1241. ガメラ 大怪獣空中決戦
《ネタバレ》 他の人々と同様、自分としてもこういう怪獣映画が見たかった、という希望がやっとかなえられたという感慨があった。福岡ドームからの回転ジェットの飛翔、吊橋を越えて敵を粉砕するプラズマ火球、それから遠景の巨大怪獣と近景のリアルな生活空間を組み合わせた画面づくりなどは見ていちいち感動する。 また、これは旧作も基本的に同じなのだが、毎度のように傷つきながら奮闘するガメラの姿には愛しさを覚える。「ガメラは味方です」の台詞にも感動した。ゴジラにはある程度冷淡な態度を取ることができても、やはりガメラは昔も今も特別扱いである。自分が子どもだった時代に、ガメラはぼくらの味方、というのが刷り込まれているからだろう。 ところでここから苦情になるが、登場人物のふるまいがマンガのようなのは昭和ガメラと別の意味で子どもじみており、これはいったい何歳児が何歳児に向けて作ったのかと呆れる。女性鳥類学者の言動が変なのは役者の持ち味?かも知れないが、政府機関が2種類の希少動物のうち片方だけを執拗に敵視する理由がわからず(役人の体面の問題ということ?)、劇中人物の胡散臭さと相まって現実味が著しく削がれている。 また昭和ガメラが特に動機なく子どもの味方だったのに対して、この映画では新たな(屁)理屈を考えようとしており、うちアトランティスまでは旧作にもある要素なので許容すべきかも知れないが、直接関係ない勾玉だのエトルリアだのルーン文字だの引っ張り出して来てトンデモオカルト説のようになっているのは何とかしてくれと言いたい。浅黄ちゃんの言うファンタジーだから信憑性度外視でも可ということなのか。まったくいつになったら大人が突っ込まずに見られる怪獣映画ができるのかと思う。 というわけで絶賛するわけには全くいかないが、まあ見て感動したのは間違いないので、ぼくらのガメラに免じて点数は少し高い方にしておく。 なお今回見て気づいたのは、劇中に出ていたルーン文字はでたらめではなく、ラテン文字に転写した文章(画面で下に書いてある)を現代アイスランド人に見せれば普通に読めるだろうということである。ここでギャオスの表記がGyaosでなく、ゲルマン語風にGjaosと書いてあるのはほめてやってもいい。が、全体がマンガのようなのに妙なディテールにこだわるのもオタクっぽい。 [DVD(邦画)] 6点(2013-01-20 08:46:29)(良:1票) |
1242. 宇宙怪獣ガメラ
《ネタバレ》 別のガメラ映画では過去映像を長々と使い回ししていて落胆したが、この映画は初めからそういうものとわかって見たので個人的には問題ない。 内容としては、一度は手放したカメがガメラになって戻って来て、最後は宇宙に去るというのは昭和ガメラ第一作への回帰を意識したのかと思える。が、それ自体にそれほど重い意味はなさそうである。また過去映像が重厚なのに劇伴が妙に軽快で、ドラマ部分も30分番組程度の軽さであり、ちょっとお色気の場面(おねえさんが短パンでアクション)もあるのは東映TV特撮を見ているようだった。ほか主人公の少年の歌う「ガメラのマーチ」(=主題歌)は、どう頑張ってもちょっと受け入れがたいものがある。 ところでこの映画ではガメラの存在感が薄い代わりに、善悪計4人のおねえさんが出ているのが少し豪華で、うち失敗続きで哀れっぽい悪玉のおねえさんを応援したくなるのは製作側の狙い通りだろう。善玉のおねえさん方は武器を持たない宇宙人とのことで、戦力不保持の平和日本に滞在しているのはふさわしいと思えるが、ガメラにばかり頼るわけでもなく自己犠牲も厭わないのはなかなか覚悟が据わっている。大きいおねえさんはいかにも強そうだったが、小柄に見える2人にももっと活躍してほしかった。 ほか具体的な場面として、亀有交番の警官の台詞には不覚にも笑ってしまった。一方でゴジラ映画を揶揄するような場面も挟まっていたが、これは笑えるというより、他人のことなど言えるのかという感じだった。これが昭和ガメラの最後というのはやはり寂しいものがあり、ぼくらのガメラもここまで落ちたかというのが正直なところだが、ただ過去怪獣総登場の上に他メディアからの引用やパクリまで入れ込んだ賑やかさは、「ゴジラ FINAL WARS」の雰囲気に通じるものがあるように思われる。 [DVD(邦画)] 3点(2013-01-19 10:07:17) |
1243. ガメラ対深海怪獣ジグラ
《ネタバレ》 前作が明るい万博映画だったのに対し、今回は一転して高度成長期の陰の部分である公害をテーマにしている。ヘドロを扱った怪獣モノとしては、1971年1月にTV放送された「宇宙猿人ゴリ」のヘドロンのほか、同年7/24に公開された「ゴジラ対ヘドラ」がよく知られているが、同年7/17に公開されたこの映画はヘドラより1週間も早く公害について問題提起をしていたことになり、これはガメラファンとして誇るべきことである(そういう自分はヘドラは見たが、この映画は見てない)。 それはそうと、実際見ればそんな社会派映画という印象は全くなく(当然だが)、前半はもっぱらお気楽な幼稚園児向け映画である。宇宙船に色とりどりの粒がついていて、中に茶色が混じっているのはマーブルチョコレートのイメージに違いない。大東京が壊滅状態なのにも頓着なくチビッコどもが暴れ回るのを笑って見ている一方、悪役のおねえさん(本当はいい人、日本版エリス中尉)はほっぺたがふっくらして脚がきれいだとか、この人が着替えをするたびに被害者は全裸で放置されるのかと想像するなど、お父さん向けの趣向も楽しんでいられる。ホテルの支配人と飼育係の口喧嘩も可笑しい。 ただ後半は一転して妙に深刻な状況になり、親子ともども絶体絶命の危機に陥るので笑っていられなくなる(おまけに一部の展開が不可解)が、どうせ最後はガメラが助けてくれるので問題ない。逆に今回は人間側がガメラを助ける場面がない(不発に終わった)のが残念だったかもしれない。 以上、おそらく最低映画だろうと思っていた予想を裏切り、実は結構面白いのだった…ただし自ら面白がろうとする努力は必要である。まず冒頭のアシカショーを真剣に見て、よくできましたと感心するくらいの心の余裕をもって鑑賞したいものである。また初めから笑うつもりで構えて見ることも大事な心がけだと思う。 なお敵怪獣の背中のヒレは6つあるので、あらかじめドからラまでの音をきちんと割り当てれば見た目も正確な演奏ができたはずだが、実際にガメラが叩いた音板はドレド-レミレであってガメラマーチにならない。それでもガメラが喜んで踊りだしていたので、まあいいか。 [DVD(邦画)] 4点(2013-01-19 10:07:12) |
1244. ガメラ対大魔獣ジャイガー
《ネタバレ》 前作は1969年の月面着陸だったが、今回は1970年の大阪万国博覧会ということで、高度成長期の山場を飾るイベントの一つが登場する。同時期に「ゴジラ ミニラ ガバラ…」を見たからかこの映画は見なかったが、本物の万博会場には親に連れられて行ったので実写風景は懐かしい。映画のセットにはソ連館(だけ)のミニチュアが作ってあり、敵怪獣に鼻で押されて揺れていたが、ソビエト連邦を選んだのは政治的理由というより建物の見栄えを重視したのと、実物が会場の隅にあったことが理由だろう。周辺がどれだけ破壊されても会場だけは壊すなという雰囲気だったのは、万博の成功にかけた当時の意気込みが感じられる(と言えなくもない)。 それで今回は過去映像をオープニングだけにとどめ、あとは個別場面の流用はあるが基本的には新撮の映像であり(当然だが)、都市のセットもなかなか頑張っている。怪獣同士の戦いで、ガメラが同じ攻撃を二度受けないというのは相応の賢さを表していて面白い。 また例によって小賢しく無鉄砲な子どもが勝手な大冒険をやらかしているが、今回は映画全体のテーマが“子どもの優れた点を大人も見習うべきだ”ということだったために子どもらがますます増長してしまい、大人の事情で悩みの多い万博事務局長が渋い顔をしていたのが可笑しかった。子どもらがガメラに直接助けられる場面はなく、反対に深刻な危機に陥ったガメラを救う展開になっており、子どもらの貢献度はシリーズ中最高レベルだったかも知れない。 ほか今回は大阪が舞台のためかユーモラスな場面が多く、寄生虫の映像を見せられた一同の表情と、大村崑氏がボケをかまして娘にどつかれる場面は可笑しかった。今回はこの娘(主人公の姉)の活躍度が高く、十分に画面の華になっていた気がする。 なおこの映画を見ると、当時もいろいろ問題はあったろうが、基本的には先行きが明るく感じられる良い時代だったのだろうなと想像する(自分が無責任な年齢だったからかも知れないが)。この頃になると劇中の子どもが自分の年齢に近くなって来るが、「人類の進歩と調和」を志向した時代に「次の時代を背負って立つ」と思われていた世代が今はこんな歳になって、われわれは現実に社会をよくしてきたかと思うと少々寂しいものがある。 [DVD(邦画)] 5点(2013-01-19 10:07:06) |
1245. ガメラ対大悪獣ギロン
《ネタバレ》 公開時に映画館で見た(同時上映は「東海道お化け道中」)が、記憶にあるのは怪獣が出る場面だけで、ほかはおねえさん2人が悪役だったくらいしか憶えておらず、子どもの認識などその程度だというのがよくわかる。せっかく贔屓のギャオスが出たのに簡単にやられてしまうのは不満だったが、敵怪獣がギャオスを食おうとスライスした場面で、切断面に骨も内臓組織も音叉もなく一様に肉が詰まっていたのは当時の高級ハムのイメージだろう。ほか特撮面でそれほど見るべきものはないが、隕石や第十惑星の岩の表面に赤黄青の光る粒がついていたのは、宇宙の鉱物のキラキラ感を表現するための工夫と思われる。 ところでこの映画でも、前作に続いて異世界探検の要素が含まれており、過去映像が長いのとあわせて姉妹編のようでもある(…ギャオスの超音波で腕が切れる場面は、毎度のことだが痛々しくて見ていられないのでもうやめてほしい)。他の惑星を舞台にしたのは、映画公開の1969年にアポロ計画の月面着陸が予定されていた関係かと思うが、具体的な場所についても、少し現実味のある話にしようとして太陽系内に設定したのかも知れない。 また今回は、子どもとガメラの連係プレーで宇宙人と怪獣を退治する形になっていて、これも子ども向け路線の一つの表現に思われる。子ども2人は例によって小賢しい連中で、悪役のおねえさんにも「うるさい子どもだわ」と言われていたが、やはりみんなそう思っていたらしい。このおねえさんがいかにも悪役然として可愛くないのが最も残念な点だったかもしれない(前作の方がまだしもよかった)。 一方ドラマ部分では、わからず屋の教育ママというのは昔よくあったパターンと思うが、最後は子どもの側でも空想より現実問題が大事と悟り、両者が互いに歩み寄って終わりだったのは気が利いている。またガメラは子どもの味方というのが定着し切っているが、人間世界では大村崑氏が子どもの味方になってストーリーに温かみを加えていた。この人が終盤で「先手打ってきたな」と言う場面は面白く、ほか特に子役の女の子が好演だったこともあって、おおむね好意的に見られる映画だった。 [DVD(邦画)] 5点(2013-01-19 10:06:58) |
1246. ガメラ対宇宙怪獣バイラス
《ネタバレ》 公開当時は見ていないが、トラ模様の宇宙船には幼少時から心惹かれるものがあり、また怪獣の頭部の三つ又がしなやかでいながらまとめると硬質になるという素材感(イラストで見る限り)も面白く思っていた。しかし、後にVHSのレンタルでガメラシリーズを順番に見たとき、この回からいきなり水準ががっくり落ちるので呆れてしまい、つい最近見たばかりの過去映像を長々と見せられるのも非常に苦痛だった。 またストーリーとしては、人類全体と子ども2人の生命を天秤にかけるなど、本来は世界的スケールかつシビアな内容のはずだが、実際は終始能天気な感じで話が進むので重みがない。登場人物に関しても、小賢しく無鉄砲な子どもにばかり焦点が当たり、せっかくの大映新人三人娘があまり活躍しないのには不満が残る(ここは残念)。 ただし、子どもの立場で宇宙船探検を楽しもうとするなら面白いと感じられるかも知れず、宇宙船の各室がみな同じに見えるのも大して気にはならない。また乗員はみな人相の悪い東洋人だったが、これが強面ながらわりと寛容で、子どもの狼藉に対しても穏やかに叱っていたのは大人の態度で感心した。こういう点には子ども向け映画としての優しさを感じる…というか、ちゃんとした大人が子ども向けに作った映画だと思える。 また今回は「ガメラは子どもの味方」というのが台詞にも出ており、実際に子どもが助けられる場面があったのは前作同様だが、加えて子どもがガメラと一緒に怪獣退治をしている雰囲気が強目に出ていたように思う。それがまた見ている大人にとって苛立たしい原因にもなっているが(いちいち指示出しするな!)、まあこれも子ども向け路線の一環ということだろう。 なおこの映画で可笑しかったのは、宇宙船の渡り廊下を跳躍するシステムを子どもが試しても使えず、外人の子どもが「Ben-riなものは、何でも大人用なんだからな」(んり、の発音が難しいらしい)と恨み言を言っていたことで、これは背伸びしたい子どもの心情を捉えていたように思う。 [DVD(邦画)] 4点(2013-01-15 22:03:31) |
1247. 大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス
《ネタバレ》 公開当時は見ていないが、物心ついた時にはすでにギャオスというものが世の中に確固として存在していた記憶があり、自分としては昭和を代表する悪役怪獣のように思っていた。昔は解剖図の胃の中に人型のものが描かれているだけで恐ろしかったが、実際に映画を見たのは学祭の自主上映(バルゴンと二本立て)が最初だったので、ギャオスが人を食う場面を子どもが怖がるかわからないのは残念である。外見的には鋭角的な姿が超自然的にも感じられ、平成ガメラに出るグロい生き物よりかえって怪獣らしい怪獣に思われる。 映画の内容としては、まず導入部として大規模な火山活動を想定し、その上で怪獣の出現という異常事態に導いていたのはオーソドックスな構成に思える。大がかりな都市破壊場面は少ないが、富士五湖近く?の自然景観を背景にした工事現場の風景にはそれなりの現実感と最前線の緊張感があった。前作に続いてガメラが最後に敵の首筋に噛みつくのは生物同士の死闘の雰囲気を出している。 一方ドラマ部分では、子ども向け映画でありながら用地買収のゴネ得など世間の実態そのままなのは苦笑するしかないが、「高速道路ができれば便利になる」「土地を捨てる人たちの気持ち」という複合的な住民感情にも一応配慮していたのは真面目に思えた。 ところで前2作と比較すると、ガメラが本格的に子どもの味方になったのはこの回からのようである。象徴的だったのはガメラが明らかな意図をもって少年を救う場面であり、これはそのように意識して見れば感動的だった。今回はこの少年が中心人物になって要所で大人の対策に助言(放言)し、最後はガメラの力も借りて事態を終息に導いていた。また前作に続いて欲深い大人の姿も描かれているが、この映画では少年の素直な心が大人を改心させることで、怪獣と大人の醜い心の両方を子どもが退治する形になっており、これはよくできたお話である。そのほか少年がふと目覚めると、周囲に誰もいなかったときの不安感を表現していたのは秀逸だった。 ただし、この少年がわがままで生意気でやかましく可愛気がないのは何とかしてくれと言いたい。これは昭和ガメラの子ども向け路線で生じる弊害だが、特に今回は少年が甘ったれなくせに小賢しいのが気に障る。 そういうことで絶賛するわけにもいかないのだが、昭和怪獣特撮としては結構な良作であり、個人的にも思い入れの強い映画である。 [DVD(邦画)] 7点(2013-01-15 22:03:27) |
1248. 大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン
《ネタバレ》 公開当時は見ていないが、怪獣の姿には幼少時から書籍類で親しんできていた。「トカゲの怪獣」といえば身も蓋もないが、まあスタンダードな四足怪獣である。実際見ると跳躍したりして敏捷なところもあるのは意外で、また雨に降られて寝込んでしまった姿には愛嬌も感じられた。存在自体は迷惑でも本質的に邪悪な生き物というまでのことはなく、ただ無心に生きようとしていただけだったのに、最後は人間にもガメラにも目の敵にされて死んだようなのは少し哀れだった。 それで映画の内容としては、突っ込み所は多数あるが全体としては真っ当な娯楽映画である。子どもには怪獣を見せておいて、大人向けにはドラマ部分という形で、はっきり切り分けたようにも取れる(それにしては怪獣が出るのが遅いが)。 まず怪獣モノとしては、映像面の出来はいいと感じる。大阪城の場面などは横長のスクリーンをフルに使ってスケール感を出していたのが印象的で、怪獣の吐く息が見えていたり、前作に続いて建物内を走る人がいたりするのは芸が細かい。また人間側の対策としては、最初の遠距離攻撃には失敗したものの、琵琶湖まで誘い出して重傷を負わせたのはかなりの健闘であり、ガメラはその成果を引き継ぐ形になっていた。都合のいい展開ではあるが、無駄なことをやっている感じはしない。 一方ドラマ部分についても、困ったものだと思うのはニューギニア住民の描写くらいで(それも怪獣映画としては普通)、言葉づかいに気をつけろと言いたくなる場面も多いが、まあ気楽に見ていられる。悪役は徹底的に悪人で(主人公の義姉が哀れ)子どもの入り込む余地は全くないが、ダイヤを見た婦人自衛官?の反応と、博士の助手の扱いは可笑しかった。 以上、大人の目で見ればそれなりの娯楽映画だとは思うが、ガメラの位置づけが半端なためか、どうも愛着がわいて来ない。映画としてはガメラの方に肩入れしている雰囲気はあるものの、依然として世界中で大暴れしているのでは応援するにも気が引ける。このままでは以前のゴジラと同じであり、次回からはっきり子どもの味方という設定を取り入れたのは、個人的には理解できる。 なおヒロイン役の女優は、申し訳ないが個人的趣味の範囲から外れるため評価できない。キャストでも何でも、これは無条件で好きだ、と思えるものが一つでもあればよかったと思うが(無理に挙げれば怖がりやの村娘)。 [DVD(邦画)] 6点(2013-01-15 22:03:23) |
1249. 大怪獣ガメラ
《ネタバレ》 突っ込み所は多数あるにしても、基本的にはゴジラ(1954)並みの本格的怪獣パニック映画を目指した感じで、大作怪獣映画の雰囲気はある。カメをひっくり返そうとする人間側の発想は自然だと思うが、それをものともせずに回転ジェットでかわす展開や、最後に出たサプライズのZ計画は、公開時に知らずに見ていれば素朴な驚きがあったろうと想像する。また大人と子どものストーリーが同時進行していて、それぞれを担当するヒロイン役が1人ずついるのも豪華といえなくはない。映像面も当時としてはそれなりで、特に東京襲撃の場面で逃げまどう人々の姿を丁寧に描こうとしているのはまともな怪獣映画として評価できる。 しかし、ゴジラが水爆なのにガメラはなぜか原爆というのはスケールダウンに感じられ、なぜか白黒映画なのも時代を遡ったかのようである(どうせあとでさんざん流用するのだから、初めからカラーで撮っておけばよかっただろう)。冷戦が原因で大惨事を引き起こしておきながら「人類愛」で締めようとするのも安っぽい。 また子ども向け映画であれば子どもが出ること自体は変ではないが、この映画を見る限り、後の“子どもの味方”という発想がどこから出て来たのかわからない。東京の悲惨な情景を見てしまえば、少年のいう「カメはみんないい奴ばかり」も説得力皆無であり、幼少時にガメラに親しんだ立場からしても共感するのは難しい。 …ただし、この少年の成長という視点からのレビューが前の方にあったのは真面目に参考になった。なるほどこの映画を単体で見ればそういうことかも知れず、それならガメラ自体の性質がどうあろうと直接関係ないことになる。これは少し反省した。 全体としては正直それほど面白くないが、後世の目から一面的に判断するのは見当違いになる恐れがあり、また少なくともガメラ第一作としての歴史的価値はあるので普通の点数にしておく。なお登場人物(築地の住民)が隅田川を「大川」と言っていたらしいのは自分も少し驚いた。江戸情緒を感じる。 [DVD(邦画)] 5点(2013-01-15 22:03:19) |
1250. リリイ・シュシュのすべて
《ネタバレ》 場所は両毛線沿線のようだが、季節の水田風景が美しい。エンディングで稲わらを乾燥させている風景は、うちの地元では見られない。 ところで個人的にはこのような苛めなり迫害なりの経験はなく、また今さら思春期の少年少女の立場にもなれないわけだが、もともと逃避的傾向のある人間だからか、現実世界から独立した精神世界を求めることには共感できなくもない。おまえいい年してこんな連中と同じじゃないだろうなと言われている気もするが、しかし登場人物が実体のないものを空虚な言葉で一生懸命飾り立てようとするのは痛々しく、たった一人の不規則発言で共同幻想が崩れてしまいそうになるのも虚しく感じる。 一方、この映画で印象的なのはやはり久野の強さである。この人には自分を支える力があると思えるが、それは本人の資質はもちろん、拠るべき普遍的価値を知っているからこそだろうと思う。劇中で冷酷無残な描写をよそに流れるピアノ曲は、現実世界がどれほど陰惨であるかに関わらず、美しいもの、価値あるものが確固としてこの世に存在することを示しており、それは何があろうと“汚された”などということもなく、超然としてそれ自体の価値を主張する。そう考えるとこの映画は、若年者だけでなく全年代に向けて、彼女にとっての芸術音楽のようなものを見つけられるかと問いかけているように思えなくもない。 以上のように、それなりに評価できる点もなくはないが、さすがにこの劇中世界を全面的に受け入れるわけには行かない。また自殺する人物が誰かによっては上記の感想は持てず(小説版は読んでない)、その場合はただ嫌悪だけが残ることになる。当然ながら自分も大人の側の人間だということである。 なお余談として、メイキング映像を見たところ、劇中で極悪女子生徒役だった女優(松田一沙)がクランクアップ直後に大泣きして「最悪でした」と言っていたので、女優本人は極悪人ではなかったらしい。当然だが。 [2019-04-13追記] クロード・ドビュッシーのアラベスク第1番は美しい曲である。このような何物によっても損なわれない普遍的価値の存在を知ることが久野という生徒の強みであり、彼女のこれからの心の支えになるはずだというようなことを上に書いたが、昨日たまたま立ち寄った高速のSAの便所でこの曲が流れていて、この映画のことを思い出してしまって非常に嫌な気分になった。見た者にどこまでもつきまとう最悪な映画だ。 [DVD(邦画)] 5点(2012-12-03 20:53:26) |
1251. 問題のない私たち
《ネタバレ》 映画化に当たって原作コミック3巻のうち前2巻による2部構成とし、一応の統一的テーマでまとめたのは適切に思える。本来は深刻な問題なわけだが、映画では2部構成のそれぞれが爽やかに終わり、インターバルの夏休みムービーも微笑ましく、さらに女の子連中が基礎的にみんな可愛いので、見ていて心なごむものがある。これとは別にもっと棘のある映画を見たばかりだったこともあって、この映画ではかえってほのぼのした印象が残った。主演女優の歌もいい感じである。 この映画が扱っているのは基本的には学校内の問題であり、劇中で出ていたように集団で物理的に攻撃するなどは確かに分別のない年齢ゆえのことだろう。しかし、手前勝手な正当防衛の発動といったことは年齢にかかわらず行われるものであり、また第2部で指摘されていた思い込みの問題も、人間が生きている限りは付いて回るものと思われる。ほか、「別に…」事件を引き合いに出すまでもなく、切実な動機もなしに付和雷同してバッシングするようなことは実社会でもスケールアップして起こるわけで、そう考えると意外に社会性のあるメッセージを発しているようにも取れる映画である。 ところで主人公は、外見的には丸っこくて可愛らしいわりに必ず落とし前をつける人物ということだったらしく、2部構成のそれぞれにこの人がきっちり決着を付けていたのは見ていて気分がいいが、ただし転校生とは違って“裁定者”の立場だったのは誰にもできることではないだろう。また、筋を通したあとで必ず赦す(和解する)というのがこのストーリーの特徴らしく(何しろ原作コミック第3巻では問題の教員が失職を免れているので驚く)、この役を担った生徒の名前は無意味ではなかったようだ。実際には誰も聖人のようにふるまうことはできないので、この映画が現実の処方箋になるというわけでもないだろうが、しかしこの問題の解決に関する一つの理想像を提示しているように見えたのは、若年者に向けた原作者の良心が感じられる気がした。 なお転校生役の女優は、映画初出演とのことだが最初からいきなり はまり役で、やはりこれがこの人本来のあり方なのだろうと思える。ただ今回見たDVDの題名が「沢尻エリカ 問題のない私たち」と書いてあったのはちょっとどうかと思う。 [DVD(邦画)] 6点(2012-12-03 20:53:20) |
1252. 先生を流産させる会
《ネタバレ》 「告白」を超える問題作とのことだが、見ていないので比べられない。 女子固有の問題には踏み込む気にならないので、それ以外で思ったことを書く。 まず前半では、生徒・家庭・学校と周辺社会の問題をコンパクトにまとめていた印象がある。その上で主人公の教員が、「やって許されないことがある」という方針で断固戦う姿勢を見せていたのは痛快に思っていた。家庭事情や親子関係がどうのということはあるにせよ、やはり極端な問題行動は力づくでもやめさせることを考えなければならない。 しかし、この方針が最後まで貫徹されずに終わっていたのは非常に落胆した。実行するまでは一生懸命止めても、やっちゃった後はただ放免というのでは、止めようとしたこと自体が無意味になる。あれだけ恐い顔で脅していたのは単なる方便だったということなのか。現実世界の実態はどうあれ、主人公自身が自分の行動を無意味化したように見えるのは映画のストーリーとして変である。許されないことはあくまでやらせないか、やらせるのならそれなりの報いがあるか、どちらかでなければならない。 また終盤ではスプラッターまがいの惨劇が起こっていたが、その割に最後を教育映画っぽく丸めてしまったのは整合性に欠けている。制作者の意向としては、オヤジ連中が事件報道を見てケシカランと憤慨するとか、若い連中がネット上で厳罰を求めるような感覚に迎合したくないということのようだが、あれだけのことをやらせてしまっては、見ている側もただでは済ませられない気になって当然である。穏健にまとめるのが本意だったというなら、その前の過激な場面はミスリードとしか思えない。 さらに個人的に気に入らないのは、ご立派な教育映画のように終わったことで、何が何でも学校内でくるめてしまおうとする態度を容認しているように見えたことである。学校が外の社会とつながっていることは劇中でも出ていたはずであり、この点でもっと尖った形の問題作にできなかったのかというのが正直なところだった。 以上、そもそも制作意図がよくわからないのでいい点は付けられないが、生徒役の皆さんにはごくろうさまと言いたい。よくこんな映画に出たものだと思うが、舞台挨拶で出ていた「先生を感動させる会」の話は微笑ましい。 [2015-7-1追記]「告白」(2010)を見たが、全く超えていないではないか。アホか。 [DVD(邦画)] 5点(2012-12-03 20:53:16)(良:1票) |
1253. 東海道お化け道中
《ネタバレ》 いま思えば「ガメラ対大悪獣ギロン」と併映で見たのがこの映画だった。話の筋は忘れていたが、赤く染まる杯、刃物を捨てた場面と枯木の怪は憶えており、子どもにとっては十分怖い映画だった。個人的にはこれが妖怪映画の原点である。 この映画でも妖怪は集団化してしまっているが、場所にまつわる個別の怪異として現われる場面もあり、本来の妖怪談としての味わいが出ていたように思う。また今作でも妖怪は別に人間の味方をしていたわけではなかったようで(そう見えるのはたまたま)、妖怪は怖いものという前提を基本的には崩さない姿勢が感じられた。 それで、ストーリーの方は第一作の雰囲気に戻ってまるきりの時代劇である。画面で見る限り、登場人物は東海道を藤川宿(江戸から37番目)-浜松宿(29)-由比宿(16)-蒲原宿(15)と移動していたが、子役の台詞では掛川(26)の名前も出ており、またDVDの資料によると「八ツ墓山」は岡部(21)にあったらしい。ほか「蛇骨婆」の出身地は袋井(27)とのことだが、出たのは浜松の前なので出張していたと思うしかない。浜松から富士が大きく見えるとか、最初の藤川宿を「駿州」と言うといった考証的な問題もあるが、まあそういうのは大目にみるものだろう。 また古風な人情劇でもあり、特に子役の女の子が健気で、DVDの「索引の巻」十三の題名が「古城門昌美ちゃん名泣き芝居」とか書いてあるのは笑った。主人公の博徒としては、おれも堅気で所帯を持っていたらこんな娘がいたかもな、と思って世話していたのだろうが、最後は惚れて尽くした女にあっさり裏切られたように見えていたのが可笑しい。一時の夢に終わった悲哀感もあるが、まあ親の情をしっかり見せた方の勝ちに終わったのは仕方ないだろう。もう一人の少年もけっこう誠意をもって頑張ったのに報いがない感じで、あとは残った二人だけで親交を深めてもらえればと思う。 ところで「蛇骨婆」の話では東海道の宿場ごとに妖怪の一族がいるということだったが、天地開闢以来そうだったわけはないので、これはもともと全国各地に一定密度で分布していたのが、江戸幕府の五街道整備によって人の流れが活発になり、そっちの世界でも東海道沿いに横の連絡がついたと解釈すればいいのではないか。このへんな生きものは、まだ日本にいるのだろうかと思うが、いるわけないなどと言うと、いる、と言って出てくるかも知れない。 [DVD(邦画)] 6点(2012-11-12 22:03:36) |
1254. 妖怪大戦争(1968)
《ネタバレ》 前作に比べるといかにも変化球である。鬼太郎のマンガでも西洋妖怪との戦いはあったが(「バックベアード」が変に有名)、日本の妖怪に純粋な和風情緒を求める立場としては、いきなりバビロニア(当時はオスマン帝国領)では興醒めである。またこの映画だけのことではないが、妖怪の集団化というのも実はあまり感心しない。もともと妖怪は固有の場所と条件のもとで出現するものであり、その場から離して単なるキャラクター化してしまっては、怪獣総進撃とかウルトラ兄弟勢揃いとかいう企画と同じように、本来それぞれが主役だったものに対する礼を失する気がする。 そういうことから事前の印象はあまり良くなかったが、実際見てみればけっこう面白いのでまあいいかと思う。妖怪連中はほのぼのしており、特にろくろ首が意外と子どもに優しいのは感動した。なぜか土佐言葉なのも親しみを感じる(「わかっつろうが」でわざわざ検索して調べたが、ちゃんと土佐弁と書いたサイトがあった)。二面女も活躍の場が多く、人間側の清純そのもののお嬢さまと並んで二大ヒロインの趣がある。それから前作は落語だったのが今作は漫才になったようで、なんで伊豆の代官所に上方者が雇われているのかわからないが、妖怪連中のお国言葉が多様なのと合わせて全国規模のスケールをもった映画であることを示していた(のだろうか)。 なお本編を見ていても気づかなかったが、DVDの「索引の巻」三十の題名には大笑いした。 ところで、突然の外敵の襲来に対して人間の統治機構に対応能力がなかったのはともかく、権威ある神仏の力を借りても撃退できず、「神の零落した姿」とか言われる妖怪の活躍を待たなければならなかったのは情けないともいえる。この映画では、当時の怪獣映画のように妖怪が人間の味方のようにも見えているが、本来は人間を脅かす存在であって決して融和的なものではない。しかし、同じく本邦の住民として外敵に立ち向かう姿勢には素朴な郷土意識のようなものが感じられ、これには人間側の登場人物も素直に連帯感を覚えていたらしい。この映画の公開と同年にオリンピックがあったわけだが、この連中も日本が金をとれば喜ぶのだろうか(まだ江戸時代だが)。 [DVD(邦画)] 6点(2012-11-12 22:02:54) |
1255. 妖怪百物語
《ネタバレ》 劇中の噺家が初代林家正蔵の晩年と仮定すれば、時は天保年間ということになる。また悪役が覚書を交わした若年寄の「本庄安芸守」は、実在の大名で美濃高富1万石の本庄道貫と名前だけは一致している。堀田豊前守というのはさすがに実在しないだろうが、寺社奉行というからには大名であり、かつ幕政の出世株だったと思われる。 それで映画の内容は、特撮とかいうよりほとんど完全に時代劇である。大人としては、子どもが見る映画にふさわしくない要素が出ると気になるわけで、町娘が悪役の屋敷に奉公に上がる意味は子どもにはわからないだろうが、実際の屋敷の場面で少々微妙なところがあって(人払いしたように見えた直後に場面転換)、これは本当に手篭めにされてしまったのではないかと一瞬心配になった。しかし危ういところでちゃんと助けが入ったのは、予定通りなのだがホッとした。子ども向けの妖怪映画でそんなことを心配している自分が馬鹿みたいである。そのほか長屋のお仙(坪内ミキ子氏)が、主人公の男に寄せる想いを表情に出していたのがちょっと見どころかと思う。 一方、妖怪映画としては大人が見るとほとんど怖くなく、百物語で始まったはずがなぜか最後は百鬼夜行になり、一度に大勢出るのでユーモラスで賑やかな印象が強くなっている。ただ置いてけ堀の話は、ちゃんと和風情緒ただよう怪談としてまとまっており、もとの本所七不思議の話より怖くなっていた。また“再度の怪”に脅かされた男が、口に出してしまったら同じことが起こる、と考えていたのも面白く、伝統的な感覚を生かした正統派の妖怪映画という面を持っているのは間違いない。 それから、最後に悪人が滅ぶ勧善懲悪的なストーリーではあるが、寺社奉行を大目付組下の武士が摘発し、町人の方を妖怪が制裁したのが連携プレーではなく全く別行動だったというのは、人間と妖怪に慣れ合いなどない、という基本線を守ろうとしていたように感じられた。 なお劇中の噺家の語り口は本格的で興味深いが(本物なので当然)、この人の「言い伝えというものはそれだけの謂れがあって…」という台詞は、現代ではもう聞くことのできない名言と思う。俗信などあまり気にしてもキリがないわけだが、それでも無視して後悔するよりは、とりあえず従っておいた方が無難、という程度の感覚は持っていてもいい。 [DVD(邦画)] 6点(2012-11-12 22:02:11)(良:1票) |
1256. ゾンビ大陸 アフリカン
《ネタバレ》 こういう映画を見ると場所がどこなのか気になって仕方ない。主人公の台詞に出る「西経20度」は大西洋上なので真に受けないとして、相棒役のアフリカ人が所属する「セヌフォ族」というのは実在の部族のようで、主にマリ、コートジボワールとブルキナファソ、及び一部がガーナに居住しているらしい。実際の撮影場所は主にガーナとブルキナファソだったようで、劇中車両にブルキナファソの国旗らしきマークがついている場面があった。 映像面ではアフリカの景観が印象的で、最初が海、あとはサバンナから半乾燥地帯までの明るく乾いた風景の中を登場人物が移動していく。その間、原題のThe Deadがそこら中を徘徊しているのが始終画面に映り、この連中もアフリカの風土の中にとけ込んでいるように感じられる。動きが遅いのはゆったりとした雰囲気もあるが、限られた時間内に何かしなければならないスリリングな感じを出すには効果的であり、また移動中はいいが停止すると包囲の輪が狭まって来て、夜も寝る間がないという状況設定が特徴的である。肉をかじり取る習性は野生動物を思わせるものがあるが、これは人類の天敵が出現したということか。 ほか登場人物のうち相棒役のアフリカ人が篤実そうで好印象なこともあり、個人的には良質の娯楽映画として見ることができた。 ところで終盤に出た村のリーダーが「この村で生まれ、死んでゆく」と言ったのは、別にここだけではなくどこにでもある感覚と思われる。部外者の立場としては危険なら逃げろというのが普通の考えだが、土地に根差して暮らしてきた住民には受入れがたい面もあり、これは日本の災害時にも表面化することがある。劇中世界に関していえば全世界が同じ状況だったようなので、共同体単位で守りを固めるのは結果的に正しい選択だったともいえる。 その一方で主人公と相棒が厳しいサバイバルを続けていたのは自分のためというより家族(子孫)のためであって、そのような目的意識も人類存続の要因になることを示したように見える。最後は2家族分をあわせて一つになってしまっていたが、絶望的なようでもわずかな希望を残す終幕だったのは悪くなかった。 (2024-03-23文章校正) [DVD(字幕)] 7点(2012-10-28 12:56:59)(良:1票) |
1257. 妖怪大戦争(2005)
《ネタバレ》 大映の旧作をベースにしながらも、企画に関わった作家諸氏の作品世界や稲生物怪録などを加えてごたまぜにした感じの映画で、何か仲間うちだけで盛り上がったような印象がある。「手の目」とか「震震」といった、旧作に出ない妖怪が実写化されただけで感動するようなカルト的妖怪ファンがいればともかく、一般人としてはそれだけで乗るわけにもいかない。個人的には「網顔」というのが出れば少し喜んだかも知れないが、今回は採用されなかったらしい。 またストーリーも支離滅裂で圧倒的に面白くない。何が起こっているのかわからない割に変に意味ありげな台詞が入っているが、わからせようという意志も感じられず、小説版をわざわざ読んでみる気にもならない。形の上では泣かせる場面もあったが、真面目に泣かそうとしているようにも見えなかった。ほかキャストは豪華なようだが、砂かけ婆を演じていたのが誰だったのか、エンドロールを見なければわからない映画などあったものかと思う。 ただ、川姫の太腿の魅力に関しては皆さんのいうとおりである。男児ばかり狙うのかは不明だが、一度出会ってしまうと生涯心に棲みつく胸キュンタイプの妖怪らしい。少し客観的にいえば、多くの男子の心の深層に潜む“近所に住んでいた憧れのおねえさん”のようなイメージを外部化した妖怪と解釈できるかも知れない。また父親サービスとして見れば、古きよき昭和特撮映画の伝統に倣っているといえなくもない(ただしエロすぎて不健全)。 [DVD(邦画)] 4点(2012-10-15 19:11:43)(良:1票) |
1258. ラッキー・ガール
《ネタバレ》 見ていてひっかかるところもなく軽快でほのぼのして楽しい。ヒロインは一応大人の女性なのだろうが、キャリアウーマンにしては可愛くていい感じだし、その友達も、下手すると不幸に巻き込まれそうなのにあくまで優しいのはうれしくなる。成功者への対抗心が感じられないのは自分の可能性を信じているからだろう。ラストはハッピーエンドとわかっていても一応ハラハラさせておいて、その後のコンサートで盛り上がるのは素直に気分がいい。 それで最後は“愛とは与えあうもの”ということになったのか、運不運をぐちゃぐちゃに混ぜてしまって余った分をおすそ分け?したらしい。これで多分2人とも普通の男女になったのだろうから、あとはツイてる時もあればそうでない時もあるし、いいことをすれば果報もある。その上でヒロインの友達と同じように、いつも前向きでさえいれば幸運をつかむチャンスもあるという、そんな おはなしなのかなと思った。普通にしあわせそうな2人で大変結構でした。Good Luck. [DVD(字幕)] 6点(2012-10-15 19:10:39)(良:1票) |
1259. 金星人地球を征服
《ネタバレ》 一つ前のレビューに微妙に心打たれてしまったので、おれもこういう見方ができないだろうか、と思って見直してみたが、初回の印象と同じだった。やはり自分は自分と思うしかない。 それで中身については、要は金星ガニの映画なわけだが、見てまず驚いたのは真面目な映画だったということである。劇中人物が夫婦愛について真剣に語るのは感心してしまったが、しかし主役と軍隊以外が全員死亡というのは何とも殺伐として救いがない。わが国では宇宙人が倒されると、操られていた人々が一斉に元に戻ってよかったね、というのが普通なのに、この映画では洗脳された人間はもう殺すしかないらしく、これには昭和特撮の優しさをあらためて感じた…というか日本の特撮は子ども向けだからだろうが。 ところで、この映画では洗脳で人間の感情を失わせることを問題視していたが、本当に問題なのは教育や宣伝で人間の感情を一方向に誘導することの方だろう。そもそも民主主義にとっては、感情というより自立した理性と意志の方が重要ではないのか(建前だが)。そういうことを考えているようにも見えず、何か平気で教宣活動をやっているようなのは天然なのか特に理由があるのかわからないが、とにかく力んだような外見の割には少しずれた感じのする映画だった。 しかし、そういう変な社会性とは無関係に、羽目を外さない程度の笑いが映画の印象を和らげており、特に洗脳されたはずの将軍が脱力系のジョークを言っていたのは笑った。これのどこが感情を失った人間なのか。また牛はダメだがニワトリは黙認というのもわけがわからず失笑してしまう。そのほか、最初のロケット打上げの映像が大昔の映画にしては斬新で、これは率直にほめていいと思う。 [DVD(字幕)] 4点(2012-10-15 19:09:40)(良:1票) |
1260. 猫の恩返し
《ネタバレ》 ジブリアニメとして期待すると落胆するというのはその通りだが、それ以前の問題として、ここまで原作を崩す必要がどこにあるのかわからない。舞台設定とかストーリー構成は原作の方がはるかにしっかりしている(けっこう泣かせる話だ)が、映画では猫の国の性質があいまいな一方、「自分の時間を生きる」という意味不明な概念が半端に出ていたりして、何がいいたいのかわからなくなっている。 しかし、そんな問題点などどうでもいいと思わせるのが主人公の存在である。普段のふるまいは のほほんとして可笑しく、ビジュアル的にも十分カワイイと思うが、特に猫になりかけの顔に萌えてしまって、個人的には日本アニメのベストヒロインに認定したくなる。問題は状況に振り回されやすいことだろうが、そこは町田君など比較にならないほど大人で知的でクールな紳士が適切にリードしてくれたことで、各種トラブルもふわりと乗り越えた感じだった。 それで、この事件を通じて主人公も何か変わったはずなのだが、どこが変わったのか正直よくわからない。ただ髪は短くしたようだし(美少女に対抗するのをやめたか)、とりあえず子どもの頃のように自然体で、自分の思うように生きていけばいいかもという感じである。別にシングルマザーを奨励するわけではないが、やはり母親の姿がひとつの見本なのだろう。ラストにかぶさるテーマ曲も軽快で、ああよかったねと気持ちよく終わるアニメだった。 ところで余計な話だが、ジッキンゲンというのはドイツに実際にいた貴族(男爵)の家系で(ただし綴りはSickingen)、一族の中では16世紀はじめに大活躍した帝国騎士フランツ・フォン・ジッキンゲンという人が有名らしいが、バロンのイメージモデルにしては少し粗暴な感じなのが残念である。 [DVD(邦画)] 8点(2012-10-01 22:03:21)(良:1票) |