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あにやん‍🌈さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2517
性別
ホームページ http://coco.to/author/aniyan_otakoji
自己紹介 レビューを相当サボってしまってるの、単に面倒になっちゃってるからなんですよね。トシのせいか、色々とメンド臭くなっちゃって。
映画自体、コロナ禍以降そんなに見に行かなくなったのだけど、それでも年に70~80本は見てるワケで(でも今年は50本行かないかな?)、レビュー書けよ自分、って思ってる、でもなんか書かない、みたいな。
これからは今までよりも短文でレビューを上げてゆきたいな、と思う次第であります・・・微妙だけど。.

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1.  JUNK HEAD 《ネタバレ》 
 「アニメ」大国日本だけど「アニメーション」全般となると色々と弱いのよね。CGアニメーションにしてもそうだし、ストップモーションアニメーションとなると、最早不毛の地みたいな感じ。日本の長編ストップモーションアニメーション映画って一体どこまで遡るのかしら? サンリオの『くるみ割り人形』(1979年)?  これはそんな日本の、そして世界のアニメーション界に革命をもたらすかもしれない作品ね。何しろライカやアードマンのようなストップモーションアニメーションの大手の作品、何百というスタッフの手と何十億という資金によって創られたモノと比べても、ちっとも遜色のない作品、しっかりと娯楽エンターテインメント作品になっているのだから。最初1人、長編化が決まってからも4人ほどで創られていながら。   グロいのは得意じゃないし、ここに描かれた世界はまるで悪夢のようね。夢に見そうよ。でも、その独特な個性を放ちまくる作品世界にすっかり魅了されたわ。広がる地下世界に棲む、起源を同じにしつつ色々と株わかれしたキモチ悪い生き物たちに触れてゆくうち、段々と親しみを抱いて、最後には愛着も湧いちゃうって、主人公が辿る道と観客が映画に抱く感覚の流れがシンクロしてるカンジね。   世界の造形が凄いの。完全にアタマの中のイメージの映像化をコントロールしきってるように思えるわ。大スケールな画から細部に至るまで独自のセンスで支配されてるの。  そして大切なのは、そこだけに集中してないってコト。パンフ読むと判るのだけど、作品世界はかなりコマゴマと設定されているのね。歴史がどうこう、その世界の成り立ちがどうこう、って。で、日本のアニメってそれを延々と説明しがちなのが大きな欠点だと思うのだけど(それに終始しちゃってるモノも多いわ)、コレはそこにあまり留まらずに物語をちゃんと転がしてゆくのね。物語が面白いの。説明やアクションのために物語が停滞する部分が無いコトはないのだけど、ちゃんと娯楽映画としてのバランス感覚を持ってるわ。   ティム・バートンやヘンリー・セリック、ニック・パーク、ウェス・アンダーソンといったストップモーションアニメーションにプンプンと匂い立つような独自の個性を発揮する作家たち、この堀貴秀という人は彼らに比肩し得る存在だと思うの。凄いモノ見たわ。
[映画館(邦画)] 9点(2021-04-14 22:33:17)(良:2票)
2.  燃ゆる女の肖像 《ネタバレ》 
 いい映画なのだとは思うわ。でも、アタシはどうにもこうにもノレなかったのよね。文芸映画ってタイクツじゃ~ん、ってワケでもないのだけど。   何がアタシにとって問題だったのか、っていうと役者さんたちに殆ど何もココロ動かされなかったのね。肝心なメインの2人に全然。メイドのコにちょっとだけ、みたいな。  この映画世界をカタチづくる最も重要なファクターにノレないんじゃどうにもこうにも。   なんかどんどん傍観状態になっちゃって「映像きれいねぇ」とか「長回し多いわね~」とか「ここで暗喩的な画を見せて後の展開に繋げるのね」とか「海に閉ざされた世界で海の向こうに何を見ようとしてるのかしら?或いは見ようとしないのかしら?」とか「クラシカルな作風に今日的テーマね」とか「『キャロル』を期待してたけど似てるのは『君の名前で僕を呼んで』ねぇ」とか「もしこの二人がケイト・ブランシェットとルーニー・マーラだったら?」とか「完成されたあの絵はあれで完璧ってコトなのかしら?」とかなんかとりとめもなく眺めてたカンジ。そうね、ラストの素っ気ない冷たさからの涙は良かったと思うわ。  そのくらい。おしまい。
[映画館(字幕)] 6点(2021-04-08 20:36:32)
3.  幸福路のチー 《ネタバレ》 
 アニメーションのレベルは日本と比べるべくもない状態ではあるのだけれど、でもそれが全く欠点ではない、独自の個性と色とが濃密な空気となってスクリーンから伝わってくる感じで、その台湾という世界の匂いを堪能したわ。特に背景画の街並からは遠い記憶にある懐かしい匂いが漂ってきそうで。   祖母の葬儀にアメリカから台湾に帰省した女性が、生まれ育った街を通して回顧する少女時代の物語。台湾版『おもひでぽろぽろ』みたいな形容をされたりもするけれど、こちらは背景に台湾という国(あえて「国」という表現を使うわね)が辿った歴史の流れがあって、社会や時代との具体的な接点が描かれていて、そこを生きた、そして生きる人の生がシンプルな絵柄のアニメーションから生々しく伝わってくるのね。  生活ぶりや国民性が興味深く見られて、そんな世界からの普遍的なテーマである女性の自立の難しさ、子供の頃の理想と大人の現実のギャップという等身大の人の姿が描かれて、主人公の存在がとても身近に思えるの。空想の中に登場する王子様達のイメージも含めてね。   個人的には過去シーンで子供達が揃って歌う『ガッチャマン』の歌に自分との意外な接点が感じられてほっこりできたわ。あちらでも昔、放送されてたのね。   主人公の選択には決して幸せなハッピーエンドな世界が待っている訳ではない、父母が辿った以上に大変な未来があるのかもしれないけれど、それでも重ねられてゆく人の生を肯定し祝福する、そんな映画ね。
[映画館(字幕)] 8点(2021-04-07 14:05:49)(良:1票)
4.  Away 《ネタバレ》 
 映画が始まってしばらくはあまりに単調というか寡黙な映画でツラかったわ。何も説明されない不思議な世界を、ただ青年が独りで過ごしている、それだけ。  でも映画の仕組み、システムが見えてくると共にどんどんその世界に魅了されていって。   あの黒い大きな巨人は「死」よね。「死」に追いかけられ、ひたすら「死」から逃れようとする映画。  砂漠に独り、パラシュートで木からぶら下がって気を失った状態には確実に「死」が迫っているわ。最初に逃げ込む世界には「死」は入れない。そこは楽園だもの。でも、楽園にずーっといたところで何も変わらず孤独なままそこで時を経て終わるだけ。なので先の人生を歩むために楽園を離れて地図に描かれた人の住む地を目指す。  その映像やシステムは映画というよりもゲームに近いのね。シンプルなCGに、セーブポイントのような世界の区切りを示すアーチ。マップを頼りに進んで、それぞれの世界には仕掛けが存在して。そしてそれは人の「生」を示して、いかに「死」から逃れるか、遠ざかるか、あるいは「死」に近い危険な状態にあるかを描いてゆくのね。「死」からの逃避を重ねることで逆に「生」を描く映画って言えるわ。   ただ一人の手で創られた世界はそのまま作者の内面を映してるのね。そこに恐怖も悦びも驚きも、そして湧き出る空想力、創造力もあって。たった一人で映画が創れる時代がきたという、その具体的で明確なカタチがこうして示されているのにも感動を覚えるわ。   結果的に新型コロナの影響で変容を迫られる映画の世界の、1つの有り様を示した感じになったのは皮肉な気もするけれど。   ところで映画の最後に日本公開版エンディングというのがくっついているのだけれど、それは本当に暴力的なレベルで不粋、全てブチ壊し。『ビッグ・ウェンズデー』や『チェンジリング』(ジョージ・C・スコットの方)や『ナイル殺人事件』なんかが生易しいレベルで酷いのよ。マジで。『ヘラクレス』(ディズニーアニメのヤツ)と同等かしらね。アーティストには罪はないけれどこの映画にとってはひたすら酷いノイズ状態ね。映画に対する冒涜状態なので配給元には猛省を促したいわ。
[映画館(字幕)] 8点(2021-01-20 14:20:51)
5.  ようこそ映画音響の世界へ 《ネタバレ》 
 当然ながら音響重視な映画、って事で上映館の中では立川一択?って思ったのだけど、いかんせん遠いのよ、立川。時間も交通費もかかるし。それに立川やチネチッタの、スクリーンの外側に剥き出しになってるラインアレイスピーカー、アレあんまり好きじゃなくて。映像との調和無視して音ばっかり主張してきて耳に突き刺さって(アタシが日頃、最も映像と音とのバランスがいいと思ってるのはバルト9ね)。  ってコトで新宿(バルト9ではないけれど)に行ったのだけど、意外と頑張ってたわ。『スター・ウォーズ』冒頭のスター・デストロイヤーはやっぱりスクリーンで見てこそね。   さて、これは映画音響についての映画、大きく2つのパートに分かれていて、前半が映画音響の歴史、後半は映画音響の各パートの役割の解説。前半の方がワクワクして後半はちょっとお勉強映画みたいなカンジでテンション下がり気味になっちゃうのは構成上仕方ないわね。  映画史を支えてきた映画人がいっぱい登場して、エポックとなった映画がいっぱい登場して、それはもうめくるめく映画の夢の世界。その歴史の一部を体験してきただけに、1つ1つが記憶と共に映画と時間を共有しているような感覚になれて幸せ。『スター・ウォーズ』や『地獄の黙示録』を公開時に70mmで見られたのは今となっては本当にラッキーだったわ。  ただ、その2本の頃まで映画の音響は製作者から重視されていませんでした、みたいな言い方なのは違うよねぇ、って。それ以前の70mm6チャンネル磁気トラック映画っていい音のものがいっぱいあったわ。パンテオンの『風とライオン』なんてクリアで立体的で素晴らしい音だったもの。そもそも『大地震』のセンサラウンドなんか音が主役の映画みたいなものだったわけだし。っていうかアタシが映画好きになったのはセンサラウンドの存在があったから、とすら言えるし。  それとは逆なカンジで、『トップガン』の音響についても触れられていたけれど(実際の戦闘機の音は意外とショボいので新たに作りました、みたいな)、アタシ、アレは公開当時日劇プラザで見た時にひたすらやかましいだけ、としか感じなかったのね。   そういう個人的な映画体験と映画の歴史とがシンクロしてゆく、これは1つの映画と言うより思い出再生装置みたいなモノで、だからアタシみたいな古びた人間から見たこの感想はあんまりアテにはならないわね。  これから長く生きてゆく人には、現在からこの先の映画の音(ATMOSとかIMAX12.1chとか)を更に味わうための知識として見ておいて損はないと思うわ。今、ヘタしたら画質は家の方が良かったりする場合もあるけれど、音は映画館でなきゃ体験できない世界だものね。新型コロナで映画館から足が遠のいて配信で見ることが多くなったかもしれないけれど、大空間を大出力で鳴らす音は映画館ならではよね。
[映画館(字幕)] 8点(2020-10-11 20:14:07)(良:1票)
6.  レイニーデイ・イン・ニューヨーク 《ネタバレ》 
 ウディ・アレンの新作が見られるのはコレが最後になるのかしらねぇ。#MeToo運動の流れによって過去の性的虐待を問われハリウッドを干され、この作品もアメリカ本国では上映が中止、出演者達は出演を後悔していると発言したり、揃ってギャラを寄付したり。  この映画そのものも、そんなアレンを映す皮肉なモノになってしまっているカンジがしないでもないわ。本来、映画作品自体と、それを作った個人とは別モノとして捉えるべきと思うのだけれど、ウディ・アレン作品は彼そのものを強く映している場合が(とても)多いので、どうしたってそこに彼自身を見てしまうのね。  しかも今回の作品に出てくる男達は映画監督、脚本家、俳優、そして神経質でシニカルなニューヨーカーの主人公。ハッキリとウディ・アレンの人格を複数のキャラクターに分割して描いているようなモノだもの。  男達は総じてダメ人間。スケベでだらしなくて身勝手で。その男達を無自覚に、あるいは自覚しながら翻弄してゆく天然系おバカなお嬢さんなエル・ファニングと、主人公が最後に理想として選ぶ辛辣で容赦ないセレーナ・ゴメス。  そこにあるのはひたすらウディがそうやって生きてきたことに対する言い訳がましさと、彼にとっての一方的で身勝手な都合のいい女性観。自分はダメなヤツだからそんな人間を支える女性はこうあって欲しい、ってのがダダ漏れていて、主人公の母親の境遇に対する視点、主人公のその捉え方まで含めて、本当にダメ。  そして、そういう意味では自虐っぽく見えて実は言い訳ないつもの毎度おなじみアレン作品ね。ただ、今回はその背景に#MeTooが透けて見えてしまう、と。   コメディとしては面白いわ。どんどんすれ違って予想もしない方向へ進んでゆく2人の物語。会話やモノローグの楽しさ、個性的な登場人物(お兄さんの婚約者のアレとか)。  ニューヨークの風景も良かったけれど人工降雨機使うんじゃなくてホントの雨のニューヨークのニオイを感じさせて欲しかったとは思うし、アメリカの夜を(ハンパに)使うのもアレンの後ろ向きな映画作りを感じさせちゃうわね。   アレンの映画はずっと、先へは進まずに過去ばかり見ているカンジがあって、でももう時代はそれを許さなくなっていて、これはそんなアレンのひとつの区切りの映画、かなり象徴的な映画となってしまったのかもしれないわ。
[映画館(字幕)] 6点(2020-07-08 15:59:37)
7.  ランボー/ラスト・ブラッド 《ネタバレ》 
 スタローンじいさん版『ホーム・アローン』ね。以上。   ってワケにもいかないのでアレコレと書いておくと、予告編見た限りでは『ランボー』が『コマンドー』みたいになっちゃった?ってカンジがしたのだけど、実際にはもっと斜め下っていうか、なんともパッとしない映画で。   まずハナシが本筋に入るまでに30分くらいかかるの。つまり物語が動き出すための事件が起こるまでに、ね。結構ダレるわ。で、さすがにそこからどんどんと展開してゆくと思ったら、ランボーへろへろ。なーんの策もなく囲まれちゃって、そこからランボー無双にでも至るのかと思ったらフルボッコよ。助けて貰って寝込んじゃって、その間にさらわれたコは酷いメに遭って・・・ねぇ。なーんの救いもない展開から最終的にランボー起動!ってなるのは映画が始まって1時間10分くらい過ぎたあたりから。残り時間あと30分よ?そのうち10分近くエンドロールよ?ってコトで、ランボーが暴れます、ってのは実はほんの20分かそこら。それまでずーっと鬱々とした展開につきあうハメになるのね。  そしてその肝心のクライマックスも、残酷虐殺装置の描写が連なってるだけね。どういう流れで相手を倒してゆきます、っていうのは無くて、ただ仕掛けにハマって「ぎゃあ」ってなってる悪人達の姿が羅列されてゆくだけ。  俺にあるのは復讐心だけだー、俺は憎い相手が苦痛にもがきながら死んでゆく姿が見たいんだー、って、これまでのランボーちゃんは一体何を学んできたのかしら?という元も子もない展開を経て、やっぱり俺は独りぼっちなんだー、みたいな。結局ランボーってば戦争のトラウマから抜け出すコトはできないのでした、みたいな。前作のラストシーン台無し。  ランボー自己完結しちゃうモンだから色々とほっぽりっ放しになっちゃって。助けてくれた人(登場からしばし男だと思ったわ)はどうなったの? 組織に拉致された女の子達はどうなったの? 冒頭の組織の商売相手ってアレだけの存在? っていうかメキシコ国境ってめちゃくちゃザルで、あれだと武器も麻薬も素通り天国でトランプ顔真っ赤じゃない?という数々の「?」を残して映画はランボーの過去の雄姿と共に幕を閉じるのであった~。なにそれ。
[映画館(字幕)] 4点(2020-06-30 19:53:36)(良:3票)
8.  デッド・ドント・ダイ 《ネタバレ》 
 これだけ映画の雰囲気と現実世界の空気がマッチした状態で見た映画というのも珍しく。東京アラートが発令されている中、六本木ヒルズは屋外こそそれなりの人通りがあるものの、シネコンの中は閑散としていて、この映画を上映しているキャパ520余の最大スクリーンには観客が10人ほど。ディストピア感漂よう東京で出会うゾンビ映画、その寂寥感を堪能してしまったわ。   ジャームッシュってことで、わりとオシャレ系なオフビートなカンジのゾンビものが見られるのかしら?(くらいにしかイメージできない程度にしかジャームッシュ映画見てない)と思ってたのだけど、フツーにB級ゾンビ映画で、メタとかオマージュとか映画ネタとか散りばめた中学生臭さが漂っていて、オタク感ハンパない、みたいなシロモノ。そういうところ、楽しんじゃったけどね。  ゾンビって存在にメタファー盛り込みながら結局はそれをモロに説明しちゃうあたりの真っ直ぐっぷりというか、不粋さがむしろ潔いと思ったけれど、それをアタマでは理解していても、じゃあ自分はここに描かれたゾンビ達とは違う、って言えるのか?っていうと、無理ね。つまり、そういうことでしょ?って映画。   田舎町に漂う寂れた空気に、コミュニケーションが希薄になってゆく感覚が重なって、更にそれを見ている状況が重なって、そういう映画体験もまためぐりあわせなのね、としみじみ感じたわ。もう人類は元には戻れないのかもしれない、それはリアルだものね。だから新型コロナ流行以前にこれを見ていたら、それはまた全く違った感想になったかもしれなくて。
[映画館(字幕)] 7点(2020-06-08 20:38:00)
9.  1917 命をかけた伝令 《ネタバレ》 
 うーん・・・全編1カットってウリにしない方が良かったんじゃないかしら。ついつい継ぎ目探しちゃったわよ。実際ワンカットじゃないし(1箇所暗転するところがあるのでそこで完全に途切れてるし)、上映時間=劇中の経過時間ではないので(冒頭からラストまでで1日くらい経過してるわ)シーンの連続性が維持されてる訳じゃないし。   めくるめく戦争の地獄絵巻、それは臨場感と没入感を伴ってとても生々しく伝わってきたわ。脇役的な彼が主人公にならざるを得ない状況で遭遇する様々な戦争の恐怖。突然訪れる死、無数の死体、狂騒的な混乱、人からもたらされた破壊の風景。  でも、どうしてもテクニックが先走ってる気がしちゃうのよね。これってTPSの世界なわけ。弾数が極端に少ないTPSをIMAXのでっかい画面でプレイしているような感覚。『コール・オブ・デューティー』(弾数的には『コール・オブ・ファレス』かしら)の世界で『ゼログラビティ』的な流れの繋がった映像を見てるカンジ。実写なのだから、そこにはもの凄い物量と大勢の人の手が加えられているのだけれども、CGで作ったゲームの映像と同感覚なのよね。実際CGも多用されているワケで、そこら辺はボーダレスになりつつあるというか、映画がゲームに近づいてる感じでもあって、ゲームが必死に映画に近づいてゆこうとしてきた歴史を見てきた身からすると、こういうのってちょっと複雑なキモチね。生身の人間の演技はともかく、映像表現的にはもはやゲームの方が先へ進んだのかしらねぇ、って思ってしまって。   カットを割っても臨場感や没入感が出せない訳ではないワケで、そこに固執しなくても良かったんじゃ?とは思うのだけど、それだとウリになる点がなくなっちゃうのかも、って考えるとちょっとジレンマに陥っちゃうわね。
[映画館(字幕)] 7点(2020-02-14 19:22:17)(良:2票)
10.  リチャード・ジュエル 《ネタバレ》 
 アタシはこの映画、ストレス溜まって楽しめなかったのよね。何故ならリチャード・ジュエルって人がおバカさんだから。   弁護士からFBIに対して何もしゃべるなって釘を刺されてるのにもうペラペラ喋っちゃう。自分に有利不利であることよりもちっぽけな名誉、と言うより意地に拘っちゃったりするの。  その上、ハンティングマニアで銃器大量に所持してたり、権力を微妙に乱用してたり、そんなんじゃ疑われたって仕方ないでしょうよ、ってちょっと投げやりな気分になっちゃうのね。  そして、多分この映画の狙いどころは、そこ。イメージ、先入観で人を決めつけてしまうことの恐ろしさ。イーストウッドは観客に「この人がもしかしたら有罪なんじゃないかって思ってたりする部分がありはしない?」って意地悪く(最近のイーストウッドはちょっと意地悪ね)問いかけてくるのね。そしてアタシは人間が出来てないのでこの映画を見てイラつく、と。人が人を裁くっていうのは大きな責任が伴うこと。それをあまりに軽視してない?って、簡単に人を誹謗中傷しちゃう現代のネット社会にも通じるテーマね。   ただ、新聞記者のあの単純な造形(いかにもな悪なんだけどお母さんの会見1つでコロリと改心しちゃう)とか、FBIの単細胞っぷりとか、全体的にペラペラとした印象があって、イーストウッドにしてはなんだか物足りなさが残ったのも事実ね。   何はともあれ、人は権力に対して強く賢くあれ、って事ね。
[映画館(字幕)] 6点(2020-02-03 21:33:09)
11.  キャッツ 《ネタバレ》 
 劇団四季版を見たのは今から36年とちょっと前、まだ公演が始まったばかりの頃(グリザベラ役は久野綾希子ね)、ひとつ年上の人とデート。チケット代、ディナー代、パンフレットやグッズ代でひと晩で3万円以上飛んで、当時のアタシには大出費だったわ。   それはともかく、暴言吐いちゃうと元々『キャッツ』ってヘンなハナシなので映画になったってヘンなのは当然ね。  ひたすらエピソードの羅列に終始する舞台版を見た時、映画にするには全体を貫く芯、語り部というか狂言回しになる存在が必要だと思ったの。そしてそれは雌の子猫がいいんじゃない?って。今回の映画版はその通りになっていたので、コレは上手く料理できてるんじゃないかしら?って期待したのだけれど、彼女(とマキャヴィティの行動)以外はかなり舞台版に忠実な映画化になっていて、それゆえにやたらハンパなモノになってしまった感があるわ。   ジェリクルキャッツって何よ? 天上に昇って再生を約束されるって何よ? なんでオールドデュトロノミーがそれを決められるのよ? なんで候補者が基本しょーもない連中ばっかりなのよ? グリザベラがあれだけで全部かっさらっていっちゃうのはなんでよ? 唯一のその名って何よ? ってよく判んないそれらは舞台版そのままよ。っていうか映画版のグリザベラはなんかオドオドし過ぎちゃってて挙動不審で舞台版よりも更にヘンね。  舞台版から大きな大きな変更があったのはアスパラガスとグロールタイガーとの関係性ね。なんでガスがグロールタイガーを倒すのよ?どういうコト?みたいな。グリドルボーンとのデュエットは唯一のラブソングなのに、そこを削っちゃった(っていうか設定自体がおかしなコトになっちゃった)のは残念としか言えないわよ。   そして何より問題は、ネコの姿の表現。不評だった当初バージョンより毛のCGを改善したバージョンだそうだけれど、そんなところが問題じゃなくって。どっちつかずでハンパなのよね。単純にレオタードにネコ耳とシッポだけ付けた、役者さんの顔をきっちり残した状態か、さもなきゃ役者さんにモーションキャプチャーしたフルCGにしちゃうか、どっちかに振りきっちゃえばいいのだけど、半獣半人の『ドクターモローの島』状態になっちゃってて、これじゃクリーチャー映画だわ。   あと、ダンスが重要な作品なのに、カット割り細かくてアップ多くて余計なカットのインサート多くて残念な事に。ダンスシーンではちゃんとダンスを見せてナンボでしょうに。   それでも楽曲は舞台版にほぼ忠実、曲順もほぼ忠実、ってコトで、曲を堪能することだけはできたわ。見たのは字幕版だけど頭の中では四季オリジナルキャストの日本語版で歌ってたわ。曲でワクワクできた、って、でもそれだけかなぁ。しかも映画の役者の人達はみんなあーんまり歌が上手くなかったのよね・・・
[映画館(字幕)] 5点(2020-01-24 20:53:53)(笑:1票) (良:1票)
12.  フォードvsフェラーリ 《ネタバレ》 
 判るわー、ル・マンはしばらく走ってないけれど、ミュルサンヌコーナーでのブレーキングはかなり勇気が試されるわよねー(もちろんゲームでのハナシ)とか、そんなに回転数を上げたいならHONDAのVTECエンジンを使えばいいじゃない、9000回転なんか楽勝よ(登場はこれより25年くらい先のハナシだわ)とか、アホなコト考えながら楽しんでたけれど、でも楽しめたけど色々ひっかかった、みたいな映画だったわ。   まずいちばんひっかかったのがフェラーリがただのマヌケな悪役。あんた、フォードなんてマスタングとフェスティバくらいしか知らないわよ、ってゆーかフェスティバ作ってたのはマツダだわよ、フェラーリなんかテスタロッサとかF40とかF355とかエンツォとか名車いっぱいあるのに、そのフェラーリをバカにしてるの?みたいな。まあ、市販車じゃなくてレースでのハナシだし、フォードも企業としては悪として描かれてたのだけどもね。  でもフェラーリのピットクルーのバカっぷりは、デイモンがいちいちやらかす小賢しいマネ(ストップウォッチとかナットとか)も含めて見ていて決していいキモチはしないわ。  この映画はそういうノイズがいっぱいあって、ストイックなベールと対比させ存在を浮き上がらせるための手段ではあるのだけど、あくまで雑音は雑音なので鬱陶しいのよね。  それは彼を取り巻くもの総て、そう、フォードの姿勢やフェラーリの在り方、デイモンのキャラだけじゃなくて、彼の奥さんや子供の存在にまで及ぶわ。夕暮れの親子のシーンなんて素晴らしい空気感だったりするのだけど、基本は彼の周囲がいちいちしゃしゃり出てきてノイズとなって翻弄されてるの。なんだか気の毒だわ。  そういうゴタゴタしたシーンを置くのなら、一方でもっともっとベールとマシンが対話するシーンに拘りまくって欲しかったわ。  エグゾーストノートとロードノイズに包まれたコクピットで感じる高速の世界、それは音響過剰気味な109二子玉川のIMAXでも満足できるレベルではなくて。彼が独り解放される世界の美しさ、それをキッチリ対比できていたら、って。もっとフェティッシュで良かったと思うの。   CGであり得ない走り方してまーす、って状態ではなくて、キチンと路面を捉えて走行してる画です、って、そういうのはとても良かったのだけど、全体的には「会社の意向」で娯楽映画としての作りを求められてるようなカンジがして、まあ及第点的実話映画でしたわね。
[映画館(字幕)] 6点(2020-01-23 20:11:35)(良:2票)
13.  パラサイト 半地下の家族 《ネタバレ》 
 紛うことなきポン・ジュノ監督作品で、そのあまりのポン・ジュノっぷりに嬉しくなっちゃったりもしたのだけど、さて、アタシは果たしてこれまでポン・ジュノ作品をちゃんとブレずにレビューしてきてたのかいな?って過去作のレビューをチェックしたら、『パラサイト』についてはそのまま過去作品のレビュー読んでもらえばOK、くらいには一貫してたのでひと安心。  とは言え、それだけじゃ不親切なのでちょこちょこっと。   底辺の人々のお話という点で貫かれたポン・ジュノ作品、今回もまたその通りで、上流階級の人々との対比という点では『スノーピアサー』くらいに判りやすい構図を作っているわ。ごちゃごちゃと物で溢れて情報量が多くて、歪み、汚れ、やかましい下の人々の生活と、情報量の少ない、直線と水平で形作られた上の人々の生活。上で情緒を持って降る雨は下に暴力となって流れ込んでゆく。その底辺のやるせなさを、だけどポン・ジュノ監督はいつもの通り、決して美化することなく、コミカルに、そして醜く無様な存在として描くのね。  権力に支配されたシステムの内側での決して勝利のない闘争の滑稽な虚しさ、半地下から地下へと堕ちる父親の到達点、叶うことのない希望。シニカルに描かれた現代社会の縮図。毎回、韓国の今を皮肉るポン・ジュノ監督だけど、日本にも(あの避難所の風景は昨年も何度も見ることになった日本のそれとそっくり)世界にも通じるものなのね。   『グエムル 漢江の怪物』のような家族の姿、『母なる証明』と通じる流れ落ちる水、『殺人の追憶』と共通するラストカット、あちこちにポン・ジュノ印が刻まれている中で、今回は「匂い」がキーになっていて、「匂い」がまるで体内を流れる血を示すようで、その扱い方が上手いと思ったわ。   ちなみに、でもアタシは一家には同情とかしなくて、いちばんキモチを寄せていたのはお金持ちの奥さんね。彼女に訪れた悲劇はあの一家がもたらしたものだけれど、それも結局はシステムの内側に存在していたがゆえ、彼女の魅力的な無邪気さがそれを招いた原因のひとつだとしたら、それは哀しいお話だわ。
[映画館(字幕)] 9点(2020-01-23 20:01:56)(良:3票)
14.  さよならテレビ 《ネタバレ》 
 東海テレビ局内の人々の姿を追った、ドキュメンタリー・・・?   あの「セシウムさん騒動」を起こした局が、視聴率とスポンサーに縛られる中でジャーナリズムの在り方を問い、理想と現実の狭間で苦悶し・・・という世界かと思いきや、ああ、こいつらちっとも懲りてないわ、テレビ屋って本当にダメな連中のカタマリね、でもそんな中にも希望が持てる存在がいたりするのね、と思ってるそばから更にひっくり返されて、もう本当に絶望的な気分にしてくれる映画ね。  でもそれを当の東海テレビ自体が作っているのだから、それは露悪的で、そして偽悪的で。   わりと最初に提示される「カメラが介在した状態でのドキュメンタリーは本当に現実と言えるの?」ってところから、映画はドキュメンタリーとヤラセの間を漂いながらテレビ局の「リアルな虚像」を見せてゆくのね。そこにはテレビ屋の取材対象に対する思いなんてのはスッポリと欠落しちゃってるし、仕方なさに支配された状態を披露してゆくのはひたすら言い訳がましいわ。そしてテレビなんてそんなモンだと披露するところまでがセットになっていて。   映画は最後にこれがそこまで描かれた以上にヤラセでした、と告白してみせるのね。なによ結局は全てが虚飾なの?って思うのだけど、そんな虚飾だらけのテレビって世界の中にチラリチラリと垣間見える真実と本音、それをどう拾って受け止めて、そしてテレビジャーナリズムってものに何を問えるのか、問うべきなのかを考えることになる、そう、これはあえて悪役を買って出たようなモノ。自分達も出来てない、そして他も出来てない、それが浮き彫りになる現実。テレビジャーナリズムはそのままどんどん駄目になって終わるのか。   この映画の他に、ここのところハマってた『チャンネルはそのまま!』のドラマ版や、テレビ朝日の『報道ステーション』大量派遣切りのニュースなど、自分の中でネタが重なってるのだけれど、中でも最も大きなイガイガになっているのが映画にも描かれた「権力の監視」についてね。現在もうテレビジャーナリズムがその点においてほぼ機能していない状態で、既にテレビジャーナリズムは死を迎えているんじゃないか、っていう状態で。それでいいの? あんたたちはそんなクズとして生きていたいの? ってそれは結局市民の側が黙っていちゃダメなのよね。ダメな連中が自分達から良くなる事はないのでしょうから。
[映画館(邦画)] 8点(2020-01-19 11:18:34)
15.  男はつらいよ お帰り 寅さん 《ネタバレ》 
 アタシにはこれ、ひたすらツラい映画だったわ。   元々寅さんってスクリーンでは一度も見た事がなくて、今回が初めて。父親がテレビで放送されるたびにチャンネルを合わせるのを仕方なく眺めてた程度。あとバス旅行の時にバスのテレビで見たとか、BSでなんとなく途中から見て途中でやめたりとか、特に思い入れは無くて。  でも、映画を見始めた頃からずっと近くに存在していて(松竹系の映画館に行けば予告編は見るワケだし、日テレ年末の恒例番組だった『お正月映画全部見せます』ではお目当ての洋画枠はごくごく短くて、多くを大手邦画会社の目玉映画の紹介に割いてて、そこで毎回寅さんの撮影現場が映し出されていたワケで)、だから寅さんと言えば昭和の映画の記憶、みたいな存在だったのね。   これは、そんな寅さんが久しぶりにスクリーンに帰ってくる映画、だったのかしらねぇ? むしろ本当のタイトルは『さよなら 寅さん』だったんじゃないかしら。寅さんが生きた時代、輝いた時代がかつてあって、満男はそんな過去を回想してゆくけれど、満男の現在、社会の現在、世の中の現実は、寅さんが生きた時代とは遠く離れてしまっていて、それが遠い記憶、思い出として描かれているようなカンジ。映画は、もう寅さんが居ない世界で、今のこのリアルを生きるしかないんだよ、みたいなことを言っているみたいに思えたのよね。  すっかり歳を重ねた人々、回想の中に登場するキラキラ輝いたヒロイン達の、でも多くの、もうこの世に居ない人々。過ぎ去って戻らない時間の、その残酷さ。   映画としては物語がほぼ流れてない(状況と回想ばかりが羅列される状態)のと、満男役の吉岡秀隆が何故かいちいち目をひんむくのでなんかびっくりしてるの?ってのが気になったわ。   泉の存在は今の現実世界を映す鏡のようで、その仕事は国連の難民支援、疎遠な父母は未来の無い状態。寅さんの居ない世界では、そこに奇跡は存在しなくて。まるで寅さんは今や記憶の中のファンタジーでしかないと言っているみたいで、寅さんと共に生きた人々はそろそろ思い出をまとめて、そうでない(もう少し若い)人々はこれから先の厳しい現実を生きてね、みたいに受け取ってしまって。   1974年の大晦日に映画好きになったアタシは45年後の大晦日にこの映画を見たのだけれど、45年前のその日をハッキリ思い出せるだけに(日比谷で映画を見たあと、今はもういないおばあちゃんの、今はもう無い目黒・三田の実家に行って出前ののびたラーメンを食べて)、その時間の重さ、残酷さをこの映画に思い知らされて、結構ショックが大きかったわ。
[映画館(邦画)] 6点(2020-01-04 15:02:01)
16.  羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来
 あえて不満(難癖?)を言うなら、これを見る前日に見た『幸福路のチー』が台湾の色、空気が濃密なくらいに漂っていたのに対して、この映画からは中国!って空気は希薄だったこと。日本のアニメの記号的表現をそのまま使っている状態で(ジト目とか星目とか)、影響の強さが見て取れて。  そして、そこに描かれる現在の中国の風景もイメージの中にある古い中国とは違って、日本となんら変わらない、近代化された世界。   なめらかに、そして激しく動きまくる画、美しい背景画、魅力的なキャラクター、息も付かせない波瀾に富んだ展開。アニメ映画としても日本のアニメと同じフィールドに存在して全く遜色のない、いえ、むしろ脚本や演出に難ありまくりな我が国の数多のアニメを凌駕してしまうような、そんな作品。今の中国っていう国がどんなチカラを持っているのかが、この1本のアニメ映画に刻まれた文化と技術の面から垣間見えるわ。   描画はシンプルだけれど、登場するキャラそれぞれが個性分けされていて、キャラが立っていて魅力的。単純な善と悪の物語ではなくて、それぞれに理由があってその狭間で選択を強いられる小黒が可愛らしくも健気で。   惜しむべきは日本語字幕がシロウトさんが作ったような状態で、小さく細いフォントで文字が読みづらかったり、表示されるタイミングと長さに難アリで読みきる前に消えちゃったり。吹替版が欲しいところね。とは言えオリジナルの声優さん達は十分に魅力的よ。   今や日本は世界に誇れる国じゃなくなっちゃったわ。技術大国も昔のハナシ。そしてお得意のアニメ(アニメーション、ではなく。その括りだと日本は古くから全く諸外国に勝ててないわ)ですらもその地位を脅かされ始めると恐れざるを得ない作品が中国から出てきたのって、なんか象徴的で、日本のクリエイターはちょっと焦った方がいいと思うの。現状、日本のアニメ界で対抗できるの、個人的には山田尚子監督しかいないと思ってるわ。
[映画館(字幕)] 8点(2019-12-26 19:42:43)
17.  屍人荘の殺人 《ネタバレ》 
 浜辺美波が可愛い以外の感想が出てこないわ。原作知らないけど、つまんない映画。   ここからはネタバレ注意ね。   まず、予告編やCMから受ける情報と実際の映画とは大きな違いが2つあって、もはや詐欺みたいなモノね。  1つは3人の探偵&助手がペンションで起こる殺人事件に立ち向かうって印象だけど、実際には1人は早々に退場しちゃうわ。なんていうの、『エグゼクティブ・デシジョン』のセガールっていうか『ディープブルー』のサミュエルみたいなモンね。  もう1つはゾンビものだってこと。ゾンビが跋扈する世界での閉ざされた空間での殺人ミステリーなのよね。ゾンビと何かをブレンドしてみたのはいけれど大して面白くない、って『アナと世界の終わり』みたいね。   で、ゾンビ化してしまうのは誰かが野外フェス会場でウィルスを注射しまくるテロによるものなのだけれど、そこは具体的な説明をしないのよね。犯人の目的とか動機とか一切描写ナシ。解決すらしてないの。つまりゾンビが存在する理由付けのためだけの設定なの。ならば人の手によってゾンビが生まれました、なんて説明も要らないんじゃない? ハンパね。  コメディタッチでワリと寒めなお笑い描写が頻出するのだけれど、根は陰惨だったり悲劇的だったりして、それをお笑いが緩和するというよりもアンバランスな印象を与えてるわ。ラストシーンからエンドロールへ至る部分なんか、お客さんみんな呆然ってカンジよ。なんかそこに救いがあるのかと思ったら、そんな終わり方?みたいな。  ミステリーとしてはそれ成立するの?ってレベルで(何しろゾンビものなので)、なるほど!みたいな推理が見られるワケでもなくて。ハンパに金田一耕助モノのパロディ入れたりするのも意味不明ね。   極端に短いカットの連続やここが見せ場ですよ的なスローモーションも煩わしいばかりで、なんだかしょーもないモノを見せられてる、って口あんぐり。   それでも浜辺美波は可愛かったわ。それだけ。
[映画館(邦画)] 3点(2019-12-24 21:31:05)
18.  ヒックとドラゴン 聖地への冒険 《ネタバレ》 
 既に東京国際映画祭で見ていたのだけれど、レビューは公開を待って吹替版を見てから、ということで。   スクリーンで59回見た(東京国際映画祭で1回増えた)ほどの私の最も好きな映画な1作目に対して、日本では公開されなかった2作目は私的には「無かったコトにしてちょうだい」って状態だったのだけれども、この作品を見たことで2作目はアレで完結した話ではなくて『帝国の逆襲』な『リローデッド』な位置の作品だと自分に納得させるコトができたわ。  前作ではドラゴンがまるで間違った思想に扇動される人々の象徴のように思えてアメリカ的プロパガンダ臭を感じてしまったのだけれど、今回、ドラゴンはあくまで人間とは違うドラゴンという生物ですよ、という視点から物語が作られていて最終的には納得がいったわ。   でも、じゃあ手放しに褒められるかというと難しいわねぇ・・・   とにかく全編ガチャガチャとしていてキレイに流れてない、まとまりに欠ける状態なのよね。ハナシそのものは大したカサがあるワケじゃなくて、隙間をキャラの混乱劇で埋めてる感じ。タフとかスノットとかのウザいエピソードなんか、それ必要?って状態なのよね。それぞれのキャラを大切にしました、ってコトなんでしょうけど、キャラに馴染みがあってこそ、っていうか馴染みあってもウザかったわ。ラフのウザさは良かったけど。  絵もそれに合わせるようにガチャガチャしてるわ。この監督、前作でも感じたけれど作品をキレイにまとめる力に欠けるのかしら。1作目が名作だったのは共同監督だったクリス・サンダース監督のお陰?   それに最終的にどんな結末になるのかなんてポスター見ただけで全部読めちゃったわよ。それはとてもありがちな終わり方だから。最近、アレもアレもアレもアレもこのオチ(他作品のネタバレ回避)。一体どうしちゃったの?ってくらいに横並びでこのオチ。ハリウッドの子供向けジャンル、マンネリ化してるわ。世界中の子供向けコンテンツ作ってる人達、今ならつけこめるわよ。ってフランス・デンマークの『ロング・ウェイ・ノース』や中国の『羅小黒戦記』、台湾の『幸福路のチー』なんか見てると既に始まってるわね。同じところをグルグルしてる日本は現状シンドいかしらね。   一応、完結の感動はあるのだけど、でももっともっと高みに登れたんじゃない?って、そんな気がして仕方ないのよね。
[映画館(吹替)] 6点(2019-12-20 21:42:58)
19.  スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け 《ネタバレ》 
 エピソード4をテアトル東京のシネラマの最前列で見てから41年半よ。そりゃ歳も取るわ・・・   さて、『スター・ウォーズ』っていうコンテンツ全体の太い太い軸から考えるとJJの新三部作って、なんていうかシッポっていうか枝葉っていうか竜頭蛇尾っていうか、結局ここまで見て蛇足感が否めないのよね。オマケで作りました的な。少なくとも初代三部作よりも更に凄いコトになりましたよ、っていう拡がりは感じられないわ。映像こそ凄くなってる(ハズだ)けど。   新三部作、なんかやたら些末事に追われてない? そしてその些末事が映画の本体の殆どを構成しちゃってる。まるでデキの悪いお使いRPGのイベントをこなしてるみたい。あー、また本筋から外れて回り道ぃ~?って何度思ったコトかしら。それも三部作の最初や真ん中でやるならともかく、完結編、しかもこれまでの全『スター・ウォーズ』までひっくるめての完結まで謳ってる作品でまーだやってるものだから、一体何してんのよ?って感じ。  もうどっかんと真正面からガチのぶつかりあいってのを見せて欲しいのだけど、あちこちでちまちまちまちましてるからもっと気持ち良くさせてよ!って思っちゃうのよね。  何度も何度もレイとカイロ・レンが戦うんだけど、しつこいわ。いちいち戦っちゃ離れるを繰り返す『Zガンダム』見てるみたいよ。  クライマックスだってカイロ・レン来るのは見え見えなんだけど、何よ、まだそんなとこウロウロしてんの?とか、援軍バーン!って来るのだって見え見えなんだけど、被害出し過ぎ引っ張り過ぎ、とか、どうも気持ち良さをハズしちゃってくれちゃうのよね。もしかしてJJって王道を描くの、下手?   っていうか、前作にあったフォースやジェダイは血じゃなくて普通の人にも可能性はあるのよ、ってのはドコ行っちゃったのかしら?   全作品リアルタイムな世代なワケだけど、なんか特に感慨は無かったわね。どうせまた色々やるんでしょ?ってね。
[映画館(字幕)] 5点(2019-12-20 20:59:35)(良:3票)
20.  アナと雪の女王2 《ネタバレ》 
 イマジナリーライン(想定線)って映像を描く上で大切なポイントなのだけれども、『アナと雪の女王』は前作も今作もシーンだけではなくて作品全体が一本の線に貫かれているのね。   時間に余裕がある人は前作共々見直してみて欲しいのだけど、『アナ雪』ではキャラクターの動き、映像の位置関係が全て徹底的に管理されているの。  エルサやアナの住処、拠点であるアレンデール城は常に最も右側に存在していて、そこから外に出るのは必ず左側へ進むの。そしてアレンデールから出た後もひたすら右と左に支配されていて。   左に進む時は未知の世界へ足を踏み入れてゆく、冒険に向う時。右に進む時は故郷に戻る、安定や調和の道を進む時。エルサの氷の城も、今回の冒険の経路である森もアートハランも全て左側へ進んだ先にあって、エルサはひたすら左向きに突き進み、アナを右向きに突き放したりするわ。   混乱や苦悩は縦移動と左右入り乱れ。歌声に悩まされるエルサは左右縦移動から左移動に推移して「未知の旅へ踏み出そう!」ってなるし、海に出たエルサが水の精霊に阻まれた時は右に戻されるたびに左に向って、手なずけた後は左向きに安定して。  キャラがどちらを向いていてどちらに進むか、総てのカットに意味があるの(クリストフのお笑いミュージックビデオまで含めて)。   最後、総てが終わったラストシーン、アナはひたすら右向きで、エルサはひたすら左に向うのね。それがそれぞれの立場、生き方を示しているの。   実のところ地理的な位置関係の描写は毎度イマイチなのだけど(アートハラン、やたら近くない?)、極端に徹底したこだわりは評価に値すると思うのね。ただのどミーハーなディズニーアニメ、程度の認識で済ましちゃわないで。
[映画館(吹替)] 9点(2019-11-21 23:13:56)
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