1761. 沓掛時次郎 遊侠一匹
《ネタバレ》 前半は時次郎と朝吉の物語、男の滑稽な意地が悲劇へと繋がるその一方で、遊女たちの「どこ吹く風」とばかりのバイタリティが印象的。そしてこの前半の物語は、「やるのかやらねえのか」と挑発に対する時次郎の「やりたかねえよ」との言葉と、これを覆し突如爆発する怒りとともに終わります。そして後半は、時次郎とおきぬとの物語ですが、これまた、男の意地が招いた悲劇から幕を開けます。おきぬの夫を斬ってしまった時次郎、夫を斬られたおきぬ。揺れ動く二人の微妙な関係を象徴する「櫛」。ラストは、病魔と闘うおきぬと、彼女のために死地に赴く時次郎、二人の戦いが並行して描かれますが、待ち受けるであろう悲劇を予想させるに充分なここまでの展開があってこそ、このクライマックスは真に息を飲むものとなっています。悲壮感あふれる錦之助アクションを、ご堪能あれ。 [CS・衛星(邦画)] 10点(2014-12-04 20:53:31) |
1762. ララミーから来た男
《ネタバレ》 ジェームズ・スチュアート演じる主人公が、塩湖の塩をとっているだけでリンチに遭い、荷馬車は燃やされるわ、ラバは殺されるわ。というこの理不尽な仕打ちでもう、つかみはOK。しかし彼は単なる運送屋さんかと思いきや、さにあらず。理不尽な仕打ちへの仕返しを企んでいるのではなく、もっと何か目的があるらしい。彼に限らず、登場人物それぞれが、腹に一物といった感じで、何やらハッキリとモノを言わないところがあり、これがドラマを巧みに引っ張っていきます。特徴ある登場人物の描き分けもお見事、中盤、もうこれ以上新たな登場人物は出ないだろうと思っていたら、一番アヤシゲなヤツが登場して、顔を見たらこれまたアヤシゲなジャック・イーラム。うれしくなっちゃう。すぐ退場しちゃうけど(笑)。で、この映画の面白いところ、それは、そういった多彩な登場人物たちの思いとウラハラに、結局は宿命的なものが勝ってしまう、というドラマの流れですね。なかなか皮肉なドラマです。しかし、この皮肉さを完全に無視する形で奇妙なハッピーエンドになっちゃうのは、娯楽西部劇として、しょうがないんですかね???(ヒロインの涙のひとつも、観たかったんですけども) [CS・衛星(字幕)] 8点(2014-12-02 14:09:07) |
1763. 逃亡者(1993)
妻殺しの容疑をかけられ一度は逮捕されながら脱走し、警察の追手をかわしながら真犯人の行方を追う、リチャード・キンブル医師の艱難辛苦の日々。って言ったって、この映画におけるキンブル医師の逃亡生活、その期間はどれほどのものなのか? どのくらいの逃亡期間を設定するのが適当なのか? どのくらいの逃亡期間が適当だと製作者は考えているのか? その辺りの曖昧さが、本作をいささかシマラないものにしている一因かとも思います。苦難の長い歳月を思わせる「何か」があってもよいかと思うのですが……せっかく「この俳優、誰?」というヒゲモジャで登場したキンブル医師、ヒゲをそったらたちまちお馴染みのハリソン・フォード顔になり、そうなりゃもう、後の彼はアクション要員。明日をも知れぬ逃亡生活どころか、犯人追跡の手を容量よく着々と推し進め、ほどよくアクションも絡めてみながら解決へとまっしぐら。もはや、冤罪で捕まって逃亡するために生まれてきたような人、とでもいいますか。製作者が、キンブル医師の逃亡生活にあまり関心が無いんですね。むしろ関心は、彼を追うジェラードの方に注がれていて、登場シーンもやたら多いし、おいしいセリフも彼が殆ど持って行ってしまってる。このジェラードを中心にした作劇、ある程度は成功していると言ってよいのでしょう、確かにハリソン・フォードよりもトミー・リー・ジョーンズの方が強い印象を残します(実際、この映画、何度観ても主人公の印象が薄い)。でもね、このジェラード役、主人公の「好敵手」という位置づけである以上は、こういう微妙なところのあるキャラじゃなくって、もっとエキセントリックなキャラにして、それをボーグナインみたいなアクの強い役者が演じてくれてたらなあ、とも思うのです。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2014-11-27 22:10:56) |
1764. 艦隊を追って
アステア演じる水兵さんは元ダンサーで、元パートナーのジンジャー・ロジャースとばったり再会。彼女のお姉さんはいかにもダサい(というか、マニア向けというか)音楽教師、しかしそれなりの格好をすると(予想通り)美人になって、アステアの同僚が一目ぼれ。で、騒動とも言えぬ他愛のないアレコレが巻き起こる訳ですが、オハナシ自体はあまり飛距離が無く、無難に収束してしまいます。例えば、アステアがロジャースのオーディションを援護射撃しようとして逆にブチ壊しにしちゃうエピソード、もっと引っ張ってもっと盛り上げてもよさそうなもんですが、その場限りのギャグに終わっちゃう。他のエピソードも大体そんな感じ。でもこれはもちろん、ダンスミュージカル。物語に緊張感がない分、物語に束縛されることなく、のびのびと、歌がダンスが、たっぷり繰り広げられて、やっぱり観てるだけでつい顔がほころんできます。さらには澄ました顔でピアノの見事な腕前を披露するアステア(ホントにスゴイんだこれが)。憎いね、このヒト。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2014-11-27 20:47:08) |
1765. 浪花の恋の物語
タイトルだけ聞くと何だか軽くてヌルそうな感じですけれども、実際は文芸調の重みのある作品。悲恋の物語がじっくり描かれていき、じっくり描かれるからこそ、物語が後半の主人公たちが追い込まれてく姿に収束していく時のその絶望的な流れに、格別なものがあります。主人公の行動は、客観的に見ればいたって浅はかでどうしようも無いものではあるのですが、ここではその短絡的で直情的な行動が、絢爛たる花街の完成されきった世界の描写の中で対比的に描かれることにより、その無力さ、果敢なさが浮き彫りとなって我々に迫ってきます。圧倒的な非人情の世界の中に放り込まれた、無力な二人の姿、その世界に抗おうとして敗れ去る二人の姿。そしてその世界と、二人との間に位置する観察者としての近松門左衛門の存在が、またこの映画の物語に厚みを加えています。ラスト、彼によってこの事件が脚色された文楽が上演されている。(あるいは実際の事件の顛末を知ることなく)この舞台上の物語に魅了され感動している観客たちの姿と、実際の事件と自ら脚色した物語との違いを知る近松の最後の表情。彼の表情の奥にある心の慟哭こそがこのシーンの多層性、とも言えるのですが、それにとどまらず、現実の事件に触発されてひとつの作品が作られることそのものの感動もまた、ここにはあります。実話を元にしたなんて言うと、得てして「表面的」とか何とか批難されたりもするのですが、実際の事件を作品でそのまま再現する「リアリティ」が重要なんじゃなくって、それこそ様式化された人形劇へ置き換えちゃったってまるで構わない。実際の事件におけるある感情の一面、それは単なる一面に過ぎなくとも、作品として再構築され普遍化されて、人々の感情へと刻み込まれて永遠化していくということ。その感動ですね。 [CS・衛星(邦画)] 9点(2014-11-26 01:39:21) |
1766. 戦略大作戦
《ネタバレ》 第2次大戦下のフランスを舞台に、精鋭部隊の決死の特殊作戦を描いた映画、と言う訳ではなくって、戦争そっちのけで銀行に眠る金塊の強奪作戦に走ってしまうのがまず、人を食ってます。今、こういう映画を作ると、「ああ、金儲け目当てで戦争する米国を揶揄してるのね」と、イデオロギー的に受け止められるところですが(もし本作にそういう意図があったんなら、大した先見性ですが)、本作の場合、そういうケチ臭い体制批判に走るんじゃなくって、もっと自由で大らかでバカバカしい、お伽噺みたいな方向ですね。ただしそうは言っても、彼らの快進撃に勘違いして舞い上がる将軍のエキセントリックな描写には、いかにも戦争というものをからかった風刺性が見られるし、また戦車を率いるドナルド・サザーランドが、飄々といい味出しつつ、敵軍に対しては、たとえ逃げ惑う相手だろうと殺戮しまくるあたり、ブラックなものがあります。一方、クリント・イーストウッドはこんな内容の映画でも苦虫噛み潰したような表情を見せ、これがユーモラスなんですけれども、同時にまた本作のかなり気合いの入った戦闘シーンにもこの表情が繋がって行ったり。と、なかなか一筋縄ではいかないクセのある作品ですが、中でもクセのあるのが終盤、うーむ、これはどうなんでしょう。マカロニのパロディはちょっと余計かな、という気もしちゃうし、戦わずに終わるなんていうアンチクライマックス、(よりによってイーストウッドが"Auf Wiedersehen"だなんてドイツ語を口走っちゃう画期的なシーンを見せてくれたにしても、あるいは彼らの姿が好戦的な将軍の姿と良い対照をなしているとしても、)やっぱりちょっと肩透かしだなあ、と。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2014-11-17 23:00:22) |
1767. ファーザーズ・デイ/野獣のはらわた
変態猟奇殺人モノ、プラス、バイオレンス復讐モノ、さらに後半は地獄八景亡者戯みたいな展開(だいぶ違うけど)。要するにムチャクチャです。と言えば、ハチャメチャな面白さがあるのかと思うところですが、ただの「ムチャクチャ」なので困ってしまいます。最初は、これはもしや自虐性とダンディズムが一体化したカッチョよい作品なのではないかと期待したのですが、結局、トロマテイストにどこまでも汚染されていってしまって。同性愛とか、サディズムとか、近親相姦とか、さまざまな性の形態を露悪的に並べ立てていくのですが、そういったこと一切がフツーのことに思えてきちゃうくらい、殺戮描写のあまりにキタナイ感じが全編を印象づけてしまってます。・・・まあ、こういう映画を下品とわかって観ていながら「下品だ」と腹立てるのは筋違いというもんですが、しかし、ホントは企画段階では「バカな中にも愛がある」タイプの作品だったんじゃなかろうか、もしやロイド・カウフマンが口出ししてただの「バカ」映画にしてしまったんじゃなかろうか、などと思うと、やっぱり納得いかんのです。 [DVD(字幕)] 4点(2014-11-13 21:02:48) |
1768. やくざ戦争 日本の首領
《ネタバレ》 いくらかなりと実在のモデルに基づいているとは言え、実録モノ風のドギツイ抗争映画ではなくって(そういう要素もあるけど)、かつての任侠の時代から経済ヤクザの時代への移り変わりの中で、取り残されていく昔気質の男の悲哀のようなものが描かれたフィクションです。その男を鶴田浩二が演じているというのも、因縁めいているといいますか。前半はあまり物も言わず静かに佇んでおり、後半、組長代行として活動を開始しますが、もはや彼の時代ではなくなっていて。ひらがなしか書けない鉄砲玉の千葉チャンは組長に見捨てられ、病弱ながら仁義を背負った鶴田浩二にもまた残酷な運命が待ち受け、高橋悦史演じる娘婿の医者に代表されるような、インテリヤクザの時代が予告されて映画が終わります。組長役の佐分利信、声がかすれ気味で凄みに欠ける部分があるのが少し残念ですが、それでも、仁義を重んじる昔気質の面、家庭における父としての面、計算高いドライな面、これらを併せ持った存在感あふれる人物像になっています。そしてまた何と言っても、これでもかと出てくる出てくる個性的な脇役の数々。ヤクザ映画博覧会みたいな楽しさもありますね。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2014-11-09 10:44:06) |
1769. 紳士は金髪がお好き(1953)
マリリン・モンローの赤い赤過ぎる唇。アレは男を取って喰う口です。ジェーン・ラッセルも相当なもんだけど(オリンピック選手団のムキムキ男をみんな喰ってしまいそうな)、いやむしろコチラの方がオソロシゲなんだけれど、ブルネットの彼女よりは、ブロンドのマリリン・モンローの方が、赤い唇のインパクトが強く、福笑いの顔みたいに唇が浮かび上がってます。で、二人が身も蓋も無い内容の歌を歌いまくり踊りまくり、彼女たちの前には現実もひんまがってひれ伏すしかない、まさにハチャメチャミュージカル。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2014-11-09 09:26:36) |
1770. 徳川家康
はい、伝記映画ですね、織田信長のね。中村錦之助演じる織田信長が桶狭間で今川義元を破るまでの物語に対し、サブストーリーとして、松平元信の苦難の幼少期(幼名:竹千代)から岡崎帰還までが描かれる、という趣向。要するにおそらくは何部作かとして徳川家康の生涯を描こうとしたのでしょうけれど、さすがにこの一作では相当に中途半端。でありながら、この一作だけでも充分に楽しめちゃうのは、やはり何と言っても、凝りに凝ったカメラワーク。ロケ撮影では何かと困難が伴うでしょうが、容赦なくカメラを振り回します。ロケで取り入れられた光景の数々も素晴らしくって、贅沢な気分を味わえます。竹千代が連れさられる場面、なんでこんな海岸の妙な場所に渡し船があるのやらよくわからないけれど、そんなことはどうでもよろしい、ドラマチックな場面にはドラマチックな光景が似合うのだから。劇中に何度か登場する“金の折り鶴”が物語の要所を締め、印象的。合戦シーンや剣を合わせる場面は決して多くありませんが、見所の多い作品です。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2014-11-09 08:43:01) |
1771. パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海
ヤッチマイましたね。続編というものが陥りがちなパターン、と言いつつ実際は多くの続編が何とか回避してきたパターンに、堂々と陥ってしまっていて、そりゃ見事なもんです。この「こじんまり纏めてみました」感。1作目がああだったから、2作目はこうでなくてはイケナイとばかりに小さく纏めて、意外性もワクワク感もあったもんじゃない。ライバルらしきものを出してみたり、差別に苦しむ弟を出してみたり。でもそれは「出しただけ」、その存在は物語の繋ぎとして使用されるに過ぎません。あとは通り一遍の、いかにもホドホドな冒険物語。例によって次々に繰り出されるCGは、それなりに金のかかったファンタジー映画をまたも見ちゃったぜ、という気にだけはさせてくれますけれども、勿論、観終わって残るものは何もありません。 [ブルーレイ(吹替)] 3点(2014-11-09 08:11:55) |
1772. スパイダーマン2
要するに、変な実験が行われるたびに変な怪人が一匹生まれちゃう、という趣向なんですかね。一作目は、そういう怪人の登場に加え、そもそものスパイダーマン誕生のオハナシやらピーターの人となりやら、とりあえず最初の作品の特権として埋め草的な紹介エピソードには事欠かないので、ソレなりにソレっぽく映画の尺が埋まったのですが、二作目となると、早くもネタが枯渇気味。そこでピーターには失恋などしていただくことになるのだけど、「彼女の面影を胸に秘め悲しみを抱えながら、悪との絶望的な戦いに身を投じる孤独のヒーロー」なんていうシビレる展開はここには微塵も無くって、「失恋したらヒーローとしてもダメダメになっちゃう」というこの軟弱さ。アホ過ぎます。ま、しかし、悲愴感がありゃいいってもんじゃない。あくまでこういう軽いノリの楽しいシリーズなのです。そして、ヒーローだって皆で支えてあげてこそ、活躍できる、という訳ですね。今回の怪人オクトパスも正体はただの中年太りのオヤジですし、あくまで基調はユーモラス。スパイダーマンとオクトパスの戦いには、CGのリアルさばかりではなく、ダークマン風の胡散臭さも感じられて、またそういったところが楽しかったり。 [地上波(吹替)] 7点(2014-11-03 23:32:17) |
1773. パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々
《ネタバレ》 主人公パーシー、劇中でも言及される通り、またその活躍するエピソードを見てもわかる通り、“ペルセウス”と関連があるらしいのだけど、設定は何故か、ゼウスではなくポセイドンの息子。水と親和性が高く、水に触れるとケガが治っちゃったりもする。ここで世の親はすかさず、この映画を一緒に観てる子どもたちに言う訳です、ホラあんた、いつも転んで擦りむいたケガをお風呂に浸けるのイヤがってるけど、見て御覧、浸けたら治っていくやんか、と。ウチの子は「ほんまや~」と言いながらも納得したようなしてないような。しかしこの作品。クリス・コロンバスが「オレがハリー・ポッター撮った時にゃ、まさかあのシリーズがあんな武闘派路線になるとは思わなかったぞ。オレもそういうの撮りたかったぞ。よしオレも撮っちゃうぞ」とはまさか言ってないと思いますが、そういう二番煎じ感が溢れかえってます。が、展開の早さ、簡潔なわかり易さ、派手なCG、ヒマつぶしにいい映画はどちら?と聞かれれば、コチラに軍配を上げてもよいかも知れません。ヒマつぶしと割り切ってる分にはそれでいいかも知れませんけど……一体この映画、何が描きたかったんでしょうね? 父と離れて暮らし、父に見捨てられたと感じていた少年が、冒険を通じて成長し(「強くなった」のと「成長した」のは違う気もするが)、ついに父と対面を果たす。父との葛藤か、あるいは血縁の絆か。「オヤジよ、よくもオレと母さんを見捨てたな」「いや~ソレはしょうがなかったんだよ。でもさ、オマエのことはちゃんと陰ながらサポートしてたじゃないか」「お~言われてみればそうだったな~、サンキュー、オヤジ」だってさ。そんなアホな。この軽薄さには、もはや清々しさを感じてしまいます。いやあ、第2作も楽しみだ。 [DVD(字幕)] 6点(2014-11-03 17:50:03)(良:1票) |
1774. ジャッカルの日
《ネタバレ》 私の場合は、映画を最初に観たのは随分昔で、かなり後になってから原作小説を読んだのですが。いやあビックリしました、面白いの何の、この小説(笑)。映画の方は、どっちかとうとドキュメンタリータッチの抑えた表現で、劇中で実際に背景に聞こえてくるBGM以外、音楽も無し。原作小説も、ノンフィクション小説風(現実の事件の関係者に取材し、そこにフィクションが織り交ぜられる)ですけれども、後半の盛り上げ方がとにかくスゴい。一気に広がる捜査網と、それを掻い潜ってターゲットに迫るジャッカル。追うルベルの焦り。ジャッカルの暗殺失敗からルベルとの対決に至る場面なんて、映画の方が実際の時間の流れに忠実なところがあって、小説の方がむしろ映画的とも言える、一瞬時間が止まったような緊張感あふれる筆致なんですね。こういう、原作と映画化作品との、不思議なアプローチの差異が、意外性があって面白いところ。映画の方が小説よりも一見地味なんですけれども、これは、映画でも小説と同様に煽るような描写に走ってしまうと、オーバーになってかえってシラケかねない、ってこともあるだろうし、それだけじゃなく、つまり映画が単に地味路線なのではなくって、映画ならではの緊張感がここにはあります。冒頭の暗殺未遂からOAS幹部の処刑に至る、畳み掛けるようなスピーディーな描写。中盤はジャッカルの行動と捜査側の様子がじっくり描かれますが、各エピソードが(特にジャッカルの行動にまつわる部分が)、あと数秒ないしあとワンカットあるのが普通かな、というタイミングで切れて、次のエピソードへ移行していき、小説とは異なる形でのテンションが維持されています。そしてクライマックスのパレードの場面、集まった群衆の光景と軍楽隊の音楽とが、もうどうにも引き返せない、どうにも止められない焦燥感に繋がって、小説とは異なる形での盛り上がりを見せます。実際、今回久しぶりに観て、というかかなり記憶が薄れていたので初見のつもりで観ていたのですが、それでもこのクライマックスシーンは強い印象が残っていて、懐かしき興奮を再び味わうことができました。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2014-11-03 10:32:32)(良:1票) |
1775. 燃えよドラゴン
金もかかってないし出来もよくない作品、と思いつつ、何度も観ちゃう作品、70年代なら例えばこの『燃えよドラゴン』、80年代なら『コマンドー』とか。ま、いろいろありますわな。この作品、ブルース・リー作品の中でも、代表作と言ってよいのでしょうけど、作品自体はそれなりにデタラメで、それなりにワケがわからない。まずそもそも、ブルース・リーが本作において主人公扱いなのかどうか、まあ一応主人公だとして、このヒト、道を極め悟りを開いた仙人のような人かと思いきや、これ見よがしにトンボ返りしてみせたり(顔が写って無いのでリー本人ではなくスタントマンなのか、としたらさらにこのシーンの意味がワカラナイ)、復讐に燃えた悲壮な表情を浮かべたかと思いきや、明るいチャラけたところも見せたり。戦いの前、しなやかな構えのポーズを見せたかと思えば、イザ格闘が始まると奇妙な堅苦しい動き、視線もアサッテの方向で、こんな挙動不審な格闘シーン、ブルース・リーならではでしょう。そしてカッコいいんだか何なんだか、例の怪鳥音。そういったよくわからない一切合切が集まって、結局「ブルース・リーのあらゆる魅力、あらゆる表情が詰め込まれた、最高の逸品」になってしまったのが、本作という訳で、まあある種、映画史の脇道に燦然と輝く奇跡のような作品でもあります。そうそう、勿論ブルース・リーだけが本作の魅力じゃない、サモ・ハンがいる、ジャッキーも(どこかに)いる、そして何より、香港のシュワルツェネッガーことヤン・スエがいる(Gメン’75!)。鏡の部屋での戦いもワクワクするし、最後にポツンと残されたハンの義手、これはもはや、ひとつの哲学でしょう(笑)。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2014-10-30 22:55:36) |
1776. インポッシブル
《ネタバレ》 題材が題材ですから、そりゃま「面白おかしいスペクタクル」として撮るっちゅう訳にもいかないんでしょうが、だからと言って、とりあえずリアルです、とりあえず実話です、ってなアプローチだけで、よいもんなんでしょうか。この時、津波に襲われた人にとって、それは突然のものであったから、映画でも前触れなく津波が襲いかかる。主人公の知らないところで津波が発生し、知らないうちにそれが迫りくる様子を我々だけに見せる、という見せ方もありえた(というよりその方が一般的か)と思うのですが、そしてそういう「演出」を通してこそ、災害の残酷さや人間の無力さが浮かび上がると思うのですが。で、その後も、混乱をただ混乱として描こうとする、なぜならこれは真実の物語であり、実際にこの主人公はこの時、混乱の中に置かれたのだから。そして、ケガの描写も、現場の描写も、医療の描写も、きっととことんリアルに仕上げたのでしょう。あとは登場人物たちの顔のクローズアップの連続。その結果どうなったかと言えば、多かれ少なかれ、“家庭用ビデオで撮ったみたいな”雰囲気が漂うことになっちゃう。実際の出来事を実際に目撃したように描く、ってんだったら、「津波の実際の映像」を前にしたときには、本作はどうやったって、負け、でしょう。再現に過ぎないのだから。いや、ホントに再現に徹している訳じゃなく、勿論、ここには演出があり、良さそうなシーンを入れようともしています。長男が、離れ離れの親子を再会させる場面なんか、いかにも良さげだし、主人公家族が再会を果たす直前のあたりなんか明らかに演出を伴うサスペンス。こういう、無難なことは、するのよね。なーんか、胡散臭い。ってそりゃ言われまっせ。で、結局、物語はといえば、主人公一家の個人的レベルの冒険物語に終始してしまい、(最後に少し飛行機からの災害地の俯瞰が登場するとは言え)未曾有の災害の圧倒的規模そのものがもたらす恐怖や絶望といったようなものも、残念ながらあまり感じることができませんでした。こういうのも主人公一家の視点に限定した「リアルさ」の一環なんですかね・・・。 [DVD(字幕)] 5点(2014-10-30 00:02:56) |
1777. ダンディー少佐
アパッチ族の襲撃そのものは描かれず、死屍累々たる大虐殺の後が映しだされる映画冒頭、ここからすでに、何やらタマラナイいかがわしさが漂っております。このいかがわしさは、流血を伴う終盤の戦闘シーンなどにも見られる訳ですが。ただ、こういう残酷描写をもって、本作をワイルドバンチの前哨戦みたいに捉えることは(当然ながら)できません。何せ、映画後半、っていうのは勿論ヘストンがケガするところからですが、とにかく変です。奇妙に断片的で、迷走しちゃってます。プロデューサーの意向で作品が短縮されてしまった、というのがこのワケのわからなさの原因なのか?いやいや原因はそれだけじゃなくって、本当にコレ、「決してまとまることのない」作品として作られたんじゃなかろうか。実際、このあたりのエピソードは無い方が自然、つまりプロデューサーはもっと短縮しちゃってもよかったくらい。なのに、親切なのかイジワルなのか、本作の奇妙さを充分に堪能できるようには仕上げてくれております。正直、ペキンパーが本作で何をやりたかったのかはわからないし、ジェームズ・コバーンに何をさせたかったのかは特にわからないのですが(笑)、とにかくこの主人公のダンディー少佐以上に我を通そうとしたんじゃかなろうか。ダンディー少佐、自分では何だか大したことしてないんだけど(そしてどっちかというとオイシイところはリチャード・ハリスが持っていくんだけど)、それでも存在感がある。そして本作の存在感というのもまた、そういう種類のものかな、と。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2014-10-28 00:09:12) |
1778. ターミネーター2
《ネタバレ》 まー要するに「考え過ぎ」というヤツですね。一作目よりも強く一作目よりも不死身の敵役を設定しようという意図が見え透いてしまった時点で、何をやっても驚きは半減、グダグダにならざるを得ない。ついに敵をヤッツケたと見せて、どうせまた復活するんでしょ、とか観客に思われちゃ、立つ瀬がありません。倒しようの無い敵を倒しても、八百長にしか見えなくなっちゃうし……とかいうのは、初めて観た時の感想であって、今となってはそれも、御愛嬌。本作、そりゃ悪いところもあれば、いいところだってある。別の場所にも書いたけど、シュワ型ターミネーターのポンコツぶり、銃の効かない相手に対しひたすら銃で対抗することしか知らない愚直さは、なかなか捨てがたい魅力があります(その代わり、1作目で築いたイメージは犠牲になってしまったけど)。あと、1作目には、「夜」のイメージが強くって、シュワ型ターミネーターの登場するシーンのすべてが夜という訳じゃないけれど、とにかくこの「夜」のイメージがシュワ型ターミネーターの不気味さに繋がっておりました。そしてこの2作目にも確かに、作品自体には「夜」のイメージが引き継がれています。サラ・コナーの病院からの逃走場面しかり、ヘリとのチェイスシーンしかり。その一方で、今回のシュワ型は悪役ではない訳ですから、「夜」のイメージから敢えて引き離すように、砂漠の陽光の下に引きずり出されもします。これも悪くないと思います。ただ、今回のT-1000には、1作目のシュワ型ほど強いイメージを持たせられなかったのが、とにかく本作の一番弱いところ。我々が驚き魅了されるのは、液体金属ターミネーター・T-1000を描写するCGの威力ではあっても、T-1000の存在の不気味さそのものに対してじゃない。例えばトレーラーとバイクのチェイスの後、T-1000が液体金属状態の姿を我々に曝すあの場面、あれは「液体金属とはこういうものだ」とか「どこかの誰かみたいにトレーラーが爆発しただけで情けない骨組み姿にはなったりはいたしません」とかいうことの“説明”でしかなくって……あまりにおおっぴら過ぎ、あまりに健康的過ぎ。もうちょっとT-1000の不気味さを感じさせる演出がなかったのか、と思っちゃう。T-1000は絶対、損してます。 [映画館(字幕)] 7点(2014-10-24 21:09:01) |
1779. ひばり捕物帖 折鶴駕篭
美空ひばりが例によって一人二役、いや正しくは「一人二役」役というべきかな、男装姿と女装姿を披露。とくればもう、唄に踊りに剣劇に、娯楽満載のお祭り映画を想像する訳ですが、そしてまたおそらくは元々、そういう企画だったんじゃないかと思われる訳ですが、、、そうは問屋が卸さない。何しろ、工藤栄一監督。美空ひばり映画なのに、唄や踊りは控えめで、後の集団抗争時代劇の萌芽がそこかしこ。クーデターを計画する由比正雪とその一味は、テロリスト集団のように描かれ、冒頭から様々な怪事件が連続して発生、これじゃなかなか落ち着いて唄ったり踊ったりしてる場合じゃない。そして、クライマックスではもう、集団抗争劇の“萌芽”どころか、まさにそのもの。我らが十四郎サマが大暴走、ひばり映画にあるまじき、悲壮感あふれる一大死闘を繰り広げちゃいます。TPOをわきまえず、ここまでやるか、十四郎サマ。と言う訳で、ひばりファンには「ちょっと、これ、違うんじゃないの~」と言われるかも知れませんが、全国の隠れ十四郎ファン(隠れる必要があるのか?)にとっては、まことにタマラない作品となっております。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2014-10-22 22:25:29) |
1780. ゴジラ×メカゴジラ
例によって、1954年の第一作以外の作品は「無かったこと」になってます。しかし「無かったこと」になっているのは、本作に登場する人々にとって、であり、我々にとってはむしろ、第一作以降の諸作を観ていることが前提になっている、とも言えます。何しろ、ゴジラがどう強くどう怖いのか、といったことは特に描かれず、「ゴジラくらいみんな知ってるよね」とばかり、ゴジラが当たり前のように登場します。こういう省略が、本作においてゴジラがイマイチ「目立たなくなっちゃってる」原因でもありましょう。もうひとつの原因が、力点がメカゴジラの方に行っちゃってて「ホラ今回のメカゴジラはカッチョいいでしょう」という作品になっちゃってる、ということにもありますが。ただ、こういう割り切りのお陰で、前作『大怪獣総攻撃』で大仰になってしまった路線が、昭和ゴジラの軽いテイストに戻り、気楽に楽しめる作品にもなってます(いや勿論、大仰でも結構だし、本作は「戻り過ぎ」というハナシもありますが)。メカゴジラ「3式機龍」をカッチョよく仕上げた割には、ゴジラとの戦いは、取っ組み合いやらジャイアントスイングやら、プロレス系の懐かしき昭和のノリ。残念ながら、いまさら何でこんな昭和テイストなことをやりたいのか、(“釈由美子”など他の部分とのアンバランスもあり)正直、よくわからないんですけれども。機龍が異常をきたすエピソードなどはなかなか新機軸で、「対」でも「vs」でもなくこりゃ確かに「×」だわい、と思わせるものがあるのですが、その後まったくエピソードが伸びないのが困ったもの(この設定、ホントに必要なのか?)。と言う訳で、イマドキ風のメカゴジラに、昭和風の怪獣対決を登場させたところで、だいたいやいたいことは終わっちゃった、というような作品でした。そうそう、第一作ゴジラ以降は無視されている代わり、過去、別の怪獣には日本が襲われたことになってるのが、これまた昭和な味付けといいますか。モスラとか、サンダとかね。いやガイラか。いややっぱりサンダかな(⇒ガイラです)。 [CS・衛星(邦画)] 4点(2014-10-21 00:07:24)(良:1票) |