1521. 小さな巨人
「小さな巨人」と言えば、そりゃオロナミンCだろうとか、いやいやミクロマンだろうとか、はたまたグラン浜田だろうとか、色々あるワケですが、忘れちゃいけない、ダスティン・ホフマン。 その彼が、歴史の生き証人として、自分の波乱の人生を語るのですがその内容たるや、なんとも都合よくさまざまな事件や人物に遭遇し、いささか荒唐無稽なのですが、まさにそこに虚構の持つ面白さがあります。そもそも西部劇なんていうのが、すでにこの世に存在しなくなった過去の世界を描く、虚構そのものなんだし、そういう虚構の世界に、真実が宿っていたりもする訳です。 で、この作品の主人公。先住民の仲間になったり、ガンマンになったり、兵士になったり、さまざまな立場に身をおきながら、アメリカの歴史のあちこちにチャッカリ登場する。さらには、出会いがあり、別れがあれば、これまた容易に再会がある。そんな偶然あるかよ、というような再会を当たり前のように繰り返すのは、まさに「虚構」ならではのご都合主義、しかしこの主人公の男にかかってしまうと要するに、アメリカの歴史も広大な土地も、自分の庭みたいなもんなんでしょうな。 で、この超越的な、しかし小さな男は、さまざまな立場に身を置くが故にはっきりした居場所をもたず、いやアメリカそのものが自分の居場所である、というのが彼の立場なんでしょう、だからこそ、大地に根差した生活を送る先住民の立場に比較的近く、また彼の目を通して描かれるこの作品は、白人社会へ批判的な視点を持つことになりますが、それでも何とも言えないおおらかさが作品を貫いていて、大きな魅力となっています。 もし現在の視点で本作を観るならば、(作中でわずかなセリフでしか語られなかった)黒人の歴史ももうちょっと織り込んでほしい、ということになっちゃうのかも知れませんが・・・。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2016-04-03 11:25:56) |
1522. ハミングバード
《ネタバレ》 そりゃあジェイソン・ステイサム主演で多少のアクションは見せてくれるけれど、これはもうアクション映画というよりはラブロマンスでしょう、それもトコトン不器用な男とトコトン不器用な女の、不器用極まるが故になんとも愛おしい恋愛。男には居場所がない、彼のアフガンにおける過去ゆえ、法律的にも、精神的にも、居場所が無い。そんな彼が見つけた唯一の居場所。それは他人の留守中のアパートであり、裏社会であり、報われることのない「修道女への恋」だったりする。そして修道女の方も、彼女の過去ゆえ、望む望まぬに関わらず、今のこの立場に身を置くしかない。男の愛情表現が、少しタイガーマスクの伊達直人なんかも思い起こさせたりして。 男はある少女のため、復讐に立ち上がろうとする。しかしその復讐という行為は、彼の過去の傷そのものでもあるんですな。 女には修道女としての毎日しかない。彼女にとっての唯一の非日常は、憧れのバレリーナ。そのバレリーナもついに引退を迎えている。 そんな女と、そんな男の、地味~な恋愛。だけど、こんな恋愛にこそ、ハラハラさせられるもんです。 男にとっての「復讐」、女にとっての「バレリーナの引退公演」は、それぞれにとっての過去の総決算でもあるんでしょう。その大事な夜を、二人はそれぞれに過ごし、そして出会う。その出会いは一見、なんということもないんだけど、彼らの前を公演を終えたバレリーナが去っていったとき(女がバレリーナではなく男と並んでいることを選んだとき)、ああ、きっとこれでよかったんだろう、と。 ハッピーエンドというのではないけれど(むしろ一見、真逆だけど)、なんだか少し安堵感を感じさせる、ラストでした。 いい映画でした。 [DVD(字幕)] 8点(2016-04-02 18:20:30)(良:1票) |
1523. マクベイン
かつてベトナム戦争での勇者であったオッサンたちが(とは言え冒頭のベトナム戦争のシーンからすでにオッサンなのですが)、今度はコロンビアにおける革命のために集結し立ち上がる。さすがは巨匠グリッケンハウス、などと我々を感心させることなど全く無いこのテキトーさが、まさにグリッケンハウスらしさ。さすがです(笑)。 いやホントに適当で、今となってはまるでフツーのオッサンたちが集まったかと思うと、唐突にヤクの売人を襲撃し始め(革命に参加するための資金集めらしい)、と思ったら唐突に出発準備が整って、コロンビアへと出発している。実に無駄のない展開。無駄以外にもいろいろ欠落しているような気もしますが。 派手だけど安そうなアクションが満載。どのように派手でどのように安そうなのかは観てのお楽しみ。ですが、いずれにしてもこの緊張感の無さ、これだけ緊張感無く戦えるのだから、このオッサンたち、最強だな、とは思います。 安そうなアクションとは言え、要所要所では、落下シーンなどでアクロバットなスタントが光る。やっぱり、さすがはグリッケンハウス、なのでした。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2016-03-30 20:58:13) |
1524. 第三の男
この映画音楽と、シュトラウス2世の「ウィーンの森の物語」が無かったら、ツィターなんていう楽器、名前も知らなかったかもね。で、久しぶりに『第三の男』を観て、この音楽を聴くと、つい口ずさみたくなり、何となくビールが飲みたくなってくる。でもこの音楽が何のビールのCMで流れていたのかは忘れたので、とりあえず両方を合わせて「第三のビール」を飲むことにする。何のこっちゃ。いや、好きですよ、ヱビスビール。 本作、内容的にはミステリー。友人ハリーからの手紙を受けてウィーンにやってきた作家ホリー(この名前が似ている点も、後の展開で描かれる三角関係にうまく織り込まれる)、しかし到着早々、ハリーが事故死したことを告げられる。だが、何やら曰くのありそうなヒトから無さそうなヒトまで、様々な登場人物が、その事故のウラに何かありそうなニオイを漂わせる。事故の現場にいたという3人の男、うち2人は判明しているが、では3番目の男は誰なのか。 前半に提示される謎に対して、その謎解き自体は比較的アッサリと行われますが、作品のもう一つの見どころはウィーンの街における追跡劇で、後半における大きな見せ場ともなっています。作品自体がウィーンの名所案内(表も裏も)みたいな要素もあって、表がプラーター公園なら、裏は下水道といったところか。さらに時代を反映して戦争による破壊の跡も残っていたりして。そういうちょっと迷宮じみた夜のウィーンに、追うものと追われるものの影が交錯する。 この映画、画面が頻繁に傾けられて、これも不安で落ち着かない感じを醸し出してます。いや実際、あまり頻繁にカメラ傾け過ぎなのかも知れませんけれど(笑)、ふとしたとき(ハリーが、「ある男」を追いかけて、見失った瞬間など)、傾いていない画面がかえってどこか、取りつく島のない感じを出していたりも。 という訳で、やっぱり面白いですねえ、この映画。オーソン・ウェルズの斜め前向きのワルそうな表情も、有名なラストシーンも、いいんですけど、最高の名演は、あのネコちゃんということで。 [CS・衛星(字幕)] 10点(2016-03-27 08:47:25) |
1525. 天国から来たチャンピオン
まさに運命のいたずら、間違って寿命前に天国へ運ばれそうになったアメフト選手の魂が、元の体に戻り損ね、その代わり折よく(?)殺された大富豪の体に入り込んで一騒動。天使のお偉いさんであるジェームズ・メイソンが、何やら言いたそうな顔をしながらボケっと突っ立ってて、役に立たないことこの上ない。おたくの管理が悪いもんだから、人間の運命をトコトンまで狂わせてしまってどうするのよ、と言いたくもなります。で、その彼が、ようやくラスト近くの試合の場面でマトモなセリフをのたまうのですが、いやいやマトモどころか。この狂いまくってしまった運命を含めた一切合財を「それが、運命、だったんです!!」と言い切ってしまうムチャクチャさ。いや~、ホント、実に強引で、実にシャレてます。おいおい今までの展開は何だったんだよ、ってそりゃすべて、ちょっと切ないようでちょっとハッピーな感じのこのシャレたラストを導くための、運命、だったのですな。 とまあ、物語はよくできてると思うのですが、すみません、この映画、昔からあまり好きになれない。さて何でだろう。ジェームズ・メイソンがこれ見よがしに突っ立ってる、その芸の無さか(いや突っ立ってる事自体が重要なのかも知れないけれど、でも観ててさほど面白くない)。それとも、物語の中心が大富豪の邸宅の中に限られる変化の無さか。 それとも、主演のウォーレン・ビーティ、いやベイティと言うんですかね、彼の、やたら涼しい顔した臆面の無い演技のせいか。赤の他人の体を突然乗っ取ったことでその他人を演じる苦労、みたいなものも無いし、それでも発生してしまう行き違いからの混乱もない。周囲の人々は確かに面食らってはいるらしいけれど、そもそも彼らには、主人公の姿が生前の大富豪の姿に見えているらしいのだけど、具体的にどう見えているのか、よくわからない。いや多分それ自体が悪い訳じゃなくて、それをどう可笑しさにつなげられるか、なんだろうけど、どうもこのベイティの余裕綽々の涼しい顔を観てると、もうちょっとガンバレよ、と言いたくなっちゃう(笑)。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2016-03-24 23:29:32) |
1526. バベットの晩餐会
《ネタバレ》 ケチな人生を送っている私のような者には、「高級料理」というものがナントモ恐ろしく感じられてくる作品。そう、あの村人たちみたいに、「なんか知らんけど美味しかったな」とつぶやいて帰るのが花。値段を気にしたり、裏で料理人がどんな真剣勝負を演じているかを知ってしまったりしたら、もう、落ち着かないったらありゃしない。 何しろ、食べたら、終わり。 どんなに珍しい素材を、どんなに手間暇かけて料理しても、食べたら、終わり。 という、ナントモ恐ろしい世界というか人生観というかを、詩情たっぷり、ユーモアなんかも交えて、実に魅力的に描いてます。いやホント、これだけのグルメを、観る者をワクワクさせる描き方をしつつも、あんまり食べてみたいとは思わせない点、稀有の映画でしょう(笑)。 ところで本作の音楽、映画の内容に対してやや辛口かなあ、という気もするのですが、担当してるのがデンマークの現代作曲家Nørgårdというヒト(正しく表示できますかね)。名前の読み方は「ノアゴー」でよろしいのですかねえ???10年以上前に買った弦楽合奏のCDに、本作の音楽が一部収録されていたことに、さっき気づいた(笑)。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2016-03-22 22:27:11) |
1527. きっと、うまくいく
大学時代の同級生が10年後に再会する、が、その相手は? という、O・ヘンリの「二十年後」とか松竹新喜劇の「人生双六」みたいな発端(要するに、ハズレなしの鉄板ネタ、というヤツですかね)。学生時代と現在とを全く無理なく演じ分けた役者さんたちが、まずもって見事。というよりむしろ、たった10年後の設定にしては歳食い過ぎてるやろ、というヒトもいるくらいで(笑)、とにかく学生時代のシーンにおけるこの若々しさが、作品を成功に導いております。 作中に散りばめられたエピソードやセリフが、意外な形で伏線になっていき、ここまでうまく伏線回収されると、ちょっと人工的でイヤミな感じがしないでもないですが、ミステリ作品を楽しむような気持ちで観れば(実際、物語にそういう要素も若干あるし)、気持ちよく楽しめるのではないかと。もちろん、それらのエピソードが、回収するためにのみ伏線として存在するのではなく、ちゃんと物語の起伏に繋がっているからこそ、楽しめるワケでして。「誰だって間違うことはあるんだ」という学長の言葉が、結構、感動的だったりします。 ただ、こういう感動を、もう少し巧みに作中に入れ込んでくれれば、なお良かったんだけどな、という側面もありまして。何かと言えば登場人物に涙を浮かべさせて見せる演出、ややマンネリ感もあります。 ところで本作の中に、テストの答案を出すのが遅れて教官に受取りを拒否されるエピソードが出てきますが、コレ、本作のオリジナルではなくって、以前からある有名なもののようですね(早坂隆「世界の日本人ジョーク集」にも載ってます)。 [CS・衛星(吹替)] 7点(2016-03-13 08:17:12) |
1528. ターミネーター:新起動/ジェニシス
連続活劇ならぬ、「不連続活劇」といったところでしょうか。物語は物語で、とりあえずゴチャゴチャと詰め込んだ感じ(我々の意表を突こうとし過ぎてまとまりがなくなっちゃった)、このテの作品と言えば、タイムトラベルものという意味も含めて『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』などを思い出したりもするのですが、盛り上がりの点ではどうしても本作の方が劣ってしまう。ひとつには、物語のゴチャゴチャに加え、アクションもその場その場の単発的なものに終始して、盛り上がりに貢献できていないせいでしょう。まるでアクションシーンのカタログを見せられているような。 開始早々の、未来における戦闘シーンが、派手ではあっても高揚感や緊張感はあまりなく、さらにその後、機械側の最終兵器(?)発動を前にした人類側の延々と続く説明セリフに、ゲンナリしちゃう。この設定を第1作ではストーリー進行に絡めながら巧みに提示していたのではなかったか?⇒⇒⇒しかしこの、無駄と思えた説明セリフ、どうやら、製作側が意図的に仕組んだミスディレクション的なもののようにも思えてきます。あくまで1作目の直前の場面ですよ、と言わんばかりの、一種の「あらため」。⇒⇒⇒要するに本作の存在意義って、ほとんどシュワの“出オチ”のみにあるのではないか、と。 という訳で、もしも本作を、(驚きであれ苦笑であれ)極力楽しんで観ようと思うならば、第1作をもう一度観なおしてからなるべく間をあけずにご覧になるのが、よろしいのではないでしょうか。 [ブルーレイ(字幕)] 5点(2016-03-06 08:12:32) |
1529. 第七の封印
十字軍の騎士が、「お迎え」にやってきた死神に対し、ちょっと待ってくれとばかり、チェスの試合を申し込む。この死神が、登場した瞬間こそ不気味ですが、どうも凄みが無いというか、茶目っ気すら感じちゃう(笑)。コレ、ひとつには、命がけでチェスをやってるハズの騎士が、さほど一生懸命にやっていないというか、どこか斜に構えたようなところがあるもんで。妙な余裕がある。 つまり、「死にたくない」という生への執着から、チェスをやってる訳じゃないんですね。 映画も、このチェスの試合の場面は思い出したように時々挿入される程度で、戦況もよくわからない(何となく、中盤以降は騎士がポカばかりやってるような気もしてくる・・・?)。むしろ、騎士とその従者が出会う様々な人々の模様が描かれる。「生と死」を描く作品なんでしょうが、ウェイトとしては「生」の方が中心、中には狂言自殺という形で「死」を茶化すヤツまで出てくる。心配ご無用、いくら後回しにしたって、「死」は必ず誰にでも訪れるのだから。伝染病の蔓延は、さらに「死」をありふれたものにする。誰もがいずれは経験するという意味では身近な「死」、だけど、先に経験した人はいないという意味では最も不可解な「死」。ただ言えるのは、「生」は多様、しかし「死」んでしまえば、みな同じ。 「生」の多様さを確認すること。それが、「死」の到来までに騎士が(そして我々が)得る最大の収穫、といったところでしょうか。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2016-02-28 08:01:49)(良:1票) |
1530. オーガストウォーズ
冒頭でいきなりぬる~いCG全開、「この映画、大丈夫なの~?」とハラハラしてしまいますが、映画が進むに従い、ちゃんと物語でハラハラさせてくれます。幼いひとり息子を前の夫の実家に預けたママさんが、息子の滞在先付近で紛争が発生したと聞き、必死に息子のもとへ駆けつけようとするオハナシ。乗っているバスが何者かの攻撃を受ける場面や、逃げ込んだ建物が攻撃を受ける場面なんかで、崩壊の過程が結構緻密に描かれていて、こういう描写にやっぱり手に汗握るんですね。凄惨な描写は比較的抑制されていて、でもそれを補うように、登場する数々の戦車が戦場らしい雰囲気をちゃんと作り出していたり。残酷描写に走らず、逆に、少年の夢想を利用してファンタジーを絡めてきたのが、(どの程度、成功していると言えるかはともかく)味付けとしては非常にユニークで、物語のご都合主義的な部分、希望めいた部分も、イヤミを感じさせることなくソレっぽく収めてしまう。 何よりも、この主人公のママさんの奮闘ぶりが、いいんですね。最初は場違いなミニスカート姿だったのが、ヘルメットを被って戦場を切り抜け、最後はたった一人、チョコチョコと走っていく姿、何ともけなげで、いとおしくって。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2016-02-27 17:16:02)(良:1票) |
1531. ソルト
《ネタバレ》 これは面白い。面白くてビックリした。 何しろ、観ている我々が、主人公すらも信用できない。何も信じられない中で、アクションだけがこれでもかと突き進められる。 そしてふとした瞬間、そこに主人公の微妙な表情が織り込まれ、物語に陰影を与える。演技の節約。しかしこれで十分。節約って、素晴らしい。 物語の真相については、あるいはそんなに意外なものではないかも知れないけれど、我々にいくつかの可能性を一度は疑わせることを否定せず、我々を物語に巻き込むことでそれを失念させ、忘れた頃に真相を披露する、ってのはミステリの手法のひとつでしょうし、ましてやその「我々を巻き込む」のがスピーディなアクションなのだから、実に効果的。 実に痛快な作品でした。 [地上波(吹替)] 8点(2016-02-21 09:31:41)(良:1票) |
1532. アルバレス・ケリー
《ネタバレ》 南北戦争下、北軍へ牛の群れを届ける男が、アルバレス・ケリー。冒頭の「あ~るばれ~すけ~り~」という陽気な主題歌が耳から離れず困ってしまいます。で、北軍相手の商売がうまくいってるのかと言えば、人の足元をみたように無茶な注文をつけられて、何だか面白くない。そうこう言ってるうちに、ケリーは今度は南軍にとっつかまって、コチラに協力しろと脅される。 南軍側の大佐がR・ウィドマーク。コワモテの顔に眼帯をつけて凄みを利かせ、ケリーの指を撃ち落とすなどの非道をはたらくのですが、映画自体は別に南軍が悪で北軍が善というスタンスでも何でもなく、それは、中盤に登場する、北軍に協力的でない黒人の冷ややかな態度にも表れています。それはケリーとて同じこと、彼はあくまでカウボーイとしての自分に忠実であり、その仕事に意地を持っている。 しかしその主人公を演じてるのがW・ホールデン。どうも特徴が無いといいますか、優等生的であまり頑固者の感じがしない。もうちょっとアクの強い俳優さんの方が良かったかも??? 途中、南軍から逃げようとするエピソードが、中途半端な感じもする一方で、ある意味この優等生顔に似合っているような気もします。 で、クライマックスは、「食い物の恨みは恐ろしい」ならぬ「食い物が暴れたら恐ろしい」という、牛の群れを暴走させて北軍を蹴散らすダイナミックなアクション。ここで主人公の意地もピークに達し、南軍、北軍にも肩を並べる第3の勢力とも言うべき立ち位置に。そして主人公と南軍大佐との関係もピークへと達して、何かと盛り上がるのでありました。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2016-02-21 08:27:46) |
1533. スター・ウォーズ/フォースの覚醒
まさに「スクリーン所狭し」と繰り広げられる、タイファイターとXウィングのドッグファイト。かつてアクション映画のショットは一体どこまで細切れになっていくのか?なんて思ったこともあるけれど、最近は落ち着きを取り戻してきて、時にはやや長めのショットを織り交ぜつつ、それをうまくCGで彩ったり。 と、迫力の映像に、畳みかけるストーリー、とりあえずは我々をたっぷり楽しませてはくれるのですが・・・。 それにしても、この「旧3部作」に対する、リスペクトというよりはむしろ、過度の気遣い。なんだかなあ。 旧3部作を否定しかねないような要素は微塵も含むまい。なにせあれらの作品は不可侵の殿堂入り。敵も味方も、概ね似たような設定で、デススターそっくりの敵の基地へ、レッド中隊ブルー中隊が攻撃を仕掛ける。特撮技術は当然のことながらはるかに進んでいるけれど、40年近く前の作品のローテクをそのまま本作に取り入れた部分も残してみたり。今回から登場する若い面々は、さすがに元気なところを見せ、いかにもリニューアルされた感じを出す一方で、お馴染みのソロやレイアもたっぷり幅を利かせて、さあ旧作ファンも満足してください、と。 特に、今回は新しい物語の序章に相当するためなのかも知れませんが、敵役がイマイチ貫録無いというか、魅力に乏しくって。いかにも「ダースベイダーほどすごくはありません。やっぱりダースベイダーはすごかった」という感じ。 エピソード1~3は、4~6に縛られることなくルーカスが想像を膨らませていって(例えばエピソード2での都会の描写なんて、本シリーズの中で新鮮でした)、それが行き過ぎて正直、我々がついていけなくなった面があり、またこれらの映画はいささかその空想を「設定」として語り過ぎたキライもあると思うのですが・・・それに比べると、本作、冒険することなく、「ファンの皆さま、ディズニー版ですが違和感なくご覧いただけるように作ってみました」とばかり、ちゃっかりと小さくまとめちゃったようにも感じられて。 本作、確かに面白い。けれどその分、ちょっと、ルーカスが、気の毒にも思えてきたのでした。 [映画館(吹替)] 7点(2016-02-18 20:43:29)(良:2票) |
1534. 決斗!一対三
西部のならず者ウェス・ハーディン自身の自叙伝に基づき、ホントはそんな悪い人じゃなかったんだよ、という、「真説」というか「異聞」というか、そういう体裁。その自叙伝が渡される場面に始まり、自叙伝からハミ出て映画が終わるというメタな構成が、ミソですね。自叙伝の内容には主観によるバイアスがかかっているかも知れないけれど、そんなことはどうでもよくって、自叙伝を書いたことまでを含めた「ある男」の姿を描いた、あくまでそういう作品。 とは言っても、観る限り、作品のメインを占める過去のパートも、(どこまで実際に無法行為に手を染めたかはともかく)特にこの主人公を美化した内容でも無さそうでして、まあ、十分にロクでも無いヤツですね。その主人公を、ロック・ハドソンが演じていると、何だか“ふてぶてしい新入社員”みたい(笑)。 邦題の「決斗!一対三」ですが、中盤で「あわや一対三の決闘になりかけた」というだけです、ハイ。敵のヤラレ役は、ああこのトンガッた顔、リー・ヴァン・クリーフ。『真昼の決闘』に続くヤラレ役。そういやこの「決斗!一対三」という邦題も、『真昼の決闘』を意識してつけられたものなんでしょう、きっと。 という訳で、尺の短い作品ですが、B級な決闘モノではなく、意外に大河なオハナシ。過去における主人公と父親の確執、現在における主人公と息子の関係、といったあたりをしっかり押さえていて、コレだったらもうちょっと長い作品に仕上げてしっかり楽しめたらよかったかな、とも思います。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2016-02-14 08:49:40) |
1535. サン★ロレンツォの夜
戦争は、のどかな田舎の村にも陰を落とす。というより、そののどかな日常の中に、戦争による破壊や死が容赦なく入り込んでくる理不尽さが、本作では描かれています。だから、死は多く描かれようとも、必ずしもその凄惨さを強調するような描かれ方はなされていません。しかし、のどかな畑で隣人のような人々同士が殺し合わねばならない光景、大勢の隣人たちがバタバタと倒れていく光景、もうこれだけで十分過ぎる息苦しさを感じさせます。 しかし、生き残った者がいる限り、日常はまた必ず戻ってくる。どんなにつらい過去があったって、その過去に何がしらの美しさが含まれているならば、決して過去そのものを否定したりはしない、あのジイさんが取り戻した恋心のように。 そして、つらい過去が本当に洗い流せるものかどうかはわからないけれど、一時的にせよ何にせよ、降ってきた雨がつらさを洗い流してくれる。映画では時々「晴天なのに(ホースで降らせた)大雨」ってなシーンがありますが(笑)、本作のこのシーンは間違いなく、「明るい光」と「雨」の両方が必要なシーンでしょう。 ラストの眠っている子供。今の平和がこのまま続いて欲しいという希望と、周りを包む闇の、幽かな不安。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2016-02-14 08:03:09) |
1536. 96時間 リベンジ
まず物語の発端が、前作の敵サイドからの復讐。ってのがまあ、何ともお手軽な設定。わかりやすいけど、その分、物語がどう展開していくんだろう、という期待感が乏しくなります。そして、「復讐なんだから、簡単には殺すまい」という敵の思惑が、結果的に主人公に何かとチャンスを与えてしまうのも、お約束過ぎるお約束。だいたい、さんざん手を焼いた末に宿敵たる主人公をせっかく拉致したにも関わらず、誰もちゃんと見張ってないから逃げられる、ってのが実にヌルい。いや、主人公はどうやったって助からなきゃいけないんだから、そのコト自体は構わないけれど、それにしたって、復讐譚としてぶち上げておきながら、まるで粘着質なところもないし、なんぞサスペンスを盛り上げる工夫って無いもんかねえ。 監督変われど見づらいアクションは前作通り、というか、これはアクション俳優リーアム・ニーソンの限界でもあるのか。 [地上波(吹替)] 6点(2016-02-11 11:00:16)(良:1票) |
1537. ゴーストバスターズ2
1作目でとても喜んだウチの子供たちは、2作目が放送されてりゃ当然観ちゃう訳で、「これ、ツマランよ」と言いつつ私も観る。実に久しぶり。 子供たち、多分、1作目ほどは面白くないと感じつつも、それなりに楽しんでいる様子。ちなみに一番ウケてたのは、タイタニックネタ。完全に別の映画に(しかも本作より後に作られた映画に)救われてますね。 で、やっぱり面白くないっちゃあ、面白くないんですけども。2作目だからって、1作目より「大きなもの」を出さなきゃならんもんでもなし。 でも、何だかコレ、考え過ぎて考え過ぎて、結局どうしようもなくなっちゃった、という枯れた味わいが、なんとなく感じられます。 1作目におけるゴーストバスターズが、穴ぼこから這い上がってきて、拍手喝采を浴びる。カッコよくもないくせに1作目でヒーローになっちゃったから、つまりヒーローになり周りを熱狂させること自体がネタだったから、2作目で目先を変えようと思った途端、もはやヒーローにもなれない。全体的にどこか斜に構えたようになっちゃう。もっと割り切ってヒーローで居続ければ、何作でも作れたかも知れないのに。でもそのおかげで第1作は独特の位置を保ち続けることができ、第2作は第2作で、ちょっとした怪作になっている。もうちょっとハジケることができれば怪作の道を極めることもできたのかも知れないけれど、そういう意味では真面目すぎたのかな、と。『グレムリン』の続編くらいムチャクチャやるのがいいことなのかどうかはともかくとして。 [CS・衛星(吹替)] 5点(2016-02-09 23:09:41) |
1538. 父/パードレ・パドローネ
スパルタ親父のオハナシ。とは言ってもあんまり迫力の無いオヤジさんですが。それに、オヤジさんの出番も必ずしも多くは無いし。あくまで主人公の人生をたどりつつ、でもそこに、オヤジさんの存在というものが、全編にわたって何がしか“引っかかり”になっている。実際、男性なら誰しも、自分が大人になってみると、「あの頃の父親」ってものを、ある種の基準として捉えるというのも変だけど、独特の感慨を持って思い返すもんでしょうし。 過去、自分を束縛してきた父親、父親に束縛されてきた自分の姿を描いた物語ですが、色々と人を食ったユーモラスな描写が楽しく、あまり暗い印象は受けません。まず冒頭、本作の原作者である主人公ご本人が登場し、木の枝から葉を削ぎ落して棒のようなものを作っている。何のためにそんなことをしているのかと思ったら、「父親」役の俳優が現れ、彼にその棒を渡す。原作者が退場し「父親」がその棒を手にドアを開けると、そこは原作者の幼少時の、学校の教室。父が主人公の少年を学校から連れ出し、労働に追い立てるところから、物語は始まります。大人になった主人公が自分の過去を思い返しそれを物語る、という体裁でもあるんでしょうが、同時に、ラストで再び原作者が登場して物語の輪が閉じる印象を出すための準備でもあるだろうし、はたまた、自分を追い立てるための棒を原作者が作り、受け取った父親が「ありがとう」なんて言うのは、父親との「融和」をも少し醸し出しています。 ユーモラスな描写と言えば他にも、映画の中で繰り返されるモチーフみたいなものがあって、羊の乳しぼりとか、音楽へのあこがれだとかが、ひょんな場面、ひょんな形で再登場します。それこそ、かつて近所で発生した撲殺事件までもが、自分と父親とのケンカの場面で引用され、あくまでユーモアで包んで見せる。音楽へのあこがれは、アコーディオンやラジオといった小道具とも繋がってエピソード間をさまざまに関連づけますが、劇中で流れる音楽が(これも小道具のひとつとして)断片的に用いられる印象が強いのに対して、物語が終わりラストのクレジットでは誰にも邪魔されることなくモーツァルトの音楽がよどみなく切々と流れていく(クラリネット協奏曲第2楽章)。映画を締める最高の雰囲気に包まれます。 ・・・それにしても、田舎の子供ってのは、イロイロと、スゴイですな。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2016-02-07 08:03:35) |
1539. 宇宙戦艦ヤマト
中盤の端折り方には、それはもうヒドイものがあるのですが(ほとんどクイズですよこれは。「さてこのシーンはTV版のどの回から引用したものでしょう」)、はたまた、イスカンダルでの場面で森雪の腕に突然包帯が巻かれている理由については、TV版で確認していただくしかないのですが。という訳で、多くをTVからの再編集で(かなり無理やり)再構成した作品ですが、それでもやっぱり、面白い、そしてスバラシイ。 まずは何といっても、立体を意識した、手の込んだアニメーションの描写。映画として十分に楽しめ、と同時に、元はTV向けとしてこれだけのものを作ってたんだなあ、ということにも改めて驚かされます(TV版は、子どもの頃、再放送で何度も観ましたが、それでも今なお新鮮)。 また、冥王星における反射衛星砲の猛攻など、中盤がギタギタに端折られてますが、その分、七色星団の死闘や、ガミラスでの決戦が、たーっぷりと描かれています。軍人顔というよりはスポコン顔のドメル将軍、その彼が仕組んだ恐るべき作戦を、ヤマトはいかにして切り抜けるか。そしてまた、冷徹極まりないドメルがいてこそ、その対照としてデスラーの狂気が浮き彫りになり、ガミラスにおけるデスラーとの戦いが、より恐ろしく、より盛り上がろうというもの(実際、ウチの子供たちと本作を初めて観たとき、当時幼稚園だった娘は、このクライマックスに興奮し過ぎて、波動砲の発射とともにワ~ッと大声で叫んだものです)。 ついでに言うと、今、私が好んでクラシック音楽を聴いているのも、原点はもしかしたらヤマトの音楽にあったのかも知れませぬ。主題歌のメロディが、場面場面に合わせ様々に変容して奏でられる、その面白さは、多くのクラシック音楽に共通したものなのだから。 [DVD(邦画)] 8点(2016-02-03 22:52:03)(良:1票) |
1540. 007/ロシアより愛をこめて
1作目よりはダイナミックなアクションが楽しめて、4作目以降ほどおバカではない点で、第2、第3作あたりが一般的にオススメ、ということになるんでしょうが、この第2作、「おバカではない」と言いながら、スペクターの「ボンド懲らしめ作戦」が何だか回りくどいので、そこが面白いというヒトもいれば、ツマラナイというヒトもいるでしょう(私は、嫌いじゃないです、ハイ)。実際、ボンドをとっとと殺すことを考えてりゃ、何度も何度もチャンスがあったんですけどね。いやはや、チェスの大天才が考えることは、よくわかりません・・・。 ボンドに接近するソ連の美人スパイ。彼女のオバチャン上官は、実はスペクターの手先だったりする。さらにはスペクターの準備した冷酷なる殺し屋も登場、これがロバート・ショウ。って、えーこの人、こんなムキムキだったのか。この殺し屋が周りをウロチョロしてるだけで、何がしたいのかよくわからない、従っていつ何が起こるかわからない、だからイイんですな。 作品前半はイスタンブールが舞台、後のシリーズ作みたいな「適当に世界の名所の光景を織り交ぜてみました、何しろ超大作ですから」っていうんじゃなくって、異国情緒をしっかり漂わせていい雰囲気。そこから西へ向かうオリエント急行、殺し屋も徐々にボンドに接近してくる。いよいよ近づく対決。 ラストはヘリやらモーターボートやらのアクションが、本当に取ってつけたように展開されて、なんかワケわからんけど得した気分。 ってな訳で、オバチャンはやっぱり怖いなあ、と。 じゃなくって、やっぱりこれは、シリーズを代表する作品のひとつでありましょう。 [DVD(字幕)] 8点(2016-01-31 16:08:41) |