがそのことを表わしているにもかかわらず、偏見からくる苦悩ではなく愛の苦悩に置き換え可能な描写に収まってしまっているのが残念。これは冒頭に書いた、人を純粋に愛するその気持ちの繊細な表現をしたことによる弊害なのかもしれない。自分自身の中にある偏見との戦いに敗れた主人公は愛を受け入れられなかった。愛するものの死をその代償のように理解し、永遠に偏見を拭えずに負け続ける悲しい物語。 [映画館(字幕)] 6点(2006-04-27 13:25:23)(良:4票) |
1259. ストレイト・ストーリー
青々と茂った芝生に囲まれた家が映し出されるがそこに耳は落ちていない。しかしどう見ても耳が落ちていそうな雰囲気だ。リンチへの偏見がそう思わせるのかもしれないが、リンチだってぜったいそう思うようにもっていってますよ、これ。おばちゃんがカメラから消えしばらくすると「ドサッ」という音。ぜったいあのおばちゃん、殺されたんだと思うようにもっていってますよ。違うかなぁ。やっぱ偏見かなぁ。そういう類の緊迫感がところどころで襲ってくるんですよ、この映画。嵐の夜の稲光と窓の水滴がじいさんの顔に映される描写なんてホラーだし、橋を渡りきろうとする瞬間の映像のぶれなんかもSFホラーだし、最後の寝床は墓地だし。その「おちょくり」が好きなんだけど、もしこれがリンチの「おちょくり」じゃなく私のたんなる思い過ごしならせいぜい5点。でもたぶん、いや、どっちにしても個人的にはおちょくられた気になって楽しめたからいっか。鹿に囲まれて鹿を食うシーンはやりすぎ。笑ったけど。 [DVD(字幕)] 6点(2006-04-26 16:09:16) |
1260. 真夜中のカーボーイ
西部劇のガンマンたちが時代の波に乗れなかったように、テキサスの男が大都会ニューヨークの空虚な空気になじめずにいる。しかしこの男は臆することなく夢を見る。そんなイモ兄ちゃんのイモ兄ちゃんぶりが眩しい。希望を持つことに水をさすアメリカン・ニューシネマのスタイルに、さめざめとした現代風景が見事に合わさる。ジョン・ヴォイトの演技はうまいとは思えない。が、その演技そのものの初々しさがラストの困惑でもなく怒りでもなく悲しみでもない、なんともいえない表情を作り出しているように思った。この表情にはぐっとくるものがある。何度か差し込まれる過去のトラウマのフラッシュバックは意味ありげでいて然程必要とも思えないがどうなんでしょう。 [DVD(字幕)] 6点(2006-04-25 14:45:26)(良:1票) |