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鱗歌さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 3957
性別 男性
年齢 53歳

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1961.  サーカスの世界
物凄く地味なタイトルですが、実は、なぜか、意外に、いやムダに、スペクタクルな映画なのです。冒頭からサーカスの曲芸シーン連発、というより複数の演目が同時並行に演じられててお客さんもどこを観ていいか困るんじゃないか、と思うんですが、要するに沢山の演目、沢山の曲芸師を、映画のカメラに収めたかったんですかね。いつまでも曲芸シーンばかり続けられない。何しろ映画開始30分ほどで、クライマックスに持ってきてもいいような一大スペクタクル、船の転覆シーンが待ってるのだから(大掛かりな割には、地味なスペクタクルシーンかも知れませんが)。ま、そもそも、サーカス団を率いているマット(ジョン・ウェイン)が、欧州興行をうって出る、というストーリーが、ロケしまくります名所を映画に取り入れます、というスペクタクル印の表れ。そんでまあ、すべてを失ったマットが、団員をスカウトしてまたサーカス団を作ろうとしていく中で、かつて「ある事件」をきっかけに別れた女性曲芸師と再会したり、娘同然に可愛がってきたトニ(クラウディア・カルディナーレ。可愛過ぎ)が、マットに憧れてついてきた若者スティーヴ(誰だよこの冴えない男は)といい仲になったり(まったく釣り合わん。マットならずとも怒っちゃいますよ)。で、思わぬ過去が明らかになってゆく。と言っても最初からほとんどミエミエでバレバレな展開、ベタな展開で、非常に安心感のある展開なのですな。それぞれの役者も自分のポジションでノビノビと演じており、工夫が無いと言われればそうかも知れないけれど、このややヌルい安心感、悪くないですな。そしてまた、だからこそ、クライマックスで再び待っているスペクタクル、安心感の無い理不尽なスペクタクルに、手に汗握っちゃう、というのもある。楽しい映画でした。それにしても、これもスペクタクル映画としての意気込みの表れなのか、カット割りを多用しまくり、これがどうもつながりが悪くてギクシャクする(カットが変わると手に持っていたハズの書類が机に置かれていたり)のがえらく気になっちゃう、そこが残念。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-08-01 09:41:54)
1962.  チャップリンの殺人狂時代 《ネタバレ》 
ラストのチャップリンのセリフをもって、何やら教訓めいた映画として捉える向きもあるかも知れないけれど、いやいやいや。もっと得体の知れぬ、ぶっ飛んだ映画じゃないでしょうか、これは。だって、この主人公、殺人鬼ではありますが、要領が良いのやら悪いのやら、気がつきゃ結果オーライだけど、テキトーなことこの上なし。殺人鬼らしい凄みもなく、登場早々、毛虫を助けてあげたり、それこそサイレント喜劇俳優みたいに(!)ドタバタを繰り広げて見せたり。そんでもって、最後も悔い改める訳でもなく、澄ました顔で言う事にゃ「ワタシも人殺しですが、映画みてるアナタたちには敵いませんよ」って訳ですよね。誰がこんな「教訓」を素直に受け止めるもんですか。要するに、我々に喧嘩売ってますよね。そう、この映画の凄さは、この主人公の「規格外ぶり」にあるし、またその特殊さが、我々を悩ます点でもあると思うのです。こんな変な主人公、他ではなかなか見られません。またそもそもこの映画には、好感の持てる人物が(ひとりを除き)登場しない。困った登場人物たちが映画の中に散りばめられ、なかなかに入り組んだ構成(このため、一見、散漫な印象を受ける人もいるかも知れない)。例えば映画の最後の方での主人公逮捕のきっかけとなる一家、彼らの様子は映画冒頭で実にイヤらしく描かれるし、主人公を追う刑事の姿も映画早々に触れられ期待させておきながら、途中で実にアッサリと主人公に殺されちゃう。その他の登場人物たちのキャラクターもその多くはデフォルメされ、映画の中にゴチャゴチャと配置されているその中を、このヘンテコな主人公は、要領が良過ぎるのか悪すぎるのか、ただただ無感動に突っ走る。悪意も無ければ恐怖心もない。唯一、一度は殺そうとした女性に心を開き、財産を失った後に彼女に再会し、自首(?)を決意するあたりは、「ちょっとイイ話」に聞こえそうだけど、トンデモナイ、別に悔い改めた訳でもなんでもなく、むしろ、生きがいを失った彼が「自分が処刑される」ということに生きがいを見出し、処刑前には「映画を観ている我々に」イヤミのひとつでも言ってやる、ということに生きがいを見出したに過ぎない。うむ、これぞまさに規格外の男。規格外の映画。驚きの作品。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2013-07-24 22:48:37)
1963.  パリの灯は遠く
私も、カフカを思い起こしました。ドイツ占領下のフランスで、自分と同姓同名の人間の行方を追い求める主人公。なぜその人間を探すことにそこまで執念を燃やすのか、その理由は語られず、ただその姿が克明に描かれている点、そしてそれが徒労に終始する点、はたまた、残されたかすかな希望が絶望の裏返しである点、カフカの不条理世界に通じるものがあります。しかし、理由がはっきり語られない「同姓同名探し」が、必ずしも不条理なばかりではなく、不気味さを伴いつつもどこか切実さをも感じさせるのは、それがまるで「自分自身の影を追い求めている」ような行為として描かれているからでしょう。その点、つげ義春の『ゲンセンカン主人』のもつ怖さをふと思い出したりもします。舞台で歌われるマーラー「亡き児をしのぶ歌」と観客たちの空疎な笑い。この無責任で乾いた笑いは、ユダヤ人への弾圧という悲劇の時代における、醜悪な一場面ではあるけれども(そういやマーラーもユダヤ人だった)、それと同時に、人の生死があまりにも理不尽に、紙一重の差で決められてしまう、という滑稽さと恐ろしさに対する引きつった笑いのようにも思えてきたり。キザ過ぎる邦題とは無縁の、絶望と不安の映画です。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-07-22 21:32:28)
1964.  天国の約束
まさかと思うような「予想通り、そのまんま」のラストですけれども(笑)、にも関わらず、呆れることなく、まさかと思うほどサワヤカな気分になれちゃう映画でした。ある少年の1日の物語、いろいろな事件の発生する一日とは言え、わざわざ大人になってからの回想という形式をとるような内容でも無い気がするのですが、つまり回想のナレーションが時に鬱陶しく思われたりしなくもないのですが、とは言えこういうのも「懐かしさ」を醸し出すための、ある種お約束的なものではあります。あと、少年に感化を与える祖父の役にはメジャーな俳優をあてて、これがアル・パチーノ。と、このように言ってくると、まるで何から何までいかにも定番といった映画のように聞こえてしまうのですが、実際には必ずしも、そうでも無いのがこの映画。“定番”と呼ぶには、ずいぶんモヤモヤした内容で、そこが良かったりする。少年の目から見た大人の世界は、ホントによくわからない。大恐慌下で大人は大変らしいけれど、少年には少年の日常がある。大人はわからない、ましてや浮世離れしまくった爺さんの言うことはもっとわからない。少年の大人を見つめる目が映画には再三登場する…。いや、大人にも大人の世界はよくわかんないんだけど(笑)、そんなこと少年にはもっとわからない。わからないなりに少年はラストで背伸びをして、いざ背伸びをして見せると、大人はそれに視線で応え、なんとなく共犯関係が成立する。それが、「大人になる」っていうことなんだなあ。と、まあ、正直、「大人になる」とは実に訳のワカランことなんですが、そういう訳のワカラナさをそのまんま映画にしている。そこに好感が持てます。そして、アル・パチーノの役は、別にアル・パチーノである必然性はまったく無くって(長々しい演説をぶつ訳でもないし)、またそこに好感が持てたり。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-07-22 03:32:40)
1965.  大人の見る絵本 生れてはみたけれど
この作品、きっと人によって受け止め方はまちまちで、“だから大人ってイヤなんだ”と思う人もいれば、“なんちゅうムカつくガキどもだ”と思う人もいるかも知れないし、“メガネのお母さんに萌え萌え~”というマニアな人もいるかも知れない(これは私のことですかねはははは)。こういうさまざまな感情を我々に抱かせるのもやはり、この作品がとても見事に、活き活きと子供たちの姿を捉えているからでしょう。特に、親子喧嘩の場面、親父が子供のお尻をペンペンなんていうのは、現実世界でも日常茶飯事の光景(というよりマンガ的な光景)な訳ですが、その光景に我々はハラハラしながら観入って、引き込まれてしまう。他の方もおっしゃっている「サイレントであることを忘れる」シーンのひとつです。それにしても、やっぱり、父親ってのは、息子に超えられるための存在、なんだなあ、と。平凡なサラリーマンになって、外から見れば確かにそりゃ平凡なんだけど、誰しもが時には、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び、お先真っ暗、ああ給料をもらうのっていかに大変なことか、と思いつつも、家に帰って子供の顔を見ると「ま、いいか。要するにもう自分の時代じゃないんだよな、これからはコイツらの時代なんだよな」なーんて思ったり。そんなこと思いつつもやっぱり本能的に「コイツらに簡単に超えられてたまるか」とも思っていて、実際、簡単に超えられちゃいそうなしょうもない駄文をとある映画サイトに書き込んでいることなんかは、家族には秘密だったりする(笑)。世の子供たちよ、お父ちゃんがダメダメに思えたら、多分本当にダメダメなんでしょう、でも、苦労はしているのです。多少はいたわってあげてくださいな。そしてその苦労は、あなたたちもいずれする苦労です。そしてお父ちゃんは、あなたたちの将来を、本当に心配しているのです。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2013-07-12 23:35:00)(良:1票)
1966.  ミシシッピー・バーニング
高校の頃、いつもチャラチャラとふざけておどけてばかりいる奴がいて、およそ彼とはマジメな会話など殆どしたことがなかったのだけど、その彼と映画の話をしていた時(一緒に『リバイアサン』観に行こうぜ、というトホホな会話からの流れだったと思うが)、彼にしては珍しく「ミシシッピー・バーニングは観てて涙が出た」というマジメなコメントが飛び出したもんで、元々本作が気になりつつも観そびれていた私はさらに本作を意識するようになり、ビデオがリリースされたら早速レンタルビデオを借りて……で、「さすがアイツにマジメなコメントを述べさせるだけの映画だわい」と感心したのでした、と言いたいところなのですが、う~ん、イマイチ、ピンと来なかったというのが正直なところ。先日BSで放送してたので再見しましたが、やっぱり、う~んイマイチピンと来ず。“黒人への襲撃”は描かれるが、肝心の“黒人”は描かれない。事件が事件のまま羅列され、引き返し不能な「転換点」のようなものがない。エスカレートしていっている筈の各行動が、エスカレートしていっているように感じられない。つまり物語が無い。二人の好対照な捜査官を並べて、彼らの衝突を描くのかと思いきや、これもやや不発。クライマックスではついに非合法手段にすら訴え出るも、差別に対する怒りなのやら、手を出した人妻がリンチにあったことへの怒りなのやら。いやそもそもこの無茶な捜査、怒りによるものなのやら、単に「人狩り」を楽しんでいるのやら。こういたことを曖昧にしてしまうから、さらに羅列っぽさが感じられてしまう。本作の中では、あの、FBI捜査官たちがスーツのままぞろぞろと泥の中に入っていく場面なんて、サイコーだと思うんですけどね。ああいうシーンが単発で終わっちゃうのが残念ですね。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-07-10 23:27:26)(良:1票)
1967.  モンスターズ・ユニバーシティ
モンスターズ・ユニバーシティ、それは魑魅魍魎が集まる大学。って言うと、バカボンパパの出身校バカ田大学を連想してしまったのですが(笑)。子供と一緒に大いに楽しませていただきました。続編でしかも一作目よりも時代的に前の話を描くとなると、多少なりともデッチ上げっぽい感じがしてしまうんじゃないかかと思うところを、本作は見事に自然で無理のない「モンスターたちの若き日」を描いていて、まずもって好感が持てます。内容的には、他のグループとの競争がストーリーの骨格になっていて、これ自体は普通「ネタ切れの時の苦し紛れ」な設定であって、無理が無いとは言い難いのですが、いわばこれは長い長い助走、ちゃんとその後のひと波乱ふた波乱あって、ここでそれまでのすべてが生きてくる。感心いたしました。あとこの映画、ギャグも冴えていて、あのお母ちゃんの洗濯機のシーンなど、笑いが止まりませんでした。ちなみに、ウチの下の子が一番ウケていた場面は、エンドクレジットの後のヒトコマですので、最後まで席を立たないことをオススメいたします。
[映画館(吹替)] 8点(2013-07-10 22:48:18)
1968.  ワーロック(1959)
この作品からは強い怒りが感じられます。何しろ登場人物たちを片っ端から対決させて、ほとんどみんな殺してしまうんじゃないか、と心配になっちゃうような展開、ですから。ゴロツキどもに悩まされているワーロックの町。人々は、ヘンリー・フォンダ演じる保安官を雇って、これに対抗しようとする。やってきた彼は、なかなかにアクの強い男。いつも堂々とし、どんな危機にも臆することなく立ち向かい、しかしその一方では周囲に溶け込もうとすることなく我が道を行く男。すなわち、ヒーロー。彼は言う、今は皆に必要とされている自分も、やがて疎ましがられるようになるだろう、と。実際、彼の予言通り、彼はやがて邪魔者扱いされるようになっていくのたけれど、このあたり、当初の、人々の彼に対する卑屈なまでの期待と、後半の掌を返したような冷たい態度との対比が、露骨なまでに強調されていて、「良心的大衆」のもつ無責任さを厳しく糾弾しています。さてさてしかし、忘れちゃいけないのが、本作の主人公、リチャード・ウィドマーク。実際、冒頭で最初にクレジットされているのも彼。しかし本作の彼は、持ち前のアクの強さはH・フォンダとその相棒A・クインに譲り(この二人の示す同性愛的な関係も、世俗を超えたヒーローが伴うファンタジーの変形をみることもできるかもしれない)、ここではあくまでフツーの人であり、何とも頼りないチンケな小男の役。不器用な男。しかし彼は、大衆的な良心ではなく、自分の良心に従って行動する。ヒーローたるH・フォンダの「行動」に比べりゃ、普通人たる彼のそれはずっとスケールの小さい「行動」かも知れないし、実際、彼は何もできなんですけれども、彼がチンケであればあるほど、彼が何もできなければできないほど、彼の、まず行動を起こそうとする「勇気」が印象づけられます。そして彼を目立たぬながら物語の中心に据えたことによって、本作は、単なる「ヒーローいじめ」の物語ではなく、「ヒーローが存在できなくなった時代において、ヒーローが、ヒーローらしく退場する」という独特の物語、重層的な物語になりえたのかな、と思います。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-07-07 08:20:25)
1969.  馬上の二人
『捜索者』と同じく、先住民族に誘拐された人々を巡るオハナシで、類似した辛辣さを含んでいる部分もありますが、映画全体の趣きはいくぶん異なってます。そしてこちらも傑作だと思うのです。何かといい加減で調子のよいところのある保安官をジェームズ・スチュアート、彼の友人で、武骨でやや堅物な軍人をリチャード・ウィドマーク。この二人の絶妙なコンビぶりが、まずもって作品にユーモラスな色合いを添えています。二人だけのやりとりの場面では長廻しのカットが適用され、川べりで葉巻をくゆらすシーンが4分弱、リングル氏との会話の後のシーンが2分弱。二人の独特の関係が象徴づけられますが、二人の関係の描写に止まらず、この映画全体のテーマが、「人と人との絆」というところにあるように思われます。登場する数々の脇役たちがみな特徴的に活き活きと描かれ、主人公二人とこれらの人々のやりとり一つ一つがまた、「絆」でもあるのですが、その一方で、これらの人々は、かつて先住民に誘拐された身内を取り戻すこと、「失われた絆」の回復を望んでおり、その任務を主人公二人が請け負うことになります。しかし歳月によって失われてしまった「絆」は、もはやそう簡単に取り戻せるものではない、という厳しい現実。いやそれ以上に、この作品では、過去の「失われた絆」に対比して、「誘拐されていた女性に対する人々の冷たい視線」という、現在進行形の「絆の不在」をこそ、糾弾しているように思えます。そしてとどめを刺すように描かれる、「失われた絆」の象徴としてのオルゴール。そのオルゴールは今、目の前にあり、実は「絆」は失われていないかも知れないのに、人々の不寛容がその目前の「絆」を拒絶する、という現実。ラストではまたユーモアを取り戻した締めくくりとなっており、ホッとさせてくれるのが、本作の本作らしいところ、ではあるのですが、なかなかに手厳しい作品でもあります。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2013-07-06 09:45:17)
1970.  ベンジャミン・バトン/数奇な人生
老人として生まれ、だんだん若返っていく男。この設定からどんな面白いドラマが生まれるのだろう、なんて期待しちゃうと肩透かし。普通に考えりゃ、彼の存在は“奇跡”として大騒ぎになってマスコミが殺到して…となるところだけれど、そういう方面への展開は一切ナシ。この謎めいた運命は、当たり前のように受け入れられていて、ただただ、彼が人生において経験する出会いと別れが綴られていく。製作者の関心も、何だか、「世界の様々な場所、20世紀の様々な時代での、様々な出会いと別れ」を描くことにのみ向っていて、「主人公が若返る」という企画に乗っかって好きに映画作っちゃいました、みたいな感じがするのですが。だもんで、何かまとまったドラマの流れをここに見ようとすれば、その面では弱い作品かも知れません。若返るベンジャミンと対比して自分の老いを感じる女性、なんていうのも、やや平凡な発想(歳くったら、誰だって気にしてるんだよ! 誰だって折り合いつけてんだよ!)。しかしこの映画、ひとつの作品の中で、これほどまでに様々な「場所」「時代」という舞台が描かれ、しかもそのひとつひとつが実に丁寧に描かれていること、これには本当に圧倒されます。ドラマを語るためにそれぞれの場面があると言うより、印象深い場面場面の積み重ねがまずあり、映画がいつまでも続けばいいという想いがあり、しかし時間の進行とともに、人生が、そして映画の終わりが近づいてくる、というところにやるせないドラマが生まれる……。あと、「主人公が若返る」というイマイチ煮え切らない設定が、最後どこに行きつくのかと思ったら、そりゃまあ主人公の寿命が近づくにつれ子供になっていく訳ですけれども、これ、まるで毛色の違う映画ですが『まあだだよ』の百閒先生(ラストシーン!)を想起させて、これまた感慨深いものがありました。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-07-02 23:31:43)
1971.  ザ・プラマー/恐怖の訪問者
何とも言えぬ味わいの(笑。ホントに何と言っていいやら)、不条理サスペンス。ある日、配管工と称する男がやってきて、「管理人に頼まれたから」と浴室の工事を始めるが、これが何とも怪しい男。で、普通の映画なら、この男、何やら裏で悪だくみを働いていて、やがて思わぬ真相が明らかに~~ってな展開が期待されるところですが、本作、そんな小細工なし。この配管工、ただただ、迷惑なだけの困った人。悪人ですらない。工事は一向に進まず、浴室は荒れ放題。勝手な事ばかりする配管工、しまいにゃギター片手に歌い出す始末。彼の奇行に悩まされるこの部屋の奥さんが本作の主人公で、その戸惑いや不安感が、なかなかに上手いのです。何を考えているか分からない、けれどもこういうヤな奴っているよな、という感じの配管工の男、彼との間にはまるでコミュニケーションが成立していないんだけれど、「どうやら自分以外の人間は彼とコミュニケーションが取れているらしい」という不気味さ。誰に相談しても、それこそ旦那に相談しても、まるで埒が明かず、孤立感はいよいよ募っていく。と言う訳で、この作品、テレビ作品らしく安っぽい部分もあるし、ここでコマーシャルですよ的な暗転が入ったりもするのですが、社会生活の根幹とも言うべき「他者とのコミュニケーション」というものが本来的に持っている不確実さ、不安定さを、不条理世界の中でサスペンスとして描いてみせた、なかなかにユニークな作品であります。 オチも実に辛辣。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-07-02 22:48:48)
1972.  悪名十八番
今回のオハナシは、市会議員に立候補した朝吉親分のお兄さんと、対立候補との戦いを描きます。……って、なんちゅうスケールの小さいオハナシなんでしょうか。せめてせめて“市長”の聴き間違いではないか、と耳を疑ったのですが、“市会議員”、ですってさ。市議選だの、近所の相撲大会だの、そういうレベルで、命を狙ったり狙われたり。大変ですなあ。今回の朝吉親分、親分らしさを発揮することもなく、ただの相撲の強いチンピラオヤジみたいな感じですが、妙に、大食いという部分が強調して描かれており、勝新の見事な食べっぷり(だけ)が本作の見所でもあります。カレーライスをあまりにもおいしそうにガッついていたもんで、本作を観た昨日の晩御飯は我が家もカレーにしました、ハイ。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2013-06-16 08:45:21)
1973.  盲目ガンマン
日本の『用心棒』とかという映画をパクッて一発当てた奴がいるので、それならオレは『座頭市』をパクッてみよう、という趣向でしょうか。何も無理してパクる必要も無いと思うのですが。主演のトニー・アンソニーという人が、製作、脚本。要するにこのヒトの映画。彼が演じる主人公はもちろん盲目のガンマン(じゃなかったら、この邦題なんなんだよ)。勝新気どりで、盲目の演技もノリノリ、しかしそもそもなぜ主人公を盲目という設定にしなきゃならなかったのかは、正直よくわからんのです(まあ、とりあえず「パクる」という発想だけがあったから、としか考えられないのですね)。「盲目なのに強い」というエキセントリックな役作り、は感じられず、この主人公、普通に弱いのです(笑)。顔は、勝新というよりは、新日本プロレスの中邑真輔選手に似てなくもないし、特にクネクネしている時の中邑選手の感じに近いですね。盲目というハンデ以前に、いつもフニャフニャニヤニヤしているこの主人公、基本的に弱くって、何かにつけ敵にヤラレちゃう(これがまた、「股間に爆弾をしかけられる」とか「ヒモで手足を吊るされ上下される」とか、バラエティ番組の罰ゲームのようなレベルだったりするのですが)。ただし、この激弱な主人公も、ごく稀に巧みなガンさばきを見せたり、イザという時はダイナマイトで派手な戦いを繰り広げたり、とりあえず普通レベルにはマカロニ作品らしいサービスを繰り広げております。あと特徴と言えば、やたらハダカが出てくることですかね、出演した女性は基本的に全員脱いでるんじゃないですかね。女囚映画みたいなシャワー(?)シーンがあったり。あと、天下のビートルズから約一名、出演しているというのも(主人公の仕掛けた意味不明のトラップにより、パンティに目が眩んで命を落としてしまう!?のだけど)まあ、特徴と言えば特徴でしょうか。そういう、平凡な作品です(笑)。
[DVD(字幕)] 6点(2013-06-16 08:17:03)(良:1票)
1974.  パブリック・エネミーズ 《ネタバレ》 
確かに、物語性のある起承転結はここには無いかも知れないし、その点は本作の弱みとも言えるもかも知れませんが、これは明らかに確信犯的なもの。事件と事件の連関をオハナシとして描くのではなく、ジョン・デリンジャーの生き様そのものを物語とする。そういう意味では散文よりも詩に近いかも知れません。そしてそこにクリスチャン・ベール演じるメルヴィン・パーヴィスの生き様、というか執念が交錯する。むしろこの作品におけるジョン・デリンジャーは、悪の自由を満喫する“民衆の敵”としての姿よりも、パーヴィス捜査官に追われ追いつめられる不自由な姿の中でこそ、その孤独さの中でこそ、光っていたようにも思います。そして、何よりも印象的なラストシーン。涙を流す女の瞳をのみ映し続けるそのシーンでは、もう女の目には現実の何も見えていない、ただ過去のみを見つめるその視線が、たまりません。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-06-09 12:33:10)(良:1票)
1975.  十三人の刺客(2010)
どこか超現実的な浮遊感とも言えそうな虚無感を漂わせていたあの元映画よりも、『将軍家光の乱心 激突』のスペクタクル調に近いかも知れません。だから、あのスックと立ちふさがった姿、役所広司じゃなくて千葉真一だったらなあ、と思わんでもないし、殿様の「イッチャッテル感」も京本政樹の方がストレートだったりするのですが、まあ何にせよ、この作品、“修羅場”の映画です。「タイタス・アンドロニカス」のノリとも言ってもいいかも知れない。クライマックスの破壊と修羅場を描かんがためにすべてを準備し、あとはただひたすら、殺戮、破壊、修羅場。“刺客”たちが次々に弓矢を投げ捨てる姿がひたすらカッコいいのです。そしてあの鮮烈な、「みなごろし」の文字の、どんな残酷描写よりも引けをとらない恐怖。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-06-09 12:05:21)
1976.  なにはなくとも全員集合!!
むかし年末年始のテレビでよくドリフの映画を放送してて、子供心に、「ドリフって、テレビでは面白いのにどうして映画ではこうもつまんないんだろう」とか思ってた訳です(『正義だ味方だ~』みたいにバカ笑いしたものもありますが)。大抵は途中で観るのをやめちゃったっけか。で、このたびBSで(しかもゴールデンの枠で)ドリフ映画を放送するってんで、こういう映画、今観たらどうなんだろう、と。はい、この映画は観たことなかったです、かつ、子供の頃の自分だったらやっぱり途中で観るのやめちゃったと思います、ドリフ、脇役だもんね。桃屋のオジサン出てるけど(笑)。あまりドタバタの要素も無いし。でも逆に言えば、「ドリフ映画」という縛り抜きで、これはこれで活きのいいコメディ作品として楽しませてくれます(まあ、タバコの取り合いをする長廻しのあたりなどは、コントを意識したサービスかも知れませんが)。鉄道職員とバス会社の対立を超えて愛を実らせる若い二人……って、コレ、元ネタは「ロミオとジュリエット」じゃないですか。志ん朝師匠と中尾ミエですけど(笑)。若いドリフが脇を固めて盛り上げる。それにしても、(ドリフのコントと“映画”との相性が良いかどうかはともかく)高木ブーだけは、テレビよりも、ちゃんと役割を振ってもらえる映画の方が、若干、活き活きしている(ように見える)のでした。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-06-09 08:22:25)
1977.  セント・オブ・ウーマン/夢の香り 《ネタバレ》 
これまた奇妙に味わい深い作品でして、でもその味わいというものが、作品として成功によるものなのか失敗によるものなのか。という言い方をする時は要するに、多分後者なんだろう、と思っている訳ですが。だって、このアル・パチーノ演じるオヤジ、本当はもっとストレートに“頑固でワガママ”なヒトだと思うんですけどね。少なくとも映画の前半は、もっと素朴にイヤな奴であっていいと思うんですけど(で、最後の最後に光って見せればいい)。ところがところが、最初からアル・パチーノ節全開、貫禄出しまくり、最初っから「このヒト、只ものじゃない、何かあるな」と思わせてしまう。実は何も無いのにさ。てっきり、この映画は「変人であり賢人である隠者のようなジジィと付き合ううちに世界の広さに目覚めていくクリス・オドネルの成長物語」という趣向かと思っちゃうところですが、さにあらず。どっちかってと、アル・パチーノの“成長物語”なんですね。ワガママばかりのジジィ、しかし実は視力を失ったことで世界に絶望しているジジィが、最後に若者のために一肌脱いで見せる。そこが感動的。感動的なのはいいけれど、アル・パチーノが異常なまでに見せつける貫禄にはどうも違和感があるのです。「弱さ」を乗り越えてのラストのはずが、その「弱さ」が見えない。だから、この映画、変。その変な感じが、奇妙な味わいでもあるんですけどね。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-06-06 21:03:30)(良:1票)
1978.  メガフォース
この映画って、まるで……お爺ちゃんが孫を喜ばせようとして見よう見まねで考えたようなトホホなマシーンにトホホなコスチュームが満載、周囲の「いくらなんでもちょっとそれは……」という忠告も聞かず、「ふん、孫の好みはワシが一番よく知っとるわい」と強がってみせたはいいけど、結局肝心の孫に「幼稚。ダサ過ぎ。お爺ちゃんサイテー」と愛想を尽かされてしまう、そういう世間にアリガチな悲劇を連想してしまう、そういう作品です。はいはいはい。ま、最後の「空飛ぶオートバイ一回転」なんて辺りを見てると、作り手の方も別に真剣にやってる訳じゃなさそうなんですけれどもね。製作費87億円(87円を置くんとちゃいまっせbyトミーズ雅)、その大半をメカにつぎ込んだという。ゼロの数、あってますか? とにかく、内容がアホらしいのはまあそれはそれで結構なんですけれども、内容が無いってのは、あんまりよろしくないですよね。前半「作戦はこうだ!」と紹介し、後半その通りに作品が展開されるだけ(多少、予定外の方向に展開するものの、正直、どうでもよろしい)。ああ、中身が無い。全編通してただただ、この“メガフォース”を自慢げに描くだけ、だけど何が自慢なのやら、サッパリなんです。ああメガフォース。我らがメガフォース。しっかりしろメガフォース。
[DVD(字幕)] 4点(2013-06-03 21:19:57)
1979.  二十四の瞳(1954)
オハナシだけに注目しちゃうとどうもピンと来ない。幼き日における学童と先生の交流があって、歳とともにだんだん皆離れ離れになって、と、そこまではいいとしても、この後、反戦丸出しになってしまうのがいただけない。かつての学童たちも戦争にとられて幾人もが命を失い、ああ悲しい、と。戦争によって奪われた過去。って、戦争さえなければ「過去」は失われない、ってな訳でもないでしょうに。誰にだって決して取り戻すことのできない「過去」がある、実際このオハナシも中盤まではそういう物語だったハズでしょ。どうしてその微妙なアヤを、「戦争」=「大勢の死」=「悲惨(なにしろ大勢だから)」という大味な方向にもっていっちゃうんでしょうか……。と、戦後の道徳教育(いわゆる「先の大戦」について、悲惨さ以外の観点で語ることを許さない流れ)にいささかウンザリさせられた世代としては、正直、こういうオハナシは苦手なんです。で、苦手なのに、映画ではちゃんと感動させられるんだから、参っちゃう(笑)。「歌」を交えることで場面場面をゆったり描くこと、それが(私の本来なら苦手な)あの戦後の同窓会のシーンに繋がってくる。取り戻すことのできぬ失われた「過去」とは、目の見えぬ者が「見る」あの写真であり、また流れてくる歌声であり。この場面を経由した後、ラストで雨の中自転車を走らせ、日常へと帰っていく大石先生の姿がたまらなくいとおしい。あと、この作品は『となりのトトロ』の原点だと思っています。大石先生が骨折し、大人を呼びに行く子供たちの走る姿、最後に画面の向こうに走り去っていく子供たちの姿は、とうもろこしを持って走っていくメイや、メイを探して走るサツキにそのまま受け継がれてます。さらには、母ならぬ大石先生を求めて迷子になってしまう子供たち、そして、そこにやって来るバス……。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2013-06-01 13:25:26)
1980.  ターミネーター3
子供のころ(ってか今でもそうだけど)街でクレーン車の頑強で雄々しいボディを見かけたら、「クレーン車でカーチェイスしたらさぞかしスゴイだろう」と思ったもの(誰しも一度は思ったことあるでしょ!)、それをホントにやってくれた画期的な映画。しかしさらに「クレーン車にシュワをぶら下げたらもっと面白いだろう」というところまでは思いつかなんだ。天才ですね…。さてこの、シリーズ中で「どうしようもない」位置をしっかりと占めてしまっている異色作ですが。2作目のパロディですね、これは(さらに、野獣が美女に蹂躙されるこの愛すべき設定は、『スピーシーズ/種の起源』風味とも言えます)。ここに登場するジョン・コナーは、2作目の彼というよりも、2作目を観てその世界に浸り切り、すっかり妄想にとらわれてしまったオタク青年、といったところ。そこに妄想そのまんま、ホントにターミネーターがやってきちゃった、しかも敵は2作目より遥かに素敵な美人ちゃんだし、味方は2作目よりもっと融通の利かないポンコツ野郎。まるで主人公を相手にしていないかのようにロボットどもが暴走し、妄想の主が「現実の妄想」についていけなくなっていく。観終わっていつも感じるのは、「ああ、さすがにそろそろ現実の“現実”に戻らないとな」(笑)。この作品、「もう3作目にもなるので、色々遊んでみました」路線としては大成功だと思うのですが、どうでしょうか。
[ビデオ(字幕)] 9点(2013-06-01 05:50:11)(良:1票)
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