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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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121.  ブラックホーク・ダウン 《ネタバレ》 
初見は2000年代のTV放送だったが(たまたま出先の札幌で見た)その時に思ったのは、何でこの連中はアフリカにまで来てこんな目に遭わなければならないのかということである。どこが自国のためなのかわからない戦いで、現場の兵隊が次々に死んでいくのが痛々しい。内輪で殺し合っている連中など放っておけばいいではないかというのが当時の感想だった。 加えて虚脱感を覚えたのが終盤の「仲間のために戦う」という言葉だった。現代の米軍では戦うための目的意識も大義もなく、戦う理由が軍隊内部で自己完結してしまっているということなのか。「一人も残さない」のは士気の維持のためには重要だろうが、それでさらに死者が増えていくのも虚しく見えた。  今回改めて見直したが、実録風の原作のある映画とのことで、実際に戦闘に加わった人々も製作に協力していたことからすると、基本的には苦難の中で勇戦した軍人を顕彰し記憶にとどめようとした映画かと思われる。 現地がこういう状況になった経緯は知らないが、この時点で国連平和維持軍も出ていたことからすると、米軍だけが極端に条理に反した行動をしていたわけではなかったようである。数字としては最後の1000対19が目立っていたが、単純な数の比較でいえば、最初に「30万もの民間人が餓死」と出ていたこととの関係をどう捉えるかということになる。 ここでアメリカの独善性に反発して、民兵リーダーの言った「この国の流儀」というのを認めてしまうと、例えば国内の特定集団などを弾圧する国家があっても内政問題と言われれば止めさせられないことにならないか。あるいは序盤で将軍が言ったようにgenocideといえば放っておけなくなるということか。簡単に善悪を分けられるものではなく、文字通り考えさせられる映画にはなっている。 何にせよ国家たるものに一般庶民的な善意などありえないわけで、どうせ何かの思惑や利害で動いているのだろうとは思うが、どちらかというと一般庶民に属するこの映画の主人公に関しては、当初思っていたような世界秩序の守護者たるアメリカの役割をもう信じられなくなっていたらしい。死んで英雄になろうとも思っていなかったようで、自分としても(戦争したことはないが)同感というしかない。  以下雑談として、その後のアメリカは世界の警察官をやめたのかと思っていたら、今年の5/16には一度現地から撤退していた米軍を再度駐留させる決定をしたとの報道もあった。それまでも周辺国やアフリカ連合などとともに関与を続けていたようだが、現実問題として過激派組織の活動には隣国ケニアも苦慮していたらしい。
[インターネット(字幕)] 7点(2022-07-09 10:04:37)
122.  M★A★S★H/マッシュ 《ネタバレ》 
ポリコレ絶対主義の現代でもまだこんな映画の存在が許されているからにはよほどの名画であるらしいが、しかし全編通じた悪ふざけのため製作意図をわかってやる気に全くならない。世評によれば反戦映画だそうなので、これが反戦の表現と受け取れる雰囲気が当時はあったのだろうと思っておく。それにしても手前勝手で傲慢な連中だ。
[DVD(字幕)] 2点(2022-07-02 09:07:12)
123.  トコリの橋 《ネタバレ》 
朝鮮戦争中の空母艦載機のパイロットを主人公にした映画で、海軍の協力により発着艦や飛行中の場面は実写が使われている。攻撃の場面は特撮だろうが、結構リアルなのでこれは特撮だと自信をもって言い切れない出来になっている。 登場するのは主にジェット戦闘機のグラマンF9Fパンサー、ヘリコプターのシコルスキーHO3S-1である。F9Fは戦闘機ながら対地攻撃用に使われていたようで、劇中でも題名の橋の攻撃を行っていた。またHO3S-1は救難が主任務とのことで、発着艦の際は常に滞空して待機し、また敵地で孤立した友軍兵の救出に向かったりしていた。 空母に関して、艦橋に34と書いてあるのはCV-34(またはCVA-34)の「オリスカニー」であることを意味するが、劇中では「サボー号」(字幕)という設定になっている。この名前は、かつてアメリカがした戦争での激戦地の名前を空母につける伝統からすれば、太平洋戦争の激戦地だったソロモン諸島の島の名前(Savo Island)と思われる。劇中でこの空母がいたのは冬の日本海だったらしい。 なお「トコリ」は原作者が作った架空の地名とのことだが、少なくとも「リ」は「里」かと思った。場所としては港湾都市の元山の近くのようである。  この時期にも、大戦後期の主力だったエセックス級空母はまだ現役でいるが、既にジェット機やヘリコプターも搭載して時代が急速に変わりつつある印象を出している。少し前まで敵国だった日本も、戦後速やかに友邦になって人々も親和的であり(戦勝国に媚を売っていただけだろうが)、かつてアメリカ人が生命をかけて戦った敵はどこに行ったのかと思わされる。 その中で、本業は弁護士だという主人公は、前の大戦をせっかく生き延びたのに今どきまた戦地に駆り出されてしまっている。妻子を守るために戦うというならまだしも、自国が脅威にさらされている危機感など本国のどこにもなかったとすれば、この主人公が死地に赴くことの理不尽さは確かに感じられる。アメリカのやる戦争で、職業軍人は別としても一般国民が死んでいくことについて深刻な疑問を提起した映画なのかとは思った。「朝鮮にいるから戦う」とは、いなければ戦わずに済んだはずという意味だったか。  ところでアメリカ映画に出る日本人はヘンな連中ばかりというのは常識だが、この映画で特に呆れ果てたのが「御家族風呂」だった。素っ裸で居並んでお辞儀する一家など想像を絶するが、裸を気にしない子どもらが先に仲良くなったという展開は悪くない。戦争があっても人間同士が仲良くできるのはいいことだ。
[DVD(字幕)] 6点(2022-07-02 09:07:10)
124.  クナシリ 《ネタバレ》 
ソビエト連邦生まれでフランス在住の監督が国後島で撮ったドキュメンタリーである。クがKOUでシがCHIなのはフランス映画だからである。 日本人が普通行けない場所なので何かと物珍しいが、特に自然景観が美しく撮られており、爺爺岳(1822m)の姿が見事と思わせる場面があった。対岸には知床半島らしきものが長大な山脈に見えていたが、島は戦車とゴミだらけという印象も出している。 地元社会を映した映像もあり、戦勝記念日の式典ではちゃんと軍事パレードをしていたが、モスクワでやるのと違って貧弱だったのは微笑ましい。夜には貧弱な花火も上がり、地元民にとっては年中行事のお祭りのようなものかと思った。 登場人物では、戦後の一時期に日本人と一緒に暮らした記憶のある老人の、日本の文明度や文化性に対する評価が高かったのは驚かされた。昔を知るからこそのいわば親日派が最低1人はいるらしい。  全体構成としては老人が言った「共存すればいい」というのと、会社経営者?の「議論の余地はない」が対置されたようにも見える。ただ会社経営者?の話はロシアの公式見解そのままだろうから、まともに聞けば誰でも同じことを言うだろうが、本音としてはみな老人のように思っているはずだ、というのが制作側の考えかも知れない。 一方でこれを日本人が見た場合、現時点の荒れた世論のもとではとにかくロシアとプーチンを悪として叩く、あるいは安倍元総理もセットで叩く、といった反応が出てきそうだが、さらに戦後以来の日本の風潮として、日露区別なく民衆を不幸にする国家の存在が悪だとする立場もありうるわけで、配給側としてはその辺に近いのかと思われる。個人的には特に考えがあるわけではないが、少なくとも現地住民のためだけに日本が一方的に譲歩する義理はないとはいえる。  なおこの映画とは別に、2016年に日本の読売テレビが取材した番組(最近YouTubeに上がっていた)を見たが、その中でも元島民の人物がロシア人とは仲良くしていたと語る場面があり、ロシア人の子どもらがとにかく可愛く見えたという話は印象的だった。この映画で語られていたのも単なる老人の繰り言というよりは、現実に人々が共存できた時代があったという証言と解される。 最終的には「共存」がこの映画の中心的なメッセージに思われたが、しかしこれを公式サイトのコメントのように否定的に言及して腐すのでは、映画を真面目に見ようとする気までが失せることになる。そもそも制作時点から世界情勢が変わり過ぎて公開適期を外した気もするわけだが。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-06-25 10:27:53)
125.  良いビジネス 《ネタバレ》 
アマゾン・プライムビデオで公開されている5分弱のショートムービーである。主に異星生物のCGと皮肉なストーリーが注目されていたらしい。 異星生物には大中小の3種類がいたようで、大は家畜か何か、中が普通の人、小は別種族か子どもかも知れない。世評でキモカワイイとか言われていたのはこの小のことであり、その他は「キモ」だけである(「第9地区」(2009)を思わせる)。  【以下は個人的解釈】 劇中惑星は地球人が普通に歩ける重力で、普通に呼吸できて適温という非常に都合のいい場所であり、こんな所まで普通に行っているからには相応の未来と思われる。言葉が英語で、武器は地球の20世紀に開発されたものだったようなので、地球人に見える生物は実際に地球人だったと思っておく(スターウォーズのような設定でなく)。 出ていた地球人2人は会社員のようで、相手に合わせて旧式の武器も売るといえば武器商人かも知れないが、業務として戦闘もするなら民間軍事会社のようでもあり、あるいは惑星の支配を企んでいるなら不動産開発業者かも知れない。グローバル企業というよりユニバーサル企業ということだ。 地球人も問題なく暮らせる場所だとすれば、会社としては人が住む前提での利用方法を考えていたかも知れない(知的産業の開発拠点とか、惑星まるごと富裕層の別荘地とか)。しかし問題なのは変な害虫が蔓延していたことで、これをどうやって駆除するかを考えたのが「会社の方針」ということになる。 地球と事情が違うのは害虫に知能があったことで、これに安価で使い勝手のいい武器を与えて害虫同士で駆除し合いさせれば、殺虫剤とか核兵器などで惑星環境を損なうことなく目的が達成できることになり、それで成功するなら会社にとっては良いビジネスである。なお劇中の社員が死んだとすれば会社にとってはコストだが、プロジェクト全体では恐らく微々たる損失である。  ちなみにこれを見て思い出したのは、第一次世界大戦時に地中海へ派遣された日本艦隊にイギリスから駆逐艦2隻が貸与されたが(「橄欖」と「栴檀」…読めない)、これはゴキブリが大繁殖してどうしようもなくなっていたのを日本海軍に押し付けたという説があったことである。ゴキブリに知能があれば老獪なイギリス人が分断工作をして自滅させただろうが、そうでなかったので真面目な日本人が駆除させられたということだ。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-06-25 10:27:52)
126.  シェラ・デ・コブレの幽霊 《ネタバレ》 
邦画「女優霊」(1996)との関係で名前だけが語られて来た幻の映画である。 大人が見れば最恐ホラーともいえないが、泣き声+背景音や幽霊の映像効果などはけっこう恐ろしげであり、また凄味のあるショッキングな場面が印象的だった。「女優霊」脚本の高橋洋氏のように、幼少時に見ればトラウマ級のホラーだったかも知れないとは思った。  ストーリーとしては意外にもミステリー風の作りになっている。怖そうな雰囲気を出す一方、訳あり風の家政婦とか電話線や小瓶といった小道具が単純な心霊ホラーに終わらない予兆を示している。 本来はTVドラマの試作版とのことだが、見ると登場人物のキャラクターが探偵ドラマらしく出来上がっていて、これは確かに連続ドラマの第1話にふさわしいと思わせる。主人公である探偵のところにオカルトじみた相談事が持ち込まれると、オカルトの対極にいるリアリストの探偵助手が仕掛けを疑って判断材料を提供し、それを受けた探偵が、現世的な因果も含めた全体像を解明して決着がつく、というのがシリーズを通じた基本パターンになりそうに見える。 主人公は超自然現象の存在を否定しておらず、むしろ心霊を侮る罪びとを破滅から救おうとしていたらしい。探偵助手も現実主義だからこそということなのか、実際起きたことは起きたものとして受け入れるスタンスだったのは好印象だった。“一番怖いのは人間”とはよく言われるが、それはそうとしても、だからといって心霊の存在が否定されるわけではないというようでもある。 最後はひっくり返った車をそのままにして終わりなどいい加減な締め方で、そもそも事の真相もよくわからなかったが(母親を死なせたのは娘だった?)、まあ次回もあるなら見たいという気にさせる内容ではあった。  登場人物では、今回のヒロイン役である奥様が美形で目を引かれた(脚もきれいに見せている)。また探偵助手の家政婦の人物像が見どころで、最後のやり取りはこのドラマの雰囲気を端的に表現していた。ほか渚の美女は正体不明だったが、これからシリーズの進行とともに主人公との距離が縮まってハッピーエンドに至るのか、あるいは主人公に重大な危機をもたらす存在になるのか(白は心霊のイメージ?)。何にせよドラマ化が実現しなかったのでわからない。 ちなみに冒頭で、墓標に見立てたビルの建つ平べったい都市景観は当時のロサンゼルスの風景だったかも知れない。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-06-25 10:27:50)
127.  私たちの青春、台湾 《ネタバレ》 
台湾を中心に、香港と大陸にわたる若者の社会運動を扱ったドキュメンタリーであり、台湾独立派の学生と、民主主義を実践しようとする大陸からの留学生の2人が主人公になる。2014年の「ひまわり運動」が中間の山場だが、それに続いた香港の運動は成功せず、また主人公2人も個人的な挫折を経験し、劇映画のように都合よくはいかない現実を映して終わりになる。 監督としては、主人公2人が国境を越えた社会運動を広げていく未来を想定していたらしいが、それが挫折したのを自分の挫折とあわせて捉えた結果、監督本人が終盤で第3の主人公のようになっていたのは意外な展開だった。挫折はしても3人の人生はまだ続いていくわけで、その一時期を切り出したこの映画が、それぞれの青春を映していたという形でまとめたらしい。いわゆるほろ苦い青春映画だが、しかし少なくとも台湾にとっての「ひまわり運動」が若者の独りよがりに終わらず、結果として多くの国民がその正しさを確信できたというなら現実的な成果があったといえる。 ほか個別の事項として、「支那」は台湾でどういうニュアンスで使われる言葉なのかが気になった。またネコを閉じ込めた場面は出来すぎのようだが偶然だったのか。性犯罪者の心理を本人に語らせるなどリアルな場面は苦笑した。  ちなみにこの映画は2018年の映画祭「金馬奨」で最優秀ドキュメンタリー賞に選ばれているが、授賞式での監督の発言に反発した大陸側が、翌2019年から映画祭への参加を連続ボイコットしているとのことで、同年からの個人旅行の停止とあわせて民進党政権への圧力と捉えられていたらしい。「ひまわり運動」だけでなく、この映画自体が思い切り実社会に影響を及ぼしたわけだが、それは多分監督の本意でないと思われる。 その他雑談として、「ひまわり運動」の場面で聞こえていた「國際歌」は、これがどういう歌かを知っていれば何だこれはと思わされる。しかし今年3月下旬からの上海ロックダウンで、市民の不満の表現としてこの歌(起て飢えたる者よ)や「義勇軍進行曲」の歌詞が使われたのを当局が問題視し、自宅で鳴らしていた者が警察に連行されるとか、SNS上で閲覧できなくなったという報道があった(2022/5/17ニューズウィーク日本版コラム)。そのように、当初想定と全く違う場面で歌本来の意味が活かされることはあると思えば、この映画での「國際歌」も、純粋に国境を越えた市民の連帯を呼びかけたものと思えなくはない。ちなみに個人的には、政治性はともかくこの歌自体は嫌いでない(歌える)。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-06-11 10:07:12)
128.  ヒトコワ2 -ほんとに怖いのは人間- <OV> 《ネタバレ》 
全5話のオムニバスである。 【ペットモニター】 最後にニッと笑ったが、すぐ真顔に戻ったので許されたかどうかわからないのは困る。しかし、ペット愛が他の全てに優先する人格を表現しようとしたエピソードと考えれば、やはり許されたのだということにはなる。ただしペットを貶められただけで殺人というのも単純すぎるので、そもそも不倫の件で恨みがあったことにして補強したと解される。 【ヘビと初恋】 小公園は埼玉県越谷市。オチがないようなのは困惑する。目撃者が他にいないと知って自らダークサイドに落ちたと見える(悪人メイク)がそれだけか。 【二人の約束】 男に対する女の執着が異常なのかと思っていると、その後にもう一段の展開がある。題名の印象からは、男が約束を守らないのが問題だということになるが、実はそれよりも、束縛を嫌っていきなり凶行に出るのが異常だということか。妻が妊娠中なのをいいことに遊び回っていたところ、浮気はしない約束のはずだと妻に咎められ、逆に妻が浮気して妊娠したのだろうと言いがかりをつけて殺したが、その後に遊びと思って付き合った相手までが、一途な遊女よろしくしがみついて来たので排除したとも取れる。 【自転車をとめないでください】 埼玉県越谷市で撮影したことを執拗にアピールしている(映像中に文字情報が多い)。「こうかい」だけでなく、その前のも「とめると」がブレーキの意味だったか。つまんねー。 【共通の趣味】 盗撮が異常なのかと軽く思わせておいて、実はさらに異常な性癖だったという展開かも知れないが、両者のつながりが弱いため単に散漫な構成に見える。彼氏が合鍵を提供したので入れたのはいいとして、入るタイミングが変だ。  「ヒトコワ」シリーズの2つ目である。初回の時点で2と3は見ないと書いておきながら、結局全部見てしまったのは阿呆だ。暇なのか。 別に怖くもなく面白味もないが、それほど極端にバカみたいなのはないとはいえる。しかし展開の意外性を優先したためか物語の芯になるものを素直に受け取れず、独自の解釈(上記)を理屈で考えて辻褄を合わせるのが面倒臭い。 また今回最悪だったのは、好意的になれる登場人物(男でなく)が誰もいなかったことである。それがなければC級ホラーなど見る意味もなく、芸能事務所のプロモーション上の意義もないことになる。個人の好みで今回は当たりがなかっただけかも知れないが。
[インターネット(邦画)] 3点(2022-06-04 13:40:36)
129.  エルミタージュ幻想 《ネタバレ》 
題名の美術館が宮殿だった時代を中心として、この場所にまつわる過去の記憶を映像化してみせた映画ということらしい。 最初が18世紀初頭なので帝政時代だけなら200年程度だが、街がゲルマニヤの大軍に包囲された時のことや現代らしき場面も見えており、そこまで入れれば300年近くということになる。撮影者が歩きながら部屋を回る形なので、歴史的な前後関係よりも場所の性質が優先のところもあったかも知れない。ちなみに終盤の楽団の指揮者はオセット人であるから、帝国の版図に属する諸民族の一員も活躍していたということだ。  歴史の流れに関して、細かいことはわからないが大まかに書くと、まずこの国がまだヨーロッパなどと思われていなかった頃、最初に人の耳を引っ張っていたオヤジが街を建設して強力に西欧化を進め(反発され嘲笑もされ)、次に出た西欧生まれのオバサンが宮殿に美術展示室を作り、これが後に一般公開もされて「艦隊の者」や多感な少年も見に来ていた。そのように時代が下るにつれて西欧(南欧含む)文明化が進んでいき、最後の場面に至って「ヨーロッパで一番豪華」な舞踏会だと認められたということらしい。 その後の革命で19世紀の宮廷文化も失われ、本当にこれが人生最後の舞踏会になった人々も多かったと思えば、物悲しさを感じさせる終幕ではあった。ただしこの映画自体に関していえば、20世紀にいったん途切れたヨーロッパとの結びつきを、21世紀の始まりに当たって改めて回復したいとの思いが表現されているとも取れる(いわば仲直りの申し出のような)。製作にはゲルマニヤやその他諸国(NHK、YLEなど)も協力しており、こういう融和的な雰囲気の時代もあったのだと若干遠い目にさせられた。  個別の場面では、ラストで舞踏会の人々が一斉に退出していくところは圧巻だった。これは18世紀からこの宮殿を訪れて去った人々の姿を全部重ねた映像のようでもある。また老婦人が雪の中を去る場面には見覚えがあったので、前に一度NHKでも見たことがあったらしい。以前から、この人物の名前を聞くとこの姿を思い出してしまっていたのはこの映画のせいだったことになる。お茶の時間に集まっていた家族もイメージ通りで、宮殿であるからには公務の場だけでなく、人々の住まいでもあったことが表現されていた。 なお絵の説明の中で鶏とネコが出て来たので「エルミタージュの猫」を思い出したが関係なかった。18世紀からいたはずだが。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2022-05-28 09:24:32)(良:1票)
130.  花咲くころ 《ネタバレ》 
1992年のグルジアの話である。ソビエト連邦から独立した次の年だが、独立しただけで人々が幸せになるわけでもなく、内戦が起きたりして不穏な情勢が続いていたらしい。 季節は春から夏にかけてとのことで、領内で独立を求めていたアブハズ人、オセット人とグルジア国家との間で紛争が起きた時期に当たる。冒頭から民族意識を高揚させるラジオ放送が聞こえ、その後の字幕でも「スフミ」「アブハジア」「ツヒンヴァリ」といった紛争地の地名が出ていた。  劇中で見える現地は殺伐とした雰囲気で、国家と少数民族が戦う一方、近隣社会も家族もみな苛立って争っている。また権威主義とか男尊女卑といった社会の体質も問題視されており、略奪婚などというものに加え、嫁に行ってしまうと学校に行かない(やたらに外出しない?)風習も残っていたようで、義務教育は一体どうなっているのかと呆れる。 物語としては、結末がどうなったのか正直わからなかった。途中まではとにかく男が悪いと言いたいのかと思ったが、最後に主人公が父親のところを訪ねたのはどういう意味だったのか。結婚を無理強いされた親友が、実家の父親の方がまだましだという場面もあったが、主人公としても自分の家族を見直すために、まずは父親の実像を見極めようとする決心がついたということか。民族同士や人間同士が争う中では家庭が年少者を守れる場でなければならず、それによって/そのためにも、社会全体を穏やかな方向に変えていこうという意味と思えなくはない。 また武器に関しては、暴力の抑止のために持つのはやむを得ない状況があるにしても、殺すために使ってはならないという割り切り方だったかも知れない。冒頭のラジオでは国民が「武器を備えるべき」と言っていたが、いずれは誰もが武器を捨てる社会(少なくとも国内では)を作ろうとするのは当然のことである。  以下余談として、グルジア側の要請により日本政府は2015/4/22から英語由来のジョージアという名前でこの国を呼んでいるが、グルジア側としてロシア語由来の名前を嫌うのはわかるとして、何で現地語のサカルトヴェロでないのかと普通は思う。 これに関して最近思ったのは、あえて英語名にすることで西側に近い国だとアピールし、ナショナリズムよりもグローバル志向のイメージを出そうとしているのかと思った。この映画で見る限りはとても親近感を持てそうにない国だが、この時から30年も経って現地の状況も変わってきているものと思っておく。
[DVD(字幕)] 5点(2022-05-21 09:45:14)
131.  オーガストウォーズ 《ネタバレ》 
2008年の南オセチア紛争(ロシア・グルジア戦争)を扱っている。 2022年のウクライナ侵攻と似たところもあるようで、この映画には出ていないが、当時のグルジアがNATO加盟を目指していたということはあったらしい。ただロシアとグルジアの間に別民族の「オセット人」がいるのは事情が違っており、このオセット人とグルジア国家との間で、ソビエト連邦解体時から続いていた紛争の延長であることは台詞でも表現されていた。劇中ではオセット人がどこにいたのか明瞭でないが、少なくとも主人公が北オセチアの空港に着いてから乗ったバスで歌っていた乗客はみなそうだったのかも知れない。 ロシアが関係する紛争ではロシアが悪者扱いされるのが普通だが、だからといってこの紛争でグルジア国家が善ということにもならない。ロシア・南オセチア側だけでなく、グルジア側も民間人を攻撃していたことは国際人権擁護団体の報告にも出ており、それが劇中の無差別なロケット弾攻撃や、地下室の避難民に危険が迫った場面に反映されていたと思われる。ほか直接関係ないが、劇中出た「ベスラン」という地名が2004年の「ベスラン学校占拠事件」を思い出させたのは、周辺の難しい地域情勢の表現になっていたかも知れない。  映画としては戦争映画のようで戦闘場面は結構な迫力があるが、妙なファンタジー映像を売りにするのが軽薄な印象を出している。またドラマの面では、母の愛は何より強いことを表現するために、それ以外の美点が主人公に皆無になっていて全く共感できない。主人公の息子は、この戦争で真のヒーローとは何かを知り、将来は立派なロシア軍人として死ぬのだと思われる。 基本的にロシアの立場で作られているのは当然としても、見た結果としてロシアの味方をしたくなるわけでもない。このほかにグルジアの立場で作ったアメリカ映画もあったようだがわざわざ見る気にならない。  ちなみにクレムリンの場面では、大統領のほかに首相もいたように見える(似ている)。ここでこの戦争に関するロシアの立場が説明されていたようだが、それ自体の意味はわかるとしても、日本人の立場でロシアを擁護する義理は特にない。一方で、このままではロシアが侵略者として非難され、国際的に孤立して新冷戦に至ると警告するスタッフがいたのは悪くなかった。この男が黙らされたのはストーリー的に当然として、こういう異論をあえて劇中に入れた意図はわからなかったが、ここはかなり興味深かった。
[インターネット(字幕)] 4点(2022-05-14 09:46:06)
132.  チャイコフスキー 《ネタバレ》 
2022年2月にロシア軍がウクライナに侵攻して以降、3月には国内各地の演奏会でチャイコフスキーの「1812年」を中止する動きがあり、また4月にはチャイコフスキーの名を冠した国際コンクールが世界連盟から除名されたとの報道もあった。それぞれに妥当な対応だろうとは思うが、国際的な波乱の中では芸術文化も聖域にならない雰囲気は出ていた。チャイコフスキーはウクライナ・コサックの家系の出だから免罪されるという説もあったようだが、個別の曲はともかく作曲家自体の善悪を国で分けるものではないだろうとも思う。  そういう情勢のもと、いわば野次馬感覚でこの映画を見たが、いい加減な動機で見るには長い映画だった。基本的には伝記映画というのだろうが、その人物にあらかじめ関心のある人々が見るもののようで、基本的な説明が省かれているのはつらい。ちなみにソビエト時代の映画らしく革命運動に触れたところもある。 ドラマ的には主に主人公の半生と人物像、及びパトロンのフォン・メック夫人との関係性を整合的に描写しようとしていたようで、主人公と夫人が心を支え合う関係を表現するとともに、同性愛と言われた件についても微妙な説明をつけていたように見える。ほかの登場人物では召使いが誠実で賢明な好人物だった。 音楽面では実際の曲を使うほか、メロディ部分をアレンジした背景音楽も作っている。冒頭以降、交響曲第4番を主に夫人との関係で使い、また第6番は本人との関係で、精神的危機のときに第1楽章、人生の頂点で第3楽章、その後の終幕で第4楽章を使っていた(2楽章がない)。歌劇については手紙の件以降、歌と映像(白樺など)で「エフゲニー・オネーギン」の創作過程が表現されていたようで(多分)、歌詞がそのまま主人公の心情を語ったように思わせるところもある。終盤では、ホラー映画かと思ったら「スペードの女王」(多分)の一場面だったという趣向もあった。また気にしすぎかも知れないが、背景音の馬蹄の音が4番3楽章のピチカートに聞こえた。  なお主人公を貶めようとした男が偉そうに「時が評価を下すのです」と言う場面があったが、チャイコフスキーの音楽はその後のソビエト体制下でも封殺されることなく、今も世界で愛されているのは間違いない。個人的にはこの作曲家に特に強い思い入れはないが、若い頃は交響曲第5番に励まされることもあったように憶えている。今は「四季」Op.37aが好きだ。
[DVD(字幕)] 5点(2022-05-14 09:45:57)
133.  リベンジコード 盗まれた正義 《ネタバレ》 
いわゆるフィンテック(字幕では「金融技術」)を扱った映画である。金融とか情報通信技術に苦手意識があると手を出しにくい映画だが(自分のことだ)、一般向け娯楽映画の枠内でできているので見るのにそれほど支障はない。 全体的にはそれっぽい事物や映像などを適当につないだライトなサスペンスドラマに見える。前半では転換社債という言葉を出しておいて、途中の説明がないまま結果だけ見せたのが若干のサスペンス感を出していた。後半は邦題のリベンジに向けた動きを隠したままで進んでいく形だが、最後は記者会見での一発逆転とか、ネットで多数の支持が集まるのが安易な展開に見える。真相がわかっても特に心を打たれるものはなかったが、まあ意外性のある結末にはなっていた。少し笑える要素としてはネット動画の場面がふざけた感じで息抜きになる。 なおサンドボックスというのは普通に知られた言葉のようで、たまたま見た2022/4/28朝のTVニュースでもスタートアップの支援に使える仕組みとして紹介されていた(「規制のサンドボックス制度」などを活用した経産省による法務支援、4/26から)。  具体的な題材としてはブロックチェーンや仮想通貨を取り上げているが、それ自体の具体的なところまでは突っ込んでいない。しかし細かいことはわからなくても、社会正義の実現ツールとしての意味を持たせようとしていることは台詞で説明されている。プレゼンで語られた綺麗事で終わりでなく、これで実際に公明正大で自由な経済社会が実現していく様子を見せてもらいたいものだと思ったが、まともにやれば空想未来映画になってしまうわけなので仕方ない。それはこれから主人公が追求していく可能性の中にあると思うしかない。 この映画が台湾の現状をどの程度反映しているのかは不明であり、どうしても作り物っぽい印象はある。しかし表面だけ飾って中身は腐った世界の中で、自分にも破滅の恐れがあると知りながら、あえて理想を貫こうとする若者が勇気を持って行動しようとする真直ぐな映画と思えば悪いともいえない。  ちなみに劇中では、まともな企業家(製造業?)は高級和牛を食い、汚れた連中(金融業)は犬を食う、という対比ができていたようで、犬好きの人にとっては許せない映画になっていると思われる。サル好きの人なら「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」(1984)が許せないのと同様である。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-05-07 09:29:35)
134.  君のためのタイムリープ 《ネタバレ》 
邦題の「タイムリープ」からすると時をかける少女かと思うが、台詞によれば「ターミネーター」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だそうで、全体的には後者に近いが邦題の「君のための」は前者のイメージである。2017年で38歳の男が20年前の高校時代に戻る話になっている。 原題の「帶我去月球」(Take Me to the Moon)は張雨生というシンガーソングライター(1966~1997)の楽曲名で、劇中年代もこの人物が事故で死去した年に合わせている。仮にその事故がなければ映画のストーリーは成り立たなくなるが、それでも主人公が無理に警告しようとした姿に結構心を打たれたことからすれば、当時の若者にはこれがかなり衝撃的な事件であって(日本でいえば尾崎豊?)、観客の心情にも訴える場面だったのかと逆に思わされた。 ほかにも当時の社会描写らしいものが多く、登場人物と同じ30代末期にかかる人々が、自分の青春時代を回顧する映画かも知れない(よくあるタイプの)。  物語としては主人公の男が、自分の恋した相手が死ななくて済むよう過去を改変する話である。最初はとにかく死なないことだけ考えていたが、結果的には単に死なないだけでなく、相手の人生が輝く未来が実現でき、ついでに自分の未来も輝かそうと決意したということか?? よくわかっていないが悪くない話ではあった。 日本との関係では、冒頭いきなり日本語で始まるのは「悲情城市」か「海角七号」かと思わされる。1997年時点では日本の存在感が変に大きく、それはかつて文化面でも日本が台湾をリードしていたということだろうが、ラストの段階ではすでに台湾が台湾自身の安室奈美恵を生み出しており、若くして没したアーティストの後を引き継いでいたらしい。エンドクレジットに「特別感謝 魏德聖」とあったことから想像すれば、日本から受け入れたものと、台湾が生み出したものの融合が表現されていたとも取れる。  出演者として、宋芸樺 Vivian Sungという人は今どきまだ高校生役なのかと思ったが、18~35歳を幅広くカバーできる役者という意味なら変ではない。高校時代と現在が同じ演者なのは「私の少女時代」よりも著しい改善点といえる。今回は歌がうまいので感心した。 また「まるで男」と言われていた「小八」役は、「屍憶」で童顔が印象的だった嚴正嵐 Vera Yenという人である。中学生にも見える容貌だが弁護士志望という役柄は悪くない。今回はバンドでドラムを叩いていたのが目を引いた。年齢不詳のユニークな女優(兼シンガーソングライター)のようで好きだ。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-04-30 13:59:22)
135.  52Hzのラヴソング 《ネタバレ》 
ダンスはなく歌が主体のミュージカル映画になっている。主な出演者は役者ではなく歌が本職のようで、台詞よりも歌で語らせて物語を進めていく趣向らしい。視覚効果もあってか色彩豊かでファンタジックな劇中世界ができている。 内容的にはバレンタインデー(2/14)のラブストーリーになっており、全部数えて6組12人の幸せな日を描いている。同性婚の2人が里子を迎えたのは今回のタイミングに合わせた形だったらしい。  基本はラブコメ的に気楽に見ればいいのだろうが、作り物感のせいでいま一つ乗れないでいるうちに、晴れやかなはずの合同結婚式が変に心騒ぐ場面になっていて冷めてしまう。主人公の一人である公務員にとっては落ち込む一方のイベントだったらしく、せめて法的に認められない同性婚を祝福させようとして市長に花束を渡したのかも知れないが、そこで一輪返されたのは、他人より自分を心配しろと言われたようでさらに落ち込んだということか。 多くの登場人物が物語を通じてプラス方向に動くのに対し、この公務員と彼氏の関係は最初からマイナス続きで、最後はもうこれは駄目だと思わせるところまで落ちていく。それでいて最後に逆転する形式だったのは、うまく同調できれば大感動なのだろうが、終盤の展開に納得感が全くないので勝手にしろと突き放したくなった。それ以外はまあお幸せにという気分にはさせられた。  なお合同結婚式で台北市長が、産めよ増やせよ的な発言を平気な顔でしていたのは危なっかしいので気が気でなかった。日本ならこの手の発言をした政治家などメディアに総叩きされるだろうが、ただこの柯文哲市長は実際に自由な発言で失言王のように言われた人物らしく、それを前提にしたブラックジョークのようなものと思えばいいか。 ほか登場人物としては、同じ監督の「海角七号」(2008)の出演者が大挙出ていて見た顔が多い。劇中で最も普通に可愛く見えるのはレストランの若手スタッフだったが、この人が海角のひねくれ少女の成人した姿だったのは感動した(昔から可愛かったが)。また「セデック・バレ」(2011)の主役が渋い顔で出て来て、今回もちゃんと歌を歌っていたのも感動的だった。 ちなみに台北なんてクソ食らえとかギターを叩きつけるぞとかいう脈絡のない台詞は、海角のセルフパロディなので笑った。また花屋の店主(小心花店的老闆娘)が年齢をごまかしていたのも可笑しい。この人が歌ったネコの歌(トゲの歌)は結構よかった。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-04-23 11:47:32)
136.  1秒先の彼女 《ネタバレ》 
前に見た同じ監督の「ラブ ゴーゴー」(1997)に比べて、映像的な洗練度や娯楽性(大衆性)がさらに向上したように見える。 原題にある「情人節」とは、本来は2/14のValentine's Dayの意味のようだが、近年はなぜか七夕をこれに当てるという風潮があるらしい。前半の「消失的 人 」が消えた人というのはわかるとして、後半の「消失的情 節」の「情節」は、実際にplot、storyといった意味があるようだった。  全体構成としては、前半の郵便局員パートで各種の疑問を提示しておいて、それを後半のバス運転手パートで解いていく形になる。変に日焼けしていたのはUFOに拉致されたせいかという想像が広がらなくもない。 特に前半ではラブコメ風味が強い。こんないかがわしい男を相手にして大丈夫かと心配すべきところだが、本人の言動や表情が微笑ましいというか笑わされるので和む。後半は少ししんみりさせられるものがあり、少女に救われた記憶というのは「ラブ ゴーゴー」のパン屋かと思ったが、今回はちゃんと望みを果たす結末になったようだった。 謎の出来事の真相に関しては、利息という説明はよくわからなかったが、とにかく人によって1日増える場合と減る場合があり、それが主人公男女の運命を変えたということらしい。ただ郵便局員の心変わりの理由が不明瞭なのは残念だった。「大切な記憶」が共有できない寂しさ(男)に対し、「あなたを愛する人がいる」(女)と気づいて応えようとしたということかも知れないが、後者はあまり説得力がない気がしたということである。今回はドラマ的な面で不満が残ったかも知れない。 なお相合傘の下に人名を書く習慣の世界的分布がどうなっているのかは気になった。縦書きできる言語でないと難しいはずだ。  映像面では街の人々が停止していた場面が見どころかと思われる。人形を置いたのかと思ったら、終盤で一斉に動いたのは生きた人間だったことがわかる(犬は違うか)。また浜辺でのおふざけは「熱帯魚」(1995)のようだったが、生きた人間を相手にできないようなのは切ない気分だった。冠水した道を走るバスが千と千尋を、また車内がエヴァンゲリオンを思わせたのがアニメの実写化のようで目を引く。 登場人物としては、郵便局の若手同僚もかなり目立っていたが、何といっても主人公(演・李霈瑜/Patty Lee)が愛嬌があって可愛いので好きだ(かなり好きだ)。この人あってこその映画だった。またヤモリに親和的な態度も悪くなかった。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2022-04-16 08:51:26)(良:1票)
137.  ラブ ゴーゴー 《ネタバレ》 
台北に住む若者の群像劇のようなもののようで、前に見た「熱帯魚」(1995)よりは都会的でポップな印象がある。解説によれば「3つのストーリーが結晶する感動のラスト」だそうだが、何が「感動のラスト」なのかはわからない。とりあえず「3つのストーリー」とは以下の3つと思われる。  1.パン屋 いわゆるイマジナリーフレンドが、単なる夢想ではなく実体があったという感じの設定らしい。この男自体は全く好きになれないが、相手への思いが単なるスケベ根性ではなく、純粋なものだとわかったところは感動的だった。これで恋愛成就につながるのか不明(疑問)だが、今回の件で創造性を刺激されて仕事に一層励む気にはなったらしい。 2.かわいいゾウ(自称) この人は不運というしかない。勝手に夢想を膨らませていたのはお互い様らしいが、あんな男と縁がなかったのはせめてもの幸いだ。最後はポケベルから携帯電話に移行していたが、近年の邦画で「スマホ拾っただけなのに」(2019)というのもあったように、変に拾うとろくなことがないのは今回もうわかっただろうと思われる。なお「ゾウさんゾウさん」というのは台湾の歌なのか。 3.若い営業マン ゾウさんに「乳離れしてない」と言われたタイプの男。地図を見て、つまり飛行機や高架鉄道の視点から街を見て、そこに住む人々を想像するというのは浮世離れした夢想家ということらしい。終盤の屋上の場面が長かったのは、地べたよりも空に近いこの男の意識(別世界)の表現ではないか。これまで世間とは接触不良だったようだが、今回一人の人間の存在を実感したことが、これから現世とのつながりを作っていく過程の一段階になったと思われる。 なお屋上での散髪の様子を多方向から映していたのは少し手が込んでいた。この男と一緒の時間を過ごしたことで、美容室の店主にとっても少し新しい視野が広がったかも知れない。  そのほか音楽クリエイターが台北を去ったのを含め、最後は全部同じ日の出来事だったらしい。同じ日といっても出来事自体は別々であり、題名から予想される恋愛物語にも見えないが、それよりは「熱帯魚」のような、夢想から現実へ移行していくエピソードの集合体と思えばいいか。また美容室の店主にしても、男連中の人間像に触れたことが少し救いに感じられたかも知れない。 なおこの店主が片脚を少し引きずるようにしていたことの意味はわからなかった(訳あり?)。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2022-04-09 09:26:17)
138.  妖婆・死棺の呪い 《ネタバレ》 
邦題は長いが原題は単純にヴィーである。宣材ポスターの真ん中にでっかく「ВИЙ」と書いてあるのが不気味だ。 原作者の出身地と劇中設定、及び撮影場所はウクライナとのことで、原作を読むと劇中の神学校は現在の首都(※注)にあったことになっている。ちなみに神学校の課程は(文法級・)修辞級・哲学級・神学級の順番で進級していく形だったらしい。 主人公が自分はコサックだと言って強がっていたが、原作を読むと村人もみな実際にコサックの民だったようである。村の有力者は役名が「ソートニク」(Sotnik / Сотник、百人隊長または百人長)だが、これはコサックの地区単位の軍指揮官兼行政官のような立場らしい。村人や主人公がいい声で歌ったり踊ったり、また素朴な女声合唱が聞こえたのも地元風ということか。考証的なことはよくわからないが、ウクライナ・コサックということに焦点を当ててご当地色を強く出した映画になっていたのかも知れない。ちなみにヒマワリの花も見えた。 ほか細かい点として酒場のコウノトリ3羽は絵になっていた。また酒場でドアが3つ開いたのは、村人が妖術を使ったのではなく主人公の酩酊状態の表現だったらしい。 ※注:原作和訳「キーエフ」、2022.3.31日本政府発表「キーウ」、ほか「キイフ」「キーフ」「キーイフ」「クィイヴ」  全体的には、日本でいえば60年代の大映の妖怪映画のようなものかと個人的には思った。子どもが見れば結構怖いかも知れないが、基本的にユーモラスな作りなので大人なら笑って見ていられる。いきなり黒ネコが何匹も横切るとか、古典的マジック風に祈祷書から鳥が出るといった趣向は好きだ。 全体が1時間強の中に3日3晩を収めるので、毎晩ほとんどすぐ一番鶏が鳴くのがとぼけた感じである。終盤の妖怪大集合もファンタジックで賑やかで楽しめるが、邦題の妖婆と原題のヴィーが別物だったのは意外だった。最初に壁から湧いて出た異形の連中が、最後は壁に入り切れずに伸びていたのは面白い(ミミズが干からびたイメージ)。 ドラマとしては素っ気ない終わり方だったが、こういうとんでもない事件も記録に残るわけでもなく、やがて人々の記憶も不確かになって日常の中に埋もれていくような雰囲気は出ていた。ラストのクラリネットのメロディが、日本でよくある昔話の結句のようにも聞こえる。日頃から強面で不愛想だったソビエト連邦にしては、万人が楽しめる映画を作ってくれたものだと思った。
[DVD(字幕)] 6点(2022-04-02 09:47:33)
139.  戦艦ポチョムキン 《ネタバレ》 
ソビエト連邦の映画である。戦艦の名前は日本人には変に聞こえるが(淀川長治氏も言っていたが)、もとが人名なので変だといっても仕方ない。皇帝エカチェリーナ2世の寵臣としてロシア帝国の南下政策に深く関わった人物なので、黒海艦隊の軍艦にはふさわしい名前かも知れない。 見たのはいわゆるショスタコーヴィチ版のようで、わかる範囲でいえば背景音楽の多くを交響曲第11番から採っていたようだった。これはまさにこのロシア第一革命を描写した曲であり、日本でも知られた「同志は倒れぬ」とか「ワルシャワ労働歌」といった革命歌のメロディが使われているので世代によっては懐かしいかも知れない。ほかに第5番の最初と最後を映画の最初と最後で使っており、途中で第2・3楽章も出ていた。うまく合わせていたとは思うが、場面によっては曲の方に映像を付けたようにも感じられたのは、映画を見る上でかえって邪魔になっていると思うべきか。 ストーリーとしては別に史実に忠実なようでもなく、当時の体制に都合のいい展開を適宜に作った国策映画である。ただし今どき革命の勝利を讃えようとする人々も多くないだろうから、政治色など現代ではほとんど無意味化しているともいえる。この映画では最後をバンザイで盛り上げていたが、歴史的経過としてはこの後まだ続きがあるわけなので、これより上記11番の終わり方が正しいかと思った。なお唐突にユダヤ人に関する台詞(字幕)が出ていたのは、この時期に起きていた反ユダヤの動き(オデッサ・ポグロムなど)と関係あるかと思われる。ここは多民族の集まる都市のためユダヤ人もかなり多かったらしい。  映画史的には先駆的な表現で知られた名画とのことで、有名な階段の動的な映像などには目を引かれる。戦艦が劇場を砲撃した場面では、主砲でなく副砲を撃った、などということばかり見ていて、寝ていたライオンさんがびっくりして起きた場面を見過ごしてしまい、映画の後でネット上の世評を読んで初めてなるほどと思わされた。こういう映画はちゃんと映像を見ていなければ駄目だ(反省)。 ほかに個別の場面では、港で死者の傍らを犬が通り過ぎたり、釣り人の側にネコが控えていたりするのが少し和ませる。全体的に深刻な雰囲気の中で、ヨットの場面の爽やかさは際立っていた。また階段の場面で両足のない男が身軽で逃げ足が速かったのは、走る技能と体力が半端でないようで感心させられた。
[DVD(字幕)] 5点(2022-03-26 09:25:21)
140.  ひまわり(1970) 《ネタバレ》 
2022/2/24撮影の動画で、ウクライナ人の女性がロシア兵に対し、ヒマワリの種をポケットに入れておけ、と言ったのを見てこの映画を思い出した。 実際にヒマワリ畑の映像はウクライナで撮影したとのことだが、しかしこの映画自体はウクライナのことなど全く意識していない。字幕を見る限りは「ロシア」としか言っておらず、映像的にもモスクワ周辺が映っている場面が多かったらしい(ネット上のロケ地紹介記事によれば)。物語の設定上も、主人公の夫が「ドン河」で戦ったのだとすれば、現在のウクライナより東のロシア領の話だったかも知れない。現下のウクライナ情勢を受けて、今こそ見るべき映画として全国各地で上映する動きもあるようだが、ウクライナという国に注目して見ようとするとちょっとずれた印象を受ける恐れがある。ただ最低限「戦争反対!」とはいえそうだ。 ちなみにヒマワリは別にウクライナ原産でもなく、ロシア帝国時代の18世紀?に持ち込まれてから現在のロシアとウクライナに広まったとのことで、現時点でのネット上ではロシアの国花と書かれている記事もある。これをロシアではなくウクライナだけのシンボルとして位置付けるのは不自然であり、両国共通に親しまれている植物と思うのが妥当ではないか。今回の戦乱によって両国のヒマワリが分断され、ウクライナのヒマワリが国際的に公認されてロシアのヒマワリが否定されるとすれば変なことになる。国で分けるのではなく人々の連帯のシンボルにでもなればいいだろうが。  ドラマに関しては、基本的には共感しづらい人物が多く、どうも外国の映画は馴染めないものがあると思わされる。ロシア人妻が可憐に見えたのはよかったが、心が乱れてしまって子どもに当たっていたのはよろしくない。 主人公は冷戦下のソビエト連邦に入ったわけだが、現地のソビエト市民は平和で友好的でそれなりに満ち足りた暮らしをしているように見える。まるで社会主義の成功をアピールするPR映画のようでもあるが、それはそもそも合作映画なので当然としても、もともとイタリアは西側の中でもソビエト連邦と友好的だった関係もあるかとは思った。主人公をヒマワリ畑へ案内した役人は、親切そうに見えて実は監視役だったのではないかと皮肉を書いておく。 なおどうでもいいことだがイタリア語で蚊はzanzare(単数zanzara)というらしい。ロシア語は知らないがНе знаюだけはわかった。
[DVD(字幕)] 5点(2022-03-19 09:57:04)(良:2票)
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