141. 未成仏百物語 AKB48 異界への灯火寺
《ネタバレ》 AKB48メンバー8人が寺の本堂で怪談を語り、最後は住職の読経と皆の焼香で終わる。わざわざ映画館で見るものでもないが、実話の再現ドラマや怪談語り、心霊スポット探訪や有識者?との対談といった多彩な内容でTVの心霊特番のような趣がある。 個人的に関心があったのはAKBよりも実話怪談の映像化という点である。これの原作として売られている怪談集の全21話のうちドラマと語りで5話が採用されており、それぞれ名の知れた怪談作家の作なので実話怪談としての質は確保されている。 以下、メンバー8人がそれぞれ1話を担当する。 〇ドラマ「見逃し」 原作 黒木あるじ 原作本を読んでからだと表面的なレベルで止まって見えるが、これはこれで正解。深入りしなくていい。 〇対談 part1 実在の事故物件を訪ね、その筋の権威である大島てる氏の解説を聞く。ちなみに東京都某区東××にある物件の写真が出るが、ストリートビュー(2020.1月)で見ると現在は改装して外観を一新している。 〇ドラマ「宇宙人」 原作 松村進吉 そもそも宇宙人だと思い込んだ理由が不明。原作では当人が不思議ちゃん的人物だからということで大らかに納得したが、ドラマでは人物像が微妙に違うので単に意味不明になっている。なおヒロミ役の濱崎優姫という人はいい感じ。 〇心霊スポットツアー 毎年恒例の「心霊スポット巡礼ツアー」で知られる三和交通タクシーで八王子市内の2か所を訪ねる。この会社は応援したい。 〇ドラマ「お泊まり」 原作 松村進吉 話を作り過ぎ、教訓は不要。本来は実話とされていたはずのものがこのようにしてウソっぽくなる。 〇対談 part2 part1に引き続き、別の事故物件で大島てる氏が語る。 〇語り「見初められる」 原作 小田イ輔 何の感慨も残さずに終わってしまうが、原作では最後の一言が締めの納得感をもたらしており、逆に怪談作家はそういう点に気を使っていることがわかる。 〇ドラマ「あそぼう」 原作 黒木あるじ 単純化が過ぎる。原作ではもう一段の展開がある(座敷童ではない)。 原作とは別に映画としての独自性を出すのは普通かも知れないが、一つひとつにAKBメンバーのトークで安易な解釈をつけるとか、いい悪いの区別を簡単にしたがるのは、怪異をあるがままに受け入れようとする気構えに欠ける気がする。この企画ならこのやり方で妥当だとしても、原作もこういうものだと思ってもらいたくはない。 ただし、こういう企画自体は実はそれほど嫌いでない。 [インターネット(邦画)] 3点(2022-11-05 10:11:47) |
142. 鬼戦車T-34
《ネタバレ》 最初と最後に無名戦士の慰霊碑が映り、名も知れず死んだ英雄を顕彰する体裁になっている。碑文はロシア語とドイツ語で書いてあるが、ここはベルリン市内に今もある公園のようで(Treptower Park)当時は東ベルリンということになる。東ドイツならソビエト連邦の友邦であるから単純に敵扱いにはできないわけで、劇中のナチスは悪であっても一般庶民は傷つけなかった。 邦題からすると戦車映画だが、主役の戦車は砲撃もしないでただ走り回るだけである。邦題の「鬼戦車」のイメージそのままでもないが、途中いろいろ踏み潰したり突き破りながら爆走したりして、この車体自体が鬼(金棒なし)とはいえる。そういう鬼の所業だけでなく、お花畑の乙女(でもないか)とか、バットマンの像を倒してドイツビールをもらうとかの見せ場も入れており、悲壮感を強調しないユーモラスな作りになっていて、ちょっとした娯楽映画としてはよくできているように見えた。 なお映像的には半地下の窓から広場の戦車を見通す構図が面白かった。 ところで原題は「ひばり」という意味だそうで、どこに鳥がいたかと見返すと、最初と最後に空を映したときに声が聞こえた鳥がそうだったらしい。空高く昇っていく鳥に自由への渇望を重ね合わせたとすれば、世評で「大脱走」(1963米)のソ連版と言われているのも確かにそうかも知れないと思った。 森で若年兵が錯乱していた場面では、ドイツの林業は管理が細かいといいたいのかと思ったがそうでもなく、番号による支配の恐怖を表現していたらしい。自分としてはこれを見て、「収容所群島」で悪名高いソビエト連邦が他国のことなど言えるのか、と皮肉を言いたくなったが、しかしあるいはもしかすると、まさにそのソビエト体制に対する制作側の批判が込められた場面だったのではないか。どこまで勘繰るかにもよるだろうが、映画館での独裁者打倒の場面にも、少し前までソビエト全土を支配していた別の独裁者の姿を重ねていたかも知れず、これは英雄賛美を装った体制批判映画ではないのかと思った。 なおラストの展開について、これが当時の現地の観客にも素直に受け入れられたということは、過酷な抑圧や思想統制が続いた国でも("悪の帝国"ソビエト連邦)人の心が全部悪に染まっていたわけではなく、こういう素朴な良心や基礎的な倫理が一般庶民の中でちゃんと生きていたということだと解する。これからどんな非道がまかり通る社会や世界ができたとしても、せめて自分と自分の周囲ではこういう心を共有していきたい、と多くの人々が思い続けることが、支配と抑圧への最小限の抵抗になるのではと思った。 [DVD(字幕)] 7点(2022-10-29 16:02:48) |
143. 誓いの休暇(1959)
《ネタバレ》 劇中の屋外放送で、ノヴォチェルカッスクとロストフが奪われたと言っていたことからすると1942年(7/27前後)のことである。主人公が訪れたゲオルギエフスクというのが、上記両都市から南東に450kmくらい離れた実在の小都市(コーカサス山脈近く、鉄道駅あり)だとすれば、劇中時点のすぐ後で敵に占領されたとのことなので、終盤で鉄道が爆撃されていたのはその予兆だったことになるか。ちなみにストリートビューで見た限り(最新は2021年)、映像で見えたほど都会的な雰囲気の街ではない。 物語としては戦時中の話だが戦争映画でもなく、戦争という厳しい状況を背景にして人間の情を際立たせた映画に見える。主人公は一応19歳だと言っていたが、偉い将軍に年少者らしい甘えを見せたり、また戦友の妻に「大人は複雑」だと言われたりしていたことで、大人に対する少年の姿を表現した人物像なのだと納得した。 登場人物はいろいろ出て来るが、前半の負傷兵に続く次のエピソード担当のように出たのが変にカワイイ系美女だと思っていたら、この人がいわゆるヒロイン役だったらしい。そう思って見ていたところ、終盤に出た主人公の幼馴染がまた意外に可愛い感じでヒロイン役に劣らない。そうすると少女A×母×少女Bと主人公というのが人間関係の基本構造だったかと思った。 主人公は女性関係には特に積極的でもなかったらしく、今回が異性の心に初めてまともに向き合う機会だったようでもあるが、結局最後は母親が一番大事という形で終わっていた。自己防衛のためにママを引き合いに出しただけ(多分)のヒロインよりもよほどマザコンだったようでもあるが、それはそういう家庭環境だから当然だったのかも知れない。幼馴染はそれをよくわかっていたと見える。 ただ個人的にはその幼馴染が、再会時にずっと後に引いていたのが気の毒だった。この人も、主人公が戦争に取られたことで自分の気持ちに気付かされていたのだろうが、主人公の方は全く気付いていなかったらしいのが切ない。 全体としては主人公の青春映画の印象が強かったが、同時に戦時下の女性に焦点を当てた映画のようでもある。個別の場面では、電報を出そうとした男に怒りをぶつけた係員の顔に泣かされた。また戦友の妻に関して「働きながら帰りを待ってる」と説明されていたのは、男手を取られた家庭の事情があったということではないか。台詞のある人物で唯一、直接に戦争の惨禍で亡くなったウクライナ婦人は痛ましい。 そのほか映像面では、駅で画面の右上隅からヒロインが歩いて来て主人公を呼ぶ場面が印象的だった。 [ブルーレイ(字幕)] 8点(2022-10-29 16:02:46) |
144. ゾンビ・オア・ダイ
《ネタバレ》 長い。無理して全部見たが脱力して眠くなった。 アゼルバイジャンの映画ということ自体が最大の特徴であるにもかかわらず、首都バクーのユニークな曲線ビルとか世界遺産とかが見えるわけでもなくご当地感は出ていない。邦題も無味乾燥なため異国情緒で人目を引く売り方になっていないが、ちなみにゾンビ・オア・ザ・デッドだと両方同じになる。 撮影は一応同国内でしたようで、言語は英語・トルコ語・アゼルバイジャン語とされている(IMDbによる)が、吹替版を見たので誰が英語だったかわからない。映像は現代風だが物語的にはかなり退屈であり、構成要素としては虐殺~脱出の努力~ゾンビという感じだが、原題のアポリアが行き詰まりというような意味とすれば脱出が主体でゾンビは賑やかしの添え物か。 以下、作文が面倒くさいので箇条書き。 ・劇中の武装組織は正体不明、実験していたゾンビ菌もどこから仕入れたのか不明だが、今はこういう勢力も生物化学兵器に手を出しつつあるという国際情勢の反映か。あるいは背後にまた別勢力がいるのか。 ・溝はどう見ても人工のものだが(壁に角がついている)、これと武装組織の関係がないようで存在の必然性が感じられない。虐殺した死体を埋める目的で掘っておいたとかいうなら説明はつくが。 ・主人公が苦悩する場面は取ってつけた感がある。またラストの意外な展開として設定されたらしいものに全く意外感がない。ストーリー上で何かの仕掛けがあったようにも感じられないままストレートに終わる。 ・主人公のオッパイが目立つ。映画としての必要性は別として劇中の状況では目立ちすぎだ。 ・「奴らはおまえの妻を犯し、お前の血を飲むだろう」という台詞があったが妻の血は飲まないのか。男は殺されるもの、女は強姦されるものという固定観念というか社会通念でもあるのか(いわばジェンダーロールとして)。 ・アゼルバイジャンは2020年に隣国と戦争したばかりで、その大義がどうかは別として物騒な国という印象がある。この映画はそれより前だが、見るとやはり物騒な印象でマイナスイメージしかない。この地域の平和を祈念して点数を+1にしておく。 [インターネット(吹替)] 2点(2022-10-15 10:34:20) |
145. ハーモニー・オブ・ザ・デッド
《ネタバレ》 スペイン・ハンガリーの合作映画ということになっている。主要人物としては母親役と後半に出る女性役がスペイン系で、また端役の人々やスタッフなどにはマジャル人っぽい名前も見える(イシュトヴァーンとかゾルターンとか)が、主役級の男2人と子役はなぜかアメリカ人で台詞も英語である。 撮影場所はブダペストと、スペインのVielha, Lleida(カタルーニャ州の山の方)だとエンドロールに出ているが、劇中の場所設定としてはアメリカのような感じで、摩天楼のある大都市の近郊で雪原や雪山が見えたりするので場所感覚が混乱されられる。いろいろ混成状態の国籍不明映画だが、ほか登場人物が唐突に東洋の大国への憧れを語る場面があったりして(陽の昇る方角)、製作資金の出所に媚びたのかと思わせるのが興を削ぐ。とにかく南欧風の雰囲気が期待できる映画ではない(寒々している)。 内容的には、自分が見た範囲でいえばアイアムレジェンドを思わせるが、それほどの映像的な見せ場は当然ない。邦題はゾンビ映画を予想させるが、序盤と終盤にスリリングな場面があるだけで、ほとんどは人間ドラマとして展開する。ストーリーはそれなりにできており、意味は大体わかるが心に染みるものはなく、表面だけさらった感じで正直かなり退屈だった。無線の声とか後半の新たな人物なども形ばかりで半端な存在感しかなく、結果的には単なるアイアムレジェンド劇場公開版の安易な焼き直しに終わったようでもある。 物語で見せようとしていた割にその物語面での充足感がなく、ハリウッド娯楽大作志向の軽薄な印象だったので点数は厳し目につけておく。ちなみに邦題はともかくとして原題(英語)も実態を表現している気はしない。 登場人物としては、中心人物の子役は2002年生まれで当時12歳くらいだろうが、芸達者すぎて小賢しく見えるので好感が持てない。また後半に出た黒髪のクララ・ラゴという人(マドリード出身)は「スターシップ9」(2016)でも見たことがあり、今回も期待していたが役として半端なのは残念だった。役名がWomanとしか書いてなかったので、もしかしてゾンビ役かと思ったがそうでなくてよかった。 [インターネット(字幕)] 3点(2022-10-15 10:34:18) |
146. 便座・オブ・ザ・デッド
《ネタバレ》 日本国内向けの宣伝で、"BENZA OF THE DEAD" と書いてあるのは英題ではなく英語にもなっていないがそれなりに格好がついた題名に見える。本物の英題はニュアンスがよくわからないが、要は主人公が現にいる場所、及び人生の行き詰まりを意味するということかも知れない。または牛馬を入れておく仕切りの意味もあるとすれば、ヘザーという人物が「牝牛」と呼ばれていたこととも符合する。 登場するゾンビは普通のゾンビだが、便所がごった返すほど押し寄せて来る理由は不明である。特徴的だったのはサニタリーボックスの中身を好んでいたことで、個体差もなく全員群がっていたからには今回のゾンビ共通の特性だったらしい。これはレディース用レストルームだからこそ明らかになったことで男便所ならわからなかったはずだ。 またエンドクレジットによると、便所ゾンビの連中にはそれぞれ役柄があったようで、サンタゾンビとかジーザスゾンビは見た通りとして、マーケティングゾンビとか経理ゾンビとか人事ゾンビなどは各々それなりの役柄を演じていたのかどうか(経理っぽいのはいた)。"Bi-curious Zombie" というのはどういう演技をしていたのか探して見た方がいい(見落としたが)。 ほか性的に下品なところは多かったが排泄物は映らない。また映像面では、特に前半はクールな青をベースにして赤がアクセントになる色彩感がよかった。外の廊下は黄色系だったらしい。 ストーリー面では人間ドラマもちゃんとあり、様々な意味で行き詰っていた男が思いがけず励まされて前に踏み出していく物語ができていた。イブの初デートのあと一緒に帰れなかったのは切ないが、25日中には何とか母のもとへ帰りつくのだろうと思った。 コメディとしてそれほど笑うところはなかったが、ネズミ関連の夢オチ2回は嫌いでない。また先月(9/19)葬儀があったばかりなので、女王が便器の中からハローというのは不敬に思われたが、このように国民に親しまれた女王様だったのだろうとは思った(イラストと声が若い)。なおエンドロール最後の免責事項で、登場人物が実在の人物と似ていたとしても偶然だ、としたところで "real persons, living, dead or undead" と書いてあるのはよくある程度の軽いジョークだろうが、存命の人物なら女王も当てはまるかも知れないとして、real undeadというのも該当者がいるのかどうか。 [インターネット(字幕)] 5点(2022-10-15 10:34:17) |
147. 王の願い ハングルの始まり
《ネタバレ》 15世紀に朝鮮国の世宗王が自国語の固有文字を作った話である。冒頭のテロップでフィクションと明示されるので、具体的に誰が何をしたかのレベルで史実と思わない方がいい。 まともに習ったことはないので細かいことはわからないが、劇中の文字製作過程はなかなか興味深い。ゼロから国王が考えたわけでもなく、表音文字の先行例である梵字や大陸諸民族の文字を参考にしたというのは現実味がある。最初に言語自体の音素がどれだけあるかを整理して、次いでそれぞれに当てる字母を考えていたが、点と直線でシンプルに作ることにしたのが記号的な外見の理由になっている。 先に子音が決まった状態では、若い僧とツンデレ宮女のメッセージ交換も子音だけのようだったが、その後に母音をどうするか一生懸命考えて、できた母音と子音を並べて書いた場面ではアルファベットと同じ音素文字の状態らしかった。そこからさらに視認性を高めるため「合字」して現在のような音節文字になり、最終的に「ㅇ」に新たな役割を与えて画竜点睛的な印象を出していた。本当にこういう順序だったかはともかくとして、音の種類で系統立てて作るといったポイントも押さえていたように見える。ただ使用方法として漢字との関係をどう考えたかは説明がなかった。 この文字が公的に使われるようになったのは19世紀末頃とのことだが、その頃すでに一般民衆の間では使われていたとのことで、劇中王が「諺文」という名前に込めた願いはかなえられたことになる。なお字幕で王都の名前が「漢陽」と書かれていたが、現名の서울(ソウル、漢字なし)を発音のまま書けるのも世宗王のおかげということだ。 ところでこの映画では文字製作が仏僧の功績だったことにして、儒教に対する仏教の存在を大きく扱ったように見える。しかしだからといって仏教が全面的に正しいわけでもなく、少なくとも他人様の門前で迷惑なデモンストレーションをして金品をせびるタイプの托鉢は否定的に扱われていたらしい。劇中僧侶が「物乞い」を蔑んでいたのも、自分らがそのように扱われていたことへの強烈な反感があったからと思われる。 しかしその「物乞い」の役をわざわざ外国人にやらせる必然性があったのかは疑問である。特に歴史を扱う場合など、まずは隣の島国を貶めてみせなければ済まない特殊事情でもあるということか。ちなみに映画本来のテーマである文字に関していえば、わが国の仮名文字は劇中文字ほど理屈っぽく作られてはいないが、開音節の言語としては十分に実用的かつ美的な表音文字として9世紀頃にはできていた。 ほか「先代王の約束を守れぬとあらば文明国の名折れ」という台詞は全くその通りで笑った。これは反論できないはずだと思ったら結局適当にごまかされて終わっていたが、筋を通して言うべきことは言う、という態度はこの映画に学ばなければならない。 [インターネット(字幕)] 5点(2022-10-08 10:23:21) |
148. 木浦は港だ
《ネタバレ》 変な題名が気になったので見た。邦題は原題の直訳らしい。 木浦は港だ、といきなり言われると、だから何だ、と言い返したくなるが、これはもともと木浦出身の李蘭影(이난영)という歌手が1942年(昭和17年)に発表した歌の名前のようで、序盤でタクシー運転手が歌っていたのがそうらしい。いわゆる日帝強占期の歌だが別に軍国色もなく、木浦出身者の望郷の思いを素直に歌っている。 映画では、序盤からエイの刺身とタコが名物だとか、ヤクザの町だというのをコメディ調で見せている。その後も多島海風の風景が見えていたり、登場人物の地元へのこだわりが語られたりしてご当地映画の雰囲気を出していた。茶畑・竹林・蓮が見えたのはどこか不明だが、同じ全羅南道の中だと思っておく(宝城郡・潭陽郡・務安郡か)。 ちなみに沈没船の引き揚げの話が出ていたのは、1975年に木浦の近くでお宝満載のまま発見された14世紀の「新安沈船」からの発想と思われる。ほかセウォル号沈没事故も同じく全羅南道だがこの映画より後である(2014年)。 映画としては基本的にコメディで、本気で笑える場面もなくはない。ヤクザ映画だろうが酷薄な雰囲気などもなく、後半からはラブコメ風になるのが意外だったが、終盤になるとアクション場面も若干あって総合的なエンタメ映画の風情がある。最後もそれなりにハッピーエンド感があって悪くなかった。 ただ大衆映画らしく性的に下品な場面も若干あるので子どもには見せられない。また排泄物の関係では、急いで入った便所で便器の蓋が閉じてしまった場面が特に汚いので潔癖な人には向いてないかも知れない。コメディ映画ではとりあえず糞便を映さなくては済まない風潮でもあったということか(今はどうか知らないが)。 その他の関係では、字幕で「ナワバリ」と書いてあるところ(3か所)では、原語の台詞もナワバリと言ったように聞こえた。また刺青がヤクザの証というのは本当かどうかわからないがそういうことになっていた。 [DVD(字幕)] 5点(2022-10-08 10:23:19) |
149. 杉沢村都市伝説 劇場版
《ネタバレ》 乃木坂46のメンバーが主演するホラー映画シリーズ3作の3つ目で、主演は伊藤寧々という人である。「劇場版」とあるが、ほかにOV版とかTV版とか小説版があるわけでもないらしいのは、同シリーズの「死の実況中継 劇場版」「デスブログ 劇場版」と同じである。 シリーズ3作はみな都市伝説を扱っているが、この映画の「杉沢村伝説」は本当にあった都市伝説であり、看板とか鳥居とか岩など結構忠実に見せている。もとの話では青森県にあったとされているが、それをこの映画では「噂で終わった」ことにしていたので別の場所ということになる。ちなみに登場人物が村へ行く途中で見えた看板の「高山・市民の森」は静岡市葵区の山間部にあり、山の斜面に茶畑らしきものが見える場面もあった。近年いわれるオクシズ(奥静岡)での撮影だったかも知れない。 内容的には、ホラーとしての密度はあまり高くない。主人公が村に行くまで全体の半分くらいが経過し、その間に怖さの演出もあるが雰囲気だけである。 村に行ってからの出来事は、もとの都市伝説に「津山事件」(1938)のイメージが含まれているので似た感じになるのは仕方ないとしても、殺人鬼の扮装まで「八つ墓村」(1977)や「丑三つの村」(1983)だったのはどうかと思う。同じく昭和初期の事件が廃村の原因だったという意味かも知れないが、しかし昭和初期にしては民家の柱にエアコンか室内照明のリモコンが取り付けてあったりして、撮影に使ったお宅の様子がそのままなところが見えたりする。屋外でも道がタイル張りだったりカーブミラーがあったりして、この世のものでないはずの村も時代に合わせて変化しているのかと思わせた。基本的に真面目に作ったようではあるが、何かと突っ込みどころの多い映画だった。 なお少しよかったのは女性2人が村へ行く途中の雰囲気で、道の近くに少し険しい山がそびえる風景は異界に踏み込む緊張感を少し出している(送電線は邪魔)。と思ったら交通量の多い道路に行きついたりして、現実との境界が入り組んだ様子を見せていた。 登場人物としては、主演の人は149cmとのことだが、同行した兄の彼女(演・美紀乃)もそれに合わせたのか小柄な人で、この可愛らしい女性2人が馬鹿な男連中のせいで危険に晒されるのが痛々しく見えた。兄がいなくなれば妹の自立が促されるはずとの発言もあったが、優しいお姉さんが一緒にいてくれれば全てうまく行ったのではと思うと少し悲しい。 [インターネット(邦画)] 4点(2022-09-24 09:44:53) |
150. 死の実況中継 劇場版
《ネタバレ》 乃木坂46のメンバーが主演するホラー映画シリーズ3作の1つ目で、主演は能條愛未という人である。「劇場版」とあるが、ほかにOV版とかTV版とか小説版があるわけでもないらしいのは、同シリーズの「デスブログ 劇場版」「杉沢村都市伝説 劇場版」と同じである。 劇中の都市伝説は架空のもののようで、映画の冒頭から主人公(が演じる劇中ホラーの登場人物)が殺されるまでの一連の部分がそうだとすると、①まず人が死ぬ映像を見たことで呪われ、②その後に来たメールのアドレスを開くと「メリーさんの電話」風の展開になる、という順序になる。うち②で本人が普段使う道を何かが走って来る動画付きなのは悪くない。また“あなたの後にいるの”的な演出は少し怖かった。 ただ①②がスムーズに融合しておらず、題名の「死の実況中継」と、別の“赤い服の女”とでもいうべき話を無理に接合したように見える。またラストでこれが別の形で再現され、観客のところにも“赤い服の女”が来るという感じにしたかったようでもあるが、途中のメール受信が省かれていたのが半端な印象だった。動画チャンネルに貼られたリンクをそのままクリックする形ならよかったか。 当方としては気楽に見られる安手のアイドルホラーを期待していたわけだが、ストーリーは意外に面倒くさく作られている。理屈がよくわからないので適当にまとめると、主人公は進学後の新しい友人と先輩のおかげで高校時代の記憶の呪縛から逃れられるかと思ったが、旧友のせいで先輩と友人を失ってしまい(多分)、改めて自分の意志で立ち向かおうとしたにもかかわらず、結局は旧友との「共依存」関係に引き戻されて終わったように見える。呪縛はかえって強まってしまい、主人公が憎んでいた「理不尽」が続いたまま今生も来世も生き続けなければならなくなった、ということか。かなり真面目に作ったようで、同監督の「デスブログ 劇場版」よりはいいかと思ったが、褒めるには微妙な印象の映画だった。 キャストとしては、主人公役のアイドルは悪くない。序盤で錯乱する場面などはいきなり経験不足にも見えたが、登場人物の息を荒くして変な印象になるのはこの監督の特徴のようでもある(前記「デスブログ 劇場版」と「黒蝶の秘密」(2018))。なお劇中の映像サークルの人物像を結構作り込んでいたようだが、申し訳ないが見る側にとっては関心ない(全員まとめてバカ)。 [インターネット(邦画)] 4点(2022-09-24 09:44:46) |
151. スプートニク
《ネタバレ》 ソビエト時代の宇宙開発を扱った映画としては「ガガーリン 世界を変えた108分」(2013)、「サリュート7」(2016)、「スペースウォーカー」(2017)といったものがある。この映画の「スプートニク」は、原義としては旅の道連れといった意味のようだが、世界最初の人工衛星の呼び名でもあり、これも新手の宇宙開発映画なのかとミスリードする意図があったかも知れない。 実際は荒唐無稽なSFモノであって実話系でもないわけだが、それでも日本国内向けの宣伝にある「SFサバイバル・アクション」というよりは、上記の宇宙開発映画の延長上の印象がある。栄光の歴史の暗部を扱ったのがこの映画だ、と断言するほどではないかも知れないが、事故の隠蔽や作られた英雄像など明らかに批判的な姿勢を見せている。 物語としては、浮ついたところのないサスペンス調の展開でじっくり見せる感じになっている。SF的な独創性はあまり感じないが悪くはない。 ドラマ部分のテーマは親子関係ということかも知れない。添い寝するとか玩具を与える場面では、宇宙生物を人間の幼児と似た感じに見せており、このまま成長を続けるとすれば、飛行士は持てるものを子に与えて死んでいく父親のようだともいえる。主人公は自分が孤児だったこともあり、この男を生体兵器の育ての親でなく、孤児院にいる本当の子の父親にしてやりたいと思ったのだろうが、しかし父子の両方を助けるのは無理であり、せめて自分が親代わりになって子を助けようとしたらしい。 結局「皆を助けようとする」主人公の理想が否定された話にも見えるが、それなら何が優先なのかを問う話ともいえる。具体的には宇宙生物か飛行士か孤児院の子かの選択が迫られていたが、さらにいえば体制の維持強化か個人の栄達か、あるいは親子愛が守られる世界のどれが大事なのかということかも知れない。終盤では、ガガーリンが言ったとされる(劇中飛行士も言っていた)“神はいなかった”を否定するかのような台詞も出ていて、これが主人公の進む道を照らしていたと思いたい。 登場人物では、孤児院にいた子どもは役名が「Child in Orphanage」となっていてはっきり誰とは書いてない。子役のVitaliya Kornienko(2010年生まれ)は性別が女子である。 ほか雑談として、英雄は戦車に乗っているもの、と主人公が語っていたが、向こうで英雄といえば戦闘機乗りなどよりT-34戦車とかで爆走するイメージなのかも知れない。また「陸軍元帥ロバート・デュヴァル」とは何の冗談か(TV「将軍アイク」1979か)。日本なら三船敏郎元帥だ。 [インターネット(字幕)] 6点(2022-09-10 09:11:16) |
152. ソイレント・グリーン
《ネタバレ》 原作は読んだことがない。時代設定が2022年とのことで今年中に見るかと思っていた。 設定としては極端な人口増加と環境破壊と貧困化と社会の劣化が生じた世界になっている。現実の2022年に生きている者の感覚からすると、少なくとも先進国では人口を減らす方向のようで今どき人口爆発など考えられないと思ったが、しかし多数の難民・移民の流入などなら実際あっても変でないとはいえる。 劇中世界はいわゆるディストピアだが、「ホーム」にだけは利用者への配慮もあって人道的だった。自分なら色は青にするだろうが(落ち着く色)、その場になれば劇中人物のように暖色を選ぶ気になったりするかも知れないとも思った。楽に死ねる制度があるのは悪くないので劇中人物にも共感できたが、ありきたりな音楽や風景映像が煩わしく感じたので、もっと個人の好みに合った演出を期待したくなる。 そういうことを考えるのは自分がその年齢の方に近くなってきたからだが、しかし最近はより若い層でも生きづらさに疲れて、安楽死の権利に期待する風潮も出てきているように感じている(気のせいならいいが)。現実の2022年では人口の増減というよりも、個人の尊厳をもって生き続けられる社会の維持が課題になっているのではと思った。この点が最も現代に通じる問題提起になっていると感じる。 ほか雑談として、「ソイレントくず」をまとめて売っていたのは実際ありそうで笑った。人工食物の製造現場では特にグロい場面もなく、いきなり乾き物の製品ができていたが、日本人ならすり身にして練り物(蒲鉾など)を作ろうと考えるのではないか(考えないか)。何にせよ共食いはプリオン病が恐ろしいのでやめた方がいいというくらいの感覚が現実世界の人類にはある。 なおエンディングで音楽と風景映像を再現したのは皮肉な感じで結構だった。多幸感が出ている。 [2023/4/1追記] 積極的尊厳死の制度化など当面ないだろうと思っていたが、2022年のうちに邦画「PLAN 75」が公開され、また今年に入ってからはネット上で高齢者の集団自決を促した発言も話題になっていた。これでかえって人々の認知度が高まって、本当にその方向に世の中が動いていくのではと思ったりする。高齢者に限定するとエイジズムだと批判されるだろうが、この映画のようにあくまで自由意思ということにして、対象年齢も拡大しておけば(18歳以上など)世界正義に反しないかも知れない。 一方でこの映画の食物がそのまま実用化されることはないだろうが、食糧危機への対応という面ではすでに昆虫食が注目を集めている。またそれとは別に、人体の処理方法としては「堆肥葬」(Human composting/人間の堆肥化)というのが提案されていて、スウェーデンとアメリカの6州では合法化されているらしい。そのうちに、火葬でCO2を大量に排出する日本人は人類の敵だと指弾される世界になるかも知れない。 映画と現実の2022年は違うところも当然あるが、意外に似た雰囲気が出てきているのはものすごい先見性のある映画だったということか。ディストピアが実現するかどうかに関わらずどうせ自分は先に死ぬので、あとは残った人々の望むようにしてもらって結構だ。 [インターネット(字幕)] 7点(2022-09-03 10:03:15)(良:1票) |
153. サイレント・ランニング
《ネタバレ》 時代は不明だが、アメリカン航空という会社がまだ存続している未来である。 設定としては地上の自然環境が全て失われてしまった世界のようで、これは昔の未来予想画で描かれていたように、地球全体が都市化されて地表が人工物で覆われたイメージと思われる。ただ2022年現在の感覚でいえば、今はやりのSDGsにも関連項目があるからにはそうなることは当面ない。 ファンタジックな印象のあるSFだが、見た目としては特に宇宙船のデザインが秀逸で、90年代に現実化した人工生態系「バイオスフィア2」を思わせる複数のドームが、軸線の周囲に別角度で設置されている(6個を6角形に)のがいい。こういうものは日本には作れない。 なお技術的な設定はわからないがエネルギー源は原子力だったのか。最後に設置した電球はいつまで保つのかと思うが、これは永遠だと思うのが観客に期待された鑑賞態度と思っておく。 主人公の思いとして、当初は自分が「森」を守る使命を負った特別な存在と思っていたが、結局は自分もその他人類と同類でしかないことを思い知らされたのではないか。同僚を死なせた罪悪感からか、苛立ってカートを暴走させて腐葉土?をぶちまけてしまったり、最後は大事な「森」の面倒さえ見なくなって荒らしてしまい、僚船から連絡があった時点では一瞬ほっとしたのではと思ったりする。またDroneと言われていた連中にとってもいい仲間とはいえず、主人公にとっての同僚3人と似たようなものだったかも知れない。そのような不完全な生物に「森」を任せられないというのは本人も自覚していたと思われる。 最終的な決断としては、地球緑化計画が実現不可能ならもう主人公の役目は終わっているが、次善の策として「森」を無期限で保存するために、いわば最後の責務として1号に後を託した形と思われる。主人公は海に流す瓶に例えていたが、本当に地球の生態系が完全に失われる間際になれば、こういう方舟的なものを残そうとする人間がいても変でないとは思った(共感可能)。 なお主人公の最後の行動には、同僚に対する贖罪の意味も当然あったと思われる。こうならなくて済むように、現実の地球では自然との共生に向けた努力が現に行われているわけである。結果的にはラピュタ風の終幕(こっちが先)と、今となっては古臭く聞こえるテーマ曲もけっこう心に染みたので悪い点はつけられない。 [インターネット(字幕)] 6点(2022-09-03 10:03:12) |
154. 吸血怪獣 チュパカブラ
《ネタバレ》 配給会社によればグロテスク・ホラーだそうだ。チュパカブラとは南米で有名なUMAらしい。 原題は「チュパカブラの夜に」であって、午後に始まり翌日の朝で終わるが、その間の一晩に壮絶な殺し合いがあって登場キャラクターがほとんど死滅する。動物の死骸とか緑色の吐瀉物とかシチュー状の血液とか人体損壊とか内臓を焼いて食う(肝臓か)とか汚い・グロい場面が多いので、苦手な人は見ない方がいい。 話としては人間同士が延々と殺し合うだけで怪物は脇役のようでもあり、そこに貧相な殺人鬼まで絡んで来るのでまとまりなく見える。しかし本筋に見える家族間抗争と怪物が全く関係ないわけでもなく、さらに例えば今回帰省した男が、怪物の出現を含めた全ての発端に関わっていたと思うべきではないかという気もしたが、考えるための材料が揃っているかいないかわからないので面倒臭い。実際それほど暇でないので未解明で放棄する。 なおチュパカブラは最初の目撃例が90年代でわりと新しいものらしいが、この映画の時代設定は現代というより近代のように見える。あえて昔の話にした意図もわからないが、昔はこの程度のことはよくあった、という雰囲気は出ていたかも知れない。今はないともいえないだろうが。 その他の事項について、 ・エスニック調のテーマ曲が特徴的だが、軽薄なBGMがうるさいところがある。 ・チュパカブラは昭和の仮面ライダーに出た怪人のようで、着ぐるみの人間が中腰になってケモノらしく見せようとするのが間抜けくさい。 ・唐突に出た殺人鬼は役名が「Velho do Saco」(袋の老人)になっている。これはもともと悪い子を袋に入れてさらって行く怪人のことで、英語でいうブギーマンと同様に、聞き分けのない子を親が脅す際に使う言葉のようだが、それをこの映画では下世話な感じでリアル化してみせたらしい。本筋と関係あったのかはわからない。 ・動物の死骸が目立つ映画だが、エンドロールでは“撮影中に動物を虐待したり怪我をさせたりすることはありませんでした”(Nenhum animal foi maltratado ou ferido durante as filmagens)と書いてあり、本当はどうだったか別として一応気を使ったようには見せている。カエルは殺されなかったので無事かも知れない。 [インターネット(字幕)] 4点(2022-08-27 10:07:07) |
155. 蜂女の実験室
《ネタバレ》 蜂女といえば、わが国では「仮面ライダー」シリーズのキャラクターとして記憶されていてファンもまだ一定数いるだろうが(多分)、それよりこの映画に出たのが人類史上初の蜂女である(多分)。しかし映画としては前年の「蝿男の恐怖」(1958)の二番煎じ的な感じもあり、その後の「蛇女の脅怖」(1966)などと比べても地味ではある。 話としては、社長本人の美貌を売りにしてきた化粧品会社が、社長の容色の衰えとともに業績が落ちて来たため、変な研究者の推すローヤルゼリーのようなものを使って見た目の若返りを図ったが、そのせいで社長が蜂女になってしまって大変だ、というだけの映画である。蜂女の登場場面はそれほどショッキングでもなく、そもそも黒いのでよく見えない。 発想の原点になったローヤルゼリーというものは今もあるだろうが、この映画の直前の1958年にあった出来事で世界的に有名になったようで、後の1966年には日本のTV番組「ウルトラQ」第8話「甘い蜜の恐怖」でも元ネタとして使われていた。この映画ではミツバチではなくスズメバチを使ったのがまずかったことになっているので、通常のローヤルゼリーを悪者にしているわけではない。 登場人物では、美貌の社長は薬を使う前後で容姿にちゃんと差を出していたが、主演の人はこの時点で32歳くらいのようで、会社創業時の若い頃と劇中時点の中間あたりということになる。また電話口で社名を言うのが主な仕事の?爪とぎ女が、「フラットブッシュ区(ブルックリン区の一部)のオランダ系」と言われていたのはニュアンスがわからないが、17世紀にオランダ人がニューヨークに入植した際の移民の子孫ということではあったらしい。ほか個人的には主要人物の社長秘書が愛嬌のある顔でけっこう好きだ。なお劇中研究者が入院した病院の医師役は監督本人とのことで、けっこう見た目のいい男だったのは意外だった。 ちなみに映画自体に関係ないが、今回見たネット配信サービスの字幕には誤記が多い。「それならもっと強力なローヤルゼリーま?」といったあからさまなものは呆れるしかないが、「世紀の発見をお見せてきますよ」などという微妙なのもある。漢字の字体が変なのがまたいかにもという感じだが、文章自体はまともなので、日本人が作った字幕の映像をもとにしてテキスト化を外注したようでもある。世界企業なわけだが日本人が見てチェックする体制がないということか。 [インターネット(字幕)] 4点(2022-08-20 19:27:48) |
156. 4/猫 ねこぶんのよん
《ネタバレ》 「一匹の猫が住みつく、とある駅を利用する市井の人を描く」という条件で若手監督4人が作ったオムニバスである。製作は「埼玉県/SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ」とのことで、前に見た「埼玉家族」(2013)と同様の埼玉映画ということになる。なお「とある駅」とは明らかに西武秩父駅であって、撮影場所も秩父が多かったように見える。 登場する「駅猫」は同時期の映画「猫なんかよんでもこない。」(2015)に出演したのと同じネコとのことだが、結果的にネコ成分は薄いので、ネコ映画としては期待しない方がいい。 【ねこぶんのいち/猫まんま】 突然終わるので困惑する。ここで思い切りよく清算して決別したというだけでは単純なので、次の展開に向けて仕切り直しと仕込みをしたのかと思ったがそうでもなかったか。木南晴夏という人がかなりいい感じに見える。 【ねこぶんのに/ひかりと嘘のはなし】 意味不明で終わってしまう。変な男と話が通じた(物語を一緒に作った)体験をもとにして、自分の人間関係を主体的に構築していく気になった、と思えなくもなかったがそれでわかった気もしない。柴田杏花さんはこの少し前から役者として出ていた人だが、この映画では“いいこと思いついた!”の顔がよかった。ネコは後姿がよかった。 【ねこぶんのさん/一円の神様】 制作目的が不明瞭な終わり方だが、要は母の愛が信じられれば子は育つということ自体を表現したのかも知れない。終盤で母親が逃げるのは、同じ監督の「口裂け女VSカシマさん」(2016)を思わせたが関係ないか。役者としては山田キヌヲ+栞那(かんな、子役)のペアで見せているが、朝倉あきさんはあまり顔の見えない役で残念だった。 【ねこぶんのよん/ホテル菜の花】 結末がありきたりに見える。夫の考えはそれ自体として間違っておらず、「可哀想」とは確かに言い過ぎだが、しかし別にこの映画として正しい結論を決めていたわけでもなく、夫婦が真剣に悩んで納得したことの方が重要だったと思っていいか。ちなみにどうでもいいことだが夫は埼玉りそな銀行にでも勤めているのかと思った(根拠なし)。 時間は全部同じくらいなのでそれぞれ1/4ではある。理解困難なものが多いが雰囲気は悪くない。最終話だけそれらしい結末をつけたのは全体構成上の意図かも知れないが、個人的には菜の花畑の演出が過剰に見えて、前の3つが投げっ放しだったことの方がかえって清々しく感じられた。 [DVD(邦画)] 6点(2022-08-06 09:41:04) |
157. こねこ
《ネタバレ》 ネコだらけの映画である。主人公ネコの子猫らしい動きに和まされ、うちの♂♀もこんなだったかと思い出す。子猫の時期などほんの一瞬なわけだが、しかしそれなりに年を経てもなおその存在自体に愛嬌を感じさせるのがネコというものである。ラストの哀愁漂う場面で、下のネコが上のネコにネコパンチをくらわせていたのは笑った。 劇中時期は12月で、積雪はそれほどないようだが寒さは相当のものだろうと思われる。飼いネコでも昔は家を自由に出入りさせていたのは日本だけではなかったようで、行方不明のネコを呼んで歩くとか張り紙を貼るとかいう行動様式は、日本でいえば「うちのタマ知りませんか」という言葉を思い出す。 劇中ネコが街の人々に厚遇されていたのはネコ映画なので当然としても、やはりネコを愛する人々はどこにでもいるという気にはさせられる。満ち足りた一家でも孤独な男の家でも、それぞれにネコが人の心を和ませるからこそ、ネズミ退治の役目を超えてネコが世界で必要とされているわけである。人がネコ(や犬その他)に対して優しい気持ちを持てるようにするためにも、まずは人間社会の平和が保たれていなければと思わされる。 ネコ以外で特徴的なこととして、クラシカルな背景音楽が流れていると思ったら劇中音楽だったという場面が多かった。夫は音楽家で妻は設計士だったらしい。 ほか人間社会のことに関して、ペルシャ猫につけた「10万」という値段は、たまたま持っていた紙幣2枚で済んだのをみるとそれほど高額でもなかったと思われる。この頃は急激なインフレが起きていたとのことで、1998年には1/1000のデノミが行われている。 また夜に街灯が消えるという父親の発言が否定されていたのは意味不明だったが、これも時代の変化を表現したエピソードだったのか。昔はどうだったか知らないが、現代の大都会では深夜も明かりが絶えることがなく、日頃から早く寝ろと言われている子どもらもちゃんとそれを知っていたというのは、どちらかというと社会の自由化や解放感の表現かも知れない。今の世の中何が起こるかわからないという台詞(字幕)もあったが、世界が変わっていくのは当然として、できればいい方へ変わってもらいたいわけだがそうとも限らない。 [DVD(字幕)] 6点(2022-08-06 09:41:02) |
158. 亡霊怪猫屋敷
《ネタバレ》 ホラー映画というよりは、予告編に書いてある「怪談映画」がふさわしい。個人的感覚としてはそれほど怖いところはなく、ネコもそれほど邪悪な感じではなく、気楽に見られる大衆娯楽映画になっている。 劇中年代としては昭和30年代と20年代、さらに江戸時代(17世紀初めか)の三段階で、時間を遡ってからまた帰って来る。江戸時代がカラーなのは意外感もあったが、ここからがメインの物語だという雰囲気も出していた。現代部分も単純な白黒ではなく、青みをかけた深みのある色調なのがいい。 江戸時代パートは有名な鍋島化け猫騒動をもとにしていたようで、大村藩(実在の藩名)という設定は場所が若干ずれているが、殺された若侍の「竜胆寺」という家名はそれらしさを出している。囲碁の勝負で喧嘩するなどは大人気なく、また飼いネコに向かって末代まで祟れと言い聞かすのは荷が重そうで無理があると思った(そもそも人の話を聞いていたように見えない)が、これは原話からしてこういうものだったらしい。なお壁の死体は有名なエドガー・アラン・ポーだった。 悪役の家老が好色なのはお決まりの設定だろうが、若い腰元はともかく若侍の母親(眉を剃ってお歯黒をつけている)から手籠めにしたのは意外感があった。凌辱場面では刺激的な描写を避けていたようだが、帯を解いて着物を脱がすという定番の展開を別の場面で見せていたのは代替措置のようなものか(?)。化け猫の犠牲者が曲芸のような動きをさせられていたのが目についた。 伝統怪談の部分は当然救いのない感じで終わったが、現代に戻ってまた新たな展開があり、終盤は一気に文明世界の話に戻ったようでほっとさせられる。最後の最後にまた新手のネコが出現したのも悪くない。ちなみに悪気のなさそうな看護師の人がやられ役にならなかったのもよかった。 以下は個人的感想として、300年にもわたる呪い疲れでもうネコも人も成仏を望んでいたところ、子孫が来た機会にやっと供養してもらえて感謝したのではないか。最初のうちは、わざわざこんな屋敷に来て療養するなど意味不明と思っていたが、終わってみればちゃんと療養の効果が上がったらしいのは「猫の恩返し」だったのかも知れない。最終的にはネコ嫌いの人もネコ好きになる映画で大変結構だった。 [DVD(邦画)] 6点(2022-08-06 09:41:00) |
159. 牛首村
《ネタバレ》 「恐怖の村シリーズ第3弾」である。 今回は「坪野鉱泉」と「牛首トンネル」という2つの心霊スポットを取り上げているが、題名のとおり牛首関係の方が中心で、廃ホテルとはエレベータなど“落ちる”場面で本筋とのつながりをつけている。「村」に関しては実在の地区名があるようだが(江戸時代は牛首村)、八坂神社(祇園社)の祭神である牛頭天王に由来するのであれば別に呪われた地名などではない。ほかに牛首つながりとしては“そんな怖い話は誰も聞いたことがない”という「牛の首」説話とか、予言獣「件」(くだん)とかいうネタを出しており、また「七つまでは神のうち」など各種要素を積極的に(やたらに)取り込んでいるのが特徴的ともいえる。 この映画に何かまともなテーマがあるとすれば牛というより双子に関することのようで、昔あった「畜生腹」という言葉と、具体的な動物としての牛を無理やり結び付けた形かと思われる。現代日本で双子を忌み嫌う風潮などはさすがにないだろうが、それでも多胎児家庭は虐待リスクが高まるため支援が必要という声もあり、また世界的にはなぜか多胎児の多い地域があるようで(食物の関係?)、それが人権問題につながっている場所や時代もあったのかも知れないが、そういう社会的な問題提起のようなものがこんな映画に込められているわけもなかろうという気はする。 以上に関して無理にいえば、関連性の曖昧な各種要素を逐次投入して観客を眩惑させておき、最終的に真のテーマに導く意図だったと取れなくもないが、単にまとまりがないだけのようでもある。さらに今回は邦画ホラーらしい怖さも特になく、適度にふざけた部分もないので真面目に見えるが面白味がない、というのが素直な感想だった。 ほか今回は地元PRにも気を使っていたようで、Aクラスの蜃気楼が出た時は実際に魚津市役所がアナウンスするとの噂もある。映像面では魚津駅の大雨が印象的だった。 登場人物に関しては、芋生悠という人が全く可愛くない役だったのは残念だ(本人がよければいいが)。またレギュラー化した突撃ユーチューバーが「オカルト特集第3弾!」と言っていたので、この人が犬鳴村と樹海村から無事に生還できた世界での話かも知れない。せっかくなので、この人のYouTubeチャンネル「アッキーナTV」で定番だった「ハロー!アイムアッキーナ!世界の皆さんこんにちは〜!ども、アキナです!」をフルバージョンでやってもらいたかったがそうでもなかった。同行のミツキちゃん(演・莉子)も愛嬌があって可愛いので、次の機会にまた生き返って出てもらうのもいい。 [インターネット(邦画)] 5点(2022-07-23 09:44:01)(良:2票) |
160. 風鳴村
《ネタバレ》 原題は“風車の大虐殺”だろうが、日本国内向けには邦画ホラーの「恐怖の村シリーズ」を思わせる題名とイメージ画像(顔付き)を作っている。内容としては観光バスツアーに参加した客が殺人鬼に順次惨殺されていく展開になるが、見るからに作り物なので嫌悪を催すほどの残虐さは感じない。腹部から出た腸を胸部に戻そうとするなと劇中の外科医には言いたくなった。 オランダ映画ながら登場人物は外国人ばかりで台詞は英語だが(一部は日本語)、一応オランダらしく風車小屋が出て来て、そこへ行くまでの干拓地の風景も見られるのは有意義だ(チューリップは出ない)。水路沿いに丸い池が2つあって堤防上の道路が迂回していたのは何だったのか知りたい。ちなみにアムステルダムは売春宿の栄える頽廃の都のイメージなので地獄行きの出発地にふさわしい。 一応最後まで飽きずに見ていられる作りだが、風車以外はそれほど特徴的な点もなく、悪くはないが平凡な印象の映画ではあった。よかった点としては、オランダから逃げればいい、と子連れの男が言ったのがちょっと意表をついた発想で、これは本人が隠していたものが図らずも外部にはみ出てしまったことの表現として効果的だった。 ほか背景設定には不明な点が多いが、個人的に興味深かったのは悪魔と契約した男が、「風のない日も風車が回るよう」にして財を成したが周辺住民に殺されたという昔話だった。ここで風車はオランダ独自要素としても、同様の話はヨーロッパの別の場所にも伝わっているとのことだったが、日本でも憑物筋と言われたのは地域社会で富裕な家系だったという説もあり、それと似たようなものとすれば悪魔というより周辺住民の妬み嫉みがもとになった話とも考えられる。この辺は意外に邦画「犬鳴村」にも通じるところがある。 また拙い日本語を話す変な東洋人は日本語だったからには日本人と思うしかないが、この男が真言を唱えただけで悪霊が退散したのは、東洋の神秘的な力が欧州では無敵だというようで感心させられた。どうせこんなのは二番目くらいで無惨に死ぬだろうと思っていたらそうでもなく、祖母との関係性や終盤の行動を見ると、わりと肯定的に扱われた登場人物だったらしい(子ども・女性・有色人種を優遇)。最後は日本でいう「ほんとに怖いのは人間」的な結末だったようである。 [インターネット(字幕)] 5点(2022-07-23 09:43:59) |