1821. 吼えろ鉄拳
真田サンがここでも体張ってます、命賭けてます。ビル登ったり、爆薬の中を走り回ったり、二階建てバスの上でアクションしたり。中でも圧巻は、あ、何と東尋坊に頭から飛び込んじゃってます。良い子も悪い子もマネしないように。レイダースよろしく、おサルさんを連れてるな、と思ってたら、やっぱりレイダースのように馬から車に飛び乗ってみせる、ココも勿論、真田サン自らスタントをこなす(ン?レイダースって同じ81年の作品、当時まだ日本では公開されてませんね? レイダースのパクリではなくって、偶然にも似てしまっただけなのか?)。さて、真田サンの熱演に応えるように、キャストも豪華(と言ってよいのか?)。冒頭のクレジットで、アブドーラ・ザ・ブッチャーと成田三樹夫の名前が並んでるの見るだけで、壮観ですな。悪役の道を極めた二人がここに集結。いや、ブッチャーはここでは悪役ではなく、真田サンとじゃれあっているだけですが。オネーチャンたちに“スパルタカス~”なんぞと呼ばれて(←役名のようです)大張り切り、たどたどし過ぎる日本語で見得を切り(多分、「結構毛だらけ猫灰だらけ」と言ったんだと思うのですが)、巨体でプールに飛び込んで上がる水しぶきは、もうそれだけでスペクタクルシーン。さてそれでは悪役側の布陣はと言いますと、安岡力也が睨みをきかせたかと思えば、サイレントサムライ福本清三氏も謎の刺客として殺陣を披露。さらにはグレート小鹿会長も登場、あ、小鹿さん先日ベルトを獲ったそうで、おめでとうございます(すみません、何のベルトか知りませんけども、えへへ。しかし未だ現役。さすがです)。まあそれなりにキワモノ系の映画なもんで、明け方に一人でこっそり観てたら、こういう時に限ってウチの子供は早起きしてくる(笑)。しかし、激しいアクションとコミカルなシーンの連続、早朝から親子で大いに楽しみました(自転車のくだりがもう可笑しくって……)。こういう映画こそ、愛情を持って「バカ映画」と呼べる作品ですね。 [DVD(邦画)] 7点(2014-05-03 21:09:23) |
1822. クロニクル
ふだん我々が映画を観ている時、このシーン本当にカッコいいよな、などと感じることが時々あって、例えばそういうのが、ショットの意義であったりするんでしょうけれども、残念ながら、登場人物たちのカメラが捉えた映像という体裁をとったこの本作では、そういう「ショットの意義」ってのが欠落していて、ここにあるのはひたすら「このショットはこうやって撮られました」という理由説明ばかり。超能力があるから主人公がカメラを持たないシーンも使ってよし、とか、主人公以外のカメラで撮ったシーンもOK、とか、全編にわたり「言い訳」が述べられ続けるこんな作品も、珍しい。カッコいいシーンを撮るためにこの手法を選んだんなら歓迎だけど、選んだ手法のせいでカッコいいシーンが撮れない上に、こうやって言い訳ばかりを連ねるんでは、一体何やってるんだか。といささかウンザリしていると、クライマックスでは意外にも、主人公たちのバトルをバラバラなカメラがバラバラに断片化してみせるのが、妙にオモシロかったりするもんだから、何が幸いするかわかりません。 [ブルーレイ(字幕)] 5点(2014-05-01 12:57:48) |
1823. ウルヴァリン:SAMURAI
確かにこりゃ「間違ったニッポン」ですな、何しろ新幹線にパンタグラフが無いもん。そんなの本作では間違いのうちに入らんだろうって? そうなんだけど、ここでは「高速鉄道の上で格闘を繰り広げる」という力学がすべてに優先し、そのためには物理法則にも新幹線の構造にもとことん近似がかけられちゃう。でその結果、素晴らしくワクワクするシーンに仕上がってます。リアリティを持ち込んだかと思えばぶち壊し、あえて期待を裏切りつつ、でも面白けりゃOKやんか、と。中でも入浴シーンは大いに受けました、これぞ間違った「間違ったニッポン」像、とでもいいますか。ウルヴァリン氏が海辺の村にやってくりゃ、こりゃ何だか「007は二度死ぬ」みたいだと思っていると、“窓の下にたまたまプール”って、これは確か「ダイヤモンドは永遠に」じゃなかったけか。何か期待を裏切ったかと思えば、こういうあたりは、誰もしてない期待に妙に忠実、と言ってよいのやら悪いのやら。友情物語のような発端なのに、妙なところオハナシが向っていくところも、期待をはぐらかしていて。全体的にはいささか話が暗い感じがして、いっそもう少し明るくハジケけちゃってもいいんじゃないの、と思わないでもないけれど、その辺りも、一連の「期待への裏切り」、なのかどうなのか。ところで、いくつかのシーンで「どこかで見たような。まさか鞆の浦?」と思って後で調べてみたら、ホントに鞆の浦でロケしてたんですね。福山駅でもロケしてたのこと、それは気付きませんでした。いっそ駅前の福山城も登場させれば、というところだけど、そういう安直な期待には応えませんよ、というのが、この映画。 それにしても日本人は、パチンコに夢中になったら最後、何があっても動じない。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2014-04-27 17:57:13) |
1824. 明りを灯す人
舞台は中央アジア・キルギス共和国の、とある村。主人公は、その村で電気工事をやってる、いかにも朴訥としたオジサンですが、このヒトがこの映画の監督さんなんだそうで。こういう見事な作品を作るヒトが、こういう顔をしてるってのが、意表を突きますね。電気を引き明りを灯す、といのはいわば文明の第一歩。村の“はいてく”担当であるところのこのオジサン、電気の扱いにこそ慣れていても、別にインテリでも何でもない。自分に息子ができないことを悩んで、友人にトンデモない依頼をしたり、妙な事を信じて感電死しかけたり。その一方でオジサンは、風力発電なんぞにも取り組んで、彼なりの夢や希望を持っていたりもする。で、そんなオジサンの日常がそのまま続けばよいのだけど、村の外にはオジサンの知らない世界が広がっていて、その世界は、オジサンが村に文明をもたらすのよりもずっとずっと速いスピードで動いている。そしてその世知辛い外部の世界と接したら最後、元には戻れない……まるであの「遠くを見たかった」という子供が、木から降りられなくなったように。そして待ち受ける暗い運命、それは中盤のヤギを奪い合う競技で予告されていたり、冒頭シーンが思わぬ形で後のシーンに繋がったり、「風車」が象徴的に取り入れられていたりと、作品が巧みな構成を持ちながらも、一方ではノンビリした美しい光景が広がっていて、技巧に走った印象を与えることなく自然な映画の流れを感じさせる。見事な作品だと思います。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2014-04-27 13:43:07) |
1825. 蒲田行進曲
ウチの子供たち(小学生と幼稚園児)が、この作品、やたら好きなんですけどね。一体、何考えてんですかね。本作、いかにも“舞台”なんです、と言わんばかりに、オーバーな演技が目立ってしまうのですが、これはきっと、舞台ならではの役者の熱っぽさを、映画にそのまま、取り入れようとしたものでしょう。“役者バカ”を描いた作品なのだから。これに呼応して、映画の描写もまた負けじとコミカルでオーバーな演出となっていて、滑稽でどこか哀しいバカ騒ぎ。何よりも魅力なのはやはり、登場人物たちの愚かしいまでの一途さ、ひたむきさ、ですね。物語の中心にいる3人もさることながら、蟹江敬三監督や清川虹子ママの存在も、負けず劣らず忘れ難い。みな一途、素敵なまでにバカ。それにしても、蒲田行進曲、なのに東映京都。なのにやっぱり松竹。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2014-04-23 23:05:32) |
1826. 英国王のスピーチ
吃音症の王様がスピーチの練習をする、というだけのオハナシで、これといった大きな事件もないのに、親しみやすい娯楽作品に仕上げている点はまず、さすがだとは思います。背景の美術にもこだわりを見せながら、会話のシーンではあえて表情のアップを多用し、最後に画面を引いて背景を見せつけるあたりも、自信の表れなんでしょうかね。そしてもうひとつ、表情のアップを映画の主軸に置く理由としては、観る者を登場人物へ感情移入させようという計算も働いていそうです。だもんで、観終わって、ああよかったね、ってことにはなるのだけれど、しかし何か物足りない。ここには、「表情」や「人のよさ」はあるけれど、肝心の「行為」「行動」ってのがあまり描かれてなくって。役者の表情ってのは、一見、説得力があるように見えるけれど、映画に本当に説得力を持たせ、印象深いものとするのは、そこに盛り込まれるエピソードの方にこそあるんだと思うのです。本作はその点、少々弱い作品、という気がいたします。だいたい、最後のスピーチの場面で感動するとしたら、スピーチする姿に感動しているのやら、ベートーヴェンに感動しているのやら、知れたもんじゃないですし。あと、そうそう、どうしてこうも、ウィーン拠点の作曲家の曲ばかり挿入するんですかね、何とかイギリス音楽から見つくろえないもんですかね。こういうところがイギリス人の度量の広さと言えなくもないですけれども。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2014-04-21 23:41:32) |
1827. ダイ・ハード
高校生だった当時、公開の数カ月前から、某雑誌で紹介されていたのを読んで、こりゃスゴい映画が来たぞ、と一人で盛り上がってたっけ。前売り券買ったらオマケにくれたマグネット、その後何年も大事に使ってたよ。満を持して、試験休みの平日に映画館に一番乗りしたのも、懐かしいような、大して懐かしくもないような。80年代、スタやらシュワやらのアクション映画に世間がやや辟易してた頃でもあり、必ずしも注目度は高かったとは言えず(クリスマスが舞台なのに正月映画じゃなくって2月公開だったし)、日本で本格的に人気に火がつくのはビデオリリースを待たねばならなかった(この人気を受け、続編の方が遥かにヒットした)。私が何ゆえあんなに事前に盛り上がっていたかというと、雑誌の紹介記事にビルが爆発してる写真が載ってたから。その一点だけで、こりゃ傑作なんじゃないかと期待しまくってしまった。ま、さすがに過剰かつ短絡的な期待だった訳ですが。でもそれ以来、ずっと愛着のある作品です。伏線が張り巡らされているのが面白い? いや、映画における「上手い伏線」ってのはもっとイメージに直結するものでしょう。本作のは伏線なんてのは、およそ機械的な「答え合わせ」に近いもの。2回目の観賞くらいまでは発見もあるけれど、すぐに底が割れてしまう。やっぱり本作の魅力、愛着を感じる点って、ズバリ、作品の素朴なカッコ良さにあると思います。屋上で追うテロリストたち、応戦するマクレーン、カメラが上がるとそこに、銃を構え静かに闊歩するAゴドノフのカッコ良さ。装甲車はカッコ良いし、そこにミサイルが打ちこまれりゃもっとカッコ良い。その瞬間、街中が戦場と化し、気分は大いに盛り上がります。何を考え何を狙っているのか掴めないAリックマンもカッコ良い。Bウィリスは真剣な表情や焦った表情は正直似合わないけれど、飄々としたり弱音吐いたりするとやたら好感度が上がる。FBIのヘリが現れたらさらに気分はヒートアップ。そしてあの屋上大爆破。この爆破シーン、ビルの遠景近景、飛び降りるマクレーンを上から撮ったり下から撮ったり、地上から見上げる人々の姿を交えたり、これでもかと様々なショットで描写し、時間も自由に引き延ばされていて、やっぱりこんなカッコ良いシーン、そうそう無いと思うのです。で結局、何度見ても、カッコ良いなあ、魅力的な作品だなあ、とそう思う次第です。 [映画館(字幕)] 10点(2014-04-21 21:49:31)(良:1票) |
1828. ホワイトハウス・ダウン
これはもう、ダイハードとの共通点を数えるよりも、異なる点を数えた方が手っ取り早いですかね(例えば「腕時計」か「懐中時計」かの違い、だとか…?)。というのはさすがに大げさにしても、これだけ共通点があるのは意識的なものなのでしょう。ただ、ダイハードにおいては、装甲車をロケットランチャーで迎え撃つシーンや、ビルの谷間をヘリが飛んでくるシーンなどは、いかにも「街中が戦場と化す」という象徴的なシーンで、一気にボルテージが上がるというか、スイッチが入るというか、そういう印象深さがあるのですが、本作では、ソックリなシーンをとりあげていながら、はるかに印象が薄く、まるで他のアクションシーンに紛れ込ませるようにサラリと挿入している感じ。こういうメリハリの無さが、エメリッヒ監督の好みでもあるのでしょうか。『インデペンデンス・デイ』などでは、7月2、3、4日と、日を区切ることである種のメリハリをつけていましたが、むしろアチラの方が例外的だったか、とも思えます。と言う訳で、ここぞという盛り上がりがわかり易く提示されてはおらず、ゴチャゴチャとしたアクションが雑多に盛り込まれた感じの作品ではありますが、それでも楽しめるのはやはり、各登場人物がその混沌の中で自分の役柄を一生懸命全うしているからでしょう。主人公の娘は、ホワイトハウスマニアの立場を全うし、案内係もまた負けじと、ホワイトハウスマニアたる本領を貫く。この二人に比べると主人公と大統領はやや影が薄いのですが(笑)、主人公は、大統領を守ることこそ娘を守ること、と一途に張り切り、一方の大統領もまたあくまで大統領であることに忠実であり、安易に感情を露わにはしない。ジェームズ・ウッズは体型こそ丸くなったけど、その分、貫禄をもって、冷徹な狂気を演じている。結局のところ、一途でないヤツが一番悪い、という、そんなオハナシ。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2014-04-20 08:50:41)(良:1票) |
1829. 野獣都市(1970)
三國連太郎演じる社長と、黒沢年雄演じる学生が意気投合。要するに釣りバカ日誌な訳ですが、釣りが取り持つ縁ではなく、こちらは銃つながり。過激派学生が幅を利かせる大学に嫌気が差し、主人公の青年は、射撃が縁で知りあった社長の片腕となって働く決心をするが、こちらのスーさんは、あくどい事も辞さずに成り上がった、かなりの曲者。って、アチラの釣り好きスーさんも実は陰で悪どいコトしまくってるのかもしれないけれど。それはともかく、それを機に、青年は、社長と敵対する者たちとの抗争に身をおくこととなり、場合によっては殺人にすらも手を染める。というハードボイルドな作品ではあるのですが、監督が福田純。ゴジラ映画の監督さんですねえ。さすがに本作ではあんなオチャラケはやってませんけれども、ノワールでアンチモラルな物語の割りには、過激さはまったくといっていいほど感じさせない、比較的控えめな印象の作品になってます。むしろ、スーさんも含めた“わるいやつら”が闊歩する社会の中で、スーさんに賭け、時には悪事にも手を染めながら、スーさんと一緒に成り上がることを夢見た青年の一途さを描いた、青春映画とも言えるでしょうか。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2014-04-16 21:14:37) |
1830. 007/慰めの報酬
《ネタバレ》 ワールド・ウォーZという作品を観ていると、設定上は一応、世界がパニックでさあ大変一体どうしたらよいのか、という内容なもんで、主人公も一応、自信無さそうな迷いの表情を浮かべて見せるのだけど、それがうわべだけで、行動や態度にはあまり反映されないところにちょっと違和感を感じちゃう。世界各地で危機にあいつつ、それを切り抜けていく主人公のストレートな活躍を観ていると、こういう役柄は、半端に迷ってるふりをする主人公よりも、何一つ迷うことのないジェームズ・ボンドみたいなヒトの方が相応しい。で、実際、同じマーク・フォースターという監督が手掛けた007シリーズが、コレなんですな。物語の都合もあれば、クレイグ=ボンドのもつ雰囲気もあるかも知れないけれど、このボンドは、迷わない、表情も変えない、ただ、殺しのライセンスを濫用し続ける彼の行動の中に、怒りが表れている。もちろん007ですから、海上やら空中やらで曲芸みたいなアクションもやって見せなければならず、シリアスなボンド像がそれと相容れるのか、という問題もありましょう。また特に、007シリーズにおける殺しの場面というのは、多少オチャラケを含んだ、一種のショーとしてあったりした訳ですが、本作ではそういう要素が乏しいばかりか、ボンドが最後に敵に与える仕打ちに至っては、それは画面外での「野垂れ死に」ってんだから、画面内での華々しい死に様という悪役の特権を拒絶しており、これまた随分、辛辣なのです(ワールド・ウォーZのゾンビより扱いが悪いかもしれんなあ)。そういうシビアさもあり、はたまた106分という尺の短さもあり(シリーズ最短かな?)、本作、ひきしまった印象があります。ただ、アクションシーンをもうちっと丁寧に見せてくれたら、さらに数段ひきしまったかとも思いますが。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2014-04-15 00:31:50) |
1831. 悪魔の手毬唄(1977)
《ネタバレ》 横溝正史と言いますと、何と言っても「獄門島」。俳句の通りに見立てられた3つの殺人、そこには様々なトリックが凝らされていて、まあ実に見事ですね。それから10年ほどして発表された「悪魔の手毬歌」で、歌詞通りの殺人というテーマがまた取り上げられますが、さすがにそこまでトリック三昧な内容ではなく、どうしても二番煎じの印象が拭えません。それでも「なぜそんなところにサンショウウオがいたのか?」といった魅力的な謎を提供しているのは、さすが、ですが。それに、3つの殺人というところまで「獄門島」と同じなのは、いわば作品自体が「獄門島」に対する見立て、とでも言いますか、一種の目くらましなのかも知れません。で、それを映画化した本作、市川&石坂シリーズでは犬神家に続く、第2作です。一にもニにも、古民家のもつ侘び寂びの雰囲気が、懐かしいようなコワイような感じがして、いいんですね。ですが、被害者でもあり容疑者でもある登場人物たちを、犬神家ほどうまくは描き切れていない気もします。登場人物の印象が薄いせいで、発生する殺人事件のインパクトも薄くなる(極端に言えば、「今回殺されたオマエ、誰だっけ?」とツッコミたくなる)。その分、若山富三郎演じる磯川警部に映画の力点が置かれることにもなるのですが…。あるいはこの、オドロオドロしい「悪魔の手毬唄」というタイトルをミスディレクションに使って、それとは正反対のロマンスを描こうとしたのがこの作品、なのかもしれません。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2014-04-13 10:07:35) |
1832. ワールド・ウォー Z
ブラピ演じる主人公、かつて様々な修羅場をくぐってきたらしい。医者ではないけれどいざという時には慣れた手つきで応急処置をこなす。女性兵士が手を“Z”(←って、の際もう堂々とゾンビって呼べばいいやんか)に噛まれた時、即座に手を切断し、治療を施す。一方、女性兵士の方も、自分の手が切断されたという現実を冷静に受け止める。これは2人それぞれの強さ、なんでしょうけれど……本作、こういう「強いヒトたちのサバイバル」に終始してて、いいんだろうか、とも思います。手の切断という極めてショッキングであるはずの事態を、描写を抑え、感情面でも抑え、まるで普通のエピソードのように挿入しておく。他のシーンも押し並べてそんな感じで、いささか淡白過ぎはしないでしょうか。ただ単なる「タフ」で無色透明、それがこの作品の登場人物たちの印象。主人公の悩みや葛藤などはお飾り程度で、彼の目を通じて描かれる人類の破滅を、スペクタクルとして楽しめればOK,ってな映画ですな(だんだん『バイオインフェルノ』みたいに小粒になっていきますけれども)。実際、アリンコのように襲ってくる“Z”の群れは、まさに「大自然の脅威」。一応“Z”はゾンビではなく病人なんでしょうけれど、ロメロが『ゾンビ』で露悪的にやってみせた殺戮(ゾンビという名の鈍重な人間どもを殺しまくる)を思うと、本作では実にアッケラカンと殺しまくり退治しまくる。どっちかっていうと動物パニックのノリですかねえ。もちろん、嫌いではありませんよ。 [ブルーレイ(字幕)] 6点(2014-04-13 08:37:54) |
1833. バイオハザードIV アフターライフ
スロー映像の中で飛び散るコンクリ片、飛跡を引き摺る弾丸、滴る水滴。って、せっかくみんなマトリックスのこと忘れかかってたのに、何で今更、思い起こさせるのか。それもよりによって、アンダーソン君が。という点は御愛嬌だとして、最初の方で色々と前置きみたいなシーンがありますが、主な物語は、無数のアンデッドたちに取り囲まれた建物に立てこもった人々の脱出劇です。立てこもりってのは、映画においてとても魅力的な題材(だと思っているので、私の中では、巨大生物の島とか巨大クモ軍団の襲撃とかいった困った作品も、名作に分類されている)。なので、本作でも、もうちょっと一生懸命に立てこもって欲しいのですが、そういう泥臭さは本シリーズには似合わなのかな、とも。襲ってくるアンデッド、普通の人間の姿のままでは面白くないと思ったのか、口から妙なモノをニョロニョロ出して、どうだ、コワイだろ、と。しっかし、その襲ってる描写たるや、基本的に不意打ちばかり。襲ってくるまでの過程をもっとしっかりと織り込めば、サスペンスが持続してもっとハラハラさせられるものを、不意打ちでは単発に終わってしまい、ハラハラ感が続かない。それって、もったいなくないですか? [地上波(吹替)] 5点(2014-04-05 17:05:46)(良:1票) |
1834. バスケット・ケース
関西地域ではヴィデオドロームの併映だったような記憶がかすかにあるんですけれどもね。記憶違いか夢マボロシか、まあ何でもいいでんすけど。安物系ホラーの代表的作品ですな。とある安ホテルにやってきた若者が小脇に抱えたバスケットケース。その中に入っていたものとは……ってな話で、いや、今更隠すようなネタでもなくって、中に入っていたのは、彼の双子の兄、ベリアル。元は二人は結合双生児であったが、今では分離手術を受け、兄は顔と手だけ、バスケットケースの中にひっそりと生きている。要するに『ツインズ』の先駆的作品とでも考えればよいのかな? 分離手術前の姿は、旧トータルリコールを思い起こさせますね。実に色々な作品に影響を与えた作品、という訳でもないんでしょうけれども。血糊ぶちまけるホラー作品、しかしちゃんと作れば実は結構、それなりに物悲しい物語になろうというところなんでしょうが、残念ながら、手作り感あふれるチープさが全面に出てしまいまして。いや、安いけれど、カットをそれなりに細かく割ってみたりして、コダワリはあるみたいなんですね。でも一番手をかけてしかるべきストップモーションアニメの部分で、もう少しガンバレなかったものか、と。脇役の設定もいいんです。仕切りたがりのハゲのホテル支配人とか、主人公の大金が気になって仕方ないオッサンとか。ただ肝心の、ストーリーの語り口が雑で、これも何とかならんもんか、と。何とかならんから、独特の雰囲気が出て、カルト作品とか呼ばれちゃったするんでしょうけどね。あと、兄ベリアルの造形。コレ、この手の作品の見せ場ですけれど。意外に男前でしたね。なのに便器に隠れたりするもんだから、ウ●コに見えちゃったりするんだよ。という訳で、ダメダメではありますが、愛すべき作品です。 [DVD(字幕)] 4点(2014-04-05 16:41:31) |
1835. 真剣勝負
クサリ鎌の宍戸梅軒との戦いを描いた宮本武蔵映画、主演も監督も東映5部作と同じですが、こちらは東宝、だもんで、冒頭に登場する過去の戦いのダイジェストは、5部作から引用したかのように同じ雰囲気を湛えてはおりますが、当然ながら撮り直したもの。吉岡伝七郎との戦いの場面など、背景の三十三間堂は完全に書割りだったりして、ちと残念なんですね。しかし本編は、5部作とは完全に異なる独自の世界。チャンバラ映画というより、怪談というか妖怪譚というか。不気味なんです。前半、武蔵が梅軒の家を訪れる。その夜の不穏な空気。梅軒は部下の八人衆とともに武蔵を闇討ちしようとする。それを察知した武蔵。後半は、夜が明け、彼らと武蔵とのいつ果てるとも知れぬ戦いが描かれます。これがもう、まるで、賽の河原で鬼を斬る、といった感じの、現実離れした虚無的な世界。三國連太郎演じる梅軒の、完全にイッちゃってる鬼気迫る表情と、ニヒルに彼を追いつめる武蔵、本当の「鬼」は一体、どちらなのか。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2014-03-31 23:17:51) |
1836. GANTZ:PERFECT ANSWER
前作は、「設定」というものに引きずられて硬直化してしまった、という印象。敵の奇抜さで何とか魅力を保ったものの、映画全体を通じて「本作の設定はこうなんです」と念を押され続けた挙句、そのまま終わっちゃった、という感じ。それに比べると、このPERFFECT ANSWER(なんだそうです)、話が変則的に広がり出して、その点では確かに楽しいのです。ま、敵キャラの魅力という点では前作の方に軍配が上がるかも知れませんけれども。電車の中や商店街といった日常に非日常的戦闘を持ち込む面白さは、前作以上でしょう。ただ。オチをつけようとした本作でより鮮明になってしまったのが、やはり、「死んでも生き返る」という“可逆性”の、つまならさ、です。まあ、神話性の体現として映画のクライマックスに一人くらい生き返る作品にまでケチはつけませんけれども、さすがにこのGANTZという作品、ここまで図式的にやっちゃうとマズいでしょう。盛り上がるものも盛り上がらない。映画の魅力って、基本的に、“変化”とか“非可逆性”とかの方にあって(引き返せない、取り返しがつかない)、それと対立しそれを強めるためにこそ“不変””可逆”が映画の中に配置されるのではないですかね(その逆も、ありうるかも知れませんが)。と言う訳で、このGANTZというオハナシ自体、どうも、映画というものと相性が悪いように感じてしまった次第。 [CS・衛星(邦画)] 5点(2014-03-30 17:41:51)(良:1票) |
1837. 崖っぷちの男
ホテルの窓べりに立つ自殺志願の男。中空高い窓べりが舞台の宙ぶらりん状態、文字通りのサスペンスです。片や、窓の向こうの室内に詰める、彼を説得する警官たち。片や、地表から彼を見上げる野次馬の群衆。その両者との関連の中で描かれる彼の姿は、衆人環視の中の「開かれた密室」とも言うべきものですが、そこにさらに、同時進行的に進められる、とある計画が、もうひとつの流れとして加わってくるのがミソ。空の密室に閉じ込められた主人公の不自由さに引き換え、こちらの「とある計画」が、準備良過ぎるやろ、というくらいに完璧な装備で豪快に進められていく、この自由さが気持ちいい。もちろん、こちらも様々な障害にぶつかり、ハラハラさせられる訳ですが。そして何よりも、ずっと身動きとれない不自由な立場にいた主人公が、クライマックスでは飛び回りまくって、もう何でもアリアリの大活躍を見せる。それまでの展開とは対照的にここで主人公の大活躍が見せる最高の自由さこそ、痛快極まりない最大の見所ですね。 [ブルーレイ(字幕)] 9点(2014-03-29 10:42:09) |
1838. モンテ・ウォルシュ
これは寂しい、寂し過ぎる西部劇。前半はカウボーイのおっさん達がガキのようにはしゃいでいる。んなコトばかりしてるから時代においてかれるんだけど、こればかりはしょうがない。で、この映画、これといって事件は起こらない。いや中盤あたりから事件は起こるんだけど、事件によって物語が展開するというよりも、まず「西部の男たちのどうにもならぬ落日」への流れがあり、そこに事件がポツンポツンと配置されていくような印象。彼らなりに精一杯生きて、時には派手に暴れつつ、結局は静かにフェイドアウトしていく。詩情あふれる映画、なんて言うとありきたりだけど、一体この寂しさは何なのか。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2014-03-27 23:41:00) |
1839. ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル
トム・クルーズは何ゆえこのシリーズにこうも入れ込んでいるのか、と言えばきっと、自分自身をとことんオモチャにできるから、なんでしょう。それもここに極まれり、といった感じ。「スパイ大作戦の映画化」と言うこと自体をミスディレクションに使った第1作からすると、チームで行動したり、スパイ7つ道具的なアイテムが登場したりと、一見、原点回帰風。でも実際はインテリジェンスを感じさせず、高いところに登ったり、全速力で走りまわったり、要するにおバカさんの一歩手前ですな。前作以上に、走りまくってます。世界を股にかけ、その土地土地ならではの荒唐無稽なアクションを自ら体現する。で、クライマックスの立体駐車場での対決は、マイノリティ・リポートなんかも彷彿とさせつつ、やっぱりここでもまた「高さ」にこだわるおバカさん。そこが素晴らしい。 [地上波(吹替)] 8点(2014-03-26 23:27:44)(良:2票) |
1840. アギーレ/神の怒り
冒頭からの苦難の行軍シーンは、本編というより、まるでメーキング映像を観ているかのような。“リアル”という言葉では表現し切れない、ドヨ~ンとした雰囲気が充満しています。で、命からがら、何とか川べりの平坦な地を見つけたところでようやく、お芝居でも始めましょか、映画の撮影でも始めましょか、まるでそんな感じの作品なんですね。それまで大自然の前に隷属していた人間たちが、矮小な物語を語り始める。だけど大自然はどこ吹く風、まったくの理不尽さを持って、彼らを取り巻く。アギーレの野心は、人間たちのささやかな秩序を無秩序に変えていくけれど、その無秩序もまた大自然の得体の知れなさの前においては、実にささやかなもの。と言う訳で、小さな小さな人間の社会・野心・挫折、それを取り巻く圧倒的な「得体の知れなさ」、これだけでもって成立している作品です。結局のところ、彼らをとりまく“外部”が一体どうなっているのか、何が起こっているのか、さっぱりわからないけれど、その“外部”に対し「敵わなかった」「敗れ去った」と言う事だけは痛いほどに伝わってくる、という、何ともエゲツない作品であります。 [DVD(字幕)] 9点(2014-03-26 21:19:59) |