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あにやん‍🌈さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2534
性別
自己紹介 レビューを相当サボってしまってるの、単に面倒になっちゃってるからなんですよね。トシのせいか、色々とメンド臭くなっちゃって。
映画自体、コロナ禍以降そんなに見に行かなくなったのだけど、それでも年に70~80本は見てるワケで(でも今年は50本行かないかな?)、レビュー書けよ自分、って思ってる、でもなんか書かない、みたいな。
これからは今までよりも短文でレビューを上げてゆきたいな、と思う次第であります・・・微妙だけど。.

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【製作年 : 2020年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  ラストマイル 《ネタバレ》 
 『アンナチュラル』は見てたの。面白かったのだけど最終回に納得いかなかったのね。いやそれって普通に犯罪でしょうよ、なんで物語的に許されてしまってるの?みたいな。   んで、その時の感覚に近いモノをこの映画にも感じ続けてた、みたいな状態ではあったわ。  爆破テロの渦中に存在しながらヒロインの言動はあまりに他人事というか当事者意識薄すぎで、裏とかミスリードとかいう以前におかしくない?って感じで。  映画はテロの被害者にあまりに冷淡で単なる装置というか素材に過ぎない状態で(かろうじて母子家庭にだけ多少の色は付けてたけれど、それもクライマックスの見せ場のための存在とも言えるし)、それは真相に至る道をボヤかしておく必要からだったのかもしれないけれど、物語のトリックがあるべき人間性よりも優先されてしまうのは本末転倒じゃないかしら?   それから今のネット通販の物流システムに対する批判的な視点があって、それは利用者の意識にも向けられているように思えるのだけど、その批判はもっと上に向けられていてもいいんじゃないかしら? 法律の問題、労働基準法の問題、雇用の問題、システムの問題なのだから、少なくとも企業はともかく利用者にその責を負わせるのはちょっとどうなの?その犠牲を生む根源的なモノはもっと上の方にあるんじゃないの?って。アメリカの本社が云々でなくて。   だけどオールスターキャストによる社会派サスペンスのエンターテイメントっぷりを楽しめもしたわ。全編狂騒的で少し落ち着けって感じではあったけど、大勢の出演者が次々と登場しては作品を盛り上げてゆく感じは見ていて気持ち良かったし。渋谷で見たので映画からリアルに繋がってゆく感じもなんだか面白かったし。   まあ、犯人が実はアレだったってのは多分アレからの引用よね・・・
[映画館(邦画)] 6点(2024-09-16 14:41:40)
2.  エイリアン:ロムルス 《ネタバレ》 
 あーんまり。   印象としては前半が1の番外編、後半は2と4の縮小再生産(3の要素はあったかしらねぇ? 3は公開時に1回見たっきりなので細かな記憶は無いわ)。美術デザインからエピソードからゴールドスミスやホーナーの音楽まで、オマージュいっぱい、っていうかそれだけでできちゃってるような映画。   最後のニューボーンもどき(ニューボーンのような可愛げは無し)を除けば廃墟にこれまでの既知のエイリアン(フェイスハガー、チェストバスター、ゼノモーフ)そのままのモノがとりあえずいっぱい配置されているだけで、そこを進んでゆきます、各所に脅かしどころがあります、っていうお化け屋敷映画。エイリアン自体も弱いというか数はいっぱい出てきてもちっとも絶望的な脅威には見えてこない障害物状態。アッシュ再登場!って言ったって相変わらずだし。そしてそれ以上のモノはないので新たな驚きやワクワクみたいなのは全然なのよね。ちっとも新しい事してないわ。   しかも困ったことに監督の過去作『ドント・ブリーズ』と基本一緒。運の無いヒロインが泥棒一味に加わって乗り込んでゆくけどエラいメに遭っちゃって、っていう。爺さんかエイリアンかの違いよ。誰が生き残るのか、メンバーが揃った時点で予想ついちゃうし。   題材となるノストロモ号の残骸がそのまま『エイリアン』というコンテンツの残骸のようで、そして20世紀フォックスという企業の残骸のようで、自覚的にやっているならばシニカルな映画って感じだけど、あんまり自覚してないんじゃないかしらねぇ。  アタシが見たいのは『エイリアン5』なのよね。過去作を弄って停滞するんじゃなくて先に進んだ物語。で、それは『ゴーストバスターズ』(2016の続きが見たいわ)や『ターミネーター』(『ターミネーター5』が見たいわ)なんかにも言える事で、なんでしょうねぇ、この過去の栄光にすがって同じところをぐるぐるするばかりのネタ切れのどん詰まり感。
[映画館(字幕)] 5点(2024-09-07 15:13:42)(良:2票)
3.  きみの色 《ネタバレ》 
 IMAXの大画面と大音響いっぱいに「山田尚子」を浴びたわ。それは雑味のない、どこを切り取ってもまごうことなき山田尚子監督の世界。光、色、音、水、空、窓、鳥。全編に監督が多用するモチーフに溢れていて。それはひたすら幸せな時間。   バンドものアニメって最近色々あって、そんな中では物語として特に目立った特徴のある、特異な作品というワケでは無いわ。ミッションスクールと教会を舞台に、聖書の教えがテーマとして芯に存在していることくらいかしら。  バンドが作られてゆく過程や等身大の悩み、それがドラマチックに、という訳ではなく、なんとなくこれまでにもあったようなカンジで(もっとも元々山田尚子監督はバンドものアニメの原初的な作品『けいおん!』の監督であるわけだけど)。猫に誘われて辿り着いた先に、なんていうのは何度も見たパターンね。   でも、それが山田尚子監督の手にかかると繊細で優しい、キラキラ輝く心地良い世界へと昇華されてゆくわ。そうね、『聲の形』みたいな厳しい痛みも『リズと青い鳥』みたいなせつなさもあまり無くて、『けいおん!』や『たまこラブストーリー』の世界に近いかしらね。  ディティールに凝り、色と音にこだわり、舞い上がってその先へ続く未来を祝福する、そんな映画。山田尚子監督の世界を無条件に愛する人には至福の時を過ごせるカンジ(そういう意味ではちょっと限定的なのかも)。   今回、窓が重要なモチーフになっていて、外側と内側の世界を隔てていたり、それを越えて物語が動いたり。全然違うジャンルだけれど同じように窓がメタファーになっていた『戦場のピアニスト』を思い出したりもしたわ。  あと長崎、離島、教会、音楽映画、そしてガッキーって事で『くちびるに歌を』も。山田尚子監督版『くちびるに歌を』ってところかしら。   山田尚子監督作品としてはこれまでで最も大規模な公開のされ方だけど(IMAX版が上映されるくらいだし)、そんなに気負うことなく、サラリと触れるのがいいと思うわ(アタシはガチガチに期待しまくってたのだけど)。
[映画館(邦画)] 9点(2024-08-31 15:44:00)(良:1票)
4.  フォールガイ 《ネタバレ》 
 なんでこんなとっ散らかった映画になっちゃったのかしらねぇ? アレやコレやと色々盛り込んだせいでテンポ悪いわ、物語の流れが不恰好だわ(登場人物の言動に納得できない箇所が多過ぎ)、ラブストーリーとアクションとがお互いを薄め合ってるわ、コレ面白いでしょ的な映画ネタが余計な贅肉みたいになっちゃってるわ、ドラマもアクションもダメ押しのようにクドいわ、ゴージャスな素材を盛り込んだつもりが随分ダラダラとしたモノになっちゃたって印象ね。   『サイレント・ムービー』とか『カメラを止めるな!』とか、ああいう「映画を作ろう!」ってキモチがそのまま映画になってる、そういう入れ子細工構造なのはいいのよね。  だけどハリウッド的なバジェットとかプロダクションとかスターシステムとかまでも入れ子細工化してしまっていて、ちょっとグロテスクな感じがしてしまうのよ。これがハリウッドでござい、みたいなのが無自覚にいっぱい入りこんじゃってるような。  ロケ撮影中のハズの映像が(未来の、そういうカタチになる予定の)VFXで埋め尽くされた完成映像として表現されるあたりなんか面白いネタのつもりなんでしょうけれど、見てるこっちは金持ちの悪趣味としか思えなかったわ。   大体、スタントマンの大変さを描き、って割にはそれがあんまり伝わってこない(エンドロールで断片的にチラチラ判る程度)のが問題なのよね。VFX使わず現場主義!みたいなシーンを描きつつ、映画自体はVFXタップリで、じゃあどこまでが?っていうのは虚実に紛れてよく判らないっていう。   わがままで才能の無いスター、映画を完成させる事だけが大事なプロデューサー、大量のスタッフで溢れて意思の疎通もままならない撮影現場、そういうハリウッドの映画製作の実態みたいなのをシニカルに自己批判的に描いた映画、にしてもそれがそのまま実際の映画にカタチとして表れちゃってるのは、ねぇ。   もっと削ぎ落とされた、スマートな映画が見たかったわ。
[映画館(字幕)] 4点(2024-08-21 08:54:28)
5.  劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:Re: 《ネタバレ》 
 前作に顕著だったダイジェスト感は薄まって、でも文化祭のメイド喫茶なんていう定番ネタが結構な割合を占めた事で萌えアニメ感が強くなって。  あと前作に引き続き本来セリフのあった映像に歌を流してPV風にするのは歌を聴かせたいんだか映像を見せたいんだかハンパな感じで。   ぼっちとその仲間がバンドという1つの共同体を形成してゆく、その過程は前作の方が明確で、今回は文化祭のほか、江の島観光も含めてエピソード集みたいな状態ではあったわ。  4人のメンバーや周囲の人々の関係性やドラマをほのぼのと楽しむ、にはちょっと類型的というかありがち過ぎな感もあって。  『ぼっち・ざ・ろっく!』ってコンテンツそのものはそう昔からのモノでもないのに感覚的に過去のモノになりつつあるような気もして(『けいおん!』の系譜ね)、それは『推しの子』や『ガールズバンドクライ』、『夜のクラゲは泳げない』、『トラペジウム』みたいなクセのある音楽モノが台頭してきている中でのオーソドックスさ、みたいな感じもして、でも、だからあの不穏なラストシーンだったのかしら? だったらそれを継いでの二期発表、みたいな流れがあるのかな?って思ったのだけどそれは無かったわね。   あそこで終わり、あとは原作をどうぞ、ではなくてその先に対する映像化の責任は果たして欲しいところね。このところテレビアニメは12~13話で話途中でぷっつり終わっちゃってその先無し、続きは原作読むしかないですよ、ってまるで宣伝みたいな作品が多過ぎるから。
[映画館(邦画)] 6点(2024-08-13 15:49:25)
6.  インサイド・ヘッド2 《ネタバレ》 
 前作はピクサー作品の中でも最も好きな映画だったけれど、今回も楽しませて貰ったわ。   思春期を迎えたライリーに訪れる感情の嵐を描いた2作目。人格を形成してゆく上でライリーの内部はかなり複雑になって、シンパイを始めとする新たな感情の影響によってこれまでの様々な経験がヨロコビの思惑から外れて混沌を生み出し・・・そうね、人生は複雑で厄介だわ。ライリーとヨロコビを通して単純な善悪、正邪の二元的世界から重層的に絡み合った世界へと成長してゆく過程を描くお話。   前作に比べるとちょっと色々とひっかかってしまうところはあるのね。  追い出されてしまった感情たちが指令室を目指す展開は前作の焼き直し感があるし、前作はそれが旅のような道程に感じられたのだけど今回は要所要所が点で描かれて、あまり長い道のりを移動してゆく感覚はないのね。  シンパイは悪役みたいなポジションになっちゃってるし(彼女の判断もまた重要な筈なのだけれども)、前作が産まれたばかりのライリーの中にヨロコビが生まれてからの10年以上が描かれ、そこに誰にも当てはまってゆく普遍性が描かれているのに対して、今回は主な物語がたった3日間の出来事なのでライリーのごくごくパーソナルな、生活のちょっとした一部を切り取ったような感覚。外側の舞台もほぼ合宿先の高校という閉塞した空間ゆえ、かなり閉ざされた感覚のする映画なのね。   でも今回はライリーが本当に人間クサいキャラへと成長してる事を実感させてくれるの。何しろ見ていて共感性羞恥が刺激されてギャー!ってなっちゃうシーンが続出。『私ときどきレッサーパンダ』もギャー!って映画だったけれどアレって前半の方だけだったでしょ、でもこの映画はほぼ全編。「ライリー、いた、いたたたた」みたいなシーンに悶絶必至、って。個性的な感情たちによってライリーに人としての魅力が備わってゆく流れ、それは作品創りにもシンクロしているみたいで、それって映画的だわね。   個人的には推しなムカムカの出番が多かったのと、イイナーが可愛かったのが良かったわ。あとジアッキーノ先生の音楽が前作を踏襲して心地よかったのも。エンディングの日本語版独自主題歌(お得意の既成曲流用パターン)はちょっとアレ。
[映画館(吹替)] 8点(2024-08-02 15:15:20)(良:1票)
7.  デッドプール&ウルヴァリン 《ネタバレ》 
 ネタはね、面白がっちゃったの。ディズニーやマーベルを弄り倒して、過去作に色々とチャチャ入れて。だけどそれで映画一本作っちゃダメでしょ、って。映画本体がソレなんだもの。メタ発言がそのまま映画を構成しちゃってるんだもの。いくら莫迦が本質だって言ったって莫迦にもほどがあるわ。  大体、マルチバースを批判しながら映画はマルチバース頼りの物語になってて見てる方は「またかいな」ってゲンナリよ。マルチバース自体が作品を成立させている『スパイダーバース』以外、もうマルチバース止めない? なんでもアリはなんにも無いのと同義よ?   これまで描かれてきたMCUとそこから外れたフォックス系マーベル作品を総て内包してあった事として肯定している点は良かったわ(だけどソニー系マーベルは排除されてるわね)。でも露悪的にわざと『ローガン』を冒涜してみせるあたり気に入らないし、全編に漂う露悪趣味がむしろ言い訳がましくダサく感じられたりするのね。ワザとイケナい言葉使っちゃうとか小学生レベルよ。ディズニー映画でこんな事しちゃう俺ちゃん、とかダサいわよ。逆にシリアスにドラマ語り始めると途端にテンポ悪く、鼻白んじゃうし。   一方で戦闘シーンとか特に斬新とか面白い事してるとかは無いのよね。デッドプールが第四の壁を越えて「ここからお楽しみ」みたいに言うウルヴァリンとの戦闘も大して面白くないし、延々と横スクロールしてゆくアクションなんてのもありがちだし。  退屈はしなかったけどいい映画見た感は無かったわ。   エンドロールを含めて20世紀フォックスの墓標、鎮魂歌として機能してたりする部分は良かったかな。
[映画館(字幕)] 5点(2024-07-25 14:11:20)
8.  ルックバック 《ネタバレ》 
 原作マンガはごくごく私的な物語として描かれていると思うの。作者の個人的な気持ち、感情の発露。そしてそれは京都アニメーションの事件をなんとか自分の中で消化して昇華して(もちろん、しきれないのでしょうけれど)って作者の葛藤があって。   だけどそれをアニメ映画として企業と多くの人の手を経た作品にするとなるとニュアンスに違いが生じてきてしまうと思うのね。商品としてパッケージングされ公開されるものへと移行してゆく、そこに個人的にどうにもこうにも割り切れなさが生まれてしまうの。良かった、感動しました、で消費して完結していいモノなの?っていう。アレはまだ全然終わってないのに、終わり様もないのに。   アニメとしては良く出来た作品よね。原作にほぼ忠実な映像化だし、キャラの心情に寄り添う、その細やかな表現に心が動かされるわ。でもこれはあくまで藤野の物語。京本の「もしも」の物語はあくまで藤野を救済し一歩を踏み出すための存在。京本に訪れる理不尽な出来事を打ち消すモノではなくて。  そしてだけどアタシは藤野ではなくて京本に心を寄せていた。と言うか京本の物語としてしか捉えられなかった。ので、そこに閉じ込められたわ。塞がった感覚ね。そこにあるのはただ藤野を見送る視点。閉ざされた未来。   京都アニメーションの事件を経て、でもそこから先に進んでいる人たちがいるわ。新作も生まれているし、そこから離れて新たな進化を続けている人もいて。  だけど勿論それぞれに疵と痛みを抱えているのでしょうし、そこから先に進めなかったり、消化も昇華もできなかったり、立ち止まったままだったりって人も存在していて、それを否定はできないわよね。   アタシにはまだこれを商品として消費するのは無理だったわ。そして多分ずっと無理ね。
[映画館(邦画)] 6点(2024-07-18 16:07:25)
9.  劇場版 SPY×FAMILY CODE: White 《ネタバレ》 
 元の原作・アニメから「アーニャかわいい」以外のなんにもないような(失礼)シロモノなので、アーニャかわいい以外期待することもなく、でもそのアーニャかわいいもイマイチだったかなぁ。何しろ下ネタを長々と引っ張ってるし。   ロイドもヨルさんもプロフェッショナル、デキる人間として設定されているワリにはわちゃわちゃと動揺し過ぎでねぇ。いや、そここそが面白いんでしょ、って言われるかもしれないけど。   映画はレビューの最初の方が仰ってる通り『クレヨンしんちゃん』映画みたいだわ。「フォージャー一家、ファイヤー!」みたいな映画よ。他愛もない動機から始まって陰謀に巻き込まれて下ネタ挟みつつ一家が団結して解決、みたいな。まあでも微妙なデキの時の『クレしん』程度よね。  飛行船内でのヨルさんのアクションとか見どころもあるのだけど、その前に続く浮気?勘違いネタなんかは他愛無さすぎてそんなんでいいの?って見てるこっちが恥ずかしくなっちゃうカンジ。まあ元々ウケてる層が小学生中心みたいな状態なのでお子様向けな脚本になってるんでしょうけど、でも子供だってちゃんと見るトコ見てると思うわよ。  アーニャの変顔がウケがちだからって変顔させ過ぎよね。もっとかわいいアーニャをいっぱい見せて欲しかったわ。   なんとなくアニメの延長線上で映画化してみました、みたいな印象でまーこんなもんよねー、ってところで、もう少し映画として気合いの入ったモノが見たかったわ。
[映画館(邦画)] 5点(2024-06-20 16:00:45)
10.  劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re: 《ネタバレ》 
 ここ2~3年、昔に戻ったようにアニメいっぱい見るようになって150作3000話くらい見てるのね。そんな中では『ぼっち』は世間の評判に比べて個人的にはそーんなに、だったのよね(個人的なお気に入りは『宇宙よりも遠い場所』『あそびあそばせ』『女子高生の無駄づかい』『三ツ星カラーズ』『江戸前エルフ』ね。プリキュアシリーズは除いて)。キャラの設定や配置、主人公をフォローしてゆく周囲の優しさとか仲良しっぷり、良くも悪くも『きらら』色だわ。結束バンドのCDは買ったけど。   映画版はとりあえず繋がりが悪いかな。エピソードの流れがキレイとは行かなくてそーんなに大幅カットってワケでもないのにブツ切れ感があって。歌を流して映像の方はダイジェスト、みたいなのはファン向けな印象ね。ぼっちちゃん、テレビシリーズに比べるとわりとあれよあれよとバンドに慣れていったカンジ(あ、ちなみにぼっちちゃんって呼称は『ひとりぼっちの○○生活』の主人公が先行してるわね。彼女は本名からして「一里(ひとり)ぼっち」なのだけど)。   でも、こうして映画というカタチになった事でひとつのまとまった作品としての見応えが生まれた感じ。ぼっちちゃんのダリのようなシュールレアリズムみたいな変化っぷりもこうしてまとまると映画の中の特異点になって独自の個性を放つ事になって。ぼっちちゃんの奇異っぷりが際立ってそこだけでもお楽しみポイントになるわ。今回の映画は結束バンドって集団よりはぼっちちゃん個人に多く視点が向くような感じがして、不器用なコミュニケーションによって彼女の世界が広がってゆくのを改めて楽しむことができたわ。   受動的(コミュ障)な主人公が異様に能動的でハイテンションなキャラ達に引っ張られて、ってのは萌え系アニメにありがちなんだけどね・・・
[映画館(邦画)] 6点(2024-06-20 15:39:20)
11.  映画『からかい上手の高木さん』 《ネタバレ》 
 「高木さんめ~」って映画では西片言ってたかしら?   ワリと楽しみにしてたのだけど、最初から微妙に違和感抱いて結局最後までそのままになっちゃった感じ。永野芽郁さん、好きなのよ? 『俺物語』とか『PARKS』とかの頃から最近だと『マイ・ブロークン・マリコ』なんてとても良かったし。でも彼女の高木さんはなんか個人的に解釈違い、みたいな。  原作マンガは読んでなくて、アニメシリーズ1~3期、アニメ映画版、ドラマ版は見てて、あと姉妹編な『あしたは土曜日』は読んでて(個人的にあの3人が好きで)、自分の中に高木さん像ができてて、それらの中ではいちばん今回の映画版の高木さんがなーんか違和感あって。解釈違いって点ではアニメ映画版の高木さんもクライマックス部分、違うんじゃない?って思ったりもしたのであくまでごくごく個人的な感じ方ではあるのだけど。  大人になりました、って設定から来る変化を自分の中で上手く咀嚼できなかったのかなぁ? なんだか俗っぽい高木さんって感じで。世俗にまみれて変わっちゃった高木さん、みたいな印象。西片の方はずっと小豆島にいたのであのまんまでした、みたいな印象だったけど。っていうか10年経っても中学生のままみたいで、それはそれでどうなのよ?とも。でも高木さんって自分から告白したりはしないと思うんだけどなぁ。   ドラマ版から繋がっている作りには感動したし、小豆島の美しい風景を捉えた映像はもちろん良かったわ。だけどドラマ版の最後の方から映画版までのオリジナルな部分にちょっとノレない感じがして、結局アタシが好きな『高木さん』って西片をからかい続けてる高木さんだったのかもしれないわねぇ。
[映画館(邦画)] 6点(2024-06-01 15:56:30)
12.  猿の惑星/キングダム 《ネタバレ》 
 これまで大して惹かれるワケでもないけど(普通にお猿さんだしねぇ)なんとなく全部見てきて、見ればそれなりに楽しくて、でもあらあらまだ続くのぉ?っていうのが今回見る前の感想で。前作で一応の完結を見たような感じだったワケじゃない、で、更に続けるとなると期待しちゃう部分も出てくるワケで・・・   今回の主人公ノアはワリとヘタレで弱っちいのよね。父を殺され家族を奪われ、旅に出て仲間と出会い・・・なんだか『ライオン・キング』みたいなハナシだわよ。ヘタレの物語ってワリと見てるのがシンドいわね。強くなるまでの過程に尺取られる感じで(今回長いわ)。  物語は人間が遺したテクノロジーを巡るお猿たちの攻防を主軸に展開してゆくのだけど、なんかどっかで見た画が連なってる感があるのね。そんなに新鮮じゃないわ。人間がお猿さんに置き換わってはいるけど。  で、更に続く、みたいなオチになって、期待しちゃう部分ってのが全く期待ハズレで結構ガッカリしちゃった。この作品はじゃあいよいよ昔の『猿の惑星』に繋がる物語になるの?って思ってたのね。人間が言葉を失ってて狩られる存在になってて。もうコーネリアスとかジーラとか自由の女神とか宇宙船とかヘストンとか出てきちゃう?みたいな。これが全然。このシリーズってもしかしてそっちに繋がる世界線ってワケじゃないの?って。勝手に思い込んでたアタシが悪いんだけどさ。   シリーズ通じてお猿と人間、或いはお猿同士がわちゃわちゃモメてる状態が続いてて、なんかもっとこう、うーん、他に無いの?って思っちゃったワケで(猛禽使いなところは面白かったけれど)、もう少し先に進んでくれないかしらねぇ。   っていうか、ラカって後からバーン!ってカッコ良く出てくると信じてたんだけど、アレで終わっちゃったのねぇ・・・
[映画館(字幕)] 5点(2024-05-30 16:54:29)
13.  悪は存在しない 《ネタバレ》 
 タイトルが鑑賞のポイントになってる映画って気がするの。悪は存在しないってどういう意味?逆説的な?単純な二元論じゃないみたいな?って色々な先入観で映画を見る事になるじゃない、ハナからまっさら、ニュートラルな姿勢で見るというのが無理な感じで。   冒頭の延々と仰瞰で木々を捉え続ける移動ショットで早々に「どうしよう?」って感覚に陥っちゃうのだけど(あ、なんか前衛的なヘンな映画見にきちゃった?)やがて人が出てきて物語を紡ぎ出すので安心するわ。そこからの展開に自然と人間との共生、その距離の取り方とかあるべき姿とかを語るのかな、それぞれの立場を想うならば、安易に正義とか悪とかを定義すべきではないって話なのかな、なんて考えちゃうワケ。  だけど映画は突然予定調和の道から外れて「ええ~?そんな話?」って結末を迎えて。なるほど、それはそもそも正義とか悪とかいう次元の話じゃないし、ソレはどの視点からも切り離された、ソレにとっては意味を定義する意味も無い事象だし、って。そこまで実のところいっぱい伏線が張られていて、でもその伏線が回収されたからって気持ちイイとかいうのでは全く無くて。   登場人物一人一人、映画の中で時間が流れてゆくに従って段々と人柄、人間性が見えてきて、それは肯定的でも否定的でもなく(東京の事務所の2人はともかく)それぞれに人間で、だけど実のところ映画はそこに優しい眼差しを見せる事もなく。  見てるこちらも突き放されてるわねぇ、って印象の映画だったわ。ずーーーん、ってカンジよ。   冒頭の木々は最期に見た風景だったのかしらねぇ・・
[映画館(邦画)] 6点(2024-05-30 14:50:36)
14.  ゴジラ×コング 新たなる帝国 《ネタバレ》 
「地球が大変なんだよ、手伝ってくれよ」 「うっせーぞ!○すぞ!この野郎!!」 「いい加減にしな!」 「姐さんっ・・・うう、仕方ねえ」  という怪獣さんたちの会話がフキダシ無しでもしっかと見えてくる楽しい映画ね。前作から続いての昭和ゴジラ東宝チャンピオンまつり感。怪獣と通じる少女ってのは平成ゴジラ、平成ガメラの世界だけど。   ただ今回はお猿さん部分のウエイトが大き過ぎてねぇ。地下世界で画面に出てくるのがお猿さんたちばっかりで比較対象になるモノがない状態でではサイズ感が消失して怪獣映画じゃなくなっちゃうのよ。ただの『お猿の惑星』だわよ。異世界が主舞台でキャラのサイズの意味が無くなってるって点で『アントマン&ワスプ:クアントマニア』思い出しちゃったわね。  一作目から比べると随分スリムになってガシガシ走っちゃうゴジラは助っ人レベルなポジションなのが残念ね。なんだか猫っぽくなってるし(きっと誰かがローマのコロッセオって猫ベッドみたいじゃね?って思ったのね)。   余計な人間ドラマが極小なのは良かったけれど、お猿じゃなくてもっと怪獣見せてよね。元々『キンゴジ』の昔からコングさんを怪獣って呼ぶのは微妙だし。その点、シーモちゃんは魅力的だったけど。鎖に繋がれた氷のクイーン、そう、彼女ったら『アナ雪』のエルサだわね。ヒロインはシーモちゃんだったわ。シーモちゃん主演の続編希望。
[映画館(字幕)] 6点(2024-05-30 14:09:39)
15.  関心領域 《ネタバレ》 
 知識を求められる映画で、映像を見て音声を聴いて、そこで何が起きているのか、何故そうなっているのかが知識無しでは何も伝わってこない、それ単体では意味不明な映画ではあるの。ドキュメンタリーのようにただ事象を淡々と描いているばかりで、一部タッチの全く異なった不思議な映像が挿入される部分以外はそれが何を言っているのか説明するように描いてはいないのね。  でも私たちはそれが何か知ってる。その塀の向こうで何が行われていたのか、その会話の中の発明がなんのためか、その会議で語られる数字がなんの事を語っているのか、その毛皮のコートが、歯が、沢山の靴が・・・そして恐怖するの。   その一家の日常は凄まじい異常の中に成立していて、だけどそれを異常だと感じていない、正常だと信じてるのね。それは自分たちとはほぼ無関係なことだから。その日常にちらりちらりと入り込んでくる影をヒステリックに否定し自分の理想から決して外れない妻のかたくなな姿勢は恐ろしく見えながら、でも今の人々の写し鏡でもあって。   現在進行形のイスラエルのパレスチナに対するジェノサイドはナチスの再現のようだしイスラエルに与するアメリカはバイデンを選ぶも地獄、トランプを選ぶも地獄、その二択のみの地獄。裏金をため込む自民党の犯罪者集団を罰せず知らんぷりをし、日本政府も東京都知事も弱者を切り捨て、ネトウヨは差別を是とし、それでもとりあえず日常は続く、のかな?って。   あの一家のほんの数年後は果たしてどうなったのかしら?   この映画とか『デデデデ』とか、朝日新聞に寄せられた相談に対する野沢直子氏のクソみたいな回答とかそれを持ち上げるクソみたいな朝日新聞の記者とか(ここら辺いちいち説明する余裕はないので調べてね)、次期都知事候補の小池都知事を持ち上げ蓮舫氏をサゲて偏向しまくるマスコミとか近々に符号する事象がぐるぐるしちゃってもうクラクラしちゃってるわ。  じゃあアタシは何ができるの?ってとりあえずこうしてネット上に文章を残すこと、それはできるのよね。   この映画はスクリーンの向こう側だけで完結してはいないの。
[映画館(字幕)] 7点(2024-05-29 16:58:11)
16.  デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章 《ネタバレ》 
 前章では最後まで判らなかった、過去の映像と現在とが全く繋がらない謎が今回明らかになった時点でパーッと作品世界の視野が広がって。掴みかねてたおんたんと門出のキャラがきゅーっと胸に迫ってきて。   身もフタも無いこと言っちゃうと『浦島太郎』と『まどマギ』と『エヴァ』(ちょっと『1000年女王』)なんだけどね。でも今のこんな時代にコレが作られる事の意味、それってとても大切だと思うのね。  異常な状況が日常になる、大きな何かに気付かないフリをする、気付いていても何もしない、そんな世界が最悪な事態に陥った時、それでも抗う人を非力な無力な無駄な存在と冷笑、嘲笑するような映画、ではないと思うのね。それぞれに意志があって選択があって、それが例え悲劇に終わったとしても、それでも生きる意味はある、って。   前世紀末のセカイ系ノリを匂わせつつ、もっとずっと今日的な感覚に寄り添って個と複雑な社会との関係、ありようを示すわ。雑多な要素をまとめきれてない感はあるの。あちこちに触手を伸ばし過ぎたためにキャラやメッセージが薄くなったりボヤけてしまったりしてるの(ついでにエヴァ過ぎる絵があったりするの)。だけどおんたんと門出の生き様を通じて正義も悪も定義できない今のこの世界の混沌に仄かな望みを見出す事ができるの。それはアニメのステキなチカラだわ。二人に命を吹き込んだあのちゃんと幾田りらさんに拍手。
[映画館(邦画)] 8点(2024-05-29 16:02:05)
17.  マッドマックス:フュリオサ 《ネタバレ》 
 ジャパンプレミアにて鑑賞。   最初に書いておくべきなのは、できればやっぱりこれを見る前でも見た後でもいいので前作『怒りのデスロード』は見るべきってことね。『怒りのデスロード』の前日譚なこの映画は当然だけど話が繋がっているので。これだけでも楽しめる作りではあるのだけどね。   さて、公開前につきなるべくネタバレ無しで書きたいのだけど構成とかちょっとした設定とかでもネタバレ!って思う人はもう読まない方がいいわ。   始まってしばし(結構長く)フュリオサの少女時代が描かれて、でも物語はむしろイモータン・ジョーとディメンタス将軍の対立と確執を追う感じでフュリオサはずっと受動的な状態、フュリオサは狂言回し?みたいに思っちゃったわ。でも大人(アニャ)になってから映画はどんどん能動的に加速していって、パワフルでテンションの高いあの世界へと突入してゆくのね。息つく暇もない、退屈とは無縁な世界。   ちょっと気になったのは前作同様、地理的な位置関係がよく判らない点と、連なるエピソードの起承転結の結がいちいちすっぽり抜けてる点。どんどん先に進んでちょっとアレはどうなったの?っていうのが判らなかったり後でセリフで語られたりみたいな。それは必ずしも重要なポイントではない、って事?みたいな。  その取捨選択はフュリオサってキャラに視点を寄せるための省略なのかもしれないわ。戦いに身を投じてゆくフュリオサの意志が研ぎ澄まされてゆくように。   アニャは全編マトモなアニャの顔をしている事が殆ど無いのだけれど(汚れてるか塗ってるかのどちらかよ)それでもいつもの魅力的なアニャね。ジョージ・ミラーの世界に溶け込んで凶暴なまでのテンションの高さを見せてもアニャはステキ。   神話的な物語だけれどやっぱりカーアクションこそがキモとばかりにコッテリと魅せてくれて、そこだけでも元取れる、ってカンジ(IMAX GTテクノロジー版をタダで見せて貰えたのだけど)。  あと、シネスコ固定なのでIMAXでなきゃ!って状態ではないのでお好みのスクリーンでどうぞ、ってカンジね。  『怒りのデスロード』とのリンクは色々とあるので、お楽しみに。   そんなところ。
[試写会(字幕)] 8点(2024-05-29 15:15:09)
18.  デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章 《ネタバレ》 
 巨大な未確認飛行物体が浮かぶ東京、でも大きな何かが起こる訳ではなくて、人々はその異常な状態を日常のものとして生活してる。政府は色々なことを隠し秘密裡に行動してる。それは今のこの現実を映しているわ。ジェノサイドが起きていても、戦争に向かっていても、なんとなく自分には関係がなさそうな、今、日常を過ごせているから、とりあえずは問題ないって感じ。正常性バイアスが描かれてるのね。  途中で友達のひとりが飛行物体から放たれた物体の墜落に巻き込まれて死んでしまって、それは悲しいことだけれども、でもその時のキモチだけでまた日常が続いて。普通に高校を卒業して大学に進学して。  その忍び寄るモノに対する危機感の無さが恐ろしさを感じさせるわ。   ただ、いかんせん前章、色々描かれるモノが放り出されて意味不明なままに映画は終わってしまうわ。特にスタンダードサイズで描かれる過去の主人公二人のエピソード、それが現在の二人の状況とは全く繋がらない、別の二人の物語のようで、どういう意味があるのかは後章を見るまでお預け。故に見ているこちらとキャラとの距離が生じたまま(理解できないまま)映画館から追い出されてしまうのね。そこにあえて点数をつけるとしたら6点が精一杯かしら。   そんなに待たずに公開される後章を見て初めて意味を成す映画なのかもしれないわ。
[映画館(邦画)] 6点(2024-04-12 15:40:42)
19.  ゴーストバスターズ/フローズン・サマー 《ネタバレ》 
 なんか見ててあんまり面白くなくて、でも『ゴーストバスターズ』って1作目からずっと女性版以外あんまり面白くないよねー、って。   前作同様、フィービーが魅力的なキャラなんだけど、今回何がイヤだったかって大人たちがみんな良識人ぶった存在で、映画自体がそれを肯定してる感じなのがもうつまんない。フィービーの若さゆえの未熟さがダメなのよねー、って感じの映画で、いや彼女に謝らせるなや、みたいな。親たちも旧バスターズもみーんなつまんない存在。幽霊の友達だけが面白かったのにそれをネガティブな要素にしてるものだから救いがないわ、って。   ゴーストバスターズ的に特に新ネタがあるって感じでもなくて相変わらずのネタで引っ張ってる状態(スライマーにマシュマロマン、図書館での1作目の再現ネタなんか寒いわ、フローズンムービーだわ)、ボスキャラ最弱じゃね?みたいな状態で(復活から退場まで随分とアッサリだわよ)なんか1つのネタで延々引っ張ってますって出涸らし感ハンパないわ。  音楽もエルマー・バーンスタインをリスペクトし過ぎちゃってるし、なんかもう全然違うコトできないのかしらねぇ? 女性版の続きが見たいわねぇ。
[映画館(字幕)] 4点(2024-04-08 15:55:49)
20.  オッペンハイマー 《ネタバレ》 
 映画のレビューは必ずしも客観的でも冷静でもある必要は無いワケで更に政治的に語られても良いワケで、と言い訳をしておいて。   これって結局西側白人社会の自己完結映画なんじゃない?って。徹底的に白人目線なのよね。もう東洋人なんかわざと排除してる。原爆を唯一戦争に使ったアメリカの、その相手である日本の事なんて言葉と数字でしか出してこない、それはオッペンハイマーからの視点ゆえ、なんて理由付けで納得できるかしら?  原爆を語る上で広島・長崎を抜きにして語れる訳はないのだけれど、開発に至るまでの過程と実際の使用と、そのバランス感覚は相当に悪い映画だと思うのね。  『ライトスタッフ』みたいにソ連が(そしてドイツが)核兵器を開発してる、その競争に負けないためにアメリカも頑張ります、って努力と感動のドラマは実験の成功シーンを頂点に娯楽映画としてノーラン監督お得意のケレン味たっぷりに盛り上がってみせるわ(日本人なアタシ的にはそこに一切ワクワクしたりはできないのだけど)。  で、その盛り上がりから一転、実戦投入による犠牲(の数字と白人に置き換えたヌルいイメージショット)、更に赤狩りを背景にしたオッペンハイマーの凋落、そして核拡散の恐怖を示唆する事で落としてみせるのだけど。今から40年前の『ウォーゲーム』や『ザ・デイ・アフター』で既に語られたモノから進化しているとも思えないし(進化があるとすればそれはノーランのエンターテイナーとしての面だわね)、『トゥルーライズ』『ピースメーカー』『トータル・フィアーズ』『インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国』等に登場する「核兵器はただの威力がでっかい爆弾」のイメージを一新させたかと言えば、とてもそうは見えないのよね(せいぜい高熱の波って感じだわね)。  核兵器を開発せざるを得なかった背景とか、オッペンハイマーのごくごく一人の人間としての小ささとか、物理学の発展からの到達点とか、でも結果として現時点で唯一アメリカって国が大義の名目(?)の上で多数の民間人に対してそれを使ったという歴史的事実の前では言い訳にしか映らないのよね。娯楽映画に落とし込んでアメリカだけではなく世界の問題ですよ、ってカタチにするあたり、それは違うんでないの?と思うわけ。   赤狩りの再来みたいなハリウッドのイスラエル擁護パレスチナ排斥、プレゼンターとなった東洋人への軽視が目立ってしまった今年のアカデミー賞でこの作品が高く評価されたあたり、色々雄弁に語ってしまっている感じがしてイヤね。   あ、ちなみにノーラン作品が苦手なアタシとしてはカット割が細かすぎて莫迦っぽい(会話シーンでの単純な切返しの多用ときたら!)、音楽が状況を語り過ぎていて五月蠅い、というのが映画そのものとしての感想。そんなもん。
[映画館(字幕)] 1点(2024-04-08 15:28:18)(良:1票)
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