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あにやん‍🌈さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2517
性別
ホームページ http://coco.to/author/aniyan_otakoji
自己紹介 レビューを相当サボってしまってるの、単に面倒になっちゃってるからなんですよね。トシのせいか、色々とメンド臭くなっちゃって。
映画自体、コロナ禍以降そんなに見に行かなくなったのだけど、それでも年に70~80本は見てるワケで(でも今年は50本行かないかな?)、レビュー書けよ自分、って思ってる、でもなんか書かない、みたいな。
これからは今までよりも短文でレビューを上げてゆきたいな、と思う次第であります・・・微妙だけど。.

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141.  キャッツ 《ネタバレ》 
 劇団四季版を見たのは今から36年とちょっと前、まだ公演が始まったばかりの頃(グリザベラ役は久野綾希子ね)、ひとつ年上の人とデート。チケット代、ディナー代、パンフレットやグッズ代でひと晩で3万円以上飛んで、当時のアタシには大出費だったわ。   それはともかく、暴言吐いちゃうと元々『キャッツ』ってヘンなハナシなので映画になったってヘンなのは当然ね。  ひたすらエピソードの羅列に終始する舞台版を見た時、映画にするには全体を貫く芯、語り部というか狂言回しになる存在が必要だと思ったの。そしてそれは雌の子猫がいいんじゃない?って。今回の映画版はその通りになっていたので、コレは上手く料理できてるんじゃないかしら?って期待したのだけれど、彼女(とマキャヴィティの行動)以外はかなり舞台版に忠実な映画化になっていて、それゆえにやたらハンパなモノになってしまった感があるわ。   ジェリクルキャッツって何よ? 天上に昇って再生を約束されるって何よ? なんでオールドデュトロノミーがそれを決められるのよ? なんで候補者が基本しょーもない連中ばっかりなのよ? グリザベラがあれだけで全部かっさらっていっちゃうのはなんでよ? 唯一のその名って何よ? ってよく判んないそれらは舞台版そのままよ。っていうか映画版のグリザベラはなんかオドオドし過ぎちゃってて挙動不審で舞台版よりも更にヘンね。  舞台版から大きな大きな変更があったのはアスパラガスとグロールタイガーとの関係性ね。なんでガスがグロールタイガーを倒すのよ?どういうコト?みたいな。グリドルボーンとのデュエットは唯一のラブソングなのに、そこを削っちゃった(っていうか設定自体がおかしなコトになっちゃった)のは残念としか言えないわよ。   そして何より問題は、ネコの姿の表現。不評だった当初バージョンより毛のCGを改善したバージョンだそうだけれど、そんなところが問題じゃなくって。どっちつかずでハンパなのよね。単純にレオタードにネコ耳とシッポだけ付けた、役者さんの顔をきっちり残した状態か、さもなきゃ役者さんにモーションキャプチャーしたフルCGにしちゃうか、どっちかに振りきっちゃえばいいのだけど、半獣半人の『ドクターモローの島』状態になっちゃってて、これじゃクリーチャー映画だわ。   あと、ダンスが重要な作品なのに、カット割り細かくてアップ多くて余計なカットのインサート多くて残念な事に。ダンスシーンではちゃんとダンスを見せてナンボでしょうに。   それでも楽曲は舞台版にほぼ忠実、曲順もほぼ忠実、ってコトで、曲を堪能することだけはできたわ。見たのは字幕版だけど頭の中では四季オリジナルキャストの日本語版で歌ってたわ。曲でワクワクできた、って、でもそれだけかなぁ。しかも映画の役者の人達はみんなあーんまり歌が上手くなかったのよね・・・
[映画館(字幕)] 5点(2020-01-24 20:53:53)(笑:1票) (良:1票)
142.  フォードvsフェラーリ 《ネタバレ》 
 判るわー、ル・マンはしばらく走ってないけれど、ミュルサンヌコーナーでのブレーキングはかなり勇気が試されるわよねー(もちろんゲームでのハナシ)とか、そんなに回転数を上げたいならHONDAのVTECエンジンを使えばいいじゃない、9000回転なんか楽勝よ(登場はこれより25年くらい先のハナシだわ)とか、アホなコト考えながら楽しんでたけれど、でも楽しめたけど色々ひっかかった、みたいな映画だったわ。   まずいちばんひっかかったのがフェラーリがただのマヌケな悪役。あんた、フォードなんてマスタングとフェスティバくらいしか知らないわよ、ってゆーかフェスティバ作ってたのはマツダだわよ、フェラーリなんかテスタロッサとかF40とかF355とかエンツォとか名車いっぱいあるのに、そのフェラーリをバカにしてるの?みたいな。まあ、市販車じゃなくてレースでのハナシだし、フォードも企業としては悪として描かれてたのだけどもね。  でもフェラーリのピットクルーのバカっぷりは、デイモンがいちいちやらかす小賢しいマネ(ストップウォッチとかナットとか)も含めて見ていて決していいキモチはしないわ。  この映画はそういうノイズがいっぱいあって、ストイックなベールと対比させ存在を浮き上がらせるための手段ではあるのだけど、あくまで雑音は雑音なので鬱陶しいのよね。  それは彼を取り巻くもの総て、そう、フォードの姿勢やフェラーリの在り方、デイモンのキャラだけじゃなくて、彼の奥さんや子供の存在にまで及ぶわ。夕暮れの親子のシーンなんて素晴らしい空気感だったりするのだけど、基本は彼の周囲がいちいちしゃしゃり出てきてノイズとなって翻弄されてるの。なんだか気の毒だわ。  そういうゴタゴタしたシーンを置くのなら、一方でもっともっとベールとマシンが対話するシーンに拘りまくって欲しかったわ。  エグゾーストノートとロードノイズに包まれたコクピットで感じる高速の世界、それは音響過剰気味な109二子玉川のIMAXでも満足できるレベルではなくて。彼が独り解放される世界の美しさ、それをキッチリ対比できていたら、って。もっとフェティッシュで良かったと思うの。   CGであり得ない走り方してまーす、って状態ではなくて、キチンと路面を捉えて走行してる画です、って、そういうのはとても良かったのだけど、全体的には「会社の意向」で娯楽映画としての作りを求められてるようなカンジがして、まあ及第点的実話映画でしたわね。
[映画館(字幕)] 6点(2020-01-23 20:11:35)(良:2票)
143.  パラサイト 半地下の家族 《ネタバレ》 
 紛うことなきポン・ジュノ監督作品で、そのあまりのポン・ジュノっぷりに嬉しくなっちゃったりもしたのだけど、さて、アタシは果たしてこれまでポン・ジュノ作品をちゃんとブレずにレビューしてきてたのかいな?って過去作のレビューをチェックしたら、『パラサイト』についてはそのまま過去作品のレビュー読んでもらえばOK、くらいには一貫してたのでひと安心。  とは言え、それだけじゃ不親切なのでちょこちょこっと。   底辺の人々のお話という点で貫かれたポン・ジュノ作品、今回もまたその通りで、上流階級の人々との対比という点では『スノーピアサー』くらいに判りやすい構図を作っているわ。ごちゃごちゃと物で溢れて情報量が多くて、歪み、汚れ、やかましい下の人々の生活と、情報量の少ない、直線と水平で形作られた上の人々の生活。上で情緒を持って降る雨は下に暴力となって流れ込んでゆく。その底辺のやるせなさを、だけどポン・ジュノ監督はいつもの通り、決して美化することなく、コミカルに、そして醜く無様な存在として描くのね。  権力に支配されたシステムの内側での決して勝利のない闘争の滑稽な虚しさ、半地下から地下へと堕ちる父親の到達点、叶うことのない希望。シニカルに描かれた現代社会の縮図。毎回、韓国の今を皮肉るポン・ジュノ監督だけど、日本にも(あの避難所の風景は昨年も何度も見ることになった日本のそれとそっくり)世界にも通じるものなのね。   『グエムル 漢江の怪物』のような家族の姿、『母なる証明』と通じる流れ落ちる水、『殺人の追憶』と共通するラストカット、あちこちにポン・ジュノ印が刻まれている中で、今回は「匂い」がキーになっていて、「匂い」がまるで体内を流れる血を示すようで、その扱い方が上手いと思ったわ。   ちなみに、でもアタシは一家には同情とかしなくて、いちばんキモチを寄せていたのはお金持ちの奥さんね。彼女に訪れた悲劇はあの一家がもたらしたものだけれど、それも結局はシステムの内側に存在していたがゆえ、彼女の魅力的な無邪気さがそれを招いた原因のひとつだとしたら、それは哀しいお話だわ。
[映画館(字幕)] 9点(2020-01-23 20:02:48)(良:3票)
144.  ラストレター(2020) 《ネタバレ》 
 福山雅治がトヨエツに語りかける疑問「あんたは一体何者なんだ?」。  アタシ、トヨエツは「時の悪魔」みたいな存在だと思ったのね。   「この瞬間が永遠に続けばいい」って想い、それを容赦なく奪い、破壊する時の流れ、その残酷さ。トヨエツは変化をもたらすこと=時間を動かすことで総てを変えてしまって。  それに抗えるのは書くこと。時の流れは止められなくても、この世界に記憶を残し、心を残すことで、その瞬間を留めることはできて。  写真も同じ。そして映画も同じ。   映画に永遠の一瞬を刻む岩井俊二ならでは、なのだと思うわ。ビニール傘を差して立つ二人の夏の少女の写真、あそこに岩井俊二という作家と、広瀬すずと森七菜という女優と、この映画の描くテーマと、この映画の在り様そのものと、そして過去と現在と未来を結ぶ「永遠の一瞬」が収まっているのね。
[映画館(邦画)] 9点(2020-01-20 21:34:03)(良:1票)
145.  さよならテレビ 《ネタバレ》 
 東海テレビ局内の人々の姿を追った、ドキュメンタリー・・・?   あの「セシウムさん騒動」を起こした局が、視聴率とスポンサーに縛られる中でジャーナリズムの在り方を問い、理想と現実の狭間で苦悶し・・・という世界かと思いきや、ああ、こいつらちっとも懲りてないわ、テレビ屋って本当にダメな連中のカタマリね、でもそんな中にも希望が持てる存在がいたりするのね、と思ってるそばから更にひっくり返されて、もう本当に絶望的な気分にしてくれる映画ね。  でもそれを当の東海テレビ自体が作っているのだから、それは露悪的で、そして偽悪的で。   わりと最初に提示される「カメラが介在した状態でのドキュメンタリーは本当に現実と言えるの?」ってところから、映画はドキュメンタリーとヤラセの間を漂いながらテレビ局の「リアルな虚像」を見せてゆくのね。そこにはテレビ屋の取材対象に対する思いなんてのはスッポリと欠落しちゃってるし、仕方なさに支配された状態を披露してゆくのはひたすら言い訳がましいわ。そしてテレビなんてそんなモンだと披露するところまでがセットになっていて。   映画は最後にこれがそこまで描かれた以上にヤラセでした、と告白してみせるのね。なによ結局は全てが虚飾なの?って思うのだけど、そんな虚飾だらけのテレビって世界の中にチラリチラリと垣間見える真実と本音、それをどう拾って受け止めて、そしてテレビジャーナリズムってものに何を問えるのか、問うべきなのかを考えることになる、そう、これはあえて悪役を買って出たようなモノ。自分達も出来てない、そして他も出来てない、それが浮き彫りになる現実。テレビジャーナリズムはそのままどんどん駄目になって終わるのか。   この映画の他に、ここのところハマってた『チャンネルはそのまま!』のドラマ版や、テレビ朝日の『報道ステーション』大量派遣切りのニュースなど、自分の中でネタが重なってるのだけれど、中でも最も大きなイガイガになっているのが映画にも描かれた「権力の監視」についてね。現在もうテレビジャーナリズムがその点においてほぼ機能していない状態で、既にテレビジャーナリズムは死を迎えているんじゃないか、っていう状態で。それでいいの? あんたたちはそんなクズとして生きていたいの? ってそれは結局市民の側が黙っていちゃダメなのよね。ダメな連中が自分達から良くなる事はないのでしょうから。
[映画館(邦画)] 8点(2020-01-19 11:18:34)
146.  男はつらいよ お帰り 寅さん 《ネタバレ》 
 アタシにはこれ、ひたすらツラい映画だったわ。   元々寅さんってスクリーンでは一度も見た事がなくて、今回が初めて。父親がテレビで放送されるたびにチャンネルを合わせるのを仕方なく眺めてた程度。あとバス旅行の時にバスのテレビで見たとか、BSでなんとなく途中から見て途中でやめたりとか、特に思い入れは無くて。  でも、映画を見始めた頃からずっと近くに存在していて(松竹系の映画館に行けば予告編は見るワケだし、日テレ年末の恒例番組だった『お正月映画全部見せます』ではお目当ての洋画枠はごくごく短くて、多くを大手邦画会社の目玉映画の紹介に割いてて、そこで毎回寅さんの撮影現場が映し出されていたワケで)、だから寅さんと言えば昭和の映画の記憶、みたいな存在だったのね。   これは、そんな寅さんが久しぶりにスクリーンに帰ってくる映画、だったのかしらねぇ? むしろ本当のタイトルは『さよなら 寅さん』だったんじゃないかしら。寅さんが生きた時代、輝いた時代がかつてあって、満男はそんな過去を回想してゆくけれど、満男の現在、社会の現在、世の中の現実は、寅さんが生きた時代とは遠く離れてしまっていて、それが遠い記憶、思い出として描かれているようなカンジ。映画は、もう寅さんが居ない世界で、今のこのリアルを生きるしかないんだよ、みたいなことを言っているみたいに思えたのよね。  すっかり歳を重ねた人々、回想の中に登場するキラキラ輝いたヒロイン達の、でも多くの、もうこの世に居ない人々。過ぎ去って戻らない時間の、その残酷さ。   映画としては物語がほぼ流れてない(状況と回想ばかりが羅列される状態)のと、満男役の吉岡秀隆が何故かいちいち目をひんむくのでなんかびっくりしてるの?ってのが気になったわ。   泉の存在は今の現実世界を映す鏡のようで、その仕事は国連の難民支援、疎遠な父母は未来の無い状態。寅さんの居ない世界では、そこに奇跡は存在しなくて。まるで寅さんは今や記憶の中のファンタジーでしかないと言っているみたいで、寅さんと共に生きた人々はそろそろ思い出をまとめて、そうでない(もう少し若い)人々はこれから先の厳しい現実を生きてね、みたいに受け取ってしまって。   1974年の大晦日に映画好きになったアタシは45年後の大晦日にこの映画を見たのだけれど、45年前のその日をハッキリ思い出せるだけに(日比谷で映画を見たあと、今はもういないおばあちゃんの、今はもう無い目黒・三田の実家に行って出前ののびたラーメンを食べて)、その時間の重さ、残酷さをこの映画に思い知らされて、結構ショックが大きかったわ。
[映画館(邦画)] 6点(2020-01-04 15:02:01)
147.  羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来
 あえて不満(難癖?)を言うなら、これを見る前日に見た『幸福路のチー』が台湾の色、空気が濃密なくらいに漂っていたのに対して、この映画からは中国!って空気は希薄だったこと。日本のアニメの記号的表現をそのまま使っている状態で(ジト目とか星目とか)、影響の強さが見て取れて。  そして、そこに描かれる現在の中国の風景もイメージの中にある古い中国とは違って、日本となんら変わらない、近代化された世界。   なめらかに、そして激しく動きまくる画、美しい背景画、魅力的なキャラクター、息も付かせない波瀾に富んだ展開。アニメ映画としても日本のアニメと同じフィールドに存在して全く遜色のない、いえ、むしろ脚本や演出に難ありまくりな我が国の数多のアニメを凌駕してしまうような、そんな作品。今の中国っていう国がどんなチカラを持っているのかが、この1本のアニメ映画に刻まれた文化と技術の面から垣間見えるわ。   描画はシンプルだけれど、登場するキャラそれぞれが個性分けされていて、キャラが立っていて魅力的。単純な善と悪の物語ではなくて、それぞれに理由があってその狭間で選択を強いられる小黒が可愛らしくも健気で。   惜しむべきは日本語字幕がシロウトさんが作ったような状態で、小さく細いフォントで文字が読みづらかったり、表示されるタイミングと長さに難アリで読みきる前に消えちゃったり。吹替版が欲しいところね。とは言えオリジナルの声優さん達は十分に魅力的よ。   今や日本は世界に誇れる国じゃなくなっちゃったわ。技術大国も昔のハナシ。そしてお得意のアニメ(アニメーション、ではなく。その括りだと日本は古くから全く諸外国に勝ててないわ)ですらもその地位を脅かされ始めると恐れざるを得ない作品が中国から出てきたのって、なんか象徴的で、日本のクリエイターはちょっと焦った方がいいと思うの。現状、日本のアニメ界で対抗できるの、個人的には山田尚子監督しかいないと思ってるわ。
[映画館(字幕)] 8点(2019-12-26 19:42:43)
148.  屍人荘の殺人 《ネタバレ》 
 浜辺美波が可愛い以外の感想が出てこないわ。原作知らないけど、つまんない映画。   ここからはネタバレ注意ね。   まず、予告編やCMから受ける情報と実際の映画とは大きな違いが2つあって、もはや詐欺みたいなモノね。  1つは3人の探偵&助手がペンションで起こる殺人事件に立ち向かうって印象だけど、実際には1人は早々に退場しちゃうわ。なんていうの、『エグゼクティブ・デシジョン』のセガールっていうか『ディープブルー』のサミュエルみたいなモンね。  もう1つはゾンビものだってこと。ゾンビが跋扈する世界での閉ざされた空間での殺人ミステリーなのよね。ゾンビと何かをブレンドしてみたのはいけれど大して面白くない、って『アナと世界の終わり』みたいね。   で、ゾンビ化してしまうのは誰かが野外フェス会場でウィルスを注射しまくるテロによるものなのだけれど、そこは具体的な説明をしないのよね。犯人の目的とか動機とか一切描写ナシ。解決すらしてないの。つまりゾンビが存在する理由付けのためだけの設定なの。ならば人の手によってゾンビが生まれました、なんて説明も要らないんじゃない? ハンパね。  コメディタッチでワリと寒めなお笑い描写が頻出するのだけれど、根は陰惨だったり悲劇的だったりして、それをお笑いが緩和するというよりもアンバランスな印象を与えてるわ。ラストシーンからエンドロールへ至る部分なんか、お客さんみんな呆然ってカンジよ。なんかそこに救いがあるのかと思ったら、そんな終わり方?みたいな。  ミステリーとしてはそれ成立するの?ってレベルで(何しろゾンビものなので)、なるほど!みたいな推理が見られるワケでもなくて。ハンパに金田一耕助モノのパロディ入れたりするのも意味不明ね。   極端に短いカットの連続やここが見せ場ですよ的なスローモーションも煩わしいばかりで、なんだかしょーもないモノを見せられてる、って口あんぐり。   それでも浜辺美波は可愛かったわ。それだけ。
[映画館(邦画)] 3点(2019-12-24 21:31:05)
149.  ヒックとドラゴン 聖地への冒険 《ネタバレ》 
 既に東京国際映画祭で見ていたのだけれど、レビューは公開を待って吹替版を見てから、ということで。   スクリーンで59回見た(東京国際映画祭で1回増えた)ほどの私の最も好きな映画な1作目に対して、日本では公開されなかった2作目は私的には「無かったコトにしてちょうだい」って状態だったのだけれども、この作品を見たことで2作目はアレで完結した話ではなくて『帝国の逆襲』な『リローデッド』な位置の作品だと自分に納得させるコトができたわ。  前作ではドラゴンがまるで間違った思想に扇動される人々の象徴のように思えてアメリカ的プロパガンダ臭を感じてしまったのだけれど、今回、ドラゴンはあくまで人間とは違うドラゴンという生物ですよ、という視点から物語が作られていて最終的には納得がいったわ。   でも、じゃあ手放しに褒められるかというと難しいわねぇ・・・   とにかく全編ガチャガチャとしていてキレイに流れてない、まとまりに欠ける状態なのよね。ハナシそのものは大したカサがあるワケじゃなくて、隙間をキャラの混乱劇で埋めてる感じ。タフとかスノットとかのウザいエピソードなんか、それ必要?って状態なのよね。それぞれのキャラを大切にしました、ってコトなんでしょうけど、キャラに馴染みがあってこそ、っていうか馴染みあってもウザかったわ。ラフのウザさは良かったけど。  絵もそれに合わせるようにガチャガチャしてるわ。この監督、前作でも感じたけれど作品をキレイにまとめる力に欠けるのかしら。1作目が名作だったのは共同監督だったクリス・サンダース監督のお陰?   それに最終的にどんな結末になるのかなんてポスター見ただけで全部読めちゃったわよ。それはとてもありがちな終わり方だから。最近、アレもアレもアレもアレもこのオチ(他作品のネタバレ回避)。一体どうしちゃったの?ってくらいに横並びでこのオチ。ハリウッドの子供向けジャンル、マンネリ化してるわ。世界中の子供向けコンテンツ作ってる人達、今ならつけこめるわよ。ってフランス・デンマークの『ロング・ウェイ・ノース』や中国の『羅小黒戦記』、台湾の『幸福路のチー』なんか見てると既に始まってるわね。同じところをグルグルしてる日本は現状シンドいかしらね。   一応、完結の感動はあるのだけど、でももっともっと高みに登れたんじゃない?って、そんな気がして仕方ないのよね。
[映画館(吹替)] 6点(2019-12-20 21:42:58)
150.  スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け 《ネタバレ》 
 エピソード4をテアトル東京のシネラマの最前列で見てから41年半よ。そりゃ歳も取るわ・・・   さて、『スター・ウォーズ』っていうコンテンツ全体の太い太い軸から考えるとJJの新三部作って、なんていうかシッポっていうか枝葉っていうか竜頭蛇尾っていうか、結局ここまで見て蛇足感が否めないのよね。オマケで作りました的な。少なくとも初代三部作よりも更に凄いコトになりましたよ、っていう拡がりは感じられないわ。映像こそ凄くなってる(ハズだ)けど。   新三部作、なんかやたら些末事に追われてない? そしてその些末事が映画の本体の殆どを構成しちゃってる。まるでデキの悪いお使いRPGのイベントをこなしてるみたい。あー、また本筋から外れて回り道ぃ~?って何度思ったコトかしら。それも三部作の最初や真ん中でやるならともかく、完結編、しかもこれまでの全『スター・ウォーズ』までひっくるめての完結まで謳ってる作品でまーだやってるものだから、一体何してんのよ?って感じ。  もうどっかんと真正面からガチのぶつかりあいってのを見せて欲しいのだけど、あちこちでちまちまちまちましてるからもっと気持ち良くさせてよ!って思っちゃうのよね。  何度も何度もレイとカイロ・レンが戦うんだけど、しつこいわ。いちいち戦っちゃ離れるを繰り返す『Zガンダム』見てるみたいよ。  クライマックスだってカイロ・レン来るのは見え見えなんだけど、何よ、まだそんなとこウロウロしてんの?とか、援軍バーン!って来るのだって見え見えなんだけど、被害出し過ぎ引っ張り過ぎ、とか、どうも気持ち良さをハズしちゃってくれちゃうのよね。もしかしてJJって王道を描くの、下手?   っていうか、前作にあったフォースやジェダイは血じゃなくて普通の人にも可能性はあるのよ、ってのはドコ行っちゃったのかしら?   全作品リアルタイムな世代なワケだけど、なんか特に感慨は無かったわね。どうせまた色々やるんでしょ?ってね。
[映画館(字幕)] 5点(2019-12-20 20:59:35)(良:3票)
151.  映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ 《ネタバレ》 
 ツイッターで大々的に話題になっているのだけど、ネットでの大騒ぎがこの映画にとって幸福なコトだとは思えないのね。作品への感想・評価が大袈裟過ぎて、ここに登場するキャラたちが持つココロと乖離しまくっちゃってる状態じゃない。「何気ない佳作」くらいがちょうどいいポジションだとは思わない?   映画を見るに当たって身構えてしまったけれど、幼い子供向けだけにワリとシンプルね。前半、絵本の中に入ってバリエーション豊かな展開をする割にはどうにも単調で見てるのが結構キツいわ。キャラ1人1人のドラマを深読みしようと試みたけど、それぞれの成り立ちに背景はありつつも基本みんな仲良し良いコ状態なので特に深い闇を見せてくれるとかいう訳ではなくて(当たり前)。ナレーションで全部説明してくれちゃう映画だし。   後半の展開は感動的に描けていたわ。ただ、こういうほのぼのシンプルなデザインのキャラで怒涛の泣かせの展開に走る点に意外性があるわけで、その設定そのものはありがちと言えばありがちね。   ネットで取り沙汰されてる『攻殻機動隊』とか『ジョーカー』とかって、真面目に受け止めない方がいいわ。アタシ個人の印象として近かったのは『学校の怪談』シリーズね。  尺も短いし、何か凄いモノを期待して見るのは間違いかしらね。っていうか平日昼間の新宿ピカデリー、子供はちょぼちょぼ、大きいお友達で溢れかえってたわよ・・・
[映画館(邦画)] 7点(2019-11-14 19:38:24)(良:1票)
152.  ターミネーター:ニュー・フェイト 《ネタバレ》 
 『ターミネーター』の1の原理主義者で2は要らないと思ってるアタシにとって、『ターミネーター』って1と4だけでいいと思ってるのよね。T2、3、新起動、そしてコレは単なる1の亜種。同じところをひたすらグルグルしてるだけで先に進もうとしてない(3はT2で血迷っちゃった道を元に戻す役割を果たしたって功績がありはしたけど)。それより4の続きを見せてよ、って。   なんか色々言いたいコトはあるんだけど、そうね、いちばんひっかかったのは緊張感の無い画が多過ぎるコト。コレは『ターミネーター』の映像です、なんてとても思えないような腑抜けた画がいっぱいよ。呑気なロードムービーみたいなユルい画だらけ。キャメロンが関わっていながらこんな画しか撮れないってどゆこと?   それにキャメロン独特の似非フェミっぷりね。女は男と同等でいいという、あくまで男基準の女性像。今回は「本物の男」がほぼ物語に絡まないゆえ、女性の映画的に見えつつ、みんな男の代替品みたいな状態でしかないわ。キャメロン毎度のマッチョイズム映画よ。   映像的には更新されつつも(でもそんなにお金かかってるようには見えない程度のスケール感ね)、お話的には旧態依然とした出涸らし状態、もはや『ターミネーター』ってコンテンツからは新鮮な面白さは何も生み出されないのかしら?   キャメロン自身が『ターミネーター』の世界の理論をキチンと定義・理解してない、ってのはT2時点で思ったのだけど、今回コレで更にハッキリしちゃったのが情けないわねぇ・・・
[映画館(字幕)] 4点(2019-11-10 16:05:46)
153.  マレフィセント2 《ネタバレ》 
 あらら。今回マレ様、完全にミシェル姐さんに喰われちゃってるじゃない。娘婿の母親の言動に振り回されて途方に暮れるママ、って状態でなんだか妙に小市民的よ? ひたすら受け身で、映画の途中からは完全にミシェル姐さんに物語を動かしてゆく役割を奪われてしまうという有り様。わりと最初の方で痛いメに遭って以降、クライマックスまでほぼ動かないのはさすがに主役としてダメなんじゃないかしら?  ミシェル姐さんの忠実な部下的存在の悪役姐さんなんか、命令に従ってただ悪いコトをするだけの人で、もう少し魅力的に描けたんじゃないかしらねぇ。   とは言え相変わらずマレ様とディアヴァルのコンビは楽しいし、オーロラ姫は絶えずキラキラと輝いていてキレイだし。クライマックスはもう少し『フラッシュゴードン』テイストを味わわせて貰いたかったケド(鳥人間総突撃シーンはやたら盛り上がりに欠けるわ)。   でもね、ここに今って時代をきっちり反映させているのが最近のディズニーらしくてね。モロにガス室な描写はナチス的だけれども、そこに描かれる民族主義、差別、分断、対立の世界は退行しつつあるこの世界を象徴していて重たい危機感が漂っているのね。  ヴィランズが主役のダークファンタジーという特性を活かしたテーマだと言えるわね。   それにしても3人の妖精の行く末はアレで正解だったのかしらねぇ。なんだかちょっとショックだわ。
[映画館(字幕)] 6点(2019-10-25 21:21:00)(良:1票)
154.  ジョーカー 《ネタバレ》 
 『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディ』が、つまりスコセッシとデ・ニーロが存在しなければ、この映画も“決して”存在し得ない(だからこそのデ・ニーロのあの役柄なワケだし)って考えると、ちょっとひっかかってしまうのが正直なトコロね。この映画は完全オリジナルなモノとして成立してるワケじゃないのよ、アレもコレも影響受けまくっているのよ、っていうのが見えてしまうから。  でも、ダークな寓話として見応えは十分だったわ。この映画をどう見るか、どう解釈するか、それは受け手に委ねられていて、色々と考えを巡らせることができる深さを持っていて。  コレってホントにあのジョーカーのハナシ? ジョーカーって実はこの人ではない他の誰か? っていうかゴッサムシティって存在したの? この世界で本当にバットマンって生まれるの? っていうかもしかして全部作り話? っていうか映画ってそもそも全部作り話だけど・・・みたいな。これってアメコミ映画っていうよりもむしろ『バロン』や『ビッグフィッシュ』『ユージュアル・サスペクツ』に近いかしら。   そこに堕ちる瞬間、ギリギリの境界を越えるその刹那。それは今この世界を生きる人がなんとなく理解できてしまう、甘美な恐怖。アタシはそこへは行かないわ、とは断言できなくて痛いわ。
[映画館(字幕)] 7点(2019-10-25 20:53:00)
155.  天気の子 《ネタバレ》 
 この虚無感はなに?   家出少年と親を亡くした未成年の姉弟。高校生を殴るチンピラ。銃をぶっ放す高校生。未成年だけで入るラブホテル。高校生に銃を向ける刑事と警官。国家権力に反抗して法を犯しまくる登場人物たち。  今のアタシはそういう刺激的な(あざとい)要素を、物語を楽しむためのドラマティックな題材として捉えられる気分じゃないのよね。   「繊細なフリして無神経」ってのはアタシが前から新海誠監督に抱いてる印象。相変わらずだけど今回はそれが腹立たしくもあって。  東京の西側に生まれ育った身からすれば見慣れた風景、それが「だから?」としか映らず。街が見せる「顔」はそこに住む人間からは必ずしも正しいとは思えず、上っ面のイメージとして提示されたモノに苛立ったりもして。   そう、上っ面。なんとなくそれらしい設定や映像やキャラや美術やエピソードや歌が並べられているけれど、その内側に一体何があったのかしら?いや、何かあったのかしら?  数々の類似した映像、エピソードを思い出しつつ(『時かけ』『バケモノ』な細田作品だの『聲の形』だの『サカサマのパテマ』だの『ペンギン・ハイウェイ』だの水没系なアレコレだの、いちいち挙げるのも面倒だわ、ってそうそう、でも忘れちゃいけない、愛という名のエゴが、リアルに描かれた東京を水没を含む壊滅のイメージの世界に誘う『X』も)、それ以上の何かがあった? それらが提示したモノの意味以上のものがあった? っていうか、それらがキチンと有機的に結合して1つの作品として意味を成してた?  『君の名は。』同様、ダラダラ流れる歌の数々と共に、アタシにはコレがなんとなく感覚的に雰囲気的に酔えればいいじゃない程度のものにしか映らなかったのよね。でも『君の名は。』ほどには娯楽映画として楽しいって作品だとは思えないし(かなり殺伐としてるわ)、かと言って、そんなに作家性なんてあったかしら?   愛にできることはまだあると信じたいけれど(特に今は京都アニメーションに対して)、でも、この映画の愛はそもそもなんだったのかしら? アタシ、それすら見失っちゃったわ。
[映画館(邦画)] 4点(2019-07-22 18:24:54)(良:5票)
156.  トイ・ストーリー4 《ネタバレ》 
 『シュガー・ラッシュ:オンライン』のヴァネロペを批判した以上、この作品のウッディもまた批判すべきなのかもしれないわ。   これまでの『トイ・ストーリー』のルールを逸脱した今作。基本中の基本であったおもちゃの持ち主の存在の絶対性を壊して、おもちゃの自由意志で持ち主の選択、また持ち主そのものの有無の選択を可能とするというのは作品世界そのものの破壊にも繋がりかねないわけね。  その選択の肯定のために前作で尊い存在であったハズのボニーを、ウッディを必要としていない雑な性格の少女へと貶めてしまったし(アンディとは扱いが違って、ウッディがいなくなったことをフォローする描写からは目を背けているわ)、そもそも1作目で自分をヒーローだと信じて疑わなかったバズに対しておもちゃであるという現実を諭したそのウッディが、今回の選択をする資格があるのかどうか、ちょっと判らないわ。それはあくまでボニーの選択によるものじゃなくちゃいけなかったんじゃないの?って。見終ってもにょもにょするのよ。   ただ、『シュガラ:オンライン』のヴァネロペは作品自体が前作のルールを無かった事にしているのに対して、ウッディの場合はその選択の直前までは必死に彼の従来通りのアイデンティティを貫いているのね。1作目で現実を悟らせたバズからの言葉によって最後の最後で自由を選択してるの。だからここまで物語を重ねてきた上で、でももう解放されてもいいんだよ、って言われてるようにも思えるし、そしてもう少し残酷に考えれば、もうウッディの役割は終わったとも考えられて。   ここから新たな世界が開ける、のではなくてウッディの到達点というか、終着点。おもちゃの死。それを希望溢れる世界(おもちゃが到達する天国)として描いたというのであるならば、それはそれで納得できちゃうのね。  今回は子供のパーソナルなイマジネーションの世界から遊離したおもちゃの価値とは?っていうのが描かれていたわけで、ウッディとギャビーギャビーの関係を『カーズ:クロスロード』のマックイーンとラミレスの関係的に捉えると、これはウッディの黄昏の物語にも思えて、そう考えるとこれは結構切ないお話なのかしら?と。ならば評価できるのかもしれない、って。   まあ、ここから更に短編だ次回作だとダラダラと続いたとしたら、もう知らないけど。
[映画館(字幕)] 7点(2019-07-14 21:14:32)(良:4票)
157.  新聞記者 《ネタバレ》 
 新聞を読まなくなって10年近く経つわ。ヤクザみたいな勧誘員が洗剤持って売り付けにくる、紙ゴミがたっぷり挟まってくる、中身もゴミみたいな紙の塊にどれだけの価値があるのかしら? アレって必要なモノ?   コレは嘘つき64歳児、安倍晋三の内閣を元にした映画。語られる幾つものエピソードは実際の内閣のやらかしを引用してるのね。こんなん、大手メジャーが作れるワケもない、コレがメジャーな劇場で公開されたのが奇跡のようにも思えるあたりが今って時代ね。   ただ、この映画を見て「今の日本の内閣はクズよね!」って怒りを燃やしちゃうんだけど、ちょっと待った、この映画はあくまでフィクション。現行内閣の姿を模しているだけ。  現実はマスコミはもっとずっとクズだし(NHKとか読売新聞とか産経新聞とか、ただの政府の犬でしかないわ、ってでも受信料はBS込みで払ってるわよ、それは法で定められた義務だから)、この映画に出てくるような気骨ある人たちなんて今のマスコミには居ないわよ・・・ってところはともかくとして、映画はしょせん作り物。そこに真実がある訳じゃない。  何が本当なのか、何がこの国に起きているのか、それは自分の判断に頼るしかないわ。この映画で語られる「自分を信じ、疑え」こそは今の日本人に必要なスキルなのだと思うの。  この国の政府とマスコミはクズだけど、盲信するのも罪ならば、ただ黙って状況を受け入れているのもまた罪。国は国民が創るものなのだから。  映画はその自らの虚構性までをも利用して、現政権のいかがわしさを超越して、国家権力、マスコミが情報をコントロールし、世論を作り、個人の権利、生命を脅かすようなことがあってはならない、国民はそこをキチンと見ていないと国はどんどん悪い道を進む、と普遍的な警鐘を鳴らしているのね。   『サニー 永遠の仲間たち』や『怪しい彼女』でカワイイのにヘン、って独特な個性を見せていたシム・ウンギョン、正直なところ日本語はたどたどしくてツラめ。だけど力強い演技で存在感を示してるわ。日本で彼女に対抗できる目力の持ち主女優ったら杉咲花くらいかしら?   ラストの議事堂前の桃李とウンギョンのシーンは多くを語ってなくて、あれ、多分絶望的なカンジなのでしょうけど、アタシ的にはあえてあそこには希望が描かれてると捉えたいところね。この映画そのものがそれを信じたいと思っているように。  【追記】ツイッターの「♯新聞記者みた」タグに必死にクソリプ送りつけてるクズ達のせいで、逆にどんどんこの映画の意味が出てきちゃうっていう。日本大好きとか(自称)普通の日本人とか美しい日本を取り戻すとか言ってる連中のやってる事、逆効果。
[映画館(邦画)] 8点(2019-07-07 21:48:52)(良:2票)
158.  ダンスウィズミー(2019) 《ネタバレ》 
 『さよならくちびる』おバカバージョン、みたいな映画だったわ。   矢口監督の映画、『ひみつの花園』から『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』までは好きなんだけど『ハッピーフライト』『ロボジー』あたりからあまり楽しめなくなって。   矢口監督の映画につきものな「いい加減な人びと」、それが高校生ならば「おバカねぇ」って笑っていられるのだけど、オトナとして仕事をしている立場で「いい加減な人」だと、とても楽しんで見てはいられなくなって。  そのいい加減さが物語を動かしてゆくって、不安感、不穏な雰囲気を漂わせてしまってストレス抱いちゃう。  今回の映画もそうで。だからまごうことなき矢口監督作品ね。   その上、歌って踊る映画なのだけど、普通のミュージカルがキャラクターの心や気持ちをそのまま歌や踊りで表現しているのに対して、この映画の主人公は意思に反して、不本意ながら歌って踊ってしまうわけ。それって見ていてあまり気持ちイイとは思えないのよね。  その姿を見て笑うというのを意図しているのワケなんだけど、主人公にキモチを移して見ていると、苦痛に思えて。苦痛なミュージカルシーンって、そこまで意図してたのかしらねえ?   『レ・ミゼラブル』のファンティーヌや『アナと雪の女王』のエルサ、最近では実写版『アラジン』のジャスミンの熱唱は決して楽しいキモチを歌ってるワケじゃなくて、苦しみの中で心から湧き出る想いを歌ってる、でも、コレはそれとは意味が全然違うワケで。歌うのは昭和な既成曲ばっかりだしね。  不穏な雰囲気で進む苦痛なミュージカル、うーん・・・   ミュージカルに抵抗がある人こそ楽しめる作品ということなんだけど、ミュージカルに慣れている身からすると(ヅカ好きだし)、ミュージカルの良さってところからは遠く離れた作品、ミュージカルへの入門にはなりそうにないカンジ。  そこを体験したければ素直に現在絶賛上映中の『アラジン』を見なさい、みたいな。   主人公の姓が「鈴木」だとか、嘔吐シーンがあるとか、監督の作品の烙印は登場するけど、そういうのはワリとどうでもいいわ。伏線やエピソードの回収をちゃんとせずにほっぽりっぱなし、投げっぱなしの悪いクセも相変わらずよ。   『旅立ちの島唄』や『グッモーエビアン!』の頃は透明感のある少女だった三吉彩花はすっかり美しいオトナになって、存在感もあって、良い女優さんになったわね。でも監督はこの映画のオーディションまで彼女の存在を知らなかったそうで、他の人の作品って意外と見ないモノなの?   舞台では実績も人気も十分なのに、映画では何故か不毛な日本のミュージカル、残念ながらこれもそのジンクスを破れる映画ではなかったわ。っていうか、監督、ティーチインでは昔からミュージカル好きって言ってたけど、ホント? 群舞は俯瞰で、ダンスは全身を捉えてステップを見せてこそ、なのだけど、そこら辺、ちゃんとしてたって言えるかしら?
[試写会(邦画)] 5点(2019-06-21 20:42:51)
159.  メン・イン・ブラック:インターナショナル 《ネタバレ》 
 『MIB』、元からそーんなには面白いと思ったことがなくて。小ネタは笑えるけれど、物語は単純、みたいな。3作目は時間ネタで物語が多層式になっていたので楽しめた記憶があるけど。   今回はメンバー一新、だけど豪華キャストにも関わらずパッとしないわ。エマ・トンプソン、リーアム兄さんとベテランを配して重厚になって・・・この映画、重厚さって大事? っていうかそのキャスティングがひたすらもったいないだけだわよ。  主役のクリス・ヘムズワースと、テッサ・トンプソンは、精彩を欠きまくり。個性は決して悪くないのに、物語がそれをちっとも活かせていないカンジなのよね。   今回は007のようなスパイものみたいな感じ。追いつ追われつで世界のあちこちを飛び回る・・・でも、それがあんまり『MIB』の個性とは結びついてない、凡庸な展開という印象で、ワクワクしないのよね。  主役2人を引き立てようとするあまりにエイリアンものとしての個性は薄くなって(印象に残るエイリアンって、あのチェスの駒みたいなちびっこだけでしょ?)、だけどその肝心の主役2人も大活躍というわけではないのでパッとせず、じゃあ一体この映画は何をやりたかったの?・・・意味不明。  伏線とか隠された真実とか、ちっとも物語を面白くする要素として機能してなくて(Mが過去に救ったエイリアンとか、Hの過去の恋とか、単に物語を転がすためのやっつけ設定にしか過ぎないわ)、わざわざ新メンバーで『MIB』を復活させた意味が理解出来ない状態。   最近、ちょっと似た感覚を受けたのが『名探偵ピカチュウ』だけど、あれは「ピカチュウ可愛い」だけで成立しちゃう映画だからいいのよね。こちらは「エイリアン可愛い」とか「クリヘム可愛い」とかだけで成立しちゃえないワケで、なかなかシンドい映画。
[映画館(字幕)] 4点(2019-06-17 18:41:54)(良:2票)
160.  町田くんの世界 《ネタバレ》 
 前田あっちゃんのキャラが最高ね。彼女が全編に渡って映画を引っ張ってくれたならば、どんなにか楽しい映画になっていたことか・・・   映画は、前半はとても楽しめたわ。町田くんと接した人びとに訪れる変化の物語は、なんだか心がほわほわして。  だけど、後半になって町田くん自身の物語に移行すると、歯切れの悪い、テンポの悪い状態になってしまって、映画に対する興味も半減してしまった感があって。町田くんってキャラ自体は必ずしもキモチのイイ存在じゃないもの。あくまで彼の行為によって影響を受ける人の姿、っていうのが気持ちいいワケで。  元々、それぞれのキャラの描写が弱い感じだったので、クライマックスのノリは盛り上がるよりもご都合主義的な、それってわざとらしくてちょっと恥ずかしいわ、ってカンジになっちゃって。あの記者というかライター、彼なんかはあそこまで必死になれるほど町田くんとのエピソード重ねてないし。   それに、安易にスマホを悪いモノとして記号的に描くのもどうなのよ?って。今時スマホを悪意の象徴として描くとか、無理あるのよ。今の時代にそこを避けたり排除したりしてそれで通用しないでしょ? そこら辺はちょっともう古い感覚になっちゃってるわよね。古びたシネフィル的思考よ。  モデル青年がプレゼントを棄てる件は最近実際に炎上した動画にピッタリ符合してて、時代を映してる感があったけれど。   オーディションで選ばれたメインの2人はとても良かったわ。脇をベテランな人びとに固めて貰って、初々しい爽やかさを放って。   あと、クライマックスでいきなり「え?」って展開になるんだけど、アタシはその展開そのものよりも、かなり微妙なデジタル合成っぷりにハラハラしちゃって。ぎこちない画が延々と続くので、ミョーな不安感に包まれるハメになっちゃって。観客が合成のクオリティの心配しちゃう、っていうのは邦画独特の残念な特徴よね。洋画だとそういうコトってあんまりないもの。   映画そのものは期待したほどじゃなくて、結論としてはあっちゃん最高!!というところが最大のポイントね。
[映画館(邦画)] 6点(2019-06-11 19:57:37)
080.32%
1220.87%
2421.67%
31234.89%
431912.67%
548419.23%
654521.65%
745518.08%
829811.84%
91827.23%
10391.55%

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